足迹
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著者名:徳田秋声 

     二十

 こっちの仲働きが向島のと入れ替った。そのころからお庄の心もいくらか自由になった。向島の方のお鳥という女が、何か落ち度があって暇を出されるところを、慈悲のある内儀(かみ)さんが、入れ替らせて本宅で使うことにした。
「お前がしばらく行って、あすこを取り締っておくんなさいよ。お絹には若いものはとても使いきれないから。」
 こっちの仲働きは内儀さんからこう言い渡されたとき、奥から下って来ると厭な顔をして、黙って火鉢の傍で莨ばかり喫(ふか)していた。顔に蕎麦滓(そばかす)の多い女で、一度は亭主を持ったこともあるという話であった。腹には苦労もありそうで、絶えず奥へ気を配り、うっかりしているようなことはなかった。
 お庄は目見えの時、内儀さんからこの女の手に渡されて、二、三日いろいろのことを教わった。お茶の運び工合から蒲団の直しよう、煙草盆の火の埋(い)け方、取次ぎのしかた、光沢拭巾(つやぶきん)のかけ方などを、少しシャがれたような声で舌速(したばや)に言って聴かせた。お庄が笑い出すと、女はマジマジその顔を瞶(みつ)めて、「いやだよ、お前さんは、真面目に聞かないから。」と、煙管(きせる)をポンと敲(たた)いた。お庄はこの「お前さん」などと言われるのが初めのうち強(きつ)く耳に障(さわ)って、どうしても素直に返辞をする気になれなかった。そんな時にお庄は、低い鼻のあたりに皺(しわ)を寄せてとめどなく笑った。一緒に膳に向う時、この女の汚らしい口容(くちつき)をみるのが厭な気持で、白い腰巻きをひらひらさせてそこらを飛び歩いたり、食べ物を塩梅(あんばい)したりする様子も、どうかすると気にかかってならなかった。お庄はそういう時にも、顔に袂を当てがって笑う癖があった。
 一緒に湯に入ると、女はお庄の肉着きのいい体を眺めて、「わたしは一度もお庄ちゃんのように肥(ふと)ったことがなくて済んだんだよ。」と、うらやましがった。
 お庄はまた、骨組みの繊細(きゃしゃ)なこの女の姿だけはいいと思って眺めた。髪の癖のないのも取り柄のように思えた。
「まアこちらのお宅に辛抱してごらんなさい。こちらもあまりパッパとする方じゃないけれど、内儀(おかみ)さんが目をかけて使って下さるからね。どこへ行ったって、そういい家というものはないものですよ。」と、女はお庄がやや昵(なじ)んだ時分に、寝所でしみじみ言って聴かせた。
 お庄はそうして奉公気じみたことを考えるのが、厭なようであった。
 女が包みと行李とを蹴込(けこ)みに積んで、ある晩方向島の方へ送られて行くと、間もなくお鳥がやって来た。
 お鳥は躯(からだ)の小さい、顔の割りに年を喰った女であったが、一ト目見た時から、どこか気がおけなそうに思えた。
 お鳥は来た晩から、洗い浚(ざら)い身の上ばなしを始めた。向島の妾宅のこと、これまでに渉(わた)りあるいた家のことなども、明けッ放しに話した。
 お庄は時々この女に、用事をいいつけるようになった。女は「そう」「そう」と言って、小捷(こばしこ)く働いたが、そそくさと一ト働きすると、じきに懈(だる)そうな風をしてぺッたり坐って、円(まる)い目をパチパチさせながら、いつまでも話し込んだ。この女が平気で弁(しゃべ)ることが、終(しま)いにはおそろしくなるようなことがあった。
 お鳥は冷(ひや)っこい台所の板敷きに、脹(ふく)ら脛(はぎ)のだぶだぶした脚を投げ出して、また浅草で関係していた情人(おとこ)のことを言いだした。
「堅気の家なんか真実(ほんとう)につまらない。奉公するならお茶屋よ。」
 お鳥は溜息をついて、深い目色をした。
 お庄も足にべとつく着物を捲(まく)しあげて、戸棚に凭(もた)れて、うっとりしていた。奥も台所の方も、ひっそりしていた。

     二十一

 水天宮の晩に、お鳥は奥の方へは下谷(したや)の叔母の家に行くと言って、お庄に下駄と小遣いとを借りて、裏口の方から出て行った。この女は来た時から何も持っていなかった。押入れのなかに転(ころ)がした風呂敷のなかに、寝衣(ねまき)と着換えが二、三枚に、白粉の壜(びん)があったきりで、昼間外へ出る時は傘までお庄のをさして行くくらいであったが、金が一銭もなくても買食いだけはせずにいられなかった。お鳥と一緒にいると、お庄は自分の心までが爛(ただ)れて行くように思えた。
 台所ばかりを働いている田舎丸出しの越後(えちご)女は、よくお鳥に拭巾と雑巾とを混合(ごっちゃ)にされたり、奥からの洗濯物のなかに汚い物のついた腰巻きをつくねておかれたりするので、ぶつぶつ小言を言った。
「お前が来てから、何だかそこいらが汚くなったようだよ。」と、内儀(かみ)さんは時々出て来てはそこいらに目を配った。
「私口を捜しに行くんですから、奥へは黙っていて下さいね。どこかいいところがあったら、あなたも行かないこと。」お鳥は出て行く時お庄にも勧めた。
 お庄はただ笑っていたが、この女の口を聞いていると、そうした方が、何だか安易なような気もしていた。貰いのたくさんあるようなところなら、自分の手一つで、母親一人くらいは養って行けそうにも思えた。
 お庄は落ち着かないような心持で、勝手口の側(わき)の鉄の棒の嵌(はま)った出窓に凭(もた)れて路次のうちを眺めていた。するうちに外はだんだん暗くなって来た。一日曇っていた空もとうとう雨になりそうで、冷たい風は向うの家の埃(ほこり)ふかい廂間(ひさしあい)から動いて来た。
 お庄はじれったいような体を、窓から引っ込めて行くと、自分たちの荷物や、この家の我楽多(がらくた)の物置になっている薄暗い部屋へ入って、隅の方に出してある鏡立ての前にしゃがんだ。ふと呼鈴(よびりん)がけたたましく耳に響いた。茶の間へ出て行くと、今店の方から来たばかりの小僧が一人、奥へ返辞もしないで、明るい電燈の下で、寝転んで新聞を読んでいた。お爨(さん)は台所で、夕飯の後始末をしていた。
「お前さんちょっと行ってくれたってもいいじゃないの。」
 お庄は小僧に言いかけて、手で臀(しり)のあたりを撫(な)でながら、奥の方へ行った。奥は四、五日甲高(かんだか)な老人の声も聞えなかった。内儀(かみ)さんは、時々二階へあがって、そこで一人かけ離れて冬物を縫っているお針の傍へ行ったり、物置の方へ物を捜しに行ったりして、日を暮した。お鳥に聞かされるいろいろの話に引き寄せられていたお庄は、しばらくこの主人とも疎(うと)くなったような気がしていた。
 内儀さんは樟脳(しょうのう)の匂いの染(し)み込んだような軟かいほどきものを一枚出して、お庄に渡した。
「お前、旦那(だんな)がお留守で、あんまり閑(ひま)なようなら、ちっとこんなものでもほどいておくれ。」
 お庄はそれを持って引き退(さが)って来たが、今急に手を着ける気もしなかった。
 水天宮へ出かけて行った店の若い人たちが、雨に降られてどかどかと帰って来た時分には、お庄もお鳥の帰りが待ち遠しいような気がして来た。そして明りの下でほどきものをしながら、心にいろいろのことを描いていた。
 お鳥の帰ったのは、その翌朝であった。
「どうも済みません。」
 お鳥は疲れたような顔をして、紅梅焼きを一ト袋、袂の中から出すと、それを棚の上において、不安らしくお庄の顔を見た。お庄はまだ目蓋(まぶた)の脹(は)れぼったいような顔をして、寝道具をしまった迹(あと)を掃いていた。お鳥は急いで襷(たすき)をかけて、次の間へハタキをかけ始めた。

     二十二

 お庄は久しぶりで湯島の方へ帰って行った。もといた近所を通って行くのはあまりいい気持でもなかったし、母親の顔を見るのも厭なような気がして、お庄は日蔭もののように道の片側を歩いて行った。昨夜(ゆうべ)お鳥のところへこの間の話の人にいい口があると言って、浅草の方から葉書で知らせて来た。先方は食物屋(たべものや)で、家は小さいけれど、客種のいいということは前からもお鳥に聞かされていた。それに忙(せわ)しいには忙しいが芸者なども上って、収入(みいり)も多いということであった。体が大きいから、年などはどうにもごまかせると言って、お鳥は女文字のその葉書を見せた。お庄は何だか担(かつ)がれでもするようで、こわかったが、行って見たいような心がしきりに動いた。お庄はもう半分、ここにいる気がしなかった。
 下宿へ入って行くと、下の方には誰もいなかったが、見馴れぬ女中が、台所の方から顔を出して胡散(うさん)そうにお庄を眺めた。そこらはもう薄暗くなっていた。
 母親は二階の空間で、物干しから取り込んだ蒲団の始末をしていた。窓際に差し出ている碧桐(あおぎり)の葉が黄色く蝕(むしば)んで、庭続きの崖(がけ)の方の木立ちに蜩(かなかな)が啼(な)いていた。そこらが古くさく汚く見えた。お庄は自分の古巣へ落ち着いたような心持で、低い窓に腰かけていた。
「阿母(おっか)さん、私お茶屋などへ行っちゃいけなくて。」お庄は訊(き)いた。
 母親は畳んでいた重い四布(よの)蒲団(とん)をそこへ積みあげると、こッちを振り顧(かえ)って、以前より一層肉のついたお庄の顔を眺めた。
「お茶屋ってどんなとこだか知らないが、堅気のものはまアあんまり行くところじゃあるまい。」
「ちゃんとした家なら、行ったっていいじゃないの。」
「さア、どんなものだかね、私(わし)らには一向解りもしないけれど……どこかそんなところでもあるだか。」母親は立っていながら言った。
 お庄はこの母親に言って聞かせても解らないような気がしてもどかしかった。
「お前そうして、そこへ行くと言うだかい。」母親はマジマジ娘の顔を見た。
「どうだか解りゃしない。行って見ないかと言う人があるの。」お庄は外の方を見ていながら、気疎(けうと)いような返辞をした。
「誰からそんなことを言われたか知らないけれど、まアあんまり人の話にゃ乗らない方がいい。もしか間違いでもあって、後で親類に話の出来ないようなことでもあっちゃ済まないで。」と、母親は暗いような顔にニヤニヤ笑って、
「その人はやっぱりあすこへ出入りする人でもあるだか。」
「一緒に働いている人さ。その人も近いうちにあすこを出るでしょうと思うの。」
「じゃ、その人はお前より年とった人ずら。自分が出るでお前も一緒に引っ張って行かずかという気でもあるら。」
 母親は蒲団の前に坐り込んで芥(ごみ)を捻(ひね)りながら、深く思い入っているようであった。
 夕暮の色が、横向きに腰かけているお庄の顔にもかかって来た。
「よくせき困ってくれば、時と場合で女郎さえする人もあるもんだで、身を落す日になれア、何でもできるけれど、家じゃ田舎にちゃんとした親類もあるこんだもんだで、あの人たちに東京で何していると聞かれて、返辞の出来ないようなむやみなことも出来ないといったようなもんせえ。あすこへ世話してくれた人にだって、そんなことを言い出せた義理じゃないしするもんだで……。」
 お庄は、重苦しい母親の調子が、息ぜわしいようであった。
 やがて下から声かけられて、母親が板戸を締めはじめると、お庄もむっと黴(かび)くさい部屋から脱けて、足元の暗い段梯子を降りて行った。

     二十三

「おや厭だぞえ、誰かと思ったらお庄かい。」
 段梯子の下に突っ立っていながら、目の悪い主婦(かみさん)は、降りて来るお庄の姿を見あげて言った。お庄は牡丹の模様のある中形(ちゅうがた)を着て、紅入(べにい)り友禅(ゆうぜん)の帯などを締め、香水の匂いをさせていた。揉揚(もみあ)げの延びた顔にも濃く白粉を塗っていた。
「お前今ごろ何しに来たえ。塩梅(あんばい)でも悪いだか。」
 主婦(かみさん)は帳場のところへ来てお辞儀をするお庄のめっきり大人びたような様子を見ながら訊いた。
 お庄はそこにあった団扇(うちわ)で、熱(ほて)った顔を煽(あお)ぎながら、畳に片手を突いて膝を崩(くず)していた。
「これがお茶屋に行かずかと言いますがどんなもんでござんすら。」と母親が大分経ってから、おずおず言い出したとき、主婦(かみさん)はお庄の顔を見てニヤリと笑った。
「そろそろいい着物でも着たくなって来たら、そして先アどこだえ。」
「何だか浅草に口があるそうで……。」
 主婦は詳しくも聞かなかった。そこへ客が入り込んで来たりなどして、話がそれぎりになった。
 お庄は台所の隅の方で、また母親とこそこそ立ち話をしていた。
 九時ごろにお庄は、通りの角まで母親に送られて帰って行った。
「それじゃ世話する人にも済まないようだったら、今いる家へ知れないように目見えだけでもして見るだか。」
 母親は別れる時こうも言った。お庄は断わるのに造作はなかったが、それぎりにするのも飽き足らなかった。
 帰って行くと、奥はもうひっそりしていた。茶の間と若い人たちの寝る次の部屋との間の重い戸も締められて、心張り棒がさされてあった。お鳥は寝衣(ねまき)のまま起きて出て、そっと戸を開けてくれた。
「私あのことどうしようかしら。」
 お庄はお鳥の寝所(ねどこ)の傍にべッたり坐って、額を抑えながら深い溜息を吐(つ)いた。
 お鳥はだらしのない風をして、細い煙管(きせる)に煙草を詰めると、マッチの火を摺(す)りつけて、すぱすぱ喫(の)みはじめた。
「どうでもあんたの好きなようにすればいいじゃありませんか。あんまりお勧めしても悪いわ。」お鳥はお庄の顔をマジマジ見ていた。
「そこは真実(ほんとう)に堅い家なの。」
「それア堅い家でさね。だけど、どうせ客商売をしてるんですから、堅いと言ったって、ここいらの堅いとはまた違ってますのさ。」お鳥は鼻にかかった声で言って澄ましていた。
 お鳥は寝所(ねどこ)へ入ってからも、自分の知っているそういう家の風をいろいろ話して聞かした。
 二、三日経ってから、お鳥が浅草の叔母の方へ帰って行ったころには、店の方からよく働く女が一人ここへ廻されていた。方々ですれて来たお鳥の使いにくいことが、その前から奥へもよく解っていた。店の荷造りをする男と、一緒に仕舞湯へ入ってべちゃくちゃしながら、肌の綺麗な男の背を流しなどしているところを、台所働きに見られて、言いつけられた。内儀(かみ)さんはお鳥を呼びつけて、しねしね叱言(こごと)を言った。
「もう厭になっちゃった。どうせこんなところは腰かけなんだから、どうだってかまやしない。」
 お鳥は奥から出て来ると、太(ふて)くさったような口を利いて、茶の間にごろごろしていた。
 お鳥は出て行くとき、荷部屋へ入って、お庄としばらく話し込んでいた。それから借りた金なども綺麗に返して、包みを一つ抱えて裏から脱けて行った。
 後で多勢でこの女の噂が始まった。若い男たちは、お庄らの気着かぬことまで見ていた。お庄も一緒になって、時々切なげな笑い方をした。

     二十四

 お庄の行った家は、お鳥の言うほど洒落(しゃれ)てもいなかった。
 お庄は家からかかった体裁に、お鳥から電話をかけてもらって、ある晩方日本橋の家を脱けて出た。その日は一日気色(きしょく)の悪い日で、店から来た束髪の女ともあまり口を利かなかった。お庄には若い夫婦の傍にいつけて、理窟っぽくなっているこの女の幅を利(き)かすほど、煮物や汁加減(つゆかげん)が巧いとは思えなかった。学校出の御新造を笠に被(き)て、お上品ぶるのも厭であった。
 その晩は、白地が目に立つほど涼しかった。お庄は母親に頼んであるネルの縫直しがまだ出来ていなかったし、袷羽織(あわせばおり)の用意もなかったので、洗濯してあった、裄丈(ゆきたけ)の短い絣(かすり)の方を着て出かけて行った。
 馬車の中は、水のような風がすいすい吹き通った。お庄は軽く胸をそそられるようであった。
 お庄は賑やかな池(いけ)の畔(はた)から公園の裾(すそ)の方へ出ると、やがて家並みのごちゃごちゃした狭い通りへ入った。氷屋の簾(すだれ)、床屋の姿見、食物屋(たべものや)の窓の色硝子、幾個(いくつ)となく並んだ神燈の蔭からは、媚(なまめ)かしい女の姿などが見えて、湿った暗い砂利の道を、人や俥(くるま)が忙しく往来した。ここはお庄の目にも昵(なじ)みのないところでもなかった。
 お鳥のいる家はじきに知れた。大きい木戸から作り庭の燈籠(とうろう)の灯影や、橋がかりになった離室(はなれ)の見透(みすか)されるような家は二軒とはなかった。お庄は店頭(みせさき)の軒下に据えつけられた高い用水桶(ようすいおけ)の片蔭から中を覗(のぞ)いて、その前を往(い)ったり来たりしていたが、するうち下足番の若い衆に頼んで、お鳥に外まで出てもらった。やがてお鳥は下駄を突っかけて料理場の脇(わき)の方から出て来た。
 その家は仲見世(なかみせ)寄りの静かな町にあった。お鳥は花屋敷前の暗い木立ちのなかを脱けて、露店(ほしみせ)の出ている通りを突っ切ると、やがて浅黄色の旗の出ている、板塀囲いの小体(こてい)な家の前まで来てお庄を振り顧(かえ)った。お庄は片側の方へ寄って、遠くから入口の方を透(すか)し視(み)していた。
 裏から入って行くと、勝手口は電気が薄暗かった。内もひっそりしていて、菰被(こもかぶ)りの据わった帳場の方の次の狭い部屋には、懈(だる)そうに坐っている痩せた女の櫛巻(くしま)き姿が見えた。上に熊手(くまで)のかかった帳場に、でッぷりした肌脱ぎの老爺(おやじ)が、立てた膝を両手で抱えて、眠そうに倚(よ)りかかっていた。
 お鳥は女中を一人片蔭へ呼び出すと、暗いところで立ち話をしはじめた。そうしてから外に立っているお庄を呼び込んだ。
「じゃこの人よ。どうぞよろしくお願い申します。」お鳥は口軽にお鳥を紹介(ひきあわ)すと、やがて帰って行った。
 女中はお庄を櫛巻きの女の方へつれて行った。女は落ち窪んだヒステレー性の力のない目でお庄をじろじろ眺めたが、言うことはお庄はよく聴き取れなかった。
 帳場前の廊下へ出ると、そこから薄暗い硝子燈籠の点(とも)れた、だだッ広い庭が、お庄の目にも安ッぽく見られた。ちぐはぐのような小間(こま)のたくさんある家建(やだ)ちも、普請が粗雑(がさつ)であった。お庄はビールやサイダーの広告のかかった、取っ着きの広い座敷へ連れられて行くと、そこに商人風の客が一ト組、じわじわ煮立つ鶏鍋(とりなべ)を真中に置いて、酒を飲んでいるのが目についた。お庄は入口の方に坐って、しばらくぼんやりしていた。
「あんたも来て手伝って頂戴。」
 女は骨盤の押し開いたような腰つきをして、片隅に散らかったものを忙しそうに取り纏(まと)めていた。
 お庄は気爽(きさく)に返事をして、急いで傍へ寄って行った。
 その晩から、お庄は衆(みんな)に昵(なじ)んだ。

     二十五

 正雄がある朝十時ごろに、一(いち)の家(や)を訪ねて行くと、お庄は半襟(はんえり)のかかった双子(ふたこ)の薄綿入れなどを着込んで、縁側へ幾個(いくつ)も真鍮(しんちゅう)の火鉢を持ち出して灰を振(ふる)っていた。お庄が身元引受人に湯島の主婦(あるじ)を頼みに行ったとき、主婦はニヤニヤ笑って、
「お前そんなことをしてもいいだかい。自分の娘のことじゃないから、私はまア何とも言わないが、長くいるようじゃダメだぞえ。」と、念を押しながら判を捺(お)してくれた。
 お庄は二日ばかりの目見えで、毎日の仕事もあらまし解って来た。家の様子や客の風も大抵呑(の)み込めた。どこのどんな家のものだか知れないような女連の中に交じって立ち働くのも厭なようで、自分にもそれほど気が進んでもいなかったが、日本橋の方へ帰って、気むずかしい老人夫婦ばかりの、陰気な奥の方を勤めるのも張合いがなかった。
「今いる家は、体が楽でも気が塞(つま)っていけないそうで……。」と、母親も傍から口を添えた。
 お庄はここへ書附けを入れてから、もう二タ月にもなった。
 お庄は裏口の戸の外に待っている正雄の姿を見ると、顔を赧(あか)くして傍へ寄って行ったが、目に涙がにじんだ。明けると十四になる正雄の様子は、しばらくのまにめっきり下町風になっていた。頭髪(かみ)を短く刈り込んだ顔も明るく、縞(しま)の綿入れに角帯をしめた体つきものんびりしていた。
「何か用があったの。」とお庄は何か語りそうな弟の顔を見た。
「いいえ。」正雄は頭(かぶり)を掉(ふ)った。
「どうしてここにいることが解ったの。阿母(おっか)さんに聞いて来たの。」
 それぎりで、二人は話すことも、想い出せないような風で立っていた。
 しばらくたつと、お庄は顔や髪などを直して、出直して来た。大きい素足に後歯(あとば)の下駄をはいて、意気がったような長い縞の前垂を蹴るようにして蓮葉に歩き出すと、やがて芝居や見世物のある通りへ弟を連れ出して来た。
 見世物場はまだそれほど雑踏していなかった。帽子も冠(かぶ)らないで、ピンヘットを耳のところに挟んだような、目容(めつき)のこわらしい男や、黒足袋をはいて襷がけしたような女の往来(ゆきき)している中に、子供の手を引いた夫婦連れや、白い巾(きれ)を頚(くび)に巻いた女と一緒に歩いている、金縁眼鏡(きんぶちめがね)の男の姿などが、ちらほら目についた。二人はその間をぶらぶらと歩いていたが、弟はどこを見せても厭なような顔ばかりしていて、張合いがなかった。お庄は見世物小屋の木戸口へ行って、帯のなかから巾着(きんちゃく)を取り出しながら、弟を呼び込もうとしたが、弟はやはり寄って来なかった。
「何か食べる方がいいの。」お庄は橋の手摺りに倚(よ)りかかって、あっちを向いている弟の傍へ寄り添いながら訊いたが、弟はやはり厭がった。
「じゃ、何か欲しいものがあるならそうお言いなさい。姉さんお鳥目(あし)があるのよ。」
「ううん、お鳥目(あし)なんか使っちゃいけない。」弟はニヤニヤ笑った。
 二人は橋を渡って木立ちの見える方へ入って行った。弟は姉と一緒に歩くのが厭なような風をして、先へずんずん歩いた。
 別れる時、お庄は片蔭へ寄って、巾着から銀貨をあらまし取り出して渡した。
「姉さんも早くあの家を出るようにしておくれ。」と、弟の言ったのを時々思い出しながら、お庄は裏通りをすごすごと帰って行った。

     二十六

 帰って行くと、内儀(かみ)さんが帳場の方に頑張(がんば)っていた。
 内儀さんは上州辺の女で、田舎で芸妓(げいしゃ)をしていた折に、東京から出張っていた土木の請負師に連れ出されて、こっちへ来てから深川の方に囲われていた。ここの老爺(おやじ)と一緒になったのは、その男にうっちゃられてから、浅草辺をまごついていた折であった。前の内儀さんを逐(お)い出すまでには、この女もいくらかの金をかけて引っ張って来た老爺の手から、幾度となく逃げて行った。今茲(ことし)十三になる前妻の女の子は、お庄がここに来ることになってから、間もなく鳥越(とりごえ)にいる叔母の方へ預けられた。この継子(ままこ)を、内儀さんがその父親の前で打(ぶ)ったり毒突いたりしても、爺さんは見て見ない振りをしていた。
「それアひどいことをするのよ。」と、女中たちは蔭で顔を顰(しか)め合った。
「あんなにいびるくらいなら、余所(よそ)へくれた方がいいわ。」
「あの年をしていて、わが子よりは内儀(かみ)さんの方が可愛いなんて、お爺(じい)さんも随分だわね。」
 蒼(あお)い顔をして、女中と一緒に、隅の方で飯を食っている、その女の子の様子を見ると、お庄も厭な気がした。「それでもお前たち子供が可愛そうだと思ったもんで……。」と、いつか母親の言った語(ことば)を思い出された。
「外聞が悪いから、いい加減にしときなよ。」と、爺さんは内儀(かみ)さんのいびり方が劇(はげ)しくなると、眠いような細い目容(めつき)をして、重い体をのそのそと表へ出て行った。そうでもしなければ、彼女の病気がどこまで募るか解らなかった。内儀さんは、請負師の妾(めかけ)をしているころから、劇しいヒステレーに陥っていたらしく思われた。
「おいおい、家は忙(せわ)しいんだよ、朝ッぱらからどこを遊んであるくんだ。」
 隙(すき)のない目で、上って来るお庄の顔を見て、内儀さんは怒鳴った。その顔にはいつものように酒の気(け)もするようであった。どこかやんばらなようなところのある内儀さんは、継子(ままこ)がいなくなってからは、時々劇しくお爺さんに喰ってかかった。喧嘩(けんか)をすると、じきに菰冠(こもかぶ)りの呑み口を抜いて、コップで冷酒(ひやざけ)をも呷(あお)った。
「どうも済みません。」
 お庄は笑いながら言って、奥の方へ入って行った。
 座敷の方では、赤いメリンスの腰捲きを出して、まだ雑巾がけをしている女もあった。並べた火鉢の側に寄って、昨夜(ゆうべ)仲店で買って来た櫛(くし)や簪(かんざし)の値の当てッこをしている連中もあった。
「あれお前さんの弟……。」一人はお庄にこう言って訊きかけた。
「え、そう」お庄は頷(うなず)》いた。
「道理で似ていると思った。」
「同胞(きょうだい)だって似るものと決まってやしないわ。」
「当然(あたりまえ)さ。親子だって似ないものもあるじゃないか。」
 てんでんに下らなく笑って、顔の話などをしはじめた。お庄は形の悪い鼻を気にしながら、指頭(ゆびさき)が時々その方へ行った。奥の小間(こま)では、お庄が出る前から飲みはじめて、後を引いている組もあった。都々逸(どどいつ)の声などがそっちから聞えて、うるさく手が鳴った。誰かが、「ちょッ」と舌うちして、鼻唄(はなうた)を謳(うた)いながら起って行った。お庄も寒い外の風に吹かれながら鼻頭(はながしら)を赤くして上って来た客に声かけて、垢染(あかじ)みた蒲団などを持ち出して行った。
 夜お庄は、弟から端書(はがき)を受け取った。端書には、読めないような生意気なことが、拙(まず)い筆で書いてあったが、茶屋奉公などしている姉を怒っている弟の心持は、お庄の胸に深く感ぜられた。

     二十七

 正月の十五日過ぎに、お庄は肩にショールをかけ、銀杏返(いちょうがえ)しに白い鬢掻(びんか)きなどをさして奥山で撮(と)った手札形の自分の写真と、主婦(あるじ)や母親、女中に半襟や櫛のようなものを買って、湯島の方へ訪ねて来た。そのころ湯島ではもう大根畠(だいこんばたけ)の方の下宿屋を引き払っていた。田舎で潰(つぶ)れた家を興して、医師の玄関を張っている菊太郎から、倹約すれば弟二人を学校へ出して行けるだけの金が、月々送られることになってから、主婦(あるじ)は下宿を売り払って、その金の幾分で路次裏にちょっとした二階屋を買って、そこへ引っ越していた。二階にはごく気のおけない人を一人二人置いてあった。
 主婦のお元は、お庄の風を見てあまり悦(よろこ)ばなかった。
 お庄が半襟などを取り出して、「阿母(おっか)さんがいろいろお世話になりまして……。」と、ひねた挨拶(あいさつ)ぶりをすると、婆さんは紙に包んだその品を見もしないで、苦い顔をしていた。
「お前は、そしてその家で何をしているだい。やっぱり出てお客のお酌(しゃく)でもするだかえ。」
「え、時々……。」お庄はニヤニヤしながら、「やっぱりね、それをしないと怒る人があるものですから。」
「そんなことをしてはいけないぞえ。ろくなお客も上るまいに。金でもちっと溜ったと言うだか。」お庄は笑っていた。
「お安さあのところへ時々送るという話だったじゃないかえ。」
「それはそうなんですけれど、ああしておれば何だ彼だと言ってお小遣いもいりますから……。」
「それじゃお前、初めの話と違うぞえ、そのくらいなら日本橋にいた方がまだしも優(まし)だ。続いて今までおればよかったに。」
 お庄もそんなような気がしていないこともなかった。お酉(とり)さま前後から春へかけて、お庄は随分働かされた。一日立詰めで、夜も一時二時を過ぎなければ、火を落さないようなこともあった。脚も手も憊(くたび)れきった体を、硬い蒲団に横たえると、すぐにぐッすり寝込んだ。朝起きるとまた同じように、重い体を動かさなければならなかった。お庄は婆さんの前に坐っていると、膝やお尻の、血肉(ちにく)が醜く肥ったことが情ないようであった。
「それにあすこいらはおそろしい風儀がよくないと言うじゃないかい。お前もそんなことをしていれア、一生頭があがらないぞえ。」
 お庄の耳には、根強いような婆さんの声が、びしびし響いた。お庄は聞いて聞かないような振りをして、やっぱり笑っていた。そして時々涙のにじみ出る目角(めかど)を、指頭(ゆびさき)で拭(ぬぐ)っていたが、終(しま)いにそこを立って暗い段梯子の方へ行った。お庄は婆さんに何か言われるたんびに、下宿の二階で見たことなどがじきに頭に浮んだ。鬢の薄い、唇の黒赭(くろあか)いようなその顔が、見ていられなくなった。
「兄さんはお二階……。」お庄は落ち着かないような調子で訊いた。
 二階では、取っ着きの明るい部屋で、糺(ただす)が褞袍(どてら)を着込んで、机に向って本を見ていた。
「御免なさい。」と言って、お庄はそこへ上り込んで行った。
「誰か来ているのかと思ったらお庄か。」従兄(いとこ)はこっちを向いて、長い煙管(きせる)を取り上げた。
 お庄は挨拶をすますと、窓のところへ寄って来て、障子を開けて外を覗(のぞ)いた。そこはすぐ女学校の教室になっていた。曇ったガラス窓からは、でこでこした束髪頭が幾個(いくつ)も見えた。お庄は珍しそうに覗き込んでいた。
「どうしたい。」従兄はお庄の風に目を□(みは)っている。
「今下で、お婆さんにさんざん油を絞られましたよ。」
「お前のいるところはどこだえ。」
 お庄はそこへ坐って、煙管を取りあげた。
「何だ、お庄ちゃんか。」と言って、繁三も次の室(ま)から顔を出した。

     二十八

 日の暮れ方まで、お庄はここに遊んでいた。二階の連中と出しっこをして、菓子も水ものを買って、それを食べながら、花を引いたり、燥(はしゃ)いだ調子で話をしたりするうちに、夜寄席(よせ)へ行く約束などが出来た。
「そんなことをしていてもいいかえ。築地の小崎もお前のことを心配していたで、今夜にも行って見た方がよくはないかえ。お前の風を見て、小崎が何と言うだか。」
 婆さんは、飯も食わずにそわそわしているお庄に小言を言った。もうランプが点(とも)れていた。お庄は隅の方へ鏡を取り出して大人ぶった様子をして髪の形などを直していた。
「今日でなくとも、明日という日もありますから……。」と、お庄は安火(あんか)に入って、こっちを見ている糺の苦い顔を見ながら言った。
「余所(よそ)へ出て働くというのは辛いものだろう。」と、糺は傍から口を利いた。
「どうせそれは楽じゃないわ。」と、お庄も鏡に映る自分の髪の形に見入りながら、気なしに言った。
「今初めてそんなことが解っただか。お前が独りで口を拵えて行ったじゃないかえ。」
 お庄も糺も黙っていた。
「さあ、若いものは遅くなると危いで、化粧(つくり)などはいい加減にして、早くおいでと言うに。」と、婆さんはやるせなく急(せ)き立てた。
 築地の方へは、この家が下宿を引き払った時分から、母親が引き取られていた。弟も相変らずいた。そこへ行くには、叔母にもちゃんとした挨拶をしなければならず、自分の身の上の相談を持ち込むのも厭であった。
「それじゃ行ったらいいだろう。そして小崎の叔父に話をして、浅草なぞは早く足を洗った方がよさそうだぜ。」糺も興のない顔をして言った。
「え、それじゃ行きます。」お庄は急に髪の道具をしまいかけた。
「どうせお前たちを見るのは、一番縁の近い小崎のほかにアないもんだで、行ったらよく話して見るがいい。あすこには子供がないで、そのくらいのことをするが当然(あたりまえ)だ。」
 するうち古茶箪笥の上の方にかかっている時計が五時を打った。お庄は何だか気が進まなかった。寄席へも行きそびれたような気がして、心がいらいらした。糺に話したいことも胸につかえているようであった。お庄思いの糺には、家もなくて方々まごついているお庄の心持が、一番解っているように思えた。
 お庄は帯を締め直すと、二階に忘れて来た手□(ハンケチ)を捜しに上った。二階には寒い夕方の風が立てつけの悪い障子をがたがた鳴らして、そこらの壁や机の上にまだ薄明りがさしていた。お庄はその薄暗いなかに坐って、しばらく考え込んでいた。するうちにそっと起ちあがって、段梯子を降りた。
 お庄はやがて、堅く凍(い)てついた溝板(どぶいた)に、駒下駄(こまげた)の歯を鳴らしながら、元気よく路次を出て行った。外は北風が劇しく吹きつけていた。十五日過ぎの通りには人の往来(ゆきき)も少く、両側の店も淋しかった。砂埃に吹き曝(さら)されている、薄暗い寄席の看板などが目についた。
 お庄はまだ思い断(き)って、独りで築地へ行く気がしなかった。それよりは、浅草の方へ帰って行った方が、まだしも気楽なように思えた。そして時々立ち停って思案していた。
 浅草へ帰ったのは、八時ごろであった。お庄は馬車を降りると、何とはなし仲居の方へ入って行ったが、しばらくそこらを彷徨(ぶらつ)いているうちに、四下(あたり)がだんだん更(ふ)けて来た。
 お庄はその晩大道で、身の上判断などしてもらって、それからとぼとぼと家の方へ帰って行った。身の上判断は思っているほど悪い方でもなかった。

     二十九

 築地へ行くと言って出かけたきり行かなかったことが後で知れてから、お庄は糺に電話できびしく小言を喰った。電話のかかって来た時、客が立て込んでいて、お庄は落ち着いて先の話を聴くことも出来なかったが、衆(みんな)が意(おも)いのほか心配していることと、叔父や湯島のお婆さんの怒っていることだけは受け取れた。お庄は何だか軽佻(かるはずみ)なことをしたように思って、一日そのことが気にかかった。
「それじゃ二、三日の中にきっと行くね。たびたびそんなことをすると、終(しま)いに誰もかまってくれなくなってしまうからね。」と、糺が念を押した語(ことば)も、お庄の頭脳(あたま)をいらいらさせた。お庄は客のいない部屋の壁のところに倚(よ)りかかって、腹立たしいような心持で、じっと考え込んでいた。築地へはこれきり行かないことにしようかとも思った。一生誰の目にもかからないようなところへ行ってしまいたようにも思った。暮に田舎へ流れて行ったお鳥のことなどが想い出された。
「もし工合がいいようだったら知らしてあげるから、ことによったらお前さんも来るといいわ。少しは前借(ぜんしゃく)も出来ようというんだからいいじゃないか。」
 立つ少し前に、奥山で逢った時、お鳥はこう言って、その土地のことを話して聞かせた。それは茨城(いばらき)の方で、以前関係のあった男が、そこで鰻屋(うなぎや)の板前をしていることも打ち明けた。
「お前さんなんざまだ幼(うぶ)だから、行けばきっと流行(はや)りますよ。」お鳥はこうも言った。
 お庄はおそろしいような心持で聴き流していたが、時々そうした暗い方へ向いて行くような気もしていた。
「お清さんお清さん。」と、廊下で自分を呼んでいる朋輩(ほうばい)の慵(だる)い声がした。(お庄はこの家ではお清と呼ばれている。)お庄は聞いて聞えない風をして黙っていた。するうちに手□(ハンケチ)で目を拭いて客の方へ出て行った。
 それから二、三日して、お庄は菓子折などを持って、築地の方を尋ねた。奥の方では叔母の爪弾(つまび)きの音などが聞えて、静かな茶の間のランプの蔭に、母親が誰かの不断着を縫っていた。お庄がそっとその側へ寄って行くと、母親は締りのない口元に笑(え)みを見せて、娘の姿にじろじろ目をつけた。
「お前がここへ来ると言って、それきり来ないもんだで、どうしたろうかと言って、叔父さんも豪(えら)い心配していなすったに。」と言って、今夜は同役のところへ碁を打ちに行っていることを話した。正雄も二、三日前田舎から出て来た叔母の弟をつれて銀座の方を見に行って、いなかった。
 お庄は、そこで二、三服ふかしてから奥の方へ叔母に挨拶に行った。寒がりの叔母は、炬燵(こたつ)のある四畳半に入り込んで、三味線を弄(いじ)りながら、低い声で端唄(はうた)を口吟(くちずさ)んでいたが、お庄の姿を見るとじきに罷(や)めた。
「おやお庄ちゃんかい、しばらくでしたね。」と言って振り顧(かえ)った。叔母はその晩気が面白そうに見えた。そして、堅苦しく閾(しきい)のところにお辞儀をしているお庄に気軽に話をしかけながら、茶の間へ出て来た。
 しばらくすると、叔母の弟が正雄と一緒に帰って来た。色の白い目鼻立ちの優しいその弟は、いきなりそこにべたりと坐って溜息を吐いた。
「ああ、魂(たま)げてしまった。実に剛気なもんですね。」
「この人は銀座を見て驚いているんだよ。」弟は笑い出した。
 部屋が急に陽気になった。お庄も晴れ晴れした顔をして、衆(みんな)の話に調子を合わした。

     三十

「叔父さんはことによると今夜も帰って来ないかしら。」叔母は柱時計を見あげながら気にしだした。時計はもう十二時近くであった。
「あの人の碁も、このごろは一向当てにならないでね。」
 茶箪笥から出した煎餅(せんべい)も、弟たちが食い尽し、茶も出(だ)し殻(がら)になってしまった。母親は傍(はた)の話を聞きながら時々針を持ったまま前へ突っ伏さるようになっては、また重い目蓋(まぶた)を開いて、機械的に手を動かした。お庄はその様子を見て腹から笑い出した。
「阿母さんは何ていうんでしょうね。そんなに眠かったら御免蒙(こうむ)って寝(やす)んだらいいでしょう。」
「お寝みなさい。どうせ今夜は帰らないでしょうから。」叔母はその方を見ないようにして言った。
「いいえ、眠ってやしません。」
 おそろしい宵(よい)っ張(ぱ)りな母親は、居睡りをしながら、一時二時まで手から仕事を放さない癖があった。頭脳(あたま)が悪いので、夜も深い睡りに陥ちてしまうなんということがなかった。
「僕はどうしても兄貴の世話にゃ何ぞならないで、きっと独りで行(や)り通してみせる。」と、昨日(きのう)から方々東京を見てあるいて、頭脳(あたま)が興奮しているので、口から泡(あわ)を飛ばして自分のことばかり弁(しゃべ)っていた叔母の弟も、叔父の机のところから持って来た、古い実業雑誌を見ていながら、だんだん気が重くなって来た。この少年の家は、田舎の町で大きな雑貨店を出していた。お庄は時々その狂気(きちがい)じみた調子に釣り込まれながら、妙な男が来たものだと思って綺麗(きれい)なその顔を眺めていた。
「さあ、鶴二(つるじ)も正ちゃんもお寝みなさいよ。」と、広い座敷の方へ寝道具を取り出して、そこへ二人を寝かせてしまうと、叔母は心配そうな顔をして、火鉢の傍へ寄って来た。近所はもう寝静まって、外は人通りも絶えてしまった。霊岸島(れいがんじま)の方で、太い汽笛の声などが聞えた。
 叔母はその晩、しみじみした調子で、家の生活向(くらしむ)きのことなどを、お庄母子(おやこ)に話して聞かせた。今の会社でいくらか信用が出来るまで、二度も三度もまごついたことや、堅くやっておりさえすれば、どうにかこうにか取り着いて行けそうな会社の方も、少し尻が暖まると、もうほかのことに手を出して、事務がお留守になりそうだということなどを気にしていた。叔父はそのころから株に手を出したり、礦山(こうざん)の売買に口を利いて、方々飛び歩いたりした。そして儲(もう)けた金で茶屋小屋入りをした。
「良人(うち)もあすこは、今年がちょうど三年目だでね、どうか巧い工合に失敗(しくじ)らないでやってくれればいいと思ってね……三年目にはきっと失敗(しくじ)るのが、これまでのあの人の癖だもんですからね。」
 母親は性のないような指頭(ゆびさき)に、やっぱり針を放さなかった。
「もう年が年だから、弟もちっとは考えていますらい。」と、弟贔屓(びいき)の母親は眠そうな顔をあげた。
「それに私も、この年になるまで子がないもんですからね。」
「まだないという年でもござんすまいがね。弟だって、四十には三年も間のあることだもんだから……。」
 お庄はやがてこの叔母の傍へ寝かされた。叔母は床についてからも、折々寝返りをうって、表を通る俥や人の足音に耳を引き立てているようであった。するうちお庄はふかふかした蒲団に暖められて快い眠りに沈んだ。

     三十一

 翌朝目がさめて見ると、叔父はまだ復(かえ)っていなかった。明け方近くに、ようやく寝入ったらしい叔母は、口と鼻の大きい、蒼白いその顔に、どこか苦悩の色を浮べて、優しい寝息をしながら、すやすやとねていた。頬骨(ほおぼね)が際立って高く見えた。お庄は何だか淋しい顔だと思って眺めていた。
 お庄は仮りて着て寝た叔母の単衣物(ひとえもの)をきちんと畳んで蒲団の傍におくと、そッと襖(ふすま)を開けて、暗い座敷から茶の間の方へ出た。台所では、母親がもう働いていた。七輪に火も興(おこ)りかけていたし、鉄瓶にも湯を沸かす仕掛けがしてあった。お庄も襷がけになって、長火鉢の掃除をしたり茶箪笥に雑巾をかけたりした。
 そこらが一ト片着き片着いてしまうと、衆(みんな)は火鉢の傍へ寄って、母親が汲(く)んで出す朝茶に咽喉(のど)を潤(うるお)した。鶴二も正雄も、もう朝飯の支度の出来た餉台(ちゃぶだい)の側に新聞を拡げて、叔母の起きて出るのを待っていた。
 するうちに座敷の方へ日がさして、朝の気分がようやく惰(だら)けて来た。東京地図を畳んだり拡げたりして、今日見て歩くところを目算立(もくさんだ)てしていた鶴二は、気がいらいらしてきたように懐中時計を見ては、しきりに待ち遠しがっていた。母親も茶碗を手にしながら欠(あくび)をしだした。お庄は二人に飯を食べさしてから、正雄に小遣いを少し持たして鶴二と一緒に出してやった。正雄は暮から学校の方も休(よ)していた。
「頭脳(あたま)の悪いものは、強(し)いて学問などさして苦しますより、いっそ商売を覚えさすか職人にでもした方が早道だそうでね。」と母親は叔父の言ったことをお庄に話した。
「どっちにしても、叔父さんが今に資本(もと)を卸(おろ)して、店を出さしてやるというこんだから、何が正雄の得手だか、それが決まると口を見つけて、すぐそっちへ行くことになっているだけれどね……。」
「正ちゃんは何がいいていうんです。」
「それが自分にも解らないそうで……。」母親は茶の湯気で逆上目(のぼせめ)を冷やしていた。
 叔母が起きて来て、三人で飯を済ましてもまだ叔父は帰って来なかった。叔母は出勤の時間を気にしながら、始終表の方へ耳を引き立てていた。顔に淡(うす)く白粉などを塗って、髪も綺麗に撫(な)でつけ、神棚に榊(さかき)をあげたり、座敷の薄端(うすばた)の花活(はないけ)に花を活けかえなどした。お庄はそんな手伝いをしながら、昼ごろまでずるずるにいた。
 叔父は三時ごろにやっと帰って来た。叔母は待ち憊(くたび)れて安火に入って好きな講釈本を読んでいたし、お庄は帰ろう帰ろうと思いながら、もう外へ出るのが億劫(おっくう)になって、暖かい日のあたる縁側で、雲脂(ふけ)の多い母親の髪を釈(と)いて梳(す)いてやっていた。
 叔父はどこか酒の気もあるようであった。細い首に襟捲きを捲いて、角帯の下から重い金時計を垂下(ぶらさ)げ、何事もなさそうな顔をして入って来た。
「叔父さんの碁は大変長いって、今もそう言っていたところだに。」と母親は笑いながらその方を振り顧(かえ)った。
 叔父は黙って火鉢の傍に坐ると、赤く充血したような目をして、そこにあった新聞を長い膝の上で拡げて見ていたが、奥で叔母に床を延べさせて大欠をしながら寝てしまった。
「お庄ちゃんも昨宵(ゆうべ)から来て待っていますのに……。」と、叔母は言いかけたが、叔父は深く気にも留めなかった。
 お庄は座敷で叔父の脱棄(ぬぎす)てを畳みながら今日も夜まで引っかかっているのかと思った。叔母は箪笥の上に置いた紙入れのなかを検(しら)べなどしていた。
 夜になっても、叔父の目は覚めそうにもなかった。

     三十二

 晩飯の時、叔母は叔父の好きな取っておきの干物(ひもの)などを炙(あぶ)り、酒もいいほど銚子(ちょうし)に移して銅壺(どうこ)に浸(つ)けて、自身寝室(ねま)へ行って、二度も枕頭(まくらもと)で声をかけて見たが、叔父は起きても来なかった。ランプに火を点(つ)けてお庄が呼び起しに行くと、叔父は顎(あご)の骨をガクガク動かして、細長い筋張った手を蒲団の外へ延ばして、ぐったり寝込んでいた。お庄は「厭な叔父さんね。」とげらげら笑いながら出て来た。
「あんなに疲れるまで遊んであるいて、体に障(さわ)らにゃいいが……。」
 叔母は拍子ぬけがして、自分で猪口(ちょく)に二、三杯酒を注いで飲んだ。叔母と叔父とは、年がそんなに違っていなかった。
 お庄は叔父の寝相(ねぞう)を真似をしながら、「どうすればあんなに正体なくなるんでしょう。」といってまだ笑っていた。
 飯を済ましたところへ、小原という会社の男が遊びに来た。三十少し出たくらいの、色の蒼白い、敏捷(はしっ)こそうな目をした小柄の男で、給仕から仕上げたのだということを、お庄は後で聞いた。
「小崎さん今日は見えませんでしたね。」と小原は叔母が火を入れて出す手炙(てあぶ)りの側へ、お庄が奥から持って来た座蒲団を敷いて、小綺麗な指頭(ゆびさき)で両切りの短く切ったのを、象牙(ぞうげ)のパイプに嵌(は)めて喫(の)みはじめた。お庄は古(ふる)こびれたようなその顔を横から見ながら、時々傍(わき)を向いて何やら思い出し笑いをしていた。するうちに叔母に睨(にら)まれて奥の方へ逃げ込んで行った。
 小原は袱紗(ふくさ)に包んだ紙入れのなかから、女持ちの金時計を一つ鎖ごと取り出して、ランプの心を掻き立て、鎖の目方を引いたり型の説明をしたりして叔母に勧めていた。お庄も傍へ行って見た。その時計は同じ会社の上役の某という人の細君の持物であった。その女が花に負けて、一時の融通に質屋へ預けてあったのを、今度厭気がさして、質の直(ね)で売るのだということを、小原は繰り返して、出所(でどころ)の正しいことを証明した。
 叔母はさんざん弄(いじく)りまわした果てに、気乗りのしない顔をして男の手へ品物を返した。
「また余所(よそ)へお売りになればったって、決して御損の行く品物じゃありません。」小原は傍に手を突いて覗いているお庄と叔母との顔を七分三分に見比べながら言い立てた。お庄はまた顔に袖を当てて笑い出した。
「いや真実(ほんとう)に。」と、その男も笑い出した。そして一順人々の手を経廻(へめぐ)って来た時計を、そっと懐へしまいこんだ。
 やがてランプの釣(つ)り手を掛けかえて、この男と叔母と母親とで、花が始まった。
「あなたもお入りなさいな。」と、お庄も仲間に引き入れられた。お庄は身幅の狭い着物の膝を掻き合わせながら、目にちらちらする花札を手にした。鶴二は後の方で今日の日記を小さい手帳に書きつけていた。
 叔父が奥から、のそりと起き出して来たころには、花も大分進んでいた。
 叔父はお庄の背後(うしろ)の方に坐り込むと、時計を見あげて懈(だる)い欠をしていた。時計はもう九時を過ぎていた。
「そんな手で出るというのがあるものか、お庄は花を知らないかい。」叔父はお庄の肩越しに覗き込んで、煙管を咬(くわ)えながら一ト勝負後見した。
 やがて叔父が褞袍(どてら)を羽織って、連中の間へ割り込むと、お庄は席をはずれて、酒の燗(かん)をしたり、弟と二人で寒い通りへ衆(みんな)の食べる物を誂(あつら)えに走ったりした。
 花札の音が夜遅くまで、籠(こも)った部屋に響いた。

     三十三

 去年薬くさい日本橋で過した初夏(はつなつ)を、お庄は今年築地の家で迎えた。浅草から荷物を引き揚げて来たころから見ると、叔父の体は一層忙しくなっていたし、家も景気づいていたのだ。お庄も叔父が見立ててくれた新しい浴衣(ゆかた)などを着せられて、夕化粧をして、叔母と一緒に鉄砲洲(てっぽうず)の稲荷(いなり)の縁日などへ出かけた。
 叔母はどこへ行っても、気の浮き立つというようなことはなかった。好きな芝居を見に行っても、始終家のことを気にかけていた。お庄は倹約家(しまりや)の叔母が、好きな狂言があるとわざわざ横浜まで出向いてまで見に行くのを不思議に思った。たび重なると叔母は袋へ食べ物などを仕入れて行ってお庄と二人で大入り場で済まして来ることもあった。
 家にいると、仕立てものをするか、三味線を弾(ひ)くかして、やっと日を暮したが、そうしていてもやはり心が淋しそうであった。
「私は子がないので真実(ほんとう)につまらない。」お庄と二人で裁物板(たちものいた)に坐っている時、叔母は気が鬱(ふさ)いで来るとしみじみ言い出した。
「お庄ちゃんを貰って養子でもしようかね。」叔母は時々そんなことも考えた。そして親身(しんみ)になって着物の裁ち方や縫い方を教えた。少しは糸道が明いているのだからといって、三味線も教えてくれた。お庄は体の大きい叔母と膝を突き合わして、湯島の稽古屋(けいこや)で噛(かじ)ったことのある夕立の雨や春景色などを時々一緒に謳(うた)った。叔母の知っている端唄(はうた)なども教わったが、声がそんなものには太過ぎたし、手もしなやかに動く方ではなかったので、自分でも気がはずまなかった。
「わたし叔母さん駄目よ。」と、お庄は叔母が三味線を取り出すと、次の室(ま)へ逃げて行った。叔母は田舎風の節廻しで、独りで謳っていた。
 叔母はお庄の欲しがるような大きな人形を買って来て、それに好みの衣裳(いしょう)を縫って着せなどした。向うの子供を呼び込んで、玩具(おもちゃ)を買って懐(なつ)かしたり芝居の真似をさしておかしがったりしていたが、厭味なほどませたその子供は、お庄に馴染(なじ)んで、夜も一緒に抱かれて寝た。お庄は子供を負(おぶ)って日に幾度となく自分の家と向うの家とを往復した。
 金毘羅(こんぴら)で講元をしていた大きな無尽の掛け金を持って、お庄は取り縋(すが)るこの子供を負(おぶ)いながら、夕方から出かけて行った。ここから金毘羅まではかなりの道程(みちのり)であった。お庄は鉄道馬車で行けるところまで乗って、それからえッちらおッちら歩いて行った。その晩は銀座の地蔵の縁日であった。お庄は帰りにそっちへ廻って、人込みのなかを子供を負ったり歩かせたりして彷徨(ぶらつ)いていた。土の臭(にお)いと油煙と人瘟気(ひといきれ)とで、呼吸(いき)のつまりそうな通りをおりおり涼しい風が流れた。お庄は背(せなか)や股(もも)のあたりにびっしょり汗を掻きながら、時々蓄音機の前や、風鈴屋の前で足を休めて、背(せなか)で眠りかける子供を揺り起した。汚い三尺に草履(ぞうり)を突っかけた職人などが、幾度となくお庄の顔を覗いて行った。「こんなに若くて子持ちかい。」などと大声に言って、後から押して来る連中もあった。
 帰って子供を卸(おろ)してから、お庄は袂(たもと)のなかに悪戯(いたずら)されたことにやっと気がついた。
 翌日お庄は、涼しい朝のうちに、水口の外へ盥(たらい)を持ち出して、外の浴衣と一緒に昨夜(ゆうべ)の汚れものの洗濯をしていた。手拭を姉さん冠(かぶ)りにして着物を膝までまくって、水を取り替え取り替え滌(すす)いでいた。そこへ腹掛けに半纏(はんてん)を着込んだ十三、四の子供が、封書のようなものを持って来た。そして、「……公が、ちょっとこれを見て下さいッて。」と言ってお庄に手渡した。
「変な小僧さんが、こんなものをくれましたよ。」とお庄は前垂で手を拭き拭き上へあがって、叔父の前へ差し出した。そしてその小僧の様子をしながら、笑い出した。封書のなかには、汚い墨で妙なことが書いてあった。叔父はにっこりともしないで、袋ごと丸めてそこへ棄てた。
 お庄は赧(あか)い顔をして、また水口へ降りて行った。胸がしばらくどきどきしていた。

     三十四

 燥(はしゃ)ぎきった廂(ひさし)にぱちぱちと音がして、二時ごろ雨が降って来た。その音にお庄は目をさまして、急いで高い物干竿(ものほしざお)にかかっていた洗濯物を取り入れた。中にはまだ湿々(じめじめ)しているのもあった。お庄はそれを縁側の方へ取り入れてから、障子に懈(だる)い体を凭(もた)せて、外の方を眺めていた。水沫(しぶき)と一緒に冷たい風が、熱(ほて)った顔や手足に心持よく当って、土の臭いが強く鼻に通った。お庄は遅い昼飯がすむと間もなく、四畳半の方で針を持ちながら居睡りをしていた。
 座敷の方では、暑さに弱い叔母が赭(あか)い広東枕(かんとんまくら)をしながら、新聞と団扇(うちわ)とを持ったまま午睡(ひるね)をしていた。叔母は夏に入ってから、手足にいくらか水気をもった気味で、肥った体が一層懶(だる)かった。飯も茶をかけて、やっと流し込んでいるくらいで、そっちへ行ってはばッたり、こっちへ来てはばッたりたおれていた。それに下(しも)の方の病気などがあって、日本橋の婦人科の病院に通いはじめてから、もう二週間の余にもなっていた。神経も過敏になって、ちょっとした新聞の三面記事にもひどく気を悩ました。人殺し、夫婦別れ、亭主の妾狂(めかけぐる)いというようなものを読むと、「厭なことだね。」と言ってつくづく顔を顰(しか)めていた。
 三、四日叔父がまたどこかに引っかかっていた。晩に家で酒を飲んでいると、向島の社長の家から電話がかかって来たと言って、酒屋の小僧が取り次いでくれた。お庄がその酒屋へ行って聞き取ってみると、社長の夫人が例の賭場(とば)を開いているのだということが、じきに解った。こんな連中は用心深い屋敷の奥の室(ま)へ立て籠って、おそろしい大きな花を引くということをお庄も叔母から聞いて知っていた。その見張りには巡査が傭(やと)われるということもあながち嘘(うそ)ではないらしかった。
 叔父は着物を着換えると俥(くるま)に乗って急いで出かけて行ったが、それきり家へ帰って来なかった。向島へ聞き合わしても、社へ問い合わしても、叔父のその後の居所が解らなかった。
「あの晩の電話だって、どこからかかって来たのだか解りゃしない、お庄ちゃんこの間の紙入れを貰って、それで叔父さんと共謀(ぐる)になっていやしませんか。」猜疑深(うたぐりぶか)い叔母は淋しい顔にヒステリー性の笑(え)みを洩(も)らした。
 お庄は呆(あき)れた顔をしていた。そうしてから笑い出した。
「そうでしょう。」叔母は火鉢の縁を拭きながら言った。
「私そんなことしやしませんよ。あの時はもう確かに社長さんのお宅だったんですもの。」お庄は真顔になった。
「それじゃそうかも知れない。」叔母は苦笑した。
 それからお庄は、また方々電話で聞き合わした。近いところは歩いて尋ねて見た。終いには洲崎(すさき)の引手茶屋へ問い合わしてみると、そこでは返事が少し曖昧であった。お庄はそれから叔母に相談して、俥でそこまで出かけて行った。その晩会社の方では叔父がいなければ解らないような用事が出来ていた。
 お庄を載せた俥は、だんだん明るい通りを離れて暗いしっとりした町へ入って行った。舟や材木のぎっしり詰った黒い堀割りの水に架(かか)った小橋を幾個(いくつ)となく渡ると、そこにまた賑やかな一区画があった。川縁の柳の蔭には、俥屋の看板が幾個(いくつ)となく見えて、片側には食物屋(たべものや)がぎっしり並んでいた。
 広々した廓内(くるわうち)はシンとしていた。じめじめした汐風(しおかぜ)に、尺八の音(ね)の顫(ふる)えが夢のように通って来て、両側の柳や桜の下の暗い蔭から、行燈(あんどん)の出た低い軒のなかに人の動いているさまが見透(みすか)された。

     三十五

 お庄は芝居の書割りのなかに誘(おび)き入れられたような心持で、走る俥の上にじッと坐っていられなくなった。ふわふわするような胸の血が軽く躍(おど)っていた。
 叔父が行きつけの福本という茶屋は、軒並びでは比較的大きくて綺麗な方であった。お庄はその少し手前のところで俥を降りて、そこから薄明るい店へ入って行った。端の方に肥った二十三、四の色の浅黒い女が、酸漿(ほおずき)を鳴らしながら、膝を崩して坐っていたので、お庄はそっとその傍へ行って聞いてみた。
「今ちょッと電話で伺ったんですがね、こちらに小崎という人が来ておりませんですか。」
 女は軽く頷いてみせて、「石川島の小崎さんでしょう、それならば、もう少し前にお連れの方と御一緒にお帰りになりましてすよ。」
「そうですか。」と、お庄は考えていた。
「まアお上んなさいまし。」長火鉢の方に坐っていた四十四、五の、これも色の黒い女が奥から声かけた。
「小崎さんは、かれこれもうお宅へお着きの時分でございますよ。」
 お庄は何だか嘘のような気がした。
「急に用事が出来たものですからね、今夜もし帰らないようだと家で大変困るんです。」
 内儀(かみ)さんはそれぎりほかの方へ気をとられていた。若い女も酸漿を鳴らしはじめた。お庄は叔母から、叔父の上る楼(うち)まで行って突き留めなければ駄目だと言われたことを憶(おも)い出して、しばらく押し問答していた。
「それじゃ念晴しに行ってごらんなさいまし。御案内しますから。」と女は笑いながら言い出した。
「それがいいでしょうよ。花魁(おいらん)の部屋もちっと見ておおきなさいまし。」内儀さんも言った。

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