電報
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著者名:黒島伝治 

「豚を十匹ほど飼うたら、子供の学資くらい取られんこともないんじゃがな、……何にせ、ここじゃ、貧乏人は上の学校へやれんことにしとるせに、奉公にやったと云うとかにゃいかんて。」と、叔父は繰り返した。
 おきのは、叔父の注意に従って、息子のことを訊ねられると、傘屋へ奉公に出したと云った。併し、村の人々は、彼女の言葉を本当にしなかった。でも、頑固に、「いいえいな、家(うち)に、市の学校へやったりするかいしょうがあるもんかいな。食うや食わずじゃのに、奉公に出したんにきまっとら。」と、彼女は云い張った。
 が、人々は却って皮肉に、
「お前んとこにゃ、なんぼかこれが(と拇指(おやゆび)と示指(さしゆび)とで円(ま)るものをこしらえて、)あるやら分らんのに、何で、一人息子を奉公やかいに出したりすらあ! 学校へやったんじゃが、うまいこと嘘をつかあ、……まあ、お前んとこの子供はえらいせに、旦那さんにでもなるわいの、ひひひ……。」
 おきのは、出会(でくわ)した人々から、嫌味を浴せかけられるのがつらさに、
「もういっそ、やめさして、奉公にでも出すかいの。」と源作に云ったりした。
「奉公やかい。」と、源作は、一寸冷笑を浮べて、むしむしした調子で、「己等(おれら)一代はもうすんだようなもんじゃが、あれは、まだこれからじゃ。少々の銭を残してやるよりや、教育をつけてやっとく方が、どんだけ為めになるやら分らせん。村の奴等が、どう云おうがかもうたこっちゃない。庄屋の旦那に銭を出して貰うんじゃなし、俺が、銭を出して、俺の子供を学校へやるのに、誰に気兼ねすることがあるかい。」
 おきのは、叔父の話をきいたり、村の人々の皮肉をきいたりすると、息子を学校へやるのが良くないような気がするのだったが、源作の云うことをきくと、源作に十二分の理由があって、簡単、明瞭で、他(ほか)から文句を云う余地はないように思われた。

     四

 試験がすんで、帰るべき筈の日に、おきのは、停車場(ていしゃば)へ迎えに行った。彼女は、それぞれ試験がすんで帰ってくる坊っちゃん達を迎えに行っている庄屋の下婢(げじょ)や、醤油屋の奥さんや、呉服屋の若旦那やの眼につかぬように、停車場の外に立って息子を待っていた。彼女は、自分の家(うち)の地位が低いために、そういう金持の間に伍することが出来ないように、自から、卑下していた。そして、また、実際に、穢いドン百姓の嚊と見下げられていた。
 やがて、汽車が着くと、庄屋や、醤油屋や、呉服屋などの坊っちゃん達が降りて来た。
「お母あさん。」と、醤油屋の坊っちゃんは、プラットホームに降りると、すぐ母を見つけて、こう叫びながら、奥さんのいる方へ走りよった。片隅からそれを見ていたおきのは、息子から、こうなれなれしく、呼びかけられたら、どんなに嬉しいだろうと思った。
「坊っちゃんお帰り。」と庄屋の下婢は、いつもぽかんと口を開けている、少し馬鹿な庄屋の息子に、叮嚀(ていねい)にお辞儀をして、信玄袋を受け取った。
 おきのは、改札口を出て来る下車客を、一人一人注意してみたが、彼女の息子はいなかった。確かに、今、下車した坊っちゃん達と一緒に、試験がすんで帰って来る筈だった。村をたって行った日は異(ちが)っていたが、学校は同じだった。彼女は、乗り越したのではあるまいかと心配しながら、なお立って、停車場の構内をじろ/\見廻した。
「僕、算術が二題出来なんだ。国語は満点じゃ。」醤油屋の坊っちゃんは、あどけない声で奥さんにこんなことを云いながら、村へ通じている県道を一番先に歩いた。それにつづいて、下車客はそれぞれ自分の家へ帰りかけた。
「谷元は、皆な出来た云いよった。……」こういう坊っちゃんの声も聞えた。谷元というのは源作の姓である。
 おきのは、走りよって、息子のことを、訊ねてみたかったが、醤油屋へ、良人(おっと)の源作が労働に行っていたのを思い出して、なお卑下して、思い止まった。
 停車場には、駅員の外、誰れもいなくなった。おきのは、悄々(しおしお)と、帰りかけた。彼女は、一番あとから、ぼつ/\行っている呉服屋の坊っちゃんに、息子のことを訊ねようと考えた。坊っちゃんは、兄の若旦那と、何事か――多分試験のことだろう――話しあって笑っていた。あの話がすんだら、近づいて訊ねよう、とおきのは心で考えた。うっかりして乗り越すようなあれじゃないが、……彼女は一方でこんなことも思った。
 若旦那の方に向いて、しきりに話している坊っちゃんの顔に、彼女は注意を怠らなかった。そして、話が一寸中断したのを見計らって、急に近づいて、息子のことをきいた。
「谷元はまだ残っとると云いよった。」と、坊っちゃんは、彼女に答えた。
「試験はもうすんだんでござんしょうな。」
「はあ、僕等と一緒にすんだんじゃが、谷元はまだほかを受ける云いよった。」
「そうでござんすか。どうも有りがとうさん。」と、おきのは頭を下げた。彼女は若旦那に顔を見られるのが妙に苦るしかった。
 翌日の午後、従弟から葉書が来た。県立中学に多分合格しているだろうが、若し駄目だったら、私立中学の入学試験を受けるために、成績が分るまで子供は帰らせずに、引きとめている。ということだった。
「もう通らなんだら、私立を受けさしてまで中学へやらいでもえいわやの。家のような貧乏たれに市(まち)の学校へやって、また上から目角(めかど)に取られて等級でもあげられたら困らやの。」と、おきのは源作に云った。
 源作は黙っていた。彼も、私立中学へやるのだったら、あまり気がすすまなかった。

     五

 村役場から、税金の取り立てが来ていたが、丁度二十八日が日曜だったので、二十九日に、源作は、銀行から預金を出して役場へ持って行った。もう昨日か、一昨日かに村の大部分が納めてしまったらしく、他に誰れも行っていなかった。収入役は、金高を読み上げて、二人の書記に算盤(そろばん)をおかしていた。源作は、算盤が一と仕切りすむまで待っていた。
「おい、源作!」
 ふと、嗄(しわが)れた、太い、力のある声がした。聞き覚えのある声だった。それは、助役の傍に来て腰掛けている小川という村会議員が云ったのだ。
「はあ。」と、源作は、小川に気がつくと答えた。小川は、自分が村で押しが利く地位にいるのを利用して、貧乏人や、自分の気に食わぬ者を困らして喜んでいる男であった。源作は、頼母子講(たのもしこう)を取った。抵当に、一段二畝(せ)の畑を書き込んで、其の監査を頼みに、小川のところへ行った時、小川に、抵当が不十分だと云って頑固にはねつけられたことがあった。それ以来、彼は小川を恐れていた。
「源作、一寸、こっちへ来んか。」
 源作は、呼ばれるまゝに、恐る/\小川の方へ行った。
「源作、お前は今度息子を中学へやったと云うな。」肥った、眼に角のある、村会議員は太い声で云った。
「はあ、やってみました。」
「わしは、お前に、たってやんなとは云わんが、労働者(はたらきど)が、息子を中学へやるんは良くないぞ。人間は中学やかいへ行っちゃ生意気になるだけで、働かずに、理屈ばっかしこねて、却って村のために悪い。何んせ、働かずにぶら/\して理屈をこねる人間が一番いかん。それに、お前、お前はまだこの村で一戸前も持っとらず、一人前の税金も納めとらんのじゃぞ。子供を学校へやって生意気にするよりや、税金を一人前納めるのが肝心じゃ。その方が国の為めじゃ。」と小川は、ゆっくり言葉を切って、じろりと源作を見た。
 源作は、ぴく/\唇を顫わした。何か云おうとしたが、小川にこう云われると、彼が前々から考えていた、自分の金で自分の子供を学校へやるのに、他に容喙(ようかい)されることはないという理由などは全く根拠がないように思われた。
「税金を持って来たんか。」
「はあ、さようで……」
「それそうじゃ。税金を期日までに納めんような者が、お前、息子を中学校へやるとは以ての外じゃ。子供を中学やかいへやるのは国の務めも、村の務めもちゃんと、一人前にすましてからやるもんじゃ。――まあ、そりゃ、お前の勝手じゃが、兎に角今年から、お前に一戸前持たすせに、そのつもりで居れ。」
 小川は、なお、一と時、いかつい眼つきで源作を見つめ、それから怒っているようにぷいと助役の方へ向き直った。収入役や書記は、算盤(そろばん)をやめて源作の方を見ていた。源作は感覚を失ったような気がした。
 彼は、税金を渡すと、すごすご役場から出て帰った。
 昼飯の時、
「今日は頭でも痛いんかいの。」と、おきのは彼の憂鬱に硬ばっている顔色を見て訊ねた。彼は黙って何とも答えなかった。
 飯がすんで、二人づれで畠へ行ってから、おきのは、
「家のような貧乏たれに、市の学校やかいへやるせに、村中大評判じゃ。始めっからやらなんだらよかったのに。」と源作に云った。
 源作は何事か考えていた。
「もう県立へ通らなんだら、私立へはやるまいな。早よ呼び戻したらえいわ。」
「うむ。」
「分(ぶん)に過ぎるせに、通っとっても、やらん方がえいじゃけれど……」とおきのは独言った。
 暫らくして、
「そんなら、呼び戻そうか。」と源作は云った。
「そうすりゃえいわ。」おきのはすぐ同意した。
 源作は畠仕事を途中でやめて、郵便局へ電報を打ちに行った。
「チチビヨウキスグカエレ」
 いきなりこう書いて出した。
 帰りには、彼は、何か重荷を下したようで胸がすっとした。
 息子は、びっくりして十一時の夜汽車であわてゝ帰って来た。

 三日たって、県立中学に合格したという通知が来たが、入学させなかった。

 息子は、今、醤油屋の小僧にやられている。
(大正十二年三月)



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