草迷宮
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著者名:泉鏡花 

向うの小沢に蛇(じゃ)が立って、
八幡(はちまん)長者の、おと娘、
よくも立ったり、巧んだり。
手には二本の珠(たま)を持ち、
足には黄金(こがね)の靴を穿(は)き、
ああよべ、こうよべと云いながら、
山くれ野くれ行ったれば…………

       一

 三浦の大崩壊(おおくずれ)を、魔所だと云う。
 葉山一帯の海岸を屏風(びょうぶ)で劃(くぎ)った、桜山の裾(すそ)が、見も馴(な)れぬ獣(けもの)のごとく、洋(わだつみ)へ躍込んだ、一方は長者園の浜で、逗子(ずし)から森戸、葉山をかけて、夏向き海水浴の時分(ころ)、人死(ひとじに)のあるのは、この辺ではここが多い。
 一夏激(はげし)い暑さに、雲の峰も焼いた霰(あられ)のように小さく焦げて、ぱちぱちと音がして、火の粉になって覆(こぼ)れそうな日盛(ひざかり)に、これから湧(わ)いて出て人間になろうと思われる裸体(はだか)の男女が、入交(いりまじ)りに波に浮んでいると、赫(かっ)とただ金銀銅鉄、真白(まっしろ)に溶けた霄(おおぞら)の、どこに亀裂(ひび)が入ったか、破鐘(われがね)のようなる声して、
「泳ぐもの、帰れ。」と叫んだ。
 この呪詛(のろい)のために、浮べる輩(やから)はぶくりと沈んで、四辺(あたり)は白泡(しらあわ)となったと聞く。
 また十七ばかり少年の、肋膜炎(ろくまくえん)を病んだ挙句が、保養にとて来ていたが、可恐(おそろし)く身体(からだ)を気にして、自分で病理学まで研究して、0,[#「,」は天地左右中央]などと調合する、朝夕(ちょうせき)検温気で度を料(はか)る、三度の食事も度量衡(はかり)で食べるのが、秋の暮方、誰も居ない浪打際を、生白い痩脛(やせずね)の高端折(たかはしょり)、跣足(はだし)でちょびちょび横歩行(ある)きで、日課のごとき運動をしながら、つくづく不平らしく、海に向って、高慢な舌打して、
「ああ、退屈だ。」
 と呟(つぶや)くと、頭上の崖(がけ)の胴中(どうなか)から、異声を放って、
「親孝行でもしろ――」と喚(わめ)いた。
 ために、その少年は太(いた)く煩い附いたと云う。
 そんなこんなで、そこが魔所だの風説は、近頃一層甚しくなって、知らずに大崩壊(おおくずれ)へ上(のぼ)るのを、土地の者が見着けると、百姓は鍬(くわ)を杖支(つえつ)き、船頭は舳(みよし)に立って、下りろ、危い、と声を懸ける。
 実際魔所でなくとも、大崩壊の絶頂は薬研(やげん)を俯向(うつむ)けに伏せたようで、跨(また)ぐと鐙(あぶみ)の無いばかり。馬の背に立つ巌(いわお)、狭く鋭く、踵(くびす)から、爪先(つまさき)から、ずかり中窪(なかくぼ)に削った断崖(がけ)の、見下ろす麓(ふもと)の白浪に、揺落(ゆりおと)さるる思(おもい)がある。
 さて一方は長者園の渚(なぎさ)へは、浦の波が、静(しずか)に展(ひら)いて、忙(せわ)しくしかも長閑(のどか)に、鶏(とり)の羽(は)たたく音がするのに、ただ切立(きった)ての巌(いわ)一枚、一方は太平洋の大濤(おおなみ)が、牛の吼(ほ)ゆるがごとき声して、緩(ゆるや)かにしかも凄(すさま)じく、うう、おお、と呻(うな)って、三崎街道の外浜に大畝(うね)りを打つのである。
 右から左へ、わずかに瞳を動かすさえ、杜若(かきつばた)咲く八ツ橋と、月の武蔵野ほどに趣が激変して、浦には白帆の鴎(かもめ)が舞い、沖を黒煙(くろけむり)の竜が奔(はし)る。
 これだけでも眩(めくるめ)くばかりなるに、蹈(ふ)む足許(あしもと)は、岩のその剣(つるぎ)の刃を渡るよう。取縋(とりすが)る松の枝の、海を分けて、種々(いろいろ)の波の調べの懸(かか)るのも、人が縋れば根が揺れて、攀上(よじのぼ)った喘(あえ)ぎも留(や)まぬに、汗を冷(つめと)うする風が絶えぬ。
 さればとて、これがためにその景勝を傷(きずつ)けてはならぬ。大崩壊(おおくずれ)の巌(いわお)の膚(はだ)は、春は紫に、夏は緑、秋紅(くれない)に、冬は黄に、藤を編み、蔦(つた)を絡(まと)い、鼓子花(ひるがお)も咲き、竜胆(りんどう)も咲き、尾花が靡(なび)けば月も射(さ)す。いで、紺青(こんじょう)の波を蹈んで、水天の間に糸のごとき大島山に飛ばんず姿。巨匠が鑿(のみ)を施した、青銅の獅子(しし)の俤(おもかげ)あり。その美しき花の衣は、彼が威霊を称(たた)えたる牡丹花(ぼたんか)の飾(かざり)に似て、根に寄る潮の玉を砕くは、日に黄金(こがね)、月に白銀、あるいは怒り、あるいは殺す、鋭(と)き大自在の爪かと見ゆる。

       二

 修業中の小次郎法師が、諸国一見の途次(みちすがら)、相州三崎まわりをして、秋谷(あきや)の海岸を通った時の事である。
 件(くだん)の大崩壊(おおくずれ)の海に突出でた、獅子王の腹を、太平洋の方から一町ばかり前途(ゆくて)に見渡す、街道端(ばた)の――直ぐ崖の下へ白浪が打寄せる――江の島と富士とを、簾(すだれ)に透かして描いたような、ちょっとした葭簀張(よしずばり)の茶店に休むと、媼(うば)が口の長い鉄葉(ブリキ)の湯沸(ゆわかし)から、渋茶を注(つ)いで、人皇(にんのう)何代の御時(おんとき)かの箱根細工の木地盆に、装溢(もりこぼ)れるばかりなのを差出した。
 床几(しょうぎ)の在処(ありか)も狭いから、今注いだので、引傾(ひっかたむ)いた、湯沸の口を吹出す湯気は、むらむらと、法師の胸に靡(なび)いたが、それさえ颯(さっ)と涼しい風で、冷い霧のかかるような、法衣(ころも)の袖は葭簀を擦って、外の小松へ飜る。
 爽(さわやか)な心持に、道中の里程を書いた、名古屋扇も開くに及ばず、畳んだなり、肩をはずした振分けの小さな荷物の、白木綿の繋(つな)ぎめを、押遣(おしや)って、
「千両、」とがぶりと呑み、
「ああ、旨(うま)い、これは結構。」と莞爾(にっこり)して、
「おいしいついでに、何と、それも甘(うま)そうだね、二ツ三ツ取って下さい。」
「はいはい、この団子でござりますか。これは貴方(あなた)、田舎出来で、沢山(たんと)甘くはござりませぬが、そのかわり、皮も餡子(あんこ)も、小米と小豆の生(き)一本でござります。」
 と小さな丸髷(まげ)を、ほくほくもの、折敷(おしき)の上へ小綺麗に取ってくれる。
 扇子(おうぎ)だけ床几に置いて、渋茶茶碗を持ったまま、一ツ撮(つま)もうとした時であった。
「ヒイ、ヒイヒイ!」と唐突(だしぬけ)に奇声を放った、濁声(だみごえ)の蜩(ひぐらし)一匹。
 法師が入った口とは対向(さしむか)い、大崩壊の方の床几のはずれに、竹柱に留まって前刻(さっき)から――胸をはだけた、手織縞(じま)の汚れた単衣(ひとえ)に、弛(ゆる)んだ帯、煮染めたような手拭(てぬぐい)をわがねた首から、頸(うなじ)へかけて、耳を蔽(おお)うまで髪の伸びた、色の黒い、巌乗(がんじょう)造りの、身の丈抜群なる和郎(わろ)一人。目の光の晃々(きらきら)と冴(さ)えたに似ず、あんぐりと口を開けて、厚い下唇を垂れたのが、別に見るものもない茶店の世帯を、きょろきょろと□(みまわ)していたのがあって――お百姓に、船頭殿は稼ぎ時、土方人足も働き盛り、日脚の八ツさがりをその体(てい)は、いずれ界隈(かいわい)の怠惰(なまけ)ものと見たばかり。小次郎法師は、別に心にも留めなかったが、不意の笑声に一驚を吃(きっ)して、和郎の顔と、折敷の団子を見較(くら)べた。
「串戯(じょうだん)ではない、お婆(ばあ)さん、お前は見懸けに寄らぬ剽軽(ひょうきん)ものだね。」
「何でござりますえ。」
「いいえさ、この団子は、こりゃ泥か埴土(ねばつち)で製(こしら)えたのじゃないのかい。」
「滅相なことをおっしゃりまし。」
 と年寄(としより)は真顔になり、見上げ皺(じわ)を沢山(たんと)寄せて、
「何を貴方、勿体もない。私(わし)もはい法然様(ほうねんさま)拝みますものでござります。吝嗇坊(しわんぼう)の柿の種が、小判小粒になればと云うて、御出家に土の団子を差上げまして済むものでござりますかよ。」
 真正直(まっしょうじき)に言訳されて、小次郎法師はちと気の毒。
「何々、そう真に受けられては困ります。この涼しさに元気づいて、半分は冗戯(じょうだん)だが、旅をすれば色々の事がある。駿州(すんしゅう)の阿部川餅(もち)は、そっくり正(しょう)のものに木で拵(こしら)えたのを、盆にのせて、看板に出してあると云います。今これを食べようとするのを見てその人が、」
 と其方(そなた)を見た、和郎はきょとんと仰向(あおむ)いて、烏も居(お)らぬに何じゃやら、頻(しきり)に空を仰いでござる。
「唐突(だしぬけ)に笑うから、ははあ、この団子も看板を取違えたのかと思ったんだよ。」
「ええ、ええ、いいえ、お前様、」
 とこざっぱりした前かけの膝(ひざ)を拍(たた)き、近寄って声を密(ひそ)め、
「これは、もし気ちがいでござりますよ。はい、」
 と云って、独りで媼(うば)は頷(うなず)いた。問わせたまわば、その仔細(しさい)の儀は承知の趣。

       三

 小次郎法師は、掛茶屋(かけじゃや)の庇(ひさし)から、天(そら)へ蝙蝠(こうもり)を吹出しそうに仰向(あおむ)いた、和郎(わろ)の面(つら)を斜(ななめ)に見遣(や)って、
「そう、気違いかい。私はまた唖(おうし)ででもあろうかと思った、立派な若い人が気の毒な。」
「お前様ね、一ツは心柄でござりますよ。」
 媼(うば)は、罪と報(むくい)を、且つ悟り且つあきらめたようなものいい。
「何か憑物(つきもの)でもしたというのか、暮し向きの屈託とでもいう事か。」
 と言い懸けて、渋茶にまた舌打しながら、円い茶の子を口の端(はた)へ持って行(ゆ)くと、さあらぬ方(かた)を見ていながら天眼通でもある事か、逸疾(いちはや)くぎろりと見附けて、
「やあ、石を噛(かじ)りゃあがる。」
 小次郎再び化転(けてん)して、
「あんな事を云うよ、お婆さん。」
「悪い餓鬼じゃ。嘉吉(かきち)や、主(ぬし)あ、もうあっちへ行(ゆ)かっしゃいよ。」
 その本体はかえって差措(さしお)き、砂地に這(は)った、朦朧(もうろう)とした影に向って、窘(たしな)めるように言った。
 潮は光るが、空は折から薄曇りである。
 法師もこれあるがために暗いような、和郎の影法師を伏目に見て、
「一ツ分けてやりましょうかね。団子が欲しいのかも知れん、それだと思いが可恐(おそろ)しい。ほんとうに石にでもなると大変。」
「食気(くいけ)の狂人(きちがい)ではござりませんに、御無用になさりまし。
 石じゃ、と申しましたのは、これでもいくらか、不断の事を、覚えていると見えまして、私(わし)がいつでもお客様に差上げますのを知っておりまして、今のように云うたのでござりましょ。
 また埴土(ねばつち)の団子じゃ、とおっしゃってはなりません。このお前様。」
 と、法師の脱いで立てかけた、檜笠(ひのきがさ)を両手に据えて、荷物の上へ直すついでに、目で教えたる葭簀(よしず)の外。
 さっくと削った荒造(あらづくり)の仁王尊が、引組(ひっく)む状(さま)の巌(いわ)続き、海を踏んで突立(つッた)つ間に、倒(さかさ)に生えかかった竹藪(たけやぶ)を一叢(ひとむら)隔てて、同じ巌(いわお)の六枚屏風(びょうぶ)、月には蒼(あお)き俤立(おもかげだ)とう――ちらほらと松も見えて、いろいろの浪を縅(おど)した、鎧(よろい)の袖を※(しぶき)[#「さんずい+散」、125-12]に翳(かざ)す。
「あれを貴下(あなた)、お通りがかりに、御覧(ごろう)じはなさりませんか。」
 と背向(うしろむ)きになって小腰を屈(かが)め、姥(うば)は七輪の炭をがさがさと火箸(ひばし)で直すと、薬缶(やかん)の尻が合点で、ちゃんと据わる。
「どの道貴下には御用はござりますまいなれど、大崩壊(おおくずれ)の突端(とっぱし)と睨(にら)み合いに、出張っておりますあの巌(いわ)を、」
 と立直って指をさしたが、片手は据え腰を、えいさ、と抱きつつ、
「あれ、あれでござります。」
 波が寄せて、あたかも風鈴が砕けた形に、ばらばらとその巌端(いわばな)に打(うち)かかる。
「あの、岩一枚、子産石(こうみいし)と申しまして、小さなのは細螺(きしゃご)、碁石(ごいし)ぐらい、頃あいの御供餅(おそなえ)ほどのから、大きなのになりますと、一人では持切れませぬようなのまで、こっとり円い、ちっと、平扁味(ひらたみ)のあります石が、どこからとなくころころと産れますでございます。
 その平扁味な処が、恰好(かっこう)よく乗りますから、二つかさねて、お持仏なり、神棚へなり、お祭りになりますと、子の無い方が、いや、もう、年子にお出来なさりますと、申しますので。
 随分お望みなさる方が多うございますが、当節では、人がせせこましくなりました。お前様、蓆戸(むしろど)の圧(おさ)えにも持って参れば、二人がかりで、沢庵石に荷(にな)って帰りますのさえござりますに因って、今が今と申して、早急には見当りませぬ。
 随分と御遠方、わざわざ拾いにござらして、力を落す方がござりますので、こうやって近間に店を出しておりますから、朝晩汐時(しおどき)を見ては拾っておきまして、お客様には、お土産かたがた、毎度婆々(ばば)が御愛嬌(ごあいきょう)に進ぜるものでござりますから、つい人様が御存じで、葉山あたりから遊びにござります、書生さんなぞは、
(婆さん、子は要らんが、女親を一つ寄越(よこ)せ。)
 なんて、おからかいなされまする。
 それを見い見い知っていて、この嘉吉の狂人(きちがい)が、いかな事、私(わし)があげましたものを召食(めしあが)ろうとするのを見て、石じゃ、と云うのでござりますよ。」

       四

「それではお婆さん楽隠居だ。孫子がさぞ大勢あんなさろうね。」
 と小次郎法師は、話を聞き聞き、子産石の方(かた)を覗(のぞ)きたれば、面白や浪の、云うことも上の空。
 トお茶注(さ)しましょうと出しかけた、塗盆(ぬりぼん)を膝に伏せて、ふと黙って、姥(うば)は寂しそうに傾いたが、
「何のお前様、この年になりますまで、孫子の影も見はしませぬ。爺(じじい)殿と二人きりで、雨のさみしさ、行燈(あんどう)の薄寒さに、心細う、果敢(はか)ないにつけまして、小児衆(こどもしゅう)を欲しがるお方の、お心を察しますで、のう、子産石も一つ一つ、信心して進じます。
 長い月日の事でござりますから、里の人達は私等(わしら)が事を、人に子だねを進ぜるで、二人が実を持たぬのじゃ、と云いますがの、今ではそれさえ本望で、せめてもの心ゆかしでござりますよ。」
 とかごとがましい口ぶりだったが、柔和な顔に顰(ひそ)みも見えず、温順に莞爾(にっこり)して、
「御新造様(ごしんぞさま)がおありなさりますれば、御坊様(ごぼうさま)にも一かさね、子産石を進ぜましょうに……」
「とんでもない。この団子でも石になれば、それで村方勧化(かんげ)でもしようけれど、あいにく三界に家なしです。
 しかし今聞いたようでは、さぞお前さんがたは寂(さみ)しかろうね。」
「はい、はい、いえ、御坊様の前で申しましては、お追従(ついしょう)のようでござりますが、仏様は御方便、難有(ありがた)いことでござります。こうやって愛想気(あいそっけ)もない婆々(ばば)が許(とこ)でも、お休み下さりますお人たちに、お茶のお給仕をしておりますれば、何やかや賑(にぎ)やかで、世間話で、ついうかうかと日を暮しますでござります。
 ああ、もしもし、」
 と街道へ、
「休まっしゃりまし。」と呼びかけた。
 車輪のごとき大(おおき)さの、紅白段々(だんだら)の夏の蝶、河床(かわどこ)は草にかくれて、清水のあとの土に輝く、山際に翼を廻すは、白の脚絆(きゃはん)、草鞋穿(わらじばき)、かすりの単衣(ひとえ)のまくり手に、その看板の洋傘(こうもり)を、手拭(てぬぐい)持つ手に差翳(さしかざ)した、三十(みそぢ)ばかりの女房で。
 あんぺら帽子を阿弥陀(あみだ)かぶり、縞(しま)の襯衣(しゃつ)の大膚脱(おおはだぬぎ)、赤い団扇(うちわ)を帯にさして、手甲(てっこう)、甲掛(こうがけ)厳重に、荷をかついで続くは亭主。
 店から呼んだ姥の声に、女房がちょっと会釈する時、束髪(たばねがみ)の鬢(びん)が戦(そよ)いで、前(さき)を急ぐか、そのまま通る。
 前帯をしゃんとした細腰を、廂(ひさし)にぶらさがるようにして、綻(ほころ)びた脇の下から、狂人(きちがい)の嘉吉は、きょろりと一目。
 ふらふらと葭簀(よしず)を離れて、早や六七間行過ぎた、女房のあとを、すたすたと跣足(はだし)の砂路(すなみち)。
 ほこりを黄色に、ばっと立てて、擦寄って、附着(くッつ)いたが、女房のその洋傘(こうもり)から伸(のし)かかって見越(みこし)入道。
「イヒヒ、イヒヒヒ、」
「これ、悪戯(いたずら)をするでないよ。」
 と姥が爪立(つまだ)って窘(たしな)めたのと、笑声が、ほとんど一所に小次郎法師の耳に入った。
 あたかもその時、亭主驚いたか高調子に、
「傘や洋傘(こうもり)の繕い!――洋傘(こうもりがさ)張替(はりかえ)繕い直し……」
 蝉の鳴く音(ね)を貫いて、誰も通らぬ四辺(あたり)に響いた。
 隙(すか)さず、この不気味な和郎を、女房から押隔てて、荷を真中(まんなか)へ振込むと、流眄(しりめ)に一睨(にら)み、直ぐ、急足(いそぎあし)になるあとから、和郎は、のそのそ――大(おおき)な影を引いて続く。
「御覧(ごろう)じまし、あの通り困ったものでござります。」
 法師も言葉なく見送るうち、沖から来るか、途絶えては、ずしりと崖を打つ音が、松風と行違いに、向うの山に三度ばかり浪の調べを通わすほどに、紅白段々(だんだら)の洋傘(こうもり)は、小さく鞠(まり)のようになって、人の頭(かしら)が入交(いれま)ぜに、空へ突きながら行(ゆ)くかと見えて、一条道(ひとすじみち)のそこまでは一軒の苫屋(とまや)もない、彼方(かなた)大崩壊の腰を、点々(ぽつぽつ)。

       五

「あれ、あの大崩壊(おおくずれ)の崖の前途(むこう)へ、皆が見えなくなりました。
 ちょうど、あれを出ました、下の浜でござります。唯今(ただいま)の狂人(きちがい)が、酒に酔って打倒(ぶったお)れておりましたのは……はい、あれは嘉吉と申しまして、私等(わしら)秋谷在の、いけずな野郎でござりましての。
 その飲んだくれます事、怠ける工合(ぐあい)、まともな人間から見ますれば、真(ほん)に正気の沙汰(さた)ではござりませなんだが、それでもどうやら人並に、正月はめでたがり、盆は忙しがりまして、別に気が触れた奴(やつ)ではござりません。いつでも村の御祭礼(おまつり)のように、遊ぶが病気(やまい)でござりましたが、この春頃に、何と発心をしましたか、自分が望みで、三浦三崎のさる酒問屋(さかどいや)へ、奉公をしたでござります。
 つい夏の取着(とッつ)きに、御主人のいいつけで、清酒(すみざけ)をの、お前様、沢山(たんと)でもござりませぬ。三樽(みたる)ばかり船に積んで、船頭殿が一人、嘉吉めが上乗(うわの)りで、この葉山の小売店(みせ)へ卸しに来たでござります。
 葉山森戸などへ三崎の方から帰ります、この辺のお百姓や、漁師たち、顔を知ったものが、途中から、乗(のっ)けてくらっせえ、明いてる船じゃ、と渡場(わたしば)でも船つきでもござりませぬ。海岸の岩の上や、磯(いそ)の松の根方から、おおいおおい、と板東声(ばんどうごえ)で呼ばり立って、とうとう五人がとこ押込みましたは、以上七人になりました、よの。
 どれもどれも、碌(ろく)でなしが、得手に帆じゃ。船は走る、口は辷(すべ)る、凪(なぎ)はよし、大話しをし草臥(くたぶ)れ、嘉吉めは胴の間(ま)の横木を枕に、踏反返(ふんぞりかえ)って、ぐうぐう高鼾(たかいびき)になったげにござります。
 路に灘(なだ)はござりませぬが、樽の香が芬々(ぷんぷん)して、鮹(たこ)も浮きそうな凪の好(よ)さ。せめて船にでも酔いたい、と一人が串戯(じょうだん)に言い出しますと、何と一樽賭(か)けまいか、飲むことは銘々が勝手次第、勝負の上から代銭を払えば可(い)い、面白い、遣(や)るべいじゃ。
 煙管(きせる)の吸口ででも結構に樽へ穴を開ける徒(てあい)が、大びらに呑口切って、お前様、お船頭、弁当箱の空(あき)はなしか、といびつ形(なり)の切溜(きりだめ)を、大海でざぶりとゆすいで、その皮づつみに、せせり残しの、醤油かすを指のさきで嘗(な)めながら、まわしのみの煽(あお)っきり。
 天下晴れて、財布の紐(ひも)を外すやら、胴巻を解くやらして、賭博(なぐさみ)をはじめますと、お船頭が黙ってはおりませぬ。」
「叱言(こごと)を云って留めましたか。さすがは船頭、字で書いても船の頭(かしら)だね。」
 と真顔で法師の言うのを聞いて、姥(うば)は、いかさまな、その年少(としわか)で、出家でもしそうな人、とさも憐(あわれ)んだ趣で、
「まあ、お人の好(い)い。なるほど船頭を字に書けば、船の頭でござりましょ。そりゃもう船の頭だけに、極(きま)り処はちゃんと極って、間違いのない事をいたしました。」
「どうしたかね。」
「五人徒(であい)が賽(さい)の目に並んでおります、真中(まんなか)へ割込んで、まず帆を下ろしたのでござります。」
 と莞爾(にっこり)して顔を見る。
 いささかもその意を得ないで、
「なぜだろうかね。」
「この追手じゃ、帆があっては、丁と云う間に葉山へ着く。ふわふわと海月(くらげ)泳ぎに、船を浮かせながらゆっくり遣るべい。
 その事よ。四海波静かにて、波も動かぬ時津風、枝を鳴らさぬ御代(みよ)なれや、と勿体ない、祝言の小謡(こうたい)を、聞噛(ききかじ)りに謳(うた)う下から、勝負!とそれ、銭(おあし)の取遣(とりや)り。板子の下が地獄なら、上も修羅道(しゅらどう)でござります。」
「船頭も同類かい、何の事じゃ、」
 と法師は新(あらた)になみなみとある茶碗を大切そうに両手で持って、苦笑いをするのであった。
「それはお前様、あの徒(てあい)と申しますものは、……まあ、海へ出て岸をば□(みまわ)して御覧(ごろう)じまし。巌(いわ)の窪みはどこもかしこも、賭博(ばくち)の壺(つぼ)に、鰒(あわび)の蓋(ふた)。蟹(かに)の穴でない処は、皆意銭(あないち)のあとでござります。珍しい事も、不思議な事もないけれど、その時のは、はい、嘉吉に取っては、あやかしが着きましたじゃ。のう、便船(びんせん)しょう、便船しょう、と船を渚(なぎさ)へ引寄せては、巌端(いわばな)から、松の下から、飜然々々(ひらりひらり)と乗りましたのは、魔がさしたのでござりましたよ。」

       六

「魅入られたようになりまして、ぐっすり寝込みました嘉吉の奴。浪の音は耳馴(な)れても、磯近(いそぢか)へ舳(へさき)が廻って、松の風に揺り起され、肌寒うなって目を覚ましますと、そのお前様……体裁(ていたらく)。
 山へ上(あが)ったというではなし、たかだか船の中の車座、そんな事は平気な野郎も、酒樽の三番叟(さんばそう)、とうとうたらりたらりには肝を潰(つぶ)して、(やい、此奴等(こいつら)、)とはずみに引傾(ひっかた)がります船底へ、仁王立に踏(ふみ)ごたえて、喚(わめ)いたそうにござります。
 騒ぐな。
 騒ぐまいてや、やい、嘉吉、こう見た処で、二歩(ぶ)と一両、貴様に貸(かし)のない顔はないけれど、主人のものじゃ。引負(ひきおい)をさせてまで、勘定を合わしょうなんど因業(いんごう)な事は言わぬ。場銭を集めて一樽買ったら言分あるまい。代物さえ持って帰れば、どこへ売っても仔細(しさい)はない。
 なるほど言われればその通り、言訳の出来ぬことはござりませぬわ、のう。
 銭さえ払えば可(い)いとして、船頭やい、船はどうする、と嘉吉が云いますと、ばら銭を掴(にぎ)った拳(こぶし)を向顱巻(むかうはちまき)の上さ突出して、半だ半だ、何、船だ。船だ船だ、と夢中でおります。
 嘉吉が、そこで、はい、櫓(ろ)を握って、ぎっちらこ。幽霊船の歩(ぶ)に取られたような顔つきで、漕出(こぎだ)したげでござりますが、酒の匂(におい)に我慢が出来ず……
 御繁昌(ごはんじょう)の旦那(だんな)から、一杯おみきを遣わされ、と咽喉(のど)をごくごくさして、口を開けるで、さあ、飲まっせえ、と注(つ)ぎにかかる、と幾干(いくら)か差引くか、と念を推したげで、のう、ここらは確(たしか)でござりました。
 幡随院長兵衛じゃ、酒を振舞うて銭を取るか。しみったれたことを云うな、と勝った奴がいきります。
 お手渡(てわたし)で下される儀は、皆の衆も御面倒、これへ、と云うて、あか柄杓(びしゃく)を突出いて、どうどうと受けました。あの大面(おおづら)が、お前様、片手で櫓を、はい、押しながら、その馬柄杓(ばびしゃく)のようなもので、片手で、ぐいぐいと煽(あお)ったげな。
 酒は一樽打抜(ぶちぬ)いたで、ちっとも惜気(おしげ)はござりませぬ。海からでも湧出すように、大気になって、もう一つやらっせえ、丁だ、それ、心祝いに飲ますべい、代は要らぬ。
 帰命頂礼(きみょうちょうらい)、賽(さい)ころ明神の兀天窓(はげあたま)、光る光る、と追従(ついしょう)云うて、あか柄杓へまた一杯、煽るほどに飲むほどに、櫓拍子(ろびょうし)が乱になって、船はぐらぐら大揺れ小揺れじゃ、こりゃならぬ、賽が据(すわ)らぬ。
 ええ、気に入らずば代って漕(こ)げさ、と滅多押しに、それでも、大崩壊(おおくずれ)の鼻を廻って、出島の中へ漕ぎ入れたでござります。
 さあ、内海(うちうみ)の青畳、座敷へ入ったも同(おんな)じじゃ、と心が緩むと、嘉吉奴(め)が、酒代を渡してくれ、勝負が済むまで内金を受取ろう、と櫓を離した手に銭(おあし)を握ると、懐へでも入れることか、片手に、あか柄杓(びしゃく)を持ったなりで、チョボ一の中へ飛込みましたが。
 はて、河童(かっぱ)野郎、身投(みなげ)するより始末の悪さ。こうなっては、お前様、もう浮ぶ瀬はござりませぬ。
 取られて取られて、とうとう、のう、御主人へ持って行(ゆ)く、一樽のお代を無(みな)にしました。処で、自棄(やけ)じゃ、賽の目が十(とお)に見えて、わいらの頭が五十ある、浜がぐるぐる廻るわ廻るわ。さあ漕がば漕げ、殺さば殺せ、とまたふんぞった時分には、ものの一斗ぐらい嘉吉一人で飲んだであろ。七人のあたまさえ四斗樽、これがあらかた片附いて、浜へ樽を上げた時、重いつもりで両手をかけて、えい、と腰を切った拍子抜けに、向うへのめって、樽が、ばっちゃん、嘉吉がころり、どんとのめりましたきり、早や死んだも同然。
 船はそれまで、ぐるりぐるりと長者園の浦を廻って、ちょうどあの、活動写真の難船見たよう、波風の音もせずに漂うていましたげな。両膚脱(りょうはだぬぎ)の胸毛や、大胡坐(おおあぐら)の脛の毛へ、夕風が颯(さっ)とかかって、悚然(ぞっ)として、皆(みんな)が少し正気づくと、一ツ星も見えまする。大巌(おおいわ)の崖が薄黒く、目の前へ蔽被(おっかぶ)さって、物凄(ものすご)うもなりましたので、褌(ふんどし)を緊(し)め直すやら、膝小僧(ひざっこぞう)を合わせるやら、お船頭が、ほういほうい、と鳥のような懸声で、浜へ船をつけまして、正体のない嘉吉を撲(な)ぐる。と、むっくり起きたが、その酒樽の軽いのに、本性違(たが)わず気落(きおち)がして、右の、倒れたものでござりますよ。はい。」

       七

「仰向様(あおのけざま)に、火のような息を吹いて、身体(からだ)から染出(しみだ)します、酒が砂へ露を打つ。晩方の涼しさにも、蚊や蠅が寄って来る。
 奴(やっこ)は、打(ぶ)っても、叩いても、起(おき)ることではござりませぬがの。
 かかり合(あい)は免(のが)れぬ、と小力(こぢから)のある男が、力を貸して、船頭まじりに、この徒(てあい)とて確(たしか)ではござりませなんだ。ひょろひょろしながら、あとのまず二樽(たる)は、荷(にな)って小売店(みせ)へ届けました。
 嘉吉の始末でござります。それなり船の荷物にして、積んで帰れば片附きますが、死骸(しがい)ではない、酔ったもの、醒(さ)めた時の挨拶が厄介じゃ、とお船頭は遁(にげ)を打って、帆を掛けて、海の靄(もや)へと隠れました。
 どの道訳を立ていでは、主人方へ帰られる身体ではござりませぬで、一まず、秋谷の親許(おやもと)へ届ける相談にかかりましたが、またこのお荷物が、御覧の通りの大男。それに、はい、のめったきり、捏(てこ)でも動かぬに困(こう)じ果てて、すっぱすっぱ煙草(たばこ)を吹かすやら、お前様、嚔(くしゃみ)をするやら、向脛(むかはぎ)へ集(たか)る蚊を踵(かかと)で揉殺(もみころ)すやら、泥に酔った大鮫(おおざめ)のような嘉吉を、浪打際に押取巻(おっとりま)いて、小田原評定(ひょうじょう)。持て余しておりました処へ、ちょうど荷車を曳(ひ)きまして、藤沢から一日路(みち)、この街道つづきの長者園の土手へ通りかかりましたのが……」
 茜色(あかねいろ)の顱巻(はちまき)を、白髪天窓(しらがあたま)にちょきり結び。結び目の押立(おった)って、威勢の可(い)いのが、弁慶蟹(がに)の、濡色あかき鋏(はさみ)に似たのに、またその左の腕片々(かたかた)、へし曲って脇腹へ、ぱツと開(あ)け、ぐいと握る、指と掌(てのひら)は動くけれども、肱(ひじ)は附着(くッつ)いてちっとも伸びず。銅(あかがね)で鋳たような。……その仔細(しさい)を尋ぬれば、心がらとは言いながら、去(さんぬ)る年、一膳(ぜん)飯屋でぐでんになり、冥途(めいど)の宵を照らしますじゃ、と碌(ろく)でもない秀句を吐いて、井桁(いげた)の中に横木瓜(もっこう)、田舎の暗夜(やみ)には通りものの提灯(ちょうちん)を借りたので、蠣殻道(かきがらみち)を照らしながら、安政の地震に出来た、古い処を、鼻唄で、地(つち)が崩れそうなひょろひょろ歩行(ある)き。好(い)い心持に眠気がさすと、邪魔な灯(あかり)を肱(ひじ)にかけて、腕を鍵形(かぎなり)に両手を組み、ハテ怪しやな、汝(おのれ)、人魂(ひとだま)か、金精(かねだま)か、正体を顕(あらわ)せろ! とトロンコの据眼(すえまなこ)で、提灯を下目に睨(にら)む、とぐたりとなった、並木の下。地虫のような鼾(いびき)を立てつつ、大崩壊に差懸(さしかか)ると、海が変って、太平洋を煽(あお)る風に、提灯の蝋(ろう)が倒れて、めらめらと燃えついた。沖の漁火(いさりび)を袖に呼んで、胸毛がじりじりに仰天し、やあ、コン畜生、火の車め、まだ疾(はえ)え、と鬼と組んだ横倒れ、転廻(ころがりまわ)って揉消(もみけ)して、生命(いのち)に別条はなかった。が、その時の大火傷(おおやけど)、享年六十有七歳にして、生まれもつかぬ不具(かたわ)もの――渾名(あだな)を、てんぼう蟹(がに)の宰八(さいはち)と云う、秋谷在の名物親仁(おやじ)。
「……私(わし)が爺(じじい)殿でござります。」
 と姥(うば)は云って、微笑(ほほえ)んだ。
 小次郎法師は、寿(ことぶ)くごとく、一揖(いちゆう)して、
「成程、尉(じょう)殿だね。」と祝儀する。
「いえ、もう気ままものの碌でなしでござりますが、お庇(かげ)さまで、至って元気がようござりますので、御懇意な近所へは、進退(かけひき)が厭(いや)じゃ、とのう、葉山を越して、日影から、田越逗子(たごえずし)の方へ、遠くまで、てんぼうの肩に背負籠(しょいかご)して、栄螺(さざえ)や、とこぶし、もろ鯵(あじ)の開き、うるめ鰯(いわし)の目刺など持ちましては、飲代(のみしろ)にいたしますが、その時はお前様、村のもとの庄屋様、代々長者の鶴谷(つるや)喜十郎様、」
 と丁寧に名のりを上げて、
「これが私(わし)ども、お主(しゅ)筋に当りましての。そのお邸(やしき)の御用で、東海道の藤沢まで、買物に行ったのでござりました。
 一月に一度ぐらいは、種々(いろいろ)入用のものを、塩やら醤油やら、小さなものは洋燈(ランプ)の心まで、一車(ひとくるま)ずつ調えさっしゃります。
 横浜は西洋臭し、三崎は品が落着かず、界隈(かいわい)は間に合わせの俄(にわか)仕入れ、しけものが多うござりますので、どうしても目量(めかた)のある、ずッしりしたお堅いものは、昔からの藤沢に限りますので、おねだんも安し、徳用向きゆえ、御大家の買物はまた別で、」
 と姥は糸を操るような話しぶり。心のどかに口をまわして、自分もまたお茶参った。
 しばらく往来もなかったのである。

       八

「……おう、宰八か。お爺(じい)、在所へ帰るだら、これさ一個(ひとつ)、産神様(うぶすなさま)へ届けてくんな。ちょうどはい、その荷車は幸(さいわい)だ、と言わっしゃる。
 見ると、お前様、嘉吉めが、今申したその体(てい)でござりましょ。
 同(おんな)じ産神様氏子(うじこ)夥間(なかま)じゃ。承知なれど、私(わし)はこれ、手がこの通り、思うように荷が着けられぬ。御身(おみ)たちあんばいよう直さっしゃい、荷の上へ載(の)せべい、と爺(じじい)どのが云いますとの。
 何(あに)お爺(じ)い、そのまま上へ積まっしゃい、と早や二人して、嘉吉めが天窓(あたま)と足を、引立てるではござりませぬか。
 爺どのが、待たっしゃい、鶴谷様のお使いで、綿を大(いか)いこと買うて来たが、醤油樽や石油缶の下積になっては悪かんべいと、上荷に積んであるもんだ。喜十郎旦那が許(とこ)で、ふっくりと入れさっしゃる綿の初穂へ、その酒浸しの怪物(ばけもの)さ、押(おっ)ころばしては相成んねえ、柔々(やわやわ)積方も直さっしゃい、と利かぬ手の拳(こぶし)を握って、一力味(ひとりきみ)力みましけ。
 七面倒な、こうすべい、と荒稼ぎの気短徒(きみじかてあい)じゃ。お前様、上(うわ)かがりの縄の先を、嘉吉が胴中(どうなか)へ結(ゆわ)へ附けて、車の輪に障らぬまでに、横づけに縛りました。
 賃銭の外じゃ、落しても大事ない。さらば急いで帰らっしゃれ。しゃんしゃんと手を拍(たた)いて、賭博(ばくち)に勝ったものも、負けたものも、飲んだ酒と差引いて、誰も損はござりませぬ。可(い)い機嫌のそそり節、尻まで捲(まく)った脛(すね)の向く方へ、ぞろぞろと散ったげにござります。
 爺どのは、どっこいしょ、と横木に肩を入れ直いて、てんぼうの片手押しは、胸が力でござります。人通りが少いで、露にひろがりました浜昼顔の、ちらちらと咲いた上を、ぐいと曳(ひき)出して、それから、がたがた。
 大崩(おおくずれ)まで葉山からは、だらだらの爪先上(つまさきあが)り。後はなぞえに下り道。車がはずんで、ごろごろと、私(わし)がこの茶店の前まで参った時じゃ、と……申します。
 やい、枕をくれ、枕をくれ、と嘉吉めが喚(わめ)くげな。
 何吐(ぬか)すぞい、この野郎、贅沢(ぜいたく)べいこくなてえ、狐店(きつねみせ)の白ッ首と間違えてけつかるそうな、とぶつぶつ口叱言(くちこごと)を申しましての、爺どのが振向きもせずに、ぐんぐん曳(ひ)いたと思わっしゃりまし。」
「何か、夢でも見たろうかね。」
「夢どころではござりますか、お前様、直ぐに縊(しめ)殺されそうな声を出して、苦しい、苦しい、鼻血が出るわ、目がまうわ、天窓(あたま)を上へ上げてくれ。やい、どうするだ、さあ、殺さば殺せ、漕(こ)がば漕げ、とまだ夢中で、嘉吉めは船に居る気でおります、よの。
 胴中の縄が弛(ゆる)んで、天窓が地(つち)へ擦れ擦れに、倒(さかさま)になっておりますそうな。こりゃもっともじゃ、のう、たっての苦悩(くるしみ)。
 酒が上(のぼ)って、醒(さ)めずにいたりゃ本望だんべい、俺(わし)ら手が利かねえだに、もうちっとだ辛抱せろ、とぐらぐらと揺り出しますと、死ぬる、死ぬる、助け船引[#「引」は小書き]と火を吹きそうに喚(わめ)いた、とのう。
 この中ではござりませぬ、」
 と姥は葭簀(よしず)の外を見て、
「廂(ひさし)の蔭じゃったげにござります。浪が届きませぬばかり。低い三日月様を、漆(うるし)見たような高い髷(まげ)からはずさっせえまして、真白(まっしろ)なのを顔に当てて、団扇(うちわ)が衣服(きもの)を掛けたげな、影の涼しい、姿の長い、裾(すそ)の薄蒼(あお)い、悚然(ぞっ)とするほど美しらしいお人が一方。
 すらすら道端へ出さっせての、
(…………)
 爺どのを呼留めて、これは罪人か――と問わしつけえよ。
 食物(くいもの)も代物(しろもの)も、新しい買物じゃ。縁起でもない事の。罪人を上積みにしてどうしべい、これこれでござる。と云うと、可哀相に苦しかろう、と団扇を取って、薄い羽のように、一文字に、横に口へ啣(くわ)えさしった。
 その時は、爺どのの方へ背(せなか)を向けて、顔をこう斜(はす)っかいに、」
 と法師から打背(うちそむ)く、と俤(おもかげ)のその薄月の、婦人(おんな)の風情を思遣(おもいや)ればか、葦簀(よしず)をはずれた日のかげりに、姥の頸(うなじ)が白かった。
 荷物の方へ、するすると膝を寄せて、
「そこで?」
「はい、両手を下げて、白いその両方の掌(てのひら)を合わせて、がっくりとなった嘉吉の首を、四五本目の輻(やぼね)の辺(あたり)で、上へ支(ささ)げて持たっせえた。おもみが掛(かか)ったか、姿を絞って、肩が細(ほっそ)りしましたげなよ。」

       九

「介抱しよう、お下ろしな、と言わっしゃる。
 その位な荒療治で、寝汗一つ取れる奴か。打棄(うっちゃ)っておかっせえ。面倒臭い、と顱巻(はちまき)しめた頭を掉(ふ)って云うたれば、どこまで行(ゆ)く、と聞かしっけえ。
 途中さまざまの隙(ひま)ざえで、爺(じじい)どのもむかっぱらじゃ、秋谷鎮座の明神様、俺等(わしら)が産神(うぶすな)へ届け物だ、とずッきり饒舌(しゃべ)ると、
(受取りましょう、ここで可(い)いから。)
(お前様は?)
(ああ、明神様の侍女(こしもと)よ。)と言わっしゃった。
 月に浪が懸(かか)りますように、さらさらと、風が吹きますと、揺れながらこの葦簀(よしず)の蔭が、格子縞(じま)のように御袖へ映って、雪の膚(はだ)まで透通って、四辺(あたり)には影もない。中空を見ますれば、白鷺(しらさぎ)の飛ぶような雲が見えて、ざっと一浪打ちました。
 爺どのは悚然(ぞっ)として、はい、はい、と柔順(すなお)になって、縄を解くと、ずりこけての、嘉吉のあの図体が、どたりと荷車から。貴女(あなた)は擡(もた)げた手を下へ、地の上へ着けるように、嘉吉の頭を下ろさっせえた。
 足をばたばたの、手によいよい、輻(やぼね)も蹴(け)はずしそうに悶(もが)きますわの。
(ああ、お前はもう可(い)いから。)邪魔もののようにおっしゃったで、爺どのは心外じゃ……
 何の、心外がらずともの、いけずな親仁(おやじ)でござりますがの、ほほ、ほほ。」
「いや、いや、私が聞いただけでも、何か、こうわざと邪慳(じゃけん)に取扱ったようで、対手(あいて)がその酔漢(よいどれ)を労(いたわ)るというだけに、黙ってはおられません。何だか寝覚(ねざめ)が悪いようだね。」
「ええ、串戯(じょうだん)にも、氏神様(うじがみさま)の知己(ちかづき)じゃと言わっしゃりましたけに、嘉吉を荷車に縛りましたのは、明神様の同一(おなじ)孫児(まごこ)を、継子(ままこ)扱いにしましたようで、貴女(あなた)へも聞えが悪うござりますので。
 綿の上積(うわづみ)[#ルビの「うわづみ」は底本では「うわずみ」]一件から荷に奴(やっこ)を縛ったは、爺(じい)どのが自分したことではない事を、言訳がましく饒舌(しゃべ)りますと、(可いから、お前はあっちへ、)と、こうじゃとの。
(可(よ)かあねえだ。もの、理合(りあい)を言わねえ事にゃ、ハイ気が済みましねえ。お前様も明神様お知己(ちかづき)なら聞かっしゃい。老耆(おいぼれ)の手(てん)ぼう爺(じじい)に、若いものの酔漢(よいどれ)の介抱(やっかい)が何(あに)、出来べい。神様も分らねえ、こんな、くだま野郎を労ってやらっしゃる御慈悲い深い思召(おぼしめし)で、何でこれ、私等(わしら)婆様の中に、小児(こども)一人授けちゃくれさっしゃらぬ。それも可い、無い子だねなら断念(あきら)めべいが、提灯(ちょうちん)で火傷(やけど)をするのを、何で、黙って見てござった。私(わし)が手(てん)ぼうでせえなくば、おなじ車に結(ゆわ)えるちゅうて、こう、けんどんに、倒(さかしま)にゃ縛らねえだ。初対面のお前様見さっしゃる目に、えら俺(わし)が非道なようで、寝覚が悪い、)と顱巻(はちまき)を掉立(ふりた)てますと、のう。
(早く、お帰り、)と、継穂がないわの。
(いんにゃ、理を言わねえじゃ、)とまだ早や一概に捏(こ)ねようとしましたら……
(おいでよ、)と、お前様ね。
 団扇(うちわ)で顔を隠さしったなり。背後(うしろ)へ雪のような手を伸(のば)して、荷車ごと爺(じい)どのを、推遣(おしや)るようにさっせえた。お手の指が白々と、こう輻(やぼね)の上で、糸車に、はい、綿屑がかかったげに、月の光で動いたらばの、ぐるぐるぐると輪が廻って、爺(じじい)どのの背(せなか)へ、荷車が、乗被(のっかぶ)さるではござりませぬか。」
「おおおお、」
 と、法師は目を□(みは)って固唾(かたず)を呑む。
「吃驚(びっくり)亀の子、空へ何と、爺どのは手を泳がせて、自分の曳(ひ)いた荷車に、がらがら背後(うしろ)から押出されて、わい、というたぎり、一呼吸(ひといき)に村の取着(とッつ)き、あれから、この街道が鍋(なべ)づる形(なり)に曲ります、明神様、森の石段まで、ひとりでに駆出しましたげな。
 もっとも見さっしゃります通り、道はなぞえに、向(むこう)へ低くはなりますが、下り坂と云う程ではなし、その疾(はや)いこと。一なだれに辷(すべ)ったようで、やっと石段の下で、うむ、とこたえて踏留まりますと、はずみのついた車めは、がたがたと石ころの上を空廻りして、躍ったげにござります。
 見上げる空の森は暗し、爺どのは、身震いをしたと申しますがの。」

       十

「利かぬ気の親仁(おやじ)じゃ、お前様、月夜の遠見に、纏(まと)ったものの形は、葦簀張(よしずばり)の柱の根を圧(おさ)えて置きます、お前様の背後(うしろ)の、その石□(いしころ)か、私(わし)が立掛けて置いて帰ります、この床几(しょうぎ)の影ばかり。
 大崩壊(おおくずれ)まで見通しになって、貴女(あなた)の姿は、蜘蛛巣(くものす)ほども見えませぬ。それをの、透かし透かし、山際に附着(くッつ)いて、薄墨引いた草の上を、跫音(あしおと)を盗んで引返(ひっかえ)しましたげな。
 嘉吉をどう始末さっしゃるか、それを見届けよう、という、爺(じじい)どの了簡(りょうけん)でござります。
 荷車はの、明神様石段の前を行(ゆ)けば、御存じの三崎街道、横へ切れる畦道(あぜみち)が在所の入口でござりますで、そこへ引込んだものでござります。人気も穏(おだやか)なり、積んだものを見たばかりで、鶴谷様御用、と札の建ったも同一(おなじ)じゃで、誰も手の障(さ)え人(て)はござりませぬで。
 爺どのは、這(は)うようにして、身体(からだ)を隠して引返したと言いましけ。よう姿が隠さりょう、光った天窓(あたま)と、顱巻(はちまき)の茜色(あかねいろ)が月夜に消えるか。主(ぬし)ゃそこで早や、貴女(あなた)の術で、活(い)きながら鋏(はさみ)の紅(あか)い月影の蟹(かに)になった、とあとで村の衆にひやかされて、ええ、措(お)けやい、気味の悪い、と目をぱちくり、泡を吹いたでござりますよ。
 笑うてやらっしゃりませ。いけ年を仕(つかまつ)って、貴女が、去(い)ね、とおっしゃったを止(よ)せば可(よ)いことでござります。」
 法師はかくと聞いて眉を顰(ひそ)め、
「笑い事ではない。何かお爺様(じいさん)に異状でもありましたか。」
「お目こぼしでござります、」
 と姥は謹んだ、顔色(かおつき)して、
「爺どのはお庇(かげ)と何事もござりませんで、今日も鶴谷様の野良へ手伝いに参っております。」
「じゃ、その嘉吉と云うのばかりが、変な目に逢ったんだね。」
「それも心がらでござります。はじめはお前様、貴女(あなた)が御親切に、勿体ない……お手ずから薫(かおり)の高い、水晶を噛(か)みますような、涼しいお薬を下さって、水ごと残しておきました、……この手桶(おけ)から、」……
 と姥は見返る。捧げた心か、葦簀(よしず)に挟んで、常夏(とこなつ)の花のあるが下(もと)に、日影涼しい手桶が一個(ひとつ)、輪の上に、――大方その時以来であろう――注連(しめ)を張ったが、まだ新しい。
「水も汲(く)んで、くくめておやり遊ばした。嘉吉の我に返った処で、心得違いをしたために、主人の許(とこ)へ帰れずば、これを代(しろ)に言訳して、と結構な御宝を。……
 それがお前様、真緑(まみどり)の、光のある、美しい、珠じゃったげにございます。
 爺どのが、潜り込んだ草の中から、その蟹の目を密(そっ)と出して、見た時じゃったと申します。
 こう、貴女がお持ちなさりました指の尖(さき)へ、ほんのりと蒼(あお)く映って、白いお手の透いた処は、大(おおき)な蛍をお撮(つま)みなさりましたようじゃげな。
 貴女のお身体(からだ)に附属(つい)ていてこそじゃが、やがて、はい、その光は、嘉吉が賽(さい)ころを振る掌(てのひら)の中へ、消えましたとの。
 それから、抜かっしゃりましたものらしい、少し俯向(うつむ)いて、ええ、やっぱり、顔へは団扇を当てたまんまで、お髪(ぐし)の黒い、前の方へ、軽く簪(かんざし)をお挿(さし)なされて、お草履か、雪駄(せった)かの、それなりに、はい、すらすらと、月と一所に女浪(めなみ)のように歩行(ある)かっしゃる。
 これでまた爺どのは悚然(ぞっ)としたげな。のう、いかな事でも、明神様の知己(ちかづき)じゃ言わしったは串戯(じょうだん)で、大方は、葉山あたりの誰方(どなた)のか御別荘から、お忍びの方と思わしっけがの。
 今行(ゆ)かっしゃるのは反対(あべこべ)に秋谷の方じゃ。……はてな、と思うと、変った事は、そればかりではござりませぬよ。
 嘉吉の奴(やつ)がの、あろう事か、慈悲を垂れりゃ、何とやら。珠は掴(つか)む、酒の上じゃ、はじめはただ、御恩返しじゃの、お名前を聞きたいの、ただ一目お顔の、とこだわりましけ。柳に受けて歩行(ある)かっしゃるで、機織場(はたおりば)の姉(ねえ)やが許(とこ)へ、夜さり、畦道(あぜみち)を通う時の高声の唄のような、真似もならぬ大口利いて、果(はて)は増長この上なし、袖を引いて、手を廻して、背後(うしろ)から抱きつきおる。
 爺どのは冷汗掻(か)いたげな。や、それでも召ものの裾(すそ)に、草鞋(わらじ)が引(ひっ)かかりましたように、するすると嘉吉に抱かれて、前ざまに行(ゆ)かっしゃったそうながの、お前様、飛んでもない、」
「怪(け)しからん事を――またしたもんです。」
 と小次郎法師は苦り切る。

       十一

 姥(うば)は分別あり顔に、
「一目見たら、その御容子(ようす)だけでなりと、分りそうなものでござります。
 貴女(あなた)が神にせよ、また人間にしました処で、嘉吉づれが口を利かれます御方ではござりませぬ。そうでなくとも、そんな御恩を被(こうむ)ったでござりますもの。拝むにも、後姿でのうては罰の当ります処、悪党なら、お前様、発心のしどころを。
 根が悪徒ではござりませぬ、取締りのない、ただぼうと、一夜酒(ひとよざけ)が沸いたような奴(やっこ)殿じゃ。薄(すすき)も、蘆(あし)も、女郎花(おみなえし)も、見境(みさかい)はござりませぬ。
 髪が長けりゃ女じゃ、と合点して、さかりのついた犬同然、珠を頂いた御恩なぞも、新屋の姉(あね)えに、藪(やぶ)の前で、牡丹餅(ぼたもち)半分分けてもろうた了簡(りょうけん)じゃで、のう、食物(たべもの)も下されば、お情(なさけ)も下さりょうぐらいに思うて、こびりついたでござります。
 弁天様の御姿にも、蠅がたかれば、お鬱陶(うっと)しい。
 通りがかりにただ見ては、草がくれの路と云うても、旱(ひでり)に枯れた、岩の裂目とより見えませぬが、」
 姥は腰を掛けたまま。さて、乗出すほどの距離でもなかった――
「直(じ)きその、向う手を分け上りますのが、山一ツ秋谷在へ近道でござりまして、馬車(うまくるま)こそ通いませぬけれども、私(わし)などは夜さり店を了(しま)いますると、お菓子、水菓子、商物(あきないもの)だけを風呂敷包、ト背負(しょい)いまして、片手に薬缶(やかん)を提げたなりで、夕焼にお前様、影をのびのび長々と、曲った腰も、楽々小屋へ帰りますがの。
 貴女はそこへ。……お裾が靡(なび)いた。
 これは不思議、と爺どのが、肩を半分乗出す時じゃ、お姿が波を離れて、山の腹へすらりと高うなったと思うと、はて、何を嘉吉がしくさりましたか。
 屹(きっ)と振向かっしゃりました様子じゃっけ、お顔の団扇が飜然(ひらり)と飜(かえ)って、斜(ななめ)に浴びせて、嘉吉の横顔へびしりと来たげな。
 きゃっ!と云うと刎(はね)返って、道ならものの小半町、膝と踵(かかと)で、抜いた腰を引摺(ひきず)るように、その癖、怪飛(けしと)んで遁(に)げて来る。
 爺どのは爺どので、息を詰めた汗の処へ、今のきゃあ!で転倒(てんどう)して、わっ、と云うて山の根から飛出す処へ、胸を頭突(ずつき)に来るように、ドンと嘉吉が打附(ぶつか)ったので、両方へ間を置いて、この街道の真中(まんなか)へ、何と、お前様、見られた図ではござりますか。
 二人とも尻餅じゃ。
(ど、どうした野郎、)と小腹も立つ、爺どのが恐怖紛(おっかなまぎ)れに、がならっしゃると、早や、変でござりましたげな、きょろん、とした眼(がん)の見据えて、私(わし)が爺の宰八の顔をじろり。
(ば、ば、ば、)
(ええ!)
(怪物(ばけもの)!)と云うかと思うと、ひょいと立って、またばたばたと十足(とあし)ばかり、駆戻って、うつむけに突んのめったげにござりまして、のう。
 爺どのは二度吃驚(びっくり)、起(た)ちかけた膝がまたがっくりと地面(じべた)へ崩れて、ほっと太い呼吸(いき)さついた。かっとなって浪の音も聞えませぬ。それでいて――寂然(しん)として、海ばかり動きます耳に響いて、秋谷へ近路のその山づたい。鈴虫が音(ね)を立てると、露が溢(こぼ)れますような、佳(い)い声で、そして物凄(ものすご)う、
(ここはどこの細道じゃ、
       細道じゃ。
 天神さんの細道じゃ、
       細道じゃ。
 少し通して下さんせ、下さんせ。)
 とあわれに寂しく、貴女の声で聞えました。
 その声が遠くなります、山の上を、薄綿で包みますように、雲が白くかかりますと、音が先へ、颯(さ)あ――とたよりない雨が、海の方へ降って来て、お声は山のうらかけて、遠くなって行(ゆ)きますげな。
 前刻(さっき)見た兎(う)の毛の雲じゃ、一雨来ようと思うた癖に、こりゃ心ない、荷が濡れよう、と爺どのは駆けて戻って、がッたり車を曳出(ひきだ)しながら、村はずれの小店からまず声をかけて、嘉吉めを見せにやります。
 何か、その唄のお声が、のう、十年五十年も昔聞いたようにもあれば、こう云う耳にも、響くと云います。
 遠慮すると見えまして、余り委(くわ)しい事は申しませぬが、嘉吉はそれから、あの通り気が変になりました。
 さあ、界隈(かいわい)は評判で、小児(こども)どもが誰云うとなく、いつの間やら、その唄を……」

       十二

(ここはどこの細道じゃ、
       細道じゃ。
 秋谷邸(やしき)の細道じゃ、
       細道じゃ。
 少し通して下さんせ、
       下さんせ。
 誰方(どなた)が見えても通しません、
       通しません。)
「あの、こう唄うのではござりませんか。
 当節は、もう学校で、かあかあ鴉(からす)が鳴く事の、池の鯉(こい)が麩(ふ)を食う事の、と間違いのないお前様、ちゃんと理の詰んだ歌を教えさっしゃるに、それを皆が唄わいで、今申した――
(ここはどこの細道じゃ、
 秋谷邸の細道じゃ。)
 とあわれな、寂しい、細い声で、口々に、小児(こども)同士、顔さえ見れば唄い連れるでござりますが、近頃は久しい間、打絶えて聞いたこともござりませぬ――この唄を爺どのがその晩聞かしった、という話以来(このかた)、――誰云うとなく流行(はや)りますので。
 それも、のう元唄は、
(天神様の細道じゃ、
 少し通して下さんせ、
 御用のない人通しません、)
 確か、こうでござりましょう。それを、
(秋谷邸の細道じゃ、
 誰方が見えても通しません、
        通しません。)
 とひとりでに唄います、の。まだそればかりではござりません。小児(こども)たちが日の暮方、そこらを遊びますのに、厭(いや)な真似を、まあ、どうでござりましょう。
 てんでんが芋※(ずいき)[#「くさかんむり/更」、153-3]の葉を捩(も)ぎりまして、目の玉二つ、口一つ、穴を三つ開けたのを、ぬっぺりと、こう顔へ被(かぶ)ったものでござります。大(おおき)いのから小さいのから、その蒼白(あおじろ)い筋のある、細ら長い、狐とも狸とも、姑獲鳥(うぶめ)、とも異体の知れぬ、中にも虫喰のござります葉の汚点(しみ)は、癩(かったい)か、痘痕(あばた)の幽霊。面(つら)を並べて、ひょろひょろと蔭日向(かげひなた)、藪(やぶ)の前だの、谷戸口(やとぐち)だの、山の根なんぞを練りながら今の唄を唄いますのが、三人と、五人ずつ、一組や二組ではござりませんで。
 悪戯(いたずら)が蒿(こう)じて、この節では、唐黍(とうもろこし)の毛の尻尾(しっぽ)を下げたり、あけびを口に啣(くわ)えたり、茄子提灯(なすびぢょうちん)で闇路(やみじ)を辿(たど)って、日が暮れるまでうろつきますわの。
 気になるのは小石を合せて、手ん手に四ツ竹を鳴らすように、カイカイカチカチと拍子を取って、唄が段々身に染みますに、皆(みんな)が家(うち)へ散際(ちりぎわ)には、一人がカチカチ石を鳴らして、
(今打つ鐘は、)
 と申しますと、
(四ツの鐘じゃ、)
 と一人がカチカチ、五ツ、六ツ、九ツ、八ツと数えまして……
(今打つ鐘は、
 七ツの鐘じゃ。)
 と云うのを合図に、
(そりゃ魔が魅(さ)すぞ!)
 と哄(どっ)と囃(はや)して、消えるように、残らず居なくなるのでござりますが。
 何とも厭(いや)な心持で、うそ寂しい、ちょうど盆のお精霊様(しょうりょうさま)が絶えずそこらを歩行(ある)かっしゃりますようで、気の滅入(めい)りますことと云うては、穴倉へ引入れられそうでござります。
 活溌な唱歌を唄え。あれは何だ、と学校でも先生様が叱らしゃりますそうなが、それで留(や)めますほどならばの、学校へ行(ゆ)く生徒に、蜻蛉(とんぼう)釣るものも居(お)りませねば、木登りをする小僧もない筈(はず)――一向に留みませぬよ。
 内は内で親たちが、厳しく叱言(こごと)も申します。気の強いのは、おのれ、凸助(でこすけ)……いや、鼻ぴっしゃり、芋※(ずいき)[#「くさかんむり/更」、154-12]の葉の凹吉(ぼこきち)め、細道で引捉(ひッつか)まえて、張撲(はりなぐ)って懲(こら)そう、と通りものを待構えて、こう透かして見ますがの、背の高いのから順よく並んで、同一(おなじ)ような芋※[#「くさかんむり/更」、154-13]の葉を被(かぶ)っているけに、衣(き)ものの縞柄(しまがら)も気のせいか、逢魔(おうま)が時に茫(ぼう)として、庄屋様の白壁に映して見ても、どれが孫やら、忰(せがれ)やら、小女童(こめろ)やら分りませぬ。
 おなじように、憑物(つきもの)がして、魔に使われているようで、手もつけられず、親たちがうろうろしますの。村方一同寄ると障(さわ)ると、立膝に腕組するやら、平胡坐(ひらあぐら)で頬杖(ほおづえ)つくやら、変じゃ、希有(けう)じゃ、何でもただ事であるまい、と薄気味を悪がります。
 中でも、ほッと溜息(ためいき)ついて、気に掛けさっしゃったのが、鶴谷喜十郎様。」
 と丁寧に、また名告(なの)って、姥(うば)は四辺(あたり)を見たのである。

       十三

 さて十年の馴染(なじみ)のように、擦寄って声を密(ひそ)め、
「童唄(わらべうた)を聞かっしゃりまし――(秋谷邸(やしき)の細道じゃ、誰方が見えても通しません)――と、の、それ、」
 小次郎法師の頷(うなず)くのを、合点させたり、と熟(じっ)と見て、姥(うば)はやがて打頷(うちうなず)き、
「……でござりましょう。まず、この秋谷で、邸と申しますれば――そりゃ土蔵、白壁造(しらかべづくり)、瓦(かわら)屋根は、御方一軒ではござりませぬが、太閤様(たいこうさま)は秀吉公、黄門様は水戸様でのう、邸は鶴谷に帰したもの。

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