吉原新話
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著者名:泉鏡花 

       一

 表二階の次の六畳、階子段(はしごだん)の上(あが)り口、余り高くない天井で、電燈(でんき)を捻(ひね)ってフッと消すと……居合わす十二三人が、皆影法師。
 仲(なか)の町(ちょう)も水道尻(すいどうじり)に近い、蔦屋(つたや)という引手茶屋で。間も無く大引(おおび)けの鉄棒(かなぼう)が廻ろうという時分であった。
 閏(うるう)のあった年で、旧暦の月が後(おく)れたせいか、陽気が不順か、梅雨の上りが長引いて、七月の末だというのに、畳も壁もじめじめする。
 もっともこの日、雲は拭(ぬぐ)って、むらむらと切れたが、しかしほんとうに霽(あが)ったのでは無いらしい。どうやら底にまだ雨気(あまき)がありそうで、悪く蒸す……生干(なまび)の足袋に火熨斗(ひのし)を当てて穿(は)くようで、不気味に暑い中に冷(ひや)りとする。
 気候はとにかく、八畳の表座敷へ、人数が十人の上であるから、縁の障子は通し四枚とも宵の内から明放したが、夜桜、仁和加(にわか)の時とは違う、分けて近頃のさびれ方。仲の町でもこの大一座は目に立つ処へ、浅間(あさま)、端近(はしぢか)、戸外(おもて)へ人立ちは、嬉しがらないのを知って、家(うち)の姉御(あねご)が気を着けて、簾(すだれ)という処を、幕にした。
 廂(ひさし)へ張って、浅葱(あさぎ)に紺の熨斗(のし)進上、朱鷺色(ときいろ)鹿(か)の子のふくろ字で、うめという名が一絞(ひとしぼり)。紅(くれない)の括紐(くくりひも)、襷(たすき)か何ぞ、間に合わせに、ト風入れに掲げたのが、横に流れて、地(じ)が縮緬(ちりめん)の媚(なまめ)かしく、朧(おぼろ)に颯(さっ)と紅梅の友染を捌(さば)いたような。
 この名は数年前、まだ少(わか)くって見番の札を引いたが、家(うち)の抱妓(かかえ)で人に知られた、梅次というのに、何か催(もよおし)のあった節、贔屓(ひいき)の贈った後幕(うしろまく)が、染返しの掻巻(かいまき)にもならないで、長持の底に残ったのを、間に合わせに用いたのである。
 端唄(はうた)の題に出されたのも、十年近く以前であるから。見たばかりで、野路(のじ)の樹とも垣根の枝とも、誰も気の着いたものはなかったが、初め座の定まった処へ、お才という内の姉御が、お茶聞(きこ)しめせ、と持って出て、梅干も候ぞ。
「いかがですか、甘露梅(かんろばい)。」
 と、今めかしく註を入れたは、年紀(とし)の少(わか)い、学生も交(まじ)ったためで。
「お珍らしくもありませんが、もう古いんですよ、私のように。」
 と笑いながら、
「民さん、」
 と、当夜の幹事の附添いで居た、佐川民弥(たみや)という、ある雑誌の記者を、ちょいと見て、
「あの妓(こ)なんか、手伝ったのがまだそのままなんです。召あがれ。」と済まして言う。
 様子を知った二三人が、ふとこれで気が着いた。そして、言合わせたように民弥を見た。
 もっとも、そうした年紀(とし)ではなし、今頃はもう左衛門で、女房の実の名も忘れているほどであるから、民弥は何の気も無さそうに、
「いや、御馳走(ごちそう)。」
 時に敷居の外の、その長(なが)六畳の、成りたけ暗そうな壁の処へ、紅入友染(べにいりゆうぜん)の薄いお太鼓を押着(おッつ)けて、小さくなったが、顔の明(あかる)い、眉の判然(はっきり)した、ふっくり結綿(ゆいわた)に緋(ひ)の角絞(つのしぼ)りで、柄も中形も大きいが、お三輪といって今年が七(しち)、年よりはまだ仇気(あどけ)ない、このお才の娘分。吉野町(よしのちょう)辺の裁縫(おしごと)の師匠へ行(ゆ)くのが、今日は特別、平時(いつも)と違って、途中の金貸の軒に居る、馴染(なじみ)の鸚鵡(おうむ)の前へも立たず……黙って奥山の活動写真へも外(そ)れないで、早めに帰って来て、紫の包も解かずに、……
「道理で雨が霽(あが)ったよ。」
 嬉々(いそいそ)客設けの手伝いした、その――

       二

 お三輪がちょうど、そうやって晴がましそうに茶を注(つ)いでいた処。――甘露梅の今のを聞くと、はッとしたらしく、顔を据えたが、拗(す)ねたという身で土瓶をトン。
「才(さあ)ちゃん。」
 と背後(うしろ)からお才を呼んで、前垂(まえだれ)の端はきりりとしながら、褄(つま)の媚(なま)めく白い素足で、畳触(たたみざわ)りを、ちと荒く、ふいと座を起(た)ったものである。
 待遇(あいしらい)に二つ三つ、続けて話掛けていたお才が、唐突(だしぬけ)に腰を折られて、
「あいよ。」
 で、軽く衣紋(えもん)を圧(おさ)え、痩(や)せた膝で振り返ると、娘はもう、肩のあたりまで、階子段(はしごだん)に白地の中形を沈めていた。
「ちょっと、」……と手繰って言ったと思うと、結綿(ゆいわた)がもう階下(した)へ。
「何だい。」とお才は、いけぞんざい。階子段の欄干(てすり)から俯向(うつむ)けに覗(のぞ)いたが、そこから目薬は注(さ)せなそうで、急いで降りた。
「何だねえ。」
「才ちゃんや。」
 と段の下の六畳の、長火鉢の前に立ったまま、ぱっちりとした目許(めもと)と、可愛らしい口許で、引着けるようにして、
「何だじゃないわ。お気を着けなさいよ。梅次姉(ねえ)さんの事なんか言って、兄さんが他(ほか)の方に極(きまり)が悪いわ。」
「ううん。」と色気の無い頷(うなず)き方。
「そうだっけ。まあ、可(い)いやね。」
「可(よ)かない事よ……私は困っちまう。」
「何だねえ、高慢な。」
「高慢じゃないわ。そして、先生と云うものよ。」
「誰をさ。」
「皆さんをさ、先生とか、あの、貴方(あなた)とか、そうじゃなくって。誰方(どなた)も身分のある方なのよ。」
「そうかねえ。」
「そうかじゃありませんよ。才ちゃんてば。……それをさ、民さんだの、お前(ま)はんだのって……私は聞いていてはらはらするわ、お気を注(つ)けなさいなね。」
「ああ、そうだね、」
 と納得はしたものの、まだ何(なん)だか、不心服らしい顔色(かおつき)で、
「だって可(い)いやね、皆さんが、お化(ばけ)の御連中なんだから。」
 習慣(ならわし)で調子が高い、ごく内(ない)の話のつもりが、処々、どころでない。半ば以上は二階へ届く。
 一同くすくすと笑った。
 民弥は苦笑したのである。
 その時、梅次の名も聞えたので、いつの間にか、縁の幕の仮名の意味が、誰言うとなく自然(おのず)と通じて、投遣(なげや)りな投放(むすびばな)しに、中を結んだ、紅(べに)、浅葱(あさぎ)の細い色さえ、床の間の籠(かご)に投込んだ、白い常夏(とこなつ)の花とともに、ものは言わぬが談話(はなし)の席へ、仄(ほのか)な俤(おもかげ)に立っていた。
 が、電燈(でんき)を消すと、たちまち鼠色の濃い雲が、ばっと落ちて、廂(ひさし)から欄干(てすり)を掛けて、引包(ひッつつ)んだようになった。
 夜も更けたり、座の趣は変ったのである。
 かねて、こうした時の心を得て、壁際に一台、幾年にも、ついぞ使った事はあるまい、艶(つや)の無い、くすぶった燭台(しょくだい)の用意はしてあったが、わざと消したくらいで、蝋燭(ろうそく)にも及ぶまい、と形(かた)だけも持出さず――所帯構わぬのが、衣紋竹(えもんだけ)の替りにして、夏羽織をふわりと掛けておいた人がある――そのままになっている。
 灯(あかり)無しで、どす暗い壁に附着(くッつ)いた件(くだん)の形は、蝦蟆(がま)の口から吹出す靄(もや)が、むらむらとそこで蹲踞(うずくま)ったようで、居合わす人数の姿より、羽織の方が人らしい。そして、……どこを漏れて来る燈(ともしび)の加減やら、絽(ろ)の縞(しま)の袂(たもと)を透いて、蛍を一包(ひとつつみ)にしたほどの、薄ら蒼(あお)い、ぶよぶよとした取留(とりとめ)の無い影が透く。

       三

 大方はそれが、張出し幕の縫目を漏れて茫(ぼう)と座敷へ映るのであろう……と思う。欄干下(らんかんした)の廂(ひさし)と擦れ擦れな戸外(おもて)に、蒼白い瓦斯(がす)が一基(ひともと)、大門口(おおもんぐち)から仲の町にずらりと並んだ中の、一番末の街燈がある。
 時々光を、幅広く迸(ほとば)しらして、濶(かッ)と明るくなると、燭台(しょくだい)に引掛(ひっか)けた羽織の袂が、すっと映る。そのかわり、じっと沈んで暗くなると、紺の縦縞が消々(きえぎえ)になる。
 座中は目で探って、やっと一人の膝、誰かの胸、別のまた頬(ほお)のあたり、片袖(かたそで)などが、風で吹溜(ふきたま)ったように、断々(きれぎれ)に仄(ほのか)に見える。間を隔てたほどそれがかえって濃い、つい隣合ったのなどは、真暗(まっくら)でまるで姿が無い。
 ふと鼠色の長い影が、幕を斜違(はすっか)いに飜々(ひらひら)と伝わったり……円さ六尺余りの大きな頭が、ぬいと、天井に被(かぶ)さりなどした。
「今、起(た)ちなすったのは魯智深(ろちしん)さんだね。」
 と主(ぬし)は分らず声を懸ける。
「いや、私(わし)は胡坐(あぐら)掻(か)いています、どっしりとな。」
 とわざと云う。……描ける花和尚(かおしょう)さながらの大入道、この人ばかりは太ッ腹の、あぶらぼてりで、宵からの大肌脱(おおはだぬぎ)。絶えずはたはたと鳴らす団扇(うちわ)[#「団扇」は底本では「団扉」]づかい、ぐいと、抱えて抜かないばかり、柱に、えいとこさで凭懸(よりかか)る、と畳半畳だぶだぶと腰の周囲(まわり)に隠れる形体(ぎょうてい)。けれども有名な琴の師匠で、芸は嬉しい。紺地の素袍(すおう)に、烏帽子(えぼし)を着けて、十三絃(げん)に端然(ちゃん)と直ると、松の姿に霞(かすみ)が懸(かか)って、琴爪(ことづめ)の千鳥が啼(な)く。
「天井を御覧なさい、変なものが通ります。」
「厭(いや)ですね。」と優しい声。
 当夜、二人ばかり婦人も見えた。
 これは、百物語をしたのである。――
 会をここで開いたのは、わざと引手茶屋を選んだ次第では無かった。
「ちっと変った処で、好事(ものずき)に過ぎると云う方もございましょう。何しろ片寄り過ぎますんで。しかし実は席を極(き)めるのに困りました。
 何しろこの百物語……怪談の会に限って、半夜は中途で不可(いけ)ません。夜が更けるに従って……というのですから、御一味を下さる方も、かねて徹夜というお覚悟です。処で、宵から一晩の註文で、いや、随分方々へ当って見ました。
 料理屋じゃ、のっけから対手(あいて)にならず、待合申すまでも無い、辞退。席貸をと思いましたが、やっぱり夜一夜(よっぴて)じゃ引退(ひきさが)るんです。第一、人数が二十人近くで、夜明しと来ては、成程、ちょっとどこといって当りが着きません。こりゃ旅籠屋(はたごや)だ、と考えました。
 これなら大丈夫、と極めた事にすると、どういたして、まるで帳場で寄せつけません、無理もございますまい。旅籠屋は人の寝る処を、起きていて饒舌(しゃべ)ろうというんです。傍(はた)が御迷惑をなさる、とこの方を関所破りに扱います、困りました。
 寺方はちょっと聞くと可(い)いようで、億劫(おっくう)ですし、教会へ持込めば叱られます。離れた処で寮なんぞ借りられない事もありませんが――この中にはその時も御一所で、様子を御存じの方もお見えになります、昨年の盆時分、向島の或(ある)別荘で、一会催した事があるんです。
 飛んだ騒ぎで、その筋に御心配を掛けたんです。多人数一室へ閉籠(とじこも)って、徹夜で、密々(ひそひそ)と話をするのが、寂(しん)とした人通(ひとどおり)の無い、樹林(きばやし)の中じゃ、その筈(はず)でしょう。
 お引受け申して、こりや思懸けない、と相応に苦労をしました揚句(あげく)、まず……昔の懺悔(ざんげ)をしますような取詰め方で、ここを頼んだのでございます。
 言訳を申すじゃありませんが、以前だとて、さして馴染(なじみ)も無い家(うち)が、快く承わってくれまして、どうやらお間に合わせます事が出来ました。
 ちと唐突(だしぬけ)に変った誂(あつら)えだもんですから、話の会だと言いますと、
(はあ、おはなの……)なんてな、此家(ここ)の姉御(あねご)が早合点(はやがってん)で……」
 と笑いながら幹事が最初挨拶(あいさつ)した、――それは、神田辺の沢岡という、雑貨店の好事(ものずき)な主人であった。

       四

 連中には新聞記者も交(まじ)ったり、文学者、美術家、彫刻家、音楽家、――またそうした商人(あきんど)もあり、久しく美学を研究して、近頃欧洲から帰朝した、子爵(ししゃく)が一人。女性(にょしょう)というのも、世に聞えて、……家(うち)のお三輪は、婦人何々などの雑誌で、写真も見れば、名も読んで知った方。
 で、こんな場所は、何の見物にも、つい足踏(あしぶみ)をした事の無いのが多い。が、その人たちも、誰も会場が吉原というのを厭(いと)わず、中にはかえって土地に興味(おもしろみ)を持って、到着帳に記(つ)いたのもある。
「吉野橋で電車を下りますまでは無事だったんですよ。」
 とそれについて婦人の一人、浜谷蘭子(はまやらんこ)が言出すと、可恐(おそろし)く気の早いのが居て、
「ええ、何か出ましたかな。」
「まさか、」
 と手巾(ハンケチ)をちょっと口に当てて、瞼(まぶた)をほんのりと笑顔になって、
「お化(ばけ)が貴下(あなた)、わざわざ迎いに出はしませんよ。方角が分りませんもの。……交番がござんしたから、――伺いますが、水道尻はどう参りましょうかって聞いたんです。巡査(おまわり)さんが真面目(まじめ)な顔をして、
(水道はその四角(よつかど)の処にあります。)って丁寧に教えられて、困ったんです。」
「水を飲みたくって、それで尋ねたんだと思ったんでしょうよ。」とその連(つれ)だったもう一人の、明座種子(あかざたねこ)が意気な姿で、そして膝に手をきちんとして言う。
「私もはじめてです。両側はそれでも画(え)に描いたようですな。」と岩木という洋画家が応じた。
「御同然で、私はそれでも、首尾よく間違えずに来たですよ。北廓(ほっかく)だというから、何でも北へ北へと見当を着けるつもりで、宅から磁石を用意に及んだものです。」と云う堀子爵が、ぞんざいな浴衣がけの、ちょっきり結びの兵児帯(へこおび)に搦(から)んだ黄金鎖(きんぐさり)には、磁石が着いていも何にもせぬ。
 花和尚がその諸膚脱(もろはだぬぎ)の脇の下を、自分の手で擽(くすぐ)るように、ぐいと緊(し)めて腹を揺(ゆす)った。
「そろそろ怪談になりますわ。」
 確か、その時分であった。壇の上口(あがりくち)に気勢(けはい)がすると、潰(つぶ)しの島田が糶上(せりあが)ったように、欄干(てすり)隠れに、少(わか)いのが密(そっ)と覗込(のぞきこ)んで、
「あら、可厭(いや)だ。」
 と一つ婀娜(あだ)な声を、きらりと銀の平打(ひらうち)に搦めて投込んだ、と思うが疾(はや)いが、ばたばたと階下(した)へ駆下りたが、
「嘘、居やしないわ。」と高い調子。
 二言、三言、続いて花やかに笑ったのが聞えた。駒下駄(こまげた)の音が三つ四つ。
「覚えていらっしゃいよ。」
「お喧(やかま)しゅう……」
 魯智深は、ずかずかと座を起(た)って、のそりと欄干(てすり)に腹を持たせて、幕を透かして通(とおり)を瞰下(みおろ)し、
「やあ、鮮麗(あざやか)なり、おらが姉(ねえ)さん三人ござる。」
「君、君、その異形(いぎょう)なのを空中へ顕(あらわ)すと、可哀相(かわいそう)に目を廻すよ。」と言いながら、一人が、下からまた差覗(さしのぞ)いた。
「家(うち)の娘かね。」
 と子爵が訊(き)く。差向いに居た民弥が、
「いいえ。」
「何です。」
「やっぱり通り魔の類(たぐい)でしょうな。」
「しかし、不意だからちょっと驚きましたよ。」とその洋画家が……ちょうど俯向(うつむ)いて巻莨(まきたばこ)をつけていた処、不意を食(くら)った眼鏡が晃(きら)つく。
 当夜の幹事が苦笑いして、
「近所の若い妓(こ)どもです……御存じの立旦形(たておやま)が一人、今夜来ます筈(はず)でしたが、急用で伊勢へ参って欠席しました。階下(した)で担いだんでしょう。密(そっ)と覗(のぞ)きに……」
「道理こそ。」
「(あら可厭(いや)だ)は酷(ひど)いな。」

       五

「おおおお、三人が手を曳(ひき)ッこで歩行(ある)いて行(ゆ)きます……仲の町も人通りが少いなあ、どうじゃろう、景気の悪い。ちらりほらりで軒行燈(のきあんどう)に影が映る、――海老屋(えびや)の表は真暗(まっくら)だ。
 ああ、揃って大時計の前へ立佇(たちどま)った……いや三階でちょっとお辞儀をするわ。薄暗い処へ朦朧(もうろう)と胸高な扱帯(しごき)か何かで、寂(さみ)しそうに露(あらわ)れたのが、しょんぼりと空から瞰下(みお)ろしているらしい。」
 と円い腕を、欄干(てすり)が挫(ひしゃ)げそうにのッしと支(つ)いて、魯智深の腹がたぶりと乗出す……
「どこだ、どれ、」
 と向返る子爵の頭へ、さそくに、ずずんと身を返したが、その割に気の軽さ。突然(いきなり)見越入道で、蔽(おお)われ掛(かか)って、
「ももんがあ! はッはッはッ。」
「失礼、只今(ただいま)は、」
 と、お三輪が湯を注(さ)しに来合わせて、特に婦人客(おんなきゃく)の背後(うしろ)へ来て、極(きまり)の悪そうに手を支(つ)いた。
「才(さあ)ちゃんが、わけが分らなくって不可(いけ)ません、芸者衆(しゅ)なんか二階へ上げまして。」
 と言(ことば)も極(きま)って含羞(はにか)んだ、紅(あか)い手絡(てがら)のしおらしさ。一人の婦人が斜めに振向き、手に持ったのをそのままに、撫子(なでしこ)に映(さ)す扇の影。
「いいえ。そして……ちとお遊びなさいませ。」
「はい、あの、後にどうぞ。」
 と嬉しそうに莞爾(にっこり)しながら、
「あの、明る過ぎましたら電燈(でんき)をお消し下さいましな、燭台(しょくだい)をそこへ出しておきました。」
 と幹事に言う。雑貨店主が、
「難有(ありがと)う、よくお心の着きます事で。」
「あら、可厭(いや)だ。」……と蓮葉(はすは)になる。
「二ツ、」
 と一人高らかに呼(よば)わった。……芸者のと、(可厭だ)が二度目、という意味だけれども、娘には気が着かぬ。
「え?」
 民弥が静(しずか)に振返って、
「三輪(みい)ちゃんの年紀(とし)は二十(はたち)かって?」
「あら、可厭だ。」
「三つ!」
「じゃ、三十かってさ。」と雑貨店主が莞爾(にっこり)する。
「知らないわ。」
「まあまあ、可(い)いわ、お話しなさい。」と花和尚、この時、のさのさと座に戻る。
「お茶を入れかえて参ります。」
 と、もう階子(はしご)の口。ちょっと留まって、
「そして才ちゃんに、御馳走をさせましょうね。兄さん、(吃驚(びっくり)したように)……あの、先生。」
「心得たもんですな。」と洋画家が、煙草(たばこ)の濃い烟(けむり)の中で。
「貴女方(あなたがた)の御庇(おかげ)です……敬意を表して、よく小老実(こまめ)に働きますよ。」と民弥が婦人だちを見向いて云う。と二人が一所に、言合わせたように美しく莞爾(にっこり)して、
「どういたしまして。」
「いや、事実ですよ……家はこんなでも、裁縫(おはり)に行(ゆ)く先方(さき)に、また、それぞれ朋(とも)だちがありましてな、それ引手茶屋の娘でも、大分工合(ぐあい)が違って来ました。どうして滅多に客の世話なぞするのじゃありませんや。貴女がたの顔まで、ちゃんと心得ていて、先刻(さっき)も手前ちょっと階下(した)へ立違いますと、あちらが、浜谷さんで、こちらが、明座さんでしょう、なんてそう言います。
 廓(くるわ)がはじめてだってお言いなさったのを聞いたと見えて、御見物なさいませんか、お供をして、そこいら、御案内をしましょう、と手前にそう言っていましたっけ。」と団扇(うちわ)を構えて雑貨店主。
「そう、まあ……見て来ましょうか。」
「ねえ。」と顔を見合わせた。
 子爵が頭(かぶり)を振りながら、
「お止(よ)しなさい、お揃いじゃ、女郎(じょろ)が口惜(くや)しがるでしょう、罪だ。」

       六

「なぜですか。」
「新橋、柳橋と見えるでしょう。」
「あら、可厭(いや)だ。」
「四つ、」
 と今度は、魯智深が、透かさず指を立てて、ずいと揚げた。
 すべてがこの調子で、間へ二ツ三ツずつ各自(めいめい)の怪談が挟まる中へ、木皿に割箸(わりばし)をざっくり揃えて、夜通しのその用意が、こうした連中に幕の内でもあるまい、と階下(した)で気を着けたか茶飯の結びに、はんぺんと菜のひたし。……ある大籬(おおまがき)の寮が根岸にある、その畠に造ったのを掘たてだというはしりの新芋。これだけはお才が自慢で、すじ、蒟蒻(こんにゃく)などと煮込みのおでんを丼(どんぶり)へ。目立たないように一銚子(ひとちょうし)附いて出ると、見ただけでも一口呑(の)めそう……梅次の幕を正面へ、仲の町が夜の舞台で、楽屋の中入(なかいり)といった様子で、下戸(げこ)までもつい一口飲(や)る。
 八畳一杯赫(かッ)と陽気で、ちょうどその時分に、中びけの鉄棒(かなぼう)が、近くから遠くへ、次第に幽(かす)かになって廻ったが、その音の身に染みたは、浦里時代の事であろう。誰の胸へも響かぬ。……もっとも話好きな人ばかりが集ったから、その方へ気が入って、酔ったものは一人も無い。が、どうして勢(いきおい)がこんなであるから、立続けに死霊(しりょう)、怨霊(おんりょう)、生霊(いきりょう)まで、まざまざと顕(あらわ)れても、凄(すご)い可恐(こわ)いはまだな事――汐時(しおどき)に颯(さっ)と支度を引いて、煙草盆(たばこぼん)の巻莨(まきたばこ)の吸殻が一度綺麗(きれい)に片附く時、蚊遣香(かやりこう)もばったり消えて、畳の目も初夜過ぎの陰気に白く光るのさえ、――寂しいとも思われぬ。
(あら可厭だ)……のそれでは無い。百万遍の数取りのように、一同ぐるりと輪になって、じりじりと膝を寄せると、千倉ヶ沖の海坊主、花和尚の大きな影が幕をはびこるのを張合いにして、がんばり入道、ずばい坊、鬼火、怪火(あやしび)、陰火の数々。月夜の白張(しらはり)、宙釣りの丸行燈(まるあんどう)、九本の蝋燭(ろうそく)、四ツ目の提灯(ちょうちん)、蛇塚を走る稲妻、一軒家の棟を転がる人魂(ひとだま)、狼の口の弓張月、古戦場の火矢の幻。
 怨念(おんねん)は大鰻(おおうなぎ)、古鯰(ふるなまず)、太岩魚(ふといわな)、化ける鳥は鷺(さぎ)、山鳥。声は梟(ふくろ)、山伏の吹く貝、磔場(はりつけば)の夜半(よわ)の竹法螺(たけぼら)、焼跡の呻唸声(うめきごえ)。
 蛇ヶ窪の非常汽笛、箒川(ほうきがわ)の悲鳴などは、一座にまさしく聞いた人があって、その響(ひびき)も口から伝わる。……按摩(あんま)の白眼(しろめ)、癩坊(かったい)の鼻、婆々(ばばあ)の逆眉毛(さかまつげ)。気味の悪いのは、三本指、一本脚。
 厠(かわや)を覗(のぞ)く尼も出れば、藪(やぶ)に蹲(しゃが)む癖の下女も出た。米屋の縄暖簾(なわのれん)を擦れ擦れに消える蒼(あお)い女房、矢絣(やがすり)の膝ばかりで掻巻(かいまき)の上から圧(お)す、顔の見えない番町のお嬢さん。干すと窄(すぼ)まる木場辺の渋蛇の目、死んだ頭(かしら)の火事見舞は、ついおもだか屋にあった事。品川沖の姪の影、真乳(まっち)の渡(わたし)の朧蓑(おぼろみの)、鰻掻(うなぎかき)の蝮笊(まむしざる)。
 犬神、蛇を飼う婦(おんな)、蟇(ひきがえる)を抱いて寝る娘、鼈(すっぽん)の首を集める坊主、狐憑(きつねつき)、猿小僧、骨なし、……猫屋敷。
 で、この猫について、座の一人が、かつてその家に飼った三毛で、年久しく十四五年を経た牝(めす)が、置炬燵(おきごたつ)の上で長々と寝て、密(そっ)と薄目を□(みひら)くと、そこにうとうとしていた老人(としより)の顔を伺った、と思えば、張裂けるような大欠伸(おおあくび)を一つして、
(お、お、しんど)と言って、のさりと立った。
 話した発奮(はずみ)に、あたかもこの八畳と次の長六畳との仕切が柱で、ずッと壁で、壁と壁との間が階子段(はしごだん)と向合(むかいあわ)せに□子窓(れんじまど)のように見える、が、直ぐに隣家(となり)の車屋の屋根へ続いた物干。一跨(ひとまた)ぎで出られる。……水道尻まで家続きだけれども、裏手、廂合(ひあわい)が連(つらな)るばかり、近間(ちかま)に一ツも明(あかり)が見えぬ、陽気な座敷に、その窓ばかりが、はじめから妙に陰気で、電燈(でんき)の光も、いくらかずつそこへ吸取られそうな気勢(けはい)がしていた。
 その物干の上と思う処で……

       七

「ゴロロロロ、」
 と濁った、太い、変に地響きのする声がした、――不思議は無い。猫が鳴いた事は、誰の耳にも聞えたが、場合が場合で、一同が言合わせたごとく、その四角な、大きな、真暗(まっくら)な穴の、遥(はる)かな底は、上野天王寺の森の黒雲が灰色の空に浸(にじ)んで湧上(わきあが)る、窓を見た。
 フト寂しい顔をしたのもあるし、苦笑いをしたのもあり、中にはピクリと肩を動かした人もあった。
「三輪(みい)ちゃん、内の猫かい。」
 民弥は、その途端に、ひたと身を寄せたお三輪に訊(たず)ねた。……遠慮をしながら、成(なる)たけこの男の傍(そば)に居て、先刻(さっき)から人々の談話(はなし)の、凄(すご)く可恐(おそろし)い処というと、密(そっ)と縋(すが)り縋り聞いていたのである。
「いいえ、内の猫は、この間死にました。」
「死んだ?」
「ええ、どこの猫でしょう……近所のは、皆(みんな)たま(猫の名)のお友達で、私は声を知ってるんですけれど……可厭(いや)な声ね。きっと野良猫よ。」
 それと極(きま)っては、内所(ないしょ)の飼猫でも、遊女(おいらん)の秘蔵でも、遣手(やりて)の懐児(ふところご)でも、町内の三毛、斑(ぶち)でも、何のと引手茶屋の娘の勢(いきおい)。お三輪は気軽に衝(つ)と立って、襟脚を白々と、結綿(ゆいわた)の赤い手絡(てがら)を障子の桟(さん)へ浮出したように窓を覗(のぞ)いた。
「遁(に)げてよ。もう居やしませんわ。」
 一人の婦人が、はらはらと後毛(おくれげ)のかかった顔で、
「姉(ねえ)さん。」
「はーい、」と、呼ばれたのを嬉しそうな返事をする。
「閉めていらっしゃいな。」
 で、蓮葉(はすは)にぴたり。
 後に話合うと、階下(した)へ用達しになど、座を起(た)って通る時、その窓の前へ行(ゆ)くと、希代(きたい)にヒヤリとして風が冷い。処で、何心なく障子をスーツと閉めて行(ゆ)く、……帰りがけに見るとさらりと開(あ)いている。が、誰もそこへ坐るのでは無いから、そのままにして座に戻る。また別人が立つ、やっぱりぞっとするから閉めて行(ゆ)く、帰りがけにはちゃんと開けてあった。それを見た人は色々で、細目の時もあり、七八分目の時もあり、開放しの時もあった、と言う。
 さて、そのときまでは、言ったごとく、陽気立って、何が出ても、ものが身に染むとまでには至らなかったが、物語の猫が物干の声になってから、各自(おのおの)言合わせたように、膝が固まった。
 時々灰吹の音も、一ツ鉦(がね)のようにカーンと鳴って、寂然(しん)と耳に着く。……
 気合が更(あらた)まると、畳もかっと広くなって、向合(むかいあ)い、隣同士、ばらばらと開けて、間(あわい)が隔るように思われるので、なおひしひしと額を寄せる。
「消そうか、」
「大人気ないが面白い。」
 ここで電燈(でんき)が消えたのである。――
「案外身に染みて参りました。人数の多過ぎなせいもありましょう。わざと灯(あかり)を消したり、行燈(あんどう)に変えたりしますと、どうもちと趣向めいて、バッタリ機巧(からくり)を遣(や)るようで一向潮が乗りません。
 前(せん)の向島の大連の時で、その経験がありますから、今夜は一番(ひとつ)、明(あかり)晃々(こうこう)とさして、どうせ顕(あらわ)れるものなら真昼間(まっぴるま)おいでなさい、明白で可(い)い、と皆さんとも申合せていましたっけ。
 いや、こうなると、やっぱり暗い方が配合(うつり)が可(よ)うございます、身が入りますぜ、これから。」
 と言う、幹事雑貨店主の冴(さ)えた声が、キヤキヤと刻込(きざみこ)んで、響いて聞えて、声を聞く内だけ、その鼻の隆(たか)い、痩(や)せて面長(おもなが)なのが薄ら蒼(あお)く、頬のげっそりと影の黒いのが、ぶよぶよとした出処(でどこ)の定かならぬ、他愛の無い明(あかり)に映って、ちょっとでも句が切れると、はたと顔も見えぬほどになったのである。

       八

 灯(あかり)は水道尻のその瓦斯(がす)と、もう二ツ――一ツは、この二階から斜違(はすっかい)な、京町(きょうまち)の向う角の大きな青楼の三階の、真角(まっかど)一ツ目の小座敷の障子を二枚両方へ明放した裡(うち)に、青い、が、べっとりした蚊帳(かや)を釣って、行燈(あんどう)がある、それで。――夜目には縁も欄干(らんかん)も物色(うかが)われず、ただその映出(うつしだ)した処だけは、たとえば行燈の枠の剥(は)げたのが、朱塗(しゅぬり)であろう……と思われるほど定かに分る。……そこが仄明(ほのあかる)いだけ、大空の雲の黒さが、此方(こなた)に絞った幕の上を、底知れぬ暗夜(やみ)にする。……が、廓(くるわ)が寂れて、遠く衣紋坂(えもんざか)あたりを一つ行(ゆ)く俥(くるま)の音の、それも次第に近くはならず、途中の電信の柱があると、母衣(ほろ)が凧(いかのぼり)。引掛(ひっかか)りそうに便(たより)なく響(ひびき)が切れて行(ゆ)く光景(ありさま)なれば、のべの蝴蝶(ちょうちょう)が飛びそうな媚(なまめ)かしさは無く、荒廃したる不夜城の壁の崩れから、菜畠になった部屋が露出(むきだ)しで、怪しげな朧月(おぼろづき)めく。その行燈の枕許(まくらもと)に、有ろう? 朱羅宇(しゅらお)の長煙管(ながぎせる)が、蛇になって動きそうに、蓬々(おどろおどろ)と、曠野(あれの)に□□(さまよ)う夜の気勢(けはい)。地蔵堂に釣った紙帳より、かえって侘(わび)しき草の閨(ねや)かな。
 風の死んだ、寂(しん)とした夜で、あたかも宙に拡げたような、蚊帳のその裙(すそ)が、そよりと戦(そよ)ぐともしないのに、この座の人の動くに連れて、屋の棟とともに、すっと浮いて上ったり、ずうと行燈と一所に、沈んで下ったりする。
 もう一つは同じ向側の、これは低い、幕の下に懸(かか)って、真暗(まっくら)な門(かど)へ、奥の方から幽かに明(あかり)の漏れるのが、戸の格子の目も疎(まばら)に映って、灰色に軒下の土間を茫(ぼう)と這(ほ)うて、白い暖簾(のれん)の断(ちぎ)れたのを泥に塗(まみ)らした趣がある。それと二つである。
 その家は、表をずッと引込(ひっこ)んだ処に、城の櫓(やぐら)のような屋根が、雲の中に陰気に黒い。両隣は引手茶屋で、それは既に、先刻(さっき)中引けが過ぎる頃、伸上って蔀(しとみ)を下ろしたり、仲の町の前後(あとさき)を見て戸を閉めたり、揃って、家並(やなみ)は残らず音も無いこの夜更(よふけ)の空を、地(じ)に引く腰張の暗い板となった。
 時々、海老屋の大時計の面(つら)が、時間(とき)の筋を畝(うね)らして、幽(かすか)な稲妻に閃(ひら)めき出るのみ。二階で便(たよ)る深夜の光は、瓦斯(がす)を合わせて、ただその三つの灯(ともしび)となる。
 中のどれかが、折々気紛(きまぐ)れの鳥影の映(さ)すように、飜然(ひらり)と幕へ附着(くッつ)いては、一同の姿を、種々(いろいろ)に描き出す。……
 時しもありけれ、魯智深が、大(おおい)なる挽臼(ひきうす)のごとき、五分刈頭を、天井にぐるりと廻して、
「佐川さんや、」
 と顔は見えず……その天井の影が動く。話の切目で、咳(しわぶき)の音も途絶えた時で、ひょいと見ると誰の目にも、上にぼんやりと映る、その影が口を利くかと思われる。従って、声もがッと太く渦巻く。
「変に静まりましたな、もって来いという間(ま)の時じゃ、何ぞお話し下さらんか。宵からまだ、貴下(あなた)に限って、一ツも凄(すご)いのが出ませんでな、所望ですわ。」
 成程、民弥は聞くばかりで、まだ一題も話さなかった。
「差当り心当りが無いものですから、」
 とその声も暗さを辿(たど)って、
「皆さんが実によく、種々(いろいろ)な可恐(おそろし)いのを御存じです。……確(たしか)にお聞きになったり、また現に逢(あ)ったり見たりなすっておいでになります。
 私は、又聞きに聞いたのだの、本で読んだのぐらいな処で、それも拵(こしら)えものらしいのが多いんですから、差出てお話するほどのがありません。生憎(あいにく)……ッても可笑(おかし)いんですが、ざらある人魂(ひとだま)だって、自分で見た事はありませんでね。怪(あやし)い光物といっては、鼠が啣(くわ)え出した鱈(たら)の切身が、台所でぽたぽたと黄色く光ったのを見て吃驚(びっくり)したくらいなものです。お話にはなりません。
 けれども、嬉しがって一人で聞かしてばかり頂いていたんでは、余り勝手過ぎます。申訳が無いようですから、詰(つま)らない事ですが、一つ、お話し申しましょうか。
 日の暮合いに、今日、現に、此家(ここ)へ参ります途中でした。」

       九

「可恐(こわ)い事、ちょっと、可恐くって。」
 と例の美しい若い声が身近に聞えて、ぞっとするように袖を窄(すぼ)めた気勢(けはい)がある。
「私に附着(くッつ)いていらっしゃい。」と蘭子が傍(そば)で、香水の優しい薫(かおり)。
「いや、下らないんですよ、」
 と、慌てたように民弥は急いで断って、
「ちと薄気味でも悪いようだと、御愛嬌(ごあいきょう)になるんだけれど……何(なん)にも彼(か)にも、一向要領を得ないんです、……時にだね、三輪(みい)ちゃん。」
 とちと更(あらた)まって呼んだ時に、皆(みんな)が目を灌(そそ)ぐと、どの灯(あかり)か、仏壇に消忘れたようなのが幽(かすか)に入って、スーと民弥のその居直った姿を映す。……これは生帷(きびら)の五ツ紋に、白麻の襟を襲(かさ)ねて、袴(はかま)を着(ちゃく)でいた。――あたかもその日、繋(つな)がる縁者の葬式(とむらい)を見送って、その脚で廻ったそうで、時節柄の礼服で宵から同じ着附けが、この時際立って、一人、舞台へ出たように目に留まった。麻は冷たい、さっくりとして膚(はだ)にも着かず、肩肱(かたひじ)は凜々(りり)しく武張(ぶば)ったが、中背で痩(や)せたのが、薄ら寒そうな扮装(なり)、襟を引合わせているので物優しいのに、細面(ほそおもて)で色が白い。座中では男の中(うち)の第一(いっち)年下の二十七で、少々(わかわか)しいのも気の弱そうに見えるのが、今夜の会には打ってつけたような野辺送りの帰りと云う。
 気のせいか、沈んで、悄(しお)れて見える処へ、打撞(ぶつ)かったその冷い紋着(もんつき)で、水際の立ったのが、薄(うっす)りと一人浮出したのであるから、今その呼懸けたお三輪さえ、声に応じて、結綿(ゆいわた)の綺麗な姿が、可恐(こわ)そうな、可憐(かれん)な風情で、並んでそこへ、呼出されたように、座上の胸に描かれた。
「つかん事を聞くがね、どこかこの近所で、今夜あたりお産をしそうな人はあるまいか。」
 と妙な事を沈んで聞く。
「今夜……ですか。」とお三輪はきっぱり聞返す。
「……そうだね、今夜、と極(き)まった事も無いけれど、この頃にさ、そういう家(うち)がありやしないかい。」
「嬰児(あかんぼ)が生れる許(とこ)?」
「そうさ、」
「この近所、……そうね。」
 せっかく聞かされたものを、あれば可(い)いが、と思う容子(ようす)で、しばらくして、
「無いわ、ちっと離れていては悪くって、江戸町辺。」
「そこらにあるかい。」
 と気を入れる。
「無い事よ、――やっぱり、」とうっかりしたように澄まして言う。
「何だい、詰(つま)らない。」
 と民弥は低声(こごえ)に笑(えみ)を漏らした。
「ちょいと、階下(した)へ行って、才(さあ)ちゃんに聞いて来ましょうか。」
「…………」
「ええ、兄さん、」
 と遣(や)ったが、フト黙って、
「私、聞いて来ましょう、先生。」
「何、可(い)い、それには及ばんのだよ。……いいえ、少しね、心当りな事があるもんだから、そらね。」
 と斜(ななめ)になって、俯向(うつむ)いて幕張(まくばり)の裾(すそ)から透かした、ト酔覚(よいざめ)のように、顔の色が蒼白(あおじろ)い。
「向うに、暗く明(あかり)の点(つ)いた家(うち)が一軒あるだろう……近所は皆(みんな)閉(しま)っていて。」
「はあ、お医者様のならび、あすこは寮よ……」
「そうだ、公園近(ぢか)だね。あすこへ時々客では無い、町内の人らしいのが、引過(ひけす)ぎになってもちょいちょい出たり入ったりするから、少しその心当りの事もあるし、……何も夜中の人出入りが、お産とは極(きま)らないけれど、その事でね。もしかすると、そうではあるまいか、と思ったからさ。何だか余り合点(のみこ)み過ぎたようで妙だったね。」

       十

「それに何だか、明(あかり)も陰気だし、人の出入りも、ばたばたして……病人でもありそうな様子だったもんだから。」
 と言って、その明(あかり)を俯向(うつむ)いて見透かす、民弥の顔にまた陰気な影が映(さ)した。
「でもね、当りましたわ、先生、やっぱり病人があるのよ。それでもって、寝ないでいるの、お通夜(つや)をして……」
「お通夜?」
 と一人、縁に寄った隅の方から、声を懸けた人がある。
「あの……」
「夜伽(よとぎ)じゃないか。」と民弥が引取(ひっと)る。
「ああ、そうよ。私は昨夜(ゆうべ)も、お通夜だってそう言って、才(さあ)ちゃんに叱られました。……その夜伽なのよ。」
「病人は……女郎衆(じょうろしゅ)かい。」
「そうじゃないの。」
 とついまたものいいが蓮葉(はすは)になって、
「照吉さんです、知ってるでしょう。」
 民弥は何か曖昧(あいまい)な声をして、
「私は知らないがね、」
 けれども一座の多人数は、皆耳を欹(そばだ)てた。――彼は聞えた妓(おんな)である――中には民弥の知らないという、その訳をさえ、よく心得たものがある。その梅次と照吉とは、待宵(まつよい)と後朝(きぬぎぬ)[#ルビの「きぬぎぬ」は底本では「きねぎぬ」]、と対(つい)に廓(くるわ)で唄われた、仲の町の芸者であった。
 お三輪はサソクに心着いたか、急に声も低くなって、
「芸者です、今じゃ、あの、一番綺麗な人なんです、芸も可(い)いの。可哀相だわ、大変に塩梅(あんばい)が悪くって。それだもんですから、内は角町(すみちょう)の水菓子屋で、出ているのは清川(引手茶屋)なんですけれど、どちらも狭いし、それに、こんな処でしょう、落着いて養生も出来ないからって……ここでも大切な姉(ねえ)さんだわ。ですから皆(みんな)で心配して、海老屋でもしんせつにそう云ってね、四五日前から、寮で大事にしているんですよ。」
「そうかい、ちっとも知らなかった。」と民弥はうっかりしたように言う。
「夜伽(よとぎ)をするんじゃ、大分悪いな。」と子爵が向うから声を懸けた。
「ええ、不可(いけな)いんですって、もうむずかしいの。」
 とお三輪は口惜(くや)しそうに、打附(ぶッつ)けて言ったのである。
「何の病気かね。」
 と言う、魯智深の頭は、この時も天井で大きく動いた。
「何んですか、性(しょう)がちっとも知れないんですって。」
 民弥は待構えてでもいたように、
「お医師(いしゃ)は廓(くるわ)のなんだろう、……そう言っちゃ悪いけれど。」
「いいえ、立派な国手(せんせい)も綱曳(つなびき)でいらっしゃったんですの。でもね、ちっとも分りませんとさ。そしてね、照吉さんが、病気になった最初(はじめ)っから、なぜですか、もうちゃんと覚悟をして、清川を出て寮へ引移るのにも、手廻りのものを、きちんと片附けて、この春から記(つ)けるようにしたっちゃ、威張っていた、小遣帳(こづかいちょう)の、あの、蜜豆(みつまめ)とした処なんか、棒を引いたんですってね。才ちゃんはそう言って、話して、笑いながら、ほろほろ涙を落すのよ。
 いつ煩っても、ごまかして薬をのんだ事のない人が、その癖、あの、……今度ばかりは、掻巻(かいまき)に凭懸(よりかか)っていて、お猪口(ちょこ)を頂いて飲むんだわ。それがなお心細いんだって、皆(みんな)そう云うの。
 私も、あの、手に持って飲まして来ます。
(三輪(みい)ちゃん、さようなら。)って俯向(うつむ)くんです、……枕(まくら)にこぼれて束ね切れないの、私はね、櫛(くし)を抜いて密(そっ)と解かしたのよ……雲脂(ふけ)なんかちっとも無いの、するする綺麗ですわ、そして煩ってから余計に殖(ふ)えたようよ……髪ばかり長くなって、段々命が縮むんだわねえ。――兄さん、」
 と、話に実が入(い)るとつい忘れる。
「可哀相よ。そして、いつでもそうなの、見舞に行(ゆ)くたんびに(さようなら)……」

       十一

「それはもう、きれいに断念(あきら)めたものなの、……そしてね、幾日(いくか)の何時頃に死ぬんだって――言うんですとさ、――それが延びたから今日はきっと、あれだって、また幾日の何時頃だって、どうしてでしょう。死ぬのを待っているようなの。
 ですからね、照吉さんのは、気病(きやみ)だって。それから大事の人の生命(いのち)に代って身代(みがわり)に死ぬんですって。」
「身代り、」と聞返した時、どのかまた明(あかり)の加減で、民弥の帷子(かたびら)が薄く映った。且つそれよりも、お三輪の手絡(てがら)が、くっきりと燃ゆるように、声も強い色に出て、
「ええ、」
 と言う、目も□(みは)られた気勢(けはい)である。
「この方が怪談じゃ、」と魯智深が寂しい声。堀子爵が居直って、
「誰の身代りだな、情人(いいひと)のか。」
「あら、情人(いいひと)なら兄さんですわ、」
 と臆(おく)せず……人見知(ひとみしり)をしない調子で、
「そうじゃないの、照吉さんのは弟さんの身代りになったんですって。――弟さんはね、先生、自分でも隠してだし、照吉さんも成りたけ誰にも知らさないようにしているんだけれど、こんな処の人のようじゃないの。
 学校へ通って、学問をしてね、よく出来るのよ。そして、今じゃ、あの京都の大学へ行っているんです。卒業すれば立派な先生になるんだわ、ねえ。先生。
 姉さんもそればっかり楽(たのし)みにして、地道に稼いじゃ、お金子(かね)を送っているんでしょう。……ええ、あの、」
 と心得たように、しかも他愛の無さそうに、
「水菓子屋の方は、あれは照吉さんの母(おっか)さんがはじめた店を、その母(おっか)さんが亡くなって、姉弟(きょうだい)二人ぼっちになって、しようが無いもんですから、上州の方の遠い親類の人に来てもらって、それが世話をするんですけれど、どうせ、あれだわ。田舎を打棄(うっちゃ)って、こんな処へ来て暮そうって人なんだから、人は好(い)いけれども商売は立行(たちゆ)かないで、照吉さんには、あの、重荷に小附(こづけ)とかですってさ。ですから、お金子でも何でも、皆(みんな)姉さんがして、それでも楽(たのし)みにしているんでしょう。
 そうした処が、この二三年、その弟さんが、大変に弱くなったの。困るわねえ。――試験が済めばもう卒業するのに、一昨年(おととし)も去年もそうなのよ、今年もやっぱり。続いて三年病気をしたの。それもあの、随分大煩いですわ、いつでも、どっと寝るんでしょう。
 去年の時はもう危ないって、電報が来たもんですから、姉さんが無理をして京都へ行ったわ。
 二年続けて、彼地(あっち)で煩らったもんですから、今年の春休みには、是非お帰んなさいって、姉さんも云ってあげるし、自分でも京都の寒さが不可(いけな)いんだって、久しぶりで帰ったんです。
 水菓子屋の奥に居たもんですから、内へも来たわ。若旦那(わかだんな)って才ちゃんが言うのよ。お父(とっ)さんはね、お侍が浪人をしたのですって、――石橋際に居て、寺子屋をして、御新造(ごしん)さんの方は、裁縫(おしごと)を教えたんですっさ、才ちゃんなんかの若い時分、お弟子よ。
 あとで、私立の小学校になって、内の梅次さんも、子供の内は上ってたんですさ。お母(っか)さんの方は、私だって知ってるわ。品の可(い)い、背(せい)のすらりとした人よ。水菓子屋の御新造(ごしん)さんって、皆(みんな)がそう言ったの。
 ですもの、照吉さんは芸者だけれど、弟さんは若旦那だわね。
 また煩いついたのよ、困るわねえ。
 そして長いの、どっと床に就いてさ。皆(みんな)、お気の毒だって、やっぱり今の、あの海老屋の寮で養生をして、同(おんな)じ部屋だわ。まわり縁の突当りの、丸窓の付いた、池に向いた六畳よ。
 照吉さんも家業があるでしょう、だもんですから、ちょいとの隙(ひま)も、夜(よ)の目も寝ないで、附(つき)っ切りに看病して、それでもちっとも快(よ)くならずに、段々塩梅(あんばい)が悪くなって、花が散る頃だったわ、お医者様もね、もうね。」
 と言う、ちっと切なそうな息づかい。

       十二

 お三輪は疲れて、そして遣瀬(やるせ)なさそうな声をして、
「才(さあ)ちゃんを呼んで来ましょうか、私は上手に話せませんもの。」と言う、覚束(おぼつか)ない娘の口から語る、照吉の身の上は、一層夜露に身に染みたのであった。
「可(い)いよ、三輪(みい)ちゃんで沢山だ。お話し、お話し、」と雑貨店主、沢岡が激ました。
「ええ、もうちっとだわ。――あの……それでお医者様が手放したもんですから、照吉さんが一七日(いちしちにち)塩断(しおだち)して……最初(はじめッ)からですもの、断つものも外に無いの。そして願掛けをしたんですって。どこかねえ、谷中(やなか)の方です。遠くまで、朝ねえ、まだ夜の明けない内に通ったのよ。そのお庇(かげ)で……きっとそのお庇だわ。今日にも明日にも、といった弟さんが、すっかり治ってね。夏のはじめに、でもまだ綿入を着たなりで、京都へ立って行ったんです。
 塩断をしたりなんかして、夜も寝なかった看病疲れが出たんだって、皆(みんな)そう言ったの。すぐ後で、姉さんが病みついたんでしょう。そして、その今のような大病になったんでしょう。
 ですがね、つい二三日前、照吉さんが、誰にも言わない事だけれどって、そう云って、内の才ちゃんに話したんですって。――あの、そのね、谷中へ願掛けをした、満願、七日(なぬか)目よ、……一七日(いちしちにち)なんですもの。いつもお参りをして帰りがけに、しらしらと夜の明ける時間なのが、その朝は、まだ真暗(まっくら)だったんですとさ。御堂を拝んで帰ろうとすると、上の見上げるような杉の大木の茂った中から、スーと音がして、ばったり足許へ落ちて来たものがあるの。常燈明の細い灯(あかり)で、ちょいと見ると、鳥なんですって、死んだのだわねえ、もう水を浴びたように悚然(ぞっ)として、何の鳥だかよくも見なかったけれど、謎々よ、……解くと、弟は助からないって事になる……その時は落胆(がっかり)して、苔(こけ)の生えた石燈籠(いしどうろう)につかまって、しばらく泣きましたって、姉さんがね、……それでも、一念が届いて弟が助かったんですから……思い置く事はありません、――とさ。
 ああ、きっとそれじゃ、……その時治らない弟さんの身代りに、自分がお約束をしたんだろう。それだから、ああやって覚悟をして死んで行(ゆ)くのを待っておいでだ。事によったら、月日なんかも、その時極(き)めて頼んだのかも分らない、可哀相だ、つて才ちゃんも泣いていました。
 そしてね、今度の世は、妹に生れて来て甘えよう、私は甘えるものが無い。弟は可羨(うらやま)しい、あんな大きななりをして、私に甘ったれますもの。でも、それが可愛くって殺されない。前(さき)へ死ぬ方がまだ増(まし)だ、あの子は男だから堪(こら)えるでしょう、……後へ残っちゃ、私は婦(おんな)で我慢が出来ないって言ったんですとさ。……ちょいとどうしましょう。私、涙が出てよ。……
 どうかして治らないものでしょうか。誰方(どなた)か、この中に、お医者様の豪(えら)い方はいらっしゃらなくって、ええ、皆さん。」
 一座寂然(ひっそり)した。
「まあ、」
「ねえ……」
 と、蘭子と種子が言交わす。
「弱ったな、……それは、」とちょいと間を置いてから、子爵が呟(つぶや)いたばかりであった。
「時に、」
 と幹事が口を開いて、
「佐川さん、」
「は、」
 と顔を上げたが、民弥はなぜかすくむようになって、身体(からだ)を堅く俯向(うつむ)いてそれまで居た。
「お話しの続きです。――貴下(あなた)がその今日途中でその、何か、どうかなすったという……それから起ったんですな、三輪ちゃんの今の話は。」
「そうでしたね。」とぼやりと答える。
「その……近所のお産のありそうな処は無いかって、何か、そういったような事から。」
「ええ、」
 とただ、腕を拱(こまぬ)く。
「どういう事で、それは、まず……」
「一向、詰(つま)らない、何、別に、」と可恐(おそろ)しく謙遜(けんそん)する。
 人々は促した。――

       十三

「――気が射(さ)したから、私は話すまい、と思った。けれども、行懸(ゆきがか)り[#ルビの「ゆきがか」は底本では「ゆきかが」]で、揉消(もみけ)すわけにも行かなかったもんだから、そこで何だ。途中で見たものの事を饒舌(しゃべ)ったが、」
 と民弥は、西片町(にしかたまち)のその住居(すまい)で、安価(やす)い竈(かまど)を背負(しょ)って立つ、所帯の相棒、すなわち梅次に仔細(しさい)を語る。……会のあった明晩(あくるばん)で、夏の日を、日が暮れてからやっと帰ったが、時候あたりで、一日寝ていたとも思われる。顔色も悪く、気も沈んで、太(いた)く疲れているらしかった。
 寒気がするとて、茶の間の火鉢に対向(さしむか)いで、
「はじめはそんな席へ持出すのに、余り栄(は)えな過ぎると思ったが、――先刻(さっき)から言った通り――三輪坊(みいぼう)がしたお照さんのその話を聞いてからは、自分だけかも知れないが、何とも言われないほど胸が鬱(ふさ)いだよ。第一、三輪坊が、どんなにか、可恐(こわ)がるだろう、と思ってね。
 場所が谷中だと言うんだろう、……私の出会ったのもやっぱりそこさ。――闇(くら)がり坂(ざか)を通った時だよ。」
「はあ、」と言って、梅次は、団扇(うちわ)を下に、胸をすっと手を支(つ)いた。が、黒繻子(くろじゅす)[#ルビの「くろじゅす」は底本では「くろじゅず」]の引掛(ひっか)け結びの帯のさがりを斜(ななめ)に辷(すべ)る、指の白さも、団扇の色の水浅葱(みずあさぎ)も、酒気(さけけ)の無い、寂しい茶の間に涼し過ぎた。
 民弥は寛(くつろ)ぎもしないで、端然(ちゃん)としながら、
「昨日(きのう)は、お葬式(とむらい)が後(おく)れてね、すっかり焼香の済んだのが、六時ちっと廻った時分。後で挨拶をしたり、……茶屋へ引揚げて施主たちに分れると、もう七時じゃないか。
 会は夜あかしなんだけれど、ゆっくり話そうって、幹事からの通知は七時遅からず。私にも何かの都合で、一足早く。承知した、と約束がしてある。……
 久しぶりのお天気だし、涼(すずし)いし、紋着(もんつき)で散歩もおかしなものだけれども、ちょうど可(い)い。廓(なか)まで歩行(ある)いて、と家(うち)を出る時には思ったんだが、時間が遅れたから、茶屋の角で直ぐに腕車(くるま)をそう言ってね。
 乗ってさ。出る、ともう、そこらで梟(ふくろう)の声がする。寂寥(しん)とした森の下を、墓所に附いて、薄暮合いに蹴込(けこみ)が真赤(まっか)で、晃々(きらきら)輪が高く廻った、と思うと、早や坂だ。――切立(きった)てたような、あの闇がり坂、知ってたっけか。」
「根岸から天王寺へ抜ける、細い狭い、蔽被(おっかぶ)さった処でしょう。――近所でも芋坂の方だと、ちょいちょい通って知ってますけれど、あすこは、そうね、たった一度。可厭(いや)な処だわね、そこでどうかなすったんですか。」
「そうさ、よく路傍(みちばた)の草の中に、揃えて駒下駄(こまげた)が脱いであったり、上の雑樹の枝に蝙蝠傘(こうもり)がぶら下っていたり、鉄道で死ぬものは、大概あの坂から摺込(ずりこ)むってね。手巾(ハンケチ)が一枚落ちていても悚然(ぞっ)とする、と皆(みんな)が言う処だよ。
 昼でも暗いのだから、暮合(くれあい)も同(おんな)じさ。別に夜中では無し、私は何にも思わなかったんだが、極(きま)って腕車(くるま)から下りる処さ、坂の上で。あの急勾配だから。
 下りるとね、車夫(わかいし)はたった今乗せたばかりの処だろう、空車(からぐるま)の気前を見せて、一(ひと)つ駆(が)けで、顱巻(はちまき)の上へ梶棒(かじぼう)を突上げる勢(いきおい)で、真暗(まっくら)な坂へストンと摺込(すべりこ)んだと思うと、むっくり線路の真中(まんなか)を躍り上って、や、と懸声だ。そこはまだ、仄(ほんの)り明(あかる)い、白っぽい番小屋の、蒼(あお)い灯(ひ)を衝(つッ)と切って、根岸の宵の、蛍のような水々(みずみず)した灯(あかり)の中へ消込(きえこ)んだ。
 蝙蝠(こうもり)のように飛ぶんだもの、離れ業と云って可(い)い速さなんだから、一人でしばらく突立(つった)って見ていたがね、考えて見ると、面白くも何とも無いのさ。
 足許だけぼんやり見える、黄昏(たそがれ)の木(こ)の下闇(したやみ)を下り懸けた、暗さは暗いが、気は晴々(せいせい)する。
 以前と違って、それから行(ゆ)く、……吉原には、恩愛もなし、義理もなし、借もなし、見得外聞があるじゃなし……心配も苦労も無い。叔母さんに貰(もら)った仲の町の江戸絵を、葛籠(つづら)から出して頬杖(ほおづえ)を支(つ)いて見るようなもんだと思って。」

       十四

「坂の中途で――左側の、」
 と長火鉢の猫板を圧(おさ)えて言う。
「樹の根が崩れた、じとじと湿っぽい、赤土の色が蚯蚓(みみず)でも団(かたま)ったように見えた、そこにね。」
「ええ」
 と梅次は眉を顰(ひそ)めた。
「大丈夫、蛇の話じゃ無い。」とこれは元気よく云って、湯呑(ゆのみ)で一口。
「人が居たのさ。ぼんやりと小さく蹲(しゃが)んで、ト目に着くと可厭(いや)な臭気(におい)がする、……地(つち)へ打坐(ぶっすわ)ってでもいるかぐらい、ぐしゃぐしゃと挫(ひしゃ)げたように揉潰(もみつぶ)した形で、暗いから判然(はっきり)せん。
 が、別に気にも留めないで、ずっとその傍(わき)を通抜けようとして、ものの三足(みあし)ばかり下りた処だった。
(な、な、)と言う。
 雪駄直(せったなお)しだか、唖(おうし)だか、何だか分らない。……聞えたばかり。無論、私を呼んだと思わないから、構わず行(ゆ)こうとすると、
(なあ、)と、今度はちっとぼやけたが、大きな声で、そして、
(袴(はかま)着た殿い、な、)と呼懸ける、確かに私を呼んだんだ。どこの山家(やまが)のものか知らんが、変な声で、妙なものいいさ。「袴着た、」と言うのか、「墓場来た、」と言うのか、どっちにしても「殿」は気障(きざ)だ。
 が、確(たしか)に呼留めたに相違無いから、
(俺(おれ)か。)
(それよ、)……と、気になる横柄な返事をして、もやもやと背伸びをして立った……らしい、頭(つむり)を擡(もた)げたのか、腰を起(た)てたのか、上下(うえした)同(おんな)じほどに胴中(どうなか)の見えたのは、いずれ大分の年紀(とし)らしい。
 爺(じじい)か、婆(ばばあ)か、ちょっと見には分らなかったが、手拭(てぬぐい)だろう、頭にこう仇白(あだじろ)いやつを畳んで載せた。それが顔に見えて、面(つら)は俯向(うつむ)けにしながら、杖(つえ)を支(つ)いた影は映らぬ。
(殿、な、何処(いずく)へな。)
 と、こうなんだ。
 私は黙って視(なが)めたっけ。
 じっと身動きもしないで、返事を待っているようだからね、
(吉原へ。)
 と綺麗に言ったが、さあ、以前なら、きっとそうは言わなかったろう。その空がさっぱりと晴々した心持だから、誰に憚(はばか)る処も無い。おつけ晴れたのが、不思議に嬉しくもあり、また……幼い了簡(りょうけん)だけれども、何か、自分でも立派に思った。
(真北じゃな、ああ、)
 とびくりと頷(うなず)いて、
(火の車で行(ゆ)かさるか。)[#「)」は底本では「」」]

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