源氏物語
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著者名:紫式部 

遠さの少し減った御簾の中へお席をいただくことにもなりました。珍しいですね」
 と薫の言うのを聞いて、中の君はさすがにまた恥ずかしくなり、言葉が出ないように思うのであったが、
「この間の御親切なお計らいを聞きまして、感激いたしました心を、いつものようによく申し上げもいたしませんでは、どんなに私がありがたく存じておりますかしれませんような気持ちの一端をさえおわかりになりますまいと残念だったものですから」
 と羞(は)じらいながらできるだけ言葉を省いて言うのが絶え絶えほのかに薫へ聞こえた。
「たいへん遠いではありませんか。細かなお話もし、あなたからも承りたい昔のお話もあるのですから」
 こう言われて中の君は道理に思い、少し身じろぎをして几帳のほうへ寄って来たかすかな音にさえ、衝動を感じる薫であったが、さりげなくいっそう冷静な様子を作りながら、宮の御誠意が案外浅いものであったとお譏(そし)りするようにも言い、また中の君を慰めるような話をも静々としていた。中の君としては宮をお恨めしく思う心などは表へ出してよいことではないのであるから、ただ人生を悲しく恨めしく思っているというふうに紛らして、言葉少なに憂鬱(ゆううつ)なこのごろの心持ちを語り、宇治の山荘へ仮に移ることを薫の手で世話してほしいと頼む心らしく、その希望を告げていた。
「その問題だけは私の一存でお受け合いすることができかねます。宮様へ素直(すなお)にお頼みになりまして、あの方の御意見に従われるのがいいと思いますがね、そうでなくば御感情を害することになって、軽率だとお怒りになったりしましては将来のためにもよくありません。それでなく穏やかに御同意をなされればあちらへのお送り迎えを私の手でどんなにでも都合よく計らいますのにはばかりがあるものですか。夫人をお託しになっても危険のない私であることは宮様がよくご存じです」
 こんなことを言いながらも、話の中に自分は過去にしそこねた結婚について後悔する念に支配ばかりされていて、もう一度昔を今にする工夫(くふう)はないかということを常に思うとほのめかして次第に暗くなっていくころまで帰ろうとしない客に中の君は迷惑を覚えて、
「それではまた、私は身体(からだ)の調子もごく悪いのでございますから、こんなふうでない時がございましたら、お話をよく伺わせていただきます」
 と言い、引っ込んで行ってしまいそうになったのが残念に思われて、薫は、
「それにしてもいつごろ宇治へおいでになろうとお思いになるのですか。伸びてひどくなっていました庭の草なども少しきれいにさせておきたいと思います」
 と、機嫌(きげん)を取るために言うと、しばらく身を後ろへずらしていた中の君がまた、
「もう今月はすぐ終わるでしょうから、来月の初めでもと思います。それは忍んですればいいでしょう。皆の同意を得たりしますようなたいそうなことにいたしませんでも」
 と答えた。その声が非常に可憐(かれん)であって、平生以上にも大姫君と似たこの人が薫の心に恋しくなり、次の言葉も口から出ずよりかかっていた柱の御簾の下から、静かに手を伸ばして夫人の袖(そで)をつかんだ。中の君はこんなことの起こりそうな予感がさっきから自分にあって恐れていたのであると思うと、とがめる言葉も出すことができず、いっそう奥のほうへいざって行こうとした時、持った袖について、親しい男女の間のように、薫は御簾から半身を内に入れて中の君に寄り添って横になった。
「私が間違っていますか、忍んでするのがいいとお言いになったのをうれしいことと取りましたのは聞きそこねだったのでしょうかと、それをもう一度お聞きしようと思っただけです。他人らしくお取り扱いにならないでもよいはずですが、無情なふうをなさるではありませんか」
 こう薫に恨まれても夫人は返辞をする気にもならないで、思わず憎みの心の起こるのをしいておさえながら、
「なんというお心でしょう、こんな方とは想像もできませんようなことをなさいます。人がどう思うでしょう、あさましい」
 とたしなめて、泣かんばかりになっているのにも少し道理はあるとかわいそうに思われる薫が、
「これくらいのことは道徳に触れたことでも何でもありませんよ。これほどにしてお話をした昔を思い出してください。亡(な)くなられた女王(にょおう)さんのお許しもあった私が、近づいたからといって、奇怪なことのように見ていらっしゃるのが恨めしい。好色漢がするような無礼な心を持つ私でないと安心していらっしゃい」
 と言い、激情は見せずゆるやかなふうにして、もう幾月か後悔の日ばかりが続き、苦しいまでになっていく恋の悩みを、初めからこまごまと述べ続け、反省して去ろうとする様子も見せないため、中の君はどうしてよいかもわからず、悲しいという言葉では全部が現わせないほど悲しんでいた。知らない他人よりもかえって恥ずかしく、いとわしくて、泣き出したのを見て、薫は、
「どうしたのですか、あなたは、少女らしい」
 こう非難をしながらも、非常に可憐(かれん)でいたいたしいふうのこの人に、自身を衛(まも)る隙(すき)のないところと、豊かな貴女(きじょ)らしさがあって、あの昔見た夜よりもはるかに完成された美の覚えられることによって、自身のしたことであるが、これを他の人妻にさせ、苦しい煩悶(はんもん)をすることとなったとくやしくなり、薫もまた泣かれるのであった。夫人のそばには二人ほどの女房が侍していたのであるが、知らぬ男の闖入(ちんにゅう)したのであれば、なんということをとも言って中の君を助けに出るのであろうが、この中納言のように親しい間柄の人がこの振舞(ふるまい)をしたのであるから、何か訳のあることであろうと思う心から、近くにいることをはばかって、素知らぬ顔を作り、あちらへ行ってしまったのは夫人のために気の毒なことである。中納言は昔の後悔が立ちのぼる情炎ともなって、おさえがたいのであったであろうが、夫人の処女時代にさえ、どの男性もするような強制的な結合は遂げようとしなかった人であるから、ほしいままな行為はしなかった。こうしたことを細述することはむずかしいと見えて筆者へ話した人はよくも言ってくれなかった。
 どんな時を費やしても効(かい)のないことであって、そして人目に怪しまれるに違いないことであると思った薫は帰って行くのであった。まだ宵(よい)のような気でいたのに、もう夜明けに近くなっていた。こんな時刻では見とがめる人があるかもしれぬと心配がされたというのも中の君の名誉を重んじてのことであった。妊娠のために身体の調子を悪くしているという噂(うわさ)も事実であった。恥ずかしいことに思い、見られまいとしていた上着の腰の上の腹帯にいたましさを多く覚えて一つはあれ以上の行為に出なかったのである、例のことではあるが臆病(おくびょう)なのは自分の心であると思われる薫であったが、思いやりのないことをするのは自分の本意でない、一時の衝動にまかせてなすべからぬことをしてしまっては今後の心が静かでありえようはずもなく、人目を忍んで通って行くのも苦労の多いことであろうし、宮のことと、その新しいこととでもこもごもにあの人が煩悶をするであろうことが想像できるではないかなどとまた賢い反省はしてみても、それでおさえきれる恋の火ではなく、別れて出て来てすでにもう逢いたく恋しい心はどうしようもなかった。どうしてもこの恋を成立させないでは生きておられないようにさえ思うのも、返す返すあやにくな薫の心というべきである。昔より少し痩(や)せて、気高(けだか)く可憐(かれん)であった中の君の面影が身に添ったままでいる気がして、ほかのことは少しも考えられない薫になっていた。宇治へ非常に行きたがっているようであったが、宮がお許しになるはずもない、そうかといって忍んでそれを行なわせることはあの人のためにも、自分のためにも世の非難を多く受けることになってよろしくない。どんなふうな計らいをすれば、世間体のよく、また自分の恋の遂げられることにもなるであろうと、そればかりを思って虚(うつろ)になった心で、物思わしそうに薫は家に寝ていた。
 まだ明けきらぬころに中の君の所へ薫の手紙が届いた。例のように外見はきまじめに大きく封じた立文(たてぶみ)であった。

いたづらに分けつる路(みち)の露しげみ昔おぼゆる秋の空かな

冷ややかなおもてなしについて「ことわり知らぬつらさ」(身を知れば恨みぬものをなぞもかくことわり知らぬつらさなるらん)ばかりが申しようもなくつのるのです。
 こんな内容である。返事を出さないのもいぶかしいことに人が見るであろうからと、それもつらく思われて、
承りました。非常に身体(からだ)の苦しい日ですから、お返事は差し上げられませぬ。
 と中の君は書いた。
 これをあまりに短い手紙であると、物足らず寂しく思い、美しかった面影ばかりが恋しく思い出された。人妻になったせいか、むやみに恐怖するふうは見せず、貴女らしい気品も多くなった姿で、闖入者を柔らかになつかしいふうに説いて退却させた才気などが思い出されるとともに、ねたましくも、悲しくもいろいろにその人のことばかりが思われる薫(かおる)は、自身ながらわびしく思った。落胆はする必要もない、宮の愛が薄くなってしまえば、あの人は自分ばかりをたよりにするはずである、しかし公然とは夫婦になれず、世間のはばかられる二人であろうが、隠れた恋人としておいても、自分は他に愛する婦人を作るまい、生涯(しょうがい)で唯一の妻とあの人を自分だけは思っていけるであろうなどと、二条の院の夫人のことばかりを思っているというのもけしからぬ心である。反省している時、またその人に清い恋として告白している時には賢い人になっているのであるが、この人すら情けない愛欲から離れられないのは男性の悲哀である。大姫君の死は取り返しのならぬものであったが、その時には今ほど薫は心を乱していなかった。これは道義観さえ超(こ)えていろいろな未来の夢さえ描くものを心に持っていた。
 この日は二条の院へ宮がおいでになったということを聞いて、中の君の保護者をもって任ずる心はなくして、胸が嫉妬(しっと)にとどろき、宮をおうらやましくばかり薫は思った。
 宮は二、三日も六条院にばかりおいでになったのを、御自身の心ながらも恨めしく思召(おぼしめ)されてにわかにお帰りになったのである。もうこの運命は柔順に従うほかはない、恨んでいるとは宮にお見せすまい、宇治へ行こうとしても信頼する人にうとましい心ができているのであるからと中の君は思い、いよいよ右も左も頼むことのできない身になっていると思われ、どうしても自分は薄命な女なのであるとして、生きているうちはあるがままの境遇を認めておおようにしていようと、こう決心をしたのであったから、可憐(かれん)に素直にして、嫉妬(しっと)も知らぬふうを見せていたから、宮はいっそう深い愛をお覚えになり、思いやりをうれしくお感じになって、おいでにならぬ間も忘れていたのではないということなどに言葉を尽くして夫人を慰めておいでになった。腹部も少し高くなり、恥ずかしがっている腹帯の衣服の上に結ばれてあるのにさえ心がお惹(ひ)かれになった。まだ妊娠した人を直接お知りにならぬ方であったから、珍しくさえお思いになった。何事もきれいに整い過ぎた新居においでになったあとで、ここにおいでになるのはすべての点で気安く、なつかしくお思われになるままに、こまやかな将来の日の誓いを繰り返し仰せになるのを聞いていても中の君は、男は皆口が上手(じょうず)で、あの無理な恋を告白した人も上手に話をしたと薫のことを思い出して、今までも情けの深い人であるとは常に思っていたが、ああしたよこしまな恋に自分は好意を持つべくもないと思うことによって、宮の未来のお誓いのほうは、そのとおりであるまいと思いながらも少し信じる心も起こった。それにしてもああまで油断をさせて自分の室の中へあの人がはいって来た時の驚かされようはどうだったであろう、姉君の意志を尊重して夫婦の結合は遂げなかったと話していた心持ちは、珍しい誠意の人と思われるのであるが、あの行為を思えば自分として気の許される人ではないと、中の君はいよいよ男の危険性に用心を感じるにつけても、宮がながく途絶えておいでにならぬことになれば恐ろしいと思われ、言葉には出さないのであるが、以前よりも少し宮へ甘えた心になっていたために、宮はなお可憐に思召され、心を惹(ひ)かれておいでになったが、深く夫人にしみついている中納言のにおいは、薫香(くんこう)をたきしめたのには似ていず特異な香であるのを、においというものをよく研究しておいでになる宮であったから、それとお気づきになって、奇怪なこととして、何事かあったのかと夫人を糺(ただ)そうとされる。宮の疑っておいでになることと事実とはそうかけ離れたものでもなかったから、何ともお答えがしにくくて、苦しそうに沈黙しているのを御覧になる宮は、自分の想像することはありうべきことだ、よも無関心ではおられまいと始終自分は思っていたのであるとお胸が騒いだ。薫のにおいは中の君が下の単衣(ひとえ)なども昨夜のとは脱ぎ替えていたのであるが、その注意にもかかわらず全身に沁(し)んでいたのである。
「あなたの苦しんでいるところを見ると、進むところへまで進んだことだろう」
 とお言いになり、追究されることで夫人は情けなく、身の置き所もない気がした。
「私の愛はどんなに深いかしれないのに、私が二人の妻を持つようになったからといって、自分も同じように自由に人を愛しようというようなことは身分のない者のすることですよ。そんなに私が長く帰って来ませんでしたか、そうでもないではありませんか。私の信じていたよりも愛情の淡(うす)いあなただった」
 などとお責めになるのである。愛する心からこうも思われるのであるというふうにお訊(き)きになっても、ものを言わずにいる中の君に嫉妬(しっと)をあそばして、

またびとになれける袖(そで)の移り香をわが身にしめて恨みつるかな

 とお言いになった。夫人は身に覚えのない罪をきせておいでになる宮に弁明もする気にならずに、
「あなたの誤解していらっしゃることについて何と申し上げていいかわかりません。

見なれぬる中の衣と頼みしをかばかりにてやかけ離れなん」

 と言って泣いていた。その様子の限りなく可憐(かれん)であるのを宮は御覧になっても、こんな魅力が中納言を惹(ひ)きつけたのであろうとお思いになり、いっそうねたましくおなりになり、御自身もほろほろと涙をおこぼしになったというのは女性的なことである。どんな過失が仮にあったとしても、この人をうとんじてしまうことはできないふうな、美しいいたいたしい中の君の姿に、恨みをばかり言っておいでになることができずに、宮は歎いている人の機嫌(きげん)を直させるために言い慰めもしておいでになった。
 翌朝もゆるりと寝ておいでになって、お起きになってからは手水(ちょうず)も朝の粥(かゆ)もこちらでお済ませになった。座敷の装飾も六条院の新婦の居間の輝くばかり朝鮮、支那(しな)の錦(にしき)で装飾をし尽くしてある目移しには、なごやかな普通の家の居ごこちよさをお覚えになって、女房の中には着疲れさせた服装のも混じっていたりして、静かに見まわされる空気が作られていた。夫人は柔らかな淡紫(うすむらさき)などの上に、撫子(なでしこ)色の細長をゆるやかに重ねていた。何一つ整然としていぬものもないような盛りの美人の新婦に比べてごらんになっても、劣ったともお思われにならず、なつかしい美しさの覚えられるというのは宮の御愛情に相当する人というべきであろう。円(まる)く肥えていた人であったが、少しほっそりとなり、色はいよいよ白くて上品に美しい中の君であった。怪しい疑いを起こさせるにおいなどのついていなかった常の時にも、愛嬌(あいきょう)のある可憐な点はだれよりもすぐれていると見ておいでになった人であるから、この人を兄弟でもない男性が親しい交際をして自然に声も聞き、様子もうかがえる時もあっては、どうして無関心でいられよう、必ず結果は恋を覚えることになるであろうと、宮は御自身の好色な心から想像をあそばして、これまでから恋をささやく明らかな証(あかし)の見える手紙などは来ていぬかとお思いになり、夫人の居間の中の飾り棚(だな)や小さい唐櫃(からびつ)などというものの中をそれとなくお捜しになるのであったが、そんなものはない。ただまじめなことの書かれた短い、文学的でもないようなものは、人に見せぬために別にもしてなくて、物に取り混ぜてあったのを発見あそばして、不思議である、こんな用事を言うものにとどまるはずはないとお疑いの起こることで今日のお心が冷静にならないのも道理である。夫人が魅力を持つばかりでなく中納言の姿もまた趣味の高い女が興味を覚えるのに十分なものであるから、愛に報いぬはずはない、よい一対の男女であるから、相思の仲にもなるであろうと、こんな御想像のされるために、宮はわびしく腹だたしく、ねたましくお思いになった。不安なお気持ちが静まらぬため、その日も二条の院にとどまっておいでになることになり、六条院へはお手紙の使いを二、三度お出しになった。わずかな時間のうちにもそうも言っておやりになるお言葉が積もるのかと老いた女房などは陰口を申していた。
 中納言はこんなに宮が二条の院にとどまっておいでになることを聞いても苦しみを覚えるのであったが、自分は誤っている、愚かな情炎を燃やしてはよろしくない、そうした愛でない清い愛で助けようと決心していた人に対して、思うべからぬことを思ってはならぬとしいて思い返し、このままにしていても、自分の気持ちは汲んでくれる人に違いないという自信の持てるのがうれしかった。女房たちの衣服がなつかしい程度に古びかかっていたようであったのを思って、母宮のお居間へ行き、
「品のよい女物で、お手もとにできているのがあるでしょうか、少し入り用なことがあるのです」
 とお尋ねすると、
「例年の法事は来月ですから、その日の用意の白い生地などがあるだろうと思います。染めたものなどは平生たくさんは私の所に置いてないから、急いで作らせましょう」
 宮はこうお答えになった。
「それには及びません。たいそうなことにいるのではありませんから、できているものでけっこうです」
 と薫(かおる)は申し上げて、裁縫係りの者の所へ尋ねにやりなどして、女の装束幾重ねと、美しい細長などをありあわせのまま使うことにして、下へ着る絹や綾(あや)なども皆添え、自身の着料にできていた紅(あか)い糊絹(のりぎぬ)の槌目(つちめ)の仕上がりのよい物、白い綾の服の幾重ねへ添えたく思った袴(はかま)の地がなくて付け腰だけが一つあったのを、結んで加える時に、それへ、

結びける契りことなる下紐(したひも)をただひとすぢに恨みやはする

 と歌を書いた。大輔(たゆう)の君という年のいった女房で、薫の親しい人の所へその贈り物は届けられたのである。
にわかに思い立って集めた品ですから、よくそろいもせず見苦しいのですが、よいように取り合わせてお使いください。
 という手紙が添えられてあって、夫人の着料のものは、目だたせぬようにしてはあったが箱へ納めてあって、包みが別になっていた。大輔は中の君へこの報告はしなかったが、今までからこうした好意の贈り物を受け馴(な)れていたことであって、受け取らぬなどと返すべきでなかったから、どうしたものかとも心配することもなく女房たちへ分け与えたので、その人々は縫いにかかっていた。若い女房で宮御夫婦のおそばへよく出る人はことにきれいにさせておこうとしたことだと思われる。下仕えの女中などの古くなった衣服を白の袷(あわせ)に着かえさせることにしたのも目だたないことでかえって感じがよかった。
 この夫人のために薫以外にだれがこうした物質の補いをする者があろう、宮は夫人を愛しておいでになったから、すべて不自由のないようにと計らってはおいでになるのであるが、女房の衣服のことまではお気のおつきにならないところであった。大事がられて御自身でそうした物のことをお考えになることはなかったのであるから、貧しさはどんなに苦しいものであるともお知りにならないのは道理なことである。寒けをさえ覚える恰好(かっこう)で花の露をもてあそんでばかりこの世はいくもののように思っておいでになる宮とは違い、愛する人のためであるから、何かにつけて物質の補助を惜しまない薫の志をまれな好意としてありがたく思っている人たちであるから、宮のお気のつかないことと、気のよくつく薫とを比較して譏(そし)るようなことを言う乳母(めのと)などもあった。童女の中には見苦しくなった姿で混じっていたりするのも目につくことがおりおりあったりして、夫人はそれを恥ずかしく思い、この住居(すまい)をしてかえって苦痛の多くなったようにも人知れず思うことがないでもなかったのであるのに、そしてこのごろは世の中の評判にさえなっている華美な宮の新婚後のお住居(すまい)の様子などを思うと、宮にお付きしている役人たちもどんなにこちらを軽蔑(けいべつ)するであろう、貧しさを笑うであろうという煩悶(はんもん)を中の君がしているのを、薫が思いやって知っていたのであったから、妹でもない人の所へ、よけいな出すぎたことをすると思われるこんなことも、侮(あなど)って礼儀を失ったのではなく、目だつようにしないのは、自分に助けられている夫人の無力を思う人があってはならないと思う心から、忍んでする薫であった。この贈り物があったために、女房の身なりをととのえさせることができ、袿(うちぎ)を織らせたり、綾(あや)を買い入れる費用も皆与えることができた。薫も宮に劣らず大事にかしずかれて育った人で、高い自尊心も持ち、一般の世の中から超越した貴族的な人格も持っているのであるが、宇治の八の宮の山荘へ伺うようになって以来、豊かでない家の生活の寂しさというものは想像以上のものであったと同情を覚え、その御一家だけへではなく、物質的に恵まれない人々をあまねく救うようになったのである。哀れな動機というべきである。
 薫はぜひとも中の君のために邪悪な恋は捨てて、清い同情者の地位にとどまろうとするのであるが、自身の心が思うにまかせず、常に恋しくばかり思われて苦しいために、手紙をもって以前よりもこまごまと書き、不用意に恋の心が出たふうに見せたような消息をよく送るようになったのを、中の君はわびしいことの添ってきた運命であると歎いていた。まったく知らぬ人であったならば、狂気の沙汰(さた)とたしなめ、そうした心を退けるのが容易なことであろうが、昔から特別な後援者と信頼してきて、今さら仲たがいをするのはかえって人目を引くことになろうと思い、さすがにまた薫の愛を憐(あわれ)む心だけはあるのであっても、誘惑に引かれて相手をしているもののようにとられてはならぬとはばかられて煩悶(はんもん)がされた。女房たちも夫人の気持ちのわかりそうな若い人らは皆新しく京へ移った前後から来てなじみが浅く、またなじみの深い人たちといっては昔から宇治にいた老いた女房らであったから、苦しいことも左右の者に洩(も)らすことができず、姉君を思い出さぬおりもなかった。姉君さえおいでになれば中納言も自分へ恋をするようなことにはむろんならなかったはずであると、大姫君の死が悲しく思われ、宮が二心をお持ちになり、恨めしいことも起こりそうに予想されることよりもこの中納言の恋を中の君は苦しいことに思った。
 薫はおさえきれぬものを心に覚えて、例のとおりにしんみりとした夕方に二条の院の中の君を訪(たず)ねて来た。すぐに縁側へ敷き物を出させて、
「身体(からだ)を悪くしております時で、お話を自身で伺えませんのが残念でございます」
 と中の君が取り次がせて来たのを聞くと、薫は恨めしさに涙さえ落ちそうになったのを人目につかぬようにしいて紛らして、
「御病気の時には、知らぬ僧でもお近くへまいるのですから、私も医師並みに御簾(みす)の中へお呼びいただいてもいいわけでしょう。こうした人づてのお言葉は私を失望させてしまいます」
 と言い、情けなさそうにしているのを、先夜の事情を知っている女房らが、
「仰せになりますとおり、お席があまり失礼でございます」
 と言い、中央の母屋(もや)の御簾を皆おろして、夜居の僧のはいる室へ薫を案内したのを、中の君は実際身体も苦しいのであったが、女房もこう言っているのに、あらわに拒絶するのもかえって人を怪しがらせる結果になるかもしれぬと思い、物憂(ものう)く思いながら少しいざって出て話すことにした。
 ごくほのかに時々ものを言う様子に、死んだ恋人の病気の初期のころのことが思われるのもよい兆候でないと薫は非常に悲しくなり、心が真暗(まっくら)になり、すぐにもものが言われず、ためらいながら、話を続けた。ずっと奥のほうに中の君のいるのも恨めしくて、御簾の下から几帳(きちょう)を少し押すような形にして、例のなれなれしげなふうを示すのが苦しく思われ、困ることに考えられて、中の君は少将の君という人をそばへ呼んで、
「私は胸が痛いからしばらくおさえて」
 と言っているのを聞いて、
「胸はおさえるとなお苦しくなるものですが」
 こう言って歎息(たんそく)を洩(も)らしながら薫のすわり直したことにさえ、母屋(もや)の中の夫人は不安が感ぜられた。
「どうしてそんなに始終お苦しいのでしょう。人に聞きますと、初めのうちは気持ちが悪くてもまた快く癒(なお)っている時もあると教えてくれました。あなたはそうお言いになって若々しく私を警戒なさるのでしょう」
 と薫の言うのを聞いて中の君は恥ずかしくなった。
「私は平生いつも胸が痛いのでございます。姉もそんなふうでございました。短命な人は皆こんなふうに煩うものだとか申します」
 と言った。だれも千年の松の命を持っているのでないから、あるいはそんな危険が近づいているのであるかもしれぬと思うと、薫には今の言葉が身に沁(し)んで哀れに思われてきて、夫人がそばへ呼んだ女房の聞くのもはばかる気にはならず、きわめて悪い所だけは口にせぬものの、昔からどんなに深く愛していたかということを、中の君にだけは意味の通じるようにして言い、人には友情とより聞こえぬ上手(じょうず)な話し方を薫がしているために、その人は、今までからだれもが言うとおりに珍しい人情味のある人であるとそばにいて思っていた。表はおおかた総角(あげまき)の姫君と死別した尽きもせぬ悲しみを話題にしているのであった。
「私は少年のころから、この世から離れた身になりたい、正しく仏道へ踏み入るにはどうすればよいかと願うことはそれだけだったのですが、前生の因縁というものだったのでしょうか、そう御接近したわけでもないあの方を恋しく思い始めました時から、私の信仰に傾いた心が違ってきまして、またお死なせしてからはあちらこちらの女性と交渉を始めることもして、悲痛な心を慰めようとしたこともありましたが、そんなことは何の効果もあるものでないことが確かにわかりました。私に魅力を及ぼす人がほかにはこの世にいないことがわかりましたから、好色らしいと誤解されますのは恥ずかしいのですがそうした不良性な愛であなたをお思いしてこそ無礼きわまるものでしょうが、私の望むところは淡々たるもので、ただこれほどの隔てで時々あなたへ直接その時その気持ちをお話し申し上げて、そしてなんとかお言葉をいただくことができます程度の睦(むつ)まじさで御交際することはだれも非難のいたしようもないことでしょう。私の変わった性情は世間一般の人が認めているのですから、どこまでもあなたは御安心していてください」
 などと、恨みもし、泣きもして薫は言うのである。
「御信用しておりませんでしたなら、こんなふうに誤解もされんばかりにまであなたと近しくお話などはいたしませんでしょう。長い間、父のため、姉のために御好意をお見せくださいましたことをよく存じているものですから、普通には説明のできない間柄の保護者と御信頼申し上げて、ただ今ではこちらから何かと御無心に出したりもいたしております」
「そんなことがありましたかどうだか私に覚えはないようです。そればかりのこともたいそうにおっしゃるではありませんか。今度宇治へおいでになりたいという御相談でやっと私の存在をお認めになったようなわけではありませんか。それだけでも哀れな私は満足ができたのですよ。誠意のある者とおわかりになってくだすったのですから、非常にありがたく思っております」
 こんなふうに言って、薫(かおる)には飽き足らぬ恨めしい心は見えるのであるが、聞いている者がいるのであっては、思うままのことを言いえようはずもない。庭のほうへ目をやって見ると、秋の日が次第に暗くなり、虫の声だけが何にも紛れず高く立っているが、築山のほうはもう闇(やみ)になっている。こんな時間になっても驚かずしめやかなふうで柱によりかかって、去ろうと薫のしないのに中の君はやや当惑を感じていた。「恋しさの限りだにある世なりせば」(つらきをしひて歎かざらまし)などと低い声で薫は口ずさんでから、
「私はもうしかたもない悲しみの囚(とりこ)になってしまったのです。どこか閑居をする所がほしいのですが、宇治辺に寺というほどのものでなくとも一つの堂を作って、昔の方の人型(ひとがた)(祓(はらい)をして人に代わって川へ流すもの)か肖像を絵に描(か)かせたのかを置いて、そこで仏勤めをしようという気に近ごろなりました」
 と言った。
「身にしむお話でございますけれど、人型とお言いになりますので『みたらし川にせし禊(みそぎ)』(恋せじと)というようなことが起こるのではないかという不安も覚えられます。代わりのものは真のものでございませんからよろしくございませんから昔の人に気の毒でございますね。黄金(こがね)を与えなければよくは描(か)いてくれませんような絵師があるかもしれぬと思われます」
 こう中の君は言う。
「そうですよ。その絵師というものは決して気に入った肖像を作ってくれないでしょうからね。少し前の時代にその絵から真実の花が降ってきたとかいう伝説の絵師がありますがね、そんな人がいてくれればね」
 何を話していても死んだ人を惜しむ心があふれるように見えるのを中の君は哀れにも思い、自身にとって一つの煩わしさにも思われるのであったが、少し御簾(みす)のそばへ寄って行き、
「人型とお言いになりましたことで、偶然私は一つの話を思い出しました」
 と言い出した。その様子に常に超(こ)えた親しみの見えるのが薫はうれしくて、
「それはどんなお話でしょう」
 こう言いながら几帳の下から中の君の手をとらえた。煩わしい気持ちに中の君はなるのであったが、どうにかしてこの人の恋をやめさせ、安らかにまじわっていきたいと思う心があるため、女房へも知らせぬようにさりげなくしていた。
「長い間そんな人のいますことも私の知りませんでした人が、この夏ごろ遠い国から出てまいりまして、私のここにいますことを聞いて音信(たより)をよこしたのですが、他人とは思いませんものの、はじめて聞いた話を軽率(けいそつ)にそのまま受け入れて親しむこともできぬような気になっておりましたのに、それが先日ここへ逢(あ)いにまいりました。その人の顔が不思議なほど亡(な)くなりました姉に似ていましたのでね、私は愛情らしいものを覚えたのです。形見に見ようと思召すのには適当でございませんことは、女たちも姉とはまるで違った育ち方の人のようだと言っていたことで確かでございますが、顔や様子がどうしてあんなにも似ているのでしょう。それほどなつながりでもございませんのに」
 この中の君の言葉を薫はあるべからざる夢の話ではないかとまで思って聞いた。
「しかるべきわけのあることであなたをお慕いになっておいでになったのでしょう。どうしてただ今までその話を少しもお聞かせくださらなかったのでしょう」
「でも古い事実は私に否定も肯定もできなかったのでございますからね。何のたよりになるものも持たずにさすらっている者もあるだろうとおっしゃって、気がかりなふうにお父様が時々お洩(も)らしになりましたことなどで思い合わされることもあるのですが、過去の不幸だった父がまたそんなことで冷嘲(れいちょう)されますことの添いますのも心苦しゅうございまして」
 中の君のこの言葉によれば、八の宮のかりそめの恋のお相手だった人が得ておいた形見の姫君らしいと薫は悟った。大姫君に似たと言われたことに心が惹(ひ)かれて、
「そのよくおわかりにならないことはそのままでもいいのですから、もう少しくわしくお話をしてくださいませんか」
 と中納言は望んだが、羞恥(しゅうち)を覚えて中の君は細かなことを言って聞かせなかった。
「その人を知りたく思召すのでございましたら、その辺と申すことくらいはお教え申してもいいのでございますが、私もくわしくは存じません。またあまり細かにお話をいたせばいやにおなりになることに違いございませんし」
「幻術師を遠い海へつかわされた話にも劣らず、あの世の人を捜し求めたい心は私にもあるのです。そうした故人の生まれ変わりの人と見ることはできなくても、現在のような慰めのない生活をしているよりはと思う心から、その方に興味が持たれます。人型として見るのに満足しようとする心から申せば山里の御堂(みどう)の本尊を考えないではおられません。なおもう少し確かな話を聞かせてくださいませんか」
 中納言は新しい姫君へにわかに関心を持ち出して中の君を責めるのだった。
「でもお父様が子と認めてお置きになったのでもない人のことを、こんなにお話ししてしまいますのは軽率なことなのですが、神通力のある絵師がほしいとお思いになるあなたをお気の毒に思うものですから」
 こう言ってから、さらに、
「長く遠い国でなど育てられていましたことで、その母が不憫(ふびん)がりまして、私の所へいろいろと訴えて来ましたのを、冷淡に取り合わずにいることはできないでいますうちに、ここへまいったのです。ほのかにしか見ることができませんでしたせいですか、想像していましたよりは見苦しくなく見えました。どういう結婚をさせようかと、それを母親は苦労にしている様子でしたが、あなたの御堂の仏様にしていただきますことはあまりに過分なことだと思います。それほどの資格などはどうしてあるものではありません」
 など夫人は言った。それとなく自分の恋を退ける手段として中の君の考えついたことであろうと想像される点では恨めしいのであったが、故人に似たという人にはさすがに心の惹(ひ)かれる薫であった。自分の恋をあるまじいこととは深く思いながらも、あらわに侮蔑(ぶべつ)を見せぬのも中の君が自分へ同情があるからであろうと思われる点で興奮をして中納言が話し続けているうちに夜もふけわたったのを、夫人は人目にどう映ることかという恐れを持って、相手の隙(すき)を見て突然奥へはいってしまったのを、返す返すも道理なことであると思いながらも薫は、恨めしい、くちおしい気持ちが静められなくて涙までもこぼれてくる不体裁さに恥じられもして、複雑な悶(もだ)えをしながらも、感情にまかせた乱暴な行為に出ることは、恋人のためにも自分のためにも悪いことであろうと、しいて反省をして、平生よりも多く歎息をしながら辞去した。
 こんなに恋しい心はどう処理すればいいのであろう、これが続いていくばかりでは苦しさに堪えられなくなるに違いない、どんなにすれば世間の非難も受けず、しかも恋のかなうことになるであろうなどと、多くの恋愛に鍛え上げてきた心でない青年の中納言であるせいか、自身のためにも中の君のためにも無理で、とうてい平和な道のありえない思いをし続けてその夜は明かした。似ているとあの人が言った人をそのとおりに信じて情人の関係を結ぶようなことはできない、地方官階級の家に養われている人であれば、こちらで行なおうとすることに障害になるものもないであろうが、当人の意志でもない関係を結ぶのはおもしろくないことに相違ないなどと思い、話を聞いた時には一時的に興奮を感じたものの、冷静になってみれば心をさほど惹く価値もないことと薫はしているのであった。
 宇治の山荘を長く見ないでいるといっそうに恋しい昔と遠くなる気がして心細くなる薫は、九月の二十幾日に出かけて行った。主人のない家は河風(かわかぜ)がいっそう吹き荒らして、すごい騒がしい水音ばかりが留守居をし、人影も目につくかつかぬほどにしか徘徊(はいかい)していない。ここに来てこれを見た時から中納言の心は暗くなり、限りもない悲しみを覚えた。弁の尼に逢(あ)いたいと言うと、障子口をあけ、青鈍(あおにび)色の几帳のすぐ向こうへ来て挨拶(あいさつ)をした。
「失礼なのでございますが、このごろの私はまして無気味な姿になっているのでございますから、御遠慮をいたすほうがよいと思われまして」
 と言い、顔は現わさない。
「どんなにあなたが寂しく暮らしておいでになるだろうと思うと、そのあなただけが私の悲しみを語る唯一の相手だと思われて出て来ましたよ。年月はずんずんたっていきました、あれから」
 涙を一目浮かべて薫がこう言った時、老女はましてとめようもない泣き方をした。
「御自身のためでなく、お妹様のために深い物思いを続けておいでになったころは、こんな秋の空であったと思い出しますと、いつでも寂しい私ではございましても、特別に秋風は身に沁(し)んで辛(つろ)うございます。実際今になりますと、大姫様の御心配あそばしましたのがごもっともなような現象が京では起こってまいったようにここでも承りますのは悲しゅうございます」
「一時はどんなふうに見えることがあっても、時さえたてばまた旧態にもどるものであるのに、あの方が一途に悲観をして病気まで得ておしまいになったのは、私がよく説明をしなかったあやまりだと、それを思うと今も悲しいのですよ。中姫君の今経験しておられるようなことは、まず普通のことと言わねばなりますまい。決して宮の御愛情は懸念を要するような薄れ方になっていないと思われます。それよりも言っても言っても悲しいのはやはり死んだ方ですよ。死んでしまってはもう取り返しようがない」
 と言って薫(かおる)は泣いた。
 薫は阿闍梨(あじゃり)を寺から呼んで、大姫君の忌日の法会(ほうえ)に供養する経巻や仏像のことを依託した。また、
「私はこんなふうに時々ここへ来ますが、来てはただ故人の死を悲しむばかりで、霊魂の慰めになることでもない無益な歎きをせぬために、この寝殿を壊(こぼ)ってお山のそばへ堂にして建てたく思うのです。同じくは速くそれに取りかからせたいと思っています」
 とも言い、堂を幾つ建て、廊をどうするかということについて、それぞれ書き示しなど薫のするのを、阿闍梨は尊い考えつきであると並み並みならぬ賛意を表していた。
「昔の方が風雅な山荘として地を選定してお作りになった家を壊(こぼ)つことは無情なことのようでもありますが、その方御自身も仏教を唯一の信仰としておられて、すべてを仏へささげたく思召してもまた御遺族のことをお思いになって、そうした御遺言はしておかれなかったのかと解釈されます。今では兵部卿(ひょうぶきょう)親王の夫人の御所有とすべき家であってみれば、あの宮様の御財産の一つですから、このお邸(やしき)のままで寺にしては不都合でしょう。私としてもかってにそれはできない。それに地所もあまりに川へ接近していて、川のほうから見え過ぎる、ですから寝殿だけを壊(こぼ)って、ここへは新しい建物を代わりに作って差し上げたい私の考えです」
 と薫が言うと、
「きわめて行き届いたお考えでけっこうです。最愛の人を亡(な)くしましてから、その骨を長年袋へ入れ頸(くび)へ掛けていた昔の人が、仏の御方便でその袋をお捨てさせになり、信仰の道へはいったという話もございます。この寝殿を御覧になるにつけましてもお心を悲しみに動かすということはむだなことです。御堂をお建てになることは多くの人を新しく道に導くよき方法でもあり、御霊魂をお慰め申すにも役だつことでもございます。急いで取りかかりましょう。陰陽(おんよう)の博士(はかせ)が選びます吉日に、経験のある建築師二、三人をおよこしくださいましたならば、細かなことはまた仏家の定式がありますから、それに準じて作らせることにいたしましょう」
 阿闍梨はこう言って受け合った。いろいろときめることをきめ、領地の預かり人たちを呼んで、御堂の建築の件について、すべて阿闍梨の命令どおりにするようにと薫は言いつけたりしているうちに短い秋の日は暮れてしまったので、山荘で一泊していくことに薫はした。
 この寝殿を見ることも今度限りになるであろうと思い、薫はあちらこちらの間をまわって見たが、仏像なども皆御寺のほうへ移してしまったので、弁の尼のお勤めをするだけの仏具が置かれてある寂しい仏室(ぶつま)を見て、こんな所にどんな気持ちで彼女は毎日暮らしているのであろうと薫は哀れに思った。
「この寝殿は建て直させることにします。でき上がるまでは廊の座敷へ住んでおいでなさい。二条の院の女王(にょおう)様のほうへお送りすべきものは私の荘園の者を呼んで持たせておあげなさい」
 などと薫はこまごまとした注意までも弁の尼にしていた。ほかの場所ではこんな老いた女などは視野の外に置いて関心を持たずにいるのであろうが、弁に対しては深い同情を持つ薫は、夜も近い室へ寝させて昔の話をした。弁も聞く人のないのに安心して、藤(とう)大納言のことなどもこまごまと薫に聞かせた。
「もう御容体がおむずかしくなりましてから、お生まれになりました方をしきりに見たく思召す御様子のございましたのが始終私には忘れられないことだったのでございましたのに、その時から申せばずっと末の世になりまして、こうしてお目にかかることができますのも、大納言様の御在世中真心でお仕えいたしました報いが自然に現われてまいりましたのかと、うれしくも悲しくも思い知られるのでございます。長過ぎる命を持ちまして、さまざまの悲しいことにあうと申す私の宿命が恥ずかしく、情けなくてなりません。二条の院の女王様から時々は逢いに出て来い、それきり来ようとしないのは私を愛していないのだろうなどとおっしゃってくださるおりもございますが、縁起の悪い姿になった私は、もう阿弥陀(あみだ)様以外にお逢い申したい方もございません」
 などと弁の尼は言った。大姫君の話も多く語った。親しく仕えて見聞きした話をし、いつどんな時にこうお言いになったとか、自然の風物に心の動いた時々に、故人の詠(よ)んだ歌などを、不似合いな語り手とは見えずに、声だけは慄(ふる)えていたが上手(じょうず)に伝え、おおようで言葉の少ない人であったが、そうした文学的なところもあったかと、薫はさらに故人をなつかしく思った。宮の夫人はそれに比べて少し派手(はで)な性質であって、心を許さない人には毅然(きぜん)とした態度もとる型の人らしくはあるが、自分へは同情が深く、どうして自分の恋から身をはずそう、事のない友情だけで永久に親しみたいと思うところがあると薫は二人の女王を比較して思ったりした。こんな話のついでにあの人型のことを薫は言い出してみた。
「京にこのごろその人はいるのでございますかねえ。昔のことを私は人から聞いて知っているだけでございます。八の宮様がまだこの山荘へおいでになりませぬ以前のことで、奥様がお亡(かく)れになって近いころに中将の君と言っておりました、よい女房で、性質などもよい人を、宮様はかりそめなように愛人にあそばしたのを、だれも知った者はございませんでしたところ、女の子をその人が生みました時に、宮様がそんなことが起こるかもしれぬという懸念(けねん)を持っておいでになったものですから、それ以後の御態度がすっかりと変わりまして、絶対にお近づきになることはなかったのでございます。それが動機でありのすさびというものにお懲りになりまして、坊様と同じ御生活をあそばすことになったので、中将はお仕えしていますこともきまり悪くなりまして下がったのですが、それからのちに陸奥守(むつのかみ)の家内になって任国へ行っておりまして、上京しました時に、姫君は無事に御成長なさいましたとこちらへほのめかしてまいりましたのを、宮様がお聞きになりまして、そんな音信(たより)をこちらへしてくる必要はないはずだと言い切っておしまいになりましたので、中将は歎いていたと申します。それがまた主人が常陸介(ひたちのすけ)になっていっしょに東(あずま)へまいりましたが、それきり消息をだれも聞かなかったのでございます。この春常陸介が上ってまいりまして、中将が中の君様の所へ訪(たず)ねてまいりましたと申すことはちょっと聞きましてございます。姫君は二十くらいになっていらっしゃるのでしょう。非常に美しい方におなりになったのを拝見する悲しさなどを、まだ中将さんの若いころ小説のようにして書いたりしたこともございました」
 すべてを聞いた薫は、それではほんとうのことらしい。その人を見たいという心が起こった。
「昔の姫君に少しでも似た人があれば遠い国へでも尋ねて行きたい心のある私なのだから、子として宮がお数えにならなかったとしても結局妹さんであることは違いのないことなのですから、私のこの心持ちをわざわざ正面から伝えるようにではなく、こう言っていたとだけを、何かの手紙が来たついでにでも言っておいてください」
 とだけ薫は頼んだ。
「お母さんは八の宮の奥様の姪(めい)にあたる人なのでございます。私とも血の続いた人なのですが、昔は双方とも遠い国に住んでいまして、たびたび逢うようなことはなかったのでございます。先日京から大輔(たゆう)が手紙をよこしまして、あの方がどうかして宮様のお墓へでもお行きになりたいと言っていらっしゃるから、そのつもりでということでしたが、中将からは久しぶりの音信(たより)というものもくれません。でございますからそのうちこちらへお見えになるでしょう。その節にあなた様の仰せをお伝えいたしましょう」
 夜が明けたので薫は帰ろうとしたが、昨夜遅れて京から届いた絹とか綿とかいうような物を御寺(みてら)の阿闍梨(あじゃり)へ届けさせることにした。弁の尼にも贈った。寺の下級の僧たち、尼君の召使いなどのために布類までも用意させてきて薫は与えたのだった。心細い形の生活であるが、こうして中納言が始終補助してくれるために、気楽に質素な暮らしが弁にできるのである。
 堪えがたいまでに吹き通す木枯(こがら)しに、残る枝もなく葉を落とした紅葉(もみじ)の、積もりに積もり、だれも踏んだ跡も見えない庭にながめ入って、帰って行く気の進まなく見える薫であった。よい形をした常磐木(ときわぎ)にまとった蔦(つた)の紅葉だけがまだ残った紅(あか)さであった。こだにの蔓(つる)などを少し引きちぎらせて中の君への贈り物にするらしく薫は従者に持たせた。

やどり木と思ひ出(い)でずば木のもとの旅寝もいかに寂しからまし

 と口ずさんでいるのを聞いて、弁が、

荒れはつる朽ち木のもとを宿り木と思ひおきけるほどの悲しさ

 という。あくまで老いた女らしい尼であるが、趣味を知らなくないことで悪い気持ちは中納言にしなかった。
 二条の院へ宿り木の紅葉を薫の贈ったのは、ちょうど宮が来ておいでになる時であった。
「三条の宮から」
 と言って使いが何心もなく持って来たのを、夫人はいつものとおり自分の困るようなことの書かれてある手紙が添っているのではないかと気にしていたが隠しうるものでもなかった。宮が、
「美しい蔦だね」
 と意味ありげにお言いになって、お手もとへ取り寄せて御覧になるのであったが、手紙には、
このごろはどんな御様子でおられますか。山里へ行ってまいりまして、さらにまた峰の朝霧に悲しみを引き出される結果を見ました。そんな話はまたまいって申し上げましょう。あちらの寝殿を御堂に直すことを阿闍梨(あじゃり)に命じて来ました。お許しを得ましてから、他の場所へ移すことにも着手させましょう。弁の尼へあなたから御承諾になるならぬをお言いやりになってください。
 こう書かれてあった。
「よくもしらじらしく書けた手紙だ。私がこちらにいると聞いていたのだろう」
 と宮はお言いになるのであった。少しはそうであったかもしれない。夫人は用事だけの言われてあったのをうれしく思ったのであるが、どこまでも疑ったものの言いようを宮があそばすのをうるさく思い、恨めしそうにしている顔が非常に美しくて、この人が犯せばどんな過失も許す気になるであろうと宮は見ておいでになった。
「返事をお書きなさい。私は見ないようにしているから」
 宮はわざとほかのほうへ向いておしまいになった。そうお言いになったからと言って、書かないでは怪しまれることであろうと夫人は思い、
山里へおいでになりましたことはおうらやましいことと承りました。あちらは仰せのように御堂にいたすのがよろしいことと思っておりました。しかしまた私自身のために隠れ家として必要のあることを思い、荒廃はいたさせたくない願いもあったのですが、あなたのお計らいで両様の望みがかないますればありがたいことと存じます。
 と返事を書いた。こんなふうの友情をかわすだけの二人であろうと思っておいでになりながらも、御自身のお心慣らいから秘密があるように察せられて、御不安がのけがたいのであろう。枯れ枯れになった庭の植え込みの中の薄(すすき)が何草よりも高く手を出して招いている形が美しく、また穂を持たないのも露を貫き玉を掛けた身をなびかせていることなどは平凡なことであるが夕風の吹いている草原は身にしむことが多いものである。

穂にいでぬ物思ふらししのすすき招く袂(たもと)の露しげくして

 柔らかになったお小袖(こそで)の上に直衣(のうし)だけをお被(き)になり、琵琶(びわ)を宮は弾(ひ)いておいでになった。黄鐘調(おうじきちょう)の掻(か)き合わせに美しい音を出しておいでになる時、夫人は好きな音楽であったから、恨めしいふうばかりはしておられず、小さい几帳(きちょう)の横から脇息(きょうそく)によりかかって少し姿を現わしているのが非常に可憐(かれん)に見えた。

「あきはつる野べのけしきもしの薄(すすき)ほのめく風につけてこそ知れ

『わが身一つの』(おほかたのわが身一つのうきからになべての世をも恨みつるかな)」
 と言ううちに涙ぐまれてくるのも、さすがに恥ずかしく扇で紛らしているその気分も愛すべきであると宮はお思われになるのであるが、こんな人であるからほかの男も忘れがたく思うのであろうと疑いをお持ちになるのが夫人の身に恨めしいことに相違ない。白菊がまだよく紫に色を変えないで、いろいろ繕われてあるのはことに移ろい方のおそい中にどうしたのか一本だけきれいに紫になっているのを宮はお折らせになり「花中偏愛菊(はなのなかにひとへにきくをあいす)」と誦(ず)しておいでになったが、
「某(なにがし)親王がこの花を愛しておいでになった夕方ですよ、天人が飛んで来て琵琶(びわ)の手を教えたというのはね。何事もあさはかになって天人の心を動かすような音楽というものはもはや地上からなくなってしまったのは情けない」
 とお言いになり、楽器を下へ置いておしまいになったのを、中の君は残念に思い、
「人間の心だけはあさはかにもなったでしょうが、昔から伝わっております音楽などはそれほどにも堕落はしておりませんでしょう」
 こう言って、自身でおぼつかなくなっている手を耳から探り出したいと願うふうが見えた。宮は、
「それでは単独(ひとり)で弾(ひ)いているのは寂しいものだから、あなたが合わせなさい」
 とお言いになって、女房に十三絃(げん)をお出させになって、夫人に弾かせようとあそばされるのだったが、
「昔は先生になってくださる方がございましたけれど、そんな時にもろくろく私はお習い取りすることはできなかったのですもの」
 恥ずかしそうに言って、中の君は楽器に手を触れようともしない。
「これくらいのことにもまだあなたは隔てというものを見せるのは情けないではありませんか、このごろ通って行く所の人は、まだ心が解けるというほどの間柄になっていないのに、未成品的な琴を聞かせなさいと言えば遠慮をせずに弾きますよ。女は柔らかい素直なのがいいとあの中納言も言っていましたよ。あの人へはこんなに遠慮をばかり見せないのでしょう。非常な仲よしなのだから」
 などと薫(かおる)のことまでも言葉に出してお恨みになったため、夫人は歎息をしながら少し琴を弾いた。近ごろ使われぬ琴は緒がゆるんでいたから盤渉調(ばんじきちょう)にしてお合わせになった。夫人の掻き合わせの爪音(つまおと)が美しい。催馬楽(さいばら)の「伊勢(いせ)の海」をお歌いになる宮のお声の品よくおきれいであるのを、そっと几帳の後ろなどへ来て聞いていた女房たちは満足した笑(え)みを皆見せていた。
「二人の奥様をお持ちあそばすのはお恨めしいことですが、それも世のならわしなのですからね、やはりこの奥様を幸福な方と申し上げるほかはありませんよ。こうした所の大事な奥様になってお暮らしになる方とは思うこともできませんようでしたもとの生活へ、また帰りたいようによくおっしゃるのはどうしたことでしょう」
 といちずになって言う老いた女房はかえって若い女房たちから、
「静かになさい」
 と制されていた。
 琵琶(びわ)などをお教えになりながら三、四日二条の院に宮がとどまっておいでになり、謹慎日になったからというような口実を作って六条院へおいでにならないのを左大臣家の人々は恨めしがってい、大臣が御所から退出した帰り路(みち)に二条の院へ出て来た。
「たいそうなふうをして何しにおいでになったのかと言いたい」
 などとお言いになり、宮は不機嫌(ふきげん)になっておいでになったが、客殿のほうへ行って御面会になった。
「何かの機会のない限りはこの院へ上がることがなくなっております私には目に見るものすべてが身に沁(し)んでなりません」
 とも言い、六条院のお話などをしばらくしていたあとで、大臣は宮をお誘い出して行くのであった。子息たちその他の高級役人、殿上役人なども多く引き連れている勢力の偉大さを見て、比較にもならぬ世間的に無力な身の上を中の君は思ってめいった気持ちになっていた。女房らはのぞきながら、
「ほんとうにおきれいな大臣様、あんなにごりっぱな御子息様たちで、皆若盛りでお美しいと申してよい方たちが、だれもお父様に及ぶ方はないじゃありませんか、なんという美男でいらっしゃるのでしょう」
 と中には言う者もあった。また、
「あんなおおぎょうなふうをなすって、わざわざお迎えなどにおいでになるなんてくちおしい。世の中って楽なものではありませんね」
 と歎息する女もあった。夫人自身も寂しい来し方を思い出し、あのはなやかな人たちの世界の一隅(いちぐう)を占めることは不可能な影の淡(うす)い身の上であることがいよいよ心細く思われて、やはり自分は宇治へ隠退してしまうのが無難であろうと考えられるのであった。
 日は早くたち年も暮れた。一月の終わりから普通でない身体の苦痛を夫人は感じだしたのを、宮もまだ産をする婦人の悩みをお見になった御経験はなかったので、どうなるのかと御心配をあそばして、今まで祈祷(きとう)などをほうぼうでさせておいでになった上に、さらにほかでも修法を始めることをお命じになった。非常に容体が危険に見えたために中宮(ちゅうぐう)からもお見舞いの使いが来た。中の君が二条の院へ迎えられてから足かけ三年になるが、御良人(おっと)の宮の御愛情だけはおろそかなものでないだけで、一般からはまだ直接親王夫人に相当する尊敬は払われていなかったのに、この時にはだれも皆驚いて見舞いの使いを立て、自身でも二条の院へ来た。
 源中納言は宮の御心配しておいでになるのにも劣らぬ不安を覚えて、気づかわしくてならないのであっても、表面的な見舞いに行くほかは近づいて尋ねることもできずに、ひそかに祈祷などをさせていた。この人の婚約者の女二(にょに)の宮(みや)の裳着(もぎ)の式が目前のことになり、世間はその日の盛んな儀礼の用意に騒いでいる時であって、すべてを帝(みかど)御自身が責任者であるようにお世話をあそばし、これでは後援する外戚(がいせき)のないほうがかえって幸福が大きいとも見られ、亡(な)き母君の藤壺(ふじつぼ)の女御(にょご)が姫宮のために用意してあった数々の調度の上に、宮中の作物所(つくりものどころ)とか、地方長官などとかへ御下命になって作製おさせになったものが無数にでき上がってい、その式の済んだあとで通い始めるようにとの御内意が薫へ伝達されている時であったから、婿方でも平常と違う緊張をしているはずであるが、なおいままでどおりにそちらのことはどうでもいいと思われ、中の君の産の重いことばかりを哀れに思って歎息を続ける薫であった。
 二月の朔日(ついたち)に直物(なおしもの)といって、一月の除目(じもく)の時にし残された官吏の昇任更任の行なわれる際に、薫は権(ごん)大納言になり、右大将を兼任することになった。今まで左大将を兼ねていた右大臣が軍職のほうだけを辞し、右が左に移り、右大将が親補されたのである。新任の挨拶(あいさつ)にほうぼうをまわった薫は、兵部卿(ひょうぶきょう)の宮へもまいった。夫人が悩んでいる時であって、宮は二条の院の西の対においでになったから、こちらへ薫は来たのであった。僧などが来ていて儀礼を受けるには不都合な場所であるのにと宮はお驚きになり、新しいお直衣(のうし)に裾(すそ)の長い下襲(したがさね)を召してお身なりをおととのえになって、客の礼に対する答(とう)の拝礼を階下へ降りてあそばされたが、大将もりっぱであったし、宮もきわめてごりっぱなお姿と見えた。
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