夫婦善哉
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著者名:織田作之助 

といって品物を減らすと店が貧相になるので、そうも行かず、巧く捌(は)けないと焦(あせ)りが出た。儲も多いが損も勘定にいれねばならず、果物屋も容易な商売ではないと、だんだん分った。 柳吉にそろそろ元気がなくなって来たので、蝶子はもう飽いたのかと心配した。がその心配より先に柳吉は病気になった。まえまえから胃腸が悪いと二ツ井戸の実費医院(じっぴ)へ通い通いしていたが、こんどは尿(にょう)に血がまじって小便するのにたっぷり二十分かかるなど、人にも言えなかった。前に怪(あや)しい病気に罹(かか)り、そのとき蝶子は「なんちう人やろ」と怒(おこ)りながらも、まじない[#「まじない」に傍点]に、屋根瓦(やねがわら)にへばりついている猫(ねこ)の糞(ふん)と明礬(みょうばん)を煎(せん)じてこっそり飲ませたところ効目(ききめ)があったので、こんどもそれだと思って、黙って味噌汁の中に入れると、柳吉は啜(すす)ってみて、変な顔をしたが、それと気付かず、味の妙なのは病気のせいだと思ったらしかった。気が付かねば、まじないは効くのだとひそかに現(げん)のあらわれるのを待っていたところ更(さら)に効目はなかった。小便の時、泣き声を立てるようになり、島の内の華陽堂(かようどう)病院が泌尿科(ひにょうか)専門なので、そこで診(み)てもらうと、尿道に管を入れて覗いたあげく、「膀胱(ぼうこう)が悪い」十日ばかり通ったが、はかばかしくならなかった。みるみる痩(や)せて行った。診立て違いということもあるからと、天王寺(てんのうじ)の市民病院で診てもらうと、果して違っていた。レントゲンをかけ腎臓結核(じんぞうけっかく)だときまると、華陽堂病院が恨(うら)めしいよりも、むしろなつかしかった。命が惜しければ入院しなさいと言われた。あわてて入院した。 附添いのため、店を構っていられなかったので、蝶子はやむなく、店を閉めた。果物が腐って行くことが残念だったから、種吉に店の方を頼もうと思ったが、運の悪い時はどうにも仕様のないもので、母親のお辰が四、五日まえから寝付いていた。子宮癌(しきゅうがん)とのことだった。金光教(こんこうきょう)に凝(こ)って、お水をいただいたりしているうちに、衰弱(すいじゃく)がはげしくて、寝付いた時はもう助からぬ状態だと町医者は診た。手術をするにも、この体ではと医者は気の毒がったが、お辰の方から手術もいや、入院もいやと断った。金のこともあった。注射もはじめはきらったが、体が二つに割れるような苦痛が注射で消えてとろとろと気持よく眠り込んでしまえる味を覚えると、痛みよりも先に「注射や、注射や」夜中でも構わず泣き叫んで、種吉を起した。種吉は眠い目をこすって医者の所へ走った。「モルヒネだからたびたびの注射は危険だ」と医者は断るのだが、「どうせ死による体ですよって」と眼をしばたいた。弟の信一は京都下鴨(しもがも)の質屋へ年期奉公していたが、いざという時が来るまで、戻れと言わぬことにしてあった。だから、種吉の体は幾つあっても足らぬくらいで、蝶子も諦め、結局病院代も要るままに、店を売りに出したのだ。 こればっかりは運よく、すぐ買手がついて、二百五十円の金がはいったが、すぐ消えた。手術と決ってはいたが、手術するまえに体に力(りき)をつけておかねばならず、舶来(はくらい)の薬を毎日二本ずつ入れた。一本五円もしたので、怖(こわ)いほど病院代は嵩んだのだ。蝶子は派出婦を雇って、夜の間だけ柳吉の看病してもらい、ヤトナに出ることにした。が、焼石に水だった。手術も今日、明日に迫り、金の要ることは目に見えていた。蝶子の唄もこんどばかりは昔の面影(おもかげ)を失うた。赤電車での帰り、帯の間に手を差し込んで、思案を重ねた。おきんに借りた百円もそのままだった。 重い足で、梅田新道の柳吉の家を訪れた。養子だけが会(お)うてくれた。たくさんとは言いませんがと畳に頭をすりつけたが、話にならなかった。自業自得(じごうじとく)、そんな言葉も彼は吐(は)いた。「この家の身代は僕が預っているのです。あなた方に指一本……」差してもらいたくないのはこっちのことですと、尻(しり)を振って外へ飛び出したが、すぐ気の抜けた歩き方になった。種吉の所へ行き、お辰の病床(びょうしょう)を見舞うと、お辰は「私(わて)に構わんと、はよ維康さんとこイ行ったりイな」そして、病気ではご飯たきも不自由やろから、家で重湯やほうれん[#「ほうれん」に傍点]草炊(た)いて持って帰れと、お辰は気持も仏様のようになっており、死期に近づいた人に見えた。 お辰とちがって、柳吉は蝶子の帰りが遅(おそ)いと散々叱言(こごと)を言う始末で、これではまだ死ぬだけの人間になっていなかった。という訳でもなかったろうが、とにかく二日後に腎臓を片一方切り取ってしまうという大手術をやっても、ピンピン生きて、「水や、水や、水をくれ」とわめき散らした。水を飲ましてはいけぬと注意されていたので、蝶子は丹田(たんでん)に力を入れて柳吉のわめき声を聴いた。 あくる日、十二三の女の子を連れて若い女が見舞に来た。顔かたちを一目見るなり、柳吉の妹だと分った。はっと緊張(きんちょう)し、「よう来てくれはりました」初対面の挨拶代りにそう言った。連れて来た女の子は柳吉の娘だった。ことし四月から女学校に上っていて、セーラー服を着ていた。頭を撫(な)でると、顔をしかめた。 一時間ほどして帰って行った。夫に内緒で来たと言った。「あんな養子にき、き、気兼ねする奴があるか」妹の背中へ柳吉はそんな言葉を投げた。送って廊下(ろうか)へ出ると、妹は「姉(ねえ)はんの苦労はお父さんもこの頃よう知ったはりまっせ。よう尽してくれとる、こない言うたはります」と言い、そっと金を握らした。蝶子は白粉気(おしろいけ)もなく、髪もバサバサで、着物はくたびれていた。そんなところを同情しての言葉だったかも知らぬが、蝶子は本真(ほんま)のことと思いたかった。柳吉の父親に分ってもらうまで十年掛ったのだ。姉さんと言われたことも嬉しかった。だから、金はいったん戻す気になった。が無理に握らされて、あとで見ると百円あった。有難かった。そわそわして落ちつかなかった。 夕方、電話が掛って来た。弟の声だったから、ぎょっとした。危篤(きとく)だと聞いて、早速駆けつける旨、電話室から病室へ言いに戻ると、柳吉は「水くれ」を叫んでいた。そして、「お、お、お、親が大事か、わいが大事か」自分もいつ死ぬか分らへんと、そんな風にとれる声をうなり出した。蝶子は椅子に腰掛けて、じっと腕組みした。そこへ泪が落ちるまで、大分時間があった。秋で、病院の庭から虫の声もした。 どのくらい時間が経ったか、隙間風が肌寒くすっかり夜になっていた。急に、「維康さん、お電話でっせ」胸さわぎしながら電話口に出てみると、こんどは誰か分らぬ女の声で、「息を引きとらはりましたぜ」とのことだった。そのまま病院を出て駆けつけた。「蝶子はん、あんたのこと心配して蝶子は可哀想なやっちゃ言うて息引きとらはったんでっせ」近所の女達の赤い目がこれ見よがしだった。三十歳の蝶子も母親の目から見れば子供だと種吉は男泣きした。親不孝者と見る人々の目を背中に感じながら、白い布を取って今更の死水(しにみず)を唇につけるなど、蝶子は勢一杯(せいいっぱい)に振舞った。「わての亭主も病気や」それを自分の肚への言訳にして、お通夜(つや)も早々に切り上げた。夜更けの街を歩いて病院へ帰る途々(みちみち)、それでもさすがに泣きに泣けた。病室へはいるなり柳吉は怖い目で「どこイ行って来たんや」蝶子はたった一言、「死んだ」そして二人とも黙り込んで、しばらくは睨み合っていた。柳吉の冷やかな視線は、なぜか蝶子を圧迫(あっぱく)した。蝶子はそれに負けまいとして、持前の勝気な気性が蛇のように頭をあげて来た。柳吉の妹がくれた百円の金を全部でなくとも、たとえ半分だけでも、母親の葬式の費用に当てようと、ほとんど気がきまった。ままよ、せめてもの親孝行だと、それを柳吉に言い出そうとしたが、痩せたその顔を見ては言えなかった。 が、そんな心配は要らなかった。種吉がかねがね駕籠かき人足に雇われていた葬儀屋(そうぎや)で、身内のものだとて無料で葬儀万端を引き受けてくれて、かなり盛大(せいだい)に葬式が出来た。おまけにお辰がいつの間にはいっていたのか、こっそり郵便局の簡易養老保険に一円掛けではいっていたので五百円の保険料が流れ込んだのだ。上塩町に三十年住んで顔が広かったからかなり多かった会葬者に市電のパスを山菓子に出し、香奠返(こうでんがえ)しの義理も済ませて、なお二百円ばかり残った。それで種吉は病院を訪ねて、見舞金だと百円だけ蝶子に渡した。親のありがたさが身に沁(し)みた。柳吉の父が蝶子の苦労を褒めていると妹に聞いた旨言うと、種吉は「そらええ按配や」と、お辰が死んで以来はじめてのニコニコした顔を見せた。 柳吉はやがて退院して、湯崎温泉へ出養生(でようじょう)した。費用は蝶子がヤトナで稼いで仕送りした。二階借りするのも不経済だったから、蝶子は種吉の所で寝泊りした。種吉へは飯代を渡すことにしたのだが、種吉は水臭いといって受取らなかった。仕送りに追われていることを知っていたのだ。 蝶子が親の所へ戻っていると知って、近所の金持から、妾になれと露骨(ろこつ)に言って来た。例の材木屋の主人は死んでいたが、その息子が柳吉と同じ年の四十一になっていて、そこからも話があった。蝶子は承りおくという顔をした。きっぱり断らなかったのは近所の間柄気まずくならぬように思ったためだが、一つには芸者時代の駈引きの名残(なご)りだった。まだまだ若いのだとそんな話のたびに、改めて自分を見直した。が、心はめったに動きはしなかった。湯崎にいる柳吉の夢(ゆめ)を毎晩見た。ある日、夢見が悪いと気にして、とうとう湯崎まで出掛けて行った。「毎日魚釣りをして淋しく暮している」はずの柳吉が、こともあろうに芸者を揚げて散財していた。むろん酒も飲んでいた。女中を捉(とら)えて、根掘(ねほ)り聴くとここ一週間余り毎日のことだという。そんな金がどこからはいるのか、自分の仕送りは宿の払いに精一杯で、煙草代(たばこだい)にも困るだろうと済まぬ気がしていたのにと不審(ふしん)に思った。女中の口から、柳吉がたびたび妹に無心していたことが分ると目の前が真暗になった。自分の腕一つで柳吉を出養生させていればこそ、苦労の仕甲斐(しがい)もあるのだと、柳吉の父親の思惑(おもわく)をも勘定に入れてかねがね思っていたのだ。妹に無心などしてくれたばっかりに、自分の苦労も水の泡(あわ)だと泣いた。が、何かにつけて蝶子は自分の甲斐性の上にどっかり腰を据えると、柳吉はわが身に甲斐性がないだけに、その点がほとほと虫好かなかったのだ。しかし、その甲斐性を散々利用して来た手前、柳吉には面と向っては言いかえす言葉はなかった。興ざめた顔で、蝶子の詰問(きつもん)を大人しく聴いた。なお女中の話では、柳吉はひそかに娘を湯崎へ呼び寄せて、千畳敷や三段壁など名所を見物したとのことだった。その父性愛も柳吉の年になってみるともっともだったが、裏切られた気がした。かねがね娘を引きとって三人暮しをしようと柳吉に迫ったのだが、柳吉はうんと言わなかったのだ。娘のことなどどうでも良い顔で、だからひそかに自分に己惚(うぬぼ)れていたのだった。何やかやで、蝶子は逆上した。部屋のガラス障子に盞(さかずき)を投げた。芸者達はこそこそと逃げ帰った。が、間もなく蝶子は先刻の芸者達を名指しで呼んだ。自分ももと芸者であったからには、不粋なことで人気商売の芸者にケチをつけたくないと、そんな思いやりとも虚栄心(きょえいしん)とも分らぬ心が辛(かろ)うじて出た。自分への残酷(ざんこく)めいた快感もあった。 柳吉と一緒に大阪へ帰って、日本橋の御蔵跡(みくらあと)公園裏に二階借りした。相変らずヤトナに出た。こんど二階借りをやめて一戸構え、ちゃんとした商売をするようになれば、柳吉の父親もえらい女だと褒めてくれ、天下晴れての夫婦(めおと)になれるだろうとはげみを出した。その父親はもう十年以上も中風で寝ていて、普通(ふつう)ならとっくに死んでいるところを持ちこたえているだけに、いつ死なぬとも限らず、眼の黒いうちにと蝶子は焦った。が、柳吉はまだ病後の体で、滋養剤(じようざい)を飲んだり、注射を打ったりして、そのためきびしい物入りだったから、半年経っても三十円と纏まった金はたまらなかった。 ある夕方、三味線のトランクを提げて日本橋一丁目の交叉点(こうさてん)で乗換(のりか)えの電車を待っていると、「蝶子はんと違いまっか」と話しかけられた。北の新地で同じ抱主の所で一つ釜の飯を食っていた金八という芸者だった。出世しているらしいことはショール一つにも現われていた。誘われて、戎橋(えびすばし)の丸万でスキ焼をした。その日の稼ぎをフイにしなければならぬことが気になったが、出世している友達の手前、それと言って断ることは気がひけたのだ。抱主がけちんぼで、食事にも塩鰯一尾(び)という情けなさだったから、その頃お互い出世して抱主を見返してやろうと言い合ったものだと昔話が出ると、蝶子は今の境遇(きょうぐう)が恥かしかった。金八は蝶子の駈落ち後間もなく落籍(ひか)されて、鉱山師の妾となったが、ついこの間本妻が死んで、後釜に据えられ、いまは鉱山の売り買いに口出しして、「言うちゃ何やけど……」これ以上の出世も望まぬほどの暮しをしている。につけても、想い出すのは、「やっぱり、蝶子はん、あんたのことや」抱主を見返すと誓った昔の夢を実現するには、是非蝶子にも出世してもらわねばならぬと金八は言った。千円でも二千円でも、あんたの要るだけの金は無利子の期間なしで貸すから、何か商売する気はないかと、事情を訊くなり、早速言ってくれた。地獄で仏とはこのことや、蝶子は泪が出て改めて、金八が身につけるものを片(かた)ッ端(ぱし)から褒めた。「何商売がよろしおまっしゃろか」言葉使いも丁寧(ていねい)だった。「そうやなア」丸万を出ると、歌舞伎(かぶき)の横で八卦見に見てもらった。水商売がよろしいと言われた。「あんたが水商売でわては鉱山(やま)商売や、水と山とで、なんぞこんな都々逸(どどいつ)ないやろか」それで話はきっぱり決った。 帰って柳吉に話すと、「お前もええ友達持ってるなア」とちょっぴり皮肉めいた言い方だったが、肚の中では万更(まんざら)でもないらしかった。 カフェを経営することに決め、翌日早速周旋屋を覗きまわって、カフェの出物(でもの)を探した。なかなか探せぬと思っていたところ、いくらでも売物があり、盛業中のものもじゃんじゃん売りに出ているくらいで、これではカフェ商売の内幕もなかなか楽ではなさそうだと二の足を踏んだが、しかし蝶子の自信の方が勝った。マダムの腕一つで女給の顔触れが少々悪くても結構流行(はや)らして行けると意気込んだ。売りに出ている店を一軒一軒廻ってみて、結局下寺町電停前の店が二ツ井戸から道頓堀、千日前へかけての盛り場に遠くない割に値段も手頃で、店の構えも小ぢんまりして、趣味に適(かな)っているとて、それに決めた。造作附八百円で手を打ったが、飛田の関東煮屋のような腐った店と違うから安い方であった。念のため金八に見てもらうと、「ここならわても一ぺん遊んでみたい」と文句はなかった。そして、代替りゆえ、思い切って店の内外を改装(かいそう)し、ネオンもつけて、派手に開店しなはれ、金はいくらでも出すと、随分乗気になってくれた。 名前は相変らずの「蝶柳」の上にサロンをつけて「サロン蝶柳」とし、蓄音器(ちくおんき)は新内、端唄(はうた)など粋向きなのを掛け、女給はすべて日本髪か地味なハイカラの娘(こ)ばかりで、下手(へた)に洋装した女や髪の縮(ちぢ)れた女などは置かなかった。バーテンというよりは料理場といった方が似合うところで、柳吉はなまこの酢の物など附出(つきだ)しの小鉢物を作り、蝶子はしきりに茶屋風の愛嬌を振りまいた。すべてこのように日本趣味で、それがかえって面白いと客種も良く、コーヒーだけの客など居辛かった。 半年経たぬうちに押しも押されぬ店となった。蝶子のマダム振りも板についた。使ってくれと新しい女給が「顔見せ」に来れば頭のてっぺんから足の先まで素早く一目の観察で、女の素姓(すじょう)や腕が見抜けるようになった。ひとり、どうやら臭いと思われる女給が来た。体つき、身のこなしなど、いやらしく男の心をそそるようで眼つきも据(すわ)っていて、気が進まなかったが、レッテル(顔)が良いので雇い入れた。べたべたと客にへばりつき、ひそひそ声の口説(くぜつ)も何となく蝶子には気にくわなかったが、良い客が皆その女についてしまったので、追い出すわけには行かなかった。時々、二、三時間暇をくれといって、客と出て行くのだった。そんなことがしばしば続いて、客の足が遠のいた。てっきりどこかへ客を食わえ込むらしく、客も馴染みになるとわざわざ店へ出向いて来る必要もなかったわけだ。そのための家を借りてあることもあとで分った。いわばカフェを利用して、そんな妙な事をやっていたのだ。追い出したところ、他の女給たちが動揺(どうよう)した。ひとりひとり当ってみると、どの女給もその女を見習って一度ならずそんな道に足を入れているらしかった。そうしなければ、その女に自分らの客をとられてしまってやって行けなかったのかも知れぬが、とにかく、蝶子はぞっと嫌気(いやけ)がさした。その筋に分ったら大変だと、全部の女給に暇を出し、新しく温和(おとな)しい女ばかりを雇い入れた。それでやっと危機を切り抜けた。店で承知でやらすならともかく、女給たちに勝手にそんな真似をされたら、もうそのカフェは駄目になると、あとで前例も聞かされた。 女給が変ると、客種も変り、新聞社関係の人がよく来た。新聞記者は眼つきが悪いからと思ったほどでなく、陽気に子供じみて、蝶子を呼ぶにもマダムでなくて「おばちゃん」蝶子の機嫌はすこぶる良かった。マスターこと「おっさん」の柳吉もボックスに引き出されて一緒に遊んだり、ひどく家庭的な雰囲気(ふんいき)の店になった。酔うと柳吉は「おい、こら、らっきょ」などと記者の渾名を呼んだりし、そのあげく、二次会だと連中とつるんで今里新地へ車を飛ばした。蝶子も客の手前、粋をきかして笑っていたが、泊って来たりすれば、やはり折檻の手はゆるめなかった。近所では蝶子を鬼婆(おにばば)と蔭口たたいた。女給たちには面白い見もので、マスターが悪いと表面では女同志のひいきもあったが、しかし、肚の中ではどう思っているか分らなかった。 蝶子は「娘さんを引き取ろうや」とそろそろ柳吉に持ちかけた。柳吉は「もうちょっと待ちイな」と言い逃(のが)れめいた。「子供が可愛いことないのんか」ないはずはなかったが、娘の方で来たがらぬのだった。女学生の身でカフェ商売を恥じるのは無理もなかったが、理由はそんな簡単なものだけではなかった。父親を悪い女に奪(と)られたと、死んだ母親は暇さえあれば、娘に言い聴かせていたのだ。蝶子が無理にとせがむので、一、二度「サロン蝶柳」へセーラー服の姿を現わしたが、にこりともしなかった。蝶子はおかしいほど機嫌とって、「英語たらいうもんむつかしおまっしゃろな」女学生は鼻で笑うのだった。 ある日、こちらから頼みもしないのにだしぬけに白い顔を見せた。蝶子は顔じゅう皺(しわ)だらけに笑って「いらっしゃい」駆け寄ったのへつん[#「つん」に傍点]と頭を下げるなり、女学生は柳吉の所へ近寄って低い声で「お祖父(じい)さんの病気が悪い、すぐ来て下さい」 柳吉と一緒に駆けつける事にしていた。が、柳吉は「お前は家に居(お)りイな。いま一緒に行ったら都合(ぐつ)が悪い」蝶子は気抜けした気持でしばらく呆然(ぼうぜん)としたが、これだけのことは柳吉にくれぐれも頼んだ。――父親の息のある間に、枕元で晴れて夫婦になれるよう、頼んでくれ。父親がうんと言ったらすぐ知らせてくれ。飛んで行くさかい。 蝶子は呉服屋へ駆け込んで、柳吉と自分と二人分の紋附を大急ぎで拵(こしら)えるように頼んだ。吉報(きっぽう)を待っていたが、なかなか来なかった。柳吉は顔も見せなかった。二日経ち、紋附も出来上った。四日目の夕方呼出しの電話が掛った。話がついた、すぐ来いの電話だと顔を紅潮させ、「もし、もし、私維康です」と言うと、柳吉の声で「ああ、お、お、お、おばはんか、親爺は今死んだぜ」「ああ、もし、もし」蝶子の声は癇高(かんだか)く震(ふる)えた。「そんなら、私はすぐそっちイ行きまっさ、紋附も二人分出来てまんねん」足元がぐらぐらしながらも、それだけははっきり言った。が、柳吉の声は、「お前は来ん方がええ。来たら都合(ぐつ)悪い。よ、よ、よ、養子が……」あと聞かなかった。葬式にも出たらいかんて、そんな話があるもんかと頭の中を火が走った。病院の廊下で柳吉の妹が言った言葉は嘘だったのか、それとも柳吉が頑固な養子にまるめ込まれたのか、それを考える余裕もなかった。紋附のことが頭にこびりついた。店へ帰り二階へ閉(と)じ籠(こも)った。やがて、戸を閉め切って、ガスのゴム管を引っぱり上げた。「マダム、今夜はスキ焼でっか」階下から女給が声かけた。栓(せん)をひねった。 夜、柳吉が紋附をとりに帰って来ると、ガスのメーターがチンチンと高い音を立てていた。異様な臭気(しゅうき)がした。驚いて二階へ上り、戸を開けた。団扇でパタパタそこらをあおった。医者を呼んだ。それで蝶子は助かった。新聞に出た。新聞記者は治(ち)に居て乱を忘れなかったのだ。日蔭者自殺を図(はか)るなどと同情のある書き方だった。柳吉は葬式があるからと逃げて行き、それきり戻って来なかった。種吉が梅田へ訊(たず)ねに行くと、そこにもいないらしかった。起きられるようになって店へ出ると、客が慰めてくれて、よく流行(はや)った。妾になれと客はさすがに時機を見逃さなかった。毎朝、かなり厚化粧してどこかへ出掛けて行くので、さては妾になったのかと悪評だった。が本当は、柳吉が早く帰るようにと金光教の道場へお詣りしていたのだった。 二十日余り経つと、種吉のところへ柳吉の手紙が来た。自分ももう四十三歳だ、一度大患(たいかん)に罹(かか)った身ではそう永くも生きられまい。娘の愛にも惹(ひ)かされる。九州の土地でたとえ職工をしてでも自活し、娘を引き取って余生を暮したい。蝶子にも重々気の毒だが、よろしく伝えてくれ。蝶子もまだ若いからこの先……などとあった。見せたらこと[#「こと」に傍点]だと種吉は焼き捨てた。 十日経ち、柳吉はひょっくり「サロン蝶柳」へ戻って来た。行方を晦(くら)ましたのは策戦や、養子に蝶子と別れたと見せかけて金を取る肚やった、親爺が死ねば当然遺産の分け前に与(あずか)らねば損や、そう思て、わざと葬式にも呼ばなかったと言った。蝶子は本当だと思った。柳吉は「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」と蝶子を誘った。法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福人形(おたふくにんぎょう)が据えられ、その前に「めおとぜんざい」と書いた赤い大提灯(おおぢょうちん)がぶら下っているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。おまけに、ぜんざいを註文(ちゅうもん)すると、女夫(めおと)の意味で一人に二杯ずつ持って来た。碁盤(ごばん)の目の敷畳に腰をかけ、スウスウと高い音を立てて啜(すす)りながら柳吉は言った。「こ、こ、ここの善哉(ぜんざい)はなんで、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか大夫(だゆう)ちう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛(やまもり)にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」蝶子は「一人より女夫の方がええいうことでっしゃろ」ぽんと襟を突き上げると肩が大きく揺れた。蝶子はめっきり肥えて、そこの座蒲団が尻にかくれるくらいであった。 蝶子と柳吉はやがて浄瑠璃に凝(こ)り出した。二ツ井戸天牛書店の二階広間で開かれた素義大会で、柳吉は蝶子の三味線で「太十(たいじゅう)」を語り、二等賞を貰った。景品の大きな座蒲団は蝶子が毎日使った。(昭和十五年八月)
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