仮装人物
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著者名:徳田秋声 

仮装人物徳田秋声      一 庸三(ようぞう)はその後、ふとしたことから踊り場なぞへ入ることになって、クリスマスの仮装舞踏会へも幾度か出たが、ある時のダンス・パアティの幹事から否応(いやおう)なしにサンタクロオスの仮面を被(かぶ)せられて当惑しながら、煙草(たばこ)を吸おうとして面(めん)から顎(あご)を少し出して、ふとマッチを摺(す)ると、その火が髯(ひげ)の綿毛に移って、めらめらと燃えあがったことがあった。その時も彼は、これからここに敲(たた)き出そうとする、心の皺(しわ)のなかの埃塗(ほこりまぶ)れの甘い夢や苦い汁(しる)の古滓(ふるかす)について、人知れずそのころの真面目(まじめ)くさい道化姿を想(おも)い出させられて、苦笑せずにはいられなかったくらい、扮飾(ふんしょく)され歪曲(わいきょく)された――あるいはそれが自身の真実の姿だかも知れない、どっちがどっちだかわからない自身を照れくさく思うのであった。自身が実際首を突っ込んで見て来た自分と、その事件について語ろうとするのは、何もそれが楽しい思い出になるからでもなければ、現在の彼の生活環境に差し響きをもっているわけでもないようだから、そっと抽出(ひきだ)しの隅(すみ)っこの方に押しこめておくことが望ましいのであるが、正直なところそれも何か惜しいような気もするのである。ずっと前に一度、ふと舞踏場で、庸三は彼女と逢(あ)って、一回だけトロットを踊ってみた時、「怡(たの)しくない?」と彼女は言うのであったが、何の感じもおこらなかった庸三は、そういって彼を劬(いた)わっている彼女を羨(うらや)ましく思った。彼は癒(い)えきってしまった古創(ふるきず)の痕(あと)に触わられるような、心持ち痛痒(いたがゆ)いような感じで、すっかり巷(ちまた)の女になりきってしまって、悪くぶくぶくしている彼女の体を引っ張っているのが物憂(ものう)かった。 今庸三は文字どおり胸のときめくようなある一夜を思い出した。 その時庸三は、海風の通って来る、ある郊外のコッテイジじみたホテルへ仕事をもって行こうとして、ちょうど彼女がいつも宿を取っていた近くの旅館から、最近母を亡くして寂しがっている庸三の不幸な子供達の団欒(だんらん)を賑(にぎ)わせるために、時々遊びに来ていた彼女――梢(こずえ)葉子を誘った。 庸三は松川のマダムとして初めて彼女を見た瞬間から、その幽婉(ゆうえん)な姿に何か圧倒的なものを仄(ほの)かに感じていたのではあったが、彼女がそんなに接近して来ようとは夢にも思っていなかった。松川はその時お召ぞっきのぞろりとした扮装(ふんそう)をして、古(いにし)えの絵にあるような美しい風貌(ふうぼう)の持主であったし、連れて来た女の子も、お伽噺(とぎばなし)のなかに出て来る王女のように、純白な洋服を着飾らせて、何か気高い様子をしていた。手狭な悒鬱(うっとう)しい彼の六畳の書斎にはとてもそぐわない雰囲気(ふんいき)であった。彼らは遠くからわざわざ長い小説の原稿をもって彼を訪ねて来たのであった。それは二年前の陽春の三月ごろで、庸三の庭は、ちょうどこぶし[#「こぶし」に傍点]の花の盛りで、陰鬱(いんうつ)な書斎の縁先きが匂いやかな白い花の叢(くさむら)から照りかえす陽光に、春らしい明るさを齎(もたら)せていた。 庸三は部屋の真中にある黒い卓の片隅(かたすみ)で、ぺらぺらと原稿紙をめくって行った。原稿は乱暴な字で書きなぐられてあったが、何か荒い情熱が行間に迸(ほとばし)っているのを感じた。「大変な情熱ですね。」 彼は感じたままを呟(つぶや)いて、後で読んでみることを約束した。「大したブルジョウアだな。」 彼はそのころまだ生きていて、来客にお愛相(あいそ)のよかった妻に話した。作品もどうせブルジョウア・マダムの道楽だくらいに思って、それには持前の無精も手伝い、格にはまらない文章も文字も粗雑なので、ただ飛び飛びにあっちこっち目を通しただけで、通読はしなかったが、家庭に対する叛逆(はんぎゃく)気分だけは明らかに受け取ることができた。彼は多くの他の場合と同じく、この幸福そうな若い夫婦たちのために、躊躇(ちゅうちょ)なく作品を否定してしまった。物質と愛に恵まれた夫婦の生活が、その時すでに破産の危機に瀕(ひん)していようなどとは夢にも思いつかなかった。 翌日松川が返辞をききに来た時、夫人が文学道に踏み出すことは、事によると家庭を破壊することになりはしないかという警告を与えて帰したのだったが、その時大学構内の池の畔(ほとり)で子供と一緒に、原稿の運命を気遣(きづか)っていた妻の傍(そば)へ寄って行った葉子の良人(おっと)は、彼女の自尊心を傷つけるのを虞(おそ)れて、用心ぶかく今の成行きを話したものらしかった。「葉子、お前決して失望してはいけないよ。ただあの原稿が少し奔放すぎるだけなんだよ。文章も今一と錬(ね)り錬らなくちゃあ。」 葉子は無論失望はしなかった。そしてその翌日独りで再び庸三の書斎に現われた。「あれは大急ぎで書きあげましたの。字も書生が二三人で分担して清書したのでございますのよ。いずれ書き直すつもりでおりますのよ。――あれが出ませんと土地の人たちに面目(めんぼく)がございませんの。もう立つ前に花々しく新聞に書きたててくれたくらいなものですから。」 夫人は片手を畳について、少し顔を熱(ほて)らせていた。 庸三夫婦は気もつかずにいたが、彼女はその時妊娠八カ月だった。そして一度小樽市(おたるし)へ引き返して、身軽になってから出直して来るように言っていたが、庸三も仕方なく原稿はそれまで預かることにしたのであった。 その原稿が彼女たちの運命にとって、いかに重大な役目を持ったものであるかが、その秋破産した良人や子供たちとともに上京して、田端(たばた)に世帯(しょたい)をもつことになった葉子の話で、だんだん明瞭(めいりょう)になったわけだったが、そっちこっちの人の手を巡(めぐ)って、とにかくそれがある程度の訂正を経て、世のなかへ送り出されることになったのは、それからよほど後のことであった。ある時は庸三と、庸三がつれて行って紹介した流行作家のC氏と二人で、映画会社のスタジオを訪問したり、ある時はまた震災後の山の手で、芸術家のクラブのようになっていた、そのころの尖端的(せんたんてき)な唯一のカフエへ紹介されて、集まって来る文学者や画家のあいだに、客分格の女給見習いとして、夜ごと姿を現わしたりしていたものだったが、彼女はとっくに裸になってしまって、いつも妹の派手なお召の一張羅(いっちょうら)で押し通していた。ぐたぐたした派手なそのお召姿が、時々彼の書斎に現われた。彼女夫婦の没落の過程、最近死んだ父の愛娘(まなむすめ)であった彼女の花々しかった結婚式、かつての恋なかであり、その時の媒介者であった彼女の従兄(いとこ)の代議士と母と新郎の松川と一緒に、初めて落ち着いた松川の家庭が、思いのほか見すぼらしいもので、押入を開けると、そこには隣家の灯影(ほかげ)が差していたこと、行くとすぐ、そっくり東京のデパアトで誂(あつら)えた支度(したく)が、葉子も納得のうえで質屋へ搬(はこ)ばれてしまったこと、やっと一つ整理がついたと思うと、後からまた別口の負債が出て来たりして、二日がかりで町を騒がせたその結婚が、初めから不幸だったことなどが、来るたびに彼女の口から話された。美貌(びぼう)で才気もある葉子が、どうして小樽くんだりまで行って、そんな家庭に納まらなければならなかったか。もちろん彼女が郷里で評判のよかった帝大出の秀才松川の、町へ来た時の演説と風貌に魅惑を感じたということもあったであろうが、父が望んでいたような縁につけなかったのは、多分女学生時代の彼女のロオマンスが祟(たた)りを成していたものであろうことは、ずっと後になってから、迂闊(うかつ)の庸三にもやっと頷(うなず)けた。「私たちを送って来た従兄は、一週間も小樽に遊んでいましたの。自棄(やけ)になって毎日芸者を呼んで酒浸しになっていましたの。」 彼女は涙をこぼした。「このごろの私には、いっそ芸者にでもなった方がいいと思われてなりませんの。」 戦争景気の潮がやや退(ひ)き加減の、震災の痛手に悩んでいた復興途上の東京ではあったが、まだそのころはそんなに不安の空気が漂ってはいなかった。 多勢(おおぜい)の子供に取りまかれながら、じみな家庭生活に閉じ籠(こ)もっていた庸三は、自分の畑ではどうにもならないことも解(わか)っていたし、こうした派手々々しい、若い女性のたびたびの訪問に、二人きりの話の持ちきれないことや、襖(ふすま)一重の茶の間にいる妻の加世子(かよこ)にもきまりの悪いような気がするので、少し金まわりの好い文壇の花形を訪問してみてはどうかと、葉子に勧めたこともあった。葉子もそれを悦(よろこ)んだ。そしてだんだん渡りをつけて行ったが、それかと言って、何のこだわりもなく社交界を泳ぎまわるというほどでもなかった。「……それにこれと思うような人は、みんな奥さん持ちですわ。」 そこで彼女は異性を択(えら)ぶのに、便利な立場にある花柳界の女たちを羨(うらや)ましく思ったわけだったが、彼によって紹介された山の手のカフエへ現われるようになってから、彼女の気分もいくらか晴々して来た。 持越しの長篇が、松川の同窓であった、ある大新聞の経済記者などの手によって、文章を修正され、一二の出版書肆(しょし)へまわされた果てに、庸三のところへ出入りしている、若い劇作家であり、出版屋であった一色(いっしき)によって本になったのも、ちょうどそのころであった。ある晩偶然に一色と葉子が彼の書斎で、初めて顔を合わした。一色はにわかに妻を失って途方にくれている庸三のところへ、葬儀の費用として、大枚の札束を懐(ふとこ)ろにして来て、「どうぞこれをおつかいなすって」と事もなげな調子で、そっと襖(ふすま)の蔭(かげ)で手渡しするようなふうの男だったので、たちどころに数十万円の資産を亡くしてしまったくらいなので、庸三がどうかと思いながら葉子の原稿の話をすると、言い出した彼が危ぶんでいるにもかかわらず、二つ返辞で即座に引き受けたものだった。「拝見したうえ何とかしましょう。さっそく原稿をよこして下さい。」 ちょうど卓を囲んで、庸三夫婦と一色と葉子とが、顔を突きあわせている時であったが、間もなく一色と葉子が一緒に暇(いとま)を告げた。「あの二人はどうかなりそうだね。」「かも知れませんね。」 後で庸三はそんな気がして、加世子と話したのであったが、そのころ葉子はすでに良人(おっと)や子供と別れ田端の家を引き払って、牛込(うしごめ)で素人家(しろうとや)の二階に間借りすることになっていた。美容術を教わりに来ていた彼女の妹も、彼女たちの兄が学生時代に世話になっていたというその家に同棲(どうせい)していた。葉子は一色の来ない時々、相変らずそこからカフエに通っているものらしかったが、それが一色の気に入らず、どうかすると妹が彼女を迎いに行ったりしたものだが、浮気な彼女の目には、いつもそこに集まって陽気に燥(はしゃ)いでいる芸術家仲間の雰囲気(ふんいき)も、棄(す)てがたいものであった。 庸三は耳にするばかりで、彼女のいるあいだ一度もそのカフエを訪ねたことがなかった。それに連中の間を泳ぎまわっている葉子の噂(うわさ)もあまり香(かん)ばしいものではなかった。 加世子の訃音(ふいん)を受け取った葉子が、半年の余も閉じ籠(こ)もっていた海岸の家を出て、東京へ出て来たのは、加世子の葬式がすんで間もないほどのことであった。 加世子はその一月の二日に脳溢血(のういっけつ)で斃(たお)れたのだったが、その前の年の秋に、一度、健康そうに肥(ふと)った葉子が久しぶりにひょっこり姿を現わした。彼女は一色とそうした恋愛関係をつづけている間に、彼を振り切って、とかく多くの若い女性の憧(あこが)れの的であった、画家の山路草葉(やまじそうよう)のもとに走った。そして一緒に美しい海のほとりにある葉子の故郷の家を訪れてから、東京の郊外にある草葉の新らしい住宅で、たちまち結婚生活に入ったのだった。この結婚は、好感にしろ悪感にしろ、とにかく今まで彼女の容姿に魅惑を感じていた人たちにも、微笑(ほほえ)ましく頷(うなず)けることだったに違いなかった。 葉子は江戸ッ児(こ)肌(はだ)の一色をも好いていたのだったが、芸術と名声に特殊の魅力を感じていた文学少女型の彼女のことなので、到頭出版されることになった処女作の装釘(そうてい)を頼んだのが機縁で、その作品に共鳴した山路の手紙を受け取ると、たちどころに吸いつけられてしまった。これこそ自分がかねがね捜していた相手だという気がした。そしてそうなると、我慢性のない娘が好きな人形を見つけたように、それを手にしないと承知できなかった。自分のような女性だったら、十分彼を怡(たの)しませるに違いないという、自身の美貌(びぼう)への幻影が常に彼女の浮気心を煽(あお)りたてた。 ある夜も葉子は、山路と一緒に大川畔(ばた)のある意気造りの家の二階の静かな小間で、夜更(よふ)けの櫓(ろ)の音を聴(き)きながら、芸術や恋愛の話に耽(ふけ)っていた。故郷の彼女の家の後ろにも、海へ注ぐ川の流れがあって、水が何となく懐かしかった。葉子は幼少のころ、澄んだその流れの底に、あまり遠く押し流されないように紐(ひも)で体を岸の杭(くい)に結わえつけた祖母の死体を見た時の話をしたりした。年を取っても身だしなみを忘れなかった祖母が、生きるのに物憂(ものう)くなっていつも死に憧れていた気持をも、彼女一流の神秘めいた詞(ことば)で話していた。庸三の子供が葉子を形容したように彼女は鳥海山(ちょうかいさん)の谿間(たにま)に生えた一もとの白百合(しらゆり)が、どうかしたはずみに、材木か何かのなかに紛れこんで、都会へ持って来られたように、自然の生息(いぶき)そのままの姿態でそれがひとしお都会では幽婉(ゆうえん)に見えるのだったが、それだけまた葉子は都会離れしているのだった。 山路と二人でそうしている時に、表の方でにわかに自動車の爆音がひびいたと思うと、ややあって誰か上がって来る気勢(けはい)がして妹の声が廊下から彼女を呼んだ。――葉子はそっと部屋を出た。妹は真蒼(まっさお)になっていた。一色が来て、凄(すさ)まじい剣幕で、葉子のことを怒っているというのだった。 葉子は困惑した。「そうお。じゃあ私が行って話をつける。」「うっかり行けないわ。姉さんが殺されるかも知れないことよ。」 そんな破滅になっても、葉子は一色と別れきりになろうと思っていなかった。たとい山路の家庭へ入るにしても、一色のようなパトロン格の愛人を、見失ってはいけないのであった。 葉子が妹と一緒に宿へ帰って来るのを見ると、部屋の入口で一色がいきなり飛びついて来た。――しばらく二人は離れなかった。やがて二人は差向いになった。一色は色がかわっていた。女から女へと移って行く山路の過去と現在を非難して、涙を流して熱心に彼女を阻止しようとした。葉子も黙ってはいなかった。優しい言葉で宥(なだ)め慰めると同時に、妻のある一色への不満を訴えた。しゃべりだすと油紙に火がついたように、べらべらと止め度もなく田舎訛(いなかなまり)の能弁が薄い唇(くちびる)を衝(つ)いて迸(ほとば)しるのだった。終(しま)いに彼女は哀願した。「ねえ、わかってくれるでしょう。私貴方(あなた)を愛しているのよ。私いつでも貴方のものなのよ。でも田舎の人の口というものは、それは煩(うるさ)いものなのよ。私のことはいいにつけ悪いにつけすぐ問題になるのよ。母や兄をよくするためにも、山路さんと結婚しておく必要があるのよ。ほんとに私を愛してくれているのなら、そのくらいのこと許してよ。」 一色は顔負けしてしまった。 ちょうどそのころ、久しぶりで庸三の書斎へ彼女が現れた。彼女は小ざっぱりした銘仙(めいせん)の袷(あわせ)を着て、髪も無造作な引詰めの洋髪であった。「先生、私、山路と結婚しようと思いますのよ。いけません?」 葉子はいつにない引き締まった表情で、彼の顔色を窺(うかが)った。「山路君とね。」 庸三は少し難色を浮かべた。淡い嫉妬(しっと)に似た感情の現われだったことは否めなかった。「あまり感心しない相手だけれど……。」「そうでしょうか。でも、もう結婚してしまいましたの。」「じゃあいいじゃないか。」「山路が先生にお逢(あ)いしたいと言っておりますのよ。」「一緒に来たんですか。」「万藤の喫茶店におりますの。もしよかったら先生もお茶を召し食(あが)りに、お出(い)でになって下さいません?」 庸三は日和下駄(ひよりげた)を突っかけて門を出たが、祝福の意味で二人を劇場近くにある鳥料理へ案内した。しかし二人の結婚が決裂するのに三月とはかからなかった。庸三はその夏築地(つきじ)小劇場で二人に出逢った。額に前髪のかぶさった彼女の顔も窶(やつ)れていたし、無造作な浴衣(ゆかた)の着流しでもあったので、すぐには気がつかなかった。しかし廊下で彼に微笑(ほほえ)みかけるようにしている彼女の顔が、何か際(きわ)どく目に立たない嬌羞(きょうしゅう)を帯びていて、どこかで見たことのある人のように思えてならなかった。――やがて三人でお茶を呑(の)むことになったのだったが、葉子のこのごろが、生活と愛に痛めつけられているものだということは、想像できなくはなかった。 ある日庸三が、鎌倉(かまくら)の友人を訪問して来ると、その留守に珍らしく葉子がやって来たことを知った。「何ですか大変困っているようでしたよ。山路さんとのなかが巧く行かないような口振りでしたよ。ぜひ逢ってお話ししたいと言って……。後でもう一度来るといっていましたから、来たらよく聴(き)いておあげなさいよ。」 加世子は言っていたが、しかしそれきりだった。 庸三はその後一二度田舎から感傷的な彼女の手紙も受け取ったが、忘れるともなしにいつか忘れた時分にひょっこり彼女がやって来た。 葉子は潮風に色もやや赭(あか)くなって、大々(だいだい)しく肥(ふと)っていた。彼女は最近二人の男から結婚の申込みを受けていることを告げて、その人たちの生活や人柄について、詳しく説明した後、そうした相手のどっちか一人を択(えら)んで田舎に落ち着いたものか、もう一度上京して創作生活に入ったものかと彼に判断を求めた。「あんたのような人は、田舎に落ち着いているに限ると思うな。ふらふら出て来てみたところでどうせいいことはないに決まっているんだから。田舎で結婚なさい。」 瞬間葉子は肩を聳(そび)やかせて言い切った。「いや、私は誰とも結婚なんかしようとは思いません。私はいつも独りでいたいと思っています。」 そういう葉子の言葉には、何か鬱勃(うつぼつ)とした田舎ものの気概と情熱が籠(こ)もっていた。そして話しているうちに何か新たに真実の彼女を発見したようにも思ったが、ちょっと口には出せない慾求も汲(く)めないことはなかった。 彼は後刻近くの彼女の宿を訪ねることを約束して別れたのであったが、晩餐(ばんさん)の支度(したく)をして待っていた葉子は、彼の来ないのに失望して、間もなく田舎へ帰って行った。 一色と彼女のあいだに、その後も手紙の往復のあったことは無論で、月々一色から小遣(こづかい)の仕送りのあったことも考えられないことではなかった。 加世子の死んだ知らせに接してにわかに上京した葉子は、前にいた宿に落ち着いてから、電話で一色を呼び寄せた。そして二人打ち連れて庸三の家を訪れた。その時から彼女の姿が、しきりに彼の寂しい書斎に現われるようになったのだったが、庸三も親しくしている青年たちと一緒に、散歩の帰りがけにある暮方初めて彼女の部屋を訪れてみた。十畳ばかりのその部屋には、彼の侘(わび)しい部屋とは似ても似つかぬ、何か憂鬱(ゆううつ)な媚(なま)めかしさの雰囲気(ふんいき)がそこはかとなく漾(ただよ)っていた。      二 葉子は何か意気な縞柄(しまがら)のお召の中古(ちゅうぶる)の羽織に、鈍い青緑と黝(くろ)い紫との鱗形(うろこがた)の銘仙の不断着で、いつもりゅうッ[#「りゅうッ」に傍点]とした身装(みなり)を崩さない、いなせ[#「いなせ」に傍点]なオールバック頭の、大抵ロイド眼鏡をかけている一色と一緒に、寂しい夜の書斎に独りぽつねんとしている庸三をよく訪れたものだったが、そのころにはいつまでも床の前に飾ってあった亡妻の位牌(いはい)も仏壇に納められて、一時衰弱していた躯(からだ)もいくらかよくなっていた。妻の突然の死で、彼は凭(もた)れていた柱が不意に倒れたような感じだった。加世子は自分が生き残るつもりで庸三の死んだ後のことばかり心配していたのだったが、庸三も健康に自信がもてないので、大体そのつもりでいたが、無計画に初まったこの家庭生活はどこまでも無成算で、不安な心と心とが寄り合ってどうにかその日その日を生きていたものであった。最近少し余裕が出来たので、音楽好きの子供にねだられて、やっとセロを一梃(ちょう)買ってやった妻に、彼はあまり好い顔をしなかった。ラブレタアが投函(とうかん)されていたことを、何かのおりに感づいて、背広を着て銀座の喫茶店へなぞも入るらしい子供がいつの間にか父に叛逆的(はんぎゃくてき)な態度を示すのに神経を痛めている折なので彼はむき[#「むき」に傍点]になった。しかし加世子は怒りっぽい庸三を、子供に直面させることを怖(おそ)れて、いつも庸三を抑制した。今は父子のあいだの緩衝地帯も撤廃されたわけだった。日蔭もののように暮らして来た庸三の視界がにわかに開けていた。風呂(ふろ)へ入るとか、食膳(しょくぜん)に向かうとかいう場合に、どこにも妻の声も聞こえず、姿も見えないので、彼はふと片手が※(も)げたような心細さを感ずるのだったが、一方また思いがけなく若い時分の自由を取り戻したような気持にもなれた。彼は再婚を堅く否定していたので、さっそく何か世話しようと気を揉(も)んでいる人の友情に、何の感じも起こらなかったが見知らぬ世間の女性を心ひそかに物色してもいた。女性の前に今まで膝(ひざ)も崩さなかった儀容と隔心とが、自然に撤廃されそうであった。 葉子は下宿へ逢(あ)いに来る一色と対(つい)で二三度庸三の書斎に姿を現わしたが、ある晩到頭一人でやって来て机の前にいる彼に近づいた。「私先生のところへ来て、家事のお助(す)けしたいと思うんですけどどう?」 葉子は無造作に切り出した。庸三はその言葉が本当には耳へ入らなかった。「あんたに家庭がやれますか。」「私家庭が大好きなんですの。」「それあ刺繍(ししゅう)や編物はお得意だろうが、僕の家庭と来たら…………。」「あら、そんな! 私台所だってお料理だってできますの。子供さんのお相手だって。」「そうかしら。」 葉子は少し乗り出した。「先生の今までの御家庭の型や何かは、そっくりそのまま少しも崩さずに、先生や子供さんのために、一生懸命働いてみたいんですのよ。それで先生の生きておいでになる間、お側にお仕えして、お亡くなりになったら、その時は子供さんたちの御迷惑にならないように、潔(いさぎよ)く身を退(ひ)きます。」「貴女(あなた)はどうするんですか。」「私ですの? 私母からもらう財産がいくらかございますの。先生のお宅にいることになれば、着物や何かも仕送ってくれますの。今度来る時、母にもその話をしましたの。無論母も同意ですの。」「さあ。何しろ僕は家内が死んで間もないことだし、ゆっくり考えてみましょう。そう軽率に決めるべきことでもないんですから。」 庸三も彼女も固くなってしまったところで、葉子を照れさせないために彼は蓄音機を聴(き)きに、裏にある子供の家へ案内した。地続きにあるその古家(ふるや)は、二つに仕切って一方には震災のとき避難して来て、そのままになっている弁護士T氏の家族が住まい、三間ばかりの一方に庸三の上の子供たちが寝起きしていた。庭を横截(よこぎ)って二人で上がって行くと、書棚(しょだな)や椅子(いす)や額や、雑書雑誌などの雑然と積み重ねられたなかで、子供の庸太郎が、喫茶台の上と下に積んであるレコオドのなかから、彼女に向きそうなチャイコフスキイのアンダンテカンタビレイをかけてくれた。音楽のわからない父にも、それがエルマンの絃(げん)であることくらい解(わか)ることは庸太郎も知っていた。葉子は足を崩し細長い片手を畳みに突いて、しめやかな旋律を聴いていたが、庸三はこういう場合いつも庸太郎を仲間に引き入れる癖をもっていた。次ぎにファラアのジュエルソング――それからシュウマンハインクのウェルケニヒというふうに択(えら)んだのであったが、庸三は庸太郎に恥ずかしいような気がしていたし、庸太郎は庸太郎で夜なかに葉子と二人で来た父に何の意味があるかも解らなかったし、葉子も若いもの同志親しい口を利きたいような気持を、妙に堅苦しい庸三の態度に気兼ねして、わざと慎しみぶかくしているので、あたかも三竦(さんすく)みといった形で照れてしまった。間もなく書斎へ引き揚げた。庸三は一枚あけて行った雨戸を締めながら、暗い空を覗(のぞ)いていたが、「静かな晩ですね。もう帰ってお寝(やす)みなさい。」「遅くまでお邪魔しまして。では先生もお寝みなさい。」 葉子はそう言って帰って行ったが、庸三は後で何だか好い気持がしなかった。自身が醜いせいか、男女に限らずとかく美貌(びぼう)に憧(あこが)れがちな彼なので、初めて松川と一対でやって来た時のブルジョア夫人らしい葉子や、小劇場で見た時の浴衣(ゆかた)がけの窶(やつ)れた彼女の姿――特にも頬(ほお)のあたりの媚(なま)めかしい肉の渦(うず)など、印象は深かったが、彼女の過去と現在、それに二人の年齢の間隔なぞを考えると、直ちに今夜の彼女を受け容(い)れる気にもなれなかった。 多分葉子に逢っての帰りであろう、翌日一色がふらりとやって来た。庸三は少し中っ腹で昨夜の葉子を非難した。「山路草葉から僕んとこへまで渡り歩こうという女なんだ。あれが止(や)まなくちゃ文学なんかやったって所詮(しょせん)駄目だぜ。」「そいつあ困るな。実際悪い癖ですよ。いや、僕からよく言っときましょう。」 一色は自分が叱(しか)られでもしたように、あたふたと帰って行った。 それよりも庸三は、寂しい美しさの三須藤子(みすふじこ)を近づけてみたいような気がしていた。三須は庸三のところへ出入りしていた若い文学者の良人(おっと)と死に訣(わか)れてから、世に出るに至らなかった愛人の志を継ぎたさに、長い間庸三に作品を見てもらっていた。男でも女でも、訪問客と庸三との間を、どうにかこうにか繋(つな)いで行くのは、妻の加世子であった。時とすると目障(めざわ)りでもあったが、しかし加世子がいなかったら、神経の疲れがちな庸三は、ぎごちないその態度で、どんなに客を気窮(きづま)らせたか知れなかった。三須の場合も、お愛相(あいそ)をするのは加世子であった。藤子は入口の襖(ふすま)に、いつも吸いついたように坐っていた。このごろ庸三は彼女に少し寛(くつろ)ぎを見せるようになったが、夭折(ようせつ)した彼女の良人三須春洋の幻が、いつも庸三の目にちらついた。その上彼女は同じ肺病同志が結婚したので、痰(たん)が胸にごろごろしていた。片身(かたみ)の子供もすでに大きくなっていた。彼女は加世子の生きていたころも今も、同じ距離を庸三との間に置いていた。 それともう一人まるきり未知の女性ではあったが、モデルとしてあまりにも多様の恋愛事件と生活の変化を持っているところから、裏の弁護士に紹介されて、そのころまだ床の前にあった加世子の位牌(いはい)に線香をあげに来て、三人で彼女の芝の家までドライブして、晩飯を御馳走(ごちそう)になって以来、何か心のどこかに引(ひ)っ繋(かか)りをもつようになった狭山小夜子(さやまさよこ)も、そのままに見失いたくはなかった。彼女は七年間同棲(どうせい)していた独逸(ドイツ)のある貴族の屋敷を出て、最近芝に世帯(しょたい)をもって何を初めようかと思案していた。 庸三は毛のもじゃもじゃした細い腕、指に光っている素晴らしいダイヤ、大きな珊瑚(さんご)、真珠など、こてこて箝(は)めた指環、だらしなく締めた派手な帯揚げの中から覗(のぞ)いている、長い火箸(ひばし)のような金庫の二本の鍵(かぎ)、男持の大振りな蟇口(がまぐち)――しかし飯を食べながら話していると、次第に昔、左褄(ひだりづま)を取っていたらしい面影も浮かんで来て、何とも不思議な存在であることに気がついたのであった。彼女は庸三の年齢や家庭の事情などを訊(き)いたが、自身では「そうですね、いろんなこともありましたけれど、とにかくライオンが初めて出来た時、募集に応じて女給になったのが振出しですね」と目を天井へやったきり、何も話さなかった。 田舎(いなか)ものの庸三はいつかそこで、人を新橋駅に見送った帰りに、妻や子供や親類の暁星(ぎょうせい)の先生などと一緒に、白と桃色のシャベットを食べて、何円か取られて驚いた覚えのある初期のライオンを思い出した。「あれ三十五くらいでしょう。今五百円のペトロンがつきかけてるそうですが、多分蹴(け)るでしょう。」 帰る途中弁護士は話していた。 庸三はあッとなったものだが、材料払底の折だったので、健康がやや恢復(かいふく)したところで、もう一度同行するように弁護士に当たってみた。しかし何か金銭問題の引っかかりでもあるらしく、「先生一人の方がええですよ」と、彼は辞した。――それきりになっていた。 一日おいて葉子が書斎に現われた。彼女は不意に母に死なれて、手を延ばしてくれさえすれば誰にでも寄りついて行く、やっと九つになったばかりの、庸三の末の娘の咲子(さきこ)を膝(ひざ)にしていた。咲子はいつとなし手触りの好い葉子に懐(なつ)いていた。葉子はぽたぽた涙を落としながら、自分に誠意があってのことだと訴え、一色から報告された庸三の非難の言葉に怨(うら)みを述べ立てた。泣き落しという手のあることも知らないわけではなかったけれど、やっと二十六やそこいらの、お嬢さん育ちの女をそういうふうに見ることも、彼の趣味ではなかった。醜い涙顔に冷やかな目を背向(そむ)けるとは反対に、彼は瞬間葉子を見直した。彼女は一色に小ッぴどくやっつけられて、出直して来たものらしかったが、何か擽(くすぐ)ったいようなその言葉も、大して彼の耳には立たなかった。「時々来て家を見てくれるくらいは結構です。それ以外のことはいずれゆっくり考えましょう。」 茶の間で子供たちとしばらく遊んでから、葉子は帰って行った。      三 郊外のホテルのある一夜――その物狂わしい場面を思い出す前に、庸三はある日映画好きの彼女に誘われて、ちょうどその日は雨あがりだったので、高下駄(たかげた)を穿(は)いて浅草へ行く時、電車通りまでの間を、背の高い彼女と並んで歩くのも気がひけて「僕は自動車には乗りませんから」と断わって電車に乗ってからも、葉子が釣革(つりかわ)に垂れ下がりながら先生々々と口癖のように言って何かと話しかけるのに辟易(へきえき)したことだの、映画を見ているあいだ、そっと外套(がいとう)の袖(そで)の下をくぐって来る彼女の手に触れたときの狼狽(ろうばい)だの、ある日ふらりと彼女の部屋を訪ねると、真中に延びた寝床のなかに、熱っぽい顔をした彼女がいて、少し離れて坐った庸三が、今にも起き出すかと待っていると、彼女は赤い毛の肌着だけで、起きるにも起きられないことがやっと解(わか)って照れているうちに、畳のうえに延べられた手に顔をもって行くと、彼女は微声(こごえ)で耳元に「行くところまで……」とか何とか言ったのであったが、彼はそういうふうにして悪戯(いたずら)半分に彼女に触れたくはなかったこと、一夜彼女が自分が果して世間でいうような悪い女かどうかの判断を求めるために、初めから不幸であった結婚生活の破滅に陥った事情や、実家からさえも見放されるようになった経緯(いきさつ)、それに最近の草葉との結婚の失敗などについて、哀訴的に話しながら、止め度もなく嗚咽(すすりな)いた後で、英国のある老政治家と少女との恋のロオマンスについて彼女特得の薔薇色(ばらいろ)の感傷と熱情とで、あたかもぽっと出の田舎ものの老爺に、若い娘がレヴュウをでも案内するようなあんばいで、長々と説明して聴(き)かしたことなどが思い合わされるのであったが、ある日の午後彼はふと原稿紙やペンやインキを折鞄(おりかばん)につめて、差し当たっての仕事を片着けるために、郊外のそのホテルへ出ようとして、ちょうど遊びに来ていた葉子を誘ってしまったのであった。「ほんと? いいんですの?」葉子は念を押した。 そしてそうなると、彼は引き返すことができなかった。支度(したく)しに宿へ帰った彼女に約束した時間どおりに、定めのプラットホオムへ行ってみると、葉子の姿が見えないので、彼は淡い失望を感じながらしばらく待ってみた。十分ばかり経(た)った。彼は外へ出て公衆電話をかけてみた。女中が出て来たが、葉子を出すように頼むと、三四分たってからようやくのことで彼女が出て来た。いつでも私が入用な時にと言い言いした彼女の意味と思い合わせて、今の場合事によると一色がやって来でもしたのか、それとも薬が利きすぎたのに恐れを抱(いだ)いて当惑しているのか、いずれにしてもそこは庸三に思案の余地が十分あるはずなのに、仮装の登場人物はすでに引込みがつかなかった。間もなく新調の外套(がいとう)を着た葉子がせかせかとプラットホオムへ降りて来た。「すみません。随分お待ちになったでしょう。」 彼女は電話のかかった時、あいにくトイレットにいたのだと弁解したのだったが、そこへがら空(あ)きの電車が入って来たので、急いで飛び乗った。 電車をおりると、駅から自動車で町の高台のあるコッテイジ風のホテルへ着いたが、部屋があるかないかを聞いている庸三が、合図をするまで出て来なかったことも、ちょっと気がかりであったが、洋館の長い廊下を右に折れて少し行くと、そこから石段をおりて、暗い庭の飛石伝いに、ボオイの案内で縁側から日本間へ上がって、やっと落ち着いたのは、二階の八畳であった。寒さを恐れる彼に、ボオイは電気ヒイタアのスウィッチを捻(ひね)ってくれた。そして風呂(ふろ)で温まってから、大きな紫檀(したん)の卓に向かって、一杯だけ取った葡萄酒(ぶどうしゅ)のコップに唇(くちびる)をつけるころには、葉子の顔も次第に幸福そうに輝いて、鉄道の敷けない前、廻船問屋(かいせんどんや)で栄えていた故郷の家の屋造りや、庸三の故郷を聯想(れんそう)させるような雪のしんしんと降りつもる冬の静かな夜深(よふけ)の浪(なみ)の音や、世界の果てかとおもう北の荒海に、幻のような灰色の鴎(かもめ)が飛んで、暗鬱(あんうつ)な空に日の目を見ない長い冬のあいだの楽しい炬燵(こたつ)の団欒(だんらん)や――ちょっとした部屋の模様や庭のたたずまいにも、何か神秘めいた陰影を塗り立てて、そんなことを話すのであった。 夜が更(ふ)けて来た。やがて障子がしらしらと白むころに、二人は腐ったように熟睡に陥(お)ちた。 時雨(しぐ)らんだような薄暗さのなかに、庸三は魂を噛(く)いちぎられたもののように、うっとりと火鉢(ひばち)をかかえて卓の前にいた。葉子はお昼少しすぎに床を離れて風呂へ入ると、次ぎの間の鏡台にすわって、髪や顔を直してから、ちょっと庸三の子供たちを見て来るといって、接吻(せっぷん)をも忘れずに裏木戸から幌(ほろ)がけの俥(くるま)で帰って行ったのであった。庸三は乾ききった心と衰えはてた肉体にはとても盛りきれないような青春を、今初めて感じたのだったが、そうしてぼんやり意識を失ったもののように、昨夜一夜のことを考えていると、今まで冬眠に入っていた情熱が一時に呼び覚(さ)まされて来るのを感じた――それに堪えきれない寂しさが、彼を悲痛な悶(もだ)えに追いこむのであった。――透(す)き徹(とお)るような皮膚をしたしなやかな彼女の手、赤い花片に似た薄い受け唇(くちびる)、黒ダイヤのような美しい目と長い睫毛(まつげ)、それに頬(ほお)から口元へかけての曲線の悩ましい媚(こび)、それらがすべて彼の干からびた血管に爛(ただ)れこむと同時に、若い彼女の魂がすっかり彼の心に喰(く)い入ってしまうのであった。庸三は不幸な長い自身の生涯を呪(のろ)いさえするのであった。 するうち部屋が薄暗くなって来た。電燈のスウィッチを捻(ひね)ろうとおもって、ふと目を挙げると球(たま)が紅(あか)い手巾(ハンケチ)に包まれてあった。瞬間庸三は心臓がどきりとした。やがて卓のうえに立ってそれを釈(と)いた。いつのまにそんなことをしたのか、少しも知らなかった。庸三は卓をおりてさもしそうに手巾を鼻でかいでみた。昨夜葉子はこの恋愛を、何か感激的な大したロオマンスへの彼の飛躍のように言うのだったが、そう言われても仕方がなかった。庸三は次第に彼女の帰って来るのが待遠しくなって来た。帰って来るかどうかもはっきりしなかった。彼は帰って来ないことを祈ったが、やはり苦しかった。するとその時ボオイが次の間の入口に現われて、「梢(こずえ)さんからお電話です。」「そう。」 庸三は頷(うなず)いて立ち上がった。「先生ですの。何していらっしゃる。」「君は。」「私あれからお宅へ行って、子供さんたちと童謡なんか歌ってお相手していましたの。皆さんお元気よ。」「今飯を食べようかと思っているんだけど、来ない?」「先生のお仕事のお邪魔にならないようでしたら、すぐ行きますわ。」 三十分するかしないうちに、海松房(みるぶさ)模様の絵羽の羽織を着た葉子が、廊縁(ろうべり)の籐椅子(とういす)にかけて、煙草(たばこ)をふかしている彼のすぐ目の下の庭を通って、上がって来た。行きつけの美容院へ行って、すっかりお化粧をして来たものらしく、彼女の顔の白さが薄闇(うすやみ)のなかに匂いやかに仄(ほの)めいた。 ある日も庸三は葉子の部屋にいた。そこは他の部屋と懸(か)け離れた袋地のようなところで、廊下をばたばたするスリッパの音も聞こえず、旅宿人に顔を見られないで済むような部屋だった。寺の境内の立木の蔭(かげ)になっている窓に、彼女は感じの好い窓帷(カアテン)の工夫をしたりして、そこに机や本箱を据(す)えた。その部屋で、彼女のさまざまの思い出話を聞いたり、文学の話をしていると五時ごろにお寺の太鼓が鳴り出して、夜が白々と明けて来るので、びっくりして寝床へ入ることもあった。二三年したら結婚することになっている人が一人あるにはあるが、それを今考えることはないのだと、彼女は何かの折に言ったことがあったが、庸三にはそれが誰だか解(わか)るわけもなかった。一色じゃないかと聞くと、あの人には細君のほかに、何か古くからの有閑夫人もあるからと言うのだった。「先生がそんなこと心配なさらなくともいいのよ。お気持悪ければいつでも清算することになっていますのよ。」「もしかしてここへ来たら。」「あの人決してそんなことしない人よ。」 葉子は黒繻子(くろじゅす)の襟(えり)のかかった、綿のふかふかする友禅メリンスの丹前を着て机の前に坐っていたが、文房具屋で買った一輪挿(ざ)しに、すでに早い花が生かっていて、通りの電車や人の跫音(あしおと)が何か浮き立っていた。彼女はよく庸三の家の日当りのいい端の四畳半へ入って、すっかり彼女に懐(なつ)いてしまった末の娘と遊んだものだが、一緒に風呂(ふろ)へも入って、頸(えり)を剃(そ)ってやったり、爪(つめ)を切ったりした。クリームや白粉(おしろい)なども刷(は)いてやるのだった。九つになったばかりの咲子は、母の納まっている長い棺の下へ潜(もぐ)りこんで、母を捜そうとして不思議そうに棺の底を眺めるのだったが、お母さんにはもう逢(あ)えないのだし、世間にはそういう子供さんも沢山あるのだから、もうお母さんのことを言ってはいけない。その代り貴女(あなた)には兄さんも姉さんも多勢いるのだと、庸三が一度言って聞かすとそれきりふっつり母のことは口へ出さなくなってしまった。しかしどうかするとむずかるらしく、剪刀(ナイフ)を投げられたりするから、あれは直さなければと葉子は笑いながら庸三に話すのであった。「おばちゃんの足綺麗(きれい)ね。」 風呂で彼女は葉子の足にさわりながら言うのだったが、夜は葉子に寝かしつけられて、やっと寝つくことも多かった。彼女は茶の間や納戸(なんど)に、人知れずしばしば母を捜したに違いないのであった。しかし庸三は、自分の不注意で、一夜のうちに死んでしまった長女のことを憶(おも)うと、我慢しなければならなかった。恋愛にも仕事にも、ロオマンチックにも奔放にもなれない、臆病(おくびょう)にかじかんだ彼は、子供を突き放すこともできない代りに身をもって愛するということもできなかったが、生涯のこととか教育のこととか、一貫した誠意や思慮を要する問題は別として、差し当たり日常の家庭にできた空洞(くうどう)は、どこにも捻くれたところのない葉子が一枚加わっただけでも、相当紛らされるはずであった。二十五年もの長いあいだ、同じ軌道を走りつづけていた結婚生活を、不自然にもさらに他の女性で継ぎ足して行くことの煩わしさは解っていたが、加世子の位牌(いはい)を取り片着けて間もなく、彼は檻(おり)の扉(とびら)を開けたような気もしたのであった。「さっそく困るだろ。君だって多勢(おおぜい)の子供をかかえて、仕事をしなくちゃならない。――待ちたまえ、僕にも心当りがないことはない。」 葬儀委員長であった同じ年輩の鷲尾(わしお)は言うのであった。庸三は彼が目ざしているらしいものよりか、少しは花やかな幻を、それとなく心に描いていたものだったが、それは単に描いてみたというにすぎなかった。彼は堅く結婚を否定していた。今からの結婚が経済的にも精神的にも、重い負担であるのはもちろんであった。子供だけで十分だった。 窓帷(カアテン)をひいた硝子窓(ガラスまど)のところで、瀬戸の火鉢(ひばち)に当たって小説の話をしていると、電話がかかって来て、葉子は下へおりて行った。「一色?」 部屋へ入って来た時の葉子の顔で、庸三は感づいた。「自動車を迎いによこすから、ちょっと附き合ってくれと言うんですのよ。先生さえ気持わるくなかったら、話をつけに行こうと思いますけど……。」「そうね、僕はかまわないけど。」「私悪い女?」 庸三は笑っていた。「行ってもいい? 断わった方がいいかしら。」「とにかく綺麗にしなけりゃ。」「きっとそうするわ。ではお待ちになってね。九時にはきっと帰りますから、お寝(やす)みになっていてね。きっとよ。げんまん!」 葉子はそう言って指切りをして出て行った。 庸三は壁ぎわに女中の延べさしてくれた寝床へ潜りこんだが、間もなく葉子附きの、同じ秋田生まれの少女が御免なさいと言って襖(ふすま)を開けた。庸三は少しうとうとしかけたところだったが、目をあげて見ると、彼女は青いペイパアにくるんで紐(ひも)で結わえた函(はこ)を枕元(まくらもと)へ持ち込んで来て、「梢さんが今これを先生に差し上げて下さいとおっしゃったそうで。」 庸三が包装の隙間(すきま)から覗(のぞ)いてみると、萎(しな)びた菜の花の葉先きが喰(は)みだしていて、それが走りの苺(いちご)だとわかった。――枕元においたまま、彼はまたうとうとした。いつかも彼女は田舎(いなか)へ帰る少し前に、自動車で乗りつけて、美事な西洋花の植込みを持ち込んで来たものだったが、それがだんだんすがれて行く時分に、彼は珍らしく田舎の彼女に手紙をかいた。「でも先生、あれは確かに先生のラブ・レタよ。」後に葉子に言われたものだったが、そんなこともあったにはあった。 葉子が一色と逢(あ)っている場所は、行きがけの口吻(くちぶり)でほぼ見当がついていたが、今夜帰るかどうかは解(わか)らなかった。庸三は苺にあやされて、子供が母を待つように大人(おとな)しく寝ていたが、不用意な葉子の雑誌や書物や原稿の散らかったあたりに、ある時ふと一色の手紙を発見したことがあって、いつでも忙(せわ)しなく葉子から呼出しをかけていることが解っているので、夫婦気取りの二人のなかは大抵想像できるのであった。 しかし葉子は約束の時間どおり帰って来た。「すみません。あれからずっとお寝(よ)っていらして。」「少しうとうとしたようだが……よく帰って来れたね。」 庸三は白粉剥(おしろいは)げのした彼女の顔を見ながら、「それでどうしたの。」「その話を持ち出したのよ。すると一色さん何のかのと感情が荒びて来て仕方がないものですから、私早く切り揚げようと思って、つい……。」「君風呂(ふろ)があったら入ってくれない?」「ええ、入って来るわ。」 葉子は追い立てられるように下へおりて行った。      四 ある時庸三が庭へ降りて、そろそろ青みがかって来た叡山苔(えいざんごけ)を殖(ふ)やすために、シャベルをもって砂を配合した土に、それを植えつけていると、葉子は黝(くろ)ずんだ碧(あお)と紫の鱗型(うろこがた)の銘仙(めいせん)の不断着にいつもの横縞(よこじま)の羽織を着て、大きな樹(き)一杯に咲きみちた白木蓮(もくれん)の花影で二三日にわかに明るくなった縁側にいた。葉子が松川と一緒に子供をつれて、嵩高(かさだか)な原稿を持ち込んで来たのが、ちょうどこの木蓮の花盛りだったので、彼女はその季節が来ると、それを懐かしく思い出すものらしかったが、ちょうどその時、葉子に来客があって、それが郷里の代議士秋本であるというので、庸三はシャベルを棄(す)てて、縁側へ上がって来た。郷里の素封家である秋本は、トルストイやガンジーの崇拝者で、何か文学に関する著述もあったが、もともと歌人で、数ある葉子の歌をいつでも出版できるように整理してくれたのも彼であった。葉子はちょっと擽(くすぐ)ったい顔をして「ちょっと逢って下さる?」と云(い)うので、手を洗って上がろうとすると、秋本がもう部屋へ入って来た。秋本は貴族的な立派な風貌(ふうぼう)の持主で、葉子の郷里の人が大抵そうであるように、骨格に均齊(きんせい)があり手足が若い杉(すぎ)のようにすらりとしていた。紫檀(したん)の卓のまわりに二人は向き合って坐ったが、互いに探り合うような目をして、簡単な言葉を交したきりであった。庸三は葉子の旅宿で、○や丶のついたその歌集の草稿を見せられたこともあったし、土を讃美した彼の著述をも読んだのであったが、葉子が結婚の約束をしたのが、この男であるような、ないような感じで、しかし何か優越感に似たものをもって彼と対峙(たいじ)していたのであったが、しばらくすると秋本は葉子にそこまで送られて帰って行った。ずっと後になって、秋本はそのうち郷里の財産を整理すると、子供の分だけを適度に残して、そっくりそれを東京へ持って来て、郊外に土地を買い、農園の経営を仕事とすると同時にそこに葉子と楽しい愛の巣を営もうというので、そうなると葉子にもすっかり文壇との交遊を絶ってもらいたいというのが、かねての彼の申出(もうしい)でらしかったが、葉子は文壇に乗り出す手段としてこそ、そうしたペトロンも必要だったが、そこまで附いて行けるかどうかは彼女自身にも解っていなかった。 間もなく葉子が帰って来た。「綺麗(きれい)な男じゃないか。」「そう思う?」 葉子は微笑した。 その時分彼女はまだすっかり宿を引き払っていなかったので、秋本に逢(あ)ったのは、今日が初めかどうかは解(わか)らなかったし、玄関口で二人で何か話していたことも知っていたが、晴々しい顔をして傍(そば)へ返って来た葉子を見ると、多少の陰影があるにしても、それは単に歌のことで指導を受けている間柄のようにしか見えなかった。 その時分庸三の周囲が少しざわついていた。新聞にも二人の噂(うわさ)が出ていて、時とすると匿名(とくめい)の葉書が飛びこんだり、署名して抗議を申しこんで来たものもあって、そのたびに庸三は気持を暗くしたり、神経質になったりするのだが、葉子はそろそろ耳や目に入って来るそれらの非難を遮(さえ)ぎるように、いつも彼を宥(なだ)め宥めした。家庭の雰囲気(ふんいき)が嶮(けわ)しくなって来ると、すごすご宿へ引き揚げて行くこともあったし、彼女自身が嶮悪になって、ふいと飛び出して行くこともあった。庸三は何かはらはらするような気持になることもあったが、葉子はその後で手紙を少女にもたせて、彼を宿に呼び寄せたり、興味的に追いかけて行く子供と一緒に、夜更(よふ)けの町をいつまでも歩いていることもあった。 ある日彼女はどこからか金が入ったとみえて――彼女は母からの月々の仕送りのように言っていた――何かこてこて買いものをしたついでに、美事なグラジオラスの一鉢(はち)を、通りの花屋から買って来て、庸三を顰蹙(ひんしゅく)せしめたものだが、お節句にはデパアトから幾箇(いくつ)かの人形を買って来て、子供の雛壇(ひなだん)を賑(にぎ)わせたり、時とすると映画を見せに子供を四人も引っ張り出して、帰りに何か食べて来たりするので、庸三はある日彼女の部屋を訪れて、彼女にお小遣(こづかい)を贈ろうとした。「先生のお金――芸術家のお金なんて私とても戴(いただ)けませんわ。私そんなつもりで、先生んとこへ伺っているんじゃないのよ。どうぞそんな御心配なさらないで。」 彼女は再三押し返すのだったが、庸三の引込みのつかないことに気がつくと、「それじゃ戴いときますわ。――思いがけないお金ですから、このお金で私質へ入っているものを請け出したいと思うんですけれど。」「いいとも。君もそういうことを知っているのか。」「そうですとも。松川と田端(たばた)に世帯(しょたい)をもっている時分は、それはひどい困り方だったのよ、松川は職を捜して、毎日出歩いてばかりいるし、私は私で原稿は物にならないし、映画女優にでもなろうかと思って、せっかく話をきめたには決めたけれど、いろいろ話をきいてみると、厭気(いやき)が差して……第一松川がいやな顔をするもんで……。」 葉子は出て行ったが、間もなくタキシイにでも載せて来たものらしく、息をはずませながら一包みの衣裳(いしょう)を小女と二人で運びこんで来た。派手な晴着や帯や長襦袢(ながじゅばん)がそこへ拡(ひろ)げられた。「私これ一枚、大変失礼ですけれど、もしお気持わるくなかったら、お嬢さんに着ていただきたいと思うんですけれど。」「そうね。学生で、まだ何もないから、いいだろう。」 二人は間もなく宿を出て、葉子自身は花模様の小浜の小袖(こそで)を一枚、風呂敷(ふろしき)に包んで抱えて庸三の家へ帰って来た。彼女はなるべく金の問題から遠ざかっていたかった。庸三との附き合いを、生活問題にまで引き入れることは、何かにつけて体を縛られることにもなるし、庸三の気持を深入りさせることにもなるので、それは避けたいと思っていたのであったが、彼の気持はすっかり彼女の言葉どおりに、葉子に掩(おお)いかぶさっていた。      五 葉子はそのころ庸三の娘たちをつれて、三丁目先きの名代の糸屋で、好みの毛糸を買って来て、栄子のためにスウェタアを編みはじめていたが、そんな時の彼女は子供たちのためにまことに好い友達であったが、彼女が庸三の傍(そば)へ来ていたり、一緒に外出したりすると、子供たちは寂しがった。そのころ加世子の死んだあと、独り残って勝手元を見てくれていた庸三の姉は、すでに田舎(いなか)へ帰っていたし、葬式の前後働いていてくれた加世子の弟娵(おとうとよめ)も、いつとなし遠ざかることになっていた。加世子にはやくざな弟が二人もあった。高等教育を受けて、年の若い割に由緒(ゆいしょ)のある大きな寺に納まっている末の弟を除くほか、何かというと姉を頼りにするようなものばかりであった。それに子供の面倒を見てくれているのが、お人好しの加世子の母だったので、庸三はどうかすると養子にでも来ているような感じがした。そうした因縁を断ち切るのは、相当困難であった。子供が殖(ふ)えるにつれて、彼女も次第に先きを考えるようになり、末の弟を頼みにしていたのだったが、葉子が入って来てからそれらの人らは一時に姿を消してしまった。庸三は長いあいだの荷物を卸して、それだけでもせいせいした気持だったが、当惑したのは子供のために頑張(がんば)ろうとした姉と葉子との対峙(たいじ)であった。もちろん一家の主婦が亡くなったあとへ来て、茶の室(ま)に居坐るほどのものが、好意だけでそうするものとはきまっていなかった。放心(うっかり)していると、ふわりと掩(お)っ冠(かぶ)さって来るようなこともしかねないのであった。「君いい家庭婦人になれると言うなら、食べもの拵(ごしら)えもしてみるといいよ。」 秋田育ちの葉子は食べ物拵えにも相当趣味をもっている方であったが、その時台所へ出て拵えたものは、北海道料理の三平汁(さんぺいじる)というのであった。葉子は庸三に訊(き)きに来られると、顔を赤くして、「いやよ、見に来ちゃあ。」 お国風の懐石料理をいくらか心得ていた姉は、大鍋(おおなべ)にうんと拵えた三平汁を見ると、持前の鋭い目をぎろつかせたものだったが、そうした場合に限らず、長火鉢(ながひばち)の傍に頑張っている姉の目の先きで、子供たちと一緒に食卓に坐るのは、葉子には堪えられないことだった。三度々々の食事の気分というものが、人間の生活にとってどんな影響を与えるかということは、普通世間の嫁姑(しゅうとめ)継母(ままはは)継子のあいだにしばしば経験されることだった。もし葉子がいなかったとしても、後で庸三は姉に世帯(しょたい)を委(まか)したことをきっと後悔したに違いなかった。彼はその時裏の家で、いつの間にかかなり大きい荷物の用意されてあることを見てから、一層不愉快になった。 しかし葉子は、子供の相手になって童謡を謳(うた)ったり、咲子にお化粧をしてやったり、器用に編棒を使ったり、気が向くと時には手軽な西洋料理を作るとか、または恋愛小説に読み耽(ふけ)り、長男と新らしい文学や音楽映画の話をするのが、毎日の日課で、勝手元を働くのは、年の割りに体のかっ詰まったお鈴という女中だけであった。後に女中の手が殖(ふ)えて来たけれど、お鈴は加世子の生きている時からの仕来(しきた)りを、曲りなりにも心得ていて、どこに何が仕舞ってあるのかもよく知っていた。しかし加世子も気づいていた持前の偸(ぬす)み癖がだんだん無遠慮になって来たところで、それもいつか遠ざけてしまった。 ある小雨(こさめ)のふる日、葉子は顔を作って、地紋の黒い錦紗(きんしゃ)の紋附などを着て珍らしく一人で外出した。「私写真撮(と)りに行ってもいい?」 彼女は庸三の机の側へ来て言った。「いいとも。どこで……。」「銀座の曽根(そね)といって、素晴らしい芸術的な写真撮るところよ。すぐ帰って来るわ。先生家(うち)にじっとしていなきゃいや。きっとよ。じゃあ、げんまん!」 そういう場合、大抵接吻(せっぷん)と指切りを抵(かた)において行くのが、思いやりのある彼女の手であった。庸三は昔、下宿時代に遊びに行って、女が他の部屋へまわる時、縞(しま)お召の羽織をそこへ置いて行かれると、それが何かの気安めになったことを思い出したが、しかしその時は、どうかすると胡散(うさん)くさい彼女が離れて行きそうな仄(ほの)かな不安を感じながらも、言われるままにじっと待っているのだった。後になって考えると、間もなく気取ったポオズの写真が届いたところを見ると、それが全部嘘(うそ)でないにしても、真実ではなかった。多分一色を訪ねたか、秋本がその時まだ東京にいたものとすると、彼の旅宿へ立ち寄ったものだと思われた。庸三がしとしと雨の降り募って来たアスファルトの上を、彼女が軽い塗下駄の足を運んでいる銀座の街(まち)を目に浮かべている間に、彼女の※(やと)ったタキシイがどこをどう辷(すべ)っていたかも知れないのであった。女と逢(あ)っているよりも、女を待っている時の方が、ずっと幸福なものだということは、もとより知る由もなかった。庸三は銀座の到(いた)る処(ところ)に和髪とも洋髪ともつかない葉子独特の髪で、紺の雨傘(あまがさ)をさして、春雨のなかを歩いている彼女の幻を追っていた。が、するうち胸が圧(お)されるようになって来た。庸三はしかしそう長く悩んでいなかった。やがて帰って来た葉子は彼の膝(ひざ)へ来て甘えた。「私を見棄(みす)てないでね。」 四月の風の荒いある日、玄関に人があって、出て行った葉子はやがてのこと、ちょっとした結び文(ぶみ)を手にして引き返して来た。彼女はそれを読むと、たちまち驚きの色を浮かべた。「どうしたというんでしょう、あの男が来たのよ。」 それが北海道で破産したという松川であった。「湯島の宿にいるのよ。すぐ立つんだから、ちょっとでいいから逢ってくれないかと言うんですけれど……。行かないわ、私。」 庸三は頭が重苦しくなって来た。どうにもならなくなって、田端へ来て身を潜めていた彼が、三人の子供と一緒に再び北海道へ帰って行ってから、もう二年近くになった。その間にいろいろの変化が葉子の身のうえにあった。葉子が田端の家ですっかり行き窮(づま)ってしまった結婚生活を清算して子供にも別れたのは、その年の大晦日(おおみそか)の除夜の鐘の鳴り出した時であった。彼女は子供たちを風呂(ふろ)へ入れてから旅の支度(したく)をさせた。しばしば葉子は忘れがたいその一夜のことを話しては泣くのだった。「でも私からは遠い子供たちですのよ、あの人たちはあの人たちでどうにかなって行くでしょうよ。思ったってどうにもならないことは思わないに限るのね。」 土地では運命を滅茶々々(めちゃめちゃ)にされた男の方に同情が多いものらしかったが、葉子に言わせると男の性格にも欠陥があった。美貌(びぼう)のこの一対が土地の社交界の羨望(せんぼう)の的であっただけに、葉子のような妻を満足させようとすれば、派手な彼としては勢い危険な仕事に手を染めなければならなかったし、どんな生活の破綻(はたん)が目の前に押し迫っている場合でも、彼女の夢を揺するようなことはできないのであった。若い技師の道楽半分に建ててくれた文化住宅の日本風の座敷に、何を感違いしたのか、床柱が一方にしかないのが不思議だと言って、怒り出した妻を、言葉優しく言い宥(なだ)めるくらいの寛容と愛情に事かかない彼だったが、田端時代になって愛の破局が本当にやって来た。それは、葉子がちょうどスタジオ入りの許しを得ようとした時であった。「お前の容色(きりょう)なら一躍スタアになれるに違いないが、その代り貞操を賭(か)けなきゃならないんじゃないかね。」 葉子はそれを否定する代りに、にやりと頬笑(ほほえ)んだ。 今、葉子は思いがけなく上京した松川の手紙を見ると、一時に心が騒ぎ立った。いくらかの恐怖はあったにしても、どんな場合にも彼女は相手の愛を信じて疑わなかった。「何だか気味が悪いから電話してみますわ。」 葉子はそう言って、不断電話を借りつけの裏の下宿屋へ行った。 相手が出て来たところで、彼女は気軽に話しかけた。「もしもし私よ、解(わか)って?」「うむ、僕だよ。都合上ちょっと遠いところへ行く途中、ごく秘密に逢(あ)いたいと思って寄ったんだが、久しぶりでいろいろ話もあるし、貴女(あなた)のことも心配しているんだ。それでぜひ逢って渡したいものがあるから、ちょっとここまで来てもらいたいんだ。」「そう、じゃすぐ行くわ。」 葉子は庸三の傍(そば)へ返ってその通りを告げた。「ひょっとしたら少し手間取るかも知れないのよ。だけど私を信じていてね。」 葉子は湯島に宿を取っている松川を見ると、いきなり飛びついて来る彼に唇(くちびる)を出した。松川は洋服も脱がずにいたが、田端で別れたころから見ると、身綺麗(みぎれい)にしていた。彼は今顧問弁護士をしていた会社の金を三万円拐帯(かいたい)して、留守中の家族と乾分(こぶん)の手当や、のっぴきならない負債の始末をして、一旗揚げるつもりで上海(シャンハイ)へ走るところであった。当分潜(もぐ)っていて、足場が出来次第後妻や子供たちを呼び寄せることになっていた。葉子は涙ぐんだ。「これは絶対秘密だよ。不自由してるだろうから、貴女にあげようと思って……これだけあれば当分勉強ができるだろう。」 松川はそう言って、ポケットの札束から大札十枚だけを数えて渡した。送らせて来た書生が席を外していたので、二人はいつも媾曳(あいびき)している恋人同志のように話し合った。「あの先生も君を好きだろう。始終傍にいるのかい。」「ううん……それに先生はお年召していらっしゃるから。」 日の暮れ方になって、葉子は別れて来たが、外へ出てからも涙がちょっとは乾かなかった。 庸三は騒がしい風の音を聴(き)きながら、葉子の帰るのを待ち侘(わ)びていた。憂鬱(ゆううつ)な頭脳(あたま)の底がじゃりじゃりするようで、口も乾ききっていた。彼は肉体的にも参っていた。 帰って来た葉子の目が潤(うる)んでいた。「そのくらいのことは赦(ゆる)してもいい。」 庸三は仕方なしそういう気持にもなれたが、しかし葉子は否定した。「あの人もう私をすっかり他人行儀の敬語を使ってるくらいよ。――私に千円くれたの。私貰(もら)って来たわ。秘密にしてね。」「銀行へ預けときたまえ。」「そうするわ。」 そうしたのか、しないのか、庸三は金のことに触れようとしないのであったが、大分たってから思い出して聞いてみると、もう一銭も残っていなかった。もちろん貰って来た翌日、少し買いものをしたので、さっそく手のついたことだけは解っていたが。 松川を東京駅へ送って行ったのは、その翌日の朝であったが、庸三にも、ちょっと見送ってくれないかと言うので、一緒に行きは行ったのだったが、彼は何か照れくさくもあったし、葉子も少し気持がかわって一人でプラットホームへ上がって行った。「子供をせめて一人だけ私にくれてくれられないかと私言ったのよ。けど駄目らしいの。やっぱり上海へ引き取るらしいわ。それがあの人たちの運命なら仕方がないと思うわ。」 丸ビルの千疋屋(せんびきや)で苺(いちご)クレイムを食べながら、葉子は涙ぐんでいた。 しかし一日二日たつと、そんな感傷もいつか消し飛んでしまって、葉子はその金でせめて箪笥(たんす)でも買いに行こうと庸三を促した。「ねえ先生、私なんにもなくて不自由で仕様がないでしょう。お宅にいてもお茶もらいのように思われるのいやなの。松川さんのお金で箪笥と鏡だけ買いたいと思いますから、一緒に来て見てくれられない?」 二人はこのごろよく一緒に歩く通りから、切通しの方へおりて行った。そして仲通りで彼の金持の友人の買いつけの店へ誘って見た。手炙(てあぶ)り、卓、茶棚(ちゃだな)など桑(くわ)や桐(きり)で指(さ)された凝った好みの道具がそこにぎっしり詰まっていた。葉子は桑と塗物の二つか三つある中から、かなり上等な桑の鏡台を買ったが、そこの紹介で大通りの店で箪笥も一棹(ひとさお)買った。二百円余り手がついたわけだったが、今の葉子には少しはずみすぎる感じでもあった。まだどこかに薄い陰のある四月の日を浴びながら、二人は池の畔(はた)をまわって、東照宮の段々を上って行った。葉子は絶えず何か話していたが、人気の少ない場所へ来ると、どうかした拍子に加世子の噂(うわさ)が出て、それから彼女は押しくら饅頭(まんじゅう)をしながら、庸三を冷やかしづめだったが、その言葉のなかには、今まで家庭に埋(うず)もれていた彼には、ぴんと来るような若い時代らしい感覚も閃(ひら)めいていた。「御免なさいね、奥さんのこと批判したりなんかして。でも、御近所で奥さん評判いいのよ。美容院のマダム讃(ほ)めていたわ。」 庸三は狐(きつね)に摘(つま)まれているような感じだったが、ちょうどそのころ、庸三は目に異状が現われて来て、道が凸凹(でこぼこ)してみえたり、光のなかにもやもやした波紋が浮いたりした。彼は年齢と肉体の隔りの多いこの恋愛に、初めから悲痛な恐怖を感じていたのだったが、ずっとうっちゃっておいた持病の糖尿病が今にわかに気にかかり出した。「目が変だ。」 彼は昨日東京駅へ行く時、ふとそれを感じたのだった。「じゃすぐ診(み)てもらわなきゃ。これから帰りに行きましょう。」 しかし馴(な)れて来ると、それはそう大して不自由を感ずるほどでもなかったが、今ふと池の畔を歩いていると、それがちょうどO――眼科医院の裏手になっているのに気がついた。診察時は過ぎようとしていたが、院長が気安く診てくれた。そして暗室へ入ったり、血液の試験をしたり、結核の有無を調べたりして、一時間以上もかかって厳密な試験をした結果、やはりそれが糖尿病に原因していることが明らかになった。「当分つづけてカルシウムの注射をやってごらんなさい。」 院長は言うのだった。 庸三は帰りにニイランデル氏液を買って来て、埃(ほこり)だらけになっているアルコオル・ラムプと試験管とを取り出して、縁先きで検尿をやってみた。彼は病気発見当時、毎日病院へ通うと同時に、食料を一々秤(はかり)にかけていたものだが、その当時は日に幾度となく自身で検尿もやった。それがずっと打ち絶えていたのであったが、今蒼(あお)い炎の熱に沸騰した試験管の液体が、みるみる茶褐色(ちゃかっしょく)に変わり、煤(すす)のように真黒になって行くのを見ると、ちょっと気落ちがした。「ほらほら真黒だ。」 彼は笑った。「その皮肉そうな目。」 葉子も笑っていた。 庸三が葉子の勧めで、北の海岸にある彼女の故郷の家を見舞ったころには、沿道の遠近(おちこち)に桐の花が匂っていた。葉子はハンドバックに日傘(ひがさ)という気軽さで、淡い褐色がかった飛絣(とびがすり)のお召を着ていたが、それがこのごろ小肥(こぶと)りのして来た肉体を一層豊艶(ほうえん)に見せていた。葉子はその前にも一度田舎(いなか)へ帰ったが、その時は見送りに行った庸三の娘を二人とも、不意に浚(さら)って行ってしまった。その日は土曜日だった。葉子に懐(なつ)いている幼い子が先きへ乗ったところで、長女がそれに引かれた。「おばちゃんの家(うち)そんなでもない!」 自然の変化の著しい雪国に育っただけに、とかく詩情の多い葉子に自慢して聞かされていたほどではなかったので、子供は失望したのであった。 海岸線へ乗り替えてからは、多分花柳気分の多いと聞いている酒田へでも行くものらしく、芸人の一団と乗り合わせたので、いくらか気が安まった。事実葉子は昨夜寝台に納まるまで、警戒の目を見張っていた。異(かわ)ったコムビなので、二人は行く先き先きで発見された。葉子で庸三がわかり、庸三で葉子が感づけるわけだった。非難と嘲弄(ちょうろう)のゴシップや私語(ささやき)が、絶えず二人の神経を脅かしていた。――ここまで来る気はなかった。庸三の周囲も騒がしかった。 芸人たちは、その世界にはやる俗俳の廻し読みなどをして陽気に騒いでいた。汽車は鈍(のろ)かった。 葉子は初め酒田あたりの風俗や、雪の里と称(よ)ばれる彼女の附近の廻船問屋(かいせんどんや)の盛っていたころの古いロオマンスなどを話して聞かせていたが、するうち飽きて来て、うとうと眠気が差して来た。――六年間肺病と闘(たたか)っていた父の生涯、初めて秋田の女学校へ入るために、町から乗って行った古風な馬車の喇叭(ラッパ)の音、同性愛で教育界に一騒動おこったそのころの学窓気分、美しい若い人たちのその後の運命、彼女の話にはいつも一抹(いちまつ)の感傷と余韻が伴っていた。 駅へは葉子の母と妹、縁続きになっている土地の文学青年の小山、そんな顔も見えた。家は真実そんなでもなかったけれど、美事な糸柾(いとまさ)の杉(すぎ)の太い柱や、木目(もくめ)の好い天井や杉戸で、手堅い廻船問屋らしい構えに見受けられた。裏庭へ突きぬける長い土間を隔てて、子供の部屋や食堂や女中部屋や台所などがあった。挨拶(あいさつ)がすんでから、庸三は二階へ案内されたが、そこには広い縁側に古びた椅子(いす)もあった。そこの広間がかねがねきいている、二日二晩酒に浸っていた松川との結婚の夜の名残(なご)りらしかったが、彼女は多分草葉を連れて来た時もしたように、彼をその部屋に見るのが面羞(おもは)ゆそうに、そっと寄って唇(くち)づけをすると、ぱっと離れた。足音が段梯子(だんばしご)にした。「母はちっとも可笑(おか)しくないと言ってますのよ。」 高い窓をあけて、碧(あお)い海を見たりしてから下へおりた。葉子の着替えも入っている彼のスウトケイスが、井戸や風呂(ふろ)の傍(そば)を通って、土間から渡って行く奥の離れの次ぎの間にすでに持ち込まれてあった。 葉子はそこへ庸三を案内した。「本当にお粗末な部屋ですけれど、父がいつけたところですの。父は誰をも近づけませんでしたの。ここで本ばかり読んでいましたの。冬の夜なんか咳入(せきい)る声が私たちの方へも聞こえて、本当に可哀相(かわいそう)でしたわ。」 棚(たな)に翻訳小説や詩集のようなものが詰まっていた。細々(こまこま)した骨董品(こっとうひん)も並べてあった。庸三は花園をひかえた六畳の縁先きへ出て、額なんか見ていた。「裏へ行ってみましょう。」 誘われるままに、庭下駄(にわげた)を突っかけて、裏へ出てみた。そこには果樹や野菜畑、花畑があった。ちょっとした木にも花にも、葉子は美しい懐かしさを感ずるらしく、梅の古木や柘榴(ざくろ)の幹の側に立って、幼い時の思い出を語るのであった。幾つもの段々をおりると、そこに草の生(お)い茂った堤らしいものがあって、かなりな幅の川浪(かわなみ)が漫々と湛(たた)えていた。その果てに夕陽に照り映える日本海が蒼々(あおあお)と拡(ひろ)がっていた。啼(な)き声を立てて、無数の海猫(うみねこ)が浪のうえに凝(かた)まっていた。 その晩、庸三が風呂へ入って、食事をすましたところへ、もう二人の記者がやって来た。仕方なし通すことにした。「福島の方から、ちょっとそんな通信が入ったものですから。」 文学的な情熱に燃えているような一人は、そう言って寛(くつろ)いだ。そして葉子を顧みて、「ここにこんな風流な部屋があるんですか。」 そして葉子がビイルを注(つ)いだりしているうちに、だんだん気分が釈(ほぐ)れて、社会面記者らしい気分のないことも頷(うなず)けて来た。「先生の今度お出(い)でになったのは、結婚式をお挙げになるためだという噂(うわさ)ですが、そうですか。」 庸三は狼狽(ろうばい)した。もっとも庸三にもしその意志があるなら横山の叔父(おじ)が話しに来るはずだと、葉子は言うのであったが、庸三はそんな気にはなれなかった。「僕は誰とも結婚はしません。」 彼はそう言って、自身の生活環境と心持を真面目(まじめ)に説明した。記者は時代の青年らしい感想など、無遠慮に吐いて、やがて帰って行った。      六 雪国らしい侘(わび)しさの海岸のこの町のなかでも、雪の里といわれるその辺一帯は、鉄道の敷けない前の船着場として栄えていたころの名残(なごり)を留(とど)めているだけに、今はどこにそんな家があるのか解(わか)らない遊女屋の微(かす)かな太鼓の音などが、相当歩きでのある明るい町の方へ散歩した帰りなどにふと耳についたりするのだったが、途中には奥行きの相当深いらしい料亭(りょうてい)の塀(へい)の外に自動車が二三台も止まっていたりして、何か媚(なま)めかしい気分もただよっていた。「ここのマダム踊りの師匠よ。近頃は雪枝さんを呼んで、新舞踊もやっているのよ。」 葉子はそう言って、そのマダムが話のわかるインテリ婦人であることを話した。庸三は着いた日にさっそく来てくれた彼女の兄の家や、懇意にしている文学好きの医学士の邸宅などへも案内された。歯科医の兄は東京にも三台とはない器械を備えつけて、町の受けはよかった。ある晩は料亭で、つぶ貝などを食べながら、多勢(おおぜい)の美人の踊る音頭(おんど)を見せられ、ある時はまた川向いにある彼女の叔母(おば)の縁づき先であった町長の新築の屋敷に招かれて、広大な酒蔵へ案内されたり、勾欄(こうらん)の下を繞(めぐ)って流れる水に浮いている鯉(こい)を眺めながら、彼の舌にも適(かな)うような酒を呑(の)んだりした。葉子はそんな家へ来ると、貰(もら)われた猫のように温順(おとな)しくなって、黒の地紋に白の縫紋のある羽織姿で末席にじっと坐っているのだったが、昔から、その作品を読んだり、東京でも、一度逢(あ)ったことのある青年が一人いたので、庸三は手持無沙汰(ぶさた)ではなかった。葉子と又従兄(またいとこ)くらいの関係にあるその青年は、町で本屋をしていたが、傍(かたわ)ら運動具の店をも持っていた。その細君はこの町長の養女であった。勾配(こうばい)の急なその辺の街(まち)を流れている水の美しさが、酒造りにふさうのであった。その山地をおりて、例の川に架(か)かった古風な木橋を渡ると、そこはどこの田舎(いなか)にもあるような場末で、葉子の家もそう遠くなかった。 庸三が寝起きしている離れの前には、愛らしい百日草が咲き盛っていたが、夏らしい日差しの底にどこか薄い陰影があって、少しでも外気と体の温度との均衡が取れなくなると、彼は咳をした。葉子は取っ着きの家からシャツを取ってくれたりしたが、母親は母親で、蔵にしまってある古いものの中から、庸三が着ても可笑(おか)しくないような黄色いお召の袷(あわせ)や、手触りのざくりとした、濃い潮色(うしおいろ)の一重物(ひとえもの)を取り出して来たりした。ある日はまたにわかに暑くなって、葉子は彼をさそって橋の下から出る蟹釣船(かにつりぶね)に乗って、支那(シナ)の風景画にでもあるような葦(あし)の深いかなたの岩を眺めながら、深々した水のうえを漕(こ)いで行った。葉子の家の裏あたりから、川幅は次第に広くなって、浪に漾(ただよ)っている海猫(うみねこ)の群れに近づくころには、そこは漂渺(ひょうびょう)たる青海原(あおうなばら)が、澄みきった碧空(あおぞら)と融(と)け合っていた。「明朝(あした)蟹子(かにこ)持って来るのよ。きっとよ。私の家(うち)知っているわね。」 葉子は帯の間から蟇口(がまぐち)を出して、いくらかの金を舟子に与えたが、舟はすでに海へ乗り出していて、間もなく渚(なぎさ)に漕ぎ寄せられた。葉子は口笛を吹きながら、縞(しま)セルの単衣(ひとえ)の裾(すそ)を蹇(かか)げて上がって行くと、幼い時分から遊び馴(な)れた浜をわが物顔にずんずん歩いた。手招きする彼女を追って行く庸三の目に、焦げ色に刷(は)かれた青黛(せいたい)の肌の所々に、まだ白雪の残っている鳥海山の姿が、くっきりと間近に映るのであった。その瞬間庸三は何か現世離れのした感じで、海に戯れている彼女の姿が山の精でもあるかのように思えた。庸三はきらきら銀沙(ぎんさ)の水に透けて見える波際(なみぎわ)に立っていた。広い浜に人影も差さなかった。「僕の田舎の海よりも、ずっと綺麗(きれい)で明るい。」「そう。」 彼は彼女の拡(ひろ)げる袂(たもと)のなかで、マッチを擦(す)って煙草(たばこ)を吹かした。「君泳げる?」「海へ入ると父が喧(やかま)しかったもんで……。」「何だか入ってみたくなったな。」 庸三は裸になって、昔、郷里の海でしたように、不恰好(ぶかっこう)な脛(すね)――腿(もも)にひたひた舐(な)めつく浪(なみ)のなかへだんだん入って行って、十間ばかり出たところで、泳いでみたが、さすがに鳥肌が立ったので、やがて温かい砂へあがって、日に当たった。新鮮な日光が、潮の珠(たま)の滑る白い肌に吸い込まれるようであった。 葉子は素直に伸びた白い脛を、浪に嬲(なぶ)らせては逃げ逃げしていた。 葉子が思いがけなく継母の手から取り戻した、長女の瑠美子(るみこ)をつれに、再び海岸の家へ帰って行ったのも、それから間もないことであった。彼女は十六時間もかかる古里と東京を、銀座へ出るのと異(かわ)らぬ気軽さで往(い)ったり来たりするのであった。この前東京へ帰ろうとする時彼女はいざ切符売場へ差しかかると、少しこじれ気味になって、瞬間ちょっと庸三をてこずらせたものだった。二人は売場を離れて、仕方なしに線路ぞいの柵(さく)について泥溝(どぶ)くさい裏町をしばらく歩いた。ポプラの若葉が風に戦(おのの)いて、雨雲が空に懸(か)かっていた。庸三が結婚形式を否定したので、母や親類の手前、ついて帰れないというようなことも多少彼女の心を阻(はば)んだのであろうが、いつものびのびした処(ところ)に意の趣くままに暮らして来た彼女なので、手狭な庸三の家庭に低迷している険しい空気に堪えられるはずもなかった。けれど庸三は無思慮にもすっかり正面を切ってしまった。もともと世間からとやかく言われてややもするとフラッパの標本のようにゴシップ化されている彼女ではあったが、ふらつきがちな魂の憩(いこ)い場所を求めて、あっちこっち戸惑いしているような最近数年の動きには、田舎(いなか)から飛び出して来た文学少女としては、少し手の込んだ夢や熱があって、長年家庭に閉じこもって、人生もすでに黄昏(たそがれ)に近づいたかと思う庸三の感情が、一気に揺り動かされてしまった。何よりも彼女の若さ美しさが、充(み)たされないままに硬化しかけていた彼の魂を浮き揚がらせてしまった。涙を流して喰ってかかる子供の顔が醜く見えたり、飛びこんで来て面詰する、親しい青年の切迫した言葉が呪(のろ)わしいものに思われたりした。耳元にとどいて来る遠巻きのすべての非難の声が、かえって庸三に反撥心(はんぱつしん)を煽(あお)った。彼は恋愛のテクニックには全く無教育であった。若い時分にすらなかった心の撓(たわ)みにも事かいていた。臆病(おくびょう)な彼の心は、次第に恥知らずになって、どうかすると卑小な見えのようなものも混ざって、引込みのつかないところまで釣りあげられてしまった。 引込みのつかなかったのは、庸三ばかりではなかった。すっかり自分のものになしきってしまった庸三からの逃げ道を見失って、今は彼女も当惑しているのであった。「僕を独りで帰そうというんだね。」 庸三はすれすれに歩いている葉子を詰(なじ)った。一抹(いちまつ)の陰翳(いんえい)をたたえて、彼女の顔は一層美しく見えた。「そうじゃないけど、少し話も残して来たし、私後から行っちゃいけない?」「そうね。」「先生はいいのよ。だけどお子さんたちがね。」 葉子は別居を望んでいたが、子供たちから離れうる彼ではないことも解(わか)っていた。そして庸三の悩みもそこにあった。彼は「今までの先生の家庭の仕来(しきた)り通りに……」と誓った葉子のかつての言葉を、とっこに取るにはあまりに年齢の違いすぎることも知っていたが、彼女に殉じて子供たちから離れるのはなおさら辛(つら)かった。独りもののいつもぶつかるデレムマだが、同時にそれは当面の経済問題でもあった。何よりも彼は、葉子の苦しい立場に対する客観を欠いていた。 とにかく次ぎのA――市行きを待って、葉子も朗らかに乗りこんだ。そして東京行きの夜行を待つあいだ、タキシイでざっと町を見てまわった。風貌(ふうぼう)の秀(ひい)でた藩公の銅像の立っている公園をも散歩した。 汽車に乗ってからも、庸三は滞在中の周囲の空気――自身の態度、何か気残りでもあるらしい葉子の素振りなどが気にかかった。町の写真師の撮影所で、記念写真を撮(と)られたことも何か気持にしっくり来なかった。撮影所は美しい※垣(かなめがき)の多い静かな屋敷町にあったが、葉子はかつての結婚式に着たことのある、長い振袖(ふりそで)に、金糸銀糸で鶴(つる)や松を縫い取った帯を締め、近いうち台湾にいる理学士のところへ嫁(とつ)ぐことになっている妹も、同じような式服で、写場へ乗りこんだものだった。姉妹の左右に母と嫂(あによめ)とが並んで腰かけ、背の高い兄と低い庸三が後ろに立った。――庸三は二度とここへ来ることもないような気がした。 瑠美子をつれて葉子の乗っている汽車が着いた時、庸三は長男と一緒に歩廊に立っていた。 何といっても葉子にとって、彼の大きい子供は鬼門であったが、若い同志の文学論や音楽、映画の話では、二人は好い仲間であった。彼は父には渋面を向けても、手触りの滑(なめ)らかな葉子には諧謔(かいぎゃく)まじりに好意ある言葉を投げかけないわけに行かなかった。 ある時庸三は彼女と一緒に、本郷座の菊五郎の芝居を見に行ったことがあった。「君芝居嫌(きら)い?」「大好き。連れてって。」 入ってみると、出しものは忠臣蔵で、刃傷(にんじょう)の場が開いていたが、目の多いなかで二人きりでいるのが、庸三には眩(まぶ)しかった。それに彼は第三者のいることが、いつでも望ましいのであった。二人きりの差向いは、一人でいるよりも寂しかった。第三者が他人の青年か何かである場合が一番気易(きやす)い感じであった。賑(にぎ)やかに喋(しゃべ)っている二人――葉子をみているのが、とりわけよかった。相手が子供の場合には、仄(ほの)かな不安が伴うのだったが、子供が近よらないよりも安心だった。「子供をつれて来ればよかった。」 庸三が言うと、「呼んで来ましょうか。」 と言って、葉子は立って行ったが、芝居がだんだん進展して行くのに、どうしたことか葉子は容易に帰ってこなかった。彼は苛(いら)ついて来た。理由がわからなかった。彼は少し中っ腹で入口へ出てみた。そして廊下をぶらついているうちに、入って来る葉子の姿が目に入った。芝居よりかお茶でも呑(の)もうというので、喫茶店へ入っていたのだことを、葉子はそっと告げた。 ある時も、彼女はパリへ立つ友人を見送る子供と三四人の同窓と、外国航路の船を見いかたがた横浜へ行こうとして、庸三の許しを乞(こ)うた。「行ってもいい?」 庸三は危ぶんだ。「さあね、君が行きたいなら。」「だからお訊(き)きしたいのよ。先生がいけないというなら断わるわ。」「僕は何ともいうわけにいかない。」「じゃ断わるわ。」「断わる必要はない。君が行きたいんだったら。」 その日が来たところで、結局葉子は子供たちと同行した。ちょうど庸三は用達(ようた)しに外出していたが、夜帰ってみると、彼女は教養ある青年たちのナイトぶりに感激したような口吻(こうふん)を洩(も)らしていた。そのころ彼らもだろうが、彼の子供はボオドレイルの悪魔主義や、コクトオ一派の超現実主義を尊崇していた。そこから出て来る耳新しい文学論は、葉子にも刺戟(しげき)があった。「いる、いる!」 窓から顔を出している瑠美子が目の前へ来た時、子供は頬笑(ほほえ)ましげに叫んだのだったが、庸三は何か冒険に狩り立てられるような不安を抱(いだ)いた。心は鎖(とざ)されていたが、しかしそれで葉子の落着きも出来そうに思えた。 父が上海(シャンハイ)に遯(のが)れてから、瑠美子と幼い妹と弟とは、継母とその子供と一緒に、小樽の家を畳んで、葉子の町からはちょっと距離のある、継母の実家のある町に移って来た。その動静が葉子の母親たちの耳へも伝わって、惨(みじ)めに暮らしていることが解(わか)ったところで、奪取が企てられた。金を葉子に贈るために、四月に松川が東京に立ち寄った時、葉子は初めて瑠美子だけでも還(かえ)してくれるように哀願したのだったが、拒まれた――そう言って葉子は庸三に泣いていたものだったが、今その子供と一緒に庸三の家に落ち着いた彼女はたちまちにしてそこに別の庸三を見出(みいだ)した。 母親がわりの葉子の愛を見失うまいとして取り着いて来る、庸三の末の娘の咲子と、幾年ぶりかで産みの母の手に帰って来た瑠美子と、そのいずれもの幼い心を傷つけまいとして、葉子は万遍なく愛撫(あいぶ)の心と手を働かした。外へ出る時、大抵彼女は咲子の手を引いていたが、咲子はまた瑠美子と手を繋(つな)いで歩いた。夜寝るときも葉子は二人を両脇(りょうわき)にかかえるか、眠るまで咲子だけを抱くようにして、童謡を謳(うた)ったり、童話を聞かせたりした。――と、そういうふうに庸三の目にも見え、心にも感じられたが、微妙な子供たちの神経を扱いわけるのは、彼女にも重すぎる仕事であった。 ある日も咲子は、学校から退(ひ)けて来ると、彼女の帰るのを待っていた瑠美子と、縁側で翫具(おもちゃ)を並べて遊んでいた。細かい人形、お茶道具、お釜(かま)に鍋(なべ)やバケツに洗濯板(せんたくいた)、それに色紙や南京玉(ナンキンだま)、赤や黄や緑の麦稈(むぎわら)のようなものが、こてこて取り出された。「瑠美子にも分けてあげなさいね。」 傍(そば)に見ていた庸三が言うと、「なに? これ?」 咲子は色紙と麦稈とを、いくらか分けて与えたが、瑠美子は寂しそうで、色紙も麦稈もじき庭へ棄(す)ててしまった。葉子は傍ではらはらするように、立ったり坐ったりしているのだったが、庸三はそのころから身のまわりのものを何かとよく整理しておく咲子のものを分けさせる代りに、瑠美子には別に同じようなものを買ってやった方がいいと思っていた。 死んだ姉から持越しの、咲子にとっては何より大切な大きい人形がまた瑠美子を寂しがらせ、母親の心を暗くした。「先生のお子さんで悪いけれど、咲子さん少しわがままよ。あれを直さなきゃ駄目だと思うわ。」「君が言えば聴(き)くよ。」 庸三は答えたが、彼自身の気持から言えば、死んだ久美子の愛していた人形を、物持ちのいいとは思えない瑠美子に弄(いじ)らせたくはなかったので、ある日葉子に瑠美子をつれてデパアトへ買いものに行ったついでに、中ぐらいの人形を瑠美子に買ってやった。咲子のより小さいので、葉子も瑠美子も悦(よろこ)ばなかったが、庸三はそれでいいというふうだった。 庸三はずっと後になるまで――今でも思い出して後悔するのだが、ある日葉子と子供たちを連れ出して、青葉の影の深くなった上野を散歩して、動物園を見せた時であった。そのころ父親の恋愛事件で、学校へ通うのも辛(つら)くなっていた長女も一緒だったが、ふと園内で出遭(であ)った学友にも、面を背向(そむ)けるようにしているのを見ると、庸三も気が咎(とが)めてにわかに葉子から離れて独りベンチに腰かけていた。と、それよりもその時に限って、何かめそめそして不機嫌(ふきげん)になった咲子を見ると、初めは慈愛の目で注意していたが、到頭苛々(いらいら)して思わず握り太な籐(とう)のステッキで、後ろから頭をこつんと打ってしまったのであった。 それから間もなく、ある朝庸三が起きて茶の間へ出ると、子供はみんな出払って、葉子が独り火鉢(ひばち)の前にいた。細かい羽虫が軒端(のきば)に簇(むら)がっていて、物憂(ものう)げな十時ごろの日差しであった。いつもの癖で、起きぬけの庸三は顔の筋肉の硬(こわ)ばりが釈(と)れず、不機嫌(ふきげん)そうな顔をして、長火鉢の側へ来て坐っていた。子供の住居(すまい)になっている裏の家へ行っていると見えて、女中の影も見えなかった。が葉子は何か落ち着かぬふうで、食卓のうえに朝飯の支度(したく)をしていた。瑠美子はどうしたかと思っていると、大分たってから、腰障子で仕切られた四畳半から、母を呼ぶ声がした。葉子は急いで傍へ行って着物を着せ茶の間へつれ出して来た。「おじさんにお早ようするのよ。」 瑠美子は言う通りにした。「寝坊だな。」 庸三は言ったきり、むっつりしていた。葉子はちょっと台所へ出て行ったが、間もなく傍へ来て坐った。かと思うと、また立って行った。庸三は何かお愛相(あいそ)の好い言葉をかけなければならないように感じながら、わざとむっつりしていた。そして瑠美子が箸(はし)を取りあげるのを汐(しお)に、見ているのが悪いような気もして、やがて立ちあがった。そして机の前へ来て煙草(たばこ)をふかしていた。と、いきなり葉子が転(ころ)がるように入って来たと思うと、袂(たもと)で顔を蔽(おお)って畳に突っ伏して泣き出した。彼女は肩を顫(ふる)わせ、声をあげて泣きながら、さっきから抑え抑えしていた不満を訴えるのだった。「先生という人は何て冷たい人間なんでしょう。先生が気むずかしい顔だから、私がはらはらして瑠美子にお辞儀をさせても、先生はまるで凍りついたような表情をして、笑顔(えがお)一つ見せてくれようとはしないんです。あの幼い人が先生の顔を見い見いして神経をつかっているのに、先生は路傍の人の態度で外方(そっぽ)むいているじゃありませんか。私は心が暗くなって、幾度となく台所へ出て涙を拭(ふ)き拭きしていたのでした。私たち母子(おやこ)は先生のところのお茶貰(もら)いになぞなりたくはありません。」 葉子は途切れ途切れに言って、激情に体を戦(おのの)かせていた。庸三は驚き傍(そば)へ寄って、宥(なだ)めの言葉をかけたが、効(かい)がなかった。起きあがったと見ると、次の間で箪笥(たんす)の前に立って何かがたがたやっていたが、そのまま瑠美子を引っ張って、旋風のごとく玄関へ飛び出した。 少し狼狽(ろうばい)して、庸三は出て見たが、「二度と己(おれ)の家の閾(しきい)を跨(また)ぐな」と尖(とが)った声を浴びせかけて、ぴしゃりと障子を締め切った。 やがて学校を退(ひ)けて来た咲子が、部屋から部屋を捜しあるいた果てに、父の書斎へ来て寂しそうに立っていた。庸三は何かせいせいした感じでもあったが、寂しさが次第に胸に這(は)いひろがって来た。彼女の憤りを爆発させた今朝の態度の不覚を悔いてもいた。「おばちゃんは?」「おばちゃんは出て行った。」「瑠美子ちゃんも?」「そう。」「もう帰ってこないの。」「帰ってこないよ。」 庸三は言ったが、どこかそこいらを歩いている親子の姿が見えるように思えてならなかった。 しばらくすると彼は寂しそうにしている咲子の手をひいて、ふらりと外へ出て行った。      七 街(まち)はどこもかしこも墓地のように寂しかった。目に映るもののすべてが――軒を並べている商店も、狭い人道をせせっこましく歩いている人間も、ごみごみして見えた。往(ゆ)き逢(あ)う女たちの顔も石塊(いしころ)のように無表情だった。ちょうどそれは妻を失った間際(まぎわ)の味気ない感じを、もう一つ掘りさげたような侘(わび)しさで、夏の太陽の光りさえどんよりしていた。新芽を吹くころの、または深々と青さを増して行くころの、それから黄金色(こがねいろ)に黄ばんだ初冬の街路樹の銀杏(いちょう)を、彼はその時々の思いで楽しく眺めるのだったが、今その下蔭(したかげ)を通ってそういう時の快い感じも、失われた生の悦(よろこ)びを思い返させるに役立つだけのようであった。もう長いあいだ二十年も三十年もの前から慢性の神経衰弱に憑(つ)かれていて、外へ出ても、街の雑音が地獄の底から来るように慵(ものう)く聞こえ、たまたま銀座などへ出てみても目がくらくらするくらいであったが、葉子と同棲(どうせい)するようになってからは、彼は何か悽愴(せいそう)な感じと悲痛の念で、もしもこんなことが二年も三年も続いたならと、そぞろに灰色の人生を感ずるのであったが、しかし自身の生活力に信用がおけないながらに、ぶすぶす燃える情熱は感じないわけにいかなかった。異性の魅力――彼はそれを今までそんなに感じたこともなかったし、執着をもったこともなかった。「おばちゃんどこへ行ったの?」 咲子がきいた。「さあね。」 ちょうど彼女が宿泊していた旅館の前も通りすぎて、彼は三丁目の交叉点(こうさてん)へ来ていた。旅館の前を通る時、そこの二階の例の部屋に彼女と子供がいるような気もして、帳場の奥へ目をやって見たのであったが、そこを通りすぎて一町も行ったところで、ちょうどその時お馴染(なじみ)の小女が向うから来てお辞儀をした。彼女も葉子と同じ郷里の産まれで、髪を桃割に結って小ばしこそうに葉子の用を達(た)していたものだが、お膳(ぜん)を下げたりするついでに、そこに坐りこんで、小説や映画の話をしたがるのであった。後に葉子ともすっかり遠くなってしまってから、彼は四五人のダンス仲間と一緒に入った「サロン春」で、偶然彼女に出遭(であ)ったものだったが、二三年のあいだに彼女はすっかり好い女給になっていた。「葉子君んとこへ行かなかった?」「梢(こずえ)さん? いいえ。お宅にいらっしゃるんじゃないんですか?」 何か知っているのではないかと思ったが、そのままに別れた。 この辺は晩方妻とよく散歩して、庸三のパンや子供のお弁当のお菜や、または下駄(げた)とか足袋(たび)とか、食器類などの買い物をしつけたところで、愛相(あいそ)のよかった彼女にお辞儀する店も少なくなかったが、葉子をつれて歩くようになってから、下駄屋や豆屋も好い顔をしなくなった。庸三もその辺では買いものもしにくかった。葉子と散歩に出れば、きっと交叉点から左へ曲がって、本屋を軒並み覗(のぞ)いたり、またはずっと下までおりて、デパアトへ入るとか、広小路で景気の好い食料品店へ入ったりした。気が向くとたまには寄席(よせ)へも入ってみた。活動の好きな彼女はシネマ・パレスへは大抵欠かさず行くので、彼も電車で一緒に行って見るのであったが、喫煙室へ入ると、いつもじろじろ青年たちに顔を見られ、時とすると彼女の名をささやく声も耳にしたりするので、彼は口も利かないようにしていた。「闇(やみ)の光」、「復活」などもそこで彼女と一緒に見た無声映画であった。それに翻訳物も彼女はかなり読んでいて、話上手な薄い唇(くちびる)から、彼女なりに色づけられたそれらの作品の梗概(こうがい)を聴(き)くことも、読むのを億劫(おっくう)にしがちな庸三には、興味ある日常であった。 庸三は三丁目から電車に乗って、広小路のデパアトへ行ってみた。咲子に何か買ってやろうと思ったのだが、ひょっとしたら子供の手を引いて、葉子がそこに人形でも買っていはしないかという、莫迦(ばか)げた望みももっていたのだった。彼は狐(きつね)に憑(つ)かれた男のように、葉子の幻に取り憑かれていた。そして無論いるはずもないことに気がつくと、今度は一旦彷徨(さまよ)い出した心に拍車がかかって、急いでそこを出ると、今度は上野駅へ行ってみるのであったが、ちょうど東北本線の急行の発車が、夜の七時何十分かのほかにないことが解(わか)ると、自分のしていることがにわかに腹立たしくなって、急いでそこを出てしまった。 夜になってから、彼は葉子の母に当てて問合せの電報を打ってみたが、 ヨウコマダツカヌ という返電の来たのは、その夜も大分更(ふ)けてからであった。 ある晩庸三は子供の庸太郎と通りへ散歩に出た。彼はせっかく懐(ふとこ)ろへ飛びこんで来た小鳥を見失ったような気持で、それから先の、格別成算がついているわけでもないのに、ひたすら葉子の幻を探し求めてやまないのであった。庸三が今まで何のこともなく過ぎて来たのは、人間的の修養が積んでいるとか、理性的な反省があるからというのでは決してなかった。ただ生(お)い育って来た環境の貧弱さや、生まれつきの愚鈍と天分の薄さの痛ましい自覚に根ざしている臆病(おくびょう)と、そういった寂しい人生が、彼の日常を薄暗くしているにすぎなかった。出口を塞(ふさ)がれたような青春の情熱が燻(くすぶ)り、乏しい才能が徒(いたず)らに掘じくり返された。彼はいつとなし自身の足許(あしもと)ばかり見ているような人間になってしまった。悪戯(いたずら)な愛の女神が後(おく)れ走(ば)せにもその情熱を挑(か)き立て、悩ましい惑乱の火炎を吹きかけたのだったが、そうなると、彼にもいくらかの世間的な虚栄や好奇な芝居気も出て来て、ちょっと引込みのつかないような形だった。 庸三は昨夜もよく眠れなかったし、このごろの体の疲れも癒(い)えてはいなかった。後になって葉子もたびたび逃げ出したし、庸三も逐(お)い出したりして、別れた後ではきっと、床を延べて寝ることにしていたが、近所のドクトルに来てもらうこともあった。起きていると何か行動しなければならない衝動に駆られがちなので、静かに臥(ね)そべって気分の落ち着くのを待つことにしたのであったが、その時はまだそういうことにも馴(な)れていなかった。後にしばしば彼の気持を支配して来た職業心理というものも混ざりこんではいなかった。ただ方嚮(ほうこう)のない生活意慾の、根柢(こんてい)からの動揺でしかなかった。 子供は父を劬(いた)わりながら、並んで歩いた。「やっぱりここにいるんじゃないかな。」 例の旅館の前まで来かかった時、子供もその気がすると見えて、そう言うのだった。「きいてみよう。」 庸三もその気になって、入口の閾(しきい)を跨(また)いで訊(き)いてみた。年増(としま)の女中が店に立っていて、「梢さんですか、あの方昨日ちょっと見えましたよ、いつもの処(ところ)へ仕立物を取りにおいでになって……。」「どこにいるでしょう。」「さあ、それは知りませんですよ。」 いつもの仕立屋さんというのは、妻が長年仕立物を頼んでいた、近所の頭(かしら)のお神さんのことで、庸三も疳性(かんしょう)のそのお神さんの手に縫ったものを着つけると、誰の縫ったものでも、ぴたり気持に来ないのであった。葉子も二三枚そこで仕立てて腕のいいことを知っていた。 その話をきいているうちに、庸三はにわかに弱い心臓が止まるような感じだった。「つい家(うち)の側まで来ていて……。」 それが一時に彼を絶望に突きやった。そしてふらふらとそこを出て来ると四辺(あたり)が急に暗くなって、子供の手にも支えきれず、酒屋の露地の石畳のところにぐんなり仆(たお)れてしまったのだった。脳貧血の発作は彼の少年期にもあったが年取ってからも歯の療治とか執筆に苦しむ時などに、起こりがちであった。病院の廊下で仆れたり巷(ちまた)の雑踏を耳にしながら、ややしばし路傍に横たわっていたりしたこともあった。しかし今彼はそう長くは仆れてもいなかった。夏の宵(よい)の街(まち)でのことで、誰か通りすがりの人の声が耳元でしたかと思うと、たちまち蘇(よみがえ)って歩き出した。 大分たってからある日葉子の手紙が届いた。咲子宛(あて)のもので、彼女の名も居所も書いてなかった。何か厚ぼったいその封書を手にした瞬間、彼はちょっと暗い気持になったが、とにかく開けて見た。 咲子はちょうど三四日病気していた。時々発作的に来る病気で、何か先天的な心臓の弁膜か何かの故障らしく胸部に痛みを感ずるものらしかった。長いあいだ子供の病気や死には馴(な)れている庸三だったが、夙(はや)く母に訣(わか)れた咲子の病気となると、一倍心が痛んだ。「大きくなれば癒(なお)りますが、今のところちょっと……。」 医師は言うのであった。「おばちゃん! おばちゃん。」 そう言って泣く咲子の声が耳に滲(し)みとおると、庸三の魂はひりひり疼(うず)いた。彼女は一度言い聞かされると、その瞬間から慈母のことは一切口にしなくなったが、それだけに、葉子の愛情は一層必要となった。童謡や童話で、胸をさすられたり、出ればきっとチョコレイトか何かを買ってくれて、散歩にもつれて行けば、頸(くび)を剃(そ)ったり、爪(つめ)を切ったり、細かい面倒を見てくれる若い葉子の軟(やわ)らかい手触りは、ただそれだけですっかり彼女を幸福にしたものだったが、それが瑠美子の母として彼女をおいて出て行ったとなると、それは何といっても酷(むご)い運命であった。「咲子ちゃん、葉子さんの写真を枕(まくら)の下へ入れているんですのよ。」 姉が庸三に話した。枕頭(ちんとう)へ行って見るとその通りであった。葉子は瑠美子の母で、もう今までのようにお前を愛していることはできないのだ――庸三はそれを言い聴(き)かすこともできなくて、ただ受動的に怺(こら)えているよりほかなかった。この子供と一緒に死ぬのも救いの一つの手だという気もした。 そこへ葉子の手紙だった。そして幾枚もの色紙に書かれた手紙と一緒に、咲子への贈りものの綺麗(きれい)な色紙もどっさり入っていた。それを病床へ届けてから、彼は子供と二人で幾枚かの切手のべたべた貼(は)られた封筒の消印を透かして見た。「スタムプは猿楽町(さるがくちょう)の局ですよ。」「ふむ――じゃ神田だ。しかし神田も広いから。」「ひょっとしたら、一色(いっしき)さんが知ってやしないかな。」 彼はまさかと思った。一色が知っているような気もしたが、黙って引き退(さが)っている一色を、年効(としがい)もなく踏みつけにしていることを考えると、そう思いたくはなかった。葉子がどういうふうに一色を言いくるめたのか――それにも触れたくはなかった。彼は強(し)いても一色を見向かないことにしていたが、一色が蔭(かげ)で嗤(わら)っているようにも思えた。あたかもそれは借金の証文を握っている友達の寛容に甘えて、わざと素知らぬふうをしていると同じような苦痛であった。「奥さんのある人、私やっぱりいい気持しないのよ。それに一色さん有閑マダムが一人あるんですもの。」 葉子は気休めを言っていたが、庸三の弁解には役立ちそうもなかった。それどころか、庸三は今葉子の手懸(てがか)りを一色に求めようとさえしているのだった。「お前ちょっと一色んとこへ行って、様子を見て来てくれるといいんだけど。」「そうですね。行ってもいいけれど……じゃちょっと電話かけてみましょうか。」 庸太郎は近所へ電話をかけに行ったが、じきに還(かえ)って来た。「やはり行かないらしいですね。今来るそうです。あまり心配させてはいけないからって……一色さんいい人ですね。」 庸三は妻の死んだ時、金を持って来てくれたり、寂しい子供たちの気分を紛らせるために、ラジオを装置してくれたりした、一色の好意も思わないわけではなかったが、何か自我的な追求心も働いていた。撞着(どうちゃく)が撞着のようにも考えられなかった。葉子への優先権というようなものをも、曖昧(あいまい)な計算のなかへそれとなく入れてもいたのであった。 一色はタキシイを飛ばして来た。「葉子さんいないんですてね。」 庸三はわざと一色が知らないようなふうにして、葉子の出て行った前後の話をした。――郵便の消印のことも。「それですと、替り目の活動館を捜すのが一番早いんだ。替わるのは木曜ですからね。あの人の行きつけは南明座ですよ。」「南明座かしら。」 庸三は幾度も同伴したシネマ・パレスを覗(のぞ)いてみようかと一度は思ったこともあったが、当てなしの捜索は徒(いたず)らに後の気持を寂しくするにすぎないのに気づいていた。もしかしたら誰か若い人とアベックだかも知れないという畏(おそ)れもあった。「もしそれでも知れなかったら、私、神田の警察に懇意な男がいますから、調べてもらえばきっと知れますがね。」「いや、そんなにしなくたって……。」「いずれそのうち現われるでしょうけれど。」 そう言って、一色はしばらく話しこんでから、警察の人への紹介を名刺に書いたりして、帰って行った。 翌日の午後、庸三は神田の方へ出向いて行った。何ということなし子供も一緒だった。そして猿楽町辺をぶらぶら歩きながら、二三軒の旅館を訪ねてみたが、子供に興味のあるはずもないので、古本屋をそっちこっち覗(のぞ)いてから、神保町(じんぼうちょう)の盛り場へ出てお茶を呑(の)んで帰って来た。まだそのころは映画も思わせぶりたっぷりな弁士の説明づきで、スクリンに動く人間に声のないのも、ひどく表情を不自然なものにしていたので、庸三はわざわざ活動館へ入りたいとは思わなかったし、喫茶店にも興味がなかったが、子供とではたまにそういう処(ところ)へも足を容(い)れるのであった。 翌朝庸三は持越しの衝動的な気持で、駿河台(するがだい)の旅館街を彷徨(ほうこう)していた。 ずっと以前に、別れてしまった妻を追跡して、日光辺の旅館を虱潰(しらみつぶ)しに尋ねて、血眼で宿帳を調べてあるき、到頭その情人の姓名を突き留め、二人が泊まったという部屋まで見届けたという、友人の狂気じみた情痴に呆(あき)れたものだったが、今はそれも笑えなかった。機会次第では彼もどんな役割を演じかねないのであった。 まず取っつきの横町の小さな下宿屋を二三軒きいてみた。ちょうど女中が襷(たすき)がけで拭(ふ)き掃除に働いている時間だったが、ある家では刑事と見られた感じを受けた。支那(シナ)の留学生の巣が、ごみごみしたその辺に軒を並べていた。 いい加減に切り揚げて、やがてその一区劃(くかく)をぬけて、広い通りの旅館を二軒と、アパアト風の洋館を一軒当たってみたが、無駄であった。そして当てなしにぶらついているうちに、いつか小川町(おがわまち)の広い電車通りへ出て来て、そこから神保町の方嚮(ほうこう)へと歩くのだったが、その辺は不断通っていると、別に何の感じもないのだったが、今そうやって特殊の目的のために気を配って歩いていると、昔その辺を毎晩のように散歩していた気軽な下宿生活の匂いが、その時代の街(まち)の気分と一緒に、嗅(か)げて来るのであった。濠端(ほりばた)の近くにあった下宿の部屋が憂鬱(ゆううつ)になって来ると、近所にいた友人の画家を誘って、喫茶店の最初の現われとも言える、ミルク・ホウルともフルウツ・パラアともつかない一軒の店で、パイン・アップルを食べたり、ココアを飲んだりした。ある夜は寄席(よせ)へ入って、油紙に火がついたように、べらべら喋(しゃべ)る円蔵の八笑人や浮世床を聴(き)いたものだった。そうしているうちに、彼は酷(ひど)い胃のアトニイに罹(かか)った。「あれから何年になるか。」 彼は振り返った。 神保町の賑(にぎ)やかな通りで、ふとある大きな書店の裏通りへ入ってみると、その横町の変貌(へんぼう)は驚くべきもので、全体が安価な喫茶と酒場に塗り潰(つぶ)されていた。透かして視(み)ると、その垠(はずれ)に春光館と白く染めぬいた赤い旗が、目についたので、庸三はどうせ無駄だとは思ったが行って見た。するとその貧弱なバラック建の下宿兼旅館の石段を上がって、玄関へ入って行った彼の目の前に、ちょうど階段の裏になっている廊下の取っ着きの、開きの襖(ふすま)があいていて、その部屋の入口に、セルの単衣(ひとえ)を着て、頭の頂点で彼女なりに髪を束ねた葉子が、ちょこなんと坐っていた。ほっとした気持で「おい」と声かけると、彼女は振り返ったが、いくらか狼狽(ろうばい)気味で顔を紅(あか)くした。そして籐(とう)のステッキを上がり框(がまち)に立てかけて、ずかずか上がろうとする庸三に、そっと首をふって見せたが、立ち上がったかと思うと、階段の上を指さして、二階へ上がるようにと目で知らした。庸三はどんどん上がって行った。彼女もついて来た。「ここ私たちの部屋ですの。」 そう言って葉子は取っ着きの明るい部屋へ案内した。感じのわるくない六畳で、白いカアテンのかかった硝子窓(ガラスまど)の棚(たな)のうえに、少女雑誌や翫具(おもちゃ)がこてこて置かれ、編みかけの緑色のスウェタアが紅い座蒲団(ざぶとん)のうえにあった。朝鮮ものらしい蓙(ござ)の敷物も敷いてあった。 葉子は彼を坐らせておいて、一旦下へおりて行ったが、少し経(た)ってから瑠美子を連れて上がって来た。「おじさんにお辞儀なさい。」 瑠美子が手をついてお辞儀するので、庸三も頭を撫(な)で膝(ひざ)へ抱いてみた。「どうしたんだい。誰かいるの、下の部屋に。」「職人ですの。――あの部屋が落着きがいいもんですから、今壁紙を貼(は)ってもらっていましたのよ。」「それでどうしたんだね。」「近いうち一度お伺いしようと思っていましたの。私瑠美子を仏英和の幼稚園へ入れようと思うんですけれど、あすこからではこの人には少し無理でしょうと思って……。咲子ちゃんどうしています。」「泣いて困った。それに病気して……。君は酷(ひど)いじゃないか。僕が悪いにしても、出たきり何の沙汰(さた)もしないなんて。」 庸三はハンケチで目を拭(ふ)いた。葉子は少し横向きに坐って、編みものの手を動かしていた。「でも随分大変だとは思うの。」「やっと初まったばかりじゃないか。今に子供たちも仲よしになるよ。どうせそれは喧嘩(けんか)もするよ。」「瑠美子も咲子さんの噂(うわさ)していますの。」「家(うち)の子供だって、あんなにみんなで瑠美子を可愛(かわい)がっていたじゃないか。」「貧しいながらも、私ここを自分の落着き場所として、勉強したいと思ってましたの。そして時々作品をもって、先生のところへ伺うことにするつもりでいたんですけれど、いけません。」「駄目、駄目。君の過去を清算するつもりで、僕は正面を切ったんだから。」「ここの主人夫婦も先生んとこ出ちゃいけないと言うんですの。――ここの御主人、先生のことよく知ってますわ。死んだ親爺(おやじ)さんは越後(えちご)の三条の人で、呉服物をもってよく先生のとこへ行ったもんだそうですよ。その人は亡くなって、息子(むすこ)さんが今の主人なんですの。」「色の白い、温順(おとな)しい……。」「いい人よ。」「君はまたどうして……。」「ここ秋本さんの宿ですもの。あの人に短歌の整理をしてもらったり何かしたのも、ここですもの。」 庸三はある時は子息(むすこ)をつれて、しばしば重い荷物を持ち込んで来た、越後らしいごつい体格のあの商人を思い出したが、同時にあの貴公子風の情熱詩人と葉子との、ここでのロオマンスを想像してみた。それにしては現実の背景が少し貧弱で、何か物足りない感じであった。やがて圧倒的な、そして相当狡獪(こうかい)な彼の激情に動かされて、とにかく葉子は帰ることに決めた。「じゃ、もうちょっとしたら行きます。きっと行くわ。」「そう。」 葉子は顔を熱(ほて)らせていた。そして庸三が出ようとすると壁際(かべぎわ)にぴったり体を押しつけて立っていながら、「唇(くちびる)を! 唇を!」と呼んだ。 庸三は小返(こがえ)りした。 葉子が車でやって来たのは、庭の隅(すみ)にやや黄昏(たそがれ)の色の這いよる時分で、見にやった庸太郎を先立ちに、彼女は手廻りのものを玄関に運ばせて、瑠美子をつれて上がって来た。「庸太郎さんとお茶を呑(の)んだりしていたもんですから……。それからこんなものですけれど、もしよかったらこの部屋にお敷きになったらどうかと思って……。」 葉子はそう言って、持って来た敷物を敷いてみた。「どうです、このネクタイ!」 縁側では、子供が葉子に買ってもらった、仏蘭西製(フランスせい)の派手なネクタイを外光に透かして見ていた。 学校が休みになると、子供は挙(こぞ)って海へ行った。瑠美子も仲間に加わらせた。 読んだり書いたり、映画を見たりレコオドを聴(き)いたり、晩は晩で通りの夜店を見に行ったり、時とすると上野辺まで散歩したり――しかしこの生活がいつまで続くかという不安もあって……続けば続く場合の不安もあって、庸三の心はとかく怯(おび)えがちであった。すべての人生劇にとっても、困難なのはいずれ大詰の一幕で、歴史への裁断のように見通しはつきにくいのであった。それに庸三は、すべての現象をとかく無限への延長に委(ま)かせがちであった。 八月の末に、葉子は瑠美子を海岸から呼び迎えて、一緒に田舎(いなか)へ立って行った。母の手紙によって、瑠美子の妹も弟も、継母の手から取り戻せそうだということが解(わか)ったからであった。二人を上野駅に見送ってしまうと、庸三はその瞬間ちょっとほっとするのだったが、また旧(もと)の真空に復(かえ)ったような気持で、侘(わび)しさが襲いかかって来た。「先生にもう一度来てもらいますわ。その代り私がお報(し)らせするまで待ってね。いい時期に手紙あげますわ。」 そうは言っても、葉子は夏中彼の傍(そば)に本当に落ち着いていたわけではなかった。何も仕出来(しでか)しはしなかったが、庸三に打ち明けることのできない、打ち明けてもどうにもならない悩みを悩み通していた。彼女は自身の文学の慾求に燃えていたが、生活も持たなければならなかった。瑠美子への矜(ほこ)りも大切であった。最初のころから見ると、著しい生活条件の変化もあった。 二日ほどすると、葉子の手紙がとどいた。彼も書いた。それから大抵三日置きくらいには書いた。どろどろした彼の苦悩が、それらの手紙に吐け口を求めたものだったが、投函(とうかん)した後ですぐ悔いるようなものもあった。葉子が還(かえ)るものとも還らないものとも判断しかねるので、それの真実の探求への心の乱れであり、魂の呻吟(しんぎん)でないものはなかった。しばしば近くの友達を訪れて、話しこむこともあった。 雨の降るある日、彼はある女を憶(おも)い出した。妻の位牌(いはい)に、あのころ線香をあげに来た、あの女性であった。その女から待合開業の通知を受け取ったのは、もう大分前のことであった。御馳走(ごちそう)になり放しだったし、さまざまの世界を見て来た彼女の話も聴(き)きたかった。酷(ひど)い雨だったけれど、雨国に育った彼にはそれもかえってよかった。 タキシイで、捜し当てるのに少し暇を取ったが、場所は思ったより感じがよかった。「お神さん御飯食べに銀座へ行っていますけれど、じき帰って来ますわ。まあどうぞ。」 庸三は傘(かさ)をそこにおいて、上がった。そして狭い中庭に架(か)かった橋を渡って、ちんまりした部屋の一つへ納まった。薄濁った大川の水が、すぐ目の前にあった。対岸にある倉庫や石置場のようなものが雨に煙って、右手に見える無気味な大きな橋の袂(たもと)に、幾棟(いくむね)かの灰色の建築の一つから、灰色の煙が憂鬱(ゆううつ)に這(は)い靡(なび)いていた。「ひどい雨ですことね。」 渋皮のむけた二十二三の女中が、半分繰り出されてあった板戸を開けて、肱掛窓(ひじかけまど)の手摺(てすり)や何かを拭いていた。水のうえには舟の往来もあって、庸三は来てよかったと思った。 女中は煙草盆(たばこぼん)や、お茶を運んでから、電話をかけていたが、商売屋なので、上がった以上、そうやってもいられなかった。「お神さんじき帰りますわ。」 女中が言いに来た。「誰か話の面白い年増(としま)はいない。」「いますわ。一人呼びましょうか。」 やがて四十を少し出たくらいの、のっぽうの女が現われた。芸者という感じもしないのだったが、打ってつけだった。話も面白かった。お母さんの病気だと言って、旦那(だんな)を瞞(だま)して取った金で、京都で新派の俳優と遊んでいるところを、四条の橋で店の番頭に見つかって、旦那をしくじった若い芸者の話、公園の旧俳優と浮気して、根からぞっくり髪を切られた女の噂(うわさ)――花柳情痴の新聞種は尽きなかった。 そこへお神が入って来た。お神というよりかマダムといいたい……。春見た時はどこからしゃめん臭いところがあったが、今見ると縞(しま)お召の単衣(ひとえ)を着て、髪もインテリ婦人のように後ろで束(つか)ねて、ずっと綺麗(きれい)であった。      八 お神の小夜子(さよこ)は、媚(なま)めかしげにちろちろ動く美しい目をしていて、それだけでもその辺にざらに転(ころ)がっている女と、ちょっと異った印象を与えるのであったが、彼女は一本のお銚子(ちょうし)に盃洗(はいせん)、通しものなぞの載っている食卓の隅(すみ)っこへ遠のいて、台拭巾(だいぶきん)でそこらを拭きながら、「大変ですね、先生も葉子さんの問題で……。」 庸三は二三杯呑(の)んだ酒がもう顔へ出ていたが、「僕も経験のないことで、君に少し聞いてもらいたいと思っているんだけれど。」「賑(にぎ)やかでいいじゃありませんか。」彼女はじろりと庸三を見て、「まあ一年は続きますね。」 小夜子は見通しをつけるのであった。「今お宅にいらっしゃいますの。」「ちょっと田舎へ行っているんだがね。僕も実はどうしようかと思っている。」「田舎へ何しにいらしたんですの。」「子供を継母の手から取り戻すためらしいんだ。」 そして庸三はこの事件のデテールズについて、何かと話したあとで、「貴女(あなた)はどうしてこんな商売を始めたんです。」「私もいろいろ考えたんですの。クルベーさんも、もう少し辛抱してくれれば、もっとどうにかすると言ってくれるんですけれど、あの人も大きな山がはずれて、ちょっといけなくなったもんですから。」 クルベーという独逸(ドイツ)の貴族は、新しい軍器などを取扱って盛大にやっていたものらしいが、支那の当路へ軍器を売り込もうとして、財産のほとんど全部を品物の購入や運動費に投じて、すっかりお膳立(ぜんだ)てが出来たところで、政府筋と支那との直接契約が成立してしまった。そこまで運ぶのに全力を尽した彼の計画が一時に水の泡(あわ)となってしまった。その電報を受け取った時、彼はフジヤ・ホテルで卒倒してしまった。 しかし小夜子は今そんなことを初対面の彼に、打ち明けるほど不用意ではなかった。クルベーとの七年間の花々しい同棲(どうせい)生活については、彼女はその後折にふれて口の端(は)へ出すこともあったし、一番彼女を愛しもし、甘やかしもしてくれたのは何といってもその独逸の貴族だったことも、時々憶(おも)い出すものらしかったが、今は彼女もその愛の囚(とりこ)に似た生活から脱(のが)れ出た悦(よろこ)びで一杯であった。「貴女の過去には随分いろいろのことがあったらしいね。」「私?」「新橋にいたことはないんか。」「いました。あの時分文芸倶楽部(クラブ)に花柳界の人の写真がよく出たでしょう。私のも大きく出ましたわ。――けどどうしてです。」「何だか見たような気がするんだ。いつか新橋から汽車に乗った時ね、クションに坐りこんで、しきりに刺繍(ししゅう)をやっている芸者が三人いたことがあるんだ。その一人に君が似ているんだ。まだ若い時分……。」「刺繍もやったことはありますけれど……。何せ、私のいた家(うち)の姐(ねえ)さんという人が、大変な人で、外国人の遺産が手に入って、すっかり財産家になってしまったんです。お正月のお座敷へ行くのに、正物(ほんもの)の小判や一朱金二朱金の裾模様(すそもよう)を着たというんでしたわ。それでお座敷から帰ると、夏なんか大した椅子(いす)に腰かけて、私たちに体を拭かせたり煽(あお)がしたり、寝るときは体を揉(も)む人に小説を読む人といったあんばいで……。」「ああ、それで君なんかも……。」 小夜子は、三キャラットもあるダイヤの粒の大きいのと小さいのと、それに大振りな珊瑚(さんご)のまわりに小粒の真珠を鏤(ちり)ばめたのなど、細い指に指環(ゆびわ)をでこでこ嵌(は)めていた。「その人どうしたかね。」「姐さんですか。それが先生あの有名な竹村先生と軽井沢で心中した芝野さんの旦那(だんな)を燕(つばめ)にしているんですよ。」「なるほどね。」「お金がうんとありますから、大森に立派な家を立てて、大した有閑マダムぶりですよ。」「芝野というのを、君知っている?」「ええ、時々三人で銀ぶらしますわ。こう言っちゃ何ですけれど、厭味(いやみ)な男よ。それあ多勢(おおぜい)の銀座マンのなかでも、あのくらいいい男はちょっと見あたらないかも知れませんがね。赤いネクタイなんかして気障(きざ)よ。それでショウウインドウなんかで、いいネクタイが見つかると腐るほどもってるくせに、買ってよう、ようなんて甘ったれてるの。醜いものね、あんなお婆(ばあ)さんが若い燕なんかもってるのは。私つくづくいやだと思いますわ。」 庸三は苦笑して、「耳が痛いね。」「いいえ、男の方(かた)はいいんですよ。男の方はいくらお年を召していらしても、決して可笑(おか)しいなんてことはありませんね。」 そうしているうちに、彼は何か食べたくなって来た。妻を失ってから、彼の食膳(しょくぜん)は妻のやり方を長いあいだ見て来ただけの、年喰いのチビの女中のやってつけの仕事だったので、箸(はし)を執るのがとかく憂鬱(ゆううつ)でならなかった。「銀水と浪花屋(なにわや)とどっちにしましょうか。」「そうね、どっちも知らないけれど……。」「浪花屋の方が、お値段はお恰好(かっこう)な割りに、評判がいいようですから。」 庸三は鮎(あゆ)の魚田(ぎょでん)に、お椀(わん)や胡麻酢(ごます)のようなものを三四品取って、食事をしてから、間もなくタキシイを傭(やと)ってもらった。 ある朝庸三は、川沿いのその一室で目をさました。忙(せわ)しいモオタアや川蒸気や荷足(にたり)の往来が、すでに水の上に頻繁(ひんぱん)になっていた。 昨夜彼は書斎の侘(わび)しさに、ついタキシイを駆ったものだったが、客が二組もあって、小夜子も少し酒気を帯びていた。庸三は別に女を呼ぶわけではなかった。ずっと後に、友達と一緒に飯を食いに行く時に限って、芸者を呼ぶこともあったが、彼自身芸者遊びをするほど、気持にも懐(ふとこ)ろにも余裕があるわけではなかった。「御飯を食べにいらして下さるだけで沢山ですわ。芸者を呼んでいただいても、私の方はいくらにもなりませんのよ。」 小夜子の目的はほかにあった。追々に彼の仲間に来てもらいたいと思っていた。それに彼女は開業早々の商売の様子を見いかたがた田舎(いなか)から出て来ている姉を紹介したりして、何かと彼の力を仮(か)りるつもりらしかった。昨夜も彼女は彼の寝間へ入って来て、夜深(よふけ)の窓の下にびちゃびちゃ這(は)いよる水の音を聞きながら、夜明け近くまで話していたが、それは文字通りの話だけで何の意味があるわけでもなかった。すれすれに横たわっていても指一つ触れるのではなかった。電気行燈(あんどん)の仄(ほの)かな光りのなかで、二人は仰むきに臥(ね)ていた。真砂座(まさござ)時代に盛っていて看板のよかったこの家(うち)を買い取るのにいくらかかったとか、改築するのにいくらいくらいったとかその金の大部分が、今、中の間で寝ている姉の良人(おっと)、つまり田舎の製茶業者で、多額納税者である義兄に借りたもので、月々利子もちゃんと払っているのであった。不思議と彼女に好い親類のあることがその後だんだんわかって来たのであったが、小夜子はそれを鼻にかけることもなかった。三菱(みつびし)の理事とか、古河銅山の古参とか、または大阪の大きな工場主とか。彼女が暗い道を辿(たど)って来たのは、父が違うからだということも想像されないことではなかったが、それにしても彼女は十六か七で、最初のライオンの七人組の美人女給の一人として、生活のスタアトを切って以来、ずっと一本立ちで腕を磨(みが)いて来ただけに、金持の親類へ寄って行く必要もなかったし、拘束されることも嫌(きら)いであった。芝の神明(しんめい)に育った彼女は、桃割時代から先生の手におえない茶目公であったが、そのころその界隈(かいわい)の不良少女団長として、神明や金刀毘羅(こんぴら)の縁日などを押し歩いて、天性のスマアトぶりを発揮したものだった。 庸三が床から起きて、廊下から薄暗い中の間をのぞいてみると、いつの間にか起き出した小夜子は、お燈明の煌々(こうこう)と輝く仏壇の前に坐りこんで、数珠(じゅず)のかかった掌(て)を合わせて、殊勝げにお経をあげていた。庸三にとっては、この場合思いもかけなかった光景であったが、商売柄とはいえ、多くの異性にとかくえげつない振舞の多かった自身の過去を振り返るごとに、彼女はそぞろに心の戦(おのの)きを禁じ得ないものがあった。クルベーの厚い情愛で、長い病褥(びょうじょく)中行きとどいた看護と金目を惜しまない手当を受けながら、数年前に死んで行った老母が「そんなことをしてよく殺されもしないものだ」と言って、彼女の成行きを憂えたくらい、彼女は際(きわ)どい離れ業(わざ)をして来たのであった。華族の若さまなどが入り浸っていた女給時代に、すでにそれが初まっていた。 仏壇のある中の間には、マホガニか何かのと、桐(きり)の箪笥(たんす)とが三棹(みさお)も並んでいて、三味線箱(しゃみせんばこ)も隅(すみ)の方においてあった。ごちゃごちゃ小物の多い仏壇に、新派のある老優にそっくりの母の写真が飾ってあったが、壁に同じ油絵の肖像も懸(か)かっていた。小夜子は庸三が来たことも気づかないように、一心不乱に拝んでいた。 庸三は言わるるままに廊下をわたって、風呂場(ふろば)の方へ行った。天井の高い風呂場は、化粧道具の備えつけられた脱衣場から二三段降りるようになっていた。そして庸三が一風呂つかって、顔を剃(あた)っていると、そこへ小夜子も入って来た。男を扱いつけている彼女にとって、それは一緒にタキシイに乗るのと何の異(かわ)りもなかった。 やがて小夜子は焚(た)き口の方に立って、髪をすいた。なだらかな撫(な)で肩(がた)、均齊(きんせい)の取れた手や足、その片膝(かたひざ)を立てかけて、髪を束ねている図が、春信(はるのぶ)の描く美人の型そのままだと思われた。しかしそんな場合でも、庸三は葉子の美しい幻を忘れていなかった。これも一つの美人の典型であろうが、自然さは葉子の方にあった。「先生何か召(め)し食(あが)ります? トストでも。」「そうね。」「私御飯いただいたんですよ。これからお山へお詣(まい)りに行くんですけれど、一緒に来て下さいません?」「お山って。」「待乳山(まつちやま)ですの。」「変なところへお詣りするんだね。何かいいことがあるのかい。」「あすこは聖天(しょうでん)さまが祀(まつ)ってあるんですの。あらたかな神さまですわ。舟で行くといいんですけれど。」 お昼ちかくになってから、不断着のままの小夜子と同乗して、庸三もお山の下まで附き合った。そしてタキシイのなかでお山の段々から彼女の降りて来るのを待っていたが、それからも彼は二三度お詣りのお伴(とも)をして、ある時は段々をあがって、香煙の立ち昇っている御堂近くまで行ってみたこともあった。 ある日も庸三はこの水辺の家へタキシイを乗りつけた。 彼は三日目くらいには田舎(いなか)にいる葉子に手紙を書いた。書いたまま出さないのもあったが、大抵は投函(とうかん)した。もう幾本葉子の手許(てもと)にあるかなぞと彼は計算してみた。いずれいつかはそっくり取り返してしまうつもりであったし――またほとんど一本も残らずある機会に巧く言いくるめて取りあげてしまったのであったが、そんな予想をもちながらも、やはり書かないわけに行かなかった。今まで気もつかなかった、変に捻(ねじ)けた自我がそこに発見された。葉子を脅(おど)かすようなことも時には熱情的に書きかねないのであった。葉子のような文学かぶれのした女を楽しましめるような手紙は、無論彼には不得手でもあったし、気恥ずかしくもあった。 そうした時、ある日陰気な書斎に独りいるところへ、一人の女流詩人が詩の草稿をもって訪ねて来た。年の若い体の小さいその女流詩人は、見たところ小ざっぱりした身装(みなり)もしていなかったが、感じは悪くなかった。彼女の現在は神楽坂(かぐらざか)の女給であったが、その前にしばらく庸三の親友の郊外の家で、家事に働いていたこともあった。彼女は今絶望のどん底にあるものらしかったが、客にサアビスする隙々(ひまひま)に、詩作に耽(ふけ)るのであった。毎日々々の生活が、やがて彼女の歔欷(すすりなき)の詩であり、酷(むご)い運命の行進曲であった。 彼女の持ち込んだ詩稿のなかにはすでに印刷されているものも沢山あったが、庸三はその一つ二つを読んでいるうちに、詩のわからない彼ではあったが、何か彼女の魂の苦しみに触れるような感じがして、つい目頭(めがしら)が熱くなり、心弱くも涙が流れた。「これをどこか出してくれる処(ところ)がないものかと思いますけれど……。」「そうね、ちょっと僕ではどうかな。」「ほんとうは私自費出版にしたいと思うんですけれど、そのお金ができそうもないものですから。」「そうね、僕も心配はしてみるけれど……。」 庸三は暗然とした気持で、彼女の生活を思いやるだけであった。「先生も大変ですね。お子さまが多くて……。梢さんどうなさいましたの。」「葉子は今田舎にいますけど……。」「私のようなものでよかったら、お子さんのお世話してあげたいと思いますけれど。」「貴女(あなた)がね。それは有難いですが……。事によるとお願いするかも知れません。」「ええいつでも……。」 彼女は机の上にひろげた詩稿を纏(まと)めて帰って行った。 彼はその日のうちに葉子に手紙を書いた。その詩を讃(ほ)めると同時に、子供の世話を頼もうかと思っている云々(うんぬん)と。すると三日目に葉子から返事がとどいて、長々しい手紙で、少しいきり立った文句で、それに反対の意見を書いて来た。でなくとも、女給をして来た人では、庸三の家政はどうかという意見もほかの人から出たので、彼もそれは思い止(とど)まることにした。 庸三は風呂(ふろ)で汗を流してから、いつもの風通しのいい小間で、小夜子とその話をしていた。 この水辺の意気造りの家も、水があるだけに、来たてにはひどく感じがよかったが、だんだん来つけてみると、彼女の前生活を語るようなもろもろの道具――例えば二十五人の人夫の手で据(す)えつけたという、日本へ渡って来た最大の独逸(ドイツ)製金庫の二つのうちの一つだという金庫なぞがそれで、何かそこらの有閑マダムのような雰囲気(ふんいき)ではあったが、室内の装飾などは、何といってもあまり感じのいいものではなかった。「そのうち追々取り換えるんだね。」 庸三は窓際(まどぎわ)に臥(ね)そべっていた。小夜子も彼の頭とほとんど垂直に顔をもって来て、そこに長くなっていた。そうして話していると、彼女の目に何か異様な凄(すご)いものが走るのであった。「私芝にいた時、ちょうど先生にお目にかかった時分、こういうことがあったんです。」 小夜子は語るのであった。「ある人がね、私は麹町(こうじまち)の屋敷を出たばかりで、方針もまだ決まらない時分なの。するとその人がね、君ももう三十を過ぎて、いろんなことをやって来ている。鯛(たい)でいえば舐(ねぶ)りかすのあらみたいなもんだから、いい加減見切りをつけて、安く売ったらいいだろうって、私に五百円おいて行ったものなの。」「それが君のペトロンなの。」「ペトロンなんかないけど。」「一体君いくつなの?」「私ですか。そうね。」彼女の答えは曖昧(あいまい)であった。彼に女の年を聞く資格もなかった。「その男は?」「それきりですの。」「金は。」「金は使っちゃいましたわ。」 それが一夜の彼女の貞操の代償というわけであった。彼女は今でもそれを千円くらいに踏んでいるものらしかった。「その男は――株屋?」「株屋じゃありません。株屋ならちょっと大きい人の世話に、この土地で出ていた時分にはなったこともありましたけれど、その人も震災ですっかりやられてしまいましたわ。」 そして彼女はその株屋の身のうえを話し出した。「その人がまだお店の番頭時代――二十四くらいでしたろうか、ある時お座敷に呼ばれて、ちょっといいなあと思ったものです。たびたび逢(あ)っているうちに深くなって、店をわけてもらったら、一緒になろうなんて言っていたものでしたが、ほかにお客ができたものですから、それはそれきりになって、私も間もなく堅気になったものですから、ふつり忘れてしまっていたもんなんです。すると、十年もたって、私がまた商売に出るようになってから、株屋仲間のお座敷へ呼ばれて行くと、その中にその人のお友達もいて、おせっかいなことには、四五人で私を芝居につれて行って、同じ桟敷(さじき)でその男に逢わしたものです。その男も今は旦那(だんな)が死んで、堅いのを見込まれて、婿(むこ)養子として迹(あと)へ据(す)わって、采配(さいはい)を振るっているという訳で、ちょっと悪くないから私もその気で、再び縒(よ)りが戻ったんですの。私はそうなると、お神さんのあるのが業腹(ごうはら)で帰してやるのがいやなんです。お神さんは三つも年上で、夜通し寝ないで待っているという妬(や)き方で、その人の手と来たら、紫色のあざが絶えないという始末なんです。到頭その店を飛び出して二人で世帯(しょたい)をもったんですけれど、それからはどうもよくありませんでしたね。私もいい加減見切りをつけて、クルベーさんの世話になったんですが、震災のあの騒ぎの時、よくせきのことだと見えて、その男が店のものを金の無心に寄越(よこ)しましたわ。自分でもやって来ましたわ。僅かの金なんでしたけれど、私部屋へ帰って考えると、何だか馬鹿々々しくなって、クルベーさんに感づかれても困ると思って、五円やって逐(お)っ払っちゃいました。けれど、何しろその人は草鞋足袋(わらじたび)か何かで見すぼらしいったらないんですの。顔見るのもいやでしたわ。」 ちょうど時間がよかったので、小夜子の望みで彼は久しぶりで歌舞伎(かぶき)を覗(のぞ)いてみることにした。葉子の好きな言葉のない映画よりも、長いあいだ見つけて来た歌舞伎の鑑賞癖が、まだ彼の躰(からだ)にしみついていた。暗くて陰気くさい映画館には昵(なじ)めなかった。 小夜子は帳場へ出て、電話で座席があるかないかを聞きあわせた。「二階桟敷でしたら、五つ目がありますの。「結構。」「私支度(したく)しますから、先生もお宅へ着物を取りにおやんなすっては。」「そうね。」 その通りにして部屋で待っていると、女中がやって来て、「何を着て行っていいか、お神さんが先生に来て見て下さいって。」「そう。」 庸三が行ってみると、箪笥(たんす)の抽斗(ひきだし)と扉(とびら)がいくつも開いていて、そこに敷いた青蓙(あおござ)のうえにも外にも、長襦袢(ながじゅばん)や単衣(ひとえ)や帯が、花が散りしいたように取り散らかされていた。「あまり派手じゃいけないでしょう。」「そうね。あまり目立たない方がいいよ。」 結局何かの雨絣(あめがすり)に、黒の地紋の羽織ということになった。顔もいつものこってりしない程度で、何かきりりと締りの好い、愛らしい形がそこに出来あがった。彼女は流行さえ気にしなければ、一生着るだけの衣裳(いしょう)に事欠かないほどのものを持っていた。丸帯だけでも長さ一間幅四尺もある金庫に一杯あった。すばらしい支那服、古い型の洋服――そんなものも、その後何かのおりに、引っ張り出してみたが、それらは残らず震災後に造ったもので、無論クルベー好みのけばけばしいものばかりであった。 車が来たので、庸三は勝手口から降りた。小夜子はコムパクトを帯にはさみながら部屋を出て来た。「ちょっと寄り道してもいいでしょう。手間は取りません。」 そう言って小夜子は永田町(ながたちょう)へと運転士に命じた。 じきに永田町の静かな町へ来た。小夜子は蔦(つた)の絡(から)まった長い塀(へい)のはずれで車をおりて、その横丁へ入って行った。しゃなりしゃなりと彼女の涼しげな姿が、彼の目の先を歩いて行ったが、どんな家(うち)へ入って行ったかは、よく見極(みきわ)められなかった。それがクルベーの邸宅であることは、ずっと後に解(わか)った。 暑い盛りの歌舞伎座は、そう込んでいなかった。俳優の顔触れも寂しかったし、出しものもよくはなかった。庸三は入口で、顔見しりの芝居道の人に出逢(であ)ったが、廊下でも会社の社長の立っているのを見た。小夜子が紹介してくれというので、ちょいと紹介してから、二階へあがって行ったが、そうやって、前側にすわって扇子をつかっている小夜子の風貌(ふうぼう)は、広い場内でも際立(きわだ)つ方であった。でも何の関係もないだけに、葉子と一緒の時に比べて、どんなに気安だか知れなかった。 二人は楽しそうに、追々入って来るホールの観客を見降ろしながら、木の入るのを待っていた。 到頭ある日葉子から電報が来た。月蒼(あお)く水煙(けぶ)る、君きませというような文句であった。 庸三はもう二週間もそれを待ちかねていた。絶望的にもなっていた。いきなり彼女の故郷へ踏みこんでいって、町中(まちなか)に宿を取って、ひそかに動静を探ってみようかなぞとも考えたり、近所に住んでいる友人と一緒に、ある年取った坊さんの卜者(うらないしゃ)に占ってもらったりした。彼はずっと後にある若い易の研究者を、しばしば訪れたものだったが、その方により多くの客観性のあるのに興味がもてたところから、自身に易学の研究を思い立とうとしたことさえあったが、老法師のその場合の見方も外れてはいなかった。占いの好きなその友人も、何か新しい仕事に取りかかる時とか、または一般的な運命を知りたい場合に、東西の人相学などにも造詣(ぞうけい)のふかい易者に見てもらうのが長い習慣になっていた。支那出来の三世相(さんぜそう)の珍本も支那の古典なぞと一緒に、その座右にあった。「梢を叩(たた)き出してもかまわない。おれが責任をもつ。」 そう言って庸三の子供たちを激励する彼ではあったが、反面では彼はまた庸三の温情ある聴(き)き役でもあった。 老法師は庸三たちの方へ、時々じろじろ白い眼を向けながら不信者への当てつけのような言葉を、他の人の身の上を説明している時に、口にするのであったが、順番が来て庸三が傍(そば)へ行くと、不幸者を劬(いた)わるような態度にかえって、叮嚀(ていねい)に水晶の珠(たま)を転(ころ)がし、数珠(じゅず)を繰るのであった。「この人は、きっと貴方(あなた)の処(ところ)へ帰って来ます。慈父の手に縋(すが)るようにして帰って来ます。貴方がもし行くにしても、今は少し早い。月末ごろまで待っていなさるがいい。そのころには何かの知らせがある。」 卜者は言うのであった。 とにかく庸三は再び葉子の家を見舞うことにして返電をうった。そしてその翌日の晩、いくらかの土産(みやげ)をトランクに詰めて、上野を立った。実はどこか福島あたりの温泉まで葉子が出て来て、そこで庸三と落ち合う約束をしたので、彼は今そうやって汽車に乗ってみると、またしても彼女の家族や町の人たちに逢うのが、憂鬱(ゆううつ)であった。しかし翌日の午後駅へついてみると、葉子姉妹(きょうだい)や弟たちも出迎えていて、初めての時と別に渝(かわ)りはなかった。彼は再び例の離れの一室に落ちついた。瑠美子のほかに、ちょうど継母(ままはは)の手から取り戻した二人の子供もいて、葉子は何かそわそわしていたが「ちょっと先生……」と言って、彼をさそい出すと、土間を渡って二階へ上がって行くので、彼も何の気なしについて上がった。 葉子は縁側の椅子(いす)を彼にすすめて、子供取り戻しの経緯(いきさつ)を話した。ここからそう遠くはない山手の町の実家へ引き揚げて来ている継母は、自分の子がもう二人もできていて、とかく葉子の子供たちに辛(つら)く当たるのであった。「北海道時代に私が目をかけて使っていた女中なんですよ。その時分は子供にもよくしてくれて、醜い女ですけれど、忠実な女中だったんですのよ。松川は相当のものを預けて行ったものらしいんですの。上海(シャンハイ)で落ち着き次第、呼び寄せることになっているらしいんですけれど、あの子たちは食べものもろくに食べさせられなかったんですの。」「君がつれて来たのか。」「私が乗り込んでいって、談判しましたの。私には頭があがらないんですの。」「それでこれから……。」「先生にご迷惑かけませんわ。」「…………。」「先生怒らないでね。私あの人に逢ったの。」 庸三はぎょっとした。それが庸三も一度逢って知っている秋本のことであった。「誰れに?」「私には子供を育てて行くお金がいるんですもの。」 庸三はいきなり恐ろしい剣幕で、葉子の肩を両手で掴(つか)んで劇(はげ)しく揺すり、壁ぎわへ小突きまわすようにした。「御免なさい、御免なさい。そんなに怒らないでよ。私いけない女?」 やがて庸三は離れた。そして椅子に腰かけた。 そうしている処へ、瑠美子が「まま、まま」と声かけながら段梯子(だんばしご)をあがって来た。「瑠美ちゃん下へ行ってるのよ。」葉子は優しく言って、「まま今おじちゃんにお話があるの。」 やがて葉子はそのことはけろりと忘れたように、話を転じた。妹が近々許婚(いいなずけ)の人のところに嫁(とつ)ぐために、母に送られて台湾へ行くことになったことだの、母の帰るまでゆっくり逗留(とうりゅう)していてかまわないということだの――。 庸三は灰色の行く手を感じながらも、朗らかに話している葉子の前にいるということだけでも、瞬間心は恰(たの)しかった。すがすがしい海風のような感じであった。      九 庸三の今度の訪問は、滞在期間も前の時に比べてはるかに長かったし、双方親しみも加わったわけだが、その反面に双方が倦怠(けんたい)を感じたのも事実で、終(しま)いには何か居辛(いづら)いような気持もしたほど、周囲の雰囲気(ふんいき)に暗い雲が低迷していることも看逃(みのが)せないのであった。帰りの遅くなったのは、最近になってやっとはっきり自覚するようになった葉子の痔瘻(じろう)が急激に悪化して、ひりひり神経を刺して来る疼痛(とうつう)とともに、四十度以上もの熱に襲われたからで、彼はそれを見棄(みす)てて帰ることもできかね、つい憂鬱(ゆううつ)な日を一日々々と徒(いたず)らに送っていた。 最初着いた時分には、よく浜へも出てみたし、小舟で川の流れを下ったり、汽車で一二時間の美しい海岸へ、多勢(おおぜい)でピクニックに行ったりしたものであった。いろいろの人が持ち込んで来る色紙や絹地に、いやいやながら字を書いて暮らす日もあった。その人たちのなかには、廻船問屋(かいせんどんや)時代の番頭さんとか、葉子の家の田地を耕しているような親爺(おやじ)さんもあった。だだっ広い茶の間を駈(か)けて歩いているのは葉子の別れた良人(おっと)によく肖(に)ている、瑠美子の幼い妹や弟たちで、それに葉子の末の妹なども加わって、童謡の舞踊が初まることもあった。葉子はさも幸福そうに手拍子を取って謳(うた)っていた。子供の手を引いて盛り場の方へ夜店を見にいくこともあれば、二人だけで暗い場末の街(まち)を歩いてみることや、通り筋の喫茶店でお茶を呑(の)むこともしばしばであった。葉子の家では以前町の大通り筋に塩物や金物の店を出していたこともあって、美貌(びぼう)の父は入婿(いりむこ)であったが、商才にも長(た)けた実直な勤勉家で、田地や何かも殖(ふ)やした方であったが、鉄道が敷けて廻船の方が挙がったりになってからも、病躯(びょうく)をかかえて各地へ商取引をやっていた。瑠美子が産まれてから間もなくその父は死んだが、葉子を特別に愛したことは、その日常を語る彼女の口吻(くちぶり)でも解(わか)るのであった。学窓に蔓(はびこ)っていた学生同志の同性愛問題で、そのころ教育界を騒がしたほどの女学校だけに、そしてそれがまた生徒と教師との恋愛問題をも惹(ひ)き起こしただけに、多分処女ではなかったらしい彼女の派手な結婚の支度(したく)や、三日にわたった饗宴(きょうえん)に金を惜しまなかった張り込み方を考えても、父の愛がどんなに彼女を思い昂(たかぶ)らせたか想像できるのであった。 葉子の話では結婚の翌日、彼女は二階の一室で宿酔(ふつかよい)のさめない松川に濃い煎茶(せんちゃ)を勧めていた。体も魂も彼女はすっかり彼のものになりきった気持であった。彼女は畳に片手をついて吸子(きゅうす)のお茶を茶碗(ちゃわん)に注(つ)いだ。彼の寝所へ入ったのは、すでに一時過ぎであった。その時まで彼は座敷で方々から廻って来る盃(さかずき)を受けていたので、窓が白むまで知らずに爛睡(らんすい)していた。 朝のお化粧をして、葉子が松川と差向いでいるところへ、にわかに段梯子に跫音(あしおと)がして、最初この結婚を取り持った葉子の従兄(いとこ)筋に当たる男が半身を現わした。「いやどうもすっかり世話女房気取りだね。こいつは当てられました。」 県の議員なんかをやってる素封家(そほうか)の子息(むすこ)である従兄はそう言って、顔を赤くしている新夫婦に目を丸くした。葉子もこの従兄とのかつての恋愛模様と、新夫婦を母とともども小樽まで送って行った時の、三人の三角なりな気持の絡(から)み合いは、何か美しい綾(あや)の多い葉子の話しぶりによると、それは相当蠱惑的(こわくてき)なローマンスで、モオパサンの小説にも似たものであった。途中のある旅館における雨の侘(わび)しい晩に、従兄への葉子の素振りの媚(なま)めかしさが、いきなり松川の嫉妬(しっと)を抑えがたいものに煽(あお)りたてた。ちょっと話があると言って、にわかに葉子は薄暗い別室に拉(つ)れこまれた。「おれはお前の良人(おっと)だぞ!」 彼はそう言って葉子が顫(ふる)えあがるほど激情的に愛撫(あいぶ)した。 着いてからも、従兄はしばらくその町に滞在していた。そして毎夜のように酒と女に浸っていたものだった。 ある日離れで葉子と庸三とが文学の話などに耽(ふけ)っていると、そこへ母親が土間の方から次ぎの間の入口へ顔を出して、今瑠美子たちの継母(ままはは)と二人の書生とが、この古雪の町へ自動車で乗りこんで来たというから、多分子供たちを取り戻しに逆襲しに来たに違いない。と、あわただしく報告するのであった。「そう!」 葉子はその時少し熱があって、面窶(おもやつ)れがしていたが、子供のこととなると、仔猫(こねこ)を取られまいとする親猫のように、急いで下駄(げた)を突っかけて、母屋(おもや)の方へ駈(か)け出して行った。 庸三は何事が起こるかと、耳を聳(そばだ)ててじっとしていたが、例の油紙に火のついたように、能弁に喋(しゃべ)り立てる葉子の声が風に送られて、言葉の聯絡(れんらく)もわからないながらに、次第に耳に入って来た。継母というのが、もと葉子が信用していた召使いであっただけに、頭から莫迦(ばか)にしてかかっているものらしく、何か松川の後妻としての相手と交渉するというよりも、奥さんが女中を叱(しか)っていると同じ態度であったが、憎悪とか反感とか言った刺(とげ)や毒が微塵(みじん)もないので、喧嘩(けんか)にもならずに、継母は仕方なしに俯(うつむ)き、書生たちは書生たちで、相かわらずやっとる! ぐらいの気持で、笑いながら聞き流しているのであった。そうなると、恋愛小説の会話もどきの、あれほど流暢(りゅうちょう)な都会弁も、すっかり田舎訛(いなかなま)り剥(む)き出しになって、お品の悪い言葉も薄い唇(くちびる)を衝(つ)いて、それからそれへと果てしもなく連続するのであった。ふと物の摺(す)れる音がして、柘榴(ざくろ)の枝葉の繁(しげ)っている地境の板塀(いたべい)のうえに、隣家の人の顔が一つ見え二つ見えして来た。そこからは庸三の坐っている部屋のなかも丸見えであった。庸三はきまりがわるくなったので、にわかに茶の間へ出て行って見た。葉子は姐御(あねご)のようなふうをして、炉側(ろばた)に片膝(かたひざ)を立てて坐っていたが、「お前なんぞ松川さんが愛していると思ったら、飛んだ間違いだぞ。おれ今だって取ろうと思えばいつでも取ってみせる。」 という言葉が彼の耳についた。 するうち嵐(あらし)が凪(な)いで、書生はその辺を飛びまわっている男の子の機嫌(きげん)を取るし、色の浅黒い、目の少しぎょろりとした継母は匆々(そうそう)にお辞儀をして出て行って、葉子は子供のふざけているのに顔を崩しながら、書生たちにもお愛相よくふるまっていた。やがて書生たちも、烏賊(いか)の刺身や丸ごと盆に盛った蟹(かに)などを肴(さかな)にビールを二三杯も呑(の)んで、引き揚げていった。 その晩、庸三が煩(うるさ)く虫の集まって来る電燈の下で、東京の新聞に送る短かいものを書いていると、その時から葉子は発熱して、茶の間の仏壇のある方から出入りのできる、店の横にある往来向きの部屋で床に就(つ)いてしまった。触ると額も手も火のように熱かった。顔も赤くほてって、目も充血していた。「苦しい?」「とても。熱が二度もあるのよ。それにお尻(しり)のところがひりひり刃物で突つくように痛んで、息が切れそうよ。」「やっぱり痔瘻(じろう)だ。」 庸三にも痔瘻を手術した経験があるので、その痛みには十分同情できた。彼女はひいひい火焔(かえん)のような息をはずませていたが、痛みが堪えがたくなると、いきなり跳(は)ねあがるように起き直った。それでいけなくなると、蚊帳(かや)から出て、縁側に立ったり跪坐(しゃが)んだりした。 もちろんそれはその晩が初めての苦しみでもなかった。もう幾日も前から、肛門(こうもん)の痛みは気にしていたし、熱も少しは出ていたのであったが、見たところにわかに痔瘻とも判断できぬほど、やや地腫(じば)れのした、ぷつりとした小さな腫物(はれもの)であった。「痔かも知れないね。」 彼は言っていた。その後も時々気にはしていたが、少しくらいの発熱があっても、二人の精神的な悩みの方が、深く内面的に喰(く)いこんでいたので、愛情も何かどろどろ滓(かす)のようなものが停滞していて、葉子の心にも受けきれないほど、彼の苛(さいな)み方も深刻であった。どうかすると彼女は妹に呼ばれて離れを出て、土間をわたって母屋(おもや)の方へ出て行くこともあって、しばらく帰って来ないのであったが、帰って来たときの素振りには別に変わったところもなかった。「私を信用できないなんて、先生もよくよく不幸な人ね。」 葉子は言うのだったが、それかと言って、場所が場所だけに、争闘はいつも内攻的で、高い声を出して口論するということもなかった。 やがてその痔が急激に腫れあがって、膿(うみ)をもって来たのであった。 庸三は傍(そば)に寝そべっているのにも気がさして、蚊帳を出ようとすると、彼女は夢現(ゆめうつつ)のように熱に浮かされながら、「もうちょっと居て……。」 と引き止めるのであった。 朝になると、彼女も少し落ち着いていて、狭い露路庭から通って来る涼風に、手や足やを嬲(なぶ)らせながら、うつらうつらと眠っているのだったが、それもちょっとの間の疲れ休めで、彼女がある懇意な婦人科のK氏に診(み)てもらいに行ったのは、まだ俥(くるま)でそろそろ行ける時分で、痛みも今ほど跳(と)びあがるほどではなかったし、熱も大したことはなかった。それがてっきり痔瘻だとわかったのは、その診察の結果であったが、今のうち冷し薬で腫れを散らそうというのが、差し当たっての手当であったが、腫物はかえって爛(ただ)れひろがる一方であった。そこで、今日になって葉子は別に、これも日頃懇意にしている文学好きの内科の学士で、いつか庸三をつれて病院の棟(むね)続きのその邸宅へ遊びに行ったこともある院長にも来てもらうことにした。 その先生が病院の回診をすましてから、俥でやって来た。その時葉子の寝床は、不断母親の居間になっている、茶の間の奥の方にある中庭に臨んだ明るい六畳に移され、庸三も傍に附き添っていた。彼は診察の結果を聞いてから、ここを引き揚げたものかと独りで思い患(わずら)っていたが、痛がる下の腫物を指で押したり何かしていた院長は、「もう膿(う)んでいる。これは痛いでしょう。」 と微笑しながら、「あんた手術うけたことありましたかね。」「北海道でお乳を切ったんですのよ。また手術ですの、先生。」「これは肛門(こうもん)周囲炎というやつですよ。こうなっては切るよりほかないでしょうね。」「外科の病院へ行って切ったもんでしょうかね。」「それに越したことはないが、なに、まだそう大きくもなさそうだから、Kさんにも診てもらったというなら、二人でやって上げてもいいですね。」「局所麻酔か何かですの?」「さあね。五分か十分貴女(あなた)が我慢できれば、それにも及ばないでしょう。じりじり疼痛(とうつう)を我慢していることから思えば、何でもありませんよ。」 そんな問答がしばらく続いて、結局一と思いに切ってもらうことに決定した。「痔は切るに限るよ。僕は切ってよかったと今でも思うよ。切って駄目なものなら、切らなきゃなお駄目なんだ。じりじり追い詰められるばかりだからね。」 何事なく言っているうちに、庸三は十二三年前に、胃腸もひどく悪くて、手術後の窶(やつ)れはてた体を三週間もベッドに仰臥(ぎょうが)していた時のことを、ふと思い出した。十三の長男と十一の長女とが、時々見舞いに来てくれたものだが、衰弱が劇(はげ)しいので、半ば絶望している人もあった。神に祈ったりしていたその長女は、それから一年もたたないうちに死んでしまった。心配そうな含羞(はにか)んだようなその娘の幼い面影が、今でもそのまま魂のどこかに烙(や)きついていた。もしも彼女が生きていたとしたら、母の死の直後に起こった父親のこんな事件を、何と批判したであろうか。生きた子供よりも死んだ子供の魂に触れる感じの方が痛かった。それに比べれば、二十五年の結婚生活において、妻の愛は割合酬(むく)いられていると言ってよかった。 翌日になって、三時ごろに二人打ち連れて医師がやって来た。彼らはさも気易(きやす)そうな態度で、折鞄(おりかばん)に詰めて来た消毒器やメスやピンセットを縁側に敷いた防水布の上にちかちか並べた。夏もすでに末枯(うらが)れかけたころで、ここは取分け陽(ひ)の光にいつも翳(かげ)があった。その光のなかで荒療治が行なわれた。 庸三はドクトルの指図(さしず)で、葉子の脇腹(わきばら)を膝(ひざ)でしかと押えつける一方、両手に力をこめて、腿(もも)を締めつけるようにしていたが、メスが腫物を刳(えぐ)りはじめると、葉子は鋭い悲鳴をあげて飛びあがろうとした。「痛た、痛た、痛た。」 瞬間脂汗(あぶらあせ)が額や鼻ににじみ出た。メスをもった婦人科のドクトルは驚いて、ちょっと手をひいた。――今度は内科の院長が、薔薇色(ばらいろ)の肉のなかへメスを入れた。葉子は息も絶えそうに呻吟(うめ)いていたが、面(おもて)を背向(そむ)けていた庸三が身をひいた時には、すでに創口(きずぐち)が消毒されていた。やがて沃度(ヨード)ホルムの臭(にお)いがして、ガアゼが当てられた。 医師が器械を片着けて帰るころには、葉子の顔にも薄笑いの影さえ差していた。そしてその時から熱がにわかに下がった。 庸三は母や兄の親切なサアビスで、一日はタキシイを駆って、町から程合いの山手の景勝を探って、とある蓮池(はすいけ)の畔(ほと)りにある料亭(りょうてい)で、川魚料理を食べたり、そこからまた程遠くもない山地へ分け入って、微雨のなかを湖に舟を浮かべたり、中世紀の古色を帯びた洋画のように、幽邃(ゆうすい)の趣きをたたえた山裾(やますそ)の水の畔(ほとり)を歩いたりして、日の暮れ方に帰って来たことなどもあって、また二日三日と日がたった。 そんな時、庸三は今まで誰か葉子の傍(そば)にいたものがあったような影も心に差すのであったが、葉子はそれとは反対に、蚊帳(かや)の外に立膝している庸三に感激的な言葉をささやくのであった。「これが普通の恋愛だったら、誰も何とも言やしないんだわ。年のちがった二人が逢(あ)ったという偶然が奇蹟(きせき)でなくて何でしょう。」 しかし庸三はまたその言葉が隠している、真の意味も考えないわけに行かなかった。三年か五年か、せいぜい十年も我慢すれば、やがて庸三もこの舞台から退場するであろう。そして一切が清算されるであろう。それまでに巧くジャーナリズムの潮を乗り切った彼女を、別の楽しい結婚生活が待っているであろうと。 庸三は今彼の書斎で、せっせと紙の上にペンを走らせていた。 書いているうちに、何か感傷が込みあげて、字体も見えないくらいに、熱い涙がにじんで来た。彼は指頭(ゆびさき)や手の甲で涙を拭(ふ)きながら、ペンを運んでいた。彼は次ぎの部屋で、すやすや明け方の快い睡(ねむ)りを眠っている幼い子供たちのことで、胸が一杯であった。宵(よい)に受け取った葉子の電報が、机の端にあった。  アシタ七ジツク というのであった。 病床にいる彼女と握手して帰ってから、もう二週間もの日が過ぎたが、その間に苦しみぬいた彼の心も、だんだん正常に復(かえ)ろうとしていた。ここですっかり自身を立て直そうと思うようになっていた。その方へ心が傾くと、にわかに荷が軽くなったような感じで、道が目の前に開けて来るのであった。 板戸も開け放したまま、筒袖(つつそで)の浴衣(ゆかた)一枚で仕事をしていたのだったが、雀(すずめ)の囀(さえず)りが耳につく時分に書きおわったまま、消えやらぬ感激がまだ胸を引き締めていた。 電報を手にした時、彼は待っていたものが、到頭やって来たという感じもしたが、あわててもいた。「……一年や二年、先生のお近くで勉強できるほどの用意もできましたので……」 そう言った彼女の手紙を受け取ったのも、すでに三日四日も前のことであったが、立て続けに二つもの作品を仕上げなければならなかったので、あれほど頻繁(ひんぱん)に手紙を彼女に書いていた庸三も、それに対する返辞も出さずにいた。真実のところ彼はこの事件に疲れ果てていた。享楽よりも苦悩の多い――そしてまたその苦悩が享楽でもあって、つまり享楽は苦悩だということにもなるわけだし、苦悩がなければ倦怠(けんたい)するかもしれないのであったが、それにしても彼はここいらで、どうか青い空に息づきたいという思いに渇(かわ)いていた。 この事件の幕間(インタアブアル)として、彼は時々水辺の小夜子の家(うち)へも、侘(わび)しさを紛らせに行った。その時分にはいつも中の間とか茶の間とかにいた、姉も田舎(いなか)へ帰ってしまって、彼も座敷ばかりへ通されていなかった。時間になると小夜子は風呂(ふろ)へ入って、それから鏡の前に坐るのであった。顔をこってり塗って、眉(まゆ)に軽く墨を刷(は)き、アイ・シェドウなどはあまり使わなかったが、紅棒(ルウジュ)で唇(くちびる)を柘榴(ざくろ)の花のように染めた。目も眉もぱらっとして、覗(のぞ)き鼻の鼻梁(びりょう)が、附け根から少し不自然に高くなっているのも、そう気になるほどではなく、ややもすると惑星のように輝く目に何か不安定な感じを与えもして、奈良(なら)で産まれたせいでもあるか、のんびりした面差(おもざ)しであった。美貌の矜(ほこ)りというものもまだ失われないで、花々しいことがいくらも前途に待っているように思えた。彼女は何かやってみたくて仕方がなかった。小説を書くということも一つの願望で、庸三は手函(てばこ)に一杯ある書き散らしの原稿を見せられたこともあった。「私は何でもやってできないことはないつもりだけれど、小説だけはどうもむずかしいらしいですね。」「男を手玉に取るような工合(ぐあい)には行かない。」「あら、そんなことしませんよ。」 化粧がすむと着物を着かえて、まるで女優の楽屋入りみたいな姿で、自身で見しりの客の座敷へ現われるのであった。座敷を一つ二つサアビスして廻ると、きまって酔っていた。呷(あお)ったウイスキイの酔いで、目がとろんこになり、足も少しふらつき気味で、呂律(ろれつ)も乱れがちに、でれんとした姿で庸三の傍(そば)に寄って来ることもあった。「相当なもんだな。」 庸三は無関心ではいられない気持で、「随分呑(の)むんだね。そう呑んでいいの。」「大丈夫よ、あれっぽっちのウイスキイ。私酔うと大変よ。」「お神さん!」 廊下で呼ぶ声がする。「今あの人たちみんな帰りますから。」 しかし、そんな晩、彼女がどこで寝たかも彼には解(わか)りようもなかったし、何か商売の邪魔でもしているような気もして、彼はタキシイを言ってもらうのだったが、時には電気行燈(あんどん)を枕元(まくらもと)において、ギイギイという夜更(よふ)けの水の上の櫓(ろ)の音を耳にしながら話しこむことも珍らしくなかった。 ある日も庸三は小夜子と一緒に、彼女の門を出た。「先生、今日お閑(ひま)でしたら、神田まで附き合ってくれません? 私あすこで占(み)てもらいたいことがありますの。」「いいとも、事によったら僕も。――君は何を占てもらうんだい。」「差し当たり何てこともないんですけれど、私、妙ね。随分長いあいだの関係で、昔は一緒に世帯(しょたい)をもったこともありましたの。今は別に何てこともないんです。だけど、相手が逃げるとこっちが追っ駈(か)け、こっちが逃げると、先方が追っ駈けて来るといったあんばいで、切れたかと思うと時たってまた繋(つな)がったりして……変なものですね。」 小夜子はいつになくしんみりしていた。「どんな人?」「それが近頃ずっとよくないんですの。」 庸三は小夜子の好くような男はどんな男かと、それを探りたかったが、彼女はただそう言っただけで、その相手の概念だも与えなかった。しかしそれから大分たってから庸三がある晩茶の間の大振りな紫檀(したん)の火鉢(ひばち)の側にいると、その日はひどく客が立てこんで、勝手元も忙しく、間断なく料理屋へ電話をかけたりして、小夜子も不断着のまま、酒の燗(かん)をしたり物を運んだりしていたが、ふと玄関の方の襖(ふすま)を開けて※袍(どてら)姿で楊子(ようじ)を啣(くわ)えながら入って来る男があった。「ああ、これだな。」 瞬間、庸三の六感が働いたが、それを見ると、いきなり小夜子はにやにやしながら、その男を連れ出してしまった。 それからまた三年も四年も経(た)って、彼は小夜子の二階の彼女の部屋で、その男ともしばしば花を引いたし、庸三の家(うち)へも遊びに来るようになったが、そのころには彼もかなりうらぶれた姿になって、見ちがえるほど更(ふ)けていた。そしてその時分になって、庸三はいろいろのことを知ることができた。ホン・クルベーの家から、彼女を引っ張り出したのも、かつては煮え湯を呑まされた彼の復讐(ふくしゅう)だったことも解った。 今、小夜子は彼との新生活に入るつもりで、場合によっては結婚もして本国へもつれて行くつもりでいるクルベーを振り切って出て来たのであったが、誘い出されてみると、まるで当てがはずれてしまった。現在の彼と一脈の新生活を初めるには、小夜子の生活は少し派手すぎていたし、趣味がバタくさかった。そこで小夜子は思いどおりに、こんな水商売を初めたわけであった。 まだ態形も調(ととの)わない金座通りへ出てから、小夜子は円タクを拾って、神田駅のガアド下までと決めた。 しかし一人ずつ二階へ呼びあげて占(み)るので、小夜子が占てもらう間、庸三は下でしばらく待っていた。そのうちに小夜子がおりて来た。占(うらな)わない前と表情に変りはなかった。やがて庸三も占てもらうことにした。「合性は至極よろしい。しかしこの人は落ち着きませんね。よほど厳(きび)しく監督しないと、とかく問題が起こりやすい。」 占者は言うのであった。葉子のことであった。 そこを出ると、二人とも占いの結果については話す興味もなくて、少し通りをぶらついた果てに、二人で庸三の書斎へ帰ってみた。小夜子は紫檀(したん)の卓の前に坐って、雑誌など見ていたが、「先生に私、何か書いていただきたいんですけれど。」「書くけれど、僕のじゃ君んとこの部屋にうつらない。そのうち何かもって行って上げるよ。あれじゃ少し酷(ひど)いからね。追々取り換えるんだね。」 それから彼女の家の建築の話に移って、譲り受けた時の値段や、ある部分は改築のある部分は新築の費用などの話も出た。 庸三は燻(いぶ)しのかかった古い部屋を今更のように見廻した。「この家もどうかしなきゃ。」「そうですね、もしお建てになるようでしたら、あの大工にやらしてごらんなさいましよ。あれは広小路の鳥八十(とりやそ)お出入りの棟梁(とうりょう)ですの。」 大ブルジョアのその鳥料理屋が彼女の彼と、何かの縁辺になることも、その後だんだんに解(わか)って来た。 その時であった、凝ったその鳥料理屋の建築や庭を見いかたがた末の娘もつれて、晩飯を食べに行ったのは。美事な孟棕(もうそう)の植込みを遠景にして、庭中に漫々とたたえた水のなかの岩組みに水晶簾(すだれ)の滝がかかっていて、ちょうどそれが薄暮であったので、青々した寒竹の茂みから燈籠(とうろう)の灯(ひ)に透けて見えるのも涼しげであった。無数の真鯉(まごい)緋鯉(ひごい)が、ひたひた水の浸して来る手摺(てすり)の下を苦もなげに游泳(ゆうえい)していた。桜豆腐、鳥山葵(とりわさ)、それに茶碗(ちゃわん)のようなものが、食卓のうえに並べられた。黒の縮緬(ちりめん)の羽織を着て来た清楚(せいそ)な小夜子の姿は、何か薄寒そうでもあったが、彼女はほんのちっとばかし箸(はし)をつけただけであった。 咲子は人も場所も、何か勝手がちがったようで、嬉(うれ)しそうでもなかったが、始終にこにこしていた。「いつかクルベーさんと、何かのはずみで、急に日光へ行くことになって、上野駅へ来たのはよかったけれど、紙入れを忘れて来てしまったんですのよ。時間はないし、仕方がないから私がこの家へ来て事情を話すと、黙って三百円立て替えてくれたことがありましたっけ。」 そんな話も出たりして、帰りに三人で夜店の出ている広小路をあるいた。小夜子は子供の手を引いていたが、そうして歩くにも、何か人目を憚(はばか)るらしいふうにも見えるのであった。 ふと葉子の話が出た。「僕もつくづくいやになった。止(よ)そうと思う。」「止しておしまいなさい。」「あと君が引き請ける?」 頼りなさそうな声で、「引き請けます。」 今、庸三は別にそれを当てにしているわけではなかったけれど、葉子と別れるには、そうした遊び相手のできた今が時機だという気もしていたので、葉子を迎えに行くのを怠(ずる)けようとして、そのまま蚊帳(かや)のなかへ入って、疲れた体を横たえた。彼はじっと眼を瞑(つぶ)ってみた。 葉子とよく一緒に歩いた、深い松林のなだらかなスロオプが目に浮かんで来た。そこは町の人の春秋のピクニックにふさわしい、静かで明るい松山であった。暑さを遮(さえ)ぎる大きな松の樹(き)が疎(まば)らに聳(そび)え立っていた。幼い時の楽しい思い出話に倦(う)まない葉子にとって、そこがどんなにか懐かしい場所であった。上の方の崖(がけ)ぎわの雑木に茱萸(ぐみ)が成っていて、萩(はぎ)や薄(すすき)が生(お)い茂っていた。潮の音も遠くはなかった。松の枝葉を洩(も)れる蒼穹(そうきゅう)も、都に見られない清さを湛(たた)えていた。庸三も田舎(いなか)育ちだけに、大きい景勝よりも、こうしたひそやかな自然に親しみを感じた。二人は草履穿(ぞうりば)きで、野生児のようにそこらを駈(か)けまわった。 葉子の家の裏の川の向うへ渡ると、そこにも雪国の田園らしい、何か荒い気分のする場所があって、木立は深く、道は草に埋もれて、その間に農家とも町家ともつかないような家建ちが見られた。葉子はそうした家の貧しい一軒の土間へ入って行って、「御免なさい」と、奥を覗(のぞ)きこんだ。そこには蝋燭(ろうそく)の灯(ひ)の炎の靡(なび)く方嚮(ほうこう)によって人の運命を占うという老婆が、じめじめした薄暗い部屋に坐りこんでいて、さっそく葉子の身の上を占いにかかった。彼女はほう気立(けだ)った髪をかぶって、神前に祈りをあげると、神に憑(つ)かれているような目をして灯の揺らぎ方を見詰めていた。「東の方の人をたよりなさい。その人が力を貸してくれる。」 訛(なまり)の言葉でそんな意味の暗示を与えた。ここから東といえば、それが当然素封家の詩人秋本でなければならなかった。 今、葉子が威勢よく上京して来るというのも、陰にそうしたペトロンを控えているためだとは、彼も気づかないではなかったが、その時の気持はやっぱり暗かった。 庸三は葉子の従兄筋(いとこすじ)に当たる、町の青年文学者島野黄昏に送られながら、一緒に帰りの汽車に乗ったのであったが、何か行く手の知れない暗路へ迷いこんだような感じだった。 その悩みもやや癒(いや)された今、彼はなお迎えに出ようか抛(ほう)っておこうかと惑っていた。しかし病床に仰臥(ぎょうが)しながら、捲紙(まきがみ)に奔放な筆を揮(ふる)って手術の予後を報告して来た幾つかの彼女の手紙の意気ごみ方を考えると、寝てもいられないような気にもなるのであった。 着物を着かえて、ステッキを掴(つか)んで門を出ると、横町の角を曲がった。すると物の十間も歩かないうちに、にこにこ笑いながらこっちへやって来る彼女の姿に出逢(であ)った。古風な小紋の絽縮緬(ろちりめん)の単衣(ひとえ)を来た、彼女のちんまりした形が、目に懐かしく沁(し)みこんだ。 葉子は果して慈父に取り縋(すが)るような、しおしおした目をして、しばらく庸三を見詰めていた。「先生、若いわ。」 まだ十分恢復もしていないとみえて、蚕(かいこ)のような蒼白(あおじろ)い顔にぼうッと病的な血色が差して、目も潤(うる)んでいた。庸三は素気(そっけ)ないふうもしかねていたが、葉子は四辻(よつつじ)の広場の方を振り返って、「私、女の子供たちだけ二人連れて来ましたの。それに女中も一人お母さんが附けてくれましたわ。さっそく家を探さなきゃなりませんわ。」 そう言って自動車の方へ引き返して行くと、その時車から出て来た幼い人たちと、トランクを提(さ)げた女中とが、そこに立ち停(ど)まっている葉子の傍(そば)へ寄って来た。「さあ、おじさんにお辞儀なさい。」 子供たちはぴょこんとお辞儀して、にこにこしていたが、この子供たちを纏(まと)めて来て、新らしい生活を初めようとする母親の苦労も容易ではなかった。それも物事をさほど億劫(おっくう)に考えない、夢の多い葉子の描き出した一つの芸術的生活構図にすぎなかった。 庸三が三十年も住み古しの狭い横町と並行した次ぎの横町に、すぐ家が見つかって、庸三の裏の家に片着けてあった彼女の荷物――二人で一緒に池の畔(はた)で買って来たあの箪笥(たんす)と鏡台、それに扉(とびら)のガラスに桃色の裂(きれ)を縮らした本箱や行李(こうり)、萌黄(もえぎ)の唐草(からくさ)模様の大風呂敷(おおぶろしき)に包まれた蒲団(ふとん)といったようなものを、庸三の頼みつけの車屋を傭(やと)って運びこむと、葉子も子供たちを引き連れて、隣の下宿を引き揚げて行った。 大家族主義の田舎の家に育った葉子のことなので、そこに初めて子供たちと一つの新らしい自分の世界をもつことは、何といっても楽しいことに違いなかった。田舎の家もすでに母の心のままというわけにも行かない。相続者の兄家族は辺鄙(へんぴ)にあるその家を離れて、町の要部の静かな住宅地域に開業していたが、どんなにこの妹を愛しているにしても、とかく、世間の噂(うわさ)に上りがちな彼女の行動を悦(よろこ)ぶはずもなかった。商売の資本くらい与えて、田舎にじっとしていてもらうか、どこか堅いところへ再縁でもして、落ち着いて欲しかったが、田舎に燻(くす)ぶっていられる葉子でないことも解(わか)っていた。葉子がこの兄や母に心配をかけたこともたびたびで、今度出て来る時も、何かの費用を自身に支払ったくらいであった。病床にいる彼女が、よく懐(ふとこ)ろの財布から金を出していたことも、時には庸三の目に触れたのであった。滞在の長びいた庸三は、どうにかしなければならないくらいのことも感づかないわけではなかったが、一度少しばかりの料亭(りょうてい)の勘定を支払った時でさえ、兄を術ながらせたほどだったので、どうしていいか解らなかった。 葉子たちの落ち着いたのは、狭い平屋であったが、南に坪庭もあって、明るい感じの造作であった。花物を置くによろしい肱掛窓(ひじかけまど)もあって、白いカーテンにいつも風が戦(そよ)いでいた。それに葉子は部屋を楽しくする術(すべ)を知っていて、文学少女らしい好みで、籐椅子(とういす)を縁側においてみたり、清楚(せいそ)なシェドウのスタンドを机にすえたりして、色チョオク画のように、そこいらを変化させるのに器用であった。 しかし彼女は顔色もまだ蒼白く、長く坐っているのにも堪えられなかった。創口(きずぐち)がまだ完全に癒(い)えていないので、薬やピンセットやガアゼが必要であった。「先生、すみませんが、鏡じゃとてもやりにくいのよ、ガアゼ取り替えて下さらない。」「ああいいとも。」 庸三はそう言って、縁側の明るいところで、座蒲団(ざぶとん)を当てがって、仰向きになっている彼女の創口を覗(のぞ)いて見た。薄紫色に大体は癒着(ゆちゃく)しているように見えながら、探りを入れたら、深く入りそうに思える穴もあって、そこから淋巴液(りんぱえき)のようなものが入染(にじ)んでいた。庸三は言わるるままに、アルコオルで消毒したピンセットでそっと拭(ふ)いて、ガアゼを当てるとともに、落ちないように、細長く切ったピックで止めた。 ピンセットの先きが微(かす)かにでも触ると、「おお痛い!」と叫ぶのだった。「どうもありがとう。」 葉子は起きかえるのだったが、来る日も来る日も同じことが繰り返されるだけで、はかばかしく行かなかった。 庸三は時とすると、奥の部屋で子供たちとも一緒に、窮屈な一つ蚊帳(かや)のなかに枕(まくら)を並べるのだったが、世帯(しょたい)が彼女の世帯で、その上子供や女中もいるので、気持に落着きもなかったし、葉子も時には闖入者(ちんにゅうしゃ)に対するような目を向けるので、和(なご)やかというわけには行かなかった。彼は少し腹立ち気味で、ふいと出て来るのであったが、古い自分の書斎も心持を落ち着かせてはくれなかった。ある時などは引き返して行って、蚊帳のなかにいる彼女の白い頬(ほお)を引っぱたいて来ることすらあった。葉子はぽっかり彼を見詰めたきり呆(あき)れた顔をしていた。 それに葉子はいつも家にいるわけではなく、庸三が行ってみると、女中が一人留守居をしていることもあれば、戸が閉まっていることもあった。 庸三が自動車で買いものをして歩く彼女を、膝(ひざ)のうえに載せて、よく銀座や神田あたりへ出たのも、そのころであった。柱時計を買うとか、指環(ゆびわ)を作りかえるとか、または化粧品を買うとか。それに外で食事をする習慣もついて来て、一流の料亭(りょうてい)へタキシイをつけることもしばしばあった。というのも、二人の女中まかせの庸三の台所は、ひどく不取締りで、過剰な野菜がうんと立ち流しの下に腐っていたり、結構つかえる器物がそこらへ棄(す)てられたり、下品な皿小鉢(こばち)が、むやみに買いこまれたりして、遠海ものの煮肴(にざかな)はいつも砂糖漬(づ)けのように悪甘く、漬けものも溝(どぶ)のように臭かった。それに紛失物もたびたびのことで、渡す小使の用途も不明がちであったが、女中の極度に払底なそのころとしては、目を瞑(つぶ)っているよりほかに手はなかった。 しかし料亭の払いは、いつも庸三がするとは決まっていなかった。むしろ大抵の場合、葉子が帯の間から蟇口(がまぐち)を出して、「私に払わせて。」 と気前をよくしていた。彼女は無限の宝庫をでも持っているもののように見えた。 やがて涼風が吹いて来た。葉子は二度目に移って行った隣りの下宿屋の二階家から、今度はぐっと近よって、庸三のすぐ向う前の二階家に移っていた。そのころになると、彼女も庸三の口添えで、ある婦人文学雑誌に連載ものを書きはじめていたが、一時癒(なお)るとみえた創(きず)は癒らないで、今まで忘れていた痛みさえ加わって来た。何といっても内科と婦人科のドクトルのメスには、手ぬるいところがあった。思い切った手術のやり直しが必要であった。庸三は彼女を紹介する外科のある大家のこともひそかに考えていたが、田舎(いなか)での不用意な荒療治が、すっかり葉子を懲りさせていた。「それよりも私温泉へ行こうと思うの。湯河原(ゆがわら)どう?」 葉子はある日言い出した。「そうだね。」「お金はあるの。先生に迷惑かけませんわ、二人分四百円もあったら、二週間くらい居られない?」 庸三もいくらか用意して、東京駅から汽車に乗ったのは、翌日の午後であった。葉子は最近用いることになったゴム輪の当てものなどもスウト・ケイスのなかへ入れて、二人でデパアトで捜し出した変り織りの袷(あわせ)に、黒い羽織を着ていたが、庸三もあまり着たことのない、亡(な)き妻の心やりで無断で作っておいてくれた晴着を身に着けて、目の多い二等車のなかに納まっていた。      十 湯河原ではN――旅館の月並みな部屋に落ち着いたが、かつて庸三が丘に黄金色(こがねいろ)の蜜柑(みかん)が実るころに、弟子たちを引き連れた友人とともに、一ト月足らずも滞在していたころの面影(おもかげ)はなくなって、位置も奥の方を切り開いて、すっかり一流旅館の体裁を備えていた。よく方々案内してくれた後取り子息(むすこ)が、とっくに死んでいたり、友達が騒いでいた娘もよそへ片づいて幾人かの母親になっていた。酒も呑(の)めず弟子もいない庸三は、しばらくいるうちにすっかり孤独に陥って、酔って悪く絡(から)まってくる友達を防禦(ぼうぎょ)するのに骨が折れ、神経がささくれ立ったように疲れて来たものだったが、今考えるとそれも過去の惨(みじ)めな彼の姿であった。後になってみれば、今演(や)っていることは、それよりももっと醜いものかも知れなかった。 葉子は着いた当座ここへ連れて来たことを感謝するように、そわそわした様子で、一ト風呂(ふろ)あびて来ると、例のガアゼの詰め替えをした後で、橋を渡ってこの温泉町を散歩した。町の中心へ来て、彼は小懐かしそうに四辺(あたり)を見廻した。そして小体(こてい)なある旅館の前に立ち止まると、「ここに玉突き場があったものだ。主人は素敵な腕を持っていて、僕はその男にキュウをもつことから教わったんだが、幾日来ても物にならずじまいさ、君はつけるかい。」「北海道では撞(つ)いたもんでしたけれど。あの時分は奥さん方のいろいろな社交もあって、ダンスなんかもやったものなのよ。S――さんの弟さんの農学士の人の奥さんに教わって。」 葉子はいつの場合でも、ロマンチックな話の種に事欠かなかった。グロなその夫人と、土地の商船学校にいた弟との恋愛模様とか、その弟に年上の一人の恋人があって、その弟とのあいだに出来た子供を抱えながら、生花やお茶で自活していることだの、または葉子が乳の腫物(はれもの)を切開するために入院したとき、刀を執った医学士が好きになって、後でふらふらとその男を病院に訪ねて拒絶されたことなど。そうかと思うと、原稿紙をもって不意に姿を晦(くら)まして人を騒がせ、新聞のゴシップ種子(だね)になるようなことも珍らしくなかった。 町に薄暗い電気がつく時分に、宿へ帰って楽しい食卓に就(つ)いた。思い做(な)しか庸三はここの玄関の出入りにも、何か重苦しいものをこくめい[#「こくめい」に傍点]な番頭たちの目に感じるのだったが、葉子は水菓子を女中に吩咐(いいつ)けるにも、使いつけの女中のような親しさで、ただ新聞記者でも来ていはしないかと、隣室の気勢(けはい)に気を配るだけであった。 しかし刺戟(しげき)のつよい湯は彼女にとって逆効果を現わした。三日ばかり湯に浸ってはガアゼの詰めかえをやっているうちに、痛みがだんだん募って来るばかりで、どうかすると昼間でも床を延べさせて横になるのであった。昨日まで時々やって来る少しばかりの苦痛を我慢して、大倉公園へ遊びに入って、色づいた木々のあいだを縫って段々を上ったり、岩組みの白い流れのほとりへ降りてみたり、萩(はぎ)や鶏頭の乱れ咲いている花畑の小径(こみち)を歩いたり、または町の奥にある不動滝まで歩いて、そこからまた水のしたたる岩壁の裾(すそ)をめぐって、晴れた秋の空に焚火(たきび)の煙の靡(なび)く、浅い山の姿を懐かしんだりしていた彼女は、飛んでもないところへ連れて来られでもしたように、眉(まゆ)のあいだに皺(しわ)を寄せて、すっかり機嫌(きげん)がわるくなってしまった。そしてそうなると、庸三も何か悪いことでもしたようで、ひそかに弱い心臓を痛めるのであった。潤(うる)んだ目をして、じっと黙りこくっているとか、または壁の方をむいて少しうとうとしたかと思うと、目を開いたりする彼女の傍(そば)にいるのが、次第に憂鬱(ゆううつ)になって来た。 ある晩方も、庸三はピンセットを使ってから、風呂(ふろ)へ入って、侘(わび)しげな電燈の下で食卓の前にすわった。葉子は傍に熱っぽい目をして臥(ふ)せっていた。頬(ほお)もぽっと紅(あか)くなっていた。こうなると彼女は母親から来るらしく見せて、実は田舎(いなか)の秋本に送らせた金で、彼と一緒に温泉へ来ていることも忘れて、平気でいるらしい庸三の顔さえ忌々しくなるのではないかと、彼は反射的に感じるのであったが、またそう僻(ひが)んで考えることもないのだという気もして、女中が目の前に並べる料理を眺めていた。「何にも食べない。」 彼女は微(かす)かに目で食べないと答えたらしかったが、庸三が心持不味(まず)そうに食事をしていると、葉子はひりひりした痛みを感ずるらしく、細い呻吟声(うめきごえ)を立て、顔をしかめた。彼は硬(かた)い表情をして別のことを考えていたので、振り向きもしなかった。「人がこんなに苦しんでいるのに、平気で御飯たべられるなんて、何とそれが老大家なの。」 庸三はぴりッとした。そしてかっとなった。彼は食事もそこそこに食卓を離れて、散らかった本や原稿紙と一緒に着替えをたたんで鞄(かばん)に始末をすると、※袍(どてら)をぬいで支度(したく)をした。「おれも君の看護に来たんじゃないんだ。いい迷惑だ。独りでやるがいいんだ。」 庸三はぷりぷりして、電話で汽車の時間をきくと、煙草(たばこ)にマッチを摺(す)りつけた。番頭がやって来て、「お帰りでございますか。」「ちょっと用もできたから。」 番頭は急げば最終のに間に合うがと、少し首を傾(かし)げていたが、庸三はじっとしてもいられなかった。自動車の爆音がしたので、彼はインバネスを着て、あたふたと部屋を出たが、車が走りだしてから、彼は何か後ろ髪を引かれる感じで、この場の気まずさを十分知りながらも、汽車に間に合わないことを半ば心に念じた。熱海(あたみ)へでもドライブしようかとも考え、家(うち)へ帰って書斎に寝た方が楽しいようにも感じた。 石塊(いしころ)の多い道を、車はガタガタと揺れながらスピイドを出した。庸三は時々転(ころ)がりそうになったが、風も吹いていたので、揺れる拍子に窓枠(まどわく)に頭をぶちつけそうになって、その瞬間半分ガラスを卸してあった窓から帽子が飛んでしまった。ちょうどわざと飛ばしたように。「君ちょっと帽子が飛んじゃったんだ。」 運転士は車を止めて風の強い叢(くさむら)のなかに帽子を捜したが、しかしそれも物の二分とはかからなかった。 駅の灯(ひ)が間近に見えて来た。そして今ちょっとのところで駅前の広場へ乗り入れようとした時、汽車の動く音がした。 庸三は何か悪戯(いたずら)でもしたようなふうで部屋へ戻って来た。「先生オレンジをそう言って!」 やがて葉子も寝床から起きあがった。 入院するまでに葉子の支度はかなり手間取った。ちょうど婦人雑誌に小説を連載していたところなので、それも二月分ためる必要があったし、瑠美子(るみこ)には何か花やかな未来を約束しておきたかったので、差し当たりいつも新しい道を切り開いて、世間の気受けもいい舞踊家の雪枝(ゆきえ)に、内弟子として住みこませたい念願だったので、支度が出来次第、それも頼みに行かなければならなかった。何よりも母に来てもらわなければならなかった。 葉子は湯河原の帰りにも、汽車のクションで臥(ね)ていたくらいで、小田原(おだわら)でおりた時は、顔が真蒼(まっさお)になって、心臓が止まったかと思うほど、口も利けず目も見えなくなって、庸三の手に扶(たす)けられて、駅脇(えきわき)の休み茶屋に連れこまれた時には、まるで死んだように、ぐったりしていたものだが、やっと男衆の手で、奥の静かな部屋へ担(かつ)ぎこまれて、そこでややしばらく寝(やす)んでいるうちに、額に入染(にじ)む冷たい脂汗(あぶらあせ)もひいて、迅(はや)い脈もいくらか鎮(しず)まって来た。彼女はどうかして痛い手術を逃げようとして、かえって手術の必要を痛切に感ずるようになった。 ある日、葉子は、濃(こ)い鼠(ねずみ)に矢筈(やはず)の繋(つな)がった小袖(こそで)に、地の緑に赤や代赭(たいしゃ)の唐草(からくさ)をおいた帯をしめて、庸三の手紙を懐(ふとこ)ろにして、瑠美子をつれて雪枝を訪問した。雪枝は内弟子に住みこませることを快く引き受けてくれたが、詩も作り手蹟(しゅせき)も流麗で、文学にも熱意をもっているので、葉子も古い昵(なじ)みのように話しがはずんだ。庸三が葉子につれられて、お浚(さら)いを見に行ったのも、それから間もないある日の晩方であった。「私も小説が書きたくて為様(しよう)がなかったんですけどもね。」 何かごちゃごちゃ装飾の多い彼女の小ぢんまりした部屋で、気のきいた晩餐(ばんさん)の御馳走(ごちそう)になりながら、庸三は彼女の芸術的雰囲気(ふんいき)と、北の人らしい情熱のこもった言葉を聴(き)いていたが、芸で立つ人の心掛けや精力も並々のものではなかった。話がかつての彼女の恋愛に及んで来ると、清(すず)しい目ににわかに情熱が溢(あふ)れて来た。 しかし彼女は独りではなかった。庸三が前からその名を耳にしていた若い文学者の清川がそこにいて、下町の若旦那(わかだんな)らしい柄の彼を、初め雪枝が紹介した時に、庸三はそれが彼女の若い愛人だと気づきながら、刹那(せつな)に双方の組合せがちょっと気になって、何か仄(ほの)かな不安を感ずるのであった。「これこそ葉子に似合いだ。」 庸三はそう思った。 葉子が病室で着るつもりで作った、黝(くろ)ずんだ赤と紺との荒い棒縞(ぼうじま)の※袍(どてら)も、不断着ているので少し汚(よご)れが見えて来たが、十一月もすでに半ば以上を過ぎても、彼女はまだ二階の奥の間に寝たり起きたりしていた。そのころになると、ガアゼの詰めかえも及ばなくなって、どうかすると彼女は痛さを紛らせるために、断髪の頭を振り立て、じだんだ踏んで部屋中跳(と)びあるいた。彼女は間に合わせの塗り薬を用いて、いくらか痛みを緩和していた。庸三はしばしば彼女の傍(そば)に寝たが、ある夜彼は彼女の口から、秋本が見舞いがてら上京するということを聴(き)いた。「あの人時々東京へ来るのよ。」 葉子は気軽そうに言った。「来てもほんの二三日よ。だけど、私お金もらってるから、一度だけ行かしてね。」 それが病気見舞かと思われ、葉子の動静を探るためかと思われたが、葉子の様子に変りはなかった。 その二階から見える庸三の庭では、焚火(たきび)の煙が毎日あがっていた。もう冬も少し深くなって、増築の部分の棟(むね)あげもすんでいた。彼はぜひとも家をどうにかしなければならない羽目になっていた。      十一 ある日の午後、葉子は庸三(ようぞう)の同意の下に、秋本の宿を訪問すべく、少し濃いめの銀鼠地(ぎんねずじ)にお納戸色(なんどいろ)の矢筈(やはず)の繋(つな)がっている、そのころ新調のお召を着て出て行った。多少結核性の疑いもあるらしい痔疾(じしつ)のためか、顔が病的な美しさをもっていて、目に潤(うる)んだ底光りがしていた。少なからぬ生活費を遠くにいる秋本に送らせながら、身近かにいる庸三に奉仕しているということが、たといそれが小説修業という彼女の止(や)みがたき大願のためであり、その目的のためには有り余る秋本の財産の少し減るぐらいは、大した問題ではないにしても、時々には秋本を欺いていることに自責の念の禁じ得ないこともあって、それが痔の痛みと一緒に、ひどく彼女の神経を苛立(いらだ)たせた。同時に葉子の体を独占的に縛っているかのように思える庸三が、ひどく鈍感で老獪(ろうかい)な男のように思えて、腹立たしくもなるのであった。傍(はた)からの目には、とかく不純だらけのように見えるであろう彼女の行為も、彼女自身からいえば、現われ方は歪(ゆが)んでいても、それは複雑で矛盾だらけの環境と運命のせいで、真実(まこと)は思いにまかせぬ現実の生活のために、弱い殉情そのものが無残に虐(しいた)げられているのだと思われてならなかった。いわば彼女の殉情と文学的情熱とは、現実の蜘蛛(くも)の巣にかかって悶(もだ)えている、美しい弱い蝶(ちょう)の翅(はね)のようなものであった。「そんなに金を貰(もら)ってもいいのか。」 二百三百と、懐(ふとこ)ろがさびしくなると、性急に電報為替(がわせ)などで金を取り寄せていることが、そのころにはだんだん露骨になって、見ている庸三も気が痛むのであった。「いいのよ、有るところには有るものなのよ。」「いや、もう大して無いという話だぜ。」「ないようでも田舎(いなか)の身上(しんしょう)っていうものは、何か彼(か)か有るものなのよ。」 葉子は楽観していたが、送ってくれる金の受取とか礼状とかいったようなものも、なかなか書かないらしいので、庸三はそれも言っていた。「だから私困るのよ。手紙を出すとなると、あの人が満足するように、いくらか艶(つや)っぽいことも書かなきゃならないし、書こうとすれば、先生の目はいつも光っているでしょう。」 そう言って葉子は苦笑していたが、わざと庸三の前で、達筆に書いてみせることもあった。その文句は庸三にも大抵想像がつくので、わざと見ぬふりをしていた。 するとちょうどその日は庸三も、田舎で世話になった葉子の母親に、歌舞伎座(かぶきざ)を見せることになっていて、無論葉子も同行するはずで、三枚切符を買ってあった。「先生はお母さんつれて、行っていてちょうだい。私秋本さんのホテルを訪ねて、三十分か――長くとも一時間くらいで切り揚げて行きますから。きっとよ。いいでしょう。」 葉子はあわただしく仕度(したく)をすると、そう言って一足先きに家を出た。 庸三と母親は、しばらくすると歌舞伎座の二階棧敷(さじき)の二つ目に納まっていた。それが鴈治郎(がんじろう)一座の芝居で、初めが何か新作物の時代ものに、中が鴈治郎の十八番の大晏寺(だいあんじ)であった。庸三はそのころまだ歌舞伎劇に多少の愛着をもっていただけに、肝腎(かんじん)の葉子が一緒にいないのが何となく心寂しかった。母親も話はよくする方だったが、彼女の田舎言葉は十のうち九までは通じないのであった。 幕数が進むに従って、庸三はようやく落着きを失って来た。芝居を見たいことも見たかったが、逢(あ)いに行ったホテルの一室の雰囲気(ふんいき)も気にかかった。こんな享楽場で同伴(つれ)を待つということは、相手が誰であるにしても、とかく神経質になりがちなものだが、この場合の庸三は特にも観劇気分が無残に掻(か)き乱された。彼はしばしば場席を出て、階段口まで出て行ったが、到頭入口まで出向いて行って、その時になってもなおたまには自動車を出て来る人を点検しながら、その辺をぶらついていた。そうしているうちに苛々(いらいら)しい時間が二時間も過ぎてしまった。果ては神経に疲れが出て来て、半分は諦(あきら)めの気易(きやす)さから、わざと席に落ち着いていた。肝腎の中幕の大晏寺がすでに開幕に迫っていた。舞台裏の木の音が近づいて来た。 そこへ葉子がふらふらと入って来た。「どうもすみません。待ったでしょう。」 葉子はそう言って庸三の傍(そば)に腰かけた。「でもよかった。今中幕が開くところだ。」「そう。」 葉子は頷(うなず)いたが、顔も声も疲れていた。 庸三は窶(やつ)れたその顔を見た瞬間、一切の光景が目に彷彿(ほうふつ)して来た。葉子のいつも黒い瞳(ひとみ)は光沢を失って鳶色(とびいろ)に乾き、唇(くちびる)にも生彩がなかった。そういう時に限って、彼女はまた別の肉体に愛情を感ずると見えて、傍(はた)の目が一齊(いっせい)に舞台に集まっているなかで、その手が庸三にそっと触れて来るのであった。 鴈治郎の大晏寺は、庸三の好きなものの一つであった。役としての春藤某(しゅんとうなにがし)の悲痛な運命の下から、彼の大きな箇性(こせい)が、彼の大きな頭臚(あたま)のごとく、愉快ににゅうにゅう首を持ちあげて来るのが面白かった。「ふふむ!」 と葉子も頬笑(ほほえ)みながら見惚(みと)れていた。 二番目の同じ人の忠兵衛(ちゅうべえ)はすぐ真上から見おろすと、筋ばった白い首のあたりは、皺(しわ)がまざまざ目立って、肩から背へかけての後ろ姿にも、争えない寂しさがあった。庸三は大阪で初めて見た花々しい彼の三十代以来の舞台姿を、長いあいだ見て来ただけに、舞台のうえの人気役者に刻んで行く時の流れの痕(あと)が、反射的に酷(ひど)く侘(わび)しいものに思われてならなかった。 それから中二日ほどおいて、ある夕方葉子の二階の部屋に二人いるところへ、女中のお八重が「今運転士さんが、これを持って来て、お迎えに来ました。」と言って、結び文(ぶみ)のようなものを、そっと葉子に手渡した。 葉子は麻布(あざぶ)のホテルで逢(あ)って来て以来、秋本のことをあまりよくは噂(うわさ)しなかった。彼の手が太く巌丈(がんじょう)なんでいやんなっちゃったとか、壁にかかっていた外套(がいとう)が、田舎(いなか)紳士丸出しだとか、いまだにトルストイやガンジイのことばかり口にして、田舎くさい文学青年の稚気を脱していないとか、ちょうどその翌晩に彼女はある新聞社の催しに係る講演などを頼まれ、ある婦人雑誌にも長編小説を書いていたりしていたところから、にわかに花々しい文壇へのスタアトを切り、新時代の女流作家としての存在と、光輝ある前途とが、すでに確実に予約されたような感じで、久しぶりで逢った秋本の気分が、何か時代おくれの土くさいものに思われてならなかった。 庸三は自分への気安めのように聴(き)き流していたが、いくらかは信じてもよいように思えた。「今度もう一度逢いに行かしてね。わざわざ遠くから出て来ても、あの日は私も気が急(せ)いて、しみじみ話もできなかったもんで、どこか静かな処(ところ)で、一晩遊ぼうということになったの。」 庸三は頷いた。「あの男、情熱家のようだね。」「そうよ。私が部屋へ入ると、いきなり飛びついて天井まで抱きあげたりして……でもあの人何だか変なところがあるの。」 葉子は顔を紅(あか)くして、俛(うつ)むいていた。「今度どこで逢うのさ。」「どこか水のあるところがいいようなことを、あの人も言っていたけれど……。」 葉子は画家の草葉(そうよう)と恋に陥(お)ちて行ったとき、夜ふけての水のうえに軋(きし)む櫓(ろ)の音を耳にしながら、楽しい一夜を明かしたかつての思い出のふかい、柳橋あたりの洒落(しゃ)れたある家のことをよく口にしたものであったが、今度も多分その辺だろうかとも思われた。「ちょっと見せてごらん。」 庸三はそう言ってその文を取ってみたが、場所はそれと反対の河岸(かし)で、家の名も書いてあった。それに文句が古風に気障(きざ)で、「ようさままいる」としたのも感じがよくなかった。庸三は案に相違して、むしろ歯が浮くような厭味(いやみ)を感じた。「一つそっとその家(うち)へ上がって見てやろうかな。」 庸三は笑談(じょうだん)らしく言ってみた。「ええ、来たってかまわないことよ。」葉子は平気らしく言って、やがて立ちあがった。「何時ごろ帰る?」「十時――遅くも十一時には帰って来るわ。」 彼女は指切りをして降りて行った。 庸三は空虚な心のやり場をどこに求めようかと考えるまでもなく、いつも行きつけの同じ大川ぞいの小夜子(さよこ)の家へタキシイを駆るのであった。するとちょうど交叉点(こうさてん)のあたりまで乗り出したところで、その辺を散歩している長男と平田青年とに見つかって、二人はいきなり車に寄りついて来た。「どこへ行くんです。」「ううん、ちょっと飯くいに……。」 庸三は少し狼狽(ろうばい)気味で、「一緒に乗らない?」と言ってしまった。 得たり賢しと二人は入って来たものだった。 庸三は多勢(おおぜい)の子供のなかでも、幼少のころから長男を一番余計手にもかけて来たし、いろいろな場所へもつれて行った。珍らしい曲馬団が来たとか、世界的な鳥人が来たとか、曲芸に歌劇、時としてはまだ見せるのに早い歌舞伎劇(かぶきげき)をも見せた。ある年向島(むこうじま)に水の出た時、貧民たちの窮状と、救護の現場を見せるつもりで、息のつまりそうな炎熱のなかを、暑苦しい洋服に制帽を冠(かぶ)った七八つの彼を引っ張って、到頭千住(せんじゅ)まで歩かせてしまった結果、子供はその晩から九度もの熱を出して、黒い煤(すす)のようなものを吐くようになった。「それあ少し乱暴でしたね。」 庸三は小児科の先生に嗤(わら)われたが、子供をあまりいろいろな場所へ連れ行くのはどうかと、人に警告されたこともあった。しかし後に銀ぶらや喫茶店や、音楽堂入りを、かえってこの子供から教わるようになったころには、彼も自分の教育方法が、全然盲目的な愛でしかなかったことに気がついて、しばしば子供の日常に神経を苛立(いらだ)たせなければならなかった。それに大抵年に一度か二度、胃腸の疾患とか、扁桃腺(へんとうせん)とかで倒れるのが例で、中学から上の学校へ入るのに、二年もつづいて試験の当日にわかに高熱を出して、自動車で帰って来たりして、つい入学がおくれ、その結果中学時代に持っていた敬虔(けいけん)な学生気分にも、いつか懈怠(げたい)が来ないわけに行かなかった。ここにも若ものの運命を狂わせる試験地獄の祟(たた)りがあったわけだが、それが庸三の不断の悩みでもあった。 けれど今になってみると、彼はむしろ自身の足跡を、ある程度彼にも知らせておいていいような気分もした。それがもし恋愛といったような特殊の場合であるとしても、老年の彼以上にも適当な批判を下しうるだけの、近代人相応の感覚や情操に事欠くこともあるまい――と、そう明瞭(めいりょう)には考えなかったにしても、少なくもそういった甘やかしい感情はもっていた。ルウズといえば庸三ほどルウズな頭脳の持主も珍らしかった。 ここは水に臨んでいるというだけでも、部屋へ入った瞬間、だれでもちょっと埃(ほこり)っぽい巷(ちまた)から遠ざかった気分になるのであったが、庸三たちには格別身分不相応というほどの構えでもなく、文学にもいくらか色気のある小夜子を相手に無駄口をききながら、手軽に食事などしていると、葉子事件に絡(から)む苦難が、いくらか紛らせるのであった。「いつかも伺ったけれど、小説てそんなにむずかしいもんですの。」 小夜子はこのごろも書いたとみえて、原稿挟(ばさ)みを持ち出して来て、書き散らしの小説を引っくらかえしていたが、庸三はこの女は書く方ではなくて、書かれる方だと思っていたので、「やっぱり五年十年と年期を入れないことには。何よりも文章から初めなくちゃ。」 と言って笑っていたが、今のように親しくなってみると、変化に富んだ彼女の過去については、何一つ纏(まと)まった話の筋に触れることもできなかった。 子供と平田が交通頻繁(ひんぱん)な水の上を見ていると、やがて夕方のお化粧を凝(こ)らした小夜子が入って来た。そして胡座(あぐら)を組んだまま、丸々した顔ににこにこしている子供を見ていたが、「こちらいつかお宅でお目にかかった坊っちゃんですの。」 庸三も笑っていたが、あらためて平田青年をも紹介して、食べものの見繕(みつくろ)いを頼んでから、風呂(ふろ)へ入った。 庸三はどこかこの同じ川筋の上流の家で、葉子が秋本と、今ごろ酒でも飲んで気焔(きえん)を挙げているであろうと思われて、それは打ち明けられたことだけに、別にいやな気持もしないのであったが、自身の妙な立場を考えると、何か擽(くすぐ)ったい感じでもあった。すると廊下を一つ隔(へ)だてた、同じ水に臨んだ小室(こべや)の方で、やがて小夜子がお愛相(あいそ)笑いしていると思ったが、しばらくすると再び庸三たちの方へ戻って来た時には、ビイルでも呑(の)んだものらしく、目の縁(ふち)がやや紅(あか)くなっていた。庸三はこのごろ仲間の人たちで、ここを気のおけない遊び場所にしている人も相当多いことを考えていたので、隣りの客がもしかするとその組ではないかと思ったが、小夜子に聞いてみると、それは最近ちょくちょく一人でそっとやって来る、近所の医者だことが解(わか)った。彼も風変りなこのマダムのファンの一人で、庸三もある機会にちょっと診(み)てもらったこともあって、それ以来ここでも一度顔が合った。不思議なことには、それが女学校を出たての葉子がしばらく身を寄せていたという彼女の親類の一人であった。葉子が人形町あたりの勝手をよく知っていて、わざわざ伊達巻(だてまき)など買いに来たのも理由のないことではなかった。そしてそう思ってみると、ぴんと口髯(くちひげ)の上へ跳(は)ねたこのドクトルの、型で押し出したような顔のどこかに、梢家(こずえけ)の血統らしい面影も見脱(みのが)せないのであった。がっちりしたその寸詰りの体躯(たいく)にも、どこか可笑(おか)しみがあって、ダンスも巧かった。庸三は小夜子と人形町のホオルを見学に入ったとき、いかにも教習所仕立らしい真面目(まじめ)なステップを踏んでいる、彼の勇ましい姿を群衆のなかに発見して、思わず微笑したものだった。「どうです。運動に一つおやりになっては。初めてみるとなかなか面白いものですよ。」 ドクトルは傍(そば)へ寄って来て勧めた。 そのドクトルが今夜も来ているのであった。小夜子はそれをことさら煩(うるさ)がっているような口吻(くちぶり)を洩(も)らしていたが、庸三自身も蔭(かげ)でどんなことを言われていたかは解(わか)らないのであった。 庸三は葉子がこのドクトルの家(うち)に身を寄せていたのを想像してみたりしたが、女学校卒業前後に何かいやな風評が立って、それを避けるために、ドクトルの家でしばらく預かることになったというのは、よくよくの悪い邪推で、真実は音楽学校の試験でも受けに来ていたというのが本当らしかった。庸三は葉子と交渉のあった間、もしくはすっかり手が切れてしまってからも、後から後からと耳に入るのは、いつも彼女の悪いゴシップばかりで、ある時は正面を切って、彼女を擁護しようと焦慮(あせ)ったことが、二重に彼を嘲笑(ちょうしょう)の渦(うず)に捲(ま)きこんで、手も足も出なくしてしまった。 約束の十時に、庸三は小夜子の家を引きあげた。そして、円タクを通りで乗りすてて家の近くまで来ると、そっと向う前にある葉子の二階を見あげた。二階は板戸が締まっていて、電燈の明りも差していなかったが、すぐ板塀(いたべい)の内にある下の六畳から、母と何か話している彼女の声が洩れた。庸三はほっとした気持で格子戸(こうしど)を開けた。「一時間も――もっと前よ、私の帰ったのは。」 彼女はけろりとした顔で、二階へあがって来た。「どうかしたの。」「後でよく話すけれど、私喧嘩(けんか)してしまったのよ。」 庸三は惘(あき)れもしなかった。「約束の家で……。」「うーん、家が気に入らなかったから、あすこを飛び出して、土手をぶらぶら歩いたの。そして別の家へ行ってみたの。それはよかったけれど、お酒飲みだすと、あの人の態度何だか気障(きざ)っぽくて、私忿(おこ)って廊下へ飛び出しちゃったものなの。そうなると、私後ろを振り返らない女よ。あの人玄関まで追っかけて来たけれど。」「それじゃまるで喧嘩しに行ったようなものじゃないか。」「いいのよ、どうせ明日上野まで送るから。」 葉子はそう言って、寂しさを胡麻化(ごまか)していた。 翌日になると、葉子は時間を見計らって、家を出て行った。そして銀座で水菓子の籠(かご)を誂(あつら)えると、上野駅まで自動車を飛ばした。しかもその時はもう遅かった。重い水菓子の籠を赤帽に持たせて、急いで歩廊へ出て行った時には、汽車はすでに動き出していた。 葉子はすごすご水菓子を自動車に載せて、帰って来た。そして着替える隙(ひま)もなく、その籠を彼の田舎(いなか)の家へ送るために、母と二人で荷造りを初めた。籠は大粒の翡翠色(ひすいいろ)した葡萄(ぶどう)の房(ふさ)や、包装紙を透けて見える黄金色(こがねいろ)のオレンジなどで詰まっていた。「少しくらい傷(いた)んでも、田舎ではこんなもの珍らしいのよ。」 葉子はさすがに度を失っていた。 しかし彼女のその夜の気紛(きまぐ)れな態度が、つまりどんなふうに今後の運命に差し響いたであろうかは、大分後になってから、やっと解(わか)ったことで、まれの媾曳(あいびき)から帰って来た時の、前夜二回の葉子の胡散(うさん)らしい報告が、事実であったことが、庸三に頷(うなず)けたのも、その時になってからであった。      十二 いよいよ葉子を病院へ送りこんでからの庸三は、にわかにこの恋愛生活の苦悩から解放されたような感じで一時ほっとした。それには永年の懸案であった家の増築ということも彼の気分転換に相当役立った。増築の出来栄(ば)えが庸三の期待を裏切ったことはもちろんであったが、一旦請負師の要求に応じて少なからぬ金を渡し、貨車で運ばれた建築用材を庭の真中へ積みこまれてしまうと、その用材からしてすでに約束を無視したものだということに気がついていても、今更どうすることもできないのであった。庸三は持合せの金も少なかったし、それほどの建築でもないので、自分からかれこれ設計上の註文(ちゅうもん)を出すことを遠慮して、わざと大体の希望を述べるに止(とど)めておいたのだった。「余計な細工はいらない。とにかくがっちりしたものを造ってもらいたいんで。」「ようがす。ちょうど材木の割安なものが目つかりましたから。」 請負師はそう言って、金を持って行ったのであった。この請負師は庸三の懇意にしている骨董屋(こっとうや)の近くに、かなり立派な事務所をもっていて、その骨董屋の店で時々顔が合っていた。同じ店頭へ来て、煎茶(せんちゃ)の道具などを弄(いじ)っている、その夫人のどこか洗練された趣味から推しても、工学士であるその主人に十分建築を委(まか)しきってよいように考えられたものであったが、仕事は別の大工が下受けしたものだことがじきに解って来た。人を舐(な)めたようなやってつけ仕事がやがて初まり、ばたばた進行した。手丈夫ということは、趣味の粗悪という意味で充分認められないこともなかったが、形が出来るに従って彼は厭気(いやけ)が差して来た。しかしもう追っつかなかった。費用がほとんど倍加して来たことも仕方がなかった。住居(すまい)が広くなっただけでも彼は満足するよりほかなかった。そこには古い彼の六畳の書斎だけが、根太(ねだ)や天井を修繕され、壁を塗りかえられて残されてあった。三十年のあいだ薄い頭脳と乏しい才能を絞って、その時々の創作に苦労して来たのもその一室であったが、いろいろな人が訪ねて来て、びっくりしたような顔で、貧弱な部屋を見廻わしたのも、その一室であった。そこはまた夫婦の寝室でもあり、病弱な子供たちの病室でもあった。わずか半日半夜のうちに、十二の夏疫痢(えきり)で死んで行った娘の畳の上まで引いた豊かな髪を、味気ない気持で妻がいとおしげに梳(くしけ)ずってやっていたのも、その一室であった。お迎いお迎えという触れ声が外にしていて、七月十七日の朝の爽(さわ)やかな風が、一夜のうちに姿をかえた少女の透き徹(とお)るような白い額を撫(な)でていた。そして気が狂わんばかりに、その時すっかり生きる楽しさを失ってしまった妻も、十数年の後の、ついこの正月の二日の午後には、同じ場所で、子供たちの母を呼ぶ声を後に遺(のこ)して冷たい空骸(なきがら)となって横たわっていたのであった。この部屋での、そうした劃期的(かっきてき)の悲しみは悲しみとしても、彼は何か小さい自身の人生の大部の痕迹(こんせき)が、その質素な一室の煙草(たばこ)の脂(やに)に燻(いぶ)しつくされた天井や柱、所々骨の折れた障子、木膚(きはだ)の黝(くろ)ずんだ縁や軒などに入染(にじ)んでいるのを懐かしく感ずる以外に、とてもこれ以上簡素には出来ないであろうと思われるほど無駄を省いた落着きのよさが、今がさつな新築の書斎に坐ってみて、はっきりわかるような気がするほど、増築の部分がいやなものに思われた。しかし、今まで庭の隅(すみ)になっていて、隣の三階の窓から見下ろされる場所に、突き出して建てた、床のやや高めになった六畳の新しい自分の部屋に机をすえていると、台湾檜(ひのき)の木の匂いなどもして、何か垢(あか)じみた古い衣をぬぎすてて、物は悪くてもとにかく新しいものを身につけたような感じで、ここはやはりこれからの清浄な仕事場として、葉子に足を踏み入れさせないことにしようと、彼は思ったほどであった。 葉子はある時は、ほぼ形の出来かかった建築を見に来て、機嫌(きげん)の好いときは、二階の子供の書斎の窓などについて、自身の経験と趣味から割り出した意見を述べ、子供たちと一緒になって、例の愛嬌(あいきょう)たっぷりの駄々っ子のような調子で、日本風の硝子(ガラス)の引戸の窓に、洋風の窓枠(まどわく)を組み込んで開き窓に改めさせなどしたこともあったが、しかし子供たちのための庸三の家のこの増築は、彼女にとってはあまり愉快なものではなかった。「いいもんだな先生んとこは、家が立派になって。」 葉子は笑談(じょうだん)のように羨望(せんぼう)の口吻(こうふん)を洩(も)らすこともあったが、大枚の生活費を秋本に貢(みつ)がせながら、愛だけを独占しようとしている庸三の無理解な利己的態度が、時には腹立たしく思えてならなかった。たといそれが庸三自身の計画的な行動ではなく、彼女自身の悧巧(りこう)な頭脳(あたま)から割り出されたトリックであるにしても、葉子自身そうした苦しいハメに陥ったことに変りはなかった。彼女はどんな無理なことも平気でやって行けるような、無邪気といえば無邪気、甘いといえば甘い、自己陶酔に似たローマンチックな感情の持主で、それからそれへと始終巧妙に、自身の生活を塗りかえて行くのに抜目のない敏感さで、神経が働いているので、どうかすると何かしら絶えず陰謀をたくらんでいる油断も隙(すき)もない悪い女のように見えたり、刹那々々(せつなせつな)に燃え揚がる情熱はありながらも、生活的に女らしい操持に乏しいところから、ややもすると娼婦型(しょうふがた)の浮気女のような感じを与えたりするのであった。彼女は珍らしもの好きの子供が、初めすばらしい好奇心を引いた翫具(おもちゃ)にもじきに飽きが来て、次ぎ次ぎに新しいものへと手を延ばして行くのと同じに、ろくにはっきりした見定めもつかずに、一旦好いとなると、矢も楯(たて)もたまらずに覘(ねら)いをつけた異性へと飛びついて行くのであったが、やがて生活が彼女の思い昂(あが)った慾望に添わないことが苦痛になるか、または、もっと好きそうなものが身近かに目つかるかすると、抑えがたい慾望の※(ほのお)がさらに彼女を駆り立て、別の異性へと飛び蒐(かか)って行くのであったが、一つ一つの現実についてみれば、あまりにも神経質な彼女の気持に迫り来るようなものが、この狭い地上の生活環境のどこにも見出(みいだ)されようはずもないので、到(いた)るところ彼女の虹(にじ)のような希望は裏切られ、わがままな嘆きと悲しみが、美しい彼女の夢を微塵(みじん)に砕いてしまうのであった。しかし北の海の荒い陰鬱(いんうつ)さの美しい自然の霊を享(う)けて来た彼女の濃艶(のうえん)な肉体を流れているものは、いつも新しい情熱の血と生活への絶えざる憧(あこが)れであった。とかく生活と妥協しがたいもののように見える彼女の恋愛巡礼にも、あまりに神経的な打算があった。大抵彼女の産まれた北方には、詳しくいえばそれは何も北方に限ったことでもないが、女の貞操ほどたやすく物質に換算されるものはなかった。庸三は二度も行って見た彼女の故郷の家のまわり一体に、昔、栄えた船着場の名残(なご)りとしての、遊女町らしい情緒(じょうしょ)の今も漂っているのと思いあわせて、近代女性の自覚と、文学などから教わった新しい恋愛のトリックにも敏(さと)い彼女が、とかく盲目的な行動に走りがちである一方に、そこにはいつも貞操を物質以下にも安く見つもりがちな、ほとんど無智(むち)といえば言えるほど曖昧(あいまい)な打算的感情が、あたかも過去の女性かと思われるほどの廃頽(はいたい)のなかに見出されるのを感ずるのであった。もちろん末梢(まっしょう)神経の打算なら、近代の人のほとんどすべてがそれを持っていた。庸三もそれに苦しんでいる一人であった。 庸三は葉子の痔疾(じしつ)の手術に立ち会って以来、とかく彼女から遠ざかりがちな無精な自身を見出した。 もちろんそれは前々から彼の頭脳にかかっていた暗い雲のような形の、この不純でややこしい恋愛に対する嫌悪感(けんおかん)ではあったが――そしてそれは激しい非難や、子供たちの不満のために醸(かも)された、妙にねじけた反抗と意地のようなものと、今まで経験したことのない、強いというよりか、むしろ孤独な老年の弱気な寂しい愛慾の断ち切りがたさのために、とかく自己判断と省察とがなまくらになって、はっきり正体を認めることのできないようなものではあったが、刻々に化膿(かのう)して行くような心の疼(うず)きは酷(ひど)かったが、――差し当たって彼が自身の本心のようなものに、微(かす)かにも触れることのできたのは、彼女の最近のヒステリックな心を、ともすると病苦と一つになってひどく険悪なものにして来る、彼への対立気分のためであった。時とすると、葉子は田舎(いなか)からとどいた金を帯の間へ入れて、病室のベッドでかけるような、軽くて暖かい毛布団(けぶとん)を買うために、庸三の膝(ひざ)のうえに痛い体を載せて、銀座まで自動車を駆りなどした。彼女の頸(くび)にした白狐(びゃっこ)の毛皮の毛から、感じの柔軟な暖かさが彼の頬(ほお)にも触れた。この毛皮を首にしていれば、絶対に風邪(かぜ)はひきッこない。――彼はそう思いながら、痩(や)せっぽちの腿(もも)の痛さを怺(こら)えなければならなかった。またある時は、内弟子に預けてある葉子の愛嬢の瑠美子も出るという、年末の総ざらいの舞踊会が、雪枝の家(うち)で催されるというので、葉子は庸三にも来るようにと誘うので、あまり気の進まなかった庸三は、しばらく思案した果てに、やや遅れて青山の師匠の家を訪れたが、庸三が予覚していたとおり、彼の来たことを妙に憂鬱(ゆううつ)に感じているらしい彼女を、群衆のなかに発見した。庸三は舞台の正面の、少し後ろの方に坐って、童謡を踊る愛らしい少女たちを見ていたが、後ろの隅(すみ)の方に、舞踊にも造詣(ぞうけい)のふかい師匠の若い愛人の顔も見えた。葉子は始終紋附きの黒い羽織を着て、思いありげな目を伏せ、庸三の少し後ろの方に慎(つつ)ましく坐っていたが、そうした明るい集りのなかで見ると、最近まためっきり顔や姿の窶(やつ)れて来たのが際立(きわだ)って見えた。葉子はいつかこの帰りがけに、省線の新宿駅のブリッジのところで、偶然この青年に逢(あ)ったとかで、帰ってから、感じのよかったことを庸三にも話して聞かしたものだったが、実際はそれよりもやや親しく接近しているらしいことが、彼女のその後の口吻(くちぶり)でも推測できるのであった。庸三の頭脳にはどうかすると暗い影が差して来たが、師匠に対する葉子の立場を考えて強(し)いても安心しようとした。彼こそ彼女の恰好(かっこう)な相手だという感じは、葉子と一緒に師匠を初めて訪問した時の最初の印象でも明らかであり、この青年とだったら、いくら移り気の葉子でも、事によると最後の落着き場所として愛の巣が営めるのではないかという気もしたし、敏捷(びんしょう)な葉子と好いモダアニストとして、今売り出しの彼とのあいだに、事が起こらなければむしろ不思議だという感じもしないことはなかったが、一つの頼みだけはあった。「あれなら本当の葉子のいい相手だ。」 庸三はそれを口にまで出した。ちょうど文壇に評判のよかった「肉体の距離」というその青年の作品が、そうした葉子の感情を唆(そそ)るにも、打ってつけであった。絶えず何かを求め探している葉子の心は、すでに娘の預り主の師匠にひそかに叛逆(はんぎゃく)を企てているに違いなかったが、庸三の曇った頭脳では、そこまでの見透かしのつくはずもなかった。たといついたにしても、病人が好い博士(はかせ)の診断を怖(おそ)れるように、彼はできるだけその感情から逃避するよりほかなかった。結婚することもできないのに、始終風車のように廻っている葉子のような若い女性の心を、老年の、しかも生活条件の何もかもがよくないだらけの、庸三のような男が、永久に引き留めておける理由もないことは、運命的な彼の悩みであったが、また悽愴(せいそう)なこの恋愛がいつまで続くかを考えるたびに、彼は悲痛な感じに戦慄(せんりつ)した。みるみる彼の短かい生命は刻まれて行くのだった。 お浚(さら)いが済んだ後で、その青年はじめ二三の淑女だちとともに、庸三と葉子も、軽い夜食の待遇(もてなし)を受けて、白いテイブル・クロオスのかかった食卓のまわりに坐って、才気ばしったお愛相(あいそ)の好い師匠を中心に、しばし雑談に時を移したが、その間も葉子は始終俛(うつむ)きがちな蒼白(あおじろ)い顔に、深く思い悩むらしい風情(ふぜい)を浮かべて、黙りとおしていた。それが病気のためだとしても、そんなことは前後に珍らしかった。 それと今一つは、手術場での思いがけない一つの光景が、葉子の、しかしそれはすべての女の本性を、彼の目にまざまざ見せてくれた。 庸三はその時担架に乗って、病室から搬(はこ)び出されて行く葉子について、つい手術室の次ぎの室に入って行った。ゴシップや世間の噂(うわさ)で、すでにそれらの医師だちにも興味的に知られているらしい葉子は、入院最初の一日の間に、執刀者のK――博士にも甘えられるだけの親しみを感じていたが、庸三と一言二言話しているうちに用意ができて、間もなく手術台のうえに載せられた。庸三は血を見るのもいやだったし、寄って行くのに気が差して、わざと次ぎの部屋に立っていたが、すっかり支度(したく)のできた博士が、駄々ッ児の子供をでも見るような、頬笑(ほほえ)みをたたえて手術台に寄って行くと、メスの冷たい閃光(せんこう)でも感じたらしい葉子は、にわかに居直ったような悪戯(いたずら)な調子で叫ぶのであった。「K――さん痛くしちゃいやよ。」 博士は蓬々(ぼうぼう)と乱れた髪をしていたが、「よし、よし」とか何とか言って、いきなりメスをもって行った。「ちょっと来て御覧なさい。」 やがて博士は庸三を振り返って、率直に言った。 見たくなかったけれど、庸三は手術台の裾(すそ)の方へまわって行った。ふと目に着いたものは白蝋(はくろう)のような色をした彼女の肉体のある部分に、真紅(しんく)に咲いたダリアの花のように、茶碗(ちゃわん)大に刳(く)り取られたままに、鮮血のにじむ隙(すき)もない深い痍(きず)であった。綺麗(きれい)といえばこの上ない綺麗な肉体であった。その瞬間葉子は眉(まゆ)を寄せて叫んだ。「見ちゃいやよ。」 もちろん庸三は一目見ただけで、そこを去ったのであったが、手術の後始末がすんで、葉子が病室へ搬びこまれてからも、長くは傍(そば)にいなかった。やがて不愉快な思いで彼は病院を辞した。そしてそれ以来二三日病院を見舞う気もしなかった。 庸三の足はしばしば例の川ぞいの家への向いた。ある書店でちょうど大量の出版が計画されたころで、彼もその一冊を頒(わ)けられることになっていたので、原稿を稼(かせ)がない時でも、金の融通はついたので懐(ふとこ)ろはそう寂しくはなかった。それにしても収穫(みいり)の悪いのに慣れている彼の金の使いぶりは、神経的に吝々(けちけち)したもので、計算に暗いだけになお吝嗇(しみっ)たれていた。それにしても纏(まと)まった金を自分の懐ろにして、外へ出るということは、彼の生涯を通してかつて無いことであった。その日その日に追われながら、いきなりな仕事ばかりして来たのも、精根の続かない彼の弱い体としては仕方のないことかも知れなかったが、天性の怠けものでもあった。「今夜のうちに、たとい一枚でも口を開けておおきになったら。」 幾日も幾日も気むずかしい顔をして、書き渋っている庸三の憂鬱(ゆううつ)そうな気分を劬(いたわ)りながら、妻はそう言って気を揉(も)んでいたものだったが、庸三はぎりぎりのところまで追い詰められて来ると、仕方なし諦(あきら)めの気持でペンを執るのであった。書き出せば出したで、どうにか形はついて行くようなものの、いつも息が切れそうな仕事ばかりであった。収入も少なかったので、彼は自分の金をもつというような機会もめったになかった。妻はそれで結構家を楽しくするだけの何か気分的なものをもっていて、計算の頭脳もない代りに、彼女なりの趣味性ですべての設計を作って行った。教養があるのでもなく、本質的な理解もないながらに、彼の仕事や気分が呑(の)みこめるだけの勘はあったので、彼は仕事場の身のまわりまで委(まか)せきりで、手紙一本の置場すら決まっていた。彼女の手にかかると、毎日の漬(つ)けものの色にも水々した生彩があり、肴(さかな)や野菜ものの目利きにも卒(そつ)がなかった。庸三が小さい時分食べて来た田舎(いなか)の食べ物のことなどを話すと、すぐそれが工夫されて、間もなく食膳(しょくぜん)に上るのだった。それで彼は何かというと外で飯を喰(く)うようなこともなかったし、小使の必要もなかったわけだが、長い下宿生活の慣習も染(し)みこんでいたので、そこらの善良な家庭人のような工合(ぐあい)には行かなかった。育って来た環境も環境だったが、彼には何か無節制な怠けものの血が流れているらしく、そうした家庭生活の息苦しさも感じないわけに行かなかった。彼なりの小さい世俗的な家庭の幸福がまた彼の文学的野心にも影響しないわけに行かなかった。とかく庸三は茶の間の人でありがちであった。書斎にいる時も、客に接している時も、大抵の場合彼女もそこにあった。それに彼は多勢(おおぜい)の子供の世話をしてくれる妻の心を痛めるようなことは、絶対にできなかった。今庸三は孤独の寂しさ不便さとともに、自分の金を懐ろにし自分の時間と世界をもつことができた。狭い楽しい囹圄(れいご)から広い寂しい世間への解放され、感傷の重荷を一身に背負うと同時に、自身の生活に立ち還(かえ)ることもできた。 その日も出癖のついた庸三は、ふらふらと家を出て、通りで自動車を拾ったが、憂鬱な葉子の病室を見舞う気もしなかったので、自然足は川ぞいの家へと向いた。何といっても家が広くなっていただけに気分の悪いはずもなかったが、出来あがってみると、どこもかしこもやってつけの仕事のあらが目について、どこから狩り立てて来たかも知れない田舎大工の無細工さが気になった。それに工事中ろくろく家財や書物の整理もできなくて、裏の家へ積み込んであったので、紛失したものも少なくなかった。近所の路次うちの悪太郎どもが、古板塀(いたべい)を破って庭から闖入(ちんにゅう)し、手当たり次第持ち出して行ったらしい形跡が、板塀の破れ目から縁側まで落ち散っている雑書や何かを見ても解(わか)ったが、昔ものの手堅い古建具、古畳、建築の余材、そんなものもいつの間にか亡くなってしまった。有るはずのものが見えないのに気がついて、いくら捜しても見つからないようなことも何か寂しい思いであった。好い女中がいなくて勝手元の滅茶々々(めちゃめちゃ)になったことも、庸三の神経を苛立(いらだ)たせた。お鈴という古くからいる、童蒙(どうもう)な顔の体のずんぐりした小女の、ちょくちょく物を持ち出して行くのにも困ったが、むやみといりもしないものを買いこむのが好きな新参のお光にも呆(あき)れた。お鈴は強情で、みすみすこの小女のせいだとわかっていてもなかなか白状しなかったが、わがままなお光は何かといえばお暇を下さいと脹(ふく)れるのであった。      十三 そのころには川沿いの家も大分賑(にぎ)わっていた。この商売にしては一風かわったマダム小夜子のサアビスぶりに、集まって来るのはことごとく文学者、画家、記者といったようなインテリ階級の人たちばかりであった。客種は開業当時と全然一変していた。しかしその間にも、たまには彼女のクルベー以前、お座敷へ出ていた時分の客も少しはあるものらしく、暮には何か裏までぼかし模様のあるすばらしい春着などを作って、※嫋(じょうじょう)と裾(すそ)を引きながら、べろべろに酔って庸三の部屋に現われることもあった。多分それは株屋か問屋筋(とんやすじ)の旦那(だんな)か、芳町(よしちょう)に芸者屋をしていたころの引っかかりとしか思えなかったが、小夜子はそういうことについては、一切口を割らなかった。彼女は七年間の独逸(ドイツ)貴族との同棲(どうせい)のあいだに、あまり身に染まなかった花柳気分からだんだん脱けて、町の商人にも気分が合わなくなっていた。今ごろ髪を七三などに結って、下卑(げび)た笑談口(じょうだんぐち)などきいて反(そ)っくりかえっているそこらのお神なぞも、鼻持ちのならないものであった。今では雑誌や新聞のうえで、遠いところにのみ眺めていた文壇の人たちと膝(ひざ)を附き合わせて、猪口(ちょく)の遣(や)り取りしたり花を引いたりして、気取りも打算もない彼らと友達附き合いのできるのも面白かったし、地位や名前のある婦人たちの遊びに来るのも、感じがよかった。 庸三は十一月ごろ一度葉子をここへつれて来たことがあった。葉子が結婚生活の破局以来、今は遠くなってしまったあの画家との恋愛の初め、一夜を過ごしたことのある水辺の家のことを、折にふれて口へ出すので、それより大分川下になっている小夜子の家を見せがてら、彼女を紹介しようと思ったのであった。それは震災後山の手へ引っ越していたある料亭(りょうてい)である晩二人で飯を喰(く)っての帰りに、興味的に庸三が言い出したのであった。彼は生活負担の多い老年の自分と若い葉子との、こうした関係が永く続く場合を考えてみて、目が晦(くら)むような感じだったが、いつかは彼女を見失ってしまうであろう時のことを考えるのも憂鬱(ゆううつ)であった。もう今では――あるいは最初から小夜子が自分のものになろうとは思えなかったし、そうする時の、いつも高い相場のついていた商売人(くろうと)あがりの彼女が、自分に背負(しょ)いきれるはずもないことも解(わか)っていながら、何かそういったものを頭脳(あたま)のなかに描いていないことには、葉子が遠く飛び去った時の、心のやり場がなかろうと、そうした気持も潜んでいたらしいのであったが、葉子を連れて行ったのは、ほんのその場の思い附きでしかなかった。大分前に小夜子と今一人小夜子の古い友達と三人で下の八畳で話しこんでいた時、葉子から電話がかかって来て、庸三はちょうど来たばかりのところだったので、電話へ出るのも気が進まなかった。このころ葉子の家は少し離れたところにあって、彼女は新調のジョゼットのワンピイスを着て、長女の瑠美子とよく外へ出たものであった。瑠美子のために、庸三が邪魔になることもしばしばであった。ある時などは、婦人文芸雑誌の編輯(へんしゅう)をしているF――氏の前で、はしなく二人の雰囲気(ふんいき)が険しくなり、庸三は帰って行くF――氏と一緒に玄関を降りぎわに烈しい言葉で彼女を罵(ののし)ったのだったが、そうして別れた後で、彼はやはり独りで苦しまなければならなかった。 その時も庸三の気持は、ちょっと葉子から遠くなっていた。彼は家政婦に出てもいいと言っているとかいう、小夜子の友達の一人の女の写真などを見ていた。家政婦といっても、双方よければ、それ以上に進んでもかまわないという意味も含まれているらしかった。「写真より綺麗(きれい)ですよ。私の姉の田舎(いなか)で家柄もいいんです。いい家(うち)へ片づいていたんですけれど、御主人が商売に失敗して、家が離散してしまったんですの。」 小夜子は言っていたが、その女はしかし庸三の好みの型ではなかった。 そこへ葉子から電話がかかったのだったが、庸三は急いで帰る気もしなかった。「先生があまり葉子さんに甘いからいけないのよ。うっちゃっときなさいよ。」 側にいた小夜子の別の友達が言うと、「帰ってあげなさいよ。」 と小夜子は言うのであった。庸三はやがて小夜子の友達の女と一緒に乗って、白木の辺で彼女をおろして、葉子のところへ帰った。友達の女は、車のなかで鉛筆でノオトの片端に所と名前とを書いて、どうぞお遊びにと言って手渡した。「ちょっといいから行ってみない?」 二人は食事をしまって、梨子(なし)を剥(む)いていた。「行ってもいいけれど……行きましょう、水を見に。」 葉子は外(そ)らさず言ったが、真実(ほんとう)は気が進まなかった。「何だかいやだな、そういう人。」 自動車に乗ってから、彼女は神経質になった。「家を見るだけさ。」「それならいいけれど。」 通された下座敷で、葉子は窓ぎわに立って水を見ていたが、彼女がここへ来るのに気が差したのは、あながち今までにもある意味の好い生活をして来たらしいマダムに逢(あ)うのが憂鬱だったばかりでなかった。小夜子の門と向き合って、そこにかなり立派なコンクリートの病院のあることと、その主(あるじ)が毎夜のように、小夜子の煩(うるさ)がるのも頓着(とんちゃく)なしにそっと入り浸っていることは前にも書いた通りだが、そこが学校を出たての葉子が、音楽学校入学志望で、かつてしばらく身を寄せていた処(ところ)であったということも、葉子を躊躇(ちゅうちょ)させたものに違いなかった。 小夜子の家では、いつもと違って、サアビスぶりはあまりよくなかった。そして今上がりぎわに、ちょっと薄暗い廊下のところでちらとその姿を見かけた小夜子が、盛装して二人の前に現われるのに、大分時間がかかった。二人は照れてしまったが、葉子は部屋の空虚を充(み)たすために、力(つと)めて話をしかけた。そこへ真白に塗った小夜子が、絵羽の羽織を着て嫻(しと)やかに入って来た。そして入口のところに坐った。「梢(こずえ)さんでしょう。」 小夜子はそう言って、挨拶(あいさつ)すると、今夜は少しお寒いからと、窓の硝子戸(ガラスど)を閉めたりして、また入口の処にぴったり坐ったが、表情が硬(かた)かった。 葉子は立って行って、小夜子と脊比(せいくら)べをしたりして、親しみを示そうとしたが、いずれも気持が釈(と)かれずじまいであった。「やっぱりそうかなあ。」 庸三は後悔した。するうち小夜子を呼びに来た。客が上がって来たらしかった。「私今夜ここで書いてもいい?」 葉子は書く仕事を持っていることに、何か優越を感ずるらしく、庸三が頷(うなず)くと、じきに玄関口の電話へ出て行って、これも新調の絵羽の羽織や原稿紙などを、自動車で持って来るように、近所の下宿屋を通して女中に吩咐(いいつ)けた。 しかし間もなく錦紗(きんしゃ)の絞りの風呂敷包(ふろしきづつ)みが届いて、葉子がそのつもりで羽織を着て、独りで燥(はしゃ)ぎ気味になったところで、今夜ここで一泊したいからと女中を呼んで言い入れると、しばらくしてから、その女中がやって来て、「今夜はおあいにくさまですわ。少し立て込んでいるんですのよ。」 庸三はその素気(そっけ)なさに葉子と顔を見合わした。やがて自動車を呼んで、そこを出てしまった。「小夜子さん光一(ぴかいち)でなきゃ納まらないんだ。」 葉子は車のなかで言った。 ある夜も小夜子はひどく酒に酔っていた。 酒のうえでの話はよくわからなかったけれど、片々(きれぎれ)に口にするところから推測してみると、とっくに切れてしまったはずのクルベーが、新橋の一芸者を手懐(てなず)けたとか、遊んでいるとかいうようにも聞こえたし、寄越(よこ)すはずの金を、小夜子の掛引きでかクルベーの思い違いでか、いずれにしても彼の態度が気にくわぬので、押しかけて行って弾(はじ)き返されるのが癪(しゃく)だというように聞こえた。 クルベーはまだ十分小夜子に未練をもっていた。彼は今少し何とか景気を盛りかえすまで、麹町(こうじまち)の屋敷に止(とど)まっているように、くどく彼女に勧説(かんぜい)したのであったが、小夜子は七年間の不自然な生活も鼻についていた。クルベーのように、自分を愛してくれたものもなかったが、クルベーほど彼女のわがままを大目に見てくれたものもなかった。若い歌舞伎(かぶき)俳優と媾曳(あいびき)して夜おそく帰って来ると、彼はいつでもバルコニイへ出て、じっと待っているのだった。「貴女(あなた)浮気して来ました。いけません。」 美しい大入道のクルベーはさすがに、顔を真赤にして怒っていた。 またある時は、病気にかこつけて、温泉場の旅館で、芳町時代から、関係の断続していた情人と逢(あ)っているところへ、いきなりクルベーに来られて、男が洋服を浚(さら)って、縁から転(ころ)がり落ちるようにして庭へ逃げたあとに、時計が遺(のこ)っていたりした。しかしクルベーは小夜子を憎まなかった。目に余るようなことさえしなければ、彼の目褄(めづま)を忍んでの、少しばかりの悪戯(いたずら)は大目に見ようと思っていた。彼はその一人子息(むすこ)が、自転車で怪我(けが)をして死んでから、本国へ引き揚げる希望もなくなっていた。武器を支那(シナ)へ売りこもうとして失敗して以来、日本の軍部でも次第に独逸製品を拒むような機運が向いて来た。しかし小夜子が彼の屋敷を出たのには、切れても切れられない関係にあった、長いあいだの男の唆(そその)かしにも因(よ)るのであった。ようやくクールベから離れて来てみると、裏店(うらだな)へでも潜(くぐ)らない限り、その男とも一緒に行けないことも解(わか)って来た。 水ぎわの家(うち)を初めてからも、クルベーはそっとやって来て、この商売はやってもいいから、たまには逢うことにしようと言うのだったが、近所が煩(うる)さいし、人気商売だから、寄りついてくれても困ると言って、小夜子はぴったり断わった。――と小夜子はそういうふうに話していたが、まるきり縁が切れてしまったものとも思えなかった。 小夜子は今夜のように酔っていたこともなかったが、庸三も少し酔っていたので、何かの弾(はず)みで一緒に自動車に載せて家へつれて来た。小夜子が新らしい庸三の部屋へ入るのは、今夜に限ったことでもなかったが、葉子の留守宅の二階からすぐ見下ろされるような門を二人で入った時には、庸三も自身の気紛(きまぐ)れな行為に疑いが生じた。かつての庸三夫婦もお互いに牽制(けんせい)され合っているにすぎなかったとは言え、口を利かないものの力も、まるきり無いわけには行かなかった。 小夜子を奥へ通すと、ちょうど遊びに来ていた青年作家の一人と一緒に、長男の庸太郎も出て来て、面白そうに酔った小夜子を見ていた。小夜子は握り拳(こぶし)で紫檀(したん)の卓を叩(たた)きながら、廻らない舌で何か熱を吹いていた。「私は三十三なんだ。」 と、それだけが庸三の耳にはっきり聴(き)き取れるだけで、何をきいても他哩(たわい)がなかった。 間もなく彼女はふらふらと立ちあがった。「お前ちょっと送ってくれないか。」 庸三は子供に吩咐(いいつ)けたが、送って応接室まで出て行くと、小夜子はふと立ち停(ど)まって、誰という意識もなしに、発作的に庸三の口へ口を寄せて来た。やがて玄関へおりて行った。 四十分もすると庸太郎が帰って来た。「面白いや、あの女。」「どうした。」「番町の独逸人の屋敷へ行くというから、一緒に乗りつけてみると、ドアがぴったり締まっているんだ。いくら呼び鈴を押しても、叩いても誰も出てこないもんだから、あの人硝子戸(ガラスど)を叩き破ったのさ。出て来たのは立派な禿頭(はげあたま)の独逸人でね、暴(あば)れこもうとするのを突き出すのさ。そして僕の顔を見て、貴方(あなた)は紳士だから、この酔っぱらいを家まで連れて行ってくれ。こんなに遅く、戸を叩いたりして外聞が悪いからと言うもんだから、まあ宥(なだ)めて家まで送りとどけたんだけれど、自動車のなかで滅茶(めちゃ)苦茶にキスされちゃって……。手から血が流れるし、ハンケチで括(くく)ってやったけれど。いや、何か癪にさわったことがあるんですね。――それにしても、あの独逸人は綺麗(きれい)なお爺(じい)さんだな。」 庸三は黙って聞いていた。 ある日古い友達の山村が、ふと庸三の部屋へ現われた。作家であった山村は瀬戸物の愛翫癖(あいがんへき)があったところから、今は庸三の家からかなり離れた場所で、骨董品(こっとうひん)を並べていた。手のもげかかった仏像、傷ものの陶磁器、エキゾチックな水甕(みずがめ)や花瓶(かびん)、刀剣や鍔(つば)や更紗(さらさ)の珍らしい裂(きれ)なども集めていた。芸術家同志の恋愛で、かつて三年ばかり結婚生活を営んでいた妻の女流作家と別れて、今の妻と同棲(どうせい)してからかなりの月日がたっていたが、どうかすると思わぬ時に、その作品を新聞の上に見ることもあった。新しい恋人を追って、アメリカへ渡って行った、その女流作家の消息も、すでに絶えがちであった。 彼はいつでも恋愛讃美者であったが、いつか庸三は小さい娘の咲子や瑠美子をつれて、葉子と一緒に上野辺を散歩している時に、ふとしばらくぶりで彼に出会ったのであったが、今彼はその時の葉子の印象を、彼流に率直に話すのだった。しばらく町なかの下宿に隠しておいた、純白な一少女との自身の恋愛告白に、しばし庸三も耳を傾けたが、その後で一緒に病室を見舞うことになった。「あの時広小路で僕はふとあの人の姿が、目についたんだ。身装(みなり)もじみだしちっとも修飾しちゃいないんだけれど、何か仄(ほの)かに匂ってくるような雰囲気(ふんいき)があってね、はてなと思ってその瞬間足を止めて見ていると、やがて傍(そば)にいる君に気がついたんだ。」 山村は話した。今まで庸三の耳に入り、目に映る葉子の批評は、どれも葉子を汚らわしい女として辱(はずか)しめるようなものばかりであったが、それは正直にそうとばかり取れないようなものであった。中には、庸三がもっている場合だけの彼女に当て篏(は)まるような種類のものも無くはなかった。もちろん容貌(ようぼう)と淑徳とは別であったが、過去は過去として、後に葉子が仕出来(しでか)したさまざまの事件にぶつかるまでは、庸三の魂もその若い肉体美の発散に全く酔いしれていた。 病院はひっそりとしていた。「文学病患者と書いてある」と庸太郎がふざけたという、病名の記された黒板のかかっている壁の方をむいて、葉子は断髪の黒髪をふさふさ枕(まくら)に垂らして、赤と黒と棒縞(ぼうじま)のお召の寝衣(ねまき)を着たまま、何か本を手にしたまま睡(ねむ)っていたのだが、やがてこっちを向き直った。「山村さん。」 庸三は言うと、葉子は額にかかる髪を掻(か)き揚げながら、「御免なさい、こんな風して。」 黒い髪の陰に濡(ぬ)れ色をした大きい目を見ながら、庸三は多分隔日くらいにガアゼを取り替えに来て、ずうと子供の時から知ってでもいた人のように、何かと甘えた口の利き方をする葉子に、揶揄(からか)い半分応酬しているであろうK――博士(はかせ)のことが心に浮かんだ。「先生今お忙しい?」「いや格別。」「先生という人薄情な人ね。」 葉子の顔は嶮(けわ)しくなった。「どうして?」「いいわ。
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