旅日記から
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著者名:寺田寅彦 

このへんの風物に比べると日本のはただ灰色ややに色ばかりであるような気がした。
 バーゼルからいよいよドイツへはいるのである。やっと目ざす国の国境をはいった心持ちには、長い旅から故郷に帰った時のそれに似たものがあった。フォスゲンやシュワルツワルドを遠くに見て、ライン地方の低地を過ぎて行くのである。至るところの緑野にポプラや楊(やなぎ)の並み木がある。日が暮れかかって、平野の果てに入りかかった夕陽は遠い村の寺塔を空に浮き出させた。さびしい野道を牛車に牧草を積んだ農夫がただ一人ゆるゆる家路へ帰って行くのを見たときにはちょっと軽い郷愁を誘われた。カールスルーエからはもうすっかり暗くなって、月明かりはあったが景色は見えなかった。科学を誇る国だけに鉄路はなめらかで、汽車の動揺や振動は少ない。ただ大風のような音を立てて夜のラインランドを下って行った。フランクフルトで十時になった。Rrrreisekissen ! Die Decken ! と呼びあるく売り子の声が広大な停車場の穹状(きゅうじょう)の屋根に響いて反射していた。そのrの喉音(こうおん)や語尾の自然な音韻が紛れもないドイツの生粋(きっすい)の気分を旅客の耳に吹き込むものであった。パンとゆで玉子を買って食う。ここでおおぜい乗り込んだ人々が自分ら二人にいろんな話をしかける。言語がよくわからないと見てとってむやみにゆっくり一語一語を区切って話す老人もあったがそのためにかえってなんの事だかわからなくなるのであった。ヤパンでは男女混浴だというがほんとうかなどと聞いたりした。このいやな老人はまもなく下車する。取って代わって派手な制服を着た男が日本に対するお世辞のような事をいうから、こっちも答礼としてドイツの科学のすぐれている点をあげてやった。服装で軍人かと思ったらフルダの市吏員であった。おりる時に握手して、機会があったら遊びに来いなどと言った。やっと二人きりになったのでそのまま横になって一寝入りする。四時ごろ一人はいって来た客が、自分らが起き上がろうとするのを、ビッテビッテと言って押しとどめて腰掛けのすみのほうへ小さくなって腰かけていた。
五月六日
 目がさめると、もう夜が明けはなれていた。自分ら二人の疲れた眠り足らない目の前に、最初のドイツの朝が目さめていた。ゆるやかに波を打つ地面には麦畑らしい斑点(はんてん)や縞(しま)が見え、低い松林が見え、ポプラの並み木が見え、そして小高い丘の頂上には風車小屋があって、その大きな羽根がゆるやかに回転しながら朝日にキラキラしていた。それは自分の頭の中でさまざまな美しい夢と結びつけられているあの風車であった。自分の心は子供のようにおどった。そしてこの風車が何かしらいい事の前兆ででもあるような気がするのであった。
 いつのまにか汽車はくすぶった大都会の裏町を通っていた。そして大きな数階の家の高い窓に干してあるせんたく物が目についたりした。午前七時三十五分にアンハルター停車場に着いた。H氏が迎いに来ていていきなり握手をした。それが西洋くさい事には最も縁の遠い地味なH氏であるだけに、妙な心持ちがしたが、これから自分らが入るべき新しい変わった生活の最初の経験として無意味な事とは思われなかった。ドロシケを雇ってシェーネベルヒの下宿へ行く途中で見たベルリンの家並みは、絵はがきや写真で想像したのに比べて妙に鈍い灰色をしていた。空気がなんとなくかすんだようで、日の光が眠っているようであった。そしてなんとなくさびしく空虚な頭の底によどんでいた長い長い旅の疲労が、今にも流れ出ようとしてすきまを求めていた。
(大正十年四月、渋柿)



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