雪霊記事
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著者名:泉鏡花 

        一

「此(こ)のくらゐな事(こと)が……何(なん)の……小兒(こども)のうち歌留多(かるた)を取(と)りに行(い)つたと思(おも)へば――」
 越前(ゑちぜん)の府(ふ)、武生(たけふ)の、侘(わび)しい旅宿(やど)の、雪(ゆき)に埋(うも)れた軒(のき)を離(はな)れて、二町(ちやう)ばかりも進(すゝ)んだ時(とき)、吹雪(ふゞき)に行惱(ゆきなや)みながら、私(わたし)は――然(さ)う思(おも)ひました。
 思(おも)ひつゝ推切(おしき)つて行(ゆ)くのであります。
 私(わたし)は此處(こゝ)から四十里(り)餘(あま)り隔(へだ)たつた、おなじ雪深(ゆきぶか)い國(くに)に生(うま)れたので、恁(か)うした夜道(よみち)を、十町(ちやう)や十五町(ちやう)歩行(ある)くのは何(なん)でもないと思(おも)つたのであります。
 が、其(そ)の凄(すさま)じさと言(い)つたら、まるで眞白(まつしろ)な、冷(つめた)い、粉(こな)の大波(おほなみ)を泳(およ)ぐやうで、風(かぜ)は荒海(あらうみ)に齊(ひと)しく、ぐわう/\と呻(うな)つて、地(ち)――と云(い)つても五六尺(しやく)積(つも)つた雪(ゆき)を、押搖(おしゆす)つて狂(くる)ふのです。
「あの時分(じぶん)は、脇(わき)の下(した)に羽(はね)でも生(は)えて居(ゐ)たんだらう。屹(きつ)と然(さ)うに違(ちが)ひない。身輕(みがる)に雪(ゆき)の上(うへ)へ乘(の)つて飛(と)べるやうに。」
 ……でなくつては、と呼吸(いき)も吐(つ)けない中(うち)で思(おも)ひました。
 九歳(こゝのつ)十歳(とを)ばかりの其(そ)の小兒(こども)は、雪下駄(ゆきげた)、竹草履(たけざうり)、それは雪(ゆき)の凍(い)てた時(とき)、こんな晩(ばん)には、柄(がら)にもない高足駄(たかあしだ)さへ穿(は)いて居(ゐ)たのに、轉(ころ)びもしないで、然(しか)も遊(あそ)びに更(ふ)けた正月(しやうぐわつ)の夜(よ)の十二時過(じす)ぎなど、近所(きんじよ)の友(とも)だちにも別(わか)れると、唯(たゞ)一人(ひとり)で、白(しろ)い社(やしろ)の廣(ひろ)い境内(けいだい)も拔(ぬ)ければ、邸町(やしきまち)の白(しろ)い長(なが)い土塀(どべい)も通(とほ)る。………ザヾツ、ぐわうと鳴(な)つて、川波(かはなみ)、山颪(やまおろし)とともに吹(ふ)いて來(く)ると、ぐる/\と□(まは)る車輪(しやりん)の如(ごと)き濃(こ)く黒(くろ)ずんだ雪(ゆき)の渦(うづ)に、くる/\と舞(ま)ひながら、ふは/\と濟(す)まアして内(うち)へ歸(かへ)つた――夢(ゆめ)ではない。が、あれは雪(ゆき)に靈(れい)があつて、小兒(こども)を可愛(いとし)がつて、連(つ)れて歸(かへ)つたのであらうも知(し)れない。
「あゝ、酷(ひど)いぞ。」
 ハツと呼吸(いき)を引(ひ)く。目口(めくち)に吹込(ふきこ)む粉雪(こゆき)に、ばツと背(せ)を向(む)けて、そのたびに、風(かぜ)と反對(はんたい)の方(はう)へ眞俯向(まうつむ)けに成(な)つて防(ふせ)ぐのであります。恁(か)う言(い)ふ時(とき)は、其(そ)の粉雪(こゆき)を、地(ぢ)ぐるみ煽立(あふりた)てますので、下(した)からも吹上(ふきあ)げ、左右(さいう)からも吹捲(ふきま)くつて、よく言(い)ふことですけれども、面(おもて)の向(む)けやうがないのです。
 小兒(こども)の足駄(あしだ)を思(おも)ひ出(だ)した頃(ころ)は、實(じつ)は最(も)う穿(はき)ものなんぞ、疾(とう)の以前(いぜん)になかつたのです。
 しかし、御安心(ごあんしん)下(くだ)さい。――雪(ゆき)の中(なか)を跣足(はだし)で歩行(ある)く事(こと)は、都會(とくわい)の坊(ぼつ)ちやんや孃(ぢやう)さんが吃驚(びつくり)なさるやうな、冷(つめた)いものでないだけは取柄(とりえ)です。ズボリと踏込(ふみこ)んだ一息(ひといき)の間(あひだ)は、冷(つめた)さ骨髓(こつずゐ)に徹(てつ)するのですが、勢(いきほひ)よく歩行(ある)いて居(ゐ)るうちには温(あたゝか)く成(な)ります、ほか/\するくらゐです。
 やがて、六七町(ちやう)潛(もぐ)つて出(で)ました。
 まだ此(こ)の間(あひだ)は氣丈夫(きぢやうぶ)でありました。町(まち)の中(うち)ですから兩側(りやうがは)に家(いへ)が續(つゞ)いて居(を)ります。此(こ)の邊(へん)は水(みづ)の綺麗(きれい)な處(ところ)で、軒下(のきした)の兩側(りやうがは)を、清(きよ)い波(なみ)を打(う)つた小川(をがは)が流(なが)れて居(ゐ)ます。尤(もつと)も其(そ)れなんぞ見(み)えるやうな容易(やさし)い積(つも)り方(かた)ぢやありません。

 御存(ごぞん)じの方(かた)は、武生(たけふ)と言(い)へば、あゝ、水(みづ)のきれいな處(ところ)かと言(い)はれます――此(こ)の水(みづ)が鐘(かね)を鍛(きた)へるのに適(てき)するさうで、釜(かま)、鍋(なべ)、庖丁(はうてう)、一切(いつさい)の名産(めいさん)――其(そ)の昔(むかし)は、聞(きこ)えた刀鍛冶(かたなかぢ)も住(す)みました。今(いま)も鍛冶屋(かぢや)が軒(のき)を並(なら)べて、其(そ)の中(なか)に、柳(やなぎ)とともに目立(めだ)つのは旅館(りよくわん)であります。
 が、最(も)う目貫(めぬき)の町(まち)は過(す)ぎた、次第(しだい)に場末(ばすゑ)、町端(まちはづ)れの――と言(い)ふとすぐに大(おほき)な山(やま)、嶮(けはし)い坂(さか)に成(な)ります――あたりで。……此(こ)の町(まち)を離(はな)れて、鎭守(ちんじゆ)の宮(みや)を拔(ぬ)けますと、いま行(ゆ)かうとする、志(こゝろざ)す處(ところ)へ着(つ)く筈(はず)なのです。
 それは、――其許(そこ)は――自分(じぶん)の口(くち)から申兼(まをしか)ねる次第(しだい)でありますけれども、私(わたし)の大恩人(だいおんじん)――いえ/\恩人(おんじん)で、そして、夢(ゆめ)にも忘(わす)れられない美(うつく)しい人(ひと)の侘住居(わびずまひ)なのであります。
 侘住居(わびずまひ)と申(まを)します――以前(いぜん)は、北國(ほつこく)に於(おい)ても、旅館(りよくわん)の設備(せつび)に於(おい)ては、第一(だいいち)と世(よ)に知(し)られた此(こ)の武生(たけふ)の中(うち)でも、其(そ)の隨一(ずゐいち)の旅館(りよくわん)の娘(むすめ)で、二十六の年(とし)に、其(そ)の頃(ころ)の近國(きんごく)の知事(ちじ)の妾(おもひもの)に成(な)りました……妾(めかけ)とこそ言(い)へ、情深(なさけぶか)く、優(やさし)いのを、昔(いにしへ)の國主(こくしゆ)の貴婦人(きふじん)、簾中(れんちう)のやうに稱(たゝ)へられたのが名(な)にしおふ中(なか)の河内(かはち)の山裾(やますそ)なる虎杖(いたどり)の里(さと)に、寂(さび)しく山家住居(やまがずまひ)をして居(ゐ)るのですから。此(こ)の大雪(おほゆき)の中(なか)に。

        二

 流(なが)るゝ水(みづ)とともに、武生(たけふ)は女(をんな)のうつくしい處(ところ)だと、昔(むかし)から人(ひと)が言(い)ふのであります。就中(なかんづく)、蔦屋(つたや)――其(そ)の旅館(りよくわん)の――お米(よね)さん(恩人(おんじん)の名(な)です)と言(い)へば、國々(くに/″\)評判(ひやうばん)なのでありました。
 まだ汽車(きしや)の通(つう)じない時分(じぶん)の事(こと)。……
「昨夜(さくや)は何方(どちら)でお泊(とま)り。」
「武生(たけふ)でございます。」
「蔦屋(つたや)ですな、綺麗(きれい)な娘(むすめ)さんが居(ゐ)ます。勿論(もちろん)、御覽(ごらん)でせう。」
 旅(たび)は道連(みちづれ)が、立場(たてば)でも、又(また)並木(なみき)でも、言(ことば)を掛合(かけあ)ふ中(うち)には、屹(きつ)と此(こ)の事(こと)がなければ納(をさ)まらなかつたほどであつたのです。
 往來(ゆきき)に馴(な)れて、幾度(いくたび)も蔦屋(つたや)の客(きやく)と成(な)つて、心得顏(こゝろえがほ)をしたものは、お米(よね)さんの事(こと)を渾名(あだな)して、むつの花(はな)、むつの花(はな)、と言(い)ひました。――色(いろ)と言(い)ひ、また雪(ゆき)の越路(こしぢ)の雪(ゆき)ほどに、世(よ)に知(し)られたと申(まを)す意味(いみ)ではないので――此(これ)は後言(くりごと)であつたのです。……不具(かたは)だと言(い)ふのです。六本指(ろつぽんゆび)、手(て)の小指(こゆび)が左(ひだり)に二(ふた)つあると、見(み)て來(き)たやうな噂(うはさ)をしました。何故(なぜ)か、――地方(ゐなか)は分(わ)けて結婚期(けつこんき)が早(はや)いのに――二十六七まで縁(えん)に着(つ)かないで居(ゐ)たからです。
(しかし、……やがて知事(ちじ)の妾(おもひもの)に成(な)つた事(こと)は前(まへ)に一寸(ちよつと)申(まを)しました。)
 私(わたし)はよく知(し)つて居(ゐ)ます――六本指(ろつぽんゆび)なぞと、氣(け)もない事(こと)です。確(たしか)に見(み)ました。しかも其(そ)の雪(ゆき)なす指(ゆび)は、摩耶夫人(まやぶにん)が召(め)す白(しろ)い細(ほそ)い花(はな)の手袋(てぶくろ)のやうに、正(まさ)に五瓣(ごべん)で、其(それ)が九死一生(きうしいつしやう)だつた私(わたし)の額(ひたひ)に密(そつ)と乘(の)り、輕(かる)く胸(むね)に掛(かゝ)つたのを、運命(うんめい)の星(ほし)を算(かぞ)へる如(ごと)く熟(じつ)と視(み)たのでありますから。――
 また其(そ)の手(て)で、硝子杯(コツプ)の白雪(しらゆき)に、鷄卵(たまご)の蛋黄(きみ)を溶(と)かしたのを、甘露(かんろ)を灌(そゝ)ぐやうに飮(の)まされました。
 ために私(わたし)は蘇返(よみがへ)りました。
「冷水(おひや)を下(くだ)さい。」
 最(も)う、それが末期(まつご)だと思(おも)つて、水(みづ)を飮(の)んだ時(とき)だつたのです。
 脚氣(かつけ)を煩(わづら)つて、衝心(しようしん)をしかけて居(ゐ)たのです。其(そ)のために東京(とうきやう)から故郷(くに)に歸(かへ)る途中(とちう)だつたのでありますが、汚(よご)れくさつた白絣(しろがすり)を一枚(まい)きて、頭陀袋(づだぶくろ)のやうな革鞄(かばん)一(ひと)つ掛(か)けたのを、玄關(げんくわん)さきで斷(ことわ)られる處(ところ)を、泊(と)めてくれたのも、螢(ほたる)と紫陽花(あぢさゐ)が見透(みとほ)しの背戸(せど)に涼(すゞ)んで居(ゐ)た、其(そ)のお米(よね)さんの振向(ふりむ)いた瞳(め)の情(なさけ)だつたのです。
 水(みづ)と言(い)へば、せい/″\米(こめ)の磨汁(とぎしる)でもくれさうな處(ところ)を、白雪(しらゆき)に蛋黄(きみ)の情(なさけ)。――萌黄(もえぎ)の蚊帳(かや)、紅(べに)の麻(あさ)、……蚊(か)の酷(ひど)い處(ところ)ですが、お米(よね)さんの出入(ではひ)りには、はら/\と螢(ほたる)が添(そ)つて、手(て)を映(うつ)し、指環(ゆびわ)を映(うつ)し、胸(むね)の乳房(ちぶさ)を透(すか)して、浴衣(ゆかた)の染(そめ)の秋草(あきぐさ)は、女郎花(をみなへし)を黄(き)に、萩(はぎ)を紫(むらさき)に、色(いろ)あるまでに、蚊帳(かや)へ影(かげ)を宿(やど)しました。
「まあ、汗(あせ)びつしより。」
 と汚(きたな)い病苦(びやうく)の冷汗(ひやあせ)に……そよ/\と風(かぜ)を惠(めぐ)まれた、淺葱色(あさぎいろ)の水團扇(みづうちは)に、幽(かすか)に月(つき)が映(さ)しました。……
 大恩(だいおん)と申(まを)すは此(これ)なのです。――
 おなじ年(とし)、冬(ふゆ)のはじめ、霜(しも)に緋葉(もみぢ)の散(ち)る道(みち)を、爽(さわやか)に故郷(こきやう)から引返(ひつかへ)して、再(ふたゝ)び上京(じやうきやう)したのでありますが、福井(ふくゐ)までには及(およ)びません、私(わたし)の故郷(こきやう)からは其(それ)から七里(り)さきの、丸岡(まるをか)の建場(たてば)に俥(くるま)が休(やす)んだ時(とき)立合(たちあは)せた上下(じやうげ)の旅客(りよかく)の口々(くち/″\)から、もうお米(よね)さんの風説(うはさ)を聞(き)きました。
 知事(ちじ)の妾(おもひもの)と成(な)つて、家(いへ)を出(で)たのは、其(そ)の秋(あき)だつたのでありました。
 こゝはお察(さつ)しを願(ねが)ひます。――心易(こゝろやす)くは禮手紙(れいてがみ)、たゞ音信(おとづれ)さへ出來(でき)ますまい。
 十六七年(ねん)を過(す)ぎました。――唯今(たゞいま)の鯖江(さばえ)、鯖波(さばなみ)、今庄(いましやう)の驛(えき)が、例(れい)の音(おと)に聞(きこ)えた、中(なか)の河内(かはち)、木(き)の芽峠(めたうげ)、湯(ゆ)の尾峠(をたうげ)を、前後左右(ぜんごさいう)に、高(たか)く深(ふか)く貫(つらぬ)くのでありまして、汽車(きしや)は雲(くも)の上(うへ)を馳(はし)ります。
 間(あひ)の宿(しゆく)で、世事(せじ)の用(よう)は聊(いさゝ)かもなかつたのでありますが、可懷(なつかしさ)の餘(あま)り、途中(とちう)で武生(たけふ)へ立寄(たちよ)りました。
 内證(ないしよう)で……何(なん)となく顏(かほ)を見(み)られますやうで、ですから内證(ないしよう)で、其(そ)の蔦屋(つたや)へ參(まゐ)りました。
 皐月(さつき)上旬(じやうじゆん)でありました。

        三

 門(かど)、背戸(せど)の清(きよ)き流(ながれ)、軒(のき)に高(たか)き二本柳(ふたもとやなぎ)、――其(そ)の青柳(あをやぎ)の葉(は)の繁茂(しげり)――こゝに彳(たゝず)み、あの背戸(せど)に團扇(うちは)を持(も)つた、其(そ)の姿(すがた)が思(おも)はれます。それは昔(むかし)のまゝだつたが、一棟(ひとむね)、西洋館(せいやうくわん)が別(べつ)に立(た)ち、帳場(ちやうば)も卓子(テエブル)を置(お)いた受附(うけつけ)に成(な)つて、蔦屋(つたや)の樣子(やうす)はかはつて居(ゐ)ました。
 代替(だいがは)りに成(な)つたのです。――
 少(すこ)しばかり、女中(ぢよちう)に心(こゝろ)づけも出來(でき)ましたので、それとなく、お米(よね)さんの消息(せうそく)を聞(き)きますと、蔦屋(つたや)も蔦龍館(てうりうくわん)と成(な)つた發展(はつてん)で、持(もち)の此(こ)の女中(ぢよちう)などは、京(きやう)の津(つ)から來(き)て居(ゐ)るのださうで、少(すこ)しも恩人(おんじん)の事(こと)を知(し)りません。
 番頭(ばんとう)を呼(よ)んでもらつて訊(たづ)ねますと、――勿論(もちろん)其(そ)の頃(ころ)の男(をとこ)ではなかつたが――此(これ)はよく知(し)つて居(ゐ)ました。
 蔦屋(つたや)は、若主人(わかしゆじん)――お米(よね)さんの兄(あに)――が相場(さうば)にかゝつて退轉(たいてん)をしたさうです。お米(よね)さんにまけない美人(びじん)をと言(い)つて、若主人(わかしゆじん)は、祇園(ぎをん)の藝妓(げいしや)をひかして女房(にようばう)にして居(ゐ)たさうでありますが、それも亡(な)くなりました。
 知事(ちじ)――其(そ)の三年前(ねんぜん)に亡(な)く成(な)つた事(こと)は、私(わたし)も新聞(しんぶん)で知(し)つて居(ゐ)たのです――其(そ)のいくらか手當(てあて)が殘(のこ)つたのだらうと思(おも)はれます。當時(たうじ)は町(まち)を離(はな)れた虎杖(いたどり)の里(さと)に、兄妹(きやうだい)がくらして、若主人(わかしゆじん)の方(はう)は、町中(まちなか)の或會社(あるくわいしや)へ勤(つと)めて居(ゐ)ると、此(こ)の由(よし)、番頭(ばんとう)が話(はな)してくれました。一昨年(いつさくねん)の事(こと)なのです。
 ――いま私(わたし)は、可恐(おそろし)い吹雪(ふゞき)の中(なか)を、其處(そこ)へ志(こゝろざ)して居(ゐ)るのであります――
 が、さて、一昨年(いつさくねん)の其(そ)の時(とき)は、翌日(よくじつ)、半日(はんにち)、いや、午後(ごご)三時頃(じごろ)まで、用(よう)もないのに、女中(ぢよちう)たちの蔭(かげ)で怪(あやし)む氣勢(けはひ)のするのが思(おも)ひ取(と)られるまで、腕組(うでぐみ)が、肘枕(ひぢまくら)で、やがて、夜具(やぐ)を引被(ひつかぶ)つてまで且(か)つ思(おも)ひ、且(か)つ惱(なや)み、幾度(いくたび)か逡巡(しゆんじゆん)した最後(さいご)に、旅館(りよくわん)をふら/\と成(な)つて、たうとう恩人(おんじん)を訪(たづ)ねに出(で)ました。
 故(わざ)と途中(とちう)、餘所(よそ)で聞(き)いて、虎杖村(いたどりむら)に憧憬(あこが)れ行(ゆ)く。……
 道(みち)は鎭守(ちんじゆ)がめあてでした。
 白(しろ)い、靜(しづか)な、曇(くも)つた日(ひ)に、山吹(やまぶき)も色(いろ)が淺(あさ)い、小流(こながれ)に、苔蒸(こけむ)した石(いし)の橋(はし)が架(かゝ)つて、其(そ)の奧(おく)に大(おほ)きくはありませんが深(ふか)く神寂(かんさ)びた社(やしろ)があつて、大木(たいぼく)の杉(すぎ)がすら/\と杉(すぎ)なりに並(なら)んで居(ゐ)ます。入口(いりぐち)の石(いし)の鳥居(とりゐ)の左(ひだり)に、就中(とりわけ)暗(くら)く聳(そび)えた杉(すぎ)の下(もと)に、形(かたち)はつい通(とほ)りでありますが、雪難之碑(せつなんのひ)と刻(きざ)んだ、一基(き)の石碑(せきひ)が見(み)えました。
 雪(ゆき)の難(なん)――荷擔夫(にかつぎふ)、郵便配達(いうびんはいたつ)の人(ひと)たち、其(そ)の昔(むかし)は數多(あまた)の旅客(りよかく)も――此(これ)からさしかゝつて越(こ)えようとする峠路(たうげみち)で、屡々(しば/\)命(いのち)を殞(おと)したのでありますから、いづれ其(そ)の靈(れい)を祭(まつ)つたのであらう、と大空(おほぞら)の雲(くも)、重(かさな)る山(やま)、續(つゞ)く巓(いたゞき)、聳(そび)ゆる峰(みね)を見(み)るにつけて、凄(すさま)じき大濤(おほなみ)の雪(ゆき)の風情(ふぜい)を思(おも)ひながら、旅(たび)の心(こゝろ)も身(み)に沁(し)みて通過(とほりす)ぎました。
 畷道(なはてみち)少(すこ)しばかり、菜種(なたね)の畦(あぜ)を入(はひ)つた處(ところ)に、志(こゝろざ)す庵(いほり)が見(み)えました。侘(わび)しい一軒家(いつけんや)の平屋(ひらや)ですが、門(かど)のかゝりに何(なん)となく、むかしの状(さま)を偲(しの)ばせます、萱葺(かやぶき)の屋根(やね)ではありません。
 伸上(のびあが)る背戸(せど)に、柳(やなぎ)が霞(かす)んで、こゝにも細流(せゝらぎ)に山吹(やまぶき)の影(かげ)の映(うつ)るのが、繪(ゑ)に描(か)いた螢(ほたる)の光(ひかり)を幻(まぼろし)に見(み)るやうでありました。
 夢(ゆめ)にばかり、現(うつゝ)にばかり、十幾年(いくねん)。
 不思議(ふしぎ)にこゝで逢(あ)ひました――面影(おもかげ)は、黒髮(くろかみ)に笄(かうがい)して、雪(ゆき)の裲襠(かいどり)した貴夫人(きふじん)のやうに遙(はるか)に思(おも)つたのとは全然(まるで)違(ちが)ひました。黒繻子(くろじゆす)の襟(えり)のかゝつた縞(しま)の小袖(こそで)に、些(ちつ)とすき切(ぎ)れのあるばかり、空色(そらいろ)の絹(きぬ)のおなじ襟(えり)のかゝつた筒袖(こひぐち)を、帶(おび)も見(み)えないくらゐ引合(ひきあは)せて、細(ほつそ)りと着(き)て居(ゐ)ました。
 其(そ)の姿(すがた)で手(て)をつきました。あゝ、うつくしい白(しろ)い指(ゆび)、結立(ゆひた)ての品(ひん)のいゝ圓髷(まるまげ)の、情(なさけ)らしい柔順(すなほ)な髱(たぼ)の耳朶(みゝたぶ)かけて、雪(ゆき)なす項(うなじ)が優(やさ)しく清(きよ)らかに俯向(うつむ)いたのです。
 生意氣(なまいき)に杖(ステツキ)を持(も)つて立(た)つて居(ゐ)るのが、目(め)くるめくばかりに思(おも)はれました。
「私(わたし)は……關(せき)……」
 と名(な)を申(まを)して、
「蔦屋(つたや)さんのお孃(ぢやう)さんに、お目(め)にかゝりたくて參(まゐ)りました。」
「米(よね)は私(わたし)でございます。」
 と顏(かほ)を上(あ)げて、清(すゞ)しい目(め)で熟(じつ)と視(み)ました。
 私(わたし)の額(ひたひ)は汗(あせ)ばんだ。――あのいつか額(ひたひ)に置(お)かれた、手(て)の影(かげ)ばかり白(しろ)く映(うつ)る。
「まあ、關(せき)さん。――おとなにお成(な)りなさいました……」
 此(これ)ですもの、可懷(なつかし)さはどんなでせう。
 しかし、こゝで私(わたし)は初戀(はつこひ)、片(かた)おもひ、戀(こひ)の愚癡(ぐち)を言(い)ふのではありません。
 ……此(こ)の凄(すご)い吹雪(ふゞき)の夜(よ)、不思議(ふしぎ)な事(こと)に出(で)あひました、其(そ)のお話(はなし)をするのであります。

        四

 その時(とき)は、四疊半(かこひ)ではありません。が、爐(ろ)を切(き)つた茶(ちや)の室(ま)に通(とほ)されました。
 時(とき)に、先客(せんきやく)が一人(ひとり)ありまして爐(ろ)の右(みぎ)に居(ゐ)ました。氣高(けだか)いばかり品(ひん)のいゝ年(とし)とつた尼(あま)さんです。失禮(しつれい)ながら、此(こ)の先客(せんきやく)は邪魔(じやま)でした。それがために、いとゞ拙(つたな)い口(くち)の、千(せん)の一(ひと)つも、何(なん)にも、ものが言(い)はれなかつたのであります。
「貴女(あなた)は煙草(たばこ)をあがりますか。」
 私(わたし)はお米(よね)さんが、其(そ)の筒袖(こひぐち)の優(やさ)しい手(て)で、煙管(きせる)を持(も)つのを視(み)て然(さ)う言(い)ひました。
 お米(よね)さんは、控(ひか)へて一寸(ちよつと)俯向(うつむ)きました。
「何事(なにごと)もわすれ草(ぐさ)と申(まを)しますな。」
 と尼(あま)さんが、能(のう)の面(めん)がものを言(い)ふやうに言(い)ひました。
「關(せき)さんは、今年(ことし)三十五にお成(な)りですか。」
 とお米(よね)さんが先(さき)へ數(かぞ)へて、私(わたし)の年(とし)を訊(たづ)ねました。
「三碧(さんぺき)なう。」
 と尼(あま)さんが言(い)ひました。
「貴女(あなた)は?」
「私(わたし)は一(ひと)つ上(うへ)……」
「四緑(しろく)なう。」
 と尼(あま)さんが又(また)言(い)ひました。
 ――略(りやく)して申(まを)すのですが、其處(そこ)へ案内(あんない)もなく、づか/\と入(はひ)つて來(き)て、立状(たちざま)に一寸(ちよつと)私(わたし)を尻目(しりめ)にかけて、爐(ろ)の左(ひだり)の座(ざ)についた一人(にん)があります――山伏(やまぶし)か、隱者(いんじや)か、と思(おも)ふ風采(ふうさい)で、ものの鷹揚(おうやう)な、惡(わる)く言(い)へば傲慢(がうまん)な、下手(へた)が畫(ゑ)に描(か)いた、奧州(あうしう)めぐりの水戸(みと)の黄門(くわうもん)と言(い)つた、鼻(はな)の隆(たか)い、髯(ひげ)の白(しろ)い、早(は)や七十ばかりの老人(らうじん)でした。
「此(これ)は關(せき)さんか。」
 と、いきなり言(い)ひます。私(わたし)は吃驚(びつくり)しました。
 お米(よね)さんが、しなよく頷(うなづ)きますと、
「左樣(さやう)か。」
 と言(い)つて、此(これ)から滔々(たふ/\)と辯(べん)じ出(だ)した。其(そ)の辯(べん)ずるのが都會(とくわい)に於(お)ける私(わたし)ども、なかま、なかまと申(まを)して私(わたし)などは、ものの數(かず)でもないのですが、立派(りつぱ)な、畫(ゑ)の畫伯方(せんせいがた)の名(な)を呼(よ)んで、片端(かたつぱし)から、奴(やつ)がと苦(にが)り、彼(あれ)め、と蔑(さげす)み、小僧(こぞう)、と呵々(から/\)と笑(わら)ひます。
 私(わたし)は五六尺(しやく)飛退(とびさが)つて叩頭(おじぎ)をしました。
「汽車(きしや)の時間(じかん)がございますから。」
 お米(よね)さんが、送(おく)つて出(で)ました。花菜(はなな)の中(なか)を半(なかば)の時(とき)、私(わたし)は香(か)に咽(むせ)んで、涙(なみだ)ぐんだ聲(こゑ)して、
「お寂(さび)しくおいでなさいませう。」
 と精一杯(せいいつぱい)に言(い)つたのです。
「いゝえ、兄(あに)が一緒(いつしよ)ですから……でも大雪(おほゆき)の夜(よ)なぞは、町(まち)から道(みち)が絶(た)えますと、こゝに私(わたし)一人(ひとり)きりで、五日(いつか)も六日(むいか)も暮(くら)しますよ。」
 とほろりとしました。
「其(そ)のかはり夏(なつ)は涼(すゞ)しうございます。避暑(ひしよ)に行(い)らつしやい……お宿(やど)をしますよ。……其(そ)の時分(じぶん)には、降(ふ)るやうに螢(ほたる)が飛(と)んで、此(こ)の水(みづ)には菖蒲(あやめ)が咲(さ)きます。」

 夜汽車(よぎしや)の火(ひ)の粉(こ)が、木(き)の芽峠(めたうげ)を螢(ほたる)に飛(と)んで、窓(まど)には其(そ)の菖蒲(あやめ)が咲(さ)いたのです――夢(ゆめ)のやうです。………あの老尼(らうに)は、お米(よね)さんの守護神(まもりがみ)――はてな、老人(らうじん)は、――知事(ちじ)の怨靈(をんりやう)ではなかつたか。
 そんな事(こと)まで思(おも)ひました。
 圓髷(まるまげ)に結(ゆ)つて、筒袖(こひぐち)を着(き)た人(ひと)を、しかし、其(その)二人(ふたり)は却(かへ)つて、お米(よね)さんを祕密(ひみつ)の霞(かすみ)に包(つゝ)みました。
 三十路(みそぢ)を越(こ)えても、窶(やつ)れても、今(いま)も其(その)美(うつく)しさ。片田舍(かたゐなか)の虎杖(いたどり)になぞ世(よ)にある人(ひと)とは思(おも)はれません。
 ために、音信(おとづれ)を怠(おこた)りました。夢(ゆめ)に所(ところ)がきをするやうですから。……とは言(い)へ、一(ひと)つは、日(ひ)に増(ま)し、不思議(ふしぎ)に色(いろ)の濃(こ)く成(な)る爐(ろ)の右左(みぎひだり)の人(ひと)を憚(はゞか)つたのであります。
 音信(おとづれ)して、恩人(おんじん)に禮(れい)をいたすのに仔細(しさい)はない筈(はず)。雖然(けれども)、下世話(げせわ)にさへ言(い)ひます。慈悲(じひ)すれば、何(なん)とかする。……で、恩人(おんじん)と言(い)ふ、其(そ)の恩(おん)に乘(じやう)じ、情(なさけ)に附入(つけい)るやうな、賤(いや)しい、淺(あさ)ましい、卑劣(ひれつ)な、下司(げす)な、無禮(ぶれい)な思(おも)ひが、何(ど)うしても心(こゝろ)を離(はな)れないものですから、ひとり、自(みづか)ら憚(はゞか)られたのでありました。
 私(わたし)は今(いま)、其處(そこ)へ――

        五

「あゝ、彼處(あすこ)が鎭守(ちんじゆ)だ――」
 吹雪(ふゞき)の中(なか)の、雪道(ゆきみち)に、白(しろ)く續(つゞ)いた其(そ)の宮(みや)を、さながら峰(みね)に築(きづ)いたやうに、高(たか)く朦朧(もうろう)と仰(あふ)ぎました。
「さあ、一息(ひといき)。」
 が、其(そ)の息(いき)が吐(つ)けません。
 眞俯向(まうつむ)けに行(ゆ)く重(おも)い風(かぜ)の中(なか)を、背後(うしろ)からスツと輕(かる)く襲(おそ)つて、裾(すそ)、頭(かしら)をどツと可恐(おそろし)いものが引包(ひきつゝ)むと思(おも)ふと、ハツとひき息(いき)に成(な)る時(とき)、さつと拔(ぬ)けて、目(め)の前(まへ)へ眞白(まつしろ)な大(おほき)な輪(わ)の影(かげ)が顯(あらは)れます。とくる/\と□(まは)るのです。□(まは)りながら輪(わ)を卷(ま)いて、卷(ま)き/\卷込(まきこ)めると見(み)ると、忽(たちま)ち凄(すさま)じい渦(うづ)に成(な)つて、ひゆうと鳴(な)りながら、舞上(まひあが)つて飛(と)んで行(ゆ)く。……行(ゆ)くと否(いな)や、續(つゞ)いて背後(うしろ)から卷(ま)いて來(き)ます。それが次第(しだい)に激(はげ)しく成(な)つて、六(む)ツ四(よ)ツ數(かぞ)へて七(なゝ)ツ八(や)ツ、身體(からだ)の前後(ぜんご)に列(れつ)を作(つく)つて、卷(ま)いては飛(と)び、卷(ま)いては飛(と)びます。巖(いは)にも山(やま)にも碎(くだ)けないで、皆(みな)北海(ほくかい)の荒波(あらなみ)の上(うへ)へ馳(はし)るのです。――最(も)う此(こ)の渦(うづ)がこんなに捲(ま)くやうに成(な)りましては堪(た)へられません。此(こ)の渦(うづ)の湧立(わきた)つ處(ところ)は、其(そ)の跡(あと)が穴(あな)に成(な)つて、其處(そこ)から雪(ゆき)の柱(はしら)、雪(ゆき)の人(ひと)、雪女(ゆきをんな)、雪坊主(ゆきばうず)、怪(あや)しい形(かたち)がぼツと立(た)ちます。立(た)つて倒(たふ)れるのが、其(その)まゝ雪(ゆき)の丘(をか)のやうに成(な)る……其(それ)が、右(みぎ)に成(な)り、左(ひだり)に成(な)り、横(よこ)に積(つも)り、縱(たて)に敷(し)きます。其(そ)の行(ゆ)く處(ところ)、飛(と)ぶ處(ところ)へ、人(ひと)のからだを持(も)つて行(い)つて、仰向(あをむ)けにも、俯向(うつむか)せにもたゝきつけるのです。
 ――雪難之碑(せつなんのひ)。――峰(みね)の尖(とが)つたやうな、其處(そこ)の大木(たいぼく)の杉(すぎ)の梢(こずゑ)を、睫毛(まつげ)にのせて倒(たふ)れました。私(わたし)は雪(ゆき)に埋(うも)れて行(ゆ)く………身動(みうご)きも出來(でき)ません。くひしばつても、閉(と)ぢても、目口(めくち)に浸(し)む粉雪(こゆき)を、しかし紫陽花(あぢさゐ)の青(あを)い花片(はなびら)を吸(す)ふやうに思(おも)ひました。
 ――「菖蒲(あやめ)が咲(さ)きます。」――
 螢(ほたる)が飛(と)ぶ。
 私(わたし)はお米(よね)さんの、清(きよ)く暖(あたゝか)き膚(はだ)を思(おも)ひながら、雪(ゆき)にむせんで叫(さけ)びました。
「魔(ま)が妨(さまた)げる、天狗(てんぐ)の業(わざ)だ――あの、尼(あま)さんか、怪(あや)しい隱士(いんし)か。」




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