散文詩・詩的散文
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著者名:萩原朔太郎 

しかも悦びで有頂天になつてゐる騎士たちは、だれ一人としてその事實に氣のついた者はなかつた。
 島が、目的物が、彼等のすぐ近くに見えはじめてから、少なくとも彼等は數時間以上も船を漕いで居た。しかも彼等が最初に島を發見したのは、ものの半時間とはかからない近距離に於てであつた。
 實際、島は最初から彼等の頭のまん上に見えて居た。そして船は矢のやうな速さで突き進んだ。
「もう一息、もう一分間。」さつきから彼等は、何度心の中でさう繰返したか分らない。
 あまつさへ、船は次第に速力を増してきた。始は數學的の加速度で、併しいつのまにか魔術めいた運動律となつて、遂には眩惑するやうな勢でまつしぐらに島の方へ飛び込んだ。それは丁度大きな磁石が鐵の碎片を吸ひつける作用のやうに思はれた。
 この思ひがけない幸運に氣のついたとき、船の人人は思つた。疑ひもなくそれは、島が自分たちを牽きつけるのである。一秒間の後に、我我はそこの岸に打ちあげられてゐるにちがひないと。人人の心臟は熱し、その眼は希望にくらめいた。
 一秒間は過ぎた。けれども、そこには何事も起らなかつた。
 舟は相變らずの速力で疾風のやうに走りつづけて居た。そして夢みるやうな月光の海に、眞黒の島は音もなく眠つて居た。ただ高潮に達した音樂のメロヂイばかりが、あたりの靜寂を破つて手にとるやうに聞えて居た。
「まてよ。」
 しばらくして乘組員の一人が、心の中で思ひ惑つた。
 實際、彼等はさつきから數時間漕いだ。そして今、船は狂氣のやうに疾走して居る。それにもかかはらず、彼等は最初の位地から、一尺でも島に近づいては居なかつたのである。島と船との間には、いつも氣味の惡い、同じ距離の間隔が保たれて居た。
「まてよ。」
 殆んど同時に、他の二、三人の男がつぶやいた。
「どうしたといふのだ、おれたちは。」
 彼等はぼんやりして顏を見合せた。そして手から櫓をはなした。
「氣をつけろ。」
 その時、だしぬけに仲間の一人が叫んだ。その聲は不安と恐怖にみちて、鋭どく甲ばしつて居た。
「みんな氣をつけろ。おれたちは何か恐ろしい間違へをしてゐるのかも知れない。さもなければ……。」
 その言葉の終らない中に、人人は不意に足の裏から、大きな棒で突きあげられるやうな氣持がした。
 ちよつとの間、どこかで烈しく布を引きさくやうな音が聞えた。
 そして、一人殘らず、まつくらな海の底へたたき込まれた。

 かうして、不幸な騎士たちの計畫は、見事に破壞されてしまつた。彼等の美しいロマンチツクの船と一所に。とこしなへに歸らぬ海の底に。
 ほんとに彼等は氣の毒な人たちであつた。
 何故かといふに、彼等が今少しの間この恐ろしい事實、即ち彼等の船が「うづまき」の中に卷き込まれて居たことに氣が付かずに居たならば、彼等はその幸福を夢みて居る状態に於て、やすらかに眠ることができたかも知れなかつたのである。
 私が音樂を聽くとき、わけてもその高潮に達した一刹那の悦びを味ふとき、いつも思ひ出すのはこのあはれに悲しげな昔の騎士の夢物語である。
 手にとられぬ「神祕の島へ」の、悲しくやるせない冒險の夢物語である。


 二つの手紙

ある男の友に。
近來、著るしく廢頽的傾向を帶びてきた私の思想に就いて、君が賢こい注意と叱責とを與へられたことを感謝する。
これは全く惡いことだ。惡いことと言ふよりは寧ろ悲しむべきことだ。
私は恐れてゐる。私もまた世の多くの虚無思想家が墮ち入るべき、あの恐ろしい風穴の前に導かれて來たのではないかと。(神を信じない人間の運命は皆これだ。)
想へば、長い長い年月の間、私は愚劣な妄想によつて牽きずられて居た。
私の過去の淺ましい求道生活をば、私は何に譬へよう。
それは丁度、意地のきたない、駄馬の道行であつた。この悲しい一疋の馬は、あてもない晩餐の幸福と、夢想の救命とを心に描きながら、性急な主人の鞭の下にうごめいて居た。
しかし意地のきたない動物の本能として、絶えず路傍の青草を食ひ散らしながら。
天氣はいつも陰鬱で、空はいつも灰色に曇つて居た。遂にこの悲しむべき旅行の薄暮がきた。
今こそ私はすべてを知つた。すべての生物の上に光るところの恐ろしい運命の瞳をみた。孤獨の道は遠く、人生の墓場は遂に幻影の既死に終るべきことを知つた。
いま私は瞳をとぢて、靜かな、靜かな、人間の葬列を想ふ。
その葬列の流れゆく行方を想ふ。
所詮は疲れた駄馬の幸福である。
馬よ、愚かな反抗とその焦心を捨てよ、その時お前はどんなに幸福であるか。
「生を樂しめ、理窟なしに。しからずんば、死を樂しめ、理窟なしに。」
私はかう唄つた。
いま私は求める、生き甲斐もない我が身をして、新らしい土地にかへす所の墓場を。
私は愛する、しめやかな鎭魂樂の響と、冬の日の窓にすがりつく力のない蠅の羽音を。
私は眠る、私は疲れた。
そこには、あまりに空虚な幻象の哲學と、あまりに神經質なる焦心の休息がある。
とりわけ私は退屈した。ああ「退屈」なんといふ恐ろしい言葉だ。君はこの言葉のもつ底氣味の惡い微笑を知るか。あのニイチエを憑き殺した此の幽靈の青ざめた姿を見るか。
「愛」それは今の私に殘された、ただ一つの祈祷である。私の信ずるただ一つのキリスト、ただ一つの神祕である。(「愛」の奇蹟を私に教へた者はドストイエフスキイであつた。若し私があの驚くべき神祕に充ちた書物「カラマゾフの兄弟」を讀まなかつたならば、私は今日救ふべからざるデカダンとなつて居たにちがひない。)
とはいへ、私の求愛の道はあまりに遠く、あまりに陰鬱でしめりがちである。
私の魂は疲れがちで、ともすれば平易な墓場の夢を追ふに慣れ易い。
私に就いて、君が私の思想の頽廢を責めたのはよい。
私もまた、私自身のさうした惡傾向にはたまらない不快を抱いて居るのである。(君も知つて居る通り、私の求めてゐる哲學は、人間としての最も健全なる、最も明るい靈肉合致の宗教である。)
併しながら、若し君が私に就いてその感情生活の僞りなき記録である私の敍情詩を責めるならば、私は私の懺悔を君にかくれてするばかりである。何故ならば、敍情詩は私のためには「感情の告白」であつて「思想の宣傳」ではない。私の祈祷と私の懺悔とはいつも正反對である。(それは私にとつては悲しむべくまた恥づべきことだが。)
いま私の心は光に憧れる、しかも私の感情は闇の中にうごめいて居る。
君よ。私の悲しむべき矛盾を笑つてくれるな。すべてに於て、君は私をよく理解してくれるであらう。


ある女の友に。
私は今の生活に就いては、どういふ言葉で、どうお話したらよいでせう。
あなたは私の詩「夕暮室内にありて靜かにうたへる歌」をご覽でしたか。
ああした詩の表現する心もちこそ、近頃の私の祈祷的な内面生活を語るものです。
一人、薄暮の室内に坐つて冥想に沈む私の心は、あの白い寢臺の上に長く眠つてゐる悲しい人間の姿です。
私の心臟は疲れて、私の胴體は寢臺の上に横はつて居ます。
日暮の光線は硝子窓を通して、侘しく床の上に流れて居ます。
そして力のない冬の蠅は、ぶむぶむといふ羽音をたてて室内を飛び□つて居ます。
いま白い寢臺の上に、悲しい「死」が横はつて居る。
ここに人間の安息日があります。
その人の心臟は腐れ、その人の魂はすやすやと眠つて居ます。
げに私はふらんねるをきて眠つてゐる疲れた心臟の所有者です。いぢらしくも頽廢した人間の死骸です。
この白い寢臺の枕もとに寄りそつて、一人の物思はしげな少女が立つてゐる。この少女こそ、私の氣高き心の戀びとです。
「戀びとよ」私の眠れる心臟は、彼女に向つてかう呼びかけます。もちろん、それは現實の戀びとではありません。それは私の心にいつも悲しく描いてゐる夢想の愛人の姿です。
彼女は私の枕もとに坐つて、深くなにものかを凝視して居ります。恐らくそこには凍りついたひとつの心臟と、青ざめた病氣の神經との陰影を視るのでせう。
しだいに彼女の心は、深い憂愁のためいきから、不思議な明るい幻想の悦びに變つてきました。
いつしか彼女の美しい瞳には、涙がいつぱいになつて頬の上をながれてきました。
ほんとに彼女は、私の幸福のために泣いてくれたのです。悲しみのためではなくして、あの珍らしい「幸福」のために泣いたのです。すべての人類の中で、ただ愚かな私にのみ許された「幸福」のために。
言ふ迄もなく、彼女の病熱的なキリスト教の信仰と、彼女の感傷(それは人間の最も神聖な道徳的感情です)とが、不幸な私を救つて神の前に導いたのです。「愛」それこそ私共の求める「救ひ」の凡てです。それこそ私のやうな虚無思想家が信ずる所の、ただ一つの眞實、ただ一つの神祕です。
「戀びとよ」
と、私の疲れた心臟が白い寢臺の上で叫びました。
そしていま、彼女の唄ふしづかな、しづかな子守歌をききながら、私の心は幸福にも「遠い墓場の草かげにまで」すやすやと眠りついて行くのです。
ぶむぶむといふ蠅の羽音を夢の中に、物侘しい日暮れの室内の寢臺の上で。

ああ、かくばかり私は「愛」と「信仰」とに求めあくがるる魂のをさな兒です。
私は疲れて頽廢して居ます。私の心は絶望的な悲しみに充ちて暗く閉ぢられて居ます。
いま私の求めて居るものは、立派な論理の上に建つた哲學や概念や主張の上で宣導される愛の宗教ではありません。
私はただ生きた人間の生きた愛と、その神祕から生れる奇蹟を求めて居るのです。私の凍つた心臟の上にやさしくあたたかく置かれる所の美しい、そして限りなく氣高い處女まりやのおん手を求めて止まないのです。
かうした私の子供じみたせんちめんたりずむをお笑ひ下さるな。
愚かにも私は、長い長い三十餘年の月日を、詩人めいた「幸福の冥想」と「生の意義」との焦心に浪費してしまつたのです。
併し今はその愚かさと空虚に疲れました。
今はただ白い寢臺の上で、靜かな生のためいきに耳を傾けながら、「美しい竝木ある墓地」の夢を樂しむばかりです。
「それがお前の幸福のすべてだ」あの不吉な鴉が私に語つた言葉はこれです。
とはいへ、今日の靜かな雨の日の窓で、かうした手紙をあなたに書くことを悦びます。
思ふにあの美しい「敍情詩人」といふ名稱は私の墓石の銘を飾るためには最も適はしい文字でせう。藝術の權威を信じない私にとつて、詩を魂の慰安として無意義に人生を空費した私にとつて、その墓銘こそ悲しい運命の微笑を語るものです。
では、愉快に希望を以てお別れしませう。


 坂

 坂のある風景は、ふしぎに浪漫的で、のすたるぢやの感じをあたへるものだ。坂を見てゐると、その風景の向うに、別の遙かな地平があるやうに思はれる。特に遠方から、透視的に見る場合がさうである。
 坂が――風景としての坂が――何故にさうした特殊な情趣をもつのだらうか。理由(わけ)は何でもない。それが風景における地平線を、二段に別別に切つてるからだ。坂は、坂の上における別の世界を、それの下における世界から、二つの別な地平線で仕切つてゐる。だから我我は、坂を登ることによつて、それの眼界にひらけるであらう所の、別の地平線に屬する世界を想像し、未知のものへの浪漫的なあこがれを呼び起す。
 或る晩秋のしづかな日に、私は長い坂を登つて行つた。ずつと前から、私はその坂をよく知つてゐた。それは或る新開地の郊外で、いちめんに廣茫とした眺めの向うを、遠く夢のやうに這つてゐた。いつか一度、私はその夢のやうな坂を登り、切岸(きりぎし)の上にひらけてゐる、未知の自然や風物を見ようとする、詩的な Adventure に驅られてゐた。
 何が坂の向うにあるのだらう? 遂にやみがたい誘惑が、或る日私をその坂道に登らした。十一月下旬、秋の物わびしい午後であつた。落日の長い日影が、坂を登る私の背後(うしろ)にしたがつて、瞑想者のやうな影法師をうつしてゐた。風景はひつそりとして、空には動かない雲が浮いてゐた。
 無限に長く、空想にみちた坂道を登つて行つた。遂に登りつめた時に、眼界が一度に明るく、海のやうにひらけて見えた。いちめんの大平野で、芒や尾花の秋草が、白く草むらの中に光つてゐた。そして平野の所所に、風雅な木造の西洋館が、何かの番小屋のやうに建つてゐた。
 それは全く思ひがけない、異常な鮮新な風景だつた。私のどんな想像も、かつてこの坂の向うに、こんな海のやうな平野があるとは思はなかつた。一寸の間、私はこの眺めの實在を疑つた。ふいに思ひがけなく、海上に浮んだ蜃氣樓のやうな氣がしたからだ。
『おーい!』
 理由もなく、私は大聲をあげて呼んでみた。廣茫とした平野の中で、反響がどこまで行くかを試さうとして。すると不意に、前の草むらが風に動いた。何物かの白い姿がそこにかくれてゐたのである。
 すぐに私は、草の中で動くパラソルを見た。二人の若い娘が、秋の侘しい日ざしをあびて、石の上にむつまじく坐つてゐたのだ。
『娘たちは詩を思つてる。彼等の生活をさまたげまい。なぜなら娘たちにとつては、詩が生活の一切だから。けれども僕にとつては! 僕は肯定さるべき所の、何物の觀念でもない!』
 さうして心が暗くなり、悲しげにそこを去らうとした。けれどもその時、背後をふりかへつた娘の顏が、一瞥の瞬間にまで、ふしぎな電光寫眞のやうに印象された。なぜならその娘こそ、この頃私の夢によく現はれてくるやさしい娘――悲しい夢の中の戀人――物言はぬお孃さん――にそつくりだから。いくたび、私は夢の中でその人と逢つてるだらう。いつも夜あけ方のさびしい野原で、或は猫柳の枯れてる沼澤地方で、はかない、しづかな、物言はぬ媾曳をしてゐるのだ。
『お孃さん!』
 いつも私が、丁度夢の中の娘に叫ぶやうに、ふいに白日の中に現はれたところの、現實の娘に呼びかけようとした。どうして、何故に、夢が現實にやつて來たのだらうか。ふしぎな、言ひやうもない豫感が、未知の新しい世界にまで、私を幸福感でいつぱいにした。實にその新しい世界や幸福感やは、幾年も幾年も遠い昔に、私がすつかり忘れてしまつてゐたものであつた。
 しかしながら理性が、たちまちにして私の幻覺を訂正した。だれが夢遊病者でなく、夢を白日に信ずるだらうか。愚かな、馬鹿馬鹿しい、ありふれた錯覺を恥ぢながら、私はまた坂を降つて來た。然り――。私は今もそれを信じてゐる。坂の向うにある風景は、永遠の『錯誤』にすぎないといふことを。


 大井町

 人生はふしぎなもので、無限の悲しい思ひやあこがれにみたされてゐる。人はさうした心境から、自分のすがたを自然に映(うつ)して、或は現實の環境に、或は幻想する思ひの中に、それぞれの望ましい地方を求めて、自分の居る景色の中に住んでるものだ。たとへてみれば、或る人は平和な田園に住家を求めて、牧場や農場のある景色の中を歩いてゐる。そして或る人は荒寥とした極光地方で、孤獨のぺんぎん鳥のやうにして暮してゐるし、或る人は都會の家竝の混(こ)んでる中で、賭博場や、洗濯屋や、きたない酒場や理髮店のごちやごちやしてゐる路地を求めて、毎日用もないのにぶらついてゐる。或る人たちは、郊外の明るい林を好んで、若い木の芽や材木の匂ひを嗅いでゐるのに、或る人は閑靜の古雅を愛して、物寂びた古池に魚の死體が浮いてるやうな、芭蕉庵の苔むした庭にたたずみ、いつもその侘しい日影を見つめて居る。
 げに人生はふしぎなもので、無限のかなしい思ひやあこがれにみたされてゐる。人はその心境をもとめるために、現實にも夢の中にも、はてなき自然の地方を徘徊する。さうして港の波止場に訪ねくるとき、汽船のおーぼーといふ叫びを聞き、檣のにぎやかな林の向うに、青い空の光るのをみてゐると、しぜんと人間の心のかげに、憂愁のさびしい涙がながれてくる。

 私が大井町へ越して來たのは、冬の寒い眞中であつた。私は手に引つ越しの荷物をさげ、古ぼけた家具の類や、きたないバケツや、箒、炭取りの類をかかへ込んで、冬のぬかるみの街を歩き□つた。空は煤煙でくろずみ、街の兩側には、無限の煉瓦の工場が竝んでゐた。冬の日は鈍くかすんで、煙突から熊のやうな煙を吹き出してゐた。
 貧しいすがたをしたおかみさんが、子供を半てんおんぶで背負ひこみながら、天日のさす道を歩いてゐる。それが私のかみさんであり、その後からやくざな男が、バケツや荷をいつぱい抱へて、痩犬のやうについて行つた。

     大井町!

 かうして冬の寒い盛りに、私共の家族が引つ越しをした。裏町のきたない長屋に、貧乏と病氣でふるへてゐた。ごみためのやうな庭の隅に、まいにち腰卷やおしめを干してゐた。それに少しばかりの日があたり、小旗のやうにひらひらしてゐた。

     大井町!

 むげんにさびしい工場がならんでゐる、煤煙で黒ずんだ煉瓦の街を、大ぜいの勞働者がぞろぞろと群がつてゐる。夕方は皆が食ひ物のことを考へて、きたない料理屋のごてごてしてゐる、工場裏の町通りを歩いてゐる。家家の窓は煤でくもり、硝子が小さくはめられてゐる。それに日ざしが反射して、黒くかなしげに光つてゐる。

     大井町!

 まづしい人人の群で混雜する、あの三叉(みつまた)の狹い通りは、ふしぎに私の空想を呼び起す。みじめな郵便局の前には、大ぜいの女工が群がつてゐる。どこへ手紙を出すのだらう。さうして黄色い貯金帳から、むやみに小錢をひき出してる。

 空にはいつも煤煙がある。屋臺は屋臺の上に重なり、泥濘のひどい道を、幌馬車の列がつながつてゆく。

     大井町!

 鐵道工廠の住宅地域! 二階建ての長屋の窓から、工夫のおかみさんが怒鳴つてゐる。亭主は驛の構内に働らいてゐて、眞黒の石炭がらを積みあげてゐる。日ぐれになると、そのシヤベルが遠くで悲しく光つてみえる。
 長屋の硝子窓に蠅がとまつて、いつでもぶむぶむとうなつてゐる。どこかの長屋で餓鬼が泣いてゐる。嬶が破れるやうに怒鳴つてるので、亭主もかなしい思ひを感じてゐる。そのしやつぽを被つた勞働者は、やけに石炭を運びながら、生活の沒落を感じてゐる。どうせ嬶を叩き出して、宿場の女郎でも引きずり込みたいと思つてゐる。
 勞働者のかなしいシヤベルが、遠くの構内で光つてゐる。

 人生はふしぎなもので、無限のかなしい思ひやあこがれにみたされてゐる。人は自分の思ひを自然に映して、それぞれの景色の中に居住してゐる。

     大井町!

 煙突と工場と、さうして勞働者の群がつてゐる、あの賑やかでさびしい街に、私は私の住居を見つけた。私の泥長靴をひきずりながら、まいにちあの景色の中を歩いてゐた。何といふ好い町だらう。私は工場裏の路地を歩いて、とある長屋の二階窓から、鼠の死骸を投げつけられた。意地の惡い土方の嬶等が、いつせいに窓から顏を突き出し、ひひひひひと言つて笑つた。何といふうれしい出來事でせう。私はかういふ人生の風物からどんな哲學でも考へうるのだ。
 どうせ私のやうな放浪者には、東京中を探したつて、大井町より好い所はありはしない。冬の日の空に煤煙! さうして電車を降(お)りた人人が、みんな煉瓦の建物に吸ひこまれて行く。やたら凸凹(でこぼこ)した、狹くきたない混雜の町通り。路地は幌馬車でいつもいつぱい。それで私共の家族といへば、いつも貧乏にくらしてゐるのだ。




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