処女作の思い出
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著者名:南部修太郎 

 さうして書き出しの四五枚を漸(やうや)くまとめ得たかと思ふ内に、いつか十月にはひつたが、努力の疲れとともに私の恐れてゐたものが體(からだ)に迫つて來た。それは毎年夏の末から秋へかけて私を子供時分から苦しみ惱(なや)ませてゐた持病喘息(ぜんそく)の發作(ほつさ)であつた。病苦そのものと、不眠と、強い鎭靜藥(ちんせいやく)を用ゐるためにくる頭の濁(にご)りと、それは如何(いか)に私を弱らせ、筆(ふで)の進みを妨(さまた)げたことであらう? この時ばかりはいろいろな病苦に慣らされた私も自分の病弱を恨み悲しまずにはゐられなかつた。
「然し、こればかりはどうしても書き上げよう。いや、書き上げずにはゐられないぞ。」
 さう考へながら、私はひるまうとする自分を鞭(むち)打ち努めた。
 けれども、或る夜は發作(ほつさ)に喘(あへ)ぎ迫る胸を抑(おさ)へながら、私は口惜(くや)しさに涙ぐんだ。或(あ)る日は書きつかへて机のまはりに空(むな)しくたまつた原稿紙の屑(くづ)を見詰めながら、深い疲れに呆然(ばうぜん)となつてゐた。或る朝は偏頭痛(へんとうつう)を感じて筆(ふで)を執(と)る氣力もなく、苛苛(いらいら)しい時を過した。それ等は私にとつては恐らく一生忘れ難(がた)い處(ところ)の、産みの苦しみだつた。が、起稿後半月を過した十月十日頃に、私はともかくも三十餘枚(よまい)の原稿を、書き上げてほつと一息ついた。そして、いろいろ迷つた末にその題を單純(たんじゆん)に「修道院の秋」とつけて、一先(ま)づとぢ上げてみた。然し、私の心にはまだほんたうの滿足は來なかつた。しつくりした安心は得られなかつた。
「これでいいのだらうか? こんなものを、自分の作品として世間に發表して、恥ではないだらうか?」
 私はさう迷ひ、且(か)つ疑はずにはゐられなかつた。
 私はとぢ上げた原稿を二度、三度と讀(よ)み返してみた。と、意に充たない處(ところ)、書き直さなければならない處(ところ)がまだまだ幾個所にもあつた。そして、私はなぜか泣き出したいやうな寂しさを覺(おぼ)えて、ひるまうとする、崩折(くづを)れようとする自分をさへ見出さずにはゐられなかつた。が、そこで私は自分を鞭(むち)打ちながら踏み留(とゞ)まつた。もう一度書き直さう。いや、書き直さなければならないと思った。そして、その刹那(せつな)から可成(かな)りな心身の疲れにも拘(かゝは)らず、こまかく推敲(すゐかう)しつつ全部を書き直し、更にそれを三度書き直して、最後の筆(ふで)を置いたのが忘れもしない十月十七日の夜の十二時近くなのであつた。




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