城崎を憶ふ
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著者名:泉鏡花 

 雨(あめ)が、さつと降出(ふりだ)した、停車場(ていしやば)へ着(つ)いた時(とき)で――天象(せつ)は卯(う)の花(はな)くだしである。敢(あへ)て字義(じぎ)に拘泥(こうでい)する次第(しだい)ではないが、雨(あめ)は其(そ)の花(はな)を亂(みだ)したやうに、夕暮(ゆふぐれ)に白(しろ)かつた。やゝ大粒(おほつぶ)に見(み)えるのを、もし掌(たなごころ)にうけたら、冷(つめた)く、そして、ぼつと暖(あたゝか)に消(き)えたであらう。空(そら)は暗(くら)く、風(かぜ)も冷(つめ)たかつたが、温泉(ゆ)の町(まち)の但馬(たじま)の五月(ごぐわつ)は、爽(さわやか)であつた。
 俥(くるま)は幌(ほろ)を深(ふか)くしたが、雨(あめ)を灌(そゝ)いで、鬱陶(うつたう)しくはない。兩側(りやうがは)が高(たか)い屋並(やなみ)に成(な)つたと思(おも)ふと、立迎(たちむか)ふる山(やま)の影(かげ)が濃(こ)い緑(みどり)を籠(こ)めて、輻(や)とともに動(うご)いて行(ゆ)く。まだ暮果(くれは)てず明(あかる)いのに、濡(ぬ)れつゝ、ちらちらと灯(ひとも)れた電燈(でんとう)は、燕(つばめ)を魚(さかな)のやうに流(なが)して、靜(しづか)な谿川(たにがは)に添(そ)つた。流(ながれ)は細(ほそ)い。横(よこ)に二(ふた)つ三(み)つ、續(つゞ)いて木造(もくざう)の橋(はし)が濡色(ぬれいろ)に光(ひか)つた、此(これ)が旅行案内(りよかうあんない)で知(し)つた圓山川(まるやまがは)に灌(そゝ)ぐのである。
 此(こ)の景色(けしき)の中(なか)を、しばらくして、門(もん)の柳(やなぎ)を潛(くゞ)り、帳場(ちやうば)の入(い)らつしやい――を横(よこ)に聞(き)いて、深(ふか)い中庭(なかには)の青葉(あをば)を潛(くゞ)つて、別(べつ)にはなれに構(かま)へた奧玄關(おくげんくわん)に俥(くるま)が着(つ)いた。旅館(りよくわん)の名(な)の合羽屋(かつぱや)もおもしろい。
 へい、ようこそお越(こ)しで。挨拶(あいさつ)とともに番頭(ばんとう)がズイと掌(てのひら)で押出(おしだ)して、扨(さ)て默(だま)つて顏色(かほいろ)を窺(うかゞ)つた、盆(ぼん)の上(うへ)には、湯札(ゆふだ)と、手拭(てぬぐひ)が乘(の)つて、上(うへ)に請求書(せいきうしよ)、むかし「かの」と云(い)つたと聞(き)くが如(ごと)き形式(けいしき)のものが飜然(ひらり)とある。おや/\前勘(まへかん)か。否(いな)、然(さ)うでない。……特(とく)、一(いち)、二(に)、三等(さんとう)の相場(さうば)づけである。温泉(をんせん)の雨(あめ)を掌(たなごころ)に握(にぎ)つて、我(わ)がものにした豪儀(ごうぎ)な客(きやく)も、ギヨツとして、此(こ)れは悄氣(しよげ)る……筈(はず)の處(ところ)を……又(また)然(さ)うでない。實(じつ)は一昨年(いつさくねん)の出雲路(いづもぢ)の旅(たび)には、仔細(しさい)あつて大阪朝日新聞(おほさかあさひしんぶん)學藝部(がくげいぶ)の春山氏(はるやまし)が大屋臺(おほやたい)で後見(こうけん)について居(ゐ)た。此方(こつち)も默(だま)つて、特等(とくとう)、とあるのをポンと指(ゆび)のさきで押(お)すと、番頭(ばんとう)が四五尺(しごしやく)する/\と下(さが)つた。(百兩(ひやくりやう)をほどけば人(ひと)をしさらせる)古川柳(こせんりう)に對(たい)して些(ち)と恥(はづ)かしいが(特等(とくとう)といへば番頭(ばんとう)座(ざ)をしさり。)は如何(いかん)? 串戲(じようだん)ぢやあない。が、事實(じじつ)である。
 棟近(むねちか)き山(やま)の端(は)かけて、一陣(いちぢん)風(かぜ)が渡(わた)つて、まだ幽(かすか)に影(かげ)の殘(のこ)つた裏櫺子(うられんじ)の竹(たけ)がさら/\と立騷(たちさわ)ぎ、前庭(ぜんてい)の大樹(たいじゆ)の楓(かへで)の濃(こ)い緑(みどり)を壓(おさ)へて雲(くも)が黒(くろ)い。「風(かぜ)が出(で)ました、もう霽(あが)りませう。」「これはありがたい、お禮(れい)を言(い)ふよ。」「ほほほ。」ふつくり色白(いろじろ)で、帶(おび)をきちんとした島田髷(しまだまげ)の女中(ぢよちう)は、白地(しろぢ)の浴衣(ゆかた)の世話(せわ)をしながら笑(わら)つたが、何(なに)を祕(かく)さう、唯今(たゞいま)の雲行(くもゆき)に、雷鳴(らいめい)をともなひはしなからうかと、氣遣(きづか)つた處(ところ)だから、土地(とち)ツ子(こ)の天氣豫報(てんきよはう)の、風(かぜ)、晴(はれ)、に感謝(かんしや)の意(い)を表(へう)したのであつた。
 すぐ女中(ぢよちう)の案内(あんない)で、大(おほき)く宿(やど)の名(な)を記(しる)した番傘(ばんがさ)を、前後(あとさき)に揃(そろ)へて庭下駄(にはげた)で外湯(そとゆ)に行(ゆ)く。此(こ)の景勝(けいしよう)愉樂(ゆらく)の郷(きやう)にして、内湯(うちゆ)のないのを遺憾(ゐかん)とす、と云(い)ふ、贅澤(ぜいたく)なのもあるけれども、何(なに)、青天井(あをてんじやう)、いや、滴(したゝ)る青葉(あをば)の雫(しづく)の中(なか)なる廊下(らうか)續(つゞ)きだと思(おも)へば、渡(わた)つて通(とほ)る橋(はし)にも、川(かは)にも、細々(こま/″\)とからくりがなく洒張(さつぱ)りして一層(いつそう)好(い)い。本雨(ほんあめ)だ。第一(だいいち)、馴(な)れた家(いへ)の中(なか)を行(ゆ)くやうな、傘(かさ)さした女中(ぢよちう)の斜(なゝめ)な袖(そで)も、振事(ふりごと)のやうで姿(すがた)がいゝ。
 ――湯(ゆ)はきび/\と熱(あつ)かつた。立(た)つと首(くび)ツたけある。誰(たれ)の?……知(し)れた事(こと)拙者(せつしや)のである。處(ところ)で、此(こ)のくらゐ熱(あつ)い奴(やつ)を、と顏(かほ)をざぶ/\と冷水(れいすゐ)で洗(あら)ひながら腹(はら)の中(なか)で加減(かげん)して、やがて、湯(ゆ)を出(で)る、ともう雨(あめ)は霽(あが)つた。持(もち)おもりのする番傘(ばんがさ)に、片手腕(かたてうで)まくりがしたいほど、身(み)のほてりに夜風(よかぜ)の冷(つめた)い快(こゝろよ)さは、横町(よこちやう)の錢湯(せんたう)から我家(わがや)へ歸(かへ)る趣(おもむき)がある。但(たゞ)往交(ゆきか)ふ人々(ひと/″\)は、皆(みな)名所繪(めいしよゑ)の風情(ふぜい)があつて、中(なか)には塒(ねぐら)に立迷(たちまよ)ふ旅商人(たびあきうど)の状(さま)も見(み)えた。
 並(なら)んだ膳(ぜん)は、土地(とち)の由緒(ゆゐしよ)と、奧行(おくゆき)をもの語(がた)る。手(て)を突張(つツぱ)ると外(はづ)れさうな棚(たな)から飛出(とびだ)した道具(だうぐ)でない。藏(くら)から顯(あら)はれた器(うつは)らしい。御馳走(ごちそう)は――
鯛(たひ)の味噌汁(みそしる)。人參(にんじん)、じやが、青豆(あをまめ)、鳥(とり)の椀(わん)。鯛(たひ)の差味(さしみ)。胡瓜(きうり)と烏賊(いか)の酢(す)のもの。鳥(とり)の蒸燒(むしやき)。松蕈(まつたけ)と鯛(たひ)の土瓶蒸(どびんむし)。香(かう)のもの。青菜(あをな)の鹽漬(しほづけ)、菓子(くわし)、苺(いちご)。
 所謂(いはゆる)、貧僧(ひんそう)のかさね齋(どき)で、ついでに翌朝(よくてう)の分(ぶん)を記(しる)して置(お)く。
蜆(しゞみ)、白味噌汁(しろみそしる)。大蛤(おほはまぐり)、味醂蒸(みりんむし)。並(ならび)に茶碗蒸(ちやわんむし)。蕗(ふき)、椎茸(しひたけ)つけあはせ、蒲鉾(かまぼこ)、鉢(はち)。淺草海苔(あさくさのり)。
 大(おほき)な蛤(はまぐり)、十(と)ウばかり。(註(ちう)、ほんたうは三個(さんこ))として、蜆(しゞみ)も見事(みごと)だ、碗(わん)も皿(さら)もうまい/\、と慌(あわ)てて瀬戸(せと)ものを噛(かじ)つたやうに、覺(おぼ)えがきに記(しる)してある。覺(おぼ)え方(かた)はいけ粗雜(ぞんざい)だが、料理(れうり)はいづれも念入(ねんい)りで、分量(ぶんりやう)も鷹揚(おうやう)で、聊(いさゝか)もあたじけなくない處(ところ)が嬉(うれ)しい。
 三味線(さみせん)太鼓(たいこ)は、よその二階三階(にかいさんがい)の遠音(とほね)に聞(き)いて、私(わたし)は、ひつそりと按摩(あんま)と話(はな)した。此(こ)の按摩(あんま)どのは、團栗(どんぐり)の如(ごと)く尖(とが)つた頭(あたま)で、黒目金(くろめがね)を掛(か)けて、白(しろ)の筒袖(つゝそで)の上被(うはつぱり)で、革鞄(かはかばん)を提(さ)げて、そくに立(た)つて、「お療治(れうぢ)。」と顯(あら)はれた。――勝手(かつて)が違(ちが)つて、私(わたし)は一寸(ちよつと)不平(ふへい)だつた。が、按摩(あんま)は宜(よろ)しう、と縁側(えんがは)を這(は)つたのでない。此方(こちら)から呼(よ)んだので、術者(じゆつしや)は來診(らいしん)の氣組(きぐみ)だから苦情(くじやう)は言(い)へぬが驚(おどろ)いた。忽(たちま)ち、縣下(けんか)豐岡川(とよをかがは)の治水工事(ちすゐこうじ)、第一期(だいいつき)六百萬圓(ろつぴやくまんゑん)也(なり)、と胸(むね)を反(そ)らしたから、一(ひと)すくみに成(な)つて、内々(ない/\)期待(きたい)した狐狸(きつねたぬき)どころの沙汰(さた)でない。あの、潟(かた)とも湖(みづうみ)とも見(み)えた……寧(むし)ろ寂然(せきぜん)として沈(しづ)んだ色(いろ)は、大(おほい)なる古沼(ふるぬま)か、千年(ちとせ)百年(もゝとせ)ものいはぬ靜(しづ)かな淵(ふち)かと思(おも)はれた圓山川(まるやまがは)の川裾(かはすそ)には――河童(かつぱ)か、獺(かはうそ)は?……などと聞(き)かうものなら、はてね、然(さ)やうなものが鯨(くぢら)の餌(ゑさ)にありますか、と遣(や)りかねない勢(いきほひ)で。一(ひと)つ驚(おどろ)かされたのは、思(おも)ひのほか、魚(さかな)が結構(けつこう)だ、と云(い)つたのを嘲笑(あざわら)つて、つい津居山(つゐやま)の漁場(ぎよぢやう)には、鯛(たひ)も鱸(すゞき)もびち/\刎(は)ねて居(ゐ)ると、掌(てのひら)を肩(かた)で刎(は)ねた。よくせき土地(とち)が不漁(しけ)と成(な)れば、佐渡(さど)から新潟(にひがた)へ……と聞(き)いた時(とき)は、枕返(まくらがへ)し、と云(い)ふ妖怪(ばけもの)に逢(あ)つたも同然(どうぜん)、敷込(しきこ)んだ布團(ふとん)を取(と)つて、北(きた)から南(みなみ)へ引(ひつ)くりかへされたやうに吃驚(びつくり)した。旅(たび)で劍術(けんじゆつ)は出來(でき)なくても、學問(がくもん)があれば恁(か)うは駭(おどろ)くまい。だから學校(がくかう)を怠(なま)けては不可(いけな)い、從(したが)つて教(をそ)はつた事(こと)を忘(わす)れては不可(いけな)い、但馬(たじま)の圓山川(まるやまがは)の灌(そゝ)ぐのも、越後(ゑちご)の信濃川(しなのがは)の灌(そゝ)ぐのも、船(ふね)ではおなじ海(うみ)である。
 私(わたし)は佐渡(さど)と云(い)ふ所(ところ)は、上野(うへの)から碓氷(うすひ)を越(こ)えて、雪(ゆき)の柏原(かしはばら)、關山(せきやま)、直江津(なほえつ)まはりに新潟邊(にひがたへん)から、佐渡(さど)は四十五里(しじふごり)波(なみ)の上(うへ)、と見(み)るか、聞(き)きかするものだ、と浮(うつか)りして居(ゐ)た。七日前(なぬかぜん)に東京驛(とうきやうえき)から箱根越(はこねごし)の東海道(とうかいだう)。――分(わか)つた/\――逗留(とうりう)した大阪(おほさか)を、今日(けふ)午頃(ひるごろ)に立(た)つて、あゝ、祖母(おばあ)さんの懷(ふところ)で昔話(むかしばなし)に聞(き)いた、栗(くり)がもの言(い)ふ、たんばの國(くに)。故(わざ)と下(お)りて見(み)た篠山(さゝやま)の驛(えき)のプラツトホームを歩行(ある)くのさへ、重疊(ちようでふ)と連(つらな)る山(やま)を見(み)れば、熊(くま)の背(せ)に立(た)つ思(おもひ)がした。酒顛童子(しゆてんどうじ)の大江山(おほえやま)。百人一首(ひやくにんいつしゆ)のお孃(ぢやう)さんの、「いくのの道(みち)」もそれか、と辿(たど)つて、はる/″\と來(き)た城崎(きのさき)で、佐渡(さど)の沖(おき)へ船(ふね)が飛(と)んで、キラリと飛魚(とびうを)が刎出(はねだ)したから、きたなくも怯(おびや)かされたのである。――晩(ばん)もお總菜(さうざい)に鮭(さけ)を退治(たいぢ)た、北海道(ほくかいだう)の産(さん)である。茶(ちや)うけに岡山(をかやま)のきび團子(だんご)を食(た)べた處(ところ)で、咽喉(のど)に詰(つま)らせる法(はふ)はない。これしかしながら旅(たび)の心(こゝろ)であらう。――

 夜(よ)はやゝ更(ふ)けた。はなれの十疊(じふでふ)の奧座敷(おくざしき)は、圓山川(まるやまがは)の洲(す)の一處(ひとところ)を借(か)りたほど、森閑(しんかん)ともの寂(さび)しい。あの大川(おほかは)は、いく野(の)の銀山(ぎんざん)を源(みなもと)に、八千八谷(はつせんやたに)を練(ね)りに練(ね)つて流(なが)れるので、水(みづ)は類(たぐひ)なく柔(やはら)かに滑(なめらか)だ、と又(また)按摩(あんま)どのが今度(こんど)は聲(こゑ)を沈(しづ)めて話(はな)した。豐岡(とよをか)から來(く)る間(あひだ)、夕雲(ゆふぐも)の低迷(ていめい)して小浪(さゝなみ)に浮織(うきおり)の紋(もん)を敷(し)いた、漫々(まん/\)たる練絹(ねりぎぬ)に、汽車(きしや)の窓(まど)から手(て)をのばせば、蘆(あし)の葉越(はごし)に、觸(さは)ると搖(ゆ)れさうな思(おもひ)で通(とほ)つた。旅(たび)は樂(たのし)い、又(また)寂(さび)しい、としをらしく成(な)ると、何(なに)が、そんな事(こと)。……ぢきその飛石(とびいし)を渡(わた)つた小流(こながれ)から、お前(まへ)さん、苫船(とまぶね)、屋根船(やねぶね)に炬燵(こたつ)を入(い)れて、美(うつく)しいのと差向(さしむか)ひで、湯豆府(ゆどうふ)で飮(の)みながら、唄(うた)で漕(こ)いで、あの川裾(かはすそ)から、玄武洞(げんぶどう)、對居山(つゐやま)まで、雪見(ゆきみ)と云(い)ふ洒落(しやれ)さへあります、と言(い)ふ。項(うなじ)を立(た)てた苫(とま)も舷(ふなばた)も白銀(しろがね)に、珊瑚(さんご)の袖(そで)の搖(ゆ)るゝ時(とき)、船(ふね)はたゞ雪(ゆき)を被(かつ)いだ翡翠(ひすゐ)となつて、白(しろ)い湖(みづうみ)の上(うへ)を飛(と)ぶであらう。氷柱(つらゝ)の蘆(あし)も水晶(すゐしやう)に――
    金子(かね)の力(ちから)は素晴(すば)らしい。
    私(わたし)は獺(かはうそ)のやうに、ごろんと寢(ね)た。
    而(さう)して夢(ゆめ)に小式部(こしきぶ)を見(み)た。
    嘘(うそ)を吐(つ)け!
 ピイロロロピイ――これは夜(よ)が明(あ)けて、晴天(せいてん)に鳶(とび)の鳴(な)いた聲(こゑ)ではない。翌朝(よくてう)、一風呂(ひとふろ)キヤ/\と浴(あ)び、手拭(てぬぐひ)を絞(しぼ)つたまゝ、からりと晴(は)れた天氣(てんき)の好(よ)さに、川(かは)の岸(きし)を坦々(たん/\)とさかのぼつて、來日(くるひ)ヶ峰(みね)の方(かた)に旭(ひ)に向(むか)つて、晴々(はれ/″\)しく漫歩(ぶらつ)き出(だ)した。九時頃(くじごろ)だが、商店(しやうてん)は町(まち)の左右(さいう)に客(きやく)を待(ま)つのに、人通(ひとどほ)りは見掛(みか)けない。靜(しづか)な細(ほそ)い町(まち)を、四五間(しごけん)ほど前(まへ)へ立(た)つて、小兒(こども)かと思(おも)ふ小(ちひ)さな按摩(あんま)どのが一人(ひとり)、笛(ふえ)を吹(ふ)きながら後形(うしろむき)で行(ゆ)くのである。ピイロロロロピイーとしよんぼりと行(ゆ)く。トトトン、トトトン、と間(ま)を緩(ゆる)く、其處等(そこら)の藝妓屋(げいしやや)で、朝稽古(あさげいこ)の太鼓(たいこ)の音(おと)、ともに何(なん)となく翠(みどり)の滴(したゝ)る山(やま)に響(ひゞ)く。
 まだ羽織(はおり)も着(き)ない。手織縞(ておりじま)の茶(ちや)つぽい袷(あはせ)の袖(そで)に、鍵裂(かぎざき)が出來(でき)てぶら下(さが)つたのを、腕(うで)に捲(ま)くやうにして笛(ふえ)を握(にぎ)つて、片手(かたて)向(むか)うづきに杖(つゑ)を突張(つツぱ)つた、小倉(こくら)の櫂(かひ)の口(くち)が、ぐたりと下(さが)つて、裾(すそ)のよぢれ上(あが)つた痩脚(やせずね)に、ぺたんことも曲(ゆが)んだとも、大(おほ)きな下駄(げた)を引摺(ひきず)つて、前屈(まへかゞ)みに俯向(うつむ)いた、瓢箪(へうたん)を俯向(うつむき)に、突(つ)き出(で)た出額(おでこ)の尻(しり)すぼけ、情(なさけ)を知(し)らず故(ことさ)らに繪(ゑ)に描(か)いたやうなのが、ピイロロロピイと仰向(あふむ)いて吹(ふ)いて、すぐ、ぐつたりと又(また)俯向(うつむ)く。鍵(かぎ)なりに町(まち)を曲(まが)つて、水(みづ)の音(おと)のやゝ聞(き)こえる、流(ながれ)の早(はや)い橋(はし)を越(こ)すと、又(また)道(みち)が折(を)れた。突當(つきあた)りがもうすぐ山懷(やまふところ)に成(な)る。其處(そこ)の町屋(まちや)を、馬(うま)の沓形(くつがた)に一廻(ひとまは)りして、振返(ふりかへ)つた顏(かほ)を見(み)ると、額(ひたひ)に隱(かく)れて目(め)の窪(くぼ)んだ、頤(あご)のこけたのが、かれこれ四十ぐらゐな年(とし)であつた。
 うか/\と、あとを歩行(ある)いた方(はう)は勝手(かつて)だが、彼(かれ)は勝手(かつて)を超越(てうゑつ)した朝飯前(あさめしまへ)であらうも知(し)れない。笛(ふえ)の音(ね)が胸(むね)に響(ひゞ)く。
 私(わたし)は欄干(らんかん)に彳(たゝず)んで、返(かへ)りを行違(ゆきちが)はせて見送(みおく)つた。おなじやうに、或(あるひ)は傾(かたむ)き、また俯向(うつむ)き、さて笛(ふえ)を仰(あふ)いで吹(ふ)いた、が、やがて、來(き)た道(みち)を半(なか)ば、あとへ引返(ひきかへ)した處(ところ)で、更(あらた)めて乘(の)つかる如(ごと)く下駄(げた)を留(とゞ)めると、一方(いつぱう)、鎭守(ちんじゆ)の社(やしろ)の前(まへ)で、ついた杖(つゑ)を、丁(ちやう)と小脇(こわき)に引(ひき)そばめて上(あ)げつゝ、高々(たか/″\)と仰向(あふむ)いた、さみしい大(おほき)な頭(あたま)ばかり、屋根(やね)を覗(のぞ)く來日(くるひ)ヶ峰(みね)の一處(ひとところ)を黒(くろ)く抽(ぬ)いて、影法師(かげぼふし)を前(まへ)に落(おと)して、高(たか)らかに笛(ふえ)を鳴(な)らした。
 ――きよきよらツ、きよツ/\きよツ!
 八千八谷(はつせんやたに)を流(なが)るゝ、圓山川(まるやまがは)とともに、八千八聲(はつせんやこゑ)と稱(とな)ふる杜鵑(ほとゝぎす)は、ともに此地(このち)の名物(めいぶつ)である。それも昨夜(さくや)の按摩(あんま)が話(はな)した。其時(そのとき)、口(くち)で眞似(まね)たのが此(これ)である。例(れい)の(ほぞんかけたか)を此(こ)の邊(へん)では、(きよきよらツ、きよツ/\)と聞(き)くらしい。
 ひと聲(こゑ)、血(ち)に泣(な)く其(そ)の笛(ふえ)を吹(ふ)き落(おと)すと、按摩(あんま)は、とぼ/\と横路地(よころぢ)へ入(はひ)つて消(き)えた。
 續(つゞ)いて其處(そこ)を通(とほ)つたが、もう見(み)えない。
 私(わたし)は何故(なぜ)か、ぞつとした。
 太鼓(たいこ)の音(おと)の、のびやかなあたりを、早足(はやあし)に急(いそ)いで歸(かへ)るのに、途中(とちう)で橋(はし)を渡(わた)つて岸(きし)が違(ちが)つて、石垣(いしがき)つゞきの高塀(たかべい)について、打(ぶ)つかりさうに大(おほき)な黒(くろ)い門(もん)を見(み)た。立派(りつぱ)な門(もん)に不思議(ふしぎ)はないが、くゞり戸(ど)も煽(あふ)つたまゝ、扉(とびら)が夥多(おびたゞ)しく裂(さ)けて居(ゐ)る。覗(のぞ)くと、山(やま)の根(ね)を境(さかひ)にした廣々(ひろ/″\)とした庭(には)らしいのが、一面(いちめん)の雜草(ざつさう)で、遠(とほ)くに小(ちひ)さく、壞(こは)れた四阿(あづまや)らしいものの屋根(やね)が見(み)える。日(ひ)に水(みづ)の影(かげ)もさゝぬのに、其(そ)の四阿(あづまや)をさがりに、二三輪(にさんりん)、眞紫(まむらさき)の菖蒲(あやめ)が大(おほき)くぱつと咲(さ)いて、縋(すが)つたやうに、倒(たふ)れかゝつた竹(たけ)の棹(さを)も、池(いけ)に小船(こぶね)に棹(さをさ)したやうに面影(おもかげ)に立(た)つたのである。
 此(こ)の時(とき)の旅(たび)に、色彩(いろ)を刻(きざ)んで忘(わす)れないのは、武庫川(むこがは)を過(す)ぎた生瀬(なませ)の停車場(ていしやぢやう)近(ちか)く、向(むか)う上(あが)りの徑(こみち)に、じり/\と蕊(しん)に香(にほひ)を立(た)てて咲揃(さきそろ)つた眞晝(まひる)の芍藥(しやくやく)と、横雲(よこぐも)を眞黒(まつくろ)に、嶺(みね)が颯(さつ)と暗(くら)かつた、夜久野(やくの)の山(やま)の薄墨(うすずみ)の窓(まど)近(ちか)く、草(くさ)に咲(さ)いた姫薊(ひめあざみ)の紅(くれなゐ)と、――此(こ)の菖蒲(しやうぶ)の紫(むらさき)であつた。
 ながめて居(ゐ)る目(め)が、やがて心(こゝろ)まで、うつろに成(な)つて、あツと思(おも)ふ、つい目(め)さきに、又(また)うつくしいものを見(み)た。丁(ちやう)ど瞳(ひとみ)を離(はな)して、あとへ一歩(ひとあし)振向(ふりむ)いた處(ところ)が、川(かは)の瀬(せ)の曲角(まがりかど)で、やゝ高(たか)い向岸(むかうぎし)の、崖(がけ)の家(うち)の裏口(うらぐち)から、巖(いは)を削(けづ)れる状(さま)の石段(いしだん)五六段(ごろくだん)を下(お)りた汀(みぎは)に、洗濯(せんたく)ものをして居(ゐ)た娘(むすめ)が、恰(あたか)もほつれ毛(げ)を掻(か)くとて、すんなりと上(あ)げた眞白(まつしろ)な腕(うで)の空(そら)ざまなのが睫毛(まつげ)を掠(かす)めたのである。
 ぐらり、がたがたん。
「あぶない。」
「いや、これは。」
 すんでの處(ところ)。――落(お)つこちるのでも、身投(みなげ)でも、はつと抱(だ)きとめる救手(すくひて)は、何(なん)でも不意(ふい)に出(で)る方(はう)が人氣(にんき)が立(た)つ。すなはち同行(どうかう)の雪岱(せつたい)さんを、今(いま)まで祕(かく)しておいた所以(ゆゑん)である。
 私(わたし)は踏(ふ)んだ石(いし)の、崖(がけ)を崩(くづ)れかゝつたのを、且(か)つ視(み)て苦笑(くせう)した。餘(あま)りの不状(ぶざま)に、娘(むすめ)の方(はう)が、優(やさし)い顏(かほ)をぽつと目瞼(まぶた)に色(いろ)を染(そ)め、膝(ひざ)まで卷(ま)いて友禪(いうぜん)に、ふくら脛(はぎ)の雪(ゆき)を合(あ)はせて、紅絹(もみ)の影(かげ)を流(ながれ)に散(ち)らして立(た)つた。
 さるにても、按摩(あんま)の笛(ふえ)の杜鵑(ほとゝぎす)に、拔(ぬ)かしもすべき腰(こし)を、娘(むすめ)の色(いろ)に落(お)ちようとした。私(わたし)は羞(は)ぢ且(か)つ自(みづか)ら憤(いきどほ)つて酒(さけ)を煽(あふ)つた。――なほ志(こゝろざ)す出雲路(いづもぢ)を、其日(そのひ)は松江(まつえ)まで行(ゆ)くつもりの汽車(きしや)には、まだ時間(じかん)がある。私(わたし)は、もう一度(いちど)宿(やど)を出(で)た。
 すぐ前(まへ)なる橋(はし)の上(うへ)に、頬被(ほゝかぶり)した山家(やまが)の年増(としま)が、苞(つと)を開(ひら)いて、一人(ひとり)行(ゆ)く人(ひと)のあとを通(とほ)つた、私(わたし)を呼(よ)んで、手(て)を擧(あ)げて、「大(おほき)な自然薯(じねんじよ)買(か)うておくれなはらんかいなア。」……はおもしろい。朝(あさ)まだきは、旅館(りよくわん)の中庭(なかには)の其處(そこ)此處(こゝ)を、「大(おほ)きな夏蜜柑(なつみかん)買(か)はんせい。」……親仁(おやぢ)の呼聲(よびごゑ)を寢(ね)ながら聞(き)いた。働(はたら)く人(ひと)の賣聲(うりごゑ)を、打興(うちきよう)ずるは失禮(しつれい)だが、旅人(たびびと)の耳(みゝ)には唄(うた)である。
 漲(みなぎ)るばかり日(ひ)の光(ひかり)を吸(す)つて、然(しか)も輕(かる)い、川添(かはぞひ)の道(みち)を二町(にちやう)ばかりして、白(しろ)い橋(はし)の見(み)えたのが停車場(ていしやば)から突通(つきとほ)しの處(ところ)であつた。橋(はし)の詰(つめ)に、――丹後行(たんごゆき)、舞鶴行(まひづるゆき)――住(すみ)の江丸(えまる)、濱鶴丸(はまづるまる)と大看板(おほかんばん)を上(あ)げたのは舟宿(ふなやど)である。丹後行(たんごゆき)、舞鶴行(まひづるゆき)――立(た)つて見(み)たばかりでも、退屈(たいくつ)の餘(あま)りに新聞(しんぶん)の裏(うら)を返(かへ)して、バンクバー、シヤトル行(ゆき)を睨(にら)むが如(ごと)き、情(じやう)のない、他人(たにん)らしいものではない。――蘆(あし)の上(うへ)をちら/\と舞(ま)ふ陽炎(かげろふ)に、袖(そで)が鴎(かもめ)になりさうで、遙(はるか)に色(いろ)の名所(めいしよ)が偲(しの)ばれる。手輕(てがる)に川蒸汽(かはじようき)でも出(で)さうである。早(は)や、その蘆(あし)の中(なか)に並(なら)んで、十四五艘(じふしごさう)の網船(あみぶね)、田船(たぶね)が浮(う)いて居(ゐ)た。
 どれかが、黄金(わうごん)の魔法(まはふ)によつて、雪(ゆき)の大川(おほかは)の翡翠(ひすゐ)に成(な)るらしい。圓山川(まるやまがは)の面(おもて)は今(いま)、こゝに、其(そ)の、のんどりと和(なご)み軟(やはら)いだ唇(くちびる)を寄(よ)せて、蘆摺(あしず)れに汀(みぎは)が低(ひく)い。彳(たゝず)めば、暖(あたゝか)く水(みづ)に抱(いだ)かれた心地(こゝち)がして、藻(も)も、水草(みづくさ)もとろ/\と夢(ゆめ)が蕩(とろ)けさうに裾(すそ)に靡(なび)く。おゝ、澤山(たくさん)な金魚藻(きんぎよも)だ。同町内(どうちやうない)の瀧君(たきくん)に、ひと俵(たはら)贈(おく)らうかな、……水上(みなかみ)さんは大(おほき)な目(め)をして、二七(にしち)の縁日(えんにち)に金魚藻(きんぎよも)を探(さが)して行(ゆ)く。……
 私(わたし)は海(うみ)の空(そら)を見(み)た。輝(かゞや)く如(ごと)きは日本海(につぽんかい)の波(なみ)であらう。鞍掛山(くらかけやま)、太白山(たいはくざん)は、黛(いれずみ)を左右(さいう)に描(ゑが)いて、來日(くるひ)ヶ峰(みね)は翠(みどり)なす額髮(ひたひがみ)を近々(ちか/″\)と、面(おも)ほてりのするまで、じり/\と情熱(じやうねつ)の呼吸(いき)を通(かよ)はす。緩(ゆる)い流(ながれ)は浮草(うきぐさ)の帶(おび)を解(と)いた。私(わたし)の手(て)を觸(ふ)れなかつたのは、濡(ぬ)れるのを厭(いと)つたのでない、波(なみ)を恐(おそ)れたのでない。圓山川(まるやまがは)の膚(はだ)に觸(ふ)れるのを憚(はゞか)つたのであつた。
 城崎(きのさき)は――今(いま)も恁(かく)の如(ごと)く目(め)に泛(うか)ぶ。

 こゝに希有(けう)な事(こと)があつた。宿(やど)にかへりがけに、客(きやく)を乘(の)せた俥(くるま)を見(み)ると、二臺三臺(にだいさんだい)、俥夫(くるまや)が揃(そろ)つて手(て)に手(て)に鐵棒(かなぼう)を一條(ひとすぢ)づゝ提(さ)げて、片手(かたて)で楫(かぢ)を壓(お)すのであつた。――煙草(たばこ)を買(か)ひながら聞(き)くと、土地(とち)に數(かず)の多(おほ)い犬(いぬ)が、俥(くるま)に吠附(ほえつ)き戲(ざ)れかゝるのを追拂(おひはら)ふためださうである。駄菓子屋(だぐわしや)の縁臺(えんだい)にも、船宿(ふなやど)の軒下(のきした)にも、蒲燒屋(かばやきや)の土間(どま)にも成程(なるほど)居(ゐ)たが。――言(い)ふうちに、飛(とび)かゝつて、三疋四疋(さんびきしひき)、就中(なかんづく)先頭(せんとう)に立(た)つたのには、停車場(ていしやば)近(ぢか)く成(な)ると、五疋(ごひき)ばかり、前後(ぜんご)から飛(と)びかゝつた。叱(しつ)、叱(しつ)、叱(しつ)! 畜生(ちくしやう)、畜生(ちくしやう)、畜生(ちくしやう)。俥夫(くるまや)が鐵棒(かなぼう)を振舞(ふりまは)すのを、橋(はし)に立(た)つて見(み)たのである。
 其(そ)の犬(いぬ)どもの、耳(みゝ)には火(ひ)を立(た)て、牙(きば)には火(ひ)を齒(は)み、焔(ほのほ)を吹(ふ)き、黒煙(くろけむり)を尾(を)に倦(ま)いて、車(くるま)とも言(い)はず、人(ひと)とも言(い)はず、炎(ほのほ)に搦(から)んで、躍上(をどりあが)り、飛蒐(とびかゝ)り、狂立(くるひた)つて地獄(ぢごく)の形相(ぎやうさう)を顯(あらは)したであらう、と思(おも)はず身(み)の毛(け)を慄立(よだ)てたのは、昨(さく)、十四年(じふよねん)五月(ごぐわつ)二十三日(にじふさんにち)十一時(じふいちじ)十分(じつぷん)、城崎(きのさき)豐岡(とよをか)大地震(おほぢしん)大火(たいくわ)の號外(がうぐわい)を見(み)ると同時(どうじ)であつた。
 地方(ちはう)は風物(ふうぶつ)に變化(へんくわ)が少(すくな)い。わけて唯(たゞ)一年(いちねん)、もの凄(すご)いやうに思(おも)ふのは、月(つき)は同(おな)じ月(つき)、日(ひ)はたゞ前後(ぜんご)して、――谿川(たにがは)に倒(たふ)れかゝつたのも殆(ほとん)ど同(おな)じ時刻(じこく)である。娘(むすめ)も其處(そこ)に按摩(あんま)も彼處(かしこ)に――
 其(そ)の大地震(おほぢしん)を、あの時(とき)既(すで)に、不氣味(ぶきみ)に按摩(あんま)は豫覺(よかく)したるにあらざるか。然(しか)らば八千八聲(はつせんやこゑ)を泣(な)きつゝも、生命(せいめい)だけは助(たす)かつたらう。衣(きぬ)を洗(あら)ひし娘(むすめ)も、水(みづ)に肌(はだ)は焦(こが)すまい。
 當時(たうじ)寫眞(しやしん)を見(み)た――湯(ゆ)の都(みやこ)は、たゞ泥(どろ)と瓦(かはら)の丘(をか)となつて、なきがらの如(ごと)き山(やま)あるのみ。谿川(たにがは)の流(ながれ)は、大(おほ)むかでの爛(たゞ)れたやうに……其(そ)の寫眞(しやしん)も赤(あか)く濁(にご)る……砂煙(すなけむり)の曠野(くわうや)を這(は)つて居(ゐ)た。
 木(き)も草(くさ)も、あはれ、廢屋(はいをく)の跡(あと)の一輪(いちりん)の紫(むらさき)の菖蒲(あやめ)もあらば、それがどんなに、と思(おも)ふ。

 ――今(いま)は、柳(やなぎ)も芽(めぐ)んだであらう――城崎(きのさき)よ。
大正十五年四月



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