九月十月十一月
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著者名:太宰治 

 きらきら光るGペンを、たくさん財布にいれて、それを懷に抱いて歩いてゐると、何だか自分が清潔で、若々しくて、氣持のいいものである。私は、Gペン買つてから、甲府のまちをぶらぶら歩いた。
 甲府は盆地である。いはば、すりばちの底の町である。四邊皆山である。まちを歩いて、ふと顏をあげると、山である。銀座通りといふ賑やかな美しいまちがある。堂々のデパアトもある。道玄坂歩いてゐる氣持である。けれども、ふと顏をあげると、山である。へんに悲しい。右へ行つても、左へ行つても、東へ行つても、西へ行つても、ふと顏をあげると、待ちかまへてゐたやうに山脈。すりばちの底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思へば、間違ひない。
 裏通りを選んで歸つた。甲府は、日ざしの強いまちである。道路に落ちる家々の軒の日影が、くつきり黒い。家の軒は一樣に低く、城下まちの落ちつきはある。表通りのデパアトよりも、こんな裏まちに、甲府の文化を感ずるのである。この落ちつきは、ただものでない。爛熟し、頽廢し、さうしてさびた揚句の果が、こんな閑寂にたどりついたので、私は、かへつて、このせまい裏路に、都大路を感ずるのである。ふと、豆腐屋の硝子戸に寫る私の姿も、なんと、維新の志士のやうに見えた。志士にちがひは、ないのである。追ひつめられた志士、いまは甲府の安宿に身を寄せて、ひそかに再擧をはかつてゐる。
 甲州を、私の勉強の土地として紹介して下さつたのは、井伏鱒二氏である。井伏氏は、早くから甲州を愛し、その紀行、紹介の文も多いやうである。今さら私の惡文で、とやかく書く用はないのである。それを思へば、甲州のことは、書きたくない。私は井伏氏の文章を尊敬してゐるゆゑに、いつそう書きにくい。
 ひそかに勉強をするには、成程いい土地のやうである。つまり、當りまへのまちだからである。強烈な地方色がない。土地の言葉も、東京の言葉と、あまりちがはないやうである。妙に安心させるまちである。けれども、下宿の部屋で、ひとりぽつんと坐つてみてやつぱり東京にゐるやうな氣がしない。日ざしが強いせゐであらうか。汽車の汽笛が、時折かすかに聞えて來るせゐかも知れない。どうしても、これは維新の志士、傷療養の土地の感じである。
 井伏氏は、甲府のまちを歩いて、どんなことを見つけたであらうか。いつか、ゆつくりお聞きしよう。井伏氏のことだから、きつと私などの氣のつかぬ、こまかいこまかいことを發見して居られるにちがひない。私の見つけるものは、お恥かしいほど大ざつぱである。甲府は、四邊山。日影が濃い。いやなのは水晶屋。私は、水晶の飾り物を、むかしから好かない。




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