母子叙情
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著者名:岡本かの子 

母子叙情岡本かの子 かの女は、一足さきに玄関まえの庭に出て、主人逸作の出て来るのを待ち受けていた。 夕食ごろから静まりかけていた春のならいの激しい風は、もうぴったり納まって、ところどころ屑(くず)や葉を吹き溜(た)めた箇所だけに、狼藉(ろうぜき)の痕(あと)を残している。十坪程の表庭の草木は、硝子箱(ガラスばこ)の中の標本のように、くっきり茎目(くきめ)立って、一きわ明るい日暮れ前の光線に、形を截(き)り出されている。「まるで真空のような夕方だ」 それは夜の九時過ぎまでも明るい欧州の夏の夕暮に似ていると、かの女はあたりを珍しがりながら、見廻(みまわ)している。 逸作は、なかなか出て来ない。外套(がいとう)を着て、帽子を冠(かぶ)ってから、あらためて厠(かわや)へ行き直したり、忘れた持物を探しはじめたりするのが、彼の癖である。 洋行中でも変りはなかった。また例のが始まったと、彼女は苦笑しながら、靴の踵(かかと)の踏み加減を試すために、御影石(みかげいし)の敷石の上に踵を立てて、こちこち表門の方へ、五六歩あゆみ寄った。 門扉は、閂(かんぬき)がかけてある。そして、その閂の上までも一面に、蜘蛛手形(くもでがた)に蔦(つた)の枝が匍(は)っている。扉は全面に陰っているので、今までは判(わか)らなかったが、今かの女が近寄ってみると、ぽちぽちと紅色(べにいろ)の新芽が、無数に蔦の蔓(つる)から生えていた。それは爬虫類(はちゅうるい)の掌のようでもあれば、吹きつけた火の粉のようでもある。 かの女は「まあ!」といって、身体は臆(おく)してうしろへ退いたが、眼は鋭く見詰め寄った。微妙なもの等の野性的な集団を見ることは、女の感覚には、気味の悪いところもあったが、しかし、芽というものが持つ小さい逞(たくま)しいいのちは、かの女の愛感を牽(ひ)いた。「こんな腐った髪の毛のような蔓からも、やっぱり春になると、ちゃんと芽を出すのね」 かの女は、こんな当りまえのことを考えながら、思い切って指を出し、蔦の小さい芽の一つに触れると、どういうものか、すぐ、むす子のことを連想して、胸にくっくと込み上げる感情が、意識された。 かの女は、潜(くぐ)り門に近い洋館のポーチに片肘(かたひじ)を凭(もた)せて、そのままむす子にかかわる問題を反芻(はんすう)する切ない楽しみに浸り込んだ。 洋画家志望のかの女のむす子は、もう、五年も巴里(パリ)に行っている。五年前かの女が、主人逸作と洋行するとき、一緒に連れて行って、帰国の時そのまま残して来たものだ。 今日の昼も、かの女は、賢夫人で評判のある社交家の訪問を受け、話の序(ついで)に、いろいろむす子の、巴里滞在について質問をうけた。「おちいさいのに一人で巴里へおのこしになって……厳しい立派なおしこみですねえ。それに、為替がたいへん廉(やす)いというではありませんか。大概な金持の子も引き上げさしてしまうというのに、よくもねえ、さぞ、お骨が折れましょう。その代り、いまに大した御出世をなさいましょう。おたのしみで御座いますねえ」 その中年夫人は黙っているかの女に、なおも子供の事業のため犠牲になって貢ぐ賢母である、というふうな讃辞(さんじ)をしきりに投げかけた。 事実、かの女自身も、むす子に送る学資のため、そうとう自身を切り詰めている。また、甘い家庭に長女として育てられて来たかの女は、人に褒められることその事自体に就(つ)いては、決して嫌いではない。で、面会中はかなり好い気持にもなって、讃(ほ)めそやされていた。 だが、その賢夫人が帰って、独りになってみると、反対に、にがにがしさを持て剰(あま)した。つまり夫人がかの女を、世間普通の賢母と同列に置いた見当違いが、かの女を焦立(いらだ)たせた。それは遠い昔、たった一つしたかの女のいのちがけの、辛(つら)い悲しい恋物語を、ふざけた浮気筋や、出世の近道の男釣りの経歴と一緒に噂(うわさ)される心外な不愉快さに同じだった。 なるほど、かの女とても、むす子が偉くなるに越した事はないと思う。偉くなればそれだけ、世の中から便利を授かって暮して行ける。この意味からなら願っても、むす子に偉くなって貰いたい。しかし、親の身の誇りや満足のためなら、決してむす子はその道具になるには及ばない。実をいうとかの女も主人逸作と共に、時代の運に乗せられて、多少、知名の紳士淑女の仲間入りをしている。そして、自身嘗(な)めた経験からみたそういう世の中というものに、親身(しんみ)のむす子をあてはめるため、叱(しか)ったり、気苦労さすのは引合わないような気がする。「では、なぜ?」とかの女はその夫人には明さなかったむす子を巴里(パリ)へ留学させて置く気持の真実を久し振りに、自問自答してみた。まえにはいろいろと、その理由が立派な趣意書のように、心に泛(うか)んだものだが、もうそんな理屈臭いことは考えたくなかった。かの女は悩ましそうに、帽子の鍔(つば)の反りを直して、吐き出すように自分に云った。「つまりむす子も親もあの都会に取り憑(つか)れているのだ」 やっと、逸作が玄関から出てきた。画描きらしく、眼を細めて空の色調を眺め取りながら、「見ろ、夕月。いい宵だな」といって、かの女を急(せ)き立てるように、先へ潜(くぐ)り門を出た。 かの女と逸作は、バスに乗った。以前からかの女は、ずっと外出に自動車を用いつけていたのだが、洋行後は時々バスに乗るようになった。窓から比較的ゆっくり街の門並の景色も見渡して行けるし、三四年間居ない留守中に、がらりと変った日本の男女の風俗も、乗合い客によって、手近かに観察出来るし、一ばん嬉(うれ)しいのは、何と云っても、黒い瞳(ひとみ)の人々と膝(ひざ)を並べて一車に乗り合わすことだった。永らく外国人の中に、ぽつんと挟って暮した女の身には、緊張し続けていた気持がこうしていると、湯に入ってほごれるようだった。右を見ても左を見ても、日本人の顔を眺められるのは、帰朝者だけが持つ特別の悦(よろこ)びだった。 わけてかの女のように、一人むす子と離れて来た母親に取って、バスは、寂寥(せきりょう)を護(まも)って呉(く)れる団欒的(だんらんてき)な乗りものだった。この点では、電車は、まだ広漠とした感じを与えた。 バスは、ときどき揺れて、呟(つぶや)き声や、笑い声を乗客に立てさせながら、停留場毎に几帳面(きちょうめん)に、客を乗り降りさせて行く。山の手から下町へ向う間に二つ三つ坂があって、坂を越すほど街の灯は燦き出して来る。そして、これが最後の山の手の区域と訣(わか)れる一番高い坂へ来て、がくりと車体が前屈(まえかが)みになると、東京の中央部から下町へかけての一面の灯火の海が窓から見下ろせる。浪のように起伏する灯の粒々(つぶつぶ)やネオンの瞬きは、いま揺り覚まされた眼のように新鮮で活気を帯びている。かの女は都会人らしい昂奮(こうふん)を覚えて、乗りものを騎馬かなぞのように鞭(むちう)って早く賑(にぎ)やかな街へ進めたい肉体的の衝動に駆られたが、またも、むす子と離れている自分を想(おも)い出すと、急に萎(しお)れ返り、晴々しい気持の昂揚(こうよう)なぞ、とても長くは続かなかった。 バスはMの学生地区にさしかかった。五六人の学生が乗り込んだ。帽子の徽章(きしょう)をみると、かの女のむす子が入っていた学校の生徒たちである。なつかしいと思うよりも、困ったものが眼の前に現われたといううろたえた気持の方が、かの女の先に立った。年頃に多少の違いはあろうが、むす子の中学時代を彷彿(ほうふつ)させる長い廂(ひさし)の制帽や、太いスボンの制服のいでたちだけでも、かの女の露っぽくふるえている瞼(まぶた)には、すでに毒だった。かの女は顎(あご)を寒そうに外套(がいとう)の襟の中へ埋めた。塩辛(しおから)い唾(つば)を咽喉(のど)へそっと呑(の)み下した。 かの女のむす子はM地区の学校を出て、入学試験の成績もよく、上野の美術学校へ入った。それから間もなく逸作の用務を機会に、かの女の一家は外遊することになった。 在学中でもあり、師匠筋にあたる先生の忠告もあり、かの女ははじめ、むす子を学校卒業まで日本へ残して置く気だった。「ええ、そりゃそうですとも、基礎教育をしっかり固めてから、それから本場へ行って勉強する。これは順序です。だからあたしたち、先へ行ってよく向うの様子を見て来てあげますから、あんたも留守中落着いて勉強していなさい。よくって」 かの女は賢そうにむす子にいい聞かせた。それでむす子もその気でいた。 ところが、遽(あわただ)しい旅の仕度が整うにつれ、かの女は、むす子の落着いた姿と見較(みくら)べて憂鬱(ゆううつ)になり出した。とうとうかの女はいい出した。「永くもない一生のうちに、しばらくでも親子離れて暮すなんて……先のことは先にして――あんたどう思います」逸作は答えた。「うん、連れてこう」 親たちのこの模様がえを聞かされた時、かなり一緒に行き度(た)い心を抑えていたむす子は「なんだい、なんだい」と赫(あか)くなって自分の苦笑にむせ[#「むせ」に傍点]乍(なが)ら云った。そして、かの女等は先のことは心にぼかしてしまって、人に羨(うらや)まれる一家揃(そろ)いの外遊に出た。 足かけ四年は、経(た)った。かの女の一家は巴里にすっかり馴染(なじ)んだ。けれども、かの女達はついに日本へ帰らなくてはならない。 その時かの女は歯を喰(く)いしばって、むす子を残すことにした。むす子は若いいのちの遣瀬(やるせ)ない愛着を新興芸術に持ち、新興芸術を通して、それを培(つちか)う巴里の土地に親しんだむす子は、東洋の芸術家の挺身隊(ていしんたい)を一人で引受けたような決心の意気に燃えて、この芸術都市の芸術社会に深く喰い入っていた。今更、これを引離すことは、勢い立った若武者を戦場から引上げさすことであり、恋人との同棲から捩(も)ぎ外(はず)すことだった。(巴里のテーストはもはやむす子の恋人だった。)それを想像するだけで、かの女は寒気立った。むす子にその思い遣(や)りが持てるのは、もはやかの女自身が巴里の魅力に憑(つ)かれている証拠だった。 ふだん無頓着(むとんちゃく)をよそおっている逸作も、このときだけは、妙に凄(すご)い顔付きになっていった。「巴里留学は画学生に取っていのちを賭(か)けてもの願いだ。それを、おれは、青年時代に出来なかった。だから、おれの身代りにも、むす子を置いて行く」 だが、こう筋立った逸作の言葉の内容も、実は、かの女やむす子と同じく巴里に憑かれた者の心情を含んでいた。人間性の、あらゆる洗練を経た後のあわれさ、素朴さ、切実さ――それが馬鹿らしい程小児性じみて而(しか)も無性格に表現されている巴里。鋭くて厳粛で怜悧(れいり)な文化の果てが、むしろ寂寥を底に持ちつつ取りとめもない痴呆(ちほう)状態で散らばっている巴里。真実の美と嘆きと善良さに心身を徹して行かなければいられない者が、魅着し憑かれずにはいられない巴里(パリ)――だが、そこからは必ずしも通俗的な獲物は取り出せないのだ。むす子がどれ程深く喰(く)い入りそこから取り出すであろう芸術も、それをあの賢夫人やその他多くの世間人達がむす子に予言するような、いわゆる偉い通俗の「出世社会」に振りかざし得ようとの期待は、親もむす子も持たなかった。置く者も置かれる者も、慾や、見栄や、期待ではなかった。もっとせっぱ[#「せっぱ」に傍点]詰ったあわれ[#「あわれ」に傍点]なあわれ[#「あわれ」に傍点]な心の状態だった。 所詮(しょせん)、かの女はむす子と離れて暮さねばならなかった。  うつし世の人の母なるわれにして  手に触(さや)る子の無きが悲しき。 むす子が巴里の北のステイションへ帰朝する親たちを送って来て、汽車の窓から、たしない小遣いの中で買ったかの女への送別品のハンケチを、汽車の窓に泣き伏しているかの女の手へ持ち添えて、顔も上げ得ず男泣きに泣いていた姿を想(おも)い出すと、彼女は絶望的になって、女ながらも、誰かと決闘したいような怒りを覚える。 だが、その恨みの相手が結局誰だか判らないので、口惜しさに今度は身体が痺(しび)れて来る。 バスは早瀬を下って、流れへ浮み出た船のように、勢を緩めながら賑(にぎ)やかで平らな道筋を滑って行く。窓硝子(まどガラス)から間近い両側の商店街の強い燭光を射込まれるので、車室の中の灯りは急にねぼけて見える。その白濁した光線の中をよろめきながら、Mの学生の三四人は訣(わか)れて車を降り、あとの二人だけは、ちょうどあいたかの女の前の席を覘(うかが)って、遠方の席から座を移して来た。かの女は学生たちをよく見ることが出来た。 一人は鼻の大きな色の白い、新派の女形にあるような顔をしていた。もう一人は、いくら叩(たた)いても決して本音を吐かぬような、しゃくれた強情な顔をしていた。 どっちとも、上質の洋服地の制服を着、靴を光らして、身だしなみはよかった。いい家の子に違いない。けれども、眼の色にはあまり幸福らしい光は閃(ひらめ)いていなかった。自我の強い親の監督の下に、いのちが芽立ち損じたこどもによくある、臆病(おくびょう)でチロチロした瞳(ひとみ)の動き方をしていた。かの女は巴里で聞かされたピサロの子供の話を思い出した。 かの女がむす子と一緒に巴里で暮していたときのことである。かの女はセーヌ河に近いある日本人の家のサロンで、永く巴里で自活しているという日本人の一青年に出遇(であ)った。「僕あ、ピサロの子を知っています。二十歳だが親はもう働かせながら勉強さしています」 青年が何気ない座談で聞かせて呉(く)れたその言葉は、かの女に、自分がむす子に貢いで勉強さしとくことが、何かふしだら[#「ふしだら」に傍点]ででもあるような危惧(きぐ)の念を抱かした。 しかしかの女はずっとかの女の内心でいった。なるほど、二十歳の青年で稼ぎながら勉強して行く。ピサロの子どもには感心しないものでもない。しかし、親のピサロには、どうあっても同感出来ない。印象画派生き残りの唯一の巨匠で、現在官展の元老であるピサロは貧乏ではあるまい。十分こどもに学資を与えられる身分である。たとえ、主義のためであるとしても、十九や二十の息子を、親の手から振り放って、他人の雇傭(こよう)の鞭(むち)の下で稼ぐ姿を、よくも、黙って見ていられるものである。それで自分はしゃれたピジャマでも着て、匂(にお)いのいい葉巻でもくゆらしているとすれば……そんなちぐはぐな親子の情景によって、ピサロは主義遂行に満足しているのか。かの女は、それから、あのピサロの律義で詩的な、それでいてどこか偏屈な画を見ることが嫌いになり出した。そしてピサロのむす子を想像すると、いつも親に気兼ねしている、臆病で素早く動く色の薄い瞳がちらついて来る。でなければ、主義とか理想とかを丸呑(まるの)み込みにして、それに盲従する単純すぎて鈍重な眼を輝かす青年が想像されて来る。かの女はまた、かりにピサロの親子間を立派なものに考えて見た。それから更に考えてかの女の、子に対する愛情の方途が間違っているとは思えなかった。彼女は、子を叱咤(しった)したり、苛酷(かこく)にあつかうばかりが子の「人間成長」に役立つものとは思わない。世には切実な愛情の迫力に依(よ)って目覚める人間の魂もある。叱正や苛酷に痩(や)せ荒(すさ)む性情が却(かえ)って多いとも云えようではないか。結局かの女の途方も無い愛情で手擲弾(てなげだん)のように世の中に飛び出して行ったむす子……「だが、僕は無茶にはなり切れませんよ、僕の心の果てにはいつも母の愛情の姿がありますもの……時代は英雄時代じゃなし、親の金でいい加減に楽しんでいればそれでもいい僕等なんだけどな……偉くなれなんて云わない母の愛情が、僕をどうも偉くしそうなんです」と、むす子はかの女の陰で或人に云ったそうである。 二人の学生はかの女の思わくも何も知らずにコソコソ話していたが、道筋が大通りに突き当って、映画館のある前の停留場へ来ると急いでバスから降りて行った。 しばらく、バスは、官庁街の広い通りを揺れて行く。夜更けのような濃い闇(やみ)の色は、硝子窓を鏡にして、かの女の顔を向側に映し出す。派手な童女型と寂しい母の顔の交った顔である。むす子が青年期に達した二三年来、一にも二にもむす子を通して世の中を眺めて来た母の顔である。かの女は、向側の窓硝子に映った自分の姿を見るのが嫌になって、寒そうに外套(がいとう)の襟を掻(か)き合せ、くるりと首を振り向けた。所在なさそうに、今度は背中が当っていた後側の窓硝子に、眼を近々とすり寄せて、車外を覗(のぞ)いてみる。 湖面を想像させる冷い硝子の発散気を透して、闇の遠くの正面に、ほの青く照り出された大きな官庁の建物がある。その建物の明るみから前へ逆に照り返されて威厳を帯びた銅像が、シルエットになって見える。銅像の検閲を受ける銃剣の参差(しんし)のように並木の梢(こずえ)が截(き)り込みこまかに、やはりシルエットになって見える。それはかの女が帰朝後間もない散歩の途中、東京で珍しく見つけたマロニエの木々である。日本へ帰って二タ月目に、小蝋燭(ころうそく)を積み立てたようなそのほの白い花を見つけて、かの女はどんなに歓(よろこ)んだことであろう。 巴里という都は、物憎い都である。嘆きや悲しみさえも小唄(こうた)にして、心の傷口を洗って呉れる。媚薬(びやく)の痺(しび)れにも似た中欧の青深い、初夏の晴れた空に、夢のしたたりのように、あちこちに咲き迸(ほとばし)るマロニエの花。巴里でこの木の花の咲く時節に会ったとき、かの女は眼を一度瞑(つむ)って、それから、ぱっと開いて、まじまじと葉の中の花を見詰めた。それから無言で、むす子に指して見せた。すると、むす子も、かの女のした通り、一度眼を瞑って、ぱっと開いて、その花を見入った。二人に身慄(みぶる)いの出るほど共通な感情が流れた。むす子は、太く徹(とお)った声でいった。「おかあさん、とうとう巴里へ来ましたね」 割栗石の路面の上を、アイスクリーム売りの車ががらがらと通って行った。 この言葉には、前物語があった。その頃、美男で酒徒の夫は留守勝ちであった。彼は青年期の有り余る覇気をもちあぐみ、元来の弱気を無理な非人情で押して、自暴自棄のニヒリストになり果てていた。かの女もむす子も貧しくて、食べるものにも事欠いたその時分、かの女は声を泣き嗄(か)らしたむす子を慰め兼ねて、まるで譫言(うわごと)のようにいって聞かした。「あーあ、今に二人で巴里に行きましょうね、シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」 その時口癖のようにいった巴里(パリ)という言葉は、必ずしも巴里を意味してはいなかった。極楽というほどの意味だった。けれども、宗教的にいう極楽の意味とも、また違っていた。かの女は、働くことに無力な一人の病身で内気な稚(おさ)ない母と、そのみどり子の餓(う)えるのを、誰もかまって呉(く)れない世の中のあまりのひどさ、みじめさに、呆(あき)れ果てた。――絶望ということは、必ずしも死を選ませはしない。絶望の極死を選むということは、まだ、どこかに、それを敢行する意力が残っているときの事である。真の絶望というものは、ただ、人を痴呆(ちほう)状態に置く。脱力した状態のままで、ただ何となく口に希望らしいものを譫言(うわごと)のようにいわせるだけだ。彼女が当時口にした巴里という言葉は、ほんの譫言に過ぎなかった。しかし譫言にもせよ、巴里と口唱するからには、たしかに、よいところとは思っていたに違いなかった。或は貧しい青年画家であった夫逸作の憧憬がその儘(まま)、かの女にそう思い込ませたのかも知れない。 将来、巴里へ行けるとか行けまいとか、そんな心づもりなどは、当時のかの女には、全然なかったのだ。第一、この先、生きて行けるものやら、そのことさえ判(わか)らなかった。だがその後ほとんど人生への態度を立て直した逸作の仕事への努力と、かの女に思わぬ方面からの物質の配分があって、十余年後に一家揃(そろ)って巴里の地を踏んだときには、当然のようにも思えるし、多少の不思議さが心に泛(うか)び、運命が夢のように感じられただけであった。 しかし、この都にやや住み慣れて来ると、見るものから、聞くものから、また触れるものから、過去十余年間の一心の悩みや、生活の傷手(いたで)が、一々、抉(えぐ)り出され、また癒(いや)されもした。巴里とはまたそういう都でもあった。 かの女は巴里によって、自分の過去の生涯が口惜しいものに顧みさせられると、同時にまた、なつかしまれさえもした。かの女はこの都で、いく度か、しずかに泣いて、また笑った。しかし、一ばんかの女の感情の根をこの都に下ろさしたのは、むす子とマロニエの花を眺めたときだった。かの女の心に貧しいときの譫言が蘇(よみがえ)った。「あーあ、今に二人で巴里に行きましょうね。シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」そして今はむす子の声が代って言う、「お母さん、とうとう巴里へ来ましたね」そうだ復讐(ふくしゅう)をしたのだ。何かに対する復讐をしたのだ。そしてかの女に復讐をさして呉れたのはこのマロニエの都だ。 こういう気持からだけでも、十分かの女は、この都に、愛着を覚えた。よく、物語にある、仇打(あだうち)の女が助太刀の男に感謝のこころから、恋愛を惹起(じゃっき)して行く。そんな気持だった。けれども、かの女は帰国しなくてはならない。かの女は元来、郷土的の女であって、永く郷国の土に離れてはいられなかった。旅費も乏しくなった。逸作も日本へ帰って働かなければならない。そこで、せめて、かたみ[#「かたみ」に傍点]に血の繋(つな)がっているむす子を残して、なおも、この都とのつながりを取りとめて置く。そんな遣瀬(やるせ)ない親達の欲情も手伝って、むす子は巴里に残された。「お母さん、とうとう巴里に来ましたね」 今後何年でもむす子のいるかぎり、毎年毎年、マロニエが巴里の街路に咲き迸(ほとばし)るであろう。そしてたとえ一人になっても、むす子は「お母さん、とうとう巴里に来ましたね」と胸の中で、いうだろう。だが、それが母と子の過去の運命に対する恨みの償却の言葉であり、あの都に対するかの女とむす子との愛のひめ言の代りとは誰が知ろう。 そうだ。むす子を巴里に残したのは一番むす子を手離し度(た)くない自分が――そして今は自分と凡(すべ)ての心の動きを同じくするようになったむす子の父が――さしたのだ。 かの女は、なおも、こんな事を考えながら、丸の内××省前の銅像のまわりのマロニエの木をよく見定め度い気持で、外套(がいとう)の袖(そで)で、バスの窓硝子(まどガラス)の曇りを拭(ぬぐ)っていると、車体はむんず[#「むんず」に傍点]と乗客を揺り上げながら、急角度に曲った。そのひまに窓外の闇(やみ)はマロニエの裸木を、銅像もろとも、掬(すく)い去った。かの女は席を向き直った。運転台や昇降口の空間から、眩(まぶ)しく、丸の内街の盛り場の夜の光が燦き入った。 喫茶店モナミは、階下の普請を仕変えたばかりで、電灯の色も浴後の肌のように爽(さわ)やかだった。客も多からず少からず、椅子(いす)、テーブルにまくばられて、ストーヴを止めたあとも人の薀気で程よく気温を室内に漂わしていた。季節よりやや早目の花が、同じく季節よりやや早目の流行服の男女と色彩を調え合って、ここもすでに春だった。客席には喧しい話声は一筋もなく、室全体として静物の絵のしとやかさを保っていた。ときどき店の奥のスタンドで、玻璃盞(はりさかずき)にソーダのフラッシュする音が、室内の春の静物図に揮発性を与えている。 人を関(かま)いつけないときは、幾日でも平気でうっちゃらかしとくが、いざ関う段になるとうるさいほど世話を焼き出す、画描き気質(かたぎ)の逸作は、この頃、かの女の憂鬱(ゆううつ)が気になってならないらしかった。それで間(ま)がな隙(すき)がな、かの女を表へ連れ出す。まるで病人の気保養させる積りででもあるらしく、機嫌を取ってまで連れ出す。しかし単純な彼はいつも銀座である。そしてモナミである。かの女を連れ出して、この喫茶店のアカデミックな空気の中に游(およ)がせて置けば、かの女は、立派に愉快を取り戻せるものと信じ切っているらしく、かの女に茶を与え、つまみ物を取って与えた後は、ぽかんとして、勝手な考えに耽(ふけ)ったり、洋食を喰(た)べたり、元気で愛想よくテーブル越しに知人と話し合う。 今も、「やあ」と彼が挨拶(あいさつ)したので、かの女が見ると、同じような「やあ」という朗らかな挨拶で応(う)けて、一人の老紳士が入って来た。紳士がインバネスの小脇(こわき)に抱え直したステッキの尖(さき)で弾かれるのを危がりながら、後に細身の青年が随(つ)いていた。 老紳士は、眼鏡のなかの瞳(ひとみ)を忙しく働かせながら、あたりの客の立て込みの工合では、別に改った挨拶をせずとも、まだ空のある逸作等のテーブルに席を取っても不自然ではないと、すぐ見て取ったらしい、世馴(よな)れた態度で、無造作に通路に遊んでいた椅子を二つ、逸作等のテーブルに引き寄せた。自分が先へかけると、今度は、青年を自分の傍に掛けさせた。青年は痩(や)せていて、前屈(まえかが)みの身体に、よい布地の洋服を大事そうに着込んでいた。髪の毛をつやつやと撫(な)でつけていることを気まり悪がるように、青年は首を後へぐっと引いて、うつ向いていた。青年は、父に促されて、父を通して、かの女たちに、かすかな挨拶をした。 老紳士が、かの女たちに話しかける声音は、場内で一番大きく響いたが、誰も聞き咎(とが)める様子もなかった。講演ですっかり声の灰汁(あく)が脱けている。その上、この学者出の有名な社会事業家は、人格の丸味を一番声調で人に聞き取らせた。老紳士は世間的には逸作の方に馴染(なじ)みは深かったが、しかし、職務上からは、はじめて遇(あ)ったかの女の方にかねがね関心を持っていたらしい。それで逸作と暫(しばら)く世間話をしながらも、機会を待つもののようだったが、やがて、さも興味を探るように、かの女をつくづくと見詰めていった。「不思議ですよ。おくさんは。お若くて、まるでモダン・ガールのようだのに大乗哲学者だなんて……」 かの女は、よく、こういう意味の言葉を他人から聞かされつけている。それで、またかと思いながら、しかし、この識者を通してなら、一般の不審に向っても答える張合いがあるといった気持で、やや公式に微笑(ほほえ)みながらいった。「大乗哲学をやってますから、私、若いのじゃごさいませんかしら。大乗哲学そのものが、健康ですし、自由ですし」 すると老紳士は、幼年生に巧みにいい返された先生といった快笑を顔中に漲(みなぎ)らせて、頭を掻(か)いた。「やあ、これは、参った」 けれども、かの女は冗談にされてはたまらないと思い、まじめな返事をした自分の不明を今更後悔する沈黙で、少し情ない気持を押えていると、さすがに老紳士は気附いて、「なる程な。そこまで伺えば、よく判(わか)りますて」といって、下手から、かの女の気持のバランスを取り直すようにした。かの女は少し気の毒になって、ちょっと頭を下げた。 すると、老紳士は、そのまま真面目(まじめ)な気分の方へ誘い込まれて行って、視線を内部へ向けながら、独言のようにいった。「大乗哲学の極意は全くそこにあるんでしょうなあ。ふーむ。だが、そこまで行くのがなかなか大変だぞ」 そしてそのことと自分のむす子とが、何かの関係でもあるかのように、むす子のこけた肩を見た。むす子は青年にしては、あまりに行儀正しい腰掛け方をしていた。――かの女はこの時、このむす子がずっと前、母親を失っているのを何かの雑誌で見ていたことが思い出された。 老紳士は深刻な顔つきで、アイスクリームの匙(さじ)を口へ運んでいたが、たちまち、本来の物馴(ものな)れた無造作な調子に返った。「一たい、おくさんのような、華やかなそして詩人肌の方が、また間違ってるかも知れんが、まあ、兎(と)に角(かく)、どうして哲学なんかに縁がおありでしたな」今度は社会教育の参考資料にとでもいった調査的な聞き振りだった。 かの女がやや怯(おび)えている様子をみて逸作が纏(まとま)りよく答えた。「つまり、これがですな。性質があんまり感情的なんで、却(かえ)って性質とまるで反対な哲学なんて、理智的な方向のものを求めたんでしょうなあ。つまり、女の本能の無意識な自衛的手段でしょうなあ」「ははあ、そして、それは、何年前位から始めなさった」 場所柄にしては、あんまり素朴に一身上の事実を根問い葉問いされるものと、かの女はちょっと息を詰めて口を結んだが、ふだん質問する人達には誰へも正直に云っている通りに云った。「二十年程まえ、感情上の大失敗をしました。研究はそれ以来なのです」 かの女がいい終るか終らないかに、老紳士は、「ははあ、それは好い、ふーむ、なるほど」 そして、伸び上るように室内をきょときょと見廻(みまわ)した。 感情上のはなしと聞いて、よく世間にある老人のように、うるさいものと思い取り、こういう態度で、暗に、打ち切りを宣告したのかも知れない。こまかい心理の話なぞ、どうせ人に理解して貰えやしまいと普段から諦(あきら)めをつけているかの女は、老紳士の「ははあ、それは好い」と片付けた、そのアッサリし方が案外気に入って、少しおかしくなった。そして、この親を持つ子供はどんな子供かと、微笑しながら、かの女はあらためてまた青年に眼を移した。 煙草(たばこ)も喫(す)わないそのむす子は、アイスクリームを丁寧に喰(た)べ終えてから、両手を膝(ひざ)の上へ戻し、弱々しい視線をテーブルの上へ落して、熱心でも無関心でもない様子で、父親と知人の談話を聞いていた。 かの女はこの無力なおとなしさに対して、多少、解説を求めたい気持になった。「御子息さまは……学校の方は……何ですか」 うっかり、何処の学校を、いつ卒業したかと訊(き)きそうになって、こんな成熟不能の青年では、ひょっとしたら、どの学校も覚束(おぼつか)なくはないかと懸念して、遠慮の言葉を濁した。すると案の定、老紳士は、「どうも弱いので、これは中学だけで、よさせましてな」と云ったが、格別息子の未成熟に心を傷めたり、ひけ目を感じている様子も見せず、普通な大きい声だった。それから質問のよい思い付きを見付けたように、「ときに、お宅のむす子さんは……たしか、巴里(パリ)でしたな、まだお帰りにならんかな」と首を前へ突き出して来た。この種の社会事業家によくある好意をもって他人の事情を打診する表情で「お子さんはもう巴里に何年ぐらいになりますかな。よほど永いように思いますが――」 かの女は、何となく、老紳士の息子に対して気兼ねが出て、自分のむす子の遊学の話など、すぐ返事が出来なかった。また逸作が代っていった。「僕等が、昭和四年に洋行するとき、連れて行ったまま、残して来たんです」「まだ、お年若でしょうに。中学は出られましたかな」 この老紳士は、中学教育に余程力点を置いているらしい。そして逸作からむす子の学歴の説明を聴いてほっとしたように、「中学も立派に卒業されて、美術学校へ入られた……ほほう、そして美術学校の途中から外国へ出られたというんですな。しかし、何しろ洋画はあちらが本場だから仕方がない」「学校の先生方も、基礎教育だけは日本でしろとずいぶん止められたんですが、どうにもこれ[#「これ」に傍点](かの女を指して)が置いて行けなかったんで」 すると老紳士は、好人物の顔を丸出しにして褒めそやすようにいった。「なるほど、ひとり息子さんだからな、それも無理はない」 かの女は他人(ひと)のことばかりに思いやりが良くて、自分の息子には一向無関心らしい老紳士が、粗(あら)っぽく思えて興醒(きょうざ)めた。が、ひょっとすると、この老紳士は自分の気持を他人の上に移して、心やりにする旧官僚風の人物にままある気質の人で、内外では案外、寸刻の間も、自分の息子の上にいたわりの眼を離さないのかも知れない。老父が青年の息子と二人で、春の夜、喫茶店に連れ立って来るなどという風景も、気をつけて見れば、しんみりした眺めである。 かの女は、だんだん老紳士に対する好感が増して行き、慈(いつく)しむような眼(まな)ざしで青年の姿を眺めていると、老紳士は、暗黙の中にそれを感謝するらしく、「だが、よく、むす子さんを一人で置いて来られましたな。巴里のような誘惑の多い処へ。まだ年若な方を、あすこへ一人置かれることは余程の英断だ」 老紳士は曾(かつ)て外遊視察の途中、彼の都へ数日滞在したときの見聞を思い出して来て、息子の青年には知らしたくない部分だけは独逸語(ドイツご)なぞ使って、一二、巴里繁昌記(はんじょうき)を語った。老紳士の顔は、すこし弾んで棗(なつめ)の実のような色になった。青年は相変らず、眉根(まゆね)一つ動かさず、孤独でかしこまっていた。 賑(にぎ)やかな老紳士は息子を連れて、モナミを出て行った。あとでかの女は気が萎(しぼ)んで、自分が老紳士にいった言葉などあれや、これやと、神経質に思いかえして見た。老紳士が年若なむす子を巴里に置く危険を喋(しゃべ)ったとき、かの女は「もし、そのくらいで危険なむす子なら、親が傍で監督していましても、結局ろくなものにはならないのじゃありませんかしら」と答えた自分の言葉が酷(ひど)く気になり出した。それは、こましゃくれていて、悪く気丈なところがある言葉だった。どうか老紳士も之だけは覚えていて呉(く)れないようと願っていると、そのあとから、ふいと老紳士がいった、「一人で、よく置いて来られましたな」という言葉がまた浮び出て来た。すると、むす子は一人で遠い外国に、自分はこの東京に帰っている。その間の距離が、現実に、まざまざと意識されて来た。もういけない。しんしんと淋しい気持が、かの女の心に沁(し)み拡(ひろが)って来るのだった。 かの女が、いよいよ巴里(パリ)へむす子を一人置いて主人逸作と帰国するとき、必死の気持が、かの女に一つの計画をたてさせた。かの女は、むす子と相談して、むす子が親と訣(わか)れてから住む部屋の内部の装置を決めにかかった。むす子が住むべき新しいアパートは、巴里の新興の盛り場、モンパルナスから歩いて十五分ほどの、閑静なところに在った。 そこは旧い貧民街を蚕食(さんしょく)して、モダンな住宅が処々に建ちかかっているという土地柄だった。 かの女はむす子の棲(す)むアパートの近所を見て歩いた。むす子が、起きてから珈琲を沸すのが面倒な朝や、夜更けて帰りしなに立ち寄るかも知れない小さい箱のようなレストランや、時には自炊もするであろう時の八百屋、パン屋、雑貨食料品店などをむす子に案内して貰って、一々立ち寄ってみた。ある時はとぼとぼと、ある時は威勢よく、また、かなりだらしない風で、親に貰った小遣いをズボンの内ポケットにがちゃがちゃさせながら、これ等の店へ買いに入る様子を、眼の前のむす子と、自分のいない後のむす子とを思い較(くら)べながら、かの女はそれ等の店で用もない少しの買物をした。それ等の店の者は、みな大様(おおよう)で親切だった。「割合に、みんな、よくして呉(く)れるらしいわね」「僕あ、すぐ、この辺を牛耳(ぎゅうじ)っちゃうよ」「いくら馴染(なじ)みになっても決して借を拵(こしら)えちゃいけませんよ、嫌がられますよ」 それからアパートへ引返して、昇降機が、一週間のうちには運転し始めることを確め、階段を上って部屋へ行った。 しっとりと落着きながら、ほのぼのと明るい感じの住居だった。画学生の生活らしく、画室の中に、食卓やベッドが持ち込まれていて、その本部屋の外に可愛(かわい)らしい台所と風呂がついていた。「ほんとうに、いい住居、あんた一人じゃあ、勿体(もったい)ないようねえ」 かの女はそういいながら、うっかりしたことを云い過ぎたと、むす子の顔をみると、むす子は歯牙(しが)にかけず、晴々と笑っていて、「いいものを見せましょうか」と、台所から一挺(いっちょう)日本の木鋏(きばさみ)を持ち出した。「夏になったらこれで、じょきんじょきんやるんだね。植木鉢を買って来て」「まあ、どこからそんなものを。お見せよ」「友達のフランス人が蚤(のみ)の市で見付けて来て、自慢そうに僕に呉れたんだよ。おかしな奴さ」 かの女は、そのキラキラする鋏の刃を見て、むす子が親に訣れた後のなにか青年期の鬱屈(うっくつ)を晴らす為にじょきじょき鳴らす刃物かとも思い、ちょっとの間ぎょっとしたが、さりげない様子で根気よくむす子に室内の家具の配置を定めさせた。浴室の境の壁際に寝台を、それと反対の室の隅にピアノを据えて、それとあまり遠くなく、珈琲を飲むテーブルを置く。しまいに、茶道具の置き場所まで、こまかく気を配った。 それは、むす子の生活に便利なよう、母親としての心遣いには相違なかったが、しかし、肝腎(かんじん)な目的は、かの女自身の心覚えのためだった。かの女は日本へ帰って、むす子の姿を想(おも)い出すのに、むす子が日々の暮しをする部屋と道具の模様や、場取りを、しっかり心に留めて置きたかった。それらの道具の一つ一つに体の位置を定めて暮しているむす子の室内姿を鮮明に想い出せるよう、記憶に取り込むのであった。むす子も、むす子の父親も、かの女の突然なものものしい劃策(かくさく)の幼稚さに呆(あき)れ乍(なが)ら、また名案であるかのように感心もした。 それからまた、遠く離れて居れば、むす子の健康が、一番心配だとしきりに案じるかの女を安心させるため、むす子はかの女達が、英国や独逸(ドイツ)へ行って居る間に出来た友人で、巴里でも有名なある外科病院の青年医を両親に見せることにした。かの女達は、むす子を頼んで置くその青年医を一夕(いっせき)、レストランへ招待した。かの女達は、魚料理で有名なレストランへ先に行っていた。むす子があとから連れて来た青年は、むす子より丈が三倍もありそうな、そして、髪も頬(ほお)も眼もいろ艶(つや)の好いラテン系の美丈夫だった。かの女はこんな出来上った美丈夫が、むす子の友達だなんて信じて好いのかと思った。むす子を片手で掴(つか)んで振り廻(まわ)しそうにも思えた。「なに、ぼんやりしてんの、お母さん。」むす子は美男子に見惚(みほ)れて居るような場合、何にも考慮に入れない母親の稚純性を知って居て、くすり[#「くすり」に傍点]と笑った。美青年も何かしら好意らしく笑った。美青年の笑顔は、まるで子供だった。そして彼女は安心した。柄こそ大きくても青年は医科大学を出たばかりで二十五歳の助手だった。そうは云っても二十歳ばかりの異国画学生のむす子が、よくこんなしっかりした青年を友人に獲得したものだと一向にだらしのないような自分のむす子のどこかにひそむ何かの伎倆(ぎりょう)がたのもしく思われた。かの女の小柄なむす子――細くて鋭い眼と眼とが離れ、ほそ面のしまった顔に立派過ぎる鼻と口、だが笑う眉(まゆ)がちょっぴり下ると親の身としては何かこの子に足らぬ性分があるのではないかと、不憫(ふびん)で可愛(かわ)ゆさが増すのだった。 よく語り、よく喰(た)べたが、食事をしながらの青年は決して人ずれがして居なかった。この青年の親達はどんな人か、どんな育ちかと、かの女は女性にありがちな通俗的な思案にふけって居るうちに、自分のむす子が赤子のとき、あんまりかの女達が若い親だったことを思い出した。若くもあり、性来子を育てる親らしい技巧を持ち合せて居ない自分達を親に持ったむす子の赤児の時のみじめさを想い出した。そういう自分達の、まして、まだ親らしい自覚も芽(め)ぐまないうちに親になって途方にくれて居るなかで、いつか成人して仕舞ったむす子の生命力の強さに驚かれる。感謝のような気持がその生命力に向って起る。だが、その生命力はまた子の成長後かの女の愛慾との応酬にあまり迫って執拗(しつよう)だ。かの女は、持って居たフォークの先で、何か執拗なものを追い払うような手つきをした。自分の命の傍に、いつも執拗に佇(たたず)んで居る複数の影のようなものを一瞬感じたとき、かの女の現実の眼のなかへいつものむす子の細い鋭い眼が飛び込んで来て、「なにぼんやりしてんの」と薄笑いした。青年もかの女を見て「ママン泣いて居る?」と薄笑いし乍らむす子に聞いた。「あなたんとこの息子さんを、モンパルナスのキャフェでよく見かけますよ」と、薄い旅費で行脚的に世界一周を企て巴里まで来て、まだ虚勢とひがみを捨て切らない或る老教育家が、かの女等の親子批判にいどみ込んで来た。むす子が親の金でモンパルナスに出掛けて行ってるのを知らないのかという口調だった。かの女達はよく知っていた。知り過ぎていた。というよりも、夜にでもなったらモンパルナスのキャフェへでも出掛けて行き分相応愉快に過しなさいという気持で、一人置いて行く子のアパートを、モンパルナスからあまり遠くない地点に選んでやったくらいだ。巴里の味はモンパルナスのキャフェにあるとさえ云われて居るところをむす子から封じて、巴里へ置いて行く意義はない。  若くして親には別れ外(と)つ国の  雪降る街を歩むかあはれ。 一人巴里に置かれることが、むす子の願い、親の心柄であるとは云え、二十歳そこそこで親に別れ、ひと日暮れ果ててキャフェへさえ行かれない子にして置けるだろうか。かの女自身のむす子と別れて後の淋しい生活を想像して見ても、むす子が行く華やかなモンパルナスのキャフェの夜の時間を想(おも)うことが、むしろ、かの女の慰安でさえある。むす子は純芸術家だ、画家だ、なにも修身の先生にでもするのじゃなし……かの女にこういう考えもあった。 東京銀座のレストラン・モナミのテーブルに倚(よ)りかかって、巴里(パリ)のモンパルナスのキャフェをまざまざと想い浮べることは、店の設備の上からも、客種の違いからも、随分無理な心理の働かせ方なのだが、かの女のロマン性にかかるとそれが易々と出来た。 ふだんから、かの女は地球上の土地を、自分の気持の親疎によって、実際の位置と違った地理に置き換えていた。つまり感情的にかの女独得の世界地図が出来ていた。その奇抜さ加減にときどき逸作も、かの女自身すら驚嘆することがあった。アメリカは、ほとんど沙漠の中の蛮地のように遠く思え、欧洲はすぐ神戸の先に在るように親しげな話し振りをかの女はした。だから、四年前一家を挙げて欧洲へ遊学に出掛ける朝も、一ばん気軽な気持で船に乗ったのはかの女だった。かの女は和装で吾妻下駄(あずまげた)をからから桟橋に打ち鳴らしながら、まるで二三日の旅に親類へでも行くような安易さだった。 かの女はまた情熱のしこる時は物事の認識が極度に変った。主観の思い詰める方向へ環境はするする手繰られて行った。 身体に一本の太い棒が通ったように、むす子のことを思い詰めて、その想い以外のものは、自分の肉体でも、周囲の事情でも、全くかの女から存在を無視されてしまうときに、むす子のいる巴里は手を出したら掴(つか)めそうに思える。それほど近く感じられる雰囲気の中に、いべき筈(はず)のむす子がいない。眼つきらしいもの、微笑らしいもの、癖、声、青年らしい手、きれぎれにかの女の胸に閃(ひらめ)きはするが、かの女の愛感に馴染(なじ)まれたそれ等のものが、全部として触れられず、抱え取れない、その口惜しさや悲しさが身悶(みもだ)えさせる。ふとここでかの女の理性の足を失った魂のあこがれが、巴里の賑(にぎ)やかさという連想から銀座へでも行ったらむす子に会えそうな気を彼女にさせる。さすがに彼女も一二度はまさかと思い返してみるけれども、今度は、あこがれだけがずんずん募って行って、せめてあこがれを納得させるだけでも銀座へ踏み出してむす子の俤(おもかげ)を探さなければ居たたまれないほど強い力が込み上げて来る。で、ある時はむしろ、かの女の方から進んで銀座へ出たがるので、そんなとき逸作はかの女の気が晴れて来たのかと悦(よろこ)んでいる。かの女は夢とも現実とも別目(けじめ)のつかないこういう気持に牽(ひ)かれて、モナミへ入り、テーブルに倚りかかって、うつらうつらむす子と行った巴里のキャフェを想い耽(ふけ)る。 モンパルナスのキャフェ・ド・ラ・クーポールの天井(てんじょう)や壁から折り返して来るモダンなシャンデリヤの白い光線は、仄(ほの)かにもまた強烈だった。立て籠(こ)めた莨(たばこ)の煙は上から照り澱(よど)められ、ちょうど人の立って歩けるぐらいの高さで、大広間の空気を上下の層に分っている。 上層は昼のように明るく、床に近い下層の一面の灰紫色の黄昏(たそがれ)のような圏内は、五人或は八人ずつの食卓を仕切る胸ほどの低い靠(もた)れ框(がまち)で区切られている。凡(あら)ゆる人間の姿態と、あらゆる色彩の閃きと、また凡ゆる国籍の違った言葉の抑揚とが、框の区切りの中にぎっしり詰っている。出どころの判らない匂(にお)いと笑いと唄(うた)とを引き切るように掻(か)き分けて、物売りと、分別顔のギャルソンが皿を運んだり斡旋(あっせん)したりしている。「しまった、お母さん、いい場所を先に取られちゃった」 かの女をモンパルナスのキャフェ・ド・ラ・クーポールに導いて入ったむす子は、ダブル鈕(ボタン)の上着のポケットから内輪に手を出し、ちょっと指してそういった。 そこは靠れ壁の枡目(ますめ)の幾側かに取り囲まれ、花の芯(しん)にも当る位置にあった。硝子(ガラス)と青銅で作られた小さい噴水の塔は、メカニズムの様式を、色変りのネオンで裏から照り透す仕掛けになっている。噴水は三四段の棚に噴き滴って落ち、最後の水受け盤の中には東洋の金魚が小鱒と一しょに泳いでいた。「いいの、いいの、こんやは、こっちが晩(おそ)いのだから」     かの女は、ちっとも気にしない声でそういった。そして別の場所を探すよう、やや撫肩(なでがた)ながら厚味のあるむす子の肩の肉を押した。 噴水のネオンの光線の加減のためか、水盤を取り巻いて、食卓を控えた靠れ壁の人々の姿はハッキリ[#「ハッキリ」に傍点]しなかった。しかし、向うは、もう気がついたらしく、西洋人の訛(なま)ったアクセントで呼びかけるのが聞えた。「イチロ、イチロ」「イチロ」 息子の名を呼びかけるそれらは女の声もあるし、男の声もあった。クックという忍び笑いを入れて囁(ささや)くように呼ぶ声は、揶揄(からか)い交りではあるが、決して悪意のあるものではなかった。「まあ、誰」 かの女は首を低めて、むす子の肩からネオンの陰を覗(のぞ)き込んだ。むす子はそれに答えないで吃(ども)った。「ああ、あいつ等が占領しているのか、だいぶ豊かと見えるな」 そして、声のする噴水のかげの隅に向って、のびのびした挨拶(あいさつ)の手を挙げていった。「子供等よ、騒ぐでないぞ、森の菌霊(こびと)が臼(うす)搗(つ)くときぞ」 むす子は、おかしさが口の端から洩(も)れるのをそのまま、子供等に対する家長らしい厳しい作り声をあっさり唇に偽装して、相手の群に発音し終ると、くるりと元の方向に踏み直って歩き出した。「やったな、やったな」という声や、またも、「イチロ、イチロ」という叫び声が爆笑と混って聴えた。五六人、西洋人らしい無造作な立ち上り方をして拍手した。 靠れ壁の隅に無精らしく曲げた背中をもたせて笑ってばかり居る若い娘と、立ち上った群の中に、もう一人長身の若い娘が、お出額(でこ)の捲髪(カール)を光線の中に振り上げ振り上げ、智慧(ちえ)のない恰好(かっこう)で夢中に拍手しているのを、かの女は第一にはっきり見て取った。かの女はちょっと彼等に微笑しながら目礼したけれど、妙な一種の怯(おび)えが、むす子を彼等から保護するような態度を、かの女にさせた。かの女は思わず息子の身近くに寄り添った。そのくせかの女はまたすぐあとから、彼等に好感を覚えてのろのろと彼等の方を見返した。「おかあさん、何してるんです、どうせあいつら、あとで僕たちの席へ遊びに来ますよ」「あんた、とても、大胆ね、こんな人中で、よく平気であんな冗談云えるのね」 そういいながら、かの女は却(かえ)って頼母(たのも)しそうにむす子の顔をつくづく瞠入(みい)った。 むす子のこんなことすら頼母しがるお嬢さん育ちの甘味の去らない母親を、むす子はふだんいじらしいとは思いながら、一層歯痒(はが)ゆがっていた。自分達は、もっと世間に対して積極的な平気にならなければならない。「また癖が」、むす子はかの女の自分に感心するいつもの眼色を不快そうに外ずして向うをむきながら、かの女の手をぐっと握り取った。「怯えなくとも好い……何でもないです。誰でも同じ人間です」「すると、あの中の女たちは、やっぱり遊び女」「遊び女もいますし、芸術家もいます。中には、ひどい悪党もいます」 むす子は母親の眼の前に現実を突きつけるように意地悪く云い放ちながら、握った手では母親の怯えの脉(みゃく)をみていた。かの女には独りで異国に残るむす子の悲壮な覚悟が伝わって来て身慄(みぶる)いが出た。かの女は自分に勇気をつけるように、進んでむす子の腕を組みかけながらいった。「ほんとに誰でも同じ人間ね。さあみんなと遊ぼう」 この夜は謝肉祭の前夜なので、一層込んでいた。人々に見られながらテーブルの間の通路を、母子は部屋中歩き廻(まわ)った。 通り過ぎる左右の靠(もた)れ壁(かべ)から、むす子に目礼するものや、声をかけるものがかなりあった。美髯(びぜん)を貯え、ネクタイピンを閃(ひらめ)かした老年の紳士が立ち上って来て礼儀正しく、むす子に低声で何か真面目(まじめ)な打合せをすると、むす子は一ぱしの分別盛りの男のように、熟考して簡潔に返事を与えた。老紳士は易々として退いて行った。その間かの女は、むす子がふだんこういう人と交際(つきあ)うならお小遣が足りなくはあるまいか、詰めた生活をして恥を掻(か)くようなことはあるまいか、胸の中でむす子が貰う学資金の使い分けを見積りしていた。しかし、それよりも、むす子に向って次の靠れ壁から声をかけた一人の若い娘に考えは捉(とら)えられた。その娘は病気らしく、美しい顔が萎(しな)びていて僅(わず)かに片笑いだけした。「ジュジュウ! 病気悪いか」 娘はまた片笑いしただけだったが、かの女は、むす子がその娘に対する挨拶(あいさつ)に、ただの男らしい同情だけ響くのを敏く聞き取って、その女は遊び女に違いないにしろ、もっとむす子は優しく云ってやればいいのに、と思った。「イチロ。空いたところがある」 鳶色(とびいろ)の髪をフランス刈りにしたマネージャーが、人を突きのけるようにして、かの女等親子を導いて、いま食卓の卓布の上からギャルソンが、しきりにパン屑(くず)をはたき落している大テーブルへ連れて行った。そこでマネージャーは無言でぱっと両手を肩のところで拡(ひろ)げ、首をかしげて、今夜は忙しくて忙しくてという身振りをする。ギャルソンは新しい卓布を重ねて、花瓶の位置をかの女の方向へ置き直した。かの女はしばらく、薄紅色のカーネーションの花弁に、銀灰色の影のこまかく刻み入ってるのを眺め入った。 小広いテーブルに重ねられた清潔な卓布は、シャンデリヤを射反(いかえ)して、人を眠くする雪明りのような刺戟(しげき)を眼に与える。その上に几帳面(きちょうめん)に並べられている銀の食器や陶器皿や、折り畳んだナフキンは、いよいよ寒白く光って、催眠術者の使う疑念の道具の小鏡のように、かの女の瞳(ひとみ)をしつこく追う。「ああ、わたし、眠くなった。疲れた」かの女はこういって、体を休ましたい気持にも、ちょっとなったが、むす子と一緒と思えば、それを押し除(の)けて生々した張合いのある精神が背骨を伝って、ぐいぐい堕気を扱(しご)き上げるので、かの女は胸を張ったちゃんとした姿勢で、むす子と向い合った。そして眩(まぶ)しい瞳を花瓶の花の塊やパンの上に落着けた。 焦茶色で絞り手拭(てぬぐい)の形をしているパンは、フランス独得の流儀で、皿にのせず、畳んだナフキンの上にじかに置いてあった。それが却(かえ)ってうまそうに見えた。 かの女はときどき眼を挙げて、花を距(へだ)てたむす子の顔を見た。ギャルソンに註文を誂(あつら)えた後のむす子は画家らしい虚心で、批評的の眼差(まなざ)しで、柱の柱頭に近いところに描いてある新古典派風の絵を見上げていた。鳶色に薄桃色をさした小づくりの顔は、内部の逞(たくま)しい若い生命に火照(ほて)ってあたたかく潤っていた。情熱を大事に蔵(しま)ってでもいるように、またむす子は、両手を上着のポケットに揃(そろ)えて差し込んでいた。 新古典派風の絵のある柱の根で、角を劃切られたこの靠れ壁は、少し永く落着く定連客が占めるのを好む場席であった。隅近くではあったが、それだけ中央の喧騒(けんそう)から遠去かり、別世界の感があった。中央の喧騒を批評的に見渡して自分たちの場席を顧みると、頼母(たのも)しい寂しい孤独感に捉えられた。 かの女は、むす子が眼をやっている間近の柱の絵を見上げて、それから無意識的にその次の柱、また次の柱と、喧騒の群の上に抽(ぬき)んでて近くシャンデリヤに照らされている柱の上部の絵を、眼の届くまで眺めて行った。その絵はまちまちの画風であった。女が描いたように描いた表現派風の絵もあった。ここへ来る古い定連の画家に頼んで勝手に描いて貰ったこれ等の絵は、統一もなく、巧(うま)いのも拙(つたな)いのもあった。かの女はむす子に案内されて画商街へモダンの画を見に通った幾日かを思い起した。それらは、むす子が素性のいい恋人と逢うのに立ち会うように楽しかった。 かの女の眼が引返してむす子に戻り、今更しみじみ不思議な世界でわが子と会った気持になっていると、かの女はむす子の育った大人らしさを急に掻き乱し度(た)くなる衝動に駆られた。「よして頂戴(ちょうだい)よ、大人になってさ。お願いだから、もとの子供になりなさいよ」 かの女は胸でこう云って無精にむす子に手をかけ度い気持を堪えていると、一種の甘い寂しい憎しみが起る。むす子の上ポケットの鳶色のハンケチにかの女の眼が注がれる。「まあ、なんというお巧者な子だろう。憎らしい。忘れないでハンケチなど詰めて」ふと気がつくと、むす子もいつか絵を見ていた眼を空虚にして、心で何か噛(か)み躙(にじ)っているらしい。 かの女の眼とむす子の眼とが、瞠合(みあ)った。二人は悲しもうか笑おうかの境まで眼を瞠合ったまま感情に引きずられて行ったが、つい笑って仕舞った。二人は激しく笑った。「どうして笑うのよ」「おかあさん、どうして笑うんです」「あんたがいつか言ったこと想(おも)い出したからよ」「どんなことです」「あんた、いつか、こういったわね。僕、おかあさんにそっくりな小さい妹を一人得られたら、ぐいぐい引張り廻して僕の思う通りにリードしてやるって、あれをよ」「ふんそんなことか。けど僕やめにしますよ。なにしろ、おかあさんという人はスローモーションで、どうにも振り廻しにくいですからねえ」 むす子は唇をちょっと噛んで、面白そうに、かの女を額越しにちょっと見た。「ついでにおかあさんに云っときますがね、いくら僕が寂しかろうといって、むやみに、お嫁さんの候補者なんか送りつけたりするのはご免(めん)蒙(こうむ)りますよ。やり兼ねないからね。いくらお母さんの世話でも、全くこれだけは断りますよ」それからはじめて手を出して卓の上へ組み合せて、「僕、おかあさんに対する感情の負担だけでも当分一人前はたっぷりあるのだからなあ」むす子は言葉尻(ことばじり)を独り言のようにいってのけた。 むす子が面と向ってこういう真実の述懐を吐くとき、かの女には却ってむす子から、形の上の子供子供した点だけが強く印象づけられた。「そんなに、おかあさんの方ばかり気にしないで、ご自分が幸福(しあわせ)になるよう、しっかりなさいよ。ほんとうですよ」 こういって、はじめてかの女は母親の位を取り戻した。 ギャルソンがスープを運んで来た。星がうるんで見える初夏の夕空のような浅い浅黄色の汁の上へギャルソンはパラパラと焦したパン片を匙(さじ)で撒(ま)いて行った。「香ばしくておいしい。掻餅(かきもち)のようね」とかの女はいった。 むす子はかの女の喰(た)べ方を監督しながら自分も喰べていった。「パパ、今晩は、トレ・コンタンでしょう。支那めしが喰べられて」「久し振りに日本の方と会って大いに談じてますよ」「パパもいいが独逸(ドイツ)の話だけはして呉(く)れないといいなあ、ベルリンのことを平気でペルリン、ペルリンというんだもの、傍で気がさしちまう」「おなかじゃベルリンと承知してて、あれ口先だけの癖よ」 母子は逸作への愛に盛り上って愉快に笑った。 かの女とむす子は静かに食事を進まして行った。外国の食事の習慣に慣らされて、食事中は込み入った話をしない癖がついている二人は、滑かにあっさり話を交した。 かの女は最初巴里(パリ)につき、それから主人の用務でイギリスへしばらく滞在するため巴里を出立するとき、むす子に言葉を慣らすため一人で残して置いたのであるが、かの女はむす子の慰めになるかも知れないと、上海(シャンハイ)の船つきで買い入れたカナリヤの鳥籠をもむす子に残していった。むす子はそのカナリヤの餌を貰うのに寄宿の家のものに何といったらいいのか困り果てたという話は、かの女がむす子から度々聞いた経験談だが、観察の角度を代えていままた話されると、相変らず面白かった。 むす子が、だいぶ経験も積んで、巴里郊外の高等学校の予備校の寄宿舎に、たった一人日本人として寄宿した経験談も出た。むす子はそこでフランスの学生と同等に地理や歴史を学んだ。「画描きだって、こっちに長くいるなら、それそうとう常識的な基礎知識は必要ですからねえ」 いくらか、かの女の性質の飛躍し勝ちなロマン性に薬を利かしたという気味も含めて、むす子は落着いて語った。 「あんたには、そういう順序を立てた考え深いところもあるのね。そういうところは、あたし敵(かな)わないと思うわ」 かの女は言葉通り尊敬の意を態度にも現わし、居住いを直すようにしていった。しかし、こういう母親を見るのはむす子には可哀(かわい)そうな気がした。それで、その気分を押し散らすようにしてむす子はいった。 「なに、僕だって、おかあさんと同じ性分なんです。そしておかあさんだってずいぶん考え深い方でなくはありませんさ。けれどもおかあさんは女ですから、それを感情の範囲内だけで働かして行けばすみますが、僕は男ですからそうは行きません。そうとう意志を強くして、具体的の事実の上にしっかり手綱を引き締めて行かなければ、そこが違うんでしょうねえ」 けれども、一たんむす子へ萌(きざ)した尊敬の念は、あとから湧(わ)き起るさまざまの感傷をも混えて、昇り詰めるところまで昇り詰めなければ承知出来なかった。かの女は感心に堪え兼ねた瞳(ひとみ)を、黒く盛り上らせてつくづくいった。 「なるほど一郎さんは男だったのねえ。男ってものは辛(つら)いものねえ。
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