河明かり
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著者名:岡本かの子 

 私が、いま書き続けている物語の中の主要人物の娘の性格に、何か物足りないものがあるので、これはいっそのこと環境を移して、雰囲気でも変えたらと思いつくと、大川の満(み)ち干(ひ)の潮がひたひたと窓近く感じられる河沿いの家を、私の心は頻(しき)りに望んで来るのであった。自分から快適の予想をして行くような場所なら、却(かえ)ってそこで惰(なま)けて仕舞いそうな危険は充分ある。しかし、私はこの望みに従うより仕方がなかった。
 人間に交っていると、うつらうつらまだ立ち初めもせぬ野山の霞(かすみ)を想(おも)い、山河に引き添っているとき、激しくありとしもない人が想われる。
 この妙な私の性分に従えば、心の一隅の危険な望みを許すことによって、自然の観照の中からひょっとしたら、物語の中の物足らぬ娘の性格を見出す新な情熱が生れて来るかも知れない――その河沿いの家で――私は今、山河に添うと云ったが、私は殊にもこの頃は水を憶(おも)っているのであった。私は差しあたりどうしても水のほとりに行き度(た)いのであった。
 東京の東寄りを流れる水流の両国橋辺りから上を隅田川と云い、それから下を大川と云っている。この水流に架かる十筋の橋々を縫うように渡り検めて、私は流の上下の河岸を万遍(まんべん)なく探してみた。料亭など借りるのは出来過ぎているし、寮は人を介して頼み込むのが大仰(おおぎょう)だし、その他に頃合いの家を探すのであるが、とかく女の身は不自由である。私は、今度は大川から引き水の堀割りを探してみた。
 白木屋横手から、まず永代橋詰まで行くつもりで、その道筋の二つ目の橋を渡る手前にさしかかると、左の河並に横町がある。私有道路らしく道幅を狭めて貨物を横たえているが、陸側は住居附きの蔵構への問屋店が並び、河岸側は荷揚げ小屋の間にしんかんとした洋館が、まばらに挟っている。初冬に入って間もないあたたかい日で、照るともなく照る底明るい光線のためかも知れない、この一劃(いっかく)だけ都会の麻痺(まひ)が除かれていて、しかもその冴(さ)え方は生々しくはなかった。私はその横道へ入って行った。
 河岸側の洋館はたいがい事務所の看板が懸けてあった。その中の一つの琺瑯質(ほうろうしつ)の壁に蔦(つた)の蔓(つる)が張り付いている三階建の、多少住み古した跡はあるが、間に合せ建ではないそのポーチに小さく貸間ありと紙札が貼(は)ってあった。ポーチから奥へ抜けている少し勾配(こうばい)のある通路の突き当りに水も覗(のぞ)いていた。私はよくも見つけ当てたというよりは、何だか当然のような気がした。望みというものは、意固地(いこじ)になって詰め寄りさえしなければ、現実はいつか応じて来るものだ。私が水辺に家を探し始めてから二ヶ月半かかっている。
 二三度「ご免下さい」と云ったが、返事がない。取り付きの角の室を硝子窓(ガラスまど)から覗くと、薄暗い中に卓子(テーブル)のまわりへ椅子(いす)が逆にして引掛けてあり、塵(ちり)もかなり溜(たま)っている様子である。私は道を距(へだ)てて陸側の庫造(くらづく)りの店の前に働いている店員に、理由を話して訊(たず)ねて見た。するとその店員は家の中へ向って伸び上り、「お嬢さーん」と大きな声で呼んだ。
 九曜星の紋のある中仕切りの暖簾(のれん)を分けて、袂(たもと)を口角に当てて、出て来た娘を私はあまりの美しさにまじまじと見詰めてしまった。頬(ほお)の豊かな面長の顔で、それに相応(ふさわ)しい目鼻立ちは捌(さば)けてついているが、いずれもしたたかに露を帯びていた。身丈も格幅(かっぷく)のよい長身だが滞なく撓(しな)った。一たい女が美しい女を眼の前に置き、すぐにそうじろじろ見詰められるものではない。けれども、この娘には女と女と出会って、すぐ探り合うあの鉤針(かぎばり)のような何ものもない。そして、私を気易くしたのは、この娘が自分で自分の美しさを意識して所作(しょさ)する二重なものを持たないらしい気配いである。そのことは一目で女には判る。
 娘は何か物を喰(た)べかけていたらしく、片袖(かたそで)の裏で口の中のものを仕末して、自分の忍び笑いで、自然に私からも笑顔を誘い出しながら
「失礼いたしました。あの何かご用――」
 そして私がちょっと河岸の洋館の方へ首を振り向けてから用向きを話そうとする、その間に私の洋傘を持ち仕事鞄(しごとかばん)を提げている、いくらか旅仕度にも取れる様子を見て取ったらしい娘は
「あ、判りました。部屋をお見せいたすのでしょう」といったが「けれども……あんな部屋」とまた云って私と向う側の貸間札のかかっている部屋の硝子扉を見較(みくら)べた。私はやや失望したが、この娘に対して少しも僻(ひが)んだり気おくれはしない「……あのとにかく見せて頂けないでしょうか」すると娘はまたはっきりした笑顔になり
「では、とにかく、」と云ってそこにある麻裏草履(あさうらぞうり)を突かけて、先に立った。
 三階は後で判ったことだがこの雑貨貿易商である娘の店の若い店員たちの寝泊りにあててあり、二階の二室と地階の奥の一つ、これも貸部屋では無かった。たった一つ空いているといい、私に貸すことの出来るという部屋は、さっき私が覗いた道路向きの事務室であった。
 私が本意なく思って、「書きもののための計画」のことを少し話してみると、娘はちょっと考えていたが
「よろしゅうございます。じゃ、こちらの部屋をお貸しいたしましょう」と更(あらた)めて決心でもした様子でそれと背中合せの、さっき塞(ふさが)っているといった奥の河沿いの部屋へ連れて行った。
 その部屋は日本座敷に作ってあって、長押附(なげしつ)きのかなり凝った造作(ぞうさく)だった。「もとは父の住む部屋に作ったのでございます」と娘はいった。貸部屋をする位いなら、あんな事務室だけを択って貸さずにこの位の部屋の空いているのを何故貸さないのかと私はあとでその事情は判ったけれどその時は何も知らないので不審に思った。
 ともかく私は娘の厚意を嬉(よろこ)んでそして
「では明日からでも、拝借いたします。」
 そう云って、娘に送られて表へ出た。私はその娘の身なりは別に普通の年頃の娘と違っていないが、じかに身につけているものに、茶絹で慥らえて、手首まで覆っている肌襯衣(はだシャツ)のようなものだの、脛(すね)にぴっちりついている裾裏(すそうら)と共色の股引(ももひき)を穿(は)いているのを異様に思った。私がそれ等に気がついたと見て取ると、娘は、
「変って居りまして。なにしろ男の中に立ち混って働くのですから、ちと武装しておりませんとね。」
 といって、軽く会釈して、さっさと店の方へ戻っていった。


 あくる日に行ってみると、私に決めた部屋はすっかり片付いていて、丸窓の下に堆朱(ついしゅ)の机と、その横に花梨胴(かりんどう)の小長火鉢まで据えられていた。
 そこへ娘は前の日と同じ服装で、果(くだ)もの鉢と水差しを持って入って来た。
「どういうご趣味でいらっしゃるか判りませんので、普通のことにして置きましたが、もし、お好きなら古い書画のようなものも少しはございますし……」
 そこで果物鉢を差出して
「こういうふうなものなら家の商品でまだ沢山ございますからご遠慮なく仰(おっしゃ)って下さいまし」
 果物鉢は南洋風の焼物だし中には皮が濡色(ぬれいろ)をしている南洋生の竜眼肉(りゅうがんにく)が入っていた。
 私はその鉢や竜眼肉を見てふと気付いて、
「お店は南洋の方の貿易関係でもなすっていらっしゃるのですか」と訊(き)いた。
「はあ、店そのものの商売は、直接ではございませんが、道楽と申しましょうか、船を一ぱい持って居りまして、それが近年、あちらの方へ往き来いたしますので……」
 娘の父の老主人はリョウマチで身体の不自由なことでもあり、気も弱くなって、なるたけ事業を縮小したがっている。しかし、店のものの一人に、強情に貿易のことを主張する男がいる。その男は始終船に乗って海上に勤め、そして娘は店で老主人の代りに、手別(てわ)けして働いている。娘は簡潔に家の事情をここまで話した。そして、その船貿易を主張する店のもののことに就(つ)いて、なおこう云って私の意見を訊いた。
「その男の水の上の好きなことと申しましたら、まるで海亀か獺(かわうそ)のような男でございます。陸へ上って一日もするともう頭が痛くなると申すのでございます。あなたさまは物をお書きになって、いろいろお調べでございましょうが、そんな性質の人間もあるのでございましょうか」
 と云ったが、すぐ気を変えて、「まあ、お仕事始めのお邪魔をいたしまして、またいずれお暇のとき、ゆっくりお話を承りとうございますわ」と、火鉢の火の灰を払って炭をつぎ、鉄瓶へ水を注(さ)し足してから、爽(さわ)やかな足取りで出て行った。
 爛漫(らんまん)と咲き溢(あふ)れている花の華麗。
 竹を割った中身があまりに洞(うつろ)すぎる寂しさ。
 こんな二つの矛盾を、一人の娘が備えていることが、私の気になって来たし、この娘の快活の中に心がかりであるらしいその店員との関係も、考えられた。 
 私は何だか来てしまって見ると、期待したほどの慾も起らない河面の景色を、それでも好奇心で障子を開けてみた。硝子戸(ガラスど)を越して、荷船が一ぱい入って向うの岸は見えない。その歩(あゆ)び板の上に、さき程の娘は、もう水揚げ帳を持って、万年筆の先で荷夫たちを指揮している姿が眺められた。


 私は毎日河沿いの部屋へ通った。叔母と一緒に昼飯を済ませ、ざっと家の中を片付けて、女中に留守中の用事を云いつけてから出かけた。化粧や着物はたいして手数がかからなかった。見られる同性というならば、あの娘ぐらいなもので、その娘は他人に対するそういう詮索(せんさく)には全然注意力を持たないらしかった。それは私を気易くさせた。
 この宿の堆朱(ついしゅ)の机の前に座って、片手を小長火鉢の紫檀(したん)の縁に翳(かざ)しながら、晩秋から冬に入りかける河面を丸窓から眺めて、私は大かた半日同じ姿勢で為すことなく暮した。
 河は私の思ったほど、静かなものではなかった。始終船が往き来した。殊に夕暮前は泊りの場所へ急ぐ船で河は行き詰った。片手に水竿(みずざお)を控え、彼方此方に佇(たたず)んで当惑する船夫の姿は、河面に蓋(ふた)をした広い一面板に撒(ま)き散(ちら)した箱庭の人形のように見えた。船夫たちは口々に何やら判らない言葉で怒鳴った。舷(ふなばた)で米を炊いでいる女も、首を挙げて怒鳴った。水上警察の巡邏船(じゅんらせん)が来て整理をつけた。
 娘は滅多に来ないで、小女のやまというのが私の部屋の用を足した。私はその小女から、帆柱を横たえた和船型の大きな船を五大力ということだの、木履(ぽっくり)のように膨れて黒いのは達磨(だるま)ぶねということだの、伝馬船(てんません)と荷足(にた)り船(ぶね)の区別をも教えて貰った。
 しかし、そんな智識が私の現在の目的に何の関りがあろう。私が書いている物語の娘に附与したい性格を囁(ささや)いて呉(く)れそうな一光閃(いちこうせん)も、一陰翳(いちいんえい)もこの河面からは射(さ)して来ない。却(かえ)ってだんだん川にも陸の上と同じような事務生活の延長したものが見出されて来る。私がこういう部屋を望んだ動機がそもそも夢だったのだろうか。
 すでにこの河面に嫌厭(けんえん)たるものを萌(きざ)しているその上に、私はとかく後に心を牽(ひか)れた。何という不思議なこの家の娘であろう。この娘にも一光閃も、一陰翳もない。ただ寂しいと云えばあまりに爛漫として美しく咲き乱れ、そして、ぴしぴし働いている。それがどういう目的のために何の情熱からということもなく快闊(かいかつ)そのものが働くことを藉(か)りて、時間と空間を鋏(はさ)み刻んで行くとしか思えない。内にも外にも虚白なものの感じられるのを、却って同じ女としての私が無関心でいられる筈(はず)がなかった。
 娘はその後、二度程私の部屋に来た。一度は「ほんとに気がつきませんで……」といって、三面鏡の化粧台を店員たちに運ばせて、程よい光線の窓際に据(す)えて行った。一度は漢和の字引をお持ちでしたらと借りに来て、私がここまでは持って来ないのを知り、「お邪魔いたしましたわ」といってあっさり去った。
 私がまだ意識の底に残している、娘と何等かの関係ありそうな海好きの店員のことも、娘は忘れたかのように、すこしの消息も伝えない。私の多少当が外れた気持ちが、私がこの家へ出入のときに眼に映る店先での娘の姿や、窓越しに見る艀板(はしけいた)の上の娘の姿にだんだん凝って行くのであった。私の仕事鞄(しごとかばん)は徒(いたずら)に開かれて閉されるばかりである。
 私はだいぶ慣れて来た小女のやまに訊いてみた。
「お嬢さんはどういう方」
 するとやまは難かしい試験の問題のようにしばらく考えて、
「さあ、どういう方と申しまして……あれきりの方でございましょう」
 私はこのませた返事に微笑した。
「この近所では亀島河岸のモダン乙姫(おとひめ)と申しております」
 私の微笑は深まった。
「他所(よそ)へお出になることがあって」
「滅多に、でも、お買ものの時や、お店のお交際(つきあ)いには時たまお出かけになります」
「お店のお交際いというと……」
 私は娘の活動範囲が、そこまで圏を拡(ひろ)げているのに驚ろいた。
「よくは存じませんですが、組合のご相談だの、宴会だの。きょうも船の新造卸しのお昼のご宴会に深川までお出かけになりましたが……」
 その夕方帰り仕度をしている私の部屋の前で、娘の声がした。
「まだお在(い)でになりまして」
 盛装して一流の芸者とも見える娘。娘に「ちょっと入って頂戴(ちょうだい)」と云われて、そのあとから若い芸妓(げいぎ)が二人とお雛妓(しゃく)が一人現れた。
 部屋の主(あるじ)は私女一人なのに、外来の女たちはちょっと戸惑ったようだが、娘が紹介すると堅苦しく挨拶(あいさつ)して、私が差出した小長火鉢にも手を翳(かざ)さず、娘から少し退って神妙に座った。いずれもかなりの器量だが、娘の素晴らしい器量のために皺(しわ)められて見えた。
 娘は私には「この人たち宴会場から送って来て呉れたのですけれど、筆をお執りになる方には何かのご経験と思いついて、ちょっとお部屋へ上って貰いましたの」といった。
 少しの間、窮屈な空気が漂っていたが、娘は何も感じないらしく、「みなさん、こちらに面白そうなことを少し話してあげて下さい」というにつれ、私も、「どうぞ」と寛(くつろ)いだ様子を出来るだけ示したので、女たちは、「じゃ、まず、一ぷくさせて頂いて……」と袂(たもと)からキルク口の莨(たばこ)を出して、煙を内端に吹きながら話した。
 今までいた宴会の趣旨の船の新造卸しから連想するためか、水の上の人々が酒楼に上ったときの話が多かった。
 船に乗りつけている人々はどんなに気取っても歩きつきで判るのである。畳の上ではそれほどでもないが、廊下のような板敷きへかかると船の傾きを踏み試めすような蛙股の癖が出て、踏み締め、踏み締め、身体の平定を衡(はか)って行くからである。一座の中でひどく酔った連れの一人が洗面所へ行ったが、その帰りに料亭の複雑な部屋のどこかへ紛れ込んで、探しても判らなかった。すると他の連中は、その連れの一人が乗組んでいる船の名を声を揃えて呼んだ。
「福神丸やーイ」
 すると、「おーい」と返事があって、紛れた客があらぬ方からひょっこり現れた。
 ある一軒の料亭で船乗りの宴会があった。少し酔って来るとみな料理が不味(まず)いと云い出した。苦笑した料理方が、次から出す料理には椀(わん)にも焼ものにも塩一つまみずつ投げ入れて出した。すると客はだいぶ美味(おい)しくなったといった。それほど船乗りの舌は鹹味(かんみ)に強くなっている。
 きょうはいい塩梅(あんばい)に船もそう混まないで、引潮の岸の河底が干潟になり、それに映って日暮れ近い穏かな初冬の陽が静かに褪(さ)めかけている。鴎(かもめ)が来て漁(あさ)っている。向う岸は倉庫と倉庫の間の空地に、紅殻色(べんがらいろ)で塗った柵の中に小さい稲荷(いなり)と鳥居が見え、子供が石蹴(いしけ)りしている。
 さすがに話術を鍛えた近頃の下町の芸妓(げいぎ)の話は、巧まずして面白かったが、自分の差当りの作品への焦慮からこんな話を喜んで聞いているほど、作家の心から遊離していいものかどうか、私の興味は臆(おく)しながら、牽(ひ)き入れられて行った。
 ふと年少らしい芸妓が、部屋の上下周囲を見廻(みまわ)しながら
「このお部屋、大旦那(おおだんな)が母屋へお越しになってから、暫(しば)らく木ノさんがいらしったんでしょう……」と云った。
 娘は黙ってごく普通に肯(うなず)いて見せた。
「木ノさんからお便りありまして……」と同じ芸者はまた娘に訊(き)いた。
「ええ、しょっちゅう」と娘はまた普通に答えて、次にこの芸妓の口から出す言葉をほぼ予測したらしく、面白そうに嬌然(きょうぜん)と笑ってこんどは娘の方から芸妓の言葉を待受けた。芸妓は果して
「あら、ご馳走(ちそう)さま、妬(や)けますわ」と燥(はしゃ)いでいった。
「ところが、事務のことばかりの手紙で」
 芸妓はこの娘が隠し立てしたり、人を逸(はぐ)らかしたりする性分ではないのを信じているらしく、それを訊くと同時に、
「やっぱり――」と云って興醒(きょうざ)め顔に口を噤(つぐ)んだ。
「そう申しちゃ何ですけれど、あたしはお嬢さんがあんまり伎倆(うで)がなさ過ぎると思いますわ」
 と今度は年長の芸妓が云った。「これだけのご器量をお持ちになりながら……」
 娘は始めて当惑の様子を姿態に見せた。
「あたしは、随分、あの人の気性に合うよう努めているんだけれど……なによ、その伎倆っていうの」
 年長の芸妓は物事の真面目(まじめ)な相談に与(あずか)るように、私が押し出してやってある長火鉢に分別らしく、手を焙(あぶ)りながら、でもその時急に私の方を顧慮する様子をして
「ですが、こちらさんにこんなお話お聞かせして好いんですか」
「ええ、ええ」
 娘の悪びれないその返事が如何にも私に対する信頼と親しみの響きとして私にひびいた。先程からの仕事への焦慮もすっかり和んで、むしろ私はその場の話を進行させる為めにことさら自らの態度を寛がせさえするのであった。年長の芸妓は安心したように元の様子に戻って
「ま、譬(たと)えて云ってみれば、拗(す)ねてみたり、気を持たせてみたり」
 娘は声を立てて笑った。「そのくらいのことなら、前に随分あたしだって……」
 私はこの娘に今まで見落していたものを見出して来たような気がした。芸妓は手持無沙汰(てもちぶさた)になって、
「そうでございますかねえ、じゃ、ま、抓(つね)っても見たり……」と冗談にして、自分を救ったが、誰も笑わなかった。
 すると若い芸妓の方がまた
「だめ、だめ、そんな普通な手じゃ。あたしいつか、こちらさまの大旦那の還暦のご祝儀がございましたわね。あのお手伝いに伺いましたとき」といって言葉を切り、そしていい継いだ。「酔った振りして、木ノさんの膝(ひざ)に靠(もた)れかかってやりました。いろ気は微塵(みじん)もありません。お嬢さんにゃあ済まないけど、お嬢さんの為めとも思って、お嬢さんほどの女をじらしぬくあの評判の女嫌いの磐石板(ばんじゃくいた)をどうかして一ぺん試してやりたいと思いましたから。すると、あの磐石板はわたしの手をそっと執ったから、ははあ、この男、女に向けて挨拶(あいさつ)ぐらいは心得てると、腹の中で感心してますと、どうでしょう、それはわたしが本当に酔ってるか酔ってないか脉(みゃく)を見たのですわ。それから手首を離して、そこにあった盃を執り上げると、ちょろりとあたしの鼻の先へ雫(しずく)を一つ垂らして、ここのところのペンキが剥(は)げてら、船渠(ドック)へ行って塗り直して来いと云うんです。あたしは口惜しいの何のって、……でもね、そうしたあとで、あの人を見ても、別に意地の悪い様子もなく、ただ月の出を眺めてるようにぼんやりお酒を飲んでいる調子は、誰だって怒る気なんかなくなっちまいますわ。あたしは、つい、有難うございますとお叩頭(じぎ)して指図通り、顔を直しに行っただけですけれど、全く」と年下の芸妓は力を籠(こ)めた。
「全く、お嬢さんでなくても、木ノさんには匙(さじ)を投げます」と云った。
 新造卸しの引出物の折菓子を与えられて、唇の紅を乱して食べていた雛妓(おしゃく)が、座を取持ち顔に、「愛嬌喚(あいきょうわめ)き」をした。
「結婚しちまえ!」
 これに対しても娘は真面目に答えた。
「厄介なのは、そんなことじゃないんだよ」「そもそも、お嬢さんに伺いますが、あんたあの方に、どのくらい惚(ほ)れていらっしゃるんです。まあ、お許婚(いいなずけ)だから、惚れるの惚れないのという係り筋は通り越していらっしゃるんでしょうけれど」
 すると娘は、俄(にわか)に、ふだん私が見慣れて来た爛漫(らんまん)とした花に咲き戻って、朗に笑った。
「この話は、まあ、この程度にして……こちらさまも一つ話ではお飽きでしょうから」
「そうでございましたわね」と芸妓たちも気がついて云った。
 私は帰る時機と思って、挨拶した。
 河靄(かわもや)が立ち籠めてきた河岸通りの店々が、早く表戸を降している通りへ私は出た。


 三四日、私は河沿いの部屋へ通うことを休んで見た。折角自然から感得したいと思うものを、娘やそのほか妙なことからの影響で、妨げられるのが、何か不服に思えて来たからである。いっそ旅に出ようか、普通通りすがりの旅客として水辺の旅館に滞在するならば、なんの絆(きずな)も出来るわけはない。明け暮れただ河面を眺め乍(なが)ら、張り亘(わた)った意識の中から知らず知らず磨き出されて来る作家本能の触角で、私の物語の娘に書き加える性格をゆくりなく捕捉(ほそく)できるかも知れない。私のこの最初の方図は障碍(しょうがい)に遭(あ)って、ますますはっきり私に慾望化して来た。
 ふと、過去に泊って忘れていたそれ等の宿の情景が燻(くすぶ)るように思い出されて来る。
 鱧(はも)を焼く匂(にお)いの末に中の島公園の小松林が見渡せる大阪天満川の宿、橋を渡る下駄の音に混って、夜も昼も潺湲(せんかん)の音を絶やさぬ京都四條河原の宿、水も砂も船も一いろの紅硝子(べにガラス)のように斜陽のいろに透き通る明るい夕暮に釣人が鯊魚(はぜ)を釣っている広島太田川の宿。
 水天髣髴(すいてんほうふつ)の間に毛筋ほどの長堤を横たえ、その上に、家五六軒だけしか対岸に見せない利根川の佐原の宿、干瓢(かんぴょう)を干すその晒(さら)した色と、その晒した匂いとが、寂しい眠りを誘う宇都宮の田川の宿――その他川の名は忘れても川の性格ばかりは、意識に織り込まれているものが次々と思い泛(うか)べられて来た。何処でも町のあるところには必ず川が通っていた。そして、その水煙と水光とが微妙に節奏する刹那(せつな)に明確な現実的人間性が劃出(かくしゅつ)されて来るのが、私に今まで度々の実例があった。東洋人の、幾多古人の芸術家が「身を賭(か)けて白雲に駕(が)し、」とか、「幻に住さん」などということを希(ねが)っている。必ずしも自然を需(もと)めるのではあるまい。より以上の人間性をと、つき詰めて行くのでもあろう。「青山(せいざん)愛執(あいしゅう)の色に塗られ、」「緑水(りょくすい)、非怨(ひえん)の糸を永く曳(ひ)く」などという古人の詩を見ても人間現象の姿を、むしろ現象界で確捕出来ず所詮(しょせん)、自然悠久の姿に於て見ようとする激しい意慾の果の作略(さりゃく)を証拠立てている。
 だが、私は待て、と自分に云って考える。それ等の宿々の情景はみな偶然に行きつき泊って、感得したものばかりである。今、再びそれを捉(とら)えようとして、予定して行って見ても、恐らくその情景はもうそこにはいまい。ただの河、ただの水の流れになって、私の希望を嘲笑(あざわら)うであろう。思出ばかりがそれらの俤(おもかげ)を止めているものであろう。観念が思想に悪いように、予定は芸術に悪い。まして計画設備は生むことに何の力もない。それは恋愛によく似ている。では……私はどうしたらいいであろうと途方にくれるのであった。だが、私は創作上こういう取り止めない状態に陥ることには、慣れてもいた。強いて焦せっても仕方がない、その状態に堪えていて苦しい経験の末に教えられたことも度々ある。そうあきらめて私は叔母と共に住む家庭の日常生活を普通に送り乍(なが)ら、その間に旅行案内や地図を漁(あさ)ることも怠らなかった。また四五日休みは続いた。
 すると娘から電話がかかって来た。
「その後いらっしゃらないので、この間芸者達とお邪魔したのが悪かったかと思ったりして居りますが……」
 声は相変らず闊達(かったつ)だが、気持ちはこまかく行亘(ゆきわた)って響いて来た。
「何も怒ることなぞ、ありませんわ。お休みしたのはちょっと仕事の都合で」
 と答えた。
「いかがでございましょう。父がこのごろ天気続きの為めか、身体がだいぶよろしゅうございますので、お茶一つ差上げたいと申しますが、明日あたりお昼飯あがり傍々(かたがた)、いらして頂けないでございましょうか、お相客はどなたもございません。私だけがお相伴さして頂きます」
 私はまたしても、河沿いの家の人事に絡み込まれるのを危く感じたが、それよりも、いまの取り止めない状態に於て、過剰になった心にああいう下町の閉された蔵造りの中の生活内部を覗(のぞ)くことに興味が弾んだ。私は招待に応じた。


 東京下町の蔵住いの中に、こんな異境の感じのする世界があろうとは思いかけなかった。
 四畳半の茶室だが、床柱は椰子材(やしざい)の磨いたものだし、床縁や炉縁も熱帯材らしいものが使ってあった。
 匍(は)い上りから外は、型ばかりだが、それでも庭になっていて、竜舌蘭(りゅうぜつらん)だの、その他熱帯植物が使われていた。土人が銭に使うという中央に穴のある石が筑波井風(つくばいふう)に置いてあった。
 庭も茶室もまだこの異趣の材料を使いこなせないところがあって、鄙俗(ひぞく)の調子を帯びていた。
 袴(はかま)をつけた老主人が現れて
「手料理で、何か工夫したものを差上ぐべきですが、何しろ、手前の体がこのようでは、ろくに指図も出来ません。それで失礼ですが、略式に願って、料理屋のものでご免を頂きます」と叮嚀(ていねい)に一礼した。
 私は物堅いのに少し驚ろいて、そして出しなに仰々(ぎょうぎょう)しいとは思いながら、招待の紋服を着て来たことを、自分で手柄に思った。娘もこの間の宴会帰りとは違った隠し紋のある裾模様(すそもよう)をひいている。
 小薩張(こざっぱ)りした服装に改めた店員が、膳(ぜん)を運んで来た。小おんなのやまは料理を廊下まで取次ぐらしく、襖口(ふすまぐち)からちらりと覗いて目礼した。
「お見かけしたところ、お父さまは別にどこといって」というと、
「いえ、あれで、から駄目なのでございます。少し体を使うと、その使ったところから痛み出して、そりゃ酷(ひど)いのですわ」
「まあ、それじゃ、今日のおもてなしも、体のご無理になりゃしませんこと」
「なに、関わないのでございますよ。あなたさまには、いろいろお話し申したいことがあると云って、張切って居るんでございますから」
 纏縛(てんばく)という言葉が、ちらと私の頭を掠(かす)めて過ぎた。しかし、私は眼の前の会席膳(かいせきぜん)の食品の鮮やかさに強て念頭を拭(ぬぐ)った。
 季節をさまで先走らない、そして実質的に食べられるものを親切に選んであった。特に女の眼を悦(よろこ)ばせそうな冬菜(ふゆな)は、形のまま青く茹(ゆ)で上げ、小鳥は肉を磨(す)り潰(つぶし)して、枇杷(びわ)の花の形に練り慥えてあった。そして、皿の肴(さかな)には、霰(あられ)の降るときは水面に浮き跳ねて悦ぶという琵琶湖の杜父魚(かくぶつ)を使って空揚げにしてあるなぞは、料理人になかなか油断のならない用意あるがことを懐(おも)わせた。
 私も娘も二人きりで遠慮なく食べた。私は二三町も行けば大都会のビジネス・センターの主要道路が通っているこの界隈(かいわい)の中に、こうも幻想のような部屋のあるのを不思議とも思わなくなり、また、娘がいつもと違った人間のようにしみじみして来たことにも、たって詮索心(せんさくしん)が起らず、ただ、あまりに違った興味ある世界に唐突に移された生物の、あらゆる感覚の蓋(ふた)を開いて、新奇な空気を吸収する、その眠たいまでに精神が表皮化して仕舞う忘我の心持ちに自分を托(たく)した。一つにはこの庭と茶室の一劃(いっかく)は、蔵住いと奥倉庫の間の架け渡しを、温室仕立てにしてあるもので、水気の多い温気が、身体を擡(もた)げるように籠(こも)って来るからでもあろう。
 蘭科(らんか)の花の匂いが、閉(た)て切ってあるここまで匂って来る。
「あなたさまは、今度のお仕事のプランをお立てになる前から、河はお好きでいらっしゃいましたの」
 私はざっと考えて、「まずね」と答えた。
「それじゃ、今度、わたくしご案内いたしましょうか。東京の川なら少しは存じています」
 そう云って、娘は河のことを語った。ここから近くにあって、外濠(そとぼり)から隅田川に通ずるものには、日本橋川、京橋川、汐留(しおどめ)川の三筋があり、日本橋川と京橋川を横に繋(つな)いでいるものに楓(かえで)川、亀島川、箱崎川があることから、京橋川と汐留川を繋いでいるものに、また、三十間堀川と築地川があることをすらすら語った。
 私も、全然、知らないこともなかったが、こういう堀割にそう一々河名のついていることは、それ等の堀割を新しく見更(みあらた)めるような気がした。
「どうぞ、もっと教えて頂戴(ちょうだい)」と私は云った。
 すると、娘ははじめて自分の知識が真味(しんみ)に私を悦(よろこ)ばせるらしいのに、張合いを感じたらしく、口を継いで語った。
「隅田川から芝浜へかけて昔から流れ込んでいた川は、こちらの西側ばかりを上流から申しますと、忍川、神田川、それから古川、これ三本だけでございました」
 私は両国橋際で隅田川に入り、その小河口にあの瀟洒(しょうしゃ)とした柳橋の架っている神田川も知っていれば、あの渋谷から広尾を通って新開町の家並と欅(けやき)の茂みを流れに映し乍(なが)ら、芝浜で海に入る古川も知っている。だが、忍川というのは知らなかった。
「あの上野の三枚橋の傍に、忍川という料理屋がありましたが、あの近所にそんな名の川がありましたの、気がつきませんでしたわ」
「川にも運命があると見えまして、あの忍川なぞは可哀想(かわいそう)な川でございます。あなたさまは、王子の滝ノ川をご存じでいらっしゃいましょう」
 むかし石神井(しゃくじい)川といったその川は、今のように荒川平野へ流れて、荒川へ落ちずに、飛鳥山、道灌山、上野台の丘陵の西側を通って、海の入江に入った。その時には茫洋(ぼうよう)とした大河であった。やがて石神井川が飛鳥(あすか)山と王子台との間に活路を拓(ひら)いて落ちるようになって、不忍池(しのばずのいけ)の上は藍染(あいぞめ)川の細い流れとなり、不忍池の下は暗渠(あんきょ)にされてしまって、永遠に河身を人の目に触れることは出来なくなった。
「大昔、この川の優勢だったことは、あの本郷駒込台(こまごめだい)とこちらの上野谷中台(やなかだい)との間はこの川の作った谷合いだと申します。調べると両丘にはその川の断谷層がいまだにごさいます」
 私の蕩々(とうとう)としている気分の中にも、この娘の語ることが、もはや単純な下町娘の言葉ではなく、この種の智識にかけては一通り築きかけたもののあるのを見て取った。慎(つつま)しく語ろうと気をつけている言葉の端々に関東ローム層とか、第三紀層とかいう専門語が女学校程度の智識でない口慣れた滑らかさでうっかり洩(も)れ出すのを、私の注意が捉(とら)えずにはいなかった。
「とてもそういうお話にお詳しいのね。どうしてあなたが、こう申しちゃ何ですけれど、下町のお嬢さんのあなたが、そういう勉強をなさったのですか、素人にしちゃあんまりお詳しい……」
 娘は、
「河岸に育ったものですから、東京の河に興味を持ちまして……それに女子大学に居りますうち、別にこういうことに興味を持つ友達と研究も致しましたが……」と俯向(うつむ)いて云うと、そこで口を噤(つぐ)んだ。
「たった、それだけで、こんなにお詳しい?」
 私は、娘の言訳が何かわざとらしいのを感じた。何かもっと事情ありげにも思ったが、私はまたしてもこの家の人事に巻き込まれる危険を感じたので、無理に気を引締めて、もっと追求したい気持ちは様子に現わさなかった。
 こうして親しげに話していて、隣に座っている娘と、何か紙一重距(へだ)てたような、妙な心の触れ合いのまま、食後の馥郁(ふくいく)とした香煎(こうせん)の湯を飲み終えると、そこへ老主人が再び出て来て挨拶(あいさつ)した。茶の湯の作法は私たちを庭へ移した。蔵の中の南洋風の作り庭の小亭で私達は一休みした。
 私は手持不沙汰(てもちぶさた)を紛らすための意味だけに、そこの棕櫚(しゅろ)の葉かげに咲いている熱帯生の蔓草(つるくさ)の花を覗(のぞ)いて指して見せたりした。
 娘は微笑し乍ら会釈して、その花に何か暗示でもあるらしく、煙って濃い瞳(ひとみ)を研ぎ澄し、じーっと見入った。豊かな肉附き加減で、しかも暢(の)び暢(の)びしている下肢を慎ましく膝(ひざ)で詰めて腰をかけ、少し低目に締めた厚板帯の帯上げの結び目から咽喉(のど)もとまで大輪の花の莟(つぼみ)のような張ってはいるが、無垢(むく)で、それ故に多少寂しい胸が下町風の伊達(だて)な襟の合せ方をしていた。座板へ置いて無意識にポーズを取る左の支え手から素直に擡(もた)げている首へかけて音律的の線が立ち騰(のぼ)っては消え、また立ち騰っているように感じられる。悠揚と引かれた眉(まゆ)に左の上鬢(うわびん)から掻(か)き出した洋髪の波の先が掛り、いかにも適確で聡明(そうめい)に娘を見せている。
 私は女ながらづくづくこの娘に見惚(みほ)れた。棕櫚の葉かげの南洋蔓草の花を見詰めて、ひそかに息を籠(こ)めるような娘の全体は、新様式な情熱の姿とでも云おうか。この娘は、何かしきりに心に思い屈している――と私は娘に対する私の心理の働き方がだんだん複雑になるのを感じた。私はいくらか胸が弾むようなのを紛らすために、庭の天井を見上げた。硝子(ガラス)は湯気で曇っているが、飛白(かすり)目にその曇りを撥(はじ)いては消え、また撥く微点を認めた。霙(みぞれ)が降っているのだ。娘も私の素振りに気がついて、私と同じように天井硝子(てんじょうガラス)を見上げた。
 合図があって、私たちは再び茶室へ入って行った。床の間の掛軸は変っていて、明治末期に早世した美術院の天才画家、今村紫紅(いまむらしこう)の南洋の景色の横ものが掛けられてあった。
 老主人の濃茶の手前があって、私と娘は一つ茶碗(ちゃわん)を手から手に享(う)けて飲み分った。
 娘の姿態は姉に対する妹のようにしおらしくなっていた。老主人の茶の湯の技倆(ぎりょう)は少しけばけばしいが確であった。
 作法が終ると、老主人は袴(はかま)を除(と)って、厚い綿入羽織を着て現われた。炉に噛(かじ)りつくように蹲(かが)み、私たちにも近寄ることを勧めた。そして問わず語りにこんな話を始めた。
 徳川三代将軍の頃、関西から来て、江戸廻船(かいせん)の業を始めたものが四五軒あった。
 その船は舷側(げんそく)に菱形(ひしがた)の桟を嵌(は)めた船板を使ったので、菱垣船(ひしがきぶね)と云った。廻船業は繁昌(はんじょう)するので、その廻船によって商いする問屋はだんだん殖え、大阪で二十四組、江戸で十組にもなった。享保時分、酒樽は別に船積みするという理由の下に、新運送業が起った。それに倣(なら)って、他の貨物も専門専門に積む組織が起った。すべて樽廻船(たるかいせん)と云った。樽廻船は船も新型で、運賃も廉(やす)くしたので、菱垣船は大打撃を蒙(こうむ)った。話のうちにも老主人は時々神経痛を宥(ゆる)めるらしい妙な臭いの巻煙草(まきたばこ)を喫(す)った。
「寛永時分からあった菱垣廻船の船問屋で残ったものは、手前ども堺屋と、もう二三軒、郡屋(こおりや)と毛馬屋(けまや)というのがございましたそうですが……」
 しかし、幕末まえ頃まで判っていたその二軒も、何か他の職業と変ったとやらで、堺屋は諸国雑貨販売と為替(かわせ)両替(りょうがえ)を職としていた。
 それから話はずっと飛んで、前の話とはまるで関係がないものを、強いてあるような話ぶりで、老主人は語り継いだ。
「河岸の事務室を開けて、貸室に致しましたのも窮余の策で、実は、この娘に結婚させようという若い店員がございますのですが、どうも、その男の気心がよく見定まりません。いろいろ迷った揚句、どなたか世間の広い男の方にでも入って頂いて、そういう方々ともお付合いしてみて、改めて娘の身の振り方を考え直してみましょう。まあ、打ち撒(ま)ければ、こういった考えがござりましたのです」
 娘は俯向(うつむ)いて、赧(あか)くなった。
「なにせ、私どもの暮しの範囲と申したら、諸国の商売取引の相手か、この界隈(かいわい)の組合仲間で、筋が定まり切っているだけ、広いようで案外狭いのでございます。それにこの娘が一時どういう気か学者になるなぞと申して、洋服なぞ着て、ぱふらぱふらやったものですから、いよいよ妙なことになって、婿の口も思うほどのことはございませんでして……」
 娘は殆(ほとん)ど裁きを受ける女のように、首を垂れて少し蒼(あお)ざめていた。私は、
「もう、よろしいじゃございませんか、お話しは、また、この次に……」
 と云ったが、老父は、
「いや、そうじゃございません。手前は明日が明日からまた寝込んでしまって、いつこの次にお目にかかれるか判りません。それで……」と意気込んで来た。老父には真剣に娘の身の上を想(おも)う電気のようなものが、迸(はし)り出した。
「私の知らない間に、娘がちょっろりと、あなたさまに部屋をお貸ししたと聞いて、実は私は、怒りました。しかし、娘はあなたさまの御高名を存じて居り、お顔も新聞雑誌で存じ上げて、かねてお慕い申していたので、喜んでお貸ししたと申します。私も思い返してみれば、あなたさまが世間のことは何事も御承知の筆をお執りになる方である以上、却(かえ)って、何かの便宜にあずかれるかも知れない。それで娘にもよく申付けて、お仕事にはお妨げにならないよう、表の事務室は人に貸すことは止めて仕舞い、また、是非、お近付き願えるよう、気を配って居りました。どうぞ、これから、これを妹とも思召(おぼしめ)し下すって、叱(しか)っても頂き、お引立てもお願いいたし度(た)いのです。どうぞお願い申します」
 老父は右手の薬煙草(くすりたばこ)をぶるぶる慄(ふる)わして、左の手に移し、煙草盆に差込むと、開いた右の手で何処へ向けてとも判らず、拝むような手つきをした。それは素早く軽い手つきであったが、私をぎょっとさせた。娘も、それにつれて、萎(しお)れたままお叩頭(じぎ)した。
 老父のそこまでの話の持って来方には、衰えてはいるようでも、下町の旧舗(しにせ)の商人の駆け引きに慣れた婉曲(えんきょく)な粘りと、相手の気の弱い部分につけ込む機敏さがしたたかに感じられた。
 私は娘に対して底ではかなり動いて来た共感の気持ちも、老父の押しつけがましい意力に反撥(はんぱつ)させられて、何か嫌あな思いが胸に湧(わ)いた。しかし、
「まあ、私に出来ますことは……」と、かすかな声で返事しなければならなかった。
 電気行灯(でんきあんどん)の灯の下に、竃河岸(へっついがし)の笹巻の鮨(すし)が持出された。老父は一礼して引込んで行った。首の向きも直さず、濃く煙らして、炉炭の火を見詰めていた娘の瞳(ひとみ)と睫毛(まつげ)とが、黒耀石(こくようせき)のように結晶すると、そこからしとりしとり雫(しずく)が垂れた。客の私が、却って浮寝鳥に枯柳の腰模様の着物の小皺(こじわ)もない娘の膝(ひざ)の上にハンケチを宛(あ)てがい、それから、鮨を小皿に取分けて、笹の葉を剥(む)いてやらねばならなかった。
 でも、娘は素直に鮨を手に受取ると、一口端を噛(か)んだが、またしばらく手首に涙の雫を垂し、深い息を吐いたのち、
「あたくし、辛い!」と云った。そして私の方へ顔を斜に向けた。
「あたくしは、ときどきいっそのこと芸妓(げいぎ)にでも、女給にでもなって、思い切り世の中に暴れてみようと思うことがありますの」
 それから、口の中の少しの飯粒も苦いもののように、懐紙を取出して吐き出した。
 私は、この娘がそういうものになって暴れるときの壮観をちょっと想像したが、それも一瞬ひらめいて消えた火のような痛快味にしか過ぎないことを想い、さしずめ、「まあそんなに思い詰めないでも、辛抱しているうちには、何とか道は拓(ひら)けて来ますよ」と云わないではいられなかった。


 昨夜から今朝にかけて雪になっていた。私は炬燵(こたつ)に入って、叔母に向って駄々を捏(こ)ねていた。
「あすこの家へ行くと、すっかり分別臭い年寄りにされて仕舞うから……」
「だから、なおのこと行きなさいよ。面白いじゃないか、そういう家の内情なんて、小説なんかには持って来いじゃありませんか」
 この叔母は、私の生家の直系では一粒種の私が、結婚を避け、文筆を執ることを散々嘆いた末、遂に私の意志の曲げ難いのを見て取り、せめて文筆の道で、生家の名跡を遺(のこ)さしたいと、私を策励しにかかっているのだった。
「叔母さんなんかには、私の気持ち判りません」
「あんたなんかには、世の中のこと判りません」
 だが、こういう口争いは、しじゅうあることだし、そして、私を溺愛(できあい)する叔母であることを知ればこそ、苦笑しながらも、それを有難いと思って、享(う)け入れている私との間には、いわば、睦(むつ)まじさが平凡な眠りに墜(お)ちて行くのを、強いて揺り起すための清涼剤に使うものであったから、調子の弾むうちはなお二口三口、口争いを続けながら、私はやっぱり河沿いの家のことを考えていた。
 結局あの娘のことを考えてやるのには、どうしても、海にいるという許婚(いいなずけ)の男の気持ちを一度見定めてやらなければならなくなるのだろう。ここまで煩わされた以上、もう仕事のために河沿いの家を選んだことは無駄にしても、兎(と)に角(かく)、この擾(みだ)された気持ちを澄ますまで、私はあの河沿いの家に取付いていなければならない。
 河沿いの家で出来たことは、河沿いの家できれいに仕末して去り度い。
 そう思って来ると、口惜しさを晴らす意地のようなものが起って来て、私は炬燵の布団から頬(ほお)を離して立ち上った。
「河沿いの仕事部屋へ雪見に行くわ」
 叔母は自分の意見を採用しながら、まだ、痩我慢(やせがまん)に態のよいことを云ってると見て取り、得意の微笑を泛(うか)べながら、
「ええええ、雪見にでも、何でも好いから、いらっしゃいとも」と云って、いそいそと土産(みやげ)ものと車を用意して呉(く)れた。


 昨日の礼に店先へ交魚の盤台を届けて、よろしくと云うと、居合せた店員が、
「大旦那(おおだんな)は咋夕からお臥(ふせ)りで、それからお嬢さんもご病気で」と挨拶(あいさつ)した。私は、「おや」と思いながら、さっさと自分の河沿いの室へ入った。
 いつもの通り、やまが火鉢の火種を持って来た。
「お嬢さんお風邪……」と私は訊(き)いて見た。
 やまは、「ええ、いえ、あの、ちょっとご病気でございます」と云って、訊(たず)ねられるのを好まぬように素早く去った。 
 何か様子が妙だとは思ったが、窓障子を開け放した河面を見て、私はそんな懸念も忘れた。
 雪はほとんど小降りになったが、よく見ると鉛を張ったような都の曇り空と膠(にかわ)を流したような堀河の間を爪(つめ)で掻(か)き取った程の雲母(きらら)の片れが絶えず漂っている。眼の前にぐいと五大力の苫(とま)を葺(ふ)いた舳(へさき)が見え、厚く積った雪の両端から馬の首のように氷柱(つらら)を下げている。少し離れて団平船(だんべいぶね)と、伝馬船(てんません)三艘(そう)とか井桁(いげた)に歩び板を渡して、水上に高低の雪渓を慥えて蹲(うずくま)っている。水をひたひたと湛(たた)えた向河岸の石垣の際に、こんもりと雪の積もった処々を引っ掻(か)いて木肌の出た筏(いかだ)が乗り捨ててあり、乗手と見える蓑笠(みのかさ)の人間が、稲荷(いなり)の垣根の近くで焚火をしている。稲荷の祠(ほこら)も垣根も雪に隈取(くまど)られ、ふだんの紅殻(べんがら)いろは、河岸の黒まった倉庫に対し、緋縅(ひおど)しの鎧(よろい)が投出されたような、鮮やかな一堆(いったい)に見える。河川通のこの家の娘は、この亀島川は一日の通船数が三百以上もあり、泊り船は六十以上で、これを一町に割当てるとほぼ十艘ずつになると云ったが、今日はそういう河容とは、まるで違ったものに見える。
 そして、私が心を奪われたのは、いよいよ、そういう現象的の部分部分ではなかった。ふだんの繁劇な都会の濠川(ほりかわ)の人為的生活が、雪という天然の威力に押えつけられ、逼塞(ひっそく)した隙間(すきま)から、ふだんは聞取れない人間の哀切な囁(ささや)きがかすかに漏れるのを感ずるからであった。そして、これは都会の人間から永劫(えいごう)に直接具体的には聞き得ず、こういう偶々(たまたま)の場合、こういう自然現象の際に於て、都会に住む人間の底に潜んだ嘆きの総意として、聴かれるのであった。この意味に於て、眼の前見渡す雪は、私が曾(かつ)て他所(よそ)の諸方で見たものと違って、やはり、東京の濠川(ほりかわ)の雪景色であった。
 小店員が入って来て、四五通の外文の電報や外文の手紙を見て呉(く)れと差出した。
「まことに済みませんが、店の者みんな出払ちゃいましたし大旦那(おおだんな)にもお嬢さんにも寝込まれちゃいましたので……」
 大切な急ぎの用だと困るというので私が見たその注文の電報や外文は南洋と云われる範囲の各地からだった。その一つには、
板舟。鯛箱(たいばこ)。
卸(おろ)し庖丁(ぼうちょう)大小。鱈籠(たらかご)。
半台。河岸手桶(ておけ)。
計りザル。油屋ムネカケ。
打鉤(うちばり)大小。タンベイ。
足中草履(あしなかぞうり)。引切(ひっきり)。
 ローマ字から判読するこれ等は、誰か爪哇(ジャバ)[#ルビの「ジャバ」は底本では「ジャパ」]で魚屋を始める人があって、その道具を注文して来たのだった。
 一礼して去る小店員に向って、私は、
「こういう簡単なものもご覧になれないって、お嬢さんどういうご病気なの」
 というと、小店員はちょっと頭を掻(か)いたが、
「まあ、気鬱症(きうつしょう)とか申すのだそうでございましょうかな。滅多にございませんが、一旦そうおなりになると一人であすこへ閉籠(とじこも)って、人と口を利くのを嫌がられます」
 若(も)しかして、昨日、茶席での談話が、娘を刺戟(しげき)し過ぎて、娘は気鬱症を起したのかも知れない。そう云えばだんだん娘の性情の不平均、不自然なところも知れて来かかっていたし、そういう揺り返しが、たまたま起るということも、今更、不思議に思われなくなっていた。私は小店員の去ったあと、また河の雪を眺めていた。
 水は少し動きかけて、退き始めると見える。雪まだらな船が二三艘(そう)通って、筏師(いかだし)も筏へ下りて、纜(ともづな)を解き出した。
 やや風が吹き出して、河の天地は晒(さら)し木綿の滝津瀬のように、白瀾濁化(はくらんだっか)し、ときどき硝子障子(ガラスしょうじ)の一所へ向けて吹雪の塊りを投げつける。同時に、形がない生きものが押すように、障子はがたがたと鳴る。だが、その生きものは、硝子板に戸惑って別に入口を見付けるように、ひゅうひゅう唸(うな)って、この建物の四方を馳(は)せ廻(まわ)る。
 ふと今しがた小店員が云った気鬱症の娘が、何処に引籠(ひきこも)っているのだろうと私は考え始めた。暫(しばら)くして娘が気鬱症にかかるとあすこに……と云った小店員がその言葉と一緒に一寸(ちょっと)仰向(あおむ)き加減にした様子が、いかにも娘が、私の部屋の近くにでもいるような気配を感じさせたのに気づくと、娘は私の頭の上の二階にいるのではないかと、思わずしがみついていた小長火鉢から私は体を反らした。
 一たい、この二階がおかしい。私がここへ来てから、もう一月半以上にもなるのに、階段を伝って、二室ある筈(はず)のそこへ出入りする人を見たことがない。階段を上り下りする人間は、大概顔見知りの店員たちで、それは確に、三階の寝泊りの大部屋へ通うものであって、昼は店に行っていてそこには誰もいない。二階の表側の一室は、物置部屋に代った空事務室の上だから、私の部屋からは知れないようなものの、少くとも河に面した方の二階の今一つの空部屋は私が半日ずつ住むこの部屋のすぐ頭の上だから、いかに床の層が厚くても、普通に人が住むならその気配いは何とか判りそうなものだ。それがふだん、まるきり無人の気配いであった。ひょっとしたら、娘がきょうはそっとその室に閉じ籠っているのではあるまいか。
 それから、私は注意を二階に集めて、気を配ったが、雪は小止みとなり、風だけすさまじく、幽(かす)かな音も聴き取れなかった。定刻の時間になったので私は帰った。
 あくる日は雪晴れの冴(さ)えた日であった。昨日から何となく私の心にかかるものがあって私は今までになく早朝に家を出て河岸の部屋へ来た。そしてやや改まった様子で机の前に座っていると、思いがけない顔をしてやまがはいって来た。私は早く来たことについて好い加減な云いわけを云ったのち天井を振り仰ぎ乍(なが)らやまに向って、
「どなたかこの上のお部屋にいるの」と訊(き)いた。
 やまは「はあ」と答えた。
 私の心の底の方にあった想像が、うっかり口に出た。
「お嬢さんでもいらっしゃるのではないの」
 すると、やまの返事は案外、無雑作に、
「はあ、昨日もお昼前からいらっしゃいました」と云った。
「どういうお部屋なの」
 やまは「さあ」と云ったが、実際、室の中の事は知らないらしく、他の事で答えた。
「昨日の大雪で、あなたはお出にならないでしょうと、お嬢さんは二階のお部屋へお入りになりました。晩方、お部屋から出ていらっした時、私があなたがおいでになったのを申上げると、とても、落胆なすっていらっしゃいました。時々お二階の部屋へお嬢さんはお入りになりますが、その時はどんな用事でもお部屋へ申上げに行ってはならないと仰(おっしゃ)いますので……」
 私には判った。それは娘の歎(なげ)きの部屋ではあるまいか、しんも根(こん)も尽き果てて人前ばかりでなく自分自身に対しての、張気も装いも投げ捨てて、投げ捨てるものもなくなった底から息を吸い上げて来ようとする、時折の娘の命の休息所なのではあるまいか。
 だが、ときどきにもせよ、そういう一室に閉じ籠れるのは羨(うらやま)しい。寧(むしろ)ろ嫉(ねた)ましい。自分のように一生という永い時間をかけて、世間という広い広い部屋で、筆を小刀(メス)に心身を切りこま裂いて見せ、それで真実が届くやら、届かぬやら判りもしない、得体の知れない焦立たしいなやみの種を持つものは、割の悪い運命に生れついたものである。
「で、今朝お嬢さんは?」
 と私が云うと、やまは俄(にわか)に思いついたように、
「ああそうでしたっけ、お嬢さんが今日あなたがいらしったら、お二階へおいで願うように申し上げて呉れと先程お部屋へ入るまえに仰いました」
 やまはここまで云って、また躊躇(ちゅうちょ)するように、
「でも、お仕事お済ましになってからでないとお悪いから、それもよく伺って、ご都合の好い時に……って……」
 私は一まずやまを店の方へ帰して、一人になった。
 河の水は濃い赤土色をして、その上を歩いて渡れそうだ。河に突き墜(おと)された雪の塊が、船の間にしきりに流れて来る。それに陽がさすと窈幻(ようげん)な氷山にも見える。こんなものの中にも餌(えさ)があるのか、烏が下り立って、嘴(くちばし)で掻(か)き漁(あさ)る。
 烏の足掻(あしが)きの雪の飛沫(ひまつ)から小さな虹が輪になって出滅する。太鼓の音が殷々(いんいん)と轟(とどろ)く。向う岸の稲荷(いなり)の物音である。
 私は一人になって火鉢に手をかざしながら、その殷々の音を聞いていると、妙にひしひしと寂しさが身に迫った。娘の憂愁が私にも移ったように、物憂く、気怠(けだ)るい。そしていつ爆発するか知れない焦々したものがあって、心を一つに集中させない。私は時を置いて三四度、部屋の中を爪立(つまだ)ち歩きをして廻って見たが、どうにもならない。やまは娘が、私の仕事時間を済ましてから来て欲しいと言伝(ことづ)てたが、いっそ、今、直(す)ぐ独断に娘を二階の部屋へ訪ねてみよう――
 二階の娘の部屋の扉をノックすると、私の想像していたとはまるで違って見える娘の顔が覗(のぞ)いて、私を素早く部屋の中へ入れた。私の不安で好奇に弾んだ眼に、直ぐ室内の様子ははっきり映らない、爪哇更紗(ジャバさらさ)のカーテンが扉の開閉の際に覗(のぞ)かれる空間を、三四尺奥へ間取って垂れ廻(まわ)してある。戸口とカーテンのこの狭い間で、娘と私はしばらく睨(にら)み合いのように見合って停った。シャンデリヤは点(つ)け放しにしてあるので、暗くはなかった。
 思いがけない情景のなかで突然、娘に逢(あ)って周章(あわ)てた私の視覚の加減か、娘の顔は急に痩(や)せて、その上、歪(ゆが)んで見えた。ウェーヴを弾(は)ね除(の)けた額は、円くぽこんと盛上って、それから下は、大きな鼻を除いて、中窪(なかくぼ)みに見えた。顎(あご)が張り過ぎるように目立った。いつもの美しい眼と唇は、定まらぬ考えを反映するように、ぼやけて見えた。
 娘は唇の右の上へ幼稚で意地の悪い皺(しわ)をちょっと刻んだかと見えたが、ぼやけていたような眼からは、たちまちきらりとなつかしそうな瞳(ひとみ)が覗き出た。
「…………」
「…………」
 感情が衝(つ)き上げて来て、その遣(や)り場をしきりに私の胸に目がけながら、腰の辺で空に藻掻(もが)かしている娘の両方の手首を私は握った。私は娘にこんな親しい動作をしかけたのは始めてである。
「何でも云って下さい。関(かま)いません」
 私のこの言葉と、もはや、泣きかかって、おろおろ声でいう娘の次の言葉とが縺(もつ)れた。
「あなたを頼りに思い出して、あたくしは……却(かえ)って気の弱い……女に戻りました」
 そして、どうかこれを見て呉(く)れと云って、始めて私をカーテンの内部へ連れ込んだ。
 東の河面に向くバルコニーの硝子扉(ガラスとびら)から、陽が差込んで、まだつけたままのシャンデリヤの灯影(ほかげ)をサフラン色に透き返させ、その光線が染色液体のように部屋中一ぱい漲(みなぎ)り溢(あふ)れている。床と云わず、四方の壁と云わず、あらゆる反物の布地の上に、染めと織りと繍(ぬ)いと箔(はく)と絵羽(えば)との模様が、揺れ漂い、濤(なみ)のように飛沫(ひまつ)を散らして逆巻き亘(わた)っている。徒(いたず)らな豪奢(ごうしゃ)のうすら冷い触覚と、着物に対する甘美な魅惑とが引き浪のあとに残る潮の響鳴のように、私の女ごころを衝(う)つ。
 開かれた仕切りの扉から覗かれる表部屋の沢山の箪笥(たんす)や長持の新らしい木膚を斜に見るまでもなく、これ等のすべてが婚礼支度であることは判(わか)る。私はそれ等の布地を、転び倒れているものを労(いたわ)り起すように
「まあ、まあ」と云って、取上げてみた。
 生地は紋綸子(もんりんず)の黒地を、ほとんど黒地を覗かせないまで括(くく)り染の雪の輪模様に、竹のむら垣を置縫いにして、友禅と置縫いで大胆な紅梅立木を全面に花咲かしている。私はすぐ傍にどしりと投げ皺(しわ)められて七宝配(しっぽうくば)りの箔が盛り上っている帯を掬(すく)い上げながら、なお、お納戸色(なんどいろ)の千羽鶴(せんばづる)の着物や、源氏あし手の着物にも気を散らされながら、着物と帯をつき合せて、
「どう、いいじゃないの……」と、まるで呉服屋の店先で品選(しなえ)りするように、何もかも忘れて眺めていた。
 娘は、私から少し離れて停っていた。
「今日、あなたに見て頂こうと思いまして、昨夜晩(おそ)くまでかかって展(ひろ)げて置きましたのですけど……あたくし、こんなもの、何度、破り捨てて、新らしく身の固めを仕直そうと思ったか判りません。でも、やっぱり出来ないで……時々ここへ来ては未練がましく出したり取り散らしたりして見るのですけれど……」
 明るみに出て、陽の光を真正面に受けると、今まで薄暗いところで見た娘の貌(かお)のくぼみやゆがみはすっかり均(な)らされ、いつもの爛漫(らんまん)とした大柄の娘の眼が涙を拭(ふ)いたあとだけに、尚更(なおさら)、冴(さ)え冴(ざ)えとしてしおらしい。
「いつ頃、これを慥えなさって?」
「三年まえ……」
 娘はしおしおと私に訴える眼つきをした。私は堪(たま)らなく娘がいじらしくなった。日はあかあかと照り出して、河の上は漸(ようや)く船の往来も繁(しげ)くなった。

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