新釈諸国噺
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著者名:太宰治 

いかに世を忍ぶ身とは言え、いつまでも狭い納屋に隠れて暮しているわけにも行かず、次郎右衛門はさらに所持のお金の大半を出してその薄情の知合いの者にたのみ、すぐ近くの空地に見すぼらしい庵(いおり)を作ってもらい、夫婦と猿の下僕はそこに住み、わずかな土地を耕して、食膳(しょくぜん)に供するに足るくらいの野菜を作り、ひまひまに亭主(ていしゅ)は煙草(たばこ)を刻み、お蘭は木綿の枷(かせ)というものを繰って細々と渡世し、好きもきらいも若い一時の阿呆(あほ)らしい夢、親にそむいて家を飛び出し連添ってみても、何の事はない、いまはただありふれた貧乏世帯(じょたい)の、とと、かか、顔を見合せて、おかしくもなく、台所がかたりと鳴れば、鼠(ねずみ)か、小豆(あずき)に糞(ふん)されてはたまらぬ、と二人血相かえて立ち上り、秋の紅葉も春の菫(すみれ)も、何の面白(おもしろ)い事もなく、猿の吉兵衛は主人の恩に報いるはこの時と、近くの山に出かけては柏(かしわ)の枯枝や松の落葉を掻き集め、家に持ち帰って竈(かまど)の下にしゃがみ、松葉の煙に顔をそむけながら渋団扇(しぶうちわ)を矢鱈にばたばた鳴らし、やがてぬるいお茶を一服、夫婦にすすめて可笑(おか)しき中にも、しおらしく、ものこそ言わね貧乏世帯に気を遣い、夕食も遠慮して少量たべると満足の態(てい)でころりと寝て、次郎右衛門の食事がすむと駈け寄って次郎右衛門の肩をもむやら足腰をさするやら、それがすむと台所へ行きお蘭の後片附のお手伝いをして皿(さら)をこわしたりして実に面目なさそうな顔つきをして、夫婦は、せめてこの吉兵衛を唯一(ゆいいつ)のなぐさみにして身の上の憂(う)きを忘れ、そのとしも過ぎて翌年の秋、一子菊之助をもうけ、久し振りに草の庵から夫婦の楽しそうな笑声が漏れ聞え、夫婦は急に生きる事にも張合いが出て来て、それめめをさました、あくびをしたと騷ぎ立てると、吉兵衛もはねまわって喜び、山から木の実を取って来て、赤ん坊の手に握らせて、お蘭に叱られ、それでも吉兵衛には子供が珍らしくてたまらぬ様子で、傍(そば)を離れず寝顔を覗(のぞ)き込み、泣き出すと驚いてお蘭の許(もと)に飛んで行き裾(すそ)を引いて連れて来て、乳を呑(の)ませよ、と身振(みぶり)で教え、赤子の乳を呑むさまを、きちんと膝(ひざ)を折って坐って神妙に眺め、よい子守が出来たと夫婦は笑い、それにつけても、この菊之助も不憫なもの、もう一年さきに古里(ふるさと)の桑盛の家で生れたら、絹の蒲団(ふとん)に寝かせて、乳母を二人も三人もつけて、お祝いの産衣(うぶぎ)が四方から山ほど集り、蚤(のみ)一匹も寄せつけず玉の肌(はだ)のままで立派に育て上げる事も出来たのに、一年おくれたばかりに、雨風も防ぎかねる草の庵に寝かされて、木の実のおもちゃなど持たされ、猿が子守とは、と自分たちの無分別な恋より起ったという事も忘れて、ひたすら子供をいとおしく思い、よし、よし、いまはこのようにみじめだが、この子の物心地のつく迄(まで)は、何とか一財産つくって古里の親たちを見かえしてやらなければならぬ、と次郎右衛門も、子への愛から発奮して、近所の者に、この頃のよろしき商売は何、などと尋ね、草の庵も去年にかわって活気を呈し、一子の菊之助もまるまると太ってよく笑い、母親のお蘭に似て輝くばかりの器量よし、猿の吉兵衛は野の秋草を手折(たお)って来て菊之助の顔ちかく差しのべて上手にあやし、夫婦は何の心配も無く共に裏の畑に出て大根を掘り、ことしの秋は、何かいい事でもあるか、と夫婦は幸福の予感にぬくまっていた。その頃、近所のお百姓から耳よりのもうけ話ありという事を聞き、夫婦は勇んで、或る秋晴れの日、二人そろってその者の家へ行ってくわしく話の内容を尋ね問いなどしている留守に、猿の吉兵衛、そろそろお坊ちゃんの入浴の時刻と心得顔で立ち上り、かねて奥様の仕方を見覚えていたとおりに、まず竈の下を焚(た)きつけてお湯をわかし、湯玉の沸き立つを見て、その熱湯を盥(たらい)にちょうど一ぱいとり、何の加減も見る迄も無く、子供を丸裸にして仔細(しさい)らしく抱き上げ、奥様の真似(まね)して子供の顔をのぞき込んでやさしく二、三度うなずき、いきなりずぶりと盥に入れた。
 喚(わっ)という声ばかりに菊之助の息絶え、異様の叫びを聞いて夫婦は顔を見合せて家に駈け戻れば、吉兵衛うろうろ、子供は盥の中に沈んで、取り上げて見ればはや茹海老(ゆでえび)の如く、二目と見られぬむざんの死骸(しがい)、お蘭はこけまろびて、わが身に代えても今一度もとの可愛い面影(おもかげ)を見たしと狂ったように泣き叫ぶも道理、呆然(ぼうぜん)たる猿を捕えて、とかく汝(なんじ)は我が子の敵(かたき)、いま打殺すと女だてらに薪(まき)を振上げ、次郎右衛門も胸つぶれ涙とどまらぬながら、ここは男の度量、よしこれも因果の生れ合せと観念して、お蘭の手から薪を取上げ、吉兵衛を打ち殺したく思うも尤(もっと)もながら、もはや返らぬ事に殺生(せっしょう)するは、かえって菊之助が菩提(ぼだい)のため悪し、吉兵衛もあさましや我等(われら)への奉公と思いてしたるべけれども、さすが畜生の智慧(ちえ)浅きは詮方(せんかた)なし、と泣き泣き諭(さと)せば、猿の吉兵衛も部屋の隅(すみ)で涙を流して手を合せ、夫婦はその様を見るにつけいよいよつらく、いかなる前生の悪業(あくごう)ありてかかる憂目(うきめ)に遭うかと生きる望も消えて、菊之助を葬(ほうむ)った後には共にわずらい寝たきりになって、猿の吉兵衛は夜も眠らずまめまめしく二人を看護し、また七日々々にお坊ちゃんの墓所へ参り、折々の草花を手折って供え、夫婦すこしく恢復(かいふく)せし百日に当る朝、吉兵衛しょんぼりお墓に参って水心静かに手向け、竹の鉾(ほこ)にてみずから喉笛(のどぶえ)を突き通して相果てた。夫婦、猿の姿の見当らぬを怪しみ、杖(つえ)にすがってまず菊之助の墓所へ行き、猿のあわれな姿をひとめ見て一切を察し、菊之助無き後は、せめてこの吉兵衛だけが世の慰めとたのんでいたのに、と恨(うら)み嘆き、ねんごろに葬(とむら)い、菊之助の墓の隣に猿塚を建て、その場に於(お)いて二人出家し、(と書いて作者は途方にくれた。お念仏かお題目か。原文には、かの庵に絶えず題目唱えて、法華読誦(どくじゅ)の声やまず、とある。徳右衛門の頑固(がんこ)な法華の主張がこんなところに顔を出しては、この哀話も、ぶちこわしになりそうだ。困った事になったものである。)ふたたび、庵に住むも物憂く、秋草をわけていずこへとも無く二人旅立つ。
(懐硯(ふところすずり)、巻四の四、人真似は猿の行水)

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   人魚の海

 後深草(ごふかくさ)天皇宝治(ほうじ)元年三月二十日、津軽の大浦というところに人魚はじめて流れ寄り、其(そ)の形は、かしらに細き海草の如(ごと)き緑の髪ゆたかに、面(おもて)は美女の愁(うれ)えを含み、くれないの小さき鶏冠(とさか)その眉間(みけん)にあり、上半身は水晶(すいしょう)の如く透明にして幽(かす)かに青く、胸に南天の赤き実を二つ並べ附(つ)けたるが如き乳あり、下半身は、魚の形さながらにして金色の花びらとも見まがうこまかき鱗(うろこ)すきまなく並び、尾鰭(おひれ)は黄色くすきとおりて大いなる銀杏(いちょう)の葉の如く、その声は雲雀笛(ひばりぶえ)の歌に似て澄みて爽(さわ)やかなり、と世の珍らしきためしに語り伝えられているが、とかく、北の果の海には、このような不思議の魚も少からず棲息(せいそく)しているようである。むかし、松前(まつまえ)の国の浦奉行(うらぶぎょう)、中堂金内(ちゅうどうこんない)とて勇あり胆あり、しかも生れつき実直の中年の武士、或(あ)るとしの冬、お役目にて松前の浦々を見廻(みまわ)り、夕暮ちかく鮭川(さけがわ)という入海(いりうみ)のほとりにたどりつき、そこから便船を求め、きょうのうちに次の港まで行くつもりで相客五、六人と北国の冬には珍らしく空もよく晴れ静かな海を船出して、汀(みぎわ)から八丁ほど離れた頃(ころ)、風も無いのに海がにわかに荒れ出して、船は木の葉の如く飜弄(ほんろう)せられ、客は恐怖のために土色の顔になって、思う女の名を叫び出し、さらばよ、さらばよ、といやらしく悶(もだ)えて見せる者もあり、笈(おい)の中より観音経(かんのんぎょう)を取出し、さかさとも知らず押しいただき、そのまま開いておろおろ読み上げる者もあり、瓢箪(ひょうたん)を引き寄せ中に満たされてある酒を大急ぎで口呑(くちの)みして、これを飲みのこしては死んでも死にきれぬ、からになった瓢箪は浮袋になります、と五寸にも足りぬその小さいひさごを、しさいらしい顔つきで皆に見せびらかす者もあり、なんの意味か、しきりに指先で額(ひたい)に唾(つば)をなすりつけている者もあり、いそがしげに財布を出して金勘定、一両足りぬと呟(つぶや)いてあたりの客をいやな眼つきで睨(にら)む者もあり、いのちの瀬戸際(せとぎわ)にも、足がさわったとやらで無用の口論をはじめる者もあり人さまざまに騒ぎ立て、波はいよいよ高く、船は上下に荒く震動し、いまは騒ぐ力も尽き、船頭がまず船底にたおれ伏し、おゆるしなされ、と呻(うめ)いて死んだようにぐたりとなれば、船中の客、総泣きに泣き伏して、いずれも正体を失い、中堂金内ただひとり、はじめから舷(ふなばた)を背にしてあぐらを掻(か)き、黙って腕組して前方を見つめていたが、やがて眼(め)のさきの海水が金色に変り、五色の水玉噴き散ると見えしと同時に、白波二つにわれて、人魚、かねて物語に聞いていたのと同じ姿であらわれ、頭を振って緑の髪をうしろに払いのけ、水晶の腕で海水を一掻き二掻きするすると蛇(へび)の如く素早く金内の船に近づき、小さく赤い口をあけて一声爽やかな笛の音。おのれ船路のさまたげと、金内怒って荷物の中より半弓(はんきゅう)を取出し、神に念じてひょうと射れば、あやまたずかの人魚の肩先に当り、人魚は声もなく波間に沈み、激浪たちまち収まって海面はもとのように静かになり、斜陽おだやかに船中にさし込み、船頭は間抜(まぬ)け面(づら)で起き上り、なんだ夢か、と言った。金内は、おのれの手柄(てがら)を矢鱈(やたら)に吹聴(ふいちょう)するような軽薄な武士でない。黙って微笑(ほほえ)み、また前のように腕組みして舷によりかかって坐(すわ)っている。船客もそろそろ土色の顔を挙げ、てれ隠しにけたたましく笑う者あり、せっかくの酒を何の興もなく飲んでしまって、後の楽しみを無くした、と五寸ばかりのひさごをさかさに振って、そればかり愚痴っている者もあり、或(ある)いはまた、さいぜん留守宅の若いお妾(めかけ)の名を叫んで身悶えしていた八十歳の隠居は、さてもおそろしや、とおもむろに衣紋(えもん)を取りつくろい、これすなわち登竜(のぼりりゅう)に違いござらぬ、と断じ、そもそもこの登竜は越中越後(えっちゅうえちご)の海中に多く見受けられるものにして、夏日に最もしばしばこの事あり、一群の黒雲虚空(こくう)より下り来れば海水それに吸われるが如く応じて逆巻(さかまき)のぼり黒雲潮水一柱になり、まなこをこらしてその凄(すさま)じき柱を見れば、はたせるかな、竜の尾頭その中に歴々たりとものの本にござった、また別の一書には、或る人、江戸より船にてのぼりしに東海道の興津(おきつ)の沖を過ぎる時に一むらの黒雲虚空よりかの船をさして飛来る、船頭大いに驚き、これは竜の此(この)舟を巻上げんとするなり、急に髪を切って焼くべしとて船中の人々のこらず頭髪を切って火にくべしに臭気ふんぷんと空にのぼりしかば、かの黒雲たちまちに散り失(う)せたりとござったが、愚老もし若かったら、さいぜんただちに頭髪を切るべきに生憎(あいにく)、と言って禿(は)げた頭を真面目(まじめ)な顔して静かに撫(な)でた。へえ、そうですか、と観音経は、馬鹿(ばか)にし切ったような顔で、そっぽを向いて相槌(あいづち)を打ち、何もかも観音のお力にきまっていますさ、と小声で呟き、殊勝げに瞑目(めいもく)して南無観世音大菩薩(なむかんぜおんだいぼさつ)と称(とな)えれば、やあ、ぜにはあった! と自分の懐(ふところ)の中から足りない一両を見つけて狂喜する者もあり、金内は、ただにこにこして、やがて船はゆらゆら港へはいり、人々やれ命拾いと大恩人の目前にあるも知らず、互いに無邪気に慶祝し合って上陸した。
 中堂金内は、ほどなく松前城に帰着し、上役の野田武蔵(のだむさし)に、このたびの浦々巡視の結果をつぶさに報告して、それからくつろぎ、よもやまの旅の土産話のついでに、れいの人魚の一件を、少しも誇張するところなく、ありのままに淡々と語れば、武蔵かねて金内の実直の性格を悉知(しっち)しているゆえ、その人魚の不思議をも疑わず素直に信じ、膝(ひざ)を打って、それは近頃めずらしい話、殊(こと)にもそなたの沈着勇武、さっそくこの義を殿(との)の御前に於(お)いて御披露(ごひろう)申し上げよう、と言うと、金内は顔を赤らめ、いやいや、それほどの事でも、と言いかけるのにかぶせて、そうではない、古来ためし無き大手柄、家中(かちゅう)の若い者どものはげみにもなります、と強く言い切って、まごつく金内をせき立て、共に殿の御前にまかり出ると、折よく御前には家中の重役の面々も居合せ、野田武蔵は大いに勢い附いて、おのおの方もお聞きなされ、世にもめずらしき手柄話、と金内の旅の奇談を逐一語れば、殿をはじめ一座の者、膝をすすめて耳を傾ける中にひとり、青崎百右衛門(あおさきひゃくえもん)とて、父親の百之丞(ひゃくのじょう)が松前の家老として忠勤をはげんだお蔭(かげ)で、親の歿後(ぼつご)も、その禄高(ろくだか)をそっくりいただき何の働きも無いくせに重役のひとりに加えられ、育ちのよいのを鼻にかけて同輩をさげすみ、なりあがり者の娘などはこの青崎の家に迎え容(い)れられぬと言って妻をめとらず道楽三昧(ざんまい)の月日を送って、ことし四十一歳、このごろは欲しいと言ったって誰(だれ)も娘をやろうとはせぬ有様、みずからの高慢のむくいではあるが、さすがに世の中が面白(おもしろ)くなく、何かにつけて家中の者たちにいや味を言い、身のたけ六尺に近く極度に痩(や)せて、両手の指は筆の軸のように細く長く、落ち窪(くぼ)んだ小さい眼はいやらしく青く光って、鼻は大きな鷲鼻(わしばな)、頬(ほお)はこけて口はへの字型、さながら地獄の青鬼の如き風貌(ふうぼう)をしていて、一家中のきらわれ者、この百右衛門が、武蔵の物語を半分も聞かぬうちに、ふふん、と笑い、のう玄斎(げんさい)、と末座に丸くかしこまっている茶坊主(ちゃぼうず)の玄斎に勝手に話掛け、
「そなたは、どう思うか。こんな馬鹿らしい話を、わざわざ殿へ言上するなんて、ちと不謹慎だとは思わぬか。世に化物なし、不思議なし、猿(さる)の面(つら)は赤し、犬の足は四本にきまっている。人魚だなんて、子供のお伽噺(とぎばなし)ではあるまいし、いいとしをしたお歴々が、額(ひたい)にはくれないの鶏冠(とさか)も呆(あき)れるじゃないか。」と次第に傍若無人の高声になって、「のう、玄斎、よしその人魚とやらの怪しい魚類が北海に住んでいたとしてもさ、そんな古来ためしの無い妖怪(ようかい)を射とめるには、こちらにも神通力が無くてはかなわぬ。なまなかの腕では退治が出来まい。鳥に羽あり魚に鰭(ひれ)ありさ。なかなかどうして、飛ぶ小鳥、泳ぐ金魚を射とめるのも容易の事じゃないのに、そんな上半身水晶とやらの化物を退治するのには、まず弓矢八幡大菩薩(ゆみやはちまんだいぼさつ)、頼光(らいこう)、綱、八郎、田原藤太(たわらとうた)、みんなのお力をたばにしたくらいの腕前でもなけれや、間に合いますまい。いや、論より証拠、それがしの泉水の金魚、な、そなたも知っているだろう、わずかの浅水をたのしみにひらひら泳ぎまわってござるが、せんだって退屈のあまり雀(すずめ)の小弓で二百本ばかり射かけてみたが、これにさえ当らぬもの、金内殿も、おおかた海上でにわかの旋風に遭い、動転して、流れ寄る腐木にはっしと射込んだのでなければ、さいわいだがのう。」と、当惑し切ってもじもじしている茶坊主をつかまえて、殿へも聞えよがしの雑言(ぞうごん)。たまりかねて野田武蔵、ぐいと百石衛門の方に向き直り、
「それは貴殿の無学のせいだ。」と日頃の百右衛門の思い上った横着振りに対する鬱憤(うっぷん)もあり、噛(か)みつくような口調で言って、「とかく生半可(なまはんか)の物識(ものし)りに限って世に不思議なし、化物なし、と実(み)もふたも無いような言い方をして澄(すま)し込んでいるものですが、そもそもこの日本の国は神国なり、日常の道理を越えたる不思議の真実、炳(へい)として存す。貴殿のお屋敷の浅い泉水とくらべられては困ります。神国三千年、山海万里のうちにはおのずから異風奇態の生類(しょうるい)あるまじき事に非(あら)ず、古代にも、仁徳(にんとく)天皇の御時、飛騨(ひだ)に一身両面の人出ずる、天武(てんむ)天皇の御宇(ぎょう)に丹波(たんば)の山家(やまが)より十二角の牛出ずる、文武(もんむ)天皇の御時、慶雲(けいうん)四年六月十五日に、たけ八丈よこ一丈二尺一頭三面の鬼、異国より来(きた)る、かかる事どもも有るなれば、このたびの人魚、何か疑うべき事に非ず。」と名調子でもって一気にまくし立てると、百右衛門、蒼(あお)い顔をさらに蒼くして、にやりと笑い、
「それこそ生半可の物識り。それがしは、議論を好まぬ。議論は軽輩、功をあせっている者同志のやる事です。子供じゃあるまいし。青筋たてて空論をたたかわしても、お互い自説を更に深く固執するような結果になるだけのものさ。議論は、つまらぬ。それがしは何も、人魚はこの世に無いと言っているのではござらぬ。見た事が無いと言っているだけの事だ。金内殿もお手柄ついでにその人魚とやらを、御前に御持参になればよかったのに。」と憎らしくうそぶく。武蔵たけり立って膝をすすめ、
「武士には、信の一字が大事ですぞ。手にとって見なければ信ぜられぬとは、さてさて、あわれむべき御心魂。それ心に信無くば、この世に何の実体かあらん。手に取って見れども信ぜずば、見ざるもひとしき仮寝の夢。実体の承認は信より発す。然(しか)して信は、心の情愛を根源とす。貴殿の御心底には一片の情愛なし、信義なし。見られよ、金内殿は貴殿の毒舌に遭い、先刻より身をふるわし、血涙をしぼって泣いてござるわ。金内殿は、貴殿とは違って、うそなど言う仁(じん)ではござらぬ。日頃の金内殿の実直を、貴殿はよもや知らぬとは申されますまい。」と詰め寄ったが、百右衛門は相手にせず、
「それ、殿がお立ちだ。御不興と見える。」といかめしい口調で言い、御奥へ引上げる城主に向って平伏し、
「やれやれ、馬鹿どもには迷惑いたす。」と小声で呟いて立ち上り、「頭の血のめぐりの悪い事を実直と申すのかも知れぬが、夢や迷信をまことしやかに言い伝え、世をまどわすのは、この実直者に限る。」と言い捨て、猫(ねこ)の如く足音も無く退出する。他の重役たちも、或いは百右衛門の意地悪を憎み、或いは武蔵の名調子を気障(きざ)なりとしてどっちもどっちだと思い、或いは居眠りをして何の議論やらわけがわからず呆然(ぼうぜん)として立ち上って、一人去り二人去り、あとには武蔵と金内だけが残されて、武蔵くやしく歯がみをして、
「おのれ、よくも、ほざいた。金内殿、お察し申す。そなたも武士、すでに御覚悟もあろうが、いついかなる場合も、この武蔵はそなたの味方です。いかにしても、きゃつを、このままでは。」と力めば、金内は、そう言われて尚(なお)の事、悲しくうらめしく、しばらくは一言の言葉も出ず、声も無く慟哭(どうこく)していた。不仕合せな人は、他人からかばわれ同情されると、うれしいよりは、いっそうわが身がつらく不仕合せに思われて来るものである。東西を失い男泣きに泣いて、いまはわが身の終りと観念し、涙をこぶしで拭(ふ)いて顔を挙げ、なおも泣きじゃくりながら、
「かたじけなく存じます。さきほどの百右衛門のかずかずの悪口、聞き捨てになりがたく、金内軽輩ながら、おのれ、まっぷたつと思いながらも、殿の御前なり、忍ぶべからざるを忍んで、ただ、くやし涙にむせていましたが、もはや覚悟のほどが極(きま)りました。ただいまこれより追い駈(か)けて、かの百右衛門を一刀のもとに切り捨てるのは最も易(やす)い事ですが、それでは家中の人たちは、金内は百右衛門のために嘘(うそ)を見破られて、くやしさの余り刃傷(にんじょう)に及んだと言い、それがしの人魚の話もいよいようろんの事になって、御貴殿にも御迷惑をおかけする結果に相成りますから、どうせもう、すたりものになったこの身、死におくれついでに今すこし命ながらえ、鮭川の入海を詮議(せんぎ)して、弓矢八幡お見捨てなく、かの人魚の死骸(しがい)を見つけた時は、金内の武運もいまだ尽きざる証拠、是(これ)を持参して一家中に見せ、しかるのち、百右衛門を心置きなく存分に打ち据(す)え、この身もうれしく切腹の覚悟。」と申せば武蔵は、いじらしさに、もらい泣きして、
「武蔵が無用の出しゃばりして、そなたの手柄(てがら)を殿に御披露したのが、わるかった。わけもない人魚の論などはじめて、あたら男を死なせねばならぬ。ゆるせ金内、来世は武士に生れぬ事じゃのう。」顔をそむけて立ち上り、「留守は心配ないぞ。」と強く言って広間から退出した。
 金内の私宅には、八重ということし十六になる色白く目鼻立ち鮮やかな大柄な娘と、鞠(まり)という小柄で怜悧(れいり)な二十一歳の召使いと二人住んでいるだけで、金内の妻は、その六年前にすでに病歿していた。金内はその日努めて晴れやかな顔をして私宅へ帰り、父はまたすぐ旅に出かける、こんどの旅は少し永いかも知れぬから留守に気を附けよ、とだけ言って、貯(たくわ)えの金子(きんす)ほとんど全部をふところにねじ込み、逃げるようにして家を出た。
「お父さまは、へんね。」と八重は、父を送り出してから、鞠に言った。
「さようでございます。」鞠は落ちついて同意した、金内は、ひとをあざむく事は、下手である。いくら陽気に笑ってみせても、だめなのである。十六の娘にも、また召使いにも、看破されている。
「お金を、たくさん持って出たじゃないの。」お金の事まで看破されている。
 鞠は、うなずいて、
「容易ならぬ事と存じます。」と、分別顔をして呟いた。
「胸騒ぎがする。」と言って、八重は両袖(りょうそで)で胸を覆(おお)った。
「どのような事が起るかわかりませぬ。見苦しい事の無いように、これからすぐに家の内外(うちと)を綺麗(きれい)に掃除いたしましょう。」と鞠は素早く襷(たすき)をかけた。
 その時、重役の野田武蔵がお供も連れず、平服で忍ぶようにやって来て、
「金内殿は、出かけられましたか。」と八重に小声で尋ねた。
「はい。お金をたくさん持って出かけました。」
 武蔵は苦笑して、
「永い旅になるかも知れぬ。留守中、お困りの事があったら、少しも遠慮なくこの武蔵のところへ相談にいらっしゃい。これは、当座のお小遣い。」と言って、かなりの金子を置いて立ち去る。
 これはいよいよ父の身の上に何か起ったと合点(がてん)して、八重も武士の娘、その夜から懐剣を固く抱いて帯もとかずに丸くなって寝る。
 一方、人魚をさがしに旅立った中堂金内(ちゅうどうこんない)、鮭川の入海のほとりにたどり着き、村の漁師をことごとく集めて、所持の金子を残らず与え、役目を以(もっ)てそちたちに申しつけるのではない、中堂金内一身上の大事、内々の折入っての頼みだ、と物堅く公私の別をあきらかにして、それから少し口ごもり、頬(ほお)を赤らめ、ほろ苦く笑って、そちたちは或いは信じないかも知れないが、と気弱く前置きして、過ぎし日の人魚の一件を物語り、金内がいのちに代えての頼みだ、あの人魚の死骸を是非ともこの入海の底から捜し出し、或る男に見せてやらなければこの金内の武士の一分(いちぶん)が立たぬのだ、この寒空に気の毒だが、そちたちの全力を挙げてあの怪魚の死骸を見つけ出しておくれ、と折から雪の霏々(ひひ)と舞い狂う荒磯で声をからして懇願すれば、漁師の古老たちは深く信じて同情し、若い衆たちは、人魚だなんて本当かなあと疑いながら、それでも少し好奇心にそそられ、とにかく大網を打って、入海の底をさぐって見たけれども、網にはいって来るものは、にしん、たら、かに、いわし、かれいなど、見なれた姿のさかなばかりで、かの怪魚らしいものは更に見当らず、翌(あく)る日も、またその翌る日も、村中総出で入海に船を浮べ、寒風に吹きさらされて、網を打ったりもぐったり、さまざま難儀して捜査したが、いずれも徒労に終り、若い衆たちは、はや不平を言い出し、あのさむらいの眼つきを見よ、どうしたって普通でない、気違いだよ、気違いの言う事をまに受けて、この寒空に海にもぐるのは馬鹿々々しい、おれはもう、やめた、あてもない海の人魚を捜すよりは、村の人魚にあたためられたほうが気がきいている、と磯の焚火(たきび)に立ちはだかり下品な冗談を大声で言ってどっと笑い囃(はや)し、金内はひとり悲しく、聞えぬ振りして、一心に竜神(りゅうじん)に祈念し、あの人魚の鱗(うろこ)一枚、髪一筋でもいまこの入海から出たならば、それがしの面目はもとより武蔵殿も名誉、共に思うさま百右衛門をののしり、信義の一太刀(ひとたち)覚えたか、とまっこうみじんに天誅(てんちゅう)を加え、この胸のうらみをからりと晴らす事が出来るものを、と首を伸ばして入海を見渡す姿のいじらしさに、漁師の古老は思わず涙ぐんで傍(そば)に寄り、
「なあに、大丈夫だ。若い衆たちは、あんな事を言っているけれど、おれたちは、たしかにこの海に、おさむらいの射とめた人魚が沈んでいると見込んでいるだ。このあたりの海には、な、昔からいろいろな不思議なさかながいまして、若い衆たちには、わからねえ事だ。おれたちの子供の頃にも、な、この沖に、おきなという大魚があらわれて、偉い騒ぎをしました。嘘でも何でも無い、その大きさは二、三里、いや、もっと大きいかも知れねえ。誰もその全身を見たものがねえのです。そのさかなが現われる時には、海の底が雷のように鳴って風もねえのに大波が起って、鯨(くじら)なんてやつも東西に逃げ走って、漁の船も、やあれ、おきなが来たぞう、と叫び合って早々に浜に漕(こ)ぎ戻(もど)り、やがて、おきなが海の上に浮んで、そのさまは、大きな島がにわかに沖にいくつも出来たみたいで、これは、おきなの背中や鰭(ひれ)が少しずつ見えたのでして、全体の大きさは、とてもとても、そんなもんじゃありやしねえ。はかり知る事が出来ねえのだ。このおきなは、小さなさかなには見むきもしねえで、もっぱら鯨ばかりたべて生きているのだそうでして、二十尋(ひろ)三十尋の鯨をたばにして呑み込んで、その有様は、鯨が鰯(いわし)を呑むみたいだってんだから凄(すご)いじゃねえか。だから鯨は、海の底が鳴れば、さあ大変と東西に散って逃げますだ。おっかないさかなもあったものさ。蝦夷(えぞ)の海には昔から、こんな化物みたいなさかなが、いろいろあっただ。おさむらいの人魚の話だって、おれたちは、ちっとも驚きやしねえ。それはきっと、この入海にいやがったに違いねえのだ。なんの不思議もねえ事だ。二里三里のおきなが泳ぎ廻っていた海だもの、な、いまにおれたちは、きっとその人魚の死骸を見つけて、おさむらいの一分とやらを立てさせてあげますぞ。」と木訥(ぼくとつ)の口調で懸命になぐさめ、金内の肩に積った粉雪を払ってやったりするのだが、金内は、そのように優しくされると尚さら心細くなり、あああ、自分もとうとうこんな老爺(ろうや)の慈悲を受けるようなはかない身の上の男になったか、この老爺のいたわりの言葉の底には、何だかもう絶望してあきらめているような気配が感ぜられる、とひがみ心さえ起って来て、荒々しく立ち上り、
「たのむ! それがしは、たしかにこの入海で怪しい魚を射とめたのだ。弓矢八幡、誓言する。たのむ。なお一そう精出して、あの人魚の鱗一枚、髪一筋でも捜し当てておくれ。」と言い捨て、積雪を蹴(け)って汀(みぎわ)まで走って行き、そろそろ帰り支度をはじめている漁師たちの腕をつかんで、たのむ、もういちど、と眼つきをかえて歎願(たんがん)する。漁師たちは、お金をさきに受け取ってしまっているし、もういい加減に熱意を失いかけている。ほんの申しわけみたいに、岸ちかくの浅いところへ、ざぶりと網を打ったりなどして、そうして、一人二人、姿を消し、いつのまにか磯には犬ころ一匹もいなくなり、日が暮れてあたりが薄暗くなるといよいよ朔風(さくふう)が強く吹きつけ、眼をあいていられないくらいの猛吹雪になっても、金内は、鬼界(きかい)ヶ島(しま)の流人俊寛(るにんしゅんかん)みたいに浪打際(なみうちぎわ)を足ずりしてうろつき廻り、夜がふけても村へは帰らず、寝床は、はじめから水際近くの舟小屋の中と定めていて、その小屋の中で少しまどろんでは、また、夜の明けぬうちに、汀に飛び出し、流れ寄る藻屑(もくず)をそれかと驚喜し、すぐにがっかりして泣きべそをかいて、岸ちかくに漂う腐木を、もしやと疑いざぶざぶ海にはいって行って、むなしく引返し、ここへ来てから、ろくろくものも食べずに、ただ、人魚出て来い、出て来いと念じて、次第に心魂朦朧(もうろう)として怪しくなり、自分は本当に人魚を見たのかしら、射とめたなんて嘘だろう、夢じゃないか、と無人の白皚々(はくがいがい)の磯に立ってひとり高笑いしてみたり、ああ、あの時、自分も船の相客たちと同様にたわいなく気を失い、人魚の姿を見なければよかった、なまなかに気魂が強くて、この世の不思議を眼前に見てしまったからこんな難儀に遭うのだ、何も見もせず知りもせず、そうしてもっともらしい顔でそれぞれ独り合点して暮している世の俗人たちがうらやましい、あるのだ、世の中にはあの人たちの思いも及ばぬ不思議な美しいものが、あるのだ、けれども、それを一目見たものは、たちまち自分のようにこんな地獄に落ちるのだ、自分には前世から、何か気味悪い宿業(しゅくごう)のようなものがあったのかも知れない、このうえ生きて甲斐(かい)ない命かも知れぬ、悲惨に死ぬより他(ほか)は無い星の下に生れたのだろう、いっそこの荒磯に身を投じ、来世は人魚に生れ変って、などと、うなだれて汀をふらつき、どうやら死神にとりつかれた様子で、けれども、やはり人魚の事は思い切れず、しらじらと明けはなれて行く海を横目で見て、ああ、せめてあの老漁師の物語ったおきなとかいう大魚ならば、詮議(せんぎ)もひどく容易なのになあ、と真顔でくやしがって溜息(ためいき)をつき、あたら勇士も、しどろもどろ、既に正気を失い命のほどもここ一両日中とさえ見えた。
 留守宅に於いては娘の八重、あけくれ神仏に祈って、父の無事を願っていたが、三日経(た)ち四日経ち、茶碗(ちゃわん)はわれる、草履の鼻緒は切れる、少しの雪に庭の松の枝が折れる、縁起の悪い事ばかり続いて、とても家の中にじっとして居られなくなり、一夜こっそり武蔵の家をたずねて、父は鮭川の入海のほとりにいるという事を聞いて、その夜のうちに身支度をして召使いの鞠と二人、夜道の雪あかりをたよりに、父の後を追って発足した。或いは民家の軒下に休み、或いは海岸の岩穴に女の主従がひたと寄り添って浪の音を聞きつつ仮寝して、八重のゆたかな頬も痩(や)せ、つらい雪道をまたもはげまし合っていそいでも、女の足は、はかどらず、ようやく三日目の暮方、よろめいて鮭川の入海のほとりにたどり着いた時には、南無三宝(なむさんぼう)、父は荒蓆(あらむしろ)の上にあさましい冷いからだを横たえていた。その日の朝、この金内の屍(むくろ)が、入海の岸ちかくに漂っていたという。頭には海草が一ぱいへばりついて、かの金内が見たという人魚の姿に似ていたという。女の主従は左右より屍に取りつき、言葉も無くただ武者振りついて慟哭して、さすがの荒くれた漁師たちも興覚める思いで眼をそむけた。母に先立たれ、いままた父に捨てられ、八重は人心地(ひとごこち)も無く泣きに泣いて、やがて覚悟を極(き)め、青い顔を挙げて一言、
「鞠、死のう。」
「はい。」
 と答えて二人、しずかに立ち上った時、戞々(かつかつ)たる馬蹄(ばてい)の響きが聞えて、
「待て、待てえ!」と野田武蔵のたのもしい蛮声。
 馬から降りて金内の屍に頭を垂れ、
「えい、つまらない事になった。ようし、こうなったら、人魚の論もくそも無い。武蔵は怒った。本当に怒った。怒った時の武蔵には理窟(りくつ)も何も無いのだ。道理にはずれていようが何であろうが、そんな事はかまわない。人魚なんて問題じゃない。そんなものはあったって無くったって同じ事だ。いまはただ憎い奴(やつ)を一刀両断に切り捨てるまでだ。こら、漁師、馬を貸せ。この二人の娘さんが乗るのだ。早く捜して来い!」と八つ当りに呶鳴(どな)り散らし、勢いあまって、八重と鞠を、はったと睨(にら)み、
「その泣き顔が気に食わぬ。かたきのいるのが、わからんか。これからすぐ馬で城下に引返し、百右衛門の屋敷に躍り込み、首級(しるし)を挙げて、金内殿にお見せしないと武士の娘とは言わせぬぞ。めそめそするな!」
「百右衛門殿というと、」召使いの鞠は、ひそかにうなずき進み出て、「あの青崎、百右衛門殿の事でしょうか。」
「そうよ、あいつにきまっている。」
「思い当る事がございます。」と鞠は落ちつき、「かねてあの青崎百右衛門殿は、いいとしをしながらお嬢様に懸想(けそう)して、うるさく縁組を申し入れ、お嬢様は、あのような鷲鼻(わしばな)のお嫁になるくらいなら死んだほうがいいとおっしゃるし、それで、旦那(だんな)様も、――」
「そうか、それで事情が、はっきりわかった。きゃつめ、一生独身主義だの、女ぎらいだのと抜かしていながら、蔭(かげ)では、なあんだ、振られた男じゃないか、だらしがない。いよいよ見下げ果てたやつだ。かなわぬ恋の仕返しに金内殿をいじめるとは、憎さが余って笑止千万!」と早くも朗らかに凱歌(がいか)を挙げた。
 その夜、武蔵を先登(せんとう)に女ふたり長刀(なぎなた)を持ち、百右衛門の屋敷に駈け込み、奥の座敷でお妾(めかけ)を相手に酒を飲んでいる百右衛門の痩せた右腕を武蔵まず切り落し、百右衛門すこしもひるまず左手で抜き合わすを鞠は踏み込んで両足を払えば百右衛門立膝(たてひざ)になってもさらに弱るところなく、八重をめがけて烈(はげ)しく切りつけ、武蔵ひやりとして左の肩に切り込めば、百右衛門たまらず仰向けに倒れたが、一向に死なず、蛇(へび)の如(ごと)く身をくねらせて手裏剣(しゅりけん)を鋭く八重に投げつけ、八重はひょいと身をかがめて危(あやう)く避けたが、そのあまりの執念深さに、思わず武蔵と顔を見合せたほどであった。
 めでたく首級を挙げて、八重、鞠の両人は父の眠っている鮭川の磯に急ぎ、武蔵はおのれの屋敷に引き上げて、このたびの刃傷の始中終(しちゅうじゅう)を事こまかに書き認(したた)め、殿の御許しも無く百右衛門を誅(ちゅう)した大罪を詫(わ)び、この責すべてわれに在りと書き結び、あしたすぐ殿へこの書状を差上げよと家来に言いつけ、何のためらうところも無く見事に割腹して相果てたとはなかなか小気味よき武士である。女二人は、金内の屍に百右衛門の首級を手向け、ねんごろに父の葬(とむら)いをすませて、私宅へ帰り、門を閉じて殿の御裁きを待ち受け、女ながらも白無垢(しろむく)の衣服に着かえて切腹の覚悟、城中に於いては重役打寄り評議の結果、百右衛門こそ世にめずらしき悪人、武蔵すでに自決の上は、この私闘おかまいなしと定め、殿もそのまま許認し、女ふたりは、天晴(あっぱ)れ父の仇(かたき)、主(しゅう)の仇を打ったけなげの者と、かえって殿のおほめにあずかり、八重には、重役の伊村作右衛門末子作之助の入縁仰せつけられて中堂の名跡(みょうせき)をつがせ、召使いの鞠事は、歩行目付(かちめつけ)の戸井市左衛門とて美男の若侍に嫁がせ、それより百日ほど過ぎて、北浦春日明神(かすがみょうじん)の磯より深夜城中に注進あり、不思議の骨格が汀に打ち寄せられています、肉は腐って洗い去られ骨組だけでございますが、上半身はほとんど人間に近く、下半身は魚に違(たが)わず、いかにも無気味のものゆえ、取り敢(あ)えず御急報申しあげますとの事、さっそく奉行をつかわし検分させたところが、その奇態の骨の肩先にまぎれもなく、中堂金内の誉(ほま)れの矢の根、八重の家にはその名の如く春が重(かさな)ったという、此(この)段、信ずる力の勝利を説く。
(武道伝来記、巻二の四、命とらるる人魚の海)

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   破産

 むかし美作(みまさか)の国に、蔵合(ぞうごう)という名の大長者があって、広い屋敷には立派な蔵(くら)が九つも立ち並び、蔵の中の金銀、夜な夜な呻(うめ)き出して四隣の国々にも隠れなく、美作の国の人たちは自分の金でも無いのに、蔵合のその大財産を自慢し、薄暗い居酒屋でわずかの濁酒(にごりざけ)に酔っては、
 蔵合さまには及びもないが、せめて成りたや万屋(よろずや)に、
 という卑屈の唄(うた)をあわれなふしで口ずさんで淋(さび)しそうに笑い合うのである。この唄に出て来る万屋というのは、美作の国で蔵合につづく大金持、当主一代のうちに溜(た)め込んだ金銀、何万両、何千貫とも見当つかず、しかも蔵合の如(ごと)く堂々たる城郭を構える事なく、近隣の左官屋、炭屋、紙屋の家と少しも変らず軒の低い古ぼけた住居で、あるじは毎朝早く家の前の道路を掃除して馬糞(ばふん)や紐(ひも)や板切れを拾い集めてむだには捨てず、世には何染(なにぞめ)、何縞(なにじま)がはやろうと着物は無地の手織木綿一つと定め、元日にも聟入(むこいり)の時に仕立てた麻袴(あさばかま)を五十年このかた着用して礼廻(れいまわ)りに歩き、夏にはふんどし一つの姿で浴衣(ゆかた)を大事そうに首に巻いて近所へもらい風呂(ぶろ)に出かけ、初生(はつなり)の茄子(なす)一つは二文(もん)、二つは三文と近在の百姓が売りに来れば、初物(はつもの)食って七十五日の永生きと皆々三文出して二つ買うのを、あるじの分別はさすがに非凡で、二文を出して一つ買い、これを食べて七十五日の永生きを願って、あとの一文にて、茄子の出盛りを待ちもっと大きいのをたくさん買いましょうという抜け目のない算用、金銀は殖えるばかりで、まさに、それこそ「暗闇(くらやみ)に鬼」の如き根強き身代(しんだい)、きらいなものは酒色の二つ、「下戸(げこ)ならぬこそ」とか「色好まざらむ男は」とか書き残した法師を憎む事しきりにて、おのれ、いま生きていたら、訴訟をしても、ただは置かぬ、と十三歳の息子の読みかけの徒然草(つれづれぐさ)を取り上げてばりばり破り、捨てずに紙の皺(しわ)をのばして細長く切り、紙小縒(かみこより)を作って五十組の羽織紐を素早く器用に編んで引出しに仕舞い、これは一家の者以後十年間の普段の羽織紐、息子の名は吉太郎というが、かねてその色白くなよなよしたからだつきが気にくわず、十四歳の時、やわらかい鼻紙を懐(ふところ)に入れているのを見て、末の見込み無しと即座に勘当(かんどう)を言い渡し、播州(ばんしゅう)には那波屋(なばや)殿という倹約の大長者がいるから、よそながらそれを見ならって性根をかえよ、と一滴の涙もなく憎々しく言い切って、播州の網干(あぼし)というところにいるその子の乳母の家に追い遣(や)り、その後、あるじの妹の一子を家にいれて二十五、六まで手代(てだい)同様にしてこき使い、ひそかにその働き振りを見るに、その仕末のよろしき事、すりきれた草履(ぞうり)の藁(わら)は、畑のこやしになるとて手許(てもと)にたくわえ、ついでの人にたのんで田舎の親元へ送ってやる程の珍らしい心掛けの若者であったから、大いに気にいり、これを養子にして家を渡し、さて、嫁はどんなのがいいかと聞かれて、その養子の答えるには、嫁をもらっても、私だとて木石(ぼくせき)ではなし、三十四十になってからふっと浮気(うわき)をするかも知れない、いや、人間その方面の事はわからぬものです、その時、女房(にょうぼう)が亭主(ていしゅ)に気弱く負けていたら、この道楽はやめがたい、私はそんな時の用心に、気違いみたいなやきもち焼きの女房をもらって置きたい、亭主が浮気をしたら出刃庖丁(でばぼうちょう)でも振りまわすくらいの悋気(りんき)の強い女房ならば、私の生涯(しょうがい)も安全、この万屋の財産も万歳だろうと思います、という事だったので、あるじは膝(ひざ)を打ち眼(め)を細くして喜び、早速四方に手をまわして、その父親が九十の祖母とすこし長話をしても、いやらし、やめよ、と顔色を変え眼を吊(つ)り上げ立ちはだかってわめき散らすという願ったり叶(かな)ったりの十六のへんな娘を見つけて、これを養子の嫁に迎え、自分ら夫婦は隠居して、家の金銀のこらず養子に心置きなくゆずり渡した。この養子、世に珍らしく仕末の生れつきながら、量り知られぬおびただしき金銀をにわかにわがものにして、さすがに上気し、四十はおろか三十にもならぬうちに、つき合いと称して少し茶屋酒をたしなみ、がらにもなく髪を撫(な)でつけ、足袋、草履など吟味しはじめたので、女房たちまち顔色を変え眼を吊り上げ、向う三軒両隣りの家の障子が破れるほどの大声を挙げ、
「あれあれ、いやらし。男のくせに、そんなちぢれ髪に油なんか附(つ)けて、鏡を覗(のぞ)き込んで、きゅっと口をひきしめたり、にっこり笑ったり、いやいやをして見たり、馬鹿(ばか)げたひとり芝居をして、いったいそれは何の稽古(けいこ)のつもりです、どだいあなたは正気ですか、わかっていますよ、あさましい。あたしの田舎の父は、男というものは野良姿(のらすがた)のままで、手足の爪(つめ)の先には泥(どろ)をつめて、眼脂(めやに)も拭(ふ)かず肥桶(こえおけ)をかついでお茶屋へ遊びに行くのが自慢だ、それが出来ない男は、みんな茶屋女の男めかけになりたくて行くやつだ、とおっしゃっていたわよ、そんなちぢれ髪を撫でつけて、あなたはそれで茶屋の婆芸者の男めかけにでもなる気なのでしょう、わかっていますよ、けちんぼのあなたの事ですから、なるべくお金を使わず、婆芸者にでも泣きついて男めかけにしてもらって、あわよくば向うからお小遣いをせしめてやろうという、いいえ、わかっていますよ、くやしかったら肥桶をかついでお出掛けなさい、出来ないでしょう、なんだいそんな裏だか表だかわからないような顔をして、鏡をのぞき込んでにっこり笑ったりして、ああ、きたない、そんな事をするひまがあったら鼻毛でも剪(つ)んだらどう? 伸びていますよ、くやしかったら肥桶をかついで、」とうるさい事、うるさい事。かねて、こんな時にこそ焼きもちを焼いてもらうために望んでめとった女房ではあったが、さて、実際こんな工合(ぐあ)いに騒がしく悋気を起されてみると、あまりいい気持のものでない。養父母の気にいられようと思って、悋気の強い女房こそ所望でございます、などと分別顔して言い出したばかりに、これは、とんでもない事になった、と今はひそかに後悔した。ぶん殴ってやろうかとも思うのだが、隠居座敷の老夫婦は、嫁の悋気がはじまるともう嬉(うれ)しくてたまらないらしく、老夫婦とも母屋(おもや)まで這(は)い出して来て、うふふと笑いながら、まあまあ、などといい加減な仲裁をして、そうして惚(ほ)れ惚(ぼ)れと嫁の顔を眺(なが)める仕末なので、ぶん殴るわけにもいかず、さりとて、肥桶をかついで遊びに出掛けるのも馬鹿々々しく思われ、腹いせに銭湯に出かけて、眼まいがするほど永く湯槽(ゆぶね)にひたって、よろめいて出て、世の中にお湯銭くらい安いものはない、今夜あそびに出掛けたら、どうしたって一両失う、お湯に酔うのも茶屋酒に酔うのも結局は同じ事さ、とわけのわからぬ負け惜しみの屁理窟(へりくつ)をつけて痩我慢(やせがまん)の胸をさすり、家へ帰って一合の晩酌(ばんしゃく)を女房の顔を見ないようにしてうつむいて飲み、どうにも面白(おもしろ)くないので、やけくそに大めしをくらって、ごろりと寝ころび、出入りの植木屋の太吉爺(たきちじい)を呼んで、美作の国の七不思議を語らせ、それはもう五十ぺんも聞いているので、腕まくらしてきょろきょろと天井板を眺めて別の事を考え、不意に思いついたように小間使いを呼んで足をもませ、女房の顔を見ると、むらむらっとして来て、おい、茶を持って来い、とつっけんどんに言いつけ、女房に茶碗(ちゃわん)をささげ持たせたまま、自分はやはり寝ながら頭を少しもたげ、手も出さずにごくごく飲んで、熱い、とこごとを言い、八つ当りしても、大将が夜遊びさえしなければ家の中は丸くおさまり、隠居はくすくす笑いながら宵(よい)から楽寝、召使いの者たちも、将軍内にいらっしゃるとて緊張して、ちょっと叔母のところへと怪しい外出をする丁稚(でっち)もなく、裏の井戸端(いどばた)で誰を待つやらうろうろする女中もない。番頭は帳場で神妙を装い、やたらに大福帳をめくって意味も無く算盤(そろばん)をぱちぱちやって、はじめは出鱈目(でたらめ)でも、そのうちに少しの不審を見つけ、本気になって勘定をし直し、長松は傍(そば)に行儀よく坐(すわ)ってあくびを噛(か)み殺しながら反古紙(ほごがみ)の皺をのばし、手習帳をつくって、どうにも眠くてかなわなくなれば、急ぎ読本(とくほん)を取出し、奥に聞えよがしの大声で、徳は孤ならず必ず隣あり、と読み上げ、下男の九助は、破れた菰(こも)をほどいて銭差(ぜにさし)を綯(な)えば、下女のお竹は、いまのうちに朝のおみおつけの実でも、と重い尻(しり)をよいしょとあげ、穴倉へはいって青菜を捜し、お針のお六は行燈(あんどん)の陰で背中を丸くしてほどきものに余念がなさそうな振りをしていて、猫(ねこ)さえ油断なく眼を光らせ、台所にかたりと幽(かす)かな音がしても、にゃあと鳴き、いよいよ財産は殖えるばかりで、この家安泰無事長久の有様ではあったが、若大将ひとり怏々(おうおう)として楽しまず、女房の毎夜の寝物語は味噌漬(みそづけ)がどうしたの塩鮭(しおざけ)の骨がどうしたのと呆(あき)れるほど興覚めな事だけで、せっかくお金が唸(うな)るほどありながら悋気の女房をもらったばかりに眼まいするほど長湯して、そうして味噌漬の話や塩鮭の話を拝聴していなければならぬ、おのれ、いまに隠居が死んだら、とけしからぬ事を考え、うわべは何気なさそうに立ち働き、内心ひそかによろしき時機をねらっていた。やがて隠居夫婦も寄る年波、紙小縒の羽織紐がまだ六本引出しの中に残ってあると言い遺(のこ)して老父まず往生すれば、老母はその引出しに羽織紐が四本しか無いのを気に病み、これも程なく後を追い、もはやこの家に気兼ねの者は無く、名実共に若大将の天下、まず悋気の女房を連れて伊勢参宮、ついでに京大阪を廻り、都のしゃれた風俗を見せ、野暮な女房を持ったばかりに亭主は人殺しをして牢(ろう)へはいるという筋の芝居を見せて、女房の悋気のつつしむべき所以(ゆえん)を無言の裡(うち)に教訓し、都のはやりの派手な着物や帯をどっさり買ってやったら女房は、女心のあさましく、国へ帰ってからも都の人に負けじと美しく装い茶の湯、活花(いけばな)など神妙らしく稽古(けいこ)して、寝物語に米味噌の事を言い出すのは野暮とたしなみ、肥桶をかついで茶屋遊びする人は無いものだという事もわかり、殊(こと)にも悋気はあさましいものと深く恥じ、
「あたしだって、悋気をいい事だとは思っていなかったのですけれど、お父さんやお母さんがお喜びになるので、ついあんな大声を挙げてわるかったわね。」と言葉までさばけた口調になって、「浮気は男の働きと言いますものねえ。」
「そうとも、そうとも。」男はここぞと強く相槌(あいづち)を打ち、「それについて、」ともっともらしい顔つきになり、「このごろ、どうも、養父養母が続いて死に、わしも、何だか心細くて、からだ工合いが変になった。俗に三十は男の厄年(やくどし)というからね、」そんな厄年は無い。「ひとつ、上方(かみがた)へのぼって、ゆっくり気保養でもして来ようと思うよ。」とんでもない「それについて」である。
「あいあい、」と女房は春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)たる面持(おももち)で、「一年でも二年でも、ゆっくり御養生しておいでなさい。まだお若いのですものねえ。いまから分別顔して、けちくさく暮していたら、永生き出来ませんよ。男のかたは、五十くらいから、けちになるといいのですよ。三十のけちんぼうは、早すぎます。見っともないわ。そんなのは、芝居では悪役ですよ。若い時には思い切り派手に遊んだほうがいいの。あたしも遊ぶつもりよ。かまわないでしょう?」と過激な事まで口走る。
 亭主はいよいよ浮かれて、
「いいとも、いいとも。わしたちが、いくら遊んだって、ぐらつく財産じゃない。蔵の金銀にも、すこし日のめを見せてやらなくちゃ可哀想(かわいそう)だ。それでは、お言葉に甘えて一年ばかり、京大阪で気保養をして来ますからね。留守中は、せいぜい朝寝でもして、おいしいものを食べていなさい。上方のはやりの着物や帯を、どんどん送ってよこしますからね。」といやに優しい言葉遣いをして腹に一物(いちもつ)、あたふたと上方へのぼる。
 留守中は女房、昼頃起きて近所のおかみたちを集めてわいわい騒ぎ、ごちそうを山ほど振舞っておかみたちの見え透いたお世辞に酔い、毎日着物を下着から全部取かえて着て、立ってくにゃりとからだを曲げて一座の称讃(しょうさん)を浴びれば、番頭はどさくさまぎれに、おのれの妻子の宅にせっせと主人の金を持ち運び、長松は朝から晩まで台所をうろつき、戸棚(とだな)に首を突込んでつまみ食い、九助は納屋(なや)にとじこもって濁酒を飲んで眼をどろんとさせて何やらお念仏に似た唄を口ずさみ、お竹は、鏡に向って両肌(もろはだ)を脱ぎ角力取(すもうと)りが狐拳(きつねけん)でもしているような恰好(かっこう)でやっさもっさおしろいをぬたくって、化物のようになり、われとわが顔にあいそをつかしてめそめそ泣き出し、お針のお六は、奥方の古着を自分の行李(こうり)につめ込んで、ぎょろりとあたりを見廻し、きせるを取り出して煙草(たばこ)を吸い、立膝(たてひざ)になってぶっと鼻から強く二本の煙を噴出させ、懐手(ふところで)して裏口から出て、それっきり夜おそくまで帰らず、猫(ねこ)は鼠(ねずみ)を取る事をたいぎがって、寝たまま炉傍(ろばた)に糞をたれ、家は蜘蛛(くも)の巣だらけ庭は草蓬々(ぼうぼう)、以前の秩序は見る影も無くこわされて、旦那(だんな)はまた、上方に於いて、はじめは田舎者らしくおっかなびっくり茶屋にあがって、けちくさい遊びをたのしんでいたが、お世辞を言うために生れて来た茶屋の者たちに取りまかれて、ほんに旦那のようなお客ばかりだと私たちの商売ほど楽なものはございません、男振りがようて若うて静かで優しくて思(おもい)やりがあって上品で、口数が少くて鷹揚(おうよう)で喧嘩(けんか)が強そうでたのもしくてお召物が粋(いき)で、何でもよくお気がついて、はたらきがありそうで、その上、おほほほ、お金があってあっさりして、と残りくまなくほめられて流石(さすが)に思慮分別を失い、天下のお大尽(だいじん)とは私の事かも知れないと思い込み、次第に大胆になって豪遊を試み、金というものは使うためにあるものだ、使ってしまえ、と観念して、ばらりばらりと金を投げ捨て、さらにまた国元から莫大(ばくだい)の金銀を取寄せ、こうなると遊びは気保養にも何もならず、都の粋客に負けたくないという苦しい意地だけになって、眼つきは変り、顔も青く痩(や)せて、いたたまらぬ思いで、ただ金を使い、一年経(た)たぬうちに、底知れぬ財力も枯渇(こかつ)して、国元からの使いが、もはやこれだけと旦那の耳元に囁(ささや)けば、旦那は愕然(がくぜん)として、まだ百分の一も使わぬ筈(はず)だが、あああ、小判には羽が生えているのか、無くなる時には早いものだ、ようし、これからが、わしの働きの見せどころだ、養父からゆずられた財産で威張っているなんて卑怯(ひきょう)な事だ、男はやっぱり裸一貫からたたき上げなければいけないものだ、無くなってかえって気がせいせいしたわい、などと負け惜しみを言って、空虚な笑声を発し、さあ今晩は飲みおさめと異様にはしゃいで見せたが、廓(くるわ)の者たちは不人情、しんとなって、そのうちに一人立ち二人立ち、座敷の蝋燭(ろうそく)を消して行く者もあり、あたりが急に暗くなって心細くなり、酒だ酒だ、と叫んで手をたたいても誰も来ず、やがて婆が廊下に立ったままで、きょうはお役人のお見廻りの日ですからお静かに、と他人にものを言うようなあらたまった口調で言い、旦那は呆(あき)れて、さすがは都だ、薄情すぎて、むしろ小気味がいい、見事だ、と婆をほめて立ち上り、もとよりこの男もただものでない、あの万屋(よろずや)のけちな大旦那に見込まれたほどの男である、なあに、金なんてものは、その気にさえなれあ、いくらでも、もうけられるものだ、これから国元へ帰って身を粉(こ)にして働き以前にまさる大財産をこしらえ、再び都へ来て、きょうの不人情のあだを打って見せる、婆、その時まで死なずに待って居(お)れ、と心の内で棄台詞(すてぜりふ)を残して、足音荒く馴染(なじみ)の茶屋から引上げた。
 男は国へ掃ってまず番頭を呼び、お金がもうこの家に無いというけれども、それは間違い、必ずそのような軽はずみの事を言ってはならぬ、暗闇(くらやみ)に鬼と言われた万屋の財産が、一年か二年でぐらつく事はない、お前は何も知らぬ、きょうから、わしが帳場に坐る、まあ、見ているがよい、と言って、ただちに店のつくりを改造して両替屋を営み、何もかも自分ひとりで夜も眠らず奔走すれば、さすがに万屋の信用は世間に重く、いまは一文無しとも知らず安心してここに金銀をあずける者が多く、あずかった金銀は右から左へ流用して、四方八方に手をまわし、内証を見すかされる事なく次第に大きい取引きをはじめて、三年後には、表むきだけではあるがとにかく、むかしの万屋の身代と変らぬくらいの勢いを取りもどし、来年こそは上方へのぼって、あの不人情の廓の者たちを思うさま恥ずかしめて無念をはらしてやりたいといさみ立って、その年の暮、取引きの支払いを首尾よく全部すませて、あとには一文の金も残らぬが、ここがかしこい商人の腕さ、商人は表向きの信用が第一、右から左と埒(らち)をあけて、内蔵はからっぽでも、この年の瀬さえしっぽを出さずに、やりくりをすませば、また来年から金銀のあずけ入れが呼ばなくってもさきを争って殺到します、長者とはこんなやりくりの上手な男の事です、と女房と番頭を前にして得意満面で言って、正月の飾り物を一つ三文で売りに来れば、そんな安い飾り物は小店に売りに行くものだよ、家を間違ったか、と大笑いして追い帰して、三文はおろか、わが家には現金一文も無いのをいまさらの如く思い知って内心ぞっとして、早く除夜の鐘が、と待つ間ほどなく、ごうん、と除夜の鐘、万金の重みで鳴り響き、思わずにっこりえびす顔になり、さあ、これでよし、女房、来年はまた上方へ連れて行くぞ、この二、三年、お前にも肩身の狭い思いをさせたが、どうだい、男の働きを見たか、惚(ほ)れ直せ、下戸(げこ)の建てたる蔵は無いと唄にもあるが、ま、心祝いに一ぱいやろうか、と除夜の鐘を聞きながら、ほっとして女房に酒の支度を言いつけた時、
「ごめん。」と門に人の声。
 眼のするどい痩せこけた浪人が、ずかずかはいって来て、あるじに向い、
「さいぜん、そなたの店から受け取ったお金の中に一粒、贋(にせ)の銀貨がまじっていた。取かえていただきたい。」と小粒銀一つ投げ出す。
「は。」と言って立ち上ったが、銀一粒どころか、一文だって無い。「それはどうも相すみませんでしたが、もう店をしまいましたから、来年にしていただけませんか。」と明るく微笑(ほほえ)んで何気なさそうに言う。
「いや、待つ事は出来ぬ。まだ除夜の鐘のさいちゅうだ。拙者も、この金でことしの支払いをしなければならぬ。借金取りが表に待っている。」
「困りましたなあ。もう店をしまって、お金はみな蔵の中に。」
「ふざけるな!」と浪人は大声を挙げて、「百両千両のかねではない。たかが銀一粒だ。これほどの家で、手許(てもと)に銀一粒の替(かえ)が無いなど冗談を言ってはいけない。おや、その顔つきは、どうした。無いのか。本当に無いのか。何も無いのか。」と近隣に響きわたるほどの高声でわめけば、店の表に待っている借金取りは、はてな? といぶかり、両隣りの左官屋、炭屋も、耳をすまし、悪事千里、たちまち人々の囁きは四方にひろがり、人の運不運は知れぬもの、除夜の鐘を聞きながら身代あらわれ、せっかくの三年の苦心も水の泡(あわ)、さすがの智者も矢弾(やだま)つづかず、わずか銀一粒で大長者の万屋ぐゎらりと破産。
(日本永代蔵、巻五の五、三匁五分曙(あけぼの)のかね)

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   裸川

 鎌倉山(かまくらやま)の秋の夕ぐれをいそぎ、青砥左衛門尉藤綱(あおとさえもんのじょうふじつな)、駒(こま)をあゆませて滑川(なめりがわ)を渡り、川の真中に於(お)いて、いささか用の事ありて腰の火打袋を取出し、袋の口をあけた途端に袋の中の銭十文(もん)ばかり、ちゃぼりと川浪(かわなみ)にこぼれ落ちた。青砥、はっと顔色を変え、駒をとどめて猫背(ねこぜ)になり、川底までも射透さんと稲妻(いなずま)の如(ごと)く眼(め)を光らせて川の面を凝視(ぎょうし)したが、潺湲(せんかん)たる清流は夕陽(ゆうひ)を受けて照りかがやき、瞬時も休むことなく動き騒ぎ躍り、とても川底まで見透す事は出来なかった。青砥左衛門尉藤綱は、馬上に於いて身悶(みもだ)えした。川を渡る時には、いかなる用があろうとも火打袋の口をあけてはならぬと子々孫々に伝えて家憲にしようと思った。どうにも諦(あきら)め切れぬのである。いったい、何文落したのだろう。けさ家を出る時に、いつものとおり小銭四十文、二度くりかえして数えてたしかめ、この火打袋に入れて、それから役所で三文使った。それゆえ、いまこの火打袋には三十七文残っていなければならぬ筈(はず)だが、こぼれ落ちたのは十文くらいであろうか。とにかく、火打袋の中の残金を調べてみるとわかるのだが、川の真中で銭の勘定は禁物である。向う岸に渡ってから、調べてみる事にしよう。
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