足迹
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著者名:徳田秋声 

     一

 お庄(しょう)の一家が東京へ移住したとき、お庄はやっと十一か二であった。
 まさかの時の用意に、山畑は少しばかり残して、後は家屋敷も田もすっかり売り払った。煤(すす)けた塗り箪笥(だんす)や長火鉢(ながひばち)や膳椀(ぜんわん)のようなものまで金に替えて、それをそっくり父親が縫立ての胴巻きにしまい込んだ。
「どうせこんな田舎柄(いなかがら)は東京にゃ流行(はや)らないで、こんらも古着屋へ売っちまおう。東京でうまく取り着きさえすれア衆(みんな)にいいものを買って着せるで心配はない。」
 とかく愚痴っぽい母親が、奥の納戸(なんど)でゴツゴツした手織縞(ておりじま)の着物を引っ張ったり畳んだりしていると、前後(あとさき)の考えのない父親がこう言って主張した。これまでにもさんざん道楽をし尽して、どうかこうか五人の子供を育てあげるにさしつかえぬくらいの身代を飲み潰(つぶ)してしまった父親は、妻子を引き連れてどこか面白いところを見物に行くような心持でいた。
 それまでに夫婦は長いあいだ、身上(しんしょう)をしまうしまわぬで幾度となく捫着(もんちゃく)した。母親はそのたびにいろいろの場合のことを言い出して、一つ一つなくなった物を数えたてた。
「あんらも今あれアたとい東京へ行くにしたってはずかしい思いはしないに」と、ろくに手を通さない紋附や小紋のようなものを、縫い直しにやると言って、一ト背負い町へ持ち出して行かれたことなどを、くどくどと零(こぼ)した。自分で苦労して、養蚕で取った金を夕方裏の川へ出ているちょっとの間に、ちょろりと占(せし)めて出て行ったきり、色町へ入り浸(びた)って、七日も十日も帰らなかったことなども、今さらのように言い立てられた。すると父親は煙管(きせる)を筒にしまって腰へさすと、ぷいと炉端(ろばた)を立って向うの本家へ外(はず)してしまう。
 お庄は母親が、売るものと持って行くものとを、丹念に選(え)り分けて、しまったり出したりしている傍(そば)に座り込んで、これまでに見たこともない小片(こぎれ)や袋物、古い押し絵、珊瑚球(さんごじゅ)のような物を、不思議そうに選り出しては弄(いじ)っていた。中には顎下腺炎(がっかせんえん)とかで死んだ祖母(ばあ)さんの手の迹(あと)だという黴(かび)くさい巾着(きんちゃく)などもあった。お庄は自分の産れぬ前のことや、稚(ちいさ)いおりのことを考えて、暗い懐(なつ)かしいような心持がしていた。
 家がすっかり片着いて、起(た)つ二日ばかり前に一同本家へ引き揚げた時分には、思い断(き)りのわるい母親の心もいくらか紛らされていた。明るい方へ出て行くような気もしていた。
 父親は本家の若い主(あるじ)と朝から晩まで酒ばかり飲んでいた。村で目ぼしい家は、どこかで縁が繋(つな)がっていたので、それらの人々も、餞別(せんべつ)を持って来ては、入れ替り立ち替り酒に浸っていた。山国の五月はやっと桜が咲く時分で裏山の松や落葉松(からまつ)の間に、微白(ほのじろ)いその花が見え、桑畑はまだ灰色に、田は雪が消えたままに柔かく黝(くろず)んでいた。
 道中はかなりに手間どった。汽車のあるところまで出るには、五日もかかった。馬車の通っているところは馬車に乗り、人力車(くるま)のあるところは人力車に乗ったが、子供を負(おぶ)ったり、手を引っ張ったりして上るような嶮(けわ)しい峠もあった。父親は早目にその日の旅籠(はたご)へつくと、伊勢(いせ)参宮でもした時のように悠長(ゆうちょう)に構え込んで酒や下物(さかな)を取って、ほしいままに飲んだり食ったりした。
「田舎の地酒もここがおしまいだで、お前もまあ坐って一つやれや。」と、父親はきちんと坐って、しゃがれたような声で言って、妻に酒を注(つ)いだ。
 母親は泣き立てる乳呑(ちの)み児(ご)を抱えて、お庄の明朝(あした)の髪を結(ゆ)ったり、下の井戸端(いどばた)で襁褓(むつき)を洗ったりした。雨の降る日は部屋でそれを乾(ほ)さなければならなかった。
「鼻汁(はな)をたらしていると、東京へ行って笑われるで、綺麗(きれい)に行儀をよくしているだぞ。」と、父親はお庄の涕汁(はな)なぞを拭(か)んでやった。気の荒い父親も旅へ出てからの妻や子に対する心持は優しかった。
 ある町場に近い温泉場(ゆば)へつれて行った時、父親はそこで三日も四日も逗留(とうりゅう)して、終(しま)いに芸者をあげて騒ぎだした。

     二

 一行が広い上野のプラットホームを、押し流されるように出て行ったのは、ある蒸し暑い日の夕方であった。
 父親は鞄(かばん)に二本からげた傘(かさ)を通して、それを垂下(ぶらさ)げ、ぞろぞろ附いて来る子供を引っ張ってベンチのところへ連れて行くと、母親も泣き立てる背中の子を揺(ゆす)り揺り襁褓(しめし)の入った包みを持って、めまぐるしい群集のなかを目の色を変えて急いで行った。停車場(ステーション)では蒼白(あおじろ)い瓦斯燈(ガスとう)の下に、夏帽やネルを着た人の姿がちらほら見受けられた。
 そこで一休みしてから、「私(わし)はまア後で行くで、お前たちは人力車(くるま)で一足先(ひとあしさき)へ行っとれ。」と言って、よく東京を知っている父親は物馴(ものな)れたような調子で、構外へ出て人力車(くるま)を三台誂(あつら)えた。行く先は母親の側(かわ)の縁続きであった。父親は妻や子供をぞろぞろ引っ張って、そこへ入って行くのを好まなかった。
「それじゃ私は先へ行っておりますで、明朝(あした)はどうでも来て下さるだろうね。」母親は行李(こうり)を一つ股(また)の下へ挿(はさ)んで、車夫が梶棒(かじぼう)を持ち上げたときに、咽喉(のど)の塞(ふさ)がりそうな声を出して言うと、父親は頷(うなず)いて傘に包みを一つ下げながら、帽子を傾(かし)げて停車場前の広場へ出て行った。
 お庄は尻(しり)から二番目の妹と、一つの車に乗せられた。汽車に乗る前に、父親に町で買ってもらった花簪(はなかんざし)などを大事そうに頭髪(あたま)にさしていた。
 車は湯島の辺をあっちこっちまごついた。坂の上へあがると、煙突や灯(ひ)の影の多い広い東京市中が、海のような濛靄(もや)の中に果てもなく拡がって見えたり、狭いごちゃごちゃした街が、幾個(いくつ)も幾個も続いたりした。そのうちに日がすっかり暮れた。
 門構えや板塀囲(いたべいがこ)いの家の多い町へ来たとき、がた人力車(くるま)の音が耳につくくらいそこらが暗くシンとしていた。そこは明神(みょうじん)の深い森の影を受けているようなところで、地面が低く空気がしッとりしていた。碧桐(あおぎり)の蔭に埃(ほこり)を冠(かぶ)った瓦斯の見えるある下宿屋の前へ来かかったとき、母親と車夫との話し声を聞きつけて、薄暗い窓の簾(すだれ)のうちから、「鴨川(かもがわ)の姉さまかね。」と言って、母親の実家(さと)の古い屋号を声をかけるものがあった。見るとそこに髯深(ひげぶか)い丸い顔が、近眼鏡を光らしてニコニコしている。
 その顔はじきに入口の格子戸(こうしど)の方へ現われた。
「おや、みんなやって来たやって来た。」と言う、ここの女主(おんなあるじ)の声も耳に入った。
 しばらくすると帳場の次の狭苦しい部屋で物の莫迦叮寧(ばかていねい)な母親と、ここの人たちとの間に長い挨拶(あいさつ)が始まった。
 気象の烈(はげ)しい女主は、くどいお辞儀を続けている母親を見下すようにして、「東京は田舎と異(ちが)って、何もしずに、ぶらぶら遊んでいるような者は一人もいないで、為(ため)さあのような精(ずく)のない人には、やって行かれるかどうだか私(わし)ア知らねえけれど、まず一ト通りや二タ通りのことでは駄目だぞえ。」と、ずけずけ言った。
「そうでござんすらいに……。」と、母親は淋(さび)しい笑顔(えがお)を作って、ずらりと傍に並んで坐った子供を見やった。
 子息(むすこ)の菊太郎(きくたろう)は、ニコニコしながら茶をいれて衆(みんな)に侑(すす)めた。
「大きくなったな。お庄さんは幾歳(いくつ)になるえね。」と、お庄の丸い顔を覗(のぞ)き込んだ。
 部屋には薄暗いランプが点(とも)されて、女主の後から三男の繁三(しげぞう)が黒い顔に目ばかりグリグリさせて、田舎から来た子供の方を眺(なが)めていた。
 やがて繁三につれられて、お庄は弟と一緒に近所の洗湯(せんとう)へやられた。

     三

 その晩お庄は迷子(まいご)になった。
「お庄ちゃんは女だから、そっちへお入り。」と、お庄はパッと明るい女湯の中へ送り込まれて、一人できょろきょろしていた。そこには見たこともない大きい姿見がつるつるしていた。お庄は日焼けのした丸い顔や、田舎田舎した紅入(べにい)り友染(ゆうぜん)の帯を胸高(むなだか)に締めた自分の姿を見て、ぼッとしていた。
 湯から上ってみると、男湯の方にはもう繁三も弟も見えなかった。お庄は一人で暗い外へ出ると、温かい湯の匂(にお)いのする溝際(どぶぎわ)について、ぐんぐん歩いて行ったが、どこへ行っても同じような家と町ばかりであった。お庄はさっき車夫が上ったような暗い坂を上ったり下りたり、同じ下宿屋の前を二度も三度も往来(ゆきき)したりした。するうちに町がだんだん更(ふ)けて来て、今まで明るかった二階の板戸が、もう締まる家もあった。
 菊太郎と繁三とが捜しに来たころには、お庄はもう歩き疲れて、軒燈の薄暗い、とある店屋の縁台の蔭にしゃがんで、目に涙をにじませながらぼんやりしていた。
「お前まあ今までどこにいただえ。」女主は帳場の奥から、帰って来たお庄に声かけた。
「東京には人浚(ひとさら)いというこわいものがおるで、気をつけないといけないぞえ。」
 お庄はメソメソしながら、母親の側(そば)へ寄って行った。
 ごちゃごちゃした部屋の隅(すみ)で、子供同士頭顱(あたま)を並べて寝てからも、女主と母親と菊太郎とは、長火鉢の傍でいつまでも話し込んでいた。
「為(ため)さあは、何をして六人の子供を育てて行くつもりだかしらねえけれど、取り着くまでには、まあよっぽど骨だぞえ。」と女主は東京へ出てからの自分の骨折りなどを語って聞かせた。
「私らも、田舎でこそ押しも押されもしねえ家だけれど、東京へ出ちゃ女一人使うにも遠慮をしないじゃならないで……。」
 田舎では問屋本陣(とんやほんじん)の家柄であった女主は、良人(おっと)が亡(な)くなってから、自分の経営していた製糸業に失敗して、それから東京へ出て来た。そして下宿業を営みながら、三人の男の子を医師に仕立てようとしていた。それまでに商売は幾度となく変った。
 翌日父親が来たとき、母親と子供は、狭い部屋にうようよしていた。
「とにかくどんなところでもいいで、家を一つ捜さないじゃ……話はそれからのことですって。」と父親は落ち着き払って莨(たばこ)を喫(ふか)していた。
 午後に菊太郎と父親とは、近所へ家を見に出た。家はじきに決まった。すぐ横町の路次のなかに、このごろ新しく建てられた、安普請(やすぶしん)の平屋がそれで、二人はまだ泥壁(どろかべ)に鋸屑(かんなくず)[#「鋸」はママ]の散っている狭い勝手口から上って行くと、台所や押入れの工合を見てあるいた。
「田舎の家から見れア手狭いもんだでね。」と菊太郎は砂でざらざらする青畳の上を、浮き足で歩きながら笑った。
「まあ仮だでどうでもいい。新しいで結構住まえる。東京じゃ、これで坪二十円もしますら。」
 晩方には、もうそこへ移るような手続きが出来てしまった。
 下宿からは、さしあたり必要な古火鉢や茶呑(ちゃの)み茶碗(ぢゃわん)、雑巾のような物が運ばれ、父親は通りからランプや油壺(あぶらつぼ)、七輪のような物を、一つ一つ買っては提(さ)げ込んで来た。母親は木の香の新しい台所へ出て、ゴシゴシ働いていた。
 その間お庄は、乳呑み児を背(せなか)に縛りつけられて、下宿と引っ越し先との間を、幾度となく通(かよ)っていた。

     四

 点燈(ひともし)ごろにそこらがようよう一片着き片着いた。
 広い田舎家の奥に閉じ籠(こも)って、あまり外へ出たことのない母親は、近所の女房連の集まっている井戸端へ出て行くのが、何より厭(いや)であった。子供たちも行き詰った家のなかを、そっちこっちうろつきながら、何にもない台所へ出て来ては水口のところにぴったりくっついて、暮れて行く路次を眺めていた。お庄は出たり入ったりして、そこらの門口にいる娘たちの頭髪(あたま)や身装(みなり)を遠くからじろじろ見ていた。
 父親は買立てのバケツを提げて、水を汲(く)みに行ったり、大きな躯(からだ)で七輪の前にしゃがんで、煮物の加減を見たりした。
「こんな流しは私(わし)ア初めて見た。東京には田舎のような上流(うわなが)しはありましねえかね。」
「ないこともないが田舎は何でも仕掛けが豪(えら)いで。まア東京に少し住んで見ろ。田舎へなぞ帰ってとてもいられるものではないぞ。」
「何だか知らねえが、私は家のような気がしましねえ。」母親は滌(すす)いでいた徳利(とくり)をそこに置いたまま、何もかも都合のよく出来ている、田舎のがっしりした古家をなつかしく思った。
 父親が、明るいランプの下でちびちび酒を始めた時分に、子供たちはそこにずらりと並んで、もくもく蕎麦(そば)を喰いはじめた。母親は額に汗をにじませながら、荒い鼻息の音をさせて、すかすかと乳を貧(むさぼ)っている碧児(みずご)の顔を見入っていた。
「今やっと晩御飯かえ。」と、下宿の主婦(あるじ)は裏口から声かけて上って来た。
「皆な今まで何していただえ。」
「お疲れなさんし。」母親は重い調子でお辞儀をして、「何だか馴れねえもんだでね。」と、いいわけらしく言った。
「それでもお蔭で、どうかこうか寝るところだけは出来ましたえ。まア一つ。」と父親は猪口(ちょく)をあけて差した。
 主婦(あるじ)は落ち着いて酒も飲んでいなかった。そしてじろじろ子供たちの顔を見ながら、「為さあはこれから何をするつもりだか知らねえが、こう大勢の口を控えていちゃなかなかやりきれたものじゃない、一日でも遊んでいれアそれだけ金が減って行くで。」
 父親は平手(ひらて)で額を撫(な)であげながら、黙っていた。父親の気は、まだそこまで決まっていなかった。行(や)って見たいような商売を始めるには、資本(もと)が不足だし、躯(からだ)を落して働くには年を取り過ぎていた。どうにかして取り着いて行けそうな商売を、それかこれかと考えてみたが、これならばと思うようなものもなかった。
「私(わし)も考えていることもありますで、まア少しこっちの様子を見たうえで。」と、父親はあまりいい顔をしなかった。
「相場でもやろうちゅうのかえ。」主婦(あるじ)はニヤニヤ笑った。
「そんなことして、摺(す)ってしまったらどうする気だえ。私(わし)はまア何でもいいから、資本(もと)のかからない、取着きの速いものを始めたらよかろうかと思うだがね。」
 父親は聴きつけもしないような顔をしていた。
「それに一昨日(おととい)神田の方で、少し頼んでおいた口もありますで。」
「そうですかえ。けど、そんな人頼みをするより、いっそ誰にでも出来る氷屋でも出せアいいに。氷屋で仕上げた人は随分あるぞえ。綺麗事(きれいごと)じゃ金は儲(もう)からない。」
「氷屋なぞは夏場だけのもんですッて。第一あんなものは忙(せわ)しいばっかりで一向儲けが細い。」
 母親も心細いような気がしだした。氷屋をするくらいならば……とも思った。

     五

「田舎ッぺ、宝ッぺ、明神さまの宝ッぺ。」と、よく近所の子供連に囃(はや)されていたお庄の田舎訛(いなかなま)りが大分除(と)れかかるころになっても、父親の職業はまだ決まらなかった。
 父親は思案にあぐねて来ると、道楽をしていた時分拵(こしら)えた、印伝(いんでん)の煙草入れを角帯の腰にさして、のそのそと路次を出て行った。行く先は大抵決まっていた。下宿屋の主婦(あるじ)にがみがみ言われるのが厭なので、このごろはその前を多くは素通りにすることにしていた。そして蠣殻町(かきがらちょう)の方へ入り込んでいる。村で同姓の知合いを、神田の鍛冶町(かじちょう)に訪(たず)ねるか、石川島の会社の方へ出ている妻の弟を築地(つきじ)の家に訪ねるかした。時とすると横浜で商館の方へ勤めている自分の弟を訪ねることもあった。浜からはよく強い洋酒などを貰(もら)って来て、黄金色したその酒を小さい杯(コップ)に注(つ)ぎながら、日に透(すか)して見てはうまそうになめていた。
「浜の弟も、酒で鼻が真紅(まっか)になってら。こんらの酒じゃ、もう利(き)かねえというこんだ。金にしてよっぽど飲むらあ。」
「あの衆らの飲むのは、器量(はたらき)があって飲むだでいい。身上(しんしょう)もよっぽど出来たろうに。」
「何が出来るもんだ。それでも娘は二人とも大きくなった。男の子が一人欲しいようなことを言ってるけれど、やらずかやるまいか、まアもっと先へ寄ってからのことだ。」
 そのころから、父親はよく夢中で新聞の相場附けを見たり、夜深(よなか)に外へ飛び出して、空と睨(にら)めッくらをしたりしていた。朝から出て行って、一日帰らないようなこともあった。するうちに金がだんだん減って行った。四月たらずの居喰(いぐ)いで、目に見えぬ出銭(でぜに)も少くなかった。
「手を汚さないで、うまいことをしようたって駄目の皮だぞえ。為さあらまだ苦労が足りない。」下宿屋の主婦(あるじ)は留守にやって来ると、妻に蔭口を吐(つ)いた。そして、「お安さあもお安さあだ。これまで裸に剥(は)がれてこの上何をぬぐ気だえ。黙って見てばかりいずと、ちっと言ってやらっし。」と言ってたしなめた。母親は、切ないような気がして、黙っていた。
 母親は、押入れの葛籠(つづら)のなかから、子供の冬物を引っ張り出して見ていた。田舎から除(よ)けて持って来てた、丹念に始末をしておいた手織物が、東京でまた役に立つ時節が近づいて来た。その藍(あい)の匂いをかぐと、母親の胸には田舎の生活がしみじみ想い出された。
 父親は一日出歩いて晩方帰って来ると、こそこそと家へ上って、火鉢の傍に坐り込んだ。傍にお庄兄弟が、消し炭の火を吹きながら玉蜀黍(とうもろこし)を炙(あぶ)っていた。六つになる弟と四つになる妹とが、附け焼きにした玉蜀黍をうまそうに噛(かじ)っている。父親はお庄の真赤になって炙っている玉蜀黍を一つ取り上げると、はじ切れそうな実を三粒四粒指で□(むし)って、前歯でぼつりぼつり噛(か)み始めた。四方(あたり)はもう暗かった。薄寒いような風が、障子を開けた縁から吹いて来た。母親はそこにいろいろな物を引っ散らかしていた。
「日の暮れるまで何をしてるだか……。」と、父親は舌鼓(したうち)をして、煙管(きせる)を筒から抜いた。
「何かやり出せア、それに凝って、子供に飯食わすことも点火(ひとも)すことも忘れてしまっている。」
 母親は急に出ていたものを引っ括(くる)めるようにして、「忘れているというでもないけれど、着せる先へ立って、揚げが短いなんて言うと困ると思って。」

     六

 丑年(うしどし)の母親は、しまいそうにしていた葛籠(つづら)の傍をまだもぞくさしていた。父親が二タ言三言小言(こごと)を言うと、母親も口のなかでぶつくさ言い出した。きちんと坐り込んで莨を喫(す)っていた父親が、いきなり起ち上ると、子供の着物や母親の襦袢(じゅばん)のような物を、両手で掻(か)っ浚(さら)って、ジメジメした庭へ捏(つく)ねて投(ほう)り出した。庭には虫の鳴くのが聞えていた。
 お庄が下駄を持って来て、それを縁側へ拾い揚げるころには、父親は箒(ほうき)を持ち出して、さッさと部屋を掃きはじめた。母親がしょうことなしに座を起(た)つと、子供も火鉢の側を離れてうろうろしていた。お庄は泣き出す小さい子を負(おぶ)い出すと、手に玉蜀黍を持って狭い庭をぶらぶらしながら家の様子を見ていた。父と母とは台所で別々のことを働きながら言い合っていた。
 お庄は薄暗い縁側に腰かけて、母親のことを気の毒に思った。放埓(ほうらつ)な気の荒い父親が、これまでに田舎で働いて来たことや、一家のまごつき始めた径路などが、朧(おぼろ)げながら頭脳(あたま)に考えられた。お庄が覚えてから父親が家に落ち着いているような日はほとんどなかった。上州から流れ込んで来た村の達磨屋(だるまや)の年増(としま)のところへ入り浸っている父親を、お庄はよく迎えに行った。その女は腕に文身(ほりもの)などしていた。繻子(しゅす)の半衿(はんえり)のかかった軟かものの半纏(はんてん)などを引っ被(か)けて、煤(すす)けた障子の外へ出て来ると、お庄の手に小遣いを掴(つか)ませたり、菓子を懐ろへ入れてくれたりした。長く家へ留めておいた上方(かみがた)ものの母子(おやこ)の義太夫語(ぎだゆうかた)りのために、座敷に床を拵(こしら)えて、人を集めて語らせなどした時の父親の挙動(ふるまい)は、今思うとまるで狂気(きちがい)のようであった。母親も着飾って、よく女連と一緒に坐って聴いていた。父親や村の若い人たちは終いに浮かれ出して、愛らしい娘を取り捲(ま)いて、明るい燭台(しょくだい)の陰で、綺麗なその目や頬(ほお)に吸いつくようにしてふざけていた。お庄はきまりはずかしい念(おも)いをして、その義太夫語りに何やら少しずつ教わった。
「妾(あたい)にこのお子を四、五年預けておくれやす、きッと物にしてお目にかけます。」と太夫は言っていたが、父親はこんな無器用なものには、芸事はとてもダメだと言って真面目に失望した。
 秋風が吹いて、収穫(とりいれ)が済むころには、よく夫婦の祭文語(さいもんかた)りが入り込んで来た。薄汚(うすぎたな)い祭文語りは炉端(ろばた)へ呼び入れられて、鈴木主水(もんど)や刈萱(かるかや)道心のようなものを語った。母親は時々こくりこくりと居睡(いねむ)りをしながら、鼻を塞(つま)らせて、下卑(げび)たその文句に聴(き)き惚(ほ)れていた。田のなかに村芝居の立つ時には、父親は頭取りのような役目をして、高いところへ坐り込んで威張っていた。
 養蚕時の忙(せわ)しい時期を、父親は村境の峠を越えて、四里先の町の色里へしけ込むと、きッと迎えの出るまで帰って来なかった。迎えに行った男は二階へ上ると、持って行った金を捲き揚げられて、一緒に飲み潰れた。そしてまた幾日も二人で流連(いつづけ)していた。
 夜の目も合わさず衆(みんな)が立ち働いているところへ心も体も酒に爛(ただ)れたような父親が、嶮しい目を赤くして夕方帰って来ると、自分で下物(さかな)を拵えながら、炉端で二人がまた迎え酒を飲みはじめる。棄てくさったような鼻唄(はなうた)や笑い声が聞えて、誰も傍へ寄りつくものがなかった。
 お庄は剛情に坐り込んで、薪片(まきぎれ)で打たれたり、足蹴(あしげ)にされたりしている母親の様子を幾度も見せられた。火の点(つ)いているランプを取って投げつけられ、頬からだらだら流れる黒血を抑(おさ)えて、跣足(はだし)で暗い背戸へ飛び出す母親の袂(たもと)にくっついて走(か)け出した時には、心から父親をおそろしいもののように思った。

     七

 そんなことを想い出している間に、父親は鉄灸(てっきゅう)で塩肴(しおざかな)の切身を炙(あぶ)ったり、浸(ひた)しのようなものを拵えたりした。
「お庄や、お前通りまで行って酢を少し買って来てくれ。」父親は戸棚から瓶(びん)を出すと、明るい方へ透して見ながら言った。
「酢が切れようが砂糖がなくなろうが、一向平気なもんだ。そらお鳥目(あし)……。」と、父親は懐の財布から小銭を一つ取り出して、そこへ投(ほう)り出した。
「あれ、まだあると思ったに……。」と、ランプに火を点(とも)していた母親は振り顧(かえ)って言おうとしたが、業(ごう)が沸くようで口へ出なかった。母親の胸には、これまで亭主にされたことが、一つ一つ新しく想い出された。
 お庄は気爽(きさく)に、「ハイ。」と言って、水口の後の竿(さお)にかかっていた、塩気の染(し)み込んだような小風呂敷を外(はず)して瓶を包みかけたが、父親の用事をするのが、何だか小癪(こしゃく)のようにも考えられた。常磐津(ときわず)の師匠のところへ通っている向うの子でも、仲よしの通りの古着屋の子でも、一度も自分のような吝(しみ)ったれた使いに出されたことがなかった。ちょっとしたことで、弟を啼(な)かすと、すぐに飛びかかって来て引っ掴(つか)んで、呼吸(いき)のつまりそうな厚い大きな田舎の夜具にぐるぐる捲きにされて、暗い納戸の隅にうっちゃっておかれたり、霙(みぞれ)がびしょびしょ降って寒い狐(きつね)の啼き声の聞える晩に、背戸へ締出しを喰わしておいて、自分は暖かい炬燵(こたつ)に高鼾(たかいびき)で寝込んでいたような父親に、子供は子供なりの反抗心も持って来た。
 お庄はどの家でも、明るい餉台(ちゃぶだい)の上にこてこてと食べ物が並べられ、長火鉢の側で晩飯の箸(はし)を動かしている、賑(にぎ)やかな夕暮の路次口を出て行くと、内儀(かみ)さん連の寄っているような明るい店家の前を避けるようにして、溝際(みぞぎわ)を伝って歩いていた。いつも立ち停って聞くことにしている通りの師匠の家では、このごろ聞き覚えて、口癖のようになっているお駒才三(こまさいざ)を誰やらがつけてもらっていた。お庄は瓶を抱えたまま、暗い片陰にしばらくたたずんでいた。
 お庄は振りのような手容(てつき)をして、ふいとそこを飛び出すと、きまり悪そうに四下(あたり)を見廻して、酒屋の店へ入って行った。
 急いで家へ帰って来ると、父親はランプの下で、苦い顔をして酒の燗(かん)をしていた。子供たちは餉台の周(まわ)りに居並んで、てんでんに食べ物を猟(あさ)っていた。
 母親は手元の薄暗い流し元にしゃがみ込んで、ゴシゴシ米を精(と)いでいた。水をしたむ間、ぶすぶす愚痴を零(こぼ)している声が奥の方へも聞えた。お庄はまた母親のお株が始まったのだと思った。父親はそのたんびにいらいらするような顔に青筋を立てた。
 母親が襷(たすき)をはずして、火鉢の傍へ寄って来る時分には、父親はもうさんざん酔ってそこに横たわっていた。お庄は、気味のわるいもののように、鼻の高い、鬢(びん)の毛の薄い、その大きな顔や、脛毛(すねげ)の疎(まば)らな、色の白い長いその脚(あし)などを眺めながら、母親の方へ片寄って、飯を食いはじめた。
 母親の口には、まだぶすぶす言う声が絶えなかった。臆病(おくびょう)なような白い眼が、おりおりじろりと父親の方へ注がれた。張ったその胸を突き出して、硬い首を据(す)え、東京へ来てからまだ一度も鉄漿(かね)をつけたことのないような、歯の汚い口に、音をさせて飯を食っている母親の様子を、よく憎さげに真似してみせた父親の顔に思い合わせて、お庄は厭なような気がした。達磨屋(だるまや)の年増や、義太夫語りの顔などをお庄は目に浮べて、母親は様子が悪いとつくづくそう思った。

     八

 次の年の夏が来るまでには、お庄の一家にもいろいろの変遷があった。暮には残しておいた山畑を売りに父親が田舎へ出向いて行って、その金を持って帰って来ると、ようやく諸払いを済まして、お庄兄弟のためにも新しい春着が裁ち縫いされ、下駄や簪(かんざし)も買えた。お庄らは田舎から持って来た干栗(ほしぐり)や、氷餅(こおりもち)の類をさも珍しいもののように思って悦(よろこ)んだ。正月にはお庄も近所の子供並みに着飾って、羽子(はね)など突いていたが、そのころから父親は時々家をあけた。
 下宿の主婦(あるじ)は、「為さあは、金が少し出来たと思って、どこを毎日そうぶらぶら歩いてばかりいるだい。」と、来ては厭味を言っていた。
 父親はニヤリともしないで、「私(わし)もそういつまでぶらぶらしてはいられないで、今度という今度は商売をやろうと思って、そのことでいろいろ用事もあるで……。」と言うていたが、父親の目論見(もくろみ)では、田舎の町で知っている女が浅草の方で化粧品屋を出している、その女に品物の仕入れ方を教わって、同じ店を小体(こてい)に出して見ようという考えであった。
 お庄は一月の末に、父親に連れられて一度その女の家へ行った。母親も薄々この女のことは知っていた。田舎からの父親の昵(なじ)みで、ずっと以前に、商売を罷(や)めて、その抱え主と一緒に東京へ来ていた。抱え主は十八、九になる子息(むすこ)と年上の醜い内儀さんとを置去りにして、二人で相当な商(あきな)いに取り着けるほどの金を浚(さら)って、女をつれて逃げて来た。そのころにはその楼(うち)も大分左前になっていた。
 その亭主は大して患(わずら)いもしないで、去年の秋のころに死んでから、男手の欲しいような時に、父親が何かの相談相手に、ちょいちょい顔を出し出ししていた。母親は、喧嘩(けんか)の時は、そのことも言い出したが、不断は忘れたようになっていた。父親は櫛(くし)など薄い紙に包(くる)んで来て、そっと鏡台の上に置いてくれなどした。
「こんらも高いものについているら。」と言って、母親は櫛を手に取って吐き出すように言ったが、抽斗(ひきだし)の奥へしまい込んで、ろくに挿(さ)しもしなかった。棄(す)てるのも惜しかった。
 お庄は手鈍(てのろ)い母親に、二時間もかかって、顔や頸(えり)を洗ってもらったり、髪を結ってもらったりして、もう猫(ねこ)になったような白粉(おしろい)までつけて出て行った。お庄は母親の髪の弄(いじ)り方や結い方が無器用だと言って、鏡に向っていながら、頭髪(あたま)をわざと振りたくったり、手を上げたりした。父親も側で莨を喫いながら口小言を言った。
「人に髪を結ってもらって、今からそんな雲上(うんじょう)を言うものじゃないよ。」と、母親も癇癪(かんしゃく)を起して、口を尖(とんが)らかしてぶつぶつ言いながら、髪を引っ張っていた。
「庄ちゃんの髪の癖が悪いからだよ。」
「阿母(おっか)さんに似たんだわ。」お庄もべろりと舌を出した。
 その女の家は、雷門(かみなりもん)の少し手前の横町であった。店にはお庄の見とれるような物ばかり並んでいたが、そこに坐っている女の様子は、お庄の目にも、あまりいいとは思えなかった。薄い毛を銀杏返(いちょうがえ)しに結って、半衿(はんえり)のかかった双子(ふたこ)の上に軟かい羽織を引っかけて、体の骨張った、血の気(け)の薄い三十七、八の大女であった。
「おや、お庄ちゃん来たの。」というような調子で、細い寝呆(ねぼ)たような目尻に小皺(こじわ)を寄せた。
 父親はじきに奥の方へ上って行った。奥は暗い茶の間で、畳も汚く天井も低く窮屈であったが、火鉢や茶箪笥などはつるつるしていた。そのまた奥の方に、箪笥など据えた部屋が一つ見えた。
 お庄は膝(ひざ)へ乗っかって来る猫を気味悪がって、尻をもぞもぞさせていると、女は長火鉢の向うからじろじろ見て笑っていた。

     九

 父親とその女との話は、お庄には解らないようなことが多かった。女はお庄のまだ知らないお庄の家のことすら知っていた。田舎の縁類の人の噂(うわさ)も出た。お庄はどこか父親に肖(に)ているとか、ここが母親に肖ているとか言って、顔をじろじろ見られるのが、むず痒(かゆ)いようであった。
「庄ちゃん小母(おば)さんとこの子になっておくれな、小母さんが大事にしてそこら面白いところを見せてあげたりなんかするからね。」と言ったが、お庄には、黙っている父親にも、その心持があるように思えた。
 女はそこらを捜して銀貨を二つばかりくれると、「お庄ちゃん、公園知っていて。観音さまへ行ったことがあるの。賑(にぎ)やかだよ。」と言って訊(き)いた。
「知ってるとも、すぐそこだ。」父親は長い顎(あご)を突き出した。
「独(ひと)りじゃどうだかね。」
「何、行けるとも。それは豪(えら)いもんだ。」
 お庄は銀貨を帯の間へ挟(はさ)んで、家だけは威勢よく駈(か)け出したが、あまり気が進まなかった。一、二度来たことのある釣堀(つりぼり)や射的の前を通って、それからのろのろと池の畔(はた)の方へ出て見たが、人込みや楽隊の響きに怯(おじ)けて、どこへ行って何を見ようという気もしなかった。
 お庄は活人形(いきにんぎょう)の並んだ見世物小屋の前にたたずんで、その目や眉(まゆ)の動くさまを、不思議そうに見ていたが、うるさく客を呼んでいる木戸番の男の悪ごすいような目や、別の人間かと思われるような奇妙な声が気になって、長く見ていられなかった。幕の外に出ている玉乗りの女の異様な扮装(ふんそう)や、大きい女の鬘(かつら)を冠(かぶ)った猿(さる)の顔にも、釣り込まれるようなことはなかった。
 今の家と同じような小間物店や、人形屋の前へ来たとき、お庄は帯の間の銀貨を気にしながら、自分にも買えるようなものを、そっちこっち見て歩き歩きしたが、するうちに店が尽きて、寒い木立ち際の道へ出て来た。
 公園を出たころには、そこらに灯の影がちらちら見えて、見せ物小屋の旗や幕のようなものが、劇(はげ)しい風にハタハタと吹かれていた。お庄はいつごろ帰っていいか解らないような気がしていた。
 帰って行くと、父親は火鉢の側(そば)で、手酌(てじゃく)で酒を飲んでいた。女も時々来ては差し向いに坐って、海苔(のり)を摘(つま)んだり、酌をしたりしていたが、するうちお庄も傍(そば)で鮓(すし)など食べさせられた。
「お前今夜ここで泊って行くだぞ。」父親は酒がまわると言い出した。
「この小母さんが、店の方がちと忙しいで、お前がいてしばらく手伝いするだ。」
「私帰って家の阿母(おっか)さんに聴いて見て……。」お庄は紅味(あかみ)のない丸い顔に、泣き出しそうな笑(え)みを浮べた。
「阿母さんも承知の上だでいい。」
 お庄は黙ってうつむいた。
「お庄ちゃん厭……初めての家はやっぱり厭なような気がするんでしょうよ。」と、女は傍(わき)の方を向きながら、拭巾(ふきん)で火鉢の縁(ふち)を拭いていた。
「お前はもう十三にもなったもんだで、そのくらいのことは何でもない。」
「少し昵(なじ)んでからの方がいいでしょうよ。」と、女も気乗りのしない顔をしていた。
 お庄はその晩、簪(かんざし)など貰(もら)って帰った。
 花見ごろには、お庄も学校の隙(ひま)にここの店番をしながら、袋を結(ゆわ)える観世綯(かんぜよ)りなど綯らされた。

     十

 品物の出し入れや飾りつけ、値段などを少しずつ覚えることはお庄にとって、さまで苦労な仕事ではなかったが、この女を阿母さんと呼ぶことだけは空々(そらぞら)しいようで、どうしても調子が出なかった。それに女は長いあいだの商売で体を悪くしていた。時々頭の調子の変になるようなことがあって、どうかするとおそろしい意地悪なところを見せられた。お庄はこの女の顔色を見ることに慣れて来たが、たまに用足しに外に出されると、家へ帰って行くのが厭でならなかった。
 お庄は空腹(すきはら)を抱えながら、公園裏の通りをぶらぶら歩いたり、静かな細い路次のようなところにたたずんで、にじみ出る汗を袂(たもと)で拭きながら、いつまでもぼんやりしていることがたびたびあった。
 慵(だる)い体を木蔭のベンチに腰かけて、袂から甘納豆(あまなっとう)を撮(つま)んではそっと食べていると、池の向うの柳の蔭に人影が夢のように動いて、気疎(けうと)い楽隊や囃(はやし)の音、騒々しい銅鑼(どら)のようなものの響きが、重い濁った空気を伝わって来た。するうちに、澱(よど)んだような碧(あお)い水の周(まわ)りに映る灯(ひ)の影が見え出して、木立ちのなかには夕暮れの色が漂った。
 女は、帰って来たお庄の顔を見ると、
「この人はどうしたって家に昵(なじ)まないんだよ。」と言って笑った。店にはこのごろ出来た、女の新しい亭主も坐って新聞を見ていた。亭主は女よりは七、八つも年が下で、どこか薄ンのろのような様子をしていた。この男は、いつどこから来たともなく、ここの店頭(みせさき)に坐って、亭主ともつかず傭(やと)い人ともつかず、商いの手伝いなどすることになった。お庄は長いその顔がいつも弛(たる)んだようで、口の利き方にも締りのないこの男が傍にいると、肉がむず痒くなるほど厭であった。男はお庄ちゃんお庄ちゃんと言って、なめつくような優しい声で狎(な)れ狎(な)れしく呼びかけた。
 男は晩方になると近所の洗湯へ入って額や鼻頭(はなさき)を光らせて帰って来たが、夜は寄席(よせ)入りをしたり、公園の矢場へ入って、楊弓(ようきゅう)を引いたりした。夜遊びに耽(ふけ)った朝はいつまでも寝ていて、内儀(かみ)さんにぶつぶつ小言を言われたが、夫婦で寝坊をしていることもめずらしくなかった。
 お庄は寝かされている狭い二階から起きて出て来ると、時々独りで台所の戸を開け、水を汲(く)んで来て、釜(かま)の下に火を焚(た)きつけた。親たちが横浜の叔父の方へ引き寄せられて、そこで襯衣(シャツ)や手巾(ハンケチ)ショールのような物を商うことになってから、東京にはお庄の帰って行くところもなくなった。お庄は襷(たすき)をかけたままそこの板敷きに腰かけて、眠いような、うッとりした目を外へ注いでいたが、胸にはいろいろのことがとりとめもなく想い出された。水弄(みずいじ)りをしていると、もう手先の冷え冷えする秋のころで、着物のまくれた白脛(しろはぎ)や脇明(わきあ)きのところから、寝熱(ねぼて)りのするような肌(はだ)に当る風が、何となく厭なような気持がした。
 お庄は雑巾を絞ってそこらを拭きはじめたが、薄暗い二人の寝間では、まだ寝息がスウスウ聞えていた。
 お庄は裾(すそ)を卸(おろ)して、寝床の下の方から二階へ上って行くと、押入れのなかから何やら巾着(きんちゃく)のような物を取り出して、赤い帯の間へ挟んだが、また偸(ぬす)むようにして下へ降りて行ったころに、亭主がようやく起き出して、袖(そで)や裾の皺(しわ)くちゃになった単衣(ひとえ)の寝衣(ねまき)のまま、欠(あくび)をしながら台所から外を見ながらしゃがんでいた。
 お庄は体が縮むような気がして、そのままバケツを提げて水道口へ出て行った。泡(あわ)を立てて充(み)ち満ちて来る水を番しながら考え込んでいたお庄は、やがて的(あて)もなしにそこを逃げ出した。

     十一

 お庄はごちゃごちゃした裏通りの小路(こみち)を、そっちへゆきこっちへ脱けしているうちに、観音堂前の広場へ出て来た。紙片(かみきれ)、莨の吸殻などの落ち散った汚い地面はまだしっとりして、木立ちや建物に淡い濛靄(もや)がかかり、鳩(はと)の啼(な)き声が湿気のある空気にポッポッと聞えた。忙しそうに境内を突っ切って行く人影も、大分見えていた。お庄はここまで来ると、急に心が鈍ったようになって、渋くる足をのろのろと運んでいたが、するうちに、堂の方を拝むようにして、やがて仁王門(におうもん)を潜(くぐ)った。
 仲店(なかみせ)はまだ縁台を上げたままの家も多かった。お庄は暗いような心持で、石畳のうえを歩いて行ったが、通りの方へ出ると間もなく、柳の蔭の路側(みちわき)で腕車(くるま)を決めて乗った。
「湯島までやって頂戴な。」と、お庄は四辺(あたり)を見ないようにして低い声で言うと、ぼくりと後の方へ体を落して腰かけた。
 上野の広小路まで来たころに、空の雲が少しずつ剥(は)がれて、秋の淡日(うすび)が差して来た。ぼっと霞(かす)んだようなお庄の目には、そこらのさまがなつかしく映った。
 お庄は下宿の少し手前で腕車を降りて、それから急いで勝手口の方へ寄って行った。
 屋内(やうち)はまだ静かであった。お庄は簾(すだれ)のかかった暗い水口の外にたたずんで、しばらく考えていた。
「どうしてこんなに早く来ただい。」
 主婦(あるじ)は上って行くお庄の顔を見ると、言い出した。蒼白(あおざ)めたような頬に、薄い鬢(びん)の髪がひっついたようになって、主婦(あるじ)は今起きたばかりの慵(だる)い体をして、莨を喫(す)っていた。
 お庄はただ笑っていた。
「小言でも言われただかい。」
「いいえ。」
「何か失敗(しくじり)でもしたろ。」主婦(あるじ)はニヤニヤした。
「いいえ。」
「それじゃあすこが厭で逃げて来ただかい。逃げて来たって、お前の家はもう東京にゃないぞえ。」
 お庄は袂で括(くく)れたような丸い顎(あご)のところを拭いていた。
「それにあすこはお父さんが、ちゃんと話をつけて預けて来たものだで、出るなら出るで、またその話をせにゃならん。お前は黙って出て来ただかい。」
「…………。」
「そんなことしちゃよくないわの。向うも心配しているだろうに。」と、主婦(あるじ)は煙管(きせる)を下におくと、台所の方へ立って行った。そして、楊枝を使いながら、「家へ帰ったっていいこともないに、どうして浅草で辛抱しないだえ。銀行へ預けた金もちっとはあるというではないかい。」
 お庄はしばらく見なかったこの部屋の様子を、じろじろ見廻していた。
 奥から二男の糺(ただす)も、繁三も起き出して来た。今茲(ことし)十九になる糺はむずかしい顔をして、白地の寝衣(ねまき)の腕を捲(まく)りあげながら、二十二、三の青年のように大人(おとな)ぶった様子で、火鉢の傍に坐ると、ぽかぽか莨を喫い出した。
「糺や、お庄が浅草の家を逃げて来たとえ。」と主婦(あるじ)は大声で言った。
 糺は目元に笑って、黙っていた。
「また詫(わ)びを入れて帰って行くにしろ、このまま出てしまうにしろ、断わりなしに出て来るというのはよくないで、お前は葉書を一枚書いて出しておかっし。」
 糺はうるさそうに口を歪(ゆが)めていた。
 朝飯のとき、お庄も衆(みんな)と一緒に餉台(ちゃぶだい)の周(まわ)りに寄って行った。
「浅草へ行ってから、お庄もすっかり様子がよくなった。」糺は飯を盛るお庄の横顔を眺めながら笑った。

     十二

 ここの下宿は私立学校の医学生と法学生とで持ちきっていた。長いあいだ居着いているような人たちばかりで、菊太郎や糺とも親しかった。中には免状を取りはぐして、頭脳(あたま)も生活も荒(すさ)んでしまった三十近い男などが、天井の低い狭い部屋にごろごろして、毎日花を引いたり、碁を打ったりして暮した。夜はぞろぞろ寄席へ押しかけたり、近所の牛肉屋や蕎麦屋(そばや)で、火を落すまで酒を飲んだりした。北廓(なか)の事情に詳しい人や、寄席仕込みの芸人などもあった。
「××さんもいつ免状をお取りなさるだか。お国のお父さんも、すっかり田地を売っておしまいなすったというに、そうして毎日毎日茶屋酒ばかり飲んでいちゃ済まないじゃないかえ。」
 主婦(あるじ)は楊枝を啣(くわ)えて帳場の方へ上り込んで来る書生の懦弱(だじゃく)な様子を見ると、苦い顔をして言った。
「私らンとこの菊太郎も実地はもうたくさんだで、今茲(ことし)は病院の方を罷(よ)さして、この秋から田舎に開業することになっておりますでね、私もこれで一ト安心ですよ。病院ももう建て前が出来た様子で、昔のことを思(おも)や地面も三分の一ほかないけれど、旧(もと)の家の跡へ親戚(しんせき)で建ってくれたと言うもんだでね。」
 主婦(あるじ)は同じようなことを、一人に幾度も言って聞かせた。
 その書生は鼻で遇(あしら)って、主婦が汲んで出す茶を飲みながら、昨夜(ゆうべ)の女の話などをしはじめた。
「あれ、厭な人だよ、手放しで惚気(のろけ)なんぞを言って。」
と、主婦はじれじれするような顔をした。
 するうちに、奥の暗い部屋で差(さ)しで弄花(はな)が始まった。主婦は小肥りに肥った体に、繻子(しゅす)の半衿のかかった軟かい袷(あわせ)を着て、年にしては派手な風通(ふうつう)の前垂(まえだれ)などをかけていた。黒繻子の帯のあいだに財布を挟んで、一勝負するごとに、ちゃらちゃら音をさせて勘定をした。
 学校から衆(みんな)が帰って来ると、弄花(はな)の仲間も殖えて来た。二男の糺も連中に加わって、出の勝つ母親のだらしのない引き方を尻目にかけながら、こわらしい顔をしていた。
 夕方になると、主婦(あるじ)は乗りのわるい肌の顔に白粉などを塗って、薄い鬢を大きく取り、油をてらてらつけて、金の前歯を光らせながら、帳場に坐り込んでいた。
「お神さんがまた白粉を塗っているのよ。」と、女中は蔭でくすくす笑った。
「××さんがこのごろほかに女が出来たもんだから、焼けてしようがないのよ。」
 女中は廊下の手摺(てす)りに凭(もた)れながらお庄に言って聞かせた。
 この書生は、外へ出ない時はよく帳場の方へ入り込んでいた。主婦と一緒に寄席へ行くこともあった。帰りにはそこらの小料理屋で一緒に酒を飲んで、出て行った時と同じに、別々に帰って来た。その書生は二十八、九の、色の白い、目の細い、口の利(き)き方の優しい男であった。
 主婦がその部屋へ入り込んでいるのを、お庄は幾度も見た。
「ちょいとちょいと、面白いものを見せてあげよう。」剽軽(ひょうきん)な女中はバタバタと段梯子(だんばしご)から駈け降りて来ると、奥の明るみへ出て仕事をしているお庄を手招ぎした。
 女中は二階へあがって行くと、足を浮かして尽頭(はずれ)の部屋の前まで行って、立ち停ると、袂で顔を抑えてくすくす笑っていた。
 十時ごろの下宿は、どの部屋もどの部屋もシンとしていた。置時計の音などが裏(うら)からかちかち聞えて、たまに人のいるような部屋には、書物の頁(ページ)をまくる音が洩れ聞えた。
 お庄は逃げるように階下(した)へ降りて行くと、重苦しく呼吸(いき)が塞(つま)るようであった。
 お庄は冬の淋しい障子際に坐って、また縫物を取りあげた。冷たい赭(あか)い畳に、蝿(はえ)の羽が弱々しく冬の薄日に光っていた。

     十三

 横浜の店をしまって、一家の人たちがまた東京へ舞い戻って来るまでには、お庄も二、三度その家へ行ってみた。
 家は山手の場末に近い方で、色の褪(あ)せたような店には、品物がいくらも並んでいなかった。低い軒に青い暖簾(のれん)がかかって、淋しい日影に曝(さら)された硝子(ガラス)のなかに、莫大小(メリヤス)のシャツや靴足袋(くつたび)、エップルのような類が、手薄く並べられてあった。
 飴屋(あめや)の太鼓の周(まわ)りに寄っている近所の鍛冶屋(かじや)や古着屋の子供のなかに哀れなような弟たちの姿をお庄は見出した。弟たちは、もうここらの色に昵(なじ)んで、目の色まで鈍いように思えた。
「正(まさ)ちゃん正ちゃん。」と、お庄が手招ぎすると、一番大きい方の正雄は、姉の顔をじっと見返ったきり、やはりそこに突っ立っていた。
 上って行くと、荒(さび)れたような家の空気が、お庄の胸にもしみじみ感ぜられた。母親は、この界隈(かいわい)の内儀(かみ)さんたちの着ているような袖無しなどを着込んで、裏で子供の着物を洗っていた。目の色が曇(うる)んで、顔も手もかさかさしているのが、目立って見えた。
 母親は傍へ寄って行くお庄の顔をしげしげと見た。頬や手足の丸々して来たのが、好ましいようであった。
「湯島じゃ皆な変りはないかえ。」
 お庄は台所の柱のところに凭(もた)れて、頭髪(あたま)を撫でたり、帯を気にしたりしながら、母親の働く手元を眺めていたが、やがて奥へ引っ込んで、店口へ出て見たり、茶の間のなかを歩いて見たりした。部屋には、東京で世帯を持った時、父親が小マメに買い集めた道具などがきちんと片着いて、父親が蒲団(ふとん)の端から大きい足を踏み出しながら、安火(あんか)に寝ていた。父親は何もすることなしに、毎日毎日こうしてだらけたような生活に浸っていた。皮膚に斑点(しみ)の出た大きい顔が、脹(むく)んでいるようにも思えた。
 お庄は家が淋しくなると、賑やかな大通りの方へ出て行った。羽衣町(はごろもちょう)に薬屋を出している叔父の家へも遊びに行った。
 叔母はその父親が、長いあいだある仏蘭西人(フランスじん)のコックをして貯えた財産で有福に暮していた。その外人のことを、お庄はよく叔母から聞かされたが、屋敷へ連れられて行ったこともあった。叔母は主人のいない時に、綺麗なその部屋部屋へ入れて見せた。食堂の棚から、銀の匙(さじ)や、金の食塩壺、見事なコーヒ茶碗なども出して見せた。錠を卸(おろ)してある寝室へ入って、深々した軟かい、二人寝の寝台の上へも臥(ね)かされた。よく薬種屋の方へ遊びに来ている、お島さんという神奈川在産(うま)れの丸い顔の女が、この外人の洋妾(らしゃめん)であった。
「ここへ、あの人たちが寝るのさ。」と、色気のない叔母は、寝台に倚(よ)っかかっていながら笑った。
 お庄は目のさめるような色の鮮やかな蒲団や、四周(あたり)の装飾に見惚(みと)れながら、長くそこに横たわっていられなかった。湯島の下宿の二階で、女中に見せられた、暗い部屋のなかの赤い毛布の色が浮んだ。
 淡紅(うすあか)い顔をしたその西洋人が帰って来ると、お島さんもどこからか現われて来て、自堕落(じだらく)な懶(だる)い風をしながら、コーヒを運びなどしていた。
 この叔母が飲んだくれの叔父に、財産を減らされて行きながら、やはり思い断(き)ることの出来ない様子や、そのまた叔父に、父親が次ぎ次ぎに金を出し出ししてもらってる事情が、お庄にも見え透いていた。

     十四

 父親は時々、この叔母の所有に係(かか)る貸家の世話や家賃の取立て、叔母の代のや、父親から持越しの貸金の催促――そんなようなことに口を利いたり、相談相手になったりした。田舎にいたおり、村の出入りを扱うことの巧(うま)かった父親は、自家(うち)の始末より、大きな家の世話役として役に立つ方であった。
 叔母は手箪笥(てだんす)や手文庫の底から見つけた古い証文や新しい書附けのようなものを父親の前に並べて、「何だか、これもちょっと見て下さいな。」と、むっちり肉づいた手に皺(しわ)を熨(の)した。
「うっかりあの人に見せられないような物ばかりでね。」と、叔母は道楽ものの亭主を恐れていたが、義兄(あに)の懐へ吸い込まれて行く高も少くなかった。
 店の品物が、だんだん棚曝(たなざら)しになったころには、父親と叔母との間も、初めのようにはなかった。叔母が世話をしてくれたある生糸商店の方の口も、自分の職業となると、長くは続かなかった。
「堅くさえしていてくれれば、なかなか役に立つ人なんだけれど、どうもあの人も堅気の商人向きでないようでね。」と、叔母はしまいかけてある店頭(みせさき)へ来て、不幸なその嫂(あによめ)に話した。
 父親は、その姿を見ると、煙草入れを腰にさして、ふいと表へ出て行った。店には品物といっては、もう何ほどもなかった。雑作の買い手もついてしまったあとで、母親は奥でいろいろのものを始末していた。横浜へ来てから、さんざん着きってしまった子供の衣類や、古片(ふるぎれ)、我楽多(がらくた)のような物がまた一(ひ)ト梱(こおり)も二タ梱も殖えた。初めて東京へ来るとき、東京で流行(はや)らないような手縞の着物を残らず売り払って来てから、不断(ふだん)着せるものに不自由したことが、ひどく頭脳(あたま)に滲(し)み込んでいた。
「東京の方が思わしくなかったら、また出てお出でなさいよ。」
 叔母は襤褸片(ぼろぎれ)や、風呂敷包みの取り散らかった部屋のなかに坐って、黒繻子の帯の間から、餞別に何やら紙に包んだものを取り出して、子供に渡したり、水引きをかけた有片(ありきれ)を、火鉢の傍に置いたりした。
「さんざお世話になって、またそんな物をお貰い申しちゃ済みましねえ。」
 母親はそれを瞶(みつ)めていながら、押し返すようにした。
「お庄ちゃんか正ちゃんか、どっちか一人おいて行けばいいのにね。」と、叔母は子供たちの顔を眺めた。
「田舎において来たつもりで、お庄ちゃんを私に預けておおきなさい。ろくなお世話も出来やしないけれど、どこかいいところへ異人館へ小間使いにやっておけば、運がよければ主人に気に入って、西洋(むこう)へでも連れて行かないものとも限らない。そして真面目に働きさえすれア、お金もうんと出来るし、見られないところを方々見てあるいて、おまけに学問まで仕込んでくれるんだからありがたいじゃないかね。」
 叔母はそんな人の例を一つ二つ挙(あ)げた。帰朝してから横浜で女学校の教師に出世した女や、溜(た)めて来た金を持って田舎へ引っ込んで、いい養子を貰った女などがそれであった。母親はそういう気にもなれなかった。叔母が亭主と一緒に洋食を食ったり、洋酒を飲んだりするのすら、見ていて不思議のようであった。
「まア、もう少し大きくでもなりますれアまた……。」と、重い口を利(き)いた。
「義兄(にい)さんも思いきって、正ちゃんをくれるといいんだがね。」叔母は色白の、体つきのすンなりした正雄に目を注いだ。
 母親はこの子は手放したくなかった。
「何なら定吉の方を貰っておもらい申したいっていうこンだで……。」と、母親は、赧(あか)らんだような顔をしながら、莨(たばこ)を吸い着けて義妹(いもうと)に渡した。
 お庄は傍に坐って、二人の談(はなし)に注意ぶかい耳を傾けていた。

     十五

 お庄は母親と、また湯島の下宿に寄食(かか)っていた。正雄は、横浜から来るとじきに築地の方にいる母方の叔父の家に引き取られるし、妹は田舎で開業した菊太郎の方へ連れられて行った。次の弟は横浜の薬種屋の方に残して来た。
「男の子一人だけは、どうにかものにしなくちゃア。」と、叔父は、姉婿が壊(くず)れた家を支えかねて、金を拵えにと言って、田舎へ逃げ出してから、下宿の方へ来てその姉に話した。
 その叔父は夙(はや)くから村を出て、田舎の町や東京で、長いあいだ書生生活を続けて来た。勤めていた石川島の方の会社で、いくらか信用ができて株などに手を出していたが、頚(くび)に白羽二重(しろはぶたえ)を捲きつけて、折り鞄を提げ、爪皮(つまかわ)のかかった日和下駄(ひよりげた)をはいて、たまには下宿へもやって来るのを、お庄もちょいちょい見かけた。肩つきのほっそりしたこの叔父と、頚(くび)の短い母親とが、お庄には同胞(きょうだい)のようにも思えなかった。
「小崎の迹取(あとと)りはお前だに、皆を引き取ればよい。この節は大分株で儲(もう)けるというじゃないか。」下宿の主婦(あるじ)は叔父を揶揄(からか)うように言ったが、叔父は取り澄ました風をして莨を喫(ふか)しながら、ただ笑っていた。
 それから二、三日経(た)ってから、ある晩方母親は正雄をつれて行ったが、一人で外へ出たことのないお庄も一緒に家を出た。
 そのころ引っ越した築地の家の様子は、お庄の目にも綺麗であった。三味線や月琴(げっきん)が茶の間の火鉢のところの壁にかかっている、そこから見える座敷の方には、暮に取りかえたばかりの畳が青々していた。その飾りつけも町屋風(まちやふう)で、新しい箪笥の上に、箱に入った人形や羽子板や鏡台が飾ってあり、その前に裁物板(たちものいた)や、敷紙などが置いてあった。
 田舎の町で、叔父が教師をしていた若い時分に、そこの商家から迎えたという妻は、堅気な風をして大柄の無愛想な女であった。
「私のところも、入る割りには交際は多いもんでね、せっかく正ちゃんをお引き受け申しても、お世話が出来ることやら出来ぬことやら、……。」と、叔母は茶箪笥のなかから、皮の干からびたような最中(もなか)に、気取った箸をつけて出してくれた。
「それに女のお児(こ)だと、また始末がようござんすがね、お庄ちゃんも浅草の方へお出でなさるんだとかでね……。」
「どうでござんすか。あすこも出て来たきり、庄(これ)が厭がるもんだで、一向音沙汰(おとさた)なしで……。」と、母親は四つになった末の弟とお庄との間に坐って、口不調法に挨拶していた。
 母親は病身な正雄の小さい時分のことや、食事の細いこと、気の弱いことなどを、弟嫁に話しかけていたが、子供を持ったことのない叔母には、その気持の受け取れようがなかった。お庄は骨張ったようなその大きな顔を、時々じろじろと眺めていた。
 母親は四つになる末の子を負(おぶ)いかけては、取りつきかかる正雄の顔を見ていた。
 やがてお庄は足の遅い母親を急(せ)き立てるようにして、道を歩いていた。
 母親は下宿にいても、何も手に着かないことが多かった。父親が妻子をここへあずけて田舎へ立ってから、もう一ト月の余にもなった。
「それでも為さあは田舎で何をしているだか、また方々酒でも飲んであるいて、こっちのことは忘れているずら。書けねえ手じゃなし、お安さあもぼんやりしていないで、手紙を一本本家の方へ出して見たらどうだえ。」
 主婦(あるじ)はランプの蔭で、ほどきものをしながら齲歯(むしば)を気にしている母親を小突いた。お庄は火鉢の傍で、宵(よい)の口から主婦の肩をたたいていた。お庄は時々疲れた手を休めて、台所の方で悪戯(わるさ)をしながら、こっちへ手招ぎしている繁三の方を見ていた。
 繁三は河童(かっぱ)のような目をぎろぎろさせながら、戸棚へ掻(か)い上って、砂糖壺のなかへ手を突っ込んでいた。
「あらア、おばさん繁ちゃんが……。」お庄は蓮葉(はすは)な大声を出した。
 繁三はどたんと戸棚から飛び下りると、目を剥(む)き出して睨(にら)めた。

     十六

 田舎から上って来た身内の人の口から父親の消息がこの家へも伝わって来た。

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