寸情風土記
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:泉鏡花 

 金澤(かなざは)の正月(しやうぐわつ)は、お買初(かひぞ)め、お買初(かひぞ)めの景氣(けいき)の好(い)い聲(こゑ)にてはじまる。初買(はつがひ)なり。二日(ふつか)の夜中(よなか)より出(いで)立(た)つ。元日(ぐわんじつ)は何(なん)の商賣(しやうばい)も皆(みな)休(やす)む。初買(はつがひ)の時(とき)、競(きそ)つて紅鯛(べにだひ)とて縁起(えんぎ)ものを買(か)ふ。笹(さゝ)の葉(は)に、大判(おほばん)、小判(こばん)、打出(うちで)の小槌(こづち)、寶珠(はうしゆ)など、就中(なかんづく)、緋(ひ)に染色(そめいろ)の大鯛(おほだひ)小鯛(こだひ)を結(ゆひ)付(つ)くるによつて名(な)あり。お酉樣(とりさま)の熊手(くまで)、初卯(はつう)の繭玉(まゆだま)の意氣(いき)なり。北國(ほくこく)ゆゑ正月(しやうぐわつ)はいつも雪(ゆき)なり。雪(ゆき)の中(なか)を此(こ)の紅鯛(べにだひ)綺麗(きれい)なり。此(こ)のお買初(かひぞ)めの、雪(ゆき)の眞夜中(まよなか)、うつくしき灯(ひ)に、新版(しんぱん)の繪草紙(ゑざうし)を母(はゝ)に買(か)つてもらひし嬉(うれ)しさ、忘(わす)れ難(がた)し。
 おなじく二日(ふつか)の夜(よ)、町(まち)の名(な)を言(い)ひて、初湯(はつゆ)を呼(よ)んで歩(ある)く風俗(ふうぞく)以前(いぜん)ありたり、今(いま)もあるべし。たとへば、本町(ほんちやう)の風呂屋(ふろや)ぢや、湯(ゆ)が沸(わ)いた、湯(ゆ)がわいた、と此(こ)のぐあひなり。これが半纏(はんてん)向(むか)うはち卷(まき)の威勢(ゐせい)の好(い)いのでなく、古合羽(ふるがつぱ)に足駄穿(あしだば)き懷手(ふところで)して、のそり/\と歩行(ある)きながら呼(よ)ぶゆゑをかし。金澤(かなざは)ばかりかと思(おも)ひしに、久須美佐渡守(くすみさどのかみ)の著(あらは)す、(浪華(なには)の風(かぜ))と云(い)ふものを讀(よ)めば、昔(むかし)、大阪(おほさか)に此(こ)のことあり――二日(ふつか)は曉(あけ)七(なゝ)つ時(どき)前(まえ)より市中(しちう)螺(ほら)など吹(ふ)いて、わいたわいたと大聲(おほごゑ)に呼(よ)びあるきて湯(ゆ)のわきたるをふれ知(し)らす、江戸(えど)には無(な)きことなり――とあり。
 氏神(うぢがみ)の祭禮(さいれい)は、四五月頃(しごぐわつごろ)と、九十月頃(くじふぐわつごろ)と、春秋(しゆんじう)二度(にど)づゝあり、小兒(こども)は大喜(おほよろこ)びなり。秋(あき)の祭(まつり)の方(はう)賑(にぎは)し。祇園囃子(ぎをんばやし)、獅子(しし)など出(い)づるは皆(みな)秋(あき)の祭(まつり)なり。子供(こども)たちは、手(て)に手(て)に太鼓(たいこ)の撥(ばち)を用意(ようい)して、社(やしろ)の境内(けいだい)に備(そな)へつけの大太鼓(おほだいこ)をたゝきに行(ゆ)き、また車(くるま)のつきたる黒塗(くろぬり)の臺(だい)にのせて此(こ)れを曳(ひ)きながら打(うち)囃(はや)して市中(しちう)を練(ね)りまはる。ドヾンガドン。こりや、と合(あひ)の手(て)に囃(はや)す。わつしよい/\と云(い)ふ處(ところ)なり。
 祭(まつり)の時(とき)のお小遣(こづかひ)を飴買錢(あめかひぜに)と云(い)ふ。飴(あめ)が立(た)てものにて、鍋(なべ)にて暖(あたゝ)めたるを、麻殼(あさがら)の軸(ぢく)にくるりと卷(ま)いて賣(う)る。飴(あめ)買(か)つて麻(あさ)やろか、と言(い)ふべろんの言葉(ことば)あり。饅頭(まんぢう)買(か)つて皮(かは)やろかなり。御祝儀(ごしうぎ)、心(こゝろ)づけなど、輕少(けいせう)の儀(ぎ)を、此(これ)は、ほんの飴買錢(あめかひぜに)。
 金澤(かなざは)にて錢(ぜに)百と云(い)ふは五厘(りん)なり、二百が一錢(せん)、十錢(せん)が二貫(くわん)なり。たゞし、一圓(ゑん)を二圓(ゑん)とは云(い)はず。
 蒲鉾(かまぼこ)の事(こと)をはべん、はべんをふかしと言(い)ふ。即(すなは)ち紅白(こうはく)のはべんなり。皆(みな)板(いた)についたまゝを半月(はんげつ)に揃(そろ)へて鉢肴(はちざかな)に裝(も)る。逢(あ)ひたさに用(よう)なき門(かど)を二度(にど)三度(さんど)、と言(い)ふ心意氣(こゝろいき)にて、ソツと白壁(しろかべ)、黒塀(くろべい)について通(とほ)るものを、「あいつ板附(いたつき)はべん」と言(い)ふ洒落(しやれ)あり、古(ふる)い洒落(しやれ)なるべし。
 お汁(つゆ)の實(み)の少(すく)ないのを、百間堀(ひやくけんぼり)に霰(あられ)と言(い)ふ。田螺(たにし)と思(おも)つたら目球(めだま)だと、同(おな)じ格(かく)なり。百間堀(ひやくけんぼり)は城(しろ)の堀(ほり)にて、意氣(いき)も不意氣(ぶいき)も、身投(みなげ)の多(おほ)き、晝(ひる)も淋(さび)しき所(ところ)なりしが、埋立(うめた)てたれば今(いま)はなし。電車(でんしや)が通(とほ)る。滿員(まんゐん)だらう。心中(しんぢう)したのがうるさかりなむ。
 春雨(はるさめ)のしめやかに、謎(なぞ)を一(ひと)つ。……何枚(なんまい)衣(き)ものを重(かさ)ねても、お役(やく)に立(た)つは膚(はだ)ばかり、何(なに)?……筍(たけのこ)。
 然(しか)るべき民謠集(みんえうしふ)の中(なか)に、金澤(かなざは)の童謠(どうえう)を記(しる)して(鳶(とんび)のおしろに鷹匠(たかじよ)が居(ゐ)る、あつち向(む)いて見(み)さい、こつち向(む)いて見(み)さい)としたるは可(よ)きが、おしろに註(ちう)して(お城(しろ))としたには吃驚(びつくり)なり。おしろは後(うしろ)のなまりと知(し)るべし。此(こ)の類(るゐ)あまたあり。茸狩(たけが)りの唄(うた)に、(松(まつ)みゝ、松(まつ)みゝ、親(おや)に孝行(かうかう)なもんに當(あた)れ。)此(こ)の松(まつ)みゝに又(また)註(ちう)して、松茸(まつたけ)とあり。飛(と)んだ間違(まちがひ)なり。金澤(かなざは)にて言(い)ふ松(まつ)みゝは初茸なり。此(こ)の茸(きのこ)は、松(まつ)美(うつく)しく草(くさ)淺(あさ)き所(ところ)にあれば子供(こども)にも獲(え)らるべし。(つくしん坊(ばう)めつかりこ)ぐらゐな子供(こども)に、何處(どこ)だつて松茸(まつたけ)は取(と)れはしない。一體(いつたい)童謠(どうえう)を收録(しうろく)するのに、なまりを正(たゞ)したり、當推量(あてずゐりやう)の註釋(ちうしやく)は大(だい)の禁物(きんもつ)なり。
 鬼(おに)ごつこの時(とき)、鬼(おに)ぎめの唄(うた)に、……(あてこに、こてこに、いけの縁(ふち)に茶碗(ちやわん)を置(お)いて、危(あぶな)いことぢやつた。)同(おな)じ民謠集(みんえうしふ)に、此(こ)のいけに(池(いけ))の字(じ)を當(あ)ててあり。あの土地(とち)にて言(い)ふいけは井戸(ゐど)なり。井戸(ゐど)のふちに茶碗(ちやわん)ゆゑ、けんのんなるべし。(かしや、かなざもの、しんたてまつる云々(うんぬん))これは北海道(ほくかいだう)の僻地(へきち)の俚謠(りえう)なり。其處(そこ)には、金澤(かなざは)の人(ひと)多人數(たにんずう)、移住(いぢう)したるゆゑ、故郷(こきやう)にて、(加州金澤の新堅町の云々(うんぬん))と云(い)ふのが、次第(しだい)になまりて(かしや、かなざものしんたてまつる。)知(し)るべし、民謠(みんえう)に註(ちう)の愈々(いよ/\)不可(ふか)なること。
 新堅町(しんたてまち)、犀川(さいがは)の岸(きし)にあり。こゝに珍(めづら)しき町(まち)の名(な)に、大衆免(だいじめ)、木(き)の新保(しんぽ)、柿(かき)の木(き)畠(ばたけ)、油車(あぶらぐるま)、目細(めぼその)小路(せうぢ)、四這坂(よつばひざか)。例(れい)の公園(こうゑん)に上(のぼ)る坂(さか)を尻垂坂(しりたれざか)は何(どう)した事(こと)? 母衣町(ほろまち)は、十二階邊(じふにかいへん)と言(い)ふ意味(いみ)に通(かよ)ひしが今(いま)は然(しか)らざる也(なり)。――六斗林(ろくとばやし)は筍(たけのこ)が名物(めいぶつ)。目黒(めぐろ)の秋刀魚(さんま)の儀(ぎ)にあらず、實際(じつさい)の筍(たけのこ)なり。百々女木町(どゞめきまち)も字(じ)に似(に)ず音(おん)強(つよ)し。
 買物(かひもの)にゆきて買(か)ふ方(はう)が、(こんね)で、店(みせ)の返事(へんじ)が(やあ/\。)歸(かへ)る時(とき)、買(か)つた方(はう)で、有(あり)がたう存(ぞん)じます、は君子(くんし)なり。――ほめるのかい――いゝえ。
 地震(ぢしん)めつたになし。しかし、其(そ)のぐら/\と來(く)る時(とき)は、家々(いへ/\)に老若(らうにやく)男女(なんによ)、聲(こゑ)を立(た)てて、世(よ)なほし、世(よ)なほし、世(よ)なほしと唱(とな)ふ。何(なん)とも陰氣(いんき)にて薄氣味(うすきみ)惡(わる)し。雷(かみなり)の時(とき)、雷(かみなり)山(やま)へ行(ゆ)け、地震(ぢしん)は海(うみ)へ行(ゆ)けと唱(とな)ふ、たゞし地震(ぢしん)の時(とき)には唱(とな)へず。
 火事(くわじ)をみて、火事(くわじ)のことを、あゝ火事(くわじ)が行(ゆ)く、火事(くわじ)が行(ゆ)く、と叫(さけ)ぶなり。彌次馬(やじうま)が駈(か)けながら、互(たがひ)に聲(こゑ)を合(あ)はせて、左(ひだり)、左(ひだり)、左(ひだり)、左(ひだり)。
 夏(なつ)のはじめに、よく蝦蟆賣(がまう)りの聲(こゑ)を聞(き)く。蝦蟆(がま)や、蝦蟆(がんま)い、と呼(よ)ぶ。又(また)此(こ)の蝦蟆賣(がまう)りに限(かぎ)りて、十二三、四五位(ぐらゐ)なのが、きまつて二人連(ふたりづ)れにて歩(ある)くなり。よつて怪(け)しからぬ二人連(ふたりづ)れを、畜生(ちくしやう)、蝦蟆賣(がまうり)め、と言(い)ふ。たゞし蝦蟆(がま)は赤蛙(あかがへる)なり。蝦蟆(がま)や、蝦蟆(がんま)い。――そのあとから山男(やまをとこ)のやうな小父(をぢ)さんが、柳(やなぎ)の蟲(むし)は要(い)らんかあ、柳(やなぎ)の蟲(むし)は要(い)らんかあ。
 鯖(さば)を、鯖(さば)や三番叟(さんばそう)、とすてきに威勢(ゐせい)よく賣(う)る、おや/\、初鰹(はつがつを)の勢(いきほひ)だよ。鰯(いわし)は五月(ごぐわつ)を季(しゆん)とす。さし網鰯(あみいわし)とて、砂(すな)のまゝ、笊(ざる)、盤臺(はんだい)にころがる。嘘(うそ)にあらず、鯖(さば)、鰡(ぼら)ほどの大(おほき)さなり。値(あたひ)安(やす)し。これを燒(や)いて二十食(く)つた、酢(す)にして十(とを)食(く)つたと云(い)ふ男(をとこ)だて澤山(たくさん)なり。次手(ついで)に、目刺(めざし)なし。大小(だいせう)いづれも串(くし)を用(もち)ゐず、乾(ほ)したるは干鰯(ひいわし)といふ。土地(とち)にて、いなだは生魚(なまうを)にあらず、鰤(ぶり)を開(ひら)きたる乾(ひ)ものなり。夏中(なつぢう)の好(いゝ)下物(さかな)、盆(ぼん)の贈答(ぞうたふ)に用(もち)ふる事(こと)、東京(とうきやう)に於(お)けるお歳暮(せいぼ)の鮭(さけ)の如(ごと)し。然(さ)ればその頃(ころ)は、町々(まち/\)、辻々(つじ/\)を、彼方(あつち)からも、いなだ一枚(まい)、此方(こつち)からも、いなだ一枚(まい)。
 灘(なだ)の銘酒(めいしゆ)、白鶴(はくつる)を、白鶴(はくかく)と讀(よ)み、いろ盛(ざかり)をいろ盛(もり)と讀(よ)む。娘盛(むすめざかり)も娘盛(むすめもり)だと、お孃(じやう)さんのお酌(しやく)にきこえる。
 南瓜(たうなす)を、かぼちやとも、勿論(もちろん)南瓜(たうなす)とも言(い)はず皆(みな)ぼぶら。眞桑(まくは)を、美濃瓜(みのうり)。奈良漬(ならづけ)にする淺瓜(あさうり)を、堅瓜(かたうり)、此(こ)の堅瓜(かたうり)味(あぢはひ)よし。
 蓑(みの)の外(ほか)に、ばんどりとて似(に)たものあり、蓑(みの)よりは此(こ)の方(はう)を多(おほ)く用(もち)ふ。磯(いそ)一峯(いつぽう)が、(こし地(ぢ)紀行(きかう))に安宅(あたか)の浦(うら)を一里(り)左(ひだり)に見(み)つゝ、と言(い)ふ處(ところ)にて、
(大國(おほくに)のしるしにや、道(みち)廣(ひろ)くして車(くるま)を並(なら)べつべし、周道(しうだう)如砥(とのごとし)とかや言(い)ひけん、毛詩(まうし)の言葉(ことば)まで思(おも)ひ出(い)でらる。並木(なみき)の松(まつ)嚴(きび)しく聯(つらな)りて、枝(えだ)をつらね蔭(かげ)を重(かさ)ねたり。往來(わうらい)の民(たみ)、長(なが)き草(くさ)にて蓑(みの)をねんごろに造(つく)りて目馴(めな)れぬ姿(すがた)なり。)
 と言(い)ひしはこれなるべし。あゝ又(また)雨(あめ)ぞやと云(い)ふ事(こと)を、又(また)ばんどりぞやと云(い)ふ習(なら)ひあり。
 祭禮(さいれい)の雨(あめ)を、ばんどり祭(まつり)と稱(とな)ふ。だんどりが違(ちが)つて子供(こども)は弱(よわ)る。
 關取(せきとり)、ばんどり、おねばとり、と拍子(ひやうし)にかゝつた言(ことば)あり。負(ま)けずまふは、大雨(おほあめ)にて、重湯(おもゆ)のやうに腰(こし)が立(た)たぬと云(い)ふ後言(しりうごと)なるべし。
 いつぞや、同國(どうこく)の人(ひと)の許(もと)にて、何(なに)かの話(はなし)の時(とき)、鉢前(はちまへ)のバケツにあり合(あは)せたる雜巾(ざふきん)をさして、其(そ)の人(ひと)、金澤(かなざは)で何(な)んと言(い)つたか覺(おぼ)えてゐるかと問(と)ふ。忘(わす)れたり。ぢぶきなり、其(そ)の人(ひと)、長火鉢(ながひばち)を、此(こ)れはと又(また)問(と)ふ。忘(わす)れたり。大和風呂(やまとぶろ)なり。さて醉(よつ)ぱらひの事(こと)を何(な)んと言(い)つたつけ。二人(ふたり)とも忘(わす)れて、沙汰(さた)なし/\。
 内證(ないしよ)の情婦(いろ)のことを、おきせんと言(い)ふ。たしか近松(ちかまつ)の心中(しんぢう)ものの何(なに)かに、おきせんとて此(こ)の言葉(ことば)ありたり。どの淨瑠璃(じやうるり)かしらべたけれど、おきせんも無(な)いのに面倒(めんだう)なり。
 眞夏(まなつ)、日盛(ひざか)りの炎天(えんてん)を、門天心太(もんてんこゝろぷと)と賣(う)る聲(こゑ)きはめてよし。靜(しづか)にして、あはれに、可懷(なつか)し。荷(に)も涼(すゞ)しく、松(まつ)の青葉(あをば)を天秤(てんびん)にかけて荷(にな)ふ。いゝ聲(こゑ)にて、長(なが)く引(ひ)いて靜(しづか)に呼(よ)び來(きた)る。もんてん、こゝろウぶとウ――
 續(つゞ)いて、荻(をぎ)、萩(はぎ)の上葉(うはは)をや渡(わた)るらんと思(おも)ふは、盂蘭盆(うらぼん)の切籠賣(きりこうり)の聲(こゑ)なり。青竹(あをだけ)の長棹(ながさを)にづらりと燈籠(とうろう)、切籠(きりこ)を結(むす)びつけたるを肩(かた)にかけ、二(ふた)ツ三(み)ツは手(て)に提(さ)げながら、細(ほそ)くとほるふしにて、切籠(きりこ)ゥ行燈切籠(あんどんきりこ)――と賣(う)る、町(まち)の遠(とほ)くよりきこゆるぞかし。
 氷々(こほり/\)、雪(ゆき)の氷(こほり)と、こも俵(だはら)に包(つゝ)みて賣(う)り歩(ある)くは雪(ゆき)をかこへるものなり。鋸(のこぎり)にてザク/\と切(き)つて寄越(よこ)す。日盛(ひざかり)に、町(まち)を呼(よ)びあるくは、女(をんな)や兒(こ)たちの小遣取(こづかひとり)なり。夜店(よみせ)のさかり場(ば)にては、屈竟(くつきやう)な若(わか)い者(もの)が、お祭騷(まつりさわ)ぎにて賣(う)る。土地(とち)の俳優(やくしや)の白粉(おしろい)の顏(かほ)にて出(で)た事(こと)あり。屋根(やね)より高(たか)い大行燈(おほあんどう)を立(た)て、白雪(しらゆき)の山(やま)を積(つ)み、臺(だい)の上(うへ)に立(た)つて、やあ、がばり/\がばり/\と喚(わめ)く。行燈(あんどう)にも、白山氷(はくさんこほり)がばり/\と遣(や)る。はじめ、がばり/\は雪(ゆき)の安賣(やすうり)に限(かぎ)りしなるが、次第(しだい)に何事(なにごと)にも用(もち)ゐられて、投賣(なげうり)、棄賣(すてう)り、見切賣(みきりう)りの場合(ばあひ)となると、瀬戸物屋(せとものや)、呉服店(ごふくみせ)、札(ふだ)をたてて、がばり/\。愚案(ぐあん)ずるに、がばりは雪(ゆき)を切(き)る音(おと)なるべし。
 水玉草(みづたまさう)を賣(う)る、涼(すゞ)し。
 夜店(よみせ)に、大道(だいだう)にて、鰌(どぢやう)を割(さ)き、串(くし)にさし、付燒(つけやき)にして賣(う)るを關東燒(くわんとうやき)とて行(おこな)はる。蒲燒(かばやき)の意味(いみ)なるべし。
 四萬六千日(しまんろくせんにち)は八月(はちぐわつ)なり。さしもの暑(あつ)さも、此(こ)の夜(よ)のころ、觀音(くわんのん)の山(やま)より涼(すゞ)しき風(かぜ)そよ/\と訪(おと)づるゝ、可懷(なつか)し。
 唐黍(たうもろこし)を燒(や)く香(にほひ)立(た)つ也(なり)。
 秋(あき)は茸(きのこ)こそ面白(おもしろ)けれ。松茸(まつたけ)、初茸(はつたけ)、木茸(きたけ)、岩茸(いはたけ)、占地(しめぢ)いろ/\、千本占地(せんぼんしめぢ)、小倉占地(をぐらしめぢ)、一本占地(いつぽんしめぢ)、榎茸(えのきだけ)、針茸(はりだけ)、舞茸(まひだけ)、毒(どく)ありとても紅茸(べにたけ)は紅(べに)に、黄茸(きだけ)は黄(き)に、白(しろ)に紫(むらさき)に、坊主茸(ばうずだけ)、饅頭茸(まんぢうだけ)、烏茸(からすだけ)、鳶茸(とんびだけ)、灰茸(はひだけ)など、本草(ほんざう)にも食鑑(しよくかん)にも御免(ごめん)蒙(かうむ)りたる恐(おそ)ろしき茸(きのこ)にも、一(ひと)つ一(ひと)つ名(な)をつけて、籠(かご)に裝(も)り、籠(こ)に狩(か)る。茸爺(きのこぢゞい)、茸媼(きのこばゞ)とも名(な)づくべき茸狩(きのこが)りの古狸(ふるだぬき)。町内(ちやうない)に一人(ひとり)位(ぐらゐ)づゝ必(かなら)ずあり。山入(やまいり)の先達(せんだつ)なり。
 芝茸(しばたけ)と稱(とな)へて、笠(かさ)薄樺(うすかば)に、裏白(うらじろ)なる、小(ちひ)さな茸(きのこ)の、山(やま)近(ちか)く谷(たに)淺(あさ)きあたりにも群生(ぐんせい)して、子供(こども)にも就中(なかんづく)これが容易(たやす)き獲(え)ものなるべし。毒(どく)なし。味(あぢ)もまた佳(よ)し。宇都宮(うつのみや)にてこの茸(きのこ)掃(は)くほどあり。誰(たれ)も食(しよく)する者(もの)なかりしが、金澤(かなざは)の人(ひと)の行(ゆ)きて、此(こ)れは結構(けつこう)と豆府(とうふ)の汁(つゆ)にしてつる/\と賞玩(しやうぐわん)してより、同地(どうち)にても盛(さかん)に取(と)り用(もち)ふるやうになりて、それまで名(な)の無(な)かりしを金澤茸(かなざはたけ)と稱(しよう)する由(よし)。實説(じつせつ)なり。
 茹栗(ゆでぐり)、燒栗(やきぐり)、可懷(なつか)し。酸漿(ほうづき)は然(さ)ることなれど、丹波栗(たんばぐり)と聞(き)けば、里(さと)遠(とほ)く、山(やま)遙(はるか)に、仙境(せんきやう)の土産(みやげ)の如(ごと)く幼心(をさなごころ)に思(おも)ひしが。
 松蟲(まつむし)や――すゞ蟲(むし)、と茣蓙(ござ)きて、菅笠(すげがさ)かむりたる男(をとこ)、籠(かご)を背(せ)に、大(おほき)な鳥(とり)の羽(はね)を手(て)にして山(やま)より出(い)づ。
 こつさいりんしんかとて柴(しば)をかつぎて、※(あね)[#非0213外字:「姉」の正字、第3水準1-85-57の木へんの代わりに女へん、501-11]さん被(かぶ)りにしたる村里(むらざと)の女房(にようばう)、娘(むすめ)の、朝(あさ)疾(と)く町(まち)に出(い)づる状(さま)は、京(きやう)の花賣(はなうり)の風情(ふぜい)なるべし。六(むつ)ツ七(なゝ)ツ茸(きのこ)を薄(すゝき)に拔(ぬ)きとめて、手(て)すさみに持(も)てるも風情(ふぜい)あり。
 渡鳥(わたりどり)、小雀(こがら)、山雀(やまがら)、四十雀(しじふから)、五十雀(ごじふから)、目白(めじろ)、菊(きく)いたゞき、あとりを多(おほ)く耳(みゝ)にす。椋鳥(むくどり)少(すくな)し。鶇(つぐみ)最(もつと)も多(おほ)し。
 じぶと云(い)ふ料理(れうり)あり。だししたぢに、慈姑(くわゐ)、生麩(なまぶ)、松露(しようろ)など取合(とりあ)はせ、魚鳥(ぎよてう)をうどんの粉(こ)にまぶして煮込(にこ)み、山葵(わさび)を吸口(すひくち)にしたるもの。近頃(ちかごろ)頻々(ひんぴん)として金澤(かなざは)に旅行(りよかう)する人々(ひと/″\)、皆(みな)その調味(てうみ)を賞(しやう)す。
 蕪(かぶら)の鮨(すし)とて、鰤(ぶり)の甘鹽(あまじほ)を、蕪(かぶ)に挾(はさ)み、麹(かうぢ)に漬(つ)けて壓(お)しならしたる、いろどりに、小鰕(こえび)を紅(あか)く散(ち)らしたるもの。此(こ)ればかりは、紅葉先生(こうえふせんせい)一方(ひとかた)ならず賞(ほ)めたまひき。たゞし、四時(しじ)常(つね)にあるにあらず、年(とし)の暮(くれ)に霰(あられ)に漬(つ)けて、早春(さうしゆん)の御馳走(ごちそう)なり。
 さて、つまみ菜(な)、ちがへ菜(な)、そろへ菜(な)、たばね菜(な)と、大根(だいこ)のうろ拔(ぬ)きの葉(は)、露(つゆ)も次第(しだい)に繁(しげ)きにつけて、朝寒(あさざむ)、夕寒(ゆふざむ)、やゝ寒(さむ)、肌寒(はだざむ)、夜寒(よさむ)となる。其(そ)のたばね菜(な)の頃(ころ)ともなれば、大根(だいこ)の根(ね)、葉(は)ともに霜白(しもしろ)し、其(そ)の味(あぢ)辛(から)し、然(しか)も潔(いさぎよ)し。
 北國(ほくこく)は天(てん)高(たか)くして馬(うま)痩(や)せたらずや。
 大根曳(だいこひ)きは、家々(いへ/\)の行事(ぎやうじ)なり。此(こ)れよりさき、軒(のき)につりて干(ほ)したる大根(だいこ)を臺所(だいどころ)に曳(ひ)きて澤庵(たくあん)に壓(お)すを言(い)ふ。今日(けふ)は誰(たれ)の家(いへ)の大根曳(だいこひ)きだよ、などと言(い)ふなり。軒(のき)に干(ほ)したる日(ひ)は、時雨(しぐれ)颯(さつ)と暗(くら)くかゝりしが、曳(ひ)く頃(ころ)は霙(みぞれ)、霰(あられ)とこそなれ。冷(つめ)たさ然(さ)こそ、東京(とうきやう)にて恰(あたか)もお葉洗(はあらひ)と言(い)ふ頃(ころ)なり。夜(よる)は風呂(ふろ)ふき、早(は)や炬燵(こたつ)こひしきまどゐに、夏(なつ)泳(およ)いだ河童(かつぱ)の、暗(くら)く化(ば)けて、豆府(とうふ)買(か)ふ沙汰(さた)がはじまる。
 小著(せうちよ)の中(うち)に、
其(そ)の雲(くも)が時雨(しぐ)れ/\て、終日(ひねもす)終夜(よもすがら)降(ふ)り續(つゞ)くこと二日(ふつか)三日(みつか)、山陰(やまかげ)に小(ちひ)さな青(あを)い月(つき)の影(かげ)を見(み)る曉方(あけがた)、ぱら/\と初霰(はつあられ)。さて世(よ)が變(かは)つた樣(やう)に晴(は)れ上(あが)つて、晝(ひる)になると、寒(さむ)さが身(み)に沁(し)みて、市中(しちう)五萬軒(ごまんげん)、後馳(おくれば)せの分(ぶん)も、やゝ冬構(ふゆがま)へなし果(は)つる。やがて、とことはの闇(やみ)となり、雲(くも)は墨(すみ)の上(うへ)に漆(うるし)を重(かさ)ね、月(つき)も星(ほし)も包(つゝ)み果(は)てて、時々(とき/″\)風(かぜ)が荒(あ)れ立(た)つても、其(そ)の一片(いつぺん)の動(うご)くとも見(み)えず。恁(かく)て天(てん)に雪催(ゆきもよひ)が調(とゝの)ふと、矢玉(やだま)の音(おと)たゆる時(とき)なく、丑(うし)、寅(とら)、辰(たつ)、巳(み)、刻々(こく/\)に修羅礫(しゆらつぶて)を打(うち)かけて、霰々(あられ/\)、又(また)玉霰(たまあられ)。
 としたるもの、拙(つたな)けれども殆(ほとん)ど實境(じつきやう)也(なり)。
 化(ば)かすのは狐(きつね)、化(ば)けるのは狸(たぬき)、貉(むじな)。狐(きつね)狸(たぬき)より貉(むじな)の化(ば)ける話(はなし)多(おほ)し。
 三冬(さんとう)を蟄(ちつ)すれば、天狗(てんぐ)恐(おそ)ろし。北海(ほくかい)の荒磯(あらいそ)、金石(かないは)、大野(おほの)の濱(はま)、轟々(ぐわう/\)と鳴(な)りとゞろく音(おと)、夜毎(よごと)襖(ふすま)に響(ひゞ)く。雪(ゆき)深(ふか)くふと寂寞(せきばく)たる時(とき)、不思議(ふしぎ)なる笛(ふえ)太鼓(たいこ)、鼓(つゞみ)の音(おと)あり、山颪(やまおろし)にのつてトトンヒユーときこゆるかとすれば、忽(たちま)ち颯(さつ)と遠(とほ)く成(な)る。天狗(てんぐ)のお囃子(はやし)と云(い)ふ。能樂(のうがく)の常(つね)に盛(さかん)なる國(くに)なればなるべし。本所(ほんじよ)の狸囃子(たぬきばやし)と、遠(とほ)き縁者(えんじや)と聞(き)く。
 豆(まめ)の餅(もち)、草餅(くさもち)、砂糖餅(さたうもち)、昆布(こんぶ)を切込(きりこ)みたるなど色々(いろ/\)の餅(もち)を搗(つ)き、一番(いちばん)あとの臼(うす)をトンと搗(つ)く時(とき)、千貫(せんぐわん)萬貫(まんぐわん)、萬々貫(まん/\ぐわん)、と哄(どつ)と喝采(はや)して、恁(かく)て市(いち)は榮(さか)ゆるなりけり。
 榧(かや)の實(み)、澁(しぶ)く侘(わび)し。子供(こども)のふだんには、大抵(たいてい)柑子(かうじ)なり。蜜柑(みかん)たつとし。輪切(わぎ)りにして鉢(はち)ものの料理(れうり)につけ合(あ)はせる。淺草海苔(あさくさのり)を一枚(まい)づゝ賣(う)る。
 上丸(じやうまる)、上々丸(じやう/\まる)など稱(とな)へて胡桃(くるみ)いつもあり。一寸(ちよつと)煎(い)つて、飴(あめ)にて煮(に)る、これは甘(うま)い。
 蓮根(はす)、蓮根(はす)とは言(い)はず、蓮根(れんこん)とばかり稱(とな)ふ、味(あぢ)よし、柔(やはら)かにして東京(とうきやう)の所謂(いはゆる)餅蓮根(もちばす)なり。郊外(かうぐわい)は南北(なんぼく)凡(およ)そ皆(みな)蓮池(はすいけ)にて、花(はな)開(ひら)く時(とき)、紅々(こう/\)白々(はく/\)。
 木槿(むくげ)、木槿(はちす)にても相(あひ)分(わか)らず、木槿(もくで)なり。山(やま)の芋(いも)と自然生(じねんじやう)を、分(わ)けて別々(べつ/\)に稱(とな)ふ。
 凧(たこ)、皆(みな)いかとのみ言(い)ふ。扇(あふぎ)の地紙形(ぢがみがた)に、兩方(りやうはう)に袂(たもと)をふくらましたる形(かたち)、大々(だい/\)小々(せう/\)いろ/\あり。いづれも金(きん)、銀(ぎん)、青(あを)、紺(こん)にて、圓(まる)く星(ほし)を飾(かざ)りたり。關東(くわんとう)の凧(たこ)はなきにあらず、名(な)づけて升凧(ますいか)と言(い)へり。
 地形(ちけい)の四角(しかく)なる所(ところ)、即(すなは)ち桝形(ますがた)なり。
 女(をんな)の子(こ)、どうかすると十六七の妙齡(めうれい)なるも、自分(じぶん)の事(こと)をタアと言(い)ふ。男(をとこ)の兒(こ)は、ワシは蓋(けだ)しつい通(とほ)りか。たゞし友達(ともだち)が呼(よ)び出(だ)すのに、ワシは居(ゐ)るか、と言(い)ふ。此(こ)の方(はう)はどつちもワシなり。
 お螻(けら)殿(どの)を、佛(ほとけ)さん蟲(むし)、馬追蟲(うまおひむし)を、鳴聲(なきごゑ)でスイチヨと呼(よ)ぶ。鹽買蜻蛉(しほがひとんぼ)、味噌買蜻蛉(みそがひとんぼ)、考證(かうしよう)に及(およ)ばず、色合(いろあひ)を以(もつ)て子供衆(こどもしう)は御存(ごぞん)じならん。おはぐろ蜻蛉(とんぼ)を、※(ねえ)[#非0213外字:「姉」の正字、第3水準1-85-57の木へんの代わりに女へん、504-14]さんとんぼ、草葉螟蟲(くさばかげろふ)は燈心(とうしん)とんぼ、目高(めだか)をカンタと言(い)ふ。
 螢(ほたる)、淺野川(あさのがは)の上流(じやうりう)を、小立野(こだつの)に上(のぼ)る、鶴間谷(つるまだに)と言(い)ふ所(ところ)、今(いま)は知(し)らず、凄(すご)いほど多(おほ)く、暗夜(あんや)には螢(ほたる)の中(なか)に人(ひと)の姿(すがた)を見(み)るばかりなりき。
 清水(しみづ)を清水(しやうづ)。――桂(かつら)清水(しやうづ)で手拭(てぬぐひ)ひろた、と唄(うた)ふ。山中(やまなか)の湯女(ゆな)の後朝(きぬ/″\)なまめかし。其(そ)の清水(しやうづ)まで客(きやく)を送(おく)りたるもののよし。
 二百十日(にひやくとをか)の落水(おとしみづ)に、鯉(こひ)、鮒(ふな)、鯰(なまづ)を掬(すく)はんとて、何處(どこ)の町内(ちやうない)も、若い衆(しう)は、田圃(たんぼ)々々(/\)へ總出(そうで)で騷(さわ)ぐ。子供(こども)たち、二百十日(にひやくとをか)と言(い)へば、鮒(ふな)、カンタをしやくふものと覺(おぼ)えたほどなり。
 謎(なぞ)また一(ひと)つ。六角堂(ろくかくだう)に小僧(こぞう)一人(ひとり)、お參(まゐ)りがあつて扉(と)が開(ひら)く、何(なに)?……酸漿(ほうづき)。
 味噌(みそ)の小買(こがひ)をするは、質(しち)をおくほど恥辱(ちじよく)だと言(い)ふ風俗(ふうぞく)なりし筈(はず)なり。豆府(とうふ)を切(き)つて半挺(はんちやう)、小半挺(こはんちやう)とて賣(う)る。菎蒻(こんにやく)は豆府屋(とうふや)につきものと知(し)り給(たま)ふべし。おなじ荷(に)の中(なか)に菎蒻(こんにやく)キツトあり。
 蕎麥(そば)、お汁粉(しるこ)等(など)、一寸(ちよつと)入(はひ)ると、一ぜんでは濟(す)まず。二ぜんは當前(あたりまへ)。だまつて食(た)べて居(ゐ)れば、あとから/\つきつけ裝(も)り出(だ)す習慣(しふくわん)あり。古風(こふう)淳朴(じゆんぼく)なり。たゞし二百が一錢(せん)と言(い)ふ勘定(かんぢやう)にはあらず、心(こゝろ)すべし。
 ふと思出(おもひだ)したれば、鄰國(りんごく)富山(とやま)にて、團扇(うちは)を賣(う)る珍(めづら)しき呼聲(よびごゑ)を、こゝに記(しる)す。
團扇(うちは)やア、大團扇(おほうちは)。
うちは、かつきツさん。
いつきツさん。團扇(うちは)やあ。
 もの知(し)りだね。
 ところで藝者(げいしや)は、娼妓(をやま)は?……をやま、尾山(をやま)と申(まを)すは、金澤(かなざは)の古稱(こしよう)にして、在方(ざいかた)鄰國(りんごく)の人達(ひとたち)は今(いま)も城下(じやうか)に出(い)づる事(こと)を、尾山(をやま)にゆくと申(まを)すことなり。何(なに)、その尾山(をやま)ぢやあない?……そんな事(こと)は、知(し)らない、知(し)らない。
大正九年七月



ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:26 KB

担当:undef