仮装人物
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著者名:徳田秋声 

」「北海道では撞(つ)いたもんでしたけれど。あの時分は奥さん方のいろいろな社交もあって、ダンスなんかもやったものなのよ。S――さんの弟さんの農学士の人の奥さんに教わって。」 葉子はいつの場合でも、ロマンチックな話の種に事欠かなかった。グロなその夫人と、土地の商船学校にいた弟との恋愛模様とか、その弟に年上の一人の恋人があって、その弟とのあいだに出来た子供を抱えながら、生花やお茶で自活していることだの、または葉子が乳の腫物(はれもの)を切開するために入院したとき、刀を執った医学士が好きになって、後でふらふらとその男を病院に訪ねて拒絶されたことなど。そうかと思うと、原稿紙をもって不意に姿を晦(くら)まして人を騒がせ、新聞のゴシップ種子(だね)になるようなことも珍らしくなかった。 町に薄暗い電気がつく時分に、宿へ帰って楽しい食卓に就(つ)いた。思い做(な)しか庸三はここの玄関の出入りにも、何か重苦しいものをこくめい[#「こくめい」に傍点]な番頭たちの目に感じるのだったが、葉子は水菓子を女中に吩咐(いいつ)けるにも、使いつけの女中のような親しさで、ただ新聞記者でも来ていはしないかと、隣室の気勢(けはい)に気を配るだけであった。 しかし刺戟(しげき)のつよい湯は彼女にとって逆効果を現わした。三日ばかり湯に浸ってはガアゼの詰めかえをやっているうちに、痛みがだんだん募って来るばかりで、どうかすると昼間でも床を延べさせて横になるのであった。昨日まで時々やって来る少しばかりの苦痛を我慢して、大倉公園へ遊びに入って、色づいた木々のあいだを縫って段々を上ったり、岩組みの白い流れのほとりへ降りてみたり、萩(はぎ)や鶏頭の乱れ咲いている花畑の小径(こみち)を歩いたり、または町の奥にある不動滝まで歩いて、そこからまた水のしたたる岩壁の裾(すそ)をめぐって、晴れた秋の空に焚火(たきび)の煙の靡(なび)く、浅い山の姿を懐かしんだりしていた彼女は、飛んでもないところへ連れて来られでもしたように、眉(まゆ)のあいだに皺(しわ)を寄せて、すっかり機嫌(きげん)がわるくなってしまった。そしてそうなると、庸三も何か悪いことでもしたようで、ひそかに弱い心臓を痛めるのであった。潤(うる)んだ目をして、じっと黙りこくっているとか、または壁の方をむいて少しうとうとしたかと思うと、目を開いたりする彼女の傍(そば)にいるのが、次第に憂鬱(ゆううつ)になって来た。 ある晩方も、庸三はピンセットを使ってから、風呂(ふろ)へ入って、侘(わび)しげな電燈の下で食卓の前にすわった。葉子は傍に熱っぽい目をして臥(ふ)せっていた。頬(ほお)もぽっと紅(あか)くなっていた。こうなると彼女は母親から来るらしく見せて、実は田舎(いなか)の秋本に送らせた金で、彼と一緒に温泉へ来ていることも忘れて、平気でいるらしい庸三の顔さえ忌々しくなるのではないかと、彼は反射的に感じるのであったが、またそう僻(ひが)んで考えることもないのだという気もして、女中が目の前に並べる料理を眺めていた。「何にも食べない。」 彼女は微(かす)かに目で食べないと答えたらしかったが、庸三が心持不味(まず)そうに食事をしていると、葉子はひりひりした痛みを感ずるらしく、細い呻吟声(うめきごえ)を立て、顔をしかめた。彼は硬(かた)い表情をして別のことを考えていたので、振り向きもしなかった。「人がこんなに苦しんでいるのに、平気で御飯たべられるなんて、何とそれが老大家なの。」 庸三はぴりッとした。そしてかっとなった。彼は食事もそこそこに食卓を離れて、散らかった本や原稿紙と一緒に着替えをたたんで鞄(かばん)に始末をすると、※袍(どてら)をぬいで支度(したく)をした。「おれも君の看護に来たんじゃないんだ。いい迷惑だ。独りでやるがいいんだ。」 庸三はぷりぷりして、電話で汽車の時間をきくと、煙草(たばこ)にマッチを摺(す)りつけた。番頭がやって来て、「お帰りでございますか。」「ちょっと用もできたから。」 番頭は急げば最終のに間に合うがと、少し首を傾(かし)げていたが、庸三はじっとしてもいられなかった。自動車の爆音がしたので、彼はインバネスを着て、あたふたと部屋を出たが、車が走りだしてから、彼は何か後ろ髪を引かれる感じで、この場の気まずさを十分知りながらも、汽車に間に合わないことを半ば心に念じた。熱海(あたみ)へでもドライブしようかとも考え、家(うち)へ帰って書斎に寝た方が楽しいようにも感じた。 石塊(いしころ)の多い道を、車はガタガタと揺れながらスピイドを出した。庸三は時々転(ころ)がりそうになったが、風も吹いていたので、揺れる拍子に窓枠(まどわく)に頭をぶちつけそうになって、その瞬間半分ガラスを卸してあった窓から帽子が飛んでしまった。ちょうどわざと飛ばしたように。「君ちょっと帽子が飛んじゃったんだ。」 運転士は車を止めて風の強い叢(くさむら)のなかに帽子を捜したが、しかしそれも物の二分とはかからなかった。 駅の灯(ひ)が間近に見えて来た。そして今ちょっとのところで駅前の広場へ乗り入れようとした時、汽車の動く音がした。 庸三は何か悪戯(いたずら)でもしたようなふうで部屋へ戻って来た。「先生オレンジをそう言って!」 やがて葉子も寝床から起きあがった。 入院するまでに葉子の支度はかなり手間取った。ちょうど婦人雑誌に小説を連載していたところなので、それも二月分ためる必要があったし、瑠美子(るみこ)には何か花やかな未来を約束しておきたかったので、差し当たりいつも新しい道を切り開いて、世間の気受けもいい舞踊家の雪枝(ゆきえ)に、内弟子として住みこませたい念願だったので、支度が出来次第、それも頼みに行かなければならなかった。何よりも母に来てもらわなければならなかった。 葉子は湯河原の帰りにも、汽車のクションで臥(ね)ていたくらいで、小田原(おだわら)でおりた時は、顔が真蒼(まっさお)になって、心臓が止まったかと思うほど、口も利けず目も見えなくなって、庸三の手に扶(たす)けられて、駅脇(えきわき)の休み茶屋に連れこまれた時には、まるで死んだように、ぐったりしていたものだが、やっと男衆の手で、奥の静かな部屋へ担(かつ)ぎこまれて、そこでややしばらく寝(やす)んでいるうちに、額に入染(にじ)む冷たい脂汗(あぶらあせ)もひいて、迅(はや)い脈もいくらか鎮(しず)まって来た。彼女はどうかして痛い手術を逃げようとして、かえって手術の必要を痛切に感ずるようになった。 ある日、葉子は、濃(こ)い鼠(ねずみ)に矢筈(やはず)の繋(つな)がった小袖(こそで)に、地の緑に赤や代赭(たいしゃ)の唐草(からくさ)をおいた帯をしめて、庸三の手紙を懐(ふとこ)ろにして、瑠美子をつれて雪枝を訪問した。雪枝は内弟子に住みこませることを快く引き受けてくれたが、詩も作り手蹟(しゅせき)も流麗で、文学にも熱意をもっているので、葉子も古い昵(なじ)みのように話しがはずんだ。庸三が葉子につれられて、お浚(さら)いを見に行ったのも、それから間もないある日の晩方であった。「私も小説が書きたくて為様(しよう)がなかったんですけどもね。」 何かごちゃごちゃ装飾の多い彼女の小ぢんまりした部屋で、気のきいた晩餐(ばんさん)の御馳走(ごちそう)になりながら、庸三は彼女の芸術的雰囲気(ふんいき)と、北の人らしい情熱のこもった言葉を聴(き)いていたが、芸で立つ人の心掛けや精力も並々のものではなかった。話がかつての彼女の恋愛に及んで来ると、清(すず)しい目ににわかに情熱が溢(あふ)れて来た。 しかし彼女は独りではなかった。庸三が前からその名を耳にしていた若い文学者の清川がそこにいて、下町の若旦那(わかだんな)らしい柄の彼を、初め雪枝が紹介した時に、庸三はそれが彼女の若い愛人だと気づきながら、刹那(せつな)に双方の組合せがちょっと気になって、何か仄(ほの)かな不安を感ずるのであった。「これこそ葉子に似合いだ。」 庸三はそう思った。 葉子が病室で着るつもりで作った、黝(くろ)ずんだ赤と紺との荒い棒縞(ぼうじま)の※袍(どてら)も、不断着ているので少し汚(よご)れが見えて来たが、十一月もすでに半ば以上を過ぎても、彼女はまだ二階の奥の間に寝たり起きたりしていた。そのころになると、ガアゼの詰めかえも及ばなくなって、どうかすると彼女は痛さを紛らせるために、断髪の頭を振り立て、じだんだ踏んで部屋中跳(と)びあるいた。彼女は間に合わせの塗り薬を用いて、いくらか痛みを緩和していた。庸三はしばしば彼女の傍(そば)に寝たが、ある夜彼は彼女の口から、秋本が見舞いがてら上京するということを聴(き)いた。「あの人時々東京へ来るのよ。」 葉子は気軽そうに言った。「来てもほんの二三日よ。だけど、私お金もらってるから、一度だけ行かしてね。」 それが病気見舞かと思われ、葉子の動静を探るためかと思われたが、葉子の様子に変りはなかった。 その二階から見える庸三の庭では、焚火(たきび)の煙が毎日あがっていた。もう冬も少し深くなって、増築の部分の棟(むね)あげもすんでいた。彼はぜひとも家をどうにかしなければならない羽目になっていた。      十一 ある日の午後、葉子は庸三(ようぞう)の同意の下に、秋本の宿を訪問すべく、少し濃いめの銀鼠地(ぎんねずじ)にお納戸色(なんどいろ)の矢筈(やはず)の繋(つな)がっている、そのころ新調のお召を着て出て行った。多少結核性の疑いもあるらしい痔疾(じしつ)のためか、顔が病的な美しさをもっていて、目に潤(うる)んだ底光りがしていた。少なからぬ生活費を遠くにいる秋本に送らせながら、身近かにいる庸三に奉仕しているということが、たといそれが小説修業という彼女の止(や)みがたき大願のためであり、その目的のためには有り余る秋本の財産の少し減るぐらいは、大した問題ではないにしても、時々には秋本を欺いていることに自責の念の禁じ得ないこともあって、それが痔の痛みと一緒に、ひどく彼女の神経を苛立(いらだ)たせた。同時に葉子の体を独占的に縛っているかのように思える庸三が、ひどく鈍感で老獪(ろうかい)な男のように思えて、腹立たしくもなるのであった。傍(はた)からの目には、とかく不純だらけのように見えるであろう彼女の行為も、彼女自身からいえば、現われ方は歪(ゆが)んでいても、それは複雑で矛盾だらけの環境と運命のせいで、真実(まこと)は思いにまかせぬ現実の生活のために、弱い殉情そのものが無残に虐(しいた)げられているのだと思われてならなかった。いわば彼女の殉情と文学的情熱とは、現実の蜘蛛(くも)の巣にかかって悶(もだ)えている、美しい弱い蝶(ちょう)の翅(はね)のようなものであった。「そんなに金を貰(もら)ってもいいのか。」 二百三百と、懐(ふとこ)ろがさびしくなると、性急に電報為替(がわせ)などで金を取り寄せていることが、そのころにはだんだん露骨になって、見ている庸三も気が痛むのであった。「いいのよ、有るところには有るものなのよ。」「いや、もう大して無いという話だぜ。」「ないようでも田舎(いなか)の身上(しんしょう)っていうものは、何か彼(か)か有るものなのよ。」 葉子は楽観していたが、送ってくれる金の受取とか礼状とかいったようなものも、なかなか書かないらしいので、庸三はそれも言っていた。「だから私困るのよ。手紙を出すとなると、あの人が満足するように、いくらか艶(つや)っぽいことも書かなきゃならないし、書こうとすれば、先生の目はいつも光っているでしょう。」 そう言って葉子は苦笑していたが、わざと庸三の前で、達筆に書いてみせることもあった。その文句は庸三にも大抵想像がつくので、わざと見ぬふりをしていた。 するとちょうどその日は庸三も、田舎で世話になった葉子の母親に、歌舞伎座(かぶきざ)を見せることになっていて、無論葉子も同行するはずで、三枚切符を買ってあった。「先生はお母さんつれて、行っていてちょうだい。私秋本さんのホテルを訪ねて、三十分か――長くとも一時間くらいで切り揚げて行きますから。きっとよ。いいでしょう。」 葉子はあわただしく仕度(したく)をすると、そう言って一足先きに家を出た。 庸三と母親は、しばらくすると歌舞伎座の二階棧敷(さじき)の二つ目に納まっていた。それが鴈治郎(がんじろう)一座の芝居で、初めが何か新作物の時代ものに、中が鴈治郎の十八番の大晏寺(だいあんじ)であった。庸三はそのころまだ歌舞伎劇に多少の愛着をもっていただけに、肝腎(かんじん)の葉子が一緒にいないのが何となく心寂しかった。母親も話はよくする方だったが、彼女の田舎言葉は十のうち九までは通じないのであった。 幕数が進むに従って、庸三はようやく落着きを失って来た。芝居を見たいことも見たかったが、逢(あ)いに行ったホテルの一室の雰囲気(ふんいき)も気にかかった。こんな享楽場で同伴(つれ)を待つということは、相手が誰であるにしても、とかく神経質になりがちなものだが、この場合の庸三は特にも観劇気分が無残に掻(か)き乱された。彼はしばしば場席を出て、階段口まで出て行ったが、到頭入口まで出向いて行って、その時になってもなおたまには自動車を出て来る人を点検しながら、その辺をぶらついていた。そうしているうちに苛々(いらいら)しい時間が二時間も過ぎてしまった。果ては神経に疲れが出て来て、半分は諦(あきら)めの気易(きやす)さから、わざと席に落ち着いていた。肝腎の中幕の大晏寺がすでに開幕に迫っていた。舞台裏の木の音が近づいて来た。 そこへ葉子がふらふらと入って来た。「どうもすみません。待ったでしょう。」 葉子はそう言って庸三の傍(そば)に腰かけた。「でもよかった。今中幕が開くところだ。」「そう。」 葉子は頷(うなず)いたが、顔も声も疲れていた。 庸三は窶(やつ)れたその顔を見た瞬間、一切の光景が目に彷彿(ほうふつ)して来た。葉子のいつも黒い瞳(ひとみ)は光沢を失って鳶色(とびいろ)に乾き、唇(くちびる)にも生彩がなかった。そういう時に限って、彼女はまた別の肉体に愛情を感ずると見えて、傍(はた)の目が一齊(いっせい)に舞台に集まっているなかで、その手が庸三にそっと触れて来るのであった。 鴈治郎の大晏寺は、庸三の好きなものの一つであった。役としての春藤某(しゅんとうなにがし)の悲痛な運命の下から、彼の大きな箇性(こせい)が、彼の大きな頭臚(あたま)のごとく、愉快ににゅうにゅう首を持ちあげて来るのが面白かった。「ふふむ!」 と葉子も頬笑(ほほえ)みながら見惚(みと)れていた。 二番目の同じ人の忠兵衛(ちゅうべえ)はすぐ真上から見おろすと、筋ばった白い首のあたりは、皺(しわ)がまざまざ目立って、肩から背へかけての後ろ姿にも、争えない寂しさがあった。庸三は大阪で初めて見た花々しい彼の三十代以来の舞台姿を、長いあいだ見て来ただけに、舞台のうえの人気役者に刻んで行く時の流れの痕(あと)が、反射的に酷(ひど)く侘(わび)しいものに思われてならなかった。 それから中二日ほどおいて、ある夕方葉子の二階の部屋に二人いるところへ、女中のお八重が「今運転士さんが、これを持って来て、お迎えに来ました。」と言って、結び文(ぶみ)のようなものを、そっと葉子に手渡した。 葉子は麻布(あざぶ)のホテルで逢(あ)って来て以来、秋本のことをあまりよくは噂(うわさ)しなかった。彼の手が太く巌丈(がんじょう)なんでいやんなっちゃったとか、壁にかかっていた外套(がいとう)が、田舎(いなか)紳士丸出しだとか、いまだにトルストイやガンジイのことばかり口にして、田舎くさい文学青年の稚気を脱していないとか、ちょうどその翌晩に彼女はある新聞社の催しに係る講演などを頼まれ、ある婦人雑誌にも長編小説を書いていたりしていたところから、にわかに花々しい文壇へのスタアトを切り、新時代の女流作家としての存在と、光輝ある前途とが、すでに確実に予約されたような感じで、久しぶりで逢った秋本の気分が、何か時代おくれの土くさいものに思われてならなかった。 庸三は自分への気安めのように聴(き)き流していたが、いくらかは信じてもよいように思えた。「今度もう一度逢いに行かしてね。わざわざ遠くから出て来ても、あの日は私も気が急(せ)いて、しみじみ話もできなかったもんで、どこか静かな処(ところ)で、一晩遊ぼうということになったの。」 庸三は頷いた。「あの男、情熱家のようだね。」「そうよ。私が部屋へ入ると、いきなり飛びついて天井まで抱きあげたりして……でもあの人何だか変なところがあるの。」 葉子は顔を紅(あか)くして、俛(うつ)むいていた。「今度どこで逢うのさ。」「どこか水のあるところがいいようなことを、あの人も言っていたけれど……。」 葉子は画家の草葉(そうよう)と恋に陥(お)ちて行ったとき、夜ふけての水のうえに軋(きし)む櫓(ろ)の音を耳にしながら、楽しい一夜を明かしたかつての思い出のふかい、柳橋あたりの洒落(しゃ)れたある家のことをよく口にしたものであったが、今度も多分その辺だろうかとも思われた。「ちょっと見せてごらん。」 庸三はそう言ってその文を取ってみたが、場所はそれと反対の河岸(かし)で、家の名も書いてあった。それに文句が古風に気障(きざ)で、「ようさままいる」としたのも感じがよくなかった。庸三は案に相違して、むしろ歯が浮くような厭味(いやみ)を感じた。「一つそっとその家(うち)へ上がって見てやろうかな。」 庸三は笑談(じょうだん)らしく言ってみた。「ええ、来たってかまわないことよ。」葉子は平気らしく言って、やがて立ちあがった。「何時ごろ帰る?」「十時――遅くも十一時には帰って来るわ。」 彼女は指切りをして降りて行った。 庸三は空虚な心のやり場をどこに求めようかと考えるまでもなく、いつも行きつけの同じ大川ぞいの小夜子(さよこ)の家へタキシイを駆るのであった。するとちょうど交叉点(こうさてん)のあたりまで乗り出したところで、その辺を散歩している長男と平田青年とに見つかって、二人はいきなり車に寄りついて来た。「どこへ行くんです。」「ううん、ちょっと飯くいに……。」 庸三は少し狼狽(ろうばい)気味で、「一緒に乗らない?」と言ってしまった。 得たり賢しと二人は入って来たものだった。 庸三は多勢(おおぜい)の子供のなかでも、幼少のころから長男を一番余計手にもかけて来たし、いろいろな場所へもつれて行った。珍らしい曲馬団が来たとか、世界的な鳥人が来たとか、曲芸に歌劇、時としてはまだ見せるのに早い歌舞伎劇(かぶきげき)をも見せた。ある年向島(むこうじま)に水の出た時、貧民たちの窮状と、救護の現場を見せるつもりで、息のつまりそうな炎熱のなかを、暑苦しい洋服に制帽を冠(かぶ)った七八つの彼を引っ張って、到頭千住(せんじゅ)まで歩かせてしまった結果、子供はその晩から九度もの熱を出して、黒い煤(すす)のようなものを吐くようになった。「それあ少し乱暴でしたね。」 庸三は小児科の先生に嗤(わら)われたが、子供をあまりいろいろな場所へ連れ行くのはどうかと、人に警告されたこともあった。しかし後に銀ぶらや喫茶店や、音楽堂入りを、かえってこの子供から教わるようになったころには、彼も自分の教育方法が、全然盲目的な愛でしかなかったことに気がついて、しばしば子供の日常に神経を苛立(いらだ)たせなければならなかった。それに大抵年に一度か二度、胃腸の疾患とか、扁桃腺(へんとうせん)とかで倒れるのが例で、中学から上の学校へ入るのに、二年もつづいて試験の当日にわかに高熱を出して、自動車で帰って来たりして、つい入学がおくれ、その結果中学時代に持っていた敬虔(けいけん)な学生気分にも、いつか懈怠(げたい)が来ないわけに行かなかった。ここにも若ものの運命を狂わせる試験地獄の祟(たた)りがあったわけだが、それが庸三の不断の悩みでもあった。 けれど今になってみると、彼はむしろ自身の足跡を、ある程度彼にも知らせておいていいような気分もした。それがもし恋愛といったような特殊の場合であるとしても、老年の彼以上にも適当な批判を下しうるだけの、近代人相応の感覚や情操に事欠くこともあるまい――と、そう明瞭(めいりょう)には考えなかったにしても、少なくもそういった甘やかしい感情はもっていた。ルウズといえば庸三ほどルウズな頭脳の持主も珍らしかった。 ここは水に臨んでいるというだけでも、部屋へ入った瞬間、だれでもちょっと埃(ほこり)っぽい巷(ちまた)から遠ざかった気分になるのであったが、庸三たちには格別身分不相応というほどの構えでもなく、文学にもいくらか色気のある小夜子を相手に無駄口をききながら、手軽に食事などしていると、葉子事件に絡(から)む苦難が、いくらか紛らせるのであった。「いつかも伺ったけれど、小説てそんなにむずかしいもんですの。」 小夜子はこのごろも書いたとみえて、原稿挟(ばさ)みを持ち出して来て、書き散らしの小説を引っくらかえしていたが、庸三はこの女は書く方ではなくて、書かれる方だと思っていたので、「やっぱり五年十年と年期を入れないことには。何よりも文章から初めなくちゃ。」 と言って笑っていたが、今のように親しくなってみると、変化に富んだ彼女の過去については、何一つ纏(まと)まった話の筋に触れることもできなかった。 子供と平田が交通頻繁(ひんぱん)な水の上を見ていると、やがて夕方のお化粧を凝(こ)らした小夜子が入って来た。そして胡座(あぐら)を組んだまま、丸々した顔ににこにこしている子供を見ていたが、「こちらいつかお宅でお目にかかった坊っちゃんですの。」 庸三も笑っていたが、あらためて平田青年をも紹介して、食べものの見繕(みつくろ)いを頼んでから、風呂(ふろ)へ入った。 庸三はどこかこの同じ川筋の上流の家で、葉子が秋本と、今ごろ酒でも飲んで気焔(きえん)を挙げているであろうと思われて、それは打ち明けられたことだけに、別にいやな気持もしないのであったが、自身の妙な立場を考えると、何か擽(くすぐ)ったい感じでもあった。すると廊下を一つ隔(へ)だてた、同じ水に臨んだ小室(こべや)の方で、やがて小夜子がお愛相(あいそ)笑いしていると思ったが、しばらくすると再び庸三たちの方へ戻って来た時には、ビイルでも呑(の)んだものらしく、目の縁(ふち)がやや紅(あか)くなっていた。庸三はこのごろ仲間の人たちで、ここを気のおけない遊び場所にしている人も相当多いことを考えていたので、隣りの客がもしかするとその組ではないかと思ったが、小夜子に聞いてみると、それは最近ちょくちょく一人でそっとやって来る、近所の医者だことが解(わか)った。彼も風変りなこのマダムのファンの一人で、庸三もある機会にちょっと診(み)てもらったこともあって、それ以来ここでも一度顔が合った。不思議なことには、それが女学校を出たての葉子がしばらく身を寄せていたという彼女の親類の一人であった。葉子が人形町あたりの勝手をよく知っていて、わざわざ伊達巻(だてまき)など買いに来たのも理由のないことではなかった。そしてそう思ってみると、ぴんと口髯(くちひげ)の上へ跳(は)ねたこのドクトルの、型で押し出したような顔のどこかに、梢家(こずえけ)の血統らしい面影も見脱(みのが)せないのであった。がっちりしたその寸詰りの体躯(たいく)にも、どこか可笑(おか)しみがあって、ダンスも巧かった。庸三は小夜子と人形町のホオルを見学に入ったとき、いかにも教習所仕立らしい真面目(まじめ)なステップを踏んでいる、彼の勇ましい姿を群衆のなかに発見して、思わず微笑したものだった。「どうです。運動に一つおやりになっては。初めてみるとなかなか面白いものですよ。」 ドクトルは傍(そば)へ寄って来て勧めた。 そのドクトルが今夜も来ているのであった。小夜子はそれをことさら煩(うるさ)がっているような口吻(くちぶり)を洩(も)らしていたが、庸三自身も蔭(かげ)でどんなことを言われていたかは解(わか)らないのであった。 庸三は葉子がこのドクトルの家(うち)に身を寄せていたのを想像してみたりしたが、女学校卒業前後に何かいやな風評が立って、それを避けるために、ドクトルの家でしばらく預かることになったというのは、よくよくの悪い邪推で、真実は音楽学校の試験でも受けに来ていたというのが本当らしかった。庸三は葉子と交渉のあった間、もしくはすっかり手が切れてしまってからも、後から後からと耳に入るのは、いつも彼女の悪いゴシップばかりで、ある時は正面を切って、彼女を擁護しようと焦慮(あせ)ったことが、二重に彼を嘲笑(ちょうしょう)の渦(うず)に捲(ま)きこんで、手も足も出なくしてしまった。 約束の十時に、庸三は小夜子の家を引きあげた。そして、円タクを通りで乗りすてて家の近くまで来ると、そっと向う前にある葉子の二階を見あげた。二階は板戸が締まっていて、電燈の明りも差していなかったが、すぐ板塀(いたべい)の内にある下の六畳から、母と何か話している彼女の声が洩れた。庸三はほっとした気持で格子戸(こうしど)を開けた。「一時間も――もっと前よ、私の帰ったのは。」 彼女はけろりとした顔で、二階へあがって来た。「どうかしたの。」「後でよく話すけれど、私喧嘩(けんか)してしまったのよ。」 庸三は惘(あき)れもしなかった。「約束の家で……。」「うーん、家が気に入らなかったから、あすこを飛び出して、土手をぶらぶら歩いたの。そして別の家へ行ってみたの。それはよかったけれど、お酒飲みだすと、あの人の態度何だか気障(きざ)っぽくて、私忿(おこ)って廊下へ飛び出しちゃったものなの。そうなると、私後ろを振り返らない女よ。あの人玄関まで追っかけて来たけれど。」「それじゃまるで喧嘩しに行ったようなものじゃないか。」「いいのよ、どうせ明日上野まで送るから。」 葉子はそう言って、寂しさを胡麻化(ごまか)していた。 翌日になると、葉子は時間を見計らって、家を出て行った。そして銀座で水菓子の籠(かご)を誂(あつら)えると、上野駅まで自動車を飛ばした。しかもその時はもう遅かった。重い水菓子の籠を赤帽に持たせて、急いで歩廊へ出て行った時には、汽車はすでに動き出していた。 葉子はすごすご水菓子を自動車に載せて、帰って来た。そして着替える隙(ひま)もなく、その籠を彼の田舎(いなか)の家へ送るために、母と二人で荷造りを初めた。籠は大粒の翡翠色(ひすいいろ)した葡萄(ぶどう)の房(ふさ)や、包装紙を透けて見える黄金色(こがねいろ)のオレンジなどで詰まっていた。「少しくらい傷(いた)んでも、田舎ではこんなもの珍らしいのよ。」 葉子はさすがに度を失っていた。 しかし彼女のその夜の気紛(きまぐ)れな態度が、つまりどんなふうに今後の運命に差し響いたであろうかは、大分後になってから、やっと解(わか)ったことで、まれの媾曳(あいびき)から帰って来た時の、前夜二回の葉子の胡散(うさん)らしい報告が、事実であったことが、庸三に頷(うなず)けたのも、その時になってからであった。      十二 いよいよ葉子を病院へ送りこんでからの庸三は、にわかにこの恋愛生活の苦悩から解放されたような感じで一時ほっとした。それには永年の懸案であった家の増築ということも彼の気分転換に相当役立った。増築の出来栄(ば)えが庸三の期待を裏切ったことはもちろんであったが、一旦請負師の要求に応じて少なからぬ金を渡し、貨車で運ばれた建築用材を庭の真中へ積みこまれてしまうと、その用材からしてすでに約束を無視したものだということに気がついていても、今更どうすることもできないのであった。庸三は持合せの金も少なかったし、それほどの建築でもないので、自分からかれこれ設計上の註文(ちゅうもん)を出すことを遠慮して、わざと大体の希望を述べるに止(とど)めておいたのだった。「余計な細工はいらない。とにかくがっちりしたものを造ってもらいたいんで。」「ようがす。ちょうど材木の割安なものが目つかりましたから。」 請負師はそう言って、金を持って行ったのであった。この請負師は庸三の懇意にしている骨董屋(こっとうや)の近くに、かなり立派な事務所をもっていて、その骨董屋の店で時々顔が合っていた。同じ店頭へ来て、煎茶(せんちゃ)の道具などを弄(いじ)っている、その夫人のどこか洗練された趣味から推しても、工学士であるその主人に十分建築を委(まか)しきってよいように考えられたものであったが、仕事は別の大工が下受けしたものだことがじきに解って来た。人を舐(な)めたようなやってつけ仕事がやがて初まり、ばたばた進行した。手丈夫ということは、趣味の粗悪という意味で充分認められないこともなかったが、形が出来るに従って彼は厭気(いやけ)が差して来た。しかしもう追っつかなかった。費用がほとんど倍加して来たことも仕方がなかった。住居(すまい)が広くなっただけでも彼は満足するよりほかなかった。そこには古い彼の六畳の書斎だけが、根太(ねだ)や天井を修繕され、壁を塗りかえられて残されてあった。三十年のあいだ薄い頭脳と乏しい才能を絞って、その時々の創作に苦労して来たのもその一室であったが、いろいろな人が訪ねて来て、びっくりしたような顔で、貧弱な部屋を見廻わしたのも、その一室であった。そこはまた夫婦の寝室でもあり、病弱な子供たちの病室でもあった。わずか半日半夜のうちに、十二の夏疫痢(えきり)で死んで行った娘の畳の上まで引いた豊かな髪を、味気ない気持で妻がいとおしげに梳(くしけ)ずってやっていたのも、その一室であった。お迎いお迎えという触れ声が外にしていて、七月十七日の朝の爽(さわ)やかな風が、一夜のうちに姿をかえた少女の透き徹(とお)るような白い額を撫(な)でていた。そして気が狂わんばかりに、その時すっかり生きる楽しさを失ってしまった妻も、十数年の後の、ついこの正月の二日の午後には、同じ場所で、子供たちの母を呼ぶ声を後に遺(のこ)して冷たい空骸(なきがら)となって横たわっていたのであった。この部屋での、そうした劃期的(かっきてき)の悲しみは悲しみとしても、彼は何か小さい自身の人生の大部の痕迹(こんせき)が、その質素な一室の煙草(たばこ)の脂(やに)に燻(いぶ)しつくされた天井や柱、所々骨の折れた障子、木膚(きはだ)の黝(くろ)ずんだ縁や軒などに入染(にじ)んでいるのを懐かしく感ずる以外に、とてもこれ以上簡素には出来ないであろうと思われるほど無駄を省いた落着きのよさが、今がさつな新築の書斎に坐ってみて、はっきりわかるような気がするほど、増築の部分がいやなものに思われた。しかし、今まで庭の隅(すみ)になっていて、隣の三階の窓から見下ろされる場所に、突き出して建てた、床のやや高めになった六畳の新しい自分の部屋に机をすえていると、台湾檜(ひのき)の木の匂いなどもして、何か垢(あか)じみた古い衣をぬぎすてて、物は悪くてもとにかく新しいものを身につけたような感じで、ここはやはりこれからの清浄な仕事場として、葉子に足を踏み入れさせないことにしようと、彼は思ったほどであった。 葉子はある時は、ほぼ形の出来かかった建築を見に来て、機嫌(きげん)の好いときは、二階の子供の書斎の窓などについて、自身の経験と趣味から割り出した意見を述べ、子供たちと一緒になって、例の愛嬌(あいきょう)たっぷりの駄々っ子のような調子で、日本風の硝子(ガラス)の引戸の窓に、洋風の窓枠(まどわく)を組み込んで開き窓に改めさせなどしたこともあったが、しかし子供たちのための庸三の家のこの増築は、彼女にとってはあまり愉快なものではなかった。「いいもんだな先生んとこは、家が立派になって。」 葉子は笑談(じょうだん)のように羨望(せんぼう)の口吻(こうふん)を洩(も)らすこともあったが、大枚の生活費を秋本に貢(みつ)がせながら、愛だけを独占しようとしている庸三の無理解な利己的態度が、時には腹立たしく思えてならなかった。たといそれが庸三自身の計画的な行動ではなく、彼女自身の悧巧(りこう)な頭脳(あたま)から割り出されたトリックであるにしても、葉子自身そうした苦しいハメに陥ったことに変りはなかった。彼女はどんな無理なことも平気でやって行けるような、無邪気といえば無邪気、甘いといえば甘い、自己陶酔に似たローマンチックな感情の持主で、それからそれへと始終巧妙に、自身の生活を塗りかえて行くのに抜目のない敏感さで、神経が働いているので、どうかすると何かしら絶えず陰謀をたくらんでいる油断も隙(すき)もない悪い女のように見えたり、刹那々々(せつなせつな)に燃え揚がる情熱はありながらも、生活的に女らしい操持に乏しいところから、ややもすると娼婦型(しょうふがた)の浮気女のような感じを与えたりするのであった。彼女は珍らしもの好きの子供が、初めすばらしい好奇心を引いた翫具(おもちゃ)にもじきに飽きが来て、次ぎ次ぎに新しいものへと手を延ばして行くのと同じに、ろくにはっきりした見定めもつかずに、一旦好いとなると、矢も楯(たて)もたまらずに覘(ねら)いをつけた異性へと飛びついて行くのであったが、やがて生活が彼女の思い昂(あが)った慾望に添わないことが苦痛になるか、または、もっと好きそうなものが身近かに目つかるかすると、抑えがたい慾望の※(ほのお)がさらに彼女を駆り立て、別の異性へと飛び蒐(かか)って行くのであったが、一つ一つの現実についてみれば、あまりにも神経質な彼女の気持に迫り来るようなものが、この狭い地上の生活環境のどこにも見出(みいだ)されようはずもないので、到(いた)るところ彼女の虹(にじ)のような希望は裏切られ、わがままな嘆きと悲しみが、美しい彼女の夢を微塵(みじん)に砕いてしまうのであった。しかし北の海の荒い陰鬱(いんうつ)さの美しい自然の霊を享(う)けて来た彼女の濃艶(のうえん)な肉体を流れているものは、いつも新しい情熱の血と生活への絶えざる憧(あこが)れであった。とかく生活と妥協しがたいもののように見える彼女の恋愛巡礼にも、あまりに神経的な打算があった。大抵彼女の産まれた北方には、詳しくいえばそれは何も北方に限ったことでもないが、女の貞操ほどたやすく物質に換算されるものはなかった。庸三は二度も行って見た彼女の故郷の家のまわり一体に、昔、栄えた船着場の名残(なご)りとしての、遊女町らしい情緒(じょうしょ)の今も漂っているのと思いあわせて、近代女性の自覚と、文学などから教わった新しい恋愛のトリックにも敏(さと)い彼女が、とかく盲目的な行動に走りがちである一方に、そこにはいつも貞操を物質以下にも安く見つもりがちな、ほとんど無智(むち)といえば言えるほど曖昧(あいまい)な打算的感情が、あたかも過去の女性かと思われるほどの廃頽(はいたい)のなかに見出されるのを感ずるのであった。もちろん末梢(まっしょう)神経の打算なら、近代の人のほとんどすべてがそれを持っていた。庸三もそれに苦しんでいる一人であった。 庸三は葉子の痔疾(じしつ)の手術に立ち会って以来、とかく彼女から遠ざかりがちな無精な自身を見出した。 もちろんそれは前々から彼の頭脳にかかっていた暗い雲のような形の、この不純でややこしい恋愛に対する嫌悪感(けんおかん)ではあったが――そしてそれは激しい非難や、子供たちの不満のために醸(かも)された、妙にねじけた反抗と意地のようなものと、今まで経験したことのない、強いというよりか、むしろ孤独な老年の弱気な寂しい愛慾の断ち切りがたさのために、とかく自己判断と省察とがなまくらになって、はっきり正体を認めることのできないようなものではあったが、刻々に化膿(かのう)して行くような心の疼(うず)きは酷(ひど)かったが、――差し当たって彼が自身の本心のようなものに、微(かす)かにも触れることのできたのは、彼女の最近のヒステリックな心を、ともすると病苦と一つになってひどく険悪なものにして来る、彼への対立気分のためであった。時とすると、葉子は田舎(いなか)からとどいた金を帯の間へ入れて、病室のベッドでかけるような、軽くて暖かい毛布団(けぶとん)を買うために、庸三の膝(ひざ)のうえに痛い体を載せて、銀座まで自動車を駆りなどした。彼女の頸(くび)にした白狐(びゃっこ)の毛皮の毛から、感じの柔軟な暖かさが彼の頬(ほお)にも触れた。この毛皮を首にしていれば、絶対に風邪(かぜ)はひきッこない。――彼はそう思いながら、痩(や)せっぽちの腿(もも)の痛さを怺(こら)えなければならなかった。またある時は、内弟子に預けてある葉子の愛嬢の瑠美子も出るという、年末の総ざらいの舞踊会が、雪枝の家(うち)で催されるというので、葉子は庸三にも来るようにと誘うので、あまり気の進まなかった庸三は、しばらく思案した果てに、やや遅れて青山の師匠の家を訪れたが、庸三が予覚していたとおり、彼の来たことを妙に憂鬱(ゆううつ)に感じているらしい彼女を、群衆のなかに発見した。庸三は舞台の正面の、少し後ろの方に坐って、童謡を踊る愛らしい少女たちを見ていたが、後ろの隅(すみ)の方に、舞踊にも造詣(ぞうけい)のふかい師匠の若い愛人の顔も見えた。葉子は始終紋附きの黒い羽織を着て、思いありげな目を伏せ、庸三の少し後ろの方に慎(つつ)ましく坐っていたが、そうした明るい集りのなかで見ると、最近まためっきり顔や姿の窶(やつ)れて来たのが際立(きわだ)って見えた。葉子はいつかこの帰りがけに、省線の新宿駅のブリッジのところで、偶然この青年に逢(あ)ったとかで、帰ってから、感じのよかったことを庸三にも話して聞かしたものだったが、実際はそれよりもやや親しく接近しているらしいことが、彼女のその後の口吻(くちぶり)でも推測できるのであった。庸三の頭脳にはどうかすると暗い影が差して来たが、師匠に対する葉子の立場を考えて強(し)いても安心しようとした。彼こそ彼女の恰好(かっこう)な相手だという感じは、葉子と一緒に師匠を初めて訪問した時の最初の印象でも明らかであり、この青年とだったら、いくら移り気の葉子でも、事によると最後の落着き場所として愛の巣が営めるのではないかという気もしたし、敏捷(びんしょう)な葉子と好いモダアニストとして、今売り出しの彼とのあいだに、事が起こらなければむしろ不思議だという感じもしないことはなかったが、一つの頼みだけはあった。「あれなら本当の葉子のいい相手だ。」 庸三はそれを口にまで出した。ちょうど文壇に評判のよかった「肉体の距離」というその青年の作品が、そうした葉子の感情を唆(そそ)るにも、打ってつけであった。絶えず何かを求め探している葉子の心は、すでに娘の預り主の師匠にひそかに叛逆(はんぎゃく)を企てているに違いなかったが、庸三の曇った頭脳では、そこまでの見透かしのつくはずもなかった。たといついたにしても、病人が好い博士(はかせ)の診断を怖(おそ)れるように、彼はできるだけその感情から逃避するよりほかなかった。結婚することもできないのに、始終風車のように廻っている葉子のような若い女性の心を、老年の、しかも生活条件の何もかもがよくないだらけの、庸三のような男が、永久に引き留めておける理由もないことは、運命的な彼の悩みであったが、また悽愴(せいそう)なこの恋愛がいつまで続くかを考えるたびに、彼は悲痛な感じに戦慄(せんりつ)した。みるみる彼の短かい生命は刻まれて行くのだった。 お浚(さら)いが済んだ後で、その青年はじめ二三の淑女だちとともに、庸三と葉子も、軽い夜食の待遇(もてなし)を受けて、白いテイブル・クロオスのかかった食卓のまわりに坐って、才気ばしったお愛相(あいそ)の好い師匠を中心に、しばし雑談に時を移したが、その間も葉子は始終俛(うつむ)きがちな蒼白(あおじろ)い顔に、深く思い悩むらしい風情(ふぜい)を浮かべて、黙りとおしていた。それが病気のためだとしても、そんなことは前後に珍らしかった。 それと今一つは、手術場での思いがけない一つの光景が、葉子の、しかしそれはすべての女の本性を、彼の目にまざまざ見せてくれた。 庸三はその時担架に乗って、病室から搬(はこ)び出されて行く葉子について、つい手術室の次ぎの室に入って行った。ゴシップや世間の噂(うわさ)で、すでにそれらの医師だちにも興味的に知られているらしい葉子は、入院最初の一日の間に、執刀者のK――博士にも甘えられるだけの親しみを感じていたが、庸三と一言二言話しているうちに用意ができて、間もなく手術台のうえに載せられた。庸三は血を見るのもいやだったし、寄って行くのに気が差して、わざと次ぎの部屋に立っていたが、すっかり支度(したく)のできた博士が、駄々ッ児の子供をでも見るような、頬笑(ほほえ)みをたたえて手術台に寄って行くと、メスの冷たい閃光(せんこう)でも感じたらしい葉子は、にわかに居直ったような悪戯(いたずら)な調子で叫ぶのであった。「K――さん痛くしちゃいやよ。」 博士は蓬々(ぼうぼう)と乱れた髪をしていたが、「よし、よし」とか何とか言って、いきなりメスをもって行った。「ちょっと来て御覧なさい。」 やがて博士は庸三を振り返って、率直に言った。 見たくなかったけれど、庸三は手術台の裾(すそ)の方へまわって行った。ふと目に着いたものは白蝋(はくろう)のような色をした彼女の肉体のある部分に、真紅(しんく)に咲いたダリアの花のように、茶碗(ちゃわん)大に刳(く)り取られたままに、鮮血のにじむ隙(すき)もない深い痍(きず)であった。綺麗(きれい)といえばこの上ない綺麗な肉体であった。その瞬間葉子は眉(まゆ)を寄せて叫んだ。「見ちゃいやよ。」 もちろん庸三は一目見ただけで、そこを去ったのであったが、手術の後始末がすんで、葉子が病室へ搬びこまれてからも、長くは傍(そば)にいなかった。やがて不愉快な思いで彼は病院を辞した。そしてそれ以来二三日病院を見舞う気もしなかった。 庸三の足はしばしば例の川ぞいの家への向いた。ある書店でちょうど大量の出版が計画されたころで、彼もその一冊を頒(わ)けられることになっていたので、原稿を稼(かせ)がない時でも、金の融通はついたので懐(ふとこ)ろはそう寂しくはなかった。それにしても収穫(みいり)の悪いのに慣れている彼の金の使いぶりは、神経的に吝々(けちけち)したもので、計算に暗いだけになお吝嗇(しみっ)たれていた。それにしても纏(まと)まった金を自分の懐ろにして、外へ出るということは、彼の生涯を通してかつて無いことであった。その日その日に追われながら、いきなりな仕事ばかりして来たのも、精根の続かない彼の弱い体としては仕方のないことかも知れなかったが、天性の怠けものでもあった。「今夜のうちに、たとい一枚でも口を開けておおきになったら。」 幾日も幾日も気むずかしい顔をして、書き渋っている庸三の憂鬱(ゆううつ)そうな気分を劬(いたわ)りながら、妻はそう言って気を揉(も)んでいたものだったが、庸三はぎりぎりのところまで追い詰められて来ると、仕方なし諦(あきら)めの気持でペンを執るのであった。書き出せば出したで、どうにか形はついて行くようなものの、いつも息が切れそうな仕事ばかりであった。収入も少なかったので、彼は自分の金をもつというような機会もめったになかった。妻はそれで結構家を楽しくするだけの何か気分的なものをもっていて、計算の頭脳もない代りに、彼女なりの趣味性ですべての設計を作って行った。教養があるのでもなく、本質的な理解もないながらに、彼の仕事や気分が呑(の)みこめるだけの勘はあったので、彼は仕事場の身のまわりまで委(まか)せきりで、手紙一本の置場すら決まっていた。彼女の手にかかると、毎日の漬(つ)けものの色にも水々した生彩があり、肴(さかな)や野菜ものの目利きにも卒(そつ)がなかった。庸三が小さい時分食べて来た田舎(いなか)の食べ物のことなどを話すと、すぐそれが工夫されて、間もなく食膳(しょくぜん)に上るのだった。それで彼は何かというと外で飯を喰(く)うようなこともなかったし、小使の必要もなかったわけだが、長い下宿生活の慣習も染(し)みこんでいたので、そこらの善良な家庭人のような工合(ぐあい)には行かなかった。育って来た環境も環境だったが、彼には何か無節制な怠けものの血が流れているらしく、そうした家庭生活の息苦しさも感じないわけに行かなかった。彼なりの小さい世俗的な家庭の幸福がまた彼の文学的野心にも影響しないわけに行かなかった。とかく庸三は茶の間の人でありがちであった。書斎にいる時も、客に接している時も、大抵の場合彼女もそこにあった。それに彼は多勢(おおぜい)の子供の世話をしてくれる妻の心を痛めるようなことは、絶対にできなかった。今庸三は孤独の寂しさ不便さとともに、自分の金を懐ろにし自分の時間と世界をもつことができた。狭い楽しい囹圄(れいご)から広い寂しい世間への解放され、感傷の重荷を一身に背負うと同時に、自身の生活に立ち還(かえ)ることもできた。 その日も出癖のついた庸三は、ふらふらと家を出て、通りで自動車を拾ったが、憂鬱な葉子の病室を見舞う気もしなかったので、自然足は川ぞいの家へと向いた。何といっても家が広くなっていただけに気分の悪いはずもなかったが、出来あがってみると、どこもかしこもやってつけの仕事のあらが目について、どこから狩り立てて来たかも知れない田舎大工の無細工さが気になった。それに工事中ろくろく家財や書物の整理もできなくて、裏の家へ積み込んであったので、紛失したものも少なくなかった。近所の路次うちの悪太郎どもが、古板塀(いたべい)を破って庭から闖入(ちんにゅう)し、手当たり次第持ち出して行ったらしい形跡が、板塀の破れ目から縁側まで落ち散っている雑書や何かを見ても解(わか)ったが、昔ものの手堅い古建具、古畳、建築の余材、そんなものもいつの間にか亡くなってしまった。有るはずのものが見えないのに気がついて、いくら捜しても見つからないようなことも何か寂しい思いであった。好い女中がいなくて勝手元の滅茶々々(めちゃめちゃ)になったことも、庸三の神経を苛立(いらだ)たせた。お鈴という古くからいる、童蒙(どうもう)な顔の体のずんぐりした小女の、ちょくちょく物を持ち出して行くのにも困ったが、むやみといりもしないものを買いこむのが好きな新参のお光にも呆(あき)れた。お鈴は強情で、みすみすこの小女のせいだとわかっていてもなかなか白状しなかったが、わがままなお光は何かといえばお暇を下さいと脹(ふく)れるのであった。      十三 そのころには川沿いの家も大分賑(にぎ)わっていた。この商売にしては一風かわったマダム小夜子のサアビスぶりに、集まって来るのはことごとく文学者、画家、記者といったようなインテリ階級の人たちばかりであった。客種は開業当時と全然一変していた。しかしその間にも、たまには彼女のクルベー以前、お座敷へ出ていた時分の客も少しはあるものらしく、暮には何か裏までぼかし模様のあるすばらしい春着などを作って、※嫋(じょうじょう)と裾(すそ)を引きながら、べろべろに酔って庸三の部屋に現われることもあった。多分それは株屋か問屋筋(とんやすじ)の旦那(だんな)か、芳町(よしちょう)に芸者屋をしていたころの引っかかりとしか思えなかったが、小夜子はそういうことについては、一切口を割らなかった。彼女は七年間の独逸(ドイツ)貴族との同棲(どうせい)のあいだに、あまり身に染まなかった花柳気分からだんだん脱けて、町の商人にも気分が合わなくなっていた。今ごろ髪を七三などに結って、下卑(げび)た笑談口(じょうだんぐち)などきいて反(そ)っくりかえっているそこらのお神なぞも、鼻持ちのならないものであった。今では雑誌や新聞のうえで、遠いところにのみ眺めていた文壇の人たちと膝(ひざ)を附き合わせて、猪口(ちょく)の遣(や)り取りしたり花を引いたりして、気取りも打算もない彼らと友達附き合いのできるのも面白かったし、地位や名前のある婦人たちの遊びに来るのも、感じがよかった。 庸三は十一月ごろ一度葉子をここへつれて来たことがあった。葉子が結婚生活の破局以来、今は遠くなってしまったあの画家との恋愛の初め、一夜を過ごしたことのある水辺の家のことを、折にふれて口へ出すので、それより大分川下になっている小夜子の家を見せがてら、彼女を紹介しようと思ったのであった。それは震災後山の手へ引っ越していたある料亭(りょうてい)である晩二人で飯を喰(く)っての帰りに、興味的に庸三が言い出したのであった。彼は生活負担の多い老年の自分と若い葉子との、こうした関係が永く続く場合を考えてみて、目が晦(くら)むような感じだったが、いつかは彼女を見失ってしまうであろう時のことを考えるのも憂鬱(ゆううつ)であった。もう今では――あるいは最初から小夜子が自分のものになろうとは思えなかったし、そうする時の、いつも高い相場のついていた商売人(くろうと)あがりの彼女が、自分に背負(しょ)いきれるはずもないことも解(わか)っていながら、何かそういったものを頭脳(あたま)のなかに描いていないことには、葉子が遠く飛び去った時の、心のやり場がなかろうと、そうした気持も潜んでいたらしいのであったが、葉子を連れて行ったのは、ほんのその場の思い附きでしかなかった。大分前に小夜子と今一人小夜子の古い友達と三人で下の八畳で話しこんでいた時、葉子から電話がかかって来て、庸三はちょうど来たばかりのところだったので、電話へ出るのも気が進まなかった。このころ葉子の家は少し離れたところにあって、彼女は新調のジョゼットのワンピイスを着て、長女の瑠美子とよく外へ出たものであった。瑠美子のために、庸三が邪魔になることもしばしばであった。ある時などは、婦人文芸雑誌の編輯(へんしゅう)をしているF――氏の前で、はしなく二人の雰囲気(ふんいき)が険しくなり、庸三は帰って行くF――氏と一緒に玄関を降りぎわに烈しい言葉で彼女を罵(ののし)ったのだったが、そうして別れた後で、彼はやはり独りで苦しまなければならなかった。 その時も庸三の気持は、ちょっと葉子から遠くなっていた。彼は家政婦に出てもいいと言っているとかいう、小夜子の友達の一人の女の写真などを見ていた。家政婦といっても、双方よければ、それ以上に進んでもかまわないという意味も含まれているらしかった。「写真より綺麗(きれい)ですよ。私の姉の田舎(いなか)で家柄もいいんです。いい家(うち)へ片づいていたんですけれど、御主人が商売に失敗して、家が離散してしまったんですの。」 小夜子は言っていたが、その女はしかし庸三の好みの型ではなかった。 そこへ葉子から電話がかかったのだったが、庸三は急いで帰る気もしなかった。「先生があまり葉子さんに甘いからいけないのよ。うっちゃっときなさいよ。」 側にいた小夜子の別の友達が言うと、「帰ってあげなさいよ。」 と小夜子は言うのであった。庸三はやがて小夜子の友達の女と一緒に乗って、白木の辺で彼女をおろして、葉子のところへ帰った。友達の女は、車のなかで鉛筆でノオトの片端に所と名前とを書いて、どうぞお遊びにと言って手渡した。「ちょっといいから行ってみない?」 二人は食事をしまって、梨子(なし)を剥(む)いていた。「行ってもいいけれど……行きましょう、水を見に。」 葉子は外(そ)らさず言ったが、真実(ほんとう)は気が進まなかった。「何だかいやだな、そういう人。」 自動車に乗ってから、彼女は神経質になった。「家を見るだけさ。」「それならいいけれど。」 通された下座敷で、葉子は窓ぎわに立って水を見ていたが、彼女がここへ来るのに気が差したのは、あながち今までにもある意味の好い生活をして来たらしいマダムに逢(あ)うのが憂鬱だったばかりでなかった。小夜子の門と向き合って、そこにかなり立派なコンクリートの病院のあることと、その主(あるじ)が毎夜のように、小夜子の煩(うるさ)がるのも頓着(とんちゃく)なしにそっと入り浸っていることは前にも書いた通りだが、そこが学校を出たての葉子が、音楽学校入学志望で、かつてしばらく身を寄せていた処(ところ)であったということも、葉子を躊躇(ちゅうちょ)させたものに違いなかった。 小夜子の家では、いつもと違って、サアビスぶりはあまりよくなかった。そして今上がりぎわに、ちょっと薄暗い廊下のところでちらとその姿を見かけた小夜子が、盛装して二人の前に現われるのに、大分時間がかかった。二人は照れてしまったが、葉子は部屋の空虚を充(み)たすために、力(つと)めて話をしかけた。そこへ真白に塗った小夜子が、絵羽の羽織を着て嫻(しと)やかに入って来た。そして入口のところに坐った。「梢(こずえ)さんでしょう。」 小夜子はそう言って、挨拶(あいさつ)すると、今夜は少しお寒いからと、窓の硝子戸(ガラスど)を閉めたりして、また入口の処にぴったり坐ったが、表情が硬(かた)かった。 葉子は立って行って、小夜子と脊比(せいくら)べをしたりして、親しみを示そうとしたが、いずれも気持が釈(と)かれずじまいであった。「やっぱりそうかなあ。」 庸三は後悔した。するうち小夜子を呼びに来た。客が上がって来たらしかった。「私今夜ここで書いてもいい?」 葉子は書く仕事を持っていることに、何か優越を感ずるらしく、庸三が頷(うなず)くと、じきに玄関口の電話へ出て行って、これも新調の絵羽の羽織や原稿紙などを、自動車で持って来るように、近所の下宿屋を通して女中に吩咐(いいつ)けた。 しかし間もなく錦紗(きんしゃ)の絞りの風呂敷包(ふろしきづつ)みが届いて、葉子がそのつもりで羽織を着て、独りで燥(はしゃ)ぎ気味になったところで、今夜ここで一泊したいからと女中を呼んで言い入れると、しばらくしてから、その女中がやって来て、「今夜はおあいにくさまですわ。少し立て込んでいるんですのよ。」 庸三はその素気(そっけ)なさに葉子と顔を見合わした。やがて自動車を呼んで、そこを出てしまった。「小夜子さん光一(ぴかいち)でなきゃ納まらないんだ。」 葉子は車のなかで言った。 ある夜も小夜子はひどく酒に酔っていた。 酒のうえでの話はよくわからなかったけれど、片々(きれぎれ)に口にするところから推測してみると、とっくに切れてしまったはずのクルベーが、新橋の一芸者を手懐(てなず)けたとか、遊んでいるとかいうようにも聞こえたし、寄越(よこ)すはずの金を、小夜子の掛引きでかクルベーの思い違いでか、いずれにしても彼の態度が気にくわぬので、押しかけて行って弾(はじ)き返されるのが癪(しゃく)だというように聞こえた。 クルベーはまだ十分小夜子に未練をもっていた。彼は今少し何とか景気を盛りかえすまで、麹町(こうじまち)の屋敷に止(とど)まっているように、くどく彼女に勧説(かんぜい)したのであったが、小夜子は七年間の不自然な生活も鼻についていた。クルベーのように、自分を愛してくれたものもなかったが、クルベーほど彼女のわがままを大目に見てくれたものもなかった。若い歌舞伎(かぶき)俳優と媾曳(あいびき)して夜おそく帰って来ると、彼はいつでもバルコニイへ出て、じっと待っているのだった。「貴女(あなた)浮気して来ました。いけません。」 美しい大入道のクルベーはさすがに、顔を真赤にして怒っていた。 またある時は、病気にかこつけて、温泉場の旅館で、芳町時代から、関係の断続していた情人と逢(あ)っているところへ、いきなりクルベーに来られて、男が洋服を浚(さら)って、縁から転(ころ)がり落ちるようにして庭へ逃げたあとに、時計が遺(のこ)っていたりした。しかしクルベーは小夜子を憎まなかった。目に余るようなことさえしなければ、彼の目褄(めづま)を忍んでの、少しばかりの悪戯(いたずら)は大目に見ようと思っていた。彼はその一人子息(むすこ)が、自転車で怪我(けが)をして死んでから、本国へ引き揚げる希望もなくなっていた。武器を支那(シナ)へ売りこもうとして失敗して以来、日本の軍部でも次第に独逸製品を拒むような機運が向いて来た。しかし小夜子が彼の屋敷を出たのには、切れても切れられない関係にあった、長いあいだの男の唆(そその)かしにも因(よ)るのであった。ようやくクールベから離れて来てみると、裏店(うらだな)へでも潜(くぐ)らない限り、その男とも一緒に行けないことも解(わか)って来た。 水ぎわの家(うち)を初めてからも、クルベーはそっとやって来て、この商売はやってもいいから、たまには逢うことにしようと言うのだったが、近所が煩(うる)さいし、人気商売だから、寄りついてくれても困ると言って、小夜子はぴったり断わった。――と小夜子はそういうふうに話していたが、まるきり縁が切れてしまったものとも思えなかった。 小夜子は今夜のように酔っていたこともなかったが、庸三も少し酔っていたので、何かの弾(はず)みで一緒に自動車に載せて家へつれて来た。小夜子が新らしい庸三の部屋へ入るのは、今夜に限ったことでもなかったが、葉子の留守宅の二階からすぐ見下ろされるような門を二人で入った時には、庸三も自身の気紛(きまぐ)れな行為に疑いが生じた。かつての庸三夫婦もお互いに牽制(けんせい)され合っているにすぎなかったとは言え、口を利かないものの力も、まるきり無いわけには行かなかった。 小夜子を奥へ通すと、ちょうど遊びに来ていた青年作家の一人と一緒に、長男の庸太郎も出て来て、面白そうに酔った小夜子を見ていた。小夜子は握り拳(こぶし)で紫檀(したん)の卓を叩(たた)きながら、廻らない舌で何か熱を吹いていた。「私は三十三なんだ。」 と、それだけが庸三の耳にはっきり聴(き)き取れるだけで、何をきいても他哩(たわい)がなかった。 間もなく彼女はふらふらと立ちあがった。「お前ちょっと送ってくれないか。」 庸三は子供に吩咐(いいつ)けたが、送って応接室まで出て行くと、小夜子はふと立ち停(ど)まって、誰という意識もなしに、発作的に庸三の口へ口を寄せて来た。やがて玄関へおりて行った。 四十分もすると庸太郎が帰って来た。「面白いや、あの女。」「どうした。」「番町の独逸人の屋敷へ行くというから、一緒に乗りつけてみると、ドアがぴったり締まっているんだ。いくら呼び鈴を押しても、叩いても誰も出てこないもんだから、あの人硝子戸(ガラスど)を叩き破ったのさ。出て来たのは立派な禿頭(はげあたま)の独逸人でね、暴(あば)れこもうとするのを突き出すのさ。そして僕の顔を見て、貴方(あなた)は紳士だから、この酔っぱらいを家まで連れて行ってくれ。こんなに遅く、戸を叩いたりして外聞が悪いからと言うもんだから、まあ宥(なだ)めて家まで送りとどけたんだけれど、自動車のなかで滅茶(めちゃ)苦茶にキスされちゃって……。手から血が流れるし、ハンケチで括(くく)ってやったけれど。いや、何か癪にさわったことがあるんですね。――それにしても、あの独逸人は綺麗(きれい)なお爺(じい)さんだな。」 庸三は黙って聞いていた。 ある日古い友達の山村が、ふと庸三の部屋へ現われた。作家であった山村は瀬戸物の愛翫癖(あいがんへき)があったところから、今は庸三の家からかなり離れた場所で、骨董品(こっとうひん)を並べていた。
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