金魚撩乱
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著者名:岡本かの子 

 今日も復一はようやく変色し始めた仔魚(しぎょ)を一匹(ぴき)二匹(ひき)と皿(さら)に掬(すく)い上げ、熱心に拡大鏡で眺(なが)めていたが、今年もまた失敗か――今年もまた望み通りの金魚はついに出来そうもない。そう呟(つぶや)いて復一は皿と拡大鏡とを縁側(えんがわ)に抛(ほう)り出し、無表情のまま仰向(あおむ)けにどたりとねた。
 縁から見るこの谷窪(たにくぼ)の新緑は今が盛(さか)りだった。木の葉ともいえない華(はな)やかさで、梢(こずえ)は新緑を基調とした紅茶系統からやや紫(むらさき)がかった若葉の五色の染め分けを振(ふ)り捌(さば)いている。それが風に揺(ゆ)らぐと、反射で滑(なめ)らかな崖(がけ)の赤土の表面が金屏風(きんびょうぶ)のように閃(ひらめ)く。五六丈(じょう)も高い崖の傾斜(けいしゃ)のところどころに霧島(きりしま)つつじが咲(さ)いている。
 崖の根を固めている一帯の竹藪(たけやぶ)の蔭(かげ)から、じめじめした草叢(くさむら)があって、晩咲(おそざ)きの桜草(さくらそう)や、早咲きの金蓮花(きんれんか)が、小さい流れの岸まで、まだらに咲き続いている。小流れは谷窪から湧(わ)く自然の水で、復一のような金魚飼育商(しいくしょう)にとっては、第一に稼業(かぎょう)の拠(よ)りどころにもなるものだった。その水を岐(えだ)にひいて、七つ八つの金魚池があった。池は葭簾(よしず)で覆(おお)ったのもあり、露出(ろしゅつ)したのもあった。逞(たく)ましい水音を立てて、崖とは反対の道路の石垣(いしがき)の下を大溝(おおどぶ)が流れている。これは市中の汚水(おすい)を集めて濁(にご)っている。
 復一が六年前地方の水産試験所を去って、この金魚屋の跡取(あとと)りとして再び育ての親達に迎(むか)えられて来たときも、まだこの谷窪に晩春の花々が咲き残っていた頃(ころ)だった。
 復一は生れて地方の水産学校へ出る青年期までここに育ちながら、今更(いまさら)のように、「東京は山の手にこんな桃仙境(とうせんきょう)があるのだった」と気がついた。そしてこの谷窪を占(し)める金魚屋の主人になるのを悦(よろこ)んだ。だが、それから六年後の今、この柔(やわら)かい景色(けしき)や水音を聞いても、彼(かれ)はかえって彼の頑(かたくな)になったこころを一層枯燥(こそう)させる反対の働きを受けるようになった。彼は無表情の眼(め)を挙げて、崖の上を見た。
 芝生(しばふ)の端(はし)が垂(た)れ下(さが)っている崖の上の広壮な邸園(ていえん)の一端(いったん)にロマネスクの半円祠堂(しどう)があって、一本一本の円柱は六月の陽(ひ)を受けて鮮(あざや)かに紫薔薇色(ばらいろ)の陰(かげ)をくっきりつけ、その一本一本の間から高い蒼空(あおぞら)を透(す)かしていた。白雲が遥(はる)か下界のこの円柱を桁(けた)にして、ゆったり空を渡(わた)るのが見えた。
 今日も半円祠堂のまんなかの腰掛(こしかけ)には崖邸の夫人真佐子(まさこ)が豊かな身体(からだ)つきを聳(そびや)かして、日光を胸で受止めていた。膝(ひざ)の上には遠目にも何か編みかけらしい糸の乱れが乗っていて、それへ斜(ななめ)にうっとりとした女の子が凭(もた)れかかっていた。それはおよそ復一の気持とは縁のない幸福そのものの図だった。真佐子はかなりの近視で、こちらの姿は眼に入らなかろうが、こちらからはあまりに毎日見馴(みな)れて、復一にはことさら心を刺戟(しげき)される図でもなかったが、嫉妬(しっと)か羨望(せんぼう)か未練か、とにかくこの図に何かの感情を寄せて、こころを掻き(か)き立たさなければ、心が動きも止りもしないような男に復一はなっていた。
「ああ今日もまたあの図を見なくってはならないのか。自分とは全く無関係に生き誇(ほこ)って行く女。自分には運命的に思い切れない女――。」
 復一はむっくり起き上って、煙草(たばこ)に火をつけた。

 その頃、崖邸のお嬢(じょう)さんと呼ばれていた真佐子は、あまり目立たない少女だった。無口で俯向(うつむ)き勝(がち)で、癖(くせ)にはよく片唇(かたくちびる)を噛(か)んでいた。母親は早くからなくして父親育ての一人娘(ひとりむすめ)なので、はたがかえって淋(さび)しい娘に見るのかも知れない。当の真佐子は別にじくじく一つ事を考えているらしくもなくて、それでいて外界の刺戟に対して、極めて遅(おそ)い反応を示した。復一の家へ小さいバケツを提げて一人で金魚を買いに来た帰りに、犬の子にでも逐(お)いかけられるような場合には、あわてる割にはかのゆかない体の動作をして、だが、逃(に)げ出すとなると必要以上の安全な距離(きょり)までも逃げて行って、そこで落付いてから、また今更のように恐怖(きょうふ)の感情を眼の色に迸(ほとばし)らした。その無技巧(むぎこう)の丸い眼と、特殊(とくしゅ)の動作とから、復一の養い親の宗十郎は、大事なお得意の令嬢だから大きな声ではいえないがと断って、
「まるで、金魚の蘭鋳(らんちゅう)だ」
 と笑った。
 漠然(ばくぜん)とした階級意識から崖邸の人間に反感を持っている崖下の金魚屋の一家は、復一が小学校の行きかえりなどに近所同志の子供仲間として真佐子を目の仇(かたき)に苛(いじ)めるのを、あまり嗜(たしな)めもしなかった。たまたま崖邸から女中が来て、苦情を申立てて行くと、その場はあやまって受容(うけい)れる様子を見せ、女中が帰ると親達は他所事(よそごと)のように、復一に小言はおろか復一の方を振り返っても見なかった。
 それをよいことにして復一の変態的な苛め方はだんだん烈(はげ)しくなった。子供にしてはませた、女の貞操(ていそう)を非難するようないいがかりをつけて真佐子に絡(から)まった。
「おまえは、今日体操の時間に、男の先生に脇(わき)の下から手を入れてもらってお腰巻のずったのを上へ上げてもらったろう。男の先生にさ――けがらわしい奴(やつ)だ」
「おまえは、今日鼻血を出した男の子に駆(か)けてって紙を二枚もやったろう。あやしいぞ」
 そして、しまいに必ず、「おまえは、もう、だめだ。お嫁(よめ)に行けない女だ」
 そう云(い)われる度に真佐子は、取り返しのつかない絶望に陥(おちい)った、蒼ざめた顔をして、復一をじっと見た。深く蒼味がかった真佐子の尻下(しりさが)りの大きい眼に当惑(とうわく)以外の敵意も反抗(はんこう)も、少しも見えなかった。涙(なみだ)の出るまで真佐子は刺(さ)し込(こ)まれる言葉の棘尖(とげさき)の苦痛を魂(たましい)に浸(し)み込(こ)ましているという瞳(ひとみ)の据(す)え方だった。やがて真佐子の顔の痙攣(けいれん)が激(はげ)しくなって月の出のように真珠色(しんじゅいろ)の涙が下瞼(したまぶた)から湧いた。真佐子は袂(たもと)を顔へ当てて、くるりとうしろを向く。歳(とし)にしては大柄(おおがら)な背中が声もなく波打った。復一は身体中に熱く籠(こも)っている少年期の性の不如意(ふにょい)が一度に吸い散らされた感じがした。代って舌鼓(したつづみ)うちたいほどの甘(あま)い哀愁(あいしゅう)が復一の胸を充(みた)した。復一はそれ以上の意志もないのに大人(おとな)の真似(まね)をして、
「ちっと女らしくなれ。お転婆(てんば)!」
 と怒鳴(どな)った。
 それでも、真佐子はよほど金魚が好きと見えて、復一にいじめられることはじきにけろりと忘れたように金魚買いには続けて来た。両親のいる家へ真佐子が来たときは復一は真佐子をいじめなかった。代りに素気(そっけ)なく横を向いて口笛(くちぶえ)を吹(ふ)いている。
 ある夕方。春であった。真佐子の方から手ぶらで珍(めず)らしく復一の家の外を散歩しに来ていた。復一は素早く見付けて、いつもの通り真佐子を苛めつけた。そして甘い哀愁に充(み)たされながらいつもの通り、「ちっと女らしくなれ」を真佐子の背中に向って吐(は)きかけた。すると、真佐子は思いがけなく、くるりと向き直って、再び復一と睨(にら)み合った。少女の泣顔の中から狡(ず)るそうな笑顔(えがお)が無花果(いちじく)の尖(さき)のように肉色に笑み破れた。
「女らしくなれってどうすればいいのよ」
 復一が、おやと思うとたんに少女の袂の中から出た拳(こぶし)がぱっと開いて、復一はたちまち桜の花びらの狼藉(ろうぜき)を満面に冠(かぶ)った。少し飛び退(すさ)って、「こうすればいいの!」少女はきくきく笑いながら逃げ去った。
 復一は急いで眼口を閉じたつもりだったが、牡丹(ぼたん)桜の花びらのうすら冷い幾片(いくへん)かは口の中へ入ってしまった。けっけと唾(つば)を絞(しぼ)って吐き出したが、最後の一ひらだけは上顎(うわあご)の奥(おく)に貼(は)りついて顎裏のぴよぴよする柔(やわらか)いところと一重になってしまって、舌尖で扱(しご)いても指先きを突(つ)き込んでも除かれなかった。復一はあわてるほど、咽喉(のど)に貼りついて死ぬのではないかと思って、わあわあ泣き出しながら家の井戸端(いどばた)まで駆けて帰った。そこでうがいをして、花片はやっと吐き出したが、しかし、どことも知れない手の届きかねる心の中に貼りついた苦しい花片はいつまでも取り除くことは出来なくなった。
 そのあくる日から復一は真佐子に会うと一そう肩肘(かたひじ)を張って威容(いよう)を示すが、内心は卑屈(ひくつ)な気持で充たされた。もう口は利けなかった。真佐子はずっと大人振ってわざと丁寧(ていねい)に会釈(えしゃく)した。そして金魚は女中に買わせに来た。
 真佐子は崖の上の邸(やしき)から、復一は谷窪の金魚の家からおのおの中等教育の学校へ通うようになった。二人はめいめい異った友だちを持ち異った興味に牽(ひ)かれて、めったに顔を合すこともなくなった。だが珍らしく映画館の中などで会うと、復一は内心に敵意を押(おさ)え切れないほど真佐子は美しくなっていた。型の整った切れ目のしっかりした下膨(しもぶく)れの顔に、やや尻下りの大きい目が漆黒(しっこく)に煙(けむ)っていた。両唇の角をちょっと上へ反らせるとひとを焦(じ)らすような唇が生き生きとついていた。胸から肩へ女になりかけの豊麗(ほうれい)な肉付きが盛(も)り上り手足は引締(ひきしま)ってのびのびと伸(の)びていた。真佐子は淑女(しゅくじょ)らしく胸を反らしたまま軽く目礼した。復一はたじろいで思わず真佐子の正面を避(さ)けて横を向いたが、注意は耳いっぱいに集められた。真佐子は同伴(どうはん)の友達に訊(たず)ねられてるようだ。真佐子はそれに対して、「うちの下の金魚屋さんとこの人。とても学校はよくできるのよ、」と云った。その、「学校はよくできる」という調子に全く平たい説明だけの意味しか響(ひび)くものがないのを聞いて復一は恥辱(ちじょく)で顔を充血(じゅうけつ)さした。
 世界大戦後、経済界の恐怖に捲込(まきこ)まれて真佐子の崖邸も、手痛い財政上の打撃(だげき)を受けたという評判は崖下の復一の家まで伝わった。しかし邸を見上げると反対に洋館を増築したり、庭を造り直したりした。復一の家から買い上げて行く金魚の量も多くなった。金魚の餌(えさ)を貰(もら)いに来た女中は、「職人の手間賃が廉(やす)くなったので普請(ふしん)は今のうちだと旦那(だんな)様はおっしゃるんだそうです」といった。崖端のロマネスクの半円祠堂型の休み場もついでにそのとき建った。
「金儲(かねもう)けの面白さがないときには、せめて生活でも楽しまんけりゃ」
 崖から下りて来て、珍らしく金魚池を見物していた小造りで痩(や)せた色の黒い真佐子の父の鼎造(ていぞう)はそう云った。渋(しぶ)い市楽(いちらく)の着物の着流しで袂に胃腸の持薬をしじゅう入れているといった五十男だった。真佐子の母親であった美しい恋妻(こいづま)を若い頃亡くしてから別にささやかな妾宅(しょうたく)を持つだけで、自宅には妻を持たなかった。何か操持をもつという気風を自らたのしむ性分もあった。
 復一の家の縁に、立てかけて乾(ほ)してある金魚桶(おけ)と並(なら)んで腰をかけて鼎造は復一の育ての親の宗十郎と話を始めた。
 宗十郎の家業の金魚屋は古くからあるこの谷窪の旧家だった。鼎造の崖邸は真佐子の生れる前の年、崖の上の桐畑(きりばたけ)を均(なら)して建てたのだからやっと十五六年にしかならない。
 新住者だがこの界隈(かいわい)の事や金魚のことまで驚(おどろ)くほど鼎造はよく知っていた。鼎造の祖父に当る人がやはり東京の山の手の窪地に住み金魚をひどく嗜好(しこう)したので、鼎造の幼時の家の金魚飼育の記憶(きおく)が、この谷窪の金魚商の崖上に家を構えた因縁(いんねん)から自然とよみがえった。殊(こと)に美しい恋妻を亡くした後の鼎造には何か瓢々(ひょうひょう)とした気持ちが生れ、この生物にして無生物のような美しい生きもの金魚によけい興味を持ち出した。
「江戸(えど)時代には、金魚飼育というものは貧乏(びんぼう)旗本の体(てい)のいい副業だったんだな。山の手では、この麻布(あざぶ)の高台と赤坂高台の境にぽつりぽつりある窪地で、水の湧くようなところには大体飼っていたものです。お宅もその一つでしょう」
 あるとき鼎造にこういわれると、専門家の宗十郎の方が覚束(おぼつか)なく相槌(あいづち)を打ったのだった。
「多分、そうなのでしょう。何しろ三四代も続いているという家ですから」
 宗十郎が煤(すす)けた天井裏(てんじょううら)を見上げながら覚束ない挨拶(あいさつ)をするのに無理もないところもあった。復一の育ての親とはいいながら、宗十郎夫婦はこの家の夫婦養子で、乳呑児(ちのみご)のまま復一を生み遺(のこ)して病死した当家の両親に代って復一を育てながら家業を継(つ)ぐよう親類一同から指名された家来筋の若者男女だったのだから。宗十郎夫婦はその前は荻江節(おぎえぶし)の流行(はや)らない師匠(ししょう)だった。何しろ始めは生きものをいじるということが妙(みょう)に怖(おそろ)しくって、と宗十郎は正直に白状した。
「復一こそ、この金魚屋の当主なのです。だから金魚屋をやるのが順当なのでしょうが、どういうことになりますか、今の若ものにはまた考えがありましょうから」
 宗十郎は淡々(たんたん)として、座敷(ざしき)の隅(すみ)で試験勉強している復一の方を見てそういった。
「いや、金魚はよろしい。ぜひやらせなさい。並(なみ)の金魚はたいしたこともありますまいが、改良してどしどし新種を作れば、いくらでも価格は飛躍(ひやく)します。それに近頃では外国人がだいぶ需要して来ました。わが国では金魚飼育はもう立派な産業ですよ」
 実業家という奴は抜(ぬ)け目なくいろいろなことを知ってるものだと、復一は驚ろいて振り返った。鼎造は次いでいった。「それにしても、これからは万事科学を応用しなければ損です。失礼ですが復一さんを高等の学校へ入れるに、もしご不自由でもあったら、学費は私が多少補助してあげましょうか」
 唐突(とうとつ)な申出を平気でいう金持の顔を今度は宗十郎がびっくりして見た。すると鼎造はそのけはいを押えていった。
「いや、ざっくばらんに云うと、私の家には雌(めす)の金魚が一ぴきだけでしょう。だから、どうもよその雄(おす)を見ると、目について羨(うらや)ましくて好意が持てるのです」
 復一は人間を表現するのに金魚の雌雄(しゆう)に譬(たと)えるとは冗談(じょうだん)の言葉にしても程があるものだとむっとした。しかし、こういう反抗の習慣はやめた方が、真佐子に親しむ途(みち)がつくと考えないでもなかった。真佐子に投げられて上顎の奥に貼りついた桜の花びらの切ないなつかしい思い出で――復一はしきりに舌のさきで上顎の奥を扱いた。
「お子さまにお嬢さまお一人では、ご心配でございますね」
 茶を出しながら宗十郎の妻がいうと、鼎造は多少意地張った口調で、
「その代り出来のよい雄をどこからでも選んで婿(むこ)に取れますよ。自分のだったらボンクラでも跡目を動かすわけにはゆかない」
 結局、復一は鼎造の申出通り、金魚の飼養法を学ぶため上の専門学校へ行くことになり学資の補助も受けることになった。真佐子は何にも知らない顔をしていた。しかし、復一が気がついてみると、もうこのとき、真佐子の周囲には、鼎造のいわゆるよその雄で鼎造から好意を受けている青年が三人は確(たしか)にいて、金釦(ボタン)の制服で出入りするのが、復一の眼の邪魔(じゃま)になった。復一の観察するところによると、真佐子は美事(みごと)な一視(いっし)同仁(どうじん)の態度で三人の青年に交際していた。鼎造が元来苦労人で、給費のことなど権利と思わず、青年を単に話相手として取扱(とりあつか)うのと、友田、針谷、横地というその三人の青年は、共通に卑屈な性質が無いところを第一条件として選ばれたとでもいうように、共通な平気さがあって、学費を仰(あお)ぐ恩家のお嬢さんをも、テニスのラケットで無雑作に叩(たた)いたり、真佐子、真佐子と年少の女並に呼び付けていた。一ぴきの雌に対する三びきの雄の候補者であることを自他の意識から完全にカムフラージュしていた。それが真佐子にとって一層、男たちを一視同仁に待遇(たいぐう)するのに都合(つごう)がよかったのかも知れない。
 崖邸の若い男女がそういう滑らかで快濶(かいかつ)な交際社会を展開しているのを見るにつけ、復一は自分の性質を顧(かえり)みて、遺憾(いかん)とは重々知りつつ、どうしても逆なコースへ向ってしまうのだった。誰(だれ)があんな自我の無い手合いと一しょになるものか、自分にはあんな中途(ちゅうと)半端(はんぱ)な交際振りは出来ない。征服(せいふく)か被(ひ)征服かだ。しかし、この頃自分の感じている真佐子の女性美はだんだん超越(ちょうえつ)した盛り上り方をして来て、恋愛(れんあい)とか愛とかいうものの相手としては自分のような何でも対蹠的(たいしょてき)に角突き合わなければ気の済まない性格の青年は、その前へ出ただけで脱力(だつりょく)させられてしまうような女になりかかって来ていると思われた。復一はこの頃から早熟の青年らしく人生問題について、あれやこれや猟奇的(りょうきてき)の思索(しさく)に頭の片端を入れかけた。結局、崖の上へは一歩も登らずに、真佐子がどうなって来るか、自分が最も得意とするところの強情を張って対抗してみようと決心した。到底(とうてい)自分のような光沢(こうたく)も匂(にお)いもない力だけの人間が、崖の上の連中に入ったら不調和な惨敗(ざんぱい)ときまっている。わけて真佐子のような天女型の女性とは等匹(とうひつ)できまい。交際(つきあ)えば悪びれた幇間(ほうかん)になるか、威丈高(いたけだか)な虚勢(きょせい)を張るか、どっちか二つにきまっている。瘠我慢(やせがまん)をしても僻(ひが)みを立てて行くところに自分の本質はあるのだ。要するに普通(ふつう)の行き方では真佐子ははじめから適(かな)わない自分の相手なのだ。たった一つの道は意地悪く拗(す)ねることによって、ひょっとしたら、今でもあの娘はまだ自分に牽かれるかも知れない。復一は変態的に真佐子をいじめつけた幼年時代の哀(かな)しい甘い追憶にばかりだんだん自分をかたよらせて行った。
 そのうち復一は東京の中学を卒(お)え、家畜(かちく)魚類の研究に力を注いでいる関西のある湖の岸の水産所へ研究生に入ることになった。いよいよ一週間の後には出発するという九月のある宵(よい)、真佐子は懐中(かいちゅう)電燈(でんとう)を照らしながら崖の道を下りて、復一に父の鼎造から預った旅費と真佐子自身の餞別(せんべつ)を届けに来た。宗十郎夫妻に礼をいわれた後、真佐子は復一にいった。
「どう、お訣(わか)れに、銀座へでも行ってお茶を飲みません?」
 真佐子が何気なく帯の上前の合せ目を直しながらそういうと、あれほど頑固(がんこ)をとおすつもりの復一の拗ね方はたちまち性が抜けてしまうのだった。けれども復一は必死になっていった。
「銀座なんてざわついた処(ところ)より僕(ぼく)は榎木(えのき)町の通りぐらいなら行ってもいいんです」
 復一の真佐子に対する言葉つかいはもう三四年以前から変っていた。友達としては堅(かた)くるしい、ほんの少し身分の違(ちが)う男女間の言葉遣(づか)いに復一は不知(しらず)不識(しらず)自分を馴らしていた。
「妙なところを散歩に註文(ちゅうもん)するのね。それではいいわ。榎木町で」
 赤坂山王下(さんのうした)の寛濶(かんかつ)な賑(にぎ)やかさでもなく、六本木葵(あおい)町間の引締った賑やかさでもなく、この両大通りを斜に縫(ぬ)って、たいして大きい間口の店もないが、小ぢんまりと落付いた賑やかさの夜街の筋が通っていた。店先には商品が充実していて、その上種類の変化も多かった。道路の闇(やみ)を程よく残して初秋らしい店の灯の光が撒(ま)き水の上にきらきらと煌(きら)めいたり流れたりしていた。果(くだ)もの屋の溝板(どぶいた)の上には抛(ほう)り出した砲丸(ほうがん)のように残り西瓜(すいか)が青黒く積まれ、飾窓(かざりまど)の中には出初めの梨(なし)や葡萄(ぶどう)が得意の席を占めている。肥(ふと)った女の子が床几(しょうぎ)で絵本を見ていた。騒(さわ)がしくも寂(さび)しくもない小ぢんまりした道筋であった。
 真佐子と復一は円タクに脅(おびや)かされることの少い町の真中を臆(おく)するところもなく悠々(ゆうゆう)と肩を並べて歩いて行った。復一が真佐子とこんなに傍(そば)へ寄り合うのは六七年振りだった。初めのうちはこんなにも大人に育って女性の漿液(しょうえき)の溢(あふ)れるような女になって、ともすれば身体の縒(よじ)り方一つにも復一は性の独立感を翻弄(ほんろう)されそうな怖(おそ)れを感じて皮膚(ひふ)の感覚をかたく胄(よろ)って用心してかからねばならなかった。そのうち復一の内部から融(と)かすものがあって、おやと思ったときはいつか復一は自分から皮膚感覚の囲みを解いていて、真佐子の雰囲気(ふんいき)の圏内(けんない)へ漂(ただよ)い寄るのを楽しむようになっていた。すると店の灯も、町の人通りも香水(こうすい)の湯気を通して見るように媚(なま)めかしく朦朧(もうろう)となって、いよいよ自意識を頼(たよ)りなくして行った。
 だが、復一にはまだ何か焦々(いらいら)と抵抗(ていこう)するものが心底に残っていて、それが彼を二三歩真佐子から自分を歩き遅らせた。復一は真佐子と自分を出来るだけ客観的に眺める積りでいた。彼の眼には真佐子のやや、ぬきえもんに着た襟(えり)の框(かまち)になっている部分に愛蘭(アイルランド)麻(あさ)のレースの下重ねが清楚(せいそ)に覗(のぞ)かれ、それからテラコッタ型の完全な円筒(えんとう)形の頸(くび)のぼんの窪へ移る間に、むっくりと搗(つ)き立ての餅(もち)のような和(なご)みを帯びた一堆(いっつい)の肉の美しい小山が見えた。
「この女は肉体上の女性の魅力(みりょく)を剰(あま)すところなく備えてしまった」
 ああ、と復一は幽(かすか)な嘆声(たんせい)をもらした。彼は真佐子よりずっと背が高かった。彼は真佐子を執拗(しつよう)に観察する自分が卑(いや)しまれ、そして何か及(およ)ばぬものに対する悲しみをまぎらすために首を脇へ向けて、横町の突当りに影(かげ)を凝(こら)す山王の森に視線を逃がした。
「復一さんは、どうしても金魚屋さんになるつもり」
 真佐子は隣(となり)に復一がいるつもりで、何気なく、相手のいない側を向いて訊(たず)ねた。ひと足遅れていた復一は急いでこの位置へ進み出て並んだ。
「もう少し気の利いたものになりたいんですが、事情が許しそうもないのです」
「張合のないことおっしゃるのね。あたしがあなたなら嬉(よろこ)んで金魚屋さんになりますわ」
 真佐子は漂渺(ひょうびょう)とした、それが彼女(かのじょ)の最も真面目(まじめ)なときの表情でもある顔付をして復一を見た。
「生意気なこと云うようだけれど、人間に一ばん自由に美しい生きものが造れるのは金魚じゃなくて」
 復一は不思議な感じがした。今までこの女に精神的のものとして感じられたものは、ただ大様(おうよう)で贅沢(ぜいたく)な家庭に育った品格的のものだけだと思っていたのに、この娘から人生の価値に関係して批評めく精神的の言葉を聞くのである。ほんの散歩の今の当座の思い付きであるのか、それとも、いくらか考えでもした末の言葉か。
「そりゃ、そうに違いありませんけれど、やっぱりたかが金魚ですからね」
 すると真佐子は漂渺とした顔付きの中で特に煙る瞳を黒く強調させて云った。
「あなたは金魚屋さんの息子(むすこ)さんの癖に、ほんとに金魚の値打ちをご承知ないのよ。金魚のために人間が生き死にした例がいくつもあるのよ」
 真佐子は父から聴いた話だといって話し出した。
 その話は、金魚屋に育った復一の方が、おぼろげに話す真佐子よりむしろ詳(くわ)しく知っていたのであるが、真佐子から云われてみて、かえって価値的に復一の認識に反覆(はんぷく)されるのであった。事実はざっとこうなのである。
 明治二十七八年の日清戦役後の前後から日本の金魚の観賞熱はとみに旺盛(おうせい)となった。専門家の側では、この機に乗じて金魚商の組合を設けたり、アメリカへ輸出を試みたりした。進歩的の金魚商は特に異種の交媒(こうばい)による珍奇(ちんき)な新魚を得て観賞需要の拡張を図ろうとした。都下砂村の有名な金魚飼育商の秋山が蘭鋳からその雄々(おお)しい頭の肉瘤(にくりゅう)を採り、琉金(りゅうきん)のような体容の円美と房々(ふさふさ)とした尾(お)を採って、頭尾二つとも完美な新種を得ようとする、ほとんど奇蹟(きせき)にも等しい努力を始めて陶冶(とうや)に陶冶を重ね、八ケ年の努力の後、ようやく目的のものを得られたという。あの名魚「秋錦(しゅうきん)」の誕生(たんじょう)は着手の渾沌(こんとん)とした初期の時代に属していた。
 素人(しろうと)の熱心な飼育家も多く輩出(はいしゅつ)した。育てた美魚を競って品評会や、美魚の番附(ばんづけ)を作ったりした。
 その設備の費用や、交際や、仲に立って狡計(こうけい)を弄(ろう)する金魚ブローカーなどもあって、金魚のため――わずか飼魚の金魚のために家産を破り、流難荒亡(こうぼう)するみじめな愛魚家が少からずあった。この愛魚家は当時において、ほとんど狂想(きょうそう)にも等しい、金魚の総(あら)ゆる種類の長所を選(よ)り蒐(あつ)めた理想の新魚を創成しようと、大掛りな設備で取りかかった。
 和金の清洒(せいしゃ)な顔付きと背肉の盛り上りを持ち胸と腹は琉金の豊饒(ほうじょう)の感じを保っている。
 鰭(ひれ)は神女の裳(も)のように胴(どう)を包んでたゆたい、体色は塗(ぬ)り立てのような鮮(あざや)かな五彩(ごさい)を粧(よそお)い、別(わ)けて必要なのは西班牙(スペイン)の舞妓(まいこ)のボエールのような斑黒点(はんこくてん)がコケティッシュな間隔(かんかく)で振り撒かれなければならなかった。
 超現実に美しく魅惑的(みわくてき)な金魚は、G氏が頭の中に描(えが)くところの夢(ゆめ)の魚ではなかった。交媒を重ねるにつれ、だんだん現実性を備えて来た。しかし、そのうちG氏の頭の方が早くも夢幻化(むげんか)して行った。彼は財力も尽(つ)きるといっしょに白痴(はくち)のようになって行衛(ゆくえ)知れずになった。「赫耶姫(かぐやひめ)!」G氏は創造する金魚につけるはずのこの名を呼びながら、乞食(こじき)のような服装(ふくそう)をして蒼惶(そうこう)として去った。半創成の畸形(きけい)な金魚と逸話(いつわ)だけが飼育家仲間に遺った。
「Gさんという人がもし気違いみたいにならないで、しっかりした頭でどこまでも科学的な研究でそういう理想の金魚をつくり出したのならまるで英雄(えいゆう)のように勇気のある偉(えら)い仕事をした方だと想(おも)うわ」
 そして絵だの彫刻(ちょうこく)だの建築だのと違って、とにかく、生きものという生命を材料にして、恍惚(こうこつ)とした美麗(びれい)な創造を水の中へ生み出そうとする事はいかに素晴(すばら)しい芸術的な神技であろう、と真佐子は口を極めて復一のこれから向おうとする進路について推賞するのであった。真佐子は、霊南坂(れいなんざか)まで来て、そこのアメリカンベーカリーへ入るまで、復一を勇気付けるように語り続けた。
 楼上(ろうじょう)で蛾(が)が一二匹シャンデリヤの澄(す)んだ灯のまわりを幽(かす)かな淋しい悩みのような羽音をたてて飛びまわった。その真下のテーブルで二人は静かに茶を飲みながら、復一は反対に訊いた。
「僕のこともですが。真佐子さんはどうなさるんですか。あなた自身のことについてどう考えているんです。あなたはもう学校も済んだし、そんなに美しくなって……」
 復一はさすがに云い淀(よど)んだ。すると真佐子は漂渺とした白い顔に少し羞(はじらい)をふくんで、両袖(りょうそで)を掻き合しながら云った。
「あたしですの。あたしは多少美しい娘かも知れないけれども、平凡(へいぼん)な女よ。いずれ二三年のうちに普通に結婚(けっこん)して、順当に母になって行くんでしょう」
「……結婚ってそんな無雑作なもんじゃないでしょう」
「でも世界中を調べるわけに行かないし、考え通りの結婚なんてやたらにそこらに在るもんじゃないでしょう。思うままにはならない。どうせ人間は不自由ですわね」
 それは一応絶望の人の言葉には聞えたが、その響(ひびき)には人生の平凡を寂しがる憾(うら)みもなければ、絶望から弾(は)ね上って将来の未知を既知(きち)の頁(ページ)に繰(く)って行こうとする好奇心(こうきしん)も情熱も持っていなかった。
「そんな人生に消極的な気持ちのあなたが僕のような煮(に)え切らない青年に、英雄的な勇気を煽(あお)り立てるなんてあなたにそんな資格はありませんね」
 復一は何にとも知れない怒(いか)りを覚えた。すると真佐子は無口の唇を半分噛んだ子供のときの癖を珍らしくしてから、
「あたしはそうだけれども、あなたに向うと、なんだかそんなことを勧めたくなるのよ。あたしのせいではなくて、多分、あなたがどこかに伏(ふ)せている気持ち――何だか不満のような気持ちがあたしにひびいて来るんじゃなくって、そしてあたしに云わせるんじゃなくて」
 しばらく沈黙(ちんもく)が続いた。復一は黙って真佐子に対(むか)っていると、真佐子の人生に無計算な美が絶え間なく空間へただ徒(いたず)らに燃え費されて行くように感じられた。愛惜(あいせき)の気持ちが復一の胸に沁(し)み渡ると、散りかかって来る花びらをせき留めるような余儀(よぎ)ない焦立(いらだ)ちと労(いたわ)りで真佐子をかたく抱(だ)きしめたい心がむらむらと湧き上るのだったが……。
 復一は吐息(といき)をした。そして
「静かな夜だな」
 というより仕方がなかった。

 復一が研究生として入った水産試験所は関西の大きな湖の岸にあった。Oという県庁所在地の市は夕飯後の適宜(てきぎ)な散歩距離(きょり)だった。
 試験所前の曲(まげ)ものや折箱(おりばこ)を拵(こしら)える手工業を稼業(かぎょう)とする家の離(はな)れの小座敷(ざしき)を借りて寝起きをして、昼は試験所に通い、夕飯後は市中へ行って、ビールを飲んだり、映画を見たりする単純な技術家気質の学生生活が始まった。研究生は上級生まで集めて十人ほどでかなり親密だった。淡水魚(たんすいぎょ)の、養殖(ようしょく)とか漁獲(ぎょかく)とか製品保存とかいう、専門中でも狭(せま)い専門に係る研究なので、来ている研究生たちは、大概(たいがい)就職の極(きま)っている水産物関係の官衙(かんが)や会社やまたは協会とかの委託生(いたくせい)で、いわば人生も生活も技術家としてコースが定められた人たちなので、朴々(ぼくぼく)としていずれも胆汁質(たんじゅうしつ)の青年に見えた。地方の人が多かった。それに較(くら)べられるためか、復一は際だった駿敏(しゅんびん)で、目端(めはし)の利く青年に見えた。専修科目が家畜魚類の金魚なのと、そういう都会人的の感覚のよさを間違って取って、同学生たちは復一を芸術家だとか、詩人だとか、天才だとか云って別格にあしらった。復一自身に取っては自分に一ばん欠乏もし、また軽蔑(けいべつ)もしている、そういうタイトルを得たことに、妙なちぐはぐな気持がした。
 担任の主任教授は、復一を調法にして世間的関係の交渉(こうしょう)には多く彼を差向けた。彼は幾つかのこの湖畔(こはん)の水産に関係ある家に試験所の用事で出入りをしているうち、その家々で二三人の年頃の娘とも知合いになった。都会の空気に憧憬(あこが)れる彼女等はスマートな都会青年の代表のように復一に魅着の眼を向けた。それは極めて実感的な刺戟を彼に与えた。同じような意味で彼は市中の酒場の女たちからも普通の客以上の待遇(たいぐう)を受けた。
 しかし、東京を離れて来て、復一が一ばん心で見直したというより、より以上の絆(きずな)を感じて驚いたのは、真佐子であった。
 真佐子の無性格――彼女はただ美しい胡蝶(こちょう)のように咲いて行く取り止めもない女、充(み)ち溢れる魅力はある、しかし、それは単に生理的のものでしかあり得ない。いうことは多少気の利いたこともいうが、機械人間が物言うように発声の構造が云っているのだ。でなければ何とも知れない底気味悪い遠方のものが云っているのだ。そうとしか取れない。多少のいやらしさ、腥(なまぐさ)さもあるべきはずの女としての魂、それが詰め込まれている女の一人として彼女は全面的に現れて来ない。情痴(じょうち)を生れながらに取り落して来た女なのだ。真佐子をそうとばかり思っていたせいか復一は東京を離れるとき、かえってさばさばした気がした。マネキン人形さんにはお訣れするのだ。非人間的な、あの美魔(びま)にはもうおさらばだ。さらば!
 と思ったのは、移転や新入学の物珍らしさに紛(まぎ)れていた一二ケ月ほどだけだった。湖畔の学生生活が空気のように身について来ると、習慣的な朝夕の起(お)き臥(ふ)しの間に、しんしんとして、寂しいもの、惜(お)しまれるもの、痛むものが心臓を掴(つか)み絞るのであった。雌花(めばな)だけでついに雄蕋(おしべ)にめぐり合うことなく滅(ほろ)びて行く植物の種類の最後の一花、そんなふうにも真佐子が感ぜられるし、何か大きな力に操られながら、その傀儡(かいらい)であることを知らないで無心で動いている童女のようにも真佐子が感ぜられるし、真佐子を考えるとき、哀(あわ)れさそのものになって、男性としての彼は、じっとしていられない気がした。そして、いかなる術も彼女の中身に現実の人間を詰めかえる術は見出しにくいと思うほど、復一の人生一般(いっぱん)に対する考えも絶望的なものになって来て、その青寒い虚無感(きょむかん)は彼の熱苦るしい青年の野心の性体を寂しく快く染めて行き、静かな吐息を肺量の底を傾(かたむ)けて吐き出さすのだった。だが、復一はこの神秘性を帯びた恋愛にだんだんプライドを持って来た。
 それに関係があるのかないのか判(わか)らないが、復一の金魚に対する考えが全然変って行き、ねろりとして、人も無げに、無限をぱくぱく食べて、ふんわり見えて、どこへでも生の重点を都合よくすいすい置き換え、真の意味の逞ましさを知らん顔をして働かして行く、非現実的でありながら「生命」そのものである姿をつくづく金魚に見るようになった。復一は「はてな」と思った。彼は子供のときから青年期まで金魚屋に育って、金魚は朝、昼、晩、見飽(みあ)きるほど見たのだが、蛍(ほたる)の屑(くず)ほどにも思わなかった。小さいかっぱ虫に鈍(にぶ)くも腹に穴を開けられて、青みどろの水の中を勝手に引っぱられて行く、脆(もろ)いだらしのない赤い小布の散らばったものを金魚だと思っていた。七つ八つの小池に、ほとんどうっちゃり飼いにされながら、毎年、池の面が散り紅葉で盛り上るように殖(ふ)えて、種の系続を努めながら、剰った魚でたいして生活力がありそうもない復一親子三人をともかく養って来た駄金魚を、何か実用的な木(こ)っ葉(ぱ)か何かのように思っていた。
 もっとも復一の養父は中年ものだけに、あまり上等の金魚は飼育出来なかった。せいぜい五六年の緋鮒(ひぶな)ぐらいが高価品で、全くの駄金魚屋だった。この試験所へ来て復一は見本に飼われてある美術品の金魚の種類を大体知った。蘭鋳、和蘭(オランダ)獅子頭(ししがしら)はもちろんとして、出目(でめ)蘭鋳、頂点眼(ちょうてんがん)、秋錦、朱文錦(しゅぶんきん)、全蘭子、キャリコ、東錦、――それに十八世紀、ワシントン水産局の池で発生してむこうの学者が苦心の結果、型を固定させたという由緒(ゆいしょ)付の米国生れの金魚、コメット・ゴールドフィッシュさえ備えられてあった。この魚は金魚よりむしろ闘魚(とうぎょ)に似て活溌(かっぱつ)だった。これ等(ら)の豊富な標本魚は、みな復一の保管の下に置かれ、毎日昼前に復一がやる餌を待った。
 水を更(か)えてやると気持よさそうに、日を透けて着色する長い虹(にじ)のような脱糞(だっぷん)をした。
 研究が進んで来ると復一は、試験所の研究室と曲もの細工屋の離(はなれ)の住家とを黙々として往復する以外は、だんだん引籠(ひきこも)り勝ちになった。復一が引籠り勝ちになると湖畔の娘からはかえって誘(さそ)い出しが激しくなった。
 娘は半里ほど湖上を渡って行く、城のある出崎の蔭に浮網(うきあみ)がしじゅう干してある白壁(しらかべ)の蔵を据えた魚漁家の娘だった。
 この大きな魚漁家の娘の秀江は、疳高(かんだか)でトリックの煩(わずら)わしい一面と、関西式の真綿(まわた)のようにねばる女性の強みを持っていた。
 試験所から依頼(いらい)されているのだが、湖から珍らしい魚が漁(と)れても、受取りの係である復一は秀江の家へ近頃はちっとも来ないのである。そして代りの学生が来る。秀江はどうせ復一を、末(すえ)始終(しじゅう)まで素直(すなお)な愛人とは思っていなかった。いよいよ男の我壗(わがまま)が始まったか、それとも、何か他の事情かと判断を繰り返しながら、いろいろ探りを入れるのであった。幹事である兄に勧めて青年漁業講習会の講師に復一を指名して出崎の村へ二三日ばかり呼び寄せようとしてみたり、兄の子を唆(そその)かして、あどけない葉書を復一に送らせ、その返事振りから間接に復一の心境を探ろうとしたりした。彼女自身手紙を出したり、電話をかけても、復一から実のある返事が得られそうな期待は薄(うす)くなった。彼女は兄夫婦の家の家政婦の役を引受けて、相当に切廻(きりまわ)していた。彼女と復一との噂(うわさ)は湖畔に事実以上に拡(ひろが)っているので、試験所の界隈へは寄りつけなかった。

「東京を出てからもう二年目の秋だな」
 復一は、鏡のように凪(な)いだ夕暮前の湖面を見渡しながら、モーターボートの纜(ともづな)を解いた。対岸の平沙(へいさ)の上にM山が突兀(とつこつ)として富士型に聳(そび)え、見詰めても、もう眼が痛くならない光の落ちついた夕陽が、銅の襖(ふすま)の引手のようにくっきりと重々しくかかっている。エンジンを入れてボートを湖面に滑(すべ)り出さすと、鶺鴒(せきれい)の尾のように船あとを長くひき、ピストンの鼓動(こどう)は気のひけるほど山水の平静を破った。
 復一の船が海水浴場のある対岸の平沙の鼻に近づくと湖は三叉(さんさ)の方向に展開しているのが眺め渡された。左手は一番広くて袋(ふくろ)なりに水は奥へ行くほど薄れた懐(ふところ)を拡げ、微紅(びこう)の夕靄(ゆうもや)は一層水面の面積を広く見せた。右手は、蘆(あし)の洲(す)の上に漁家の見える台地で、湖の他方の岐入と、湖水の唯一(ゆいいつ)の吐け口のS川の根元とを分っている。S川には汽車の鉄橋と、人馬の渡る木造の橋とが重なり合って眺められ、汽車が煙を吐きながら鉄橋を通ると、すべての景色が玩具(がんぐ)染(じ)みて見えた。
 復一は、平沙の鼻の渚(なぎさ)近くにボートを進ませたが、そこは夕方にしては珍らしく風当りが激しくて海のように菱波(ひしなみ)が立ち、はすの魚がしきりに飛んだ。風を除(よ)けて、湖の岐入の方へ流れ入ると、出崎の城の天主閣(てんしゅかく)が松林(まつばやし)の蔭から覗き出した。秀江の村の網手の影が眼界に浮(うか)び上って来たのである。結局、いつもの通り、湖の岐入とS川との境の台地下へボートを引戻(ひきもど)し、蘆洲の外の馴染(なじみ)の場所に舶(と)めて、復一は湖の夕暮に孤独(こどく)を楽しもうとした。
 復一はボートの中へ仰向(あおむ)けに臥(ね)そべった。空の肌質(きじ)はいつの間にか夕日の余燼(ほとぼり)を冷(さ)まして磨(みが)いた銅鉄色に冴(さ)えかかっていた。表面に削(けず)り出しのような軽く捲(ま)く紅いろの薄雲が一面に散っていて、空の肌質がすっかり刀色に冴えかえる時分を合図のようにして、それ等の雲はかえって雲母(うんも)色に冴えかえって来た。復一はふと首を擡(もた)げてみると、まん丸の月がO市の上に出ていた。それに対してO市の町の灯の列はどす赤く、その腰を屏風(びょうぶ)のように背後の南へ拡がるじぐざぐの屏嶺(へいれい)は墨色(すみいろ)へ幼稚(ようち)な皺(しわ)を険立たしている。
 対岸の渚の浪(なみ)の音が静まって、ぴちょりぴょんという、水中から水の盛り上る音が復一の耳になつかしく聞えた。湖水のここは、淵(ふち)の水底からどういう加減か清水(しみず)が湧き出し、水が水を水面へ擡げる渦(うず)が休みなく捲き上り八方へ散っている。湖水中での良質の水が汲(く)まれるというのでここを「もくもく」と云い、京洛(けいらく)の茶人はわざわざ自動車で水を汲ませに寄越す。情死するため投身した男女があったが、どうしても浮き上って死ねなかったという。いろいろな特色から有名な場所になっている。
 この周囲の泥沙(でいさ)は柳(やなぎ)の多いところで、復一は金魚に卵を産みつけさせる柳のひげ根を摂(と)りに来てここを発見した。
「生命感は金魚に、恋のあわれは真佐子に、肉体の馴染みは秀江に。よくもまあ、おれの存在は器用に分裂(ぶんれつ)したものだ」
 もくもくの水の湧き上る渦の音を聞いて復一の孤独が一層批判の焦点(しょうてん)を絞り縮めて来た。
 復一は半醒(はんせい)半睡(はんすい)の朦朧(もうろう)状態で、仰向けに寝ていた。朦朧とした写真の乾板(かんぱん)色の意識の板面に、真佐子の白い顔が大きく煙る眼だけをつけてぽっかり現れたり、金魚の鰭(ひれ)だけが嬌艶(きょうえん)な黒斑を振り乱して宙に舞ったり、秀江の肉体の一部が嗜味(しみ)をそそる食品のように、なまなましく見えたりした。これ等は互(たが)い違いに執拗(しつこ)く明滅(めいめつ)を繰り返すが、その間にいくつもの意味にならない物の形や、不必要に突き詰(つ)めて行くあだな考えや、ときどきぱっと眼を空に開かせるほど、光るものを心にさしつける恐迫(きょうはく)観念などが忙(いそが)しく去来して、復一の頭をほどよく疲(つか)らして行った。
 いつか復一の身体は左へ横向きにずった。そして傾いたボートの船縁(ふなべり)からすれすれに、蒼冥(そうめい)と暮(く)れた宵色の湖面が覗かれた。宵色の中に当って平沙の渚に、夜になるほど再び捲き起るらしい白浪が、遠近の距離感を外れて、ざーっざーっと鳴る音と共に、復一の醒(さ)めてまた睡(ねむ)りに入る意識の手前になり先になりして、明暗の界のも一つの仲間の世界に復一を置く。すると、復一の朦朧とした乾板色の意識が向うの宵色なのか、向うの宵色の景色が復一の意識なのか不明瞭(ふめいりょう)となり、不明瞭のままに、澱(よど)み定まって、そこには何でも自由に望みのものが生れそうな力を孕(はら)んだ楽しい気分が充ちて来た。
 復一の何ものにも捉(とら)われない心は、夢うつつに考え始めた――希臘(ギリシア)の神話に出て来る半神半人の生(いき)ものなぞというものは、あれは思想だけではない、本当に在るものだ。現在でもこの世に生きているとも云える。現実に住み飽きてしまったり、現実の粗暴(そぼう)野卑(やひ)に愛憎(あいぞう)をつかしたり、あまりに精神の肌質(きめ)のこまかいため、現実から追い捲くられたりした生きものであって、死ぬには、まだ生命力があり過ぎる。さればといって、神や天上の人になるには稚気があって生活に未練を持つ。そういう生きものが、この世界のところどころに悠々と遊んでいるのではあるまいか。真佐子といい撩乱な金魚といい生命の故郷はそういう世界に在って、そして、顔だけ現実の世界に出しているのではないかしらん。そうでなければ、あんな現実でも理想でもない、中間的の美しい顔をして悠々と世の中に生きていられるはずはない。そういえば真佐子にしろ金魚にしろ、あのぽっかり眼を開いて、いつも朝の寝起きのような無防禦(むぼうぎょ)の顔つきには、どこか現実を下目に見くだして、超人的(ちょうじんてき)に批判している諷刺的(ふうしてき)な平明がマスクしているのではないか……。復一はまたしても真佐子に遇(あ)いたくて堪(たま)らなくなった。
 浪の音がやや高くなって、中天に冴えて来た月光を含む水煙がほの白く立ち籠(こ)めかかった湖面に一艘(そう)の船の影が宙釣(ちゅうづ)りのように浮び出して来た。艫(ろ)の音が聞えるから夢ではない。近寄って艫を漕(こ)ぐ女の姿が見えて来た。いよいよ近く漕ぎ寄って来た。片手を挙げて髪(かみ)のほつれを掻き上げる仕草が見える。途端(とたん)に振り上げた顔を月光で検(あらた)める。秀江だ。復一は見るべからざるものを見まいとするように、急いで眼を瞑(つぶ)った。
 女の船の舳(へさき)は復一のボートの腹を擦(す)った。
「あら、寝てらっしゃるの」
「………」
「寝てんの?」
 漕ぎ寄せた女は、しばらく息を詰めて復一のその寝顔を見守っていた。
「うちの船が二三艘帰って来て、あなたが一人でもくもくへ月見にモーターで入らしってるというのよ。だから押しかけて来たわ」
「それはいい。僕は君にとても会いたかった」
 女は突然(とつぜん)愛想よく云われたのでそれをかえって皮肉にとった。
「なにを寝言いってらっしゃるの。そんないやがらせ云ったって、素直に私帰りませんけれど、もし寝言のふりしてあたしを胡麻化(ごまか)すつもりなら、はっきりお断りしときますが、どうせあたしはね。東京の磨いたお嬢さんとは全然較(くら)べものにはならない田舎(いなか)の漁師の娘の……」
「馬鹿(ばか)、黙(だま)りたまえ!」
 復一は身じろぎもせず、元の仰向けの姿勢のままで叫んだ。その声が水にひびいて厳しく聞えたので女はぴくりとした。
「僕は君のように皮肉の巧(うま)い女は嫌(きら)いだ。そんなこと喋(しゃべ)りに来たのなら帰りたまえ」
 恥辱と嫉妬(しっと)で身を慄(ふる)わす女の様子が瞑目(めいもく)している復一にも感じられた。
 噎(むせ)ぶのを堪(こら)え、涙を飲み落す秀江のけはい――案外、早くそれが納(おさま)って、船端で水を掬(すく)う音がした。復一はわざと瞳の焦点を外しながらちょっと女の様子を覗きすぐにまた眼を閉じた。月の光をたよりに女は、静かに泣顔をハンドミラーで繕(つくろ)っていた。熱いものが飛竜(ひりゅう)のように復一の胸を斜に飛び過ぎたが心に真佐子を念(おも)うと、再び美しい朦朧の意識が紅靄(べにもや)のように彼を包んだ。秀江は思い返したように船べりへ手を置いて、今までのとげとげしい調子をねばるような笑いに代えて柔く云った。
「ボートへ入ってもいいの」
「……うん……」
 復一に突然こんな感情が湧いた――誰も不如意で悲しいのだ。持ってるようでも何かしら欠けている。欲しいもの全部は誰も持ち得ないのだ。そして誰でも寂しいのだ――復一は誰に対しても自分に対しても憐(あわれ)みに堪(た)えないような気持ちになった。
  名月や湖水を渡る七小町
 これは芭蕉(ばしょう)の句であったろうか――はっきり判らないがこんなことを云いながら、復一の腕は伸びて、秀江の肩にかかった。秀江は軟体(なんたい)動物のように、復一の好むどんな無理な姿態にも堪えて引寄せられて行った。

 復一はそれとない音信を時々真佐子に出してみるのであった。湖水の景色の絵葉書に、この綺麗(きれい)な水で襯衣(シャツ)を洗うとか、島の絵葉書にこの有名な島へ行く渡船に渡し賃が二銭足りなくて宿から借りたとか。
 すると三度か四度目に一度ぐらいの割で、真佐子から返信があった。それはいよいよ窈渺(ようびょう)たるものであった。
「この頃はお友達の詩人の藤村(ふじむら)女史に来て貰って、バロック時代の服飾(ふくしょく)の研究を始めた」とか「日本のバロック時代の天才彫刻家左甚五郎(じんごろう)作の眠(ねむ)り猫(ねこ)を見に日光へ藤村女史と行きました。とても、可愛(かわい)らしい」とか。
 いよいよ彼女(かのじょ)は現実を遊離する徴候(ちょうこう)を歴然と示して来た。
 復一はそのバロック時代なるものを知らないので、試験所の図書室で百科辞典を調べて見た。それは欧洲(おうしゅう)文芸復興期の人性主義(ヒューマニズム)が自然性からだんだん剥離(はくり)して人間業(わざ)だけが昇華(しょうか)を遂(と)げ、哀れな人工だけの絢爛(けんらん)が造花のように咲き乱れた十七世紀の時代様式らしい。そしてふと考え合せてみると、復一がぽつぽつ調べかけている金魚史の上では、初めて日本へ金魚が輸入され愛玩され始めた元和(げんな)あたりがちょうどそれに当っている。すると金魚というものはバロック時代的産物で、とにも角にも、彼女と金魚とは切っても切れない縁があるのか。
 彼女を非時代的な偶像(ぐうぞう)型の女と今更憐みや軽蔑を感じながら、復一はまた急に焦(あせ)り出し、彼女の超越を突き崩(くず)して、彼女を現実に誘い出し、彼女の肉情と自分の肉情と、血で結び付きたい願いが、むらむらと燃え上る。それは幾度となく企(くわだ)ててその度にうやむやに終らされている願いなのか知れないけれども、燃え上る度に復一を新鮮な情熱に充たさせ、思い止まらすべくもないのだった。
「生理的から云っても、生活的からいっても異性の肉体というものは嘉称(かしょう)すべきものですね。いま、僕に湖畔の一人の女性が、うやうやしくそれを捧(ささ)げていいます」
 復一は自分ながら嫌味(いやみ)な書きぶりだと思ったが仕方がなかった。そして事実はわずかの間で打ち切った秀江との交渉が、今はほとんど絶え絶えになっているのを誇張(こちょう)して手紙を書きながら、復一はいよいよ真剣に彼女との戦闘を開始したように感じられて、ひとりで興奮した。真佐子に少しでもある女の要素が、何と返事を書いて来るにしろ、その中に仄(ほの)めかないことはあるまい。これが真佐子の父親に知れ、よしんば学費が途絶えるにしても真佐子を試すことは今は金魚の研究より復一には焦慮(しょうりょ)すべき問題であった。
「その女性は、あなたほど美しくはないけれども、……」と書いて、「あなたほど非人情ではありません」とは書きかね、復一は苦笑した。
 だんだん刺戟を強くして行って復一はしきりに秀江との関係を手紙の度に情緒(じょうちょ)濃(こ)く匂わして行ったが、真佐子からの返事には復一の求めている女性の肉体らしいものは仄めかないで、真佐子が父と共にだんだん金魚に興味を持ち出したこと、父のは産業的功利も混るが、自分のは不思議なほど無我の嗜好や愛感からであることなど、金魚のことばかり書いてある。金魚の研究を怠(おこた)らなければ復一が何をしようとどんな女性と交渉があろうと構わない書きぶりだった。復一がだんだん真佐子に対する感情をはぐらかされてほとほと性根もつきようとするころ真佐子から来た手紙はこうだった。
「あなたはいろいろ打ち明けて下さるのに私だまってて済みませんでした。私もう直(じ)きあかんぼを生みます。それから結婚します。すこし、前後の順序は狂(くる)ったようだけれど。どっちしたって、そうパッショネートなものじゃありません」
 復一はむしろ呆然(ぼうぜん)としてしまった。結局、生れながらに自分等のコースより上空を軽々と行く女だ。
「相手はご存じの三人の青年のうちの誰でもありません。もうすこしアッサリしていて、不親切や害をする質の男ではなさそうです。私にはそれでたくさんです」
 復一は、またしても、自分のこせこせしたトリックの多い才子(さいし)肌(はだ)が、無駄(むだ)なものに顧(かえり)みられた。この太い線一本で生きて行かれる女が現代にもあると思うとかえって彼女にモダニティーさえ感じた。
「何という事はないけれど、あなたもその方と結婚した方がよくはなくって。自分が結婚するとなると、人にも勧めたくなるものよ。けれども金魚は一生懸命(いっしょうけんめい)やってよ。素晴らしい、見ていると何もかも忘れてうっとりするような新種を作ってよ。わたしなぜだかわたしの生むあかんぼよりあなたの研究から生れる新種の金魚を見るのが楽しみなくらいよ。わたし、父にすすめていよいよ金魚に力を入れるよう決心さしたわ」
 これと前後して鼎造の手紙が復一に届いた。それには、正直に恐慌(きょうこう)以来の自家の財政の遣(や)り繰りを述べ、しかし、断然たる切り捨てによって小ぢんまりした陣形(じんけい)を立直すことが出来、従って今後は輸出産業の見込み百パーセントの金魚の飼育と販売に全資力を尽(つく)す方針を冷静に書いてあった。だから君は今後は単なる道楽の給費生ではなくて、商会の技師格として、事業の目的に隷属(れいぞく)して働いてもらいたい、給料として送金は増すことにする――
 復一は生活の見込が安定したというよりも、崖邸の奴等め、親子がかりで、おれを食いにかかったなと、むやみに反抗的の気持ちになった。
 復一は真佐子へも真佐子の父へも手紙の返事を出さず、金魚の研究も一時すっかり放擲(ほうてき)して、京洛を茫然(ぼうぜん)と遊び廻(まわ)った。だが一ケ月ほどして帰って来た時にはすでに復一の心にある覚悟(かくご)が決っていた。それはまだこの世の中にかつて存在しなかったような珍らしく美麗な金魚の新種をつくり出すこと、それを生涯の事業としてかかる自分を人知れぬ悲壮(ひそう)な幸福を持つ男とし、神秘な運命に掴まれた無名の英雄のように思い、命を賭(か)けてもやり切ろうという覚悟だった。それが結局崖邸の親子に利用されることになるのか――さもあらばあれ、それが到底自分にとって思い切れ無い真佐子の喜びともなれば、その喜びが真佐子と自分を共通に繋(つな)ぐ……。それにしてもあの非現実的な美女が非現実的な美魚に牽(ひ)かれる不思議さ、あわれさ。復一は試験室の窓から飴(あめ)のようにとろりとしている春の湖を眺めながら、子供のとき真佐子に喰わされた桜の花びらが上顎の奥にまだ貼り付いているような記憶を舌で舐(な)め返した。
「真佐子、真佐子」と名を呼ぶと、復一は自分ながらおかしいほどセンチメンタルな涙がこぼれた。
 復一の神経衰弱(すいじゃく)が嵩(こう)じて、すこし、おかしくなって来たという噂が高まった。事実、しんしんと更(ふ)けた深夜の研究室にただ一人残って標品(プレパラート)を作っている復一の姿は物凄(ものすご)かった。辺りが森閑(しんかん)と暗い研究室の中で復一は自分のテーブルの上にだけ電燈を点(つ)けて次から次へと金魚を縦に割き、輪切にし、切り刻んで取り出した臓器を一面に撒乱(さんらん)させ、じっと拡大鏡で覗いたり、ピンセットでいじり廻したりして深夜に至るも、夜を忘れた一心不乱の態度が、何か夜の猛禽獣(もうきんじゅう)が餌を予想外にたくさん見付け、喰べるのも忘れて、しばらく弄(もてあそ)ぶ恰好(かっこう)に似ていた。切られた金魚の首は電燈の光に明るく透けてルビーのように光る目を見開き、口を思い出したように時々開閉していた。
 都会育ちで、刺戟に応じて智能(ちのう)が多方面に働き易く習性付けられた青年の復一が、専門の中でも専門の、しかも、根気と単調に堪えねばならない金魚の遺伝と生殖(せいしょく)に関してだけを研究することは自分の才能を、小さい焦点へ絞り狭(せば)めるだけでも人一倍骨が折れた。頬(ほお)も眼も窪ませた復一は、力も尽き果てたと思うとき、くったりして窓際へ行き、そこに並べてある硝子鉢(ガラスばち)の一つの覆(おお)いに手をかける。指先は冷血していて氷のようなのに、溜(たま)った興奮がびりびり指を縺(もつら)して慄えている。やっと覆いを取ると、眼を開いたまま寝ていた小石の上の金魚中での名品キャリコは電燈の光に、眼を開いたまま眼を醒(さま)して、一ところに固(かたま)っていた二ひきが悠揚(ゆうよう)と連れになったり、離れたりして遊弋(ゆうよく)し出す。身長身幅より三四倍もある尾鰭(おびれ)は黒いまだらの星のある薄絹(うすぎぬ)の領布(ひれ)や裳(も)を振り撒き拡げて、しばらくは身体も頭も見えない。やがてその中から小肥(こぶと)りの仏蘭西(フランス)美人のような、天平(てんぴょう)の娘子のようにおっとりして雄大な、丸い銅と蛾眉(がび)を描いてやりたい眼と口とがぽっかりと現れて来る。
 二三年前、O市に水産共進会があって、その際、金牌(きんぱい)を獲(か)ち得たこの金魚の名品が試験所に寄附(きふ)されて、大事に育てられているのだ。すでに七八歳(さい)になっているので、ちょっと中年を過ぎた落付きを持っているので、その魅力は垢脱(あかぬ)けがしていた。
 しばらく眺め入った後、復一は硝子鉢に元のように覆いをして、それから自分のもとの席に戻るとき、いまキャリコのしたと同じ身体の捻(ひね)り方を、しきりに繰返す。
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