吉原新話
◇ピンチです!◇
◇暇つぶし何某◇

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著者名:泉鏡花 

       一

 表二階の次の六畳、階子段(はしごだん)の上(あが)り口、余り高くない天井で、電燈(でんき)を捻(ひね)ってフッと消すと……居合わす十二三人が、皆影法師。
 仲(なか)の町(ちょう)も水道尻(すいどうじり)に近い、蔦屋(つたや)という引手茶屋で。間も無く大引(おおび)けの鉄棒(かなぼう)が廻ろうという時分であった。
 閏(うるう)のあった年で、旧暦の月が後(おく)れたせいか、陽気が不順か、梅雨の上りが長引いて、七月の末だというのに、畳も壁もじめじめする。
 もっともこの日、雲は拭(ぬぐ)って、むらむらと切れたが、しかしほんとうに霽(あが)ったのでは無いらしい。どうやら底にまだ雨気(あまき)がありそうで、悪く蒸す……生干(なまび)の足袋に火熨斗(ひのし)を当てて穿(は)くようで、不気味に暑い中に冷(ひや)りとする。
 気候はとにかく、八畳の表座敷へ、人数が十人の上であるから、縁の障子は通し四枚とも宵の内から明放したが、夜桜、仁和加(にわか)の時とは違う、分けて近頃のさびれ方。仲の町でもこの大一座は目に立つ処へ、浅間(あさま)、端近(はしぢか)、戸外(おもて)へ人立ちは、嬉しがらないのを知って、家(うち)の姉御(あねご)が気を着けて、簾(すだれ)という処を、幕にした。
 廂(ひさし)へ張って、浅葱(あさぎ)に紺の熨斗(のし)進上、朱鷺色(ときいろ)鹿(か)の子のふくろ字で、うめという名が一絞(ひとしぼり)。紅(くれない)の括紐(くくりひも)、襷(たすき)か何ぞ、間に合わせに、ト風入れに掲げたのが、横に流れて、地(じ)が縮緬(ちりめん)の媚(なまめ)かしく、朧(おぼろ)に颯(さっ)と紅梅の友染を捌(さば)いたような。
 この名は数年前、まだ少(わか)くって見番の札を引いたが、家(うち)の抱妓(かかえ)で人に知られた、梅次というのに、何か催(もよおし)のあった節、贔屓(ひいき)の贈った後幕(うしろまく)が、染返しの掻巻(かいまき)にもならないで、長持の底に残ったのを、間に合わせに用いたのである。
 端唄(はうた)の題に出されたのも、十年近く以前であるから。見たばかりで、野路(のじ)の樹とも垣根の枝とも、誰も気の着いたものはなかったが、初め座の定まった処へ、お才という内の姉御が、お茶聞(きこ)しめせ、と持って出て、梅干も候ぞ。
「いかがですか、甘露梅(かんろばい)。」
 と、今めかしく註を入れたは、年紀(とし)の少(わか)い、学生も交(まじ)ったためで。
「お珍らしくもありませんが、もう古いんですよ、私のように。」
 と笑いながら、
「民さん、」
 と、当夜の幹事の附添いで居た、佐川民弥(たみや)という、ある雑誌の記者を、ちょいと見て、
「あの妓(こ)なんか、手伝ったのがまだそのままなんです。召あがれ。」と済まして言う。
 様子を知った二三人が、ふとこれで気が着いた。そして、言合わせたように民弥を見た。
 もっとも、そうした年紀(とし)ではなし、今頃はもう左衛門で、女房の実の名も忘れているほどであるから、民弥は何の気も無さそうに、
「いや、御馳走(ごちそう)。」
 時に敷居の外の、その長(なが)六畳の、成りたけ暗そうな壁の処へ、紅入友染(べにいりゆうぜん)の薄いお太鼓を押着(おッつ)けて、小さくなったが、顔の明(あかる)い、眉の判然(はっきり)した、ふっくり結綿(ゆいわた)に緋(ひ)の角絞(つのしぼ)りで、柄も中形も大きいが、お三輪といって今年が七(しち)、年よりはまだ仇気(あどけ)ない、このお才の娘分。吉野町(よしのちょう)辺の裁縫(おしごと)の師匠へ行(ゆ)くのが、今日は特別、平時(いつも)と違って、途中の金貸の軒に居る、馴染(なじみ)の鸚鵡(おうむ)の前へも立たず……黙って奥山の活動写真へも外(そ)れないで、早めに帰って来て、紫の包も解かずに、……
「道理で雨が霽(あが)ったよ。」
 嬉々(いそいそ)客設けの手伝いした、その――

       二

 お三輪がちょうど、そうやって晴がましそうに茶を注(つ)いでいた処。――甘露梅の今のを聞くと、はッとしたらしく、顔を据えたが、拗(す)ねたという身で土瓶をトン。
「才(さあ)ちゃん。」
 と背後(うしろ)からお才を呼んで、前垂(まえだれ)の端はきりりとしながら、褄(つま)の媚(なま)めく白い素足で、畳触(たたみざわ)りを、ちと荒く、ふいと座を起(た)ったものである。
 待遇(あいしらい)に二つ三つ、続けて話掛けていたお才が、唐突(だしぬけ)に腰を折られて、
「あいよ。」
 で、軽く衣紋(えもん)を圧(おさ)え、痩(や)せた膝で振り返ると、娘はもう、肩のあたりまで、階子段(はしごだん)に白地の中形を沈めていた。
「ちょっと、」……と手繰って言ったと思うと、結綿(ゆいわた)がもう階下(した)へ。
「何だい。」とお才は、いけぞんざい。階子段の欄干(てすり)から俯向(うつむ)けに覗(のぞ)いたが、そこから目薬は注(さ)せなそうで、急いで降りた。
「何だねえ。」
「才ちゃんや。」
 と段の下の六畳の、長火鉢の前に立ったまま、ぱっちりとした目許(めもと)と、可愛らしい口許で、引着けるようにして、
「何だじゃないわ。お気を着けなさいよ。梅次姉(ねえ)さんの事なんか言って、兄さんが他(ほか)の方に極(きまり)が悪いわ。」
「ううん。」と色気の無い頷(うなず)き方。
「そうだっけ。まあ、可(い)いやね。」
「可(よ)かない事よ……私は困っちまう。」
「何だねえ、高慢な。」
「高慢じゃないわ。そして、先生と云うものよ。」
「誰をさ。」
「皆さんをさ、先生とか、あの、貴方(あなた)とか、そうじゃなくって。誰方(どなた)も身分のある方なのよ。」
「そうかねえ。」
「そうかじゃありませんよ。才ちゃんてば。……それをさ、民さんだの、お前(ま)はんだのって……私は聞いていてはらはらするわ、お気を注(つ)けなさいなね。」
「ああ、そうだね、」
 と納得はしたものの、まだ何(なん)だか、不心服らしい顔色(かおつき)で、
「だって可(い)いやね、皆さんが、お化(ばけ)の御連中なんだから。」
 習慣(ならわし)で調子が高い、ごく内(ない)の話のつもりが、処々、どころでない。半ば以上は二階へ届く。
 一同くすくすと笑った。
 民弥は苦笑したのである。
 その時、梅次の名も聞えたので、いつの間にか、縁の幕の仮名の意味が、誰言うとなく自然(おのず)と通じて、投遣(なげや)りな投放(むすびばな)しに、中を結んだ、紅(べに)、浅葱(あさぎ)の細い色さえ、床の間の籠(かご)に投込んだ、白い常夏(とこなつ)の花とともに、ものは言わぬが談話(はなし)の席へ、仄(ほのか)な俤(おもかげ)に立っていた。
 が、電燈(でんき)を消すと、たちまち鼠色の濃い雲が、ばっと落ちて、廂(ひさし)から欄干(てすり)を掛けて、引包(ひッつつ)んだようになった。
 夜も更けたり、座の趣は変ったのである。
 かねて、こうした時の心を得て、壁際に一台、幾年にも、ついぞ使った事はあるまい、艶(つや)の無い、くすぶった燭台(しょくだい)の用意はしてあったが、わざと消したくらいで、蝋燭(ろうそく)にも及ぶまい、と形(かた)だけも持出さず――所帯構わぬのが、衣紋竹(えもんだけ)の替りにして、夏羽織をふわりと掛けておいた人がある――そのままになっている。
 灯(あかり)無しで、どす暗い壁に附着(くッつ)いた件(くだん)の形は、蝦蟆(がま)の口から吹出す靄(もや)が、むらむらとそこで蹲踞(うずくま)ったようで、居合わす人数の姿より、羽織の方が人らしい。そして、……どこを漏れて来る燈(ともしび)の加減やら、絽(ろ)の縞(しま)の袂(たもと)を透いて、蛍を一包(ひとつつみ)にしたほどの、薄ら蒼(あお)い、ぶよぶよとした取留(とりとめ)の無い影が透く。

       三

 大方はそれが、張出し幕の縫目を漏れて茫(ぼう)と座敷へ映るのであろう……と思う。欄干下(らんかんした)の廂(ひさし)と擦れ擦れな戸外(おもて)に、蒼白い瓦斯(がす)が一基(ひともと)、大門口(おおもんぐち)から仲の町にずらりと並んだ中の、一番末の街燈がある。
 時々光を、幅広く迸(ほとば)しらして、濶(かッ)と明るくなると、燭台(しょくだい)に引掛(ひっか)けた羽織の袂が、すっと映る。そのかわり、じっと沈んで暗くなると、紺の縦縞が消々(きえぎえ)になる。
 座中は目で探って、やっと一人の膝、誰かの胸、別のまた頬(ほお)のあたり、片袖(かたそで)などが、風で吹溜(ふきたま)ったように、断々(きれぎれ)に仄(ほのか)に見える。間を隔てたほどそれがかえって濃い、つい隣合ったのなどは、真暗(まっくら)でまるで姿が無い。
 ふと鼠色の長い影が、幕を斜違(はすっか)いに飜々(ひらひら)と伝わったり……円さ六尺余りの大きな頭が、ぬいと、天井に被(かぶ)さりなどした。
「今、起(た)ちなすったのは魯智深(ろちしん)さんだね。」
 と主(ぬし)は分らず声を懸ける。
「いや、私(わし)は胡坐(あぐら)掻(か)いています、どっしりとな。」
 とわざと云う。……描ける花和尚(かおしょう)さながらの大入道、この人ばかりは太ッ腹の、あぶらぼてりで、宵からの大肌脱(おおはだぬぎ)。絶えずはたはたと鳴らす団扇(うちわ)[#「団扇」は底本では「団扉」]づかい、ぐいと、抱えて抜かないばかり、柱に、えいとこさで凭懸(よりかか)る、と畳半畳だぶだぶと腰の周囲(まわり)に隠れる形体(ぎょうてい)。けれども有名な琴の師匠で、芸は嬉しい。紺地の素袍(すおう)に、烏帽子(えぼし)を着けて、十三絃(げん)に端然(ちゃん)と直ると、松の姿に霞(かすみ)が懸(かか)って、琴爪(ことづめ)の千鳥が啼(な)く。
「天井を御覧なさい、変なものが通ります。」
「厭(いや)ですね。」と優しい声。
 当夜、二人ばかり婦人も見えた。
 これは、百物語をしたのである。――
 会をここで開いたのは、わざと引手茶屋を選んだ次第では無かった。
「ちっと変った処で、好事(ものずき)に過ぎると云う方もございましょう。何しろ片寄り過ぎますんで。しかし実は席を極(き)めるのに困りました。
 何しろこの百物語……怪談の会に限って、半夜は中途で不可(いけ)ません。夜が更けるに従って……というのですから、御一味を下さる方も、かねて徹夜というお覚悟です。処で、宵から一晩の註文で、いや、随分方々へ当って見ました。
 料理屋じゃ、のっけから対手(あいて)にならず、待合申すまでも無い、辞退。席貸をと思いましたが、やっぱり夜一夜(よっぴて)じゃ引退(ひきさが)るんです。
ご協力下さい!!
★暇つぶし何某★

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