天狗
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著者名:太宰治 

   道心のおこりは花のつぼむ時
 立派なものだ。もっともな句である。しかし、ちっとも面白くない。先日、或る中年のまじめな男が、私に自作の俳句を見せて、その中に「月清し、いたづら者の鏡かな」というのがあって、それには「法の心を」という前書が附いていた。実に、どうにも名句である。私は一語の感想も、さしはさむ事が出来なかった。立派な句には、ただ、恐れ入るばかりである。凡兆も流石に不機嫌になった。冷酷な表情になって、
    能登の七尾の冬は住憂き
 と附けた。まったく去来を相手にせず、ぴしゃりと心の扉を閉ざしてしまった。多少怒っている。カチンと堅い句だ。石ころみたいな句である。旋律なく修辞のみ。
   魚の骨しはぶるまでの老(おい)を見て
 芭蕉がそれに続ける。いよいよ黒っぽくなった。一座の空気が陰鬱にさえなった。芭蕉も不機嫌、理窟っぽくさえなって来た。どうも気持がはずまない。あきらかに去来の「道心のおこりは」の罪である。去来も、つまらないことをしたものだ。
 さてそれから、二十五句ほど続いて「夏の月の巻」が終るのだが、佳句は少い。
 ちょうど約束の枚数に達したから、後の句に就いては書かないが、考えてみると私も、ずいぶん思いあがった乱暴な事を書いたものである。芭蕉、凡兆、去来、すべて俳句の名人として歴史に残っている人たちではないか。夏の一夜の気まぐれに、何かと失礼に、からかったりして、その罪は軽くない。急におじけづいて、この一文に題して曰く、「天狗」。
 夏の暑さに気がふれて、筆者は天狗になっているのだ。ゆるし給え。




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