仮装人物
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著者名:徳田秋声 

仮装人物徳田秋声      一 庸三(ようぞう)はその後、ふとしたことから踊り場なぞへ入ることになって、クリスマスの仮装舞踏会へも幾度か出たが、ある時のダンス・パアティの幹事から否応(いやおう)なしにサンタクロオスの仮面を被(かぶ)せられて当惑しながら、煙草(たばこ)を吸おうとして面(めん)から顎(あご)を少し出して、ふとマッチを摺(す)ると、その火が髯(ひげ)の綿毛に移って、めらめらと燃えあがったことがあった。その時も彼は、これからここに敲(たた)き出そうとする、心の皺(しわ)のなかの埃塗(ほこりまぶ)れの甘い夢や苦い汁(しる)の古滓(ふるかす)について、人知れずそのころの真面目(まじめ)くさい道化姿を想(おも)い出させられて、苦笑せずにはいられなかったくらい、扮飾(ふんしょく)され歪曲(わいきょく)された――あるいはそれが自身の真実の姿だかも知れない、どっちがどっちだかわからない自身を照れくさく思うのであった。自身が実際首を突っ込んで見て来た自分と、その事件について語ろうとするのは、何もそれが楽しい思い出になるからでもなければ、現在の彼の生活環境に差し響きをもっているわけでもないようだから、そっと抽出(ひきだ)しの隅(すみ)っこの方に押しこめておくことが望ましいのであるが、正直なところそれも何か惜しいような気もするのである。ずっと前に一度、ふと舞踏場で、庸三は彼女と逢(あ)って、一回だけトロットを踊ってみた時、「怡(たの)しくない?」と彼女は言うのであったが、何の感じもおこらなかった庸三は、そういって彼を劬(いた)わっている彼女を羨(うらや)ましく思った。彼は癒(い)えきってしまった古創(ふるきず)の痕(あと)に触わられるような、心持ち痛痒(いたがゆ)いような感じで、すっかり巷(ちまた)の女になりきってしまって、悪くぶくぶくしている彼女の体を引っ張っているのが物憂(ものう)かった。 今庸三は文字どおり胸のときめくようなある一夜を思い出した。 その時庸三は、海風の通って来る、ある郊外のコッテイジじみたホテルへ仕事をもって行こうとして、ちょうど彼女がいつも宿を取っていた近くの旅館から、最近母を亡くして寂しがっている庸三の不幸な子供達の団欒(だんらん)を賑(にぎ)わせるために、時々遊びに来ていた彼女――梢(こずえ)葉子を誘った。 庸三は松川のマダムとして初めて彼女を見た瞬間から、その幽婉(ゆうえん)な姿に何か圧倒的なものを仄(ほの)かに感じていたのではあったが、彼女がそんなに接近して来ようとは夢にも思っていなかった。松川はその時お召ぞっきのぞろりとした扮装(ふんそう)をして、古(いにし)えの絵にあるような美しい風貌(ふうぼう)の持主であったし、連れて来た女の子も、お伽噺(とぎばなし)のなかに出て来る王女のように、純白な洋服を着飾らせて、何か気高い様子をしていた。手狭な悒鬱(うっとう)しい彼の六畳の書斎にはとてもそぐわない雰囲気(ふんいき)であった。彼らは遠くからわざわざ長い小説の原稿をもって彼を訪ねて来たのであった。それは二年前の陽春の三月ごろで、庸三の庭は、ちょうどこぶし[#「こぶし」に傍点]の花の盛りで、陰鬱(いんうつ)な書斎の縁先きが匂いやかな白い花の叢(くさむら)から照りかえす陽光に、春らしい明るさを齎(もたら)せていた。 庸三は部屋の真中にある黒い卓の片隅(かたすみ)で、ぺらぺらと原稿紙をめくって行った。原稿は乱暴な字で書きなぐられてあったが、何か荒い情熱が行間に迸(ほとばし)っているのを感じた。「大変な情熱ですね。」 彼は感じたままを呟(つぶや)いて、後で読んでみることを約束した。「大したブルジョウアだな。」 彼はそのころまだ生きていて、来客にお愛相(あいそ)のよかった妻に話した。作品もどうせブルジョウア・マダムの道楽だくらいに思って、それには持前の無精も手伝い、格にはまらない文章も文字も粗雑なので、ただ飛び飛びにあっちこっち目を通しただけで、通読はしなかったが、家庭に対する叛逆(はんぎゃく)気分だけは明らかに受け取ることができた。彼は多くの他の場合と同じく、この幸福そうな若い夫婦たちのために、躊躇(ちゅうちょ)なく作品を否定してしまった。物質と愛に恵まれた夫婦の生活が、その時すでに破産の危機に瀕(ひん)していようなどとは夢にも思いつかなかった。 翌日松川が返辞をききに来た時、夫人が文学道に踏み出すことは、事によると家庭を破壊することになりはしないかという警告を与えて帰したのだったが、その時大学構内の池の畔(ほとり)で子供と一緒に、原稿の運命を気遣(きづか)っていた妻の傍(そば)へ寄って行った葉子の良人(おっと)は、彼女の自尊心を傷つけるのを虞(おそ)れて、用心ぶかく今の成行きを話したものらしかった。「葉子、お前決して失望してはいけないよ。ただあの原稿が少し奔放すぎるだけなんだよ。文章も今一と錬(ね)り錬らなくちゃあ。」 葉子は無論失望はしなかった。そしてその翌日独りで再び庸三の書斎に現われた。「あれは大急ぎで書きあげましたの。字も書生が二三人で分担して清書したのでございますのよ。いずれ書き直すつもりでおりますのよ。――あれが出ませんと土地の人たちに面目(めんぼく)がございませんの。もう立つ前に花々しく新聞に書きたててくれたくらいなものですから。」 夫人は片手を畳について、少し顔を熱(ほて)らせていた。 庸三夫婦は気もつかずにいたが、彼女はその時妊娠八カ月だった。そして一度小樽市(おたるし)へ引き返して、身軽になってから出直して来るように言っていたが、庸三も仕方なく原稿はそれまで預かることにしたのであった。 その原稿が彼女たちの運命にとって、いかに重大な役目を持ったものであるかが、その秋破産した良人や子供たちとともに上京して、田端(たばた)に世帯(しょたい)をもつことになった葉子の話で、だんだん明瞭(めいりょう)になったわけだったが、そっちこっちの人の手を巡(めぐ)って、とにかくそれがある程度の訂正を経て、世のなかへ送り出されることになったのは、それからよほど後のことであった。ある時は庸三と、庸三がつれて行って紹介した流行作家のC氏と二人で、映画会社のスタジオを訪問したり、ある時はまた震災後の山の手で、芸術家のクラブのようになっていた、そのころの尖端的(せんたんてき)な唯一のカフエへ紹介されて、集まって来る文学者や画家のあいだに、客分格の女給見習いとして、夜ごと姿を現わしたりしていたものだったが、彼女はとっくに裸になってしまって、いつも妹の派手なお召の一張羅(いっちょうら)で押し通していた。ぐたぐたした派手なそのお召姿が、時々彼の書斎に現われた。彼女夫婦の没落の過程、最近死んだ父の愛娘(まなむすめ)であった彼女の花々しかった結婚式、かつての恋なかであり、その時の媒介者であった彼女の従兄(いとこ)の代議士と母と新郎の松川と一緒に、初めて落ち着いた松川の家庭が、思いのほか見すぼらしいもので、押入を開けると、そこには隣家の灯影(ほかげ)が差していたこと、行くとすぐ、そっくり東京のデパアトで誂(あつら)えた支度(したく)が、葉子も納得のうえで質屋へ搬(はこ)ばれてしまったこと、やっと一つ整理がついたと思うと、後からまた別口の負債が出て来たりして、二日がかりで町を騒がせたその結婚が、初めから不幸だったことなどが、来るたびに彼女の口から話された。美貌(びぼう)で才気もある葉子が、どうして小樽くんだりまで行って、そんな家庭に納まらなければならなかったか。もちろん彼女が郷里で評判のよかった帝大出の秀才松川の、町へ来た時の演説と風貌に魅惑を感じたということもあったであろうが、父が望んでいたような縁につけなかったのは、多分女学生時代の彼女のロオマンスが祟(たた)りを成していたものであろうことは、ずっと後になってから、迂闊(うかつ)の庸三にもやっと頷(うなず)けた。「私たちを送って来た従兄は、一週間も小樽に遊んでいましたの。自棄(やけ)になって毎日芸者を呼んで酒浸しになっていましたの。」 彼女は涙をこぼした。「このごろの私には、いっそ芸者にでもなった方がいいと思われてなりませんの。」 戦争景気の潮がやや退(ひ)き加減の、震災の痛手に悩んでいた復興途上の東京ではあったが、まだそのころはそんなに不安の空気が漂ってはいなかった。 多勢(おおぜい)の子供に取りまかれながら、じみな家庭生活に閉じ籠(こ)もっていた庸三は、自分の畑ではどうにもならないことも解(わか)っていたし、こうした派手々々しい、若い女性のたびたびの訪問に、二人きりの話の持ちきれないことや、襖(ふすま)一重の茶の間にいる妻の加世子(かよこ)にもきまりの悪いような気がするので、少し金まわりの好い文壇の花形を訪問してみてはどうかと、葉子に勧めたこともあった。葉子もそれを悦(よろこ)んだ。そしてだんだん渡りをつけて行ったが、それかと言って、何のこだわりもなく社交界を泳ぎまわるというほどでもなかった。「……それにこれと思うような人は、みんな奥さん持ちですわ。」 そこで彼女は異性を択(えら)ぶのに、便利な立場にある花柳界の女たちを羨(うらや)ましく思ったわけだったが、彼によって紹介された山の手のカフエへ現われるようになってから、彼女の気分もいくらか晴々して来た。 持越しの長篇が、松川の同窓であった、ある大新聞の経済記者などの手によって、文章を修正され、一二の出版書肆(しょし)へまわされた果てに、庸三のところへ出入りしている、若い劇作家であり、出版屋であった一色(いっしき)によって本になったのも、ちょうどそのころであった。ある晩偶然に一色と葉子が彼の書斎で、初めて顔を合わした。一色はにわかに妻を失って途方にくれている庸三のところへ、葬儀の費用として、大枚の札束を懐(ふとこ)ろにして来て、「どうぞこれをおつかいなすって」と事もなげな調子で、そっと襖(ふすま)の蔭(かげ)で手渡しするようなふうの男だったので、たちどころに数十万円の資産を亡くしてしまったくらいなので、庸三がどうかと思いながら葉子の原稿の話をすると、言い出した彼が危ぶんでいるにもかかわらず、二つ返辞で即座に引き受けたものだった。「拝見したうえ何とかしましょう。さっそく原稿をよこして下さい。」 ちょうど卓を囲んで、庸三夫婦と一色と葉子とが、顔を突きあわせている時であったが、間もなく一色と葉子が一緒に暇(いとま)を告げた。「あの二人はどうかなりそうだね。」「かも知れませんね。」 後で庸三はそんな気がして、加世子と話したのであったが、そのころ葉子はすでに良人(おっと)や子供と別れ田端の家を引き払って、牛込(うしごめ)で素人家(しろうとや)の二階に間借りすることになっていた。美容術を教わりに来ていた彼女の妹も、彼女たちの兄が学生時代に世話になっていたというその家に同棲(どうせい)していた。葉子は一色の来ない時々、相変らずそこからカフエに通っているものらしかったが、それが一色の気に入らず、どうかすると妹が彼女を迎いに行ったりしたものだが、浮気な彼女の目には、いつもそこに集まって陽気に燥(はしゃ)いでいる芸術家仲間の雰囲気(ふんいき)も、棄(す)てがたいものであった。 庸三は耳にするばかりで、彼女のいるあいだ一度もそのカフエを訪ねたことがなかった。それに連中の間を泳ぎまわっている葉子の噂(うわさ)もあまり香(かん)ばしいものではなかった。 加世子の訃音(ふいん)を受け取った葉子が、半年の余も閉じ籠(こ)もっていた海岸の家を出て、東京へ出て来たのは、加世子の葬式がすんで間もないほどのことであった。 加世子はその一月の二日に脳溢血(のういっけつ)で斃(たお)れたのだったが、その前の年の秋に、一度、健康そうに肥(ふと)った葉子が久しぶりにひょっこり姿を現わした。彼女は一色とそうした恋愛関係をつづけている間に、彼を振り切って、とかく多くの若い女性の憧(あこが)れの的であった、画家の山路草葉(やまじそうよう)のもとに走った。そして一緒に美しい海のほとりにある葉子の故郷の家を訪れてから、東京の郊外にある草葉の新らしい住宅で、たちまち結婚生活に入ったのだった。この結婚は、好感にしろ悪感にしろ、とにかく今まで彼女の容姿に魅惑を感じていた人たちにも、微笑(ほほえ)ましく頷(うなず)けることだったに違いなかった。 葉子は江戸ッ児(こ)肌(はだ)の一色をも好いていたのだったが、芸術と名声に特殊の魅力を感じていた文学少女型の彼女のことなので、到頭出版されることになった処女作の装釘(そうてい)を頼んだのが機縁で、その作品に共鳴した山路の手紙を受け取ると、たちどころに吸いつけられてしまった。これこそ自分がかねがね捜していた相手だという気がした。そしてそうなると、我慢性のない娘が好きな人形を見つけたように、それを手にしないと承知できなかった。自分のような女性だったら、十分彼を怡(たの)しませるに違いないという、自身の美貌(びぼう)への幻影が常に彼女の浮気心を煽(あお)りたてた。 ある夜も葉子は、山路と一緒に大川畔(ばた)のある意気造りの家の二階の静かな小間で、夜更(よふ)けの櫓(ろ)の音を聴(き)きながら、芸術や恋愛の話に耽(ふけ)っていた。故郷の彼女の家の後ろにも、海へ注ぐ川の流れがあって、水が何となく懐かしかった。葉子は幼少のころ、澄んだその流れの底に、あまり遠く押し流されないように紐(ひも)で体を岸の杭(くい)に結わえつけた祖母の死体を見た時の話をしたりした。年を取っても身だしなみを忘れなかった祖母が、生きるのに物憂(ものう)くなっていつも死に憧れていた気持をも、彼女一流の神秘めいた詞(ことば)で話していた。庸三の子供が葉子を形容したように彼女は鳥海山(ちょうかいさん)の谿間(たにま)に生えた一もとの白百合(しらゆり)が、どうかしたはずみに、材木か何かのなかに紛れこんで、都会へ持って来られたように、自然の生息(いぶき)そのままの姿態でそれがひとしお都会では幽婉(ゆうえん)に見えるのだったが、それだけまた葉子は都会離れしているのだった。 山路と二人でそうしている時に、表の方でにわかに自動車の爆音がひびいたと思うと、ややあって誰か上がって来る気勢(けはい)がして妹の声が廊下から彼女を呼んだ。――葉子はそっと部屋を出た。妹は真蒼(まっさお)になっていた。一色が来て、凄(すさ)まじい剣幕で、葉子のことを怒っているというのだった。 葉子は困惑した。「そうお。じゃあ私が行って話をつける。」「うっかり行けないわ。姉さんが殺されるかも知れないことよ。」 そんな破滅になっても、葉子は一色と別れきりになろうと思っていなかった。たとい山路の家庭へ入るにしても、一色のようなパトロン格の愛人を、見失ってはいけないのであった。 葉子が妹と一緒に宿へ帰って来るのを見ると、部屋の入口で一色がいきなり飛びついて来た。――しばらく二人は離れなかった。やがて二人は差向いになった。一色は色がかわっていた。女から女へと移って行く山路の過去と現在を非難して、涙を流して熱心に彼女を阻止しようとした。葉子も黙ってはいなかった。優しい言葉で宥(なだ)め慰めると同時に、妻のある一色への不満を訴えた。しゃべりだすと油紙に火がついたように、べらべらと止め度もなく田舎訛(いなかなまり)の能弁が薄い唇(くちびる)を衝(つ)いて迸(ほとば)しるのだった。終(しま)いに彼女は哀願した。「ねえ、わかってくれるでしょう。私貴方(あなた)を愛しているのよ。私いつでも貴方のものなのよ。でも田舎の人の口というものは、それは煩(うるさ)いものなのよ。私のことはいいにつけ悪いにつけすぐ問題になるのよ。母や兄をよくするためにも、山路さんと結婚しておく必要があるのよ。ほんとに私を愛してくれているのなら、そのくらいのこと許してよ。」 一色は顔負けしてしまった。 ちょうどそのころ、久しぶりで庸三の書斎へ彼女が現れた。彼女は小ざっぱりした銘仙(めいせん)の袷(あわせ)を着て、髪も無造作な引詰めの洋髪であった。「先生、私、山路と結婚しようと思いますのよ。いけません?」 葉子はいつにない引き締まった表情で、彼の顔色を窺(うかが)った。「山路君とね。」 庸三は少し難色を浮かべた。淡い嫉妬(しっと)に似た感情の現われだったことは否めなかった。「あまり感心しない相手だけれど……。」「そうでしょうか。でも、もう結婚してしまいましたの。」「じゃあいいじゃないか。」「山路が先生にお逢(あ)いしたいと言っておりますのよ。」「一緒に来たんですか。」「万藤の喫茶店におりますの。もしよかったら先生もお茶を召し食(あが)りに、お出(い)でになって下さいません?」 庸三は日和下駄(ひよりげた)を突っかけて門を出たが、祝福の意味で二人を劇場近くにある鳥料理へ案内した。しかし二人の結婚が決裂するのに三月とはかからなかった。庸三はその夏築地(つきじ)小劇場で二人に出逢った。額に前髪のかぶさった彼女の顔も窶(やつ)れていたし、無造作な浴衣(ゆかた)の着流しでもあったので、すぐには気がつかなかった。しかし廊下で彼に微笑(ほほえ)みかけるようにしている彼女の顔が、何か際(きわ)どく目に立たない嬌羞(きょうしゅう)を帯びていて、どこかで見たことのある人のように思えてならなかった。――やがて三人でお茶を呑(の)むことになったのだったが、葉子のこのごろが、生活と愛に痛めつけられているものだということは、想像できなくはなかった。 ある日庸三が、鎌倉(かまくら)の友人を訪問して来ると、その留守に珍らしく葉子がやって来たことを知った。「何ですか大変困っているようでしたよ。山路さんとのなかが巧く行かないような口振りでしたよ。ぜひ逢ってお話ししたいと言って……。後でもう一度来るといっていましたから、来たらよく聴(き)いておあげなさいよ。」 加世子は言っていたが、しかしそれきりだった。 庸三はその後一二度田舎から感傷的な彼女の手紙も受け取ったが、忘れるともなしにいつか忘れた時分にひょっこり彼女がやって来た。 葉子は潮風に色もやや赭(あか)くなって、大々(だいだい)しく肥(ふと)っていた。彼女は最近二人の男から結婚の申込みを受けていることを告げて、その人たちの生活や人柄について、詳しく説明した後、そうした相手のどっちか一人を択(えら)んで田舎に落ち着いたものか、もう一度上京して創作生活に入ったものかと彼に判断を求めた。「あんたのような人は、田舎に落ち着いているに限ると思うな。ふらふら出て来てみたところでどうせいいことはないに決まっているんだから。田舎で結婚なさい。」 瞬間葉子は肩を聳(そび)やかせて言い切った。「いや、私は誰とも結婚なんかしようとは思いません。私はいつも独りでいたいと思っています。」 そういう葉子の言葉には、何か鬱勃(うつぼつ)とした田舎ものの気概と情熱が籠(こ)もっていた。そして話しているうちに何か新たに真実の彼女を発見したようにも思ったが、ちょっと口には出せない慾求も汲(く)めないことはなかった。 彼は後刻近くの彼女の宿を訪ねることを約束して別れたのであったが、晩餐(ばんさん)の支度(したく)をして待っていた葉子は、彼の来ないのに失望して、間もなく田舎へ帰って行った。 一色と彼女のあいだに、その後も手紙の往復のあったことは無論で、月々一色から小遣(こづかい)の仕送りのあったことも考えられないことではなかった。 加世子の死んだ知らせに接してにわかに上京した葉子は、前にいた宿に落ち着いてから、電話で一色を呼び寄せた。そして二人打ち連れて庸三の家を訪れた。その時から彼女の姿が、しきりに彼の寂しい書斎に現われるようになったのだったが、庸三も親しくしている青年たちと一緒に、散歩の帰りがけにある暮方初めて彼女の部屋を訪れてみた。十畳ばかりのその部屋には、彼の侘(わび)しい部屋とは似ても似つかぬ、何か憂鬱(ゆううつ)な媚(なま)めかしさの雰囲気(ふんいき)がそこはかとなく漾(ただよ)っていた。      二 葉子は何か意気な縞柄(しまがら)のお召の中古(ちゅうぶる)の羽織に、鈍い青緑と黝(くろ)い紫との鱗形(うろこがた)の銘仙の不断着で、いつもりゅうッ[#「りゅうッ」に傍点]とした身装(みなり)を崩さない、いなせ[#「いなせ」に傍点]なオールバック頭の、大抵ロイド眼鏡をかけている一色と一緒に、寂しい夜の書斎に独りぽつねんとしている庸三をよく訪れたものだったが、そのころにはいつまでも床の前に飾ってあった亡妻の位牌(いはい)も仏壇に納められて、一時衰弱していた躯(からだ)もいくらかよくなっていた。妻の突然の死で、彼は凭(もた)れていた柱が不意に倒れたような感じだった。加世子は自分が生き残るつもりで庸三の死んだ後のことばかり心配していたのだったが、庸三も健康に自信がもてないので、大体そのつもりでいたが、無計画に初まったこの家庭生活はどこまでも無成算で、不安な心と心とが寄り合ってどうにかその日その日を生きていたものであった。最近少し余裕が出来たので、音楽好きの子供にねだられて、やっとセロを一梃(ちょう)買ってやった妻に、彼はあまり好い顔をしなかった。ラブレタアが投函(とうかん)されていたことを、何かのおりに感づいて、背広を着て銀座の喫茶店へなぞも入るらしい子供がいつの間にか父に叛逆的(はんぎゃくてき)な態度を示すのに神経を痛めている折なので彼はむき[#「むき」に傍点]になった。しかし加世子は怒りっぽい庸三を、子供に直面させることを怖(おそ)れて、いつも庸三を抑制した。今は父子のあいだの緩衝地帯も撤廃されたわけだった。日蔭もののように暮らして来た庸三の視界がにわかに開けていた。風呂(ふろ)へ入るとか、食膳(しょくぜん)に向かうとかいう場合に、どこにも妻の声も聞こえず、姿も見えないので、彼はふと片手が※(も)げたような心細さを感ずるのだったが、一方また思いがけなく若い時分の自由を取り戻したような気持にもなれた。彼は再婚を堅く否定していたので、さっそく何か世話しようと気を揉(も)んでいる人の友情に、何の感じも起こらなかったが見知らぬ世間の女性を心ひそかに物色してもいた。女性の前に今まで膝(ひざ)も崩さなかった儀容と隔心とが、自然に撤廃されそうであった。 葉子は下宿へ逢(あ)いに来る一色と対(つい)で二三度庸三の書斎に姿を現わしたが、ある晩到頭一人でやって来て机の前にいる彼に近づいた。「私先生のところへ来て、家事のお助(す)けしたいと思うんですけどどう?」 葉子は無造作に切り出した。庸三はその言葉が本当には耳へ入らなかった。「あんたに家庭がやれますか。」「私家庭が大好きなんですの。」「それあ刺繍(ししゅう)や編物はお得意だろうが、僕の家庭と来たら…………。」「あら、そんな! 私台所だってお料理だってできますの。子供さんのお相手だって。」「そうかしら。」 葉子は少し乗り出した。「先生の今までの御家庭の型や何かは、そっくりそのまま少しも崩さずに、先生や子供さんのために、一生懸命働いてみたいんですのよ。それで先生の生きておいでになる間、お側にお仕えして、お亡くなりになったら、その時は子供さんたちの御迷惑にならないように、潔(いさぎよ)く身を退(ひ)きます。」「貴女(あなた)はどうするんですか。」「私ですの? 私母からもらう財産がいくらかございますの。先生のお宅にいることになれば、着物や何かも仕送ってくれますの。今度来る時、母にもその話をしましたの。無論母も同意ですの。」「さあ。何しろ僕は家内が死んで間もないことだし、ゆっくり考えてみましょう。そう軽率に決めるべきことでもないんですから。」 庸三も彼女も固くなってしまったところで、葉子を照れさせないために彼は蓄音機を聴(き)きに、裏にある子供の家へ案内した。地続きにあるその古家(ふるや)は、二つに仕切って一方には震災のとき避難して来て、そのままになっている弁護士T氏の家族が住まい、三間ばかりの一方に庸三の上の子供たちが寝起きしていた。庭を横截(よこぎ)って二人で上がって行くと、書棚(しょだな)や椅子(いす)や額や、雑書雑誌などの雑然と積み重ねられたなかで、子供の庸太郎が、喫茶台の上と下に積んであるレコオドのなかから、彼女に向きそうなチャイコフスキイのアンダンテカンタビレイをかけてくれた。音楽のわからない父にも、それがエルマンの絃(げん)であることくらい解(わか)ることは庸太郎も知っていた。葉子は足を崩し細長い片手を畳みに突いて、しめやかな旋律を聴いていたが、庸三はこういう場合いつも庸太郎を仲間に引き入れる癖をもっていた。次ぎにファラアのジュエルソング――それからシュウマンハインクのウェルケニヒというふうに択(えら)んだのであったが、庸三は庸太郎に恥ずかしいような気がしていたし、庸太郎は庸太郎で夜なかに葉子と二人で来た父に何の意味があるかも解らなかったし、葉子も若いもの同志親しい口を利きたいような気持を、妙に堅苦しい庸三の態度に気兼ねして、わざと慎しみぶかくしているので、あたかも三竦(さんすく)みといった形で照れてしまった。間もなく書斎へ引き揚げた。庸三は一枚あけて行った雨戸を締めながら、暗い空を覗(のぞ)いていたが、「静かな晩ですね。もう帰ってお寝(やす)みなさい。」「遅くまでお邪魔しまして。では先生もお寝みなさい。」 葉子はそう言って帰って行ったが、庸三は後で何だか好い気持がしなかった。自身が醜いせいか、男女に限らずとかく美貌(びぼう)に憧(あこが)れがちな彼なので、初めて松川と一対でやって来た時のブルジョア夫人らしい葉子や、小劇場で見た時の浴衣(ゆかた)がけの窶(やつ)れた彼女の姿――特にも頬(ほお)のあたりの媚(なま)めかしい肉の渦(うず)など、印象は深かったが、彼女の過去と現在、それに二人の年齢の間隔なぞを考えると、直ちに今夜の彼女を受け容(い)れる気にもなれなかった。 多分葉子に逢っての帰りであろう、翌日一色がふらりとやって来た。庸三は少し中っ腹で昨夜の葉子を非難した。「山路草葉から僕んとこへまで渡り歩こうという女なんだ。あれが止(や)まなくちゃ文学なんかやったって所詮(しょせん)駄目だぜ。」「そいつあ困るな。実際悪い癖ですよ。いや、僕からよく言っときましょう。」 一色は自分が叱(しか)られでもしたように、あたふたと帰って行った。 それよりも庸三は、寂しい美しさの三須藤子(みすふじこ)を近づけてみたいような気がしていた。三須は庸三のところへ出入りしていた若い文学者の良人(おっと)と死に訣(わか)れてから、世に出るに至らなかった愛人の志を継ぎたさに、長い間庸三に作品を見てもらっていた。男でも女でも、訪問客と庸三との間を、どうにかこうにか繋(つな)いで行くのは、妻の加世子であった。時とすると目障(めざわ)りでもあったが、しかし加世子がいなかったら、神経の疲れがちな庸三は、ぎごちないその態度で、どんなに客を気窮(きづま)らせたか知れなかった。三須の場合も、お愛相(あいそ)をするのは加世子であった。藤子は入口の襖(ふすま)に、いつも吸いついたように坐っていた。このごろ庸三は彼女に少し寛(くつろ)ぎを見せるようになったが、夭折(ようせつ)した彼女の良人三須春洋の幻が、いつも庸三の目にちらついた。その上彼女は同じ肺病同志が結婚したので、痰(たん)が胸にごろごろしていた。片身(かたみ)の子供もすでに大きくなっていた。彼女は加世子の生きていたころも今も、同じ距離を庸三との間に置いていた。 それともう一人まるきり未知の女性ではあったが、モデルとしてあまりにも多様の恋愛事件と生活の変化を持っているところから、裏の弁護士に紹介されて、そのころまだ床の前にあった加世子の位牌(いはい)に線香をあげに来て、三人で彼女の芝の家までドライブして、晩飯を御馳走(ごちそう)になって以来、何か心のどこかに引(ひ)っ繋(かか)りをもつようになった狭山小夜子(さやまさよこ)も、そのままに見失いたくはなかった。彼女は七年間同棲(どうせい)していた独逸(ドイツ)のある貴族の屋敷を出て、最近芝に世帯(しょたい)をもって何を初めようかと思案していた。 庸三は毛のもじゃもじゃした細い腕、指に光っている素晴らしいダイヤ、大きな珊瑚(さんご)、真珠など、こてこて箝(は)めた指環、だらしなく締めた派手な帯揚げの中から覗(のぞ)いている、長い火箸(ひばし)のような金庫の二本の鍵(かぎ)、男持の大振りな蟇口(がまぐち)――しかし飯を食べながら話していると、次第に昔、左褄(ひだりづま)を取っていたらしい面影も浮かんで来て、何とも不思議な存在であることに気がついたのであった。彼女は庸三の年齢や家庭の事情などを訊(き)いたが、自身では「そうですね、いろんなこともありましたけれど、とにかくライオンが初めて出来た時、募集に応じて女給になったのが振出しですね」と目を天井へやったきり、何も話さなかった。 田舎(いなか)ものの庸三はいつかそこで、人を新橋駅に見送った帰りに、妻や子供や親類の暁星(ぎょうせい)の先生などと一緒に、白と桃色のシャベットを食べて、何円か取られて驚いた覚えのある初期のライオンを思い出した。「あれ三十五くらいでしょう。今五百円のペトロンがつきかけてるそうですが、多分蹴(け)るでしょう。」 帰る途中弁護士は話していた。 庸三はあッとなったものだが、材料払底の折だったので、健康がやや恢復(かいふく)したところで、もう一度同行するように弁護士に当たってみた。しかし何か金銭問題の引っかかりでもあるらしく、「先生一人の方がええですよ」と、彼は辞した。――それきりになっていた。 一日おいて葉子が書斎に現われた。彼女は不意に母に死なれて、手を延ばしてくれさえすれば誰にでも寄りついて行く、やっと九つになったばかりの、庸三の末の娘の咲子(さきこ)を膝(ひざ)にしていた。咲子はいつとなし手触りの好い葉子に懐(なつ)いていた。葉子はぽたぽた涙を落としながら、自分に誠意があってのことだと訴え、一色から報告された庸三の非難の言葉に怨(うら)みを述べ立てた。泣き落しという手のあることも知らないわけではなかったけれど、やっと二十六やそこいらの、お嬢さん育ちの女をそういうふうに見ることも、彼の趣味ではなかった。醜い涙顔に冷やかな目を背向(そむ)けるとは反対に、彼は瞬間葉子を見直した。彼女は一色に小ッぴどくやっつけられて、出直して来たものらしかったが、何か擽(くすぐ)ったいようなその言葉も、大して彼の耳には立たなかった。「時々来て家を見てくれるくらいは結構です。それ以外のことはいずれゆっくり考えましょう。」 茶の間で子供たちとしばらく遊んでから、葉子は帰って行った。      三 郊外のホテルのある一夜――その物狂わしい場面を思い出す前に、庸三はある日映画好きの彼女に誘われて、ちょうどその日は雨あがりだったので、高下駄(たかげた)を穿(は)いて浅草へ行く時、電車通りまでの間を、背の高い彼女と並んで歩くのも気がひけて「僕は自動車には乗りませんから」と断わって電車に乗ってからも、葉子が釣革(つりかわ)に垂れ下がりながら先生々々と口癖のように言って何かと話しかけるのに辟易(へきえき)したことだの、映画を見ているあいだ、そっと外套(がいとう)の袖(そで)の下をくぐって来る彼女の手に触れたときの狼狽(ろうばい)だの、ある日ふらりと彼女の部屋を訪ねると、真中に延びた寝床のなかに、熱っぽい顔をした彼女がいて、少し離れて坐った庸三が、今にも起き出すかと待っていると、彼女は赤い毛の肌着だけで、起きるにも起きられないことがやっと解(わか)って照れているうちに、畳のうえに延べられた手に顔をもって行くと、彼女は微声(こごえ)で耳元に「行くところまで……」とか何とか言ったのであったが、彼はそういうふうにして悪戯(いたずら)半分に彼女に触れたくはなかったこと、一夜彼女が自分が果して世間でいうような悪い女かどうかの判断を求めるために、初めから不幸であった結婚生活の破滅に陥った事情や、実家からさえも見放されるようになった経緯(いきさつ)、それに最近の草葉との結婚の失敗などについて、哀訴的に話しながら、止め度もなく嗚咽(すすりな)いた後で、英国のある老政治家と少女との恋のロオマンスについて彼女特得の薔薇色(ばらいろ)の感傷と熱情とで、あたかもぽっと出の田舎ものの老爺に、若い娘がレヴュウをでも案内するようなあんばいで、長々と説明して聴(き)かしたことなどが思い合わされるのであったが、ある日の午後彼はふと原稿紙やペンやインキを折鞄(おりかばん)につめて、差し当たっての仕事を片着けるために、郊外のそのホテルへ出ようとして、ちょうど遊びに来ていた葉子を誘ってしまったのであった。「ほんと? いいんですの?」葉子は念を押した。 そしてそうなると、彼は引き返すことができなかった。支度(したく)しに宿へ帰った彼女に約束した時間どおりに、定めのプラットホオムへ行ってみると、葉子の姿が見えないので、彼は淡い失望を感じながらしばらく待ってみた。十分ばかり経(た)った。彼は外へ出て公衆電話をかけてみた。女中が出て来たが、葉子を出すように頼むと、三四分たってからようやくのことで彼女が出て来た。いつでも私が入用な時にと言い言いした彼女の意味と思い合わせて、今の場合事によると一色がやって来でもしたのか、それとも薬が利きすぎたのに恐れを抱(いだ)いて当惑しているのか、いずれにしてもそこは庸三に思案の余地が十分あるはずなのに、仮装の登場人物はすでに引込みがつかなかった。間もなく新調の外套(がいとう)を着た葉子がせかせかとプラットホオムへ降りて来た。「すみません。随分お待ちになったでしょう。」 彼女は電話のかかった時、あいにくトイレットにいたのだと弁解したのだったが、そこへがら空(あ)きの電車が入って来たので、急いで飛び乗った。 電車をおりると、駅から自動車で町の高台のあるコッテイジ風のホテルへ着いたが、部屋があるかないかを聞いている庸三が、合図をするまで出て来なかったことも、ちょっと気がかりであったが、洋館の長い廊下を右に折れて少し行くと、そこから石段をおりて、暗い庭の飛石伝いに、ボオイの案内で縁側から日本間へ上がって、やっと落ち着いたのは、二階の八畳であった。寒さを恐れる彼に、ボオイは電気ヒイタアのスウィッチを捻(ひね)ってくれた。そして風呂(ふろ)で温まってから、大きな紫檀(したん)の卓に向かって、一杯だけ取った葡萄酒(ぶどうしゅ)のコップに唇(くちびる)をつけるころには、葉子の顔も次第に幸福そうに輝いて、鉄道の敷けない前、廻船問屋(かいせんどんや)で栄えていた故郷の家の屋造りや、庸三の故郷を聯想(れんそう)させるような雪のしんしんと降りつもる冬の静かな夜深(よふけ)の浪(なみ)の音や、世界の果てかとおもう北の荒海に、幻のような灰色の鴎(かもめ)が飛んで、暗鬱(あんうつ)な空に日の目を見ない長い冬のあいだの楽しい炬燵(こたつ)の団欒(だんらん)や――ちょっとした部屋の模様や庭のたたずまいにも、何か神秘めいた陰影を塗り立てて、そんなことを話すのであった。 夜が更(ふ)けて来た。やがて障子がしらしらと白むころに、二人は腐ったように熟睡に陥(お)ちた。 時雨(しぐ)らんだような薄暗さのなかに、庸三は魂を噛(く)いちぎられたもののように、うっとりと火鉢(ひばち)をかかえて卓の前にいた。葉子はお昼少しすぎに床を離れて風呂へ入ると、次ぎの間の鏡台にすわって、髪や顔を直してから、ちょっと庸三の子供たちを見て来るといって、接吻(せっぷん)をも忘れずに裏木戸から幌(ほろ)がけの俥(くるま)で帰って行ったのであった。庸三は乾ききった心と衰えはてた肉体にはとても盛りきれないような青春を、今初めて感じたのだったが、そうしてぼんやり意識を失ったもののように、昨夜一夜のことを考えていると、今まで冬眠に入っていた情熱が一時に呼び覚(さ)まされて来るのを感じた――それに堪えきれない寂しさが、彼を悲痛な悶(もだ)えに追いこむのであった。――透(す)き徹(とお)るような皮膚をしたしなやかな彼女の手、赤い花片に似た薄い受け唇(くちびる)、黒ダイヤのような美しい目と長い睫毛(まつげ)、それに頬(ほお)から口元へかけての曲線の悩ましい媚(こび)、それらがすべて彼の干からびた血管に爛(ただ)れこむと同時に、若い彼女の魂がすっかり彼の心に喰(く)い入ってしまうのであった。庸三は不幸な長い自身の生涯を呪(のろ)いさえするのであった。 するうち部屋が薄暗くなって来た。電燈のスウィッチを捻(ひね)ろうとおもって、ふと目を挙げると球(たま)が紅(あか)い手巾(ハンケチ)に包まれてあった。瞬間庸三は心臓がどきりとした。やがて卓のうえに立ってそれを釈(と)いた。いつのまにそんなことをしたのか、少しも知らなかった。庸三は卓をおりてさもしそうに手巾を鼻でかいでみた。昨夜葉子はこの恋愛を、何か感激的な大したロオマンスへの彼の飛躍のように言うのだったが、そう言われても仕方がなかった。庸三は次第に彼女の帰って来るのが待遠しくなって来た。帰って来るかどうかもはっきりしなかった。彼は帰って来ないことを祈ったが、やはり苦しかった。するとその時ボオイが次の間の入口に現われて、「梢(こずえ)さんからお電話です。」「そう。」 庸三は頷(うなず)いて立ち上がった。「先生ですの。何していらっしゃる。」「君は。」「私あれからお宅へ行って、子供さんたちと童謡なんか歌ってお相手していましたの。皆さんお元気よ。」「今飯を食べようかと思っているんだけど、来ない?」「先生のお仕事のお邪魔にならないようでしたら、すぐ行きますわ。」 三十分するかしないうちに、海松房(みるぶさ)模様の絵羽の羽織を着た葉子が、廊縁(ろうべり)の籐椅子(とういす)にかけて、煙草(たばこ)をふかしている彼のすぐ目の下の庭を通って、上がって来た。行きつけの美容院へ行って、すっかりお化粧をして来たものらしく、彼女の顔の白さが薄闇(うすやみ)のなかに匂いやかに仄(ほの)めいた。 ある日も庸三は葉子の部屋にいた。そこは他の部屋と懸(か)け離れた袋地のようなところで、廊下をばたばたするスリッパの音も聞こえず、旅宿人に顔を見られないで済むような部屋だった。寺の境内の立木の蔭(かげ)になっている窓に、彼女は感じの好い窓帷(カアテン)の工夫をしたりして、そこに机や本箱を据(す)えた。その部屋で、彼女のさまざまの思い出話を聞いたり、文学の話をしていると五時ごろにお寺の太鼓が鳴り出して、夜が白々と明けて来るので、びっくりして寝床へ入ることもあった。二三年したら結婚することになっている人が一人あるにはあるが、それを今考えることはないのだと、彼女は何かの折に言ったことがあったが、庸三にはそれが誰だか解(わか)るわけもなかった。一色じゃないかと聞くと、あの人には細君のほかに、何か古くからの有閑夫人もあるからと言うのだった。「先生がそんなこと心配なさらなくともいいのよ。お気持悪ければいつでも清算することになっていますのよ。」「もしかしてここへ来たら。」「あの人決してそんなことしない人よ。」 葉子は黒繻子(くろじゅす)の襟(えり)のかかった、綿のふかふかする友禅メリンスの丹前を着て机の前に坐っていたが、文房具屋で買った一輪挿(ざ)しに、すでに早い花が生かっていて、通りの電車や人の跫音(あしおと)が何か浮き立っていた。彼女はよく庸三の家の日当りのいい端の四畳半へ入って、すっかり彼女に懐(なつ)いてしまった末の娘と遊んだものだが、一緒に風呂(ふろ)へも入って、頸(えり)を剃(そ)ってやったり、爪(つめ)を切ったりした。クリームや白粉(おしろい)なども刷(は)いてやるのだった。九つになったばかりの咲子は、母の納まっている長い棺の下へ潜(もぐ)りこんで、母を捜そうとして不思議そうに棺の底を眺めるのだったが、お母さんにはもう逢(あ)えないのだし、世間にはそういう子供さんも沢山あるのだから、もうお母さんのことを言ってはいけない。その代り貴女(あなた)には兄さんも姉さんも多勢いるのだと、庸三が一度言って聞かすとそれきりふっつり母のことは口へ出さなくなってしまった。しかしどうかするとむずかるらしく、剪刀(ナイフ)を投げられたりするから、あれは直さなければと葉子は笑いながら庸三に話すのであった。「おばちゃんの足綺麗(きれい)ね。」 風呂で彼女は葉子の足にさわりながら言うのだったが、夜は葉子に寝かしつけられて、やっと寝つくことも多かった。彼女は茶の間や納戸(なんど)に、人知れずしばしば母を捜したに違いないのであった。しかし庸三は、自分の不注意で、一夜のうちに死んでしまった長女のことを憶(おも)うと、我慢しなければならなかった。恋愛にも仕事にも、ロオマンチックにも奔放にもなれない、臆病(おくびょう)にかじかんだ彼は、子供を突き放すこともできない代りに身をもって愛するということもできなかったが、生涯のこととか教育のこととか、一貫した誠意や思慮を要する問題は別として、差し当たり日常の家庭にできた空洞(くうどう)は、どこにも捻くれたところのない葉子が一枚加わっただけでも、相当紛らされるはずであった。二十五年もの長いあいだ、同じ軌道を走りつづけていた結婚生活を、不自然にもさらに他の女性で継ぎ足して行くことの煩わしさは解っていたが、加世子の位牌(いはい)を取り片着けて間もなく、彼は檻(おり)の扉(とびら)を開けたような気もしたのであった。「さっそく困るだろ。君だって多勢(おおぜい)の子供をかかえて、仕事をしなくちゃならない。――待ちたまえ、僕にも心当りがないことはない。」 葬儀委員長であった同じ年輩の鷲尾(わしお)は言うのであった。庸三は彼が目ざしているらしいものよりか、少しは花やかな幻を、それとなく心に描いていたものだったが、それは単に描いてみたというにすぎなかった。彼は堅く結婚を否定していた。今からの結婚が経済的にも精神的にも、重い負担であるのはもちろんであった。子供だけで十分だった。 窓帷(カアテン)をひいた硝子窓(ガラスまど)のところで、瀬戸の火鉢(ひばち)に当たって小説の話をしていると、電話がかかって来て、葉子は下へおりて行った。「一色?」 部屋へ入って来た時の葉子の顔で、庸三は感づいた。「自動車を迎いによこすから、ちょっと附き合ってくれと言うんですのよ。先生さえ気持わるくなかったら、話をつけに行こうと思いますけど……。」「そうね、僕はかまわないけど。」「私悪い女?」 庸三は笑っていた。「行ってもいい? 断わった方がいいかしら。」「とにかく綺麗にしなけりゃ。」「きっとそうするわ。ではお待ちになってね。九時にはきっと帰りますから、お寝(やす)みになっていてね。きっとよ。げんまん!」 葉子はそう言って指切りをして出て行った。 庸三は壁ぎわに女中の延べさしてくれた寝床へ潜りこんだが、間もなく葉子附きの、同じ秋田生まれの少女が御免なさいと言って襖(ふすま)を開けた。庸三は少しうとうとしかけたところだったが、目をあげて見ると、彼女は青いペイパアにくるんで紐(ひも)で結わえた函(はこ)を枕元(まくらもと)へ持ち込んで来て、「梢さんが今これを先生に差し上げて下さいとおっしゃったそうで。」 庸三が包装の隙間(すきま)から覗(のぞ)いてみると、萎(しな)びた菜の花の葉先きが喰(は)みだしていて、それが走りの苺(いちご)だとわかった。――枕元においたまま、彼はまたうとうとした。いつかも彼女は田舎(いなか)へ帰る少し前に、自動車で乗りつけて、美事な西洋花の植込みを持ち込んで来たものだったが、それがだんだんすがれて行く時分に、彼は珍らしく田舎の彼女に手紙をかいた。「でも先生、あれは確かに先生のラブ・レタよ。」後に葉子に言われたものだったが、そんなこともあったにはあった。 葉子が一色と逢(あ)っている場所は、行きがけの口吻(くちぶり)でほぼ見当がついていたが、今夜帰るかどうかは解(わか)らなかった。庸三は苺にあやされて、子供が母を待つように大人(おとな)しく寝ていたが、不用意な葉子の雑誌や書物や原稿の散らかったあたりに、ある時ふと一色の手紙を発見したことがあって、いつでも忙(せわ)しなく葉子から呼出しをかけていることが解っているので、夫婦気取りの二人のなかは大抵想像できるのであった。 しかし葉子は約束の時間どおり帰って来た。「すみません。あれからずっとお寝(よ)っていらして。」「少しうとうとしたようだが……よく帰って来れたね。」 庸三は白粉剥(おしろいは)げのした彼女の顔を見ながら、「それでどうしたの。」「その話を持ち出したのよ。すると一色さん何のかのと感情が荒びて来て仕方がないものですから、私早く切り揚げようと思って、つい……。」「君風呂(ふろ)があったら入ってくれない?」「ええ、入って来るわ。」 葉子は追い立てられるように下へおりて行った。      四 ある時庸三が庭へ降りて、そろそろ青みがかって来た叡山苔(えいざんごけ)を殖(ふ)やすために、シャベルをもって砂を配合した土に、それを植えつけていると、葉子は黝(くろ)ずんだ碧(あお)と紫の鱗型(うろこがた)の銘仙(めいせん)の不断着にいつもの横縞(よこじま)の羽織を着て、大きな樹(き)一杯に咲きみちた白木蓮(もくれん)の花影で二三日にわかに明るくなった縁側にいた。葉子が松川と一緒に子供をつれて、嵩高(かさだか)な原稿を持ち込んで来たのが、ちょうどこの木蓮の花盛りだったので、彼女はその季節が来ると、それを懐かしく思い出すものらしかったが、ちょうどその時、葉子に来客があって、それが郷里の代議士秋本であるというので、庸三はシャベルを棄(す)てて、縁側へ上がって来た。郷里の素封家である秋本は、トルストイやガンジーの崇拝者で、何か文学に関する著述もあったが、もともと歌人で、数ある葉子の歌をいつでも出版できるように整理してくれたのも彼であった。葉子はちょっと擽(くすぐ)ったい顔をして「ちょっと逢って下さる?」と云(い)うので、手を洗って上がろうとすると、秋本がもう部屋へ入って来た。秋本は貴族的な立派な風貌(ふうぼう)の持主で、葉子の郷里の人が大抵そうであるように、骨格に均齊(きんせい)があり手足が若い杉(すぎ)のようにすらりとしていた。紫檀(したん)の卓のまわりに二人は向き合って坐ったが、互いに探り合うような目をして、簡単な言葉を交したきりであった。庸三は葉子の旅宿で、○や丶のついたその歌集の草稿を見せられたこともあったし、土を讃美した彼の著述をも読んだのであったが、葉子が結婚の約束をしたのが、この男であるような、ないような感じで、しかし何か優越感に似たものをもって彼と対峙(たいじ)していたのであったが、しばらくすると秋本は葉子にそこまで送られて帰って行った。ずっと後になって、秋本はそのうち郷里の財産を整理すると、子供の分だけを適度に残して、そっくりそれを東京へ持って来て、郊外に土地を買い、農園の経営を仕事とすると同時にそこに葉子と楽しい愛の巣を営もうというので、そうなると葉子にもすっかり文壇との交遊を絶ってもらいたいというのが、かねての彼の申出(もうしい)でらしかったが、葉子は文壇に乗り出す手段としてこそ、そうしたペトロンも必要だったが、そこまで附いて行けるかどうかは彼女自身にも解っていなかった。 間もなく葉子が帰って来た。「綺麗(きれい)な男じゃないか。」「そう思う?」 葉子は微笑した。 その時分彼女はまだすっかり宿を引き払っていなかったので、秋本に逢(あ)ったのは、今日が初めかどうかは解(わか)らなかったし、玄関口で二人で何か話していたことも知っていたが、晴々しい顔をして傍(そば)へ返って来た葉子を見ると、多少の陰影があるにしても、それは単に歌のことで指導を受けている間柄のようにしか見えなかった。 その時分庸三の周囲が少しざわついていた。新聞にも二人の噂(うわさ)が出ていて、時とすると匿名(とくめい)の葉書が飛びこんだり、署名して抗議を申しこんで来たものもあって、そのたびに庸三は気持を暗くしたり、神経質になったりするのだが、葉子はそろそろ耳や目に入って来るそれらの非難を遮(さえ)ぎるように、いつも彼を宥(なだ)め宥めした。家庭の雰囲気(ふんいき)が嶮(けわ)しくなって来ると、すごすご宿へ引き揚げて行くこともあったし、彼女自身が嶮悪になって、ふいと飛び出して行くこともあった。庸三は何かはらはらするような気持になることもあったが、葉子はその後で手紙を少女にもたせて、彼を宿に呼び寄せたり、興味的に追いかけて行く子供と一緒に、夜更(よふ)けの町をいつまでも歩いていることもあった。 ある日彼女はどこからか金が入ったとみえて――彼女は母からの月々の仕送りのように言っていた――何かこてこて買いものをしたついでに、美事なグラジオラスの一鉢(はち)を、通りの花屋から買って来て、庸三を顰蹙(ひんしゅく)せしめたものだが、お節句にはデパアトから幾箇(いくつ)かの人形を買って来て、子供の雛壇(ひなだん)を賑(にぎ)わせたり、時とすると映画を見せに子供を四人も引っ張り出して、帰りに何か食べて来たりするので、庸三はある日彼女の部屋を訪れて、彼女にお小遣(こづかい)を贈ろうとした。「先生のお金――芸術家のお金なんて私とても戴(いただ)けませんわ。私そんなつもりで、先生んとこへ伺っているんじゃないのよ。どうぞそんな御心配なさらないで。」 彼女は再三押し返すのだったが、庸三の引込みのつかないことに気がつくと、「それじゃ戴いときますわ。――思いがけないお金ですから、このお金で私質へ入っているものを請け出したいと思うんですけれど。」「いいとも。君もそういうことを知っているのか。」「そうですとも。松川と田端(たばた)に世帯(しょたい)をもっている時分は、それはひどい困り方だったのよ、松川は職を捜して、毎日出歩いてばかりいるし、私は私で原稿は物にならないし、映画女優にでもなろうかと思って、せっかく話をきめたには決めたけれど、いろいろ話をきいてみると、厭気(いやき)が差して……第一松川がいやな顔をするもんで……。」 葉子は出て行ったが、間もなくタキシイにでも載せて来たものらしく、息をはずませながら一包みの衣裳(いしょう)を小女と二人で運びこんで来た。派手な晴着や帯や長襦袢(ながじゅばん)がそこへ拡(ひろ)げられた。「私これ一枚、大変失礼ですけれど、もしお気持わるくなかったら、お嬢さんに着ていただきたいと思うんですけれど。」「そうね。学生で、まだ何もないから、いいだろう。」 二人は間もなく宿を出て、葉子自身は花模様の小浜の小袖(こそで)を一枚、風呂敷(ふろしき)に包んで抱えて庸三の家へ帰って来た。彼女はなるべく金の問題から遠ざかっていたかった。庸三との附き合いを、生活問題にまで引き入れることは、何かにつけて体を縛られることにもなるし、庸三の気持を深入りさせることにもなるので、それは避けたいと思っていたのであったが、彼の気持はすっかり彼女の言葉どおりに、葉子に掩(おお)いかぶさっていた。      五 葉子はそのころ庸三の娘たちをつれて、三丁目先きの名代の糸屋で、好みの毛糸を買って来て、栄子のためにスウェタアを編みはじめていたが、そんな時の彼女は子供たちのためにまことに好い友達であったが、彼女が庸三の傍(そば)へ来ていたり、一緒に外出したりすると、子供たちは寂しがった。そのころ加世子の死んだあと、独り残って勝手元を見てくれていた庸三の姉は、すでに田舎(いなか)へ帰っていたし、葬式の前後働いていてくれた加世子の弟娵(おとうとよめ)も、いつとなし遠ざかることになっていた。加世子にはやくざな弟が二人もあった。高等教育を受けて、年の若い割に由緒(ゆいしょ)のある大きな寺に納まっている末の弟を除くほか、何かというと姉を頼りにするようなものばかりであった。それに子供の面倒を見てくれているのが、お人好しの加世子の母だったので、庸三はどうかすると養子にでも来ているような感じがした。そうした因縁を断ち切るのは、相当困難であった。子供が殖(ふ)えるにつれて、彼女も次第に先きを考えるようになり、末の弟を頼みにしていたのだったが、葉子が入って来てからそれらの人らは一時に姿を消してしまった。庸三は長いあいだの荷物を卸して、それだけでもせいせいした気持だったが、当惑したのは子供のために頑張(がんば)ろうとした姉と葉子との対峙(たいじ)であった。もちろん一家の主婦が亡くなったあとへ来て、茶の室(ま)に居坐るほどのものが、好意だけでそうするものとはきまっていなかった。放心(うっかり)していると、ふわりと掩(お)っ冠(かぶ)さって来るようなこともしかねないのであった。「君いい家庭婦人になれると言うなら、食べもの拵(ごしら)えもしてみるといいよ。」 秋田育ちの葉子は食べ物拵えにも相当趣味をもっている方であったが、その時台所へ出て拵えたものは、北海道料理の三平汁(さんぺいじる)というのであった。葉子は庸三に訊(き)きに来られると、顔を赤くして、「いやよ、見に来ちゃあ。」 お国風の懐石料理をいくらか心得ていた姉は、大鍋(おおなべ)にうんと拵えた三平汁を見ると、持前の鋭い目をぎろつかせたものだったが、そうした場合に限らず、長火鉢(ながひばち)の傍に頑張っている姉の目の先きで、子供たちと一緒に食卓に坐るのは、葉子には堪えられないことだった。三度々々の食事の気分というものが、人間の生活にとってどんな影響を与えるかということは、普通世間の嫁姑(しゅうとめ)継母(ままはは)継子のあいだにしばしば経験されることだった。もし葉子がいなかったとしても、後で庸三は姉に世帯(しょたい)を委(まか)したことをきっと後悔したに違いなかった。彼はその時裏の家で、いつの間にかかなり大きい荷物の用意されてあることを見てから、一層不愉快になった。 しかし葉子は、子供の相手になって童謡を謳(うた)ったり、咲子にお化粧をしてやったり、器用に編棒を使ったり、気が向くと時には手軽な西洋料理を作るとか、または恋愛小説に読み耽(ふけ)り、長男と新らしい文学や音楽映画の話をするのが、毎日の日課で、勝手元を働くのは、年の割りに体のかっ詰まったお鈴という女中だけであった。後に女中の手が殖(ふ)えて来たけれど、お鈴は加世子の生きている時からの仕来(しきた)りを、曲りなりにも心得ていて、どこに何が仕舞ってあるのかもよく知っていた。しかし加世子も気づいていた持前の偸(ぬす)み癖がだんだん無遠慮になって来たところで、それもいつか遠ざけてしまった。 ある小雨(こさめ)のふる日、葉子は顔を作って、地紋の黒い錦紗(きんしゃ)の紋附などを着て珍らしく一人で外出した。「私写真撮(と)りに行ってもいい?」 彼女は庸三の机の側へ来て言った。「いいとも。どこで……。」「銀座の曽根(そね)といって、素晴らしい芸術的な写真撮るところよ。すぐ帰って来るわ。先生家(うち)にじっとしていなきゃいや。きっとよ。じゃあ、げんまん!」 そういう場合、大抵接吻(せっぷん)と指切りを抵(かた)において行くのが、思いやりのある彼女の手であった。庸三は昔、下宿時代に遊びに行って、女が他の部屋へまわる時、縞(しま)お召の羽織をそこへ置いて行かれると、それが何かの気安めになったことを思い出したが、しかしその時は、どうかすると胡散(うさん)くさい彼女が離れて行きそうな仄(ほの)かな不安を感じながらも、言われるままにじっと待っているのだった。後になって考えると、間もなく気取ったポオズの写真が届いたところを見ると、それが全部嘘(うそ)でないにしても、真実ではなかった。多分一色を訪ねたか、秋本がその時まだ東京にいたものとすると、彼の旅宿へ立ち寄ったものだと思われた。庸三がしとしと雨の降り募って来たアスファルトの上を、彼女が軽い塗下駄の足を運んでいる銀座の街(まち)を目に浮かべている間に、彼女の※(やと)ったタキシイがどこをどう辷(すべ)っていたかも知れないのであった。女と逢(あ)っているよりも、女を待っている時の方が、ずっと幸福なものだということは、もとより知る由もなかった。庸三は銀座の到(いた)る処(ところ)に和髪とも洋髪ともつかない葉子独特の髪で、紺の雨傘(あまがさ)をさして、春雨のなかを歩いている彼女の幻を追っていた。が、するうち胸が圧(お)されるようになって来た。庸三はしかしそう長く悩んでいなかった。やがて帰って来た葉子は彼の膝(ひざ)へ来て甘えた。「私を見棄(みす)てないでね。」 四月の風の荒いある日、玄関に人があって、出て行った葉子はやがてのこと、ちょっとした結び文(ぶみ)を手にして引き返して来た。彼女はそれを読むと、たちまち驚きの色を浮かべた。「どうしたというんでしょう、あの男が来たのよ。」 それが北海道で破産したという松川であった。「湯島の宿にいるのよ。すぐ立つんだから、ちょっとでいいから逢ってくれないかと言うんですけれど……。行かないわ、私。」 庸三は頭が重苦しくなって来た。どうにもならなくなって、田端へ来て身を潜めていた彼が、三人の子供と一緒に再び北海道へ帰って行ってから、もう二年近くになった。その間にいろいろの変化が葉子の身のうえにあった。葉子が田端の家ですっかり行き窮(づま)ってしまった結婚生活を清算して子供にも別れたのは、その年の大晦日(おおみそか)の除夜の鐘の鳴り出した時であった。彼女は子供たちを風呂(ふろ)へ入れてから旅の支度(したく)をさせた。しばしば葉子は忘れがたいその一夜のことを話しては泣くのだった。「でも私からは遠い子供たちですのよ、あの人たちはあの人たちでどうにかなって行くでしょうよ。思ったってどうにもならないことは思わないに限るのね。」 土地では運命を滅茶々々(めちゃめちゃ)にされた男の方に同情が多いものらしかったが、葉子に言わせると男の性格にも欠陥があった。美貌(びぼう)のこの一対が土地の社交界の羨望(せんぼう)の的であっただけに、葉子のような妻を満足させようとすれば、派手な彼としては勢い危険な仕事に手を染めなければならなかったし、どんな生活の破綻(はたん)が目の前に押し迫っている場合でも、彼女の夢を揺するようなことはできないのであった。若い技師の道楽半分に建ててくれた文化住宅の日本風の座敷に、何を感違いしたのか、床柱が一方にしかないのが不思議だと言って、怒り出した妻を、言葉優しく言い宥(なだ)めるくらいの寛容と愛情に事かかない彼だったが、田端時代になって愛の破局が本当にやって来た。それは、葉子がちょうどスタジオ入りの許しを得ようとした時であった。「お前の容色(きりょう)なら一躍スタアになれるに違いないが、その代り貞操を賭(か)けなきゃならないんじゃないかね。」 葉子はそれを否定する代りに、にやりと頬笑(ほほえ)んだ。 今、葉子は思いがけなく上京した松川の手紙を見ると、一時に心が騒ぎ立った。いくらかの恐怖はあったにしても、どんな場合にも彼女は相手の愛を信じて疑わなかった。「何だか気味が悪いから電話してみますわ。」 葉子はそう言って、不断電話を借りつけの裏の下宿屋へ行った。 相手が出て来たところで、彼女は気軽に話しかけた。
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