いろ扱ひ
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著者名:泉鏡花 

 これは作者の閲歴談と云ふやうなことに聞えますと、甚(はなは)だ恐縮、ほんの子供の内に読んだ本についてお話をするのでございますよ。此頃(このごろ)は皆さんに読んで戴いて誠に御迷惑をかけますが、私は何(ど)うして、皆さんのお書きなすつた物を拝見して、迷惑処か、こんな結構なものはないと思ふんです。其(それ)ですが、江戸時代の文学だの、明治の文学だのと云ふ六ヶ敷(むつかし)いことになると、言ひ悪(にく)うございますから、唯(たゞ)ね、小説、草双紙(くさざうし)、京伝本(きやうでんぼん)、洒落本(しやれぼん)と云ふ其積(そのつも)りで申しませう。母が貴下(あなた)、東京から持つて参りましたんで、雛の箱でささせたといふ本箱の中に『白縫物語』だの『大和文庫(やまとぶんこ)』『時代かゞみ』大部なものは其位ですが、十冊五冊八冊といろ/\な草双紙の小口が揃(そろ)つてあるのです。母はそれを大切にして綺麗(きれい)に持つて居るのを、透(すき)を見ちやあ引張り出して――但し読むのではない。三歳四歳では唯(た)だ表紙の美しい絵を土用干のやうに列(なら)べて、此(この)武士は立派だの、此娘は可愛いなんて……お待ちなさい、少し可笑(をか)しくなるけれど、悪く取りつこなし。さあ段々絵を見ると其理解(わけ)が聴きたくなつて、母が裁縫(しごと)なんかして居ると、其処(そこ)へ行つては聞きましたが、面倒くさがつてナカ/\教へない。夫(そ)れを無理につかまへて、ねだつては話してもらひましたが、嘸(さ)ぞ煩(うる)さかつたらうと思つて、今考へると気の毒です。なるほど脚色(すぢ)だけは口でいつても言はれますが、読んだおもしろ味は話されません。又知識のないものに、脚色(すぢ)だけ話をするとなると、こんな煩さい事はないのですから、自分もまた其様(そん)な物を読むと云ふ智慧はない時分で、始終絵ばかりを見て居たものですから、薄葉(うすえふ)を買つて貰つて、口絵だの、□絵だのを写し始めたんです。それから鎧武者(よろひむしや)が大変好(すき)になりました。それに親父(おやぢ)が金属の彫刻師(ほりし)だものですから、盃(さかづき)、香炉、最(も)う目貫縁頭(めぬきふちがしら)などはありませんが、其仕事をさせる積りだつたので、絵を習へと云ふので少しばかりネ、薄(すゝき)、蘭(らん)、竹などの手本を描いて貰ひましたが、何、座敷を取散かしたのが、落で。其中に何なんです。近所の女だの、年上の従姉妹(いとこ)だのに、母が絵解をするのを何時(いつ)か聞きかじつて、草双紙の中にある人物の来歴が分つたものだから、鳥山秋作照忠、大伴(おほとも)の若菜姫なんといふのが殊の外贔屓(ひいき)なんです。処が秋作、豊後之助の贔屓なのは分つて居るが、若菜姫が宜(よ)くツてならない、甚だ怪しからん、是(これ)は悪党の方だから、と思つて居たんです。のみならず、一体どう云ふものだか、小説の中にある主人公などは、善人の方よりは悪党がてきはきして居て可い、善人とさへ謂(い)や、愚図々々しやあがつて、何(ど)うかしたらよささうなもんだ。泣いたり、口説いたり、何のこツたらう。浄瑠璃(じやうるり)のさはりとなると頭痛がします。併(しか)し、敵役(かたきやく)の中でも石川五右衛門は甚だ嫌ひですな。熊坂長範の方が好い。此頃また白縫の後の方を見ると、口絵に若菜姫を描いて、其上へ持つて来て、(皆様御贔屓の若菜姫)と書いてある。して見ると一般の読者にも、彼の姐(ねえ)さんは人気があつたものと見えますね。
 母はからだが弱くつて……大層若くつて亡(なく)なりましたが……亡なつた時分に、私は十歳(とを)だつたと思ひます。其の前から小学校へ行くやうになつて、本当の字を少し許(ばか)り覚えたりなにかした。それから暫(しばら)くさう云ふものに遠ざかつて居た、石盤をはふり出して、いきなり針箱の上へ耶須多羅女(やすたらによ)の泣いて居る処を出されて御覧なさい。悉達(しつた)太子を慕つて居るのと絵解をするものは話さねばならないでせう。さて其の(慕ふ)といふことを子供に説明をして、聞かせるものは、こりやよほど面倒だから、母もなりたけ読ませないやうにしたんです。それに親父が八釜敷(やかまし)い、論語とか孟子とか云ふものでなくつては読ませなかつた。処が少しイロハが読めるやうになつて来ると、家にある本が読みたくなつたでせう。読んでると目付(めつ)かつて恐ろしく叱(しか)られたんです。そこで考へて、机の上に斯(か)う掛つて居る、机掛ね、之(これ)を膝の上へ被(かぶ)さるやうに、手前を長く、向うを一杯にして置くので、二階に閉籠つて人の跫音(あしおと)がするとヒヨイと其の下へ隠すといふ、うまいものでせう。時々見付かつて、本より、私の方が押入へしまはれました。恁(かう)いふのはいくらもある。一葉女史なんざ草双紙を読んだ時、此(この)人は僕と違つて土蔵があつたさうで、土蔵の二階に本があるので、故(わざ)と悪戯(いたづら)をして、剣突(けんつく)を食つて、叱られては土蔵へ抛(はふ)り込まれるのです。窓に金網が張つてあるのでせう。其網の目をもるあかりで細かい仮名を読んだ。其の所為(せゐ)で、恐ろしい近視眼(ちかめ)、これは立女形(たてをやま)の美を傷つけて済みません。話が色々になりますが、僕が活版本を始めて見たのは結城合戦花鍬形(ゆふきがつせんはなくはがた)といふのと、難波戦記(なにはせんき)、左様です、大阪の戦のことを書いたのです。厚い表紙で赤い絵具をつけた活版本なんです。友達が持つて居たので、其時初めて活版になつた本を見ました。殊にあゝ云ふ百里余も隔つた田舎(ゐなか)ですから、それまでは未(ま)だ活版と云ふものを知らなかつたので、さあ読んで見ると又面白くつて仕様がない。無論前に柔い、「でござんすわいナー」と書いてある草双紙を見た挙句に、親父がね、其癖大好なんで、但し硬派の方なんだから、私に内々で借りて来たあつた呉越軍談、あの、伍子胥(ごししよ)の伝の所が十冊ばかり。其の第一冊目でせう。秦(しん)の哀公が会を設けて、覇を図る処があつて、斉(せい)国の夜明珠(やめいしゆ)、魯(ろ)国の雌雄剣、晋(しん)国の水晶簾(すゐしやうれん)などとならぶ中に、子胥先生、我(わが)楚国以(もつ)て宝とするなし、唯善を以て宝とすとタンカを切つて、大気焔を吐く所がある。それから呉越軍談が贔屓になる。従つて堅いものが好きになつて来た。それで水滸伝(すゐこでん)、三国志、関羽の青龍刀、張飛の蛇矛などが嬉しくつて堪らない。勿論(もちろん)其時分、雑誌は知らず新聞には小説があるものか無いものか分らぬ位。処が其中に何んですネ。英語を教はらうと、宣教師のやつて居る学校へ入つたのです。さうするとその学校では郵便報知新聞を取つて居た。それに思軒さんの瞽使者(こししや)が毎日々々出て居ます。是はまた飛放れて面白いので、こゝで、新聞の小説を読むことを覚えました。また病つきで課業はそつちのけの大怠惰(おほなまけ)、後で余所(よそ)の塾へ入りましたが、又此(この)先生と来た日にや決して、然(さ)う云ふものを読ませない。処が、例の難波戦記を貸して呉(く)れた友人ね、其お友人(ともだち)に智慧を付けられて貸本屋へ借りに行くことを覚えたのです。併し塾に居るんですから、ナカ/\きびしくつて外出をさせません。それを密(ひそか)に脱出しては借りに行くので、はじめは一冊づゝ借りて来たのが、今度読馴れて来ると読方が早くなつて、一冊や二冊持つて帰つた所が直に読んで仕舞ふから、一度に五冊、六冊、一晩にやツつける。其時ザラにアヽ云ふ新版物から、昔の本を活版に直したものを無暗に読んだ。どんな物を読んだか能(よ)く覚えて居ませんが、其中に遺恨骨髄に徹して居る本が一冊あります。矢張難波戦記流の作なんですが、借りて来て隠して置いたのを見付かつたんで、御取上げとなつて仕舞つた。処で其時分は見料が廉(やす)いのだけれども、此本に限つて三十銭となつた。
 南無三宝三十銭、支出する小遣がないから払ふ訳に往(ゆ)かない。処で、どう間違つたか小学校の先生が褒美にくれました記事論説文例、と云ふのを二冊売つたんです、是が悪事の初めさ。それから四書を売る。五経を殺すね。月謝が滞る、叔母に泣きつくと云ふ不始末。のみならず、一度ことが露顕に及んでからは、益々塾の監督が厳重になつて読むことが出来なくなつた。さうなると当人既に身あがりするほどの縁なんだから、居ても起(た)つても逢ひたくツて、堪(たま)りますまい。毎日夕刻洋燈(ラムプ)を点(つ)ける時分、油壷の油を、池の所へあけるんです。あけて油を買ひに、と称して戸外(おもて)へ出て貸本屋へ駈付ける。跫音(あしおと)がしては不可(いか)んから跣足(はだし)で出たこともありますよ。処がどうも毎晩油を買ひに行く訳にいかないぢやありませんか。何か工風をしなければならないのに、口実がなくつては不可ませんから、途中から引返したことなどもあつたんです。それから本を借りて持つて入るときに、見付けられるとわるいから帯の下と背中へ入れるんです。是が後でナカ/\用にたつたことがある。質屋へ物を持つて行くに此の伝で下宿屋を出るので、訳はないのです。確に綿入三枚……怪しからんこツた。もし何処へ往つたと見咎(みとが)められると、こゝに不思議な話がある、極(ごく)ないしよなんだけれども、褌(ふんどし)を外して袂(たもと)へ忍ばせて置くんで、宜(よ)うがすか、何の為だと云ふと、其塾の傍に一筋の小川が流れて居る、其小川へ洗濯に出ましたと斯(か)う答へるんです。さうすると剣突を喰つて、「どうも褌を洗ひに行きますと云ふのは、何だか申上げ悪(にく)いから黙つて出ました。」と言ひ抜ける積りさ。
 それから読む時、一番困つたのは彼の美少年録、御存じのとほり千ペエジ以上といふ分厚なんです。いつたい何時も誤魔化読(ごまかしよみ)をする時には、小説を先づ斯う開いて、其上へ、詰り英語の塾だから、ナシヨナル読本、スイントンの万国史などを載せる。片一方へ辞書を開いて置くのです。さうして跫音がするとピタリと辞書を裏返しにして乗掛(のつけ)るしかけなんでせう。処が薄い本だと宜いが、厚いのになると其呼吸が合ひますまい。其処でかたはらへ又沢山課目書を積んで、此処へ辞書を斜めにして建掛けたものです。さうすると厚いのが隠れませう。最も恁うなるといろあつかひ。夜がふけると、一層身に染みて、惚込(ほれこ)んだ本は抱いて寝るといふ騒ぎ、頑固な家扶(かふ)、嫉妬(じんすけ)な旦那に中をせかれていらつしやる貴夫人令嬢方は、すべて此の秘伝であひゞきをなすつたらよからうと思ふ。
 串戯(じやうだん)はよして、私が新しい物に初めて接したやうな考へをしたのは、春廼家(はるのや)さんの妹と背かゞみで、其のころ書生気質は評判でありましたけれども、それは後に読みました。最初は今申した妹と背かゞみ、それを貸して呉れた男の曰く、この本は気を付けて考へて読まなくてはいけないよと、特にさう言はれたからビクビクもので読んで見た。第一番冒頭に書して、確かお辻と云ふ女(むすめ)、「アラ水沢(みさは)さん嬉しいこと御一人きり。」よく覚えて居るんです。お話は別になりますが、昔の人が今の小説を読んで、主人公の結局(つゞま)る所がないと云ふ、「武士の浪人ありける。」から「八十までの長寿を保ちしとなん。」と云ふ所まで書いてないから分らないと云ふが、なるほど幼稚な目には、然う云ふ考へがするでせう。妹と背かゞみに於て、何故、お雪がどうなるだらうと、いつまでも心配で/\堪らなかつたことがありますもの。
 東京の新聞は余り参りませんで、京都の新聞だの、金沢の新聞に、誰が書いたんだか、お家騒動、附たり武者修業の話が出て居るんです。其中に唯二三枚あつて見たんです、四五十回は続いたらうと思ひますが、未だに一冊物になつても出ず、うろ覚えですから間違かも知れませんが、春廼家さんなんです、或ひは朝野新聞とも思ふし、改進新聞かとも思ふんだが、「こゝやかしこ。」と仮名の題で、それがネ、大分文章の体裁が変つて、あたらしい書方なんです。中に一人お嬢さんが居るんだネ、其のお嬢さんに、イヤな奴が惚れて居て口説くんだネ。(何かヒソ/\いふ、顔を赧(あか)くする、又何かいふ、黙つて横を向く、進んで何かいはうとする、女はフイと立つ。)と、先づ恁うです。おもしろいぢやありませんか。演劇(しばゐ)なら両手をひろげて追まはす。続物の文章ならコレおむすとしなだれかゝる、と大抵相場のきまつて居た処でせう。
 また一人の友人があつて、貧乏長屋の二階を借りて、別に弟子を取つて英語を教へて居つた。壁隣が機業家(はたや)なんです、高い山から谷底見れば小万可愛や布晒(さら)すなんぞと、工女の古い処を唄つて居るのを聞きながら、日あたりの可い机の傍で新版を一冊よみました。これが私ども先生の有名ないろ懺悔でございました。あの京人形の女生徒の、「サタン退けツ」「前列進め」なぞは、其の時分、幾度繰返したか分りません。夏痩は、辰(たつ)ノ口(くち)といふ温泉の、叔母の家で、従姉(いとこ)の処へわきから包ものが達(とゞ)いた。其上包になつて読売新聞が一枚。ちやうど女主人公の小間使が朋輩の女中の皿を壊(こは)したのを、身に引受けて庇(かば)ふ処で、――伏拝むこそ道理なれ――といふのを見ました。纏(まとま)つたのは、たしかこちらへ参つてからです。田舎は不自由ぢやありませんか。しかしいろ懺悔だの、露伴さんの風流仏などは、東京の評判から押して知るべしで、皆が大騒ぎでした。
 あの然やう、八犬伝は、父や母に聞いて筋丈(だけ)は、大抵存じて居りましたし、弓張月、句伝実実記などをよんだ時、馬琴が大変ひいきだつた。処が、追々ねツつりが厭になつたんです。けれども是は批評をするのだと、馬琴大人(うし)に甚だ以て相済ぬ、唯ね、どうもネ。彼の人は意地の悪いネヂケた爺さんのやうだからさ。作のよしあしは別として好き、きらひ、贔屓、不贔屓はかまはないでせう。西鶴も贔屓でない、贔屓なのは京伝と、三馬、種彦(たねひこ)なぞです。何遍でも読んで飽きないと云へば、外のものも飽きないけれども、幾ら繰返してもイヤにならなくて、どんなに読んでも頭痛のする時でも、快い心持になるのは、膝栗毛です。それから種彦のものが大好だつた。種彦と云へば、アノ、「文字手摺(もじてずり)昔人形」と云ふ本の中に、女が出陣する所がある。それがネ、斯(か)う、込み入る敵の兵卒を投げたり倒したりあしらひながら、小手すねあてをつけて、鎧(よろひ)を颯(さつ)と投げかける。其の鎧の、「揺(ゆら)ぎ糸の紅は細腰に絡(まと)ひたる肌着の透(す)くかと媚(なまめ)いたり。」綺麗ぢやありませんか。おつなものは岡三鳥の作つた、岡釣話、「あれさ恐れだよう、」と芸者の仮声(こわいろ)を隅田川の中で沙魚(はぜ)がいふんです。さうして釣られてね、「ハゼ合点のゆかぬ、」サ飛んだのんきでいゝでせう。
 えゝ、此のごろでも草双紙は楽みにして居ります。それに京伝本なんぞも、父(おやぢ)や母のことで懐しい記念が多うございますから、淋しい時は枕許に置きますとね。若菜姫なんざ、アノ画の通りの姿で蜘蛛(くも)の術をつかふのが幻に見えますよ。演劇(しばゐ)を見て居るより余ツ程いゝ、笑つちやいけません、どうも纏らないお話で、嘸ぞ御聴苦しうございましたらう。
(明治三十四年一月)



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