定本青猫
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:萩原朔太郎 

草むらの中から大砲を曳きだしてゐる。
なにを撃たうといふでもない
わたしのはらわたのなかに火藥をつめ
ひきがへるのやうにむつくりとふくれてゐよう。
さうしてほら貝みたいな瞳(め)だまをひらき
まつ青な顏をして
かうばうたる海や陸地をながめてゐるのさ。
この邊の奴らにつきあひもなく
どうせろくでもない 貝肉の化物ぐらゐに見えるだらうよ。
のらくら息子のわたしの部屋には
春さきののどかな光もささず
陰鬱な寢床のなかにごろごろとねころんでゐる。
わたしを罵りわらふ世間のこゑこゑ
だれひとりきて慰さめてくれるものもなく
やさしい婦人(をんな)のうたごゑもきこえはしない。
それゆゑわたしの瞳(め)玉はますますひらいて
へんにとうめいなる硝子玉になつてしまつた。
なにを喰べようといふでもない
妄想のはらわたに火藥をつめこみ
さびしい野原に古ぼけた大砲を曳きずりだして
どおぼん! どおぼん! とうつてゐようよ。


 海豹

わたしは遠い田舍の方から
海豹(あざらし)のやうに來たものです。
わたしの國では麥が實り
田畑(たはた)がいちめんにつながつてゐる。
どこをほつつき歩いたところで
猫の子いつぴき居るのでない。
ひようひようといふ風にふかれて
野山で口笛を吹いてる私だ
なんたる哀せつの生活だらう。
□(ぶな)や楡(にれ)の木にも別れをつげ
それから毛布(けつと)に荷物をくるんで
わたしはぼんやりと出かけてきた。
うすく櫻の花の咲くころ
都會の白つぽい道路の上を
わたしの人力車が走つて行く。
さうしてパノラマ館の塔の上には
ぺんぺんとする小旗を掲げ
圓頂塔(どうむ)や煙突の屋根をこえて
さうめいに晴れた青空をみた。
ああ 人生はどこを向いても
いちめんに麥のながれるやうで
遠く田舍のさびしさがつづいてゐる。
どこにもこれといふ仕事がなく
つかれた無職者(むしよくもの)のひもじさから
きたない公園のベンチに坐つて
わたしは海豹(あざらし)のやうに嘆息した。


 猫の死骸
   ula と呼べる女に

海綿のやうな景色のなかで
しつとりと水氣にふくらんでゐる。
どこにも人畜のすがたは見えず
へんにかなしげなる水車が泣いてゐるやうす。
さうして朦朧とした柳のかげから
やさしい待びとのすがたが見えるよ。
うすい肩かけにからだをつつみ
びれいな瓦斯體の衣裳をひきずり
しづかに心靈のやうにさまよつてゐる。
ああ浦 さびしい女!
「あなた いつも遲いのねえ。」
ぼくらは過去もない 未來もない
さうして現實のものから消えてしまつた…………
浦!
このへんてこに見える景色のなかへ
泥猫の死骸を埋めておやりよ。


 沼澤地方
   ula と呼べる女に

蛙どものむらがつてゐる
さびしい沼澤地方をめぐりあるいた。
日は空に寒く
どこでもぬかるみがじめじめした道につづいた。
わたしは獸(けだもの)のやうに靴をひきずり
あるいは悲しげなる部落をたづねて
だらしもなく 懶惰(らんだ)のおそろしい夢におぼれた。

ああ 浦!
もうぼくたちの別れをつげよう
あひびきの日の木小屋のほとりで
おまへは恐れにちぢまり 猫の子のやうにふるへてゐた。

あの灰色の空の下で
いつでも時計のやうに鳴つてゐる
浦!
ふしぎなさびしい心臟よ。
ula! ふたたび去りてまた逢ふ時もないのに。


 鴉

青や黄色のペンキに塗られて
まづしい出窓がならんでゐる。
むやみにごてごてと屋根を張り出し
道路いちめん 積み重なつたガタ馬車なり。
どこにも人間の屑がむらがり
そいつが空腹の草履(ざうり)をひきずりあるいて
やたらにゴミダメの葱を喰ふではないか。
なんたる絶望の光景だらう!
わたしは魚のやうにつめたくなつて
目からさうめんの涙をたらし
情慾のみたされない いつでも陰氣な悶えをかんずる
ああこの噛みついてくる蠍(さそり)のやうに
どこをまたどこへと暗愁はのたくり行くか。
みれば兩替店の赤い窓から
病氣のふくれあがつた顏がのぞいて
大きなパイプのやうに叫んでゐた。
「きたない鴉め! あつちへ行け!」


 駱駝

さびしい光線のさしてる道を
わたしは駱駝のやうに歩いてゐよう。
すつぱい女どもの愛からのがれて
なにかの職業でもさがしてみよう。
どことも知らない
遠くの交易市場の方へ出かけて行つて
馬具や農具の古ぼけた商賣(あきなひ)でも眺めてゐよう。
さうして砂原へ天幕(てんと)を張り
懶惰(らんだ)な日にやけた手足をのばして
やくざな人足どもと賭博(ばくち)をやらう。


 大井町

おれは泥靴を曳きずりながら
ネギや ハキダメのごたごたする
運命の露路をよろけあるいた。
ああ 奧さん! 長屋の上品な嬶(かかあ)ども
そこのきたない煉瓦の窓から
乞食のうす黒いしやつぽの上に
鼠の尻尾でも投げつけてやれ。
それから構内の石炭がらを運んできて
部屋中いつぱい やけに煤煙でくすぼらせろ。
そろそろ夕景が薄(せま)つてきて
あつちこつちの屋根の上に
亭主のしやべるが光り出した。
へんに紙屑がぺらぺらして
かなしい日光の射してるところへ
餓鬼共のヒネびた聲がするではないか。
おれは空腹になりきつちやつて
そいつがバカに悲しくきこえ
大井町織物工場の暗い軒から
わあツ! と言つて飛び出しちやつた。
[#改ページ]

[#「時計臺之圖」の挿し絵]
 時計臺之圖

 永遠の孤獨の中に悲しみながら、冬の日の長い時をうつてる時計臺―。避雷針は空に向つて泣いて居るし、街路樹は針のやうに霜枯れて寂しがつてる。見れば大時計の古ぼけた指盤の向うで、冬のさびしい海景が泣きわびて居るではないか。
[#改ページ]


 吉原

高い板塀の中にかこまれてゐる
うすぐらい陰氣な區域だ。
それでも空地に溝がながれて
木が生え
白き石炭酸の臭ひはぷんぷんたり。
吉原!
土堤ばたに死んでる蛙のやうに
白く腹を出してる遊廓地帶だ。

かなしい板塀の圍ひの中で
おれの色女が泣いてる聲をきいた
夜つぴとへだ。
それから消化不良のうどんを食つて
煤けた電氣の下に寢そべつてゐた。
「また來てくんろよう!」

曇つた絶望の天氣の日でも
女郎屋の看板に寫眞が出てゐる。


 郵便局の窓口で

郵便局の窓口で
僕は故郷への手紙をかいた。
鴉のやうに零落して
靴も運命もすり切れちやつた
煤煙は空に曇つて
けふもまだ職業は見つからない。

父上よ
何が人生について殘つて居るのか。
僕はかなしい虚無感から
貧しい財布の底をかぞへて見た。
すべての人生を銅貨にかへて
道路の敷石に叩きつけた。
故郷よ!
老いたまへる父上よ。

僕は港の方へ行かう
空氣のやうに蹌踉として
波止場(はとば)の憂鬱な道を行かう。
人生よ!
僕は出帆する汽船の上で
笛の吠えさけぶ響をきいた。


 大工の弟子

僕は都會に行き
家を建てる術を學ばう。
僕は大工の弟子となり
大きな晴れた空に向つて
人畜の怒れるやうな屋根を造らう。
僕等は白蟻の卵のやうに
巨大な建築の柱の下で
うぢうぢとして仕事をしてゐる。
甍(いらか)が翼(つばさ)を張りひろげて
夏の烈日の空にかがやくとき
僕等は繁華の街上にうじやうじやして
つまらぬ女どもが出してくれる
珈琲店(カフエ)の茶などを飮んでる始末だ。
僕は人生に退屈したから
大工の弟子になつて勉強しよう。


 時計

古いさびしい空家の中で
椅子が茫然として居るではないか。
その上に腰をかけて
編物をしてゐる娘もなく
煖爐に坐る黒猫の姿も見えない
白いがらんどうの家の中で
私は物悲しい夢を見ながら
古風な柱時計のほどけて行く
錆びたぜんまいの響を聽いた。
じぼ・あん・じやん! じぼ・あん・じやん!

古いさびしい空家の中で
昔の戀人の寫眞を見てゐた。
どこにも思ひ出す記憶がなく
洋燈(らんぷ)の黄色い光の影で
かなしい情熱だけが漂つてゐた。
私は椅子の上にまどろみながら
遠い人氣(ひとけ)のない廊下の向うを
幽靈のやうにほごれてくる
柱時計の錆びついた響を聽いた。
じぼ・あん・じやん! じぼ・あん・じやん!
[#改ページ]


※ここに藏原伸二郎(1899-1965)の附録「猫。青猫。萩原朔太郎。」あり。
[#改ページ]


     卷尾に

 この書の中にある詩篇は、初版「青猫」を始め、新潮社版の「蝶を夢む」第一書房版の「萩原朔太郎詩集」その他既刊の詩集中にも散在し、夫夫少し宛詩句や組方を異にしてゐるが、この「定本」のものが本當であり、流布本に於ける誤植一切を訂正し、併せてその未熟個所を定則に改定した。よつて此等の詩篇によつて、私を批判しようとする人人や、他の選集に拔粹しようとする人人は、今後すべて必ずこの「定本」によつてもらひたい。著者



ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:56 KB

担当:undef