雁坂越
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著者名:幸田露伴 

と、浅く日の射(さ)している高い椽側(えんがわ)に身を靠(もた)せて話しているのはお浪で、此家(ここ)はお浪の家(うち)なのである。お浪の家は村で指折(ゆびおり)の財産(しんだい)よしであるが、不幸(ふしあわせ)に家族(ひと)が少くって今ではお浪とその母とばかりになっているので、召使(めしつかい)も居れば傭(やとい)の男女(おとこおんな)も出入(ではい)りするから朝夕などは賑(にぎや)かであるが、昼はそれぞれ働きに出してあるので、お浪の母が残っているばかりで至って閑寂(しずか)である。特(こと)に今、母はお浪の源三を連れて帰って来たのを見て、わたしはちょいと見廻(みまわ)って来るからと云って、少し離(はな)れたところに建ててある養蚕所(ようさんじょ)を監視(みまわり)に出て行ったので、この広い家に年のいかないもの二人限(きり)であるが、そこは巡査(おまわり)さんも月に何度かしか回って来ないほどの山間(やまあい)の片田舎(かたいなか)だけに長閑(のんき)なもので、二人は何の気も無く遊んでいるのである。が、上れとも云わなければ茶一つ出そうともしない代り、自分も付合って家へ上りもしないでいるのは、一つはお浪の心安立(こころやすだて)からでもあろうが、やはりまだ大人(おとな)びぬ田舎娘の素樸(きじ)なところからであろう。
 源三の方は道を歩いて来たためにちと脚(あし)が草臥(くたびれ)ているからか、腰(こし)を掛(か)けるには少し高過ぎる椽の上へ無理に腰を載(の)せて、それがために地に届かない両脚をぶらぶらと動かしながら、ちょうどその下の日当りに寐(ね)ている大(おおき)な白犬の頭を、ちょっと踏んで軽(かろ)く蹴(け)るように触(さわ)って見たりしている。日の光はちょうど二人の胸あたりから下の方に当っているが、日ざしに近くいるせいだか二人とも顔が薄(うっす)りと紅くなって、特(こと)に源三は美しく見える。
「よっぽどって、そうさ五日(いつか)六日(むいか)来なかったばかりだ。」
と源三はお浪の言葉に穏(おだ)やかに答えた。
「そんなものだったかネ、何だか大変長い間見えなかったように思ったよ。そして今日(きょう)はまた定(きま)りのお酒買いかネ。」
「ああそうさ、厭(いや)になっちまうよ。五六日は身体(からだ)が悪いって癇癪(かんしゃく)ばかり起してネ、おいらを打(ぶ)ったり擲(たた)いたりした代りにゃあ酒買いのお使いはせずに済(す)んだが、もう癒(なお)ったからまた今日(きょう)っからは毎日だろう。それもいいけれど、片道一里もあるところをたった二合ずつ買いに遣(よこ)されて、そして気むずかしい日にあ、こんなに量りが悪いはずはねえ、大方(おおかた)途中(とちゅう)で飲んだろう、道理で顔が赤いようだなんて無理を云って打撲(ぶんなぐ)るんだもの、ほんとに口措(くやし)くってなりやしない。」
「ほんとに嫌(いや)な人だっちゃない。あら、お前の頸(くび)のところに細長い痣(あざ)がついているよ。いつ打(ぶ)たれたのだい、痛そうだねえ。」
と云いながら傍(そば)へ寄って、源三の衣領(えり)を寛(くつろ)げて奇麗(きれい)な指で触ってみると、源三はくすぐったいと云ったように頸を縮(すく)めて障(さえぎ)りながら、
「お止(よし)よ。今じゃあ痛くもなんともないが、打たれた時にあ痛かったよ。だって布袋竹(ほていちく)の釣竿(つりざお)のよく撓(しな)う奴(やつ)でもってピューッと一ツやられたのだもの。一昨々日(さきおととい)のことだったがね、生(なま)の魚が食べたいから釣って来いと命令(いいつ)けられたのだよ。風が吹(ふ)いて騒(ざわ)ついた厭な日だったもの、釣れないだろうとは思ったがね、愚図愚図(ぐずぐず)していると叱(しか)られるから、ハイと云って釣には出たけれども、どうしたって日が悪いのだもの、釣れやしないのさ。夕方まで骨を折って、足の裏が痛くなるほど川ん中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしたけれども、とうとう一尾(いっぴき)も釣れずに家へ帰ると、サア怒(おこ)られた怒られた、こん畜生(ちくしょう)こん畜生と百ばかりも怒鳴(どな)られて、香魚(あゆ)や山□(やまめ)は釣れないにしても雑魚(ざこ)位釣れない奴があるものか、大方遊んでばかりいやがったのだろう、この食(く)い潰(つぶ)し野郎(やろう)めッてえんでもって、釣竿を引奪(ひったく)られて、逃(に)げるところを斜(はす)に打(ぶ)たれたんだ。切られたかと思ったほど痛かったが、それでも夢中(むちゅう)になって逃げ出すとネ、ちょうど叔父(おじ)さんが帰って来たので、それで済(す)んでしまったよ。そうすると後で叔父さんに対(むか)って、源三はほんとに可愛(かわい)い児ですよ、わたしが血の道で口が不味(まず)くってお飯(まんま)が食べられないって云いましたらネ、何か魚でも釣って来てお菜(さい)にしてあげましょうって今まで掛(かか)って釣をしていましたよ、運が悪くって一尾(いっぴき)も釣れなかったけれども、とさもさも自分がおいらによく思われていでもするように云うのだもの、憎くって憎くってなりあしなかった。それもいいけれど、何ぞというと食い潰しって云われるなあ腹が立つよ。過日(こないだ)長六爺(ちょうろくじじい)に聞いたら、おいらの山を何町歩(なんちょうぶ)とか叔父さんが預(あず)かって持っているはずだっていうんだもの、それじゃあおいらは食潰しの事は有りあしないじゃあないか。家の用だって随分(ずいぶん)たんとしているのに、口穢(くちぎたな)く云われるのが真実(ほんと)に厭だよ。おまえの母(おっか)さんはおいらが甲府へ逃げてしまって奉公(ほうこう)しようというのを止めてくれたけれども、真実(ほんと)に余所(よそ)へ出て奉公した方がいくらいいか知れやしない。ああ家に居たくない、居たくない。」
と云いながら、雲は無いがなんとなく不透明(ふとうめい)な白みを持っている柔和(やわらか)な青い色の天(そら)を、じーっと眺(なが)め詰(つ)めた。お浪もこの夙(はや)く父母(ちちはは)を失った不幸の児が酷(むご)い叔母(おば)に窘(くるし)められる談(はなし)を前々から聞いて知っている上に、しかも今のような話を聞いたのでいささか涙(なみだ)ぐんで茫然(ぼうぜん)として、何も無い地(つち)の上に眼を注いで身動もしないでいた。陽気な陽気な時節ではあるがちょっとの間はしーんと静になって、庭の隅(すみ)の柘榴(ざくろ)の樹(き)の周(まわ)りに大きな熊蜂(くまばち)がぶーんと羽音(はおと)をさせているのが耳に立った。

   その三

 色々な考えに小(ちいさ)な心を今さら新(あらた)に紛(もつ)れさせながら、眼ばかりは見るものの当(あて)も無い天(そら)をじっと見ていた源三は、ふっと何(なん)の禽(とり)だか分らない禽の、姿も見えるか見えないか位に高く高く飛んで行くのを見つけて、全くお浪に対(むか)ってでは無い語気で、
「禽は好(い)いなア。」
と呻(うめ)き出した。
「エッ。」
と言いながら眼を挙(あ)げて源三が眼の行く方(かた)を見て、同じく禽の飛ぶのを見たお浪は、たちまちにその意(こころ)を悟(さと)って、耐(た)えられなくなったか□然(げんぜん)として涙を堕(おと)した。そして源三が肩先(かたさき)を把(とら)えて、
「またおまえは甲府へ行ってしまおうと思っているね。」
とさも恨(うら)めしそうに、しかも少しそうはさせませぬという圧制(あっせい)の意の籠(こも)ったような語(ことば)の調子で言った。
 源三はいささかたじろいだ気味で、
「なあに、無暗(むやみ)に駈(か)け出して甲府へ行ったっていけないということは、お前の母様(おっかさん)の談(はなし)でよく解(わか)っているから、そんな事は思ってはいないけれど、余(あんま)り家に居て食い潰し食い潰しって云われるのが口惜(くやし)いから、叔父さんにあ済まないけれどどこへでも出て、どんな辛(つら)い思いをしても辛棒(しんぼう)をして、すこしでもいいから出世したいや。弱虫だ弱虫だって衆(みんな)が云うけれど、おいらだって男の児だもの、窘(いじ)められてばかりいたかあ無いや。」
と他(ひと)の意(こころ)に逆(さか)らわぬような優しい語気ではあるが、微塵(みじん)も偽(いつわ)り気(げ)は無い調子で、しみじみと心の中(うち)を語った。
 そこで互(たがい)に親み合ってはいても互に意(こころ)の方向(むき)の異(ちが)っている二人の間に、たちまち一条の問答が始まった。
「どこへでも出て辛棒をするって、それじゃあやっぱり甲府へ出ようって云うんじゃあないか。」
とお浪は云い切って、しばし黙(だま)って源三の顔を見ていたが、源三が何とも答えないのを見て、
「そーれご覧(らん)、やっぱりそうしようと思っておいでのだろう。それあおまえも、品質(もの)が好いからって二合ばかりずつのお酒をその度々(たびたび)に釜川から一里もあるこの釜和原まで買いに遣(よこ)すような酷(ひど)い叔母様(おばさん)に使われて、そうして釣竿で打(ぶ)たれるなんて目に逢うのだから、辛(つら)いことも辛いだろうし口惜(くや)しいことも口惜しいだろうが、先日(せん)のように逃げ出そうと思ったりなんぞはしちゃあ厭だよ。ほんとに先日(いつか)の夜(ばん)だって吃驚(びっくり)したよ。いくら叔母さんが苛(ひど)いったって雪の降ってる中を無暗に逃げ出して来て、わたしの家(とこ)へも知らさないで、甲府へ出てしまって奉公しようと思うとって、夜にもなっているのにそっと此村(ここ)を通り抜けてしまおうとしたじゃあないか。吾家(うち)の母(おっか)さんが与惣次(よそうじ)さんところへ招(よ)ばれて行った帰路(かえり)のところへちょうどおまえが衝突(ぶつか)ったので、すぐに見つけられて止められたのだが、後で母様(おっかさん)のお話にあ、いくら下りだって甲府までは十里近くもある路を、夜にかかって食物の準備(ようい)も無いのに、足ごしらえも無しで雪の中を行こうとは怜悧(りこう)のようでも真実(ほんと)に児童(こども)だ、わたしが行き合って止めでもしなかったらどんな事になったか知れやしない、思い出しても怖(おそろ)しい事だと仰(おっし)ゃったよ。そればかりじゃあ無い、奉公をしようと云ったって請人(うけにん)というものが無けりゃあ堅(かた)い良い家(うち)じゃあ置いてくれやしないし、他人ばかりの中へ出りゃあ、この児はこういう訳のものだから愍然(かわいそう)だと思ってくれる人だって有りゃあしない。だから他郷(よそ)へ出て苦労をするにしても、それそれの道順を踏(ふ)まなければ、ただあっちこっちでこづき廻(まわ)されて無駄(むだ)に苦しい思(おもい)をするばかり、そのうちにあ碌(ろく)で無い智慧(ちえ)の方が付きがちのものだから、まあまあ無暗に広い世間へ出たって好いことは無い、源さんも辛いだろうがもう少し辛棒していてくれれば、そのうちにあどうかしてあげるつもりだと吾家(うち)の母(おっか)さんがお話しだった事は、あの時の後にもわたしが話したからおまえだって知りきっているはずじゃあ無いかエ。それだのにまだおまえは隙(すき)さえありゃあ無鉄砲(むてっぽう)なことをしようとお思いのかエ。」
と年齢(とし)は同じほどでも女だけにませたことを云ったが、その言葉の端々(はしはし)にもこの女(こ)の怜悧(りこう)で、そしてこの児を育てている母の、分別の賢(かしこ)い女であるということも現れた。
 源三は首を垂(た)れて聞いていたが、
「あの時は夢中になってしまったのだもの、そしてあの時おまえの母様(おっかさん)にいろんな事を云って聞かされたから、それからは無暗の事なんかしようとは思ってやしないのだヨ。だけれどもネ、」
と云いさして云い澱(よど)んでしまった。
「だけれどもどうしたんだエ。ああやっぱり吾家(うち)の母様(おっかさん)の云うことなんか聴(き)かないつもりなのだネ。」
「なあに、なあにそうじゃないけれども、……」
「それ、お見、そうじゃあないけれどもってお云いでも、後の語(ことば)は出ないじゃあないか。」
「…………」
「ほら、ほら、閊(つか)えてしまって云えないじゃあないか。おまえはわたし達にあ秘(かく)していても腹(おなか)ん中じゃあ、いつか一度は、誰の世話にもならないで一人で立派なものになろうと思っているのだネ。イイエ頭を掉(ふ)ってもそうなんだよ。」
「ほんとにそうじゃないって云うのに。」
「イイエ、何と云ってもいけないよ。わたしはチャーンと知っているよ。それじゃあおまえあんまりというものだよ、何もわたし達あおまえの叔母(おば)さんに告口(いつけぐち)でもしやしまいし、そんなに秘(かく)し立(だて)をしなくってもいいじゃあないか。先(せん)の内はこんなおまえじゃあなかったけれどだんだんに酷い人におなりだネエ、黙々(だんまり)で自分の思い通りを押通(おしとお)そうとお思いのだもの、ほんとにおまえは人が悪い、怖(こわ)いような人におなりだよ。でもおあいにくさまだが吾家(うち)の母様(おっかさん)はおまえの心持を見通していらしって、いろいろな人にそう云っておおきになってあるから、いくらお前が甲府の方へ出ようと思ったりなんぞしてもそうはいきません。おまえの居る方から甲府の方へは笛吹川の両岸のほかには路は無い、その路にはおまえに無暗なことをさせないようにと思って見ている人が一人や二人じゃあ無いから、おまえの思うようにあなりあしないヨ。これほどに吾家(うち)の母様(おっかさん)の為(な)さるのも、おまえのためにいいようにと思っていらっしゃるからだとお話があったわ。それだのに禽(とり)を見て独語(ひとりごと)を云ったりなんぞして、あんまりだよ。」
と捲(まく)し立ててなおお浪の言わんとするを抑(おさ)えつけて、
「いいよ、そんなに云わなくったって分っているよ。おいらあ無暗に逃げ出したりなんぞしようと思ってやしないというのに。」
と遮(さえぎ)る。
「おや、まだ強情(ごうじょう)に虚言(うそ)をお吐(つ)きだよ。それほど分っているならなぜ禽はいいなあと云ったり、だけれどもネと云って後の言葉を云えなかったりするのだエ。」
と追窮(ついきゅう)する。追窮されても窘(くるし)まぬ源三は、
「そりゃあただおいらあ、自由自在になっていたら嬉(うれ)しいだろうと思ったからそう云ったのさ。浪ちゃんだってあの禽のように自由だったら嬉しいだろうじゃあないか。」
と云うと、お浪はまた新に涙ぐんで其言(それ)には答えず、
「それ、その通りだもの。おまえにやまだ吾家(うち)の母(おっか)さんだのわたしだのが、どんなにおまえのためを思っているかが解らないのかネエ。真実(ほんと)におまえは自分勝手(がって)ばかり考えていて、他(ひと)の親切というものは無にしても関(かま)わないというのだネ。おおかたわたし達も誰も居なかったら自由自在だっておまえはお悦(よろこ)びだろうが、あんまりそりゃあ気随(きずい)過(す)ぎるよ。吾家(うち)の母様(おっかさん)もおまえのことには大層心配をしていらしって、も少しするとおまえのところの叔父さんにちゃんと談をなすって、何でもおまえのために悪くないようにしてあげようって云っていらっしゃるのだから、辛いだろうがそんな心持を出さないで、少しの間辛抱おしでなくちゃあ済まないわ。」
としみじみと云うその真情(まごころ)に誘(さそ)い込まれて、源三もホロリとはなりながらなお、
「だって、おいらあ男の児だもの、やっぱり一人で出世したいや。」
と自分の思わくとお浪の思わくとの異(ちが)っているのを悲む色を面(おもて)に現しつつ、正直にしかも剛情(ごうじょう)に云った。その面貌(かおつき)はまるで小児(こども)らしいところの無い、大人(おとな)びきった寂(さ)びきったものであった。
 お浪はこの自己(おのれ)を恃(たの)む心のみ強い言(ことば)を聞いて、驚(おどろ)いて目を瞠(みは)って、
「一人でって、どう一人でもって?」
と問い返したが返辞が無かったので、すぐとまた、
「じゃあ誰の世話にもならないでというんだネ。」
と質(ただ)すと、源三は術(じゅつ)無(なさ)そうに、かつは憐愍(あわれみ)と宥恕(ゆるし)とを乞(こ)うような面(かお)をして微(かすか)に点頭(うなずい)た。源三の腹の中は秘(かく)しきれなくなって、ここに至ってその継子根性(ままここんじょう)の本相(ほんしょう)を現してしまった。しかし腹の底にはこういう僻(ひが)みを持っていても、人の好意に負(そむ)くことは甚(ひど)く心苦しく思っているのだ。これはこの源三が優しい性質(うまれつき)の一角と云おうか、いやこれがこの源三の本来の美しい性質で、いかなる人をも頼(たの)むまいというようなのはかえって源三が性質の中のある一角が、境遇(きょうぐう)のために激(げき)せられて他の部よりも比較的(ひかくてき)に発展したものであろうか。
 お浪は今明らかに源三の本心を読んで取ったので、これほどに思っている自分親子をも胸の奥(おく)の奥では袖(そで)にしている源三のその心強さが怨(うら)めしくもあり、また自分が源三に隔(へだ)てがましく思われているのが悲しくもありするところから、悲痛の色を眉目(びもく)の間(かん)に浮(うか)めて、
「じゃあ吾家(うち)の母様(おっかさん)の世話にもなるまいというつもりかエ。まあ怖しい心持におなりだネエ、そんなに強(きつ)くならないでもよさそうなものを。そんなおまえじゃあ甲府の方へは出すまいとわたし達がしていても、雁坂を越えて東京へも行きかねはしない、吃驚(びっくり)するほどの意地っ張りにおなりだから。」
と云った。すると源三はこれを聞いて愕然(ぎょっ)として、秘せぬ不安の色をおのずから見せた。というものは、お浪が云った語(ことば)は偶然(ぐうぜん)であったのだが、源三は甲府へ逃げ出そうとして意(こころ)を遂(と)げなかった後、恐ろしい雁坂を越えて東京の方へ出ようと試みたことが、既(すで)に一度で無く二度までもあったからで、それをお浪が知っていようはずは無いが、雁坂を越えて云々(しかじか)と云い中(あて)られたので、突然(いきなり)に鋭(するど)い矢を胸の真正中(まっただなか)に射込(いこ)まれたような気がして驚いたのである。
 源三がお浪にもお浪の母にも知らせない位であるから無論誰にも知らせないで、自分一人で懐(いだ)いている秘密(ひみつ)はこうである。一体源三は父母を失ってから、叔母が片付いている縁(えん)によって今の家に厄介(やっかい)になったので、もちろん厄介と云っても幾許(いくばく)かの財産をも預けて寄食していたのだからまるで厄介になったという訳では無いので、そこで叔母にも可愛がらるればしたがって叔父にも可愛がられていたところ、不幸にしてその叔母が病気で死んでしもうて、やがて叔父がどこからか連れて来たのが今の叔母で、叔父は相変らず源三を愛しているに関(かかわ)らず、この叔父の後妻はどういうものか源三を窘(いじ)めること非常なので、源三はついに甲府へ逃(に)げて奉公しようと、山奥の児童(こども)にも似合わない賢(かしこ)いことを考え出して、既にかつて堪(た)えられぬ虐遇(ぎゃくぐう)を被(こうむ)った時、夢中になって走り出したのである。ところが源三と小学からの仲好(なかよし)朋友(ともだち)であったお浪の母は、源三の亡くなった叔母と姉妹(きょうだい)同様の交情(なか)であったので、我(わ)が親かったものの甥(おい)でしかも我が娘の仲好しである源三が、始終履歴(りれき)の汚(よご)れ臭(くさ)い女に酷(ひど)い目に合わされているのを見て同情(おもいやり)に堪(た)えずにいた上、ちょうど無暗滅法(むやみめっぽう)に浮世(うきよ)の渦(うず)の中へ飛込もうという源三に出会ったので、取りあえずその逸(はや)り気(ぎ)な挙動(ふるまい)を止(とど)めておいて、さて大(おおい)に踏ん込(ご)んでもこの可憫(あわれ)な児を危い道を履(ふ)ませずに人にしてやりたいと思い、その娘のお浪はまたただ何と無く源三を好くのと、かつはその可哀(あわれ)な境遇を気(き)の毒(どく)と思うのとのために、これもまたいろいろに親切にしてやる。これらの事情の湊合(そうごう)のために、源三は自分の唯一(ゆいいつ)の良案と信じている「甲府へ出て奉公住みする」という事をあえてしにくいので、自分が一刻も早く面白くない家を出てしまって世間へ飛び出したいという意(こころ)からは、お浪親子の親切を嬉しいとは思いながら難有迷惑(ありがためいわく)に思う気味もあるほどである。もちろんお浪親子がいかに一本路を見張っているにしても、その眼(め)を潜(くぐ)って甲府へ出ることはそれほど難しいことでは無いが、元は優しいので弱虫弱虫と他(ほか)の児童等(こどもたち)に云われたほどの源三には、その親切なお浪親子の家の傍を通ってその二人を出(だ)し抜(ぬ)くことが出来ないのであった。しかし家に居たく無い、出世がしたい、奉公に出たらよかろうと思わずにはいられない自分の身の上の事情は継続(けいぞく)しているので、小耳に挟(はさ)んだ人の談話(はなし)からついに雁坂を越えて東京へ出ようという心が着いた。
 東京は甲府よりは無論佳(よ)いところである。雁坂を越して峠(とうげ)向うの水に随(つ)いてどこまでも下れば、その川は東京の中を流れている墨田川(すみだがわ)という川になる川だから自然と東京へ行ってしまうということを聞きかじっていたので、何でも彼嶺(あれ)さえ越せばと思って、前の月のある朝酷(ひど)く折檻(せっかん)されたあげくに、ただ一人思い切って上りかけたのであった。けれどもそこは小児(こども)の思慮(かんがえ)も足らなければ意地も弱いので、食物を用意しなかったため絶頂までの半分も行かぬ中(うち)に腹は減(へ)って来る気は萎(な)えて来る、路はもとより人跡(じんせき)絶えているところを大概(おおよそ)の「勘(かん)」で歩くのであるから、忍耐(がまん)に忍耐(がまん)しきれなくなって怖(こわ)くもなって来れば悲しくもなって来る、とうとう眼を凹(くぼ)ませて死にそうになって家へ帰って、物置の隅(すみ)で人知れず三時間も寐(ね)てその疲労(つかれ)を癒(いや)したのであった。そこでその四五日は雁坂の山を望んでは、ああとてもあの山は越えられぬと肚(はら)の中で悲しみかえっていたが、一度その意(こころ)を起したので日数(ひかず)の立つ中(うち)にはだんだんと人の談話(はなし)や何かが耳に止まるため、次第次第に雁坂を越えるについての知識を拾い得た。そうするとまたそろそろと勇気(いきおい)が出て来て、家を出てから一里足らずは笛吹川の川添(かわぞい)を上って、それから右手の嶺通(みねどお)りの腰をだんだんと「なぞえ」に上りきれば、そこが甲州武州(ぶしゅう)の境で、それから東北(ひがしきた)へと走っている嶺を伝わって下って行けば、ついには一つの流(ながれ)に会う、その流に沿(そ)うて行けば大滝村(おおたきむら)、それまでは六里余り無人の地だが、それからは盲目(めくら)でも行かれる楽な道だそうだ、何でも峠(とうげ)さえ越してしまえば、と朝晩雁坂の山を望んでは、そのむこうに極楽でもあるように好ましげに見ていた。
 すると叔父は山□(かせ)ぎをするものの常で二三日帰らなかったある夜の事であった。叔母の肩(かた)をば揉(も)んでいる中(うち)、夜も大分(だいぶ)に更(ふ)けて来たので、源三がつい浮(うか)りとして居睡(いねむ)ると、さあ恐ろしい煙管(きせる)の打擲(ちょうちゃく)を受けさせられた。そこでまた思い切ってその翌朝(よくあさ)、今度は団飯(むすび)もたくさんに用意する、銭(かね)も少しばかりずつ何ぞの折々に叔父に貰(もら)ったのを溜(た)めておいたのをひそかに取り出す、足ごしらえも厳重にする、すっかり仕度(したく)をしてしまって釜川を背後(うしろ)に、ずんずんずんずんと川上に上った。やがて小(こ)一里も来たところで、さあここらから川の流れに分れて、もう今まで昼となく夜となく眼にしたり耳にしたりしていた笛吹川もこれが見納めとしなければならぬという場所にかかった。そこで歳(とし)こそ往(ゆ)かないが源三もなんとなく心淋しいような感じがするので、川の側(そば)の岩の上にしばし休んで、□鞳(どうとう)と流れる水のありさまを見ながら、名づけようを知らぬ一種の想念(おもい)に心を満たしていた。そうするといずくからともなく人声が聞えるようなので、もとより人も通わぬこんなところで人声を聞こうとも思いがけなかった源三は、一度(ひとたび)は愕然(ぎょっ)として驚いたが耳を澄まして聞いていると、上の方からだんだんと近づいて来るその話声は、復(ふたた)び思いがけ無くもたしかに叔父の声音(こわね)だった。そこで源三は川から二三間(けん)離(はな)れた大きな岩のわずかに裂(さ)け開(ひら)けているその間に身を隠(かく)して、見咎(みとが)められまいと潜(ひそ)んでいると、ちょうど前に我が休んだあたりのところへ腰を下して憩(やす)んだらしくて、そして話をしているのは全(まった)く叔父で、それに応答(うけこた)えをしているのは平生(ふだん)叔父の手下になっては□ぐ甲助(こうすけ)という村の者だった。川音と話声と混(まじ)るので甚(ひど)く聞き辛(づら)くはあるが、話の中(うち)に自分の名が聞えたので、おのずと聞き逸(はず)すまいと思って耳を立てて聞くと、「なあ甲助、どうせ養子をするほども無い財産(しんだい)だから、嚊(かかあ)が勧める嚊の甥なんぞの気心も知れねえ奴(やつ)を入れるよりは、怜悧(りこう)で天賦(たち)の良(い)いあの源三におらが有(も)ったものは不残(みんな)遣(や)るつもりだ。そうしたらあいつの事だから、まさかおらが亡くなったっておらの墓(はか)を草ん中に転(ころ)げさせてしまいもすめえと思うのさ。前の嚊にこそ血筋(ちすじ)は引け、おらには縁の何も無いが、おらあ源三が可愛くって、家へ帰るとあいつめが叔父さん叔父さんと云いやがって、草鞋(わらじ)を解(と)いてくれたり足の泥(どろ)を洗ってくれたり何やかやと世話を焼いてくれるのが嬉しくてならない。子という者あ持ったことも無いが、まあ子も同様に思っているのさ。そこでおらあ、今はもう□がないでも食って行かれるだけのことは有るが、まだ仕合(しあわせ)に足腰も達者だから、五十と声がかかっちゃあ身体(からだ)は太義(たいぎ)だが、こうして□いで山林方(やまかた)を働いている、これも皆(みんな)少(すこし)でも延ばしておいて、源三めに与(や)って喜ばせようと思うからさ。どれどれ今日(きょう)は三四日ぶりで家へ帰って、叔父さん叔父さんてあいつめが莞爾(にこつく)顔を見よう、さあ、もう一服やったら出掛けようぜ」と高話(たかばなし)して、やがて去った。これを聞いていた源三はしくしくしくしくと泣き出したが、程立(ほどた)って力無げに悄然(しょんぼり)と岩の間から出て、流の下(しも)の方をじっと視(み)ていたが、堰(せ)きあえぬ涙(なみだ)を払(はら)った手の甲を偶然(ふっと)見ると、ここには昨夜(ゆうべ)の煙管の痕(あと)が隠々(いんいん)と青く現れていた。それが眼に入るか入らぬに屹(きっ)と頭(かしら)を擡(あ)げた源三は、白い横長い雲がかかっている雁坂の山を睨(にら)んで、つかつかと山手の方へ上りかけた。しかしたちまちにして一ト歩(あし)は一ト歩より遅(おそ)くなって、やがて立止まったかと見えるばかりに緩(のろ)く緩くなったあげく、うっかりとして脱石(ぬけいし)に爪端(つまさき)を踏掛(ふんがけ)けたので、ずるりと滑(すべ)る、よろよろッと踉蹌(よろけ)る、ハッと思う間も無くクルリと転(まわ)ってバタリと倒れたが、すぐには起きも上(あが)り得ないでまず地(つち)に手を突(つ)いて上半身を起して、見ると我が村の方はちょうど我が眼の前に在った。すると源三は何を感じたか滝(たき)のごとくに涙を墜(おと)して、ついには啜(すす)り泣(なき)して止(や)まなかったが、泣いて泣いて泣き尽(つく)した果(はて)に竜鍾(しおしお)と立上って、背中に付けていた大(おおき)な団飯(むすび)を抛(ほう)り捨ててしまって、吾家(わがや)を指して立帰った。そして自分の出来るだけ忠実(まめやか)に働いて、叔父が我が挙動(しうち)を悦んでくれるのを見て自分も心から喜ぶ余りに、叔母の酷(むご)さをさえ忘れるほどであった。それで二度までも雁坂越をしようとした事はあったのであるが、今日まで噫(おくび)にも出さずにいたのであった。
 ただよく愛するものは、ただよく解するものである。源三が懐(いだ)いているこういう秘密を誰から聞いて知ろうようも無いのであるが、お浪は偶然にも云い中(あ)てたのである。しかし源三は我が秘密はあくまでも秘密として保って、お浪との会話(はなし)をいい程(ほど)のところに遮(さえぎ)り、余り帰宅(かえり)が遅くなってはまた叱られるからという口実のもとに、酒店(さかや)へと急いで酒を買い、なお村の尽頭(はずれ)まで連れ立って来たお浪に別れて我が村へと飛ぶがごとくに走り帰った。

   その四

 ちょうどその日は樽(たる)の代り目で、前の樽の口のと異(ちが)った品ではあるが、同じ価(ね)の、同じ土地で出来た、しかも質(もの)は少し佳(よ)い位のものであるという酒店(さかや)の挨拶(あいさつ)を聞いて、もしや叱責(こごと)の種子(たね)にはなるまいかと鬼胎(おそれ)を抱(いだ)くこと大方ならず、かつまた塩(しお)文□(とび)を買って来いという命令(いいつけ)ではあったが、それが無かったのでその代りとして勧められた塩鯖(しおさば)を買ったについても一ト方ならぬ鬼胎(おそれ)を抱いた源三は、びくびくもので家の敷居(しきい)を跨(また)いでこの経由(わけ)を話すと、叔母の顔は見る見る恐ろしくなって、その塩鯖の※包(かわづつ)[#「竹かんむり+擇」、補助5092、76-8]みを手にするや否(いな)やそれでもって散々(さんざん)に源三を打(ぶ)った。
 何で打たれても打たれて佳いというものがあるはずは無いが、火を見ぬ塩魚の悪腥(わるなまぐさ)い――まして山里の日増しものの塩鯖の腐(くさ)りかかったような――奴(やつ)の※(たけのかわ)[#「竹かんむり+擇」、補助5092、76-10]包みで、力任せに眼とも云わず鼻とも云わず打たれるのだから堪(こら)えられた訳のものでは無い。まず※[#「竹かんむり+擇」、補助5092、76-12]は幾条(いくすじ)にも割(わ)れ裂(さ)ける、それでもって打たれるので※(かわ)[#「竹かんむり+擇」、補助5092、76-12]の裂目のひりひりしたところが烈(はげ)しく触(さわ)るから、ごくごく浅い疵(きず)ではあるが松葉(まつば)でも散らしたように微疵(かすりきず)が顔へつく。そこへ塩気(しおけ)がつく、腥気(なまぐさっけ)がつく、魚肉(にく)が迸裂(はぜ)て飛んで額際(ひたいぎわ)にへばり着いているという始末、いやはや眼も当てられない可厭(いや)な窘(いじ)めようで、叔母のする事はまるで狂気(きちがい)だ。もちろん源三は先妻の縁引きで、しかも主人(あるじ)に甚(ひど)く気に入っていて、それがために自分がここへ養子に入れて、生活状態(くらしざま)の割には山林(やま)やなんぞの資産の多いのを譲(ゆず)り受けさせようと思っている我が甥がここへ入れないのであるから、憎(にく)いにはあくまで憎いであろうが、一つはこの女の性質が残忍(ざんにん)なせいでもあろうか、またあるいは多くの男に接したりなんぞして自然の法則を蔑視(べっし)した婦人等(おんなたち)は、ややもすれば年老(としお)いて女の役の無くなる頃(ころ)に臨(のぞ)むと奇妙(きみょう)にも心状(こころ)が焦躁(じれ)たり苛酷(いらひど)くなったりしたがるものであるから、この女もまたそれ等(ら)の時に臨んでいたせいででもあろうか、いかに源三のした事が気に入らないにせよ、随分(ずいぶん)尋常外(なみはず)れた責めかたである。
 最初は仕方が無いと諦めて打たれた。二度目は情無いと思いながら打たれた。三度目四度目になれば、口惜しいと思いながら打たれた。それから先はもう死んだ気になってしまって打たれていたが、余りいつまでも打たれている中(うち)に障(ささ)えることの出来ない怒(いかり)が勃然(ぼつぜん)として骨々(ほねぼね)節々(ふしぶし)の中から起って来たので、もうこれまでと源三は抵抗(ていこう)しようとしかけた時、自分の気息(いき)が切れたと見えて叔母は突き放って免(ゆる)した。そこで源三は抵抗もせずに、我を忘れて退いて平伏(ひれふ)したが、もう死んだ気どころでは無い、ほとんど全く死んでいて、眼には涙も持たずにいた。
 その夜源三は眠(ねむ)りかねたが、それでも少年の罪の無さには暁天方(あかつきがた)になってトロリとした。さて目※(まどろ)[#「目へん+屯」、補助4556、78-5]む間も無く朝早く目が覚(さ)めると、平生(いつも)の通り朝食(あさめし)の仕度にと掛ったが、その間々(ひまひま)にそろりそろりと雁坂越の準備(ようい)をはじめて、重たいほどに腫(は)れた我が顔の心地悪(あ)しさをも苦にぜず、団飯(むすび)から脚(あし)ごしらえの仕度まですっかりして後、叔母にも朝食をさせ、自分も十分に喫(きっ)し、それから隙(すき)を見て飄然(ふい)と出てしまった。
 家を出て二三町歩いてから持って出た脚絆(きゃはん)を締(し)め、団飯(むすび)の風呂敷包(ふろしきづつ)みをおのが手作りの穿替(はきか)えの草鞋(わらじ)と共に頸(くび)にかけて背負い、腰の周囲(まわり)を軽くして、一ト筋の手拭(てぬぐい)は頬(ほお)かぶり、一ト筋の手拭は左の手首に縛(くく)しつけ、内懐(うちぶところ)にはお浪にかつてもらった木綿財布(もめんざいふ)に、いろいろの交(まじ)り銭(ぜに)の一円少し余(よ)を入れたのを確(しか)と納め、両の手は全空(まるあき)にしておいて、さて柴刈鎌(しばかりがま)の柄(え)の小長い奴を右手に持ったり左手に持ったりしながら、だんだんと川上へ登り詰めた。
 やがて前(さき)の日叔父の言(ことば)を聞いて引返したところへかかると、源三の歩みはまた遅くなった。しかし今度は、前の日自分が腰掛けた岩としばらく隠れた大(おおき)な岩とをやや久(ひさ)しく見ていたが、そのあげくに突然と声張り上げて、ちとおかしな調子で、「我は官軍、我が敵は」と叫(さけ)び出して山手へと進んだ。山鳴り谷答えて、いずくにか潜(ひそ)んでいる悪魔(あくま)でも唱い返したように、「我は官軍我敵は」という歌の声は、笛吹川の水音にも紛(まぎ)れずに聞えた。
 それから源三はいよいよ分り難(にく)い山また山の中に入って行ったが、さすがは山里で人となっただけにどうやらこうやら「勘」を付けて上って、とうとう雁坂峠の絶頂へ出て、そして遥(はるか)に遠く武蔵一国が我が脚下(あしもと)に開けているのを見ながら、蓬々(ほうほう)と吹く天(そら)の風が頬被(ほおかぶ)りした手拭に当るのを味った時は、躍(おど)り上(あが)り躍り上って悦んだ。しかしまた振り返って自分等が住んでいた甲斐の国の笛吹川に添う一帯の地を望んでは、黯然(あんぜん)としても心も昧(くら)くなるような気持がして、しかもその薄(うっ)すりと霞んだ霞(かすみ)の底(そこ)から、

桑を摘め摘め、爪紅さした、花洛(みやこ)女郎衆(じょろしゅ)も、桑を摘め。

と清い清い澄み徹(とお)るような声で唱い出されたのが聞えた。もとより聞えるはずが有ろう訳は無いのであるが。
(明治三十六年五月)




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