蔦の門
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著者名:岡本かの子 

 まきはいきり立つて「この子たち口減らずといつたら――」まきの憤慨してゐる様子が私にも想像されたが、すべてのものから孤独へはふり捨てられたこの老女は、やはり不人情の一言には可なり刺激を受けたらしい。「早く向うへ行つて。おまへなど女弁士にでもおなり」と叱り散らした。
 もう、そのとき、ひろ子はじめ連れの子供たちは逃げかかつてゐて、老婢より相当離れてゐた。老婢はまた懐柔して防ぐに之(し)くはないと気を更(か)へたらしく、強(し)ひて優しい声を投げた。
「ねえ、みんな、おまへさんたちいゝ子だから、この蔦の芽を摘むんぢやないよ。ほんとに頼むよ」
 流石(さすが)の子供たちも「あゝ」とか「うん」とか生(なま)返事しながら馳(は)せ去る足音がした。やつと私は潜戸(くぐりど)を開けて表へ出てみた。
「ばあや、どうしたの」
「まあ、奥さま、ご覧遊ばせ。憎らしいつたらございません。ひろ子が餓鬼(がき)大将で蔦の芽をこんなにしてしまつたのでございます。わたくし、親の家へ怒鳴(どな)り込んでやらうと思つてゐるんでございます」
 指したのを見ると、門の蔦は、子供の手の届く高さの横一文字の線にむしり取られて、髪のおかつぱさんの短い前髪のやうに揃(そろ)つてゐた。流行を追うて刈り過ぎた理髪のやうに軽佻(けいちょう)で滑稽(こっけい)にも見えた。私はむつとして「なんといふ、非道(ひど)いこと。いくら子供だつて」と言つたが、子供の手の届く範囲を示して子供の背丈けだけに摘み揃つてゐる蔦の芽の摘み取られ方には、悪戯(いたずら)は悪戯でもやつぱり子供らしい自然さが現れてゐて、思ひ返さずにはゐられなかつた。
「これより上へ短くは摘み取るまいよ。そしてそのうちには子供だから摘むのにもぢき飽きるだらうよ」
「でも」
「まあ、いゝから……」


 ひろ子の家は二筋三筋距(へだた)つた町通りに小さい葉茶屋の店を出してゐた。上(あが)り框(がまち)と店の左横にさゝやかな陳列硝子(ガラス)戸棚を並べ、その中に進物用の大小の円鑵(まるかん)や、包装した箱が申訳(もうしわけ)だけに並べてあつた。
 楽焼(らくやき)の煎茶(せんちゃ)道具一揃(ひとそろ)ひに、茶の湯用の漆(うるし)塗りの棗(なつめ)や、竹の茶筅(ちゃせん)が埃(ほこり)を冠(かむ)つてゐた。右側と衝き当りに三段の棚があつて、上の方には紫の紐附(ひもつき)の玉露(ぎょくろ)の小壺(つぼ)が並べてあるが、それと中段の煎茶の上等が入れてある中壺は滅多(めった)に客の為め蓋(ふた)が開けられることはなく、売れるのは下段の大壺の番茶が主だつた。徳用の浜茶や粉茶も割合に売れた。
 玉露の壺は単に看板で、中には何も入つてなく、上茶も飛切りは壺へ移す手数を省いて一々、静岡の仕入れ元から到着した錫張(すずば)りの小箱の積んであるのをあれやこれやと探し廻つて漸(ようや)く見付け出し、それから量(はか)つて売つて呉(く)れる。だから時間を待たして仕様がないと老婢(ろうひ)のまきは言つた。
「おや、おまへ、まだ、あすこの店へお茶を買ひに行くの」と私は訊(き)いてみた。「あすこの店はおまへの敵役(かたきやく)の子供がゐる家ぢやない」
 すると、まきは照れ臭さうに眼を伏せて
「はあ、でも、量りがようございますから」
 と、せい/″\頭を使つて言つた。私は多少思ひ当る節(ふし)が無いでもなかつた。
 蔦の芽が摘まれた事件があつた日から老婢まきは、急に表門の方へ神経質になつて表門の方に少しでも子供の声がすると「また、ひろ子のやつが――」と言つて飛出して行つた。
 事実、その後も二三回、子供たちの同じやうな所業があつたが、しかし、一月も経(た)たぬうちに老婢の警戒と、また私が予言したやうに子供の飽きつぽさから、その事は無くなつて、門の蔦の芽は摘まれた線より新らしい色彩で盛んに生え下つて来た。初蝉(はつぜみ)が鳴き金魚売りが通る。それでも子供の声がすると「また、ひろ子のやつが――」と呟(つぶや)きながらまきは駆け出して行つた。
 子供たちは遊び場を代へたらしい。門前に子供の声は聞えなくなつた。老婢(ろうひ)は表へ飛出す目標を失つて、しよんぼり見えた。用もなく、厨(くりや)の涼しい板の間にぺたんと坐(すわ)つてゐるときでも急に顔を皺(しわ)め、
「ひろ子のやつめ、――ひろ子のやつめ、――」
 と独り言のやうに言つてゐた。私は老婢がさん/″\小言(こごと)を云つたやうなきつかけで却(かえ)つて老婢の心にあの少女が絡(から)み、せめて少女の名でも口に出さねば寂しいのではあるまいかとも推察した。
 だから、この老婢がわざ/\幾つも道を越える不便を忍んで少女の店へ茶を求めに行く気持ちも汲(く)めなくはなく、老婢の拙(つた)ない言訳も強(し)ひて追及せず
「さう、それは好い。ひろ子も蔦をむしらなくなつたし、ひいきにしておやり」
 私の取り做(な)してやつた言葉に調子づいたものか老婢は、大びらでひろ子の店に通ひ、ひろ子の店の事情をいろ/\私に話すのであつた。
 私の家は割合に茶を使ふ家である。酒を飲まない家族の多くは、心気の転換や刺激の料に新らしくしば/\茶を入れかへた。老婢は月に二度以上もひろ子の店を訪ねることが出来た。
 まきの言ふところによるとひろ子の店は、ひろ子の親の店には違ひないが、父母は早く歿(ぼっ)し、みなし児(ご)のひろ子のために、伯母(おば)夫婦が入つて来て、家の面倒をみてゐるのだつた。伯父は勤人(つとめにん)で、昼は外に出て、夕方帰つた。生活力の弱さうな好人物で、夜は近所の将棊所(しょうぎしょ)へ将棊をさしに行くのを唯一の楽しみにしてゐる。伯母は多少気丈な女で家の中を切り廻すが、病身で、とき/″\寝ついた。二人とも中年近いので、もう二三年もして子供が出来ないなら、何とか法律上の手続をとつて、ひろ子を養女にするか、自分たちが養父母に直るかしたい気組みである。それに茶店の収入も二人の生活に取つては重要なものになつてゐた。
「可哀(かわい)さうに。あれで店にゐると、がらり変つた娘になつて、からいぢけ切つてるのでございますよ。やつぱり本親のない子ですね」とまきは言つた。
 私は、やつぱり孤独は孤独を牽(ひ)くのか。そして一度、老婢とその少女とが店で対談する様子が見度(みた)くなつた。
 その目的の為めでもなかつたが、私は偶然少女の茶店の隣の表具店に写経の巻軸(かんじく)の表装を誂(あつら)へに行つて店先に腰かけてゐた。私が家を出るより先に花屋へ使ひに出したまきが町向うから廻つて来て、少女の店に入つた。大きな「大経師」と書いた看板が距(へだ)てになつてゐるので、まきには私のゐるのが見えなかつた。表具店の主人は表装の裂地(きれじ)の見本を奥へ探しに行つて手間取つてゐた。都合よく、隣の茶店での話声が私によく聞えて来る。
「何故(なぜ)、今日はあたしにお茶を汲(く)んで出さないんだよ」
 まきの声は相変らず突つかゝるやうである。
「うちの店ぢや、二十銭(せん)以上のお買物のお客でなくちや、お茶を出さないのよ」
 ひろ子の声も相変らず、ませてゐる。
「いつもあんなに沢山(たくさん)の買物をしてやるぢやないか。常顧客(おとくい)さまだよ。一度ぐらゐ少ない買物だつて、お茶を出すもんですよ」
「わからないのね、をばさんは。いつもは二十銭以上のお買物だから出すけど、今日は茶滓漉(ちゃかすこ)しの土瓶(どびん)の口金一つ七銭のお買物だからお茶は出せないぢやないの」
「お茶は四五日前に買ひに来たのを知つてるだろ。まだ、うちに沢山(たくさん)あるから買はないんだよ。今度、無くなつたらまた沢山買ひに来ます。お茶を出しなさい」
「そんなこと、をばさんいくら云つても、うちのお店の規則ですから、七銭のお買物のお客さまにはお茶出せないわ」
「なんて因業(いんごう)な娘つ子だらう」
 老婢(ろうひ)は苦笑し乍(なが)ら立ち上りかけた。こゝでちよつと私の心をひく場面があつた。
 老婢の店を出て行くのに、ひろ子は声をかけた。
「をばさん、浴衣(ゆかた)の背筋の縫目が横に曲つてゐてよ。直したげるわ」
 老婢は一度「まあいゝよ」と無愛想に言つたが、やつぱり少し後へ戻つたらしい。それを直してやりながら少女は老婢に何か囁(ささや)いたやうだが私には聞えなかつた。それから老婢の感慨深さうな顔をして私の前を通つて行くのが見える。私がゐるのに気がつかなかつたほど老婢は何か思ひ入つてゐた。
 ひろ子が何を囁いて何をまきが思ひ入つたのか家へ帰つてから私が訊(き)くと、まきは言つた。「をばさん御免なさいね。けふ家の人たち奥で見てゐるもんだから、お店の規則破れないのよ。破るととてもうるさいのよ。判つて」ひろ子はまきの浴衣の背筋を直す振りして小声で言つたのださうである。まきはそれを私に告げてから言ひ足した。
「なあにね、あの悪戯(いたずら)つ子がお茶汲んで出す恰好(かっこう)が早熟(ませ)てゝ面白いんで、お茶出せ、出せと、いつも私は言ふんで御座(ござ)いますがね、今日のやうに伯母(おば)夫婦に気兼(きが)ねするんぢや、まつたく、あれぢや、外へ出て悪戯でもしなきや、ひろ子も身がたまりませんです」


 少し大きくなつたひろ子から、家を出て女給にでもと相談をかけられたのを留めたのも老婢(ろうひ)のまきであつたし、それかと言つて、家にゐて伯母夫婦の養女になり、みす/\一生を夫婦の自由になつて仕舞(しま)ふのを止(や)めさしたのもまきであつた。私の家の蔦の門が何遍か四季交換の姿を見せつゝある間に、二人はそれほど深く立入つて身の上を頼り合ふ二人になつてゐた。孤独は孤独と牽(ひ)き合ふと同時に、孤独と孤独は、最早(もは)や孤独と孤独とでなくなつて来た。まきには落着いた母性的の分別が備はつて、姿形さへ優しく整ふし、ひろ子にはまた、しほらしく健気(けなげ)な娘の性根が現はれて来た。私の家は勝手口へ廻るのも、この蔦の門の潜戸(くぐりど)から入つて構内を建物の外側に沿つて行くことになつてゐたので、私は、何遍か、少し年の距(へだた)つた母子のやうに老女と娘とが睦(むつ)び合ひつゝ蔦の門から送り出し、迎へられする姿を見て、かすかな涙を催したことさへある。
 老婢は子供の時分に聞いた、上野の戦ひの時の、傷病兵の看護人が男性であつたものを、女性にかへてから非常に成績が挙るやうになつた看護婦の起源の話(これは近頃、当時の生存者がラヂオで放送した話にもあつたが)を想ひ出した。また自分の体験から、貧しい女は是非(ぜひ)腕に一人前の専門的職業の技倆(ぎりょう)を持つてゐなければ結婚するにしろ、独身にしろ、不幸であることを諄々(じゅんじゅん)と諭(さと)して、ひろ子に看護婦になることを勧めた。そして学費の足しにと自分のお給金の中から幾らかの金を貢(みつ)ぎながら、ひろ子を赤十字へ入れて勉強さした。


 私の家は、老婢まきを伴つて、芝、白金から赤坂の今の家へ移つた。今度は門わきの塀に蔦がわづかに搦(から)んでゐるのを私が門へ蔓(つる)を曳(ひ)きそれが繁(しげ)り繁つたのである。
 まきはすつかり老齢に入つて、掃除や厨(くりや)のことは若い女中に任せて自分はたゞ部屋に寝起きして、とき/″\女中の相談に与(あずか)ればよかつた。
 しかし、彼女は晩春から初夏へかけて蔦の芽立つ頃の朝夕二回の表口の掃除だけは自分でする。母子の如く往き交(か)ふひろ子との縁の繋(つな)がり始まりを今もなほ若蔦の勢(いきおい)よき芽立ちに楽しく顧(かえりみ)る為めであらうか。緑のゴブラン織のやうな蔦の茂みを背景にして背と腰で二箇所に曲つてゐる長身をやをら伸ばし、箒(ほうき)を支へに背景を見返へる老女の姿は、夏の朝靄(あさもや)の中に象牙彫(ぞうげぼ)りのやうに潤(うる)んで白く冴(さ)えた。彼女は朝起きの小児がよち/\近寄つて来でもすると、不自由な身体に懸命な力で抱き上げて、若蔦の芽を心行くばかり摘み取らせる。嘗(かつ)ては、あれほど摘み取られるのを怒つたその蔦の芽を――そしてにこ/\してゐる。まきも老いて草木の芽に対する愛は、所詮(しょせん)、人の子に対する愛にしかずといふやうな悟りでも得たのであらうか。
 私は、それを見て、どういふわけか「命なりけり小夜(さよ)の中山――」といふ西行の歌の句が胸に浮んでしやうがない。


 蔦の茂葉の真盛りの時分に北支事変が始まつて、それが金朱のいろに彩(いろど)られるころます/\皇軍の戦勝は報じ越される。
 もう立派に一人前になつてゐたひろ子は、日常の訓練が役立つて、まるで隣へ招ばれるやうに、あつさり「では、をばさん行つて来るわ」とまきに言つて征地の任務に赴いた。
「たいしたものだ」まきは首を振つて感じてゐた。




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