お伽草紙
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著者名:太宰治 

「あ、鳴つた。」
 と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
 ムカシ ムカシノオ話ヨ
 などと、間(ま)の抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が□醸せられてゐるのである。


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瘤取り

ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
コブヲ モツテル オヂイサン
 このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
 と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
 お爺さんは浮かぬ顔になる。
 また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
 言はなくたつていい事である。
 お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合ひである。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
ヤマヘ ユキマス シバカリニ
 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
 と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
ニハカニ クラク ナリマシタ
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
アメモ ザアザア フリマシタ
 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
 と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚(うろ)になつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
ツカレガ デタカ オヂイサン
イツカ グツスリ ネムリマス
オヤマハ ハレテ クモモナク
アカルイ ツキヨニ ナリマシタ
 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚(うろ)から飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
 と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚(うろ)から這ひ出ると、
オヤ ナンデセウ サワグコヱ
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
 といふ事になるのである。
 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
 お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚(うろ)から出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
ヲドリノ スキナ オヂイサン
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
トテモ ヲカシイ オモシロイ
 お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
むすめ島田で年寄りやかつらぢや
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
 とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
 とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
オニドモ タイソウ ヨロコンデ
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
ダイジナ モノヲ アヅカラウ
 と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
 お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
アサデス ツユノ ヒカルミチ
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
 瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得(とく)、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
 家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
 結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目(いちもく)置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに美人でもないが色白くぽつちやりして、少し蓮葉なくらゐいつも陽気に笑つてはしやいでゐる。十二、三の娘がひとりあつて、これはなかなかの美少女であるが、性質はいくらか生意気の傾向がある。でも、この母と娘は気が合つて、いつも何かと笑ひ騒ぎ、そのために、この家庭は、お旦那の苦虫を噛みつぶしたやうな表情にもかかはらず、まづ明るい印象を人に与へる。
「お母さん。お父さんの瘤は、どうしてそんなに赤いのかしら。蛸の頭みたいね。」と生意気な娘は、無遠慮に率直な感想を述べる。母は叱りもせず、ほほほと笑ひ、
「さうね、でも、木魚(もくぎよ)を頬ぺたに吊してゐるやうにも見えるわね。」
「うるさい!」と旦那は怒り、ぎよろりと妻子を睨んですつくと立ち上り、奥の薄暗い部屋に退却して、そつと鏡を覗き、がつかりして、
「これは、駄目だ。」と呟く。
 いつそもう、小刀で切つて落さうか、死んだつていい、とまで思ひつめた時に、近所のあの酒飲みのお爺さんの瘤が、このごろふつと無くなつたといふ噂を小耳にはさむ。暮夜ひそかに、お旦那は、酒飲み爺さんの草屋を訪れ、さうしてあの、月下の不思議な宴の話を明かしてもらつた。
キイテ タイソウ ヨロコンデ
「ヨシヨシ ワタシモ コノコブヲ
ゼヒトモ トツテ モラヒマセウ」
 と勇み立つ。さいはひその夜も月が出てゐた。お旦那は、出陣の武士の如く、眼光炯々、口をへの字型にぎゆつと引き結び、いかにしても今宵は、天晴れの舞ひを一さし舞ひ、その鬼どもを感服せしめ、もし万一、感服せずば、この鉄扇にて皆殺しにしてやらう、たかが酒くらひの愚かな鬼ども、何程の事があらうや、と鬼に踊りを見せに行くのだか、鬼退治に行くのだか、何が何やら、ひどい意気込みで鉄扇右手に、肩いからして剣山の奥深く踏み入る。このやうに、所謂「傑作意識」にこりかたまつた人の行ふ芸事は、とかくまづく出来上るものである。このお爺さんの踊りも、あまりにどうも意気込みがひどすぎて、遂に完全の失敗に終つた。お爺さんは、鬼どもの酒宴の円陣のまんなかに恭々粛々と歩を運び、
「ふつつかながら。」と会釈し、鉄扇はらりと開き、屹つと月を見上げて、大樹の如く凝然と動かず。しばらく経つて、とんと軽く足踏みして、おもむろに呻き出すは、
「是は阿波の鳴門に一夏(いちげ)を送る僧にて候。さても此浦は平家の一門果て給ひたる所なれば痛はしく存じ、毎夜此磯辺に出でて御経を読み奉り候。磯山に、暫し岩根のまつ程に、暫し岩根のまつ程に、誰が夜舟とは白波に、楫音ばかり鳴門の、浦静かなる今宵かな、浦静かなる今宵かな。きのふ過ぎ、けふと暮れ、明日またかくこそ有るべけれ。」そろりとわづかに動いて、またも屹つと月を見上げて端凝たり。
オニドモ ヘイコウ
ジユンジユンニ タツテ ニゲマス
ヤマオクヘ
「待つて下さい!」とお旦那は悲痛の声を挙げて鬼の後を追ひ、「いま逃げられては、たまりません。」
「逃げろ、逃げろ。鍾馗かも知れねえ。」
「いいえ、鍾馗ではございません。」とお旦那も、ここは必死で追ひすがり、「お願ひがございます。この瘤を、どうか、どうかとつて下さいまし。」
「何、瘤?」鬼はうろたへてゐるので聞き違ひ、「なんだ、さうか、あれは、こなひだの爺さんからあづかつてゐる大事の品だが、しかし、お前さんがそんなに欲しいならやつてもいい。とにかく、あの踊りは勘弁してくれ。せつかくの酔ひが醒める。たのむ。放してくれ。これからまた、別なところへ行つて飲み直さなくちやいけねえ。たのむ。たのむから放せ。おい、誰か、この変な人に、こなひだの瘤をかへしてやつてくれ。欲しいんださうだ。」
オニハ コナヒダ アヅカツタ
コブヲ ツケマス ミギノ ホホ
オヤオヤ トウトウ コブ フタツ
ブランブラント オモタイナ
ハヅカシサウニ オヂイサン
ムラヘ カヘツテ ユキマシタ
 実に、気の毒な結果になつたものだ。お伽噺に於いては、たいてい、悪い事をした人が悪い報いを受けるといふ結末になるものだが、しかし、このお爺さんは別に悪事を働いたといふわけではない。緊張のあまり、踊りがへんてこな形になつたといふだけの事ではないか。それかと言つて、このお爺さんの家庭にも、これといふ悪人はゐなかつた。また、あのお酒飲みのお爺さんも、また、その家族も、または、剣山に住む鬼どもだつて、少しも悪い事はしてゐない。つまり、この物語には所謂「不正」の事件は、一つも無かつたのに、それでも不幸な人が出てしまつたのである。それゆゑ、この瘤取り物語から、日常倫理の教訓を抽出しようとすると、たいへんややこしい事になつて来るのである。それでは一体、何のつもりでお前はこの物語を書いたのだ、と短気な読者が、もし私に詰寄つて質問したなら、私はそれに対してかうでも答へて置くより他はなからう。
 性格の悲喜劇といふものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れてゐます。


[#改頁]



浦島さん

 浦島太郎といふ人は、丹後の水江(みづのえ)とかいふところに実在してゐたやうである。丹後といへば、いまの京都府の北部である。あの北海岸の某寒村に、いまもなほ、太郎をまつつた神社があるとかいふ話を聞いた事がある。私はその辺に行つてみた事が無いけれども、人の話に依ると、何だかひどく荒涼たる海浜らしい。そこにわが浦島太郎が住んでゐた。もちろん、ひとり暮しをしてゐたわけではない。父も母もある。弟も妹もある。また、おほぜいの召使ひもゐる。つまり、この海岸で有名な、旧家の長男であつたわけである。旧家の長男といふものには、昔も今も一貫した或る特徴があるやうだ。趣味性、すなはち、之である。善く言へば、風流。悪く言へば、道楽。しかし、道楽とは言つても、女狂ひや酒びたりの所謂、放蕩とは大いに趣きを異にしてゐる。下品にがぶがぶ大酒を飲んで素性の悪い女にひつかかり、親兄弟の顔に泥を塗るといふやうな荒(すさ)んだ放蕩者は、次男、三男に多く見掛けられるやうである。長男にはそんな野蛮性が無い。先祖伝来の所謂恒産があるものだから、おのづから恒心も生じて、なかなか礼儀正しいものである。つまり、長男の道楽は、次男三男の酒乱の如くムキなものではなく、ほんの片手間の遊びである。さうして、その遊びに依つて、旧家の長男にふさはしいゆかしさを人に認めてもらひ、みづからもその生活の品位にうつとりする事が出来たら、それでもうすべて満足なのである。
「兄さんには冒険心が無いから、駄目ね。」とことし十六のお転婆の妹が言ふ。「ケチだわ。」
「いや、さうぢやない。」と十八の乱暴者の弟が反対して、「男振りがよすぎるんだよ。」
 この弟は、色が黒くて、ぶをとこである。
 浦島太郎は、弟妹たちのそんな無遠慮な批評を聞いても、別に怒りもせず、ただ苦笑して、
「好奇心を爆発させるのも冒険、また、好奇心を抑制するのも、やつぱり冒険、どちらも危険さ。人には、宿命といふものがあるんだよ。」と何の事やら、わけのわからんやうな事を悟り澄ましたみたいな口調で言ひ、両腕をうしろに組み、ひとり家を出て、あちらこちら海岸を逍遥し、
苅薦(かりごも)の
乱れ出づ
見ゆ
海人(あま)の釣船
 などと、れいの風流めいた詩句の断片を口ずさみ、
「人は、なぜお互ひ批評し合はなければ、生きて行けないのだらう。」といふ素朴の疑問に就いて鷹揚に首を振つて考へ、「砂浜の萩の花も、這ひ寄る小蟹も、入江に休む鴈も、何もこの私を批評しない。人間も、須くかくあるべきだ。人おのおの、生きる流儀を持つてゐる。その流儀を、お互ひ尊敬し合つて行く事が出来ぬものか。誰にも迷惑をかけないやうに努めて上品な暮しをしてゐるのに、それでも人は、何のかのと言ふ。うるさいものだ。」と幽かな溜息をつく。
「もし、もし、浦島さん。」とその時、足許で小さい声。
 これが、れいの問題の亀である。別段、物識り振るわけではないが、亀にもいろいろの種類がある。淡水に住むものと、鹹水に住むものとは、おのづからその形状も異つてゐるやうだ。弁天様の池畔などで、ぐつたり寝そべつて甲羅を干してゐるのは、あれは、いしがめとでもいふのであらうか、絵本には時々、浦島さんが、あの石亀の背に乗つて小手をかざし、はるか竜宮を眺めてゐる絵があるやうだが、あんな亀は、海へ這入つたとたんに鹹水にむせて頓死するだらう。しかし、お祝言の時などの島台の、れいの蓬莱山、尉姥の身辺に鶴と一緒に侍つて、鶴は千年、亀は万年とか言はれて目出度がられてゐるのは、どうやらこの石亀のやうで、すつぽん、たいまいなどのゐる島台はあまり見かけられない。それゆゑ、絵本の画伯もつい、(蓬莱も竜宮も、同じ様な場所なんだから)浦島さんの案内役も、この石亀に違ひないと思ひ込むのも無理のない事である。しかしどうも、あの爪の生えたぶざいくな手で水を掻き、海底深くもぐつて行くのは、不自然のやうに思はれる。ここはどうしても、たいまいの手のやうな広い鰭状の手で悠々と水を掻きわけてもらはなくてはならぬところだ。しかしまた、いや決して物識り振るわけではないが、ここにもう一つ困つた問題がある。たいまいの産地は、本邦では、小笠原、琉球、台湾などの南の諸地方だといふ話を聞いてゐる。丹後の北海岸、すなはち日本海のあの辺の浜には、たいまいは、遺憾ながら這ひ上つて来さうも無い。それでは、いつそ浦島さんを小笠原か、琉球のひとにしようかとも思つたが、しかし、浦島さんは昔から丹後の水江の人ときまつてゐるらしく、その上、丹後の北海岸には浦島神社が現存してゐるやうだから、いかにお伽噺は絵空事(ゑそらごと)ときまつてゐるとは言へ、日本の歴史を尊重するといふ理由からでも、そんなあまりの軽々しい出鱈目は許されない。どうしても、これは、小笠原か琉球のたいまいに、日本海までおいでになつてもらはなければならぬ。しかしまた、それは困る、と生物学者のはうから抗議が出て、とかく文学者といふものには科学精神が欠如してゐる、などと軽蔑せられるのも不本意である。そこで、私は考へた。たいまいの他に、掌の鰭状を為してゐる鹹水産の亀は、無いものか。赤海亀、とかいふものが無かつたか。十年ほど前、(私も、としをとつたものだ)沼津の海浜の宿で一夏を送つた事があつたけれども、あの時、あの浜に、甲羅の直径五尺ちかい海亀があがつたといつて、漁師たちが騒いで、私もたしかにこの眼で見た。赤海亀、といふ名前だつたと記憶する。あれだ。あれにしよう。沼津の浜にあがつたのならば、まあ、ぐるりと日本海のはうにまはつて、丹後の浜においでになつてもらつても、そんなに生物学界の大騒ぎにはなるまいだらうと思はれる。それでも潮流がどうのかうのとか言つて騒ぐのだつたら、もう、私は知らぬ。その、おいでになるわけのない場所に出現したのが、不思議さ、ただの海亀ではあるまい、と言つて澄ます事にしよう。科学精神とかいふものも、あんまり、あてになるものぢやないんだ。定理、公理も仮説ぢやないか。威張つちやいけねえ。ところで、その赤海亀は、(赤海亀といふ名は、ながつたらしくて舌にもつれるから、以下、単に亀と呼称する)頸を伸ばして浦島さんを見上げ、
「もし、もし。」と呼び、「無理もねえよ。わかるさ。」と言つた。浦島は驚き、
「なんだ、お前。こなひだ助けてやつた亀ではないか。まだ、こんなところに、うろついてゐたのか。」
 これがつまり、子供のなぶる亀を見て、浦島さんは可哀想にと言つて買ひとり海へ放してやつたといふ、あの亀なのである。
「うろついてゐたのか、とは情無い。恨むぜ、若旦那。私は、かう見えても、あなたに御恩がへしをしたくて、あれから毎日毎晩、この浜へ来て若旦那のおいでを待つてゐたのだ。」
「それは、浅慮といふものだ。或いは、無謀とも言へるかも知れない。また子供たちに見つかつたら、どうする。こんどは、生きては帰られまい。」
「気取つてゐやがる。また捕まへられたら、また若旦那に買つてもらふつもりさ。浅慮で悪うござんしたね。私は、どうしたつて若旦那に、もう一度お目にかかりたかつたんだから仕様がねえ。この仕様がねえ、といふところが惚れた弱味よ。心意気を買つてくんな。」
 浦島は苦笑して、
「身勝手な奴だ。」と呟く。亀は聞きとがめて、
「なあんだ、若旦那。自家撞着してゐますぜ。さつきご自分で批評がきらひだなんておつしやつてた癖に、ご自分では、私の事を浅慮だの無謀だの、こんどは身勝手だの、さかんに批評してやがるぢやないか。若旦那こそ身勝手だ。私には私の生きる流儀があるんですからね。ちつとは、みとめて下さいよ。」と見事に逆襲した。
 浦島は赤面し、
「私のは批評ではない、これは、訓戒といふものだ。諷諫、といつてもよからう。諷諫、耳に逆ふもその行を利す、といふわけのものだ。」ともつともらしい事を言つてごまかした。
「気取らなけれあ、いい人なんだが。」と亀は小声で言ひ、「いや、もう私は、何も言はん。私のこの甲羅の上に腰かけて下さい。」
 浦島は呆れ、
「お前は、まあ、何を言ひ出すのです。私はそんな野蛮な事はきらひです。亀の甲羅に腰かけるなどは、それは狂態と言つてよからう。決して風流の仕草ではない。」
「どうだつていいぢやないか、そんな事は。こつちは、先日のお礼として、これから竜宮城へ御案内しようとしてゐるだけだ。さあ早く私の甲羅に乗つて下さい。」
「何、竜宮?」と言つて噴き出し、「おふざけでない。お前はお酒でも飲んで酔つてゐるのだらう。とんでもない事を言ひ出す。竜宮といふのは昔から、歌に詠まれ、また神仙譚として伝へられてゐますが、あれはこの世には無いもの、ね、わかりますか? あれは、古来、私たち風流人の美しい夢、あこがれ、と言つてもいいでせう。」上品すぎて、少しきざな口調になつた。
 こんどは亀のはうで噴き出して、
「たまらねえ。風流の講釈は、あとでゆつくり伺ひますから、まあ、私の言ふ事を信じてとにかく私の甲羅に乗つて下さい。あなたはどうも冒険の味を知らないからいけない。」
「おや、お前もやつぱり、うちの妹と同じ様な失礼な事を言ふね。いかにも私は、冒険といふものはあまり好きでない。たとへば、あれは、曲芸のやうなものだ。派手なやうでも、やはり下品(げぼん)だ。邪道、と言つていいかも知れない。宿命に対する諦観が無い。伝統に就いての教養が無い。めくら蛇におぢず、とでもいふやうな形だ。私ども正統の風流の士のいたく顰蹙するところのものだ。軽蔑してゐる、と言つていいかも知れない。私は先人のおだやかな道を、まつすぐに歩いて行きたい。」
「ぷ!」と亀はまた噴き出し、「その先人の道こそ、冒険の道ぢやありませんか。いや、冒険なんて下手な言葉を使ふから何か血なまぐさくて不衛生な無頼漢みたいな感じがして来るけれども、信じる力とでも言ひ直したらどうでせう。あの谷の向う側にたしかに美しい花が咲いてゐると信じ得た人だけが、何の躊躇もなく藤蔓にすがつて向う側に渡つて行きます。それを人は曲芸かと思つて、或いは喝采し、或いは何の人気取りめがと顰蹙します。しかし、それは絶対に曲芸師の綱渡りとは違つてゐるのです。藤蔓にすがつて谷を渡つてゐる人は、ただ向う側の花を見たいだけなのです。自分がいま冒険をしてゐるなんて、そんな卑俗な見栄みたいなものは持つてやしないんです。なんの冒険が自慢になるものですか。ばかばかしい。信じてゐるのです。花のある事を信じ切つてゐるのです。そんな姿を、まあ、仮に冒険と呼んでゐるだけです。あなたに冒険心が無いといふのは、あなたには信じる能力が無いといふ事です。信じる事は、下品(げぼん)ですか。信じる事は、邪道ですか。どうも、あなたがた紳士は、信じない事を誇りにして生きてゐるのだから、しまつが悪いや。それはね、頭のよさぢやないんですよ。もつと卑しいものなのですよ。吝嗇といふものです。損をしたくないといふ事ばかり考へてゐる証拠ですよ。御安心なさい。誰も、あなたに、ものをねだりやしませんよ。人の深切をさへ、あなたたちは素直に受取る事を知らないんだからなあ。あとのお返しが大変だ、なんてね。いや、どうも、風流の士なんてのは、ケチなもんだ。」
「ひどい事を言ふ。妹や弟にさんざん言はれて、浜へ出ると、こんどは助けてやつた亀にまで同じ様な失敬な批評を加へられる。どうも、われとわが身に伝統の誇りを自覚してゐない奴は、好き勝手な事を言ふものだ。一種のヤケと言つてよからう。私には何でもよくわかつてゐるのだ。私の口から言ふべき事では無いが、お前たちの宿命と私の宿命には、たいへんな階級の差がある。生れた時から、もう違つてゐるのだ。私のせゐではない。それは天から与へられたものだ。しかし、お前たちには、それがよつぽど口惜(くや)しいらしい。何のかのと言つて、私の宿命をお前たちの宿命にまで引下さうとしてゐるが、しかし、天の配剤、人事の及ばざるところさ。お前は私を竜宮へ連れて行くなどと大法螺を吹いて、私と対等の附合ひをしようとたくらんでゐるらしいが、もういい、私には何もかもよくわかつてゐるのだから、あまり悪あがきしないでさつさと海の底のお前の住居へ帰れ。なんだ、せつかく私が助けてやつたのに、また子供たちに捕まつたら何にもならぬ。お前たちこそ、人の深切を素直に受け取る法を知らぬ。」
「えへへ、」と亀は不敵に笑ひ、「せつかく助けてやつたは恐れいる。紳士は、これだから、いやさ。自分がひとに深切を施すのは、たいへんの美徳で、さうして内心いささか報恩などを期待してゐるくせに、ひとの深切には、いやもうひどい警戒で、あいつと対等の附合ひになつてはかなはぬなどと考へてゐるんだから、げつそりしますよ。それぢや私だつて言ひますが、あなたが私を助けてくれたのは、私が亀で、さうして、いぢめてゐる相手は子供だつたからでせう。亀と子供ぢやあ、その間にはひつて仲裁しても、あとくされがありませんからね。それに、子供たちには、五文のお金でも大金ですからね。しかし、まあ、五文とは値切つたものだ。私は、も少し出すかと思つた。あなたのケチには、呆れましたよ。私のからだの値段が、たつた五文かと思つたら、私は情無かつたね。それにしてもあの時、相手が亀と子供だつたから、あなたは五文でも出して仲裁したんだ。まあ、気まぐれだね。しかし、あの時の相手が亀と子供でなく、まあ、たとへば荒くれた漁師が病気の乞食をいぢめてゐたのだつたら、あなたは五文はおろか、一文だつて出さず、いや、ただ顔をしかめて急ぎ足で通り過ぎたに違ひないんだ。あなたたちは、人生の切実の姿を見せつけられるのを、とても、いやがるからね。それこそ御自身の高級な宿命に、糞尿を浴びせられたやうな気がするらしい。あなたたちの深切は、遊びだ。享楽だ。亀だから助けたんだ。子供だからお金をやつたんだ。荒くれた漁師と病気の乞食の場合は、まつぴらなんだ。実生活の生臭い風にお顔を撫でられるのが、とてもとても、いやなんだ。お手を、よごすのがいやなのさ。なんてね、こんなのを、聞いたふうの事、と言ふんですよ、浦島さん。あなたは怒りやしませんね。だつて、私はあなたを好きなんだもの、いや、怒るかな? あなたのやうに上流の宿命を持つてゐるお方たちは、私たち下賤のものに好かれる事をさへ不名誉だと思つてゐるらしいのだから始末がわるい。殊に私は亀なんだからな。亀に好かれたんぢやあ気味がわるいか、しかし、まあ勘弁して下さいよ、好き嫌ひは理窟ぢや無いんだ。あなたに助けられたから好きといふわけでも無いし、あなたが風流人だから好きといふのでも無い。ただ、ふつと好きなんだ。好きだから、あなたの悪口を言つて、あなたをからかつてみたくなるんだ。これがつまり私たち爬虫類の愛情の表現の仕方なのさ。どうもね、爬虫類だからね、蛇の親類なんだからね、信用のないのも無理がねえよ。しかし私は、エデンの園の蛇ぢやない、はばかりながら日本の亀だ。あなたに竜宮行きをそそのかして堕落させようなんて、たくらんでゐるんぢやねえのだ。心意気を買つてくんな。私はただ、あなたと一緒に遊びたいのだ。竜宮へ行つて遊びたいのだ。あの国には、うるさい批評なんか無いのだ。みんな、のんびり暮してゐるよ。だから、遊ぶにはもつて来いのところなんだ。私は陸にもかうして上つて来れるし、また海の底へも、もぐつて行けるから、両方の暮しを比較して眺める事が出来るのだが、どうも、陸上の生活は騒がしい。お互ひ批評が多すぎるよ。陸上生活の会話の全部が、人の悪口か、でなければ自分の広告だ。うんざりするよ。私もちよいちよいかうして陸に上つて来たお蔭で、陸上生活に少しかぶれて、それこそ聞いたふうの批評なんかを口にするやうになつて、どうもこれはとんでもない悪影響を受けたものだと思ひながらも、この批評癖にも、やめられぬ味がありまして、批評の無い竜宮城の暮しにもちよつと退屈を感ずるやうになつたのです。どうも、悪い癖を覚えたものです。文明病の一種ですかね。いまでは私は、自分が海の魚だか陸の虫だか、わからなくなりましたよ。たとへばあの、鳥だか獣だかわからぬ蝙蝠のやうなものですね。悲しき性(さが)になりました。まあ海底の異端者とでもいつたやうなところですかね。だんだん故郷の竜宮城にも居にくくなりましてね、しかし、あそこは遊ぶには、いいところだ、それだけは保証します。信じて下さい。歌と舞ひと、美食と酒の国です。あなたたち風流人には、もつて来いの国です。あなたは、さつき批評はいやだとつくづく慨歎してゐたではありませんか、竜宮には批評はありませんよ。」
 浦島は亀の驚くべき饒舌に閉口し切つてゐたが、しかし、その最後の一言に、ふと心をひかれた。
「本当になあ、そんな国があつたらなあ。」
「あれ、まだ疑つてゐやがる。私は嘘をついてゐるのぢやありません。なぜ私を信じないんです。怒りますよ。実行しないで、ただ、あこがれて溜息をついてゐるのが風流人ですか。いやらしいものだ。」
 性温厚の浦島も、そんなにまでひどく罵倒されては、このまま引下るわけにも行かなくなつた。
「それぢやまあ仕方が無い。」と苦笑しながら、「仰せに随つて、お前の甲羅に腰かけてみるか。」
「言ふ事すべて気にいらん。」と亀は本気にふくれて、「腰かけてみるか、とは何事です。腰かけてみるのも、腰かけるのも、結果に於いては同じぢやないか。疑ひながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どつちにしたつて引返すことは出来ないんだ。試みたとたんに、あなたの運命がちやんときめられてしまふのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。やつてみるのは、やつたのと同じだ。実にあなたたちは、往生際が悪い。引返す事が出来るものだと思つてゐる。」
「わかつたよ、わかつたよ。それでは信じて乗せてもらはう!」
「よし来た。」
 亀の甲羅に浦島が腰をおろしたとみるみる亀の背中はひろがつて畳二枚くらゐ敷けるくらゐの大きさになり、ゆらりと動いて海にはひる。汀から一丁ほど泳いで、それから亀は、
「ちよつと眼をつぶつて。」ときびしい口調で命令し、浦島は素直に眼をつぶると夕立ちの如き音がして、身辺ほのあたたかく、春風に似て春風よりも少し重たい風が耳朶をなぶる。
「水深千尋。」と亀が言ふ。
 浦島は船酔ひに似た胸苦しさを覚えた。
「吐いてもいいか。」と眼をつぶつたまま亀に尋ねる。
「なんだ、へどを吐くのか。」と亀は以前の剽軽な口調にかへつて、「きたねえ船客だな。おや、馬鹿正直に、まだ眼をつぶつてゐやがる。これだから私は、太郎さんが好きさ。もう眼をあいてもよござんすよ。眼をあいて、よもの景色をごらんになつたら、胸の悪いのなんかすぐになほつてしまひます。」
 眼をひらけば冥茫模糊、薄みどり色の奇妙な明るさで、さうしてどこにも影が無く、ただ茫々たるものである。
「竜宮か。」と浦島は寝呆けてゐるやうな間(ま)伸びた口調で言つた。
「何を言つてるんだ。まだやつと水深千尋ぢやないか。竜宮は海底一万尋だ。」
「へええ。」浦島は妙な声を出した。「海つてものは、広いもんだねえ。」
「浜育ちのくせに、山奥の猿みたいな事を言ふなよ。あなたの家の泉水よりは少し広いさ。」
 前後左右どちらを見ても、ただ杳々茫々、脚下を覗いてもやはり際限なく薄みどり色のほの明るさが続いてゐるばかりで、上を仰いでも、これまた蒼穹に非ざる洸洋たる大洞、ふたりの話声の他には、物音一つ無く、春風に似て春風よりも少しねばつこいやうな風が浦島の耳朶をくすぐつてゐるだけである。
 浦島はやがて遥か右上方に幽かな、一握りの灰を撒いたくらゐの汚点を認めて、
「あれは何だ。雲かね?」と亀に尋ねる。
「冗談言つちやいけねえ。海の中に雲なんか流れてゐやしねえ。」
「それぢや何だ。墨汁一滴を落したやうな感じだ。単なる塵芥かね。」
「間抜けだね、あなたは。見たらわかりさうなものだ。あれは、鯛の大群ぢやないか。」
「へえ? 微々たるものだね。あれでも二、三百匹はゐるんだらうね。」
「馬鹿だな。」と亀はせせら笑ひ、「本気で云つてゐるのか?」
「それぢやあ、二、三千か。」
「しつかりしてくれ。まづ、ざつと五、六百万。」
「五、六百万? おどかしちやいけない。」
 亀はにやにや笑つて、
「あれは、鯛ぢやないんだ。海の火事だ。ひどい煙だ。あれだけの煙だと、さうさね、日本の国を二十ほど寄せ集めたくらゐの広大の場所が燃えてゐる。」
「嘘をつけ。海の中で火が燃えるもんか。」
「浅慮、浅慮。水の中だつて酸素があるんですからね。火の燃えないわけはない。」
「ごまかすな。それは無智な詭弁だ。冗談はさて置いて、いつたいあの、ゴミのやうなものは何だ。やつぱり、鯛かね? まさか、火事ぢやあるまい。」
「いや、火事だ。いつたい、あなた、陸の世界の無数の河川が昼夜をわかたず、海にそそぎ込んでも、それでも海の水が増しもせず減りもせず、いつも同じ量をちやんと保つて居られるのは、どういふわけか、考へてみた事がありますか。海のはうだつて困りますよ。あんなにじやんじやん水を注ぎ込まれちや、処置に窮しますよ。それでまあ時々、あんな工合ひにして不用な水を焼き捨てるのですな。やあ、燃える、燃える、大火事だ。」
「なに、ちつとも煙が広がりやしない。いつたい、あれは、何さ。さつきから、少しも動かないところを見ると、さかなの大群でもなささうだ。意地わるな冗談なんか云はないで、教へておくれ。」
「それぢや教へてあげませう。あれはね、月の影法師です。」
「また、かつぐんぢやないか?」
「いいえ、海の底には、陸の影法師は何も写りませんが、天体の影法師は、やはり真上から落ちて来ますから写るのです。月の影法師だけでなく、星辰の影法師も皆、写ります。だから、竜宮では、その影法師をたよりに暦を作り、四季を定めます。あの月の影法師は、まんまるより少し欠けてゐますから、けふは十三夜かな?」
 真面目な口調でさういふので、浦島も、或いはさうかも知れぬとも思つたが、しかし、何だかへんだとも思つた。でもまた、見渡す限り、ただ薄みどり色の茫洋乎たる大空洞の片隅に、幽かな黒一点をとどめてゐるものが、たとひそれは嘘にしても月の影法師だと云はれて見ると、鯛の大群や火事だと思つて眺めるよりは、風流人の浦島にとつて、はるかに趣きがあり、郷愁をそそるに足るものがあつた。
 そのうちに、あたりは異様に暗くなり、ごうといふ凄じい音と共に烈風の如きものが押し寄せて来て、浦島はもう少しで亀の背中からころげ落ちるところであつた。
「ちよつとまた眼をつぶつて。」と亀は厳粛な口調で言ひ、「ここはちやうど、竜宮の入口になつてゐるのです。人間が海の底を探険しても、たいていここが海底のどんづまりだと見極めて引上げて行くのです。ここを越えて行くのは、人間では、あなたが最初で、また最後かも知れません。」
 くるりと亀はひつくりかへつたやうに、浦島には思はれた。ひつくりかへつたまま、つまり、腹を上にしたまま泳いで、さうして浦島は亀の甲羅にくつついて、宙返りを半分しかけたやうな形で、けれどもこぼれ落ちる事もなく、さかさにすつと亀と共に上の方へ進行するやうな、まことに妙な錯覚を感じたのである。
「眼をあいてごらん。」と亀に言はれた時には、しかし、もうそんな、さかさの感じは無く、当り前に亀の甲羅の上に坐つて、さうして、亀は下へ下へと泳いでゐる。
 あたりは、あけぼのの如き薄明で、脚下にぼんやり白いものが見える。どうも、何だか、山のやうだ。塔が連立してゐるやうにも見えるが、塔にしては洪大すぎる。
「あれは何だ。山か。」
「さうです。」
「竜宮の山か。」興奮のため声が嗄れてゐた。
「さうです。」亀は、せつせと泳ぐ。
「まつ白ぢやないか。雪が降つてゐるのかしら。」
「どうも、高級な宿命を持つてゐる人は、考へる事も違ひますね。立派なものだ。海の底にも雪が降ると思つてゐるんだからね。」
「しかし、海の底にも火事があるさうだし、」と浦島は、さつきの仕返しをするつもりで、「雪だつて降るだらうさ。何せ、酸素があるんだから。」
「雪と酸素ぢや縁が遠いや。縁があつても、まづ、風と桶屋くらゐの関係ぢやないか。ばかばかしい。そんな事で私をおさへようたつて駄目さ。どうも、お上品なお方たちは、洒落が下手だ。雪はよいよい帰りはこはいつてのはどんなもんだい。あんまり、うまくもねえか。それでも酸素よりはいいだらう。さんそネツと来るか。はくそみたいだ。酸素はどうも、助からねえ。」やはり、口では亀にかなはない。
 浦島は苦笑しながら、
「ところで、あの山は、」と云ひかけると、亀はまたあざ笑ひ、
「ところで、とは大きく出たぢやないか。ところであの山は、雪が降つてゐるのではないのです。あれは真珠の山です。」
「真珠?」と浦島は驚き、「いや、嘘だらう。たとひ真珠を十万粒二十万粒積み重ねたつて、あれくらゐの高い山にはなるまい。」
「十万粒、二十万粒とは、ケチな勘定の仕方だ。竜宮では真珠を一粒二粒なんて、そんなこまかい算へ方はしませんよ。一山(ひとやま)、二山(ふたやま)、とやるね。一山は約三百億粒だとかいふ話だが、誰もそれをいちいち算へた事も無い。それを約百万山(やま)くらゐ積み重ねると、まづざつとあれくらゐの峰が出来る。真珠の捨場には困つてゐるんだ。もとをただせば、さかなの糞だからね。」
 とかくして竜宮の正門に着く。案外に小さい。真珠の山の裾に蛍光を発してちよこんと立つてゐる。浦島は亀の甲羅から降りて、亀に案内をせられ、小腰をかがめてその正門をくぐる。あたりは薄明である。さうして森閑としてゐる。
「静かだね。おそろしいくらゐだ。地獄ぢやあるまいね。」
「しつかりしてくれ、若旦那。」と亀は鰭でもつて浦島の背中を叩き、「王宮といふものは皆このやうに静かなものだよ。丹後の浜の大漁踊りみたいな馬鹿騒ぎを年中やつてゐるのが竜宮だなんて陳腐な空想をしてゐたんぢやねえのか。あはれなものだ。簡素幽邃といふのが、あなたたちの風流の極致だらうぢやないか。地獄とは、あさましい。馴れてくると、この薄暗いのが、何とも言へずやはらかく心を休めてくれる。足許に気をつけて下さいよ。滑つてころんだりしては醜態だ。あれ、あなたはまだ草履をはいてゐるね。脱ぎなさいよ、失礼な。」
 浦島は赤面して草履を脱いだ。はだしで歩くと、足の裏がいやにぬらぬらする。
「何だこの道は。気持が悪い。」
「道ぢやない。ここは廊下ですよ。あなたは、もう竜宮城へはひつてゐるのです。」
「さうかね。」と驚いてあたりを見廻したが、壁も柱も何も無い。薄闇が、ただ漾々と身辺に動いてゐる。
「竜宮には雨も降らなければ、雪も降りません。」と亀はへんに慈愛深げな口調で教へる。「だから、陸上の家のやうにあんな窮屈な屋根や壁を作る必要は無いのです。」
「でも、門には屋根があつたぢやないか。」
「あれは、目じるしです。門だけではなく、乙姫のお部屋にも、屋根や壁はあります。しかし、それもまた乙姫の尊厳を維持するために作られたもので、雨露を防ぐためのものではありません。」
「そんなものかね。」と浦島はなほもけげんな顔つきで、「その乙姫の部屋といふのは、どこにあるの? 見渡したところ冥途もかくや、蕭寂たる幽境、一木一草も見当らんぢやないか。」
「どうも田舎者には困るね。でつかい建物(たてもの)や、ごてごてした装飾には口をあけておつたまげても、こんな幽邃の美には一向に感心しない。浦島さん、あなたの上品(じやうぼん)もあてにならんね。もつとも丹後の荒磯の風流人ぢや無理もないがね。伝統の教養とやらも、聞いて冷汗が出るよ。正統の風流人とはよくも言つた。かうして実地に臨んでみると、田舎者まる出しなんだから恐れいる。人真似こまねの風流ごつこは、まあ、これからは、やめるんだね。」
 亀の毒舌は竜宮に着いたら、何だかまた一段と凄くなつて来た。
 浦島は心細さ限り無く、
「だつて、何も見えやしないんだもの。」とほとんど泣き声で言つた。
「だから、足許に気をつけなさいつて、云つてるぢやありませんか。この廊下は、ただの廊下ぢやないんですよ。魚の掛橋ですよ。よく気をつけてごらんなさい。幾億といふ魚がひしとかたまつて、廊下の床(ゆか)みたいな工合ひになつてゐるのですよ。」
 浦島はぎよつとして爪先き立つた。だうりで、さつきから足の裏がぬらぬらすると思つてゐた。見ると、なるほど、大小無数の魚どもがすきまもなく背中を並べて、身動きもせず凝つとしてゐる。
「これは、ひどい。」と浦島は、にはかにおつかなびつくりの歩調になつて、「悪い趣味だ。これがすなはち簡素幽邃の美かね。さかなの背中を踏んづけて歩くなんて、野蛮きはまる事ぢやないか。だいいちこのさかなたちに気の毒だ。こんな奇妙な風流は、私のやうな田舎者にはわかりませんねえ。」とさつき田舎者と言はれた鬱憤をここに於いてはらして、ちよつと溜飲がさがつた。
「いいえ、」とその時、足許で細い声がして、「私たちはここに毎日集つて、乙姫さまの琴の音(ね)に聞き惚れてゐるのです。魚の掛橋は風流のために作つてゐるのではありません。かまはず、どうかお通り下さい。」
「さうですか。」と浦島はひそかに苦笑して、「私はまた、これも竜宮の装飾の一つかと思つて。」
「それだけぢやあるまい。」亀はすかさず口をはさんで、「ひよつとしたら、この掛橋も浦島の若旦那を歓迎のために、乙姫さまが特にさかなたちに命じて、」
「あ、これ、」と浦島は狼狽し、赤面し、「まさか、それほど私は自惚れてはゐません。でも、ね、お前はこれを廊下の床(ゆか)のかはりだなんていい加減を言ふものだから、私も、つい、その、さかなたちが踏まれて痛いかと思つてね。」
「さかなの世界には、床(ゆか)なんてものは必要がありません。これがまあ、陸上の家にたとへたならば、廊下の床(ゆか)にでも当るかと思つて私はあんな説明をしてあげたので、決していい加減を言つたんぢやない。なに、さかなたちは痛いなんて思ふもんですか。海の底では、あなたのからだだつて紙一枚の重さくらゐしか無いのですよ。何だか、ご自分のからだが、ふはふは浮くやうな気がするでせう?」
 さう言はれてみると、ふはふはするやうな感じがしないでもない。浦島は、重ね重ね、亀から無用の嘲弄を受けてゐるやうな気がして、いまいましくてならぬ。
「私はもう何も信じる気がしなくなつた。これだから私は、冒険といふものはいやなんだ。だまされたつて、それを看破する法が無いんだからね。ただもう、道案内者の言ふ事に従つてゐなければいけない。これはこんなものだと言はれたら、それつきりなんだからね。実に、冒険は人を欺く。琴の音(ね)も何も、ちつとも聞えやしないぢやないか。」とつひに八つ当りの論法に変じた。
 亀は落ちついて、
「あなたはどうも陸上の平面の生活ばかりしてゐるから、目標は東西南北のいづれかにあるとばかり思つていらつしやる。しかし、海にはもう二元の方向がある。すなはち、上と下です。あなたはさつきから、乙姫の居所を前方にばかり求めていらつしやる。ここにあなたの重大なる誤謬が存在してゐたわけだ。なぜ、あなたは頭上を見ないのです。また、脚下を見ないのです。海の世界は浮いて漂つてゐるものです。さつきの正門も、また、あの真珠の山だつて、みんな少し浮いて動いてゐるのです。
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