お伽草紙
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著者名:太宰治 

「ええ、知らなかつたの?」
「うん。知らなかつた。この山に、そんな名前があるとは今日まで知らなかつたね。しかし、へんな名前だ。嘘ぢやないか?」
「あら、だつて、山にはみんな名前があるものでせう? あれが富士山だし、あれが長尾山だし、あれが大室山だし、みんなに名前があるぢやないの。だから、この山はカチカチ山つていふ名前なのよ。ね、ほら、カチ、カチつて音が聞える。」
「うん、聞える。しかし、へんだな。いままで、おれはいちども、この山でこんな音を聞いた事が無い。この山で生れて、三十何年かになるけれども、こんな、――」
「まあ! あなたは、もうそんな年なの? こなひだ私に十七だなんて教へたくせに、ひどいぢやないの。顔が皺くちやで、腰も少し曲つてゐるのに、十七とは、へんだと思つてゐたんだけど、それにしても、二十も年(とし)をかくしてゐるとは思はなかつたわ。それぢやあなたは、四十ちかいんでせう、まあ、ずいぶんね。」
「いや十七だ、十七。十七なんだ。おれがかう腰をかがめて歩くのは、決してとしのせゐぢやないんだ。おなかが空(す)いてゐるから、自然にこんな恰好になるんだ。三十何年、といふのは、あれは、おれの兄の事だよ。兄がいつも口癖のやうにさう言ふので、つい、おれも、うつかり、あんな事を口走つてしまつたんだ。つまり、ちよつと伝染したつてわけさ。そんなわけなんだよ、君。」狼狽のあまり、君といふ言葉を使つた。
「さうですか。」と兎は冷静に、「でも、あなたにお兄さんがあるなんて、はじめて聞いたわ。あなたはいつか私に、おれは淋しいんだ、孤独なんだよ、親も兄弟も無い、この孤独の淋しさが、お前、わからんかね、なんておつしやつてたぢやないの。あれは、どういふわけなの?」
「さう、さう、」と狸は、自分でも何を言つてゐるのか、わからなくなり、「まつたく世の中は、これでなかなか複雑なものだからねえ、そんなに一概には行かないよ。兄があつたり無かつたり。」
「まるで、意味が無いぢやないの。」と兎もさすがに呆れ果て、「めちや苦茶ね。」
「うん、実はね、兄はひとりあるんだ。これは言ふのもつらいが、飲んだくれのならず者でね、おれはもう恥づかしくて、面目なくて、生れて三十何年間、いや、兄がだよ、兄が生れて三十何年間といふもの、このおれに、迷惑のかけどほしさ。」
「それも、へんね。十七のひとが、三十何年間も迷惑をかけられたなんて。」
 狸は、もう聞えぬ振りして、
「世の中には、一口で言へない事が多いよ。いまぢやもう、おれのはうから、あれは無いものと思つて、勘当して、おや? へんだね、キナくさい。お前、なんともないか?」
「いいえ。」
「さうかね。」狸は、いつも臭いものを食べつけてゐるので、鼻には自信が無い。けげんな面持で頸(くび)をひねり、「気のせゐかなあ。あれあれ、何だか火が燃えてゐるやうな、パチパチボウボウつて音がするぢやないか。」
「それやその筈よ。ここは、パチパチのボウボウ山だもの。」
「嘘つけ。お前は、ついさつき、ここはカチカチ山だつて言つた癖に。」
「さうよ、同じ山でも、場所に依つて名前が違ふのよ。富士山の中腹にも小富士といふ山があるし、それから大室山だつて長尾山だつて、みんな富士山と続いてゐる山ぢやないの。知らなかつたの?」
「うん、知らなかつた。さうかなあ、ここがパチパチのボウボウ山とは、おれが三十何年間、いや、兄の話に依れば、ここはただの裏山だつたが、いや、これは、ばかに暖くなつて来た。地震でも起るんぢやねえだらうか。何だかけふは薄気味の悪い日だ。やあ、これは、ひどく暑い。きやあつ! あちちちち、ひでえ、あちちちち、助けてくれ、柴が燃えてる。あちちちち。」

 その翌る日、狸は自分の穴の奥にこもつて唸り、
「ああ、くるしい。いよいよ、おれも死ぬかも知れねえ。思へば、おれほど不仕合せな男は無い。なまなかに男振りが少し佳く生れて来たばかりに、女どもが、かへつて遠慮しておれに近寄らない。いつたいに、どうも、上品に見える男は損だ。おれを女ぎらひかと思つてゐるのかも知れねえ。なあに、おれだつて決して聖人ぢやない。女は好きさ。それだのに、女はおれを高邁な理想主義者だと思つてゐるらしく、なかなか誘惑してくれない。かうなればいつそ、大声で叫んで走り狂ひたい。おれは女が好きなんだ! あ、いてえ、いてえ。どうも、この火傷(やけど)といふものは始末がわるい。づきづき痛む。やつと狸汁から逃れたかと思ふと、こんどは、わけのわからねえボウボウ山とかいふのに足を踏み込んだのが、運のつきだ。あの山は、つまらねえ山であつた。柴がボウボウ燃え上るんだから、ひどい。三十何年、」と言ひかけて、あたりをぎよろりと見廻し、「何を隠さう、おれあことし三十七さ、へへん、わるいか、もう三年経てば四十だ、わかり切つた事だ、理の当然といふものだ、見ればわかるぢやないか。あいたたた、それにしても、おれが生れてから三十七年間、あの裏山で遊んで育つて来たのだが、つひぞいちども、あんなへんな目に遭つた事が無い。カチカチ山だの、ボウボウ山だの、名前からして妙に出来てる。はて、不思議だ。」とわれとわが頭を殴りつけて思案にくれた。
 その時、表で行商の呼売りの声がする。
「仙金膏はいかが。やけど、切傷、色黒に悩むかたはゐないか。」
 狸は、やけど切傷よりも、色黒と聞いてはつとした。
「おうい、仙金膏。」
「へえ、どちらさまで。」
「こつちだ、穴の奥だよ。色黒にもきくかね。」
「それはもう、一日で。」
「ほほう、」とよろこび、穴の奥からゐざり出て、「や! お前は、兎。」
「ええ、兎には違ひありませんが、私は男の薬売りです。ええ、もう三十何年間、この辺をかうして売り歩いてゐます。」
「ふう、」と狸は溜息をついて首をかしげ、「しかし、似た兎もあるものだ。三十何年間、さうか、お前がねえ。いや、歳月の話はよさう。糞面白くもない。しつつこいぢやないか。まあ、そんなわけのものさ。」としどろもどろのごまかし方をして、「ところで、おれにその薬を少しゆづつてくれないか。実はちよつと悩みのある身なのでな。」
「おや、ひどい火傷ですねえ。これは、いけない。ほつて置いたら、死にますよ。」
「いや、おれはいつそ死にてえ。こんな火傷なんかどうだつていいんだ。それよりも、おれは、いま、その、容貌の、――」
「何を言つていらつしやるんです。生死の境ぢやありませんか。やあ、背中が一ばんひどいですね。いつたい、これはどうしたのです。」
「それがねえ、」と狸は口をゆがめて、「パチパチのボウボウ山とかいふきざな名前の山に踏み込んだばつかりにねえ、いやもう、とんだ事になつてねえ、おどろきましたよ。」
 兎は思はず、くすくす笑つてしまつた。狸は、兎がなぜ笑つたのかわからなかつたが、とにかく自分も一緒に、あははと笑ひ、
「まつたくねえ。ばかばかしいつたらありやしないのさ。お前にも忠告して置きますがね、あの山へだけは行つちやいけないぜ。はじめ、カチカチ山といふのがあつて、それからいよいよパチパチのボウボウ山といふ事になるんだが、あいつあいけない。ひでえ事になつちやふ。まあ、いい加減に、カチカチ山あたりでごめんかうむつて来るんですな。へたにボウボウ山などに踏み込んだが最期、かくの如き始末だ。あいててて。いいですか。忠告しますよ。お前はまだ若いやうだから、おれのやうな年寄りの言は、いや、年寄りでもないが、とにかく、ばかにしないで、この友人の言だけは尊重して下さいよ。何せ、体験者の言なのだから。あいてててて。」
「ありがたうございます。気をつけませう。ところで、どうしませう、お薬は。御深切な忠告を聞かしていただいたお礼として、お薬代は頂戴いたしません。とにかく、その背中の火傷に塗つてあげませう。ちやうど折よく私が来合せたから、よかつたやうなものの、さうでもなかつたら、あなたはもう命を落すやうな事になつたかも知れないのです。これも何かのお導きでせう。縁ですね。」
「縁かも知れねえ。」と狸は低く呻くやうに言ひ、「ただなら塗つてもらはうか。おれもこのごろは貧乏でな、どうも、女に惚れると金がかかつていけねえ。ついでにその膏薬を一滴おれの手のひらに載せて見せてくれねえか。」
「どうなさるのです。」兎は、不安さうな顔になつた。
「いや、はあ、なんでもねえ。ただ、ちよつと見たいんだよ。どんな色合ひのものだかな。」
「色は別に他の膏薬とかはつてもゐませんよ。こんなものですが。」とほんの少量を、狸の差出す手のひらに載せてやる。
 狸は素早くそれを顔に塗らうとしたので兎は驚き、そんな事でこの薬の正体が暴露してはかなはぬと、狸の手を遮り、
「あ、それはいけません。顔に塗るには、その薬は少し強すぎます。とんでもない。」
「いや、放してくれ。」狸はいまは破れかぶれになり、「後生だから手を放せ。お前にはおれの気持がわからないんだ。おれはこの色黒のため生れて三十何年間、どのやうに味気ない思ひをして来たかわからない。放せ。手を放せ。後生だから塗らせてくれ。」
 つひに狸は足を挙げて兎を蹴飛ばし、眼にもとまらぬ早さで薬をぬたくり、
「少くともおれの顔は、目鼻立ちは決して悪くないと思ふんだ。ただ、この色黒のために気がひけてゐたんだ。もう大丈夫だ。うわつ! これは、ひどい。どうもひりひりする。強い薬だ。しかし、これくらゐの強い薬でなければ、おれの色黒はなほらないやうな気もする。わあ、ひどい。しかし、我慢するんだ。ちきしやうめ、こんどあいつが、おれと逢つた時、うつとりおれの顔に見とれて、うふふ、おれはもう、あいつが、恋わづらひしたつて知らないぞ。おれの責任ぢやないからな。ああ、ひりひりする。この薬は、たしかに効(き)く。さあ、もうかうなつたら、背中にでもどこにでも、からだ一面に塗つてくれ。おれは死んだつてかまはん。色白にさへなつたら死んだつてかまはんのだ。さあ塗つてくれ。遠慮なくべたべたと威勢よくやつてくれ。」まことに悲壮な光景になつて来た。
 けれども、美しく高ぶつた処女の残忍性には限りが無い。ほとんどそれは、悪魔に似てゐる。平然と立ち上つて、狸の火傷にれいの唐辛子(たうがらし)をねつたものをこつてりと塗る。狸はたちまち七転八倒して、
「ううむ、何ともない。この薬は、たしかに効く。わああ、ひどい。水をくれ。ここはどこだ。地獄か。かんにんしてくれ。おれは地獄へ落ちる覚えは無えんだ。おれは狸汁にされるのがいやだつたから、それで婆さんをやつつけたんだ。おれに、とがは無えのだ。おれは生れて三十何年間、色が黒いばつかりに、女にいちども、もてやしなかつたんだ。それから、おれは、食慾が、ああ、そのために、おれはどんなにきまりの悪い思ひをして来たか。誰も知りやしないのだ。おれは孤独だ。おれは善人だ。眼鼻立ちは悪くないと思ふんだ。」と苦しみのあまり哀れな譫言を口走り、やがてぐつたり失神の有様となる。

 しかし、狸の不幸は、まだ終らぬ。作者の私でさへ、書きながら溜息が出るくらゐだ。おそらく、日本の歴史に於いても、これほど不振の後半生を送つた者は、あまり例が無いやうに思はれる。狸汁の運命から逃れて、やれ嬉しやと思ふ間もなく、ボウボウ山で意味も無い大火傷をして九死に一生を得、這ふやうにしてどうやらわが巣にたどりつき、口をゆがめて呻吟してゐると、こんどはその大火傷に唐辛子をべたべた塗られ、苦痛のあまり失神し、さて、それからいよいよ泥舟に乗せられ、河口湖底に沈むのである。実に、何のいいところも無い。これもまた一種の女難にちがひ無からうが、しかし、それにしても、あまりに野暮な女難である。粋(いき)なところが、ひとつも無い。彼は穴の奥で三日間は虫の息で、生きてゐるのだか死んでゐるのだか、それこそ全く幽明の境をさまよひ、四日目に、猛烈の空腹感に襲はれ、杖をついて穴からよろばひ出て、何やらぶつぶつ言ひながら、かなたこなた食ひ捜して歩いてゐるその姿の気の毒さと来たら比類が無かつた。しかし、根が骨太(ほねぶと)の岩乗なからだであつたから、十日も経たぬうちに全快し、食慾は旧の如く旺盛で、色慾などもちよつと出て来て、よせばよいのに、またもや兎の庵にのこのこ出かける。
「遊びに来ましたよ。うふふ。」と、てれて、いやらしく笑ふ。
「あら!」と兎は言ひ、ひどく露骨にいやな顔をした。なあんだ、あなたなの? といふ気持、いや、それよりもひどい。なんだつてまたやつて来たの、図々しいぢやないの、といふ気持、いや、それよりもなほひどい。ああ、たまらない! 厄病神が来た! といふ気持、いや、それよりも、もつとひどい。きたない! くさい! 死んぢまへ! といふやうな極度の嫌悪が、その時の兎の顔にありありと見えてゐるのに、しかし、とかく招かれざる客といふものは、その訪問先の主人の、こんな憎悪感に気附く事はなはだ疎いものである。これは実に不思議な心理だ。読者諸君も気をつけるがよい。あそこの家へ行くのは、どうも大儀だ、窮屈だ、と思ひながら渋々出かけて行く時には、案外その家で君たちの来訪をしんから喜んでゐるものである。それに反して、ああ、あの家はなんて気持のよい家だらう、ほとんどわが家同然だ、いや、わが家以上に居心地がよい、我輩の唯一の憩(いこ)ひの巣だ、なんともあの家へ行くのは楽しみだ、などといい気分で出かける家に於いては、諸君は、まづたいてい迷惑がられ、きたながられ、恐怖せられ、襖の陰に箒など立てられてゐるものである。他人の家に、憩ひの巣を期待するのが、そもそも馬鹿者の証拠なのかも知れないが、とかくこの訪問といふ事に於いては、吾人は驚くべき思ひ違ひをしてゐるものである。格別の用事でも無い限り、どんな親しい身内の家にでも、矢鱈に訪問などすべきものでは無いかも知れない。作者のこの忠告を疑ふ者は、狸を見よ。狸はいま明らかに、このおそるべき錯誤を犯してゐるのだ。兎が、あら! と言ひ、さうして、いやな顔をしても、狸には一向に気がつかない。狸には、その、あら! といふ叫びも、狸の不意の訪問に驚き、かつは喜悦して、おのづから発せられた処女の無邪気な声の如くに思はれ、ぞくぞく嬉しく、また兎の眉をひそめた表情をも、これは自分の先日のボウボウ山の災難に、心を痛めてゐるのに違ひ無いと解し、
「や、ありがたう。」とお見舞ひも何も言はれぬくせに、こちらから御礼を述べ、「心配無用だよ。もう大丈夫だ。おれには神さまがついてゐるんだ。運がいいのだ。あんなボウボウ山なんて屁の河童さ。河童の肉は、うまいさうで。何とかして、そのうち食べてみようと思つてゐるんだがね。それは余談だが、しかし、あの時は、驚いたよ。何せどうも、たいへんな火勢だつたからね。お前のはうは、どうだつたね。べつに怪我も無い様子だが、よくあの火の中を無事で逃げて来られたね。」
「無事でもないわよ。」と兎はつんとすねて見せて、「あなたつたら、ひどいぢやないの。あのたいへんな火事場に、私ひとりを置いてどんどん逃げて行つてしまふんだもの。私は煙にむせて、もう少しで死ぬところだつたのよ。私は、あなたを恨んだわ。やつぱりあんな時に、つい本心といふものがあらはれるものらしいのね。私には、もう、あなたの本心といふものが、こんど、はつきりわかつたわ。」
「すまねえ。かんにんしてくれ。実はおれも、ひどい火傷をして、おれには、ひよつとしたら神さまも何もついてゐねえのかも知れない、さんざんの目に遭つちやつたんだ。お前はどうなつたか、決してそれを忘れてゐたわけぢやなかつたんだが、何せどうも、たちまちおれの背中が熱くなつて、お前を助けに行くひまも何も無かつたんだよ。わかつてくれねえかなあ。おれは決して不実な男ぢやねえのだ。火傷つてやつも、なかなか馬鹿にできねえものだぜ。それに、あの、仙金膏とか、疝気膏とか、あいつあ、いけない。いやもう、ひどい薬だ。色黒にも何もききやしない。」
「色黒?」
「いや、何。どろりとした黒い薬でね、こいつあ、強い薬なんだ。お前によく似た、小さい、奇妙な野郎が薬代は要らねえ、と言ふから、おれもつい、ものはためしだと思つて、塗つてもらふ事にしたのだが、いやはやどうも、ただの薬つてのも、あれはお前、気をつけたはうがいいぜ、油断も何もなりやしねえ、おれはもう頭のてつぺんからキリキリと小さい竜巻が立ち昇つたやうな気がして、どうとばかりに倒れたんだ。」
「ふん、」と兎は軽蔑し、「自業自得ぢやないの。ケチンボだから罰が当つたんだわ。ただの薬だから、ためしてみたなんて、よくもまあそんな下品な事を、恥づかしくもなく言へたものねえ。」
「ひでえ事を言ふ。」と狸は低い声で言ひ、けれども、別段何も感じないらしく、ただもう好きなひとの傍にゐるといふ幸福感にぬくぬくとあたたまつてゐる様子で、どつしりと腰を落ちつけ、死魚のやうに濁つた眼であたりを見廻し、小虫を拾つて食べたりしながら、「しかし、おれは運のいい男だなあ。どんな目に遭つても、死にやしない。神さまがついてゐるのかも知れねえ。お前も無事でよかつたが、おれも何といふ事もなく火傷がなほつて、かうしてまた二人でのんびり話が出来るんだものなあ。ああ、まるで夢のやうだ。」
 兎はもうさつきから、早く帰つてもらひたくてたまらなかつた。いやでいやで、死にさうな気持。何とかしてこの自分の庵の附近から去つてもらひたくて、またもや悪魔的の一計を案出する。
「ね、あなたはこの河口湖に、そりやおいしい鮒がうようよゐる事をご存じ?」
「知らねえ。ほんとかね。」と狸は、たちまち眼をかがやかして、「おれが三つの時、おふくろが鮒を一匹捕つて来ておれに食べさせてくれた事があつたけれども、あれはおいしい。おれはどうも、不器用といふわけではないが、決してさういふわけではないが、鮒なんて水の中のものを捕へる事が出来ねえので、どうも、あいつはおいしいといふ事だけは知つてゐながら、それ以来三十何年間、いや、はははは、つい兄の口真似をしちやつた。兄も鮒は好きでなあ。」
「さうですかね。」と兎は上の空で合槌を打ち、「私はどうも、鮒など食べたくもないけれど、でも、あなたがそんなにお好きなのならば、これから一緒に捕りに行つてあげてもいいわよ。」
「さうかい。」と狸はほくほくして、「でも、あの鮒つてやつは、素早いもんでなあ、おれはあいつを捕へようとして、も少しで土左衛門になりかけた事があるけれども、」とつい自分の過去の失態を告白し、「お前に何かいい方法があるのかね。」
「網で掬つたら、わけは無いわ。あの□□島(うがしま)の岸にこのごろとても大きい鮒が集つてゐるのよ。ね、行きませう。あなた、舟は? 漕げるの?」
「うむ、」幽かな溜息をついて、「漕げないことも無いがね。その気になりや、なあに。」と苦しい法螺を吹いた。
「漕げるの?」と兎は、それが法螺だといふ事を知つてゐながら、わざと信じた振りをして、「ぢや、ちやうどいいわ。私にはね、小さい舟が一艘あるけど、あんまり小さすぎて私たちふたりは乗れないの。それに何せ薄い板切れでいい加減に作つた舟だから、水がしみ込んで来て危いのよ。でも、私なんかどうなつたつて、あなたの身にもしもの事があつてはいけないから、あなたの舟をこれから、ふたりで一緒に力を合せて作りませうよ。板切れの舟は危いから、もつと岩乗に、泥をこねつて作りませうよ。」
「すまねえなあ。おれはもう、泣くぜ。泣かしてくれ。おれはどうしてこんなに涙もろいか。」と言つて嘘泣きをしながら、「ついでにお前ひとりで、その岩乗ないい舟を作つてくれないか。な、たのむよ。」と抜からず横着な申し出をして、「おれは恩に着るぜ。お前がそのおれの岩乗な舟を作つてくれてゐる間に、おれは、ちよつとお弁当をこさへよう。おれはきつと立派な炊事係りになれるだらうと思ふんだ。」
「さうね。」と兎は、この狸の勝手な意見をも信じた振りして素直に首肯く。さうして狸は、ああ世の中なんて甘いもんだとほくそ笑む。この間一髪に於いて、狸の悲運は決定せられた。自分の出鱈目を何でも信じてくれる者の胸中には、しばしば何かのおそるべき悪計が蔵せられてゐるものだと云ふ事を、迂愚の狸は知らなかつた。調子がいいぞ、とにやにやしてゐる。
 ふたりはそろつて湖畔に出る。白い河口湖には波ひとつ無い。兎はさつそく泥をこねて、所謂岩乗な、いい舟の製作にとりかかり、狸は、すまねえ、すまねえ、と言ひながらあちこち飛び廻つて専ら自分のお弁当の内容調合に腐心し、夕風が微かに吹き起つて湖面一ぱいに小さい波が立つて来た頃、粘土の小さい舟が、つやつやと鋼鉄色に輝いて進水した。
「ふむ、悪くない。」と狸は、はしやいで、石油鑵ぐらゐの大きさの、れいのお弁当箱をまづ舟に積み込み、「お前は、しかし、ずいぶん器用な娘だねえ。またたく間にこんな綺麗な舟一艘つくり上げてしまふのだからねえ。神技だ。」と歯の浮くやうな見え透いたお世辞を言ひ、このやうに器用な働き者を女房にしたら、或いはおれは、女房の働きに依つて遊んでゐながら贅沢ができるかも知れないなどと、色気のほかにいまはむらむら慾気さへ出て来て、いよいよこれは何としてもこの女にくつついて一生はなれぬ事だ、とひそかに覚悟のほぞを固めて、よいしよと泥の舟に乗り、「お前はきつと舟を漕ぐのも上手だらうねえ。おれだつて、舟の漕ぎ方くらゐ知らないわけでは、まさか、そんな、知らないと云ふわけでは決して無いんだが、けふはひとつ、わが女房のお手並を拝見したい。」いやに言葉遣ひが図々しくなつて来た。「おれも昔は、舟の漕ぎ方にかけては名人とか、または達者とか言はれたものだが、けふはまあ寝転んで拝見といふ事にしようかな。かまはないから、おれの舟の舳を、お前の舟の艫(とも)にゆはへ附けておくれ。舟も仲良くぴつたりくつついて、死なばもろとも、見捨てちやいやよ。」などといやらしく、きざつたらしい事を言つてぐつたり泥舟の底に寝そべる。
 兎は、舟をゆはへ附けよと言はれて、さてはこの馬鹿も何か感づいたかな? とぎよつとして狸の顔つきを盗み見たが、何の事は無い、狸は鼻の下を長くしてにやにや笑ひながら、もはや夢路をたどつてゐる。鮒がとれたら起してくれ。あいつあ、うめえからなあ。おれは三十七だよ。などと馬鹿な寝言を言つてゐる。兎は、ふんと笑つて狸の泥舟を兎の舟につないで、それから、櫂でぱちやと水の面を撃つ。するすると二艘の舟は岸を離れる。
 □□島(うがしま)の松林は夕陽を浴びて火事のやうだ。ここでちよつと作者は物識り振るが、この島の松林を写生して図案化したのが、煙草の「敷島」の箱に描かれてある、あれだといふ話だ。たしかな人から聞いたのだから、読者も信じて損は無からう。もつとも、いまはもう「敷島」なんて煙草は無くなつてゐるから、若い読者には何の興味も無い話である。つまらない知識を振りまはしたものだ。とかく識つたかぶりは、このやうな馬鹿らしい結果に終る。まあ、生れて三十何年以上にもなる読者だけが、ああ、あの松か、と芸者遊びの記憶なんかと一緒にぼんやり思ひ出して、つまらなさうな顔をするくらゐが関の山であらうか。
 さて兎は、その□□島の夕景をうつとり望見して、
「おお、いい景色。」と呟く。これは如何にも奇怪である。どんな極悪人でも、自分がこれから残虐の犯罪を行はうといふその直前に於いて、山水の美にうつとり見とれるほどの余裕なんて無いやうに思はれるが、しかし、この十六歳の美しい処女は、眼を細めて島の夕景を観賞してゐる。まことに無邪気と悪魔とは紙一重である。苦労を知らぬわがままな処女の、へどが出るやうな気障つたらしい姿態に対して、ああ青春は純真だ、なんて言つて垂涎してゐる男たちは、気をつけるがよい。その人たちの所謂「青春の純真」とかいふものは、しばしばこの兎の例に於けるが如く、その胸中に殺意と陶酔が隣合せて住んでゐても平然たる、何が何やらわからぬ官能のごちやまぜの乱舞である。危険この上ないビールの泡だ。皮膚感覚が倫理を覆つてゐる状態、これを低能あるいは悪魔といふ。ひところ世界中に流行したアメリカ映画、あれには、こんな所謂「純真」な雄や雌がたくさん出て来て、皮膚感触をもてあまして擽つたげにちよこまか、バネ仕掛けの如く動きまはつてゐた。別にこじつけるわけではないが、所謂「青春の純真」といふものの元祖は、或いは、アメリカあたりにあつたのではなからうかと思はれるくらゐだ。スキイでランラン、とかいふたぐひである。さうしてその裏で、ひどく愚劣な犯罪を平気で行つてゐる。低能でなければ悪魔である。いや、悪魔といふものは元来、低能なのかも知れない。小柄でほつそりして手足が華奢で、かの月の女神アルテミスにも比較せられた十六歳の処女の兎も、ここに於いて一挙に頗る興味索然たるつまらぬものになつてしまつた。低能かい。それぢやあ仕様が無いねえ。
「ひやあ!」と脚下に奇妙な声が起る。わが親愛なる而して甚だ純真ならざる三十七歳の男性、狸君の悲鳴である。「水だ、水だ。これはいかん。」
「うるさいわね。泥の舟だもの、どうせ沈むわ。わからなかつたの?」
「わからん。理解に苦しむ。筋道が立たぬ。それは御無理といふものだ。お前はまさかこのおれを、いや、まさか、そんな鬼のやうな、いや、まるでわからん。お前はおれの女房ぢやないか。やあ、沈む。少くとも沈むといふ事だけは眼前の真実だ。冗談にしたつて、あくどすぎる。これはほとんど暴力だ。やあ、沈む。おい、お前どうしてくれるんだ。お弁当がむだになるぢやないか。このお弁当箱には鼬の糞(ふん)でまぶした蚯蚓のマカロニなんか入つてゐるのだ。惜しいぢやないか。あつぷ! ああ、たうとう水を飲んぢやつた。おい、たのむ、ひとの悪い冗談はいい加減によせ。おいおい、その綱を切つちやいかん。死なばもろとも、夫婦は二世、切つても切れねえ縁(えにし)の艫綱(ともづな)、あ、いけねえ、切つちやつた。助けてくれ! おれは泳ぎが出来ねえのだ。白状する。昔は少し泳げたのだが、狸も三十七になると、あちこちの筋(すぢ)が固くなつて、とても泳げやしないのだ。白状する。おれは三十七なんだ。お前とは実際、としが違ひすぎるのだ。年寄りを大事にしろ! 敬老の心掛けを忘れるな! あつぷ! ああ、お前はいい子だ、な、いい子だから、そのお前の持つてゐる櫂をこつちへ差しのべておくれ、おれはそれにつかまつて、あいたたた、何をするんだ、痛いぢやないか、櫂でおれの頭を殴りやがつて、よし、さうか、わかつた! お前はおれを殺す気だな、それでわかつた。」と狸もその死の直前に到つて、はじめて兎の悪計を見抜いたが、既におそかつた。
 ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、
「あいたたた、あいたたた、ひどいぢやないか。おれは、お前にどんな悪い事をしたのだ。惚れたが悪いか。」と言つて、ぐつと沈んでそれつきり。
 兎は顔を拭いて、
「おお、ひどい汗。」と言つた。

 ところでこれは、好色の戒めとでもいふものであらうか。十六歳の美しい処女には近寄るなといふ深切な忠告を匂はせた滑稽物語でもあらうか。或いはまた、気にいつたからとて、あまりしつこくお伺ひしては、つひには極度に嫌悪せられ、殺害せられるほどのひどいめに遭ふから節度を守れ、といふ礼儀作法の教科書でもあらうか。
 或いはまた、道徳の善悪よりも、感覚の好き嫌ひに依つて世の中の人たちはその日常生活に於いて互ひに罵り、または罰し、または賞し、または服してゐるものだといふ事を暗示してゐる笑話であらうか。
 いやいや、そのやうに評論家的な結論に焦躁せずとも、狸の死ぬるいまはの際の一言にだけ留意して置いたら、いいのではあるまいか。
 曰く、惚れたが悪いか。
 古来、世界中の文芸の哀話の主題は、一にここにかかつてゐると言つても過言ではあるまい。女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでゐるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかつてあがいてゐる。作者の、それこそ三十何年来の、頗る不振の経歴に徴して見ても、それは明々白々であつた。おそらくは、また、君に於いても。後略。


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舌切雀

 私はこの「お伽草紙」といふ本を、日本の国難打開のために敢闘してゐる人々の寸暇に於ける慰労のささやかな玩具として恰好のものたらしむべく、このごろ常に微熱を発してゐる不完全のからだながら、命ぜられては奉公の用事に出勤したり、また自分の家の罹災の後始末やら何やらしながら、とにかく、そのひまに少しづつ書きすすめて来たのである。瘤取り、浦島さん、カチカチ山、その次に、桃太郎と、舌切雀を書いて、一応この「お伽草紙」を完結させようと私は思つてゐたのであるが、桃太郎のお話は、あれはもう、ぎりぎりに単純化せられて、日本男児の象徴のやうになつてゐて、物語といふよりは詩や歌の趣きさへ呈してゐる。もちろん私も当初に於いては、この桃太郎をも、私の物語に鋳造し直すつもりでゐた。すなはち私は、あの鬼ヶ島の鬼といふものに、或る種の憎むべき性格を附与してやらうと思つてゐた。どうしてもあれは、征伐せずには置けぬ醜怪極悪無類の人間として、描写するつもりであつた。それに依つて桃太郎の鬼征伐も大いに読者諸君の共鳴を呼び起し、而してその戦闘も読む者の手に汗を握らせるほどの真に危機一髪のものたらしめようとたくらんでゐた。(未だ書かぬ自分の作品の計画を語る場合に於いては、作者はたいていこのやうにあどけない法螺を吹くものである。そんなに、うまくは行きませぬて。)まあさ、とにかく、まあ、聞き給へ。どうせ、気焔だがね。とにかく、ひやかさずに聞いてくれ給へ。ギリシヤ神話に於いて、最も佞悪醜穢の魔物は、やはりあの万蛇頭のメデウサであらう。眉間には狐疑の深い皺がきざみ込まれ、小さい灰色の眼には浅間しい殺意が燃え、真蒼な頬は威嚇の怒りに震へて、黒ずんだ薄い唇は嫌悪と侮蔑にひきつつたやうにゆがんでゐる。さうして長い頭髪の一本一本がことごとく腹の赤い毒蛇である。敵に対してこの無数の毒蛇は、素早く一様に鎌首をもたげ、しゆつしゆつと気味悪い音を立てて手向ふ。このメデウサの姿をひとめ見た者は、何とも知れずいやな気持になつて、さうして、心臓が凍り、からだ全体つめたい石になつたといふ。恐怖といふよりは、不快感である。人の肉体よりも、人の心に害を加へる。このやうな魔物は、最も憎むべきものであり、かつまたすみやかに退治しなければならぬものである。それに較べると、日本の化物は単純で、さうして愛嬌がある。古寺の大入道や一本足の傘の化物などは、たいてい酒飲みの豪傑のために無邪気な舞ひをごらんに入れて以て豪傑の乙夜丑満の無聊を慰めてくれるだけのものである。また、絵本の鬼ヶ島の鬼たちも、図体ばかり大きくて、猿に鼻など引掻かれ、あつ! と言つてひつくりかへつて降参したりしてゐる。一向におそろしくも何とも無い。善良な性格のもののやうにさへ思はれる。それでは折角の鬼退治も、甚だ気抜けのした物語になるだらう。ここは、どうしてもメデウサの首以上の凄い、不愉快きはまる魔物を登場させなければならぬところだ。それでなければ読者の手に汗を握らせるわけにはいかぬ。また、征服者の桃太郎が、あまりに強くては、読者はかへつて鬼のはうを気の毒に思つたりなどして、その物語に危機一髪の醍醐味は湧いて出ない。ジイグフリイドほどの不死身(ふじみ)の大勇者でも、その肩先に一箇所の弱点を持つてゐたではないか。弁慶にも泣きどころがあつたといふし、とにかく、完璧の絶対の強者は、どうも物語には向かない。それに私は、自身が非力のせゐか、弱者の心理にはいささか通じてゐるつもりだが、どうも、強者の心理は、あまりつまびらかに知つてゐない。殊にも、誰にも絶対に負けぬ完璧の強者なんてのには、いま迄いちども逢つた事が無いし、また噂にさへ聞いた事が無い。私は多少でも自分で実際に経験した事で無ければ、一行も一字も書けない甚だ空想が貧弱の物語作家である。それで、この桃太郎物語を書くに当つても、そんな見た事も無い絶対不敗の豪傑を登場させるのは何としても不可能なのである。やはり、私の桃太郎は、小さい時から泣虫で、からだが弱くて、はにかみ屋で、さつぱり駄目な男だつたのだが、人の心情を破壊し、永遠の絶望と戦慄と怨嗟の地獄にたたき込む悪辣無類にして醜怪の妖鬼たちに接して、われ非力なりと雖もいまは黙視し得ずと敢然立つて、黍団子を腰に、かの妖鬼たちの巣窟に向つて発足する、とでもいふやうな事になりさうである。またあの、犬、猿、雉の三匹の家来も、決して模範的な助力者ではなく、それぞれに困つた癖があつて、たまには喧嘩もはじめるであらうし、ほとんどかの西遊記の悟空、八戒、悟浄の如きもののやうに書くかも知れない。しかし、私は、カチカチ山の次に、いよいよこの、「私の桃太郎」に取りかからうとして、突然、ひどく物憂い気持に襲はれたのである。せめて、桃太郎の物語一つだけは、このままの単純な形で残して置きたい。これは、もう物語ではない。昔から日本人全部に歌ひ継がれて来た日本の詩である。物語の筋にどんな矛盾があつたつて、かまはぬ。この詩の平明闊達の気分を、いまさら、いぢくり廻すのは、日本に対してすまぬ。いやしくも桃太郎は、日本一といふ旗を持つてゐる男である。日本一はおろか日本二も三も経験せぬ作者が、そんな日本一の快男子を描写できる筈が無い。私は桃太郎のあの「日本一」の旗を思ひ浮べるに及んで、潔く「私の桃太郎物語」の計画を放棄したのである。
 さうして、すぐつぎに舌切雀の物語を書き、それだけで一応、この「お伽草紙」を結びたいと思ひ直したわけである。この舌切雀にせよ、また前の瘤取り、浦島さん、カチカチ山、いづれも「日本一」の登場は無いので、私の責任も軽く、自由に書く事を得たのであるが、どうも、日本一と言ふ事になると、かりそめにもこの貴い国で第一と言ふ事になると、いくらお伽噺だからと言つても、出鱈目な書き方は許されまい。外国の人が見て、なんだ、これが日本一か、などと言つたら、その口惜しさはどんなだらう。だから、私はここにくどいくらゐに念を押して置きたいのだ。瘤取りの二老人も浦島さんも、またカチカチ山の狸さんも、決して日本一ではないんだぞ、桃太郎だけが日本一なんだぞ、さうしておれはその桃太郎を書かなかつたんだぞ、だから、この「お伽草紙」には、日本一なんか、もしお前の眼前に現はれたら、お前の両眼はまぶしさのためにつぶれるかも知れない。いいか、わかつたか。この私の「お伽草紙」に出て来る者は、日本一でも二でも三でも無いし、また、所謂「代表的人物」でも無い。これはただ、太宰といふ作家がその愚かな経験と貧弱な空想を以て創造した極めて凡庸の人物たちばかりである。これらの諸人物を以て、ただちに日本人の軽重を推計せんとするのは、それこそ刻舟求剣のしたり顔なる穿鑿に近い。私は日本を大事にしてゐる。それは言ふまでも無い事だが、それゆゑ、私は日本一の桃太郎を描写する事は避け、また、他の諸人物の決して日本一ではない所以をもくどくどと述べて来たのだ。読者もまた、私のこんなへんなこだはり方に大いに賛意を表して下さるのではあるまいか、と思はれる。
 さて、この舌切雀の主人公は、日本一どころか、逆に、日本で一ばん駄目な男と言つてよいかも知れぬ。だいいち、からだが弱い。からだの弱い男といふものは、足の悪い馬よりも、もつと世間的の価値が低いやうである。いつも力無い咳をして、さうして顔色も悪く、朝起きて部屋の障子にはたきを掛け、箒で塵を掃き出すと、もう、ぐつたりして、あとは、一日一ぱい机の傍で寝たり起きたり何やら蠢動して、夕食をすますと、すぐ自分でさつさと蒲団を引いて寝てしまふ。この男は、既に十数年来こんな情無い生活を続けてゐる。未だ四十歳にもならぬのだが、しかし、よほど前から自分の事を翁と署名し、また自分の家の者にも「お爺さん」と呼べと命令してゐる。まあ、世捨人とでも言ふべきものであらうか。しかし、世捨人だつて、お金が少しでもあるから、世を捨てられるので、一文無しのその日暮しだつたら、世を捨てようと思つたつて、世の中のはうから追ひかけて来て、とても捨て切れるものでない。この「お爺さん」も、いまはこんなささやかな草の庵を結んでゐるが、もとをただせば大金持の三男坊で、父母の期待にそむいて、これといふ職業も持たず、ぼんやり晴耕雨読などといふ生活をしてゐるうちに病気になつたりして、このごろは、父母をはじめ親戚一同も、これを病弱の馬鹿の困り者と称してあきらめ、月々の暮しに困らぬ小額の金を仕送りしてゐるといふやうな状態なのである。さればこそ、こんな世捨人みたいな生活も可能なのである。いかに、草の庵とはいへ、まあ、結構な身分と申さざるを得ないであらう。さうして、そんな結構な身分の者に限つて、あまりひとの役に立たぬものである。からだが弱いのは事実のやうであるが、しかし、寝てゐるほどの病人では無いのだから、何か一つくらゐ積極的仕事の出来ぬわけはない筈である。けれども、このお爺さんは何もしない。本だけは、ずいぶんたくさん読んでゐるやうだが、読み次第わすれて行くのか、自分の読んだ事を人に語つて知らせるといふわけでもない。ただ、ぼんやりしてゐる。これだけでも、既に世間的価値がゼロに近いのに、さらにこのお爺さんには子供が無い。結婚してもう十年以上にもなるのだが、未だ世継が無いのである。これでもう完全に彼は、世間人としての義務を何一つ果してゐない、といふ事になる。こんな張合の無い亭主に、よくもまあ十何年も連添うて来た細君といふのは、どんな女か、多少の興をそそられる。しかし、その草庵の垣根越しに、そつと覗いてみた者は、なあんだ、とがつかりさせられる。実に何とも、つまらない女だ。色がまつくろで、眼はぎよろりとして、手は皺だらけで大きく、その手をだらりと前にさげて少し腰をかがめていそがしげに庭を歩いてゐるさまを見ると、「お爺さん」よりも年上ではないかと思はれるくらゐである。しかし、今年三十三の厄年だといふ。このひとは、もと「お爺さん」の生家に召使はれてゐたのであるが、病弱のお爺さんの世話を受持たされて、いつしかその生涯を受持つやうになつてしまつたのである。無学である。
「さあ、下着類を皆、脱いでここへ出して下さい。洗ひます。」と強く命令するやうに言ふ。
「この次。」お爺さんは、机に頬杖をついて低く答へる。お爺さんは、いつも、ひどく低い声で言ふ。しかも、言葉の後半は、口の中で澱んで、ああ、とか、うう、とかいふやうにしか聞えない。連添うて十何年になるお婆さんにさへ、このお爺さんの言ふ事がよく聞きとれない。いはんや、他人に於いてをや。どうせ世捨人同然のひとなのだから、自分の言ふ事が他人にわかつたつて、わからなくたつてどうだつていいやうなものかも知れないが、定職にも就かず、読書はしても別段その知識でもつて著述などしようとする気配も見えず、さうして結婚後十数年経過してゐるのに一人の子供もまうけず、さうして、その上、日常の会話に於いてさへ、はつきり言ふ手数を省いて、後半を口の中でむにやむにや言つてすますとは、その骨惜しみと言はうか何と言はうか、とにかくその消極性は言語に絶するものがあるやうに思はれる。
「早く出して下さいよ。ほら、襦袢の襟なんか、油光りしてゐるぢやありませんか。」
「この次。」やはり半分は口の中で、ぼそりと言ふ。
「え? 何ですつて? わかるやうに言つて下さい。」
「この次。」と頬杖をついたまま、にこりともせずお婆さんの顔を、まじまじと見つめながら、こんどはやや明瞭に言ふ。「けふは寒い。」
「もう冬ですもの。けふだけぢやなく、あしたもあさつても寒いにきまつてゐます。」と子供を叱るやうな口調で言ひ、「そんな工合ひに家の中で、じつと炉傍に坐つてゐる人と、井戸端へ出て洗濯してゐる人と、どつちが寒いか知つてゐますか。」
「わからない。」と幽かに笑つて答へる。「お前の井戸端は習慣になつてゐるから。」
「冗談ぢやありません。」とお婆さんは顔をしかめて、「私だつて何も、洗濯をしに、この世に生れて来たわけぢやないんですよ。」
「さうかい。」と言つて、すましてゐる。
「さあ、早く脱いで寄こして下さいよ。代りの下着類はいつさいその押入の中にはひつてゐますから。」
「風邪をひく。」
「ぢやあ、よござんす。」いまいましさうに言ひ切つてお婆さんは退却する。
 ここは東北の仙台郊外、愛宕山の麓、広瀬川の急流に臨んだ大竹藪の中である。仙台地方には昔から、雀が多かつたのか、仙台笹とかいふ紋所には、雀が二羽図案化されてゐるし、また、芝居の先代萩には雀が千両役者以上の重要な役として登場するのは誰しもご存じの事と思ふ。また、昨年、私が仙台地方を旅行した時にも、その土地の一友人から仙台地方の古い童謡として次のやうな歌を紹介せられた。
カゴメ カゴメ
カゴノナカノ スズメ
イツ イツ デハル
 この歌は、しかし、仙台地方に限らず、日本全国の子供の遊び歌になつてゐるやうであるが、
カゴノナカノ スズメ
 と言つて、ことさらに籠の小鳥を雀と限定してゐるところ、また、デハルといふ東北の方言が何の不自然な感じも無く挿入せられてゐる点など、やはりこれは仙台地方の民謡と称しても大過ないのではなからうかと私には思はれた。
 このお爺さんの草庵の周囲の大竹藪にも、無数の雀が住んでゐて、朝夕、耳を聾せんばかりに騒ぎ立てる。この年の秋の終り、大竹藪に霰が爽やかな音を立てて走つてゐる朝、庭の土の上に、脚をくじいて仰向にあがいてゐる小雀をお爺さんは見つけ、黙つて拾つて、部屋の炉傍に置いて餌を与へ、雀は脚の怪我がなほつても、お爺さんの部屋で遊んで、たまに庭先へ飛び降りてみる事もあるが、またすぐ縁にあがつて来て、お爺さんの投げ与へる餌を啄み、糞をたれると、お婆さんは、
「あれ汚い。」と言つて追ひ、お爺さんは無言で立つて懐紙でその縁側の糞をていねいに拭き取る。日数の経つにつれて雀にも、甘えていい人と、さうでない人との見わけがついて来た様子で、家にお婆さんひとりしかゐない時には、庭先や軒下に避難し、さうしてお爺さんがあらはれると、すぐ飛んで来て、お爺さんの頭の上にちよんと停つたり、またお爺さんの机の上をはねまはり、硯の水をのどを幽かに鳴らして飲んだり、筆立の中に隠れたり、いろいろに戯れてお爺さんの勉強の邪魔をする。けれども、お爺さんはたいてい知らぬ振りをしてゐる。世にある愛禽家のやうに、わが愛禽にへんな気障つたらしい名前を附けて、
「ルミや、お前も淋しいかい。」などといふ事は言はない。雀がどこで何をしようと、全然無関心の様子を示してゐる。さうして時々、黙つてお勝手から餌を一握り持つて来て、ばらりと縁側に撒いてやる。
 その雀が、いまお婆さんの退場後に、はたはたと軒下から飛んで来て、お爺さんの頬杖ついてゐる机の端にちよんと停る。お爺さんは少しも表情を変へず、黙つて雀を見てゐる。このへんから、そろそろこの小雀の身の上に悲劇がはじまる。
 お爺さんは、しばらく経つてから一言、「さうか。」と言つた。それから深い溜息をついて、机上に本をひろげた。その書物のペエジを一、二枚繰つて、それからまた、頬杖をついてぼんやり前方を見ながら、「洗濯をするために生れて来たのではないと言ひやがる。あれでも、まだ、色気があると見える。」と呟いて、幽かに苦笑する。
 この時、突然、机上の小雀が人語を発した。
「あなたは、どうなの?」
 お爺さんは格別おどろかず、
「おれか、おれは、さうさな、本当の事を言ふために生れて来た。」
「でも、あなたは何も言ひやしないぢやないの。」
「世の中の人は皆、嘘つきだから、話を交すのがいやになつたのさ。みんな、嘘ばつかりついてゐる。さうしてさらに恐ろしい事は、その自分の嘘にご自身お気附きになつてゐない。」
「それは怠け者の言ひのがれよ。ちよつと学問なんかすると、誰でもそんな工合に横着な気取り方をしてみたくなるものらしいのね。あなたは、なんにもしてやしないぢやないの。寝てゐて人を起こすなかれ、といふ諺があつたわよ。人の事など言へるがらぢや無いわ。」
「それもさうだが、」とお爺さんはあわてず、「しかし、おれのやうな男もあつていいのだ。おれは何もしてゐないやうに見えるだらうが、まんざら、さうでもない。おれでなくちや出来ない事もある。おれの生きてゐる間、おれの真価の発揮できる時機が来るかどうかわからぬが、しかし、その時が来たら、おれだつて大いに働く。その時までは、まあ、沈黙して、読書だ。」
「どうだか。」と雀は小首を傾け、「意気地無しの陰弁慶に限つて、よくそんな負け惜しみの気焔を挙げるものだわ。廃残の御隠居、とでもいふのかしら、あなたのやうなよぼよぼの御老体は、かへらぬ昔の夢を、未来の希望と置きかへて、さうしてご自身を慰めてゐるんだわ。お気の毒みたいなものよ。そんなのは気焔にさへなつてやしない。変態の愚癡よ。だつて、あなたは、何もいい事をしてやしないんだもの。」
「さう言へば、まあ、そんなものかも知れないが、」と老人はいよいよ落ちついて、「しかし、おれだつて、いま立派に実行してゐる事が一つある。それは何かつて言へば、無慾といふ事だ。言ふは易くして、行ふは難いものだよ。うちのお婆さんなど、おれみたいな者ともう十何年も連添うて来たのだから、いい加減に世間の慾を捨ててゐるかと思つてゐたら、どうもさうでもないらしい。まだあれで、何か色気があるらしいんだね。それが可笑しくて、ついひとりで噴き出したやうな次第だ。」
 そこへ、ぬつとお婆さんが顔を出す。
「色気なんかありませんよ。おや? あなたは、誰と話をしてゐたのです。誰か、若い娘さんの声がしてゐましたがね。あのお客さんは、どこへいらつしやいました。」
「お客さんか。」お爺さんは、れいに依つて言葉を濁す。
「いいえ、あなたは今たしかに誰かと話をしてゐましたよ。それも私の悪口をね。まあ、どうでせう、私にものを言ふ時には、いつも口ごもつて聞きとれないやうな大儀さうな言ひ方ばかりする癖に、あの娘さんには、まるで人が変つたみたいにあんな若やいだ声を出して、たいへんごきげんさうに、おしやべりしていらしたぢやないの。あなたこそ、まだ色気がありますよ。ありすぎて、べたべたです。」
「さうかな。」とお爺さんは、ぼんやり答へて、「しかし、誰もゐやしない。」
「からかはないで下さい。」とお婆さんは本気に怒つてしまつた様子で、どさんと縁先に腰をおろし、「あなたはいつたいこの私を、何だと思つていらつしやるのです。私はずいぶん今までこらへて来ました。あなたはもう、てんで私を馬鹿にしてしまつてゐるのですもの。そりやもう私は、育ちもよくないし学問も無いし、あなたのお話相手が出来ないかも知れませんが、でも、あんまりですわ。私だつて、若い時からあなたのお家へ奉公にあがつてあなたのお世話をさせてもらつて、それがまあ、こんな事になつて、あなたの親御さんも、あれならばなかなかしつかり者だし、せがれと一緒にさせても、――」
「嘘ばかり。」
「おや、どこが嘘なのです。私が、どんな嘘をつきました。だつて、さうぢやありませんか。あの頃、あなたの気心を一ばんよく知つてゐたのは私ぢやありませんか。私でなくちや駄目だつたんです。だから私が、一生あなたのめんだうを見てあげる事になつたんぢやありませんか。どこが、どんな工合ひに嘘なのです。それを聞かして下さい。」と顔色を変へてつめ寄る。
「みんな嘘さ。あの頃の、お前の色気つたら無かつたぜ。それだけさ。」
「それは、いつたい、どんな意味です。私には、わかりやしません。馬鹿にしないで下さい。私はあなたの為を思つて、あなたと一緒になつたのですよ。色気も何もありやしません。あなたもずいぶん下品な事を言ひますね。ぜんたい私が、あなたのやうな人と一緒になつたばかりに、朝夕どんなに淋しい思ひをしてゐるか、あなたはご存じ無いのです。たまには、優しい言葉の一つも掛けてくれるものです。他の夫婦をごらんなさい。どんなに貧乏をしてゐても、夕食の時などには楽しさうに世間話をして笑ひ合つてゐるぢやありませんか。私は決して慾張り女ではないんです。あなたのためなら、どんな事でも忍んで見せます。ただ、時たま、あなたから優しい言葉の一つも掛けてもらへたら、私はそれで満足なのですよ。」
「つまらない事を言ふ。そらぞらしい。もういい加減あきらめてゐるかと思つたら、まだ、そんなきまりきつた泣き言を並べて、局面転換を計らうとしてゐる。だめですよ。お前の言ふ事なんざ、みんなごまかしだ。その時々の安易な気分本位だ。おれをこんな無口な男にさせたのは、お前です。夕食の時の世間話なんて、たいていは近所の人の品評ぢやないか。悪口ぢやないか。それも、れいの安易な気分本位で、やたらと人の陰口をきく。おれはいままで、お前が人をほめたのを聞いた事がない。おれだつて、弱い心を持つてゐる。お前にまきこまれて、つい人の品評をしたくなる。おれには、それがこはいのだ。だから、もう誰とも口をきくまいと思つた。お前たちには、ひとの悪いところばかり眼について、自分自身のおそろしさにまるで気がついてゐないのだからな。おれは、ひとがこはい。」
「わかりました。あなたは、私にあきたのでせう。こんな婆が、鼻について来たのでせう。私には、わかつてゐますよ。さつきのお客さんは、どうしました。どこに隠れてゐるのです。たしかに若い女の声でしたわね。あんな若いのが出来たら、私のやうな婆さんと話をするのがいやになるのも、もつともです。なんだい、無慾だの何だのと悟り顔なんかしてゐても、相手が若い女だと、すぐもうわくわくして、声まで変つて、ぺちやくちやとお喋りをはじめるのだからいやになります。」
「それなら、それでよい。」
「よかありませんよ。あのお客さんは、どこにゐるのです。私だつて、挨拶を申さなければ、お客さんに失礼ですよ。かう見えても、私はこの家の主婦ですからね、挨拶をさせて下さいよ。あんまり私を蹈みつけにしては、だめです。」
「これだ。」とお爺さんは、机上で遊んでゐる雀のはうを顎でしやくつて見せる。
「え? 冗談ぢやない。雀がものを言ひますか。」
「言ふ。しかも、なかなか気のきいた事を言ふ。」
「どこまでも、そんなに意地悪く私をからかふのですね。ぢやあ、よござんす。」矢庭に腕をのばして、机上の小雀をむずと掴み、「そんな気のきいた事を言はせないやうに、舌をむしり取つてしまひませう。あなたは、ふだんからどうもこの雀を可愛がりすぎます。私には、それがいやらしくて仕様が無かつたんですよ。ちやうどいい案配だ。あなたが、あの若い女のお客さんを逃がしてしまつたのなら、身代りにこの雀の舌を抜きます。いい気味だ。」掌中の雀の嘴をこじあけて、小さい菜の花びらほどの舌をきゆつとむしり取つた。
 雀は、はたはたと空高く飛び去る。
 お爺さんは、無言で雀の行方を眺めてゐる。
 さうして、その翌日から、お爺さんの大竹藪探索がはじまるわけである。
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
 毎日毎日、雪が降り続ける。それでもお爺さんは何かに憑かれたみたいに、深い大竹藪の中を捜しまはる。藪の中には、雀は千も万もゐる。その中から、舌を抜かれた小雀を捜し出すのは、至難の事のやうに思はれるが、しかし、お爺さんは異様な熱心さを以て、毎日毎日探索する。
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
 お爺さんにとつて、こんな、がむしやらな情熱を以て行動するのは、その生涯に於いて、いちども無かつたやうに見受けられた。お爺さんの胸中に眠らされてゐた何物かが、この時はじめて頭をもたげたやうにも見えるが、しかし、それは何であるか、筆者(太宰)にもわからない。自分の家にゐながら、他人の家にゐるやうな浮かない気分になつてゐるひとが、ふつと自分の一ばん気楽な性格に遭ひ、之を追ひ求める、恋、と言つてしまへば、それつきりであるが、しかし、一般にあつさり言はれてゐる心、恋、といふ言葉に依つてあらはされる心理よりは、このお爺さんの気持は、はるかに侘しいものであるかも知れない。お爺さんは夢中で探した。生れてはじめての執拗な積極性である。
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
 まさか、これを口に出して歌ひながら捜し歩いてゐたわけではない。しかし、風が自分の耳元にそのやうにひそひそ囁き、さうして、いつのまにやら自分の胸中に於いても、その変てこな歌ともお念仏ともつかぬ文句が一歩一歩竹藪の下の雪を蹈みわけて行くのと同時に湧いて出て、耳元の風の囁きと合致する、といふやうな工合ひなのである。
 或る夜、この仙台地方でも珍らしいほどの大雪があり、次の日はからりと晴れて、まぶしいくらゐの銀世界が現出し、お爺さんは、この朝早く、藁靴をはいて、相も変らず竹藪をさまよひ歩き、
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
 竹に積つた大きい雪のかたまりが、突然、どさりとお爺さんの頭上に落下し、打ちどころが悪かつたのかお爺さんは失神して雪の上に倒れる。夢幻の境のうちに、さまざまの声の囁きが聞えて来る。
「可愛さうに、たうとう死んでしまつたぢやないの。」
「なに、死にやしない。気が遠くなつただけだよ。」
「でも、かうしていつまでも雪の上に倒れてゐると、こごえて死んでしまふわよ。」
「それはさうだ。どうにかしなくちやいけない。困つた事になつた。こんな事にならないうちに、あの子が早く出て行つてやればよかつたのに。いつたい、あの子は、どうしたのだ。」
「お照さん?」
「さう、誰かにいたづらされて口に怪我をしたやうだが、あれから、さつぱりこのへんに姿を見せんぢやないか。」
「寝てゐるのよ。舌を抜かれてしまつたので、なんにも言へず、ただ、ぽろぽろ涙を流して泣いてゐるわよ。」
「さうか、舌を抜かれてしまつたのか。ひどい悪戯をするやつもあつたものだなあ。」
「ええ、それはね、このひとのおかみさんよ。悪いおかみさんではないんだけれど、あの日は虫のゐどころがへんだつたのでせう、いきなり、お照さんの舌をひきむしつてしまつたの。」
「お前、見てたのかい?」
「ええ、おそろしかつたわ。人間つて、あんな工合ひに出し抜けにむごい事をするものなのね。」
「やきもちだらう。おれもこのひとの家の事はよく知つてゐるけれど、どうもこのひとは、おかみさんを馬鹿にしすぎてゐたよ。おかみさんを可愛がりすぎるのも見ちやをられないものだが、あんなに無愛想なのもよろしくない。それをまたお照さんはいいことにして、いやにこの旦那といちやついてゐたからね。まあ、みんな悪い。ほつて置け。」
「あら、あなたこそ、やきもちを焼いてゐるんぢやない? あなたは、お照さんを好きだつたのでせう? 隠したつてだめよ。この大竹藪で一ばんの美声家はお照さんだつて、いつか溜息をついて言つてたぢやないの。」
「やきもちを焼くなんてそんな下品な事をするおれではない。が、しかし、少くともお前よりはお照のはうが声が佳くて、しかも美人だ。」
「ひどいわ。」
「喧嘩はおよし、つまらない。それよりも、このひとを、いつたいどうするの? ほつて置いたら死にますよ。可哀想に。どんなにお照さんに逢ひたいのか、毎日毎日この竹藪を捜して歩いて、さうしてたうとうこんな有様になつてしまつて、気の毒ぢやないの。このひとは、きつと、実(じつ)のあるひとだわ。」
「なに、ばかだよ。いいとしをして雀の子のあとを追ひ廻すなんて、呆れたばかだよ。」
「そんな事を言はないで、ね、逢はしてあげませうよ。お照さんだつて、このひとに逢ひたがつてゐるらしいわ。でも、もう舌を抜かれて口がきけないのだからねえ、このひとがお照さんを捜してゐるといふ事を言つて聞かせてあげても、藪のあの奥で寝たまま、ぽろぽろ涙を流してゐるばかりなのよ。このひとも可哀想だけれども、お照さんだつて、そりや可哀想よ。ね、あたしたちの力で何とかしてあげませうよ。」
「おれは、いやだ。おれはどうも色恋の沙汰には同情を持てないたちでねえ。」
「色恋ぢやないわ。あなたには、わからない。ね、みなさん、何とかして逢はせてあげたいものだわねえ。こんな事は、理窟ぢやないんですもの。」
「さうとも、さうとも。おれが引受けた。なに、わけはない。神さまにたのむんだ。理窟抜きで、なんとかして他の者のために尽してやりたいと思つた時には、神さまにたのむのが一ばんいいのだ。おれのおやぢがいつかさう言つて教へてくれた。そんな時には神さまは、どんな事でも叶へて下さるさうだ。まあ、みんな、ちよつとここで待つてゐてくれ。おれはこれから、鎮守の森の神さまにたのんで来るから。」
 お爺さんが、ふつと眼の覚めたところは、竹の柱の小綺麗な座敷である。起き上つてあたりを見廻してゐると、すつと襖があいて、身長二尺くらゐのお人形さんが出て来て、
「あら、おめざめ?」
「ああ、」とお爺さんは鷹揚に笑ひ、「ここはどこだらう。」
「すずめのお宿。」とそのお人形さんみたいな可愛い女の子が、お爺さんの前にお行儀よく坐り、まんまるい眼をぱちくりさせて答へる。
「さう。」とお爺さんは落ちついて首肯き、「お前は、それでは、あの、舌切雀?」
「いいえ、お照さんは奥の間で寝てゐます。私は、お鈴。お照さんとは一ばんの仲良し。」
「さうか。それでは、あの、舌を抜かれた小雀の名は、お照といふの?」
「ええ、とても優しい、いいかたよ。早く逢つておあげなさい。可哀想に口がきけなくなつて、毎日ぽろぽろ涙を流して泣いてゐます。」
「逢ひませう。」とお爺さんは立ち上り、「どこに寝てゐるのですか。」
「ご案内します。」お鈴さんは、はらりと長い袖を振つて立ち、縁側に出る。
 お爺さんは、青竹の狭い縁を滑らぬやうに、用心しながらそつと渡る。
「ここです、おはひり下さい。」
 お鈴さんに連れられて、奥の一間にはひる。あかるい部屋だ。庭には小さい笹が一めんに生え繁り、その笹の間を浅い清水が素早く流れてゐる。
 お照さんは小さい赤い絹布団を掛けて寝てゐた。お鈴さんよりも、さらに上品な美しいお人形さんで、少し顔色が青かつた。大きい眼でお爺さんの顔をじつと見つめて、さうして、ぽろぽろと涙を流した。
 お爺さんはその枕元にあぐらをかいて坐つて、何も言はず、庭を走り流れる清水を見てゐる。
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