高野聖
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著者名:泉鏡花 

     一

「参謀(さんぼう)本部編纂(へんさん)の地図をまた繰開(くりひら)いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手を触(さわ)るさえ暑くるしい、旅の法衣(ころも)の袖(そで)をかかげて、表紙を附(つ)けた折本になってるのを引張(ひっぱ)り出した。
 飛騨(ひだ)から信州へ越(こ)える深山(みやま)の間道で、ちょうど立休らおうという一本の樹立(こだち)も無い、右も左も山ばかりじゃ、手を伸(の)ばすと達(とど)きそうな峰(みね)があると、その峰へ峰が乗り、巓(いただき)が被(かぶ)さって、飛ぶ鳥も見えず、雲の形も見えぬ。
 道と空との間にただ一人我ばかり、およそ正午(しょうご)と覚しい極熱(ごくねつ)の太陽の色も白いほどに冴(さ)え返った光線を、深々と戴(いただ)いた一重(ひとえ)の檜笠(ひのきがさ)に凌(しの)いで、こう図面を見た。」
 旅僧(たびそう)はそういって、握拳(にぎりこぶし)を両方枕(まくら)に乗せ、それで額を支えながら俯向(うつむ)いた。
 道連(みちづれ)になった上人(しょうにん)は、名古屋からこの越前敦賀(えちぜんつるが)の旅籠屋(はたごや)に来て、今しがた枕に就いた時まで、私(わたし)が知ってる限り余り仰向(あおむ)けになったことのない、つまり傲然(ごうぜん)として物を見ない質(たち)の人物である。
 一体東海道掛川(かけがわ)の宿(しゅく)から同じ汽車に乗り組んだと覚えている、腰掛(こしかけ)の隅(すみ)に頭(こうべ)を垂れて、死灰(しかい)のごとく控(ひか)えたから別段目にも留まらなかった。
 尾張(おわり)の停車場(ステイション)で他(ほか)の乗組員は言合(いいあわ)せたように、残らず下りたので、函(はこ)の中にはただ上人と私と二人になった。
 この汽車は新橋を昨夜九時半に発(た)って、今夕(こんせき)敦賀に入ろうという、名古屋では正午(ひる)だったから、飯に一折の鮨(すし)を買った。旅僧も私と同じくその鮨を求めたのであるが、蓋(ふた)を開けると、ばらばらと海苔(のり)が懸(かか)った、五目飯(ちらし)の下等なので。
(やあ、人参(にんじん)と干瓢(かんぴょう)ばかりだ。)と粗忽(そそ)ッかしく絶叫(ぜっきょう)した。私の顔を見て旅僧は耐(こら)え兼ねたものと見える、くっくっと笑い出した、もとより二人ばかりなり、知己(ちかづき)にはそれからなったのだが、聞けばこれから越前へ行って、派は違(ちが)うが永平寺(えいへいじ)に訪ねるものがある、但(ただ)し敦賀に一泊(ぱく)とのこと。
 若狭(わかさ)へ帰省する私もおなじ処(ところ)で泊(とま)らねばならないのであるから、そこで同行の約束(やくそく)が出来た。
 かれは高野山(こうやさん)に籍(せき)を置くものだといった、年配四十五六、柔和(にゅうわ)ななんらの奇(き)も見えぬ、懐(なつか)しい、おとなしやかな風采(とりなり)で、羅紗(らしゃ)の角袖(かくそで)の外套(がいとう)を着て、白のふらんねるの襟巻(えりまき)をしめ、土耳古形(トルコがた)の帽(ぼう)を冠(かぶ)り、毛糸の手袋(てぶくろ)を嵌(は)め、白足袋(しろたび)に日和下駄(ひよりげた)で、一見、僧侶(そうりょ)よりは世の中の宗匠(そうしょう)というものに、それよりもむしろ俗か。
(お泊りはどちらじゃな、)といって聞かれたから、私は一人旅の旅宿のつまらなさを、しみじみ歎息(たんそく)した、第一盆(ぼん)を持って女中が坐睡(いねむり)をする、番頭が空世辞(そらせじ)をいう、廊下(ろうか)を歩行(ある)くとじろじろ目をつける、何より最も耐(た)え難(がた)いのは晩飯の支度(したく)が済むと、たちまち灯(あかり)を行燈(あんどん)に換(か)えて、薄暗(うすぐら)い処でお休みなさいと命令されるが、私は夜が更(ふ)けるまで寐(ね)ることが出来ないから、その間の心持といったらない、殊(こと)にこの頃(ごろ)は夜は長し、東京を出る時から一晩の泊(とまり)が気になってならないくらい、差支(さしつか)えがなくば御僧(おんそう)とご一所(いっしょ)に。
 快く頷(うなず)いて、北陸地方を行脚(あんぎゃ)の節はいつでも杖(つえ)を休める香取屋(かとりや)というのがある、旧(もと)は一軒(けん)の旅店(りょてん)であったが、一人女(ひとりむすめ)の評判なのがなくなってからは看板を外(はず)した、けれども昔(むかし)から懇意(こんい)な者は断らず泊めて、老人(としより)夫婦が内端(うちわ)に世話をしてくれる、宜(よろ)しくばそれへ、その代(かわり)といいかけて、折を下に置いて、
(ご馳走(ちそう)は人参と干瓢ばかりじゃ。)
 とからからと笑った、慎(つつし)み深そうな打見(うちみ)よりは気の軽い。

     二

 岐阜(ぎふ)ではまだ蒼空(あおぞら)が見えたけれども、後は名にし負う北国空、米原(まいばら)、長浜(ながはま)は薄曇(うすぐもり)、幽(かすか)に日が射(さ)して、寒さが身に染みると思ったが、柳(やな)ヶ瀬(せ)では雨、汽車の窓が暗くなるに従うて、白いものがちらちら交(まじ)って来た。
(雪ですよ。)
(さようじゃな。)といったばかりで別に気に留めず、仰(あお)いで空を見ようともしない、この時に限らず、賤(しず)ヶ岳(たけ)が、といって、古戦場を指した時も、琵琶湖(びわこ)の風景を語った時も、旅僧はただ頷いたばかりである。
 敦賀で悚毛(おぞけ)の立つほど煩(わずら)わしいのは宿引(やどひき)の悪弊(あくへい)で、その日も期したるごとく、汽車を下(おり)ると停車場(ステイション)の出口から町端(まちはな)へかけて招きの提灯(ちょうちん)、印傘(しるしがさ)の堤(つつみ)を築き、潜抜(くぐりぬ)ける隙(すき)もあらなく旅人を取囲んで、手(て)ン手(で)に喧(かまびす)しく己(おの)が家号(やごう)を呼立(よびた)てる、中にも烈(はげ)しいのは、素早(すばや)く手荷物を引手繰(ひったく)って、へい難有(ありがと)う様(さま)で、を喰(くら)わす、頭痛持は血が上るほど耐(こら)え切れないのが、例の下を向いて悠々(ゆうゆう)と小取廻(ことりまわ)しに通抜(とおりぬ)ける旅僧は、誰(たれ)も袖を曳(ひ)かなかったから、幸いその後に跟(つ)いて町へ入って、ほっという息を吐(つ)いた。
 雪は小止(おやみ)なく、今は雨も交らず乾いた軽いのがさらさらと面(おもて)を打ち、宵(よい)ながら門(かど)を鎖(とざ)した敦賀の通(とおり)はひっそりして一条二条縦横(たてよこ)に、辻(つじ)の角は広々と、白く積った中を、道の程(ほど)八町ばかりで、とある軒下(のきした)に辿(たど)り着いたのが名指(なざし)の香取屋。
 床(とこ)にも座敷(ざしき)にも飾(かざ)りといっては無いが、柱立(はしらだち)の見事な、畳(たたみ)の堅(かた)い、炉(ろ)の大いなる、自在鍵(じざいかぎ)の鯉(こい)は鱗(うろこ)が黄金造(こがねづくり)であるかと思わるる艶(つや)を持った、素(す)ばらしい竈(へッつい)を二ツ並(なら)べて一斗飯(いっとめし)は焚(た)けそうな目覚(めざま)しい釜(かま)の懸(かか)った古家(ふるいえ)で。
 亭主は法然天窓(ほうねんあたま)、木綿の筒袖(つつそで)の中へ両手の先を竦(すく)まして、火鉢(ひばち)の前でも手を出さぬ、ぬうとした親仁(おやじ)、女房(にょうぼう)の方は愛嬌(あいきょう)のある、ちょっと世辞のいい婆(ばあ)さん、件(くだん)の人参と干瓢の話を旅僧が打出すと、にこにこ笑いながら、縮緬雑魚(ちりめんざこ)と、鰈(かれい)の干物(ひもの)と、とろろ昆布(こんぶ)の味噌汁(みそしる)とで膳(ぜん)を出した、物の言振(いいぶり)取成(とりなし)なんど、いかにも、上人(しょうにん)とは別懇(べっこん)の間と見えて、連(つれ)の私の居心(いごころ)のいいといったらない。
 やがて二階に寝床(ねどこ)を拵(こしら)えてくれた、天井(てんじょう)は低いが、梁(うつばり)は丸太で二抱(ふたかかえ)もあろう、屋の棟(むね)から斜(ななめ)に渡(わた)って座敷の果(はて)の廂(ひさし)の処では天窓(あたま)に支(つか)えそうになっている、巌乗(がんじょう)な屋造(やづくり)、これなら裏の山から雪崩(なだれ)が来てもびくともせぬ。
 特に炬燵(こたつ)が出来ていたから私はそのまま嬉(うれ)しく入った。寝床はもう一組おなじ炬燵に敷(し)いてあったが、旅僧はこれには来(きた)らず、横に枕を並べて、火の気のない臥床(ねどこ)に寝た。
 寝る時、上人は帯を解かぬ、もちろん衣服も脱(ぬ)がぬ、着たまま円(まる)くなって俯向形(うつむきなり)に腰からすっぽりと入って、肩(かた)に夜具(やぐ)の袖(そで)を掛(か)けると手を突(つ)いて畏(かしこま)った、その様子(ようす)は我々と反対で、顔に枕をするのである。
 ほどなく寂然(ひっそり)として寐(ね)に就きそうだから、汽車の中でもくれぐれいったのはここのこと、私は夜が更けるまで寐ることが出来ない、あわれと思ってもうしばらくつきあって、そして諸国を行脚なすった内のおもしろい談(はなし)をといって打解(うちと)けて幼(おさな)らしくねだった。
 すると上人は頷いて、私(わし)は中年から仰向けに枕に就かぬのが癖(くせ)で、寝るにもこのままではあるけれども目はまだなかなか冴えている、急に寐就かれないのはお前様とおんなじであろう。出家(しゅっけ)のいうことでも、教(おしえ)だの、戒(いましめ)だの、説法とばかりは限らぬ、若いの、聞かっしゃい、と言って語り出した。後で聞くと宗門名誉(しゅうもんめいよ)の説教師で、六明寺(りくみんじ)の宗朝(しゅうちょう)という大和尚(だいおしょう)であったそうな。

     三

「今にもう一人ここへ来て寝るそうじゃが、お前様と同国じゃの、若狭の者で塗物(ぬりもの)の旅商人(たびあきんど)。いやこの男なぞは若いが感心に実体(じってい)な好(よ)い男。
 私(わたし)が今話の序開(じょびらき)をしたその飛騨の山越(やまごえ)をやった時の、麓(ふもと)の茶屋で一緒(いっしょ)になった富山(とやま)の売薬という奴(やつ)あ、けたいの悪い、ねじねじした厭(いや)な壮佼(わかいもの)で。
 まずこれから峠(とうげ)に掛(かか)ろうという日の、朝早く、もっとも先(せん)の泊(とまり)はものの三時ぐらいには発(た)って来たので、涼しい内に六里ばかり、その茶屋までのしたのじゃが朝晴でじりじり暑いわ。
 慾張(よくばり)抜いて大急ぎで歩いたから咽(のど)が渇(かわ)いてしようがあるまい、早速(さっそく)茶を飲もうと思うたが、まだ湯が沸(わ)いておらぬという。
 どうしてその時分じゃからというて、めったに人通(ひとどおり)のない山道、朝顔の咲(さ)いてる内に煙が立つ道理もなし。
 床几(しょうぎ)の前には冷たそうな小流(こながれ)があったから手桶(ておけ)の水を汲(く)もうとしてちょいと気がついた。
 それというのが、時節柄(じせつがら)暑さのため、恐(おそろ)しい悪い病が流行(はや)って、先に通った辻などという村は、から一面に石灰(いしばい)だらけじゃあるまいか。
(もし、姉(ねえ)さん。)といって茶店の女に、
(この水はこりゃ井戸(いど)のでござりますか。)と、きまりも悪し、もじもじ聞くとの。
(いんね、川のでございます。)という、はて面妖(めんよう)なと思った。
(山したの方には大分流行病(はやりやまい)がございますが、この水は何(なに)から、辻の方から流れて来るのではありませんか。)
(そうでねえ。)と女は何気(なにげ)なく答えた、まず嬉(うれ)しやと思うと、お聞きなさいよ。
 ここに居て、さっきから休んでござったのが、右の売薬じゃ。このまた万金丹(まんきんたん)の下廻(したまわり)と来た日には、ご存じの通り、千筋(せんすじ)の単衣(ひとえ)に小倉(こくら)の帯、当節は時計を挟(はさ)んでいます、脚絆(きゃはん)、股引(ももひき)、これはもちろん、草鞋(わらじ)がけ、千草木綿(ちぐさもめん)の風呂敷包(ふろしきづつみ)の角(かど)ばったのを首に結(ゆわ)えて、桐油合羽(とうゆがっぱ)を小さく畳(たた)んでこいつを真田紐(さなだひも)で右の包につけるか、小弁慶(こべんけい)の木綿の蝙蝠傘(こうもりがさ)を一本、おきまりだね。ちょいと見ると、いやどれもこれも克明(こくめい)で分別のありそうな顔をして。
 これが泊(とまり)に着くと、大形の浴衣(ゆかた)に変って、帯広解(おびひろげ)で焼酎(しょうちゅう)をちびりちびり遣(や)りながら、旅籠屋(はたごや)の女のふとった膝(ひざ)へ脛(すね)を上げようという輩(やから)じゃ。
(これや、法界坊(ほうかいぼう)。)
 なんて、天窓(あたま)から嘗(な)めていら。
(異(おつ)なことをいうようだが何かね、世の中の女が出来ねえと相場がきまって、すっぺら坊主になってやっぱり生命(いのち)は欲しいのかね、不思議じゃあねえか、争われねえもんだ、姉さん見ねえ、あれでまだ未練のある内がいいじゃあねえか、)といって顔を見合せて二人でからからと笑った。
 年紀(とし)は若し、お前様(まえさん)、私(わし)は真赤(まっか)になった、手に汲んだ川の水を飲みかねて猶予(ためら)っているとね。
 ポンと煙管(きせる)を払(はた)いて、
(何、遠慮(えんりょ)をしねえで浴びるほどやんなせえ、生命(いのち)が危くなりゃ、薬を遣(や)らあ、そのために私(わし)がついてるんだぜ、なあ姉さん。おい、それだっても無銭(ただ)じゃあいけねえよ、憚(はばか)りながら神方(しんぽう)万金丹、一貼(じょう)三百だ、欲しくば買いな、まだ坊主に報捨(ほうしゃ)をするような罪は造らねえ、それともどうだお前いうことを肯(き)くか。)といって茶店の女の背中を叩(たた)いた。
 私(わし)はそうそうに遁出(にげだ)した。
 いや、膝だの、女の背中だのといって、いけ年(とし)を仕(つかまつ)った和尚が業体(ぎょうてい)で恐入(おそれい)るが、話が、話じゃからそこはよろしく。」

     四

「私(わし)も腹立紛(はらたちまぎ)れじゃ、無暗(むやみ)と急いで、それからどんどん山の裾(すそ)を田圃道(たんぼみち)へかかる。
 半町ばかり行くと、路(みち)がこう急に高くなって、上(のぼ)りが一カ処、横からよく見えた、弓形(ゆみなり)でまるで土で勅使橋(ちょくしばし)がかかってるような。上を見ながら、これへ足を踏懸(ふみか)けた時、以前の薬売(くすりうり)がすたすたやって来て追着(おいつ)いたが。
 別に言葉も交(かわ)さず、またものをいったからというて、返事をする気はこっちにもない。どこまでも人を凌(しの)いだ仕打(しうち)な薬売は流眄(しりめ)にかけて故(わざ)とらしゅう私(わし)を通越(とおりこ)して、すたすた前へ出て、ぬっと小山のような路の突先(とっさき)へ蝙蝠傘を差して立ったが、そのまま向うへ下りて見えなくなる。
 その後から爪先上(つまさきあが)り、やがてまた太鼓(たいこ)の胴(どう)のような路の上へ体が乗った、それなりにまた下(くだ)りじゃ。
 売薬は先へ下りたが立停(たちどま)ってしきりに四辺(あたり)を□(みまわ)している様子、執念(しゅうねん)深く何か巧(たく)んだかと、快からず続いたが、さてよく見ると仔細(しさい)があるわい。
 路はここで二条(ふたすじ)になって、一条(いちじょう)はこれからすぐに坂になって上(のぼ)りも急なり、草も両方から生茂(おいしげ)ったのが、路傍(みちばた)のその角(かど)の処にある、それこそ四抱(よかかえ)、そうさな、五抱(いつかかえ)もあろうという一本の檜(ひのき)の、背後(うしろ)へ蜿(うね)って切出したような大巌(おおいわ)が二ツ三ツ四ツと並んで、上の方へ層(かさ)なってその背後へ通じているが、私(わし)が見当をつけて、心組(こころぐ)んだのはこっちではないので、やっぱり今まで歩いて来たその幅(はば)の広いなだらかな方が正(まさ)しく本道、あと二里足らず行けば山になって、それからが峠になるはず。
 と見ると、どうしたことかさ、今いうその檜じゃが、そこらに何(なんに)もない路を横断(よこぎ)って見果(みはて)のつかぬ田圃の中空(なかぞら)へ虹(にじ)のように突出ている、見事な。根方(ねがた)の処(ところ)の土が壊(くず)れて大鰻(おおうなぎ)を捏(こ)ねたような根が幾筋ともなく露(あらわ)れた、その根から一筋の水がさっと落ちて、地の上へ流れるのが、取って進もうとする道の真中に流出(ながれだ)してあたりは一面。
 田圃が湖にならぬが不思議で、どうどうと瀬(せ)になって、前途(ゆくて)に一叢(ひとむら)の藪(やぶ)が見える、それを境にしておよそ二町ばかりの間まるで川じゃ。礫(こいし)はばらばら、飛石のようにひょいひょいと大跨(おおまた)で伝えそうにずっと見ごたえのあるのが、それでも人の手で並べたに違(ちが)いはない。
 もっとも衣服(きもの)を脱いで渡るほどの大事なのではないが、本街道にはちと難儀(なんぎ)過ぎて、なかなか馬などが歩行(ある)かれる訳(わけ)のものではないので。
 売薬もこれで迷ったのであろうと思う内、切放(きりはな)れよく向(むき)を変えて右の坂をすたすたと上りはじめた。見る間(ま)に檜を後(うしろ)に潜(くぐ)り抜けると、私(わし)が体の上あたりへ出て下を向き、
(おいおい、松本(まつもと)へ出る路はこっちだよ、)といって無造作(むぞうさ)にまた五六歩。
 岩の頭へ半身を乗出して、
(茫然(ぼんやり)してると、木精(こだま)が攫(さら)うぜ、昼間だって容赦(ようしゃ)はねえよ。)と嘲(あざけ)るがごとく言い棄(す)てたが、やがて岩の陰(かげ)に入って高い処の草に隠(かく)れた。
 しばらくすると見上げるほどな辺(あたり)へ蝙蝠傘の先が出たが、木の枝(えだ)とすれすれになって茂(しげみ)の中に見えなくなった。
(どッこいしょ、)と暢気(のんき)なかけ声で、その流の石の上を飛々(とびとび)に伝って来たのは、茣蓙(ござ)の尻当(しりあて)をした、何にもつけない天秤棒(てんびんぼう)を片手で担いだ百姓(ひゃくしょう)じゃ。」

     五

「さっきの茶店(ちゃみせ)からここへ来るまで、売薬の外は誰(だれ)にも逢(あ)わなんだことは申上げるまでもない。
 今別れ際(ぎわ)に声を懸けられたので、先方(むこう)は道中の商売人と見ただけに、まさかと思っても気迷(きまよい)がするので、今朝(けさ)も立ちぎわによく見て来た、前にも申す、その図面をな、ここでも開けて見ようとしていたところ。
(ちょいと伺(うかが)いとう存じますが、)
(これは何でござりまする、)と山国の人などは殊(こと)に出家と見ると丁寧(ていねい)にいってくれる。
(いえ、お伺い申しますまでもございませんが、道はやっぱりこれを素直(まっすぐ)に参るのでございましょうな。)
(松本へ行かっしゃる? ああああ本道じゃ、何ね、この間の梅雨(つゆ)に水が出て、とてつもない川さ出来たでがすよ。)
(まだずっとどこまでもこの水でございましょうか。)
(何のお前様、見たばかりじゃ、訳はござりませぬ、水になったのは向うのあの藪までで、後はやっぱりこれと同一(おなじ)道筋で山までは荷車が並んで通るでがす。藪のあるのは旧(もと)大きいお邸(やしき)の医者様の跡でな、ここいらはこれでも一ツの村でがした、十三年前の大水の時、から一面に野良(のら)になりましたよ、人死(ひとじに)もいけえこと。ご坊様(ぼうさま)歩行(ある)きながらお念仏でも唱えてやってくれさっしゃい。)と問わぬことまで深切(しんせつ)に話します。それでよく仔細(しさい)が解(わか)って確(たしか)になりはなったけれども、現に一人踏迷(ふみまよ)った者がある。
(こちらの道はこりゃどこへ行くので、)といって売薬の入った左手(ゆんで)の坂を尋(たず)ねて見た。
(はい、これは五十年ばかり前までは人が歩行(ある)いた旧道でがす。やっぱり信州へ出まする、先は一つで七里ばかり総体近うござりますが、いや今時(いまどき)往来の出来るのじゃあござりませぬ。去年もご坊様、親子連(づれ)の巡礼(じゅんれい)が間違えて入ったというで、はれ大変な、乞食(こじき)を見たような者じゃというて、人命に代りはねえ、追(おっ)かけて助けべえと、巡査様(おまわりさま)が三人、村の者が十二人、一組になってこれから押登って、やっと連れて戻(もど)ったくらいでがす。ご坊様も血気に逸(はや)って近道をしてはなりましねえぞ、草臥(くたび)れて野宿をしてからがここを行かっしゃるよりはましでござるに。はい、気を付けて行かっしゃれ。)
 ここで百姓に別れてその川の石の上を行こうとしたがふと猶予(ためら)ったのは売薬の身の上で。
 まさかに聞いたほどでもあるまいが、それが本当ならば見殺(みごろし)じゃ、どの道私は出家(しゅっけ)の体、日が暮(く)れるまでに宿へ着いて屋根の下に寝るには及(およ)ばぬ、追着(おッつ)いて引戻してやろう。罷違(まかりちご)うて旧道を皆歩行(ある)いても怪(け)しゅうはあるまい、こういう時候じゃ、狼(おおかみ)の旬(しゅん)でもなく、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の汐(しお)さきでもない、ままよ、と思うて、見送ると早(は)や深切な百姓の姿も見えぬ。
(よし。)
 思切(おもいき)って坂道を取って懸(かか)った、侠気(おとこぎ)があったのではござらぬ、血気に逸(はや)ったではもとよりない、今申したようではずっともう悟(さと)ったようじゃが、いやなかなかの臆病者(おくびょうもの)、川の水を飲むのさえ気が怯(ひ)けたほど生命(いのち)が大事で、なぜまたと謂(い)わっしゃるか。
 ただ挨拶(あいさつ)をしたばかりの男なら、私は実のところ、打棄(うっちゃ)っておいたに違いはないが、快からぬ人と思ったから、そのままで見棄てるのが、故(わざ)とするようで、気が責めてならなんだから、」
 と宗朝はやはり俯向(うつむ)けに床(とこ)に入ったまま合掌(がっしょう)していった。
「それでは口でいう念仏にも済まぬと思うてさ。」

     六

「さて、聞かっしゃい、私(わし)はそれから檜(ひのき)の裏を抜けた、岩の下から岩の上へ出た、樹(き)の中を潜(くぐ)って草深い径(こみち)をどこまでも、どこまでも。
 するといつの間にか今上った山は過ぎてまた一ツ山が近(ちかづ)いて来た、この辺(あたり)しばらくの間は野が広々として、さっき通った本街道よりもっと幅の広い、なだらかな一筋道。
 心持(こころもち)西と、東と、真中(まんなか)に山を一ツ置いて二条(ふたすじ)並んだ路のような、いかさまこれならば槍(やり)を立てても行列が通ったであろう。
 この広(ひろ)ッ場(ぱ)でも目の及ぶ限り芥子粒(けしつぶ)ほどの大(おおき)さの売薬の姿も見ないで、時々焼けるような空を小さな虫が飛び歩行(ある)いた。
 歩行(ある)くにはこの方が心細い、あたりがぱッとしていると便(たより)がないよ。もちろん飛騨越(ひだごえ)と銘(めい)を打った日には、七里に一軒十里に五軒という相場、そこで粟(あわ)の飯にありつけば都合も上(じょう)の方ということになっております。それを覚悟(かくご)のことで、足は相応に達者、いや屈(くっ)せずに進んだ進んだ。すると、だんだんまた山が両方から逼(せま)って来て、肩に支(つか)えそうな狭いとこになった、すぐに上(のぼり)。
 さあ、これからが名代(なだい)の天生(あもう)峠と心得たから、こっちもその気になって、何しろ暑いので、喘(あえ)ぎながらまず草鞋(わらじ)の紐(ひも)を緊直(しめなお)した。
 ちょうどこの上口(のぼりぐち)の辺に美濃(みの)の蓮大寺(れんだいじ)の本堂の床下(ゆかした)まで吹抜(ふきぬ)けの風穴(かざあな)があるということを年経(とした)ってから聞きましたが、なかなかそこどころの沙汰(さた)ではない、一生懸命(いっしょうけんめい)、景色(けしき)も奇跡(きせき)もあるものかい、お天気さえ晴れたか曇ったか訳が解らず、目(ま)じろぎもしないですたすたと捏(こ)ねて上(のぼ)る。
 とお前様お聞かせ申す話は、これからじゃが、最初に申す通り路がいかにも悪い、まるで人が通いそうでない上に、恐しいのは、蛇(へび)で。両方の叢(くさむら)に尾と頭とを突込んで、のたりと橋を渡しているではあるまいか。
 私(わし)は真先(まっさき)に出会(でっくわ)した時は笠(かさ)を被(かぶ)って竹杖(たけづえ)を突いたまま、はッと息を引いて膝(ひざ)を折って坐(すわ)ったて。
 いやもう生得(しょうとく)大嫌(だいきらい)、嫌(きらい)というより恐怖(こわ)いのでな。
 その時はまず人助けにずるずると尾を引いて、向うで鎌首(かまくび)を上げたと思うと草をさらさらと渡った。
 ようよう起上(おきあが)って道の五六町も行くと、またおなじように、胴中(どうなか)を乾かして尾も首も見えぬのが、ぬたり!
 あッというて飛退(とびの)いたが、それも隠れた。三度目に出会ったのが、いや急には動かず、しかも胴体の太さ、たとい這出(はいだ)したところでぬらぬらとやられてはおよそ五分間ぐらい尾を出すまでに間(ま)があろうと思う長虫と見えたので、やむことをえず私(わし)は跨(また)ぎ越した、とたんに下腹(したっぱら)が突張(つッぱ)ってぞッと身の毛、毛穴が残らず鱗(うろこ)に変って、顔の色もその蛇のようになったろうと目を塞(ふさ)いだくらい。
 絞(しぼ)るような冷汗(ひやあせ)になる気味の悪さ、足が竦(すく)んだというて立っていられる数(すう)ではないからびくびくしながら路を急ぐとまたしても居たよ。
 しかも今度のは半分に引切(ひっき)ってある胴から尾ばかりの虫じゃ、切口が蒼(あおみ)を帯びてそれでこう黄色な汁(しる)が流れてぴくぴくと動いたわ。
 我を忘れてばらばらとあとへ遁帰(にげかえ)ったが、気が付けば例のがまだ居るであろう、たとい殺されるまでも二度とはあれを跨(また)ぐ気はせぬ。ああさっきのお百姓がものの間違(まちがい)でも故道(ふるみち)には蛇がこうといってくれたら、地獄(じごく)へ落ちても来なかったにと照りつけられて、涙(なみだ)が流れた、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、今でもぞっとする。」と額に手を。

     七

「果(はてし)が無いから肝(きも)を据(す)えた、もとより引返す分ではない。旧(もと)の処(ところ)にはやっぱり丈足(じょうた)らずの骸(むくろ)がある、遠くへ避(さ)けて草の中へ駈(か)け抜けたが、今にもあとの半分が絡(まと)いつきそうで耐(たま)らぬから気臆(きおくれ)がして足が筋張(すじば)ると石に躓(つまず)いて転んだ、その時膝節(ひざぶし)を痛めましたものと見える。
 それからがくがくして歩行(ある)くのが少し難渋(なんじゅう)になったけれども、ここで倒(たお)れては温気(うんき)で蒸殺(むしころ)されるばかりじゃと、我身で我身を激(はげ)まして首筋を取って引立てるようにして峠の方へ。
 何しろ路傍(みちばた)の草いきれが恐(おそろ)しい、大鳥の卵見たようなものなんぞ足許(あしもと)にごろごろしている茂り塩梅(あんばい)。
 また二里ばかり大蛇(おろち)の蜿(うね)るような坂を、山懐(やまぶところ)に突当(つきあた)って岩角を曲って、木の根を繞(めぐ)って参ったがここのことで余りの道じゃったから、参謀(さんぼう)本部の絵図面を開いて見ました。
 何やっぱり道はおんなじで聞いたにも見たのにも変(かわり)はない、旧道はこちらに相違はないから心遣(こころや)りにも何にもならず、もとより歴(れっき)とした図面というて、描(か)いてある道はただ栗(くり)の毬(いが)の上へ赤い筋が引張ってあるばかり。
 難儀(なんぎ)さも、蛇も、毛虫も、鳥の卵も、草いきれも、記してあるはずはないのじゃから、さっぱりと畳(たた)んで懐(ふところ)に入れて、うむとこの乳の下へ念仏を唱え込んで立直ったはよいが、息も引かぬ内(うち)に情無(なさけな)い長虫が路を切った。
 そこでもう所詮(しょせん)叶(かな)わぬと思ったなり、これはこの山の霊(れい)であろうと考えて、杖を棄(す)てて膝を曲げ、じりじりする地(つち)に両手をついて、
(誠に済みませぬがお通しなすって下さりまし、なるたけお午睡(ひるね)の邪魔(じゃま)になりませぬようにそっと通行いたしまする。
 ご覧(らん)の通り杖も棄てました。)と我(が)折(お)れしみじみと頼んで額を上げるとざっという凄(すさま)じい音で。
 心持(こころもち)よほどの大蛇と思った、三尺、四尺、五尺四方、一丈余、だんだんと草の動くのが広がって、傍(かたえ)の渓(たに)へ一文字にさっと靡(なび)いた、果(はて)は峰(みね)も山も一斉に揺(ゆら)いだ、恐毛(おぞげ)を震(ふる)って立竦(たちすく)むと涼しさが身に染みて、気が付くと山颪(やまおろし)よ。
 この折から聞えはじめたのはどっという山彦(こだま)に伝わる響(ひびき)、ちょうど山の奥に風が渦巻(うづま)いてそこから吹起(ふきおこ)る穴があいたように感じられる。
 何しろ山霊感応あったか、蛇は見えなくなり暑さも凌(しの)ぎよくなったので、気も勇(いさ)み足も捗取(はかど)ったが、ほどなく急に風が冷たくなった理由を会得(えとく)することが出来た。
 というのは目の前に大森林があらわれたので。
 世の譬(たとえ)にも天生(あもう)峠は蒼空(あおぞら)に雨が降るという、人の話にも神代(かみよ)から杣(そま)が手を入れぬ森があると聞いたのに、今までは余り樹がなさ過ぎた。
 今度は蛇のかわりに蟹(かに)が歩きそうで草鞋(わらじ)が冷えた。しばらくすると暗くなった、杉、松、榎(えのき)と処々(ところどころ)見分けが出来るばかりに遠い処から幽(かすか)に日の光の射(さ)すあたりでは、土の色が皆黒い。中には光線が森を射通(いとお)す工合(ぐあい)であろう、青だの、赤だの、ひだが入(い)って美しい処があった。
 時々爪尖(つまさき)に絡(から)まるのは葉の雫(しずく)の落溜(おちたま)った糸のような流(ながれ)で、これは枝を打って高い処を走るので。ともするとまた常磐木(ときわぎ)が落葉する、何の樹とも知れずばらばらと鳴り、かさかさと音がしてぱっと檜笠(ひのきがさ)にかかることもある、あるいは行過ぎた背後(うしろ)へこぼれるのもある、それ等(ら)は枝から枝に溜(たま)っていて何十年ぶりではじめて地の上まで落ちるのか分らぬ。」

     八

「心細さは申すまでもなかったが、卑怯(ひきょう)なようでも修行(しゅぎょう)の積まぬ身には、こういう暗い処の方がかえって観念に便(たより)がよい。何しろ体が凌(しの)ぎよくなったために足の弱(よわり)も忘れたので、道も大きに捗取(はかど)って、まずこれで七分は森の中を越したろうと思う処で五六尺天窓(あたま)の上らしかった樹の枝から、ぼたりと笠の上へ落ち留まったものがある。
 鉛(なまり)の錘(おもり)かとおもう心持、何か木の実ででもあるかしらんと、二三度振ってみたが附着(くッつ)いていてそのままには取れないから、何心なく手をやって掴(つか)むと、滑(なめ)らかに冷(ひや)りと来た。
 見ると海鼠(なまこ)を裂(さ)いたような目も口もない者じゃが、動物には違いない。不気味で投出そうとするとずるずると辷(すべ)って指の尖(さき)へ吸ついてぶらりと下った、その放れた指の尖から真赤な美しい血が垂々(たらたら)と出たから、吃驚(びっくり)して目の下へ指をつけてじっと見ると、今折曲げた肱(ひじ)の処へつるりと垂懸(たれかか)っているのは同形(おなじかたち)をした、幅が五分、丈(たけ)が三寸ばかりの山海鼠(やまなまこ)。
 呆気(あっけ)に取られて見る見る内に、下の方から縮みながら、ぶくぶくと太って行くのは生血(いきち)をしたたかに吸込むせいで、濁(にご)った黒い滑らかな肌(はだ)に茶褐色(ちゃかっしょく)の縞(しま)をもった、疣胡瓜(いぼきゅうり)のような血を取る動物、こいつは蛭(ひる)じゃよ。
 誰(た)が目にも見違えるわけのものではないが、図抜(ずぬけ)て余り大きいからちょっとは気がつかぬであった、何の畠(はたけ)でも、どんな履歴(りれき)のある沼(ぬま)でも、このくらいな蛭はあろうとは思われぬ。
 肱をばさりと振(ふる)ったけれども、よく喰込(くいこ)んだと見えてなかなか放れそうにしないから不気味(ぶきみ)ながら手で抓(つま)んで引切ると、ぷつりといってようよう取れる、しばらくも耐(たま)ったものではない、突然(いきなり)取って大地へ叩(たた)きつけると、これほどの奴等(やつら)が何万となく巣をくって我(わが)ものにしていようという処、かねてその用意はしていると思われるばかり、日のあたらぬ森の中の土は柔(やわらか)い、潰(つぶ)れそうにもないのじゃ。
 ともはや頸(えり)のあたりがむずむずして来た、平手(ひらて)で扱(こい)て見ると横撫(よこなで)に蛭の背(せな)をぬるぬるとすべるという、やあ、乳の下へ潜(ひそ)んで帯の間にも一疋(ぴき)、蒼(あお)くなってそッと見ると肩の上にも一筋。
 思わず飛上って総身(そうしん)を震いながらこの大枝の下を一散にかけぬけて、走りながらまず心覚えの奴だけは夢中(むちゅう)でもぎ取った。
 何にしても恐しい今の枝には蛭が生(な)っているのであろうとあまりの事に思って振返ると、見返った樹の何の枝か知らずやっぱり幾(いく)ツということもない蛭の皮じゃ。
 これはと思う、右も、左も、前の枝も、何の事はないまるで充満(いっぱい)。
 私は思わず恐怖(きょうふ)の声を立てて叫(さけ)んだ、すると何と? この時は目に見えて、上からぼたりぼたりと真黒な痩(や)せた筋の入った雨が体へ降かかって来たではないか。
 草鞋を穿(は)いた足の甲(こう)へも落ちた上へまた累(かさな)り、並んだ傍(わき)へまた附着(くッつ)いて爪先(つまさき)も分らなくなった、そうして活(い)きてると思うだけ脈を打って血を吸うような、思いなしか一ツ一ツ伸縮(のびちぢみ)をするようなのを見るから気が遠くなって、その時不思議な考えが起きた。
 この恐しい山蛭(やまびる)は神代(かみよ)の古(いにしえ)からここに屯(たむろ)をしていて、人の来るのを待ちつけて、永い久しい間にどのくらい何斛(なんごく)かの血を吸うと、そこでこの虫の望(のぞみ)が叶(かな)う、その時はありったけの蛭が残らず吸っただけの人間の血を吐出(はきだ)すと、それがために土がとけて山一ツ一面に血と泥(どろ)との大沼にかわるであろう、それと同時にここに日の光を遮(さえぎ)って昼もなお暗い大木が切々(きれぎれ)に一ツ一ツ蛭になってしまうのに相違(そうい)ないと、いや、全くの事で。」

     九

「およそ人間が滅びるのは、地球の薄皮(うすかわ)が破れて空から火が降るのでもなければ、大海が押被(おっかぶ)さるのでもない、飛騨国(ひだのくに)の樹林(きばやし)が蛭になるのが最初で、しまいには皆(みんな)血と泥の中に筋の黒い虫が泳ぐ、それが代(だい)がわりの世界であろうと、ぼんやり。
 なるほどこの森も入口では何の事もなかったのに、中へ来るとこの通り、もっと奥深く進んだら早(は)や残らず立樹(たちき)の根の方から朽(く)ちて山蛭になっていよう、助かるまい、ここで取殺される因縁(いんねん)らしい、取留(とりと)めのない考えが浮んだのも人が知死期(ちしご)に近(ちかづ)いたからだとふと気が付いた。
 どの道死ぬるものなら一足でも前へ進んで、世間の者が夢(ゆめ)にも知らぬ血と泥の大沼の片端(かたはし)でも見ておこうと、そう覚悟(かくご)がきまっては気味の悪いも何もあったものじゃない、体中珠数生(じゅずなり)になったのを手当(てあたり)次第に掻(か)い除(の)け□(むし)り棄(す)て、抜き取りなどして、手を挙げ足を踏んで、まるで躍(おど)り狂う形で歩行(ある)き出した。
 はじめの中(うち)は一廻(ひとまわり)も太ったように思われて痒(かゆ)さが耐(たま)らなかったが、しまいにはげっそり痩(や)せたと感じられてずきずき痛んでならぬ、その上を容赦(ようしゃ)なく歩行(ある)く内にも入交(いりまじ)りに襲(おそ)いおった。
 既(すで)に目も眩(くら)んで倒れそうになると、禍(わざわい)はこの辺が絶頂であったと見えて、隧道(トンネル)を抜けたように、遥(はるか)に一輪(いちりん)のかすれた月を拝んだのは、蛭の林の出口なので。
 いや蒼空(あおぞら)の下へ出た時には、何のことも忘れて、砕(くだ)けろ、微塵(みじん)になれと横なぐりに体を山路(やまじ)へ打倒(うちたお)した。それでからもう砂利(じゃり)でも針でもあれと地(つち)へこすりつけて、十余りも蛭の死骸(しがい)を引(ひっ)くりかえした上から、五六間(けん)向うへ飛んで身顫(みぶるい)をして突立(つッた)った。
 人を馬鹿(ばか)にしているではありませんか。あたりの山では処々(ところどころ)茅蜩殿(ひぐらしどの)、血と泥の大沼になろうという森を控(ひか)えて鳴いている、日は斜(ななめ)、渓底(たにそこ)はもう暗い。
 まずこれならば狼(おおかみ)の餌食(えじき)になってもそれは一思(ひとおもい)に死なれるからと、路はちょうどだらだら下(おり)なり、小僧さん、調子はずれに竹の杖を肩にかついで、すたこら遁(に)げたわ。
 これで蛭に悩まされて痛いのか、痒(かゆ)いのか、それとも擽(くすぐ)ったいのか得(え)もいわれぬ苦しみさえなかったら、嬉(うれ)しさに独(ひと)り飛騨山越(ひだやまごえ)の間道(かんどう)で、お経(きょう)に節(ふし)をつけて外道踊(げどうおどり)をやったであろう、ちょっと清心丹(せいしんたん)でも噛砕(かみくだ)いて疵口(きずぐち)へつけたらどうだと、だいぶ世の中の事に気がついて来たわ。抓(つね)っても確(たしか)に活返(いきかえ)ったのじゃが、それにしても富山の薬売はどうしたろう、あの様子(ようす)ではとうに血になって泥沼に。皮ばかりの死骸は森の中の暗い処、おまけに意地の汚(きたな)い下司(げす)な動物が骨までしゃぶろうと何百という数でのしかかっていた日には、酢(す)をぶちまけても分る気遣(きづかい)はあるまい。
 こう思っている間、件(くだん)のだらだら坂は大分長かった。
 それを下(くだ)り切ると流が聞えて、とんだ処に長さ一間ばかりの土橋がかかっている。
 はやその谷川の音を聞くと我身で持余(もてあま)す蛭の吸殻(すいがら)を真逆(まっさかさま)に投込んで、水に浸(ひた)したらさぞいい心地(ここち)であろうと思うくらい、何の渡りかけて壊(こわ)れたらそれなりけり。
 危いとも思わずにずっと懸(かか)る、少しぐらぐらしたが難なく越した。向うからまた坂じゃ、今度は上(のぼ)りさ、ご苦労千万。」

     十

「とてもこの疲(つか)れようでは、坂を上るわけには行くまいと思ったが、ふと前途(ゆくて)に、ヒイインと馬の嘶(いなな)くのが谺(こだま)して聞えた。
 馬士(まご)が戻(もど)るのか小荷駄(こにだ)が通るか、今朝一人の百姓に別れてから時の経ったは僅(わずか)じゃが、三年も五年も同一(おんなじ)ものをいう人間とは中を隔(へだ)てた。馬が居るようではともかくも人里に縁があると、これがために気が勇んで、ええやっと今一揉(ひともみ)。
 一軒の山家(やまが)の前へ来たのには、さまで難儀(なんぎ)は感じなかった。夏のことで戸障子のしまりもせず、殊(こと)に一軒家、あけ開いたなり門というてもない、突然(いきなり)破縁(やれえん)になって男が一人、私(わし)はもう何の見境もなく、
(頼(たの)みます、頼みます、)というさえ助(たすけ)を呼ぶような調子で、取縋(とりすが)らぬばかりにした。
(ご免(めん)なさいまし、)といったがものもいわない、首筋をぐったりと、耳を肩で塞(ふさ)ぐほど顔を横にしたまま小児(こども)らしい、意味のない、しかもぼっちりした目で、じろじろと門に立ったものを瞻(みつ)める、その瞳(ひとみ)を動かすさえ、おっくうらしい、気の抜けた身の持方。裾短(すそみじ)かで袖(そで)は肱(ひじ)より少い、糊気(のりけ)のある、ちゃんちゃんを着て、胸のあたりで紐(ひも)で結(ゆわ)えたが、一ツ身のものを着たように出ッ腹の太り肉(じし)、太鼓(たいこ)を張ったくらいに、すべすべとふくれてしかも出臍(でべそ)という奴(やつ)、南瓜(かぼちゃ)の蔕(へた)ほどな異形(いぎょう)な者を片手でいじくりながら幽霊(ゆうれい)の手つきで、片手を宙にぶらり。
 足は忘れたか投出した、腰がなくば暖簾(のれん)を立てたように畳(たた)まれそうな、年紀(とし)がそれでいて二十二三、口をあんぐりやった上唇(うわくちびる)で巻込めよう、鼻の低さ、出額(でびたい)。五分刈(ごぶがり)の伸(の)びたのが前は鶏冠(とさか)のごとくになって、頸脚(えりあし)へ撥(は)ねて耳に被(かぶさ)った、唖(おし)か、白痴(ばか)か、これから蛙(かえる)になろうとするような少年。私(わし)は驚いた、こっちの生命(いのち)に別条はないが、先方様(さきさま)の形相(ぎょうそう)。いや、大別条(おおべつじょう)。
(ちょいとお願い申します。)
 それでもしかたがないからまた言葉をかけたが少しも通ぜず、ばたりというと僅(わずか)に首の位置をかえて今度は左の肩を枕(まくら)にした、口の開いてること旧(もと)のごとし。
 こういうのは、悪くすると突然(いきなり)ふんづかまえて臍を捻(ひね)りながら返事のかわりに嘗(な)めようも知れぬ。
 私(わし)は一足退(すさ)ったが、いかに深山だといってもこれを一人で置くという法はあるまい、と足を爪立(つまだ)てて少し声高(こわだか)に、
(どなたぞ、ご免なさい、)といった。
 背戸(せど)と思うあたりで再び馬の嘶(いなな)く声。
(どなた、)と納戸(なんど)の方でいったのは女じゃから、南無三宝(なむさんぼう)、この白い首には鱗(うろこ)が生えて、体は床(ゆか)を這(は)って尾をずるずると引いて出ようと、また退(すさ)った。
(おお、お坊様(ぼうさま)。)と立顕(たちあらわ)れたのは小造(こづくり)の美しい、声も清(すず)しい、ものやさしい。
 私(わし)は大息を吐(つ)いて、何にもいわず、
(はい。)と頭(つむり)を下げましたよ。
 婦人(おんな)は膝(ひざ)をついて坐(すわ)ったが、前へ伸上(のびあが)るようにして、黄昏(たそがれ)にしょんぼり立った私(わし)が姿を透(す)かして見て、
(何か用でござんすかい。)
 休めともいわずはじめから宿の常世(つねよ)は留守(るす)らしい、人を泊(と)めないときめたもののように見える。
 いい後(おく)れてはかえって出そびれて頼むにも頼まれぬ仕誼(しぎ)にもなることと、つかつかと前へ出た。
 丁寧(ていねい)に腰を屈(かが)めて、
(私は、山越で信州へ参ります者ですが旅籠(はたご)のございます処まではまだどのくらいでございましょう。)

     十一

(あなたまだ八里余(あまり)でございますよ。)
(その他(ほか)に別に泊めてくれます家(うち)もないのでしょうか。)
(それはございません。)といいながら目(ま)たたきもしないで清(すず)しい目で私(わし)の顔をつくづく見ていた。
(いえもう何でございます、実はこの先一町行け、そうすれば上段の室(へや)に寝かして一晩扇(あお)いでいてそれで功徳(くどく)のためにする家があると承(うけたまわ)りましても、全くのところ一足も歩行(ある)けますのではございません、どこの物置(ものおき)でも馬小屋の隅(すみ)でもよいのでございますから後生(ごしょう)でございます。)とさっき馬が嘶(いなな)いたのは此家(ここ)より外にはないと思ったから言った。
 婦人(おんな)はしばらく考えていたが、ふと傍(わき)を向いて布の袋(ふくろ)を取って、膝(ひざ)のあたりに置いた桶(おけ)の中へざらざらと一幅(ひとはば)、水を溢(こぼ)すようにあけて縁(ふち)をおさえて、手で掬(すく)って俯向(うつむ)いて見たが、
(ああ、お泊め申しましょう、ちょうど炊(た)いてあげますほどお米もございますから、それに夏のことで、山家は冷えましても夜のものにご不自由もござんすまい。さあ、ともかくもあなた、お上り遊ばして。)
 というと言葉の切れぬ先にどっかと腰を落した。婦人(おんな)はつと身を起して立って来て、
(お坊様、それでござんすがちょっとお断り申しておかねばなりません。)
 はっきりいわれたので私(わし)はびくびくもので、
(はい、はい。)
(いいえ、別のことじゃござんせぬが、私(わたし)は癖(くせ)として都の話を聞くのが病(やまい)でございます、口に蓋(ふた)をしておいでなさいましても無理やりに聞こうといたしますが、あなた忘れてもその時聞かして下さいますな、ようござんすかい、私は無理にお尋(たず)ね申します、あなたはどうしてもお話しなさいませぬ、それを是非にと申しましても断(た)っておっしゃらないようにきっと念を入れておきますよ。)
 と仔細(しさい)ありげなことをいった。
 山の高さも谷の深さも底の知れない一軒家の婦人(おんな)の言葉とは思うたが保つにむずかしい戒(かい)でもなし、私(わし)はただ頷(うなず)くばかり。
(はい、よろしゅうございます、何事もおっしゃりつけは背(そむ)きますまい。)
 婦人(おんな)は言下(ごんか)に打解(うちと)けて、
(さあさあ汚(きたの)うございますが早くこちらへ、お寛(くつろ)ぎなさいまし、そうしてお洗足(せんそく)を上げましょうかえ。)
(いえ、それには及びませぬ、雑巾(ぞうきん)をお貸し下さいまし。ああ、それからもしそのお雑巾次手(ついで)にずッぷりお絞(しぼ)んなすって下さると助(たすか)ります、途中(とちゅう)で大変な目に逢(あ)いましたので体を打棄(うっちゃり)りたいほど気味が悪うございますので、一ツ背中を拭(ふ)こうと存じますが、恐入(おそれい)りますな。)
(そう、汗(あせ)におなりなさいました、さぞまあ、お暑うござんしたでしょう、お待ちなさいまし、旅籠(はたご)へお着き遊ばして湯にお入りなさいますのが、旅するお方には何よりご馳走(ちそう)だと申しますね、湯どころか、お茶さえ碌(ろく)におもてなしもいたされませんが、あの、この裏の崖(がけ)を下りますと、綺麗(きれい)な流(ながれ)がございますからいっそそれへいらっしゃッてお流しがよろしゅうございましょう。)
 聞いただけでも飛んでも行きたい。
(ええ、それは何より結構でございますな。)
(さあ、それではご案内申しましょう、どれ、ちょうど私も米を磨(と)ぎに参ります。)と件(くだん)の桶(おけ)を小脇(こわき)に抱(かか)えて、縁側(えんがわ)から、藁草履(わらぞうり)を穿(は)いて出たが、屈(かが)んで板縁(いたえん)の下を覗(のぞ)いて、引出したのは一足の古下駄(げた)で、かちりと合(あわ)して埃(ほこり)を払(はた)いて揃(そろ)えてくれた。
(お穿(は)きなさいまし、草鞋(わらじ)はここにお置きなすって、)
 私(わし)は手をあげて、一礼して、
(恐入ります、これはどうも、)
(お泊め申すとなりましたら、あの、他生(たしょう)の縁(えん)とやらでござんす、あなたご遠慮を遊ばしますなよ。)まず恐しく調子がいいじゃて。」

     十二

「(さあ、私に跟(つ)いてこちらへ、)と件の米磨桶(こめとぎおけ)を引抱(ひっかか)えて手拭(てぬぐい)を細い帯に挟(はさ)んで立った。
 髪は房(ふっさ)りとするのを束(たば)ねてな、櫛(くし)をはさんで簪(かんざし)で留(と)めている、その姿の佳(よ)さというてはなかった。
 私(わし)も手早く草鞋を解(と)いたから、早速古下駄を頂戴(ちょうだい)して、縁から立つ時ちょいと見ると、それ例の白痴殿(ばかどの)じゃ。
 同じく私(わし)が方(かた)をじろりと見たっけよ、舌不足(したたらず)が饒舌(しゃべ)るような、愚(ぐ)にもつかぬ声を出して、
(姉(ねえ)や、こえ、こえ。)といいながら気(け)だるそうに手を持上げてその蓬々(ぼうぼう)と生えた天窓(あたま)を撫(な)でた。
(坊さま、坊さま?)
 すると婦人(おんな)が、下(しも)ぶくれな顔にえくぼを刻んで、三ツばかりはきはきと続けて頷いた。
 少年はうむといったが、ぐたりとしてまた臍(へそ)をくりくりくり。
 私(わし)は余り気の毒さに顔も上げられないでそっと盗むようにして見ると、婦人(おんな)は何事も別に気に懸(か)けてはおらぬ様子、そのまま後へ跟(つ)いて出ようとする時、紫陽花(あじさい)の花の蔭(かげ)からぬいと出た一名の親仁(おやじ)がある。
 背戸(せど)から廻って来たらしい、草鞋を穿(は)いたなりで、胴乱(どうらん)の根付(ねつけ)を紐長(ひもなが)にぶらりと提(さ)げ、銜煙管(くわえぎせる)をしながら並んで立停(たちどま)った。
(和尚(おしょう)様おいでなさい。)
 婦人(おんな)はそなたを振向いて、
(おじ様どうでござんした。)
(さればさの、頓馬(とんま)で間の抜けたというのはあのことかい。根ッから早や狐(きつね)でなければ乗せ得そうにもない奴(やつ)じゃが、そこはおらが口じゃ、うまく仲人(なこうど)して、二月(ふたつき)や三月(みつき)はお嬢様(じょうさま)がご不自由のねえように、翌日(あす)はものにしてうんとここへ担(かつ)ぎ込みます。)
(お頼み申しますよ。)
(承知、承知、おお、嬢様どこさ行かっしゃる。)
(崖の水までちょいと。)
(若い坊様連れて川へ落っこちさっしゃるな、おらここに眼張(がんば)って待っとるに、)と横様(よこざま)に縁にのさり。
(貴僧(あなた)、あんなことを申しますよ。)と顔を見て微笑(ほほえ)んだ。
(一人で参りましょう、)と傍(わき)へ退(の)くと、親仁(おやじ)はくっくっと笑って、
(はははは、さあ、早くいってござらっせえ。)
(おじ様、今日はお前、珍(めずら)しいお客がお二方ござんした、こういう時はあとからまた見えようも知れません、次郎さんばかりでは来た者が弱んなさろう、私(わたし)が帰るまでそこに休んでいておくれでないか。)
(いいともの。)といいかけて、親仁(おやじ)は少年の傍(そば)へにじり寄って、鉄挺(かなてこ)を見たような拳(こぶし)で、背中をどんとくらわした、白痴(ばか)の腹はだぶりとして、べそをかくような口つきで、にやりと笑う。
 私(わし)はぞっとして面(おもて)を背けたが、婦人(おんな)は何気(なにげ)ない体(てい)であった。
 親仁(おやじ)は大口を開いて、
(留守におらがこの亭主を盗むぞよ。)
(はい、ならば手柄(てがら)でござんす、さあ、貴僧(あなた)参りましょうか。)
 背後(うしろ)から親仁が見るように思ったが、導かるるままに壁(かべ)について、かの紫陽花のある方ではない。
 やがて背戸と思う処で左に馬小屋を見た、ことことという音は羽目(はめ)を蹴(け)るのであろう、もうその辺から薄暗くなって来る。
(貴僧(あなた)、ここから下りるのでございます、辷(すべ)りはいたしませぬが、道が酷(ひど)うございますからお静(しずか)に、)という。」

     十三

「そこから下りるのだと思われる、松の木の細くッて度外れに背の高い、ひょろひょろしたおよそ五六間上までは小枝一ツもないのがある。その中を潜(くぐ)ったが、仰(あお)ぐと梢(こずえ)に出て白い、月の形はここでも別にかわりは無かった、浮世(うきよ)はどこにあるか十三夜で。
 先へ立った婦人(おんな)の姿が目さきを放れたから、松の幹(みき)に掴(つか)まって覗(のぞ)くと、つい下に居た。
 仰向(あおむ)いて、
(急に低くなりますから気をつけて。こりゃ貴僧(あなた)には足駄(あしだ)では無理でございましたかしら、宜(よろ)しくば草履(ぞうり)とお取交(とりか)え申しましょう。)
 立後(たちおく)れたのを歩行悩(あるきなや)んだと察した様子、何がさて転げ落ちても早く行って蛭(ひる)の垢(あか)を落したさ。
(何、いけませんければ跣足(はだし)になります分のこと、どうぞお構いなく、嬢様にご心配をかけては済みません。)
(あれ、嬢様ですって、)とやや調子を高めて、艶麗(あでやか)に笑った。
(はい、ただいまあの爺様(じいさん)が、さよう申しましたように存じますが、夫人(おくさま)でございますか。)
(何にしても貴僧(あなた)には叔母(おば)さんくらいな年紀(とし)ですよ。まあ、お早くいらっしゃい、草履もようござんすけれど、刺(とげ)がささりますといけません、それにじくじく湿(ぬ)れていてお気味が悪うございましょうから。)と向う向(むき)でいいながら衣服(きもの)の片褄(かたつま)をぐいとあげた。真白なのが暗(やみ)まぎれ、歩行(ある)くと霜(しも)が消えて行くような。
 ずんずんずんずんと道を下りる、傍(かたわ)らの叢(くさむら)から、のさのさと出たのは蟇(ひき)で。
(あれ、気味が悪いよ。)というと婦人(おんな)は背後(うしろ)へ高々と踵(かかと)を上げて向うへ飛んだ。
(お客様がいらっしゃるではないかね、人の足になんか搦(から)まって、贅沢(ぜいたく)じゃあないか、お前達は虫を吸っていればたくさんだよ。
 貴僧(あなた)ずんずんいらっしゃいましな、どうもしはしません。こう云う処ですからあんなものまで人懐(なつか)しゅうございます、厭(いや)じゃないかね、お前達と友達をみたようで愧(はずか)しい、あれいけませんよ。)
 蟇はのさのさとまた草を分けて入った、婦人(おんな)はむこうへずいと。
(さあこの上へ乗るんです、土が柔かで壊(く)えますから地面は歩行(ある)かれません。)
 いかにも大木の僵(たお)れたのが草がくれにその幹をあらわしている、乗ると足駄穿(あしだばき)で差支(さしつか)えがない、丸木だけれどもおそろしく太いので、もっともこれを渡り果てるとたちまち流(ながれ)の音が耳に激(げき)した、それまでにはよほどの間(あいだ)。
 仰いで見ると松の樹(き)はもう影も見えない、十三夜の月はずっと低うなったが、今下りた山の頂(いただき)に半ばかかって、手が届きそうにあざやかだけれども、高さはおよそ計り知られぬ。
(貴僧(あなた)、こちらへ。)
 といった婦人(おんな)はもう一息、目の下に立って待っていた。
 そこは早や一面の岩で、岩の上へ谷川の水がかかってここによどみを作っている、川幅は一間(けん)ばかり、水に臨(のぞ)めば音はさまでにもないが、美しさは玉を解いて流したよう、かえって遠くの方で凄(すさま)じく岩に砕(くだ)ける響(ひびき)がする。
 向う岸はまた一座の山の裾(すそ)で、頂の方は真暗(まっくら)だが、山の端(は)からその山腹を射る月の光に照し出された辺(あたり)からは大石小石、栄螺(さざえ)のようなの、六尺角に切出したの、剣(つるぎ)のようなのやら、鞠(まり)の形をしたのやら、目の届く限り残らず岩で、次第に大きく水に□(ひた)ったのはただ小山のよう。」

     十四

「(いい塩梅(あんばい)に今日は水がふえておりますから、中へ入りませんでもこの上でようございます。)と甲を浸(ひた)して爪先(つまさき)を屈(かが)めながら、雪のような素足で石の盤(ばん)の上に立っていた。
 自分達が立った側(かわ)は、かえってこっちの山の裾が水に迫って、ちょうど切穴の形になって、そこへこの石を嵌(は)めたような誂(あつらえ)。川上も下流も見えぬが、向うのあの岩山、九十九折(つづらおり)のような形、流は五尺、三尺、一間ばかりずつ上流の方がだんだん遠く、飛々(とびとび)に岩をかがったように隠見(いんけん)して、いずれも月光を浴びた、銀の鎧(よろい)の姿、目(ま)のあたり近いのはゆるぎ糸を捌(さば)くがごとく真白に翻(ひるがえ)って。
(結構な流れでございますな。)
(はい、この水は源が滝(たき)でございます、この山を旅するお方は皆(み)な大風のような音をどこかで聞きます。貴僧(あなた)はこちらへいらっしゃる道でお心着きはなさいませんかい。)
 さればこそ山蛭(やまびる)の大藪(おおやぶ)へ入ろうという少し前からその音を。
(あれは林へ風の当るのではございませんので?)
(いえ、誰(たれ)でもそう申します、あの森から三里ばかり傍道(わきみち)へ入りました処に大滝があるのでございます、それはそれは日本一だそうですが、路(みち)が嶮(けわ)しゅうござんすので、十人に一人参ったものはございません。その滝が荒(あ)れましたと申しまして、ちょうど今から十三年前、恐(おそろ)しい洪水(おおみず)がございました、こんな高い処まで川の底になりましてね、麓(ふもと)の村も山も家も残らず流れてしまいました。この上(かみ)の洞(ほら)も、はじめは二十軒ばかりあったのでござんす、この流れもその時から出来ました、ご覧なさいましな、この通り皆な石が流れたのでございますよ。)

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