上田秋成の晩年
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著者名:岡本かの子 

 十二歳年下で、六十歳の太田南畝(なんぽ)がまだ矍鑠(かくしゃく)としてゐるのが気になつた。この男には、とても生き越せさうにも思へなかつた。世の中を狂歌にかくれて、自恣(じし)して居るこの悧恰(りこう)な幕府の小官吏は、秋成に対しては、真面目(まじめ)な思ひやり深い眼でときどき見た。それで彼も、生き負けるにしろさう口惜(くや)しい念は起さなかつた。
 茶瓶に湯が注がれて、名茶『一の森』の上□(じょうろう)の媚(こ)びのやうな淡いいろ気のある香気が立ちのぼつた。彼は茶瓶をむづと掴(つか)んだ。茶瓶の口へ彼の尖(と)がつた内曲りの鼻を突込んだ。茶の産地の信楽(しがらき)の里の春のあけぼのの景色も彼の眼底に浮んだ。
 その翌、文化四年七十四歳の秋成は草稿五束を古井戸に捨てた。
 さうかと思ふと、その翌、文化五年には、人が、彼の書簡集『文反古』を編んで刊行するのを許して居る。そして、彼自身も、最も露骨な告白文である随筆集『胆大小心録』を完成して居る。


 翌、文化六年六月、彼は、弟子の羽倉信美の家で死んだ。住み切らうと決心した南禅寺の小庵『鶉居(うずらい)』にも住み切れなかつた。信美の家へ引取られるまでに、一時、寿蔵(じゅぞう)を営んだ西福寺へ寄寓したりなぞしても居た。




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