高野聖
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著者名:泉鏡花 URL:../../index_pages/person886

         第一

「参謀本部(さんぼうほんぶ)編纂(へんさん)の地図(ちづ)を又(また)繰開(くりひら)いて見(み)るでもなからう、と思(おも)つたけれども、余(あま)りの道(みち)ぢやから、手(て)を触(さは)るさへ暑(あつ)くるしい、旅(たび)の法衣(ころも)の袖(そで)をかゝげて、表紙(へうし)を附(つ)けた折本(をりほん)になつてるのを引張(ひつぱ)り出(だ)した。
 飛騨(ひだ)から信州(しんしう)へ越(こ)える深山(しんざん)の間道(かんだう)で、丁度(ちやうど)立休(たちやす)らはうといふ一本(いつぽん)の樹立(こだち)も無(な)い、右(みぎ)も左(ひだり)も山(やま)ばかりぢや、手(て)を伸(の)ばすと達(とゞ)きさうな峯(みね)があると、其(そ)の峯(みね)へ峯(みね)が乗(の)り巓(いたゞき)が被(かぶ)さつて、飛(と)ぶ鳥(とり)も見(み)えず、雲(くも)の形(かたち)も見(み)えぬ。
 道(みち)と空(そら)との間(あひだ)に唯(たゞ)一人(ひとり)我(わし)ばかり、凡(およ)そ正午(しやうご)と覚(おぼ)しい極熱(ごくねつ)の太陽(たいやう)の色(いろ)も白(しろ)いほどに冴(さ)え返(かへ)つた光線(くわうせん)を、深々(ふか/″\)と頂(いたゞ)いた一重(ひとへ)の檜笠(ひのきがさ)に凌(しの)いで、恁(か)う図面(づめん)を見(み)た。」
 旅僧(たびそう)は然(さ)ういつて、握拳(にぎりこぶし)を両方(りやうはう)枕(まくら)に乗(の)せ、其(それ)で額(ひたひ)を支(さゝ)へながら俯向(うつむ)いた。
 道連(みちづれ)になつた上人(しやうにん)は、名古屋(なごや)から此(こ)の越前(えちぜん)敦賀(つるが)の旅籠屋(はたごや)に来(き)て、今(いま)しがた枕(まくら)に就(つ)いた時(とき)まで、私(わたし)が知(し)つてる限(かぎ)り余(あま)り仰向(あふむ)けになつたことのない、詰(つま)り傲然(がうぜん)として物(もの)を見(み)ない質(たち)の人物(じんぶつ)である。
 一体(いつたい)東海道(とうかいだう)掛川(かけがは)の宿(しゆく)から同(おなじ)汽車(きしや)に乗(の)り組(く)んだと覚(おぼ)えて居(ゐ)る、腰掛(こしかけ)の隅(すみ)に頭(かうべ)を垂(た)れて、死灰(しくわい)の如(ごと)く控(ひか)へたから別段(べつだん)目(め)にも留(と)まらなかつた。
 尾張(をはり)の停車場(ステーシヨン)で他(た)の乗組員(のりくみゐん)は言合(いひあ)はせたやうに、不残(のこらず)下(お)りたので、函(はこ)の中(なか)には唯(たゞ)上人(しやうにん)と私(わたし)と二人(ふたり)になつた。
 此(こ)の汽車(きしや)は新橋(しんばし)を昨夜(さくや)九時半(くじはん)に発(た)つて、今夕(こんせき)敦賀(つるが)に入(はい)らうといふ、名古屋(なごや)では正午(ひる)だつたから、飯(めし)に一折(ひとをり)の鮨(すし)を買(かつ)た。旅僧(たびそう)も私(わたし)と同(おなじ)く其(そ)の鮨(すし)を求(もと)めたのであるが、蓋(ふた)を開(あ)けると、ばら/\と海苔(のり)が懸(かゝ)つた、五目飯(ちらし)の下等(かとう)なので。
(やあ、人参(にんじん)と干瓢(かんぺう)ばかりだ、)と踈匆(そゝ)ツかしく絶叫(ぜつけう)した、私(わたし)の顔(かほ)を見(み)て旅僧(たびそう)は耐(こら)へ兼(か)ねたものと見(み)える、吃々(くつ/\)と笑(わら)ひ出(だ)した、固(もと)より二人(ふたり)ばかりなり、知己(ちかづき)にはそれから成(な)つたのだが、聞(き)けば之(これ)から越前(ゑちぜん)へ行(い)つて、派(は)は違(ちが)ふが永平寺(えいへいじ)に訪(たづ)ねるものがある、但(たゞ)し敦賀(つるが)に一泊(いつぱく)とのこと。
 若狭(わかさ)へ帰省(きせい)する私(わたし)もおなじ処(ところ)で泊(とま)らねばならないのであるから、其処(そこ)で同行(どうかう)の約束(やくそく)が出来(でき)た。
 渠(かれ)は高野山(かうやさん)に籍(せき)を置(お)くものだといつた、年配(ねんぱい)四十五六(しじふごろく)、柔和(にうわ)な、何等(なんら)の奇(き)も見(み)えぬ、可懐(なつかし)い、おとなしやかな風采(とりなり)で、羅紗(らしや)の角袖(かくそで)の外套(ぐわいたう)を着(き)て、白(しろ)のふらんねるの襟巻(えりまき)を占(し)め、土耳古形(とるこがた)の帽(ばう)を冠(かむ)り、毛糸(けいと)の手袋(てぶくろ)を箝(は)め、白足袋(しろたび)に、日和下駄(ひよりげた)で、一見(いつけん)、僧侶(そうりよ)よりは世(よ)の中(なか)の宗匠(そうしやう)といふものに、其(それ)よりも寧(むし)ろ俗(ぞく)歟(か)。
(お泊(とま)りは何方(どちら)ぢやな、)といつて聞(き)かれたから、私(わたし)は一人旅(ひとりたび)の旅宿(りよしゆく)の詰(つま)らなさを、染々(しみ/″\)歎息(たんそく)した、第一(だいいち)盆(ぼん)を持(も)つて女中(ぢよちう)が坐睡(ゐねむり)をする、番頭(ばんとう)が空世辞(そらせじ)をいふ、廊下(らうか)を歩行(ある)くとじろ/\目(め)をつける、何(なに)より最(もつと)も耐(た)へ難(がた)いのは晩飯(ばんめし)の支度(したく)が済(す)むと、忽(たちま)ち灯(あかり)を行燈(あんどう)に換(か)へて、薄暗(うすぐら)い処(ところ)でお休(やす)みなさいと命令(めいれい)されるが、私(わたし)は夜(よ)が更(ふ)けるまで寝(ね)ることが出来(でき)ないから、其間(そのあひだ)の心持(こゝろもち)といつたらない、殊(こと)に此頃(このごろ)の夜(よ)は長(なが)し、東京(とうきやう)を出(で)る時(とき)から一晩(ひとばん)の泊(とまり)が気(き)になつてならない位(くらゐ)、差支(さしつか)へがなくば御僧(おんそう)と御一所(ごいつしよ)に。
 快(こゝろよ)く頷(うなづ)いて、北陸地方(ほくりくちはう)を行脚(あんぎや)の節(せつ)はいつでも杖(つゑ)を休(やす)める香取屋(かとりや)といふのがある、旧(もと)は一軒(いつけん)の旅店(りよてん)であつたが、一人女(ひとりむすめ)の評判(ひやうばん)なのがなくなつてからは看板(かんばん)を外(はづ)した、けれども昔(むかし)から懇意(こんい)な者(もの)は断(ことは)らず留(とめ)て、老人夫婦(としよりふうふ)が内端(うちは)に世話(せわ)をして呉(く)れる、宜(よろ)しくば其(それ)へ。其代(そのかはり)といひかけて、折(をり)を下(した)に置(お)いて、
(御馳走(ごちそう)は人参(にんじん)と干瓢(かんぺう)ばかりぢや。)
と呵々(から/\)と笑つた、慎深(つゝしみふか)さうな打見(うちみ)よりは気(き)の軽(かる)い。

         第二

 岐阜(ぎふ)では未(ま)だ蒼空(あをそら)が見(み)えたけれども、後(あと)は名(な)にし負(お)ふ北国空(ほくこくぞら)、米原(まいばら)、長浜(ながはま)は薄曇(うすぐもり)、幽(かすか)に日(ひ)が射(さ)して、寒(さむ)さが身(み)に染(し)みると思(おも)つたが、柳(やな)ヶ瀬(せ)では雨(あめ)、汽車(きしや)の窓(まど)が暗(くら)くなるに従(したが)ふて、白(しろ)いものがちら/\交(まじ)つて来(き)た。
(雪(ゆき)ですよ。)
(然(さ)やうぢやな。)といつたばかりで別(べつ)に気(き)に留(と)めず、仰(あふ)いで空(そら)を見(み)やうともしない、此時(このとき)に限(かぎ)らず、賤(しづ)ヶ岳(たけ)が、といつて古戦場(こせんぢやう)を指(さ)した時(とき)も、琵琶湖(びはこ)の風景(ふうけい)を語(かた)つた時(とき)も、旅僧(たびそう)は唯(たゞ)頷(うなづ)いたばかりである。
 敦賀(つるが)で悚毛(おぞけ)の立(た)つほど煩(わづら)はしいのは宿引(やどひき)の悪弊(あくへい)で、其日(そのひ)も期(き)したる如(ごと)く、汽車(きしや)を下(お)りると停車場(ステーシヨン)の出口(でぐち)から町端(まちはな)へかけて招(まね)きの提灯(ちやうちん)、印傘(しるしかさ)の堤(つゝみ)を築(きづ)き、潜抜(くゞりぬ)ける隙(すき)もあらなく旅人(たびびと)を取囲(とりかこ)んで、手(て)ン手(で)に喧(かまびす)しく己(おの)が家号(やがう)を呼立(よびた)てる、中(なか)にも烈(はげ)しいのは、素早(すばや)く手荷物(てにもつ)を引手繰(ひツたぐ)つて、へい有難(ありがた)う様(さま)で、を喰(くら)はす、頭痛持(づゝうもち)は血(ち)が上(のぼ)るほど耐(こら)へ切(き)れないのが、例(れい)の下(した)を向(む)いて悠々(いう/\)と小取廻(ことりまはし)に通抜(とほりぬ)ける旅僧(たびそう)は、誰(たれ)も袖(そで)を曳(ひ)かなかつたから、幸(さいはひ)其後(そのあと)に跟(つ)いて町(まち)へ入(はい)つて、吻(ほツ)といふ息(いき)を吐(つ)いた。
 雪(ゆき)は小止(をやみ)なく、今(いま)は雨(あめ)も交(まじ)らず乾(かわ)いた軽(かる)いのがさら/\と面(おも)を打(う)ち、宵(よひ)ながら門(もん)を鎖(とざ)した敦賀(つるが)の町(まち)はひつそりして一条(すぢ)二条(すぢ)縦横(たてよこ)に、辻(つじ)の角(かど)は広々(ひろ/″\)と、白(しろ)く積(つも)つた中(なか)を、道(みち)の程(ほど)八町(ちやう)ばかりで、唯(と)ある軒下(のきした)に辿(たど)り着(つ)いたのが名指(なざし)の香取屋(かとりや)。
 床(とこ)にも座敷(ざしき)にも飾(かざり)といつては無(な)いが、柱立(はしらだち)の見事(みごと)な、畳(たゝみ)の堅(かた)い、炉(ろ)の大(おほい)なる、自在鍵(じざいかぎ)の鯉(こひ)は鱗(うろこ)が黄金造(こがねづくり)であるかと思(おも)はるる艶(つや)を持(も)つた、素(す)ばらしい竈(へツつひ)を二ツ並(なら)べて一斗飯(とうめし)は焚(た)けさうな目覚(めざま)しい釜(かま)の懸(かゝ)つた古家(ふるいへ)で。
 亭主(ていしゆ)は法然天窓(はふねんあたま)、木綿(もめん)の筒袖(つゝそで)の中(なか)へ両手(りやうて)の先(さき)を窘(すく)まして、火鉢(ひばち)の前(まへ)でも手(て)を出(だ)さぬ、ぬうとした親仁(おやぢ)、女房(にようばう)の方(はう)は愛嬌(あいけう)のある、一寸(ちよいと)世辞(せじ)の可(い)い婆(ばあ)さん、件(くだん)の人参(にんじん)と干瓢(かんぺう)の話(はなし)を旅僧(たびそう)が打出(うちだ)すと、莞爾々々(にこ/\)笑(わら)ひながら、縮緬雑魚(ちりめんざこ)と、鰈(かれい)の干物(ひもの)と、とろろ昆布(こぶ)の味噌汁(みそしる)とで膳(ぜん)を出(だ)した、物(もの)の言振(いひぶり)取做(とりなし)なんど、如何(いか)にも、上人(しやうにん)とは別懇(べつこん)の間(あひだ)と見(み)えて、連(つれ)の私(わたし)の居心(ゐごゝろ)の可(よ)さと謂(い)つたらない。
 軈(やが)て二階(かい)に寐床(ねどこ)を慥(こしら)へてくれた、天井(てんじやう)は低(ひく)いが、梁(うつばり)は丸太(まるた)で二抱(ふたかゝへ)もあらう、屋(や)の棟(むね)から斜(なゝめ)に渡(わた)つて座敷(ざしき)の果(はて)の廂(ひさし)の処(ところ)では天窓(あたま)に支(つか)へさうになつて居(ゐ)る、巌丈(がんぢやう)な屋造(やづくり)、是(これ)なら裏(うら)の山(やま)から雪頽(なだれ)が来(き)てもびくともせぬ。
 特(こと)に炬燵(こたつ)が出来(でき)て居(ゐ)たから私(わたし)は其(その)まゝ嬉(うれ)しく入(はい)つた。寐床(ねどこ)は最(も)う一組(くみ)同一(おなじ)炬燵(こたつ)に敷(し)いてあつたが、旅僧(たびそう)は之(これ)には来(きた)らず、横(よこ)に枕(まくら)を並(なら)べて、火(ひ)の気(け)のない臥床(ねどこ)に寐(ね)た。
 寐(ね)る時(とき)、上人(しやうにん)は帯(おび)を解(と)かぬ、勿論(もちろん)衣服(きもの)も脱(ぬ)がぬ、着(き)たまゝ丸(まる)くなつて俯向形(うつむきなり)に腰(こし)からすつぽりと入(はい)つて、肩(かた)に夜具(やぐ)の袖(そで)を掛(か)けると手(て)を突(つ)いて畏(かしこま)つた、其(そ)の様子(やうす)は我々(われ/\)と反対(はんたい)で、顔(かほ)に枕(まくら)をするのである。程(ほど)なく寂然(ひつそり)として寝(ね)に着(つ)きさうだから、汽車(きしや)の中(なか)でもくれ/″\いつたのは此処(こゝ)のこと、私(わたし)は夜(よ)が更(ふ)けるまで寐(ね)ることが出来(でき)ない、あはれと思(おも)つて最(も)う暫(しばら)くつきあつて、而(そ)して諸国(しよこく)を行脚(あんぎや)なすつた内(うち)のおもしろい談(はなし)をといつて打解(うちと)けて幼(おさな)らしくねだつた。
 すると上人(しやうにん)は頷(うなづ)いて、私(わし)は中年(ちうねん)から仰向(あふむ)けに枕(まくら)に着(つ)かぬのが癖(くせ)で、寐(ね)るにも此儘(このまゝ)ではあるけれども目(め)は未(ま)だなか/\冴(さ)えて居(を)る、急(きふ)に寐着(ねつ)かれないのはお前様(まへさま)と同一(おんなし)であらう。出家(しゆつけ)のいふことでも、教(おしへ)だの、戒(いましめ)だの、説法(せつぱふ)とばかりは限(かぎ)らぬ、若(わか)いの、聞(き)かつしやい、と言(いつ)て語(かた)り出(だ)した。後(あと)で聞(き)くと宗門(しうもん)名誉(めいよ)の説教師(せつけうし)で、六明寺(りくみんじ)の宗朝(しうてう)といふ大和尚(だいおしやう)であつたさうな。

         第三

「今(いま)に最(も)う一人(ひとり)此処(こゝ)へ来(き)て寝(ね)るさうぢやが、お前様(まへさま)と同国(どうこく)ぢやの、若狭(わかさ)の者(もの)で塗物(ぬりもの)の旅商人(たびあきうど)。いや此(こ)の男(をとこ)なぞは若(わか)いが感心(かんしん)に実体(じつてい)な好(い)い男(をとこ)。
 私(わし)が今(いま)話(はなし)の序開(じよびらき)をした其(そ)の飛騨(ひだ)の山越(やまごえ)を遣(や)つた時(とき)の、麓(ふもと)の茶屋(ちやゝ)で一所(しよ)になつた富山(とやま)の売薬(ばいやく)といふ奴(やつ)あ、けたいの悪(わる)い、ねぢ/\した厭(いや)な壮佼(わかいもの)で。
 先(ま)づこれから峠(たうげ)に掛(かゝ)らうといふ日(ひ)の、朝早(あさはや)く、尤(もつと)も先(せん)の泊(とまり)はものゝ三時(じ)位(ぐらゐ)には発(た)つて来(き)たので、涼(すゞし)い内(うち)に六里(り)ばかり、其(そ)の茶屋(ちやゝ)までのしたのぢやが、朝晴(あさばれ)でぢり/\暑(あつ)いわ。
 慾張抜(よくばりぬ)いて大急(おほいそ)ぎで歩(ある)いたから咽(のど)が渇(かは)いて為様(しやう)があるまい早速(さつそく)茶(ちや)を飲(のま)うと思(おも)ふたが、まだ湯(ゆ)が沸(わ)いて居(を)らぬといふ。
 何(ど)うして其(その)時分(じぶん)ぢやからといふて、滅多(めツた)に人通(ひとどほり)のない山道(やまみち)、朝顔(あさがほ)の咲(さ)いてる内(うち)に煙(けぶり)が立(た)つ道理(だうり)もなし。
 床几(しやうぎ)の前(まへ)には冷(つめ)たさうな小流(こながれ)があつたから手桶(てをけ)の水(みづ)を汲(く)まうとして一寸(ちよいと)気(き)がついた。
 其(それ)といふのが、時節柄(じせつがら)暑(あつ)さのため、可恐(おそろし)い悪(わる)い病(やまひ)が流行(はや)つて、先(さき)に通(とほ)つた辻(つじ)などといふ村(むら)は、から一面(めん)に石灰(いしばひ)だらけぢやあるまいか。
(もし、姉(ねえ)さん。)といつて茶店(ちやみせ)の女(をんな)に、
(此(この)水(みづ)はこりや井戸(ゐど)のでござりますか。)と、極(きま)りも悪(わる)し、もじ/\聞(き)くとの。
(いんね川(かは)のでございす。)といふ、はて面妖(めんえう)なと思(おも)つた。
(山(やま)したの方(はう)には大分(だいぶ)流行病(はやりやまひ)がございますが、此(この)水(みづ)は何(なに)から、辻(つぢ)の方(はう)から流(なが)れて来(く)るのではありませんか。)
(然(さ)うでねえ。)と女(をんな)は何気(なにげ)なく答(こた)へた、先(ま)づ嬉(うれ)しやと思(おも)ふと、お聞(き)きなさいよ。
 此処(こゝ)に居(ゐ)て先刻(さツき)から休(や)すんでござつたのが、右(みぎ)の売薬(ばいやく)ぢや。此(こ)の又(また)万金丹(まんきんたん)の下廻(したまはり)と来(き)た日(ひ)には、御存(ごぞん)じの通(とほ)り、千筋(せんすぢ)の単衣(ひとへ)に小倉(こくら)の帯(おび)、当節(たうせつ)は時計(とけい)を挟(はさ)んで居(ゐ)ます、脚絆(きやはん)、股引(もゝひき)、之(これ)は勿論(もちろん)、草鞋(わらぢ)がけ、千草木綿(ちくさもめん)の風呂敷包(ふろしきづゝみ)の角(かど)ばつたのを首(くび)に結(ゆは)へて、桐油合羽(とういうがつぱ)を小(ちい)さく畳(たゝ)んで此奴(こいつ)を真田紐(さなだひも)で右(みぎ)の包(つゝみ)につけるか、小弁慶(こべんけい)の木綿(もめん)の蝙蝠傘(かうもりがさ)を一本(ぽん)、お極(きまり)だね。一寸(ちよいと)見(み)ると、いやどれもこれも克明(こくめい)で、分別(ふんべつ)のありさうな顔(かほ)をして。これが泊(とまり)に着(つ)くと、大形(おほがた)の裕衣(ゆかた)に変(かは)つて、帯広解(おびひろげ)で焼酎(せうちう)をちびり/\遣(や)りながら、旅籠屋(はたごや)の女(をんな)のふとつた膝(ひざ)へ脛(すね)を上(あ)げやうといふ輩(やから)ぢや。
(これや、法界坊(はふかいばう)、)
 なんて、天窓(あたま)から嘗(な)めて居(ゐ)ら。
(異(おつ)なことをいふやうだが何(なに)かね世(よ)の中(なか)の女(をんな)が出来(でき)ねえと相場(さうば)が極(きま)つて、すつぺら坊主(ばうず)になつても矢張(やツぱ)り生命(いのち)は欲(ほ)しいのかね、不思議(ふしぎ)ぢやあねえか、争(あらそ)はれねもんだ、姉(ねえ)さん見(み)ねえ、彼(あれ)で未(ま)だ未練(みれん)のある内(うち)が可(い)いぢやあねえか、)といつて顔(かほ)を見合(みあ)はせて二人(ふたり)で呵々(から/\)と笑(わら)つたい。
 年紀(とし)は若(わか)し、お前様(まへさん)、私(わし)は真赤(まツか)になつた、手(て)に汲(く)んだ川(かは)の水(みづ)を飲(の)みかねて猶予(ためら)つて居(ゐ)るとね。
 ポンと煙管(きせる)を払(はた)いて、
(何(なに)、遠慮(ゑんりよ)をしねえで浴(あ)びるほどやんなせえ、生命(いのち)が危(あやふ)くなりや、薬(くすり)を遣(や)らあ、其為(そのため)に私(わし)がついてるんだぜ、喃(なあ)姉(ねえ)さん。おい、其(それ)だつても無銭(たゞ)ぢやあ不可(いけね)えよ憚(はゞか)りながら神方万金丹(しんぱうまんきんたん)、一貼(てふ)三百(びやく)だ、欲(ほ)しくば買(か)ひな、未(ま)だ坊主(ばうず)に報捨(はうしや)をするやうな罪(つみ)は造(つく)らねえ、其(それ)とも何(ど)うだお前(まへ)いふことを肯(き)くか、)といつて茶店(ちやみせ)の女(をんな)の背中(せなか)を叩(たゝ)いた。
 私(わし)は匆々(さう/\)に遁出(にげだ)した。
 いや、膝(ひざ)だの、女(をんな)の背中(せなか)だのといつて、いけ年(とし)を仕(つかまつ)つた和尚(おしやう)が業体(げふてい)で恐入(おそれい)るが、話(はなし)が、話(はなし)ぢやから其処(そこ)は宜(よろ)しく。」

         第四

「私(わし)も腹立紛(はらだちまぎ)れぢや、無暗(むやみ)と急(いそ)いで、それからどん/\山(やま)の裾(すそ)を田圃道(たんぼみち)へ懸(かゝ)る。
 半町(はんちやう)ばかり行(ゆ)くと、路(みち)が恁(か)う急(きふ)に高(たか)くなつて、上(のぼ)りが一(いつ)ヶ処(しよ)、横(よこ)から能(よ)く見(み)えた、弓形(ゆみなり)で宛(まる)で土(つち)で勅使橋(ちよくしばし)がかゝつてるやうな。上(うへ)を見(み)ながら、之(これ)へ足(あし)を踏懸(ふみか)けた時(とき)、以前(いぜん)の薬売(くすりうり)がすた/\遣(や)つて来(き)て追着(おひつ)いたが。
 別(べつ)に言葉(ことば)も交(か)はさず、又(また)ものをいつたからといふて、返事(へんじ)をする気(き)は此方(こツち)にもない。何処(どこ)までも人(ひと)を凌(しの)いだ仕打(しうち)な薬売(くすりうり)は流盻(しりめ)にかけて故(わざ)とらしう私(わし)を通越(とほりこ)して、すた/\前(まへ)へ出(で)て、ぬつと小山(こやま)のやうな路(みち)の突先(とつさき)へ蝙蝠傘(かうもりがさ)を差(さ)して立(た)つたが、其(その)まゝ向(むか)ふへ下(お)りて見(み)えなくなる。
 其後(そのあと)から爪先上(つまさきあが)り、軈(やが)てまた太鼓(たいこ)の胴(どう)のやうな路(みち)の上(うへ)へ体(からだ)が乗(の)つた、其(それ)なりに又(また)下(くだ)りぢや。
 売薬(ばいやく)は先(さき)へ下(お)りたが立停(たちどま)つて頻(しきり)に四辺(あたり)を瞻(みまは)して居(ゐ)る様子(やうす)、執念深(しふねんぶか)く何(なに)か巧(たく)んだか、と快(こゝろよ)からず続(つゞ)いたが、さてよく見(み)ると仔細(しさい)があるわい。
 路(みち)は此処(こゝ)で二条(すぢ)になつて、一条(すぢ)はこれから直(す)ぐに坂(さか)になつて上(のぼ)りも急(きふ)なり、草(くさ)も両方(りやうはう)から生茂(おひしげ)つたのが、路傍(みちばた)の其(そ)の角(かど)の処(ところ)にある、其(それ)こそ四抱(かゝへ)さうさな、五抱(かゝへ)もあらうといふ一本(ぽん)の檜(ひのき)の、背後(うしろ)へ畝(うね)つて切出(きりだ)したやうな大巌(おほいは)が二ツ三ツ四ツと並(なら)んで、上(うへ)の方(はう)へ層(かさ)なつて其(そ)の背後(うしろ)へ通(つう)じて居(ゐ)るが、私(わし)が見当(けんたう)をつけて、心組(こゝろぐ)んだのは此方(こツち)ではないので、矢張(やツぱり)今(いま)まで歩行(ある)いて来(き)た其(そ)の巾(はゞ)の広(ひろ)いなだらかな方(はう)が正(まさ)しく本道(ほんだう)、あと二里(り)足(た)らず行(ゆ)けば山(やま)になつて、其(それ)からが峠(たうげ)になる筈(はず)。
 唯(と)見(み)ると、何(ど)うしたことかさ、今(いま)いふ其(その)檜(ひのき)ぢやが、其処(そこ)らに何(なんに)もない路(みち)を横截(よこぎ)つて見果(みはて)のつかぬ田圃(たんぼ)の中空(なかそら)へ虹(にじ)のやうに突出(つきで)て居(ゐ)る、見事(みごと)な。根方(ねかた)の処(ところ)の土(つち)が壊(くづ)れて大鰻(おほうなぎ)を捏(こ)ねたやうな根(ね)が幾筋(いくすぢ)ともなく露(あら)はれた、其(その)根(ね)から一筋(すぢ)の水(みづ)が颯(さつ)と落(お)ちて、地(ぢ)の上(うへ)へ流(なが)れるのが、取(と)つて進(すゝ)まうとする道(みち)の真中(まんなか)に流出(ながれだ)してあたりは一面(めん)。
 田圃(たんぼ)が湖(みづうみ)にならぬが不思議(ふしぎ)で、どう/\と瀬(せ)になつて、前途(ゆくて)に一叢(むら)の藪(やぶ)が見(み)える、其(それ)を境(さかひ)にして凡(およ)そ二町(ちやう)ばかりの間(あひだ)宛(まる)で川(かは)ぢや。礫(こいし)はばら/\、飛石(とびいし)のやうにひよい/\と大跨(おほまた)で伝(つた)へさうにずつと見(み)ごたへのあるのが、それでも人(ひと)の手(て)で並(なら)べたに違(ちが)ひはない。
 尤(もつと)も衣服(きもの)を脱(ぬ)いで渡(わた)るほどの大事(おほごと)なのではないが、本街道(ほんかいだう)には些(ち)と難儀(なんぎ)過(す)ぎて、なか/\馬(うま)などが歩行(ある)かれる訳(わけ)のものではないので。
 売薬(ばいやく)もこれで迷(まよ)つたのであらうと思(おも)ふ内(うち)、切放(きれはな)れよく向(むき)を変(か)へて右(みぎ)の坂(さか)をすた/\と上(のぼ)りはじめた。
 見(み)る間(ま)に檜(ひのき)を後(うしろ)に潜(くゞ)り抜(ぬ)けると、私(わし)が体(からだ)の上(うへ)あたりへ出(で)て下(した)を向(む)き、
(おい/\、松本(まつもと)へ出(で)る路(みち)は此方(こつち)だよ、)といつて無雑作(むざふさ)にまた五六歩(ぽ)。
 岩(いは)の頭(あたま)へ半身(はんしん)を乗出(のりだ)して、
(茫然(ぼんやり)してると、木精(こだま)が攫(さら)ふぜ、昼間(ひるま)だつて用捨(ようしや)はねえよ。)と嘲(あざけ)るが如(ごと)く言(い)ひ棄(す)てたが、軈(やが)て岩(いは)の陰(かげ)に入(はい)つて高(たか)い処(ところ)の草(くさ)に隠(かく)れた。
 暫(しばら)くすると見上(みあ)げるほどな辺(あたり)へ蝙蝠傘(かうもりがさ)の先(さき)が出(で)たが、木(き)の枝(えだ)とすれ/\になつて茂(しげみ)の中(なか)に見(み)えなくなつた。
(どッこいしよ、)と暢気(のんき)なかけ声(ごゑ)で、其(そ)の流(ながれ)の石(いし)の上(うへ)を飛々(とび/″\)に伝(つたは)つて来(き)たのは、呉座(ござ)の尻当(しりあて)をした、何(なん)にもつけない天秤棒(てんびんぼう)を片手(かたて)で担(かつ)いだ百姓(ひやくしやう)ぢや。」

         第五

「前刻(さツき)の茶店(ちやみせ)から此処(こゝ)へ来(く)るまで、売薬(ばいやく)の外(ほか)は誰(たれ)にも逢(あ)はなんだことは申上(まをしあ)げるまでもない。
 今(いま)別(わか)れ際(ぎは)に声(こゑ)を懸(か)けられたので、先方(むかう)は道中(だうちう)の商売人(しやうばいにん)と見(み)たゞけに、まさかと思(おも)つても気迷(きまよひ)がするので、今朝(けさ)も立(た)ちぎはによく見(み)て来(き)た、前(まへ)にも申(まを)す、其(そ)の図面(づめん)をな、此処(こゝ)でも開(あ)けて見(み)やうとして居(ゐ)た処(ところ)。
(一寸(ちよいと)伺(うかゞ)ひたう存(ぞん)じますが、)
(これは、何(なん)でござりまする、)と山国(やまぐに)の人(ひと)などは殊(こと)に出家(しゆつけ)と見(み)ると丁寧(ていねい)にいつてくれる。
(いえ、お伺(うかゞ)ひ申(まを)しますまでもございませんが、道(みち)は矢張(やツぱり)これを素直(まツすぐ)に参(まゐ)るのでございませうな。)
(松本(まつもと)へ行(ゆ)かつしやる? あゝ/\本道(ほんだう)ぢや、何(なに)ね、此間(こなひだ)の梅雨(つゆ)に水(みづ)が出(で)てとてつもない川(かは)さ出来(でき)たでがすよ。)
(未(ま)だずつと何処(どこ)までも此(この)水(みづ)でございませうか。)
(何(なん)のお前様(まへさま)、見(み)たばかりぢや、訳(わけ)はござりませぬ、水(みづ)になつたのは向(むか)ふの那(あ)の藪(やぶ)までゞ、後(あと)は矢張(やツぱり)これと同一(おんなじ)道筋(みちすぢ)で山(やま)までは荷車(にぐるま)が並(なら)んで通(とほ)るでがす。藪(やぶ)のあるのは旧(もと)大(おほき)いお邸(やしき)の医者様(いしやさま)の跡(あと)でな、此処等(こゝいら)はこれでも一ツの村(むら)でがした、十三年(ねん)前(ぜん)の大水(おほみづ)の時(とき)、から一面(めん)に野良(のら)になりましたよ、人死(ひとじに)もいけえこと。御坊様(ごばうさま)歩行(ある)きながらお念仏(ねんぶつ)でも唱(とな)へて遣(や)つてくれさつしやい)と問(と)はぬことまで親切(しんせつ)に話(はな)します。其(それ)で能(よ)く仔細(しさい)が解(わか)つて確(たしか)になりはなつたけれども、現(げん)に一人(ひとり)蹈迷(ふみまよ)つた者(もの)がある。
(此方(こつち)の道(みち)はこりや何処(どこ)へ行(ゆ)くので、)といつて売薬(ばいやく)の入(はい)つた左手(ゆんで)の坂(さか)を尋(たづ)ねて見(み)た。
(はい、これは五十年(ねん)ばかり前(まへ)までは人(ひと)が歩行(ある)いた旧道(きうだう)でがす。矢張(やツぱり)信州(しんしう)へ出(で)まする、前(さき)は一つで七里(り)ばかり総体(そうたい)近(ちか)うござりますが、いや今時(いまどき)往来(わうらい)の出来(でき)るのぢやあござりませぬ。去年(きよねん)も御坊様(おばうさま)、親子連(おやこづれ)の順礼(じゆんれい)が間違(まちが)へて入(はい)つたといふで、はれ大変(たいへん)な、乞食(こじき)を見(み)たやうな者(もの)ぢやといふて、人命(じんめい)に代(かは)りはねえ、追(おツ)かけて助(たす)けべいと、巡査様(おまはりさま)が三人(にん)、村(むら)の者(もの)が十二人(じふにゝん)、一組(くみ)になつて之(これ)から押登(おしのぼ)つて、やつと連(つ)れて戻(もど)つた位(くらゐ)でがす。御坊様(おばうさま)も血気(けつき)に逸(はや)つて近道(ちかみち)をしてはなりましねえぞ、草臥(くたび)れて野宿(のじゆく)をしてからが此処(こゝ)を行(ゆ)かつしやるよりは増(まし)でござるに。はい、気(き)を着(つ)けて行(ゆ)かつしやれ。)
 此処(こゝ)で百姓(ひやくしやう)に別(わか)れて其(そ)の川(かは)の石(いし)の上(うへ)を行(ゆか)うとしたが弗(ふ)と猶予(ためら)つたのは売薬(ばいやく)の身(み)の上(うへ)で。
 まさかに聞(き)いたほどでもあるまいが、其(それ)が本当(ほんたう)ならば見殺(みごろし)ぢや、何(ど)の道(みち)私(わたし)は出家(しゆつけ)の体(からだ)、日(ひ)が暮(く)れるまでに宿(やど)へ着(つ)いて屋根(やね)の下(した)に寝(ね)るには及(およ)ばぬ、追着(おツつ)いて引戻(ひきもど)して遣(や)らう。罷違(まかりちが)ふて旧道(きうだう)を皆(みな)歩行(ある)いても怪(け)しうはあるまい、恁(か)ういふ時候(じこう)ぢや、狼(おほかみ)の春(しゆん)でもなく、魑魅魍魎(ちみまうりやう)の汐(しほ)さきでもない、まゝよ、と思(おも)ふて、見送(みおく)ると早(は)や親切(しんせつ)な百姓(ひやくしやう)の姿(すがた)も見(み)えぬ。
(可(よ)し。)
 思切(おもひき)つて坂道(さかみち)に取(と)つて懸(かゝ)つた、侠気(をとこぎ)があつたのではござらぬ、血気(けつき)に逸(はや)つたでは固(もと)よりない、今(いま)申(まを)したやうではずつと最(も)う悟(さと)つたやうぢやが、いやなか/\の憶病者(おくびやうもの)、川(かは)の水(みづ)を飲(の)むのさへ気(き)が怯(ひ)けたほど生命(いのち)が大事(だいじ)で、何故(なぜ)又(また)と謂(い)はつしやるか。
 唯(たゞ)挨拶(あいさつ)をしたばかりの男(をとこ)なら、私(わし)は実(じつ)の処(ところ)、打棄(うつちや)つて置(お)いたに違(ちが)ひはないが、快(こゝろよ)からぬ人(ひと)と思(おも)つたから、其(その)まゝに見棄(みす)てるのが、故(わざ)とするやうで、気(き)が責(せ)めてならなんだから、」
と宗朝(しうてう)は矢張(やツぱり)俯向(うつむ)けに床(とこ)に入(はい)つたまゝ合掌(がツしやう)していつた。
「其(それ)では口(くち)でいふ念仏(ねんぶつ)にも済(す)まぬと思(おも)ふてさ。」

         第六

「さて、聞(き)かつしやい、私(わし)はそれから檜(ひのき)の裏(うら)を抜(ぬ)けた、岩(いは)の下(した)から岩(いは)の上(うへ)へ出(で)た、樹(き)の中(なか)を潜(くゞ)つて草深(くさふか)い径(こみち)を何処(どこ)までも、何処(どこ)までも。
 すると何時(いつ)の間(ま)にか今(いま)上(あが)つた山(やま)は過(す)ぎて又(また)一ツ山(やま)が近(ちか)づいて来(き)た、此辺(このあたり)暫(しばら)くの間(あひだ)は野(の)が広々(ひろ/″\)として、前刻(さツき)通(とほ)つた本街道(ほんかいだう)より最(も)つと巾(はゞ)の広(ひろ)い、なだらかな一筋道(すぢみち)。
 心持(こゝろもち)西(にし)と、東(ひがし)と、真中(まんなか)に山(やま)を一ツ置(お)いて二条(すぢ)並(なら)んだ路(みち)のやうな、いかさまこれならば鎗(やり)を立(た)てゝも行列(ぎやうれつ)が通(とほ)つたであらう。
 此(こ)の広(ひろ)ツ場(ぱ)でも目(め)の及(およ)ぶ限(かぎり)芥子粒(けしつぶ)ほどの大(おほき)さの売薬(ばいやく)の姿(すがた)も見(み)ないで、時々(とき/″\)焼(や)けるやうな空(そら)を小(ちひ)さな虫(むし)が飛歩行(とびある)いた。
 歩行(ある)くには此(こ)の方(はう)が心細(こゝろぼそ)い、あたりがばツとして居(ゐ)ると便(たより)がないよ。勿論(もちろん)飛騨越(ひだごゑ)と銘(めい)を打(う)つた日(ひ)には、七里(り)に一軒(けん)十里(り)に五軒(けん)といふ相場(さうば)、其処(そこ)で粟(あは)の飯(めし)にありつけば都合(つがふ)も上(じやう)の方(はう)といふことになつて居(を)ります。其(そ)の覚悟(かくご)のことで、足(あし)は相応(さうおう)に達者(たツしや)、いや屈(くつ)せずに進(すゝ)んだ進(すゝ)んだ。すると、段々(だん/″\)又(また)山(やま)が両方(りやうはう)から逼(せま)つて来(き)て、肩(かた)に支(つか)へさうな狭(せま)いことになつた、直(す)ぐに上(のぼり)。
 さあ、之(これ)からが名代(なだい)の天生峠(あまふたうげ)と心得(こゝろえ)たから、此方(こツち)も其気(そのき)になつて、何(なに)しろ暑(あつ)いので、喘(あへ)ぎながら、先(ま)づ草鞋(わらぢ)の紐(ひも)を締直(しめなほ)した。
 丁度(ちやうど)此(こ)の上口(のぼりくち)の辺(あたり)に美濃(みの)の蓮大寺(れんたいじ)の本堂(ほんだう)の床下(ゆかした)まで吹抜(ふきぬ)けの風穴(かざあな)があるといふことを年経(とした)つてから聞(き)きましたが、なか/\其処(そこ)どころの沙汰(さた)ではない、一生懸命(しやうけんめい)、景色(けしき)も奇跡(きせき)もあるものかい、お天気(てんき)さへ晴(は)れたか曇(くも)つたか訳(わけ)が解(わか)らず、目(ま)まじろぎもしないですた/\と捏(こ)ねて上(のぼ)る。
 とお前様(まへさま)お聞(き)かせ申(まを)す話(はなし)は、これからぢやが、最初(さいしよ)に申(まを)す通(とほ)り路(みち)がいかにも悪(わる)い、宛然(まるで)人(ひと)が通(かよ)ひさうでない上(うへ)に、恐(おそろし)いのは、蛇(へび)で。両方(りやうはう)の叢(くさむら)に尾(を)と頭(あたま)とを突込(つツこ)んで、のたりと橋(はし)を渡(わた)して居(ゐ)るではあるまいか。
 私(わし)は真先(まツさき)に出会(でツくわ)した時(とき)は笠(かさ)を被(かぶ)つて竹杖(たけづゑ)を突(つ)いたまゝはツと息(いき)を引(ひ)いて膝(ひざ)を折(を)つて坐(すわ)つたて。
 いやもう生得(しやうとく)大嫌(だいきらひ)、嫌(きらひ)といふより恐怖(こわ)いのでな。
 其時(そのとき)は先(ま)づ人助(ひとたす)けにずる/″\と尾(を)を引(ひ)いて向(むか)ふで鎌首(かまくび)を上(あ)げたと思(おも)ふと草(くさ)をさら/\と渡(わた)つた。
 漸(やうや)う起上(おきあが)つて道(みち)の五六町(ちやう)も行(ゆ)くと又(また)同一(おなじ)やうに、胴中(どうなか)を乾(かは)かして尾(を)も首(くび)も見(み)えぬが、ぬたり!
 あツといふて飛退(とびの)いたが、其(それ)も隠(かく)れた。三度目(どめ)に出会(であ)つたのが、いや急(きふ)には動(うご)かず、然(しか)も胴体(どうたい)の太(ふと)さ、譬(たと)ひ這出(はひだ)した処(ところ)でぬら/\と遣(や)られては凡(およ)そ五分間(ふんかん)位(ぐらゐ)は尾(を)を出(だ)すまでに間(ま)があらうと思(おも)ふ長虫(ながむし)と見(み)えたので已(や)むことを得(え)ず私(わし)は跨(また)ぎ越(こ)した、途端(とたん)に下腹(したはら)が突張(つツぱ)つてぞツと身(み)の毛(け)、毛穴(けあな)が不残(のこらず)鱗(うろこ)に変(かは)つて、顔(かほ)の色(いろ)も其(そ)の蛇(へび)のやうになつたらうと目(め)を塞(ふさ)いだ位(くらゐ)。
 絞(しぼ)るやうな冷汗(ひやあせ)になる気味(きみ)の悪(わる)さ、足(あし)が窘(すく)んだといふて立(た)つて居(ゐ)られる数(すう)ではないから、びく/\しながら路(みち)を急(いそ)ぐと又(また)しても居(ゐ)たよ。
 然(しか)も今度(こんど)のは半分(はんぶん)に引切(ひきき)つてある胴(どう)から尾(を)ばかりの虫(むし)ぢや、切口(きりくち)が蒼(あをみ)を帯(お)びて其(それ)で恁(か)う黄色(きいろ)な汁(しる)が流(なが)れてぴくぴくと動(うご)いたわ。
 我(われ)を忘(わす)れてばら/\とあとへ遁帰(にげかへ)つたが、気(き)が着(つ)けば例(れい)のが未(ま)だ居(ゐ)るであらう、譬(たと)ひ殺(ころ)されるまでも二度(ど)とは彼(あれ)を跨(また)ぐ気(き)はせぬ。あゝ前刻(さツき)のお百姓(ひやくしやう)がものゝ間違(まちがひ)でも故道(ふるみち)には蛇(へび)が恁(か)うといつてくれたら、地獄(ぢごく)へ落(お)ちても来(こ)なかつたにと照(て)りつけられて、涙(なみだ)が流(なが)れた、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)、今(いま)でも悚然(ぞツ)とする。」と額(ひたひ)に手(て)を。

         第七

「果(はてし)が無(な)いから肝(きも)を据(す)ゑた、固(もと)より引返(ひきかへ)す分(ぶん)ではない。旧(もと)の処(ところ)には矢張(やツぱり)丈足(たけた)らずの骸(むくろ)がある、遠(とほ)くへ避(さ)けて草(くさ)の中(なか)へ駆(か)け抜(ぬ)けたが、今(いま)にもあとの半分(はんぶん)が絡(まと)ひつきさうで耐(たま)らぬから気臆(きおくれ)がして足(あし)が筋張(すぢば)ると、石(いし)に躓(つまづ)いて転(ころ)んだ、其時(そのとき)膝節(ひざふし)を痛(いた)めましたものと見(み)える。
 それからがく/″\して歩行(ある)くのが少(すこ)し難渋(なんじふ)になつたけれども、此処(こゝ)で倒(たふ)れては温気(うんき)で蒸殺(むしころ)されるばかりぢやと、我身(わがみ)で我身(わがみ)を激(はげ)まして首筋(くびすぢ)を取(と)つて引立(ひきた)てるやうにして峠(たうげ)の方(はう)へ。
 何(なに)しろ路傍(みちばた)の草(くさ)いきれが可恐(おそろ)しい、大鳥(おほとり)の卵(たまご)見(み)たやうなものなんぞ足許(あしもと)にごろ/″\して居(ゐ)る茂(しげ)り塩梅(あんばい)。
 又(また)二里(り)ばかり大蛇(おろち)の畝(うね)るやうな坂(さか)を、山懐(やまふところ)に突当(つきあた)つて岩角(いはかど)を曲(まが)つて、木(き)の根(ね)を繞(めぐ)つて参(まゐ)つたが此処(こゝ)のことで余(あま)りの道(みち)ぢやつたから、参謀本部(さんぼうほんぶ)の絵図面(ゑづめん)を開(ひら)いて見(み)ました。
 何(なに)矢張(やツぱり)道(みち)は同一(おんなじ)で聞(き)いたにも見(み)たのにも変(かはり)はない、旧道(きうだう)は此方(こちら)に相違(さうゐ)はないから心遣(こゝろや)りにも何(なん)にもならず、固(もと)より歴(れツき)とした図面(づめん)といふて、描(ゑが)いてある道(みち)は唯(たゞ)栗(くり)の毯(いが)の上(うへ)へ赤(あか)い筋(すぢ)が引張(ひつぱ)つてあるばかり。
 難儀(なんぎ)さも、蛇(へび)も、毛虫(けむし)も、鳥(とり)の卵(たまご)も、草(くさ)いきれも、記(しる)してある筈(はず)はないのぢやから、薩張(さツぱり)と畳(たゝ)んで懐(ふところ)に入(い)れて、うむと此(こ)の乳(ちゝ)の下(した)へ念仏(ねんぶつ)を唱(とな)へ込(こ)んで立直(たちなほ)つたは可(よ)いが、息(いき)も引(ひ)かぬ内(うち)に情無(なさけな)い長虫(ながむし)が路(みち)を切(き)つた。
 其処(そこ)でもう所詮(しよせん)叶(かな)はぬと思(おも)つたなり、これは此(こ)の山(やま)の霊(れい)であらうと考(かんが)へて、杖(つえ)を棄(す)てゝ膝(ひざ)を曲(ま)げ、じり/\する地(つち)に両手(りやうて)をついて、
(誠(まこと)に済(す)みませぬがお通(とほ)しなすつて下(くだ)さりまし、成(なる)たけお昼寝(ひるね)の邪魔(じやま)になりませぬやうに密(そツ)と通行(つうかう)いたしまする。
 御覧(ごらん)の通(とほ)り杖(つえ)も棄(す)てました。)と我折(がを)れ染々(しみ/″\)と頼(たの)んで額(ひたひ)を上(あ)げるとざつといふ凄(すさまじ)い音(おと)で。
 心持(こゝろもち)余程(よほど)の大蛇(だいじや)と思(おも)つた、三尺(じやく)、四尺(しやく)、五尺(しやく)、四方(はう)、一丈(ぢやう)余(よ)、段々(だん/″\)と草(くさ)の動(うご)くのが広(ひろ)がつて、傍(かたへ)の谷(たに)へ一文字(もんじ)に颯(さツ)と靡(なび)いた、果(はて)は峯(みね)も山(やま)も一斉(せい)に揺(ゆる)いだ、悚毛(おぞけ)を震(ふる)つて立窘(たちすく)むと涼(すゞ)しさが身(み)に染(し)みて気(き)が着(つ)くと山颪(やまおろし)よ。
 此(こ)の折(をり)から聞(きこ)えはじめたのは哄(どツ)といふ山彦(やまひこ)に伝(つた)はる響(ひゞき)、丁度(ちやうど)山(やま)の奥(おく)に風(かぜ)が渦巻(うづま)いて其処(そこ)から吹起(ふきおこ)る穴(あな)があいたやうに感(かん)じられる。
 何(なに)しろ山霊(さんれい)感応(かんおう)あつたか、蛇(へび)は見(み)えなくなり暑(あつ)さも凌(しの)ぎよくなつたので気(き)も勇(いさ)み足(あし)も捗取(はかど)つたが程(ほど)なく急(きふ)に風(かぜ)が冷(つめ)たくなつた理由(りいう)を会得(ゑとく)することが出来(でき)た。
 といふのは目(め)の前(まへ)に大森林(だいしんりん)があらはれたので。
 世(よ)の譬(たとへ)にも天生峠(あまふたうげ)は蒼空(あをぞら)に雨(あめ)が降(ふ)るといふ人(ひと)の話(はなし)にも神代(じんだい)から杣(そま)が手(て)を入(い)れぬ森(もり)があると聞(き)いたのに、今(いま)までは余(あま)り樹(き)がなさ過(す)ぎた。
 今度(こんど)は蛇(へび)のかはりに蟹(かに)が歩(ある)きさうで草鞋(わらぢ)が冷(ひ)えた。暫(しばら)くすると暗(くら)くなつた、杉(すぎ)、松(まつ)、榎(えのき)と処々(ところ/″\)見分(みわ)けが出来(でき)るばかりに遠(とほ)い処(ところ)から幽(かすか)に日(ひ)の光(ひかり)の射(さ)すあたりでは、土(つち)の色(いろ)が皆(みな)黒(くろ)い。中(なか)には光線(くわうせん)が森(もり)を射通(いとほ)す工合(ぐあひ)であらう、青(あを)だの、赤(あか)だの、ひだが入(い)つて美(うつく)しい処(ところ)があつた。
 時々(とき/″\)爪尖(つまさき)に絡(から)まるのは葉(は)の雫(しづく)の落溜(おちたま)つた糸(いと)のやうな流(ながれ)で、これは枝(えだ)を打(う)つて高(たか)い処(ところ)を走(はし)るので。ともすると又(また)常盤木(ときはぎ)が落葉(おちば)する、何(なん)の樹(き)とも知(し)れずばら/″\と鳴(な)り、かさかさと音(おと)がしてぱつと檜笠(ひのきがさ)にかゝることもある、或(あるひ)は行過(ゆきす)ぎた背後(うしろ)へこぼれるのもある、其等(それら)は枝(えだ)から枝(えだ)に溜(たま)つて居(ゐ)て何十年(なんじうねん)ぶりではじめて地(つち)の上(うへ)まで落(おち)るのか分(わか)らぬ。」

         第八

「心細(こゝろぼそ)さは申(もを)すまでもなかつたが、卑怯(ひけふ)な様(やう)でも修業(しゆげふ)の積(つ)まぬ身(み)には、恁云(かうい)ふ暗(くら)い処(ところ)の方(はう)が却(かへ)つて観念(くわんねん)に便(たより)が宜(よ)い。何(なに)しろ体(からだ)が凌(しの)ぎよくなつたゝめに足(あし)の弱(よわり)も忘(わす)れたので、道(みち)も大(おほ)きに捗取(はかど)つて、先(ま)づこれで七分(ぶ)は森(もり)の中(なか)を越(こ)したらうと思(おも)ふ処(ところ)で、五六尺(しやく)天窓(あたま)の上(うへ)らしかつた樹(き)の枝(えだ)から、ぼたりと笠(かさ)の上(うへ)へ落(お)ち留(と)まつたものがある。
 鉛(なまり)の重(おもり)かとおもふ心持(こゝろもち)、何(なに)か木(き)の実(み)でゞもあるか知(し)らんと、二三度(ど)振(ふつ)て見(み)たが附着(くツつ)いて居(ゐ)て其(その)まゝには取(と)れないから、何心(なにごゝろ)なく手(て)をやつて掴(つか)むと、滑(なめ)らかに冷(ひや)りと来(き)た。
 見(み)ると海鼠(なまこ)を裂(さい)たやうな目(め)も口(くち)もない者(もの)ぢやが、動物(どうぶつ)には違(ちが)ひない。不気味(ぶきみ)で投出(なげだ)さうとするとずる/″\と辷(すべ)つて指(ゆび)の尖(さき)へ吸(すひ)ついてぶらりと下(さが)つた其(そ)の放(はな)れた指(ゆび)の尖(さき)から真赤(まつか)な美(うつく)しい血(ち)が垂々(たら/\)と出(で)たから、吃驚(びツくり)して目(め)の下(した)へ指(ゆび)をつけてじつと見(み)ると、今(いま)折曲(をりま)げた肱(ひぢ)の処(ところ)へつるりと垂懸(たれかゝ)つて居(ゐ)るのは同(おなじ)形(かたち)をした、巾(はゞ)が五分(ぶ)、丈(たけ)が三寸(ずん)ばかりの山海鼠(やまなまこ)。
 呆気(あつけ)に取(とら)れて見(み)る/\内(うち)に、下(した)の方(はう)から縮(ちゞ)みながら、ぶくぶくと太(ふと)つて行(ゆ)くのは生血(いきち)をしたゝかに吸込(すひこ)む所為(せゐ)で、濁(にご)つた黒(くろ)い滑(なめ)らかな肌(はだ)に茶褐色(ちやかツしよく)の縞(しま)をもつた、痣胡瓜(いぼきうり)のやうな血(ち)を取(と)る動物(どうぶつ)、此奴(こいつ)は蛭(ひる)ぢやよ。
 誰(た)が目(め)にも見違(みちが)へるわけのものではないが図抜(づぬけ)て余(あま)り大(おほき)いから一寸(ちよツと)は気(き)がつかぬであつた、何(なん)の畠(はたけ)でも、甚麼(どんな)履歴(りれき)のある沼(ぬま)でも、此位(このくらゐ)な蛭(ひる)はあらうとは思(おも)はれぬ。
 肱(ひぢ)をばさりと振(ふつ)たけれども、よく喰込(くひこ)んだと見(み)えてなかなか放(はな)れさうにしないから不気味(ぶきみ)ながら手(て)で抓(つま)んで引切(ひツき)ると、ぶつりといつてやう/\取(と)れる暫時(しばらく)も耐(たま)つたものではない、突然(とつぜん)取(と)つて大地(だいぢ)へ叩(たゝ)きつけると、これほどの奴等(やつら)が何万(なんまん)となく巣(す)をくつて我(わが)ものにして居(ゐ)やうといふ処(ところ)、予(かね)て其(そ)の用意(ようい)はして居(ゐ)ると思(おも)はれるばかり、日(ひ)のあたらぬ森(もり)の中(なか)の土(つち)は柔(やはらか)い、潰(つぶ)れさうにもないのぢや。
 と最早(もは)や頷(えり)のあたりがむづ/\して来(き)た、平手(ひらて)で扱(こい)て見(み)ると横撫(よこなで)に蛭(ひる)の背(せな)をぬる/\とすべるといふ、やあ、乳(ちゝ)の下(した)へ潜(ひそ)んで帯(おび)の間(あひだ)にも一疋(ぴき)、蒼(あを)くなつてそツと見(み)ると肩(かた)の上(うへ)にも一筋(すぢ)。
 思(おも)はず飛上(とびあが)つて総身(そうしん)を震(ふる)ひながら此(こ)の大枝(おほえだ)の下(した)を一散(さん)にかけぬけて、走(はし)りながら先(まづ)心覚(こゝろおぼえ)の奴(やつ)だけは夢中(むちう)でもぎ取(と)つた。
 何(なに)にしても恐(おそろ)しい今(いま)の枝(えだ)には蛭(ひる)が生(な)つて居(ゐ)るのであらうと余(あまり)の事(こと)に思(おも)つて振返(ふりかへ)ると、見返(みかへ)つた樹(き)の何(なん)の枝(えだ)か知(し)らず矢張(やツぱり)幾(いく)ツといふこともない蛭(ひる)の皮(かは)ぢや。
 これはと思(おも)ふ、右(みぎ)も、左(ひだり)も前(まへ)の枝(えだ)も、何(なん)の事(こと)はないまるで充満(いツぱい)。
 私(わし)は思(おも)はず恐怖(きようふ)の声(こゑ)を立(た)てゝ叫(さけ)んだすると何(なん)と? 此時(このとき)は目(め)に見(み)えて、上(うへ)からぼたり/\と真黒(まツくろ)な瘠(や)せた筋(すぢ)の入(はい)つた雨(あめ)が体(からだ)へ降(ふり)かゝつて来(き)たではないか。
 草鞋(わらじ)を穿(は)いた足(あし)の甲(かふ)へも落(おち)た上(うへ)へ又(また)累(かさな)り、並(なら)んだ傍(わき)へ又(また)附着(くツつ)いて爪先(つまさき)も分(わか)らなくなつた、然(さ)うして活(い)きてると思(おも)ふだけ脈(みやく)を打(う)つて血(ち)を吸(す)ふやうな。思(おも)ひなしか一ツ一ツ伸縮(のびちゞみ)をするやうなのを見(み)るから気(き)が遠(とほ)くなって、其時(そのとき)不思議(ふしぎ)な考(かんがへ)が起(お)きた。
 此(こ)の恐(おそろし)い山蛭(やまびる)は神代(かみよ)の古(いにしへ)から此処(こゝ)に屯(たむろ)をして居(ゐ)て人(ひと)の来(く)るのを待(ま)ちつけて、永(なが)い久(ひさ)しい間(あひだ)に何(ど)の位(くらゐ)何斛(なんごく)かの血(ち)を吸(す)ふと、其処(そこ)でこの虫(むし)の望(のぞみ)が叶(かな)ふ其(そ)の時(とき)はありつたけの蛭(ひる)が不残(のこらず)吸(す)つたゞけの人間(にんげん)の血(ち)を吐出(はきだ)すと、其(それ)がために土(つち)がとけて山(やま)一ツ一面(めん)に血(ち)と泥(どろ)との大沼(おほぬま)にかはるであらう、其(それ)と同時(どうじ)に此処(こゝ)に日(ひ)の光(ひかり)を遮(さへぎ)つて昼(ひる)もなほ暗(くら)い大木(たいぼく)が切々(きれ/″\)に一ツ一ツ蛭(ひる)になつて了(しま)うのに相違(さうゐ)ないと、いや、全(まツた)くの事(こと)で。」

         第九

「凡(およ)そ人間(にんげん)が滅(ほろ)びるのは、地球(ちきう)の薄皮(うすかは)が破(やぶ)れて空(そら)から火(ひ)が降(ふ)るのでもなければ、大海(だいかい)が押被(おツかぶ)さるのでもない飛騨国(ひだのくに)の樹林(きはやし)が蛭(ひる)になるのが最初(さいしよ)で、しまいには皆(みんな)血(ち)と泥(どろ)の中(なか)に筋(すぢ)の黒(くろ)い虫(むし)が泳(およ)ぐ、其(それ)が代(だい)がはりの世界(せかい)であらうと、ぼんやり。
 なるほど此(こ)の森(もり)も入口(いりくち)では何(なん)の事(こと)もなかつたのに、中(なか)へ来(く)ると此通(このとほ)り、もつと奥深(おくふか)く進(すゝ)んだら早(は)や不残(のこらず)立樹(たちき)の根(ね)の方(はう)から朽(く)ちて山蛭(やまびる)になつて居(ゐ)やう、助(たす)かるまい、此処(こゝ)で取殺(とりころ)される因縁(いんねん)らしい、取留(とりと)めのない考(かんがへ)が浮(うか)んだのも人(ひと)が知死期(ちしご)に近(ちかづ)いたからだと弗(ふ)と気(き)が着(つ)いた。
 何(ど)の道(みち)死(し)ぬるものなら一足(あし)でも前(まへ)へ進(すゝ)んで、世間(せけん)の者(もの)が夢(ゆめ)にも知(し)らぬ血(ち)と泥(どろ)の大沼(おほぬま)の片端(かたはし)でも見(み)て置(お)かうと、然(さ)う覚悟(かくご)が極(きはま)つては気味(きみ)の悪(わる)いも何(なに)もあつたものぢやない、体中(からだぢう)珠数生(じゆずなり)になつたのを手当次第(てあたりしだい)に掻(か)い除(の)け毟(むし)り棄(す)て、抜(ぬ)き取(と)りなどして、手(て)を挙(あ)げ足(あし)を踏(ふ)んで、宛(まる)で躍(をど)り狂(くる)ふ形(かたち)で歩行(あるき)出(だ)した。
 はじめの内(うち)は一廻(まはり)も太(ふと)つたやうに思(おも)はれて痒(かゆ)さが耐(たま)らなかつたが、しまひにはげつそり痩(や)せたと、感(かん)じられてづきづき痛(いた)んでならぬ、其上(そのうへ)を用捨(ようしや)なく歩行(ある)く内(うち)にも入交(いりまじ)りに襲(おそ)ひをつた。
 既(すで)に目(め)も眩(くら)んで倒(たふ)れさうになると、禍(わざわひ)は此辺(このへん)が絶頂(ぜつちやう)であつたと見(み)えて、隧道(トンネル)を抜(ぬ)けたやうに遥(はるか)に一輪(りん)のかすれた月(つき)を拝(おが)んだのは蛭(ひる)の林(はやし)の出口(でくち)なので。
 いや蒼空(あをそら)の下(した)へ出(で)た時(とき)には、何(なん)のことも忘(わす)れて、砕(くだ)けろ、微塵(みぢん)になれと横(よこ)なぐりに体(からだ)を山路(やまぢ)へ打倒(うちたふ)した。それでからもう砂利(じやり)でも針(はり)でもあれと地(つち)へこすりつけて、十(とう)余(あま)りも蛭(ひる)の死骸(しがい)を引(ひツ)くりかへした上(うへ)から、五六間(けん)向(むか)ふへ飛(と)んで身顫(みぶるひ)をして突立(つツた)つた。
 人(ひと)を馬鹿(ばか)にして居(ゐ)るではありませんか。あたりの山(やま)では処々(ところ/″\)茅蜩殿(ひぐらしどの)、血(ち)と泥(どろ)の大沼(おほぬま)にならうといふ森(もり)を控(ひか)へて鳴(な)いて居(ゐ)る、日(ひ)は斜(なゝめ)、谷底(たにそこ)はもう暗(くら)い。
 先(ま)づこれならば狼(おほかみ)の餌食(えじき)になつても其(それ)は一思(おもひ)に死(し)なれるからと、路(みち)は丁度(ちやうど)だら/″\下(おり)なり、小僧(こぞう)さん、調子(てうし)はづれに竹(たけ)の杖(つゑ)を肩(かた)にかついで、すたこら遁(に)げたわ。
 これで蛭(ひる)に悩(なや)まされて痛(いた)いのか、痒(かゆ)いのか、それとも擽(くすぐ)つたいのか得(え)もいはれぬ苦(くる)しみさへなかつたら、嬉(うれ)しさに独(ひと)り飛騨山越(ひだやまごえ)の間道(かんだう)で、御経(おきやう)に節(ふし)をつけて外道踊(げだうをどり)をやつたであらう一寸(ちよツと)清心丹(せいしんたん)でも噛砕(かみくだ)いて疵口(きずぐち)へつけたら何(ど)うだと、大分(だいぶ)世(よ)の中(なか)の事(こと)に気(き)がついて来(き)たわ。捻(つね)つても確(たしか)に活返(いきかへ)つたのぢやが、夫(それ)にしても富山(とやま)の薬売(くすりうり)は何(ど)うしたらう、那(あ)の様子(やうす)では疾(とう)に血(ち)になつて泥沼(どろぬま)に。皮(かは)ばかりの死骸(しがい)は森(もり)の中(なか)の暗(くら)い処(ところ)、おまけに意地(いぢ)の汚(きたな)い下司(げす)な動物(どうぶつ)が骨(ほね)までしやぶらうと何百(なんびやく)といふ数(すう)でのしかゝつて居(ゐ)た日(ひ)には、酢(す)をぶちまけても分(わか)る気遣(きづかひ)はあるまい。
 恁(か)う思(おも)つて居(ゐ)る間(あひだ)、件(くだん)のだら/″\坂(ざか)は大分(だいぶ)長(なが)かつた。
 其(それ)を下(お)り切(き)ると流(ながれ)が聞(きこ)えて、飛(とん)だ処(ところ)に長(なが)さ一間(けん)ばかりの土橋(どばし)がかゝつて居(ゐ)る。
 はや其(そ)の谷川(たにかは)の音(おと)を聞(き)くと我身(わがみ)で持余(もてあま)す蛭(ひる)の吸殻(すひがら)を真逆(まツさかさま)に投込(なげこ)んで、水(みづ)に浸(ひた)したら嘸(さぞ)可(いゝ)心地(こゝち)であらうと思ふ位(くらゐ)、何(なん)の渡(わた)りかけて壊(こは)れたら夫(それ)なりけり。
 危(あぶな)いとも思(おも)はずにずつと懸(かゝ)る、少(すこ)しぐら/″\としたが難(なん)なく越(こ)した。向(むか)ふから又(また)坂(さか)ぢや、今度(こんど)は上(のぼ)りさ、御苦労(ごくらう)千万(せんばん)。」

         第十


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