たけくらべ
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著者名:樋口一葉 

 此處は大黒屋のと思ふ時より信如は物の恐ろしく、左右を見ずして直(ひた)あゆみに爲しなれども、生憎(あやにく)の雨、あやにくの風、鼻緒をさへに踏切りて、詮なき門下に紙縷を縷(よ)る心地、憂き事さま/″\に何うも堪へられぬ思ひの有しに、飛石の足音は背より冷水をかけられるが如く、顧みねども其人と思ふに、わな/\と慄へて顏の色も變るべく、後向きに成りて猶も鼻緒に心を盡すと見せながら、半は夢中に此下駄いつまで懸りても履ける樣には成らんともせざりき。
 庭なる美登利はさしのぞいて、ゑゝ不器用な彼んな手つきして何うなる物ぞ、紙縷は婆々縷(ばゝより)、藁しべなんぞ前壺に抱かせたとて長もちのする事では無い、夫れ/\羽織の裾が地について泥に成るは御存じ無いか、あれ傘が轉がる、あれを疊んで立てかけて置けば好いにと一々鈍(もど)かしう齒がゆくは思へども、此處に裂れが御座んす、此裂(これ)でおすげなされと呼かくる事もせず、これも立盡して降雨袖に侘しきを、厭ひもあへず小隱れて覗ひしが、さりとも知らぬ母の親はるかに聲を懸けて、火のしの火が熾(おこ)りましたぞえ、此美登利さんは何を遊んで居る、雨の降るに表へ出ての惡戲は成りませぬ、又此間のやうに風引かうぞと呼立てられるに、はい今行ますと大きく言ひて、其聲信如に聞えしを恥かしく、胸はわくわくと上氣して、何うでも明けられぬ門の際(きは)にさりとも見過しがたき難義をさま/″\の思案盡して、格子の間より手に持つ裂れを物いはず投げ出せば、見ぬやうに見て知らず顏を信如のつくるに、ゑゝ例(いつも)の通りの心根と遣る瀬なき思ひを眼に集めて、少し涕の恨み顏、何を憎んで其やうに無情(つれなき)そぶりは見せらるゝ、言ひたい事は此方にあるを、餘りな人とこみ上るほど思ひに迫れど、母親の呼聲しば/\なるを侘しく、詮方なさに一ト足二タ足ゑゝ何ぞいの未練くさい、思はく恥かしと身をかへして、かた/\と飛石を傳ひゆくに、信如は今ぞ淋しう見かへれば紅入り友仙の雨にぬれて紅葉の形(かた)のうるはしきが我が足ちかく散ぼひたる、そゞろに床しき思ひは有れども、手に取あぐる事をもせず空しう眺めて憂き思ひあり。
 我が不器用をあきらめて、羽織の紐の長きをはづし、結ひつけにくる/\と見とむなき間に合せをして、これならばと踏試るに、歩きにくき事言ふばかりなく、此下駄で田町まで行く事かと今さら難義は思へども詮方なくて立上る信如、小包みを横に二タ足ばかり此門をはなるるにも、友仙の紅葉眼に殘りて、捨てゝ過ぐるにしのび難く心殘りして見返れば、信さん何うした鼻緒を切つたのか、其姿(なり)は何(どう)だ、見ッとも無いなと不意に聲を懸くる者のあり。
 驚いて見かへるに暴れ者の長吉、いま廓内(なか)よりの歸りと覺しく、裕衣を重ねし唐棧の着物に柿色の三尺を例の通り腰の先にして、黒八の襟のかゝつた新らしい半天、印の傘をさしかざし高足駄の爪皮も今朝よりとはしるき漆(うるし)の色、きわ/″\しう見えて誇らし氣なり。
 僕は鼻緒を切つて仕舞つて何う爲ようかと思つて居る、本當に弱つて居るのだ、と信如の意久地なき事を言へば、左樣だらうお前に鼻緒の立ッこは無い、好いや己れの下駄を履いて行きねへ、此鼻緒は大丈夫だよといふに、夫れでもお前が困るだらう。何己れは馴れた物だ、斯うやつて斯うすると言ひながら急遽(あわたゞ)しう七分三分に尻端折て、其樣な結ひつけなんぞより是れが爽快(さつぱり)だと下駄を脱ぐに、お前跣足(はだし)になるのか夫れでは氣の毒だと信如困り切るに、好いよ、己れは馴れた事だ信さんなんぞは足の裏が柔らかいから跣足で石ごろ道は歩けない、さあ此れを履いてお出で、と揃へて出す親切さ、人には疫病神のやうに厭はれながらも毛虫眉毛を動かして優しき詞のもれ出るぞをかしき。信さんの下駄は己れが提げて行かう、臺處(だいどこ)へ抛り込んで置たら子細はあるまい、さあ履き替へて夫れをお出しと世話をやき、鼻緒の切れしを片手に提げて、それなら信さん行てお出、後刻(のち)に學校で逢はうぜの約束、信如は田町の姉のもとへ、長吉は我家の方(かた)へと行別れるに思ひの止まる紅入の友仙は可憐(いぢら)しき姿を空しく格子門の外にと止めぬ。

       十四

 此年三の酉まで有りて中一日はつぶれしかど前後の上天氣に大鳥神社の賑ひすさまじく此處をかこつけに檢査場の門より乱れ入る若人達の勢ひとては、天柱くだけ、地維(ちい)かくるかと思はるゝ笑ひ聲のどよめき、中之町の通りは俄かに方角の替りしやうに思はれて、角町(すみちやう)京町(きやうまち)處々のはね橋より、さつさ押せ/\と猪牙(ちよき)がゝつた言葉に人波を分くる群もあり、河岸の小店の百囀(もゝさへ)づりより、優にうづ高き大籬(おほまがき)の樓上まで、絃歌の聲のさま/″\に沸き來るやうな面白さは大方の人おもひ出でゝ忘れぬ物に思(おぼ)すも有るべし。正太は此日日がけの集めを休ませ貰ひて、三五郎が大頭(おほがしら)の店を見舞ふやら、團子屋の背高が愛想氣のない汁粉やを音づれて、何うだ儲けがあるかえと言へば、正さんお前好い處へ來た、我れが□この種なしに成つて最う今からは何を賣らう、直樣煮かけては置いたけれど中途(なかたび)お客は斷れない、何うしような、と相談を懸けられて、智惠無しの奴め大鍋の四邊(ぐるり)に夫(そ)れッ位無駄がついて居るでは無いか、夫れへ湯を廻して砂糖さへ甘くすれば十人前や二十人は浮いて來よう、何處でも皆な左樣するのだお前の店(とこ)ばかりではない、何此騷ぎの中で好惡(よしあし)を言ふ物が有らうか、お賣りお賣りと言ひながら先に立つて砂糖の壺を引寄すれば、目ッかちの母親おどろいた顏をして、お前さんは本當に商人(あきんど)に出來て居なさる、恐ろしい智惠者だと賞めるに、何だ此樣な事が智惠者な物か、今横町の潮吹きの處で□が足りないッて此樣やつたを見て來たので己れの發明では無い、と言ひ捨てゝ、お前は知らないか美登利さんの居る處を、己れは今朝から探して居るけれど何處へ行たか筆やへも來ないと言ふ、廓内(なか)だらうかなと問へば、むゝ美登利さんはな今の先己れの家の前を通つて揚屋町の刎橋(はねばし)から這入つて行た、本當に正さん大變だぜ、今日はね、髮を斯ういふ風にこんな嶋田に結つてと、變てこな手つきして、奇麗だね彼の娘(こ)はと鼻を拭つゝ言へば、大卷さんより猶美(い)いや、だけれど彼の子も華魁(おいらん)に成るのでは可憐さうだと下を向ひて正太の答ふるに、好いじやあ無いか華魁になれば、己れは來年から際物屋(きはものや)に成つてお金をこしらへるがね、夫れを持つて買ひに行くのだと頓馬を現はすに、洒落(しやら)くさい事を言つて居らあ左うすればお前はきつと振られるよ。何故々々。何故でも振られる理由(わけ)が有るのだもの、と顏を少し染めて笑ひながら、夫れじやあ己れも一廻りして來ようや、又後に來るよと捨て臺辭して門に出て、十六七の頃までは蝶よ花よと育てられ、と怪しきふるへ聲に此頃此處の流行(はやり)ぶしを言つて、今では勤めが身にしみてと口の内にくり返し、例の雪駄の音たかく浮きたつ人の中に交りて小さき身躰は忽ちに隱れつ。
 揉まれて出し廓の角、向ふより番頭新造のお妻と連れ立ちて話しながら來るを見れば、まがひも無き大黒屋の美登利なれども誠に頓馬の言ひつる如く、初々しき大嶋田結ひ綿のやうに絞りばなしふさふさとかけて、鼈甲(べつかう)のさし込、總(ふさ)つきの花かんざしひらめかし、何時よりは極彩色のたゞ京人形を見るやうに思はれて、正太はあつとも言はず立止まりしまゝ例(いつも)の如くは抱きつきもせで打守るに、彼方(こなた)は正太さんかとて走り寄り、お妻どんお前買ひ物が有らば最う此處でお別れにしましよ、私は此人と一處に歸ります、左樣ならとて頭を下げるに、あれ美いちやんの現金な、最うお送りは入りませぬとかえ、そんなら私は京町で買物しましよ、とちよこ/\走りに長屋の細道へ驅け込むに、正太はじめて美登利の袖を引いて好く似合ふね、いつ結つたの今朝かへ昨日かへ何故はやく見せては呉れなかつた、と恨めしげに甘ゆれば、美登利打しほれて口重く、姉さんの部屋で今朝結つて貰つたの、私は厭やでしようが無い、とさし俯向きて往來を恥ぢぬ。

       十五

 憂く恥かしく、つゝましき事身にあれば人の褒めるは嘲りと聞なされて、嶋田の髷のなつかしさに振かへり見る人たちをば我れを蔑む眼つきと察(と)られて、正太さん私は自宅(うち)へ歸るよと言ふに、何故今日は遊ばないのだらう、お前何か小言を言はれたのか、大卷さんと喧嘩でもしたのでは無いか、と子供らしい事を問はれて答へは何と顏の赤(あから)むばかり、連れ立ちて團子屋の前を過ぎるに頓馬は店より聲をかけてお中が宜しう御座いますと仰山な言葉を聞くより美登利は泣きたいやうな顏つきして、正太さん一處に來ては嫌やだよと、置きざりに一人足を早めぬ。
 お酉さまへ諸共にと言ひしを道引違へて我が家の方(かた)へと美登利の急ぐに、お前一處には來て呉れないのか、何故其方へ歸つて仕舞ふ、餘りだぜと例の如く甘へてかゝるを振切るやうに物言はず行けば、何の故とも知らねども正太は呆れて追ひすがり袖を止めては怪しがるに、美登利顏のみ打赤めて、何でも無い、と言ふ聲理由(わけ)あり。
 寮の門をばくゞり入るに正太かねても遊びに來馴れて左のみ遠慮の家にもあらねば、跡より續いて椽先からそつと上るを、母親見るより、おゝ正太さん宜く來て下さつた、今朝から美登利の機嫌が惡くて皆なあぐねて困つて居ます、遊んでやつて下されと言ふに、正太は大人らしう惶(かしこま)りて加減が惡るいのですかと眞面目に問ふを、いゝゑ、と母親怪しき笑顏をして少し經てば愈(なほ)りませう、いつでも極りの我まゝ樣(さん)、嘸お友達とも喧嘩しませうな、眞實(ほんに)やり切れぬ孃さまではあるとて見かへるに、美登利はいつか小座敷に蒲團抱卷持出でゝ、帶と上着を脱ぎ捨てしばかり、うつ伏し臥して物をも言はず。
 正太は恐る/\枕もとへ寄つて、美登利さん何うしたの病氣なのか心持が惡いのか全体何うしたの、と左のみは摺寄らず膝に手を置いて心ばかりを惱ますに、美登利は更に答へも無く押ゆる袖にしのび音の涕、まだ結ひこめぬ前髮の毛の濡れて見ゆるも子細(わけ)ありとはしるけれど、子供心に正太は何と慰めの言葉も出ず唯ひたすらに困り入るばかり、全体何が何うしたのだらう、己れはお前に怒られる事はしもしないに、何が其樣なに腹が立つの、と覗き込んで途方にくるれば、美登利は眼を拭ふて正太さん私は怒つて居るのでは有りません。
 夫れなら何うしてと問はれゝば憂き事さまざま是れは何うでも話しのほかの包ましさなれば、誰れに打明けいふ筋ならず、物言はずして自づと頬の赤うなり、さして何とは言はれねども、次第次第に心細き思ひ、すべて昨日の美登利の身に覺えなかりし思ひをまうけて物の恥かしさ言ふばかりなく、成事ならば薄暗き部屋のうちに誰れとて言葉をかけもせず我が顏ながむる者なしに一人氣まゝの朝夕を經たや、さらば此樣の憂き事ありとも人目つゝましからずば斯く迄物は思ふまじ、何時までも何時までも人形と紙雛(あね)さまとをあひ手にして飯事(まゝごと)許(ばか)りして居たらば嘸かし嬉しき事ならんを、ゑゝ厭や厭や、大人に成るは厭やな事、何故このやうに年をば取る、最う七月(なゝつき)十月(とつき)、一年も以前(もと)へ歸りたいにと老人(としより)じみた考へをして、正太の此處にあるをも思はれず、物いひかければ悉く蹴ちらして、歸つてお呉れ正太さん、後生だから歸つてお呉れ、お前が居ると私は死んで仕舞ふであらう、物を言はれると頭痛がする、口を利くと眼がまわる、誰れも/\私の處へ來ては厭やなれば、お前も何卒歸つてと例に似合ぬ愛想づかし、正太は何故(なに)とも得ぞ解きがたく、烟のうちにあるやうにてお前は何うしても變てこだよ、其樣な事を言ふ筈は無いに、可怪しい人だね、と是れはいさゝか口惜しき思ひに、落ついて言ひながら目には氣弱の涙のうかぶを、何とて夫れに心を置くべき歸つてお呉れ、歸つてお呉れ、何時まで此處に居て呉れゝば最うお友達でも何でも無い、厭やな正太さんだと憎くらしげに言はれて、夫れならば歸るよ、お邪魔さまで御座いましたとて、風呂場に加減見る母親には挨拶もせず、ふいと立つて正太は庭先よりかけ出しぬ。

       十六

 眞一文字に驅けて人中を拔けつ潜りつ、筆屋の店へをどり込めば、三五郎は何時か店をば賣仕舞ふて、腹掛のかくしへ若干金(なにがし)かをぢやらつかせ、弟妹引つれつゝ好きな物をば何でも買への大兄樣、大愉快の最中(もなか)へ正太の飛込み來しなるに、やあ正さん今お前をば探して居たのだ、己れは今日は大分の儲けがある、何か奢つて上やうかと言へば、馬鹿をいへ手前に奢つて貰ふ己れでは無いわ、默つて居ろ生意氣は吐(つ)くなと何時になく荒らい事を言つて、夫れどころでは無いとて鬱(ふさ)ぐに、何だ何だ喧嘩かと喰べかけの□ぱんを懷中(ふところ)に捻ぢ込んで、相手は誰れだ、龍華寺か長吉か、何處で始まつた廓内(なか)か鳥居前か、お祭りの時とは違ふぜ、不意でさへ無くば負けはしない、己れが承知だ先棒は振らあ、正さん膽ッ玉をしつかりして懸りねへ、と競ひかゝるに、ゑゝ氣の早い奴め、喧嘩では無い、とて流石に言ひかねて口を噤(つぐ)めば、でもお前が大層らしく飛込んだから己れは一途に喧嘩かと思つた、だけれど正さんは今夜はじまらなければ最う是れから喧嘩の起りッこは無いね、長吉の野郎片腕がなくなる物と言ふに、何故どうして片腕がなくなるのだ。お前知らずか己れも唯(たつた)今うちの父さんが龍華寺の御新造と話して居たを聞いたのだが、信さんは最う近々何處かの坊さん學校へ這入るのだとさ、衣を着て仕舞へば手が出ねへや、空つきり彼(あ)んな袖のぺら/\した、恐ろしい長い物を捲り上げるのだからね、左うなれば來年から横町も表も殘らずお前の手下だよと煽(そや)すに、廢して呉れ二錢貰ふと長吉の組に成るだらう、お前みたやうのが百人中間に有たとて少とも嬉しい事は無い、着きたい方へ何方へでも着きねへ、己れは人は頼まない眞(ほん)の腕ッこで一度龍華寺とやりたかつたに、他處へ行かれては仕方が無い、藤本は來年學校を卒業してから行くのだと聞いたが、何うして其樣に早く成つたらう、爲樣のない野郎だと舌打しながら、夫れは少しも心に止まらねども美登利が素振のくり返されて正太は例の歌も出ず、大路の往來の夥たゞしきさへ心淋しければ賑やかなりとも思はれず、火ともし頃より筆やが店に轉がりて、今日の酉の市目茶/\に此處も彼處も怪しき事成りき。

 美登利はかの日を始めにして生れかはりし樣の身の振舞、用ある折は廓の姉のもとにこそ通へ、かけても町に遊ぶ事をせず、友達さびしがりて誘ひにと行けば今に今にと空約束はてし無く、さしもに中よし成けれど正太とさへに親しまず、いつも恥かし氣に顏のみ赤めて筆やの店に手踊の活溌さは再び見るに難く成ける、人は怪しがりて病ひの故かと危ぶむも有れども母親一人ほゝ笑みては、今にお侠(きやん)の本性は現れまする、これは中休みと子細(わけ)ありげに言はれて、知らぬ者には何の事とも思はれず、女らしう温順しう成つたと褒めるもあれば折角の面白い子を種なしにしたと誹るもあり、表町は俄に火の消えしやう淋しく成りて正太が美音も聞く事まれに、唯夜な/\の弓張提燈、あれは日がけの集めとしるく土手を行く影そゞろ寒げに、折ふし供する三五郎の聲のみ何時に變らず滑稽(おどけ)ては聞えぬ。
 龍華寺の信如が我が宗の修業の庭に立出る風説(うはさ)をも美登利は絶えて聞かざりき、有し意地をば其まゝに封じ込めて、此處しばらくの怪しの現象(さま)に我れを我れとも思はれず、唯何事も恥かしうのみ有けるに、或る霜の朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者の有けり、誰れの仕業と知るよし無けれど、美登利は何ゆゑとなく懷かしき思ひにて違ひ棚の一輪ざしに入れて淋しく清き姿をめでけるが、聞くともなしに傳へ聞く其明けの日は信如が何がしの學林(がくりん)に袖の色かへぬべき當日なりしとぞ。
(明治二十八年一、二、三、八、十一、十二月、二十九年一月
「文學界」 明治二十九年四月「文藝倶樂部」一括掲載)




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