即興詩人
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著者名:アンデルセンハンス・クリスチャン 

 即興詩人としての我名は漸くヱネチアの都に傳はり、美術會院(アカデミア、デル、アルテ)は一日我を招きて技を奏せしめき。われはダンドロのコンスタンチノポリス征服とマルクス寺の銅馬(どうめ)とを題として即興の詩を歌ひ、會員證を授與(さづ)けられたり。(ダンドロはヱネチアの大統領(ドオジエ)なりき。千二百三年コンスタンチノポリスを征服す。即ち所謂第四次十字軍なり。)されどその頃我は別に一物の此會員證より貴きものを得つ。そは極めて細かなる貝を絹紐もて貫きたる瓔珞(くびたま)なり。岸區(リド)の漁者の遺族は我がために作りてポツジヨに托し、ポツジヨはマリアにあづけ置きぬ。ある日マリアは我が往きて訪ふを待ちて、美しく愛らしきものならずやと云ひつゝ我手にわたし、ロオザ夫人は傍より、他日おん身の許嫁(いひなづけ)の妻に掛けさせ給ふべき品なり、作りし人もその心ありしなるべしと詞を添へつ。われは料(はか)らずも眉を蹙(せば)めて、我に許嫁の妻なし、未來にも亦さる人なからんと叫びぬ。マリアの面には失望の色をあらはせり。そはこの贈(おくりもの)を取次ぎて我を悦ばしめんことを期(ご)せしが故なり。われは手に瓔珞(くびたま)を捧げて、心にこれをマリアに與へんことを願ひぬ。マリアの顏の紅を潮(さ)せしは、我心を忖(はか)り得たるにやあらん、覺束(おぼつか)なし。

   末路

 とある夕わが爲換金(かはせきん)を取扱ふ商家を尋ねしに、主人の妻のいふやう。近頃はおん身の來給ふこと稀になりぬ。そは市長(ボデスタ)の許に往き給ふことの頻なるが爲めなるべし。我家にはマリアの如き美しき人あるにあらねば、誰かおん身の足の彼方(かなた)にのみ向くを理(ことわり)ならずとせん。マリアは今ヱネチア第一の美人にして、御身はヱネチア第一の才子におはすれば、彼此(かれこれ)似つかはしき中なるに、マリアが所有なりといふカラブリアの地面はいと廣しといへば、おん二人(ふたり)の生計(たつき)さへ豐かなることを得べきならん。御身若し早く心を決めて誓約をだになし給はゞ、ヱネチア全市の男子一人としておん身を羨まざるものなからんといふ。われ。いかなれば我をさまで利己心多きものとはし給ふぞ。わがマリアを尊むは、あらゆる美しきものを尊む情に外ならず。これをしも愛と謂はゞ、何人かマリアを愛せざらん。縱(たと)ひわれマリアを愛せんも我心は又決してその財産に左右せらるゝことなかるべし。主人(あるじ)の妻。否、さてはおん身はつまさだめするものゝ先づ心得べき事あるを知り給はぬなるべし、粮廚(かてくりや)に滿ち酒窖(あなぐら)に滿ちて、始て夫婦の間の幸福は全きものぞ。古き諺(ことわざ)にも、生活(なりはひ)を先にし戀愛を後にすといへるにあらずやと云ひぬ。
 人の我上をかくおもへる、既に我が忍ぶべきところならず。況(いはん)や面(まのあた)りこれを語るをや。我は喜んで市長一家の人々と交れども、此の如き嫌疑を受くることを甘んじて、猶その家に出入すべくもあらず。今宵も市長の家を訪ふべかりし我は、歩を轉じてヱネチアの狹き巷(こうぢ)をさまよひめぐりぬ。相向へる二列の家は、簷(のき)と簷と殆ど相觸れんとし、市店(いちみせ)の燈(ともしび)を張ること多きが爲めに、火光は到らぬ隈もなく、士女の往來織るが如くなり。渠水(きよすゐ)を望めば、燈影長く垂れて、橋を負へる石弓(せりもち)の下に、「ゴンドラ」の舟の箭(や)よりも疾(はや)く駛(はし)るを見る。忽ち歌聲の耳に入るあり。諦聽すれば、是れ戀愛と接吻との曲なり。迷路(ラビユリントス)の最も邃(ふか)き處に一軒の稍□大なる家ありて、火の光よそよりも明かに、人多く入りゆくさまなり。こはヱネチアの數多き小芝居の一にして、座の名をば聖(サン)ルカスと云へりとぞ。大抵樂劇(オペラ)の一組ありて、日ごとに二曲を興行すること、拿破里の「フエニチエ」座に同じ。初の一曲は午後四時に始まり六時頃には早く終り、次なる曲は夕の八時より始まる。素(もと)より精(くは)しき技藝、高き趣味をこゝに求むべきにはあらねど、些の音樂に耳を悦ばしめんとする下層の市民の願をばこれによりて遂げしむることを得べく、又旅人などの消遣(せうけん)の爲めに來り觀るも少からざるべし。觀棚(さじき)の料(しろ)は甚だ廉(やす)く晝夜とも空席を留めぬを例とす。
 招牌(かんばん)を仰げば、「ドンナ、カリテア、レジナ、ヂ、スパニア」(西班牙(スパニア)女王カリテア夫人)と大書し、作譜者の名をばメルカダンテと注せり。われ心の中におもふやう。かゝる時にこそ、我脈絡にカムパニアの野なる山羊の乳汁(ちしる)循(めぐ)らずして、温き血環(めぐ)れるを人に示すべきなれ、我が世馴れたることのベルナルドオにもフエデリゴにも劣らぬを示すべきなれ。兎も角も一たび此場内(にはぬち)に入りて、美しき女優の面(おも)を見ばや。若し興なくば、曲の終るを待たで出でんも妨(さまたげ)あらじとおもひぬ。入場劵を買ふに、小き汚れたる牌(ふだ)を與へつ。我觀棚(さじき)は極めて舞臺に近き處なりき。
 此劇場には高下二列の觀棚あり。平間(ひらま)をばいと低く設けたり。されど舞臺の小なること、給仕盆の如しとも謂ふべし。あはれ、此舞臺にいくばくの人か登り得べきとおもふに、例の小芝居の習とて、中むかしの武弁(ぶべん)の上をしくめる大樂劇の、行列の幕あり戰鬪の幕あるものをさへ興行するなるべし。觀棚は内壁の布張汚れ裂けて、天井は鬱悒(いぶせ)きまで低し。少焉(しばし)ありて、上衣を脱ぎ襯衣(はだぎ)の袖を攘(から)げたる男現れて、舞臺の前なる燭を點(とも)しつ。客は皆無遠慮に聲高く語りあへり。又少時(しばし)ありて、樂人出でゝ奏樂席(オルケストラ)に就きぬ。これを視るに、只是れ四奏の一組なりき。彼と云ひ此と云ひ、今宵の受用の覺束(おぼつか)なかるべき前兆ならぬものなけれど、われは猶せめて第一折を觀んとおもひて、獨り觀棚に坐し居たり。
 場内の女客に美しきはあらずやと左を顧み右を盻(み)しかど、遂にさる者を認め得ざりき。忽ち隣席に就く人あり。こは嘗て某(なにがし)の筵(むしろ)にて相見しことある少年紳士なりき。紳士は笑みつゝ我手を握りて云ふやう。こゝにて君に逢はんとは思ひ掛けざりき。君はその邊の消息を知り給ふか知らねど、かゝる處にては、折々面白き女客と肩を並ぶることあり。かくて薄暗き燈火(ともしび)は、これと親む媒(なかだち)となるものなりと云ひぬ。紳士の詞は未だ畢(をは)らぬに、傍より叱々(しつ/\)と警(いまし)むる聲す。そは開場(ウヱルチユウル)の曲の始まれるが爲めなりき。
 音樂は心細きまで微弱なりき。幕は開きたり、只だ見る、男子三人女子二人より成れる一(ひと)群(ホロス)の唱和するを。その骨相を看れば、座主(ざす)は俄に□畝(けんぽ)の間より登庸し來りて、これに武士(もののふ)の服を衣(き)せしにはあらずやと疑はれぬ。隣席の紳士は我を顧みて、餘りに力を落し給ふな、單吟(ソロ)には稍□觀る可きものなきにあらず、此組にも好き道化師(プルチネルラ)あり、大劇場に出だしても恥かしからぬ男なりなど云ふ。この時今宵の曲の女王は、侍姫(じき)に扮せる二女優と共に場に上りぬ。紳士眉を顰(ひそ)めて、さては女王は渠(かれ)なりしか、全曲は最早一錢の價だにあらざるべし、あはれジヤンネツテならましかばとつぶやきぬ。
 女王は身の丈甚だ高からず、面(おもて)の輪廓鋭くして、黒き目は稍□陷(おちい)りたり。衣裳つきはいと惡し。無遠慮に評せば、擬人せる貧窶(ひんく)の妃嬪(ひひん)の裝束(さうぞく)したるとやいふべき。さるを怪むべきは此女優の擧止(たちゐ)のさま都雅(みやびやか)にして、いたく他の二人と異なる事なり。われは心の中に、若し少(わか)き美しき娘に此行儀あらば奈何(いか)ならんとおもひぬ。既にして女王は進みて舞臺の縁(ふち)に點(とも)し連ねたる燈火の處に到りぬ。此時我心は我目を疑ひ、我胸は劇(はげ)しき動悸を感じたり。われは暫くの間、傍なる紳士に其名を問ふことを敢てせざりき。われ。此女優の名をば何とかいふ。紳士。アヌンチヤタといへり。歌ふことを善くせぬに、その顏ばせさへこれが償(つぐのひ)をなすに足らねば、顧みる人なきもことわりなり。此詞は句々腐蝕する藥の如く我心上に印せり。われは瞠目枯坐して心(しん)を喪(うしな)ふものゝ如くなりき。
 女王は歌ひはじめき。否、こはアヌンチヤタが聲ならず。微かにして恃(たのみ)なく、濁りて響かず。紳士。この喉には些(いさゝか)の修行の痕あるに似たれど、氣の毒なるは聲に力なきことなり。われ。(騷ぐ胸を押し鎭めて)さきには羅馬(ロオマ)、拿破里(ナポリ)に譽(ほまれ)を馳せたる西班牙(スパニア)生れの少女(をとめ)ありしが、この女優は偶□(たま/\)其名を同じうして、色も聲もこれに似ること能はざりしよ。紳士。否、この女優こそはその名譽あるアヌンチヤタがなれる果(はて)なれ。盛名一時に騷ぎしは七八年(なゝやとせ)前のことなるべし。當時は年もまだ若くて、聲はマリブランの如くなりきとぞ。されど今はしも薄落(はくお)ちたり。こはかゝる伎(わざ)もて名を馳せし人の常なり。暫くは日の天に中(ちゆう)するが如き位にありて、世の人の讚歎の聲に心惑ひ、おのが伎(わざ)の時々刻々降(くだ)りゆくを曉(さと)らず、若し此時に當り早く謀(はかりごと)をなさゞるときは、公衆先づ其演奏の前に殊なるところあるを覺ゆべし。かゝるなりはひする女子の習として、財を獲ること多しといへども、隨ひて得れば隨ひて散じ、暮年の計をおもはねば、その落魄もいと速(すみやか)なり。君のこの女優を見給ひぬといふは、羅馬にての事にやありけん。われ。然り。其頃面を見ること二三度なりき。紳士。さらば變化の甚しきを覺え給ふならん。人の噂には、四五年前に重き病に罹(かゝ)りてより、聲はたとつぶれぬといふ。その人の爲めにはいと笑止なる事ながら、聽衆の過去の美音を喝采せざるをば、奈何(いかん)ともすべからず。いざ、昔のよしみに拍手し給へ。われも應援すべしとて、先づ激しく掌(たなぞこ)を打ち鳴しつ。平土間(パルテエル)なる客二三人、何とかおもひけん、これに和したるに、叱々と呼びて、この過當の褒美にあらがふもの少からず。女王はこの毀譽(きよ)を心に介せざる如く、首を昂(あ)げて場を下りしに、紳士見送りて、我等はトロヤ人なりきとつぶやきぬ。(原語「フイムス、トロエス」は猶已矣(やみなむ)と云はんが如し。)
 代りて場に上りしは、此曲の女主人公にして、これに扮せるは二八ばかりの女(をみな)なりき。色好む男の一瞥して心を動すべき肉(しゝ)おき豐かに、目(ま)なざし燃ゆる如くなれば、喝采の聲は屋(いへ)を撼(ゆるが)せり。此時むかしの記念(かたみ)は我胸を衝いて起りぬ。羅馬の市民のアヌンチヤタの爲めに狂せし状(さま)はいかなりしぞ。いにしへの帝王の凱旋の儀をまねびつる、アヌンチヤタが車のよそほひはいかなりしぞ。わが崇拜の念はいかなりしぞ。さるを今はこの尋常(よのつね)なる容色にすらけおされ畢(をは)んぬ。あはれ、薄倖なるベルナルドオは身病み色衰ふるに及びて君を棄てしか。さらずば、君は始より眞成(まこと)にベルナルドオを愛せざりしか。君が唇のベルナルドオの額(ぬか)に觸れしをば、われ猶記す。君爭(いか)でかベルナルドオを愛せざらん。思ふにかの無情(つれな)男子(をのこ)は君が色を愛して、君が心を愛せざりしなり。
 アヌンチヤタは再び場に上りぬ。老いたるかな、衰へたるかな、只だ是れ屍(しかばね)の脂粉を傅(つ)けて行くものゝみ。われは覺えず肌(はだへ)に粟(あは)生ぜり、われもアヌンチヤタが色に迷ひし一人なれども、その才(ざえ)の高く情の優しかりしをば、わが戀愛に蔽(おほ)はれたりし心すら、猶能く認め得たりき。縱令(よしや)色は衰ふとも、才情はむかしのまゝなるべし。かへす/″\も惡(にく)むべきはベルナルドオが忍びて彼才(ざえ)彼情を棄てつるなる哉。我心緒は此不幸なる女子を憐み、彼無情なる友を憎むが爲めに、亂るゝこと麻の如くなりき。傍なる紳士は、我面色の土の如くなるを見て、いかにし給ひしぞ、不快なるにはあらずやと問ひぬ。此棧敷(さじき)の餘りに暑き故なるべしと答へつゝ、我は起ちて劇場の外(と)に走り出でぬ。
 胸中の苦悶は我を驅(か)りて、狹きヱネチアの巷(こうぢ)を、縱横に走り過ぎしめしに、ふと立ち留りて頭を擡(もた)ぐれば、われは又前(さき)の劇場の前に在り。時に一人の老僕ありて、入口に貼りたるけふの名題を剥ぎ取り、代ふるにあすのをもてせんとす。われは進みて此僕(しもべ)の耳に附き、アヌンチヤタの宿はいづくぞと問ひしに、僕は首(かうべ)を□して我顏を打目(うちま)もり、アヌンチヤタと宣給(のたま)ふか、そはアウレリアの誤なるべし、けふもアウレリアが部屋をばおとづれ給ひし檀那達いと多かりき、宿に案内しまゐらするは易けれど、歸るには些の隙(ひま)あるべしと答ふ。われ、否、アヌンチヤタなり、けふ女王の役を勤めし人なりといふに、僕は暫し目を□(みは)りて、訝(いぶか)しげに我を見居たるが、さてはあの痩骨(やせぎす)を尋ね給ふか、檀那は別に御用ありての事なるべければ、案内(あない)しまゐらせん、されどこれも歸らんは一時間の後なるべし、そが上に人に問はるゝことなき女なれば、出でゝ御目に掛かるべきか、覺束(おぼつか)なしとつぶやきぬ。好し、さらば一時間の後の事にすべければ、こゝにて我が來んを待てと契(ちぎ)り置きて、我は岸邊に往き、舟を雇ひて、何處をあてともなく漕ぎ行かせつ。
 我心緒はいよゝ亂れに亂れぬ。只だ心中に往來(ゆきき)する切(せち)なる願は、今一たびアヌンチヤタと相見て、今一たびこれに詞をかはさんといふことのみ。嗚呼、アヌンチヤタはまことに不幸なりき。されど我はその不幸を救ひ得べき地位にあらざりしを奈何せん。指す方もなき水上の逍遙ながら、痛苦に逐(お)はるゝ我心は、猶船脚の太(はなは)だ遲きを覺えぬ。
 一時間の後、舟を初の岸に繋(つな)げば、老僕は早く劇場の前に立ちて待てり。引かるゝまゝに、いぶせき巷(こうぢ)を縫ひ行きて、遂にとある敗屋(あばらや)の前に出でしとき、僕は星根裏の小き窓に燈(ともしび)の影の微かなるを指ざしたり。僕は先に立ちて暗き梯(はしご)を登りゆくに、我は詞もあらでその後に隨ひぬ。僕は戸外の鈴索(れいさく)を牽(ひ)いたり。内より誰(た)ぞやといふは女の聲なり。マルコオ、ルガノと名告(なの)ると共に、戸はあきて、我等は暗黒なる一室の中に立てり。聖母(マドンナ)を畫けりと覺しき小幅の前に捧げし燈明は既に滅(き)えて、燈心の猶燻(くゆ)るさま、一點の血痕の如し。忽ち頭の上に戸の軋(きし)る音して、覺束なき火の光洩れ來しとき、我は側に小き梯(はしご)あるを認めつ。御尋(おたづね)の女はあれにといふ老僕の手に、些の銀貨を握らすれば、あまたゝびぬかづき謝して、直ちに戸外に出で去りぬ。わが最後の梯を登りゆくとき、一人の女の小き絹の片(きれ)にて髮を裹(つゝ)み、闊(ひろ)き暗色の上衣を着たるが入口に現れて、あすの名題や變りし、蹶(つまづ)き給ふな、マルコオと云ひつゝ迎へぬ。我はつと室内(へやぬち)に進みぬ。
 我はアヌンチヤタと相對して立てり。あな、おん身は何人ぞ、何の爲に此には來ましゝと、驚きたる女主人は問ひぬ。我は一聲アヌンチヤタと叫べり。暫し我面を打まもりし主人は、再びあなやといひもあへず、もろ手もて顏を掩(おほ)ひつ。何人にもあらず、昔の友の一人なり、むかしおん身の惠にて、あまたの樂しき時を過し、あまたの幸福ある日を送りしものなり、何の爲めにか來べき、唯だ今一たび相見んの願ありて來つるのみといふ我聲は恥かしき迄震ひぬ。アヌンチヤタは靜に手を垂れて頭を擧げたり。肉落ちて血色なく、死人の如き面なれど、これのみは年も病もえ奪はざりけん、暗黒にして、渡津海(わたつみ)のそこひなきにも譬へつべき瞳は、磁石の鐵を吸ふ如く、我面に注がれたり。アントニオ、かくて御身と相見んとは、つや/\思ひ掛けざりき。同じ憂き世の山路なれど、おん身はそを登る人、われはそを降る身なれば、相見て又何をかいふべき。疾(と)く行き給へと口には言へど、つれなき涙は□(まぶた)に餘りて、頬(ほ)の上に墮(お)ち來りぬ。われ。そは餘りに情なし。われはおん身の今不幸なるを知りぬ。むかし一言(こと)の白(せりふ)、一目の介(おもいれ)もて、萬人に幸福を與へしおん身なるを。アヌンチヤタ。幸福は妙齡と美貌とに伴ふものにて、才(ざえ)と情との如きは、その顧みるところにあらざるを奈何せん。われ。おん身は病に臥し給ひきとは實(まこと)か。アヌンチヤタ。病はいと重く、一とせの久しきにわたりしかど、死せしは我容色と我音聲とのみなりき。公衆は此二つの屍を併(あは)せ藏せる我身を棄てたり。醫師(くすし)はこの死を假死なりとなし、我身は果敢(はか)なくもこれを信じたりき。我身は舊に依りて衣食を要するに、平生の蓄(たくはへ)をば病の爲めに用ゐ盡しぬれば、彼死を祕して、詐(いつは)りて猶ほ生きたるものゝ如くし、又脂粉を塗りて場に上ることゝなりぬ。されど流石(さすが)に人を驚(おどろか)さんことの心苦しくて、わざと燈燭の數少き、薄暗き小劇場に出づるにこそ。おん身の記憶に存じたるアヌンチヤタは早や死して、その遺像は只だかしこの壁にありといひぬ。われは此詞を聞きて、向ひの壁を仰ぎ看しに、一面の大畫幅あり。枠(わく)を飾れる黄金の光の、燦然(さんぜん)として四邊(あたり)を射るさま、室内貧窶(ひんく)の摸樣と、全く相反せり。圖するところはヂドに扮したるアヌンチヤタが胸像なりき。氣高(けだか)く麗(うるは)しきその面輪(おもわ)、威ありて險(けは)しからざる其額際、皆我が平生の夢想するところに異ならず。我視線は覺えずすべりて、壁間の畫より座上の主人(あるじ)に移りぬ。アヌンチヤタは面を掩ひて、世の人の我を忘れし如く、おん身も今は我を忘れて、疾く行き給へといふ。われ。否、われ爭(いか)でか行くことを得ん、爭でか此儘に行くことを得ん。おん身は聖母(マドンナ)の惠を忘れ給ふか。聖母はおん身を救ひ給はん、我等を救ひ給はん。アヌンチヤタ。おん身は衰運に乘じて人を辱(はづかし)めんとはし給はざるべし。むかし交らひ侍りし時より、おん身の心のさる殘忍なる心ならざるを知る。さらばおん身は何故に、世擧(よこぞ)りて我を譽め我に諛(へつら)ふ時我を棄てゝ去り、今ことさらに我が世に棄てられたる殘躯(ざんく)の色も香もなきを訪(とぶら)ひ給ふぞ。われ。情なき事をな宣給(のたま)ひそ。我爭(いか)でかおん身を棄つべき。我を棄て給ひしは、我を逐ひて風塵の巷(ちまた)に奔(はし)らしめ給ひしは、おん身にこそあれ。かく言はゞ、おん身は我を自ら揣(はか)らざるものとやし給はん。さらば只だ我を驅逐せしものは我運命なり、我因果なりとやいはん。此詞纔(わづか)に出でゝ、アヌンチヤタはその猶美しき目を□(みは)り、ことばはなくて我面を凝視し、その色を失へる唇はものいはんと欲する如くに動きて又止み、深き息徐(おもむ)ろに洩れて、目は地上に注(そゝ)がるゝことしばらくなりき、アヌンチヤタは忽ち右手(めて)を擧げて、緩(ゆるやか)にその額(ぬか)を撫でたり。一の祕密の神とおのれとのみ知れるありて、此時心頭に浮び來りしにやあらん。アヌンチヤタは再び口を開きぬ。我は君と再會せり。此世にて再會せり。再會していよ/\君が情ある人なることを知る。されど薔薇は既に凋(しを)れ、白鵠(くゞひ)は復た歌はずなりぬ。おもふに君は聖母(マドンナ)の恩澤に浴して、我に殊(こと)なる好き運命に逢ひ給ふなるべし。今はわれに唯だ一つの願あり。アントニオよ、能くそを□(かな)へ給はんかといふ。われ手に接吻して、いかなるおん望にもあれ、身にかなふ事ならばといふに、アヌンチヤタ、さらばこよひの事をば夢とおぼし棄て給ひて、いまより後いついづくにて相見んとも、おん身と我とは識らぬ人となりなんこと、是れわが唯だ一つの願ぞ、さらば、アントニオ、これより善き世界に生れ出でなば、また相見ることもあらんとて、我手を握りぬ。苦痛の重荷に押し据ゑられたる我は、アヌンチヤタが足の下に伏しまろびしに、アヌンチヤタ徐(しづ)かに扶(たす)け起し、すかして戸外に伴ひ出でぬ。我は小兒の如くすかされて、小兒の如く泣きつゝ、又來んを許し給へ、許し給へと繰返しつ。戸は、さらばといふ最後の一こゑに鎖されて、われは空しく暗黒なる廊(わたどの)の中に立てり。街に出づれば、その暗黒は屋内(やぬち)に殊ならざりき。神よ。おん身の造り給ふところのものゝ中に、かゝる不幸もありけるよと、獨り泣きつゝ我は叫びぬ。此夜は家に返りて些の眠をだに得ずして止みぬ。
 翌日(あくるひ)はわれアヌンチヤタが爲めに百千(もゝち)の計畫を成就(じやうじゆ)し、百千の計畫を破壞して、終には身の甲斐(かひ)なさを歎くのみなりき。嗚呼、われは素(も)とカムパニアの野の棄兒なり。羅馬の貴人(あてびと)は我を霑(うるほ)す雨露に似て、實は我を縛(ばく)する繩索(じようさく)なりき。恃(たの)むところは單(た)だ一の技藝にして、若し意を決して、これによりて身を立てんとせば、成就の望なきにしもあらず。されども技藝の聲價、技藝の光榮は、縱令(よしや)其極處に詣(いた)らんも、昔のアヌンチヤタが境遇の上に出づべくもあらず。而るにそのアヌンチヤタが末路は奈何(いか)なりしぞ。假に彩虹の色をやどしつゝ飛泉の水の、末はポンチニの沼澤に沈み去るにも似たらずや。
 思慮はたゞ一つところを馳せ□るに似て、一日一夜は過ぎぬ。次の朝(あした)には、胸中僅かに今一たび相見んの願を存ずるのみなりき。われは再びさきの狹き巷(こうぢ)に入り、晝猶暗き梯を上りぬ。鎖(とざ)されたる戸をほと/\と打叩けば、腰曲りたる老女(おうな)入口に現れて、貸家見に來たまひしや、檀那がたの御用には立ち難くや候はんといふ。今まで住みし人はと問へば、きのふ立ち退(の)き候ひぬ、何かは知らず、火急なる事ありと覺しくて、いとあわたゞしく見え候ひぬ。われ。行方をば知り給はぬか。老女。旅にとは申しゝが、いづくにかあらん。パヅア、トリエステ、フエルララなどにや候はんと、答へもあへず戸を鎖したり。直ちに劇場に往きて見れば、これも鎖されたり。近隣の人に聞けば、きのふ打留(うちとめ)なりきといふ。
 アヌンチヤタはいづくにか之(ゆ)きし。ベルナルドオなかりせば、彼人は不幸に陷らで止みしならん。否、彼人のみかは、我も或は生涯の願を遂げ、即興詩人の名を成して、偕老(かいらう)の契(ちぎり)を全(まつた)うせしならんか。嗚呼、絶ゆる期(ご)なき恨なるかな。
 友なるポツジヨおとづれ來ていふやう。何といふ顏色ぞ。恐しき巽風(シロツコ)もぞ吹く。若しその熱き風胸より吹かば、中なる鳥の埃及(エヂプト)人の火紅鳥(フヨニツクス)ならぬが、焦がれ死(じに)するなるべし。野にゆきては茨(いばら)のうちなる赤き實(み)を啄(ついば)み、窓に上りては盆栽の薔薇花(さうびくわ)に止(と)まりてこそ、鳥は健(すこや)かにてあるものなれ。わが胸の鳥の樂を血の中に歌ひ籠(こ)めて、我におもしろく世を渡らするを見ずや。殊に詩人たらんものは、庭の花をも茨の實をも知り、天上の□氣(かうき)にも下界の毒霧にも搏(はう)つ鳥を畜(たくは)へでは協(かな)はずといふ。我。是(かく)の如く詩人を觀んは、卑きに過ぐるには非ずや。友。基督は地獄に下りて極惡の幽鬼をさへ見きと聞く。天の澄めると地の濁れると相觸れてこそ、大事業大制作は成就すべけれ。否、かくてはわれ汝が爲めに説法するにや似たらん。われはさる説法のためにこゝに來しにはあらず。われは市長(ボデスタ)一家の使節なり。おん身の伺候を懈(おこた)ること三日なりしは、ロオザに聞きつ。何といふ亡状(ぶじやう)ぞや。疾(と)く往きて荊(いばら)を負ひて罪を謝せよ。但し懈怠(けたい)の申譯もあらば聽くべし。われ。此二日三日は不快の爲めに門を出ざりき。友。そは拙(つたな)き申譯なり。他人は知らず、我はそを諾(うべな)はざるべし。さきの夜樂劇(オペラ)に往きしは何人なりけん。しかも劇場は、かの頻りに艷種(つやだね)の主人公たりしアウレリアが出づる劇場なりしならずや。されどおん身もかゝる路傍の花の爲めに頭(つむり)を痛めしにはあらじ。兎まれ角まれ、けふの午餉(ひるげ)にはおん身を市長の家に伴ひ行かでは、我責務の果し難きを奈何せん。われ。今は包み隱さで告ぐべし。わが暫く市長を訪はざりしは、世のさかしらの厭はしければなり、市長の娘の美くて、カラブリアに廣き地所を持てるを、わが彼家に出入する目的物なるやうに言ひ做(な)すものあればなり。友。其噂は珍らしからず。カラブリアの地所は知らず、マリアが美しきは人も我も認むるところにて、おん身がその崇拜者の一人なるをば、われとても疑はざるものを。われ。崇拜とは過ぎたり。むかし我が愛せし盲(めしひ)の子に姿貌(すがたかたち)の似たればこそ、われはマリアに心を牽(ひ)かれしなれ。友。マリアが目も拿破里(ナポリ)なるをぢの治療にて、始て開(あ)きしものと聞けば、盲ひたる子に似たりといはんも、その由なきにあらねど、我には別に解釋あり。戀は固(もと)より盲なるものなり。その戀の神なるアモオルをこそ、むかしおん身は見つるならめ。今おん身の心のマリアに惹かるゝは、戀の神の所爲なれば、人の噂は遠からず事實となりて現るゝならん。われ。否、マリアはさて置き、何人をも我は終身娶(めと)らざるべし。友。そは又輒(たやす)くは信じ難き豫言なり、おん身にふさはしからで我にふさはしかるべき豫言なり。好し、さらばわれ君と誓はん。おん身若し我に先(さきだ)ちて妻を持たば、婚禮の日に三鞭酒(シヤンパニエ)二瓶を飮ませ給へ。われ。尤(もつと)も好し、その酒をば君こそ我に飮ましめ給はめ。
 友は我を拉(ひ)いて市長(ボデスタ)の許に至りぬ。市長とロオザとは戲言(ざれごと)まじりに我無情を譴(せ)め、おとなしきマリアは局外に立ちて主客の爭をまもり居たり。ロオザが杯を擧げて、我健康を祝せんとする時、友は急に遮(さへぎ)りて、否々、凡そ婦人たるものは、決してアントニオが健康を祝すべからず、そは此男終身娶(めと)らずと誓ひぬればなりといふ。市長。そは「アバテ」の天才より産まれし思想中の最も惡しきものなり。されどそを吹聽(ふいちやう)せんも氣の毒なり。友。吾意見は御主人とは異なり。かゝる惡しき思想をば梟木(けうぼく)に懸けて、その腦裏に根を張らざるに乘じて、枯らし盡さゞるべからずといひぬ。佳□(かかう)美酒は我前に陳ぜられて、我をしてアヌンチヤタの或は飢渇に苦むべきを想はしめぬ。辭して出づるとき、ロオザは我に日ごとにおとづれて、シルヰオ・ペリコの集を朗讀すべきことを契らしめき。
 わが日ごとに市長(ボデスタ)の家に往くこと、はや一月となりぬ。此間我は絶てアヌンチヤタが消息を聞くこと能はざりき。ある夕例の如く市長がりおとづれしにマリアは思ふところありげにて、顏には深き憂の痕(あと)を印したり。朗讀畢りて、ロオザ席を起ちて去りぬ。我とマリアとの陪席者なくて對坐するはこれを始とす。我は冥々(めい/\)の裡(うち)に、一の凶音の來り迫るを覺えながら、強ひて口を開きて、ペリコの政客たる生活の其詩に及ぼしゝ影響を説き出しつ。マリアは忽ち容(かたち)を改めて、「アバテ」の君と呼び掛けたり。その聲調は、始て我をしてさきよりの月旦評の毫(がう)もマリアが耳に入らざりしを悟らしめき。「アバテ」の君、我はおん身に語るべきことあり、此會談は我が瀕死の人と結びし約束の履行なり、日ごろ疎(うと)からぬおん身に聞かせまつることながら、これを語る苦しさをば察し給へといふ。その面は色を失ひて、唇は打顫へり。我が、あな、何事のおはせしぞと驚き問ふ時、マリアは兜兒(かくし)の中より、一封の書(ふみ)を取出(とうで)て、さて語を續(つゞ)けて云ふやう。不可思議なる神の御手(みて)は、我を延(ひ)きておん身の生涯の祕密の裡に立ち入らしめ給ひぬ。されど心安くおもひ給へ。われは沈默を死者に誓ひしが故に、ロオザにだに何事をも語らざりき。祕密の何物なるかは、此封を開かば明(あきらか)ならん。これを我手に受けてより、はや二日を過ぎぬ。今おん身にわたしまゐらせて、我は約を果し侍りぬといふ。われ、その死者とは何人ぞ、此書(ふみ)は何人の手より出でしぞと問ふに、マリア、そは御身の祕密なるものをとて、起ちて一間を出でぬ。
 家に歸りて封を啓(ひら)けば、内より先づ二三枚の紙出でたり。先づ取上げたる一枚は我手して鉛筆もてしるせる詩句なりき。紙の下端には墨汁(インク)もて十字三つを劃したるさま、何とやらん碑銘にまぎらはしくおぼゆ。此詩句は、わが初めてアヌンチヤタを見つるとき、觀棚(さじき)より舞臺に投げしものなり。さては此一封をマリアに托しきといふはアヌンチヤタなりしか。死せしはアヌンチヤタなりしか。
 紙の間には別に重封(かさねふう)の書(ふみ)ありて、アントニオ樣へとうは書(がき)せり。遽(あわたゞ)しく裂きて中なる書(ふみ)をとりいだすに、いと長き消息の、前半は墨濃く筆のはこびも慥なれど、後半は震ふ筆もて微(かす)かに覺束なくしるされたるを見る。其文に曰く。
文(ふみ)して戀しく懷かしきアントニオの君に申上(まうしあげ)※(まゐらせそろ)[#「まいらせそろ」の草書体文字、144-上-6]。今宵はゆくりなくも、おん目に掛り候ひぬ、再びおん目にかゝり候ひぬ。こは久しき程の願にて、又此願のかなはん折をいと恐ろしくおもひしも、久しき程の事にて候。譬へば死をば幸を齎(もたら)すものぞと知りつゝも、死の到來すべき瞬間をば、限なく恐ろしくおもふが如くなるべく候。この文認め候は、君に見えてより數時間の後に候へども、君のこれを讀ませ給はんは、數月の後なるべきか、或は又月を踰(こ)えざるべきかとも存ぜられ候。世の人の言に、われとわが姿に出で逢ひしものは、遠からずして死すと申候へば、わが常の心の願にて、我心と同じものになり居たる君に逢ひまゐらせたるは、我死期の近づきたるしるしなるべくやなど思ひつゞけ※[#「まいらせそろ」の草書体文字、144-上-20]。いかなれば我心は君をえ忘れず、いかなれば君は我心と化し給ひて、幸ある時も、禍(わざはひ)に逢へる時も、君は我心を離れ給はざりけん。今より思ひ□らし候へば、そは君が世に棄てられたるアヌンチヤタを棄て給はぬ唯一の恩人にましませばならんと存(ぞんじ)※[#「まいらせそろ」の草書体文字、144-上-26]。されど君の今に至りて猶我身を棄て給はざる御恩は、決して故なき人の上に施し給ひしには候はずと存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、144-上-29]。君の此文を見給はん時は、私は世に亡き人なるべければ、今は憚(はゞか)ることなく申上候はん。君は我戀人にておはしまし候ひぬ。我戀人は、昔世の人にもてはやされし日より、今またく世の人に棄て果てられたる日まで、君より外には絶て無かりしを、聖母(マドンナ)は、現世(うつしよ)にて君と我との一つにならんを許し給はで、二人を遠ざけ給ひしにて候。君の我身を愛し給ふをば、彼の不幸なる日の夕に、彈丸(たま)のベルナルドオ[#「ベルナルドオ」は底本では「ベルナドオ」]を傷けし時、君が打明け給ひしに先だちて、私は疾(と)く曉(さと)り居り候ひぬ。さるを君と我とを遠ざくべき大いなる不幸の、忽ち目前(まのあたり)に現れたるを見て、我胸は塞(ふさ)がり我舌は結ぼれ、私は面を手負(てをひ)の衣に隱しゝ隙(ひま)に、君は見えずなり給ひぬ。ベルナルドオの痍(きず)は命を隕(おと)すに及ばざりしかば、私は其治不治生不生の君が身の上なるべきをおもひて、須臾(しゆゆ)もベルナルドオの側を離れ候はざりき。憶ふに、此時のわが振舞は君に疑はれまゐらせしことのもとにや候ふべき。私は久しく君の行方を知らず、人に問へども能く答ふるもの候はざりき。數日の後、怪しきおうな尋ね來て、一ひらの紙を我手にわたすを見れば、まがふ方なき君の手跡にて、拿破里(ナポリ)に往くと認(したゝ)めあり、御名をさへ書添へ給へれば、おうなの云ふに任せて、旅行劵と路用の金とをわたし候ひぬ。旅行劵はベルナルドオに仔細を語りて、をぢなる議官(セナトオレ)に求めさせしものに候、ベルナルドオは事のむづかしきを知りながら、我言を納(い)れて、強ひてをぢ君を説き動しゝ趣に候。幾(いくばく)もあらぬに、ベルナルドオが痍(きず)は名殘(なごり)なく癒(い)え候ひぬ。彼人も君の御上をば、いたく氣遺(きづかひ)居たれば必ず惡しき人と御思ひ做(な)しなさるまじく候。ベルナルドオは痍の痊(い)えし後、我身を愛する由聞え候ひしかど、私はその僞ならぬを覺(さと)りながら、君をおもふ心よりうべなひ候はざりき。ベルナルドオは羅馬を去り候ひぬ。私は直ちに拿破里をさして旅立候ひしに、君も知らせ給ひし友なるおうなの俄に病み臥(こや)しゝ爲め、モラ、ヂ、ガエタに留まること一月ばかりに候ひき。かくて拿破里に着きて聞けば、私の着せし前日の夜、チエンチイといふ少年の即興詩人ありて、舞臺に出でたりと申噂に候。こは必ず君なるべしとおもひて、人に問ひ糺(たゞ)し候へば、果してまがふかたなき我戀人にておはしましき。友なるおうなは消息して君を招き候ひぬ。こなたの名をばわざとしるさで、旅店の名をのみしるしゝは、情ある君の何人の文なるをば推し給ふべしと信じ居たるが故に候ひき。おうなは再び文をおくり候ひぬ。されど君は來給はざりき。使の人の文をば讀み給ひぬといふに、君は來給はざりき。剩(あまつさ)へ君は遽(にはか)に物におそるゝ如きさまして、羅馬に還り給ひぬと聞き候ひぬ。當時君が振舞をば、何とか判じ候ふべき。私は君の誠ありげなる戀のいち早くさめ果てしに驚き候ひしのみ。私とても、世の人のめでくつがへるが儘に、多少驕慢の心をも生じ居たる事とて、思ひ切られぬ君を思ひ切りて、獨り胸をのみ傷(いた)め候ひぬ。さる程に友なるおうなみまかり、その同胞(はらから)も續きてあらずなり、私は形影相弔(てう)すとも申すべき身となり候ひぬ。されど年猶少(わか)く色未だ衰へずして、身には習ひおぼえし技藝あれば、舞臺に上るごとに、萬人の視線一身に萃(あつ)まり、喝采の聲我心を醉はしめて、しばし心の憂さを忘れ候ひぬ。是れまことのアヌンチヤタが最終の一年に候ひき。私はボロニアに赴(おもむ)く旅路にて、ふと病に染まり候ひぬ。初こそは唯だかりそめの事とおもひ候ひつれ、君に棄てられまつりてよりの、人知れぬ苦痛は、我が病に抗すべき力を奪ひて、一とせが程は頭をだにえ擡(もた)げず候ひき。こゝに君に棄てられぬと書きしをば、許させ給へ。私はその頃、君の猶我身を忘れ給はで、世の人の皆我身を顧みざるに至りて、今一たび我手に接吻し給ふべきをば、夢にだに思得候はざりしなり。二とせの間、劇場にて貯へし金をば、藥餌の料に費(つひや)し盡し候ひぬ。病は□(い)えぬれども、聲潰れたれば、身を助くべき藝もあらず、貧しきが上に貧しき境界(きやうがい)に陷いり、空しく七年の月日を過して、料(はか)らずも君にめぐりあひ候ひぬ。君はこよひの舞臺にて、むかし羅馬の通衢(ちまた)を驅(か)るに凱旋の車をもてせしアヌンチヤタがいかに賤客に嘲(あざけ)られ、口笛吹きて叱責せられたるかを見そなはし給ひしなるべし。私は運命の蹙(せば)まりしと共に、胸狹くなりしを自ら覺え居候。扨(さて)見苦しき假住ひに御尋下され候時、我目を覆ひし面紗(ヱエル)の忽ち落つるが如く、君の初より眞心もて我を愛し給ひしことを悟り候ひぬ。汝こそは我を風塵中に逐ひ出しつれとは、君の御詞なりしかど、私のいかに君を慕ひまゐらせ、いかに君の方(かた)へ手をさし伸べ居たりしをば、君のしろしめさゞりしを奈何(いかに)かせん。私は再び君に見(まみ)ゆることを得て、君の温なる唇を我手背に受け候ひぬ。今や戸外に送りいだしまゐらせて、私は再び屋根裏の一室に獨坐し居り候。この室をば直ちに立退き申すべく、此ヱネチアをも直ちに立去り申すべく候。アントニオの君よ。願はくは我が爲めに徒(いたづ)らに歎き悲み給ふな。私は世には棄てられ候へども、聖母(マドンナ)は私を護り給ふこと、君を護り給ふに同じかるべく候。アントニオの君よ、さきには我を思ひ棄て給へと申候へども、未錬ともおぼさばおぼせ、猶親しかりし人のみまかりしを思ひ給ふが如く、我を思ひ給はんことのみは望ましく存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145-中-19]。
 涙は讀むに隨ひて流れ、わが心の限の涙と化して融け去るを覺えたり。此より下は、かすかなる薄墨の痕猶新(あらた)にして、數日前に寫されしものと知らる。
苦を受くる月日も最早些子(ちと)を餘し候のみと存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145-中-25]。今まで受けつるあらゆる快樂の聖母の御惠なると等しく、今まで受けつるあらゆる苦痛も亦聖母の御惠と存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145-中-27]。死は既に我胸に迫り候。血は我胸より漲り流れ候。いま一囘轉して漏刻の水は傾け盡され申すべく候。人の傳へ候ところに依れば、ヱネチア第一の美人は君がいひなづけの妻となり居候由に候。私の死に臨みての願は、御二人の永く幸福を享(う)け給はんことのみに候、あはれ、此數行の文字を托すべき人は、その人ならで又誰か有るべき。その人の私の請(こひ)を容れて、こゝに來給ふべきをば、何故か知らねど、牢(かた)く信じ居※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145-下-8]。生死の境に浮沈し居る此身の、一杯の清き水を求むべき手は、その人の手ならではと存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145-下-10]。さらば/\、アントニオの君よ。私の此土に在りての最終の祈祷、彼土に往きての最初の祈祷は、君が御上と、私の徒(いたづ)らに願ひてえ果さず、その人の幸ありて成し遂げ給ふなる、君が偕老の契(ちぎり)の上とに在るのみなることを、御承知下され度存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145-下-15]。今更繰言(くりごと)めき候へども、聖母の我等二人を一つにし給はざりしは、其故なからずやは。私は世人にもてはやされ讚め稱(たゝ)へられて、慢心を増長し居候ひぬれば、君にして當時私を娶(めと)り給ひなば、君の生涯は或は幸福を完うし給ふこと能はざりしにあらずやと存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145-下-21]。さらば/\、アントニオの君よ。過ぎ去りしは苦痛、現然せるは安樂にして末期は今と存※[#「まいらせそろ」の草書体文字、145-下-23]。アントニオの君よ。又マリアの君よ。私の爲めに祈祷し給へかし。
アヌンチヤタ。
 悲歎の極には聲なく涙なし。我は茫然として涙に濡れたる遺書を瞠視(だうし)すること久しかりき。暫しありて、猶封中より落ち散りたりし一ひら二ひらの紙を取り上げ見れば、一はわが拿破里(ナポリ)に往くとしるして、フルヰアのおうなに渡しゝ筆の蹟(あと)なり。又一はベルナルドオがアヌンチヤタに與へし文にして、負傷の爲めに床に臥したりし程の、懇(ねんごろ)なる看護の恩を謝し、今はよしなき望を絶ちて餘所の軍役に服せんとおもへば、最早羅馬にて相見ることはあらじと書せり。嗚呼、おもひの外の事どもなるかな。アヌンチヤタは初より我を戀ひたりしなり。我が拿破里に往くことを得しは、アヌンチヤタの惠なりしなり。拿破里の旅店より書を寄せて、相見んことを求めしはアヌンチヤタにしてサンタにはあらざりしなり。その恩情窮(きはまり)なきアヌンチヤタは今や亡き人となりしなり。さるにてもアヌンチヤタはマリアを病床に招き寄せて、いかなる事を物語りし。既にマリアをわがいひなづけの妻といへば、巷説は早くアヌンチヤタの病床に聞え居りて、マリアさへ其口より、さがなき人の言草(ことぐさ)を聞きつるなるべし。再びマリアの面を見んは影護(うしろめた)き限なれども、アヌンチヤタの爲めにも我が爲めにも天使に等しきマリアに、一ことの謝辭を述べずして止まんやうなし。
 舟を倩(やと)ひて市長(ボデスタ)の家に往きしに、ロオザとマリアとは一と間の中にありて手仕事に餘念なかりき。我はしばし相對して物語しつれど、心に言はんと欲する事の、口に言ひ難ければ、問はるゝことあるごとに、あらぬ答をのみしたりき。ロオザは忽ち我手を把(と)りて口を開きて云ふやう。おん身は深き憂に沈み居給ふとおぼし。われ等の君がまことの友たるを知り給はゞ、打開けて物語し給へと云ふ。われ。さなり。君は何事をも知り給ふならん。ロオザ。否われは未だ何事をも知らず。マリアこそは聞きつることもあらめ。(マリアは鼻じろみて、その詞を遮らんとしたり。)われ。おん身二人には、われ又何事をか隱し候ふべき。初よりの事のもとすゑを打開けんも我が心やりなれば、煩はしけれど聞き給へとて、われは昔語(むかしがたり)をぞ始めける。よるべなき孤(みなしご)なりし生立(おひたち)より、羅馬にてアヌンチヤタと相識り、友なりけるベルナルドオを傷けて、拿破里に逃れ去りし慘劇まで、涙と共に語り出でしに、可憐なるマリアの掌(たなそこ)を組合せて、我面を仰ぎ見るさま、我記憶の中に殘れるフラミニアが姿に髣髴(さもに)たり。われはマリアが面前にありて、ララが事、琅□洞(らうかんどう)の事のみは、語ることを憚りたれば、直ちにヱネチアにての再會の段に移りて、アヌンチヤタの末路を敍し畢(をは)りぬ。ロオザ。おん身の上に、さる深き關繋あるべきをば、初め少しも知らざりき。さきの日尼寺の病室より、識らぬ女の文とゞきて、今生死の際に在るものなるが、マリアに逢ひて申し殘したき事ありといへば、舟にてかしこに伴ひゆき、われは尼達の許に留まりて、マリアを病人の室に遣りぬ。マリア。かくてその人に逢ひ侍りぬ。記念(かたみ)の一封をばさきに渡しまゐらせつ。我。アヌンチヤタはその時何とか申し候ひし。マリア。人知れずこれをアントニオに渡し給へといひぬ。おん身の上をば、妹の兄の上を語るらんやうに語りぬ。爾時(そのとき)アヌンチヤタが唇は血に染まり居たり。死は遽(にはか)に襲ひ至りて、アヌンチヤタはわが面をまもりつゝこときれ侍(はべ)りと、語りもあへず、マリアは泣き伏したり。われは詞はあらで、マリアの手を握りつ。
 われは寺院に往きてアヌンチヤタが爲めに祈祷し、又その墓に尋ね詣(まう)でつ。此地の瑩域(えいゐき)は、高き石垣もて水面(みのも)より築き起されたるさま、いにしへのノアが舟の洪水の上に泛(うか)べる如し。草むらの中に黒き十字架あまた立てるあたりに歩み寄れば、わが尋ぬる墓こそあれ。只是一片の石に、アヌンチヤタと彫り付けたり。一基の十字架の上に、緑の色の猶鮮(あざやか)なる月桂(ラウレオ)の環を懸けたるは、ロオザとマリアとの手向(たむけ)なるべし。われは墓前に跪(ひざまづ)きて、亡人(なきひと)の悌(おもかげ)をしのび、更に頭(かうべ)を囘(めぐら)して情あるロオザとマリアとに謝したり。

   流離(さすらひ)

 その頃フアビアニ公子の書状屆きしに、文中公子のわがヱネチアに留まること四月の久しきに至るを怪み、強ひてにはあらねど、我にミラノ若(もし)くはジエノワに遊ばんことを勸めたる一節あり。われつら/\念(おも)ふやう。わが猶此地に留まれるは、そも/\何の故ぞや。此地にはげに兄弟に等しきポツジヨあり、姉妹に等しきロオザ、マリアあれど、是等の交(まじはり)は永遠なるべきものにあらず。中にも女友二人の如きは、相見るごとに我が悲哀の記憶を喚び醒(さま)すことを免れず。われは悲哀を懷(いだ)いてヱネチアに來ぬ。而してヱネチアは更に我に悲哀を與へしなり。われは遽(にはか)にヱネチアを去らんと欲する心を生じて、そを告げんために、市長(ボデスタ)の家をおとづれたり。
 月光始めて渠水(きよすゐ)に落つるころほひ、我は二女と市長の家の廣間なる、水に枕(のぞ)める出窓ある處に坐し居たり。マリアはすでに一たび燈火(ともしび)を呼びしかど、ロオザがこの月の明(あか)きにといふまゝに、主客三人は猶月光の中に相對せり。マリアはロオザに促されて、穴居洞の歌を歌ひぬ。聲と情との調和好き此一曲は、清く軟かなる少女(をとめ)の喉(のど)に上りて、聞くものをして積水千丈の底なる美の窟宅を想見せしむ。ロオザ。この曲には音節より外、別に一種の玲瓏たる精神ありとはおぼさずや。われ。洵(まこと)に宣給(のたま)ふごとし。若し精神といふもの形體を離れて現ぜば、應(まさ)に此詩の如くなるべし。マリア。生れながらに目しひなる子の世界の美を想ふも亦是の如し。ロオザ。さらば目開(あ)きての後に、實世界に對せば、初の空想の非なることを知るならん。マリア。實世界は空想の如く美ならず。されど又空想より美なるものなきにあらず。話頭は直ちにマリアが初め盲目なりし事に入りぬ。こはポツジヨが早く我に語りしところなれども、今はわれ二女の口より此物語を聞きつ。ロオザは弟の手術を讚め、マリアも亦その恩惠を稱(たゝ)へたり。マリアの云ふやう。目しひなりし時の心の取像(しゆざう)ばかり奇(く)しきは莫(な)し。先づ身におぼゆるは日の暖さ、手に觸るゝは神社の圓柱(まろばしら)の大いなる、霸王樹(サボテン)の葉の闊(ひろ)き、耳に聞くはさま/″\の人の馨音(こわね)などなり。一の官能の闕(か)くるものは、その有るところの官能もて無きところのものを補ふ。人の天青し、海青し、菫(すみれ)の花青しといふを聽きて、われは董の花の香を聞き、そのめでたさを推し擴めて、天のめでたかるべきをも海のめでたかるべきをも思ひ遣りぬ。視根の光明闇きときは、意根の光明却りて明なるものにやといふ。これを聞く我は、ララが髮に□みし菫の花束と、ペスツム祠の圓柱とを憶ひ起すことを禁ずること能はざりき。話頭は轉じて自然の美に入り、ロオザは拿被里(ナポリ)の山水の景の慕はしさを説き出せり。われはこの好機會を得て、ヱネチアを去る意を洩しつ。そは思ひも掛けぬ事かなとロオザ訝(いぶか)れば、さては最早再び此地には來給ふまじきかとマリア氣遣ふさまなり。否々、ミラノまで往かば、又此地を經て羅馬に還らんとこそ思ひ候へと我は答へつれど、實はまだこゝを立ちていづ方に往かんとも思ひ定めざりしなり。
 わがヱネチアに別るゝ涙を見せしは、アヌンチヤタが墓とマリアが居間とのみなりき。墓に詣でゝは、石上に殘れる輪飾(わかざり)の一葉を摘みて、夾袋(けふたい)の中に藏(をさ)めつ。われは此石の下に、唯だ一團の塵を留むるのみなるを知る、アヌンチヤタが魂の聖母(マドンナ)の御許(みもと)に在り、その影の我胸中に在りて、此石の下なる塵のわが執着すべき價あるものにあらざるを知る。されどわれは猶低徊して此方數尺の地を去ること能はざりき。市長(ボデスタ)の家に往きては一家の人々とポツジヨとの餞宴(せんえん)を受けたり。市長は三鞭酒(シヤンパニエ)の盃を擧げて別を告げ、ポツジヨはめぐる車の云々(しか/″\)といふ旅の曲と、自由なる自然に遊ぶ云々といふ鳥の歌とを唱ひぬ。ロオザは、君若し妻を娶(めと)り給はゞ、偕(とも)に我家に來給へ、我は君が物語の中なる彼亡人(なきひと)を愛する如く、君の伴ひ來給はん其人をも愛せんといひ、マリアは唯だ、健(すこや)かに樂しげにて、又我家をおとづれ給へといひぬ。
 ポツジヨは例の「ゴンドラ」の舟にて、フジナまで送らんとて、我と共に立出づれば、ロオザとマリアとは出窓に立ちて、紛※(てふき)[#巾+兌]を打振りぬ。別に臨みてポツジヨは聲高く笑ひつゝ、許嫁(いひなづけ)の女極(き)まらば、彼約束を忘るなといひぬ。われは、けふさる戲言(ざれごと)いふことかはと戒(いまし)めつゝも、心の中にその笑顏の涙を掩ふ假面(めん)なるをおもひて、竊(ひそか)に友の情誼に感じぬ。
 車は情なくして走り、一堆(たい)の緑を成せるブレンタの側を過ぎ、垂楊の列と美しき別業(べつげふ)とを見、又遠山の黛(まゆずみ)の如きを望みて、夕暮にパヅアに着きぬ。聖(サン)アントニウス寺の七穹窿は、恰も好し月光に耀けり。柱列の間には行人絡繹(らくえき)として、そのさまいと樂しげなれども、われは獨り心の無聊(ぶれう)に堪へざりき。
 白晝(まひる)となりてより、我無聊は愈□甚だしければ、又車を驅りてこゝを立ち、一の平原に入りぬ。緑草の鬱茂せるさまはポンチニイの大澤(たいたく)に讓らず。瀑布の如くなる大柳樹は古塚を掩(おほ)ひ、所々に聖母(マドンナ)の像を安じたる贄卓(にへづくゑ)を見る。像の古(ふ)りたるは色褪(いろあ)せて、これを圍める彩畫ある板壁さへ、半ば朽ちて地に委(ゆだ)ねたれど、中には聖母兒(せいぼじ)の丹粉(にのこ)猶鮮(あざやか)かなるもなきにあらず。御者はその古きに逢ひては顧みだにせねど、その新なるを見るごとに、必ず脱帽して過ぐ。われはその何の心なるを知らずして、唯□聖母の貴きすら、色褪せては人に崇(あが)めらるゝことなきを歎じたり。
 ヰチエンツアを過ぎぬれど、パラヂオ(中興時代の名ある畫師)が美術も光明を我胸の闇に投ずること能はざりき。ヱロナは始て稍□我心を動したり。石級のコリゼエオに似たるありて、幸に兵燹(へいせん)を免れ、人をして小羅馬に入る感あらしむ。柱列の間(あひだ)なる廣き處は、今税關となり、演戲場の中央には、板を列ね幕を張りて、假に舞臺を補理(しつら)ひ、旅役者の興行に供せり。夜に入りて我は試(こゝろみ)に往きて看つ。ヱロナの市人(いちびと)の石榻(せきたふ)に坐せるさまは、猶古(いにしへ)のごとくにて、演ずる所の曲をば、「ラ、ジエネレントオラ」と題せり。役者の群は、ヱネチアにて見しアヌンチヤタが組なりき。アウレリアはこよひも此樂曲の主人公に扮したり。一張(はり)の「コントルバス」に氣壓(けお)さるゝ若干の管絃なれど、聽衆は喝采の聲を惜まざりき。趨(はし)りて場を出づれば、月光遍(あまね)く照して一塵動かず、古の劇場の石壁石柱は□然(きぜん)として、今の破(や)れ小屋のあなたに存じ、廣大なる黒影を地上に印せり。
 我はカプレツチイ第(だい)を訪ひぬ。昔カプレツチイ、モンテキイの二豪族相爭ひて、少年少女の熱情を遮り斷ちしに、死は能くその合ふべからざるものを合せ得たり。シエエクスピイアがものしつる「ロメオ、エンド、ジユリエツト」の曲即ち是なり。此第はロメオが初てジユリエツトに來り見(まみ)えて共に舞ひし所にして、今は一の旅館となりぬ。われはロメオの夜な/\通ひけん石の階(きざはし)を踐(ふ)みて、曾(かつ)て盛に聲樂を張りてヱロナの名流をつどへしことある大いなる舞臺に上りぬ。闊(ひろ)き窓の下鋪板(しもゆか)に達するまでに切り開かれたる、丹青(たんせい)目を眩(くらま)したりけん壁畫の今猶微かに遺(のこ)れるなど、昔の豪華の跡は思はるれど、壁の下には石灰の桶いくつともなく並べ据ゑられ、鋪板(ゆか)には芻秣(まぐさ)、藁(わら)などちりぼひ、片隅には見苦しき馬具と農具との積み累(かさ)ねられたるを見る。まことに榮枯盛衰のはかなきこと、夢まぼろしはものかは。さればこの假の世を、フラミニアの厭ひしも、アヌンチヤタの去りぬるも、なかなかに慰む方ありとやいふべき。
 月の末にミラノに着きぬ。新に交を求めん心なければ、人の情(なさけ)の紹介幾通かありしを、一としてその宛名の家にとゞくることなかりき。一夜「ラ、スカラ」座に入りて樂曲を聽きたり。帷(とばり)を垂れたる六層の觀棚(さじき)も、積(せき)あまりに大いにして客常に少ければ、却りて我をして一種の寂寥と沈鬱とを覺えしめき。奏する所の曲は「タツソオ」にして、主(おも)なる女優はドニチエツチイといふものなりき。一折(せつ)畢(をは)るごとに、客の喝采してあまたゝび幕の外に呼び出すを、愛らしき笑がほして謝し居たり。わが厭世の眼は、この笑(ゑみ)の底におそろしき未來の苦惱の濳めるを見て、あはれ此美人(うまびと)目前に死せよ、さらば世間もこれが爲めに泣くことなか/\に少かるべく、美人も世を恨むことおのづから淺からんとおもひぬ。「バレツトオ」の舞には玉の如き穉(をさな)き娘達打連れて踊りぬ。われはその美しさを見るにつけて、血を嘔(は)くおもひをなしつゝ、悄然として場を出でたり。
 ミラノの客舍の無聊(ぶれう)は日にけにまさり行きて、市長の家族も、親友と稱せしポツジヨも我書に答ふることなかりき。われは或ときは蔭多き衢(ちまた)をそゞろありきし、或ときは一室に枯坐して新に戲曲の稿を起しつ。曲の主人公はレオナルドオ・ダ・ヰンチなりき。レオナルドオの住みしは此地なり。その不朽の名畫晩餐式はこゝに胚胎(はいたい)せしなり。その戀人の尼寺の垣内(かきぬち)に隱れて、生涯相見ざりしは、わがフラミニアに於ける情と古今同揆(どうき)なりとやいはまし。
 われは日ごとにミラノの大寺院に往きぬ。此寺はカルララの大理石もて、人の力の削り成しし山ともいふべく、月あかき夜に仰ぎ見れば、皎潔(けうけつ)雪を欺(あざむ)く上半の屋蓋は、高く碧空に聳えて、幾多の簷角(えんかく)、幾多の塔尖より石人の形の現れたるさま、この世に有るべきものともおもはれず。晝その堂内に入れば、採光の程度ほゞ羅馬の「サン、ピエトロ」寺に似て、五色の窓硝子より微かに洩るゝ日光は、一種の深祕世界を幻出し、人をして唯一の神こゝに在(いま)すかと觀ぜしむ。ミラノに來てより一月の後、我は始て此寺の屋上(やね)に登りぬ。日は石面を射て白光身を繞(めぐ)り、ここの塔かしこの龕(がん)を見めぐらせば、宛然(さながら)立ちて一の大逵(ひろば)に在るごとし。許多(あまた)の聖者(しやうじや)獻身者の像にして、下より望み見るべからざるものは、新に我目前(まのあたり)に露呈し來れり。われは絶頂なる救世主の巨像の下に到りぬ。ミラノ全都の人烟は螺紋(らもん)の如く我脚底に畫かれたり。北には暗黒なるアルピイの山聳え、南には稍□低き藍色のアペンニノ横はりて、此間を填(うづ)むるものは、唯だ緑なる郊原のみ。譬へばカムパニアの野を變じて一の花卉(くわき)多き園囿(ゑんいう)となしたらんが如し。われは眦(まなじり)を決して東のかたヱネチアを望みたるに、一群の飛鳥ありて、列を成してかなたへ飛び行くさま、一片の帛(きぬ)の風に翻弄せらるゝに似たり。われはマリアを憶ひ、ロオザを憶ひ、ポツジヨを憶へり。昔幼かりし時、母とマリウチアとに伴はれて、ネミの湖に往きしかへるさ、アンジエリカが我に物語りし事こそあれ。その物語は今我空想に浮び來ぬ。オレワアノにテレザといふ少女ありき。戀人なるジユウゼツペが山を踰(こ)えて北の國に往きしより、戀慕の念止むことなく、日を經るに從ひて痩せ衰へぬ。フルヰアの老媼(おうな)はテレザの髮とその藏め居たりしジユウゼツペの髮とを銅銚(どうてう)に投じて、奇(く)しき藥艸と共に煮ること數日なりき。ジユウゼツペは他郷に在りしが、我毛髮の彼銚中に入ると齊(ひと)しく、今まで忘れ居つるテレザの慕はしくなりて、醒めては現(うつゝ)に其聲を聞き、寢(い)ねては夢に其姿を視、そぞろに旅のやどりを立出でゝ、おうなが銚(なべ)の下に歸りぬといふ。ヱネチアには我髮を烹(に)る銚あるにあらねど、わがこれを憶ふ情は、恰も幻術の力の左右するところとなれるが如くなりき。われ若し山國(やまぐに)の産(うまれ)ならば、此情はやがて世に謂(い)ふ思郷病(ノスタルジア)なるべし。(歐洲人は思郷病は山國の民多くこれを患(わづら)ふとなせり。)されど又ヱネチアのわが故郷ならぬを奈何(いかに)せむ。われは悵然(ちやうぜん)として此寺の屋上(やね)より降りぬ。
 客舍に歸れば、卓上に一封の書(ふみ)あるを見る。こはポツジヨが許より來れるなり。これを讀むに、袂を分ちてより第二の書を作る云々と書せり。さらば友の初の一書は我手に入るに及ばずして失はれしなるべし。ヱネチアには何の變りたる事もあらねど、マリアは病に臥(こや)したり。その病のさま一時は性命をさへ危くすべくおもはれぬれど、今は早や恢復に近し。猶戸外(そと)には出でずとなり。末文には、例の戲言(ざれごと)多く物して、まだミラノの少女に擒(とりこ)にせられずや、三鞭酒(シヤンパニエ)をな忘れそなど云へり。われは讀み畢りて、ポツジヨが滑稽の天性にして、世の人のそを假面(めん)と看做(みな)すことの謬(あやま)れるを信ぜんとせり。さればこそ同じ無稽の巷説は、わがマリアを敬することロオザを敬すると殊ならざるを見ながら、謬りて我をもてマリアに戀するものとなすなれ。
 われは消遣(せうけん)の爲めに市の外廓より出でゝ、武具の辻(ピアツツア、ダルミイ)を過ぎ、拿破崙(ナポレオン)の凱旋塔の下に至りぬ。世のいはゆるセムピオオネの門(ポルタ、セムピオオネ)とは是なり。塔は猶未だ其工事を終らず、板がこひを繞(めぐ)らして、これに格子戸を裝ひたり。戸より入りて見れば、新に大理石もて彫(ゑ)り成せる大いなる馬二頭地上に据ゑられ、青艸(あをくさ)はほしいまゝに長じて趺石(ふせき)を掩はんと欲す。四邊(あたり)には既に刻める柱頭あり、粗(あら)ごなししたる石塊あり。許多(あまた)の工人は織るが如くに來往せり。
 時に一の旅人ありて我を距(へだた)ること數歩の處に立ち、手簿(しゆぼ)を把(と)りて導者の言を記せり、年の頃は三十ばかりなるべし。胸には拿破里(ナポリ)の勳章二つを懸けたり。此旅人の迫持(せりもち)の石柱を仰ぎ見るに及びて、我はそのベルナルドオなるを識(し)りぬ。彼方も亦直ちに我を認め得つとおぼしく、何の猶豫(ためら)ふさまもなく、我側に歩み寄りて我胸を抱き、めづらしきかな、アントニオ、われ等の相別れし夕は賑やかなりき、われ等は祝砲をさへ放ちたり、されど想ふに我等の友情は舊(もと)の如くなるべしといひぬ。我は肌(はだへ)の粟(あは)を生ずる心地しつゝ、纔(わづか)に口を開きて、さてはベルナルドオなりしよ、圖(はか)らざりき、おん身と伊太利の北のはてなる、アルピイ山の麓にて相見んとはと答へつ。
 我等は共に歩みて新劇場の邊に往き、轉じて市(まち)の廓(くるわ)に入りぬ。ベルナルドオは道すがら語りていふやう。汝は此地を指してアルピイ山の麓といへり。われはまことのアルピイの巓(いただき)に登りて世界の四極(よものはて)を見たり。曩(さき)に拿破里に在りし時、獨逸の士官等の、瑞西(スイス)の山水を説くを聞き、一たび往いて觀んことを願ふこと漸く切なるに、汽船もて達し易きジエノワを距ること遠くもあらぬを知れば、意を決して往くことゝしつ。シヤムニイの谿(たに)をも渡りぬ。モンブランの頂にも、ユングフラウの頂にも登りぬ。
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