仮装人物
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著者名:徳田秋声 

」 葉子はそう言って、不断電話を借りつけの裏の下宿屋へ行った。 相手が出て来たところで、彼女は気軽に話しかけた。「もしもし私よ、解(わか)って?」「うむ、僕だよ。都合上ちょっと遠いところへ行く途中、ごく秘密に逢(あ)いたいと思って寄ったんだが、久しぶりでいろいろ話もあるし、貴女(あなた)のことも心配しているんだ。それでぜひ逢って渡したいものがあるから、ちょっとここまで来てもらいたいんだ。」「そう、じゃすぐ行くわ。」 葉子は庸三の傍(そば)へ返ってその通りを告げた。「ひょっとしたら少し手間取るかも知れないのよ。だけど私を信じていてね。」 葉子は湯島に宿を取っている松川を見ると、いきなり飛びついて来る彼に唇(くちびる)を出した。松川は洋服も脱がずにいたが、田端で別れたころから見ると、身綺麗(みぎれい)にしていた。彼は今顧問弁護士をしていた会社の金を三万円拐帯(かいたい)して、留守中の家族と乾分(こぶん)の手当や、のっぴきならない負債の始末をして、一旗揚げるつもりで上海(シャンハイ)へ走るところであった。当分潜(もぐ)っていて、足場が出来次第後妻や子供たちを呼び寄せることになっていた。葉子は涙ぐんだ。「これは絶対秘密だよ。不自由してるだろうから、貴女にあげようと思って……これだけあれば当分勉強ができるだろう。」 松川はそう言って、ポケットの札束から大札十枚だけを数えて渡した。送らせて来た書生が席を外していたので、二人はいつも媾曳(あいびき)している恋人同志のように話し合った。「あの先生も君を好きだろう。始終傍にいるのかい。」「ううん……それに先生はお年召していらっしゃるから。」 日の暮れ方になって、葉子は別れて来たが、外へ出てからも涙がちょっとは乾かなかった。 庸三は騒がしい風の音を聴(き)きながら、葉子の帰るのを待ち侘(わ)びていた。憂鬱(ゆううつ)な頭脳(あたま)の底がじゃりじゃりするようで、口も乾ききっていた。彼は肉体的にも参っていた。 帰って来た葉子の目が潤(うる)んでいた。「そのくらいのことは赦(ゆる)してもいい。」 庸三は仕方なしそういう気持にもなれたが、しかし葉子は否定した。「あの人もう私をすっかり他人行儀の敬語を使ってるくらいよ。――私に千円くれたの。私貰(もら)って来たわ。秘密にしてね。」「銀行へ預けときたまえ。」「そうするわ。」 そうしたのか、しないのか、庸三は金のことに触れようとしないのであったが、大分たってから思い出して聞いてみると、もう一銭も残っていなかった。もちろん貰って来た翌日、少し買いものをしたので、さっそく手のついたことだけは解っていたが。 松川を東京駅へ送って行ったのは、その翌日の朝であったが、庸三にも、ちょっと見送ってくれないかと言うので、一緒に行きは行ったのだったが、彼は何か照れくさくもあったし、葉子も少し気持がかわって一人でプラットホームへ上がって行った。「子供をせめて一人だけ私にくれてくれられないかと私言ったのよ。けど駄目らしいの。やっぱり上海へ引き取るらしいわ。それがあの人たちの運命なら仕方がないと思うわ。」 丸ビルの千疋屋(せんびきや)で苺(いちご)クレイムを食べながら、葉子は涙ぐんでいた。 しかし一日二日たつと、そんな感傷もいつか消し飛んでしまって、葉子はその金でせめて箪笥(たんす)でも買いに行こうと庸三を促した。「ねえ先生、私なんにもなくて不自由で仕様がないでしょう。お宅にいてもお茶もらいのように思われるのいやなの。松川さんのお金で箪笥と鏡だけ買いたいと思いますから、一緒に来て見てくれられない?」 二人はこのごろよく一緒に歩く通りから、切通しの方へおりて行った。そして仲通りで彼の金持の友人の買いつけの店へ誘って見た。手炙(てあぶ)り、卓、茶棚(ちゃだな)など桑(くわ)や桐(きり)で指(さ)された凝った好みの道具がそこにぎっしり詰まっていた。葉子は桑と塗物の二つか三つある中から、かなり上等な桑の鏡台を買ったが、そこの紹介で大通りの店で箪笥も一棹(ひとさお)買った。二百円余り手がついたわけだったが、今の葉子には少しはずみすぎる感じでもあった。まだどこかに薄い陰のある四月の日を浴びながら、二人は池の畔(はた)をまわって、東照宮の段々を上って行った。葉子は絶えず何か話していたが、人気の少ない場所へ来ると、どうかした拍子に加世子の噂(うわさ)が出て、それから彼女は押しくら饅頭(まんじゅう)をしながら、庸三を冷やかしづめだったが、その言葉のなかには、今まで家庭に埋(うず)もれていた彼には、ぴんと来るような若い時代らしい感覚も閃(ひら)めいていた。「御免なさいね、奥さんのこと批判したりなんかして。でも、御近所で奥さん評判いいのよ。美容院のマダム讃(ほ)めていたわ。」 庸三は狐(きつね)に摘(つま)まれているような感じだったが、ちょうどそのころ、庸三は目に異状が現われて来て、道が凸凹(でこぼこ)してみえたり、光のなかにもやもやした波紋が浮いたりした。彼は年齢と肉体の隔りの多いこの恋愛に、初めから悲痛な恐怖を感じていたのだったが、ずっとうっちゃっておいた持病の糖尿病が今にわかに気にかかり出した。「目が変だ。」 彼は昨日東京駅へ行く時、ふとそれを感じたのだった。「じゃすぐ診(み)てもらわなきゃ。これから帰りに行きましょう。」 しかし馴(な)れて来ると、それはそう大して不自由を感ずるほどでもなかったが、今ふと池の畔を歩いていると、それがちょうどO――眼科医院の裏手になっているのに気がついた。診察時は過ぎようとしていたが、院長が気安く診てくれた。そして暗室へ入ったり、血液の試験をしたり、結核の有無を調べたりして、一時間以上もかかって厳密な試験をした結果、やはりそれが糖尿病に原因していることが明らかになった。「当分つづけてカルシウムの注射をやってごらんなさい。」 院長は言うのだった。 庸三は帰りにニイランデル氏液を買って来て、埃(ほこり)だらけになっているアルコオル・ラムプと試験管とを取り出して、縁先きで検尿をやってみた。彼は病気発見当時、毎日病院へ通うと同時に、食料を一々秤(はかり)にかけていたものだが、その当時は日に幾度となく自身で検尿もやった。それがずっと打ち絶えていたのであったが、今蒼(あお)い炎の熱に沸騰した試験管の液体が、みるみる茶褐色(ちゃかっしょく)に変わり、煤(すす)のように真黒になって行くのを見ると、ちょっと気落ちがした。「ほらほら真黒だ。」 彼は笑った。「その皮肉そうな目。」 葉子も笑っていた。 庸三が葉子の勧めで、北の海岸にある彼女の故郷の家を見舞ったころには、沿道の遠近(おちこち)に桐の花が匂っていた。葉子はハンドバックに日傘(ひがさ)という気軽さで、淡い褐色がかった飛絣(とびがすり)のお召を着ていたが、それがこのごろ小肥(こぶと)りのして来た肉体を一層豊艶(ほうえん)に見せていた。葉子はその前にも一度田舎(いなか)へ帰ったが、その時は見送りに行った庸三の娘を二人とも、不意に浚(さら)って行ってしまった。その日は土曜日だった。葉子に懐(なつ)いている幼い子が先きへ乗ったところで、長女がそれに引かれた。「おばちゃんの家(うち)そんなでもない!」 自然の変化の著しい雪国に育っただけに、とかく詩情の多い葉子に自慢して聞かされていたほどではなかったので、子供は失望したのであった。 海岸線へ乗り替えてからは、多分花柳気分の多いと聞いている酒田へでも行くものらしく、芸人の一団と乗り合わせたので、いくらか気が安まった。事実葉子は昨夜寝台に納まるまで、警戒の目を見張っていた。異(かわ)ったコムビなので、二人は行く先き先きで発見された。葉子で庸三がわかり、庸三で葉子が感づけるわけだった。非難と嘲弄(ちょうろう)のゴシップや私語(ささやき)が、絶えず二人の神経を脅かしていた。――ここまで来る気はなかった。庸三の周囲も騒がしかった。 芸人たちは、その世界にはやる俗俳の廻し読みなどをして陽気に騒いでいた。汽車は鈍(のろ)かった。 葉子は初め酒田あたりの風俗や、雪の里と称(よ)ばれる彼女の附近の廻船問屋(かいせんどんや)の盛っていたころの古いロオマンスなどを話して聞かせていたが、するうち飽きて来て、うとうと眠気が差して来た。――六年間肺病と闘(たたか)っていた父の生涯、初めて秋田の女学校へ入るために、町から乗って行った古風な馬車の喇叭(ラッパ)の音、同性愛で教育界に一騒動おこったそのころの学窓気分、美しい若い人たちのその後の運命、彼女の話にはいつも一抹(いちまつ)の感傷と余韻が伴っていた。 駅へは葉子の母と妹、縁続きになっている土地の文学青年の小山、そんな顔も見えた。家は真実そんなでもなかったけれど、美事な糸柾(いとまさ)の杉(すぎ)の太い柱や、木目(もくめ)の好い天井や杉戸で、手堅い廻船問屋らしい構えに見受けられた。裏庭へ突きぬける長い土間を隔てて、子供の部屋や食堂や女中部屋や台所などがあった。挨拶(あいさつ)がすんでから、庸三は二階へ案内されたが、そこには広い縁側に古びた椅子(いす)もあった。そこの広間がかねがねきいている、二日二晩酒に浸っていた松川との結婚の夜の名残(なご)りらしかったが、彼女は多分草葉を連れて来た時もしたように、彼をその部屋に見るのが面羞(おもは)ゆそうに、そっと寄って唇(くち)づけをすると、ぱっと離れた。足音が段梯子(だんばしご)にした。「母はちっとも可笑(おか)しくないと言ってますのよ。」 高い窓をあけて、碧(あお)い海を見たりしてから下へおりた。葉子の着替えも入っている彼のスウトケイスが、井戸や風呂(ふろ)の傍(そば)を通って、土間から渡って行く奥の離れの次ぎの間にすでに持ち込まれてあった。 葉子はそこへ庸三を案内した。「本当にお粗末な部屋ですけれど、父がいつけたところですの。父は誰をも近づけませんでしたの。ここで本ばかり読んでいましたの。冬の夜なんか咳入(せきい)る声が私たちの方へも聞こえて、本当に可哀相(かわいそう)でしたわ。」 棚(たな)に翻訳小説や詩集のようなものが詰まっていた。細々(こまこま)した骨董品(こっとうひん)も並べてあった。庸三は花園をひかえた六畳の縁先きへ出て、額なんか見ていた。「裏へ行ってみましょう。」 誘われるままに、庭下駄(にわげた)を突っかけて、裏へ出てみた。そこには果樹や野菜畑、花畑があった。ちょっとした木にも花にも、葉子は美しい懐かしさを感ずるらしく、梅の古木や柘榴(ざくろ)の幹の側に立って、幼い時の思い出を語るのであった。幾つもの段々をおりると、そこに草の生(お)い茂った堤らしいものがあって、かなりな幅の川浪(かわなみ)が漫々と湛(たた)えていた。その果てに夕陽に照り映える日本海が蒼々(あおあお)と拡(ひろ)がっていた。啼(な)き声を立てて、無数の海猫(うみねこ)が浪のうえに凝(かた)まっていた。 その晩、庸三が風呂へ入って、食事をすましたところへ、もう二人の記者がやって来た。仕方なし通すことにした。「福島の方から、ちょっとそんな通信が入ったものですから。」 文学的な情熱に燃えているような一人は、そう言って寛(くつろ)いだ。そして葉子を顧みて、「ここにこんな風流な部屋があるんですか。」 そして葉子がビイルを注(つ)いだりしているうちに、だんだん気分が釈(ほぐ)れて、社会面記者らしい気分のないことも頷(うなず)けて来た。「先生の今度お出(い)でになったのは、結婚式をお挙げになるためだという噂(うわさ)ですが、そうですか。」 庸三は狼狽(ろうばい)した。もっとも庸三にもしその意志があるなら横山の叔父(おじ)が話しに来るはずだと、葉子は言うのであったが、庸三はそんな気にはなれなかった。「僕は誰とも結婚はしません。」 彼はそう言って、自身の生活環境と心持を真面目(まじめ)に説明した。記者は時代の青年らしい感想など、無遠慮に吐いて、やがて帰って行った。      六 雪国らしい侘(わび)しさの海岸のこの町のなかでも、雪の里といわれるその辺一帯は、鉄道の敷けない前の船着場として栄えていたころの名残(なごり)を留(とど)めているだけに、今はどこにそんな家があるのか解(わか)らない遊女屋の微(かす)かな太鼓の音などが、相当歩きでのある明るい町の方へ散歩した帰りなどにふと耳についたりするのだったが、途中には奥行きの相当深いらしい料亭(りょうてい)の塀(へい)の外に自動車が二三台も止まっていたりして、何か媚(なま)めかしい気分もただよっていた。「ここのマダム踊りの師匠よ。近頃は雪枝さんを呼んで、新舞踊もやっているのよ。」 葉子はそう言って、そのマダムが話のわかるインテリ婦人であることを話した。庸三は着いた日にさっそく来てくれた彼女の兄の家や、懇意にしている文学好きの医学士の邸宅などへも案内された。歯科医の兄は東京にも三台とはない器械を備えつけて、町の受けはよかった。ある晩は料亭で、つぶ貝などを食べながら、多勢(おおぜい)の美人の踊る音頭(おんど)を見せられ、ある時はまた川向いにある彼女の叔母(おば)の縁づき先であった町長の新築の屋敷に招かれて、広大な酒蔵へ案内されたり、勾欄(こうらん)の下を繞(めぐ)って流れる水に浮いている鯉(こい)を眺めながら、彼の舌にも適(かな)うような酒を呑(の)んだりした。葉子はそんな家へ来ると、貰(もら)われた猫のように温順(おとな)しくなって、黒の地紋に白の縫紋のある羽織姿で末席にじっと坐っているのだったが、昔から、その作品を読んだり、東京でも、一度逢(あ)ったことのある青年が一人いたので、庸三は手持無沙汰(ぶさた)ではなかった。葉子と又従兄(またいとこ)くらいの関係にあるその青年は、町で本屋をしていたが、傍(かたわ)ら運動具の店をも持っていた。その細君はこの町長の養女であった。勾配(こうばい)の急なその辺の街(まち)を流れている水の美しさが、酒造りにふさうのであった。その山地をおりて、例の川に架(か)かった古風な木橋を渡ると、そこはどこの田舎(いなか)にもあるような場末で、葉子の家もそう遠くなかった。 庸三が寝起きしている離れの前には、愛らしい百日草が咲き盛っていたが、夏らしい日差しの底にどこか薄い陰影があって、少しでも外気と体の温度との均衡が取れなくなると、彼は咳をした。葉子は取っ着きの家からシャツを取ってくれたりしたが、母親は母親で、蔵にしまってある古いものの中から、庸三が着ても可笑(おか)しくないような黄色いお召の袷(あわせ)や、手触りのざくりとした、濃い潮色(うしおいろ)の一重物(ひとえもの)を取り出して来たりした。ある日はまたにわかに暑くなって、葉子は彼をさそって橋の下から出る蟹釣船(かにつりぶね)に乗って、支那(シナ)の風景画にでもあるような葦(あし)の深いかなたの岩を眺めながら、深々した水のうえを漕(こ)いで行った。葉子の家の裏あたりから、川幅は次第に広くなって、浪に漾(ただよ)っている海猫(うみねこ)の群れに近づくころには、そこは漂渺(ひょうびょう)たる青海原(あおうなばら)が、澄みきった碧空(あおぞら)と融(と)け合っていた。「明朝(あした)蟹子(かにこ)持って来るのよ。きっとよ。私の家(うち)知っているわね。」 葉子は帯の間から蟇口(がまぐち)を出して、いくらかの金を舟子に与えたが、舟はすでに海へ乗り出していて、間もなく渚(なぎさ)に漕ぎ寄せられた。葉子は口笛を吹きながら、縞(しま)セルの単衣(ひとえ)の裾(すそ)を蹇(かか)げて上がって行くと、幼い時分から遊び馴(な)れた浜をわが物顔にずんずん歩いた。手招きする彼女を追って行く庸三の目に、焦げ色に刷(は)かれた青黛(せいたい)の肌の所々に、まだ白雪の残っている鳥海山の姿が、くっきりと間近に映るのであった。その瞬間庸三は何か現世離れのした感じで、海に戯れている彼女の姿が山の精でもあるかのように思えた。庸三はきらきら銀沙(ぎんさ)の水に透けて見える波際(なみぎわ)に立っていた。広い浜に人影も差さなかった。「僕の田舎の海よりも、ずっと綺麗(きれい)で明るい。」「そう。」 彼は彼女の拡(ひろ)げる袂(たもと)のなかで、マッチを擦(す)って煙草(たばこ)を吹かした。「君泳げる?」「海へ入ると父が喧(やかま)しかったもんで……。」「何だか入ってみたくなったな。」 庸三は裸になって、昔、郷里の海でしたように、不恰好(ぶかっこう)な脛(すね)――腿(もも)にひたひた舐(な)めつく浪(なみ)のなかへだんだん入って行って、十間ばかり出たところで、泳いでみたが、さすがに鳥肌が立ったので、やがて温かい砂へあがって、日に当たった。新鮮な日光が、潮の珠(たま)の滑る白い肌に吸い込まれるようであった。 葉子は素直に伸びた白い脛を、浪に嬲(なぶ)らせては逃げ逃げしていた。 葉子が思いがけなく継母の手から取り戻した、長女の瑠美子(るみこ)をつれに、再び海岸の家へ帰って行ったのも、それから間もないことであった。彼女は十六時間もかかる古里と東京を、銀座へ出るのと異(かわ)らぬ気軽さで往(い)ったり来たりするのであった。この前東京へ帰ろうとする時彼女はいざ切符売場へ差しかかると、少しこじれ気味になって、瞬間ちょっと庸三をてこずらせたものだった。二人は売場を離れて、仕方なしに線路ぞいの柵(さく)について泥溝(どぶ)くさい裏町をしばらく歩いた。ポプラの若葉が風に戦(おのの)いて、雨雲が空に懸(か)かっていた。庸三が結婚形式を否定したので、母や親類の手前、ついて帰れないというようなことも多少彼女の心を阻(はば)んだのであろうが、いつものびのびした処(ところ)に意の趣くままに暮らして来た彼女なので、手狭な庸三の家庭に低迷している険しい空気に堪えられるはずもなかった。けれど庸三は無思慮にもすっかり正面を切ってしまった。もともと世間からとやかく言われてややもするとフラッパの標本のようにゴシップ化されている彼女ではあったが、ふらつきがちな魂の憩(いこ)い場所を求めて、あっちこっち戸惑いしているような最近数年の動きには、田舎(いなか)から飛び出して来た文学少女としては、少し手の込んだ夢や熱があって、長年家庭に閉じこもって、人生もすでに黄昏(たそがれ)に近づいたかと思う庸三の感情が、一気に揺り動かされてしまった。何よりも彼女の若さ美しさが、充(み)たされないままに硬化しかけていた彼の魂を浮き揚がらせてしまった。涙を流して喰ってかかる子供の顔が醜く見えたり、飛びこんで来て面詰する、親しい青年の切迫した言葉が呪(のろ)わしいものに思われたりした。耳元にとどいて来る遠巻きのすべての非難の声が、かえって庸三に反撥心(はんぱつしん)を煽(あお)った。彼は恋愛のテクニックには全く無教育であった。若い時分にすらなかった心の撓(たわ)みにも事かいていた。臆病(おくびょう)な彼の心は、次第に恥知らずになって、どうかすると卑小な見えのようなものも混ざって、引込みのつかないところまで釣りあげられてしまった。 引込みのつかなかったのは、庸三ばかりではなかった。すっかり自分のものになしきってしまった庸三からの逃げ道を見失って、今は彼女も当惑しているのであった。「僕を独りで帰そうというんだね。」 庸三はすれすれに歩いている葉子を詰(なじ)った。一抹(いちまつ)の陰翳(いんえい)をたたえて、彼女の顔は一層美しく見えた。「そうじゃないけど、少し話も残して来たし、私後から行っちゃいけない?」「そうね。」「先生はいいのよ。だけどお子さんたちがね。」 葉子は別居を望んでいたが、子供たちから離れうる彼ではないことも解(わか)っていた。そして庸三の悩みもそこにあった。彼は「今までの先生の家庭の仕来(しきた)り通りに……」と誓った葉子のかつての言葉を、とっこに取るにはあまりに年齢の違いすぎることも知っていたが、彼女に殉じて子供たちから離れるのはなおさら辛(つら)かった。独りもののいつもぶつかるデレムマだが、同時にそれは当面の経済問題でもあった。何よりも彼は、葉子の苦しい立場に対する客観を欠いていた。 とにかく次ぎのA――市行きを待って、葉子も朗らかに乗りこんだ。そして東京行きの夜行を待つあいだ、タキシイでざっと町を見てまわった。風貌(ふうぼう)の秀(ひい)でた藩公の銅像の立っている公園をも散歩した。 汽車に乗ってからも、庸三は滞在中の周囲の空気――自身の態度、何か気残りでもあるらしい葉子の素振りなどが気にかかった。町の写真師の撮影所で、記念写真を撮(と)られたことも何か気持にしっくり来なかった。撮影所は美しい※垣(かなめがき)の多い静かな屋敷町にあったが、葉子はかつての結婚式に着たことのある、長い振袖(ふりそで)に、金糸銀糸で鶴(つる)や松を縫い取った帯を締め、近いうち台湾にいる理学士のところへ嫁(とつ)ぐことになっている妹も、同じような式服で、写場へ乗りこんだものだった。姉妹の左右に母と嫂(あによめ)とが並んで腰かけ、背の高い兄と低い庸三が後ろに立った。――庸三は二度とここへ来ることもないような気がした。 瑠美子をつれて葉子の乗っている汽車が着いた時、庸三は長男と一緒に歩廊に立っていた。 何といっても葉子にとって、彼の大きい子供は鬼門であったが、若い同志の文学論や音楽、映画の話では、二人は好い仲間であった。彼は父には渋面を向けても、手触りの滑(なめ)らかな葉子には諧謔(かいぎゃく)まじりに好意ある言葉を投げかけないわけに行かなかった。 ある時庸三は彼女と一緒に、本郷座の菊五郎の芝居を見に行ったことがあった。「君芝居嫌(きら)い?」「大好き。連れてって。」 入ってみると、出しものは忠臣蔵で、刃傷(にんじょう)の場が開いていたが、目の多いなかで二人きりでいるのが、庸三には眩(まぶ)しかった。それに彼は第三者のいることが、いつでも望ましいのであった。二人きりの差向いは、一人でいるよりも寂しかった。第三者が他人の青年か何かである場合が一番気易(きやす)い感じであった。賑(にぎ)やかに喋(しゃべ)っている二人――葉子をみているのが、とりわけよかった。相手が子供の場合には、仄(ほの)かな不安が伴うのだったが、子供が近よらないよりも安心だった。「子供をつれて来ればよかった。」 庸三が言うと、「呼んで来ましょうか。」 と言って、葉子は立って行ったが、芝居がだんだん進展して行くのに、どうしたことか葉子は容易に帰ってこなかった。彼は苛(いら)ついて来た。理由がわからなかった。彼は少し中っ腹で入口へ出てみた。そして廊下をぶらついているうちに、入って来る葉子の姿が目に入った。芝居よりかお茶でも呑(の)もうというので、喫茶店へ入っていたのだことを、葉子はそっと告げた。 ある時も、彼女はパリへ立つ友人を見送る子供と三四人の同窓と、外国航路の船を見いかたがた横浜へ行こうとして、庸三の許しを乞(こ)うた。「行ってもいい?」 庸三は危ぶんだ。「さあね、君が行きたいなら。」「だからお訊(き)きしたいのよ。先生がいけないというなら断わるわ。」「僕は何ともいうわけにいかない。」「じゃ断わるわ。」「断わる必要はない。君が行きたいんだったら。」 その日が来たところで、結局葉子は子供たちと同行した。ちょうど庸三は用達(ようた)しに外出していたが、夜帰ってみると、彼女は教養ある青年たちのナイトぶりに感激したような口吻(こうふん)を洩(も)らしていた。そのころ彼らもだろうが、彼の子供はボオドレイルの悪魔主義や、コクトオ一派の超現実主義を尊崇していた。そこから出て来る耳新しい文学論は、葉子にも刺戟(しげき)があった。「いる、いる!」 窓から顔を出している瑠美子が目の前へ来た時、子供は頬笑(ほほえ)ましげに叫んだのだったが、庸三は何か冒険に狩り立てられるような不安を抱(いだ)いた。心は鎖(とざ)されていたが、しかしそれで葉子の落着きも出来そうに思えた。 父が上海(シャンハイ)に遯(のが)れてから、瑠美子と幼い妹と弟とは、継母とその子供と一緒に、小樽の家を畳んで、葉子の町からはちょっと距離のある、継母の実家のある町に移って来た。その動静が葉子の母親たちの耳へも伝わって、惨(みじ)めに暮らしていることが解(わか)ったところで、奪取が企てられた。金を葉子に贈るために、四月に松川が東京に立ち寄った時、葉子は初めて瑠美子だけでも還(かえ)してくれるように哀願したのだったが、拒まれた――そう言って葉子は庸三に泣いていたものだったが、今その子供と一緒に庸三の家に落ち着いた彼女はたちまちにしてそこに別の庸三を見出(みいだ)した。 母親がわりの葉子の愛を見失うまいとして取り着いて来る、庸三の末の娘の咲子と、幾年ぶりかで産みの母の手に帰って来た瑠美子と、そのいずれもの幼い心を傷つけまいとして、葉子は万遍なく愛撫(あいぶ)の心と手を働かした。外へ出る時、大抵彼女は咲子の手を引いていたが、咲子はまた瑠美子と手を繋(つな)いで歩いた。夜寝るときも葉子は二人を両脇(りょうわき)にかかえるか、眠るまで咲子だけを抱くようにして、童謡を謳(うた)ったり、童話を聞かせたりした。――と、そういうふうに庸三の目にも見え、心にも感じられたが、微妙な子供たちの神経を扱いわけるのは、彼女にも重すぎる仕事であった。 ある日も咲子は、学校から退(ひ)けて来ると、彼女の帰るのを待っていた瑠美子と、縁側で翫具(おもちゃ)を並べて遊んでいた。細かい人形、お茶道具、お釜(かま)に鍋(なべ)やバケツに洗濯板(せんたくいた)、それに色紙や南京玉(ナンキンだま)、赤や黄や緑の麦稈(むぎわら)のようなものが、こてこて取り出された。「瑠美子にも分けてあげなさいね。」 傍(そば)に見ていた庸三が言うと、「なに? これ?」 咲子は色紙と麦稈とを、いくらか分けて与えたが、瑠美子は寂しそうで、色紙も麦稈もじき庭へ棄(す)ててしまった。葉子は傍ではらはらするように、立ったり坐ったりしているのだったが、庸三はそのころから身のまわりのものを何かとよく整理しておく咲子のものを分けさせる代りに、瑠美子には別に同じようなものを買ってやった方がいいと思っていた。 死んだ姉から持越しの、咲子にとっては何より大切な大きい人形がまた瑠美子を寂しがらせ、母親の心を暗くした。「先生のお子さんで悪いけれど、咲子さん少しわがままよ。あれを直さなきゃ駄目だと思うわ。」「君が言えば聴(き)くよ。」 庸三は答えたが、彼自身の気持から言えば、死んだ久美子の愛していた人形を、物持ちのいいとは思えない瑠美子に弄(いじ)らせたくはなかったので、ある日葉子に瑠美子をつれてデパアトへ買いものに行ったついでに、中ぐらいの人形を瑠美子に買ってやった。咲子のより小さいので、葉子も瑠美子も悦(よろこ)ばなかったが、庸三はそれでいいというふうだった。 庸三はずっと後になるまで――今でも思い出して後悔するのだが、ある日葉子と子供たちを連れ出して、青葉の影の深くなった上野を散歩して、動物園を見せた時であった。そのころ父親の恋愛事件で、学校へ通うのも辛(つら)くなっていた長女も一緒だったが、ふと園内で出遭(であ)った学友にも、面を背向(そむ)けるようにしているのを見ると、庸三も気が咎(とが)めてにわかに葉子から離れて独りベンチに腰かけていた。と、それよりもその時に限って、何かめそめそして不機嫌(ふきげん)になった咲子を見ると、初めは慈愛の目で注意していたが、到頭苛々(いらいら)して思わず握り太な籐(とう)のステッキで、後ろから頭をこつんと打ってしまったのであった。 それから間もなく、ある朝庸三が起きて茶の間へ出ると、子供はみんな出払って、葉子が独り火鉢(ひばち)の前にいた。細かい羽虫が軒端(のきば)に簇(むら)がっていて、物憂(ものう)げな十時ごろの日差しであった。いつもの癖で、起きぬけの庸三は顔の筋肉の硬(こわ)ばりが釈(と)れず、不機嫌(ふきげん)そうな顔をして、長火鉢の側へ来て坐っていた。子供の住居(すまい)になっている裏の家へ行っていると見えて、女中の影も見えなかった。が葉子は何か落ち着かぬふうで、食卓のうえに朝飯の支度(したく)をしていた。瑠美子はどうしたかと思っていると、大分たってから、腰障子で仕切られた四畳半から、母を呼ぶ声がした。葉子は急いで傍へ行って着物を着せ茶の間へつれ出して来た。「おじさんにお早ようするのよ。」 瑠美子は言う通りにした。「寝坊だな。」 庸三は言ったきり、むっつりしていた。葉子はちょっと台所へ出て行ったが、間もなく傍へ来て坐った。かと思うと、また立って行った。庸三は何かお愛相(あいそ)の好い言葉をかけなければならないように感じながら、わざとむっつりしていた。そして瑠美子が箸(はし)を取りあげるのを汐(しお)に、見ているのが悪いような気もして、やがて立ちあがった。そして机の前へ来て煙草(たばこ)をふかしていた。と、いきなり葉子が転(ころ)がるように入って来たと思うと、袂(たもと)で顔を蔽(おお)って畳に突っ伏して泣き出した。彼女は肩を顫(ふる)わせ、声をあげて泣きながら、さっきから抑え抑えしていた不満を訴えるのだった。「先生という人は何て冷たい人間なんでしょう。先生が気むずかしい顔だから、私がはらはらして瑠美子にお辞儀をさせても、先生はまるで凍りついたような表情をして、笑顔(えがお)一つ見せてくれようとはしないんです。あの幼い人が先生の顔を見い見いして神経をつかっているのに、先生は路傍の人の態度で外方(そっぽ)むいているじゃありませんか。私は心が暗くなって、幾度となく台所へ出て涙を拭(ふ)き拭きしていたのでした。私たち母子(おやこ)は先生のところのお茶貰(もら)いになぞなりたくはありません。」 葉子は途切れ途切れに言って、激情に体を戦(おのの)かせていた。庸三は驚き傍(そば)へ寄って、宥(なだ)めの言葉をかけたが、効(かい)がなかった。起きあがったと見ると、次の間で箪笥(たんす)の前に立って何かがたがたやっていたが、そのまま瑠美子を引っ張って、旋風のごとく玄関へ飛び出した。 少し狼狽(ろうばい)して、庸三は出て見たが、「二度と己(おれ)の家の閾(しきい)を跨(また)ぐな」と尖(とが)った声を浴びせかけて、ぴしゃりと障子を締め切った。 やがて学校を退(ひ)けて来た咲子が、部屋から部屋を捜しあるいた果てに、父の書斎へ来て寂しそうに立っていた。庸三は何かせいせいした感じでもあったが、寂しさが次第に胸に這(は)いひろがって来た。彼女の憤りを爆発させた今朝の態度の不覚を悔いてもいた。「おばちゃんは?」「おばちゃんは出て行った。」「瑠美子ちゃんも?」「そう。」「もう帰ってこないの。」「帰ってこないよ。」 庸三は言ったが、どこかそこいらを歩いている親子の姿が見えるように思えてならなかった。 しばらくすると彼は寂しそうにしている咲子の手をひいて、ふらりと外へ出て行った。      七 街(まち)はどこもかしこも墓地のように寂しかった。目に映るもののすべてが――軒を並べている商店も、狭い人道をせせっこましく歩いている人間も、ごみごみして見えた。往(ゆ)き逢(あ)う女たちの顔も石塊(いしころ)のように無表情だった。ちょうどそれは妻を失った間際(まぎわ)の味気ない感じを、もう一つ掘りさげたような侘(わび)しさで、夏の太陽の光りさえどんよりしていた。新芽を吹くころの、または深々と青さを増して行くころの、それから黄金色(こがねいろ)に黄ばんだ初冬の街路樹の銀杏(いちょう)を、彼はその時々の思いで楽しく眺めるのだったが、今その下蔭(したかげ)を通ってそういう時の快い感じも、失われた生の悦(よろこ)びを思い返させるに役立つだけのようであった。もう長いあいだ二十年も三十年もの前から慢性の神経衰弱に憑(つ)かれていて、外へ出ても、街の雑音が地獄の底から来るように慵(ものう)く聞こえ、たまたま銀座などへ出てみても目がくらくらするくらいであったが、葉子と同棲(どうせい)するようになってからは、彼は何か悽愴(せいそう)な感じと悲痛の念で、もしもこんなことが二年も三年も続いたならと、そぞろに灰色の人生を感ずるのであったが、しかし自身の生活力に信用がおけないながらに、ぶすぶす燃える情熱は感じないわけにいかなかった。異性の魅力――彼はそれを今までそんなに感じたこともなかったし、執着をもったこともなかった。「おばちゃんどこへ行ったの?」 咲子がきいた。「さあね。」 ちょうど彼女が宿泊していた旅館の前も通りすぎて、彼は三丁目の交叉点(こうさてん)へ来ていた。旅館の前を通る時、そこの二階の例の部屋に彼女と子供がいるような気もして、帳場の奥へ目をやって見たのであったが、そこを通りすぎて一町も行ったところで、ちょうどその時お馴染(なじみ)の小女が向うから来てお辞儀をした。彼女も葉子と同じ郷里の産まれで、髪を桃割に結って小ばしこそうに葉子の用を達(た)していたものだが、お膳(ぜん)を下げたりするついでに、そこに坐りこんで、小説や映画の話をしたがるのであった。後に葉子ともすっかり遠くなってしまってから、彼は四五人のダンス仲間と一緒に入った「サロン春」で、偶然彼女に出遭(であ)ったものだったが、二三年のあいだに彼女はすっかり好い女給になっていた。「葉子君んとこへ行かなかった?」「梢(こずえ)さん? いいえ。お宅にいらっしゃるんじゃないんですか?」 何か知っているのではないかと思ったが、そのままに別れた。 この辺は晩方妻とよく散歩して、庸三のパンや子供のお弁当のお菜や、または下駄(げた)とか足袋(たび)とか、食器類などの買い物をしつけたところで、愛相(あいそ)のよかった彼女にお辞儀する店も少なくなかったが、葉子をつれて歩くようになってから、下駄屋や豆屋も好い顔をしなくなった。庸三もその辺では買いものもしにくかった。葉子と散歩に出れば、きっと交叉点から左へ曲がって、本屋を軒並み覗(のぞ)いたり、またはずっと下までおりて、デパアトへ入るとか、広小路で景気の好い食料品店へ入ったりした。気が向くとたまには寄席(よせ)へも入ってみた。活動の好きな彼女はシネマ・パレスへは大抵欠かさず行くので、彼も電車で一緒に行って見るのであったが、喫煙室へ入ると、いつもじろじろ青年たちに顔を見られ、時とすると彼女の名をささやく声も耳にしたりするので、彼は口も利かないようにしていた。「闇(やみ)の光」、「復活」などもそこで彼女と一緒に見た無声映画であった。それに翻訳物も彼女はかなり読んでいて、話上手な薄い唇(くちびる)から、彼女なりに色づけられたそれらの作品の梗概(こうがい)を聴(き)くことも、読むのを億劫(おっくう)にしがちな庸三には、興味ある日常であった。 庸三は三丁目から電車に乗って、広小路のデパアトへ行ってみた。咲子に何か買ってやろうと思ったのだが、ひょっとしたら子供の手を引いて、葉子がそこに人形でも買っていはしないかという、莫迦(ばか)げた望みももっていたのだった。彼は狐(きつね)に憑(つ)かれた男のように、葉子の幻に取り憑かれていた。そして無論いるはずもないことに気がつくと、今度は一旦彷徨(さまよ)い出した心に拍車がかかって、急いでそこを出ると、今度は上野駅へ行ってみるのであったが、ちょうど東北本線の急行の発車が、夜の七時何十分かのほかにないことが解(わか)ると、自分のしていることがにわかに腹立たしくなって、急いでそこを出てしまった。 夜になってから、彼は葉子の母に当てて問合せの電報を打ってみたが、 ヨウコマダツカヌ という返電の来たのは、その夜も大分更(ふ)けてからであった。 ある晩庸三は子供の庸太郎と通りへ散歩に出た。彼はせっかく懐(ふとこ)ろへ飛びこんで来た小鳥を見失ったような気持で、それから先の、格別成算がついているわけでもないのに、ひたすら葉子の幻を探し求めてやまないのであった。庸三が今まで何のこともなく過ぎて来たのは、人間的の修養が積んでいるとか、理性的な反省があるからというのでは決してなかった。ただ生(お)い育って来た環境の貧弱さや、生まれつきの愚鈍と天分の薄さの痛ましい自覚に根ざしている臆病(おくびょう)と、そういった寂しい人生が、彼の日常を薄暗くしているにすぎなかった。出口を塞(ふさ)がれたような青春の情熱が燻(くすぶ)り、乏しい才能が徒(いたず)らに掘じくり返された。彼はいつとなし自身の足許(あしもと)ばかり見ているような人間になってしまった。悪戯(いたずら)な愛の女神が後(おく)れ走(ば)せにもその情熱を挑(か)き立て、悩ましい惑乱の火炎を吹きかけたのだったが、そうなると、彼にもいくらかの世間的な虚栄や好奇な芝居気も出て来て、ちょっと引込みのつかないような形だった。 庸三は昨夜もよく眠れなかったし、このごろの体の疲れも癒(い)えてはいなかった。後になって葉子もたびたび逃げ出したし、庸三も逐(お)い出したりして、別れた後ではきっと、床を延べて寝ることにしていたが、近所のドクトルに来てもらうこともあった。起きていると何か行動しなければならない衝動に駆られがちなので、静かに臥(ね)そべって気分の落ち着くのを待つことにしたのであったが、その時はまだそういうことにも馴(な)れていなかった。後にしばしば彼の気持を支配して来た職業心理というものも混ざりこんではいなかった。ただ方嚮(ほうこう)のない生活意慾の、根柢(こんてい)からの動揺でしかなかった。 子供は父を劬(いた)わりながら、並んで歩いた。「やっぱりここにいるんじゃないかな。」 例の旅館の前まで来かかった時、子供もその気がすると見えて、そう言うのだった。「きいてみよう。」 庸三もその気になって、入口の閾(しきい)を跨(また)いで訊(き)いてみた。年増(としま)の女中が店に立っていて、「梢さんですか、あの方昨日ちょっと見えましたよ、いつもの処(ところ)へ仕立物を取りにおいでになって……。」「どこにいるでしょう。」「さあ、それは知りませんですよ。」 いつもの仕立屋さんというのは、妻が長年仕立物を頼んでいた、近所の頭(かしら)のお神さんのことで、庸三も疳性(かんしょう)のそのお神さんの手に縫ったものを着つけると、誰の縫ったものでも、ぴたり気持に来ないのであった。葉子も二三枚そこで仕立てて腕のいいことを知っていた。 その話をきいているうちに、庸三はにわかに弱い心臓が止まるような感じだった。「つい家(うち)の側まで来ていて……。」 それが一時に彼を絶望に突きやった。そしてふらふらとそこを出て来ると四辺(あたり)が急に暗くなって、子供の手にも支えきれず、酒屋の露地の石畳のところにぐんなり仆(たお)れてしまったのだった。脳貧血の発作は彼の少年期にもあったが年取ってからも歯の療治とか執筆に苦しむ時などに、起こりがちであった。病院の廊下で仆れたり巷(ちまた)の雑踏を耳にしながら、ややしばし路傍に横たわっていたりしたこともあった。しかし今彼はそう長くは仆れてもいなかった。夏の宵(よい)の街(まち)でのことで、誰か通りすがりの人の声が耳元でしたかと思うと、たちまち蘇(よみがえ)って歩き出した。 大分たってからある日葉子の手紙が届いた。咲子宛(あて)のもので、彼女の名も居所も書いてなかった。何か厚ぼったいその封書を手にした瞬間、彼はちょっと暗い気持になったが、とにかく開けて見た。 咲子はちょうど三四日病気していた。時々発作的に来る病気で、何か先天的な心臓の弁膜か何かの故障らしく胸部に痛みを感ずるものらしかった。長いあいだ子供の病気や死には馴(な)れている庸三だったが、夙(はや)く母に訣(わか)れた咲子の病気となると、一倍心が痛んだ。「大きくなれば癒(なお)りますが、今のところちょっと……。」 医師は言うのであった。「おばちゃん! おばちゃん。」 そう言って泣く咲子の声が耳に滲(し)みとおると、庸三の魂はひりひり疼(うず)いた。彼女は一度言い聞かされると、その瞬間から慈母のことは一切口にしなくなったが、それだけに、葉子の愛情は一層必要となった。童謡や童話で、胸をさすられたり、出ればきっとチョコレイトか何かを買ってくれて、散歩にもつれて行けば、頸(くび)を剃(そ)ったり、爪(つめ)を切ったり、細かい面倒を見てくれる若い葉子の軟(やわ)らかい手触りは、ただそれだけですっかり彼女を幸福にしたものだったが、それが瑠美子の母として彼女をおいて出て行ったとなると、それは何といっても酷(むご)い運命であった。「咲子ちゃん、葉子さんの写真を枕(まくら)の下へ入れているんですのよ。」 姉が庸三に話した。枕頭(ちんとう)へ行って見るとその通りであった。葉子は瑠美子の母で、もう今までのようにお前を愛していることはできないのだ――庸三はそれを言い聴(き)かすこともできなくて、ただ受動的に怺(こら)えているよりほかなかった。この子供と一緒に死ぬのも救いの一つの手だという気もした。 そこへ葉子の手紙だった。そして幾枚もの色紙に書かれた手紙と一緒に、咲子への贈りものの綺麗(きれい)な色紙もどっさり入っていた。それを病床へ届けてから、彼は子供と二人で幾枚かの切手のべたべた貼(は)られた封筒の消印を透かして見た。「スタムプは猿楽町(さるがくちょう)の局ですよ。」「ふむ――じゃ神田だ。しかし神田も広いから。」「ひょっとしたら、一色(いっしき)さんが知ってやしないかな。」 彼はまさかと思った。一色が知っているような気もしたが、黙って引き退(さが)っている一色を、年効(としがい)もなく踏みつけにしていることを考えると、そう思いたくはなかった。葉子がどういうふうに一色を言いくるめたのか――それにも触れたくはなかった。彼は強(し)いても一色を見向かないことにしていたが、一色が蔭(かげ)で嗤(わら)っているようにも思えた。あたかもそれは借金の証文を握っている友達の寛容に甘えて、わざと素知らぬふうをしていると同じような苦痛であった。「奥さんのある人、私やっぱりいい気持しないのよ。それに一色さん有閑マダムが一人あるんですもの。」 葉子は気休めを言っていたが、庸三の弁解には役立ちそうもなかった。それどころか、庸三は今葉子の手懸(てがか)りを一色に求めようとさえしているのだった。「お前ちょっと一色んとこへ行って、様子を見て来てくれるといいんだけど。」「そうですね。行ってもいいけれど……じゃちょっと電話かけてみましょうか。」 庸太郎は近所へ電話をかけに行ったが、じきに還(かえ)って来た。「やはり行かないらしいですね。今来るそうです。あまり心配させてはいけないからって……一色さんいい人ですね。」 庸三は妻の死んだ時、金を持って来てくれたり、寂しい子供たちの気分を紛らせるために、ラジオを装置してくれたりした、一色の好意も思わないわけではなかったが、何か自我的な追求心も働いていた。撞着(どうちゃく)が撞着のようにも考えられなかった。葉子への優先権というようなものをも、曖昧(あいまい)な計算のなかへそれとなく入れてもいたのであった。 一色はタキシイを飛ばして来た。「葉子さんいないんですてね。」 庸三はわざと一色が知らないようなふうにして、葉子の出て行った前後の話をした。――郵便の消印のことも。「それですと、替り目の活動館を捜すのが一番早いんだ。替わるのは木曜ですからね。あの人の行きつけは南明座ですよ。」「南明座かしら。」 庸三は幾度も同伴したシネマ・パレスを覗(のぞ)いてみようかと一度は思ったこともあったが、当てなしの捜索は徒(いたず)らに後の気持を寂しくするにすぎないのに気づいていた。もしかしたら誰か若い人とアベックだかも知れないという畏(おそ)れもあった。「もしそれでも知れなかったら、私、神田の警察に懇意な男がいますから、調べてもらえばきっと知れますがね。」「いや、そんなにしなくたって……。」「いずれそのうち現われるでしょうけれど。」 そう言って、一色はしばらく話しこんでから、警察の人への紹介を名刺に書いたりして、帰って行った。 翌日の午後、庸三は神田の方へ出向いて行った。何ということなし子供も一緒だった。そして猿楽町辺をぶらぶら歩きながら、二三軒の旅館を訪ねてみたが、子供に興味のあるはずもないので、古本屋をそっちこっち覗(のぞ)いてから、神保町(じんぼうちょう)の盛り場へ出てお茶を呑(の)んで帰って来た。まだそのころは映画も思わせぶりたっぷりな弁士の説明づきで、スクリンに動く人間に声のないのも、ひどく表情を不自然なものにしていたので、庸三はわざわざ活動館へ入りたいとは思わなかったし、喫茶店にも興味がなかったが、子供とではたまにそういう処(ところ)へも足を容(い)れるのであった。 翌朝庸三は持越しの衝動的な気持で、駿河台(するがだい)の旅館街を彷徨(ほうこう)していた。 ずっと以前に、別れてしまった妻を追跡して、日光辺の旅館を虱潰(しらみつぶ)しに尋ねて、血眼で宿帳を調べてあるき、到頭その情人の姓名を突き留め、二人が泊まったという部屋まで見届けたという、友人の狂気じみた情痴に呆(あき)れたものだったが、今はそれも笑えなかった。機会次第では彼もどんな役割を演じかねないのであった。 まず取っつきの横町の小さな下宿屋を二三軒きいてみた。ちょうど女中が襷(たすき)がけで拭(ふ)き掃除に働いている時間だったが、ある家では刑事と見られた感じを受けた。支那(シナ)の留学生の巣が、ごみごみしたその辺に軒を並べていた。 いい加減に切り揚げて、やがてその一区劃(くかく)をぬけて、広い通りの旅館を二軒と、アパアト風の洋館を一軒当たってみたが、無駄であった。そして当てなしにぶらついているうちに、いつか小川町(おがわまち)の広い電車通りへ出て来て、そこから神保町の方嚮(ほうこう)へと歩くのだったが、その辺は不断通っていると、別に何の感じもないのだったが、今そうやって特殊の目的のために気を配って歩いていると、昔その辺を毎晩のように散歩していた気軽な下宿生活の匂いが、その時代の街(まち)の気分と一緒に、嗅(か)げて来るのであった。濠端(ほりばた)の近くにあった下宿の部屋が憂鬱(ゆううつ)になって来ると、近所にいた友人の画家を誘って、喫茶店の最初の現われとも言える、ミルク・ホウルともフルウツ・パラアともつかない一軒の店で、パイン・アップルを食べたり、ココアを飲んだりした。ある夜は寄席(よせ)へ入って、油紙に火がついたように、べらべら喋(しゃべ)る円蔵の八笑人や浮世床を聴(き)いたものだった。そうしているうちに、彼は酷(ひど)い胃のアトニイに罹(かか)った。「あれから何年になるか。」 彼は振り返った。 神保町の賑(にぎ)やかな通りで、ふとある大きな書店の裏通りへ入ってみると、その横町の変貌(へんぼう)は驚くべきもので、全体が安価な喫茶と酒場に塗り潰(つぶ)されていた。透かして視(み)ると、その垠(はずれ)に春光館と白く染めぬいた赤い旗が、目についたので、庸三はどうせ無駄だとは思ったが行って見た。するとその貧弱なバラック建の下宿兼旅館の石段を上がって、玄関へ入って行った彼の目の前に、ちょうど階段の裏になっている廊下の取っ着きの、開きの襖(ふすま)があいていて、その部屋の入口に、セルの単衣(ひとえ)を着て、頭の頂点で彼女なりに髪を束ねた葉子が、ちょこなんと坐っていた。ほっとした気持で「おい」と声かけると、彼女は振り返ったが、いくらか狼狽(ろうばい)気味で顔を紅(あか)くした。そして籐(とう)のステッキを上がり框(がまち)に立てかけて、ずかずか上がろうとする庸三に、そっと首をふって見せたが、立ち上がったかと思うと、階段の上を指さして、二階へ上がるようにと目で知らした。庸三はどんどん上がって行った。彼女もついて来た。「ここ私たちの部屋ですの。」 そう言って葉子は取っ着きの明るい部屋へ案内した。感じのわるくない六畳で、白いカアテンのかかった硝子窓(ガラスまど)の棚(たな)のうえに、少女雑誌や翫具(おもちゃ)がこてこて置かれ、編みかけの緑色のスウェタアが紅い座蒲団(ざぶとん)のうえにあった。朝鮮ものらしい蓙(ござ)の敷物も敷いてあった。 葉子は彼を坐らせておいて、一旦下へおりて行ったが、少し経(た)ってから瑠美子を連れて上がって来た。「おじさんにお辞儀なさい。」 瑠美子が手をついてお辞儀するので、庸三も頭を撫(な)で膝(ひざ)へ抱いてみた。「どうしたんだい。誰かいるの、下の部屋に。」「職人ですの。――あの部屋が落着きがいいもんですから、今壁紙を貼(は)ってもらっていましたのよ。」「それでどうしたんだね。」「近いうち一度お伺いしようと思っていましたの。私瑠美子を仏英和の幼稚園へ入れようと思うんですけれど、あすこからではこの人には少し無理でしょうと思って……。咲子ちゃんどうしています。」「泣いて困った。それに病気して……。君は酷(ひど)いじゃないか。僕が悪いにしても、出たきり何の沙汰(さた)もしないなんて。」 庸三はハンケチで目を拭(ふ)いた。葉子は少し横向きに坐って、編みものの手を動かしていた。「でも随分大変だとは思うの。」「やっと初まったばかりじゃないか。今に子供たちも仲よしになるよ。どうせそれは喧嘩(けんか)もするよ。」「瑠美子も咲子さんの噂(うわさ)していますの。」「家(うち)の子供だって、あんなにみんなで瑠美子を可愛(かわい)がっていたじゃないか。」「貧しいながらも、私ここを自分の落着き場所として、勉強したいと思ってましたの。そして時々作品をもって、先生のところへ伺うことにするつもりでいたんですけれど、いけません。」「駄目、駄目。君の過去を清算するつもりで、僕は正面を切ったんだから。」「ここの主人夫婦も先生んとこ出ちゃいけないと言うんですの。――ここの御主人、先生のことよく知ってますわ。死んだ親爺(おやじ)さんは越後(えちご)の三条の人で、呉服物をもってよく先生のとこへ行ったもんだそうですよ。その人は亡くなって、息子(むすこ)さんが今の主人なんですの。」「色の白い、温順(おとな)しい……。」「いい人よ。」「君はまたどうして……。」「ここ秋本さんの宿ですもの。あの人に短歌の整理をしてもらったり何かしたのも、ここですもの。」 庸三はある時は子息(むすこ)をつれて、しばしば重い荷物を持ち込んで来た、越後らしいごつい体格のあの商人を思い出したが、同時にあの貴公子風の情熱詩人と葉子との、ここでのロオマンスを想像してみた。それにしては現実の背景が少し貧弱で、何か物足りない感じであった。やがて圧倒的な、そして相当狡獪(こうかい)な彼の激情に動かされて、とにかく葉子は帰ることに決めた。「じゃ、もうちょっとしたら行きます。きっと行くわ。」「そう。」 葉子は顔を熱(ほて)らせていた。そして庸三が出ようとすると壁際(かべぎわ)にぴったり体を押しつけて立っていながら、「唇(くちびる)を! 唇を!」と呼んだ。 庸三は小返(こがえ)りした。 葉子が車でやって来たのは、庭の隅(すみ)にやや黄昏(たそがれ)の色の這いよる時分で、見にやった庸太郎を先立ちに、彼女は手廻りのものを玄関に運ばせて、瑠美子をつれて上がって来た。「庸太郎さんとお茶を呑(の)んだりしていたもんですから……。それからこんなものですけれど、もしよかったらこの部屋にお敷きになったらどうかと思って……。」 葉子はそう言って、持って来た敷物を敷いてみた。「どうです、このネクタイ!」 縁側では、子供が葉子に買ってもらった、仏蘭西製(フランスせい)の派手なネクタイを外光に透かして見ていた。 学校が休みになると、子供は挙(こぞ)って海へ行った。瑠美子も仲間に加わらせた。 読んだり書いたり、映画を見たりレコオドを聴(き)いたり、晩は晩で通りの夜店を見に行ったり、時とすると上野辺まで散歩したり――しかしこの生活がいつまで続くかという不安もあって……続けば続く場合の不安もあって、庸三の心はとかく怯(おび)えがちであった。すべての人生劇にとっても、困難なのはいずれ大詰の一幕で、歴史への裁断のように見通しはつきにくいのであった。それに庸三は、すべての現象をとかく無限への延長に委(ま)かせがちであった。 八月の末に、葉子は瑠美子を海岸から呼び迎えて、一緒に田舎(いなか)へ立って行った。母の手紙によって、瑠美子の妹も弟も、継母の手から取り戻せそうだということが解(わか)ったからであった。二人を上野駅に見送ってしまうと、庸三はその瞬間ちょっとほっとするのだったが、また旧(もと)の真空に復(かえ)ったような気持で、侘(わび)しさが襲いかかって来た。「先生にもう一度来てもらいますわ。その代り私がお報(し)らせするまで待ってね。いい時期に手紙あげますわ。」 そうは言っても、葉子は夏中彼の傍(そば)に本当に落ち着いていたわけではなかった。何も仕出来(しでか)しはしなかったが、庸三に打ち明けることのできない、打ち明けてもどうにもならない悩みを悩み通していた。彼女は自身の文学の慾求に燃えていたが、生活も持たなければならなかった。瑠美子への矜(ほこ)りも大切であった。最初のころから見ると、著しい生活条件の変化もあった。 二日ほどすると、葉子の手紙がとどいた。彼も書いた。それから大抵三日置きくらいには書いた。どろどろした彼の苦悩が、それらの手紙に吐け口を求めたものだったが、投函(とうかん)した後ですぐ悔いるようなものもあった。葉子が還(かえ)るものとも還らないものとも判断しかねるので、それの真実の探求への心の乱れであり、魂の呻吟(しんぎん)でないものはなかった。しばしば近くの友達を訪れて、話しこむこともあった。 雨の降るある日、彼はある女を憶(おも)い出した。妻の位牌(いはい)に、あのころ線香をあげに来た、あの女性であった。その女から待合開業の通知を受け取ったのは、もう大分前のことであった。御馳走(ごちそう)になり放しだったし、さまざまの世界を見て来た彼女の話も聴(き)きたかった。酷(ひど)い雨だったけれど、雨国に育った彼にはそれもかえってよかった。 タキシイで、捜し当てるのに少し暇を取ったが、場所は思ったより感じがよかった。「お神さん御飯食べに銀座へ行っていますけれど、じき帰って来ますわ。まあどうぞ。」 庸三は傘(かさ)をそこにおいて、上がった。そして狭い中庭に架(か)かった橋を渡って、ちんまりした部屋の一つへ納まった。薄濁った大川の水が、すぐ目の前にあった。対岸にある倉庫や石置場のようなものが雨に煙って、右手に見える無気味な大きな橋の袂(たもと)に、幾棟(いくむね)かの灰色の建築の一つから、灰色の煙が憂鬱(ゆううつ)に這(は)い靡(なび)いていた。「ひどい雨ですことね。」 渋皮のむけた二十二三の女中が、半分繰り出されてあった板戸を開けて、肱掛窓(ひじかけまど)の手摺(てすり)や何かを拭いていた。水のうえには舟の往来もあって、庸三は来てよかったと思った。 女中は煙草盆(たばこぼん)や、お茶を運んでから、電話をかけていたが、商売屋なので、上がった以上、そうやってもいられなかった。「お神さんじき帰りますわ。」 女中が言いに来た。「誰か話の面白い年増(としま)はいない。」「いますわ。一人呼びましょうか。」 やがて四十を少し出たくらいの、のっぽうの女が現われた。芸者という感じもしないのだったが、打ってつけだった。話も面白かった。お母さんの病気だと言って、旦那(だんな)を瞞(だま)して取った金で、京都で新派の俳優と遊んでいるところを、四条の橋で店の番頭に見つかって、旦那をしくじった若い芸者の話、公園の旧俳優と浮気して、根からぞっくり髪を切られた女の噂(うわさ)――花柳情痴の新聞種は尽きなかった。 そこへお神が入って来た。お神というよりかマダムといいたい……。春見た時はどこからしゃめん臭いところがあったが、今見ると縞(しま)お召の単衣(ひとえ)を着て、髪もインテリ婦人のように後ろで束(つか)ねて、ずっと綺麗(きれい)であった。      八 お神の小夜子(さよこ)は、媚(なま)めかしげにちろちろ動く美しい目をしていて、それだけでもその辺にざらに転(ころ)がっている女と、ちょっと異った印象を与えるのであったが、彼女は一本のお銚子(ちょうし)に盃洗(はいせん)、通しものなぞの載っている食卓の隅(すみ)っこへ遠のいて、台拭巾(だいぶきん)でそこらを拭きながら、「大変ですね、先生も葉子さんの問題で……。」 庸三は二三杯呑(の)んだ酒がもう顔へ出ていたが、「僕も経験のないことで、君に少し聞いてもらいたいと思っているんだけれど。」「賑(にぎ)やかでいいじゃありませんか。」彼女はじろりと庸三を見て、「まあ一年は続きますね。」 小夜子は見通しをつけるのであった。「今お宅にいらっしゃいますの。」「ちょっと田舎へ行っているんだがね。僕も実はどうしようかと思っている。」「田舎へ何しにいらしたんですの。」「子供を継母の手から取り戻すためらしいんだ。」 そして庸三はこの事件のデテールズについて、何かと話したあとで、「貴女(あなた)はどうしてこんな商売を始めたんです。」「私もいろいろ考えたんですの。クルベーさんも、もう少し辛抱してくれれば、もっとどうにかすると言ってくれるんですけれど、あの人も大きな山がはずれて、ちょっといけなくなったもんですから。」 クルベーという独逸(ドイツ)の貴族は、新しい軍器などを取扱って盛大にやっていたものらしいが、支那の当路へ軍器を売り込もうとして、財産のほとんど全部を品物の購入や運動費に投じて、すっかりお膳立(ぜんだ)てが出来たところで、政府筋と支那との直接契約が成立してしまった。そこまで運ぶのに全力を尽した彼の計画が一時に水の泡(あわ)となってしまった。その電報を受け取った時、彼はフジヤ・ホテルで卒倒してしまった。 しかし小夜子は今そんなことを初対面の彼に、打ち明けるほど不用意ではなかった。クルベーとの七年間の花々しい同棲(どうせい)生活については、彼女はその後折にふれて口の端(は)へ出すこともあったし、一番彼女を愛しもし、甘やかしもしてくれたのは何といってもその独逸の貴族だったことも、時々憶(おも)い出すものらしかったが、今は彼女もその愛の囚(とりこ)に似た生活から脱(のが)れ出た悦(よろこ)びで一杯であった。「貴女の過去には随分いろいろのことがあったらしいね。」「私?」「新橋にいたことはないんか。」「いました。あの時分文芸倶楽部(クラブ)に花柳界の人の写真がよく出たでしょう。私のも大きく出ましたわ。――けどどうしてです。」「何だか見たような気がするんだ。いつか新橋から汽車に乗った時ね、クションに坐りこんで、しきりに刺繍(ししゅう)をやっている芸者が三人いたことがあるんだ。その一人に君が似ているんだ。まだ若い時分……。」「刺繍もやったことはありますけれど……。何せ、私のいた家(うち)の姐(ねえ)さんという人が、大変な人で、外国人の遺産が手に入って、すっかり財産家になってしまったんです。お正月のお座敷へ行くのに、正物(ほんもの)の小判や一朱金二朱金の裾模様(すそもよう)を着たというんでしたわ。それでお座敷から帰ると、夏なんか大した椅子(いす)に腰かけて、私たちに体を拭かせたり煽(あお)がしたり、寝るときは体を揉(も)む人に小説を読む人といったあんばいで……。
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