化鳥
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著者名:泉鏡花 

榎(えのき)の枝(えだ)からは時(とき)々はら/\と雫(しづく)が落(お)ちる、中流(ちうりう)へ太陽(ひ)がさして、みつめて居(ゐ)るとまばゆいばかり。
「母様(おつかさん)遊(あそ)びに行(ゆ)かうや。」
此時(このとき)鋏(はさみ)をお取(と)んなすつて、
「あゝ。」
「ねイ、出(で)かけたつて可(いゝ)の、晴(は)れたんだもの。」
「可(いゝ)けれど、廉(れん)や、お前(まへ)またあんまりお猿(さる)にからかつてはなりませんよ。さう、可塩梅(いゝあんばい)にうつくしい羽(はね)の生(は)へた姉(ねえ)さんが何時(いつ)でもいるんぢやあありません。また落(お)つこちやうもんなら。」
ちよいと見向(みむ)いて、清(すゞし)い眼(め)で御覧(ごらん)なすつて莞爾(につこり)してお俯向(うつむ)きで、せつせと縫(ぬ)つて居(ゐ)らつしやる。
さう、さう! さうであつた。ほら、あの、いま頬(ほ)つぺたを掻(か)いてむく/\濡(ぬ)れた毛(け)からいきりをたてゝ日向(ひなた)ぼつこをして居(ゐ)る、憎(にく)らしいツたらない。
いまじやあもう半年(はんとし)も経(た)つたらう、暑(あつ)さの取着(とつつき)の晩方頃(ばんかたごろ)で、いつものやうに遊(あそ)びに行(い)つて、人(ひと)が天窓(あたま)を撫(な)でゝやつたものを、業畜(がふちく)、悪巫山戯(わるふざけ)をして、キツ/\と歯(は)を剥(む)いて、引掻(ひつか)きさうな権幕(けんまく)をするから、吃驚(びつくり)して飛退(とびの)かうとすると、前足(まへあし)でつかまへた、放(はな)さないから力(ちから)を入(い)れて引張(ひつぱ)り合(あ)つた奮(はづ)みであつた。左(ひだり)の袂(たもと)がびり/\と裂(さけ)てちぎれて取(とれ)たはづみをくつて、踏占(ふみし)めた足(あし)がちやうど雨上(あまあが)りだつたから、堪(たま)りはしない、石(いし)の上(うへ)を辷(すべ)つて、ずる/\と川(かは)へ落(お)ちた。わつといつた顔(かほ)へ一波(ひとなみ)かぶつて、呼吸(いき)をひいて仰向(あをむ)けに沈(しづ)むだから、面(めん)くらつて立(た)たうとするとまた倒(たふ)れて眼(め)がくらむで、アツとまたいきをひいて、苦(くる)しいので手(て)をもがいて身躰(からだ)を動(うご)かすと唯(たゞ)どぶん/\と沈(しづ)むで行(ゆ)く、情(なさけ)ないと思(おも)つたら、内(うち)に母様(おつかさん)の坐(すは)つて居(ゐ)らつしやる姿(すがた)が見(み)えたので、また勢(いきおひ)ついたけれど、やつぱりどぶむ/\と沈(しづ)むから、何(ど)うするのかなと落着(おちつ)いて考(かんが)へたやうに思(おも)ふ。それから何(なん)のことだらうと考(かんが)え(ママ)たやうにも思(おも)はれる、今(いま)に眼(め)が覚(さ)めるのであらうと思(おも)つたやうでもある、何(なん)だか茫乎(ぼんやり)したが俄(にわか)に水(みづ)ン中(なか)だと思(おも)つて叫(さけ)ばうとすると水(みづ)をのんだ。もう駄目(だめ)だ。
もういかんとあきらめるトタンに胸(むね)が痛(いた)かつた、それから悠々(いういう)と水(みづ)を吸(す)つた、するとうつとりして何(なん)だか分(わか)らなくなつたと思(おも)ふと溌(ぱつ)と糸(いと)のやうな真赤(まつか)な光線(くわうせん)がさして、一巾(ひとはゞ)あかるくなつたなかにこの身躰(からだ)が包(つゝ)まれたので、ほつといきをつくと、山(やま)の端(は)が遠(とほ)く見(み)えて私(わたし)のからだは地(つち)を放(はな)れて其頂(そのいたゞき)より上(うへ)の処(ところ)に冷(つめた)いものに抱(かゝ)へられて居(ゐ)たやうで、大(おほ)きなうつくしい眼(め)が、濡髪(ぬれがみ)をかぶつて私(わたし)の頬(ほゝ)ん処(とこ)へくつゝいたから、唯(たゞ)縋(すが)り着(つ)いてじつと眼(め)を眠(ねむ)つた[「眠つた」に「ママ」の注記]覚(おぼえ)がある。夢(ゆめ)ではない。
やつぱり片袖(かたそで)なかつたもの、そして川(かは)へ落(おつ)こちて溺(おぼ)れさうだつたのを救(すく)はれたんだつて、母様(おつかさん)のお膝(ひざ)に抱(だ)かれて居(ゐ)て、其晩(そのばん)聞(き)いたんだもの。だから夢(ゆめ)ではない。
一躰(いつたい)助(たす)けて呉(く)れたのは誰(だれ)ですッて、母様(おつかさん)に問(と)ふた。私(わたし)がものを聞(き)いて、返事(へんじ)に躊躇(ちうちよ)をなすつたのは此時(このとき)ばかりで、また、それは猪(いぬしゝ)だとか、狼(おほかみ)だとか、狐(きつね)だとか、頬白(ほゝじろ)だとか、山雀(やまがら)だとか、鮟鱇(あんかう)だとか鯖(さば)だとか、蛆(うぢ)だとか、毛虫(けむし)だとか、草(くさ)だとか、竹(たけ)だとか、松茸(まつたけ)だとか、しめぢだとかおいひでなかつたのも此時(このとき)ばかりで、そして顔(かほ)の色(いろ)をおかへなすつたのも此時(このとき)ばかりで、それに小(ちひ)さな声(こゑ)でおつしやつたのも此時(このとき)ばかりだ。
そして母様(おつかさん)はかうおいひであつた。
(廉(れん)や、それはね、大(おほ)きな五色(ごしき)の翼(はね)があつて天上(てんじやう)に遊(あそ)んで居(ゐ)るうつくしい姉(ねえ)さんだよ)

     第十一

(鳥(とり)なの、母様(おつかさん))とさういつて其時(そのとき)私(わたし)が聴(き)いた。
此(これ)にも母様(おつかさん)は少(すこ)し口籠(くちごも)つておいでゝあつたが、
(鳥(とり)ぢやないよ、翼(はね)の生(は)へた美(うつく)しい姉(ねえ)さんだよ)
何(ど)うしても分(わか)らんかつた。うるさくいつたらしまひにやお前(まへ)には分(わか)らない、とさうおいひであつた、また推返(おしかへ)して聴(き)いたら、やつぱり、
(翼(はね)の生(は)へたうつくしい姉(ねえ)さんだつてば)
それで仕方(しかた)がないからきくのはよして、見(み)やうと思(おも)つた、其(その)うつくしい翼(はね)のはへたもの見(み)たくなつて、何処(どこ)に居(ゐ)ます/\ツて、せつツ(ママ)いても知(し)らないと、さういつてばかりおいでゝあつたが、毎日(まいにち)/\あまりしつこかつたもんだから、とう/\余儀(よぎ)なさゝうなお顔色(かほつき)で、
(鳥屋(とりや)の前(まへ)にでもいつて見(み)て来(く)るが可(いゝ))
そんならわけはない。
小屋(こや)を出(で)て二町(ちやう)ばかり行(ゆ)くと直(すぐ)坂(さか)があつて、坂(さか)の下口(おりくち)に一軒(いつけん)鳥屋(とりや)があるので、樹蔭(こかげ)も何(なん)にもない、お天気(てんき)のいゝ時(とき)あかるい/\小(ちひ)さな店(みせ)で、町家(まちや)の軒(のき)ならびにあつた。鸚鵡(あうむ)なんざ、くるツとした露(つゆ)のたりさうな、小(ちい)[#「ちい」はママ]さな眼(め)で、あれで瞳(ひとみ)が動(うご)きますね。毎日(まいにち)々々行(い)つちやあ立(た)つて居(ゐ)たので、しまひにやあ見知顔(みしりがほ)で私(わたし)の顔(かほ)を見(み)て頷(うなづ)くやうでしたつけ、でもそれぢやあない。
駒(こま)はね、丈(たけ)の高(たか)い、籠(かご)ん中(なか)を下(した)から上(うへ)へ飛(と)んで、すがつて、ひよいと逆(さかさ)に腹(はら)を見(み)せて熟柿(ぢくし)の落(おつ)こちるやうにぽたりとおりて餌(え)をつゝいて、私(わたし)をばかまひつけない、ちつとも気(き)に懸(か)けてくれやうとはしないで(ママ)あつた、それでもない。皆(みんな)違(ちが)つとる。翼(はね)の生(は)へたうつくしい姉(ねえ)さんは居(ゐ)ないのッて、一所(いつしよ)に立(た)つた人(ひと)をつかまへちやあ、聞(き)いたけれど、笑(わら)ふものやら、嘲(あざ)けるものやら、聞(き)かないふりをするものやら、つまらないとけなすものやら、馬鹿(ばか)だといふものやら、番小屋(ばんごや)の媽々(かゝ)に似(に)て此奴(こいつ)も何(ど)うかして居(ゐ)らあ、といふものやら、皆(みんな)獣(けだもの)だ。
(翼(はね)の生(は)へたうつくしい姉(ねえ)さんは居(ゐ)ないの)ツて聞(き)いた時(とき)、莞爾(につこり)笑(わら)つて両方(りやうはう)から左右(さいう)の手(て)でおうやうに私(わたし)の天窓(あたま)を撫(な)でゝ行(い)つた、それは一様(いちやう)に緋羅紗(ひらしや)のづぼんを穿(は)いた二人(ふたり)の騎兵(きへい)で――聞(き)いた時(とき)――莞爾(につこり)笑(わら)つて、両方(りやうほう)から左右(さいう)の手(て)で、おうやうに私(わたし)の天窓(あたま)をなでゝ、そして手(て)を引(ひき)あつて黙(だま)つて坂(さか)をのぼつて行(い)つた、長靴(ながぐつ)の音(おと)がぼつくりして、銀(ぎん)の剣(けん)の長(なが)いのがまつすぐに二(ふた)ツならんで輝(かゞや)いて見(み)えた。そればかりで、あとは皆(みな)馬鹿(ばか)にした。
五日(いつか)ばかり学校(がくかう)から帰(かへ)つちやあ其足(そのあし)で鳥屋(とりや)の店(みせ)へ行(い)つてじつと立(た)つて奥(おく)の方(はう)の暗(くら)い棚(たな)ん中(なか)で、コト/\と音(おと)をさして居(ゐ)る其(その)鳥(とり)まで見覚(みおぼ)えたけれど、翼(はね)の生(は)へた姉(ねえ)さんは居(ゐ)ないのでぼんやりして、ぼツとして、ほんとうに少(すこ)し馬鹿(ばか)になつたやうな気(き)がしい/\、日(ひ)が暮(く)れると帰(かへ)り帰(かへ)りした。で、とても鳥屋(とりや)には居(ゐ)ないものとあきらめたが、何(ど)うしても見(み)たくツてならないので、また母様(おつかさん)にねだつて聞(き)いた。何処(どこ)に居(ゐ)るの、翼(はね)の生(は)へたうつくしい人(ひと)は何処(どこ)に居(ゐ)るのツて。何(なん)とおいひでも肯分(きゝわ)けないものだから母様(おつかさん)が、
(それでは林(はやし)へでも、裏(うら)の田畝(たんぼ)へでも行(い)つて見(み)ておいで。何故(なぜ)ツて天上(てんじよう)に遊(あそ)んで居(ゐ)るんだから籠(かご)の中(なか)に居(ゐ)ないのかも知(し)れないよ)
それから私(わたし)、あの、梅林(ばいりん)のある処(ところ)に参(まゐ)りました。
あの桜山(さくらやま)と、桃谷(もゝだに)と、菖蒲(あやめ)の池(いけ)とある処(ところ)で。
しかし其(それ)は唯(たゞ)青葉(あをば)ばかりで菖蒲(あやめ)の短(みじか)いのがむらがつてゝ、水(みづ)の色(いろ)の黒(くろ)い時分(じぶん)、此処(こゝ)へも二日(ふつか)、三日(みつか)続(つゞ)けて行(ゆ)きましたつけ、小鳥(ことり)は見(み)つからなかつた。烏(からす)が沢山(たんと)居(ゐ)た。あれが、かあ/\鳴(な)いて一(ひと)しきりして静(しづ)まると其姿(そのすがた)の見(み)えなくなるのは、大方(おほかた)其翼(そのはね)で、日(ひ)の光(ひかり)をかくしてしまふのでしやう、大(おほ)きな翼(はね)だ、まことに大(おほき)い翼(つばさ)だ、けれどもそれではない。

     第十二

日(ひ)が暮(く)れかゝると彼方(あつち)に一(ひと)ならび、此方(こつち)に一(ひと)ならび縦横(じうわう)になつて、梅(うめ)の樹(き)が飛(とび)々に暗(くら)くなる。枝(えだ)々のなかの水田(みづた)の水(みづ)がどむよりして淀(よど)むで居(ゐ)るのに際立(きはだ)つて真白(まつしろ)に見(み)えるのは鷺(さぎ)だつた、二羽(には)一処(ひとところ)にト三羽(さんば)一処(ひとところ)にト居(ゐ)てそして一羽(いちは)が六尺(しやく)ばかり空(そら)へ斜(なゝめ)に足(あし)から糸(いと)のやうに水(みづ)を引(ひ)いて立(た)つてあがつたが音(おと)がなかつた、それでもない。
蛙(かはづ)が一斉(いつせい)に鳴(な)きはじめる。森(もり)が暗(くら)くなつて、山(やま)が見(み)えなくなつた。
宵月(よいづき)の頃(ころ)だつたのに曇(くもつ)てたので、星(ほし)も見(み)えないで、陰々(いんいん)として一面(いちめん)にものゝ色(いろ)が灰(はい)のやうにうるんであつた、蛙(かはづ)がしきりになく。
仰(あを)いで高(たか)い処(ところ)に朱(しゆ)の欄干(らんかん)のついた窓(まど)があつて、そこが母様(おつかさん)のうちだつたと聞(き)く、仰(あほ)いで高(たか)い処(ところ)に朱(しゆ)の欄干(らんかん)のついた窓(まど)があつてそこから顔(かほ)を出(だ)す、其顔(そのかほ)が自分(じぶん)の顔(かほ)であつたんだらうにトさう思(おも)ひながら破(やぶ)れた垣(かき)の穴(あな)ん処(とこ)に腰(こし)をかけてぼんやりして居(ゐ)た。
いつでもあの翼(はね)の生(は)へたうつくしい人(ひと)をたづねあぐむ、其(その)昼(ひる)のうち精神(せいしん)の疲労(つかれ)ないうちは可(いゝ)んだけれど、度(ど)が過(す)ぎて、そんなに晩(おそ)くなると、いつもかう滅入(めい)つてしまつて、何(なん)だか、人(ひと)に離(はな)れたやうな世間(せけん)に遠(とほ)ざかつたやうな気(き)がするので、心細(こゝろぼそ)くもあり、裏悲(うらかな)しくもあり、覚束(おぼつか)ないやうでもあり、恐(おそ)ろしいやうでもある、嫌(いや)な心持(こゝろもち)だ、嫌(いや)な心持(こゝろもち)だ。
早(はや)く帰(かへ)らうとしたけれど気(き)が重(おも)くなつて其癖(そのくせ)神経(しんけい)は鋭(するど)くなつて、それで居(ゐ)てひとりでにあくびが出(で)た。あれ!
赤(あか)い口(くち)をあいたんだなと、自分(じぶん)でさうおもつて、吃驚(びつくり)した。
ぼんやりした梅(うめ)の枝(えだ)が手(て)をのばして立(た)つてるやうだ。あたりを□(みまは)すと真(まつ)くらで、遠(とほ)くの方(はう)で、ほう、ほうツて、呼(よ)ぶのは何(なん)だらう。冴(さ)えた通(とほ)る声(こゑ)で野末(のずゑ)を押(おし)ひろげるやうに、啼(な)く、トントントントンと谺(こだま)にあたるやうな響(ひゞ)きが遠(とほ)くから来(く)るやうに聞(き)こえる鳥(とり)の声(こゑ)は、梟(ふくらう)であつた。
一(ひと)ツでない。
二(ふた)ツも三(みつ)ツも。私(わたし)に何(なに)を談(はな)すのだらう、私(わたし)に何(なに)を談(はな)すのだらう、鳥(とり)がものをいふと慄然(ぞつ)として身(み)の毛(け)が慄立(よだ)つた。
ほんと(ママ)うに其晩(そのばん)ほど恐(こは)かつたことはない。
蛙(かはづ)の声(こゑ)がます/\高(たか)くなる、これはまた仰山(ぎやうさん)な、何百(なんびやく)、何(ど)うして幾千(いくせん)と居(ゐ)て鳴(な)いてるので、幾千(いくせん)の蛙(かはづ)が一(ひと)ツ一(ひと)ツ眼(め)があつて、口(くち)があつて、足(あし)があつて、身躰(からだ)があつて、水(みづ)ン中(なか)に居(ゐ)て、そして声(こゑ)を出(だ)すのだ。一(ひと)ツ一(ひと)ツトわなゝいた。寒(さむ)くなつた。風(かぜ)が少(すこ)し出(で)て樹(き)がゆつさり動(うご)いた。
蛙(かはづ)の声(こゑ)がます/\高(たか)くなる、居(ゐ)ても立(た)つても居(ゐ)られなくツて、そつと動(うご)き出(だ)した、身躰(からだ)が何(ど)うにかなつてるやうで、すつと立(た)ち切(き)れないで蹲(つくば)つた、裾(すそ)が足(あし)にくるまつて、帯(おび)が少(すこ)し弛(ゆる)むで、胸(むね)があいて、うつむいたまゝ天窓(あたま)がすはつた。ものがぼんやり見(み)える。
見(み)えるのは眼(め)だトまたふるえ(ママ)た。
ふるえ(ママ)ながら、そつと、大事(だいじ)に、内証(ないしやう)で、手首(てくび)をすくめて、自分(じぶん)の身躰(からだ)を見(み)やうと思(おも)つて、左右(さいう)へ袖(そで)をひらいた時(とき)もう思(おも)はずキヤツと叫(さけ)んだ。だつて私(わたし)が鳥(とり)のやうに見(み)えたんですもの。何(ど)んなに恐(こは)かつたらう。
此時(このとき)背後(うしろ)から母様(おつかさん)がしつかり抱(だ)いて下(くだ)さらなかつたら、私(わたし)何(ど)うしたんだか知(し)れません。其(それ)はおそくなつたから見(み)に来(き)て下(くだ)すつたんで泣(な)くことさへ出来(でき)なかつたのが、
「母様(おつかさん)!」といつて離(はな)れまいと思(おも)つて、しつかり、しつかり、しつかり襟(えり)ん処(とこ)へかぢりついて仰向(あふむ)いてお顔(かほ)を見(み)た時(とき)、フツト気(き)が着(つ)いた。
何(ど)うもさうらしい、翼(はね)の生(は)へたうつくしい人(ひと)は何(ど)うも母様(おつかさん)であるらしい。もう鳥屋(とりや)には、行(ゆ)くまい、わけてもこの恐(こは)い処(ところ)へと、其後(そののち)ふつゝり。
しかし何(ど)うしても何(ど)う見(み)ても母様(おつかさん)にうつくしい五色(ごしき)の翼(はね)が生(は)へちやあ居(ゐ)ないから、またさうではなく、他(ほか)にそんな人(ひと)が居(ゐ)るのかも知(し)れない、何(ど)うしても判然(はつきり)しないで疑(うたが)はれる。
雨(あめ)も晴(は)れたり、ちやうど石原(いしはら)も辷(すべ)るだらう。母様(おつかさん)はあゝおつしやるけれど、故(わざ)とあの猿(さる)にぶつかつて、また川(かは)へ落(お)ちて見(み)やうか不知(しら)。さうすりやまた引上(ひきあ)げて下(くだ)さるだらう。見(み)たいな! 翼(はね)の生(は)へたうつくしい姉(ねえ)さん。だけれども、まあ、可(いゝ)、母様(おつかさん)が居(ゐ)らつしやるから、母様(おつかさん)が居(ゐ)らつしやつたから。(完)(「新著月刊」第一号 明治30年4月)



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