源氏物語
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著者名:紫式部 

「悲しいのが無常の世の常と存じまして、悲しいことはまだほかにもいろいろあるのを思いまして、私たち年のいった者はしいて気を強く持とうと努めることもいたしますが、宮様はまだお若いのでございますから、悲しみに沈みきっておしまいになりまして、同じ世界へ行っておしまいになるのではないかと危険でなりませんほどのお歎きをしておいでになります。不幸な生まれの私が今まで生きておりまして、大納言をお死なせしたり、宮様を未亡人におさせしたりしていく運命をじっとそばでながめていねばならぬかと苦しゅうございます。近い御親戚(しんせき)関係でいらっしゃいますから、もうお聞き及びでもございましょうが、私はこの御結婚談の最初から御賛成は申し上げていなかったのでございますが、大臣が熱心に御運動をなさいましたし、また法皇様もお許しになる様子でございましたから、それではそのほうがよろしいことで、私の考え方は間違っていたのかと考え直しまして、とうとう御結婚をおさせ申したのでございますが、こんな夢のような不幸が起こってくるのでございましたら、もっと自分の信じましたところを強く主張しておれば、宮様をこうした目におあわせせずに済んだはずであると残念でなりません。私は初めから宮様がたはよくよくの御因縁のあることでなければ結婚などはあそばしてはならないものである、神聖なものとしてお置き申し上げたいと昔風な心に願っていたのでございますから、こんなどちらつかずの御不幸なお身の上におなりあそばした以上は、いっそ悲しみでお亡(な)くなりになるのもよろしかろう、不幸な宮様としてお残りになるよりはなどとも思いますが、さてそうもあきらめきれるものではございませんから、やはり悲しんでばかりおりましたうちにも、御親切な御慰問のお手紙を始終おいただきになるようでございますから、ありがたいことと存じておりまして、こうしていただけるのも故人が特に宮様のことでお頼みされたことがあったのかと、必ずしも御愛情の見える御良人(ごりょうじん)ではなかったのですが、最後にどなたへも宮様についての遺言をなさいましたことで、悲しみにもまた慰めというもののあるのを発見いたしたのでございます」
 と言って、御息所(みやすどころ)はひどく泣き入る様子であった。大将もそぞろに誘われて泣いた。
「昔は不思議な冷静な人でしたが、短命で亡くなるせいか、この二、三年は非常にめいって見える時が多くて、心細いふうを見せられましたから、あまりに人生を考えた末に悟ってしまった清澄な心境というものかもしれぬが、それでは今までに持っていたすぐれたよさが消えてしまうことにならないかとも不安に思われると、小賢しく私が時々忠告らしいことをしますと、あの人は私を憐(あわれ)むような表情で見ていました。何よりも宮様のお悲しみになっていらっしゃいます御様子を伺いまして、もったいないことですが、おいたわしく存じ上げます」
 などとなつかしいふうに話して、しばらくして大将は去って行こうとした。衛門督(えもんのかみ)はこの人より五つ六つの年長であったが、彼はきわめて若々しく見えて、女性的な柔らかさの見える人であったが、これは重々しく端正で、しかも顔だけはあくまでも美しいのを、若女房などは悲しさも少し紛れたように興奮して、帰って行こうとする大将の姿にながめ入った。前の庭の桜の美しいのをながめて、「深草の野べの桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」と口へ出てくる大将であったが、尼姿を言うようなことはここで言うべきでないと遠慮がされて、「春ごとに花の盛りはありなめど逢(あ)ひ見んことは命なりける」と歌って、

時しあれば変はらぬ色に匂(にほ)ひけり片枝(かたえ)折れたる宿の桜も

 と自然なふうに口ずさんで、花の下に立ちどまっていると、御息所はすぐに、

この春は柳の芽にぞ玉は貫(ぬ)く咲き散る花の行くへ知らねば

 という返しを書いてきた。高い才識の見えるほどの人ではないが、前には才女と言われた更衣(こうい)であったのを思って、評判どおりに気のきいた人であると大将は思った。
 大将はそれから太政大臣家を訪問したが、子息たちの幾人かが出て、こちらへと案内をしたので、大臣の離れ座敷のほうへ行っては無遠慮でないかと躊躇(ちゅうちょ)をしながらはいって行って舅(しゅうと)に逢った。いつまでも端麗な大臣の顔も非常に痩(や)せ細ってしまって、髭(ひげ)なども剃(そ)らせないで伸びて、親を失った時に比べて子を死なせたあとの大臣は衰え方がひどいと世間で言われるとおりに見えた。顔を見た瞬間から悲しくなって流れ出した涙がいつまでも続いて流れてくるのを恥ずかしく思って大将は押し隠しながら、一条の宮をお訪(たず)ねして来た話などをした。初めからしめっぽいふうであった大臣はさらに多くの涙を見せて、故人の話を婿とし合った。懐紙(ふところがみ)へ一条の御息所が書いて渡した歌を大将が見せようとすると、
「目もよく見えないが」
 と涙の目をしばたたきながらそれを読もうとした。見栄(みえ)も思わず目のためにしかめている顔は、平生の誇りに輝いた時の面影を失って見苦しかった。歌は平凡なものであったが、「玉は貫(ぬ)く」ということばは大臣自身にも痛切に感じていることであったから、相憐(あわれ)む涙が流れ出るふうで、すぐにまた言うのであった。
「あなたのお母さんが亡(な)くなられた時に、私はこれほど悲しいことはないと思ったが、女の人は世間と交渉を持つことが少ないために、不意にいろんな言葉が自分の痛い傷にさわるというようなこともなくて、今度のような苦しみをそのあとで感じることはなかったものです。賢くもありませんでしたが、朝廷の御恩を受けて地位を得てゆくにしたがって彼の庇護を受けようとするものが次第に多くなっていたのですから、彼の死に失望をした者もずいぶんあるでしょう。しかし親である私は、そんなふうに勢力を得ていたのに惜しいとか、官位がどうなっていたかというようなことではなくて、平凡な息子(むすこ)である裸の彼が堪えがたく恋しいのです。どんなことが私のこの悲しみを慰めるようになるのでしょう。それはありうることとは思われません」
 大臣は空間に向いて歎息(たんそく)をした。夕方の雲が鈍(にび)色にかすんで、桜の散ったあとの梢(こずえ)にもこの時はじめて大臣は気づいたくらいである。
 御息所の歌の紙へ、

このもとの雪に濡(ぬ)れつつ逆(さかし)まに霞(かすみ)の衣着たる春かな

 と書いた。大将も、

亡(な)き人も思はざりけん打ち捨てて夕べの霞君着たれとは

 と書く。左大弁も、

恨めしや霞の衣たれ着よと春よりさきに花の散りけん

 と書いた。
 大納言の法事は非常に盛んなものであった。左大将夫人が兄のためにささげ物をしたのはいうまでもないが、大将自身も真心のこもったささげ物をしたし、誦経(ずきょう)の寄付などにも並み並みならぬ友情を示した。
 左大将は一条の宮へ始終見舞いを言い送っていた。四月の初夏の空はどことなくさわやかで、あらゆる木立ちが一色の緑をつくっているのも、寂しい家ではすべて心細いことに見られて、宮の御母子(おんぼし)が悲しい退屈を覚えておいでになるころにまた左大将が来訪した。植え込みの草などもすでに青く伸びて、敷き砂の間々には強い蓬(よもぎ)が広がりかえっていた。林泉に対する趣味を大納言は持っていて、美しくさせていたものであるが、そうした植え込みの灌木(かんぼく)類や花草の類もがさつに枝を伸ばすばかりになって、一むら薄(すすき)はその蔭(かげ)に鳴く秋の虫の音(ね)が今から想像されるほどはびこって見えるのも、大将の目には物哀れでしめっぽい気分がまず味わわれた。喪の家として御簾(みす)に代えて伊予簾(いよす)が掛け渡され夏のに代えられたのも鈍(にび)色の几帳(きちょう)がそれに透いて見えるのが目には涼しかった。姿のよいきれいな童女などの濃い鈍色の汗袗(かざみ)の端とか、後ろ向きの頭とかが少しずつ見えるのは感じよく思われたが、何にもせよ鈍色というものは人をはっとさせる色であると思われた。今日は宮のお座敷の縁側にすわろうとしたので敷き物が内から出された。例の話し相手をする御息所(みやすどころ)に出てくれと女房たちは勧めているのであったが、このころは身体(からだ)が悪くて今日も寝ていた。御息所の出て来るまで、何かと女房が挨拶(あいさつ)をしている時に、人間の思いとは関係のないふうに快く青々とした庭の木立ちに大将はながめ入っていたが、気持ちは悲しかった。柏(かしわ)の木と楓(かえで)が若々しい色をして枝を差しかわして立っているのを指さして、大将は女房に、
「どんな因縁のある木どうしでしょう。枝が交じり合って信頼をしきっているようなのがいい」
 などと言い、さらに簾(みす)のほうへ寄って、

「ことならばならしの枝にならさなん葉守(はもり)の神の許しありきと

 まだ御簾(みす)の隔てをお除きくださらないのが遺憾です」
 と言った。一段高くなった室(へや)の長押(なげし)へ外から寄りかかっているのである。
「柔らかい形をしていらっしゃる時に、また別な美しさがおありになりますよ」
 と女房らはささやき合うのであった。今まで話していた少将という女房を取り次ぎにして宮はお返辞をおさせになった。

「柏木に葉守の神は坐(いま)すとも人馴(な)らすべき宿の梢(こずゑ)か

 突然にそうしたお恨みをお言いかけになりますことで御好意が疑われます」
 と伝えられたお言葉に道理があると思って大将は微笑した。その時に御息所がいざって来る気配(けはい)がしたので大将は少しいずまいを直した。
「世の中のことをあまりに悲しく思い過ぐしますせいですか、身体(からだ)のぐあいが悪うございまして、ぼけたようにもなって暮らしておりますが、こうしてたびたびの御親切な御訪問に力づけられまして出てまいりました」
 と御息所は言ったが、言葉どおりに病気らしく感じられた。
「故人をお悲しみになりますことはごもっとも至極なことですが、しかしそんなにまで深くお歎(なげ)きになってはよろしくないでしょう。この世のことはみな前生からのきまっている因縁の現われですから、そう思えばさすがに際限もなく悲しみばかりの続くものでないことがわかると思いますが」
 などと大将は慰めていた。この宮は以前噂(うわさ)に聞いていたよりも優美な女性らしいが、お気の毒にも良人(おっと)にお別れになった悲しみのほかに、世間から不幸な人におなりになったことを憐(あわ)れまれるのを苦しく思っておいでになるのであろうと思う同情の念がいつかその方を恋しく思う心に変わってゆくのをみずから認めるようになった大将は熱心に宮の御近状などを御息所に尋ねていた。御容貌(きりょう)はそうよくはおありでならないであろうが、醜くて気の毒な気持ちのする程度でさえなければ、外見だけのことでその人がいやになるようなことがあったり、ほかの人に心を移すようなことは自分にできるはずがない、そんな恥知らずなことは自分の趣味でない、性格のよしあしで尊重すべき女と、そうでない女は別(わ)けらるべきであるなどと思っていた。
「もうお心安くなったのですから、衛門督(えもんのかみ)をお取り扱いになりましたごとく、私を他人らしくなく御待遇くださいますように」
 などと、恋を現わして言うのではないが、持ってほしい好意をねんごろに要求する大将であった。その直衣(のうし)姿は清楚(せいそ)で、背が高くりっぱに見えた。
「六条院様はなつかしく艶(えん)な美貌(びぼう)で、そしてお品のよい愛嬌(あいきょう)が無類なのですよ。この方は男らしくはなやかで、ああきれいだと思う第一印象がだれよりもすぐれておいでになりますよ」
 などと女房たちは言って、
「かなうことなら宮様の殿様におなりになって始終おいでくださることになればいい」
 こんなことまでも思ったに違いない。「右将軍が墓に草はじめて青し」と大将は口ずさみながらも、この詩も近ごろ逝(い)った人を悼(いた)んだ詩であることから、詩の中の右将軍の惜しまれたと同じように、世人が上下こぞって惜しんだ幾月か前の友人の死を思うのであった。帝(みかど)も音楽の遊びを催される時などには、いつの場合にも衛門督(えもんのかみ)を御追憶あそばすのであった。「ああ衛門督が」という言葉を何につけても言わない人はないのである。六条院はまして故人をお憐(あわ)れみになることが月日に添えてまさっていった。宮の若君を院のお心だけでは衛門督の形見と見ておいでになるのであるが、だれも、この形見のあるのは知らぬことであったから、何ものからも面影をとらえることは不可能だと思って衛門督を悲しんでいるのであった。秋になったころからこの若君は這(は)いなどなさる様子が言いようもないくらいかわいいので、院は人前ばかりでなく、しんからいとしくて、いつも抱いて大事になさるのであった。




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