新釈諸国噺
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著者名:太宰治 

     凡例

一、わたくしのさいかく、とでも振仮名を附(つ)けたい気持で、新釈諸国噺(しょこくばなし)という題にしたのであるが、これは西鶴(さいかく)の現代訳というようなものでは決してない。古典の現代訳なんて、およそ、意味の無いものである。作家の為(な)すべき業(わざ)ではない。三年ほど前に、私は聊斎志異(りょうさいしい)の中の一つの物語を骨子(こっし)として、大いに私の勝手な空想を按配(あんばい)し、「清貧譚(せいひんたん)」という短篇(たんぺん)小説に仕上げて、この「新潮」の新年号に載せさせてもらった事があるけれども、だいたいあのような流儀で、いささか読者に珍味異香を進上しようと努めてみるつもりなのである。西鶴は、世界で一ばん偉い作家である。メリメ、モオパッサンの諸秀才も遠く及ばぬ。私のこのような仕事に依(よ)って、西鶴のその偉さが、さらに深く皆に信用されるようになったら、私のまずしい仕事も無意義ではないと思われる。私は西鶴の全著作の中から、私の気にいりの小品を二十篇ほど選んで、それにまつわる私の空想を自由に書き綴(つづ)り、「新釈諸国噺」という題で一本にまとめて上梓(じょうし)しようと計画しているのだが、まず手はじめに、武家義理物語の中の「我が物ゆゑに裸川」の題材を拝借して、私の小説を書き綴ってみたい。原文は、四百字詰の原稿用紙で二、三枚くらいの小品であるが、私が書くとその十倍の二、三十枚になるのである。私はこの武家義理、それから、永代蔵(えいたいぐら)、諸国噺、胸算用(むねさんよう)などが好きである。所謂(いわゆる)、好色物は、好きでない。そんなにいいものだとも思えない。着想が陳腐(ちんぷ)だとさえ思われる。

一、右の文章は、ことしの「新潮」正月号に「裸川」を発表した時、はしがきとして用いたものである。その後、私は少しずつこの仕事をすすめて、はじめは二十篇くらいの予定であったが、十二篇書いたら、へたばった。読みかえしてみると、実に不満で、顔から火の発する思いであるが、でも、この辺が私の現在の能力の限度かも知れぬ。短篇十二は、長篇一つよりも、はるかに骨が折れる。

一、目次をごらんになれば、だいたいわかるようにして置いたが、題材を西鶴の全著作からかなりひろく求めた。変化の多い方が更に面白(おもしろ)いだろうと思ったからである。物語の舞台も蝦夷(えぞ)、奥州(おうしゅう)、関東、関西、中国、四国、九州と諸地方にわたるよう工夫した。

一、けれども私は所詮(しょせん)、東北生れの作家である。西鶴ではなくて、東鶴北亀(ほっき)のおもむきのあるのは、まぬかれない。しかもこの東鶴あるいは北亀は、西鶴にくらべて甚(はなは)だ青臭い。年齢というものは、どうにも仕様の無いものらしい。

一、この仕事も、書きはじめてからもう、ほとんど一箇年になる。その期間、日本に於(お)いては、実にいろいろな事があった。私の一身上に於いても、いついかなる事が起るか予測出来ない。この際、読者に日本の作家精神の伝統とでもいうべきものを、はっきり知っていただく事は、かなり重要な事のように思われて、私はこれを警戒警報の日にも書きつづけた。出来栄(できばえ)はもとより大いに不満であるが、この仕事を、昭和聖代の日本の作家に与えられた義務と信じ、むきになって書いた、とは言える。
昭和十九年晩秋、三鷹(みたか)の草屋に於て

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   目次

貧の意地 (江戸) 諸国はなし、西鶴四十四歳刊行
大力   (讃岐(さぬき)) 本朝二十不孝(ほんちょうにじゅうふこう)、四十五歳
猿塚   (筑前(ちくぜん)) 懐硯(ふところすずり)、四十六歳
人魚の海 (蝦夷(えぞ)) 武道伝来記、四十六歳
破産   (美作(みまさか)) 日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)、四十七歳
裸川   (相模(さがみ)) 武家義理物語、四十七歳
義理   (摂津) 武家義理物語、四十七歳
女賊   (陸前) 新可笑記(しんかしょうき)、四十七歳
赤い太鼓 (京)  本朝桜陰比事(おういんひじ)、四十八歳
粋人   (浪花(なにわ)) 世間胸算用(せけんむねさんよう)、五十一歳
遊興戒  (江戸) 西鶴置土産、五十二歳(歿(ぼつ))
吉野山  (大和(やまと)) 万(よろず)の文反古(ふみほうぐ)、歿後三年刊行


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   貧の意地

 むかし江戸品川、藤茶屋(ふじぢゃや)のあたり、見るかげも無き草の庵(いおり)に、原田内助というおそろしく鬚(ひげ)の濃い、眼(め)の血走った中年の大男が住んでいた。容貌(ようぼう)おそろしげなる人は、その自身の顔の威厳にみずから恐縮して、かえって、へんに弱気になっているものであるが、この原田内助も、眉(まゆ)は太く眼はぎょろりとして、ただものでないような立派な顔をしていながら、いっこうに駄目(だめ)な男で、剣術の折には眼を固くつぶって奇妙な声を挙げながらあらぬ方に向って突進し、壁につきあたって、まいった、と言い、いたずらに壁破りの異名を高め、蜆(しじみ)売りのずるい少年から、嘘(うそ)の身上噺(みのうえばなし)を聞いて、おいおい声を放って泣き、蜆を全部買いしめて、家へ持って帰って女房(にょうぼう)に叱(しか)られ、三日のあいだ朝昼晩、蜆ばかり食べさせられて胃痙攣(いけいれん)を起して転輾(てんてん)し、論語をひらいて、学而(がくじ)第一、と読むと必ず睡魔に襲われるところとなり、毛虫がきらいで、それを見ると、きゃっと悲鳴を挙げて両手の指をひらいてのけぞり、人のおだてに乗って、狐(きつね)にでも憑(つ)かれたみたいにおろおろして質屋へ走って行って金を作ってごちそうし、みそかには朝から酒を飲んで切腹の真似(まね)などして掛取(かけと)りをしりぞけ、草の庵も風流の心からではなく、ただおのずから、そのように落ちぶれたというだけの事で、花も実も無い愚図の貧、親戚(しんせき)の持てあまし者の浪人であった。さいわい、親戚に富裕の者が二、三あったので、せっぱつまるとそのひとたちから合力(ごうりき)を得て、その大半は酒にして、春の桜も秋の紅葉も何が何やら、見えぬ聞えぬ無我夢中の極貧の火の車のその日暮しを続けていた。春の桜や秋の紅葉には面(おもて)をそむけて生きても行かれるだろうが、年にいちどの大みそかを知らぬ振りして過す事だけはむずかしい。いよいよことしも大みそかが近づくにつれて原田内助、眼つきをかえて、気違いの真似などして、用も無い長刀をいじくり、えへへ、と怪しく笑って掛取りを気味悪がせ、あさっては正月というに天井の煤(すす)も払わず、鬚もそらず、煎餠蒲団(せんべいぶとん)は敷きっ放し、来るなら来い、などあわれな言葉を譫語(うわごと)の如(ごと)く力無く呟(つぶや)き、またしても、えへへ、と笑うのである。まいどの事ながら、女房はうつつの地獄の思いに堪(た)えかね、勝手口から走り出て、自身の兄の半井清庵(なからいせいあん)という神田明神(かんだみょうじん)の横町に住む医師の宅に駈(か)け込み、涙ながらに窮状を訴え、助力を乞(こ)うた。清庵も、たびたびの迷惑、つくづく呆(あき)れながらも、こいつ洒落(しゃれ)た男で、「親戚にひとりくらい、そのような馬鹿(ばか)がいるのも、浮世の味。」と笑って言って、小判十枚を紙に包み、その上書(うわがき)に「貧病の妙薬、金用丸(きんようがん)、よろずによし。」と記して、不幸の妹に手渡した。
 女房からその貧病の妙薬を示されて、原田内助、よろこぶかと思いのほか、むずかしき顔をして、「この金は使われぬぞ。」とかすれた声で、へんな事を言い出した。女房は、こりゃ亭主(ていしゅ)もいよいよ本当に気が狂ったかと、ぎょっとした。狂ったのではない。駄目な男というものは、幸福を受取るに当ってさえ、下手くそを極めるものである。突然の幸福のお見舞いにへどもどして、てれてしまって、かえって奇妙な屁理窟(へりくつ)を並べて怒ったりして、折角の幸福を追い払ったり何かするものである。
「このまま使っては、果報負けがして、わしは死ぬかも知れない。」と、内助は、もっともらしい顔で言い、「お前は、わしを殺すつもりか?」と、血走った眼で女房を睨(にら)み、それから、にやりと笑って、「まさか、そのような夜叉(やしゃ)でもあるまい。飲もう。飲まなければ死ぬであろう。おお、雪が降って来た。久し振りで風流の友と語りたい。お前はこれから一走りして、近所の友人たちを呼んで来るがいい。山崎、熊井(くまい)、宇津木、大竹、磯(いそ)、月村、この六人を呼んで来い。いや、短慶坊主(ぼうず)も加えて、七人。大急ぎで呼んで来い。帰りは酒屋に寄って、さかなは、まあ、有合せでよかろう。」なんの事は無い。うれしさで、わくわくして、酒を飲みたくなっただけの事なのであった。
 山崎、熊井、宇津木、大竹、磯、月村、短慶、いずれも、このあたりの長屋に住んでその日暮しの貧病に悩む浪人である。原田から雪見酒の使いを受けて、今宵(こよい)だけでも大みそかの火宅(かたく)からのがれる事が出来ると地獄で仏の思い、紙衣(かみこ)の皺(しわ)をのばして、傘(かさ)は無いか、足袋は無いか、押入れに首をつっ込んで、がらくたを引出し、浴衣(ゆかた)に陣羽織という姿の者もあり、単衣(ひとえ)を五枚重ねて着て頸(くび)に古綿を巻きつけた風邪気味と称する者もあり、女房の小袖(こそで)を裏返しに着て袖の形をごまかそうと腕まくりの姿の者もあり、半襦絆(はんじゅばん)に馬乗袴(うまのりばかま)、それに縫紋の夏羽織という姿もあり、裾(すそ)から綿のはみ出たどてらを尻端折(しりばしょり)して毛臑(けずね)丸出しという姿もあり、ひとりとしてまともな服装の者は無かったが、流石(さすが)に武士の附(つ)き合いは格別、原田の家に集って、互いの服装に就いて笑ったりなんかする者は無く、いかめしく挨拶(あいさつ)を交し、座が定ってから、浴衣に陣羽織の山崎老がやおら進み出て主人の原田に、今宵の客を代表して鷹揚(おうよう)に謝辞を述べ、原田も紙衣の破れた袖口を気にしながら、
「これは御一同、ようこそ。大みそかをよそにして雪見酒も一興かと存じ、ごぶさたのお詫(わ)びも兼ね、今夕お招き致しましたところ、さっそくおいで下さって、うれしく思います。どうか、ごゆるり。」と言って、まずしいながら酒肴(しゅこう)を供した。
 客の中には盃(さかずき)を手にして、わなわな震える者が出て来た。いかがなされた、と聞かれて、その者は涙を拭(ふ)き、
「いや、おかまい下さるな。それがしは、貧のため、久しく酒に遠ざかり、お恥ずかしいが酒の飲み方を忘れ申した。」と言って、淋(さび)しそうに笑った。
「御同様、」と半襦絆に馬乗袴は膝(ひざ)をすすめ、「それがしも、ただいま、二、三杯つづけさまに飲み、まことに変な気持で、このさきどうすればよいのか、酒の酔い方を忘れてしまいました。」
 みな似たような思いと見えて、一座しんみりして、遠慮しながら互いに小声で盃のやりとりをしていたが、そのうちに皆、酒の酔い方を思い出して来たと見えて、笑声も起り、次第に座敷が陽気になって来た頃(ころ)、主人の原田はれいの小判十両の紙包を取出し、
「きょうは御一同に御披露(ひろう)したい珍物がございます。あなたがたは、御懐中の御都合のわるい時には、いさぎよくお酒を遠ざけ、つつましくお暮しなさるから、大みそかでお困りにはなっても、この原田ほどはお苦しみなさるまいが、わしはどうも、金に困るとなおさら酒を飲みたいたちで、そのために不義理の借金が山積して年の瀬を迎えるたびに、さながら八大地獄を眼前に見るような心地が致す。ついには武士の意地も何も捨て、親戚に泣いて助けを求めるなどという不面目の振舞いに及び、ことしもとうとう、身寄りの者から、このとおり小判十両の合力を受け、どうやら人並の正月を迎える事が出来るようになりましたが、この仕合せをわしひとりで受けると果報負けがして死ぬかも知れませんので、きょうは御一同をお招きして、大いに飲んでいただこうと思い立った次第であります。」と上機嫌(じようきげん)で言えば、一座の者は思い思いの溜息(ためいき)をつき、
「なあんだ、はじめからそうとわかって居れば、遠慮なんかしなかったのに。あとで会費をとられるんじゃないか、と心配しながら飲んで損をした。」と言う者もあり、
「そう承れば、このお酒をうんと飲み、その仕合せにあやかりたい。家へ帰ると、思わぬところから書留が来ているかも知れない。」と言う者もあり、
「よい親戚のある人は仕合せだ。それがしの親戚などは、あべこべにそれがしの懐(ふところ)をねらっているのだから、つまらない。」と言う者もあり、一座はいよいよ明るくにぎやかになり、原田は大恐悦で、鬚の端の酒の雫(しずく)を押し拭(ぬぐ)い、
「しかし、しばらく振りで小判十両、てのひらに載せてみると、これでなかなか重いものでございます。いかがです、順々にこれを、てのひらに載せてやって下さいませんか。お金と思えばいやしいが、これは、お金ではございません。これ、この包紙にちゃんと書いてあります。貧病の妙薬、金用丸、よろずによし、と書いてございます。その親戚の奴(やつ)が、しゃれてこう書いて寄こしたのですが、さあ、どうぞ、お廻(まわ)しになって御覧になって下さい。」と、小判十枚ならびに包紙を客に押しつけ、客はいちいちその小判の重さに驚き、また書附けの軽妙に感服して、順々に手渡し、一句浮びましたという者もあり、筆硯(ひっけん)を借りてその包紙の余白に、貧病の薬いただく雪あかり、と書きつけて興を添え、酒盃(しゅはい)の献酬もさかんになり、小判は一まわりして主人の膝許(ひざもと)にかえった頃に、年長者の山崎は坐(すわ)り直し、
「や、おかげさまにてよい年忘れ、思わず長座を致しました。」と分別顔してお礼を言い、それでは、と古綿を頸に巻きつけた風邪気味が、胸を、そらして千秋楽をうたい出し、主客共に膝を軽くたたいて手拍子をとり、うたい終って、立つ鳥あとを濁さず、昔も今も武士のたしなみ、燗鍋(かんなべ)、重箱、塩辛壺(しおからつぼ)など、それぞれ自分の周囲の器を勝手口に持ち出して女房に手渡し、れいの小判が主人の膝もとに散らばって在るのを、それも仕舞いなされ、と客にすすめられて、原田は無雑作に掻(か)き集めて、はっと顔色をかえた。一枚足りないのである。けれども原田は、酒こそ飲むが、気の弱い男である。おそろしい顔つきにも似ず、人の気持ばかり、おっかなびっくり、いたわっている男だ。どきりとしたが、素知らぬ振りを装い、仕舞い込もうとすると、一座の長老の山崎は、
「ちょっと、」と手を挙げて、「小判が一枚足りませんな。」と軽く言った。
「ああ、いや、これは、」と原田は、わが悪事を見破られた者の如く、ひどくまごつき、「これは、それ、御一同のお見えになる前に、わしが酒屋へ一両支払い、さきほどわしが持ち出した時には九両、何も不審はございません。」と言ったが、山崎は首を振り、
「いやいや、そうでない。」と老いの頑固(がんこ)、「それがしが、さきほど手のひらに載せたのは、たしかに十枚の小判。行燈(あんどん)のひかり薄しといえども、この山崎の眼光には狂いはない。」ときっぱり言い放てば、他の六人の客も口々に、たしかに十枚あった筈(はず)と言う。皆々総立ちになり、行燈を持ち廻って部屋の隅々(すみずみ)まで捜したが、小判はどこにも落ちていない。
「この上は、それがし、まっぱだかになって身の潔白を立て申す。」と山崎は老いの一轍(いってつ)、貧の意地、痩(や)せても枯れても武士のはしくれ、あらぬ疑いをこうむるは末代までの恥辱とばかりに憤然、陣羽織を脱いで打ちふるい、さらによれよれの浴衣を脱いで、ふんどし一つになって、投網(とあみ)でも打つような形で大袈裟(おおげさ)に浴衣をふるい、
「おのおのがた、見とどけたか。」と顔を蒼(あお)くして言った。他の客も、そのままではすまされなくなり、次に大竹が立って縫紋の夏羽織をふるい、半襦絆を振って、それから馬乗袴を脱いで、ふんどしをしていない事を暴露し、けれどもにこりともせず、袴をさかさにしてふるって、部屋の雰囲気(ふんいき)が次第に殺気立って物凄(ものすご)くなって来た。次にどてらを尻端折して毛臑丸出しの短慶坊が、立ち上りかけて、急に劇烈の腹痛にでも襲われたかのように嶮(けわ)しく顔をしかめて、ううむと一声呻(うめ)き、
「時も時、つまらぬ俳句を作り申した。貧病の薬いただく雪あかり。おのおのがた、それがしの懐に小判一両たしかにあります。いまさら、着物を脱いで打ち振うまでもござらぬ。思いも寄らぬ災難。言い開きも、めめしい。ここで命を。」と言いも終らず、両肌(もろはだ)脱いで脇差(わきざ)しに手を掛ければ、主人はじめ皆々駈け寄って、その手を抑え、
「誰(だれ)もそなたを疑ってはいない。そなたばかりでなく、自分らも皆、その日暮しのあさましい貧者ながら、時に依(よ)って懐中に、一両くらいの金子(きんす)は持っている事もあるさ。貧者は貧者同志、死んで身の潔白を示そうというそなたの気持はわかるが、しかし、誰ひとりそなたを疑う人も無いのに、切腹などは馬鹿らしいではないか。」と口々になだめると、短慶いよいよわが身の不運がうらめしく、なげきはつのり、歯ぎしりして、
「お言葉は有難(ありがた)いが、そのお情(なさけ)も冥途(めいど)への土産。一両詮議(せんぎ)の大事の時、生憎(あいにく)と一両ふところに持っているというこの間の悪さ。御一同が疑わずとも、このぶざまは消えませぬ。世の物笑い、一期(いちご)の不覚。面目なくて生きて居られぬ。いかにも、この懐中の一両は、それがし昨日、かねて所持せし徳乗(とくじよう)の小柄(こづか)を、坂下の唐物屋(とうぶつや)十左衛門(じゅうざえもん)方へ一両二分にて売って得た金子には相違なけれども、いまさらかかる愚痴めいた申開きも武士の恥辱。何も申さぬ。死なせ給え。不運の友を、いささか不憫(ふびん)と思召(おぼしめ)さば、わが自害の後に、坂下の唐物屋へ行き、その事たしかめ、かばねの恥を、たのむ!」と強く言い放ち、またも脇差し取直してあがいた途端、
「おや?」と主人の原田は叫び、「そこにあるよ。」
 見ると、行燈の下にきらりと小判一枚。
「なんだ、そんなところにあったのか。」
「燈台もと暗しですね。」
「うせ物は、とかく、へんてつもないところから出る。それにつけても、平常の心掛けが大切。」これは山崎。
「いや、まったく人騒がせの小判だ。おかげで酔いがさめました。飲み直しましょう。」とこれは主人の原田。
 口々に言って花やかに笑い崩れた時、勝手元に、
「あれ!」と女房の驚く声。すぐに、ばたばたと女房、座敷に走って来て、「小判はここに。」と言い、重箱の蓋(ふた)を差し出した。そこにも、きらりと小判一枚。これはと一同顔を見合せ、女房は上気した顔のおくれ毛を掻きあげて間がわるそうに笑い、さいぜん私は重箱に山の芋の煮しめをつめて差し上げ、蓋は主人が無作法にも畳にべたりと置いたので、私が取って重箱の下に敷きましたが、あの折、蓋の裏の湯気に小判がくっついていたのでございましょう、それを知らずに私の不調法、そのままお下渡(さげわた)しになったのを、ただいま洗おうとしたら、まあどうでしょう、ちゃりんと小判が、と息せき切って語るのだが、主客ともに、けげんの面持(おもも)ちで、やっぱり、ただ顔を見合せているばかりである。これでは、小判が十一両。
「いや、これも、あやかりもの。」と一座の長老の山崎は、しばらく経(た)って溜息と共に、ちっとも要領の得ない意見を吐いた。「めでたい。十両の小判が時に依って十一両にならぬものでもない。よくある事だ。まずは、お収め。」すこし耄碌(もうろく)しているらしい。
 他の客も、山崎の意見の滅茶(めちゃ)苦茶なのに呆(あき)れながら、しかし、いまのこの場合、原田にお収めを願うのは最も無難と思ったので、
「それがよい。ご親戚のお方は、はじめから十一両つつんで寄こしたのに違いない。」
「左様、なにせ洒落たお方のようだから、十両と見せかけ、その実は十一両といういたずらをなさったのでしょう。」
「なるほど、それも珍趣向。粋(いき)な思いつきです。とにかく、お収めを。」
 てんでにいい加減な事を言って、無理矢理原田に押しつけようとしたが、この時、弱気で酒くらいの、駄目な男の原田内助、おそらくは生涯(しょうがい)に一度の異様な頑張り方を示した。
「そんな事でわしを言いくるめようたって駄目です。馬鹿(ばか)にしないで下さい。失礼ながら、みなさん一様に貧乏なのを、わしひとり十両の仕合せにめぐまれて、天道(てんとう)さまにも御一同にも相すまなく、心苦しくて落ちつかず、酒でも飲まなけりゃ、やり切れなくなって、今夕御一同を御招待して、わしの過分の仕合せの厄払(やくはら)いをしようとしたのに、さらにまた降ってわいた奇妙な災難、十両でさえ持てあましている男に、意地悪く、もう一両押しつけるとは、御一同も人が悪すぎますぞ。原田内助、貧なりといえども武士のはしくれ、お金も何も欲しくござらぬ。この一両のみならず、こちらの十両も、みなさんお持ち帰り下さい。」と、まことに、へんな怒り方をした。気の弱い男というものは、少しでも自分の得(とく)になる事に於(お)いては、極度に恐縮し汗を流してまごつくものだが、自分の損になる場合は、人が変ったように偉そうな理窟を並べ、いよいよ自分に損が来るように努力し、人の言は一切容(い)れず、ただ、ひたすら屁理窟を並べてねばるものである。極度に凹(へこ)むと、裏のほうがふくれて来る。つまり、あの自尊心の倒錯である。原田もここは必死、どもりどもり首を振って意見を開陳し矢鱈(やたら)にねばる。
「馬鹿にしないで下さいよ。十両の金が、十一両に化けるなんて、そんな人の悪い冗談はやめて下さいよ。どなたかが、さっきこっそり、お出しになったのでしょう。それにきまっています。短慶どのの難儀を見るに見かね、その急場を救おうとして、どなたか、所持の一両を、そっとお出しになったのに違いない。つまらぬ小細工をしたものです。わしの小判は、重箱の蓋の裏についていたのです。行燈の傍(そば)に落ちていた金は、どなたかの情の一両にきまっています。その一両を、このわしに押しつけるとは、まるですじみちが立っていません。そんなにわしが金を欲しがっていると思召さるか。貧者には貧者の意地があります。くどく言うようだけれども、十両持っているのさえ、わしは心苦しく、世の中がいやになっていた折も折、さらに一両を押しつけられるとは、天道さまにも見放されたか、わしの武運もこれまで、腹かき切ってもこの恥は雪(そそ)がなければならぬ。わしは酒飲みの馬鹿ですが、御一同にだまされて、金が子を産んだと、やにさがるほど耄碌はしていません。さあ、この一両、お出しになった方は、あっさりと収めて下さい。」もともと、おそろしい顔の男であるから、坐り直して本気にものを言い出せば、なかなか凄い。一座の者は頸(くび)をすくめて、何も言わない。
「さあ、申し出て下さい。そのお方は、情の深い立派なお方だ。わしは一生その人の従僕(じゅうぼく)になってもよい。一文の金でも惜しいこの大みそかに、よくぞ一両、そしらぬ振りして行燈の傍に落し、短慶どのの危急を救って下された。貧者は貧者同志、短慶どののつらい立場を見かねて、ご自分の大切な一両を黙って捨てたとは、天晴(あっぱ)れの御人格。原田内助、敬服いたした。その御立派なお方が、この七人の中にたしかにいるのです。名乗って下さい。堂々と名乗って出て下さい。」
 そんなにまで言われると、なおさら、その隠れた善行者は名乗りにくくなるであろう。こんなところは、やっぱり原田内助、だめな男である。七人の客は、いたずらに溜息をつき、もじもじしているばかりで、いっこうに埒(らち)があかない。せっかくの酒の酔いも既に醒(さ)め、一座は白け切って、原田ひとりは血走った眼をむき、名乗り給え、名乗り給え、とあせって、そのうちに鶏鳴あかつきを告げ、原田はとうとう、しびれを切らし、
「ながくおひきとめも、無礼と存じます。どうしても、お名乗りが無ければ、いたしかたがない。この一両は、この重箱の蓋に載せて、玄関の隅に置きます。おひとりずつ、お帰り下さい。そうして、この小判の主は、どうか黙って取ってお持ち帰り願います。そのような処置は、いかがでしょう。」
 七人の客は、ほっとしたように顔を挙げて、それがよい、と一様に賛意を表した。実際、愚図の原田にしては、大出来の思いつきである。弱気な男というものは、自分の得にならぬ事をするに当っては、時たま、このような水際立(みずぎわだ)った名案を思いつくものである。
 原田は少し得意。皆の見ている前で、重箱の蓋に、一両の小判をきちんと載せ、玄関に置いて来て、
「式台の右の端、最も暗いところへ置いて来ましたから、小判の主でないお方には、あるか無いか見定める事も出来ません。そのままお帰り下さい。小判の主だけ、手さぐりで受取って何気なくお帰りなさるよう。それでは、どうぞ、山崎老から。ああ、いや、襖(ふすま)はぴったりしめて行って下さい。そうして、山崎老が玄関を出て、その足音が全く聞えなくなった時に、次のお方がお立ち下さい。」
 七人の客は、言われたとおりに、静かに順々に辞し去った。あとで女房は、手燭(てしょく)をともして、玄関に出て見ると、小判は無かった。理由のわからぬ戦慄(せんりつ)を感じて、
「どなたでしょうね。」と夫に聞いた。
 原田は眠そうな顔をして、
「わからん。お酒はもう無いか。」と言った。
 落ちぶれても、武士はさすがに違うものだと、女房は可憐(かれん)に緊張して勝手元へ行き、お酒の燗に取りかかる。
(諸国はなし、巻一の三、大晦日(おほつごもり)はあはぬ算用)

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   大力

 むかし讃岐(さぬき)の国、高松に丸亀(まるがめ)屋とて両替屋を営み四国に名高い歴々の大長者、その一子に才兵衛(さいべえ)とて生れ落ちた時から骨太く眼玉(めだま)はぎょろりとしてただならぬ風貌(ふうぼう)の男児があったが、三歳にして手足の筋骨いやに節くれだち、無心に物差しを振り上げ飼猫(かいねこ)の頭をこつんと打ったら、猫は声も立てずに絶命し、乳母は驚き猫の死骸(しがい)を取上げて見たら、その頭の骨が微塵(みじん)に打ち砕かれているので、ぞっとして、おひまを乞(こ)い、六歳の時にはもう近所の子供たちの餓鬼大将で、裏の草原につながれてある子牛を抱きすくめて頭の上に載せその辺を歩きまわって見せて、遊び仲間を戦慄(せんりつ)させ、それから毎日のように、その子牛をおもちゃにして遊んで、次第に牛は大きくなっても、はじめからかつぎ慣れているものだから何の仔細(しさい)もなく四肢(しし)をつかまえて眼より高く差し上げ、いよいよ牛は大きくなり、才兵衛九つになった頃(ころ)には、その牛も、ゆったりと車を引くほどの大黒牛になったが、それでも才兵衛はおそれず抱きかかえて、ひとりで大笑いすれば、遊び友達はいまは全く薄気味わるくなり、誰(だれ)も才兵衛と遊ぶ者がなくなって、才兵衛はひとり裏山に登って杉(すぎ)の大木を引抜き、牛よりも大きい岩を崖(がけ)の上から蹴落(けおと)して、つまらなそうにして遊んでいた。十五、六の時にはもう頬(ほお)に髯(ひげ)も生えて三十くらいに見え、へんに重々しく分別ありげな面構(つらがま)えをして、すこしも可愛(かわい)いところがなく、その頃、讃岐に角力(すもう)がはやり、大関には天竺仁太夫(てんじくにだゆう)つづいて鬼石、黒駒(くろこま)、大浪(おおなみ)、いかずち、白滝、青鮫(あおざめ)など、いずれも一癖ありげな名前をつけて、里の牛飼、山家(やまが)の柴男(しばおとこ)、または上方(かみがた)から落ちて来た本職の角力取りなど、四十八手(しじゅうはって)に皮をすりむき骨を砕き、無用の大怪我(おおけが)ばかりして、またこの道にも特別の興ありと見えて、やめられず椴子(どんす)のまわしなどして時々ゆるんでまわしがずり落ちてもにこりとも笑わず、上手(うわて)がどうしたの下手(したて)がどうしたの足癖がどうしたのと、何の事やらこの世の大事の如(ごと)く騒いで汗も拭(ふ)かず矢鱈(やたら)にもみ合って、稼業(かぎょう)も忘れ、家へ帰ると、人一倍大めしをくらって死んだようにぐたりと寝てしまう。かねて力自慢の才兵衛、どうして之(これ)を傍観し得べき。椴子のまわしを締め込んで、土俵に躍り上って、さあ来い、と両手をひろげて立ちはだかれば、皆々、才兵衛の幼少の頃からの馬鹿力(ばかぢから)を知っているので、にわかに興覚めて、そそくさと着物を着て帰り仕度をする者もあり、若旦那(わかだんな)、およしなさい、へへ、ご身分にかかわりますよ、とお世辞だか忠告だか非難だか、わけのわからぬ事を人の陰に顔をかくして小声で言う者もあり、その中に、上方からくだって来た鰐口(わにぐち)という本職の角力、上方では弱くて出世もできなかったが田舎へ来ればやはり永年たたき込んだ四十八手がものを言い在郷(ざいごう)の若い衆の糞力(くそぢから)を軽くあしらっている男、では一番、と平気で土俵にあがって、おのれと血相変えて飛び込んで来る才兵衛の足を払って、苦もなく捻(ね)じ伏せた。才兵衛は土俵のまんなかに死んだ蛙(かえる)のように見っともなく這(は)いつくばって夢のような気持、実に不思議な術もあるものだと首を振り、間抜けた顔で起き上って、どっと笑い囃(はや)す観衆をちょっと睨(にら)んで黙らせ、腹が痛い、とてれ隠しのつまらぬ嘘(うそ)をついて家へ帰って来たが、くやしくてたまらぬ。鶏を一羽ひねりつぶして煮て骨ごとばりばり食って力をつけて、その夜のうちに鰐口の家へたずねて行き、さきほどは腹が痛かったので思わぬ不覚をとったが、今度は負けぬ、庭先で一番やって見よう、と申し出た。鰐口は晩酌(ばんしゃく)の最中で、うるさいと思ったが、いやにしつこく挑(いど)んで来るので着物を脱いで庭先に飛び降り、突きかかって来る才兵衛の巨躯(きょく)を右に泳がせ左に泳がせ、自由自在にあやつれば、才兵衛次第に目まいがして来て庭の松の木を鰐口と思い込み、よいしょと抱きつき、いきせき切って、この野郎と叫んで、苦も無く引き抜いた。
「おい、おい、無茶をするな。」鰐口もさすがに才兵衛の怪力に呆(あき)れて、こんなものを永く相手にしていると、どんな事になるかもわからぬと思い、縁側にあがってさっさと着物を着込んで、「小僧、酒でも飲んで行け。」と懐柔の策に出た。
 才兵衛は松の木を引き抜いて目よりも高く差し上げ、ふと座敷の方を見ると、鰐口が座敷で笑いながらお酒を飲んでいるので、ぎょっとして、これは鬼神に違いないと幼く思い込み、松の木も何も投げ捨て庭先に平伏し、わあと大声を挙げて泣いて弟子にしてくれよと懇願した。
 才兵衛は鰐口を神様の如くあがめて、その翌日から四十八手の伝授にあずかり、もともと無双の大力ゆえ、その進歩は目ざましく、教える鰐口にも張合いが出て来るし、それにもまして、才兵衛はただもう天にも昇る思いで、うれしくてたまらず、寝ても覚めても、四十八手、四十八手、あすはどの手で投げてやろうと寝返り打って寝言(ねごと)を言い、その熱心が摩利支天(まりしてん)にも通じたか、なかなかの角力上手になって、もはや師匠の鰐口も、もてあまし気味になり、弟子に投げられるのも恰好(かっこう)が悪く馬鹿々々しいと思い、或(あ)る日もっともらしい顔をして、汝(なんじ)も、もう一人前の角力取りになった、その心掛けを忘れるな、とわけのわからぬ訓戒を垂れ、ついては汝に荒磯(あらいそ)という名を与える、もう来るな、と言っていそいで敬遠してしまった。才兵衛は師匠から敬遠されたとも気附(きづ)かず、わしもいよいよ一人前の角力取りになったか、ありがたいわい、きょうからわしは荒磯だ、すごい名前じゃないか、ああまことに師の恩は山よりも高い、と涙を流してよろこび、それからは、どこの土俵に於(お)いても無敵の強さを発揮し、十九の時に讃岐の大関天竺仁太夫を、土俵の砂に埋めて半死半生にし、それほどまで手ひどく投げつけなくてもいいじゃないかと角力仲間の評判を悪くしたが、なあに、角力は勝ちゃいいんだ、と傲然(ごうぜん)とうそぶき、いよいよ皆に憎まれた。丸亀屋の親爺(おやじ)は、かねてよりわが子の才兵衛の力自慢をにがにがしく思い、何とか言おうとしても、才兵衛にぎょろりと睨まれると、わが子ながらも気味悪く、あの馬鹿力で手向いされたら親の威光も何もあったものでない、この老いの細い骨は木(こ)っ葉(ぱ)微塵(みじん)、と震え上って分別し直し、しばらく静観と自重していたのだが、このごろは角力に凝って他人様(ひとさま)を怪我(けが)させて片輪にして、にくしみの的になっている有様を見るに見かねて、或る日、おっかなびっくり、
「才兵衛さんや、」わが子にさんを附けて猫撫声(ねこなでごえ)で呼び、「人は神代(かみよ)から着物を着ていたのですよ。」遠慮しすぎて自分でも何だかわからないような事を言ってしまった。
「そうですか。」荒磯は、へんな顔をして親爺を見ている。親爺は、いよいよ困って、
「はだかになって五体あぶない勝負も、夏は涼しい事でしょうが、冬は寒くていけませんでしょうねえ。」と伏目になって膝(ひざ)をこすりながら言った。さすがの荒磯も噴き出して、
「角力をやめろと言うのでしょう?」と軽く問い返した。親爺はぎょっとして汗を拭(ふ)き、
「いやいや、決してやめろとは言いませんが、同じ遊びでも、楊弓(ようきゅう)など、どうでしょうねえ。」
「あれは女子供の遊びです。大の男が、あんな小さい弓を、ふしくれ立った手でひねくりまわし、百発百中の腕前になってみたところで、どろぼうに襲われて射ようとしても、どろぼうが笑い出しますし、さかなを引く猫にあてても描はかゆいとも思やしません。」
「そうだろうねえ。」と賛成し、「それでは、あの十種香(じしゅこう)とか言って、さまざまの香を嗅(か)ぎわける遊びは?」
「あれもつまらん。香を嗅ぎわけるほどの鼻があったら、めしのこげるのを逸早(いちはや)く嗅ぎ出し、下女に釜(かま)の下の薪(まき)をひかせたら少しは家の仕末のたしになるでしょう。」
「なるほどね。では、あの蹴鞠(けまり)は?」
「足さばきがどうのこうのと言って稽古(けいこ)しているようですが、塀(へい)を飛び越えずに門をくぐって行ったって仔細(しさい)はないし、闇夜(やみよ)には提灯(ちょうちん)をもって静かに歩けば溝(みぞ)へ落ちる心配もない。何もあんなに苦労して足を軽くする必要はありません。」
「いかにも、そのとおりだ。でも人間には何か愛嬌(あいきょう)が無くちゃいけないんじゃないかねえ。茶番の狂言なんか稽古したらどうだろうねえ。家に寄り合いがあった時など、あれをやってみんなにお見せすると、――」
「冗談を言っちゃいけない。あれは子供の時こそ愛嬌もありますが、髭(ひげ)の生えた口から、まかり出(い)でたるは太郎冠者(たろうかじゃ)も見る人が冷汗をかきますよ。お母さんだけが膝をすすめて、うまい、なんてほめて近所のもの笑いの種になるくらいのものです。」
「それもそうだねえ。では、あの活花(いけばな)は?」
「ああ、もうよして下さい。あなたは耄碌(もうろく)しているんじゃないですか。あれは雲の上の奥深きお方々が、野辺に咲く四季の花をごらんになる事が少いので、深山の松かしわを、取り寄せて、生きてあるままの姿を御眼の前に眺(なが)めてお楽しみなさるためにはじめた事で、わしたち下々の者が庭の椿(つばき)の枝をもぎ取り、鉢植(はちう)えの梅をのこぎりで切って、床の間に飾ったって何の意味もないじゃないですか。花はそのままに眺めて楽しんでいるほうがいいのだ。」言う事がいちいち筋道がちゃんと立っているので親爺は閉口して、
「やっぱり角力が一ばんいいかねえ。大いにおやり。お父さんも角力がきらいじゃないよ。若い時には、やったものです。」などと、どうにも馬鹿らしい結果になってしまった。お内儀は親爺の無能を軽蔑(けいべつ)して、あたしならば、ああは言わない、と或る日、こっそり才兵衛を奥の間に呼び寄せ、まず華やかに、おほほと笑い、
「才兵衛や、まあここへお坐(すわ)り。まあたいへん鬚(ひげ)が伸びているじゃないか、剃(そ)ったらどうだい。髪もそんなに蓬々(ぼうぼう)とさせて、どれ、ちょっと撫(な)でつけてあげましょう。」
「かまわないで下さい。これは角力の乱れ髪と言って粋(いき)なものなんです。」
「おや、そうかい。それでも粋なんて言葉を知ってるだけたのもしいじゃないか。お前はことし、いくつだい。」
「知ってる癖に。」
「十九だったね。」と母は落ちついて、「あたしがこの家にお嫁に来たのは、お父さんが十九、お母さんが十五の時でしたが、お前のお父さんたら、もうその前から道楽の仕放題でねえ、十六の時から茶屋酒の味を覚えたとやらで、着物の着こなしでも何でも、それこそ粋でねえ、あたしと一緒になってからも、しばしば上方へのぼり、いいひとをたくさんこしらえて、いまこそあんな、どっちを向いてるのだかわからないような変な顔だが、わかい時には、あれでなかなか綺麗(きれい)な顔で、ちょっとそんなに俯向(うつむ)いたところなど、いまのお前にそっくりですよ。お前も、お父さんに似てまつげが長いから、うつむいた時の顔に愁(うれ)えがあって、きっと女には好かれますよ。上方へ行って島原(しまばら)などの別嬪(べっぴん)さんを泣かせるなんてのは、男と生れて何よりの果報だろうじゃないか。」と言って、いやらしくにやりと笑った。
「なんだつまらない。女を泣かせるには殴るに限る。角力で言えば張手(はりて)というやつだ。こいつを二つ三つくらわせたら、泣かぬ女はありますまい。泣かせるのが、果報だったら、わしはこれからいよいよ角力の稽古をはげんで、世界中の女を殴って泣かせて見せます。」
「何を言うのです。まるで話が、ちがいますよ。才兵衛、お前は十九だよ。お前のお父さんは、十九の時にはもう茶屋遊びでも何でも一とおり修行をすましていたのですよ。まあ、お前も、花見がてらに上方へのぼって、島原へでも行って遊んで、千両二千両使ったって、へるような財産でなし、気に入った女でもあったら身請(みうけ)して、どこか景色のいい土地にしゃれた家でも建て、その女のひとと、しばらくままごと遊びなんかして見るのもいいじゃないか。お前の好きな土地に、お前の気ままの立派なお屋敷をこしらえてあげましょう。そうして、あたしのほうから、米、油、味噌(みそ)、塩、醤油(しょうゆ)、薪炭(しんたん)、四季折々のお二人の着換え、何でもとどけて、お金だって、ほしいだけ送ってあげるし、その女のひと一人だけで淋(さび)しいならば、お妾(めかけ)を京からもう二、三人呼び奇せて、その他(ほか)、振袖(ふりそで)のわかい腰元三人、それから中居(なかい)、茶の間、御物(おもの)縫いの女、それから下働きのおさんどん二人、お小姓二人、小坊主(こぼうず)一人、あんま取の座頭一人、御酒の相手に歌うたいの伝右衛門(でんえもん)、御料理番一人、駕籠(かご)かき二人、御草履(おぞうり)取大小二人、手代一人、まあざっと、これくらいつけてあげるつもりですから、悪い事は言わない、まあ花見がてらに、――」と懸命に説けば、
「上方へは、いちど行ってみたいと思っていました。」と気軽に言うので、母はよろこび膝をすすめ、
「お前さえその気になってくれたら、あとはもう、立派なお屋敷をつくって、お妾でも腰元でも、あんま取の座頭でも、――」
「そんなのはつまらない。上方には黒獅子(くろじし)という強い大関がいるそうです。なんとかしてその黒獅子を土俵の砂に埋めて、――」
「ま、なんて情無い事を考えているのです。好きな女と立派なお屋敷に暮して、酒席のなぐさみには伝右衛門を、――」
「その屋敷には、土俵がありますか。」
 母は泣き出した。
 襖越(ふすまご)しに番頭、手代(てだい)たちが盗み聞きして、互いに顔を見合せて溜息(ためいき)をつき、
「おれならば、お内儀さまのおっしゃるとおりにするんだが。」
「当り前さ。蝦夷(えぞ)が島の端でもいい、立派なお屋敷で、そんな栄華のくらしを三日でもいい、あとは死んでもいい。」
「声が高い。若旦那(わかだんな)に聞えると、あの、張手とかいう凄(すご)いのを、二つ三つお見舞いされるぞ。」
「そいつは、ごめんだ。」
 みな顔色を変え、こそこそと退出する。
 その後、才兵衛に意見をしようとする者も無く、才兵衛いよいよ増長して、讃岐一国を狭しとして阿波(あわ)の徳島、伊予(いよ)の松山、土佐の高知などの夜宮角力(よみやずもう)にも出かけて、情容赦も無く相手を突きとばし張り倒し、多くの怪我人を出して、角力は勝ちゃいいんだ、と憎々しげにせせら笑って悠然(ゆうぜん)と引き上げ、朝昼晩、牛馬羊の生肉を食って力をつけ、顔は鬼の如く赤く大きく、路傍で遊んでいる子はそれを見て、きゃっと叫んで病気になり、大人は三丁さきから風をくらって疾走し、丸亀屋の荒磯と言えば、讃岐はおろか四国全体、誰知らぬものとて無い有様となった。才兵衛はおろかにもそれを自身の出世と考え、わしの今日あるは摩利支天のお恵みもさる事ながら、第一は恩師鰐口様のおかげ、めったに鰐口様のほうへは足を向けて寝られぬ、などと言うものだから、鰐口は町内の者に合わす顔が無く、いたたまらず、ついに出家しなければならなくなった。そのような騒ぎをいつまでも捨て置く事も出来ず、丸亀屋の身内の者全部ひそかに打寄って相談して、これはとにかく嫁をもらってやるに限る、横町の小平太の詰将棋も坂下の与茂七の尺八も嫁をもらったらぱったりやんだ、才兵衛さんも綺麗なお嫁さんから人間の情愛というものを教えられたら、あんな乱暴なむごい勝負がいやになるに違いない、これは何でも嫁をもらってやる事です、と鳩首(きゅうしゅ)して眼を光らせてうなずき合い、四方に手廻(てまわ)しして同じ讃岐の国の大地主の長女、ことし十六のお人形のように美しい花嫁をもらってやったが、才兵衛は祝言(しゅうげん)の日にも角力の乱れ髪のままで、きょうは何かあるのですか、大勢あつまっていやがる、と本当に知らないのかどうか、法事ですか、など情無い事を言い、父母をはじめ親戚(しんせき)一同、拝むようにして紋服を着せ、花嫁の傍(そば)に坐らせてとにかく盃事(さかずきごと)をすませて、ほっとした途端に、才兵衛はぷいと立ち上って紋服を脱ぎ捨て、こんなつまらぬ事をしていては腕の力が抜けると言い、庭に飛び降り庭石を相手によいしょ、よいしょとすさまじい角力の稽古。父母は嫁の里の者たちに面目なく背中にびっしょり冷汗をかいて、
「まだ子供です。ごらんのとおりの子供です。お見のがしを。」と言うのだが、見たところ、どうしてなかなか子供ではない。四十くらいの親爺に見える。嫁の里の者たちは、あっけにとられて、
「でも、あんな髭をはやして分別顔でりきんでいるさまは、石川五右衛門の釜(かま)うでを思い出させます。」と率直な感想を述べ、とんでもない男に娘をやったと顔を見合せて溜息をついた。
 才兵衛はその夜お嫁を隣室に追いやり、間の襖に念入りに固くしんばり棒をして、花嫁がしくしく泣き出すと大声で、
「うるさい!」と呶鳴(どな)り、「お師匠の鰐口様がいつかおっしゃった。夫婦が仲良くすると、あたら男盛りも、腕の力が抜ける、とおっしゃった。お前も角力取の女房(にょうぼう)ではないか。それくらいの事を知らないでどうする。わしは女ぎらいだ。摩利支天に願掛けて、わしは一生、女に近寄らないつもりなのだ。馬鹿者め。めそめそしてないで、早くそっちへ蒲団(ふとん)敷いて寝ろ!」
 花嫁は恐怖のあまり失神して、家中が上を下への大騒ぎになり、嫁の里の者たちはその夜のうちに、鬼が来た鬼が来たと半狂乱で泣き叫ぶ娘を駕籠(かご)に乗せて、里へ連れ戻(もど)った。
 このような不首尾のために才兵衛の悪評はいよいよ高く、いまは出家遁世(とんせい)して心静かに山奥の庵(いおり)で念仏三昧(ざんまい)の月日を送っている師匠の鰐口の耳にもはいり、師匠にとって弟子の悪評ほどつらいものはなく、あけくれ気に病み、ついには念仏の障りにもなって、或る夜、決意して身を百姓姿にかえて山を下り、里の夜宮に行って相変らずさかんな夜宮角力を、頬被(ほおかぶ)りして眺めて、そのうちにれいの荒磯が、のっしのっしと土俵にあがり、今夜もわしの相手は無しか、尻(しり)ごみしないでかかって来い、と嗄(しゃが)れた声で言ってぎょろりとあたりを見廻せば、お宮の松籟(しょうらい)も、しんと静まり、人々は無言で帰り仕度をはじめ、その時、鰐口和尚(おしょう)は着物を脱ぎ、頬被りをしたままで、おう、と叫んで土俵に上った。荒磯は片手で和尚の肩を鷲(わし)づかみにして、この命知らずめが、とせせら笑い、和尚は肩の骨がいまにも砕けはせぬかと気が気でなく、
「よせ、よせ。」と言っても、荒磯は、いよいよ笑って和尚の肩をゆすぶるので、どうにも痛くてたまらなくなり、
「おい、おい。おれだ、おれだよ。」と囁(ささや)いて頬被りを取ったら、
「あ、お師匠。おなつかしゅう。」などと言ってる間に和尚は、上手投げという派手な手を使って、ものの見事に荒磯の巨体を宙に一廻転させて、ずでんどうと土俵のまん中に仰向けに倒した。その時の荒磯の形のみっともなかった事、大鯰(おおなまず)が瓢箪(ひょうたん)からすべり落ち、猪(いのしし)が梯子(はしご)からころげ落ちたみたいの言語に絶したぶざまな恰好(かっこう)であったと後々の里の人たちの笑い草にもなった程で、和尚はすばやく人ごみにまぎれて素知らぬ振りで山の庵に帰り、さっぱりした気持で念仏を称(とな)え、荒磯はあばら骨を三本折って、戸板に乗せられて死んだようになって家へ帰り、師匠、あんまりだ、うらみます、とうわごとを言い、その後さまざま養生してもはかどらず、看護の者を足で蹴飛(けと)ばしたりするので、次第にお見舞いをする者もなくなり、ついには、もったいなくも生みの父母に大小便の世話をさせて、さしもの大兵(だいひよう)肥満も骨と皮ばかりになって消えるように息を引きとり、本朝二十不孝の番附(ばんづけ)の大横綱になったという。
(本朝二十不孝、巻五の三、無用の力自慢)

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   猿塚(さるづか)

 むかし筑前(ちくぜん)の国、太宰府(だざいふ)の町に、白坂徳右衛門(とくえもん)とて代々酒屋を営み太宰府一の長者、その息女お蘭(らん)の美形ならびなく、七つ八つの頃(ころ)から見る人すべて瞠若(どうじゃく)し、おのれの鼻垂れの娘の顔を思い出してやけ酒を飲み、町内は明るく浮き浮きして、ことし十に六つ七つ余り、骨細く振袖(ふりそで)も重げに、春光ほのかに身辺をつつみ、生みの母親もわが娘に話かけて、ふと口を噤(つぐ)んで見とれ、名花の誉(ほまれ)は国中にかぐわしく、見ぬ人も見ぬ恋に沈むという有様であった。ここに桑盛次郎右衛門(くわもりじろうえもん)とて、隣町の裕福な質屋の若旦那(わかだんな)、醜男(ぶおとこ)ではないけれども、鼻が大きく目尻(めじり)の垂れ下った何のへんてつも無い律儀(りちぎ)そうな鬚男(ひげおとこ)、歯の綺麗(きれい)なのが取柄(とりえ)で笑顔にちょっと愛嬌(あいきょう)のあるところがよかったのか、或(あ)る日の雨宿りが縁になって、人は見かけに依(よ)らぬもの、縁は異なもの、馬鹿(ばか)らしいもの、お蘭に慕われるという飛んでもない大果報を得たというのがこの物語の発端である。両方の親は知らず、次郎右衛門ひそかに、出入のさかなやの伝六に頼み、徳右衛門方に縁組の内相談を持ちかけさせた。伝六はかねがねこの質屋に一かたならず面倒をかけている事とて、次郎右衛門の言いにくそうな頼みを聞いて、向うは酒屋、うまく橋渡しが出来たら思うぞんぶん飲めるであろう、かつはこちらの質の利息払いの期限をのばしてもらうのはこの時と勇み立ち、あつかましくも質流れの紋服で身を飾り、知らぬ人が見たらどなたさまかと思うほどの分別ありげの様子をして徳右衛門方に乗り込み、えへへと笑い扇子を鳴らして庭の石を褒(ほ)め、相手は薄気味悪く、何か御用でも、と言い、伝六あわてず、いや何、と言い、やがてそれとなく次郎右衛門の希望を匂(にお)わせ、こちらさまは酒屋、向うさまは質屋、まんざら縁の無い御商売ではございませぬ、酒屋へ走る前には必ず質屋へ立寄り、質屋を出てからは必ず酒屋へ立寄るもので、謂(い)わば坊主(ぼうず)とお医者の如(ごと)くこの二つが親戚(しんせき)だったら、鬼に金棒で、町内の者が皆殺されてしまいます、などとけしからぬ事まで口走り、一世一代の無い智慧(ちえ)を絞って懸命に取りなせば、徳右衛門も少し心が動き、
「桑盛様の御総領ならば、私のほうでも不足はございませんが、時に、桑盛さまの御宗旨(ごしゅうし)は?」
「ええと、それは、」意外の質問なので、伝六はぐっとつまり、「はっきりは、わかりませぬが、たしか浄土宗で。」
「それならば、お断り申します。」と口を曲げて憎々しげに言い渡した。「私の家では代々の法華宗(ほっけしゅう)で、殊(こと)にも私の代になりましてから、深く日蓮(にちれん)様に帰依(きえ)仕(つかまつ)って、朝夕南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)のお題目を怠らず、娘にもそのように仕込んでありますので、いまさら他宗へ嫁にやるわけには行きません。あなたも縁談の橋渡しをしようというほどの男なら、それくらいの事を調べてからおいでになったらどうです。」
「いや、あの、私は、」と冷汗を流し、「私は代々の法華宗の日蓮様で、朝夕、南無妙法蓮華経と。」
「何を言っているのです。あなたに嫁をやるわけじゃあるまいし、桑盛様が浄土宗ならば、いかほど金銀を積んでも、またその御総領が御発明で男振りがよくっても、私は、いやと申します。日蓮様に相すみません。あんな陰気くさい浄土宗など、どこがいいのです。よくもこの代々の法華宗の家へ、娘がほしいなんて申込めたものだ。あなたの顔を見てさえ胸くそが悪い。お帰り下さい。」
 さんざんの不首尾で伝六は退散し、しょげ切ってこの由(よし)を次郎右衛門に告げた。次郎右衛門は気軽に、なんだ、そんな事は何でもない、こちらの宗旨を変えたらいい、家は代々不信心だから浄土宗だって法華宗だってかまわないんだ、と言って、にわかに総(ふさ)の長い珠数(じゅず)に持ちかえ、父母にもすすめて、朝夕お題目をあげて、父母は何の事かわからぬが子供に甘い親なので、とにかく次郎右衛門の言いつけどおりに、わきを見てあくびをしながら南無妙法蓮華経と称(とな)え、ふたたび伝六は、徳右衛門方におもむき、いまは桑盛様も一家中、日蓮様を信心してお題目をあげていますと得意満面で申し述べたが、徳右衛門はむずかしい男で、いやいや根抜きの法華でなければ信心が薄い、お蘭ほしさの改宗は見えすいて浅間(あさま)し、日蓮さまだっていい顔をなさるまい、ちょっと考えてもわかりそうな事だ、娘は或る知合いの法華の家へ嫁にやるようにきまっています、というむごい返事、次郎右衛門は聞いて仰天して、取敢(とりあ)えずお蘭に、伝六なんの役にも立たざる事、ならびに、お前がよその法華へ嫁(とつ)ぐそうだが、畜生め、私はお前のために好きでもないお題目を称えて太鼓をたたき手に豆をこしらえたのだぞ、思えば私の次郎右衛門という名は、あずまの佐野の次郎左衛門に似ていて、かねてから気になっていたのだが、やはり東西左右の振られ男であった、私もこうなれば、刀を振りまわして百人斬(ぎ)りをするかも知れぬ、男の一念、馬鹿にするな、と涙を流して書き送れば、すぐに折り返しお蘭の便り、あなたのお手紙何が何やら合点(がてん)が行かず、とにかく刀を振りまわすなど危い事はよして下さい、百人斬りはおろか一人も斬らぬうちにあなたが斬られてしまいます、あなたの身にもしもの事があったなら、私はどうしたらいいのでしょう、あまりおどかさないで下さい、よその縁談の事など、本当に私には初耳です、あなたはいつもお鼻や目尻の事を気にして自信が無く、何のかのと言って私を疑うので困ってしまいます、私が今更どこへ行くものですか、安心していらっしゃい、もしもお父さんが私をよそへやるようだったら私はこの家から逃げてもあなたのところへ行くつもり、女の一念、覚えていらっしゃい、という事なので次郎右衛門すこし笑い、しかし、まだまだ安心はならぬと無理に顔をしかめて、とにかくお題目と今は本気に日蓮様におすがりしたくなって、南無妙法蓮華経と大声でわめいて滅多矢鱈(めったやたら)に太鼓をたたく。
 お蘭はその翌(あく)る日、徳右衛門の居間に呼ばれて、本町紙屋彦作(かみやひこさく)様と縁談ととのった、これも日蓮様のおみちびき、有難(ありがた)くとこしなえの祝言(しゅうげん)を結べ、とおごそかに言い渡せば、お蘭はぎょっとしたが色に出さず、つつしんで一礼して部屋から出て、それから飛ぶようにして二階に駈(か)け上り、一筆しめしまいらせ候(そうろう)、来たわよ、いよいよ決行の日が来たわよ、私は逃げるつもりです、今宵(こよい)のうちに迎えたのむ、拝む、としどろもどろに書き散らし、丁稚(でっち)に言いつけて隣町へ走らせ、次郎右衛門はその手紙をざっと一読してがたがた震え、台所へ行って水を飲み、ここが思案のしどころと座敷のまん中に大あぐらをかいてみたが、別に何の思案も浮ばず、立ち上って着物を着換え、帳場へ行ってあちこちの引出しを掻きまわし、番頭に見とがめられて、いやちょっと、と言い、何がしの金子(きんす)をそそくさと袂(たもと)にほうり込んで、もう眼に物が見えぬ気持で、片ちんばの下駄(げた)をはいて出て途中で気がついて、家へ引返すのもおそろしく、はきもの屋に立ち寄って、もうこれだけしかお金が無いのだと思うと、けちになって一ばん安い草履を買い、その薄っぺらな草履をはいて歩くとぺたぺたと裸足(はだし)で地べたを歩いているような感じで心細く、歩きながら男泣きに泣いて、ようやく隣町の徳右衛門の家の裏口にたどりつくと、矢のようにお蘭は走り出て、ものも言わず次郎右衛門の手を取りさっさと自分からさきに歩き出し、次郎右衛門はあんまの如く手をひかれて、ぺたぺたと歩いて、またも大泣きに泣くのである。ここまでは、分別浅い愚かな男女の、取るにも足らぬふざけた話であるが、もちろん物語はここで終らぬ。世の中の厳粛な労苦は、このさきにあるようだ。
 二人は、その夜のうちに七里歩み、左方に博多(はかた)の海が青く展開するのを夢のように眺(なが)めて、なおも飲まず食わず、背後に人の足音を聞くたびに追手かと胆(きも)をひやし、生きた心地(ここち)も無くただ歩きに歩いて蹌踉(そうろう)とたどりついたところは其(そ)の名も盛者必衰(じょうしゃひっすい)、是生滅法(ぜしょうめっぽう)の鐘が崎、この鐘が崎の山添の野をわけて次郎右衛門のほのかな知合いの家をたずね、案の如く薄情のあしらいを受けて、けれどもそれも無理のない事と我慢して、ぶしつけながら、とお金を紙に包んで差し出し、その日は、納屋(なや)に休ませてもらい、浅間しき身のなりゆきと今はじめて思い当って青く窶(やつ)れた顔を見合せて溜息(ためいき)をつき、お蘭は、手飼いの猿(さる)の吉兵衛の背を撫(な)でながら、やたらに鼻をすすり上げた。この吉兵衛という名の猿は、小猿の頃からお蘭に可愛(かわい)がられて育ち、娘が男と一緒にひたすら夜道を急ぐ後を慕ってついて来て、一里あまり過ぎた頃、お蘭が見つけて叱(しか)って追っても、石を投げて追ってもひょこひょこついて来て、次郎右衛門は不憫(ふびん)に思い、せっかく慕って来たのだから仲間にいれておやり、と言い、お蘭は、おいで、と手招きすれば、うれしそうに駈け寄って来て、お蘭に抱かれて眼をぱちぱちさせて二人の顔を気の毒そうに眺める。いまはもう二人の忠義な下僕(げぼく)になりすまして、納屋へ食事を持ちはこぶやら、蠅(はえ)を追うやら、櫛(くし)でお蘭のおくれ毛を掻(か)き上げてやるやら、何かと要らないお手伝いをして、二人の淋(さび)しさを慰めてやろうと畜生ながら努めている。
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