大阪の憂鬱
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:織田作之助 

 たとえば、この間、大阪も到頭こんな姿になり果てたのかと、いやらしい想いをしながら、夜の闇市場で道に迷っている時、ふと片隅の暗がりで、蛍を売っているのを見た。二匹で五円、闇市場の中では靴みがきに次ぐけちくさい商内(あきない)だが、しかし、暗がりの中であえかに瞬いている青い光の暈のまわりに、夜のしずけさがしのび寄っているのを見た途端、私はそこだけが闇市場の喧騒からぽつりと離れて、そこだけが薄汚い、ややこしい闇市場の中で、唯一の美しさ――まるで忘れられたような美しさだと思い、ありし日の大阪の夏の夜の盛り場の片隅や、夜店のはずれを想い出して、古女房に再会した――というより、死んだ女房の夢を見た時のような、なつかしい感傷があった。

     四

 闇市場で売っている蛍を見て、美しいと思ったなどという感傷は、思えば唾棄すべきではあるまいか。だいいち、このような型の感傷、このような型の文章は、戦争中「心の糧になるゆとりを忘れるな」という名目で随分氾濫したし、「工場に咲いた花」「焼跡で花を売る少女」などという、いわゆる美談佳話製造家の流儀に似てはいないだろうか。
 蛍の風流もいい。しかし、風流などというものはあわてて雑文の材料にすべきものではない。大の男が書くのである。いっそ蛍を飛ばすなら、祇園、先斗町の帰り、木屋町を流れる高瀬川の上を飛ぶ蛍火や、高台寺の樹の間を縫うて、流れ星のように、いや人魂のようにふっと光って、ふっと消え、スイスイと飛んで行く蛍火のあえかな青さを書いた方が、一匹五円の闇蛍より気が利いていよう。すくなくとも美しい。
 それが京都の美しさだ。大阪の妾だった京都は、罹災してみすぼらしく、薄汚なくなった旦那の大阪と別れてしまうと、かえってますます美しく、はなやかになり、おまけに生き生きと若返った。古障子の破れ穴のように無気力だった京都は、新しく障子紙を貼り替えたのだ。かつての旦那だった大阪は、京都ではただで飛んでいる蛍をつかまえて、二匹五円で売っている。みじめというほかはない。
 ところが、さすがに大阪だ。京都で一番賑かな四条通、河原町通の商店の資本は、敗戦後たいてい大阪商人から出ているという話である。
 最近、四条河原町附近の土地を、五百万円の新円で買い取った大阪の商人がいるという。
 焼けても、さすがに大阪だったのだ。――という眼でみれば、大阪の盛り場、闇市場を歩いている時と、京都のそれを歩いている時との感じの違いが、改めて判るのである。京都から大阪へ行く。闇市場を歩く。何か圧倒的に迫って来る逞しい迫力が感じられるのだ。ぐいぐい迫って来る。襲われているといった感じだ。焼けなかった幸福な京都にはない感じだ。既にして京都は再び大阪の妾になってしまったのかも知れない。
 東京の闇市場は商人の掛声だけは威勢はいいが、点点とした大阪の闇市場のような迫力はない。
 点点としているが、竹ごまのように、一たび糸を巻いて打っ放せば、ウアーンと唸り出すような力だ。
 この力が千日前を、心斎橋を、道頓堀を、新世界を復興させたのだ。――と、しかし私はあわてているわけではない。なるほど、これらの盛り場は復興した。政府や官庁に任せて置けば、バラック一つ建ちようのない世の中で、自分たちだけの力でよくこれだけ建てたと思えるくらい、穴地を埋めてしまった。法善寺――食傷横丁といわれていた法善寺横丁の焼跡にも、二鶴やその他の昔なつかしい料理店が復活した。千日前の歌舞伎座の横丁――昔中村鴈治郎が芝居への通い路にしていたとかで鴈治郎横丁と呼ばれている路地も、以前より家数が多くなったくらいバラックが建って、食傷路地らしく軒並みに飲食店だ。などという話を見聴きすれば、やはりなつかしいが、しかし、
「大阪ですか。千日前も心斎橋も、道頓堀も、新世界も、あ、それから、法善寺横丁も、鴈治郎横丁も、みんな復興しましたよ。大阪は逞しいもんですよ」
 と、さりげなく言って、嘯いておれるだろうか。
 いつか阿倍野橋の闇市場の食堂で、一人の痩せた青年が、飯を食っているところを目撃した。
 彼はまず、カレーライスを食い、天丼を食べた。そして、一寸考えて、オムライスを注文した。
 やがて、それを平げると、暫らく水を飲んでいたが、ふと給仕をよんで、再びカレーライスを注文した。十分後にはにぎり寿司を頬張っていた。
 私は彼の旺盛な食慾に感嘆した。その逞しさに畏敬の念すら抱いた。
「まるで大阪みたいな奴だ」
 所が、きけばその青年は一種の飢餓恐怖症に罹っていて、食べても食べても絶えず空腹感に襲われるので、無我夢中で食べているという事である。逞しいのは食慾ではなく、飢餓感だったのだ。
 私は簡単にすかされてしまったが、大阪の逞しい復興の力と見えたのも、実はこの青年の飢餓恐怖症と似たようなものではないかと、ふと思った。
 千日前や心斎橋や道頓堀や新世界や法善寺横丁や鴈治郎横丁が復興しても、いや、復興すればするほど、大阪のあわれな痩せ方が目立って仕様がないのである。
 闇市場で煙草や主食を売っているというのも、いや売らねばならぬというのも、思えば大阪の逞しさというより、むしろ、大阪のあわれな悪あがきではなかろうか。




ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:13 KB

担当:undef