縁結び
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著者名:泉鏡花 

     一

 襖(ふすま)を開けて、旅館の女中が、
「旦那(だんな)、」
 と上調子(うわっちょうし)の尻上(しりあが)りに云(い)って、坐(すわ)りもやらず莞爾(にっこり)と笑いかける。
「用かい。」
 とこの八畳(じょう)で応じたのは三十ばかりの品のいい男で、紺(こん)の勝った糸織(いとおり)の大名縞(だいみょうじま)の袷(あわせ)に、浴衣(ゆかた)を襲(かさ)ねたは、今しがた湯から上ったので、それなりではちと薄(うす)ら寒し、着換(きか)えるも面倒(めんどう)なりで、乱箱(みだればこ)に畳(たた)んであった着物を無造作に引摺出(ひきずりだ)して、上着だけ引剥(ひっぱ)いで着込(きこ)んだ証拠(しょうこ)に、襦袢(じゅばん)も羽織も床(とこ)の間(ま)を辷(すべ)って、坐蒲団(すわりぶとん)の傍(わき)まで散々(ちりぢり)のしだらなさ。帯もぐるぐる巻き、胡坐(あぐら)で火鉢(ひばち)に頬杖(ほおづえ)して、当日の東雲御覧(しののめごらん)という、ちょっと変った題の、土地の新聞を読んでいた。
 その二の面の二段目から三段へかけて出ている、清川謙造氏(きよかわけんぞうし)講演、とあるのがこの人物である。
 たとい地方でも何でも、新聞は早朝に出る。その東雲御覧を、今やこれ午後二時。さるにても朝寝(あさね)のほど、昨日(きのう)のその講演会の帰途(かえり)のほども量(はか)られる。
「お客様でございますよう。」
 と女中は思入(おもいいれ)たっぷりの取次を、ちっとも先方気が着かずで、つい通りの返事をされたもどかしさに、声で威(おど)して甲走(かんばし)る。
 吃驚(びっくり)して、ひょいと顔を上げると、横合から硝子窓(がらすまど)へ照々(てらてら)と当る日が、片頬(かたほお)へかっと射したので、ぱちぱちと瞬(またた)いた。
「そんなに吃驚なさいませんでもようございます。」
 となおさら可笑(おかし)がる。
 謙造は一向真面目(まじめ)で、
「何という人だ。名札はあるかい。」
「いいえ、名札なんか用(い)りません。誰(だれ)も知らないもののない方でございます。ほほほ、」
「そりゃ知らないもののない人かも知れんがね、よそから来た私にゃ、名を聞かなくっちゃ分らんじゃないか、どなただよ。」
 と眉(まゆ)を顰(ひそ)める。
「そんな顔をなすったってようございます。ちっとも恐(こわ)くはありませんわ。今にすぐにニヤニヤとお笑いなさろうと思って。昨夜(ゆうべ)あんなに晩(おそ)うくお帰りなさいました癖(くせ)に、」
「いや、」
 と謙造は片頬(かたほ)を撫(な)でて、
「まあ、いいから。誰だというに、取次がお前、そんなに待たしておいちゃ失礼だろう。」
 ちと躾(たしな)めるように言うと、一層頬辺(ほっぺた)の色を濃(こ)くして、ますます気勢込(きおいこ)んで、
「何、あなた、ちっと待たして置きます方がかえっていいんでございますよ。昼間ッからあなた、何ですわ。」
 と厭(いや)な目つきでまたニヤリで、
「ほんとは夜来る方がいいんだのに。フン、フン、フン、」
 突然(いきなり)川柳(せんりゅう)で折紙(おりがみ)つきの、(あり)という鼻をひこつかせて、
「旦那、まあ、あら、まあ、あら良(い)い香(にお)い、何て香水(こうすい)を召(め)したんでございます。フン、」
 といい方が仰山(ぎょうさん)なのに、こっちもつい釣込(つりこ)まれて、
「どこにも香水なんぞありはしないよ。」
「じゃ、あの床の間の花かしら、」
 と一際(ひときわ)首を突込(つッこ)みながら、
「花といえば、あなたおあい遊ばすのでございましょうね、お通し申しましてもいいんですね。」
「串戯(じょうだん)じゃない。何という人だというに、」
「あれ、名なんぞどうでもよろしいじゃありませんか。お逢(あ)いなされば分るんですもの。」
「どんな人だよ、じれったい。」
「先方(さき)もじれったがっておりましょうよ。」
「婦人(おんな)か。」
 と唐突(だしぬけ)に尋(たず)ねた。
「ほら、ほら、」
 と袂(たもと)をその、ほらほらと煽(あお)ってかかって、
「ご存じの癖に、」
「どんな婦人だ。」
 と尋ねた時、謙造の顔がさっと暗くなった。新聞を窓(まど)へ翳(かざ)したのである。
「お気の毒様。」

     二

「何だ、もう帰ったのか。」
「ええ、」
「だってお気の毒様だと云(い)うじゃないか。」
「ほんとに性急(せっかち)でいらっしゃるよ。誰も帰ったとも何とも申上げはしませんのに。いいえ、そうじゃないんですよ。お気の毒様だと申しましたのは、あなたはきっと美しい※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、286-4]さんだと思っておいでなさいましょう。でしょう、でしょう。
 ところが、どうして、跛(びっこ)で、めっかちで、出尻(でっちり)で、おまけに、」
 といいかけて、またフンと嗅(か)いで、
「ほんとにどうしたら、こんな良(い)い匂(におい)が、」
 とひょいと横を向いて顔を廊下(ろうか)へ出したと思うと、ぎょッとしたように戸口を開いて、斜(はす)ッかけに、
「あら、まあ!」
「お伺(うかが)い下すって?」
 と内端(うちわ)ながら判然(はっきり)とした清(すずし)い声が、壁(かべ)に附(つ)いて廊下で聞える。
 女中はぼッとした顔色(かおつき)で、
「まあ!」
「お帳場にお待ち申しておりましたんですけれども、おかみさんが二階へ行っていいから、とそうおっしゃって下さいましたもんですから……」
 と優容(しとやか)な物腰(ものごし)。大概(たいがい)、莟(つぼみ)から咲(さ)きかかったまで、花の香(か)を伝えたから、跛も、めっかちも聞いたであろうに、仂(はした)なく笑いもせなんだ、つつましやかな人柄(ひとがら)である。
「お目にかかられますでしょうか。」
「ご勝手になさいまし。」
 くるりと入口へ仕切られた背中になると、襖の桟(さん)が外(はず)れたように、その縦縞(たてじま)が消えるが疾(はや)いか、廊下を、ばた、ばた、ばた、どたんなり。
「お入ンなさい、」
「は、」
 と幽(かす)かに聞いて、火鉢に手をかけ、入口をぐっと仰(あお)いで、優(やさし)い顔で、
「ご遠慮(えんりょ)なく……私は清川謙造です。」
 と念のために一ツ名乗る。
「ご免(めん)下さいまし、」
 はらりと沈(しず)んだ衣(きぬ)の音で、早(はや)入口へちゃんと両手を。肩がしなやかに袂の尖(さき)、揺(ゆ)れつつ畳(たたみ)に敷いたのは、藤(ふじ)の房(ふさ)の丈長(たけなが)く末濃(すえご)に靡(なび)いた装(よそおい)である。
 文金(ぶんきん)の高髷(たかまげ)ふっくりした前髪(まえがみ)で、白茶地(しらちゃじ)に秋の野を織出した繻珍(しゅちん)の丸帯、薄手にしめた帯腰柔(やわらか)に、膝(ひざ)を入口に支(つ)いて会釈(えしゃく)した。背負上(しょいあ)げの緋縮緬(ひぢりめん)こそ脇(わき)あけを漏(も)る雪の膚(はだ)に稲妻(いなづま)のごとく閃(ひらめ)いたれ、愛嬌(あいきょう)の露(つゆ)もしっとりと、ものあわれに俯向(うつむ)いたその姿、片手に文箱(ふばこ)を捧(ささ)げぬばかり、天晴(あっぱれ)、風采(ふうさい)、池田の宿(しゅく)より朝顔(あさがお)が参って候(そうろう)。
 謙造は、一目見て、紛(まご)うべくもあらず、それと知った。
 この芸妓(げいしゃ)は、昨夜(ゆうべ)の宴会(えんかい)の余興(よきょう)にとて、催(もよお)しのあった熊野(ゆや)の踊(おどり)に、朝顔に扮(ふん)した美人である。
 女主人公(じょしゅじんこう)の熊野を勤(つと)めた婦人は、このお腰元に較(くら)べていたく品形(しなかたち)が劣(おと)っていたので、なぜあの瓢箪(ひょうたん)のようなのがシテをする。根占(ねじめ)の花に蹴落(けお)されて色の無さよ、と怪(あやし)んで聞くと、芸も容色(きりょう)も立優(たちまさ)った朝顔だけれど、――名はお君という――その妓(こ)は熊野を踊(おど)ると、後できっと煩(わず)らうとの事。仔細(しさい)を聞くと、させる境遇(きょうぐう)であるために、親の死目に合わなかったからであろう、と云った。
 不幸で沈んだと名乗る淵(ふち)はないけれども、孝心なと聞けば懐(なつか)しい流れの花の、旅の衣(ころも)の俤(おもかげ)に立ったのが、しがらみかかる部屋の入口。
 謙造はいそいそと、
「どうして。さあ、こちらへ。」
 と行儀(ぎょうぎ)わるく、火鉢を斜(なな)めに押出(おしだ)しながら、
「ずっとお入んなさい、構やしません。」
「はい。」
「まあ、どうしてね、お前さん、驚(おどろ)いた。」と思わず云って、心着くと、お君はげっそりとまた姿が痩(や)せて、極(きま)りの悪そうに小さくなって、
「済みませんこと。」
「いやいや、驚いたって、何に、その驚いたんじゃない。はははは、吃驚(びっくり)したんじゃないよ。まあ、よく来たねえ。」

     三

「その事で。ああ、なるほど言いましたよ。」
 と火鉢の縁(ふち)に軽く肱(ひじ)を凭(も)たせて、謙造は微笑(ほほえ)みながら、
「本来なら、こりゃお前さんがたが、客へお世辞(せじ)に云う事だったね。誰かに肖(に)ていらっしゃるなぞと思わせぶりを……ちと反対(あちこち)だったね。言いました。ああ、肖ている、肖ているッて。
 そうです、確(たしか)にそう云った事を覚えているよ。」
 お君は敷(し)けと云って差出された座蒲団(ざぶとん)より膝薄(ひざうす)う、その傍(かたわら)へ片手をついたなりでいたのである。が、薄化粧(うすげしょう)に、口紅(くちべに)濃(こ)く、目のぱっちりした顔を上げて、
「よその方が、誰かに肖ているとお尋ねなさいましたから、あなたがどうお返事を遊ばすかと存じまして、私は極(きまり)が悪うございましたけれども、そっと気をつけましたんですが、こういう処で話をする事ではない。まあまあ、とおっしゃって、それ切りになりましたのでございます。」
 謙造は親しげに打頷(うちうなず)き、
「そうそうそう云いました。それが耳に入って気になったかね、そうかい。」
「いいえ、」とまた俯向いて、清らかな手巾(ハンケチ)を、袂の中で引靡(ひきなび)けて、
「気にいたしますの、なんのって、そういうわけではございません。あの……伺(うかが)いました上で、それにつきまして少々お尋(たず)ねしたいと存じまして。」と俯目(ふしめ)になった、睫毛(まつげ)が濃い。
「聞きましょうとも。その肖たという事の次第(わけ)を話すがね、まあ、もっとお寄んなさい。大分(だいぶ)眩(まぶ)しそうだ。どうも、まともに日が射すからね。さあ、遠慮をしないで、お敷きなさい。こうして尋ねて来なすった時はお客様じゃないか。威張(いば)って、威張って。」
「いいえ、どういたしまして、それでは……」
 しかし眩(まば)ゆかったろう、下掻(したがい)を引いて座(ざ)をずらした、壁(かべ)の中央(なかば)に柱が許(もと)、肩に浴(あ)びた日を避(よ)けて、朝顔はらりと咲きかわりぬ。
「実はもうちっと間(ま)があると、お前さんが望みとあれば、今夜にもまた昨夜(ゆうべ)の家へ出向いて行って、陽気に一つ話をするんだがね、もう東京へ発程(たつ)んだからそうしてはいられない。」
「はい、あの、私もそれを承りましたので、お帰りになりません前(さき)と存じまして、お宿へ、飛(とん)だお邪魔(じゃま)をいたしましてございますの。」
「宿へお出(いで)は構わんが、こんな処で話してはちと真面目になるから、事が面倒になりはしないかと思うんだが。
 そうかと云って昨夜(ゆうべ)のような、杯盤狼藉(はいばんろうぜき)という場所も困るんだよ。
 実は墓参詣(はかまいり)の事だから、」
 と云いかけて、だんだん火鉢を手許(てもと)へ引いたのに心着いて、一膝下って向うへ圧(お)して、
「お前さん、煙草(たばこ)は?」
 黙(だま)って莞爾(にっこり)する。
「喫(の)むだろう。」
「生意気(なまいき)でございますわ。」
「遠慮なしにお喫(あが)り、お喫り。上げようか、巻いたんでよけりゃ。」
「いいえ、持っておりますよ。」
 と帯の処へ手を当てる。
「そこでと、湯も沸(わ)いてるから、茶を飲みたければ飲むと……羊羹(ようかん)がある。一本五銭ぐらいなんだが、よければお撮(つま)みと……今に何ぞご馳走(ちそう)しようが、まあ、お尋(たずね)の件を済ましてからの事にしよう、それがいい。」
 独(ひと)りで云って、独りで極(き)めて、
「さて、その事だが、」
「はあ、」
 とまた片手をついた。胸へ気が籠(こも)ったか、乳のあたりがふっくりとなる。
「余り気を入れると他愛(たわい)がないよ。ちっとこう更(あらたま)っては取留めのない事なんだから。いいかい、」
 ともの優しく念を入れて、
「私は小児(こども)の時だったから、唾(つばき)をつけて、こう引返すと、台なしに汚(よご)すと云って厭(いや)がったっけ。死んだ阿母(おふくろ)が大事にしていた、絵も、歌の文字も、対(つい)の歌留多(かるた)が別にあってね、極彩色(ごくさいしき)の口絵の八九枚入った、綺麗(きれい)な本の小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)というのが一冊あった。
 その中のね、女用文章の処を開けると……」と畳の上で、謙造は何にもないのを折返した。

     四

「トそこに高髷に結った、瓜核顔(うりざねがお)で品のいい、何とも云えないほど口許(くちもと)の優(やさし)い、目の清(すずし)い、眉の美しい、十八九の振袖(ふりそで)が、裾(すそ)を曳(ひ)いて、嫋娜(すらり)と中腰に立って、左の手を膝の処へ置いて、右の手で、筆を持った小児(こども)の手を持添えて、その小児(こども)の顔を、上から俯目(ふしめ)に覗込(のぞきこ)むようにして、莞爾(にっこり)していると、小児(こども)は行儀よく机(つくえ)に向って、草紙に手習のところなんだがね。
 今でも、その絵が目に着いている。衣服(きもの)の縞柄(しまがら)も真(まこと)にしなやかに、よくその膚合(はだあい)に叶(かな)ったという工合で。小児(こども)の背中に、その膝についた手の仕切がなかったら、膚へさぞ移香(うつりが)もするだろうと思うように、ふっくりとなだらかに褄(つま)を捌(さば)いて、こう引廻(ひきまわ)した裾が、小児(こども)を庇(かば)ったように、しんせつに情(じょう)が籠(こも)っていたんだよ。
 大袈裟(おおげさ)に聞えようけれども。
 私は、その絵が大好きで、開けちゃ、見い見いしたもんだから、百人一首を持出して、さっと開(あけ)ると、またいつでもそこが出る。
 この※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、295-4]さんは誰だい?と聞くと阿母(おふくろ)が、それはお向うの※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、295-4]さんだよ、と言い言いしたんだ。
 そのお向うの※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、295-6]さんというのに、……お前さんが肖(に)ているんだがね――まあ、お聞きよ。」
「はあ、」
 と□(みは)った目がうつくしく、その俤(おもかげ)が映りそう。
「お向うというのは、前に土蔵(どぞう)が二戸前(ふたとまえ)。格子戸(こうしど)に並(なら)んでいた大家(たいけ)でね。私の家なんぞとは、すっかり暮向きが違(ちが)う上に、金貸だそうだったよ。何となく近所との隔(へだ)てがあったし、余り人づきあいをしないといった風で。出入も余計なし、なおさら奥行が深くって、裏はどこの国まで続いているんだか、小児心(こどもごころ)には知れないほどだったから、ついぞ遊びに行った事もなければ、時々、門口じゃ、その※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、295-14]さんというのの母親に口を利かれる事があっても、こっちは含羞(はにかん)で遁(に)げ出したように覚えている。
 だから、そのお嬢(じょう)さんなんざ、年紀(とし)も違うし、一所に遊んだ事はもちろんなし、また内気な人だったとみえて、余り戸外(そと)へなんか出た事のない人でね、堅(かた)く言えば深閨(しんけい)に何とかだ。秘蔵娘(ひぞっこ)さね。
 そこで、軽々しく顔が見られないだけに、二度なり、三度なり見た事のあるのが、余計に心に残っているんで。その女用文章の中の挿画(さしえ)が真物(ほんもの)だか、真物が絵なんだか分らないくらいだった。
 しかしどっちにしろ、顔容(かおかたち)は判然(はっきり)今も覚えている。一日(あるひ)、その母親の手から、娘(むすめ)が、お前さんに、と云って、縮緬(ちりめん)の寄切(よせぎれ)で拵(こしら)えた、迷子札(まいごふだ)につける腰巾着(こしぎんちゃく)を一個(ひとつ)くれたんです。そのとき格子戸の傍(わき)の、出窓の簾(すだれ)の中に、ほの白いものが見えたよ。紅(べに)の色も。
 蝙蝠(こうもり)を引払(ひっぱた)いていた棹(さお)を抛(ほう)り出して、内(うち)へ飛込んだ、その嬉(うれ)しさッたらなかった。夜も抱いて寝て、あけるとその百人一首の絵の机の上へのっけたり、立っている娘の胸の処へ置いたり、胸へのせると裾までかくれたよ。
 惜(おし)い事をした。その巾着は、私が東京へ行っていた時分に、故郷(こきょう)の家が近火(きんか)に焼けた時、その百人一首も一所に焼けたよ。」
「まあ……」
 とはかなそうに、お君の顔色が寂(さび)しかった。
「迷子札は、金(かね)だから残ったがね、その火事で、向うの家(うち)も焼けたんだ。今度通ってみたが、町はもう昔の俤もない。煉瓦造(れんがづく)りなんぞ建って開けたようだけれど、大きな樹がなくなって、山がすぐ露出(むきだ)しに見えるから、かえって田舎(いなか)になった気がする、富士の裾野(すその)に煙突(えんとつ)があるように。
 向うの家も、どこへ行きなすったかね、」
 と調子が沈んで、少し、しめやかになって、
「もちろんその娘さんは、私がまだ十(と)ウにならない内に亡(な)くなったんだ。――
 産後だと言います……」
「お産をなすって?」
 と俯目でいた目を□(みひら)いたが、それがどうやらうるんでいたので。
 謙造はじっと見て、傾(かたむ)きながら、
「一人娘(ひとりむすめ)で養子をしたんだね、いや、その時は賑(にぎや)かだッけ。」
 と陽気な声。

     五

「土蔵がずッしりとあるだけに、いつも火の気のないような、しんとした、大きな音じゃ釜(かま)も洗わないといった家が、夜になると、何となく灯(あかり)がさして、三味線(しゃみせん)太鼓(たいこ)の音がする。時々どっと山颪(やまおろし)に誘われて、物凄(ものすご)いような多人数(たにんず)の笑声(わらいごえ)がするね。
 何ッて、母親(おふくろ)の懐(ふところ)で寝ながら聞くと、これは笑っているばかり。父親(おやじ)が店から声をかけて、魔物が騒ぐんだ、恐(こわ)いぞ、と云うから、乳へ顔を押着(おッつ)けて息を殺して寝たっけが。
 三晩(みばん)ばかり続いたよ。田地田畠(でんじでんばた)持込(もちこみ)で養子が来たんです。
 その養子というのは、日にやけた色の赤黒い、巌乗(がんじょう)づくりの小造(こづくり)な男だっけ。何だか目の光る、ちときょときょとする、性急(せっかち)な人さ。
 性急(せっかち)なことをよく覚えている訳は、桃(もも)を上げるから一所においで。※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、299-2]さんが、そう云った、坊(ぼう)を連れて行けというからと、私を誘ってくれたんだ。
 例の巾着をつけて、いそいそ手を曳(ひ)かれて連れられたんだが、髪を綺麗(きれい)に分けて、帽子(ぼうし)を冠(かぶ)らないで、確かその頃流行(はや)ったらしい。手甲(てっこう)見たような、腕へだけ嵌(は)まる毛糸で編んだ、萌黄(もえぎ)の手袋を嵌めて、赤い襯衣(しゃつ)を着て、例の目を光らしていたのさ。私はその娘さんが、あとから来るのだろう、来るのだろうと、見返り見返りしながら手を曳かれて行ったが、なかなか路(みち)は遠かった。
 途中で負(おぶ)ってくれたりなんぞして、何でも町尽(まちはずれ)へ出て、寂(さびし)い処を通って、しばらくすると、大きな榎(えのき)の下に、清水(しみず)が湧(わ)いていて、そこで冷い水を飲んだ気がする。清水には柵(さく)が結(ゆ)ってあってね、昼間だったから、点(つ)けちゃなかったが、床几(しょうぎ)の上に、何とか書いた行燈(あんどん)の出ていたのを覚えている。
 そこでひとしきり、人通りがあって、もうちと行くと、またひっそりして、やがて大きな桑畠(くわばたけ)へ入って、あの熟(じゅく)した桑の実を取って食べながら通ると、ニ三人葉を摘(つ)んでいた、田舎(いなか)の婦人があって、養子を見ると、慌(あわ)てて襷(たすき)をはずして、お辞儀(じぎ)をしたがね、そこが養子の実家だった。
 地続きの桃畠(ももばたけ)へ入ると、さあ、たくさん取れ、今じゃ、※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、300-2]さんのものになったんだから、いつでも来るがいい。まだ、瓜(うり)もある、西瓜(すいか)も出来る、と嬉しがらせて、どうだ。坊は家の児(こ)にならんか、※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、300-4]さんがいい児にするぜ。
 厭(いや)か、爺婆(じじばば)が居(い)るから。……そうだろう。あんな奴は、今におれがたたき殺してやろう、と恐ろしく意気込んで、飛上って、高い枝(えだ)の桃の実を引(ひん)もぎって一個(ひとつ)くれたんだ。
 帰途(かえり)は、その清水の処あたりで、もう日が暮(く)れた。婆(ばばあ)がやかましいから急ごう、と云うと、髪をばらりと振(ふ)って、私の手をむずと取って駆出(かけだ)したんだが、引立(ひった)てた腕(うで)が□(も)げるように痛む、足も宙(ちゅう)で息が詰(つま)った。養子は、と見ると、目が血走っていようじゃないか。
 泣出したもんだから、横抱(よこだき)にして飛んで帰ったがね。私は何だか顔はあかし、天狗(てんぐ)にさらわれて行ったような気がした。袂に入れた桃の実は途中で振落(ふりおと)して一つもない。
 そりゃいいが、半年経(た)たない内にその男は離縁(りえん)になった。
 だんだん気が荒(あら)くなって、※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、301-1]さんのたぶさを掴(つか)んで打った、とかで、田地(でんじ)は取上げ、という評判(ひょうばん)でね、風の便りに聞くと、その養子は気が違ってしまったそうだよ。
 その後(のち)、晩方(ばんがた)の事だった。私はまた例の百人一首を持出して、おなじ処を開けて腹這(はらば)いで見ていた。その絵を見る時は、きっと、この※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、301-5]さんは誰? と云って聞くのがお極(きま)りのようだったがね。また尋(たず)ねようと思って、阿母(おふくろ)は、と見ると、秋の暮方(くれがた)の事だっけ。ずっと病気で寝ていたのが、ちと心持がよかったか、床(とこ)を出て、二階の臂(ひじ)かけ窓(まど)に袖(そで)をかけて、じっと戸外(そと)を見てうっとり見惚(みと)れたような様子だから、遠慮(えんりょ)をして、黙って見ていると、どうしたか、ぐッと肩を落して、はらはらと涙(なみだ)を落した。
 どうしたの? と飛ついて、鬢(びん)の毛のほつれた処へ、私の頬(ほお)がくっついた時、と見ると向うの軒下(のきした)に、薄く青い袖をかさねて、しょんぼりと立って、暗くなった山の方を見ていたのがその人で、」
 と謙造は面(おもて)を背(そむ)けて、硝子窓(がらすまど)。そのおなじ山が透(す)かして見える。日は傾(かたむ)いたのである。

     六

「その時は、艶々(つやつや)した丸髷(まげ)に、浅葱絞(あさぎしぼ)りの手柄(てがら)をかけていなすった。ト私が覗(のぞ)いた時、くるりと向うむきになって、格子戸へ顔をつけて、両袖でその白い顔を包んで、消えそうな後姿で、ふるえながら泣(な)きなすったっけ。
 桑の実の小母(おば)さん許(とこ)へ、※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、302-8]さんを連れて行ってお上げ、坊(ぼう)やは知ってるね、と云って、阿母(おふくろ)は横抱に、しっかり私を胸へ抱いて、
 こんな、お腹をして、可哀相(かわいそう)に……と云うと、熱い珠(たま)が、はらはらと私の頸(くび)へ落ちた。」
 と見ると手巾(ハンケチ)の尖(さき)を引啣(ひきくわ)えて、お君(きみ)の肩はぶるぶると動いた。白歯(しらは)の色も涙の露(つゆ)、音するばかり戦(おのの)いて。
 言(ことば)を折られて、謙造は溜息(ためいき)した。
「あなた、もし、」
 と涙声で、つと、腰(こし)を浮(う)かして寄って、火鉢にかけた指の尖が、真白に震(ふる)えながら、
「その百人一首も焼けてなくなったんでございますか。私(わ)、私(わたし)は、お墓もどこだか存じません。」
 と引出して目に当てた襦袢(じゅばん)の袖の燃ゆる色も、紅(くれない)寒き血に見える。
 謙造は太息(といき)ついて、
「ああ、そうですか、じゃあ里に遣(や)られなすったお娘(こ)なんですね。音信不通(いんしんふつう)という風説だったが、そうですか。――いや、」
 と言(ことば)を改めて、
「二十年前の事が、今目の前に見えるようだ。お察し申します。
 私も、その頃阿母(おふくろ)に別れました。今じゃ父親(おやじ)も居(お)らんのですが、しかしまあ、墓所(はかしょ)を知っているだけでも、あなたより増(まし)かも知れん。
 そうですか。」
 また歎息して、
「お墓所もご存じない。」
「はい、何にも知りません。あなたは、よく私の両親の事をご存じでいらっしゃいます、せめて、その、その百人一首でも見とうござんすのにね。……」
 と言(ことば)も乱れて、
「墓(おはか)の所をご存じではござんすまいか。」
「……困ったねえ。門徒宗(もんとしゅう)でおあんなすったっけが、トばかりじゃ……」
 と云い淀(よど)むと、堪(たま)りかねたか、蒲団(ふとん)の上へ、はっと突俯(つッぷ)して泣くのであった。
 謙造は目を瞑(ねむ)って腕組したが、おお、と小さく膝(ひざ)を叩(たた)いて、
「余りの事のお気の毒さ。肝心(かんじん)の事を忘れました。あなた、あなた、」
 と二声(ふたこえ)に、引起された涙の顔。
「こっちへ来てご覧なさい。」
 謙造は座を譲って、
「こっちへ来て、ここへ、」
 と指さされた窓の許(もと)へ、お君は、夢中(むちゅう)のように、つかつか出て、硝子窓の敷居(しきい)に縋(すが)る。
 謙造はひしと背後(うしろ)に附添(つきそ)い、
「松葉越(まつばごし)に見えましょう。あの山は、それ茸狩(たけがり)だ、彼岸(ひがん)だ、二十六夜待(やまち)だ、月見だ、と云って土地の人が遊山(ゆさん)に行く。あなたも朝夕見ていましょう。あすこにね、私の親たちの墓があるんだが、その居(い)まわりの回向堂(えこうどう)に、あなたの阿母(おっか)さんの記念(かたみ)がある。」
「ええ。」
「確(たしか)にあります、一昨日(おととい)も私が行って見て来たんだ。そこへこれからお伴(とも)をしよう、連れて行って上げましょう、すぐに、」
 と云って勇(いさ)んだ声で、
「お身体(からだ)の都合(つごう)は、」
 その花やかな、寂(さみ)しい姿をふと見つけた。
「しかし、それはどうとも都合(つごう)が出来よう。」
「まあ、ほんとうでございますか。」
 といそいそ裳(もすそ)を靡(なび)かしながら、なおその窓を見入ったまま、敷居の手を離さなかったが、謙造が、脱(ぬ)ぎ棄(す)てた衣服(きもの)にハヤ手をかけた時であった。
「あれえ」と云うと畳にばったり、膝を乱して真蒼(まっさお)になった。
 窓を切った松の樹の横枝へ、お君の顔と正面に、山を背負(しょ)って、むずと掴(つか)まった、大きな鳥の翼(つばさ)があった。狸(たぬき)のごとき眼(まなこ)の光、灰色の胸毛の逆立(さかだ)ったのさえ数えられる。
「梟(ふくろう)だ。」
 とからからと笑って、帯をぐるぐると巻きながら、
「山へ行くのに、そんなものに驚いちゃいかんよ。そう極(きま)ったら、急がないとまた客が来る。あなた支度(したく)をして。山の下まで車だ。」と口でも云えば、手も叩く、謙造の忙(いそ)がしさ。その足許(あしもと)にも鳥が立とう。

     七

「さっきの、さっきの、」
 と微笑(ほほえ)みながら、謙造は四辺(あたり)を□(みまわ)し、
「さっきのが……声だよ。お前さん、そう恐(こわ)がっちゃいかん。一生懸命(いっしょうけんめい)のところじゃないか。」
「あの、梟が鳴くんですかねえ。私はまた何でしょうと吃驚(びっくり)しましたわ。」
 と、寄添(よりそ)いながら、お君も莞爾(にっこり)。
 二人は麓(ふもと)から坂を一ツ、曲ってもう一ツ、それからここの天神の宮を、梢(こずえ)に仰(あお)ぐ、石段を三段、次第に上って来て、これから隧道(トンネル)のように薄暗い、山の狭間(はざま)の森の中なる、額堂(がくどう)を抜けて、見晴しへ出て、もう一坂越して、草原を通ると頂上の広場になる。かしこの回向堂を志して、ここまで来ると、あんなに日当りで、車は母衣(ほろ)さえおろすほどだったのが、梅雨期(つゆどき)のならい、石段の下の、太鼓橋(たいこばし)が掛(かか)った、乾(かわ)いた池の、葉ばかりの菖蒲(あやめ)がざっと鳴ると、上の森へ、雲がかかったと見るや、こらえずさっと降出したのに、ざっと一濡(ひとぬ)れ。石段を駆(か)けて上(のぼ)って、境内(けいだい)にちらほらとある、青梅(あおうめ)の中を、裳(もすそ)はらはらでお君が潜(くぐ)って。
 さてこの額堂へ入って、一息ついたのである。
「暮れるには間(ま)があるだろうが、暗くなったもんだから、ここを一番と威(おど)すんだ。悪い梟さ。この森にゃ昔からたくさん居る。良(い)い月夜なんぞに来ると、身体(からだ)が蒼(あお)い後光がさすように薄ぼんやりした態(なり)で、樹の間にむらむら居る。
 それをまた、腕白(わんぱく)の強がりが、よく賭博(かけ)なんぞして、わざとここまで来たもんだからね。梟は仔細(しさい)ないが、弱るのはこの額堂にゃ、古(ふるく)から評判の、鬼(おに)、」
「ええ、」
 とまた擦寄(すりよ)った。謙造は昔懐(むかしなつか)しさと、お伽話(とぎばなし)でもする気とで、うっかり言ったが、なるほどこれは、と心着いて、急いで言い続けて、
「鬼の額だよ、額が上(あが)っているんだよ。」
「どこにでございます。」
 と何(なん)にか押向(おしむ)けられたように顔を向ける。
「何、何でもない、ただ絵なんだけれど、小児(こども)の時は恐かったよ、見ない方がよかろう。はははは、そうか、見ないとなお恐(おそろ)しい、気が済まない、とあとへ残るか、それその額さ。」
 と指(ゆびさ)したのは、蜘蛛(くも)の囲(い)の間にかかって、一面漆(うるし)を塗ったように古い額の、胡粉(ごふん)が白くくっきりと残った、目隈(めぐま)の蒼ずんだ中に、一双虎(いっそうとら)のごとき眼(まなこ)の光、凸(なかだか)に爛々(らんらん)たる、一体の般若(はんにゃ)、被(かずき)の外へ躍出(おどりい)でて、虚空(こくう)へさっと撞木(しゅもく)を楫(かじ)、渦(うずま)いた風に乗って、緋(ひ)の袴(はかま)の狂(くる)いが火焔(ほのお)のように飜(ひるがえ)ったのを、よくも見ないで、
「ああ。」と云うと、ひしと謙造の胸につけた、遠慮(えんりょ)の眉は間(あわい)をおいたが、前髪は衣紋(えもん)について、襟(えり)の雪がほんのり薫(かお)ると、袖に縋った手にばかり、言い知らず力が籠(こも)った。
 謙造は、その時はまださまでにも思わずに、
「母様(おっかさん)の記念(かたみ)を見に行くんじゃないか、そんなに弱くっては仕方がない。」
 と半ば励(はげ)ます気で云った。
「いいえ、母様(おっかさん)が活(い)きていて下されば、なおこんな時は甘(あま)えますわ。」
 と取縋(とりすが)っているだけに、思い切って、おさないものいい。
 何となく身に染みて、
「私が居(い)るから恐くはないよ。」
「ですから、こうやって、こうやって居れば恐くはないのでございます。」
 思わず背(せな)に手をかけながら、謙造は仰いで額を見た。
 雨の滴々(したたり)しとしとと屋根を打って、森の暗さが廂(ひさし)を通し、翠(みどり)が黒く染込(しみこ)む絵の、鬼女(きじょ)が投げたる被(かずき)を背(せ)にかけ、わずかに烏帽子(えぼし)の頭(かしら)を払(はら)って、太刀(たち)に手をかけ、腹巻したる体(たい)を斜(なな)めに、ハタと睨(にら)んだ勇士の面(おもて)。
 と顔を合わせて、フトその腕(かいな)を解いた時。
 小松に触(さわ)る雨の音、ざらざらと騒がしく、番傘(ばんがさ)を低く翳(かざ)し、高下駄(たかげた)に、濡地(ぬれつち)をしゃきしゃきと蹈(ふ)んで、からずね二本、痩せたのを裾端折(すそはしょり)で、大股(おおまた)に歩行(ある)いて来て額堂へ、頂(いただき)の方の入口から、のさりと入ったものがある。

     八

「やあ、これからまたお出(いで)かい。」
 と腹の底から出るような、奥底のない声をかけて、番傘を横に開いて、出した顔は見知越(みしりごし)。一昨日(おととい)もちょっと顔を合わせた、峰(みね)の回向堂の堂守で、耳には数珠(じゅず)をかけていた。仁右衛門(にえもん)といって、いつもおんなじ年の爺(おやじ)である。
 その回向堂は、また庚申堂(こうしんどう)とも呼ぶが、別に庚申を祭ったのではない。さんぬる天保(てんぽう)庚申年に、山を開いて、共同墓地にした時に、居まわりに寺がないから、この御堂(みどう)を建立(こんりゅう)して、家々の位牌(いはい)を預ける事にした、そこで回向堂とも称(とな)うるので、この堂守ばかり、別に住職(じゅうしょく)の居室(いま)もなければ、山法師(やまぼうし)も宿らぬのである。
「また、東京へ行きますから、もう一度と思って来ました。」
 と早、離れてはいたが、謙造は傍(かたわら)なる、手向(たむけ)にあらぬ花の姿に、心置かるる風情(ふぜい)で云った。
「よく、参らっしゃる、ちとまた休んでござれ。」
「ちょっと休まして頂くかも知れません。爺(じい)さんは、」
「私(わし)かい。講中にちっと折込(おれこ)みがあって、これから通夜(つや)じゃ、南無妙(なむみょう)、」
 と口をむぐむぐさしたが、
「はははは、私(わし)ぐらいの年の婆(ばあ)さまじゃ、お目出たい事いの。位牌になって嫁入(よめい)りにござらっしゃる、南無妙。戸は閉めてきたがの、開けさっしゃりませ、掛金(かけがね)も何にもない、南無妙、」
 と二人を見て、
「ははあ、傘(かさ)なしじゃの、いや生憎(あいにく)の雨、これを進ぜましょ。持ってござらっしゃい。」
 とばッさり窄(すぼ)める。
「何、構やしないよ。」
「うんにゃよ、お前さまは構わっしゃらいでも、はははは、それ、そちらの※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、312-5]さんが濡れるわ、さあさあ、ささっしゃい。」
「済みませんねえ、」
 と顔を赤らめながら、
「でも、お爺さん、あなたお濡れなさいましょう。」
「私は濡れても天日(てんぴ)で干すわさ。いや、またまこと困れば、天神様の神官殿別懇(かんぬしどのべっこん)じゃ、宿坊(しゅくぼう)で借りて行く……南無妙、」
 と押(おっ)つけるように出してくれる。
 捧(ささ)げるように両手で取って、
「大助(おおだすか)りです、ここに雨やみをしているもいいが、この人が、」
 と見返って、莞爾(にっこり)して、
「どうも、嬰児(ねんね)のように恐がって、取って食われそうに騒ぐんで、」
 と今の姿を見られたろう、と極(きまり)の悪さにいいわけする。
 お君は俯向(うつむ)いて、紫(むらさき)の半襟(はんえり)の、縫(ぬい)の梅(うめ)を指でちょいと。
 仁右衛門(にえもん)、はッはと笑い、
「おお、名物の梟かい。」
「いいえ、それよりか、そのもみじ狩(がり)の額の鬼が、」
「ふむ、」
 と振仰いで、
「これかい、南無妙。これは似たような絵じゃが、余吾将軍維茂(よごしょうぐんこれもち)ではない。見さっしゃい。烏帽子素袍大紋(えぼしすおうだいもん)じゃ。手には小手(こて)、脚(あし)にはすねあてをしているわ……大森彦七(おおもりひこしち)じゃ。南無妙、」
 と豊かに目を瞑(つぶ)って、鼻の下を長くしたが、
「山頬(やまぎわ)の細道を、直様(すぐさま)に通るに、年の程十七八計(ばかり)なる女房(にょうぼう)の、赤き袴に、柳裏(やなぎうら)の五衣(いつつぎぬ)着て、鬢(びん)深(ふか)く鍛(そ)ぎたるが、南無妙。
 山の端(は)の月に映(えい)じて、ただ独り彳(たたず)みたり。……これからよ、南無妙。
 女ちと打笑うて、嬉(うれ)しや候。さらば御桟敷(おんさじき)へ参り候(そうら)わんと云いて、跡(あと)に付きてぞ歩みける。羅綺(らき)にだも不勝姿(たえざるすがた)、誠(まこと)に物痛(ものいたわ)しく、まだ一足も土をば不蹈人(ふまざるひと)よと覚えて、南無妙。
 彦七不怺(こらえず)、余(あまり)に露(つゆ)も深く候えば、あれまで負進(おいまいら)せ候わんとて、前に跪(ひざまず)きたれば、女房すこしも不辞(じせず)、便(びん)のう、いかにかと云いながら、やがて後(うしろ)にぞ靠(よりかか)りける、南無妙。
 白玉か何ぞと問いし古(いにし)えも、かくやと思知(おもいしら)れつつ、嵐(あらし)のつてに散花(ちるはな)の、袖に懸(かか)るよりも軽やかに、梅花(ばいか)の匂(におい)なつかしく、蹈足(ふむあし)もたどたどしく、心も空に浮(うか)れつつ、半町(はんちょう)ばかり歩みけるが、南無妙。
 月すこし暗かりける処にて、南無妙、さしも厳(いつく)しかりけるこの女房、南無妙。」
 といいいい額堂を出ると、雨に濡らすまいと思ったか、数珠を取って。頂いて懐(ふところ)へ入れたが、身体(からだ)は平気で、石段、てく、てく。

     九

 ニ(フタツ)ノ眼(マナコ)ハ朱(シュ)ヲ解(トイ)テ。鏡ノ面(オモテ)ニ洒(ソソ)ゲルガゴトク。上下(ウエシタ)歯クイ違(チゴウ)テ。口脇(クチワキ)耳ノ根マデ広ク割(サ)ケ。眉(マユ)ハ漆(ウルシ)ニテ百入塗(モモシオヌリ)タルゴトクニシテ。額ヲ隠シ。振分髪(フリワケガミ)ノ中ヨリ。五寸計(ゴスンバカリ)ナル犢(コウシ)ノ角。鱗(ウロコ)ヲカズイテ生出(おいい)でた、長(たけ)八尺(しゃく)の鬼が出ようかと、汗(あせ)を流して聞いている内、月チト暗カリケル処ニテ、仁右衛門が出て行った。まず、よし。お君は怯(おび)えずに済んだが、ひとえに梟の声に耳を澄まして、あわれに物寂(ものさびし)い顔である。
「さ、出かけよう。」
 と謙造はもうここから傘(からかさ)ばッさり。
「はい、あなた飛んだご迷惑(めいわく)でございます。」
「私はちっとも迷惑な事はないが、あなた、それじゃいかん。路(みち)はまだそんなでもないから、跣足(はだし)には及(およ)ぶまいが、裾をぐいとお上(あ)げ、構わず、」
「それでも、」
「うむ、構うもんか、いまの石段なんぞ、ちらちら引絡(ひっから)まって歩行悪(あるきにく)そうだった。
 極(きまり)の悪いことも何にもない。誰も見やしないから、これから先は、人ッ子一人居やしない、よ、そうおし、」
「でも、余(あんま)り、」
 片褄(かたづま)取って、その紅(くれない)のはしのこぼれたのに、猶予(ためら)って恥(はずか)しそう。
「だらしがないから、よ。」
 と叱(しか)るように云って、
「母様(おっかさん)に逢いに行くんだ。一体、私の背(せなか)に負(お)んぶをして、目を塞(ふさ)いで飛ぶところだ。構うもんか。さ、手を曳(ひ)こう、辷(すべ)るぞ。」
 と言った。暮れかかった山の色は、その滑(なめら)かな土に、お君の白脛(しらはぎ)とかつ、緋(ひ)の裳(もすそ)を映した。二人は額堂を出たのである。
「ご覧、目の下に遠く樹立(こだち)が見える、あの中の瓦屋根(かわらやね)が、私の居る旅籠(はたご)だよ。」
 崕(がけ)のふちで危(あぶな)っかしそうに伸上(のびあが)って、
「まあ、直(じき)そこでございますね。」
「一飛(ひとッと)びだから、梟が迎いに来たんだろう。」
「あれ。」
「おっと……番毎怯(ばんごとおび)えるな、しっかりと掴(つかま)ったり……」
「あなた、邪慳(じゃけん)にお引張(ひッぱ)りなさいますな。綺麗(きれい)な草を、もうちっとで蹈(ふ)もうといたしました。可愛(かわい)らしい菖蒲(あやめ)ですこと。」
「紫羅傘(いちはつ)だよ、この山にはたくさん咲(さ)く[#「咲(さ)く」は底本では「吹(さ)く」]。それ、一面に。」
 星の数ほど、はらはらと咲き乱れたが、森が暗く山が薄鼠(うすねずみ)になって濡れたから、しきりなく梟の声につけても、その紫の俤(おもかげ)が、燐火(おにび)のようで凄(すご)かった。
 辿(たど)る姿は、松にかくれ、草にあらわれ、坂に沈(しず)み、峰に浮んで、その峰つづきを畝々(うねうね)と、漆のようなのと、真蒼(まさお)なると、赭(しゃ)のごときと、中にも雪を頂いた、雲いろいろの遠山(とおやま)に添うて、ここに射返(いかえ)されたようなお君(きみ)の色。やがて傘(かさ)一つ、山の端(は)に大(おおき)な蕈(くさびら)のようになった時、二人はその、さす方の、庚申堂(こうしんどう)へ着いたのである。
 と不思議な事には、堂の正面へ向った時、仁右衛門は掛金はないが開けて入るように、と心着けたのに、雨戸は両方へ開いていた。お君は後(のち)に、御母様(おっかさん)がそうしておいたのだ、と言ったが、知らず堂守の思違(おもいちが)いであったろう。
 框(かまち)がすぐに縁(えん)で、取附(とッつ)きがその位牌堂。これには天井(てんじょう)から大きな白の戸帳(とばり)が垂(た)れている。その色だけ仄(ほのか)に明くって、板敷(いたじき)は暗かった。
 左に六畳(じょう)ばかりの休息所がある。向うが破襖(やれぶすま)で、その中が、何畳か、仁右衛門堂守の居(い)る処。勝手口は裏にあって、台所もついて、井戸(いど)もある。
 が謙造の用は、ちっともそこいらにはなかったので。
 前へ入って、その休息所の真暗な中を、板戸漏(も)る明(あかり)を見当に、がたびしと立働いて、町に向いた方の雨戸をあけた。
 横手にも窓があって、そこをあけると今の、その雪をいただいた山が氷(こおり)を削(けず)ったような裾を、紅、緑、紫の山でつつまれた根まで見える、見晴の絶景ながら、窓の下がすぐ、ばらばらと墓であるから、また怯(おび)えようと、それは閉めたままでおいたのである。

     十

 その間に、お君は縁側に腰をかけて、裾を捻(ねじ)るようにして懐(ふところ)がみで足を拭(ぬぐ)って、下駄(げた)を、謙造のも一所に拭(ふ)いて、それから穿直(はきなお)して、外へ出て、広々とした山の上の、小さな手水鉢(ちょうずばち)で手を洗って、これは手巾(ハンケチ)で拭(ぬぐ)って、裾をおろして、一つ揺直(ゆすりなお)して、下褄(したづま)を掻込(かいこ)んで、本堂へ立向って、ト頭(つむり)を下げたところ。
「こちらへお入り、」
 と、謙造が休息所で声をかける。
 お君がそっと歩行(ある)いて行くと、六畳の真中に腕組(うでぐみ)をして坐(すわ)っていたが、
「まあお坐んなさい。」
 と傍(かたわら)へ坐らせて、お君が、ちゃんと膝をついた拍子(ひょうし)に、何と思ったか、ずいと立ってそこらを見廻したが、横手(よこって)のその窓に並(なら)んだ二段に釣(つ)った棚(たな)があって、火鉢(ひばち)燭台(しょくだい)の類、新しい卒堵婆(そとば)が二本ばかり。下へ突込んで、鼠の噛(かじ)った穴から、白い切(きれ)のはみ出した、中には白骨でもありそうな、薄気味の悪い古葛籠(ふるつづら)が一折。その中の棚に斜(はす)っかけに乗せてあった経机(きょうづくえ)ではない小机の、脚を抉(えぐ)って満月を透(すか)したはいいが、雲のかかったように虫蝕(むしくい)のあとのある、塗(ぬ)ったか、古びか、真黒な、引出しのないのに目を着けると……
「有った、有った。」
 と嬉しそうにつと寄って、両手でがさがさと引き出して、立直って持って出て、縁側を背後(うしろ)に、端然(きちん)と坐った、お君のふっくりした衣紋(えもん)つきの帯の処へ、中腰になって舁据(かきす)えて置直すと、正面を避(さ)けて、お君と互違(たがいちが)いに肩を並べたように、どっかと坐って、
「これだ。これがなかろうもんなら、わざわざ足弱を、暮方(くれがた)にはなるし、雨は降るし、こんな山の中へ連れて来て、申訳のない次第だ。
 薄暗くってさっきからちょっと見つからないもんだから、これも見た目の幻(まぼろし)だったのか、と大抵(たいてい)気を揉(も)んだ事じゃない。
 お君さん、」
 と云って、無言ながら、懐(なつか)しげなその美い、そして恍惚(うっとり)となっている顔を見て、
「その机だ。お君さん、あなたの母様(おっかさん)の記念(かたみ)というのは、……
 こういうわけだ。また恐(こわ)がっちゃいけないよ。母様(おっかさん)の事なんだから。
 いいかい。
 一昨日(おととい)ね。私の両親(ふたおや)の墓は、ついこの右の方の丘(おか)の松蔭(まつかげ)にあるんだが、そこへ参詣(おまいり)をして、墳墓(はか)の土に、薫(かおり)の良(い)い、菫(すみれ)の花が咲いていたから、東京へ持って帰ろうと思って、三本(みもと)ばかり摘(つ)んで、こぼれ松葉と一所に紙入の中へ入れて。それから、父親(おやじ)の居(い)る時分、連立って阿母(おふくろ)の墓参(はかまいり)をすると、いつでも帰りがけには、この仁右衛門の堂へ寄って、世間話、お祖師様(そしさま)の一代記、時によると、軍談講釈、太平記を拾いよみに諳記(そら)でやるくらい話がおもしろい爺様(じいさま)だから、日が暮れるまで坐り込んで、提灯(ちょうちん)を借りて帰ることなんぞあった馴染(なじみ)だから、ここへ寄った。
 いいお天気で、からりと日が照っていたから、この間中(あいだじゅう)の湿気払(しっけばら)いだと見えて、本堂も廊下(ろうか)も明っ放し……で誰(だれ)も居ない。
 座敷(ざしき)のここにこの机が出ていた。
 机の向うに薄くこう婦人(おんな)が一人、」
 お君はさっと蒼くなる。
「一生懸命にお聞きよ。それが、あなたの母様(おっかさん)だったんだから。
 高髷(たかまげ)を俯向(うつむ)けにして、雪のような頸脚(えりあし)が見えた。手をこうやって、何か書ものをしていたろう。紙はあったが、筆は持っていたか、そこまでは気がつかないが、現に、そこに、あなたとちょうど向い合せの処、」
 正面の襖(ふすま)は暗くなった、破れた引手(ひきて)に、襖紙の裂(さ)けたのが、ばさりと動いた。お君は堅(かた)くなって真直に、そなたを見向いて、瞬(またたき)もせぬのである。
「しっかりして、お聞き、恐くはないから、私が居るから、」と謙造は、自分もちょいと本堂の今は煙(けむり)のように見える、白き戸帳(とばり)を見かえりながら、
「私がそれを見て、ああ、肖(に)たようなとぞっとした時、そっと顔を上げて、莞爾(にっこり)したのが、お向うのその※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、322-6]さんだ、百人一首の挿画(さしえ)にそッくり。
 はッと気がつくと、もう影も姿もなかった。
 私は、思わず飛込んで、その襖を開けたよ。
 がらん堂にして仁右衛門も居らず。懐しい人だけれども、そこに、と思うと、私もちと居なすった幻のあとへは、第一なまぐさを食う身体(からだ)だし、もったいなくッて憚(はばか)ったから、今、お君さん、お前が坐っているそこへ坐ってね、机に凭(もた)れて、」
 と云う時、お君はその机にひたと顔をつけて、うつぶしになった。あらぬ俤(おもかげ)とどめずや、机の上は煤(すす)だらけである。
「で、何となく、あの二階と軒(のき)とで、泣きなすった、その時の姿が、今さしむかいに見えるようで、私は自分の母親の事と一所に、しばらく人知れず泣いて、ようよう外へ出て、日を見て目を拭(ふ)いた次第だった。翌晩(あくるばん)、朝顔を踊った、お前さんを見たんだよ。目前(めさき)を去らない娘(むすめ)さんにそっくりじゃないか。そんな話だから、酒の席では言わなかったが、私はね、さっきお前さんがお出(い)での時、女中が取次いで、女の方だと云った、それにさえ、ぞっとしたくらい、まざまざとここで見たんだよ。
 しかしその机は、昔からここにある見覚えのある、庚申堂はじまりからの附道具(つきどうぐ)で、何もあなたの母様(おっかさん)の使っておいでなすったのを、堂へ納めたというんじゃない。
 それがまたどうして、ここで幻を見たろうと思うと……こうなんだ。
 私の母親の亡くなったのは、あなたの母親(おっかさん)より、二年ばかり前だったろう。
 新盆(にいぼん)に、切籠(きりこ)を提(さ)げて、父親(おやじ)と連立って墓参(はかまいり)に来たが、その白張(しらはり)の切籠は、ここへ来て、仁右衛門爺様(じいさま)に、アノ威張(いば)った髯題目(ひげだいもく)、それから、志す仏の戒名(かいみょう)、進上(しんじょう)から、供養の主(ぬし)、先祖代々の精霊(しょうりょう)と、一個一個(ひとつひとつ)に書いて貰(もら)うのが例でね。
 内(うち)ばかりじゃない、今でも盆にはそうだろうが、よその爺様(じいさま)婆様(ばあさま)、切籠持参は皆そうするんだっけ。
 その年はついにない、どうしたのか急病で、仁右衛門が呻(うめ)いていました。
 さあ、切籠が迷った、白張でうろうろする。
 ト同じ燈籠(とうろう)を手に提(さ)げて、とき色の長襦袢(ながじゅばん)の透いて見える、羅(うすもの)の涼(すず)しい形(なり)で、母娘連(おやこづれ)、あなたの祖母(おばあさん)と二人連で、ここへ来なすったのが、※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、324-7]さんだ。
 やあ、占(し)めた、と云うと、父親(おやじ)が遠慮なしに、お絹(きぬ)さん――あなた、母様(おっかさん)の名は知っているかい。」
 突俯(つッぷ)したまま、すねたように頭(かぶり)を振った。
「お願(ねがい)だ、お願だ。精霊大まごつきのところ、お馴染の私(わし)が媽々(かかあ)の門札(かどふだ)を願います、と燈籠を振廻(ふりま)わしたもんです。
 母様(おっかさん)は、町内評判の手かきだったからね、それに大勢居る処だし、祖母(おばあ)さんがまた、ちっと見せたい気もあったかして、書いてお上げなさいよ、と云ってくれたもんだから、扇(おうぎ)を畳(たた)んで、お坐んなすったのが――その机です。
 これは、祖父(じい)の何々院(なになにいん)、これは婆さまの何々信女(なになにしんにょ)、そこで、これへ、媽々(かかあ)の戒名を、と父親(おやじ)が燈籠を出した時。
(母様(おっかさん)のは、)と傍(そば)に畏(かしこま)った私を見て、
(謙ちゃんが書くんですよ、)
 とそう云っておくんなすってね、その机の前へ坐らせて、」
 と云う時、謙造は声が曇った。
「すらりと立って、背後(うしろ)から私の手を柔(やわら)かく筆を持添えて……
 おっかさん、と仮名(かな)で書かして下さる時、この襟(えり)へ、」
 と、しっかりと腕を組んで、
「はらはらと涙(なみだ)を落しておくんなすった。
 父親(おやじ)は墨(すみ)をすりながら、伸上(のびあが)って、とその仮名を読んで……
 おっかさん、」
 いいかけて謙造は、ハッと位牌堂の方を振向いてぞっとした。自分の胸か、君子の声か、幽(かすか)に、おっかさんと響いた。
 ヒイと、堪(こら)えかねてか、泣く声して、薄暗がりを一つあおって、白い手が膝の上へばたりと来た。
 突俯(つッぷ)したお君が、胸の苦しさに悶(もだ)えたのである。
 その手を取って、
「それだもの、忘(わ)、忘(わす)れるもんか。その時の、幻が、ここに残って、私の目に見えたんだ。
 ね、だからそれが記念(かたみ)なんだ。お君さん、母様(おっかさん)の顔が見えたでしょう、見えたでしょう。一心におなんなさい、私がきっと請合(うけあ)う、きっと見える。可哀相(かわいそう)に、名、名も知らんのか。」
 と云って、ぶるぶると震(ふる)える手を、しっかと取った。が、冷いので、あなやと驚(おどろ)き、膝を突(つッ)かけ、背(せな)を抱(いだ)くと、答えがないので、慌(あわ)てて、引起して、横抱きに膝へ抱(いだ)いた。
 慌(あわただ)しい声に力を籠(こ)めつつ、
「しっかりおし、しっかりおし、」
 と涙ながら、そのまま、じっと抱(だき)しめて、
「母様(おっかさん)の顔は、※(ねえ)[#「姉」の正字、「女+□のつくり」、326-15]さんの姿は、私の、謙造の胸にある!」
 とじっと見詰(みつ)めると、恍惚(うっとり)した雪のようなお君の顔の、美しく優しい眉(まゆ)のあたりを、ちらちらと蝶(ちょう)のように、紫の影が行交(ゆきか)うと思うと、菫(すみれ)の薫(かおり)がはっとして、やがて縋(すが)った手に力が入った。
 お君の寂しく莞爾(にっこり)した時、寂寞(じゃくまく)とした位牌堂の中で、カタリと音。
 目を上げて見ると、見渡す限り、山はその戸帳(とばり)のような色になった。が、やや艶(つや)やかに見えたのは雨が晴れた薄月の影である。
 遠くで梟が啼(な)いた。
 謙造は、その声に、額堂の絵を思出した、けれども、自分で頭(かぶり)をふって、斉(ひと)しく莞爾(にっこり)した。
 その時何となく机の向が、かわった。
 襖がすらりとあいたようだから、振返えると、あらず、仁右衛門の居室(いま)は閉(しま)ったままで、ただほのかに見える散(こぼ)れ松葉のその模様が、懐(なつか)しい百人一首の表紙に見えた。
(明治四十年一月)



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