縷紅新草
是非お友達にも!
★暇つぶし何某★

[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:泉 鏡花 

 栗柿を剥(む)く、庖丁、小刀、そんなものを借りるのに手間ひまはかからない。
 大剪刀(おおばさみ)が、あたかも蝙蝠(こうもり)の骨のように飛んでいた。
 取って構えて、ちと勝手は悪い。が、縄目は見る目に忍びないから、衣(きぬ)を掛けたこのまま、留南奇(とめき)を燻(た)く、絵で見た伏籠(ふせご)を念じながら、もろ手を、ずかと袖裏へ。驚破(すわ)、ほんのりと、暖い。芬(ぶん)と薫った、石の肌の軟(やわら)かさ。
 思わず、
「あ。」
 と声を立てたのであった。

「――おばけの蜻蛉、おじさん。」
「――何そんなものの居よう筈はない。」
 胸傍(むなわき)の小さな痣(あざ)、この青い蘚(こけ)、そのお米の乳のあたりへ鋏(はさみ)が響きそうだったからである。辻町は一礼し、墓に向って、屹(きっ)といった。
「お嬢さん、私の仕業が悪かったら、手を、怪我をおさせなさい。」
 鋏は爽(さわやか)な音を立てた、ちちろも声せず、松風を切ったのである。
「やあ、塗師屋(ぬしや)様、――ご新姐(しんぞ)。」
 木戸から、寺男の皺面(しわづら)が、墓地下で口をあけて、もう喚(わめ)き、冷めし草履の馴(な)れたもので、これは磽□(こうかく)たる径(みち)は踏まない。草土手を踏んで横ざまに、傍(そば)へ来た。
 続いて日傭取(ひようとり)が、おなじく木戸口へ、肩を組合って低く出た。
「ごめんなせえましよ、お客様。……ご機嫌よくこうやってござらっしゃる処を見ると、間違(まちげ)えごともなかったの、何も、別条はなかっただね。」
「ところが、おっさん、少々別条があるんですよ。きみたちの仕事を、ちょっと無駄にしたぜ。一杯買おう、これです、ぶつぶつに縄を切払(きっぱら)った。」
「はい、これは、はあ、いい事をさっせえて下さりました。」
「何だか、あべこべのような挨拶だな。」
「いんね、全くいい事をなさせえました。」
「いい事をなさいましたじゃないわ、おいたわしいじゃないの、女□さんがさ。」
「ご新姐、それがね、いや、この、からげ縄、畜生。」
 そこで、踞(かが)んで、毛虫を踏潰(ふみつぶ)したような爪さきへ近く、切れて落ちた、むすびめの節立った荒縄を手繰棄てに背後(うしろ)へ刎出(はねだ)しながら、きょろきょろと樹の空を見廻した。
 妙なもので、下木戸の日傭取たちも、申合せたように、揃って、踞(かが)んで、空を見る目が、皆動く。
「いい塩梅(あんばい)に、幽霊蜻蛉、消えただかな。」
「一体何だね、それは。」
「もの、それがでござりますよ、お客様、この、はい、石塔を動かすにつきましてだ。」
「いずれ、あの糸塚とかいうのについての事だろうが、何かね、掘返してお骨でも。」
「いや、それはなりましねえ。記念碑発起押っぽだての、帽子、靴、洋服、袴(はかま)、髯(ひげ)の生えた、ご連中さ、そのつもりであったれど、寺の和尚様、承知さっしゃりましねえだ。ものこれ、三十年経(た)ったとこそいえ、若い女□(じょうろう)が埋(うま)ってるだ。それに、久しい無縁墓だで、ことわりいう檀家もなしの、立合ってくれる人の見分もないで、と一論判(ひとろっぱん)あった上で、土には触らねえ事になったでがす。」
「そうあるべき処だよ。」
「ところで、はい、あのさ、石彫(いしぼり)の大(でけ)え糸枠の上へ、がっしりと、立派なお堂を据えて戸をあけたてしますだね、その中へこの……」
 お米は着流しのお太鼓で、まことに優に立っている。
「おお、成仏をさっしゃるずら、しおらしい、嫁菜の花のお羽織きて、霧は紫の雲のようだ、しなしなとしてや。」
 と、苔(こけ)の生えたような手で撫(な)でた。
「ああ、擽(くすぐ)ったい。」
「何でがすい。」
 と、何も知らず、久助は墓の羽織を、もう一撫で。
「この石塔を斎(いつ)き込むもくろみだ。その堂がもう出来て、切組みも済ましたで、持込んで寸法をきっちり合わす段が、はい、ここはこの通り足場が悪いと、山門内(うち)まで運ぶについて、今日さ、この運び手間だよ。肩がわりの念入りで、丸太棒(まるたんぼう)で担(かつ)ぎ出しますに。――丸太棒めら、丸太棒を押立(おった)てて、ごろうじませい、あすこにとぐろを巻いていますだ。あのさきへ矢羽根をつけると、掘立普請の斎(とき)が出るだね。へい、墓場の入口だ、地獄の門番……はて、飛んでもねえ、肉親のご新姐ござらっしゃる。」
 と、泥でまぶしそうに、口の端(はた)を拳(こぶし)でおさえて、
「――そのさ、担ぎ出しますに、石の直肌(じかはだ)に縄を掛けるで、藁(わら)なり蓆(むしろ)なりの、花ものの草木を雪囲いにしますだね、あの骨法でなくば悪かんべいと、お客様の前(めえ)だけんど、わし一応はいうたれども、丸太棒めら。あに、はい、墓さ苞入(つといり)に及ぶもんか、手間障(ざい)だ。また誰も見ていねえで、構いごとねえだ、と吐(こ)いての。
 和尚様は今日は留守なり、お納所(なっしょ)、小僧も、総斎(そうどき)に出さしった。まず大事ねえでの。はい、ぐるぐるまきのがんじがらみ、や、このしょで、転がし出した。それさ、その形(かた)でがすよ。わしさ屈腰(かがみごし)で、膝はだかって、面(つら)を突出す。奴等(やつら)三方からかぶさりかかって、棒を突挿そうとしたと思わっせえまし。何と、この鼻の先、奴等の目の前へ、縄目へ浮いて、羽さ弾(はじ)いて、赤蜻蛉が二つ出た。
 たった今や、それまでというものは、四人八ツの、団栗目(どんぐりまなこ)に、糠虫(ぬかむし)一疋入らなんだに、かけた縄さ下から潜(くぐ)って石から湧(わ)いて出たはどうしたもんだね。やあやあ、しっしっ、吹くやら、払いますやら、静(じっ)として赤蜻蛉が動かねえとなると、はい、時代違いで、何の気もねえ若い徒(てやい)も、さてこの働きに掛(かか)ってみれば、記念碑糸塚の因縁さ、よく聞いて知ってるもんだで。
 ほれ、のろのろとこっちさ寄って来るだ。あの、さきへ立って、丸太棒をついた、その手拭(てぬぐい)をだらりと首へかけた、逞(たくまし)い男でがす。奴が、女□の幽霊でねえか。出たッと、また髯(ひげ)どのが叫ぶと、蜻蛉がひらりと動くと、かっと二つ、灸(きゅう)のような炎が立つ。冷い火を汗に浴びると、うら山おろしの風さ真黒(まっくろ)に、どっと来た、煙の中を、目が眩(くら)んで遁(に)げたでござえますでの。………
 それでがすもの、ご新姐、お客様。」
「それじゃ、私たち差出た事は、叱言(こごと)なしに済むんだね。」
「ほってもねえ、いい人扶(ひとだす)けして下せえましたよ。時に、はい、和尚様帰って、逢わっせえても、万々沙汰なしに頼みますだ。」
 そこへ、丸太棒が、のっそり来た。
「おじい、もういいか、大丈夫かよ。」
「うむ、見せえ、大智識さ五十年の香染(こうぞめ)の袈裟(けさ)より利益があっての、その、嫁菜の縮緬(ちりめん)の裡(なか)で、幽霊はもう消滅だ。」
「幽霊も大袈裟だがよ、悪く、蜻蛉に祟(たた)られると、瘧(おこり)を病むというから可恐(おっかね)えです。縄をかけたら、また祟って出やしねえかな。」
 と不精髯の布子が、ぶつぶついった。
「そういう口で、何で包むもの持って来ねえ。糸塚さ、女□様、素(す)で括(くく)ったお祟りだ、これ、敷松葉の数寄屋(すきや)の庭の牡丹に雪囲いをすると思えさ。」
「よし、おれが行く。」
 と、冬の麦稈帽(むぎわらぼう)が出ようとする。
「ああ、ちょっと。」
 袖を開いて、お米が留めて、
「そのまま、その上からお結(いわ)えなさいな。」
 不精髯が――どこか昔の提灯屋に似ていたが、
「このままでかね、勿体(もってい)至極もねえ。」
「かまいませんわ。」
「構わねえたって、これ、縛るとなると。」
「うつくしいお方が、見てる前で、むざとなあ。」
 麦藁(むぎわら)と、不精髯が目を見合って、半ば呟(つぶや)くがごとくにいう。
「いいんですよ、構いませんから。」
 この時、丸太棒が鉄のように見えた。ぶるぶると腕に力の漲(みなぎ)った逞(たくま)しいのが、
「よし、石も婉軟(やんわり)だろう。きれいなご新姐を抱くと思え。」
 というままに、頸(くび)の手拭が真額(まっこう)でピンと反(そ)ると、棒をハタと投げ、ずかと諸手を墓にかけた。袖の撓(しな)うを胸へ取った、前抱きにぬっと立ち、腰を張って土手を下りた。この方が掛(かか)り勝手がいいらしい。巌路(いわみち)へ踏みはだかるように足を拡げ、タタと総身に動揺(いぶり)を加(く)れて、大きな蟹が竜宮の女房を胸に抱いて逆落しの滝に乗るように、ずずずずずと下りて行(ゆ)く。
「えらいぞ、権太、怪我をするな。」
 と、髯が小走りに、土手の方から後へ下りる。
「俺だって、出来ねえ事はなかったい、遠慮をした、えい、誰に。」
 と、お米を見返って、ニヤリとして、麦藁が後に続いた。
「頓生菩提(とんしょうぼだい)。……小川へ流すか、燃しますべい。」
 そういって久助が、掻き集めた縄の屑(くず)を、一束ねに握って腰を擡(もた)げた時は、三人はもう木戸を出て見えなかったのである。
「久……爺や、爺やさん、羽織はね。式台へほうり込んで置いて可(い)いんですよ。」
 この羽織が、黒塗の華頭窓に掛(かか)っていて、その窓際の机に向って、お米は細(ほっそ)りと坐っていた。冬の日は釣瓶(つるべ)おとしというより、梢(こずえ)の熟柿(じゅくし)を礫(つぶて)に打って、もう暮れて、客殿の広い畳が皆暗い。
 こんなにも、清らかなものかと思う、お米の頸(えり)を差覗(さしのぞ)くようにしながら、盆に渋茶は出したが、火を置かぬ火鉢越しにかの机の上の提灯を視(み)た。
(――この、提灯が出ないと、ご迷惑でも話が済まない――)
 信仰に頒布する、当山、本尊のお札を捧げた三宝を傍(かたわら)に、硯箱(すずりばこ)を控えて、硯の朱の方に筆を染めつつ、お米は提灯に瞳を凝らして、眉を描くように染めている。
「――きっと思いついた、初路さんの糸塚に手向けて帰ろう。赤蜻蛉――尾を銜(くわ)えたのを是非頼む。塗師屋さんの内儀でも、女学校の出じゃないか。絵というと面倒だから図画で行くのさ。紅(べに)を引いて、二つならべれば、羽子の羽でもいい。胡蘿蔔(にんじん)を繊に松葉をさしても、形は似ます。指で挟んだ唐辛子でも構わない。――」
 と、たそがれの立籠めて一際漆のような板敷を、お米の白い足袋の伝う時、唆(そその)かして口説いた。北辰妙見菩薩(ほくしんみょうけんぼさつ)を拝んで、客殿へ退(ひ)く間(ま)であったが。

ご協力下さい!!
◇暇つぶし何某◇

[次ページ]
[ページジャンプ]
[作品情報参照]
[青空文庫検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
Size:58 KB

担当:Smilegreen