仮装人物
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著者名:徳田秋声 

」「ああ、それで君なんかも……。」 小夜子は、三キャラットもあるダイヤの粒の大きいのと小さいのと、それに大振りな珊瑚(さんご)のまわりに小粒の真珠を鏤(ちり)ばめたのなど、細い指に指環(ゆびわ)をでこでこ嵌(は)めていた。「その人どうしたかね。」「姐さんですか。それが先生あの有名な竹村先生と軽井沢で心中した芝野さんの旦那(だんな)を燕(つばめ)にしているんですよ。」「なるほどね。」「お金がうんとありますから、大森に立派な家を立てて、大した有閑マダムぶりですよ。」「芝野というのを、君知っている?」「ええ、時々三人で銀ぶらしますわ。こう言っちゃ何ですけれど、厭味(いやみ)な男よ。それあ多勢(おおぜい)の銀座マンのなかでも、あのくらいいい男はちょっと見あたらないかも知れませんがね。赤いネクタイなんかして気障(きざ)よ。それでショウウインドウなんかで、いいネクタイが見つかると腐るほどもってるくせに、買ってよう、ようなんて甘ったれてるの。醜いものね、あんなお婆(ばあ)さんが若い燕なんかもってるのは。私つくづくいやだと思いますわ。」 庸三は苦笑して、「耳が痛いね。」「いいえ、男の方(かた)はいいんですよ。男の方はいくらお年を召していらしても、決して可笑(おか)しいなんてことはありませんね。」 そうしているうちに、彼は何か食べたくなって来た。妻を失ってから、彼の食膳(しょくぜん)は妻のやり方を長いあいだ見て来ただけの、年喰いのチビの女中のやってつけの仕事だったので、箸(はし)を執るのがとかく憂鬱(ゆううつ)でならなかった。「銀水と浪花屋(なにわや)とどっちにしましょうか。」「そうね、どっちも知らないけれど……。」「浪花屋の方が、お値段はお恰好(かっこう)な割りに、評判がいいようですから。」 庸三は鮎(あゆ)の魚田(ぎょでん)に、お椀(わん)や胡麻酢(ごます)のようなものを三四品取って、食事をしてから、間もなくタキシイを傭(やと)ってもらった。 ある朝庸三は、川沿いのその一室で目をさました。忙(せわ)しいモオタアや川蒸気や荷足(にたり)の往来が、すでに水の上に頻繁(ひんぱん)になっていた。 昨夜彼は書斎の侘(わび)しさに、ついタキシイを駆ったものだったが、客が二組もあって、小夜子も少し酒気を帯びていた。庸三は別に女を呼ぶわけではなかった。ずっと後に、友達と一緒に飯を食いに行く時に限って、芸者を呼ぶこともあったが、彼自身芸者遊びをするほど、気持にも懐(ふとこ)ろにも余裕があるわけではなかった。「御飯を食べにいらして下さるだけで沢山ですわ。芸者を呼んでいただいても、私の方はいくらにもなりませんのよ。」 小夜子の目的はほかにあった。追々に彼の仲間に来てもらいたいと思っていた。それに彼女は開業早々の商売の様子を見いかたがた田舎(いなか)から出て来ている姉を紹介したりして、何かと彼の力を仮(か)りるつもりらしかった。昨夜も彼女は彼の寝間へ入って来て、夜深(よふけ)の窓の下にびちゃびちゃ這(は)いよる水の音を聞きながら、夜明け近くまで話していたが、それは文字通りの話だけで何の意味があるわけでもなかった。すれすれに横たわっていても指一つ触れるのではなかった。電気行燈(あんどん)の仄(ほの)かな光りのなかで、二人は仰むきに臥(ね)ていた。真砂座(まさござ)時代に盛っていて看板のよかったこの家(うち)を買い取るのにいくらかかったとか、改築するのにいくらいくらいったとかその金の大部分が、今、中の間で寝ている姉の良人(おっと)、つまり田舎の製茶業者で、多額納税者である義兄に借りたもので、月々利子もちゃんと払っているのであった。不思議と彼女に好い親類のあることがその後だんだんわかって来たのであったが、小夜子はそれを鼻にかけることもなかった。三菱(みつびし)の理事とか、古河銅山の古参とか、または大阪の大きな工場主とか。彼女が暗い道を辿(たど)って来たのは、父が違うからだということも想像されないことではなかったが、それにしても彼女は十六か七で、最初のライオンの七人組の美人女給の一人として、生活のスタアトを切って以来、ずっと一本立ちで腕を磨(みが)いて来ただけに、金持の親類へ寄って行く必要もなかったし、拘束されることも嫌(きら)いであった。芝の神明(しんめい)に育った彼女は、桃割時代から先生の手におえない茶目公であったが、そのころその界隈(かいわい)の不良少女団長として、神明や金刀毘羅(こんぴら)の縁日などを押し歩いて、天性のスマアトぶりを発揮したものだった。 庸三が床から起きて、廊下から薄暗い中の間をのぞいてみると、いつの間にか起き出した小夜子は、お燈明の煌々(こうこう)と輝く仏壇の前に坐りこんで、数珠(じゅず)のかかった掌(て)を合わせて、殊勝げにお経をあげていた。庸三にとっては、この場合思いもかけなかった光景であったが、商売柄とはいえ、多くの異性にとかくえげつない振舞の多かった自身の過去を振り返るごとに、彼女はそぞろに心の戦(おのの)きを禁じ得ないものがあった。クルベーの厚い情愛で、長い病褥(びょうじょく)中行きとどいた看護と金目を惜しまない手当を受けながら、数年前に死んで行った老母が「そんなことをしてよく殺されもしないものだ」と言って、彼女の成行きを憂えたくらい、彼女は際(きわ)どい離れ業(わざ)をして来たのであった。華族の若さまなどが入り浸っていた女給時代に、すでにそれが初まっていた。 仏壇のある中の間には、マホガニか何かのと、桐(きり)の箪笥(たんす)とが三棹(みさお)も並んでいて、三味線箱(しゃみせんばこ)も隅(すみ)の方においてあった。ごちゃごちゃ小物の多い仏壇に、新派のある老優にそっくりの母の写真が飾ってあったが、壁に同じ油絵の肖像も懸(か)かっていた。小夜子は庸三が来たことも気づかないように、一心不乱に拝んでいた。 庸三は言わるるままに廊下をわたって、風呂場(ふろば)の方へ行った。天井の高い風呂場は、化粧道具の備えつけられた脱衣場から二三段降りるようになっていた。そして庸三が一風呂つかって、顔を剃(あた)っていると、そこへ小夜子も入って来た。男を扱いつけている彼女にとって、それは一緒にタキシイに乗るのと何の異(かわ)りもなかった。 やがて小夜子は焚(た)き口の方に立って、髪をすいた。なだらかな撫(な)で肩(がた)、均齊(きんせい)の取れた手や足、その片膝(かたひざ)を立てかけて、髪を束ねている図が、春信(はるのぶ)の描く美人の型そのままだと思われた。しかしそんな場合でも、庸三は葉子の美しい幻を忘れていなかった。これも一つの美人の典型であろうが、自然さは葉子の方にあった。「先生何か召(め)し食(あが)ります? トストでも。」「そうね。」「私御飯いただいたんですよ。これからお山へお詣(まい)りに行くんですけれど、一緒に来て下さいません?」「お山って。」「待乳山(まつちやま)ですの。」「変なところへお詣りするんだね。何かいいことがあるのかい。」「あすこは聖天(しょうでん)さまが祀(まつ)ってあるんですの。あらたかな神さまですわ。舟で行くといいんですけれど。」 お昼ちかくになってから、不断着のままの小夜子と同乗して、庸三もお山の下まで附き合った。そしてタキシイのなかでお山の段々から彼女の降りて来るのを待っていたが、それからも彼は二三度お詣りのお伴(とも)をして、ある時は段々をあがって、香煙の立ち昇っている御堂近くまで行ってみたこともあった。 ある日も庸三はこの水辺の家へタキシイを乗りつけた。 彼は三日目くらいには田舎(いなか)にいる葉子に手紙を書いた。書いたまま出さないのもあったが、大抵は投函(とうかん)した。もう幾本葉子の手許(てもと)にあるかなぞと彼は計算してみた。いずれいつかはそっくり取り返してしまうつもりであったし――またほとんど一本も残らずある機会に巧く言いくるめて取りあげてしまったのであったが、そんな予想をもちながらも、やはり書かないわけに行かなかった。今まで気もつかなかった、変に捻(ねじ)けた自我がそこに発見された。葉子を脅(おど)かすようなことも時には熱情的に書きかねないのであった。葉子のような文学かぶれのした女を楽しましめるような手紙は、無論彼には不得手でもあったし、気恥ずかしくもあった。 そうした時、ある日陰気な書斎に独りいるところへ、一人の女流詩人が詩の草稿をもって訪ねて来た。年の若い体の小さいその女流詩人は、見たところ小ざっぱりした身装(みなり)もしていなかったが、感じは悪くなかった。彼女の現在は神楽坂(かぐらざか)の女給であったが、その前にしばらく庸三の親友の郊外の家で、家事に働いていたこともあった。彼女は今絶望のどん底にあるものらしかったが、客にサアビスする隙々(ひまひま)に、詩作に耽(ふけ)るのであった。毎日々々の生活が、やがて彼女の歔欷(すすりなき)の詩であり、酷(むご)い運命の行進曲であった。 彼女の持ち込んだ詩稿のなかにはすでに印刷されているものも沢山あったが、庸三はその一つ二つを読んでいるうちに、詩のわからない彼ではあったが、何か彼女の魂の苦しみに触れるような感じがして、つい目頭(めがしら)が熱くなり、心弱くも涙が流れた。「これをどこか出してくれる処(ところ)がないものかと思いますけれど……。」「そうね、ちょっと僕ではどうかな。」「ほんとうは私自費出版にしたいと思うんですけれど、そのお金ができそうもないものですから。」「そうね、僕も心配はしてみるけれど……。」 庸三は暗然とした気持で、彼女の生活を思いやるだけであった。「先生も大変ですね。お子さまが多くて……。梢さんどうなさいましたの。」「葉子は今田舎にいますけど……。」「私のようなものでよかったら、お子さんのお世話してあげたいと思いますけれど。」「貴女(あなた)がね。それは有難いですが……。事によるとお願いするかも知れません。」「ええいつでも……。」 彼女は机の上にひろげた詩稿を纏(まと)めて帰って行った。 彼はその日のうちに葉子に手紙を書いた。その詩を讃(ほ)めると同時に、子供の世話を頼もうかと思っている云々(うんぬん)と。すると三日目に葉子から返事がとどいて、長々しい手紙で、少しいきり立った文句で、それに反対の意見を書いて来た。でなくとも、女給をして来た人では、庸三の家政はどうかという意見もほかの人から出たので、彼もそれは思い止(とど)まることにした。 庸三は風呂(ふろ)で汗を流してから、いつもの風通しのいい小間で、小夜子とその話をしていた。 この水辺の意気造りの家も、水があるだけに、来たてにはひどく感じがよかったが、だんだん来つけてみると、彼女の前生活を語るようなもろもろの道具――例えば二十五人の人夫の手で据(す)えつけたという、日本へ渡って来た最大の独逸(ドイツ)製金庫の二つのうちの一つだという金庫なぞがそれで、何かそこらの有閑マダムのような雰囲気(ふんいき)ではあったが、室内の装飾などは、何といってもあまり感じのいいものではなかった。「そのうち追々取り換えるんだね。」 庸三は窓際(まどぎわ)に臥(ね)そべっていた。小夜子も彼の頭とほとんど垂直に顔をもって来て、そこに長くなっていた。そうして話していると、彼女の目に何か異様な凄(すご)いものが走るのであった。「私芝にいた時、ちょうど先生にお目にかかった時分、こういうことがあったんです。」 小夜子は語るのであった。「ある人がね、私は麹町(こうじまち)の屋敷を出たばかりで、方針もまだ決まらない時分なの。するとその人がね、君ももう三十を過ぎて、いろんなことをやって来ている。鯛(たい)でいえば舐(ねぶ)りかすのあらみたいなもんだから、いい加減見切りをつけて、安く売ったらいいだろうって、私に五百円おいて行ったものなの。」「それが君のペトロンなの。」「ペトロンなんかないけど。」「一体君いくつなの?」「私ですか。そうね。」彼女の答えは曖昧(あいまい)であった。彼に女の年を聞く資格もなかった。「その男は?」「それきりですの。」「金は。」「金は使っちゃいましたわ。」 それが一夜の彼女の貞操の代償というわけであった。彼女は今でもそれを千円くらいに踏んでいるものらしかった。「その男は――株屋?」「株屋じゃありません。株屋ならちょっと大きい人の世話に、この土地で出ていた時分にはなったこともありましたけれど、その人も震災ですっかりやられてしまいましたわ。」 そして彼女はその株屋の身のうえを話し出した。「その人がまだお店の番頭時代――二十四くらいでしたろうか、ある時お座敷に呼ばれて、ちょっといいなあと思ったものです。たびたび逢(あ)っているうちに深くなって、店をわけてもらったら、一緒になろうなんて言っていたものでしたが、ほかにお客ができたものですから、それはそれきりになって、私も間もなく堅気になったものですから、ふつり忘れてしまっていたもんなんです。すると、十年もたって、私がまた商売に出るようになってから、株屋仲間のお座敷へ呼ばれて行くと、その中にその人のお友達もいて、おせっかいなことには、四五人で私を芝居につれて行って、同じ桟敷(さじき)でその男に逢わしたものです。その男も今は旦那(だんな)が死んで、堅いのを見込まれて、婿(むこ)養子として迹(あと)へ据(す)わって、采配(さいはい)を振るっているという訳で、ちょっと悪くないから私もその気で、再び縒(よ)りが戻ったんですの。私はそうなると、お神さんのあるのが業腹(ごうはら)で帰してやるのがいやなんです。お神さんは三つも年上で、夜通し寝ないで待っているという妬(や)き方で、その人の手と来たら、紫色のあざが絶えないという始末なんです。到頭その店を飛び出して二人で世帯(しょたい)をもったんですけれど、それからはどうもよくありませんでしたね。私もいい加減見切りをつけて、クルベーさんの世話になったんですが、震災のあの騒ぎの時、よくせきのことだと見えて、その男が店のものを金の無心に寄越(よこ)しましたわ。自分でもやって来ましたわ。僅かの金なんでしたけれど、私部屋へ帰って考えると、何だか馬鹿々々しくなって、クルベーさんに感づかれても困ると思って、五円やって逐(お)っ払っちゃいました。けれど、何しろその人は草鞋足袋(わらじたび)か何かで見すぼらしいったらないんですの。顔見るのもいやでしたわ。」 ちょうど時間がよかったので、小夜子の望みで彼は久しぶりで歌舞伎(かぶき)を覗(のぞ)いてみることにした。葉子の好きな言葉のない映画よりも、長いあいだ見つけて来た歌舞伎の鑑賞癖が、まだ彼の躰(からだ)にしみついていた。暗くて陰気くさい映画館には昵(なじ)めなかった。 小夜子は帳場へ出て、電話で座席があるかないかを聞きあわせた。「二階桟敷でしたら、五つ目がありますの。「結構。」「私支度(したく)しますから、先生もお宅へ着物を取りにおやんなすっては。」「そうね。」 その通りにして部屋で待っていると、女中がやって来て、「何を着て行っていいか、お神さんが先生に来て見て下さいって。」「そう。」 庸三が行ってみると、箪笥(たんす)の抽斗(ひきだし)と扉(とびら)がいくつも開いていて、そこに敷いた青蓙(あおござ)のうえにも外にも、長襦袢(ながじゅばん)や単衣(ひとえ)や帯が、花が散りしいたように取り散らかされていた。「あまり派手じゃいけないでしょう。」「そうね。あまり目立たない方がいいよ。」 結局何かの雨絣(あめがすり)に、黒の地紋の羽織ということになった。顔もいつものこってりしない程度で、何かきりりと締りの好い、愛らしい形がそこに出来あがった。彼女は流行さえ気にしなければ、一生着るだけの衣裳(いしょう)に事欠かないほどのものを持っていた。丸帯だけでも長さ一間幅四尺もある金庫に一杯あった。すばらしい支那服、古い型の洋服――そんなものも、その後何かのおりに、引っ張り出してみたが、それらは残らず震災後に造ったもので、無論クルベー好みのけばけばしいものばかりであった。 車が来たので、庸三は勝手口から降りた。小夜子はコムパクトを帯にはさみながら部屋を出て来た。「ちょっと寄り道してもいいでしょう。手間は取りません。」 そう言って小夜子は永田町(ながたちょう)へと運転士に命じた。 じきに永田町の静かな町へ来た。小夜子は蔦(つた)の絡(から)まった長い塀(へい)のはずれで車をおりて、その横丁へ入って行った。しゃなりしゃなりと彼女の涼しげな姿が、彼の目の先を歩いて行ったが、どんな家(うち)へ入って行ったかは、よく見極(みきわ)められなかった。それがクルベーの邸宅であることは、ずっと後に解(わか)った。 暑い盛りの歌舞伎座は、そう込んでいなかった。俳優の顔触れも寂しかったし、出しものもよくはなかった。庸三は入口で、顔見しりの芝居道の人に出逢(であ)ったが、廊下でも会社の社長の立っているのを見た。小夜子が紹介してくれというので、ちょいと紹介してから、二階へあがって行ったが、そうやって、前側にすわって扇子をつかっている小夜子の風貌(ふうぼう)は、広い場内でも際立(きわだ)つ方であった。でも何の関係もないだけに、葉子と一緒の時に比べて、どんなに気安だか知れなかった。 二人は楽しそうに、追々入って来るホールの観客を見降ろしながら、木の入るのを待っていた。 到頭ある日葉子から電報が来た。月蒼(あお)く水煙(けぶ)る、君きませというような文句であった。 庸三はもう二週間もそれを待ちかねていた。絶望的にもなっていた。いきなり彼女の故郷へ踏みこんでいって、町中(まちなか)に宿を取って、ひそかに動静を探ってみようかなぞとも考えたり、近所に住んでいる友人と一緒に、ある年取った坊さんの卜者(うらないしゃ)に占ってもらったりした。彼はずっと後にある若い易の研究者を、しばしば訪れたものだったが、その方により多くの客観性のあるのに興味がもてたところから、自身に易学の研究を思い立とうとしたことさえあったが、老法師のその場合の見方も外れてはいなかった。占いの好きなその友人も、何か新しい仕事に取りかかる時とか、または一般的な運命を知りたい場合に、東西の人相学などにも造詣(ぞうけい)のふかい易者に見てもらうのが長い習慣になっていた。支那出来の三世相(さんぜそう)の珍本も支那の古典なぞと一緒に、その座右にあった。「梢を叩(たた)き出してもかまわない。おれが責任をもつ。」 そう言って庸三の子供たちを激励する彼ではあったが、反面では彼はまた庸三の温情ある聴(き)き役でもあった。 老法師は庸三たちの方へ、時々じろじろ白い眼を向けながら不信者への当てつけのような言葉を、他の人の身の上を説明している時に、口にするのであったが、順番が来て庸三が傍(そば)へ行くと、不幸者を劬(いた)わるような態度にかえって、叮嚀(ていねい)に水晶の珠(たま)を転(ころ)がし、数珠(じゅず)を繰るのであった。「この人は、きっと貴方(あなた)の処(ところ)へ帰って来ます。慈父の手に縋(すが)るようにして帰って来ます。貴方がもし行くにしても、今は少し早い。月末ごろまで待っていなさるがいい。そのころには何かの知らせがある。」 卜者は言うのであった。 とにかく庸三は再び葉子の家を見舞うことにして返電をうった。そしてその翌日の晩、いくらかの土産(みやげ)をトランクに詰めて、上野を立った。実はどこか福島あたりの温泉まで葉子が出て来て、そこで庸三と落ち合う約束をしたので、彼は今そうやって汽車に乗ってみると、またしても彼女の家族や町の人たちに逢うのが、憂鬱(ゆううつ)であった。しかし翌日の午後駅へついてみると、葉子姉妹(きょうだい)や弟たちも出迎えていて、初めての時と別に渝(かわ)りはなかった。彼は再び例の離れの一室に落ちついた。瑠美子のほかに、ちょうど継母(ままはは)の手から取り戻した二人の子供もいて、葉子は何かそわそわしていたが「ちょっと先生……」と言って、彼をさそい出すと、土間を渡って二階へ上がって行くので、彼も何の気なしについて上がった。 葉子は縁側の椅子(いす)を彼にすすめて、子供取り戻しの経緯(いきさつ)を話した。ここからそう遠くはない山手の町の実家へ引き揚げて来ている継母は、自分の子がもう二人もできていて、とかく葉子の子供たちに辛(つら)く当たるのであった。「北海道時代に私が目をかけて使っていた女中なんですよ。その時分は子供にもよくしてくれて、醜い女ですけれど、忠実な女中だったんですのよ。松川は相当のものを預けて行ったものらしいんですの。上海(シャンハイ)で落ち着き次第、呼び寄せることになっているらしいんですけれど、あの子たちは食べものもろくに食べさせられなかったんですの。」「君がつれて来たのか。」「私が乗り込んでいって、談判しましたの。私には頭があがらないんですの。」「それでこれから……。」「先生にご迷惑かけませんわ。」「…………。」「先生怒らないでね。私あの人に逢ったの。」 庸三はぎょっとした。それが庸三も一度逢って知っている秋本のことであった。「誰れに?」「私には子供を育てて行くお金がいるんですもの。」 庸三はいきなり恐ろしい剣幕で、葉子の肩を両手で掴(つか)んで劇(はげ)しく揺すり、壁ぎわへ小突きまわすようにした。「御免なさい、御免なさい。そんなに怒らないでよ。私いけない女?」 やがて庸三は離れた。そして椅子に腰かけた。 そうしている処へ、瑠美子が「まま、まま」と声かけながら段梯子(だんばしご)をあがって来た。「瑠美ちゃん下へ行ってるのよ。」葉子は優しく言って、「まま今おじちゃんにお話があるの。」 やがて葉子はそのことはけろりと忘れたように、話を転じた。妹が近々許婚(いいなずけ)の人のところに嫁(とつ)ぐために、母に送られて台湾へ行くことになったことだの、母の帰るまでゆっくり逗留(とうりゅう)していてかまわないということだの――。 庸三は灰色の行く手を感じながらも、朗らかに話している葉子の前にいるということだけでも、瞬間心は恰(たの)しかった。すがすがしい海風のような感じであった。      九 庸三の今度の訪問は、滞在期間も前の時に比べてはるかに長かったし、双方親しみも加わったわけだが、その反面に双方が倦怠(けんたい)を感じたのも事実で、終(しま)いには何か居辛(いづら)いような気持もしたほど、周囲の雰囲気(ふんいき)に暗い雲が低迷していることも看逃(みのが)せないのであった。帰りの遅くなったのは、最近になってやっとはっきり自覚するようになった葉子の痔瘻(じろう)が急激に悪化して、ひりひり神経を刺して来る疼痛(とうつう)とともに、四十度以上もの熱に襲われたからで、彼はそれを見棄(みす)てて帰ることもできかね、つい憂鬱(ゆううつ)な日を一日々々と徒(いたず)らに送っていた。 最初着いた時分には、よく浜へも出てみたし、小舟で川の流れを下ったり、汽車で一二時間の美しい海岸へ、多勢(おおぜい)でピクニックに行ったりしたものであった。いろいろの人が持ち込んで来る色紙や絹地に、いやいやながら字を書いて暮らす日もあった。その人たちのなかには、廻船問屋(かいせんどんや)時代の番頭さんとか、葉子の家の田地を耕しているような親爺(おやじ)さんもあった。だだっ広い茶の間を駈(か)けて歩いているのは葉子の別れた良人(おっと)によく肖(に)ている、瑠美子の幼い妹や弟たちで、それに葉子の末の妹なども加わって、童謡の舞踊が初まることもあった。葉子はさも幸福そうに手拍子を取って謳(うた)っていた。子供の手を引いて盛り場の方へ夜店を見にいくこともあれば、二人だけで暗い場末の街(まち)を歩いてみることや、通り筋の喫茶店でお茶を呑(の)むこともしばしばであった。葉子の家では以前町の大通り筋に塩物や金物の店を出していたこともあって、美貌(びぼう)の父は入婿(いりむこ)であったが、商才にも長(た)けた実直な勤勉家で、田地や何かも殖(ふ)やした方であったが、鉄道が敷けて廻船の方が挙がったりになってからも、病躯(びょうく)をかかえて各地へ商取引をやっていた。瑠美子が産まれてから間もなくその父は死んだが、葉子を特別に愛したことは、その日常を語る彼女の口吻(くちぶり)でも解(わか)るのであった。学窓に蔓(はびこ)っていた学生同志の同性愛問題で、そのころ教育界を騒がしたほどの女学校だけに、そしてそれがまた生徒と教師との恋愛問題をも惹(ひ)き起こしただけに、多分処女ではなかったらしい彼女の派手な結婚の支度(したく)や、三日にわたった饗宴(きょうえん)に金を惜しまなかった張り込み方を考えても、父の愛がどんなに彼女を思い昂(たかぶ)らせたか想像できるのであった。 葉子の話では結婚の翌日、彼女は二階の一室で宿酔(ふつかよい)のさめない松川に濃い煎茶(せんちゃ)を勧めていた。体も魂も彼女はすっかり彼のものになりきった気持であった。彼女は畳に片手をついて吸子(きゅうす)のお茶を茶碗(ちゃわん)に注(つ)いだ。彼の寝所へ入ったのは、すでに一時過ぎであった。その時まで彼は座敷で方々から廻って来る盃(さかずき)を受けていたので、窓が白むまで知らずに爛睡(らんすい)していた。 朝のお化粧をして、葉子が松川と差向いでいるところへ、にわかに段梯子に跫音(あしおと)がして、最初この結婚を取り持った葉子の従兄(いとこ)筋に当たる男が半身を現わした。「いやどうもすっかり世話女房気取りだね。こいつは当てられました。」 県の議員なんかをやってる素封家(そほうか)の子息(むすこ)である従兄はそう言って、顔を赤くしている新夫婦に目を丸くした。葉子もこの従兄とのかつての恋愛模様と、新夫婦を母とともども小樽まで送って行った時の、三人の三角なりな気持の絡(から)み合いは、何か美しい綾(あや)の多い葉子の話しぶりによると、それは相当蠱惑的(こわくてき)なローマンスで、モオパサンの小説にも似たものであった。途中のある旅館における雨の侘(わび)しい晩に、従兄への葉子の素振りの媚(なま)めかしさが、いきなり松川の嫉妬(しっと)を抑えがたいものに煽(あお)りたてた。ちょっと話があると言って、にわかに葉子は薄暗い別室に拉(つ)れこまれた。「おれはお前の良人(おっと)だぞ!」 彼はそう言って葉子が顫(ふる)えあがるほど激情的に愛撫(あいぶ)した。 着いてからも、従兄はしばらくその町に滞在していた。そして毎夜のように酒と女に浸っていたものだった。 ある日離れで葉子と庸三とが文学の話などに耽(ふけ)っていると、そこへ母親が土間の方から次ぎの間の入口へ顔を出して、今瑠美子たちの継母(ままはは)と二人の書生とが、この古雪の町へ自動車で乗りこんで来たというから、多分子供たちを取り戻しに逆襲しに来たに違いない。と、あわただしく報告するのであった。「そう!」 葉子はその時少し熱があって、面窶(おもやつ)れがしていたが、子供のこととなると、仔猫(こねこ)を取られまいとする親猫のように、急いで下駄(げた)を突っかけて、母屋(おもや)の方へ駈(か)け出して行った。 庸三は何事が起こるかと、耳を聳(そばだ)ててじっとしていたが、例の油紙に火のついたように、能弁に喋(しゃべ)り立てる葉子の声が風に送られて、言葉の聯絡(れんらく)もわからないながらに、次第に耳に入って来た。継母というのが、もと葉子が信用していた召使いであっただけに、頭から莫迦(ばか)にしてかかっているものらしく、何か松川の後妻としての相手と交渉するというよりも、奥さんが女中を叱(しか)っていると同じ態度であったが、憎悪とか反感とか言った刺(とげ)や毒が微塵(みじん)もないので、喧嘩(けんか)にもならずに、継母は仕方なしに俯(うつむ)き、書生たちは書生たちで、相かわらずやっとる! ぐらいの気持で、笑いながら聞き流しているのであった。そうなると、恋愛小説の会話もどきの、あれほど流暢(りゅうちょう)な都会弁も、すっかり田舎訛(いなかなま)り剥(む)き出しになって、お品の悪い言葉も薄い唇(くちびる)を衝(つ)いて、それからそれへと果てしもなく連続するのであった。ふと物の摺(す)れる音がして、柘榴(ざくろ)の枝葉の繁(しげ)っている地境の板塀(いたべい)のうえに、隣家の人の顔が一つ見え二つ見えして来た。そこからは庸三の坐っている部屋のなかも丸見えであった。庸三はきまりがわるくなったので、にわかに茶の間へ出て行って見た。葉子は姐御(あねご)のようなふうをして、炉側(ろばた)に片膝(かたひざ)を立てて坐っていたが、「お前なんぞ松川さんが愛していると思ったら、飛んだ間違いだぞ。おれ今だって取ろうと思えばいつでも取ってみせる。」 という言葉が彼の耳についた。 するうち嵐(あらし)が凪(な)いで、書生はその辺を飛びまわっている男の子の機嫌(きげん)を取るし、色の浅黒い、目の少しぎょろりとした継母は匆々(そうそう)にお辞儀をして出て行って、葉子は子供のふざけているのに顔を崩しながら、書生たちにもお愛相よくふるまっていた。やがて書生たちも、烏賊(いか)の刺身や丸ごと盆に盛った蟹(かに)などを肴(さかな)にビールを二三杯も呑(の)んで、引き揚げていった。 その晩、庸三が煩(うるさ)く虫の集まって来る電燈の下で、東京の新聞に送る短かいものを書いていると、その時から葉子は発熱して、茶の間の仏壇のある方から出入りのできる、店の横にある往来向きの部屋で床に就(つ)いてしまった。触ると額も手も火のように熱かった。顔も赤くほてって、目も充血していた。「苦しい?」「とても。熱が二度もあるのよ。それにお尻(しり)のところがひりひり刃物で突つくように痛んで、息が切れそうよ。」「やっぱり痔瘻(じろう)だ。」 庸三にも痔瘻を手術した経験があるので、その痛みには十分同情できた。彼女はひいひい火焔(かえん)のような息をはずませていたが、痛みが堪えがたくなると、いきなり跳(は)ねあがるように起き直った。それでいけなくなると、蚊帳(かや)から出て、縁側に立ったり跪坐(しゃが)んだりした。 もちろんそれはその晩が初めての苦しみでもなかった。もう幾日も前から、肛門(こうもん)の痛みは気にしていたし、熱も少しは出ていたのであったが、見たところにわかに痔瘻とも判断できぬほど、やや地腫(じば)れのした、ぷつりとした小さな腫物(はれもの)であった。「痔かも知れないね。」 彼は言っていた。その後も時々気にはしていたが、少しくらいの発熱があっても、二人の精神的な悩みの方が、深く内面的に喰(く)いこんでいたので、愛情も何かどろどろ滓(かす)のようなものが停滞していて、葉子の心にも受けきれないほど、彼の苛(さいな)み方も深刻であった。どうかすると彼女は妹に呼ばれて離れを出て、土間をわたって母屋(おもや)の方へ出て行くこともあって、しばらく帰って来ないのであったが、帰って来たときの素振りには別に変わったところもなかった。「私を信用できないなんて、先生もよくよく不幸な人ね。」 葉子は言うのだったが、それかと言って、場所が場所だけに、争闘はいつも内攻的で、高い声を出して口論するということもなかった。 やがてその痔が急激に腫れあがって、膿(うみ)をもって来たのであった。 庸三は傍(そば)に寝そべっているのにも気がさして、蚊帳を出ようとすると、彼女は夢現(ゆめうつつ)のように熱に浮かされながら、「もうちょっと居て……。」 と引き止めるのであった。 朝になると、彼女も少し落ち着いていて、狭い露路庭から通って来る涼風に、手や足やを嬲(なぶ)らせながら、うつらうつらと眠っているのだったが、それもちょっとの間の疲れ休めで、彼女がある懇意な婦人科のK氏に診(み)てもらいに行ったのは、まだ俥(くるま)でそろそろ行ける時分で、痛みも今ほど跳(と)びあがるほどではなかったし、熱も大したことはなかった。それがてっきり痔瘻だとわかったのは、その診察の結果であったが、今のうち冷し薬で腫れを散らそうというのが、差し当たっての手当であったが、腫物はかえって爛(ただ)れひろがる一方であった。そこで、今日になって葉子は別に、これも日頃懇意にしている文学好きの内科の学士で、いつか庸三をつれて病院の棟(むね)続きのその邸宅へ遊びに行ったこともある院長にも来てもらうことにした。 その先生が病院の回診をすましてから、俥でやって来た。その時葉子の寝床は、不断母親の居間になっている、茶の間の奥の方にある中庭に臨んだ明るい六畳に移され、庸三も傍に附き添っていた。彼は診察の結果を聞いてから、ここを引き揚げたものかと独りで思い患(わずら)っていたが、痛がる下の腫物を指で押したり何かしていた院長は、「もう膿(う)んでいる。これは痛いでしょう。」 と微笑しながら、「あんた手術うけたことありましたかね。」「北海道でお乳を切ったんですのよ。また手術ですの、先生。」「これは肛門(こうもん)周囲炎というやつですよ。こうなっては切るよりほかないでしょうね。」「外科の病院へ行って切ったもんでしょうかね。」「それに越したことはないが、なに、まだそう大きくもなさそうだから、Kさんにも診てもらったというなら、二人でやって上げてもいいですね。」「局所麻酔か何かですの?」「さあね。五分か十分貴女(あなた)が我慢できれば、それにも及ばないでしょう。じりじり疼痛(とうつう)を我慢していることから思えば、何でもありませんよ。」 そんな問答がしばらく続いて、結局一と思いに切ってもらうことに決定した。「痔は切るに限るよ。僕は切ってよかったと今でも思うよ。切って駄目なものなら、切らなきゃなお駄目なんだ。じりじり追い詰められるばかりだからね。」 何事なく言っているうちに、庸三は十二三年前に、胃腸もひどく悪くて、手術後の窶(やつ)れはてた体を三週間もベッドに仰臥(ぎょうが)していた時のことを、ふと思い出した。十三の長男と十一の長女とが、時々見舞いに来てくれたものだが、衰弱が劇(はげ)しいので、半ば絶望している人もあった。神に祈ったりしていたその長女は、それから一年もたたないうちに死んでしまった。心配そうな含羞(はにか)んだようなその娘の幼い面影が、今でもそのまま魂のどこかに烙(や)きついていた。もしも彼女が生きていたとしたら、母の死の直後に起こった父親のこんな事件を、何と批判したであろうか。生きた子供よりも死んだ子供の魂に触れる感じの方が痛かった。それに比べれば、二十五年の結婚生活において、妻の愛は割合酬(むく)いられていると言ってよかった。 翌日になって、三時ごろに二人打ち連れて医師がやって来た。彼らはさも気易(きやす)そうな態度で、折鞄(おりかばん)に詰めて来た消毒器やメスやピンセットを縁側に敷いた防水布の上にちかちか並べた。夏もすでに末枯(うらが)れかけたころで、ここは取分け陽(ひ)の光にいつも翳(かげ)があった。その光のなかで荒療治が行なわれた。 庸三はドクトルの指図(さしず)で、葉子の脇腹(わきばら)を膝(ひざ)でしかと押えつける一方、両手に力をこめて、腿(もも)を締めつけるようにしていたが、メスが腫物を刳(えぐ)りはじめると、葉子は鋭い悲鳴をあげて飛びあがろうとした。「痛た、痛た、痛た。」 瞬間脂汗(あぶらあせ)が額や鼻ににじみ出た。メスをもった婦人科のドクトルは驚いて、ちょっと手をひいた。――今度は内科の院長が、薔薇色(ばらいろ)の肉のなかへメスを入れた。葉子は息も絶えそうに呻吟(うめ)いていたが、面(おもて)を背向(そむ)けていた庸三が身をひいた時には、すでに創口(きずぐち)が消毒されていた。やがて沃度(ヨード)ホルムの臭(にお)いがして、ガアゼが当てられた。 医師が器械を片着けて帰るころには、葉子の顔にも薄笑いの影さえ差していた。そしてその時から熱がにわかに下がった。 庸三は母や兄の親切なサアビスで、一日はタキシイを駆って、町から程合いの山手の景勝を探って、とある蓮池(はすいけ)の畔(ほと)りにある料亭(りょうてい)で、川魚料理を食べたり、そこからまた程遠くもない山地へ分け入って、微雨のなかを湖に舟を浮かべたり、中世紀の古色を帯びた洋画のように、幽邃(ゆうすい)の趣きをたたえた山裾(やますそ)の水の畔(ほとり)を歩いたりして、日の暮れ方に帰って来たことなどもあって、また二日三日と日がたった。 そんな時、庸三は今まで誰か葉子の傍(そば)にいたものがあったような影も心に差すのであったが、葉子はそれとは反対に、蚊帳(かや)の外に立膝している庸三に感激的な言葉をささやくのであった。「これが普通の恋愛だったら、誰も何とも言やしないんだわ。年のちがった二人が逢(あ)ったという偶然が奇蹟(きせき)でなくて何でしょう。」 しかし庸三はまたその言葉が隠している、真の意味も考えないわけに行かなかった。三年か五年か、せいぜい十年も我慢すれば、やがて庸三もこの舞台から退場するであろう。そして一切が清算されるであろう。それまでに巧くジャーナリズムの潮を乗り切った彼女を、別の楽しい結婚生活が待っているであろうと。 庸三は今彼の書斎で、せっせと紙の上にペンを走らせていた。 書いているうちに、何か感傷が込みあげて、字体も見えないくらいに、熱い涙がにじんで来た。彼は指頭(ゆびさき)や手の甲で涙を拭(ふ)きながら、ペンを運んでいた。彼は次ぎの部屋で、すやすや明け方の快い睡(ねむ)りを眠っている幼い子供たちのことで、胸が一杯であった。宵(よい)に受け取った葉子の電報が、机の端にあった。  アシタ七ジツク というのであった。 病床にいる彼女と握手して帰ってから、もう二週間もの日が過ぎたが、その間に苦しみぬいた彼の心も、だんだん正常に復(かえ)ろうとしていた。ここですっかり自身を立て直そうと思うようになっていた。その方へ心が傾くと、にわかに荷が軽くなったような感じで、道が目の前に開けて来るのであった。 板戸も開け放したまま、筒袖(つつそで)の浴衣(ゆかた)一枚で仕事をしていたのだったが、雀(すずめ)の囀(さえず)りが耳につく時分に書きおわったまま、消えやらぬ感激がまだ胸を引き締めていた。 電報を手にした時、彼は待っていたものが、到頭やって来たという感じもしたが、あわててもいた。「……一年や二年、先生のお近くで勉強できるほどの用意もできましたので……」 そう言った彼女の手紙を受け取ったのも、すでに三日四日も前のことであったが、立て続けに二つもの作品を仕上げなければならなかったので、あれほど頻繁(ひんぱん)に手紙を彼女に書いていた庸三も、それに対する返辞も出さずにいた。真実のところ彼はこの事件に疲れ果てていた。享楽よりも苦悩の多い――そしてまたその苦悩が享楽でもあって、つまり享楽は苦悩だということにもなるわけだし、苦悩がなければ倦怠(けんたい)するかもしれないのであったが、それにしても彼はここいらで、どうか青い空に息づきたいという思いに渇(かわ)いていた。 この事件の幕間(インタアブアル)として、彼は時々水辺の小夜子の家(うち)へも、侘(わび)しさを紛らせに行った。その時分にはいつも中の間とか茶の間とかにいた、姉も田舎(いなか)へ帰ってしまって、彼も座敷ばかりへ通されていなかった。時間になると小夜子は風呂(ふろ)へ入って、それから鏡の前に坐るのであった。顔をこってり塗って、眉(まゆ)に軽く墨を刷(は)き、アイ・シェドウなどはあまり使わなかったが、紅棒(ルウジュ)で唇(くちびる)を柘榴(ざくろ)の花のように染めた。目も眉もぱらっとして、覗(のぞ)き鼻の鼻梁(びりょう)が、附け根から少し不自然に高くなっているのも、そう気になるほどではなく、ややもすると惑星のように輝く目に何か不安定な感じを与えもして、奈良(なら)で産まれたせいでもあるか、のんびりした面差(おもざ)しであった。美貌の矜(ほこ)りというものもまだ失われないで、花々しいことがいくらも前途に待っているように思えた。彼女は何かやってみたくて仕方がなかった。小説を書くということも一つの願望で、庸三は手函(てばこ)に一杯ある書き散らしの原稿を見せられたこともあった。「私は何でもやってできないことはないつもりだけれど、小説だけはどうもむずかしいらしいですね。」「男を手玉に取るような工合(ぐあい)には行かない。」「あら、そんなことしませんよ。」 化粧がすむと着物を着かえて、まるで女優の楽屋入りみたいな姿で、自身で見しりの客の座敷へ現われるのであった。座敷を一つ二つサアビスして廻ると、きまって酔っていた。呷(あお)ったウイスキイの酔いで、目がとろんこになり、足も少しふらつき気味で、呂律(ろれつ)も乱れがちに、でれんとした姿で庸三の傍(そば)に寄って来ることもあった。「相当なもんだな。」 庸三は無関心ではいられない気持で、「随分呑(の)むんだね。そう呑んでいいの。」「大丈夫よ、あれっぽっちのウイスキイ。私酔うと大変よ。」「お神さん!」 廊下で呼ぶ声がする。「今あの人たちみんな帰りますから。」 しかし、そんな晩、彼女がどこで寝たかも彼には解(わか)りようもなかったし、何か商売の邪魔でもしているような気もして、彼はタキシイを言ってもらうのだったが、時には電気行燈(あんどん)を枕元(まくらもと)において、ギイギイという夜更(よふ)けの水の上の櫓(ろ)の音を耳にしながら話しこむことも珍らしくなかった。 ある日も庸三は小夜子と一緒に、彼女の門を出た。「先生、今日お閑(ひま)でしたら、神田まで附き合ってくれません? 私あすこで占(み)てもらいたいことがありますの。」「いいとも、事によったら僕も。――君は何を占てもらうんだい。」「差し当たり何てこともないんですけれど、私、妙ね。随分長いあいだの関係で、昔は一緒に世帯(しょたい)をもったこともありましたの。今は別に何てこともないんです。だけど、相手が逃げるとこっちが追っ駈(か)け、こっちが逃げると、先方が追っ駈けて来るといったあんばいで、切れたかと思うと時たってまた繋(つな)がったりして……変なものですね。」 小夜子はいつになくしんみりしていた。「どんな人?」「それが近頃ずっとよくないんですの。」 庸三は小夜子の好くような男はどんな男かと、それを探りたかったが、彼女はただそう言っただけで、その相手の概念だも与えなかった。しかしそれから大分たってから庸三がある晩茶の間の大振りな紫檀(したん)の火鉢(ひばち)の側にいると、その日はひどく客が立てこんで、勝手元も忙しく、間断なく料理屋へ電話をかけたりして、小夜子も不断着のまま、酒の燗(かん)をしたり物を運んだりしていたが、ふと玄関の方の襖(ふすま)を開けて※袍(どてら)姿で楊子(ようじ)を啣(くわ)えながら入って来る男があった。「ああ、これだな。」 瞬間、庸三の六感が働いたが、それを見ると、いきなり小夜子はにやにやしながら、その男を連れ出してしまった。 それからまた三年も四年も経(た)って、彼は小夜子の二階の彼女の部屋で、その男ともしばしば花を引いたし、庸三の家(うち)へも遊びに来るようになったが、そのころには彼もかなりうらぶれた姿になって、見ちがえるほど更(ふ)けていた。そしてその時分になって、庸三はいろいろのことを知ることができた。ホン・クルベーの家から、彼女を引っ張り出したのも、かつては煮え湯を呑まされた彼の復讐(ふくしゅう)だったことも解った。 今、小夜子は彼との新生活に入るつもりで、場合によっては結婚もして本国へもつれて行くつもりでいるクルベーを振り切って出て来たのであったが、誘い出されてみると、まるで当てがはずれてしまった。現在の彼と一脈の新生活を初めるには、小夜子の生活は少し派手すぎていたし、趣味がバタくさかった。そこで小夜子は思いどおりに、こんな水商売を初めたわけであった。 まだ態形も調(ととの)わない金座通りへ出てから、小夜子は円タクを拾って、神田駅のガアド下までと決めた。 しかし一人ずつ二階へ呼びあげて占(み)るので、小夜子が占てもらう間、庸三は下でしばらく待っていた。そのうちに小夜子がおりて来た。占(うらな)わない前と表情に変りはなかった。やがて庸三も占てもらうことにした。「合性は至極よろしい。しかしこの人は落ち着きませんね。よほど厳(きび)しく監督しないと、とかく問題が起こりやすい。」 占者は言うのであった。葉子のことであった。 そこを出ると、二人とも占いの結果については話す興味もなくて、少し通りをぶらついた果てに、二人で庸三の書斎へ帰ってみた。小夜子は紫檀(したん)の卓の前に坐って、雑誌など見ていたが、「先生に私、何か書いていただきたいんですけれど。」「書くけれど、僕のじゃ君んとこの部屋にうつらない。そのうち何かもって行って上げるよ。あれじゃ少し酷(ひど)いからね。追々取り換えるんだね。」 それから彼女の家の建築の話に移って、譲り受けた時の値段や、ある部分は改築のある部分は新築の費用などの話も出た。 庸三は燻(いぶ)しのかかった古い部屋を今更のように見廻した。「この家もどうかしなきゃ。」「そうですね、もしお建てになるようでしたら、あの大工にやらしてごらんなさいましよ。あれは広小路の鳥八十(とりやそ)お出入りの棟梁(とうりょう)ですの。」 大ブルジョアのその鳥料理屋が彼女の彼と、何かの縁辺になることも、その後だんだんに解(わか)って来た。 その時であった、凝ったその鳥料理屋の建築や庭を見いかたがた末の娘もつれて、晩飯を食べに行ったのは。美事な孟棕(もうそう)の植込みを遠景にして、庭中に漫々とたたえた水のなかの岩組みに水晶簾(すだれ)の滝がかかっていて、ちょうどそれが薄暮であったので、青々した寒竹の茂みから燈籠(とうろう)の灯(ひ)に透けて見えるのも涼しげであった。無数の真鯉(まごい)緋鯉(ひごい)が、ひたひた水の浸して来る手摺(てすり)の下を苦もなげに游泳(ゆうえい)していた。桜豆腐、鳥山葵(とりわさ)、それに茶碗(ちゃわん)のようなものが、食卓のうえに並べられた。黒の縮緬(ちりめん)の羽織を着て来た清楚(せいそ)な小夜子の姿は、何か薄寒そうでもあったが、彼女はほんのちっとばかし箸(はし)をつけただけであった。 咲子は人も場所も、何か勝手がちがったようで、嬉(うれ)しそうでもなかったが、始終にこにこしていた。「いつかクルベーさんと、何かのはずみで、急に日光へ行くことになって、上野駅へ来たのはよかったけれど、紙入れを忘れて来てしまったんですのよ。時間はないし、仕方がないから私がこの家へ来て事情を話すと、黙って三百円立て替えてくれたことがありましたっけ。」 そんな話も出たりして、帰りに三人で夜店の出ている広小路をあるいた。小夜子は子供の手を引いていたが、そうして歩くにも、何か人目を憚(はばか)るらしいふうにも見えるのであった。 ふと葉子の話が出た。「僕もつくづくいやになった。止(よ)そうと思う。」「止しておしまいなさい。」「あと君が引き請ける?」 頼りなさそうな声で、「引き請けます。」 今、庸三は別にそれを当てにしているわけではなかったけれど、葉子と別れるには、そうした遊び相手のできた今が時機だという気もしていたので、葉子を迎えに行くのを怠(ずる)けようとして、そのまま蚊帳(かや)のなかへ入って、疲れた体を横たえた。彼はじっと眼を瞑(つぶ)ってみた。 葉子とよく一緒に歩いた、深い松林のなだらかなスロオプが目に浮かんで来た。そこは町の人の春秋のピクニックにふさわしい、静かで明るい松山であった。暑さを遮(さえ)ぎる大きな松の樹(き)が疎(まば)らに聳(そび)え立っていた。幼い時の楽しい思い出話に倦(う)まない葉子にとって、そこがどんなにか懐かしい場所であった。上の方の崖(がけ)ぎわの雑木に茱萸(ぐみ)が成っていて、萩(はぎ)や薄(すすき)が生(お)い茂っていた。潮の音も遠くはなかった。松の枝葉を洩(も)れる蒼穹(そうきゅう)も、都に見られない清さを湛(たた)えていた。庸三も田舎(いなか)育ちだけに、大きい景勝よりも、こうしたひそやかな自然に親しみを感じた。二人は草履穿(ぞうりば)きで、野生児のようにそこらを駈(か)けまわった。 葉子の家の裏の川の向うへ渡ると、そこにも雪国の田園らしい、何か荒い気分のする場所があって、木立は深く、道は草に埋もれて、その間に農家とも町家ともつかないような家建ちが見られた。葉子はそうした家の貧しい一軒の土間へ入って行って、「御免なさい」と、奥を覗(のぞ)きこんだ。そこには蝋燭(ろうそく)の灯(ひ)の炎の靡(なび)く方嚮(ほうこう)によって人の運命を占うという老婆が、じめじめした薄暗い部屋に坐りこんでいて、さっそく葉子の身の上を占いにかかった。彼女はほう気立(けだ)った髪をかぶって、神前に祈りをあげると、神に憑(つ)かれているような目をして灯の揺らぎ方を見詰めていた。「東の方の人をたよりなさい。その人が力を貸してくれる。」 訛(なまり)の言葉でそんな意味の暗示を与えた。ここから東といえば、それが当然素封家の詩人秋本でなければならなかった。 今、葉子が威勢よく上京して来るというのも、陰にそうしたペトロンを控えているためだとは、彼も気づかないではなかったが、その時の気持はやっぱり暗かった。 庸三は葉子の従兄筋(いとこすじ)に当たる、町の青年文学者島野黄昏に送られながら、一緒に帰りの汽車に乗ったのであったが、何か行く手の知れない暗路へ迷いこんだような感じだった。 その悩みもやや癒(いや)された今、彼はなお迎えに出ようか抛(ほう)っておこうかと惑っていた。しかし病床に仰臥(ぎょうが)しながら、捲紙(まきがみ)に奔放な筆を揮(ふる)って手術の予後を報告して来た幾つかの彼女の手紙の意気ごみ方を考えると、寝てもいられないような気にもなるのであった。 着物を着かえて、ステッキを掴(つか)んで門を出ると、横町の角を曲がった。すると物の十間も歩かないうちに、にこにこ笑いながらこっちへやって来る彼女の姿に出逢(であ)った。古風な小紋の絽縮緬(ろちりめん)の単衣(ひとえ)を来た、彼女のちんまりした形が、目に懐かしく沁(し)みこんだ。 葉子は果して慈父に取り縋(すが)るような、しおしおした目をして、しばらく庸三を見詰めていた。「先生、若いわ。」 まだ十分恢復もしていないとみえて、蚕(かいこ)のような蒼白(あおじろ)い顔にぼうッと病的な血色が差して、目も潤(うる)んでいた。庸三は素気(そっけ)ないふうもしかねていたが、葉子は四辻(よつつじ)の広場の方を振り返って、「私、女の子供たちだけ二人連れて来ましたの。それに女中も一人お母さんが附けてくれましたわ。さっそく家を探さなきゃなりませんわ。」 そう言って自動車の方へ引き返して行くと、その時車から出て来た幼い人たちと、トランクを提(さ)げた女中とが、そこに立ち停(ど)まっている葉子の傍(そば)へ寄って来た。「さあ、おじさんにお辞儀なさい。」 子供たちはぴょこんとお辞儀して、にこにこしていたが、この子供たちを纏(まと)めて来て、新らしい生活を初めようとする母親の苦労も容易ではなかった。それも物事をさほど億劫(おっくう)に考えない、夢の多い葉子の描き出した一つの芸術的生活構図にすぎなかった。 庸三が三十年も住み古しの狭い横町と並行した次ぎの横町に、すぐ家が見つかって、庸三の裏の家に片着けてあった彼女の荷物――二人で一緒に池の畔(はた)で買って来たあの箪笥(たんす)と鏡台、それに扉(とびら)のガラスに桃色の裂(きれ)を縮らした本箱や行李(こうり)、萌黄(もえぎ)の唐草(からくさ)模様の大風呂敷(おおぶろしき)に包まれた蒲団(ふとん)といったようなものを、庸三の頼みつけの車屋を傭(やと)って運びこむと、葉子も子供たちを引き連れて、隣の下宿を引き揚げて行った。 大家族主義の田舎の家に育った葉子のことなので、そこに初めて子供たちと一つの新らしい自分の世界をもつことは、何といっても楽しいことに違いなかった。田舎の家もすでに母の心のままというわけにも行かない。相続者の兄家族は辺鄙(へんぴ)にあるその家を離れて、町の要部の静かな住宅地域に開業していたが、どんなにこの妹を愛しているにしても、とかく、世間の噂(うわさ)に上りがちな彼女の行動を悦(よろこ)ぶはずもなかった。商売の資本くらい与えて、田舎にじっとしていてもらうか、どこか堅いところへ再縁でもして、落ち着いて欲しかったが、田舎に燻(くす)ぶっていられる葉子でないことも解(わか)っていた。葉子がこの兄や母に心配をかけたこともたびたびで、今度出て来る時も、何かの費用を自身に支払ったくらいであった。病床にいる彼女が、よく懐(ふとこ)ろの財布から金を出していたことも、時には庸三の目に触れたのであった。滞在の長びいた庸三は、どうにかしなければならないくらいのことも感づかないわけではなかったが、一度少しばかりの料亭(りょうてい)の勘定を支払った時でさえ、兄を術ながらせたほどだったので、どうしていいか解らなかった。 葉子たちの落ち着いたのは、狭い平屋であったが、南に坪庭もあって、明るい感じの造作であった。花物を置くによろしい肱掛窓(ひじかけまど)もあって、白いカーテンにいつも風が戦(そよ)いでいた。それに葉子は部屋を楽しくする術(すべ)を知っていて、文学少女らしい好みで、籐椅子(とういす)を縁側においてみたり、清楚(せいそ)なシェドウのスタンドを机にすえたりして、色チョオク画のように、そこいらを変化させるのに器用であった。 しかし彼女は顔色もまだ蒼白く、長く坐っているのにも堪えられなかった。創口(きずぐち)がまだ完全に癒(い)えていないので、薬やピンセットやガアゼが必要であった。「先生、すみませんが、鏡じゃとてもやりにくいのよ、ガアゼ取り替えて下さらない。」「ああいいとも。」 庸三はそう言って、縁側の明るいところで、座蒲団(ざぶとん)を当てがって、仰向きになっている彼女の創口を覗(のぞ)いて見た。薄紫色に大体は癒着(ゆちゃく)しているように見えながら、探りを入れたら、深く入りそうに思える穴もあって、そこから淋巴液(りんぱえき)のようなものが入染(にじ)んでいた。庸三は言わるるままに、アルコオルで消毒したピンセットでそっと拭(ふ)いて、ガアゼを当てるとともに、落ちないように、細長く切ったピックで止めた。 ピンセットの先きが微(かす)かにでも触ると、「おお痛い!」と叫ぶのだった。「どうもありがとう。」 葉子は起きかえるのだったが、来る日も来る日も同じことが繰り返されるだけで、はかばかしく行かなかった。 庸三は時とすると、奥の部屋で子供たちとも一緒に、窮屈な一つ蚊帳(かや)のなかに枕(まくら)を並べるのだったが、世帯(しょたい)が彼女の世帯で、その上子供や女中もいるので、気持に落着きもなかったし、葉子も時には闖入者(ちんにゅうしゃ)に対するような目を向けるので、和(なご)やかというわけには行かなかった。彼は少し腹立ち気味で、ふいと出て来るのであったが、古い自分の書斎も心持を落ち着かせてはくれなかった。ある時などは引き返して行って、蚊帳のなかにいる彼女の白い頬(ほお)を引っぱたいて来ることすらあった。葉子はぽっかり彼を見詰めたきり呆(あき)れた顔をしていた。 それに葉子はいつも家にいるわけではなく、庸三が行ってみると、女中が一人留守居をしていることもあれば、戸が閉まっていることもあった。 庸三が自動車で買いものをして歩く彼女を、膝(ひざ)のうえに載せて、よく銀座や神田あたりへ出たのも、そのころであった。柱時計を買うとか、指環(ゆびわ)を作りかえるとか、または化粧品を買うとか。それに外で食事をする習慣もついて来て、一流の料亭(りょうてい)へタキシイをつけることもしばしばあった。というのも、二人の女中まかせの庸三の台所は、ひどく不取締りで、過剰な野菜がうんと立ち流しの下に腐っていたり、結構つかえる器物がそこらへ棄(す)てられたり、下品な皿小鉢(こばち)が、むやみに買いこまれたりして、遠海ものの煮肴(にざかな)はいつも砂糖漬(づ)けのように悪甘く、漬けものも溝(どぶ)のように臭かった。それに紛失物もたびたびのことで、渡す小使の用途も不明がちであったが、女中の極度に払底なそのころとしては、目を瞑(つぶ)っているよりほかに手はなかった。 しかし料亭の払いは、いつも庸三がするとは決まっていなかった。むしろ大抵の場合、葉子が帯の間から蟇口(がまぐち)を出して、「私に払わせて。」 と気前をよくしていた。彼女は無限の宝庫をでも持っているもののように見えた。 やがて涼風が吹いて来た。葉子は二度目に移って行った隣りの下宿屋の二階家から、今度はぐっと近よって、庸三のすぐ向う前の二階家に移っていた。そのころになると、彼女も庸三の口添えで、ある婦人文学雑誌に連載ものを書きはじめていたが、一時癒(なお)るとみえた創(きず)は癒らないで、今まで忘れていた痛みさえ加わって来た。何といっても内科と婦人科のドクトルのメスには、手ぬるいところがあった。思い切った手術のやり直しが必要であった。庸三は彼女を紹介する外科のある大家のこともひそかに考えていたが、田舎(いなか)での不用意な荒療治が、すっかり葉子を懲りさせていた。「それよりも私温泉へ行こうと思うの。湯河原(ゆがわら)どう?」 葉子はある日言い出した。「そうだね。」「お金はあるの。先生に迷惑かけませんわ、二人分四百円もあったら、二週間くらい居られない?」 庸三もいくらか用意して、東京駅から汽車に乗ったのは、翌日の午後であった。葉子は最近用いることになったゴム輪の当てものなどもスウト・ケイスのなかへ入れて、二人でデパアトで捜し出した変り織りの袷(あわせ)に、黒い羽織を着ていたが、庸三もあまり着たことのない、亡(な)き妻の心やりで無断で作っておいてくれた晴着を身に着けて、目の多い二等車のなかに納まっていた。      十 湯河原ではN――旅館の月並みな部屋に落ち着いたが、かつて庸三が丘に黄金色(こがねいろ)の蜜柑(みかん)が実るころに、弟子たちを引き連れた友人とともに、一ト月足らずも滞在していたころの面影(おもかげ)はなくなって、位置も奥の方を切り開いて、すっかり一流旅館の体裁を備えていた。よく方々案内してくれた後取り子息(むすこ)が、とっくに死んでいたり、友達が騒いでいた娘もよそへ片づいて幾人かの母親になっていた。酒も呑(の)めず弟子もいない庸三は、しばらくいるうちにすっかり孤独に陥って、酔って悪く絡(から)まってくる友達を防禦(ぼうぎょ)するのに骨が折れ、神経がささくれ立ったように疲れて来たものだったが、今考えるとそれも過去の惨(みじ)めな彼の姿であった。後になってみれば、今演(や)っていることは、それよりももっと醜いものかも知れなかった。 葉子は着いた当座ここへ連れて来たことを感謝するように、そわそわした様子で、一ト風呂(ふろ)あびて来ると、例のガアゼの詰め替えをした後で、橋を渡ってこの温泉町を散歩した。町の中心へ来て、彼は小懐かしそうに四辺(あたり)を見廻した。そして小体(こてい)なある旅館の前に立ち止まると、「ここに玉突き場があったものだ。主人は素敵な腕を持っていて、僕はその男にキュウをもつことから教わったんだが、幾日来ても物にならずじまいさ、君はつけるかい。
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