猫町
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:萩原朔太郎 

 私が始めて気付いたことは、こうした町全体のアトモスフィアが、非常に繊細な注意によって、人為的に構成されていることだった。単に建物ばかりでなく、町の気分を構成するところの全神経が、或る重要な美学的意匠にのみ集中されていた。空気のいささかな動揺にも、対比、均斉(きんせい)、調和、平衡等の美的法則を破らないよう、注意が隅々(すみずみ)まで行き渡っていた。しかもその美的法則の構成には、非常に複雑な微分数的計算を要するので、あらゆる町の神経が、非常に緊張して戦(おのの)いていた。例(たと)えばちょっとした調子はずれの高い言葉も、調和を破るために禁じられる。道を歩く時にも、手を一つ動かす時にも、物を飲食する時にも、考えごとをする時にも、着物の柄を選ぶ時にも、常に町の空気と調和し、周囲との対比や均斉を失わないよう、デリケートな注意をせねばならない。町全体が一つの薄い玻璃(はり)で構成されてる、危険な毀(こわ)れやすい建物みたいであった、ちょっとしたバランスを失っても、家全体が崩壊して、硝子が粉々に砕けてしまう。それの安定を保つためには、微妙な数理によって組み建てられた、支柱の一つ一つが必要であり、それの対比と均斉とで、辛(かろ)うじて支(ささ)えているのであった。しかも恐ろしいことには、それがこの町の構造されてる、真の現実的な事実であった。一つの不注意な失策も、彼らの崩壊と死滅を意味する。町全体の神経は、そのことの危懼(きぐ)と恐怖で張りきっていた。美学的に見えた町の意匠は、単なる趣味のための意匠でなく、もっと恐ろしい切実の問題を隠していたのだ。
 始めてこのことに気が付いてから、私は急に不安になり、周囲の充電した空気の中で、神経の張りきっている苦痛を感じた。町の特殊な美しさも、静かな夢のような閑寂さも、かえってひっそりと気味が悪く、何かの恐ろしい秘密の中で、暗号を交(かわ)しているように感じられた。何事かわからない、或る漠然(ばくぜん)とした一つの予感が、青ざめた恐怖の色で、忙がしく私の心の中を馳(か)け廻った。すべての感覚が解放され、物の微細な色、匂(にお)い、音、味、意味までが、すっかり確実に知覚された。あたりの空気には、死屍(しし)のような臭気が充満して、気圧が刻々に嵩(たか)まって行った。此所(ここ)に現象しているものは、確かに何かの凶兆である。確かに今、何事かの非常が起る! 起きるにちがいない!
 町には何の変化もなかった。往来は相変らず雑鬧して、静かに音もなく、典雅な人々が歩いていた。どこかで遠く、胡弓(こきゅう)をこするような低い音が、悲しく連続して聴えていた。それは大地震の来る一瞬前に、平常と少しも変らない町の様子を、どこかで一人が、不思議に怪しみながら見ているような、おそろしい不安を内容した予感であった。今、ちょっとしたはずみで一人が倒れる。そして構成された調和が破れ、町全体が混乱の中に陥入(おちい)ってしまう。
 私は悪夢の中で夢を意識し、目ざめようとして努力しながら、必死に□(もが)いている人のように、おそろしい予感の中で焦燥した。空は透明に青く澄んで、充電した空気の密度は、いよいよ刻々に嵩まって来た。建物は不安に歪(ゆが)んで、病気のように瘠(や)せ細って来た。所々に塔のような物が見え出して来た。屋根も異様に細長く、瘠せた鶏の脚(あし)みたいに、へんに骨ばって畸形(きけい)に見えた。
「今だ!」
 と恐怖に胸を動悸(どうき)しながら、思わず私が叫んだ時、或る小さな、黒い、鼠(ねずみ)のような動物が、街の真中を走って行った。私の眼には、それが実によくはっきりと映像された。何かしら、そこには或る異常な、唐突な、全体の調和を破るような印象が感じられた。
 瞬間。万象が急に静止し、底の知れない沈黙が横たわった。何事かわからなかった。だが次の瞬間には、何人(なんぴと)にも想像されない、世にも奇怪な、恐ろしい異変事が現象した。見れば町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いているのだ。猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、髭(ひげ)の生(は)えた猫の顔が、額縁の中の絵のようにして、大きく浮き出して現れていた。
 戦慄(せんりつ)から、私は殆(ほと)んど息が止まり、正に昏倒(こんとう)するところであった。これは人間の住む世界でなくて、猫ばかり住んでる町ではないのか。一体どうしたと言うのだろう。こんな現象が信じられるものか。たしかに今、私の頭脳はどうかしている。自分は幻影を見ているのだ。さもなければ狂気したのだ。私自身の宇宙が、意識のバランスを失って崩壊したのだ。
 私は自分が怖(こわ)くなった。或る恐ろしい最後の破滅が、すぐ近い所まで、自分に迫って来るのを強く感じた。戦慄が闇を走った。だが次の瞬間、私は意識を回復した。静かに心を落付(おちつけ)ながら、私は今一度目をひらいて、事実の真相を眺め返した。その時もはや、あの不可解な猫の姿は、私の視覚から消えてしまった。町には何の異常もなく、窓はがらんとして口を開(あ)けていた。往来には何事もなく、退屈の道路が白っちゃけてた。猫のようなものの姿は、どこにも影さえ見えなかった。そしてすっかり情態が一変していた。町には平凡な商家が並び、どこの田舎にも見かけるような、疲れた埃っぽい人たちが、白昼の乾(かわ)いた街を歩いていた。あの蠱惑的(こわくてき)な不思議な町はどこかまるで消えてしまって、骨牌(カルタ)の裏を返したように、すっかり別の世界が現れていた。此所に現実している物は、普通の平凡な田舎町。しかも私のよく知っている、いつものU町の姿ではないか。そこにはいつもの理髪店が、客の来ない椅子(いす)を並べて、白昼の往来を眺めているし、さびれた町の左側には、売れない時計屋が欠伸(あくび)をして、いつものように戸を閉(し)めている。すべては私が知ってる通りの、いつもの通りに変化のない、田舎の単調な町である。
 意識が此所まではっきりした時、私は一切のことを了解した。愚かにも私は、また例の知覚の疾病「三半規管の喪失」にかかったのである。山で道を迷った時から、私はもはや方位の観念を失喪していた。私は反対の方へ降りたつもりで、逆にまたU町へ戻って来たのだ。しかもいつも下車する停車場とは、全くちがった方角から、町の中心へ迷い込んだ。そこで私はすべての印象を反対に、磁石のあべこべの地位で眺め、上下四方前後左右の逆転した、第四次元の別の宇宙(景色の裏側)を見たのであった。つまり通俗の常識で解説すれば、私はいわゆる「狐に化かされた」のであった。

     3

 私の物語は此所で終る。だが私の不思議な疑問は、此所から新しく始まって来る。支那の哲人荘子(そうし)は、かつて夢に胡蝶(こちょう)となり、醒めて自ら怪しみ言った。夢の胡蝶が自分であるか、今の自分が自分であるかと。この一つの古い謎は、千古にわたってだれも解けない。錯覚された宇宙は、狐に化かされた人が見るのか。理智の常識する目が見るのか。そもそも形而上(けいじじょう)の実在世界は、景色の裏側にあるのか表にあるのか。だれもまた、おそらくこの謎を解答できない。だがしかし、今もなお私の記憶に残っているものは、あの不可思議な人外の町。窓にも、軒にも、往来にも、猫の姿がありありと映像していた、あの奇怪な猫町の光景である。私の生きた知覚は、既に十数年を経た今日でさえも、なおその恐ろしい印象を再現して、まざまざとすぐ眼の前に、はっきり見ることができるのである。
 人は私の物語を冷笑して、詩人の病的な錯覚であり、愚にもつかない妄想(もうそう)の幻影だと言う。だが私は、たしかに猫ばかりの住んでる町、猫が人間の姿をして、街路に群集している町を見たのである。理窟(りくつ)や議論はどうにもあれ、宇宙の或る何所かで、私がそれを「見た」ということほど、私にとって絶対不惑の事実はない。あらゆる多くの人々の、あらゆる嘲笑(ちょうしょう)の前に立って、私は今もなお固く心に信じている。あの裏日本の伝説が口碑(こうひ)している特殊な部落。猫の精霊ばかりの住んでる町が、確かに宇宙の或る何所かに、必らず実在しているにちがいないということを。




ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:22 KB

担当:undef