佐渡
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著者名:太宰治 

「ゆうべ、よしつねという料理屋に行ったが、つまらなかった。たてものは大きいが、悪いところだね。」
「ええ、」女中さんは、くつろいで、「このごろ出来た家ですよ。古くからの寺田屋などは、格式もあって、いいそうです。」
「そうです。格式のある家でなければ、だめです。寺田屋へ行けばよかった。」
 女中さんは、なぜだか、ひどく笑った。声をたてずに、うつむいて肩に波打たせて笑っているのである。私も、意味がわからなかったけれども、はは、と笑った。
「お客さんは、料理屋などおきらいかと思っていました。」
「きらいじゃないさ。」私も、もう気取らなくなっていた。宿屋の女中さんが一ばんいいのだと思った。
 お勘定をすまして出発する時も、その女中さんは、「行っていらっしゃい。」と言った。佳い挨拶だと思った。
 相川行のバスに乗った。バスの乗客は、ほとんど此の土地の者ばかりであった。皮膚病の人が多かった。漁村には、どうしてだか、皮膚病が多いようである。
 きょうは秋晴れである。窓外の風景は、新潟地方と少しも変りは無かった。植物の緑は、淡(あわ)い。山が低い。樹木は小さく、ひねくれている。うすら寒い田舎道(いなかみち)。娘さんたちは長い吊鐘(つりがね)マントを着て歩いている。村々は、素知らぬ振りして、ちゃっかり生活を営んでいる。旅行者などを、てんで黙殺している。佐渡は、生活しています。一言にして語ればそれだ。なんの興も無い。
 二時間ちかくバスにゆられて、相川に着いた。ここも、やはり房州あたりの漁村の感じである。道が白っぽく乾いている。そうして、素知らぬ振りして生活を営んでいる。少しも旅行者を迎えてくれない。鞄をかかえて、うろうろしているのが恥ずかしいくらいである。なぜ、佐渡へなど来たのだろう。その疑問が、再び胸に浮ぶ。何も無いのがわかっている。はじめから、わかっている事ではないか。それでも、とうとう相川までやって来た。いまは日本は、遊ぶ時では無い。それも、わかっている。見物(けんぶつ)というのは、之は、どういう心理なのだろう。先日読んだワッサーマンの「四十の男」という小説の中に、「彼が旅に出かけようと思ったのは、もとより定(きま)った用事のためではなかったとしても、兎(と)も角(かく)それは内心の衝動だったのだ。彼は、その衝動を抑制して旅に出なかった時には、自己に忠実でなかったように思う。自己を欺(あざむ)いたように思う。見なかった美しい山水や、失われた可能と希望との思いが彼を悩ます。よし現存の幸福が如何(いか)に大きくとも、この償い難き喪失の感情は彼に永遠の不安を与える。」というような文章があったけれども、そのしなかった悔いを噛(か)みたくないばかりに、のこのこ佐渡まで出かけて来たというわけのものかも知れぬ。佐渡には何も無い。あるべき筈はないという事は、なんぼ愚かな私にでも、わかっていた。けれども、来て見ないうちは、気がかりなのだ。見物(けんぶつ)の心理とは、そんなものではなかろうか。大袈裟に飛躍すれば、この人生でさえも、そんなものだと言えるかも知れない。見てしまった空虚、見なかった焦躁不安、それだけの連続で、三十歳四十歳五十歳と、精一ぱいあくせく暮して、死ぬるのではなかろうか。私は、もうそろそろ佐渡をあきらめた。明朝、出帆の船で帰ろうと思った。あれこれ考えながら、白く乾いた相川のまちを鞄かかえて歩いていたが、どうも我ながら形がつかぬ。白昼の相川のまちは、人ひとり通らぬ。まちは知らぬ振りをしている。何しに来た、という顔をしている。ひっそりという感じでもない。がらんとしている。ここは見物に来るところでない。まちは私に見むきもせず、自分だけの生活をさっさとしている。私は、のそのそ歩いている自分を、いよいよ恥ずかしく思った。
 出来れば、きょうすぐ東京へ帰りたかった。けれども、汽船の都合が悪い。明朝、八時に夷港から、おけさ丸が出る。それまで待たなければ、いけない。佐渡には、もう一つ、小木(おぎ)という町もある筈だ。けれども、小木までには、またバスで、三時間ちかくかかるらしい。もう、どこへも行きたくなかった。用事の無い旅行はするものでない。この相川で一泊する事にきめた。ここでは浜野屋という宿屋が、上等だと新潟の生徒から聞いて来た。せめて宿屋だけでも綺麗なところへ泊りたい。浜野屋は、すぐに見つかった。かなり大きい宿屋である。やはり、がらんとしていた。私は、三階の部屋に通された。障子をあけると、日本海が見える。少し水が濁っていた。
「お風呂へはいりたいのですが。」
「さあ、お風呂は、四時半からですけど。」
 この女中さんは、リアリストのようである。ひどく、よそよそしい。
「どこか、名所は無いだろうか。」
「さあ、」女中さんは私の袴(はかま)を畳みながら、「こんなに寒くなりましたから。」
「金山があるでしょう。」
「ええ、ことしの九月から誰にも中を見せない事になりました。お昼のお食事は、どういたしましょう。」
「たべません。夕食を早めにして下さい。」
 私は、どてらに着換え、宿を出て、それからただ歩いた。海岸へ行って見た。何の感慨も無い。山へ登った。金山の一部が見えた。ひどく小規模な感じがした。さらに山路を歩き、時々立ちどまって、日本海を望見した。ずんずん登った。寒くなって来た。いそいで下山した。また、まちを歩いた。やたらに土産物を買った。少しも気持が、はずまない。
 これでよいのかも知れぬ。私は、とうとう佐渡を見てしまったのだ。私は翌朝、五時に起きて電燈の下で朝めしを食べた。六時のバスに乗らなければならぬ。お膳(ぜん)には、料理が四、五品も附いていた。私は味噌汁と、おしんこだけで、ごはんを食べた。他の料理には、一さい箸をつけなかった。
「それは茶わんむしですよ。食べて行きなさい。」現実主義の女中さんは、母のような口調で言った。
「そうか。」私は茶わんむしの蓋(ふた)をとった。
 外は、まだ薄暗かった。私は宿屋の前に立ってバスを待った。ぞろぞろと黒い毛布を着た老若男女の列が通る。すべて無言で、せっせと私の眼前を歩いて行く。
「鉱山の人たちだね。」私は傍に立っている女中さんに小声で言った。
 女中さんは黙って首肯(うなず)いた。
(作者後記。旅館、料亭の名前は、すべて変名を用いた。)



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