空知川の岸辺
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著者名:国木田独歩 

       二

 三浦屋に着くや早速主人を呼んで、空知川の沿岸にゆくべき方法を問ひ、詳しく目的を話して見た。処が主人は寧(むし)ろ引返へして歌志内(うたしない)に廻はり、歌志内より山越えした方が便利だらうといふ。
「次の汽車なら日の暮までには歌志内に着きますから今夜は歌志内で一泊なされて、明日能くお聞合せになつて其上でお出かけになつたが可(よ)うがす。歌志内なら此処とは違つて道庁の方(かた)も居ますから、其井田さんとかいふ方の今居る処も多分解るでせう。」
 斯(か)ういはれて見ると成程さうである。されども余は空知川の岸に沿ふて進まば、余が会はんとする道庁の官吏井田某の居所を知るに最も便ならんと信じて、空知太まで来たのである。然(しか)るに空知太より空知川の岸をつたふことは案内者なくては出来ぬとのこと、而も其道らしき道の開け居るには在らずとの事を、三浦屋の主人より初めて聞いたのである。其処で余は主人の注意に従ひ、歌志内に廻はることに定(き)めて、次の汽車まで二時間以上を、三浦屋の二階で独りポツ然(ねん)と待つこととなつた。
 見渡せば前は平野(ひらの)である。伐(き)り残された大木が彼処此処(かしここゝ)に衝立(つゝた)つて居る。風当(かぜあた)りの強きゆゑか、何れも丸裸体(まるはだか)になつて、黄色に染つた葉の僅少(わづか)ばかりが枝にしがみ着いて居るばかり、それすら見て居る内にバラ/\と散つて居る。風の加はると共に雨が降つて来た。遠方(をちかた)は雨雲に閉されて能くも見え分かず、最近(まぢか)に立つて居る柏(かしは)の高さ三丈ばかりなるが、其太い葉を雨に打たれ風に揺られて、けうとき音(ね)を立てゝ居る。道を通る者は一人もない。
 かゝる時、かゝる場所に、一人の知人なく、一人の話相手なく、旅人宿(はたごや)の窓に倚つて降りしきる秋の雨を眺めることは決して楽しいものでない。余は端(はし)なく東京の父母や弟や親しき友を想ひ起して、今更の如く、今日まで我を囲みし人情の如何に温かであつたかを感じたのである。
 男子志を立て理想を追ふて、今や森林の中に自由の天地を求めんと願ふ時、決して女々(めゝ)しくてはならぬと我とわが心を引立(ひきたて)るやうにしたが、要するに理想は冷やかにして人情は温かく、自然は冷厳にして親しみ難く人寰(じんくわん)は懐かしくして巣を作るに適して居る。
 余は悶々として二時間を過した。其中(そのうち)には雨は小止(こやみ)になつたと思ふと、喇叭の音(ね)が遠くに響く。首を出して見ると斜に糸の如く降る雨を突いて一輛の馬車が馳せて来る。余は此馬車に乗込んで再び先の停車場へと、三浦屋を立つた。
 汽車の乗客は数(かぞ)ふるばかり。余の入つた室は余一人であつた。人独り居るは好ましきことに非ず、余は他の室に乗換へんかとも思つたが、思い止まつて雨と霧との為めに薄暗くなつて居る室の片隅に身を寄せて、暮近くなつた空の雲の去来(ゆきゝ)や輪をなして回転し去る林の立木を茫然と眺めて居た。斯(かゝ)る時、人は往々無念無想の裡(うち)に入るものである。利害の念もなければ越方(こしかた)行末の想(おもひ)もなく、恩愛の情もなく憎悪の悩もなく、失望もなく希望もなく、たゞ空然として眼を開き耳を開いて居る。旅をして身心共に疲れ果てゝ猶ほ其身は車上に揺られ、縁もゆかりもない地方を行く時は往々にして此(かく)の如き心境に陥るものである。かゝる時、はからず目に入つた光景は深く脳底に彫(ゑ)り込まれて多年これを忘れないものである。余が今しも車窓より眺むる処の雲の去来(ゆきゝ)や、樺(かば)の林や恰度(ちやうど)それであつた。
 汽車の歌志内の渓谷に着いた時は、雨全く止みて日は将(まさ)に暮れんとする時で、余は宿るべき家のあてもなく停車場を出ると、流石(さすが)に幾千の鉱夫を養ひ、幾百の人家の狭き渓(たに)に簇集(ぞくしふ)して居る場所だけありて、宿引なるものが二三人待ち受けて居た。其一人に導かれ礫(いし)多く燈(ともしび)暗き町を歩みて二階建の旅人宿(はたごや)に入り、妻女の田舎なまりを其儘、愛嬌も心かららしく迎へられた時は、余も思はず微笑したのである。
 夜食を済すと、呼ばずして主人は余の室(へや)に来てくれたので、直(たゞち)に目的を語り彼より出来るだけの方便を求めた、主人は余の語る処をにこついて聞いて居たが
「一寸(ちよつと)お待ち下さい、少し心当りがありますから。」と言ひ捨てゝ室を去つた。暫時(しばら)くして立還(たちかへ)り
「だから縁といふは奇態なものです。貴所(あなた)最早(もう)御安心なさい、すつかり分明(わかり)ました。」と我身のことの如く喜んで座に着いた。
「わかりましたか。」
「わかりましたとも、大わかり。四日前から私の家にお泊りのお客様があります。この方は御料地の係の方(かた)で先達(せんだつて)から山林を見分(みわけ)してお廻はりになつたのですが、ソラ野宿の方が多がしよう、だから到当身体を傷(こは)して今手前共で保養して居らつしやるのです。篠原さんといふ方ですがね。何でも宅へ見える前の日は空知川の方に居らつしやつたといふこと聞きましたから、若しやと思つて唯今伺つて見ました処が、解りました。ウン道庁の出張員なら山を越すと直ぐ下の小屋に居たと仰しやるのです、御安心なさい此処から一里位なもので訳は有りません、朝行けばお昼前には帰つて来られますサ。」
「どうも色々難有(ありがた)う、それで安心しました。然し今も其小屋に居て呉れゝば可いが。始終居所が変るので其れで道庁でも知れなかつたのだから。」
「大丈夫居ますよ、若(も)し変つて居たら先(せん)に居た小屋の者に聞けば可(よ)うがす、遠くに移るわけは有りません。」
「兎も角も明日(あす)朝早く出掛けますから案内を一人頼んで呉れませんか。」
「さうですな、山道で岐路(えだ)が多いから矢張り案内が入(い)るでしやう、宅の倅(せがれ)を連れて行(いら)つしやい。十四の小僧ですが、空知太(そらちぶと)までなら存じて居ます。案内位出来ませうよ。」と飽くまで親切に言つて呉れるので、余は実に謝する処を知らなかつた。成程縁は奇態なものである、余にして若し他の宿屋に泊つたなら決してこれ程の便宜と親切とは得ることが出来なかつたらう。
 主人は何処までも快活な男で、放胆で、而も眼中人なきの様子がある。彼の親切、見ず知らずの余にまで惜気もなく投げ出す親切は、彼の人物の自然であるらしい。世界を家(うち)となし到る処に其故郷を見出す程の人は、到る処の山川、接する処の人が則(すなは)ち朋友である。であるから人の困厄を見れぱ、其人が何人(なんびと)であらうと、憎悪(にくあし)するの因縁(いはれ)さへ無くば、則ち同情を表する十年の交友と一般なのである。余は主人の口より其略伝を聞くに及んで彼の人物の余の推測に近きを知つた。
 彼は其生れ故郷に於て相当の財産を持つて居た処が、彼の弟二人は彼の相続したる財産を羨むこと甚だしく、遂には骨肉の争(あらそひ)まで起る程に及んだ。然るに彼の父なる七十の老翁も亦た少弟(せうてい)二人を愛して、ややもすれば兄に迫つて其財産を分配せしめやうとする。若しこれ三等分すれば、三人とも一家を立つることが出来ないのである。
「だから私は考へたのです、これつばかしの物を兄弟して争ふなんて余り量見が小さい。宜しいお前達に与(や)つて了う。たゞ五分の一だけ呉れろ、乃公(わし)は其を以(もつ)て北海道に飛ぶからつて。其処で小僧が九(こゝのつ)の時でした、親子三人でポイと此方(こつち)へやつて来たのです。イヤ人間といふものは何処にでも住まば住まれるものですよハッハッハッ」と笑つて「処が妙でせう、弟の奴等、今では私が分配(わけ)てやつた物を大概無くしてしまつて、それで居て矢張り小ぽけな村を此上もない土地のやうに思つて私が何度も北海道へ来て見ろと手紙ですゝめても出て来得(きえ)ないんでサ。」
 余は此男の為す処を見、其語る処を聞いて、大に得る処があつたのである。よしや此一小旅店の主人は、余が思ふ所の人物と同一でないにせよ、よしや余が思ふ所の人物は、此主人より推して更らに余自身の空想を加へて以て化成したる者にせよ、彼はよく自由によく独立に、社会に住んで社会に圧せられず、無窮の天地に介立して安んずる処あり、海をも山をも原野をも将(は)た市街をも、我物顔に横行濶歩して少しも屈托せず、天涯地角到る処に花の香(かんば)しきを嗅ぎ人情の温かきに住む、げに男はすべからく此の如くして男といふべきではあるまいか。
 斯く感ずると共に余の胸は大(おほい)に開けて、札幌を出でてより歌志内に着くまで、雲と共に結ぼれ、雨と共にしほれて居た心は端(はし)なくも天の一方深碧にして窮りなきを望んだやうな気がして来た。
 夜の十時頃散歩に出て見ると、雲の流(ながれ)急にして絶間(たえま)々々には星が見える。暗い町を辿(たど)つて人家を離れると、渓を隔てゝ屏風の如く黒く前面に横(よこた)はる杣山(そまやま)の上に月現はれ、山を掠(かす)めて飛ぶ浮雲は折り/\其前面を拭ふて居る。空気は重く湿めり、空には風あれども地は粛然として声なく、たゞ渓流の音のかすかに聞ゆるばかり。余は一方は山、一方は崖の爪先上りの道を進みて小高き広場に出たかと思ふと、突然耳に入つたものは絃歌の騒(さわぎ)である。
 見れば山に沿ふて長屋建(ながやだち)の一棟あり、これに対して又一棟あり。絃歌は此長屋より起るのであつた。一棟は幾戸かに分れ、戸々皆な障子をとざし、其障子には火影花(はなや)かに映り、三絃の乱れて狂ふ調子放歌の激して叫ぶ声、笑ふ声は雑然として起つて居るのである、牛部屋に等しき此長屋は何ぞ知らん鉱夫どもが深山幽谷の一隅に求め得し歓楽境ならんとは。
 流れて遊女となり、流れて鉱夫となり、買ふものも売るものも、我世夢ぞと狂歌乱舞するのである。余は進んで此長屋小路(ながやこうぢ)に入つた。
 雨上(あめあがり)の路はぬかるみ、水溜(みづだまり)には火影(ほかげ)うつる。家は離れて見しよりも更に哀れな建てざまにて、新開地だけにたゞ軒先障子などの白木の夜目にも生々(なま/\)しく見ゆるばかり、床(ゆか)低く屋根低く、立てし障子は地より直(たゞち)に軒に至るかと思はれ、既に歪(ゆが)みて隙間よりは鉤(つり)ランプの笠など見ゆ。肌脱(はだぬぎ)の荒くれ男の影鬼の如く映れるあり、乱髪の酌婦の頭の夜叉の如く映るかと思へば、床も落つると思はるゝ音が為て、ドツとばかり笑声の起る家もあり。「飲めよ」、「歌へよ」、「殺すぞ」、「撲(なぐ)るぞ」、哄笑、激語、悪罵、歓呼、叱咤、艶(つや)ある小節(こぶし)の歌の文句の腸を断つばかりなる、三絃の調子の嗚咽(むせぶ)が如き忽ちにして暴風、忽ちにして春雨(しゆんう)、見来れば、歓楽の中に殺気をこめ、殺気の中に血涙をふくむ、泣くは笑ふのか、笑ふのは泣くのか、怒(いかり)は歌か、歌は怒か、嗚呼(あゝ)儚(はかな)き人生の流よ! 数年前までは熊眠り狼住みし此渓間に流れ落ちて、こゝに澱(よど)み、こゝに激し、こゝに沈み、月影冷やかにこれを照して居る。
 余は通り過ぎて振り顧(かへ)り、暫し停立(たゝず)んで居ると、突然間近なる一軒の障子が開(あ)いて一人の男がつと現はれた。
「や、月が出た!」と振上げた顔を見れば年頃二十六七、背高く肩広く屈強の若者である。きよろ/\四辺(あたり)を見廻して居たが吻(ほつ)と酒気(しゆき)を吐き、舌打して再び内によろめき込んだ。

       三

 宿の子のまめ/\しきが先に立ちて、明くれば九月二十六日朝の九時、愈々(いよ/\)空知川の岸へと出発した。
 陰晴定(さだ)めなき天気、薄き日影洩るゝかと思へば忽ち峰より林より霧起りて峰をも林をも路をも包んでしまう。山路は思ひしより楽にて、余は宿の子と様々の物語しつゝ身も心も軽く歩(あ)ゆんだ。
 林は全く黄葉(きば)み、蔦紅葉(つたもみぢ)は、真紅(しんく)に染り、霧起る時は霞(かすみ)を隔(へだて)て花を見るが如く、日光直射する時は露を帯びたる葉毎に幾千万の真珠碧玉を連らねて全山燃(もゆ)るかと思はれた。宿の子は空知川沿岸に於ける熊の話を為(な)し、続いて彼が子供心に聞き集めたる熊物語の幾種かを熱心に語つた。坂を下りて熊笹の繁(しげれ)る所に来ると彼は一寸立どまり
「聞えるだらう、川の音が」と耳を傾けた、「ソラ……聞えるだらう、あれが空知川、もう直ぐ其処だ。」
「見えさうなものだな。」
「如何して見えるものか、森の中に流れて居るのだ。」
 二人は、頭を没する熊笹の間を僅に通う帯ほどの径(みち)を暫く行(ゆく)と、一人の老人の百姓らしきに出遇つたので、余は道庁の出張員が居る小屋を訊ねた。
「此径を三丁ばかり行くと幅の広い新開の道路に出る、其右側の最初の小屋に居なさるだ。」と言い捨てゝ老人は去(い)つて了つた。
 歌志内を出発(たつ)てから此処までの間に人に出遇つたのは此老人ばかりで、途中又小屋らしき物を見なかつたのである、余は此老人を見て空知川の沿岸の既に多少(いくら)かの開墾者の入込(いりこ)んで居ることを事実の上に知つた。
 熊笹の径(こみち)を通りぬけると果して、思ひがけない大道が深林を穿(うが)つて一直線に作られてある。其幅は五間以上もあらうか。然も両側に密茂(みつも)して居る林は、二丈を越へ三丈に達する大木が多いので、此幅広き大道も、堀割を通ずる鉄道線路のやうであつた。然し余は此道路を見て拓殖に熱心なる道庁の計営の、如何に困難多きかを知つたのである。
 見れば此道路の最初の右側に、内地では見ることの出来ない異様なる掘立小屋(ほつたてごや)[#「掘立小屋」は底本では「堀立小屋」]がある。小屋の左右及び後背(うしろ)は林を倒して、二三段歩の平地が開かれて居る。余は首尾よく此小屋で道庁の属官、井田某及び他の一人に会ふことが出来た。
 殖民課長の丁寧なる紹介は、彼等をして十分に親切に余が相談相手とならしめたのである。更に驚くべきは、彼等が余の名を聞いて、早く既に余を知つて居たことで、余の蕪雑なる文章も、何時しか北海道の思ひもかけぬ地に其読者を得て居たことであつた。
 二人は余の目的を聞き終りて後、空知川沿岸の地図を披(ひら)き其経験多き鑑識を以て、彼処比処(かしここゝ)と、移民者の為めに区劃せる一区一万五千坪の地の中から六ヶ所ほど撰定して呉れた。
 事務は終り雑談に移つた。
 小屋は三間に四間を出でず、屋根も周囲(まはり)の壁も大木の皮を幅広く剥(は)ぎて組合したもので、板を用ゐしは床のみ、床には莚(むしろ)を敷き、出入の口はこれ又樹皮を組みて戸となしたるが一枚被(おほ)はれてあるばかりこれ開墾者の巣なり家なり、いな城廓なり。一隅に長方形の大きな炉が切つて、これを火鉢に竈(かまど)に、煙草盆に、冬ならば煖炉に使用するのである。
「冬になつたら堪らんでしやうねこんな小屋に居ては。」
「だつて開墾者は皆(みん)なこんな小屋に住んで居るのですよ。どうです辛棒が出来ますか。」と井田は笑ひながら言つた。
「覚悟は為(し)て居ますが、イザとなつたら随分困るでしやう。」
「然し思つた程でもないものです。若し冬になつて如何(どう)しても辛棒が出来さうもなかつたら、貴所方(あなたがた)のことだから札幌へ逃げて来れば可いですよ。どうせ冬籠(ふゆごもり)は何処でしても同じことだから。」
「ハッハッハッヽヽヽ其(それ)なら初めから小作人任(まかせ)にして御自分は札幌に居る方が可(よ)からう。」と他の属官が言つた。
「さうですとも、さうですとも冬になつて札幌に逃げて行くほどなら寧(いつ)そ初めから東京に居て開墾した方が可いんです。何に僕は辛棒しますよ。」と余は覚悟を見せた。井田は
「さうですな、先づ雪でも降つて来たら、此(この)炉にドン/\焼火(たきび)をするんですな、薪木(たきゞ)ならお手のものだから。それで貴所方だからウンと書籍(しよもつ)を仕込(しこん)で置いて勉強なさるんですな。」
「雪が解ける時分には大学者になつて現はれるといふ趣向ですか。」と余は思わず笑つた。
 談(はな)して居ると、突然パラ/\と音がして来たので余は外に出て見ると、日は薄く光り、雲は静に流れ、寂たる深林を越えて時雨(しぐれ)が過ぎゆくのであつた。
 余は宿の子を残して、一人此辺(このあたり)を散歩すべく小屋を出た。
 げに怪しき道路よ。これ千年の深林を滅(めつ)し、人力を以て自然に打克(うちかた)んが為めに、殊更に無人(ぶじん)の境(さかひ)を撰んで作られたのである。見渡すかぎり、両側の森林これを覆ふのみにて、一個の人影(じんえい)すらなく、一縷(いちる)の軽煙すら起らず、一の人語すら聞えず、寂々(せき/\)寥々(れう/\)として横はつて居る。
 余は時雨の音の淋しさを知つて居る、然し未だ曾(かつ)て、原始の大深林を忍びやかに過ぎゆく時雨ほど淋びしさを感じたことはない。これ実に自然の幽寂なる私語(さゝやき)である。深林の底に居て、此音(ね)を聞く者、何人か生物を冷笑する自然の無限の威力を感ぜざらん。怒濤、暴風、疾雷、閃雷は自然の虚喝(きよかつ)である。彼の威力の最も人に迫るのは、彼の最も静かなる時である。高遠なる蒼天の、何の声もなく唯だ黙して下界を視下(みおろ)す時、曾(かつ)て人跡を許さゞりし深林の奥深き処、一片の木の葉の朽ちて風なきに落つる時、自然は欠伸(あくび)して曰く「あゝ我(わが)一日も暮れんとす」と、而して人間の一千年は此刹那に飛びゆくのである。
 余は両側の林を覗きつゝ行くと、左側で林のやゝ薄くなつて居る処を見出した。下草を分けて進み、ふと顧みると、此身は何時しか深林の底に居たのである。とある大木の朽ちて倒れたるに腰をかけた。
 林が暗くなつたかと思ふと、高い枝の上を時雨がサラ/\と降つて来た。来たかと思ふと間もなく止んで森(しん)として林は静まりかへつた。
 余は暫くジツとして林の奥の暗くなつて居る処を見て居た。
 社会が何処にある、人間の誇り顔に伝唱する「歴史」が何処にある。此場所に於て、此時に於て、人はたゞ「生存」其者(そのもの)の、自然の一呼吸の中に托されてをることを感ずるばかりである。露国の詩人は曾て森林の中に坐して、死の影の我に迫まるを覚えたと言つたが、実にさうである。又た曰く「人類の最後の一人が此の地球上より消滅する時、木の葉の一片も其為にそよがざるなり」と。
 死の如く静なる、冷やかなる、暗き、深き森林の中に坐して、此の如きの威迫を受けないものは誰も無からう。余我を忘れて恐ろしき空想に沈んで居ると、
「旦那! 旦那!」と呼ぶ声が森の外でした。急いで出て見ると宿の子が立つて居る。
「最早(もう)御用が済んで(〔ママ〕)帰りましやう」
 其処で二人は一先づ小屋に帰ると、井田は、
「どうです今夜は試験のために一晩此処に泊つて御覧になつては。」

 余は遂に再び北海道の地を踏まないで今日に到つた。たとひ一家の事情は余の開墾の目的を中止せしめたにせよ、余は今も尚ほ空知川の沿岸を思ふと、あの冷厳なる自然が、余を引つけるやうに感ずるのである。
 何故だらう。
(明治三十五年十一月―十二月)



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