たけくらべ
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著者名:樋口一葉 

 解かば足にもとゞくべき毛髮(かみ)を、根あがりに堅くつめて前髮大きく髷おもたげの、赭熊(しやぐま)といふ名は恐ろしけれど、此髷(これ)を此頃の流行(はやり)とて良家(よきしゆ)の令孃(むすめご)も遊ばさるゝぞかし、色白に鼻筋とほりて、口もとは小さからねど締りたれば醜くからず、一つ一つに取たてゝは美人の鑑(かゞみ)に遠けれど、物いふ聲の細く清(すゞ)しき、人を見る目の愛敬あふれて、身のこなしの活々したるは快き物なり、柿色に蝶鳥を染めたる大形の裕衣きて、黒襦子と染分絞りの晝夜帶胸だかに、足にはぬり木履(ぼくり)こゝらあたりにも多くは見かけぬ高きをはきて、朝湯の歸りに首筋白々と手拭さげたる立姿を、今三年の後に見たしと廓がへりの若者は申き、大黒屋(だいこくや)の美登利(みどり)とて生國(しやうこく)は紀州、言葉のいさゝか訛(なま)れるも可愛く、第一は切れ離れよき氣象を喜ばぬ人なし、子供に似合ぬ銀貨入れの重きも道理、姉なる人が全盛の餘波(なごり)、延いては遣手新造(やりてしんぞ)が姉への世辭にも、美(み)いちやん人形をお買ひなされ、これはほんの手鞠代と、呉れるに恩を着せねば貰ふ身の有がたくも覺えず、まくはまくは、同級の女生徒二十人に揃ひのごむ鞠を與へしはおろかの事、馴染の筆やに店ざらしの手遊を買しめて、喜ばせし事もあり、さりとは日々夜々の散財此歳この身分にて叶ふべきにあらず、末は何となる身ぞ、兩親ありながら大目に見てあらき詞をかけたる事も無く、樓の主が大切がる樣子(さま)も怪しきに、聞けば養女にもあらず親戚にてはもとより無く、姉なる人が身賣りの當時、鑑定(めきゝ)に來たりし樓の主が誘ひにまかせ、此地に活計(たつき)もとむとて親子三人(みたり)が旅衣、たち出しは此譯、それより奧は何なれや、今は寮のあづかりをして母は遊女の仕立物、父は小格子(こがうし)の書記に成りぬ、此身は遊藝手藝學校にも通はせられて、其ほうは心のまゝ、半日は姉の部屋、半日は町に遊んで見聞くは三味に太皷にあけ紫のなり形、はじめ藤色絞りの半襟を袷にかけて着て歩るきしに、田舍者いなか者と町内の娘どもに笑はれしを口惜しがりて、三日三夜泣きつゞけし事も有しが、今は我れより人々を嘲りて、野暮な姿と打つけの惡まれ口を、言ひ返すものも無く成りぬ。二十日はお祭りなれば心一ぱい面白い事をしてと友達のせがむに、趣向は何なりと各自(めい/\)に工夫して大勢の好い事が好いでは無いか、幾金(いくら)でもいゝ私が出すからとて例の通り勘定なしの引受けに、子供中間の女王(によわう)樣又とあるまじき惠みは大人よりも利きが早く、茶番にしよう、何處のか店を借りて往來から見えるやうにしてと一人が言へば、馬鹿を言へ、夫れよりはお神輿(みこし)をこしらへてお呉れな、蒲田屋(かばたや)の奧に飾つてあるやうな本當のを、重くても搆はしない、やつちよいやつちよい譯なしだと捩ぢ鉢卷をする男子(おとこ)のそばから、夫れでは私たちが詰らない、皆が騷ぐを見るばかりでは美登利さんだとて面白くはあるまい、何でもお前の好い物におしよと、女の一むれは祭りを拔きに常盤座(ときはざ)をと、言いたげの口振をかし、田中の正太は可愛らしい眼をぐるぐると動かして、幻燈にしないか、幻燈に、己れの處にも少しは有るし、足りないのを美登利さんに買つて貰つて、筆やの店で行(や)らうでは無いか、己れが映し人(て)で横町の三五郎に口上を言はせよう、美登利さん夫れにしないかと言へば、あゝ夫れは面白からう、三ちやんの口上ならば誰れも笑はずには居られまい、序(ついで)にあの顏がうつると猶おもしろいと相談はとゝのひて、不足の品を正太が買物役、汗に成りて飛び廻るもをかしく、いよ/\明日と成りては横町までも其沙汰聞えぬ。

       四

 打つや皷のしらべ、三味の音色に事かゝぬ場處も、祭りは別物、酉(とり)の市を除けては一年一度の賑ひぞかし、三嶋さま小野照(をのてる)さま、お隣社(となり)づから負けまじの競ひ心をかしく、横町も表も揃ひは同じ眞岡木綿(まをかもめん)に町名くづしを、去歳(こぞ)よりは好からぬ形(かた)とつぶやくも有りし、口なし染の麻だすき成るほど太きを好みて、十四五より以下なるは、達磨(だるま)、木兎(みゝづく)、犬はり子、さま/″\の手遊を數多きほど見得にして、七つ九つ十一つくるもあり、大鈴小鈴背中にがらつかせて、驅け出す足袋はだしの勇ましく可笑し、群れを離れて田中の正太が赤筋入りの印半天、色白の首筋に紺の腹がけ、さりとは見なれぬ扮粧(いでだち)とおもふに、しごいて締めし帶の水淺黄も、見よや縮緬の上染、襟の印のあがりも際立て、うしろ鉢卷きに山車(だし)の花一枝、革緒の雪駄おとのみはすれど、馬鹿ばやしの中間には入らざりき、夜宮は事なく過ぎて今日一日の日も夕ぐれ、筆やが店に寄合しは十二人、一人かけたる美登利が夕化粧の長さに、未だか未だかと正太は門へ出つ入りつして、呼んで來い三五郎、お前はまだ大黒屋の寮へ行つた事があるまい、庭先から美登利さんと言へば聞える筈、早く、早くと言ふに、夫れならば己れが呼んで來る、萬燈は此處へあづけて行けば誰れも蝋燭ぬすむまい、正太さん番をたのむとあるに、吝嗇(けち)な奴め、其手間で早く行けと我が年したに叱かられて、おつと來たさの次郎左衞門、今の間とかけ出して韋駄天(いだてん)とはこれをや、あれ彼の飛びやうが可笑しいとて見送りし女子どもの笑ふも無理ならず、横ぶとりして背ひくゝ、頭(つむり)の形(なり)は才槌とて首みぢかく、振むけての面を見れば出額の獅子鼻、反歯(そつぱ)の三五郎といふ仇名おもふべし、色は論なく黒きに感心なは目つき何處までもおどけて兩の頬に笑くぼの愛敬、目かくしの福笑ひに見るやうな眉のつき方も、さりとはをかしく罪の無き子なり、貧なれや阿波ちゞみの筒袖、己れは揃ひが間に合はなんだと知らぬ友には言ふぞかし、我れを頭に六人の子供を、養ふ親も轅棒(かぢぼう)にすがる身なり、五十軒によき得意場は持たりとも、内證の車は商賣ものゝ外なれば詮なく、十三になれば片腕と一昨年より並木の活判處(くわつぱんじよ)へも通ひしが、怠惰(なまけ)ものなれば十日の辛棒つゞかず、一ト月と同じ職も無くて霜月より春へかけては突羽根(つくばね)の内職、夏は檢査場の氷屋が手傳ひして、呼聲をかしく客を引くに上手なれば、人には調法がられぬ、去年(こぞ)は仁和賀(にわか)の臺引きに出しより、友達いやしがりて萬年町の呼名今に殘れども、三五郎といへば滑稽者(おどけもの)と承知して憎くむ者の無きも一徳なりし、田中屋は我が命の綱、親子が蒙むる御恩すくなからず、日歩とかや言ひて利金安からぬ借りなれど、これなくてはの金主樣あだには思ふべしや、三公己れが町へ遊びに來いと呼ばれて嫌やとは言はれぬ義理あり、されども我れは横町に生れて横町に育ちたる身、住む地處は龍華寺のもの、家主は長吉か[#「か」はママ]親なれば、表むき彼方に背く事かなはず、内々に此方の用をたして、にらまるゝ時の役廻りつらし。正太は筆やの店へ腰をかけて、待つ間のつれ/″\に忍ぶ戀路を小聲にうたへば、あれ由斷がならぬと内儀(かみ)さまに笑はれて、何がなしに耳の根あかく、まぢくないの高聲に皆も來いと呼つれて表へ驅け出す出合頭、正太は夕飯なぜ喰べぬ、遊びに耄(ほう)けて先刻にから呼ぶをも知らぬか、誰樣(どなた)も又のちほど遊ばせて下され、これは御世話と筆やの妻にも挨拶して、祖母(ばゝ)が自からの迎ひに正太いやが言はれず、其まゝ連れて歸らるゝあとは俄かに淋しく、人數は左のみ變らねど彼の子が見えねば大人までも寂しい、馬鹿さわぎもせねば串談も三ちやんの樣では無けれど、人好きのするは金持の息子さんに珍らしい愛敬、何と御覽じたか田中屋の後家さまがいやらしさを、あれで年は六十四、白粉をつけぬがめつけ物なれど丸髷の大きさ、猫なで聲して人の死ぬをも構はず、大方臨終(おしまひ)は金と情死(しんぢう)なさるやら、夫れでも此方(こち)どもの頭(つむり)の上らぬは彼の物の御威光、さりとは欲しや、廓内(なか)の大きい樓(うち)にも大分の貸付があるらしう聞きましたと、大路に立ちて二三人の女房よその財産(たから)を數へぬ。

       五

 待つ身につらき夜半の置炬燵、それは戀ぞかし、吹風すゞしき夏の夕ぐれ、ひるの暑さを風呂に流して、身じまいの姿見、母親が手づからそゝけ髮つくろひて、我が子ながら美くしきを立ちて見、居て見、首筋が薄かつたと猶ぞいひける、單衣は水色友仙の凉しげに、白茶金らんの丸帶少し幅の狹いを結ばせて、庭石に下駄直すまで時は移りぬ。まだかまだかと塀の廻りを七度び廻り、欠伸(あくび)の數も盡きて、拂ふとすれど名物の蚊に首筋額ぎわしたゝか螫(さゝ)れ、三五郎弱りきる時、美登利立出でゝいざと言ふに、此方は言葉もなく袖を捉へて驅け出せば、息がはづむ、胸が痛い、そんなに急ぐならば此方は知らぬ、お前一人でお出と怒られて、別れ別れの到着、筆やの店へ來し時は正太が夕飯の最中(もなか)とおぼえし。あゝ面白くない、おもしろくない、彼の人が來なければ幻燈をはじめるのも嫌、伯母さん此處の家に智惠の板は賣りませぬか、十六武藏でも何でもよい、手が暇で困ると美登利の淋しがれば、夫れよと即坐に鋏を借りて女子づれは切拔きにかゝる、男は三五郎を中に仁和賀(にわか)のさらひ、北廓全盛見わたせば、軒は提燈電氣燈、いつも賑ふ五丁町、と諸聲をかしくはやし立つるに、記憶(おぼえ)のよければ去年一昨年とさかのぼりて、手振手拍子ひとつも變る事なし、うかれ立たる十人あまりの騷ぎなれば何事と門に立ちて人垣をつくりし中より。三五郎は居るか、一寸來くれ大急ぎだと、文次といふ元結よりの呼ぶに、何の用意もなくおいしよ、よし來たと身がるに敷居を飛こゆる時、此二タ股野郎覺悟をしろ、横町の面よごしめ唯は置かぬ、誰れだと思ふ長吉だ生ふざけた眞似をして後悔するなと頬骨一撃、あつと魂消て逃入る襟がみを、つかんで引出す横町の一むれ、それ三五郎をたゝき殺せ、正太を引出してやつて仕舞へ、弱虫にげるな、團子屋の頓馬も唯は置ぬと潮のやうに沸かへる騷ぎ、筆屋が軒の掛提燈は苦もなくたゝき落されて、釣りらんぷ危なし店先の喧嘩なりませぬと女房が喚きも聞かばこそ、人數は大凡十四五人、ねぢ鉢卷に大萬燈ふりたてゝ、當るがまゝの亂暴狼藉、土足に踏み込む傍若無人、目ざす敵の正太が見えねば、何處へ隱くした、何處へ逃げた、さあ言はぬか、言はぬか、言はさずに置く物かと三五郎を取こめて撃つやら蹴るやら、美登利くやしく止める人を掻きのけて、これお前がたは三ちやんに何の咎がある、正太さんと喧嘩がしたくば正太さんとしたが宜い、逃げもせねば隱くしもしない、正太さんは居ぬでは無いか、此處は私が遊び處、お前がたに指でもさゝしはせぬ、ゑゝ憎くらしい長吉め、三ちやんを何故ぶつ、あれ又引たほした、意趣があらば私をお撃ち、相手には私がなる、伯母さん止めずに下されと身もだへして罵れば、何を女郎(ぢよらう)め頬桁たゝく、姉の跡つぎの乞食め、手前の相手にはこれが相應だと多人數(おほく)のうしろより長吉、泥草鞋(ざうり)[#「草鞋(ざうり)」はママ]つかんで投つければ、ねらひ違はず美登利が額際にむさき物したゝか、血相かへて立あがるを、怪我でもしてはと抱きとむる女房、ざまを見ろ、此方には龍華寺の藤本がついて居るぞ、仕かへしには何時でも來い、薄馬鹿野郎め、弱虫め、腰ぬけの活地(いくぢ)なしめ、歸りには待伏せする、横町の闇に氣をつけろと三五郎を土間に投出せば、折から靴音たれやらが交番への注進今ぞしる、それと長吉聲をかくれば丑松文次その余の十餘人、方角をかへてばら/\と逃足はやく、拔け裏の露路にかゞむも有るベし、口惜しいくやしい口惜しい口惜しい、長吉め文次め丑松め、なぜ己れを殺さぬ、殺さぬか、己れも三五郎だ唯死ぬものか、幽異(いうれい)になつても取殺すぞ、覺えて居ろ長吉めと湯玉のやうな涙はら/\、はては大聲にわつと泣き出す、身内や痛からん筒袖の處々引さかれて背中も腰も砂まぶれ、止めるにも止めかねて勢ひの悽まじさに唯おど/\と氣を呑まれし、筆やの女房走り寄りて抱きおこし、背中をなで砂を拂ひ、堪忍をし、堪忍をし、何と思つても先方は大勢、此方は皆よわい者ばかり、大人でさへ手が出しかねたに叶はぬは知れて居る、夫れでも怪我のないは仕合、此上は途中の待ぶせが危ない、幸ひの巡査(おまはり)さまに家まで見て頂かば我々も安心、此通りの子細で御座ります故と筋をあら/\折からの巡査に語れば、職掌がらいざ送らんと手を取らるゝに、いゑ/\送つて下さらずとも歸ります、一人で歸りますと小さく成るに、こりや怕い事は無い、其方の家まで送る分の事、心配するなと微笑を含んで頭(つむり)を撫でらるゝに彌々ちゞみて、喧嘩をしたと言ふと親父(とつ)さんに叱かられます、頭(かしら)の家は大屋さんで御座りますからとて凋(しを)れるをすかして、さらば門口まで送つて遣る、叱からるゝやうの事は爲ぬわとて連れらるゝに四隣(あたり)の人胸を撫でゝはるかに見送れば、何とかしけん横町の角にて巡査の手をば振はなして一目散に逃げぬ。

       六

 めづらしい事、此炎天に雪が降りはせぬか、美登利が學校を嫌やがるはよく/\の不機嫌、朝飯がすゝまずば後刻(のちかた)に鮨(やすけ)でも誂へようか、風邪にしては熱も無ければ大方きのふの疲れと見える、太郎樣への朝參りは母さんが代理してやれば御免こふむれとありしに、いゑ/\姉さんの繁昌するやうにと私が願をかけたのなれば、參らねば氣が濟まぬ、お賽錢下され行つて來ますと家を驅け出して、中田圃の稻荷に鰐口(わにぐち)ならして手を合せ、願ひは何ぞ行きも歸りも首うなだれて畔道づたひ歸り來る美登利が姿、それと見て遠くより聲をかけ、正太はかけ寄りて袂を押へ、美登利さん昨夕は御免よと突然(だしぬけ)にあやまれば、何もお前に謝罪(わび)られる事は無い。夫れでも己れが憎くまれて、己れが喧嘩の相手だもの、お祖母さんが呼びにさへ來なければ歸りはしない、そんなに無暗に三五郎をも撃たしはしなかつた物を、今朝三五郎の處へ見に行つたら、彼奴も泣いて口惜しがつた、己れは聞いてさへ口惜しい、お前の顏へ長吉め草履を投げたと言ふでは無いか、彼の野郎乱暴にもほどがある、だけれど美登利さん堪忍してお呉れよ、己れは知りながら逃げて居たのでは無い、飯を掻込んで表へ出やうとするとお祖母さんが湯に行くといふ、留守居をして居るうちの騷ぎだらう、本當に知らなかつたのだからねと、我が罪のやうに平あやまりに謝罪て、痛みはせぬかと額際を見あげれば、美登利につこり笑ひて何負傷(けが)をするほどでは無い、夫れだが正さん誰れが聞いても私が長吉に草履を投げられたと言つてはいけないよ、もし萬一(ひよつと)お母さんが聞きでもすると私が叱かられるから、親でさへ頭に手はあげぬものを、長吉づれが草履の泥を額にぬられては踏まれたも同じだからとて、背ける顏のいとをしく、本當に堪忍しておくれ、みんな己れが惡るい、だから謝る、機嫌を直して呉れないか、お前に怒られると己れが困るものをと話しつれて、いつしか我家の裏近く來れば、寄らないか美登利さん、誰れも居はしない、祖母さんも日がけを集めに出たらうし、己ればかりで淋しくてならない、いつか話した錦繪を見せるからお寄りな、種々(いろ/\)のがあるからと袖を捉(と)らへて離れぬに、美登利は無言にうなづいて、佗(わ)びた折戸の庭口より入れば、廣からねども、鉢ものをかしく並びて、軒につり忍艸(しのぶ)、これは正太が午(うま)の日の買物と見えぬ、理由(わけ)しらぬ人は小首やかたぶけん町内一の財産家(ものもち)といふに、家内は祖母と此子(これ)二人、萬(よろづ)の鍵に下腹冷えて留守は見渡しの總長屋、流石に錠前くだくもあらざりき、正太は先へあがりて風入りのよき場處(ところ)を見たてゝ、此處へ來ぬかと團扇の氣あつかひ、十三の子供にはませ過ぎてをかし。古くより持つたへし錦繪かず/\取出し、褒めらるゝを嬉しく美登利さん昔しの羽子板を見せよう、これは己れの母さんがお邸に奉公して居る頃いたゞいたのだとさ、をかしいでは無いか此大きい事、人の顏も今のとは違ふね、あゝ此母さんが生きて居ると宜いが、己れが三つの歳死んで、お父さんは在るけれど田舍の實家へ歸つて仕舞たから今は祖母さんばかりさ、お前は浦山しいねと無端(そゞろ)に親の事を言ひ出せば、それ繪がぬれる、男が泣く物では無いと美登利に言はれて、己れは氣が弱いのかしら、時々種々の事を思ひ出すよ、まだ今時分は宜いけれど、冬の月夜なにかに田町あたりを集めに廻ると土手まで來て幾度も泣いた事がある、何さむい位で泣きはしない、何故だか自分も知らぬが種々の事を考へるよ、あゝ一昨年から己れも日がけの集めに廻るさ、祖母さんは年寄りだから其うちにも夜るは危ないし、目が惡るいから印形(いんぎやう)を押たり何かに不自由だからね、今まで幾人(いくたり)も男を使つたけれど、老人に子供だから馬鹿にして思ふやうには動いて呉れぬと祖母さんが言つて居たつけ、己れが最う少し大人に成ると質屋を出さして、昔しの通りでなくとも田中屋の看板をかけると樂しみにして居るよ、他處の人は祖母さんを吝だと言ふけれど、己れの爲に儉約(つましく)して呉れるのだから氣の毒でならない、集金(あつめ)に行くうちでも通新町や何かに隨分可愛想なのが有るから、嘸お祖母さんを惡るくいふだらう、夫れを考へると己れは涙がこぼれる、矢張り氣が弱いのだね、今朝も三公の家へ取りに行つたら、奴め身體が痛い癖に親父に知らすまいとして働いて居た、夫れを見たら己れは口が利けなかつた、男が泣くてへのは可笑しいでは無いか、だから横町の野蕃漢(じやがたら)に馬鹿にされるのだと言ひかけて我が弱いを恥かしさうな顏色、何心なく美登利と見合す目つきの可愛さ。お前の祭の姿(なり)は大層よく似合つて浦山しかつた、私も男だと彼んな風がして見たい、誰れのよりも宜く見えたと賞められて、何だ己れなんぞ、お前こそ美くしいや、廓内(なか)の大卷(おほまき)さんよりも奇麗だと皆がいふよ、お前が姉であつたら己れは何樣(どんな)に肩身が廣かろう、何處へゆくにも追從(つい)て行つて大威張りに威張るがな、一人も兄弟が無いから仕方が無い、ねへ美登利さん今度一處に寫眞を取らないか、我れは祭りの時の姿(なり)で、お前は透綾(すきや)のあら縞で意氣な形(なり)をして、水道尻の加藤でうつさう、龍華寺の奴が浦山しがるやうに、本當だぜ彼奴は岐度怒るよ、眞青に成つて怒るよ、にゑ肝(かん)だからね、赤くはならない、夫れとも笑ふかしら、笑はれても構はない、大きく取つて看板に出たら宜いな、お前は嫌やかへ、嫌やのやうな顏だものと恨めるもをかしく、變な顏にうつるとお前に嫌(き)らはれるからとて美登利ふき出して、高笑ひの美音に御機嫌や直りし。
 朝冷(あさすゞ)はいつしか過ぎて日かげの暑くなるに、正太さん又晩によ、私の寮へも遊びにお出でな、燈籠ながして、お魚追ひましよ、池の橋が直つたれば怕い事は無いと言ひ捨てに立出る美登利の姿、正太うれしげに見送つて美くしと思ひぬ。

       七

 龍華寺の信如、大黒屋の美登利、二人ながら學校は育英舍なり、去りし四月の末つかた、櫻は散りて青葉のかげに藤の花見といふ頃、春季の大運動會とて水の谷(や)の原にせし事ありしが、つな引、鞠なげ、繩とびの遊びに興をそへて長き日の暮るゝを忘れし、其折の事とや、信如いかにしたるか平常の沈着(おちつき)に似ず、池のほとりの松が根につまづきて赤土道に手をつきたれば、羽織の袂も泥に成りて見にくかりしを、居あはせたる美登利みかねて我が紅の絹はんけちを取出し、これにてお拭きなされと介抱をなしけるに、友達の中なる嫉妬(やきもち)や見つけて、藤本は坊主のくせに女と話をして、嬉しさうに禮を言つたは可笑しいでは無いか、大方美登利さんは藤本の女房(かみさん)になるのであらう、お寺の女房なら大黒さまと言ふのだなどゝ取沙汰しける、信如元來かゝる事を人の上に聞くも嫌ひにて、苦き顏して横を向く質なれば、我が事として我慢のなるべきや、夫れよりは美登利といふ名を聞くごとに恐ろしく、又あの事を言ひ出すかと胸の中もやくやして、何とも言はれぬ厭やな氣持なり、さりながら事ごとに怒りつける譯にもゆかねば、成るだけは知らぬ躰をして、平氣をつくりて、むづかしき顏をして遣り過ぎる心なれど、さし向ひて物などを問はれたる時の當惑さ、大方は知りませぬの一ト言にて濟ませど、苦しき汗の身うちに流れて心ぼそき思ひなり、美登利はさる事も心にとまらねば、最初(はじめ)は藤本さん藤本さんと親しく物いひかけ、學校退けての歸りがけに、我れは一足はやくて道端に珍らしき花などを見つくれば、おくれし信如を待合して、これ此樣(こんな)うつくしい花が咲てあるに、枝が高くて私には折れぬ、信さんは背が高ければお手が屆きましよ、後生折つて下されと一むれの中にては年長(としかさ)なるを見かけて頼めば、流石に信如袖ふり切りて行すぎる事もならず、さりとて人の思はくいよ/\愁(つ)らければ、手近の枝を引寄せて好惡(よしあし)かまはず申譯ばかりに折りて、投つけるやうにすたすたと行過ぎるを、さりとは愛敬の無き人と惘(あき)れし事も有しが、度かさなりての末には自ら故意(わざと)の意地惡のやうに思はれて、人には左もなきに我れにばかり愁らき處爲(しうち)をみせ、物を問へば碌な返事した事なく、傍へゆけば逃げる、はなしを爲れば怒る、陰氣らしい氣のつまる、どうして好いやら機嫌の取りやうも無い、彼のやうな六づかしやは思ひのまゝに捻れて怒つて意地わるが爲たいならんに、友達と思はずば口を利くも入らぬ事と美登利少し疳にさはりて、用の無ければ摺れ違ふても物いふた事なく、途中に逢ひたりとて挨拶など思ひもかけず、唯いつとなく二人の中に大川一つ横たはりて、舟も筏も此處には御法度、岸に添ふておもひおもひの道をあるきぬ。
 祭りは昨日に過ぎて其あくる日より美登利の學校へ通ふ事ふつと跡たえしは、問ふまでも無く額の泥の洗ふても消えがたき恥辱を、身にしみて口惜しければぞかし、表町とて横町とて同じ教場におし並べば朋輩に變りは無き筈を、をかしき分け隔てに常日頃意地を持ち、我れは女の、とても敵ひがたき弱味をば付目にして、まつりの夜の處爲(しうち)はいかなる卑怯ぞや、長吉のわからずやは誰れも知る亂暴の上なしなれど、信如の尻おし無くば彼れほどに思ひ切りて表町をば暴(あら)し得じ、人前をば物識(ものしり)らしく温順(すなほ)につくりて、陰に廻りて機關(からくり)の糸を引しは藤本の仕業に極まりぬ、よし級は上にせよ、學(もの)は出來るにせよ、龍華寺さまの若旦那にせよ、大黒屋の美登利紙一枚のお世話にも預からぬ物を、あのやうに乞食呼はりして貰ふ恩は無し、龍華寺は何(どれ)ほど立派な檀家ありと知らねど、我が姉さま三年の馴染に銀行の川樣、兜町の米樣もあり、議員の短小(ちい)さま根曳して奧さまにと仰せられしを、心意氣氣に入らねば姉さま嫌ひてお受けはせざりしが、彼の方とても世には名高きお人と遣手衆(やりてしゆ)の言はれし、嘘ならば聞いて見よ、大黒やに大卷の居ずば彼の樓(いへ)は闇とかや、さればお店の旦那とても父さん母さん我が身をも粗畧には遊ばさず、常々大切がりて床の間にお据へなされし瀬戸物の大黒樣をば、我れいつぞや坐敷の中にて羽根つくとて騷ぎし時、同じく並びし花瓶(はないけ)を仆し、散々に破損(けが)をさせしに、旦那次の間に御酒めし上りながら、美登利お轉婆が過ぎるのと言はれしばかり小言は無かりき、他の人ならば一通りの怒りでは有るまじと、女子衆達にあと/\まで羨まれしも必竟は姉さまの威光ぞかし、我れ寮住居に人の留守居はしたりとも姉は大黒屋の大卷、長吉風情に負(ひ)けを取るべき身にもあらず、龍華寺の坊さまにいぢめられんは心外と、これより學校へ通ふ事おもしろからず、我まゝの本性あなどられしが口惜しさに、石筆を折り墨をすて、書物(ほん)も十露盤(そろばん)も入らぬ物にして、中よき友と埓も無く遊びぬ。

       八

 走れ飛ばせの夕べに引かへて、明けの別れに夢をのせ行く車の淋しさよ、帽子まぶかに人目を厭ふ方樣もあり、手拭とつて頬かふり、彼女(あれ)が別れに名殘の一撃(うち)、いたさ身にしみて思ひ出すほど嬉しく、うす氣味わるやにたにたの笑ひ顏、坂本へ出ては用心し給へ千住がへりの青物車にお足元あぶなし、三嶋樣の角までは氣違ひ街道、御顏のしまり何れも緩(ゆ)るみて、はゞかりながら御鼻の下ながながと見えさせ給へば、そんじよ其處らに夫れ大した御男子樣(ごなんしさま)とて、分厘の價値(ねうち)も無しと、辻に立ちて御慮外を申もありけり。楊家(やうか)の娘君寵をうけてと長恨歌(ちやうごんか)を引出すまでもなく、娘の子は何處にも貴重がらるゝ頃なれど、此あたりの裏屋より赫奕姫(かくやひめ)の生るゝ事その例多し、築地の某屋(それや)に今は根を移して御前さま方の御相手、踊りに妙を得し雪といふ美形、唯今のお座敷にてお米のなります木はと至極あどけなき事は申とも、もとは此所の卷帶黨(まきおびづれ)にて花がるたの内職せしものなり、評判は其頃に高く去るもの日々に疎ければ、名物一つかげを消して二度目の花は紺屋の乙娘、今千束町に新つた屋の御神燈ほのめかして、小吉と呼ばるゝ公園の尤物(まれもの)も根生ひは同じ此處の土成し、あけくれの噂にも御出世といふは女に限りて、男は塵塚さがす黒斑(くろぶち)の尾の、ありて用なき物とも見ゆべし、此界隈に若い衆と呼ばるゝ町並の息子、生意氣ざかりの十七八より五人組、七人組、腰に尺八の伊達はなけれど、何とやら嚴めしき名の親分が手下(てか)につきて、揃ひの手ぬぐひ長提燈、賽ころ振る事おぼえぬうちは素見(ひやかし)の格子先に思ひ切つての串戲も言ひがたしとや、眞面目につとむる我が家業は晝のうちばかり、一風呂浴びて日の暮れゆけば突かけ下駄に七五三の着物、何屋の店の新妓(しんこ)を見たか、金杉の糸屋が娘に似て最う一倍鼻がひくいと、頭腦(あたま)の中を此樣な事にこしらへて、一軒ごとの格子に烟草の無理どり鼻紙の無心、打ちつ打たれつ是れを一世の譽と心得れば、堅氣の家の相續息子地廻りと改名して、大門際に喧嘩かひと出るもありけり、見よや女子(をんな)の勢力(いきほひ)と言はぬばかり、春秋しらぬ五丁町の賑ひ、送りの提燈(かんばん)いま流行らねど、茶屋が廻女(まはし)の雪駄のおとに響き通へる歌舞音曲、うかれうかれて入込む人の何を目當と言問はゞ、赤ゑり赭熊(しやぐま)に裲襠(うちかけ)の裾ながく、につと笑ふ口元目もと、何處が美(よ)いとも申がたけれど華魁衆(おいらんしゆ)とて此處にての敬ひ、立はなれては知るによしなし、かゝる中にて朝夕を過ごせば、衣(きぬ)の白地の紅に染む事無理ならず、美登利の眼の中に男といふ者さつても怕からず恐ろしからず、女郎といふ者さのみ賤しき勤めとも思はねば、過ぎし故郷を出立の當時ないて姉をば送りしこと夢のやうに思はれて、今日此頃の全盛に父母への孝養うらやましく、お職を徹す姉が身の、憂いの愁(つ)らいの數も知らねば、まち人戀ふる鼠なき格子の咒文、別れの背中に手加減の祕密(おく)まで、唯おもしろく聞なされて、廓ことばを町にいふまで去りとは恥かしからず思へるも哀なり、年はやう/\數への十四、人形抱いて頬ずりする心は御華族の御姫樣とて變りなけれど、修身の講義、家政學のいくたても學びしは學校にてばかり、誠あけくれ耳に入りしは好いた好かぬの客の風説(うはさ)、仕着せ積み夜具茶屋への行わたり、派手は美事に、かなはぬは見すぼらしく、人事我事分別をいふはまだ早し、幼な心に目の前の花のみはしるく、持まへの負けじ氣性は勝手に馳せ廻りて雲のやうな形をこしらへぬ、氣違ひ街道、寐ぼれ道、朝がへりの殿がた一順すみて朝寐の町も門の箒目(はゝきめ)青海波(せいがいは)をゑがき、打水よきほどに濟みし表町の通りを見渡せば、來るは來るは、萬年町山伏町、新谷町あたりを塒(ねぐら)にして、一能一術これも藝人の名はのがれぬ、よか/\飴や輕業師、人形つかひ大神樂、住吉をどりに角兵衞獅子、おもひおもひの扮粧(いでたち)して、縮緬透綾(ちりめんすきや)の伊達もあれば、薩摩がすりの洗ひ着に黒襦子の幅狹帶、よき女もあり男もあり、五人七人十人一組の大たむろもあれば、一人淋しき痩(や)せ老爺(おやぢ)の破れ三味線かゝへて行くもあり、六つ五つなる女の子に赤襷させて、あれは紀の國おどらするも見ゆ、お顧客(とくい)は廓内に居つゞけ客のなぐさみ、女郎の憂さ晴らし、彼處に入る身の生涯やめられぬ得分ありと知られて、來るも來るも此處らの町に細かしき貰ひを心に止めず、裾に海草(みるめ)のいかゞはしき乞食さへ門には立たず行過るぞかし、容顏(きりやう)よき女太夫の笠にかくれぬ床しの頬を見せながら、喉自慢、腕自慢、あれ彼の聲を此町には聞かせぬが憎くしと筆やの女房舌うちして言へば、店先に腰をかけて往來を眺めし湯がへりの美登利、はらりと下る前髮の毛を黄楊(つげ)の□櫛(びんぐし)にちやつと掻きあげて、伯母さんあの太夫さん呼んで來ませうとて、はたはた驅けよつて袂にすがり、投げ入れし一品を誰れにも笑つて告げざりしが好みの明烏さらりと唄はせて、又御贔負をの嬌音これたやすくは買ひがたし、彼れが子供の処業かと寄集りし人舌を卷いて太夫よりは美登利の顏を眺めぬ、伊達には通るほどの藝人を此處にせき止めて、三味の音、笛の音、太皷の音、うたはせて舞はせて人の爲ぬ事して見たいと折ふし正太に□(ささや)いて聞かせれば、驚いて呆れて己らは嫌やだな。

       九

 如是我聞(によぜがもん)、佛説阿彌陀經(ぶつせつあみだきやう)、聲は松風に和(くわ)して心のちりも吹拂はるべき御寺樣の庫裏(くり)より生魚あぶる烟なびきて、卵塔場(らんたふば)に嬰兒(やゝ)の襁褓(むつき)ほしたるなど、お宗旨によりて構ひなき事なれども、法師を木のはしと心得たる目よりは、そゞろに腥(なまぐさ)く覺ゆるぞかし、龍華寺の大和尚身代と共に肥へ太りたる腹なり如何にも美事に、色つやの好きこと如何なる賞め言葉を參らせたらばよかるべき、櫻色にもあらず、緋桃の花でもなし、剃りたてたる頭より顏より首筋にいたるまで銅色(あかゞねいろ)の照りに一點のにごりも無く、白髮もまじる太き眉をあげて心まかせの大笑ひなさるゝ時は、本堂の如來さま驚きて臺座より轉(まろ)び落給はんかと危ぶまるゝやうなり、御新造はいまだ四十の上を幾らも越さで、色白に髮の毛薄く、丸髷も小さく結ひて見ぐるしからぬまでの人がら、參詣人へも愛想よく門前の花屋が口惡る嬶(かゝ)も兎角の蔭口を言はぬを見れば、着ふるしの裕衣、總菜のお殘りなどおのづからの御恩も蒙るなるべし、もとは檀家の一人成しが早くに良人を失なひて寄る邊なき身の暫時こゝにお針やとひ同樣、口さへ濡らさせて下さらばとて洗ひ濯(そゝ)ぎよりはじめてお菜ごしらへは素よりの事、墓場の掃除に男衆の手を助くるまで働けば、和尚さま經濟より割出しての御ふ憫かゝり、年は二十から違うて見ともなき事は女も心得ながら、行き處なき身なれば結句よき死場處と人目を恥ぢぬやうに成りけり、にが/\しき事なれども女の心だて惡るからねば檀家の者も左のみは咎めず、總領の花といふを懷胎(まうけ)し頃、檀家の中にも世話好きの名ある坂本の油屋が隱居さま仲人といふも異な物なれど進めたてゝ表向きのものにしける、信如も此人の腹より生れて男女二人の同胞(きやうだい)、一人は如法(によほふ)の變屈ものにて一日部屋の中にまぢ/\と陰氣らしき生(むま)れなれど、姉のお花は皮薄の二重腮(あご)かわゆらしく出來たる子なれば、美人といふにはあらねども年頃といひ人の評判もよく、素人にして捨てゝ置くは惜しい物の中に加へぬ、さりとてお寺の娘に左り褄、お釋迦が三味ひく世は知らず人の聞え少しは憚かられて、田町の通りに葉茶屋の店を奇麗にしつらへ、帳場格子のうちに此娘(こ)を据へて愛敬を賣らすれば、科りの目は兎に角勘定しらずの若い者など、何がなしに寄つて大方毎夜十二時を聞くまで店に客のかげ絶えたる事なし、いそがしきは、大和尚、貸金の取たて、店への見廻り、法用のあれこれ、月の幾日(いくか)は説教日の定めもあり帳面くるやら經よむやら斯くては身躰のつゞき難しと夕暮れの縁先に花むしろを敷かせ、片肌ぬぎに團扇づかひしながら大盃に泡盛をなみなみと注がせて、さかなは好物の蒲燒を表町のむさし屋へあらい處をとの誂へ、承りてゆく使ひ番は信如の役なるに、其嫌やなること骨にしみて、路を歩くにも上を見し事なく、筋向ふの筆やに子供づれの聲を聞けば我が事を誹らるゝかと情なく、そしらぬ顏に鰻屋の門を過ぎては四邊(あたり)に人目の隙をうかゞひ、立戻つて駈け入る時の心地、我身限つて腥きものは食べまじと思ひぬ。
 父親和尚は何處までもさばけたる人にて、少しは欲深の名にたてども人の風説(うはさ)に耳をかたぶけるやうな小膽にては無く、手の暇あらば熊手の内職もして見やうといふ氣風なれば、霜月の酉(とり)には論なく門前の明地に簪(かんざし)の店を開き、御新造に手拭ひかぶらせて縁喜(えんぎ)の宜いのをと呼ばせる趣向、はじめは恥かしき事に思ひけれど、軒ならび素人の手業にて莫大の儲けと聞くに、此雜踏の中といひ誰れも思ひ寄らぬ事なれば日暮れよりは目にも立つまじと思案して、晝間は花屋の女房に手傳はせ、夜に入りては自身(みづから)をり立て呼たつるに、欲なれやいつしか恥かしさも失せて、思はず聲だかに負ましよ負ましよと跡を追ふやうに成りぬ、人波にもまれて買手も眼の眩みし折なれば、現在後世(ごせ)ねがひに一昨日來たりし門前も忘れて、簪三本七十五錢と懸直(かけね)すれば、五本ついたを三錢ならばと直切(ねぎ)つて行く、世はぬば玉の闇の儲はこのほかにも有るべし、信如は斯かる事どもいかにも心ぐるしく、よし檀家の耳には入らずとも近邊の人々が思わく、子供中間の噂にも龍華寺では簪の店を出して、信さんが母さんの狂氣面(きちがひづら)して賣つて居たなどゝ言はれもするやと恥かしく、其樣な事は止しにしたが宜う御座りませうと止めし事も有りしが、大和尚大笑ひに笑ひすてゝ、默つて居ろ、默つて居ろ、貴樣などが知らぬ事だわとて丸々相手にしては呉れず、朝念佛に夕勘定、そろばん手にしてにこ/\と遊ばさるゝ顏つきは我親ながら淺ましくて、何故その頭(つむり)は丸め給ひしぞと恨めしくも成りぬ。
 元來(もとより)一腹一對の中に育ちて他人交ぜずの穩かなる家の内なれば、さして此兒を陰氣ものに仕立あげる種は無けれども、性來をとなしき上に我が言ふ事の用ひられねば兎角に物のおもしろからず、父が仕業も母の處作も姉の教育(したて)も、悉皆あやまりのやうに思はるれど言ふて聞かれぬ物ぞと諦めればうら悲しき樣に情なく、友朋輩は變屈者の意地わると目ざせども自ら沈み居る心の底の弱き事、我が蔭口を露ばかりもいふ者ありと聞けば、立出でゝ喧嘩口論の勇氣もなく、部屋にとぢ籠つて人に面の合はされぬ臆病至極の身なりけるを、學校にての出來ぶりといひ身分がらの卑しからぬにつけても然(さ)る弱虫とは知る物なく、龍華寺の藤本は生煮えの餅のやうに眞があつて氣に成る奴と憎くがるものも有りけらし。

       十

 祭りの夜は田町の姉のもとへ使を命令(いひつけ)られて、更るまで我家へ歸らざりければ、筆やの騷ぎは夢にも知らず、明日に成りて丑松文次その外の口よりこれ/\で有つたと傳へらるゝに、今更ながら長吉の亂暴に驚けども濟みたる事なれば咎めだてするも詮なく、我が名を借りられしばかりつく/″\迷惑に思はれて、我が爲したる事ならねど人々への氣の毒を身一つに背負たる樣の思ひありき、長吉も少しは我が遣りそこねを恥かしう思ふかして信如に逢はゞ小言や聞かんと其の三四日は姿も見せず、やゝ餘炎(ほとぼり)のさめたる頃に信さんお前は腹を立つか知らないけれど時の拍子だから堪忍して置いて呉んな、誰れもお前正太が明巣(あきす)とは知るまいでは無いか、何も女郎(めらう)の一疋位相手にして三五郎を擲りたい事も無かつたけれど、萬燈を振込んで見りやあ唯も歸れない、ほんの附景氣に詰らない事をしてのけた、夫りやあ己れが何處までも惡るいさ、お前の命令(いひつけ)を聞かなかつたは惡るからうけれど、今怒られては法(かた)なしだ、お前といふ後だてが有るので己らあ大舟に乘つたやうだに、見すてられちまつては困るだらうじや無いか、嫌やだとつても此組の大將で居てくんねへ、左樣どち[#「どち」はママ]斗(ばかり)は組まないからとて面目なさゝうに謝罪(わび)られて見れば夫れでも私は嫌やだとも言ひがたく、仕方が無い遣る處までやるさ、弱い者いぢめは此方の恥になるから三五郎や美登利を相手にしても仕方が無い、正太に末社がついたら其時のこと、決して此方から手出しをしてはならないと留めて、さのみは長吉をも叱り飛ばさねど再び喧嘩のなきやうにと祈られぬ。
 罪のない子は横町の三五郎なり、思ふさまに擲かれて蹴られて其二三日は立居も苦しく、夕ぐれ毎に父親が空車を五十軒の茶屋が軒まで運ぶにさへ、三公は何うかしたか、ひどく弱つて居るやうだなと見知りの臺屋に咎められしほど成しが、父親はお辭義の鐵とて目上の人に頭をあげた事なく廓内(なか)の旦那は言はずともの事、大屋樣地主樣いづれの御無理も御尤と受ける質なれば、長吉と喧嘩してこれこれの亂暴に逢ひましたと訴へればとて、それは何うも仕方が無い大屋さんの息子さんでは無いか、此方に理が有らうが先方(さき)が惡るからうが喧嘩の相手に成るといふ事は無い、謝罪(わび)て來い謝罪て來い途方も無い奴だと我子を叱りつけて、長吉がもとへあやまりに遣られる事必定なれば、三五郎は口惜しさを噛みつぶして七日十日と程をふれば、痛みの場處の愈(なほ)ると共に其うらめしさも何時しか忘れて、頭(かしら)の家の赤ん坊が守りをして二錢が駄賃をうれしがり、ねん/\よ、おころりよ、と背負ひあるくさま、年はと問へば生意氣ざかりの十六にも成りながら其大躰(づうたい)を恥かしげにもなく、表町へものこ/\と出かけるに、何時も美登利と正太が嬲(なぶ)りものに成つて、お前は性根を何處へ置いて來たとからかはれながらも遊びの中間は外れざりき。
 春は櫻の賑ひよりかけて、なき玉菊が燈籠の頃、つゞいて秋の新仁和賀には十分間に車の飛ぶ事此通りのみにて七十五輛と數へしも、二の替りさへいつしか過ぎて、赤蜻蛉田圃に乱るれば横堀に鶉(うづら)なく頃も近づきぬ、朝夕の秋風身にしみ渡りて上清(じやうせい)が店の蚊遣香懷爐灰に座をゆづり、石橋の田村やが粉挽く臼の音さびしく、角海老(かどえび)が時計の響きもそゞろ哀れの音を傳へるやうに成れば、四季絶間なき日暮里(につぽり)の火の光りも彼れが人を燒く烟りかとうら悲しく、茶屋が裏ゆく土手下の細道に落かゝるやうな三味の音を仰いで聞けば、仲之町藝者が冴えたる腕に、君が情の假寐(かりね)の床にと何ならぬ一ふし哀れも深く、此時節より通ひ初(そむ)るは浮かれ浮かるゝ遊客ならで、身にしみ/″\と實のあるお方のよし、遊女(つとめ)あがりの去る女(ひと)が申き、此ほどの事かゝんもくだ/\しや大音寺前にて珍らしき事は盲目按摩の二十ばかりなる娘、かなはぬ戀に不自由なる身を恨みて水の谷の池に入水(じゆすゐ)したるを新らしい事とて傳へる位なもの、八百屋の吉五郎に大工の太吉がさつぱりと影を見せぬが何とかせしと問ふに此一件であげられましたと、顏の眞中へ指をさして、何の子細なく取立てゝ噂をする者もなし、大路を見渡せば罪なき子供の三五人手を引つれて開いらいた開らいた何の花ひらいたと、無心の遊びも自然と靜かにて、廓に通ふ車の音のみ何時に變らず勇ましく聞えぬ。
 秋雨しと/\と降るかと思へばさつと音して運びくる樣なる淋しき夜、通りすがりの客をば待たぬ店なれば、筆やの妻は宵のほどより表の戸をたてゝ、中に集まりしは例の美登利に正太郎、その外には小さき子供の二三人寄りて細螺(きしやご)はじきの幼なげな事して遊ぶほどに、美登利ふと耳を立てゝ、あれ誰れか買物に來たのでは無いか溝板を踏む足音がするといへば、おや左樣か、己いらは少つとも聞なかつたと正太もちう/\たこかいの手を止めて、誰れか中間が來たのでは無いかと嬉しがるに、門なる人は此店の前まで來たりける足音の聞えしばかり夫れよりはふつと絶えて、音も沙汰もなし。

       十一

 正太は潜りを明けて、ばあと言ひながら顏を出すに、人は二三軒先の軒下をたどりて、ぽつ/\と行く後影、誰れ誰れだ、おいお這入よと聲をかけて、美登利が足駄を突かけばきに、降る雨を厭はず驅け出さんとせしが、あゝ彼奴だと一ト言、振かへつて、美登利さん呼んだつても來はしないよ、一件だもの、と自分の頭(つむり)を丸めて見せぬ。
 信さんかへ、と受けて、嫌やな坊主つたら無い、屹度筆か何か買ひに來たのだけれど、私たちが居るものだから立聞きをして歸つたのであらう、意地惡るの、根生(こんじやう)まがりの、ひねつこびれの、吃(どんも)りの、齒(はッ)かけの、嫌やな奴め、這入つて來たら散々と窘(いぢ)めてやる物を、歸つたは惜しい事をした、どれ下駄をお貸し、一寸見てやる、とて正太に代つて顏を出せば軒の雨だれ前髮に落ちて、おゝ氣味が惡るいと首を縮めながら、四五軒先の瓦斯燈の下を大黒傘肩にして少しうつむいて居るらしくとぼ/\と歩む信如の後かげ、何時までも、何時までも、何時までも見送るに、美登利さん何うしたの、と正太は怪しがりて背中をつゝきぬ。
 何うもしない、と氣の無い返事をして、上へあがつて細螺を數へながら、本當に嫌やな小僧とつては無い、表向きに威張つた喧嘩は出來もしないで、温順しさうな顏ばかりして、根生がくす/\して居るのだもの憎くらしからうでは無いか、家の母さんが言ふて居たつけ、瓦落(がら)/\して居る者は心が好いのだと、夫れだからくす/\して居る信さん何かは心が惡るいに相違ない、ねへ正太さん左樣であらう、と口を極めて信如の事を惡く言へば、夫れでも龍華寺はまだ物が解つて居るよ、長吉と來たら彼れははやと、生意氣に大人の口を眞似れば、お廢しよ正太さん、子供の癖にませた樣でをかしい、お前は餘つぽど剽輕(へうきん)ものだね、とて美登利は正太の頬をつゝいて、其眞面目がほはと笑ひこけるに、己らだつても最少し經てば大人になるのだ、蒲田屋の旦那のやうに角袖外套か何か着てね、祖母さんが仕舞つて置く金時計を貰つて、そして指輪もこしらへて、卷煙草を吸つて、履く物は何が宜からうな、己らは下駄より雪駄が好きだから、三枚裏にして繻珍の鼻緒といふのを履くよ、似合ふだらうかと言へば、美登利はくす/\笑ひながら、背の低い人が角袖外套に雪駄ばき、まあ何んなにか可笑しからう、目藥の瓶が歩くやうであらうと誹(おと)すに、馬鹿を言つて居らあ、それまでには己らだつて大きく成るさ、此樣な小つぽけでは居ないと威張るに、夫れではまだ何時の事だか知れはしない、天井の鼠があれ御覽、と指をさすに、筆やの女房(つま)を始めとして座にある者みな笑ひころげぬ。
 正太は一人眞面目に成りて例の目の玉ぐる/\とさせながら、美登利さんは冗談にして居るのだね、誰れだつて大人に成らぬ者は無いに、己らの言ふが何故をかしからう、奇麗な嫁さんを貰つて連れて歩くやうに成るのだがなあ、己らは何でも奇麗のが好きだから、煎餅やのお福のやうな痘痕(みつちや)づらや、薪やのお出額(でこ)のやうなが萬一(もし)來ようなら、直さま追出して家へは入れて遣らないや、己らは痘痕(あばた)と濕(しつ)つかきは大嫌ひと力を入れるに、主人(あるじ)の女は吹出して、それでも正さん宜く私が店へ來て下さるの、伯母さんの痘痕は見えぬかえと笑ふに、夫れでもお前は年寄りだもの、己らの言ふのは嫁さんの事さ、年寄りは何(どう)でも宜いとあるに、夫れは大失敗(おほしくじり)だねと筆やの女房おもしろづくに御機嫌を取りぬ。
 町内で顏の好いのは花屋のお六さんに、水菓子やの喜いさん、夫れよりも、夫れよりもずんと好いはお前の隣に据つてお出なさるのなれど、正太さんはまあ誰れにしようと極めてあるえ、お六さんの眼つきか、喜いさんの清元か、まあ何れをえ、と問はれて、正太顏を赤くして、何だお六づらや、喜い公、何處が好い者かと釣りらんぷの下を少し居退きて、壁際の方へと尻込みをすれば、それでは美登利さんが好いのであらう、さう極めて御座んすの、と圖星をさゝれて、そんな事を知る物か、何だ其樣な事、とくるり後を向いて壁の腰ばりを指でたゝきながら、廻れ/\水車を小音に唱ひ出す、美登利は衆人(おほく)の細螺(きしやご)を集めて、さあ最う一度はじめからと、これは顏をも赤らめざりき。

       十二

 信如が何時も田町へ通ふ時、通らでも事は濟めども言はゞ近道の土手々前に、假初の格子門、のぞけば鞍馬の石燈籠に萩の袖垣しをらしう見えて、椽先に卷きたる簾のさまもなつかしう、中がらすの障子のうちには今樣の按察(あぜち)の後室が珠數をつまぐつて、冠(かぶ)つ切りの若紫も立出るやと思はるゝ、その一ツ構へが大黒屋の寮なり。
 昨日も今日も時雨の空に、田町の姉より頼みの長胴着が出來たれば、暫時(すこし)も早う重ねさせたき親心、御苦勞でも學校まへの一寸の間に持つて行つて呉れまいか、定めて花も待つて居ようほどに、と母親よりの言ひつけを、何も嫌やとは言ひ切られぬ温順しさに、唯はい/\と小包みを抱へて、鼠小倉の緒のすがりし朴木齒(ほゝのきば)の下駄ひたひたと、信如は雨傘さしかざして出ぬ。
 お齒ぐろ溝の角より曲りて、いつも行くなる細道をたどれば、運わるう大黒やの前まで來し時、さつと吹く風大黒傘の上を抓(つか)みて、宙へ引あげるかと疑ふばかり烈しく吹けば、これは成らぬと力足を踏こたゆる途端、さのみに思はざりし前鼻緒のずる/\と拔けて、傘よりもこれこそ一の大事に成りぬ。
 信如こまりて舌打はすれども、今更何と法のなければ、大黒屋の門に傘を寄せかけ、降る雨を庇に厭ふて鼻緒をつくろふに、常々仕馴れぬお坊さまの、これは如何な事、心ばかりは急(あせ)れども、何としても甘(うま)くはすげる事の成らぬ口惜しさ、ぢれて、ぢれて、袂の中から記事文の下書きして置いた大半紙を抓(つか)み出し、ずん/\と裂きて紙縷(こより)をよるに、意地わるの嵐またもや落し來て、立かけし傘のころころと轉がり出るを、いま/\しい奴めと腹立たしげにいひて、取止めんと手を延ばすに、膝へ乘せて置きし小包み意久地もなく落ちて、風呂敷は泥に、我着る物の袂までを汚しぬ。
 見るに氣の毒なるは雨の中の傘なし、途中に鼻緒を踏み切りたるばかりは無し、美登利は障子の中ながら硝子ごしに遠く眺めて、あれ誰れか鼻緒を切つた人がある、母さん切れを遣つても宜う御座んすかと尋ねて、針箱の引出しから友仙ちりめんの切れ端をつかみ出し、庭下駄はくも鈍(もど)かしきやうに、馳せ出でゝ椽先の洋傘(かうもり)さすより早く、庭石の上を傳ふて急ぎ足に來たりぬ。
 それと見るより美登利の顏は赤う成りて、何のやうの大事にでも逢ひしやうに、胸の動悸の早くうつを、人の見るかと背後(うしろ)の見られて、恐る/\門の侍(そば)へ寄れば、信如もふつと振返りて、此れも無言に脇を流るゝ冷汗、跣足になりて逃げ出したき思ひなり。
 平常(つね)の美登利ならば信如が難義の體を指さして、あれ/\彼の意久地なしと笑ふて笑ふて笑ひ拔いて、言ひたいまゝの惡まれ口、よくもお祭りの夜は正太さんに仇をするとて私たちが遊びの邪魔をさせ、罪も無い三ちやんを擲(たゝ)かせて、お前は高見で采配(さいはい)を振つてお出なされたの、さあ謝罪(あやまり)なさんすか、何とで御座んす、私の事を女郎女郎と長吉づらに言はせるのもお前の指圖、女郎でも宜いでは無いか、塵一本お前さんが世話には成らぬ、私には父さんもあり母さんもあり、大黒屋の旦那も姉さんもある、お前のやうな腥(なまぐさ)のお世話には能うならぬほどに餘計な女郎呼はり置いて貰ひましよ、言ふ事があらば陰のくす/\ならで此處でお言ひなされ、お相手には何時でも成つて見せまする、さあ何とで御座んす、と袂を捉(と)らへて捲(まく)しかくる勢ひ、さこそは當り難うもあるべきを、物いはず格子のかげに小隱れて、さりとて立去るでも無しに唯うぢ/\と胸とゞろかすは平常の美登利のさまにては無かりき。

       十三

 此處は大黒屋のと思ふ時より信如は物の恐ろしく、左右を見ずして直(ひた)あゆみに爲しなれども、生憎(あやにく)の雨、あやにくの風、鼻緒をさへに踏切りて、詮なき門下に紙縷を縷(よ)る心地、憂き事さま/″\に何うも堪へられぬ思ひの有しに、飛石の足音は背より冷水をかけられるが如く、顧みねども其人と思ふに、わな/\と慄へて顏の色も變るべく、後向きに成りて猶も鼻緒に心を盡すと見せながら、半は夢中に此下駄いつまで懸りても履ける樣には成らんともせざりき。
 庭なる美登利はさしのぞいて、ゑゝ不器用な彼んな手つきして何うなる物ぞ、紙縷は婆々縷(ばゝより)、藁しべなんぞ前壺に抱かせたとて長もちのする事では無い、夫れ/\羽織の裾が地について泥に成るは御存じ無いか、あれ傘が轉がる、あれを疊んで立てかけて置けば好いにと一々鈍(もど)かしう齒がゆくは思へども、此處に裂れが御座んす、此裂(これ)でおすげなされと呼かくる事もせず、これも立盡して降雨袖に侘しきを、厭ひもあへず小隱れて覗ひしが、さりとも知らぬ母の親はるかに聲を懸けて、火のしの火が熾(おこ)りましたぞえ、此美登利さんは何を遊んで居る、雨の降るに表へ出ての惡戲は成りませぬ、又此間のやうに風引かうぞと呼立てられるに、はい今行ますと大きく言ひて、其聲信如に聞えしを恥かしく、胸はわくわくと上氣して、何うでも明けられぬ門の際(きは)にさりとも見過しがたき難義をさま/″\の思案盡して、格子の間より手に持つ裂れを物いはず投げ出せば、見ぬやうに見て知らず顏を信如のつくるに、ゑゝ例(いつも)の通りの心根と遣る瀬なき思ひを眼に集めて、少し涕の恨み顏、何を憎んで其やうに無情(つれなき)そぶりは見せらるゝ、言ひたい事は此方にあるを、餘りな人とこみ上るほど思ひに迫れど、母親の呼聲しば/\なるを侘しく、詮方なさに一ト足二タ足ゑゝ何ぞいの未練くさい、思はく恥かしと身をかへして、かた/\と飛石を傳ひゆくに、信如は今ぞ淋しう見かへれば紅入り友仙の雨にぬれて紅葉の形(かた)のうるはしきが我が足ちかく散ぼひたる、そゞろに床しき思ひは有れども、手に取あぐる事をもせず空しう眺めて憂き思ひあり。
 我が不器用をあきらめて、羽織の紐の長きをはづし、結ひつけにくる/\と見とむなき間に合せをして、これならばと踏試るに、歩きにくき事言ふばかりなく、此下駄で田町まで行く事かと今さら難義は思へども詮方なくて立上る信如、小包みを横に二タ足ばかり此門をはなるるにも、友仙の紅葉眼に殘りて、捨てゝ過ぐるにしのび難く心殘りして見返れば、信さん何うした鼻緒を切つたのか、其姿(なり)は何(どう)だ、見ッとも無いなと不意に聲を懸くる者のあり。
 驚いて見かへるに暴れ者の長吉、いま廓内(なか)よりの歸りと覺しく、裕衣を重ねし唐棧の着物に柿色の三尺を例の通り腰の先にして、黒八の襟のかゝつた新らしい半天、印の傘をさしかざし高足駄の爪皮も今朝よりとはしるき漆(うるし)の色、きわ/″\しう見えて誇らし氣なり。
 僕は鼻緒を切つて仕舞つて何う爲ようかと思つて居る、本當に弱つて居るのだ、と信如の意久地なき事を言へば、左樣だらうお前に鼻緒の立ッこは無い、好いや己れの下駄を履いて行きねへ、此鼻緒は大丈夫だよといふに、夫れでもお前が困るだらう。何己れは馴れた物だ、斯うやつて斯うすると言ひながら急遽(あわたゞ)しう七分三分に尻端折て、其樣な結ひつけなんぞより是れが爽快(さつぱり)だと下駄を脱ぐに、お前跣足(はだし)になるのか夫れでは氣の毒だと信如困り切るに、好いよ、己れは馴れた事だ信さんなんぞは足の裏が柔らかいから跣足で石ごろ道は歩けない、さあ此れを履いてお出で、と揃へて出す親切さ、人には疫病神のやうに厭はれながらも毛虫眉毛を動かして優しき詞のもれ出るぞをかしき。信さんの下駄は己れが提げて行かう、臺處(だいどこ)へ抛り込んで置たら子細はあるまい、さあ履き替へて夫れをお出しと世話をやき、鼻緒の切れしを片手に提げて、それなら信さん行てお出、後刻(のち)に學校で逢はうぜの約束、信如は田町の姉のもとへ、長吉は我家の方(かた)へと行別れるに思ひの止まる紅入の友仙は可憐(いぢら)しき姿を空しく格子門の外にと止めぬ。

       十四

 此年三の酉まで有りて中一日はつぶれしかど前後の上天氣に大鳥神社の賑ひすさまじく此處をかこつけに檢査場の門より乱れ入る若人達の勢ひとては、天柱くだけ、地維(ちい)かくるかと思はるゝ笑ひ聲のどよめき、中之町の通りは俄かに方角の替りしやうに思はれて、角町(すみちやう)京町(きやうまち)處々のはね橋より、さつさ押せ/\と猪牙(ちよき)がゝつた言葉に人波を分くる群もあり、河岸の小店の百囀(もゝさへ)づりより、優にうづ高き大籬(おほまがき)の樓上まで、絃歌の聲のさま/″\に沸き來るやうな面白さは大方の人おもひ出でゝ忘れぬ物に思(おぼ)すも有るべし。正太は此日日がけの集めを休ませ貰ひて、三五郎が大頭(おほがしら)の店を見舞ふやら、團子屋の背高が愛想氣のない汁粉やを音づれて、何うだ儲けがあるかえと言へば、正さんお前好い處へ來た、我れが□この種なしに成つて最う今からは何を賣らう、直樣煮かけては置いたけれど中途(なかたび)お客は斷れない、何うしような、と相談を懸けられて、智惠無しの奴め大鍋の四邊(ぐるり)に夫(そ)れッ位無駄がついて居るでは無いか、夫れへ湯を廻して砂糖さへ甘くすれば十人前や二十人は浮いて來よう、何處でも皆な左樣するのだお前の店(とこ)ばかりではない、何此騷ぎの中で好惡(よしあし)を言ふ物が有らうか、お賣りお賣りと言ひながら先に立つて砂糖の壺を引寄すれば、目ッかちの母親おどろいた顏をして、お前さんは本當に商人(あきんど)に出來て居なさる、恐ろしい智惠者だと賞めるに、何だ此樣な事が智惠者な物か、今横町の潮吹きの處で□が足りないッて此樣やつたを見て來たので己れの發明では無い、と言ひ捨てゝ、お前は知らないか美登利さんの居る處を、己れは今朝から探して居るけれど何處へ行たか筆やへも來ないと言ふ、廓内(なか)だらうかなと問へば、むゝ美登利さんはな今の先己れの家の前を通つて揚屋町の刎橋(はねばし)から這入つて行た、本當に正さん大變だぜ、今日はね、髮を斯ういふ風にこんな嶋田に結つてと、變てこな手つきして、奇麗だね彼の娘(こ)はと鼻を拭つゝ言へば、大卷さんより猶美(い)いや、だけれど彼の子も華魁(おいらん)に成るのでは可憐さうだと下を向ひて正太の答ふるに、好いじやあ無いか華魁になれば、己れは來年から際物屋(きはものや)に成つてお金をこしらへるがね、夫れを持つて買ひに行くのだと頓馬を現はすに、洒落(しやら)くさい事を言つて居らあ左うすればお前はきつと振られるよ。何故々々。何故でも振られる理由(わけ)が有るのだもの、と顏を少し染めて笑ひながら、夫れじやあ己れも一廻りして來ようや、又後に來るよと捨て臺辭して門に出て、十六七の頃までは蝶よ花よと育てられ、と怪しきふるへ聲に此頃此處の流行(はやり)ぶしを言つて、今では勤めが身にしみてと口の内にくり返し、例の雪駄の音たかく浮きたつ人の中に交りて小さき身躰は忽ちに隱れつ。
 揉まれて出し廓の角、向ふより番頭新造のお妻と連れ立ちて話しながら來るを見れば、まがひも無き大黒屋の美登利なれども誠に頓馬の言ひつる如く、初々しき大嶋田結ひ綿のやうに絞りばなしふさふさとかけて、鼈甲(べつかう)のさし込、總(ふさ)つきの花かんざしひらめかし、何時よりは極彩色のたゞ京人形を見るやうに思はれて、正太はあつとも言はず立止まりしまゝ例(いつも)の如くは抱きつきもせで打守るに、彼方(こなた)は正太さんかとて走り寄り、お妻どんお前買ひ物が有らば最う此處でお別れにしましよ、私は此人と一處に歸ります、左樣ならとて頭を下げるに、あれ美いちやんの現金な、最うお送りは入りませぬとかえ、そんなら私は京町で買物しましよ、とちよこ/\走りに長屋の細道へ驅け込むに、正太はじめて美登利の袖を引いて好く似合ふね、いつ結つたの今朝かへ昨日かへ何故はやく見せては呉れなかつた、と恨めしげに甘ゆれば、美登利打しほれて口重く、姉さんの部屋で今朝結つて貰つたの、私は厭やでしようが無い、とさし俯向きて往來を恥ぢぬ。

       十五

 憂く恥かしく、つゝましき事身にあれば人の褒めるは嘲りと聞なされて、嶋田の髷のなつかしさに振かへり見る人たちをば我れを蔑む眼つきと察(と)られて、正太さん私は自宅(うち)へ歸るよと言ふに、何故今日は遊ばないのだらう、お前何か小言を言はれたのか、大卷さんと喧嘩でもしたのでは無いか、と子供らしい事を問はれて答へは何と顏の赤(あから)むばかり、連れ立ちて團子屋の前を過ぎるに頓馬は店より聲をかけてお中が宜しう御座いますと仰山な言葉を聞くより美登利は泣きたいやうな顏つきして、正太さん一處に來ては嫌やだよと、置きざりに一人足を早めぬ。
 お酉さまへ諸共にと言ひしを道引違へて我が家の方(かた)へと美登利の急ぐに、お前一處には來て呉れないのか、何故其方へ歸つて仕舞ふ、餘りだぜと例の如く甘へてかゝるを振切るやうに物言はず行けば、何の故とも知らねども正太は呆れて追ひすがり袖を止めては怪しがるに、美登利顏のみ打赤めて、何でも無い、と言ふ聲理由(わけ)あり。
 寮の門をばくゞり入るに正太かねても遊びに來馴れて左のみ遠慮の家にもあらねば、跡より續いて椽先からそつと上るを、母親見るより、おゝ正太さん宜く來て下さつた、今朝から美登利の機嫌が惡くて皆なあぐねて困つて居ます、遊んでやつて下されと言ふに、正太は大人らしう惶(かしこま)りて加減が惡るいのですかと眞面目に問ふを、いゝゑ、と母親怪しき笑顏をして少し經てば愈(なほ)りませう、いつでも極りの我まゝ樣(さん)、嘸お友達とも喧嘩しませうな、眞實(ほんに)やり切れぬ孃さまではあるとて見かへるに、美登利はいつか小座敷に蒲團抱卷持出でゝ、帶と上着を脱ぎ捨てしばかり、うつ伏し臥して物をも言はず。

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