即興詩人
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著者名:アンデルセンハンス・クリスチャン 

たゞその學びさまを殊にせんのみ。想へ、我がいかに幸ある人となるべきかを。我。わが心を傾けて汝に交るをば、汝知りたるべし。汝が意志、汝が勢力のおほいなる、常に我心を左右するをも、汝知りたるべし。汝若し惡人とならば、我おそらくは善人たることを得じ。そは怪しき力我を引きて汝が圈(わ)の中に入るればなり。我は素より我心を以て汝が行を匡(たゞ)さんとせず。人皆天賦の性(さが)あり。そが上に我は必ずしも汝が將に行はんとする所を以て罪なりとせず。汝が性然らしむればなり。されど此事は、縱令成りたらんも、汝が上にまことの福を降すべきものにあらずとおもへり。士官。善し/\。我はたゞ汝に戲れたるのみ。我がために汝を驅りて懺悔の榻(たふ)に就かしめんは、初より我願にあらず。たゞ汝がヘブライオスの語を學ばんに、いかなる障(さはり)あるべきか、そは我に解せられず。況(いは)んやそを猶太の翁に學ぶことをや。されどこの事に就きては、我等また詞を費さゞるべし。今日は善くこそ我を訪ねつれ。物欲しからずや。酒飮まずや。
 友なる士官がかく話頭を轉じたるとき、我はその特(こと)なる目(ま)なざしを見き。こはベルナルドオが學校にありしとき屡□ハツバス・ダアダアに對してなしたる目なざしなりき。友の擧動(ふるまひ)、その言語、一つとして不興のしるしならぬはなし。我も快からねば程なく暇乞して還りぬ。別るゝときは友の恭(うや/\)しさ常に倍して、その冷なる手は我が温なる手を握りぬ。我はわが辭退の理に□(かな)へる、友の腹立ちしことの我儘に過ぎざるを信じたりき。されど或時は無聊に堪へずしてベルナルドオなつかしく、我詞の猶穩(おだやか)ならざるところありしを悔みぬ。一日散歩のついで、吾友の上をおもひつゝ、かの猶太廓(ゲツトオ)に入りぬ。若し期せずして其人に逢はゞ、我友の怒を霽(はら)す便(たより)にもならんとおもひき。されど我は彼翁をだに見ざりき。門(かど)よりも窓よりも、知らぬ人面を出せり。街の兩側なる敷石の上には、例の古衣、古かねなど陳(の)べたるその間には見苦き子供遊べり。物買はずや、物賣らずやと呼ぶ聲は、我を聾(みゝしひ)にせんとする如し。少女あり。向ひの家なる友と、窓より窓へ毬(まり)投げつゝ戲れ居たり。そが一人は頗(すこぶる)美しと覺えき。吾友の戀人はもしこれにはあらずや。我は圖らず帽を脱したり。嗚呼、おろかなる振舞せしことよ。我は人の思はん程も影護(うしろめた)くて、手もて額を拭ひつ。こは帽を脱したるは、少女のためならで、暑に堪へねばぞと、見る人におもはしめんとてなりき。
 一とせの月日は事なくして過ぎぬ。稀にベルナルドオに逢ふことありても、交情昔のごとくならず。我はそのやさしき假面の背後に、人に□(おご)る貴人の色あるを見て、友の無情なるを恨むのみにて、かの猶太廓の戀のなりゆきを問ふに遑(いとま)あらざりき。ボルゲエゼの館をば頻におとづれて、主人の君、フアビアニ、フランチエスカの人々のやさしさに、故郷にある如き思をなしつ。されどそれさへ時としては胸を痛むる媒(なかだち)となることありき。我胸には慈愛に感ずる情みち/\たれば、彼人々の一たび顰(ひそ)めることあるときは、徑(たゞち)に我世の光を蔽はるゝ如く思ひなりぬ。フランチエスカの我性を譽めつゝも、強ひて備はらんことを我に求めて、わが立居振舞、わが詞遣(ことばづかひ)の疵(きず)を指すことの苛酷なる、主人の君のわが獨り物思ふことの人に踰(こ)えたるを戒(いまし)めて、わが草木などの細かなる區別に心入れぬを咎め、我を自ら卷きて終には萎(しを)るゝ葉に比べたる、皆我心を苦むるものなりき。我齡は早く十六になりぬ。さるを斯(か)ばかりの事に逢ひて、必ず涙を墮(おと)すは何故ぞや。主人の君は我が憂はしげなるさまを見るときは、又我頬を撫でゝ、聖母の善き人を得給はんためには、美しき花の壓(お)さるゝ如く、人も壓されではかなはぬが浮世の習ぞと慰め給ひぬ。獨りフアビアニの君のみは、何事をもをかしき方に取りなして、岳翁(しうと)と夫人との教の嚴なることよと打笑ひ、さて我に向ひてのたまふやう。君は父上の如き學者とはならざるべし。はた妻のやうに怜悧なる人ともならざるならん。されど君が如き性もまた世の中になくて協はぬものぞと宣(のたま)ふ。斯く裁判し畢りて、小尼公(アベヂツサ)を召し給へば、我はその遊び戲れ給ふさまのめでたきを見て、身の憂きことを忘れ果てつ。人々は來ん年を北伊太利にて暮さんとその心構(こゝろがまへ)し給へり。夏はジエノワにとゞまり、冬はミラノに往き給ふなるべし。我は來ん年の試驗にて、「アバテ」の位を受けんとす。人々は首途(かどで)に先だちて、大いなる舞踏會を催し、我をも招き給ひぬ。門前には大篝(おほかゞり)を焚かせたり。賓客の車には皆松明(まつ)とりたる先供あるが、おの/\其火を石垣に設けたる鐵の柄に□したれば、火の子迸(ほとばし)り落ちて赤き瀑布(カスカタ)を見る心地す。法皇の兵(つはもの)は騎馬にて門の傍に控へたり。門の内なる小き園には五色の紙燈を弔(つ)り、正面なる大理石階には萬點の燭を點せり。階(きざはし)を升(のぼ)るときは奇香衣を襲ふ。こは級(きだ)ごとに瓶花(いけばな)、盆栽の檸檬(リモネ)樹を据ゑたればなり。階の際なる兵は肩銃の禮を施しつ。「リフレア」着飾りたる僕(しもべ)は堂に滿ちたり。フランチエスカの君は眩(まばゆ)きまで美かりき。珍らしき樂土鳥の羽、組緒多くつけたる白き「アトラス」の衣はこれに一層の美しさを添へたり。そのやさしき指に觸れたるときの我喜はいかなりし。廣間二つに樂の群を居らせて、客の舞踏の場(には)としたり。舞ふ人の中にベルナルドオありき。金絲もて飾りたる緋羅紗(らしや)の上衣、白き細袴(ズボン)、皆發育好き身形(みなり)に適(かな)ひたり。その舞の敵手(あひて)はこよひ集ひし少女の中にて、すぐれて美しき一人なるべし。纖(かぼそ)き手をベルナルドオが肩に打ち掛けて秋波を送れり。我が舞を知らざることの可悔(くやし)かりしことよ。客に相識る人少ければ、我を顧みるものなし。ベルナルドオが舞果てゝ我傍に來りしとき、我憂は忽ち散じたり。紅なる帷(とばり)の長く垂れたる背後(うしろ)にて、我等二人は「シヤムパニエ」酒の杯を傾け、別後の情を語りぬ。面白き樂の調(しらべ)は耳より入りて胸に達し、昔日の不興をば少しも殘さず打ち消しつ。われ遠慮せで猶太少女の事を語り出でしに、友は唯だ高く笑ひぬ。その胸の内なる痍(きず)は早くも愈(い)えて跡なきに至りしものなるべし。友のいはく。われはその後聲めでたき小鳥を捕へたり。この鳥我戀の病を歌ひ治(なほ)しき。これある間は、よその鳥はその飛ぶに任せんのみ。その猶太廓より飛び去りしは事實なり。人の傳ふるが信ならば、今は羅馬にさへ居らぬやうなり。友と我とは又杯を擧げたり。泡立てる酒、賑はしき樂は我等が血を湧しつ。ベルナルドオは又舞踏の群に投ぜり。我は獨り殘りたれど、心の中には前に似ぬ樂しさを覺えき。街のかたを見おろせば、貧人の兒ども簇(むらが)りて、松明(まつ)より散る火の子を眺め、手を打ちて歡び呼べり。われも昔はかゝる兒どもの夥伴(つれ)なりしに、今堂上にありて羅馬の貴族に交るやうになりたるは、いかなる神のみ惠ぞ。われは帷(とばり)の蔭に跪(ひざまづ)きて神に謝したり。

   謝肉祭

 その夜は曉近くなりて歸りぬ。二日たちて人々は羅馬を立ち給ひぬ。ハツバス・ダアダアは日ごとに我を顧みて、ことしは「アバテ」の位受くべき歳ぞと、いましめ顏にいふ。されば此頃は文よむ窓を離れずして、ベルナルドオをも外の友をも尋ぬることなかりき。週を累(かさ)ね月を積みて、試驗畢(をは)る日とはなりぬ。
 黒き衣、短き絹の外套。是れ久しく夢みし「アバテ」の服ならずや。目に觸るゝもの一つとして我を祝せざるなし。街を走る吹聽人はいふも更なり、今咲き出づる「アネモオネ」の花、高く聳ゆる松の末(うれ)より空飛ぶ雲にいたるまで、皆我を祝する如し。恰も好しフランチエスカの君は、臨時の費(つひえ)もあるべく又日ごろの勞(つかれ)をも忘れしめんとて、百「スクヂイ」の爲換(かはせ)を送り給ひぬ。我はあまりの嬉さに、西班牙(スパニア)磴(いしだん)を驅け上りて、ペツポのをぢに光ある「スクウド」一つ抛げ與へ、そのアントニオの主公(だんな)と呼ぶ聲を後(しりへ)に聞きて馳せ去りぬ。
 頃は二月の初なりき。杏花(きやうくわ)は盛に開きたり。柑子(かうじ)の木日を逐ひて黄ばめり。謝肉祭(カルネワレ)は既に戸外に來りぬ。馬に跨り天鵞絨(びろうど)の幟(のぼり)を建て、喇叭(らつぱ)を吹きて、祭の前觸(まへぶれ)する男も、ことしは我がためにかく晴々しくいでたちしかと疑はる。ことしまでは我この祭のまことの樂しさを知らざりき。穉(をさな)かりし程は、母上我に怪我せさせじとて、とある街の角に佇(たゝず)みて祭の盛(さかり)を見せ給ひしのみ。學校に入りてよりは、「パラツツオオ、デル、ドリア」の廡(ひさし)作(づく)りの平屋根より笑ひ戲るゝ群を見ることを許されしのみ。すべて街のこなたよりかなたへ行くことだに自由ならず。矧(まして)や「カピトリウム」に登り、「トラステヱエル」(河東の地なり、テヱエル河の東岸に當れる羅馬の一部を謂ふ)に渡らんこと思ひも掛けざりき。かゝれば我がことしの祭に身を委(ゆだ)ねて、兒どもの樣なる物狂ほしき振舞せしも、無理ならぬ事ならん。唯だ怪しきは此祭我生涯の境遇を一變するに至りしことなり。されどこれも我がむかし蒔きて、久しく忘れ居たりし種の、今緑なる蔓草(つるくさ)となりて、わが命の木に纏(まと)へるなるべし。
 祭は全く我心を奪ひき。朝(あした)にはポヽロの廣こうぢに出でゝ、競馬の準備(こゝろがまへ)を觀、夕にはコルソオの大道をゆきかへりて、店々の窓に曝(さら)せる假粧(けしやう)の衣類を閲(けみ)しつ。我は可笑しき振舞せんに宜(よろ)しからんとおもへば、状師(だいげんにん)の服を借りて歸りぬ。これを衣(き)て云ふべきこと爲すべきことの心にかゝりて、其夜は殆(ほとほ)と眠らざりき。
 明日(あす)の祭は特(こと)に尊きものゝ如く思はれぬ。我喜は兒童の喜に遜(ゆづ)らざりき。横街といふ横街には「コンフエツチイ」の丸(たま)賣る浮鋪(とこみせ)簷(のき)を列べて、その卓の上には美しき貨物(しろもの)を盛り上げたり。(「コンフエツチイ」の丸は石灰を豌豆(ゑんどう)[#「豌豆」は底本では「□豆」]の大さに煉りたるなり。白きと赤きと雜(まじ)りたり。中には穀物の粒を石膏泥中に轉(まろが)して作れるあり。謝肉祭の間は人々互に此丸を擲(なげう)ちて戲るゝを習とす。)コルソオの街を灑掃(さいさう)する役夫(えきふ)は夙(つと)に業を始めつ。家々の窓よりは彩氈(さいせん)を垂れたり。佛蘭西時刻の三點に我は「カピトリウム」に出でゝ祭の始を待ち居たり。(伊太利時刻は日沒を起點とす。かの「アヱ、マリア」の鐘鳴るは一時なり。これより進みて二十四時を數ふ。毎週一度日景(ひかげ)を瞻(み)て、※(とけい)[#「金+表」、44-下段-7]を進退すること四分一時。所謂佛蘭西時刻は羅馬の人常の歐羅巴時刻を指してしかいふなり。)出窓(バルコオネ)には貴き外國人(とつくにびと)多く並みゐたり。議官(セナトオレ)は紫衣を纏ひて天鵞絨(びろうど)の椅子に坐せり。法皇の禁軍(このゑ)なる瑞西(スイス)兵整列したる左翼の方には、天鵞絨の帽(ベルレツタ)を戴ける可愛らしき舍人(とねり)ども群居たり。少焉(しばし)ありて猶太(ユダヤ)宗徒の宿老(おとな)の一行進み來て、頭を露(あらは)して議官の前に跪きぬ。その眞中なるを見れば、美しき娘持てりといふ彼ハノホにぞありける。式の辭をばハノホ陳べたり。我宗徒のこの神聖なる羅馬の市の一廓に栖(す)まんことをば、今一とせ許させ給へ。歳に一たびは加特力(カトリコオ)の御寺(みてら)に詣でゝ、尊き説法を承り候はん。又昔の例(ためし)に沿ひて、羅馬人の見る前にて、コルソオを奔(はし)らんことをば、今年も免ぜられんことを願ふなり。若しこの願かなはゞ、競馬の費、これに勝ちたるものに與ふる賞、天鵞絨の幟の代(しろ)、皆法(かた)の如く辨(わきま)へ候はんといふ。議官(セナトオレ)は頷きぬ。(古例に依れば、この時議官足もておも立ちたる猶太の宿老の肩を踏むことありき。今は廢(すた)れたり。)事果つれば、議官の一列樂聲と倶(とも)に階を下り、舍人(とねり)等を隨へて、美しき車に乘り遷(うつ)れり。是を祭の始とす。「カピトリウム」の巨鐘は響き渡りて、全都の民を呼び出せり。我は急ぎ歸りて、かの状師(だいげんにん)の服に着換へ、再び街に出でしに、假裝の群は早く我を邀(むか)へて目禮す。この群は祭の間のみ王侯に同じき權利を得たる工人と見えたり。その假裝には價極めて卑(ひく)きものを揀(えら)びたれど、その特色は奪ふべからず。常の衣の上に粗□(あらたへ)の汗衫(じゆばん)を被りたるが、その衫(さん)の上に縫附けたる檸檬(リモネ)の殼(から)は大いなる鈕(ぼたん)に擬(まが)へたるなり。肩と□(くつ)とには青菜を結びつけたり。頭に戴けるは「フイノツキイ」(俗曲中にて無遠慮なる公民を代表したる役なり)の假髮(かづら)にて、目に懸けたるは柚子(みかん)の皮を刳(く)りぬきて作りし眼鏡なり。我は彼等に對(むか)ひて立ち、手に持ちたる刑法の卷を開きてさし示し、見よ、分を踰(こ)えたる衣服の奢(おごり)は國法の許さゞるところなるぞ、我が告發せん折に臍(ほぞ)を噬(か)む悔あらんと喝(かつ)したり。工人は拍手せり。我は進みてコルソオに出でたるに、こゝは早や變じて假裝舞の廣間となりたり。四方の窓より垂れたる彩氈は、唯だおほいなる欄(てすり)の如く見ゆ。家々の簷端(のきば)には、無數の椅子を並べて、善き場所はこゝぞと叫ぶ際物師(きはものし)あり。街を行く車は皆正しき往還の二列をなしたるが、これに乘れる人多くは假裝したり。中にも月桂(ラウレオ)の枝もて車輪を賁(かざ)りたるあり。そのさま四阿屋(あづまや)の行くが如し。家と車との隙間をば樂しげなる人填(うづ)めたり。窓には見物の人々充ちたり。そが間には軍服に假髭(つけひげ)したる羅馬美人ありて、街上なる知人(しるひと)に「コンフエツチイ」の丸(たま)を擲(なげう)てり。我これに向ひて、「コンフエツチイ」もて人の面を撃つは、國法の問ふところにあらねど、美しき目より火箭(ひや)を放ちて人の胸を射るは、容易ならぬ事なれば許し難しと論告せしに、喝采の聲と倶に、花の雨は我頭上に降り灑(そゝ)ぎぬ。公民の妻と覺しき婦人の際立ちて飾り衒(てら)へるあり。權夫(けんふ)(夫に代りて婦人に仕ふる者、「チチスベオ」)と覺しき男これに扈從(こじう)したり。この時我はぬけ道の前に立ちたるが、道化役(プルチネルラ)に打扮(いでた)ちたる一群戲(たはむれ)に相鬪へるがために、しばし往還の便を失ひて、かの婦人と向きあひゐたり。我は廼(すなは)ちこれに對して論じていはく。君よ。かくても誓に負(そむ)かざることを得るか。かくても羅馬の俗、加特力(カトリコオ)の教に背かざることを得るか。嗚呼、タルクヰニウス・コルラチニウスが妻なるルクレチア(辱(はづかしめ)を受けて自殺す、事は羅馬王代の末、紀元前五百九年に在り)は今安(いづく)にか在る。君は今の女子の爲すところに倣(なら)ひて、謝肉祭の間、夫を河東に遣りて、僧と倶に精進(せじみ)せしめ給ふならん。君が良人は寺院の垣の内に籠りて日夜苦行し、復た滿城の士女狂せるが如きを顧みず、其心には、あはれ我最愛の妻も家に籠りて齋戒(ものいみ)[#「齋戒」は底本では「齊戒」]するよとおもふならん。さるを君は何の心ぞ。この時に乘じて自在に翼を振ひ、權夫に引かれてコルソオをそゞろありきし給ふ。君よ。我は刑法第十六章第二十七條に依りて、君が罪を糺(たゞ)さんとす。語未だ畢らざるに、婦人は手中の扇をあげてしたゝかに我面を撃ちたり。その撃ちかたの強さより推(お)すに、我は偶□(たま/\)女の身上を占ひて善く中(あ)てたるものならん。友なる男は、アントニオ、物にや狂へると私語(さゝや)ぎて、急に婦人を拉(ひ)きつゝ、巡査(スビルロ)、希臘人、牧婦などにいでたちたる人の間を潛りて逋(のが)れ去りぬ。その聲を聞くに、ベルナルドオなりき。さるにても彼婦人は誰にかあらん。椅子を借さんとて、觀棚(さじき)々々(ルオジ、ルオジ、パトロニ)と呼ぶ聲いと喧(かまびす)し。われは思慮する遑(いとま)あらざりき。されど謝肉祭の間に思慮せんといふも、固より世に儔(たぐひ)なき好事(かうず)にやあらん。忽ち肩尖(かたさき)と靴の上とに鈴つけたる戲奴(おどけやつこ)(アレツキノ)の群ありて、我一人を中に取卷きて跳ね□りたり。忽ち又いと高き踊(つぎあし)したる状師(だいげんにん)あり。我傍を過ぐとて、我を顧みて冷笑(あざわら)ひていはく。あはれなる同業者なるかな。君が立脚點の低きことよ。おほよそ地上にへばり着きたるものは、正を邪に勝たしむること能はず。我は高く擧りたり。我に代言せしむるものは、天の祐(たすけ)を得たらん如し。かく誇りかに告げて大蹈歩(おほまた)に去りぬ。ピアツツア、コロンナに伶人の群あり。非常を戒めんと、徐(しづか)にねりゆく兵隊の間をさへ、學士(ドツトレ)、牧婦などにいでたちたるもの踊りくるひて通れり。我は再び演説を始めしに、書記の服着たる男一僕を隨へたるが我前に來て、僕(しもべ)に鐸(おほすゞ)を鳴(なら)さする其響耳を裂くばかりなれば、われ我詞を解(げ)し得ずして止みぬ。この時號砲鳴りぬ。こは車の大道を去るべき知らせなり。我は道の傍に築(きづ)きたる壇に上りぬ。脚下には人の頭波立てり。今やコルソオの競馬始らんとするなれば、兵士は人を攘(はら)はんことに力を竭(つく)せり。街の一端に近きポヽロの廣こうぢに索(つな)を引きて、馬をば其後(うしろ)に並べたり。馬は早や焦躁(いらだ)てり。脊には燃ゆる海綿を貼(は)り、耳後には小き烟火具(はなび)を裝ひ、腋(わき)には拍車ある鐵板を懸けたり。口際に引き傍(そ)ひたる壯丁(わかもの)はやうやくにして馬の逸(はや)るを制したり。號砲は再び鳴りぬ。こは埒(らち)にしたる索を落す合圖なり。馬は旋風(つむじかぜ)の如く奔(はし)りて、我前を過ぎぬ。幣(ぬさ)の如く束ねたる薄金(うすがね)はさら/\と鳴り、彩りたる紐は鬣(たてがみ)と共に飄(ひるがへ)り、蹄(ひづめ)の觸るゝ處は火花を散せり。かゝる時彼鐵板は腋を打ちて、拍車に釁(ちぬ)ると聞く。群衆は高く叫びて馬の後に從ひ走れり。そのさま艫(とも)打(う)つ波に似たり。けふの祭はこれにて終りぬ。

   歌女(うため)

 衣(きぬ)脱(ぬ)ぎ更へんとて家にかへれば、ベルナルドオ訪(とぶら)ひ來て我を待てり。われ。いかなれば茲(こゝ)には來たる。さきの婦人をばいづくにかおきし。友は指を堅(た)てゝ我を威(おど)すまねしていはく。措(お)け。我等は決鬪することを好まず。さきに邂逅(いであ)ひたるときの狂態は何事ぞ。言ふこともあるべきにかゝることをばなど言ひたる。然(さ)れどもこのたびは釋(ゆる)すべし。今宵は我と倶に芝居見に往け。「ヂド」(カルタゴ女王の名にて又樂劇(オペラ)の名となれり)を興行すといふ。音樂よの常ならず。女優の中には世に稀なる美人多し。加旃(しかのみなら)ず主人公に扮するは、嘗てナポリに在りしとき、闔府(かふふ)の民をして物に狂へる如くならしめきといふ餘所の歌女(うため)なり。その發音、その表情、その整調、みな我等の夢にだに見ざるところと聞く。容貌も亦美し、絶(はなは)だ美しと傳へらる。汝は筆を載せて從ひ來よ。若し世人の言半ば信(まこと)ならんには、汝が「ソネツトオ」の工(たくみ)を盡すも、これに贈るに堪へざらんとす。我はけふの謝肉祭に賣り盡して、今は珍しきものになりたる菫(すみれ)の花束を貯へおきつ。かの歌女もし我心に協(かな)はゞ、我はこれを贄(にへ)にせんといふ。我は共に往かんことを諾(うべな)ひぬ。すべて謝肉祭に連りたる樂(たのしみ)をば、つゆ遺(のこ)さずして嘗(こゝろ)みんと誓ひたればなり。
 今は我がために永く□(わす)るべからざる夕となりぬ。我羅馬日記(ヂアリオ、ロマノ)を披(ひら)けば、けふの二月三日の四字に重圈を施したるを見る。想ふにベルナルドオ如(も)し日記を作らば、また我筆に倣(なら)はざることを得ざるならん。そも/\「アルベルトオ」座といへるは、羅馬の都に數多き樂劇部の中にて最大なるものなり。飛行の詩神を畫ける仰塵(プラフオン)、オリユムポスの圖を寫したる幕、黄金を鏤(ちりば)めたる觀棚(さじき)など、當時は猶新なりき。棚(さじき)ごとに壁に鉤(かぎ)して燭を立てたれば、場内には光の波を湧かしたり。女客の來て座を占むるあれば、ベルナルドオ必ずその月旦を怠ることなし。
 開場の樂(ウヱルチユウル)は始りぬ。こは音を以て言に代へたる全曲の敍(じよ)と看做(みな)さるべきものなり。狂□(きやうへう)波を鞭(むちう)ちてエネエアスはリユビアの瀲(なぎさ)に漂へり。風波に駭(おどろ)きし叫號の聲は神に謝する祈祷の歌となり、この歌又變じて歡呼となる。忽ち柔なる笛の音起れり。是れヂドが戀の始なるべし。戀といふものは我が未だ知らざるところなれど、この笛の音は、我に髣髴(はうふつ)としてその面影を認めしめたり。忽ち角聲獵(かり)を報ず。暴風又起れり。樂聲は我を引いて怪しき巖室(いはむろ)の中に入りぬ。是れ温柔郷なり。一呼一吸戀にあらざることなし。忽ち裂帛(れつぱく)の聲あり。幕は開きたり。
 エネエアスは去らんとす。去りてアスカニウス(エネエアスの子)がために、ヘスペリヤ(晩國の義、伊太利)を略せんとす。去りてヂドを棄てんとす。憐むべしヂドはおのれが榮譽と平和とを捧げて、これを無情の人におくり、その夢猶未だ醒めざるなり。エネエアスが歌にいはく。その夢は早晩(いつか)醒むべし。トロアスの兵(つはもの)黒き蟻の群の如く獲(えもの)を載せて岸に達せば、その夢いかでか醒めざることを得ん。
 ヂドは舞臺に上りぬ。その始めて現はるゝや、萬客屏息(へいそく)してこれを仰ぎ瞻(み)たり。その態度、その嚴(おごそか)なること王者の如くにして、しかも輕(かろ)らかに優しき態度には、人も我も徑(たゞち)に心を奪はれぬ。初めわれこのヂドといふ役を我心に畫きしときは、その姿いたく今見るところに殊(こと)なりしかど、この歌女の意外なる態度はすこしも我興を損ふことなかりき。その優しく愛らしく、些(ちと)の塵滓(じんし)を留めざる美しさは、名匠ラフアエロが空想中の女子の如し。烏木(こくたん)の光ある髮は、美しく凸(なかだか)なる額を圍めり。深黒なる瞳には、名状すべからざる表情の力あり。忽ち喝采の聲は柱を撼(ゆるが)さんとせり。こは未だその藝を讚むるならずして、先づ其色を稱ふるなり。所以者何(ゆゑいかに)といふに、彼は今纔(わづか)に場(ぢやう)に上りて、未だ隻音(せきおん)をも發せざればなり。彼は面(おもて)に紅を潮して輕く會釋し、その天然の美音もて、百錬千磨したる抑揚をその宣敍調(レチタチイヲオ)の上にあらはしつ。
 友は遽(にはか)に我臂(ひぢ)を把(と)りて、人にも聞ゆべき程なる聲していはく。アントニオよ。あれこそ例の少女なれ、飛び去りたる例の鳥なれ、その姿をば忘るべくもあらず。その聲さへ昔のまゝなり、われ心狂ひたるにあらずば、わがこの目利(めきゝ)は違ふことなし。われ。例のとは誰が事ぞ。友。猶太廓(ゲツトオ)の少女なり。されど彼の少女いかにしてこの歌女とはなりし。不思議なり。有りとしも思はれぬ事なり。友は再び眼を舞臺に注ぎて詞なし。ヂドは戀の歡を歌へり。清き情は聲となりて肺腑より迸(ほとばし)り出づ。是時(このとき)に當りて、我心は怪しく動きぬ。久しく心の奧に埋もれたりし記念は、此聲に喚(よ)び醒(さま)されんとする如し。この記念は我が全く忘れたるものなりき。この記念は近頃夢にだに入らざるものなりき。さるを忽ちにして我はその目前に現るゝを覺えき。今は我も亦ベルナルドオと倶に呼ばんとす。あれこそ例の少女なれ。われ穉(をさな)かりし時、「サンタ、マリア、アラチエリ」の寺にて聖誕日の説教をなしき。その時聲めでたき女兒ありて、その人に讚めらるゝこと我右に出でき。今聞くところは其聲なり。今見るところ或は其人にはあらずや。
 エネエアスは無情なる語を出せり。我は去りなん。我は嘗ておん身を娶(めと)りしことなし。誰かおん身が婚儀の松明(まつ)を見しものぞ。この詞を聞きたるときの心をば、ヂドいかに巧にその眉目の間に畫き出しゝ。事の意外に出でたる驚、ことばに現すべからざる痛、負心(ふしん)の人に對する忿(いかり)、皆明かに觀る人の心に印せられき。ヂドは今主(おも)なる單吟(アリア)に入りぬ。譬へば千尋(ちひろ)の海底に波起りて、倒(さかしま)に雲霄(うんせう)を干(をか)さんとする如し。我筆いかでか此聲を畫くに足らん。あはれ此聲、人の胸より出づとは思はれず。姑(しばら)く形あるものに喩(たと)へて言はんか。大いなる鵠(くゞひ)の、皎潔(けうけつ)雪の如くなるが、上りては雲を裂いて□氣(かうき)たゞよふわたりに入り、下りては波を破りて蛟龍(かうりよう)の居るところに沒し、その性命は聲に化して身を出で去らんとす。
 喝采の聲は屋(いへ)を撼(うごか)せり。幕下りて後も、アヌンチヤタ、アヌンチヤタと呼ぶ聲止まねば、歌女は面(おもて)を幕の外にあらはして、謝することあまたゝびなりき。
 第二齣(せつ)の妙は初齣を踰(こ)ゆること一等なりき。これヂドとエネエアスとの對歌(ヅエツトオ)なり。ヂドは無情なる夫のせめては啓行(いでたち)の日を緩(おそ)うせんことを願へり。君が爲めにはわれリユビアの種族を辱(はづかし)めき。君がためにはわれ亞弗利加(アフリカ)の侯伯に負(そむ)きぬ。君がために恥を忘れ、君がために操を破りたるわれは、トロアスに向けて一隻(せき)の舟をだに出さゞりき。我はアンヒイゼス(エネエアスの父)が靈の地下に安からんことを勉めき。これを聞きて我涙は千行(ちすぢ)に下りぬ。この時萬客聲を呑みてその感の我に同じきを證したり。
 エネエアスは行きぬ。ヂドは色を喪(うしな)ひて凝立すること少(しば)らくなりき。その状(さま)ニオベ(子を射殺されて石に化した女神)の如し。俄(にはか)にして渾身の血は湧き立てり。これ最早ヂドならず、戀人なるヂド、棄婦(きふ)なるヂドならず。彼は生(いき)ながら怨靈(をんりやう)となれり。その美しき面は毒を吐けり。その表情の力の大いなる、今まで共に嘆きし萬客をして忽(たちまち)又共に怒らしむ。フイレンツエの博物館に、レオナルドオ・ダ・ヰンチが畫きたるメヅウザ(おそろしき女神)の頭あり。これを觀るもの怖るれども去ること能はず。大海の底に毒泡あり。能くアフロヂテを作りぬ。その目の状(さま)は言ふことを須(ま)たず、その口の形さへ、能く人を殺さんとす。
 エネエアスが舟は波を蹴て遠ざかりゆけり。ヂドは夫の遺(わす)れたる武器を取りて立てり。その歌は沈みてその聲は重く、忽ちにして又激越悲壯なり。同胞(はらから)なるアンナアが彼を焚かんとて積み累(かさ)ねたる薪は今燃え上れり。幕は下りぬ。喝采の聲は暴風の如くなりき。歌女はその色と聲とを以て滿場の客を狂せしめたるなり。觀棚(さじき)よりも土間よりも、アヌンチヤタ、アヌンチヤタと呼ぶ聲頻(しきり)なり。幕上りて歌女出でたり。その羞(はじらひ)を含める姿は故(もと)の如くなりき。男は其名を呼び、女は紛※(てふき)[#「巾+兌」、47-下段-24]を振りたり。花束の雨はその頭(かうべ)の上に降れり。幕再び下りしに、呼ぶ聲いよ/\劇(はげ)しかりき。こたびはエネエアスに扮せし男優と並びて出でたり。幕三たび下りしに、呼ぶ聲いよ/\劇しかりき。こたびはすべての俳優を伴ひ出でぬ。幕四たび下りしに、呼ぶ聲猶劇しかりき。こたびはアヌンチヤタ又ひとり出でて短き謝辭を陳(の)べたり。此時我詩は花束と共に歌女が足の下に飛べり。呼ぶ聲は未だ遏(や)まねど、幕は復た開かず。この時アヌンチヤタは幕の一邊より出でゝ、舞臺の前のはづれなる燭に沿ひて歩みつゝ觀客に謝したり。その面には喜の色溢るゝごとくなりき。想ふにけふは歌女が生涯にて最も嬉しき日なりしならん。されどこは特(ひと)り歌女が上にはあらず。我も亦わが生涯の最も嬉しき日を求めば、そは或はけふならんと覺えき。わが目の中にも、わが心の底にも、たゞアヌンチヤタあるのみなりき。觀客は劇場を出でたり。されど皆未だ肯(あへ)て散ぜず。こは樂屋の口に□りゆきて、歌女が車に上るを見んとするなるべし。我も衆人(もろひと)の間に介(はさ)まりて、おなじ方(かた)に歩みぬれど、後には傍へなる石垣に押し付けられて動くこと能はず。歌女は樂屋口に出でぬ。客は皆帽を脱ぎてその名を唱へたり。われもこれに聲を合せつゝ、言ふべからざる感の我胸に滿つるを覺えき。ベルナルドオはもろ人を押し分けて進み、早くも車に近寄りて、歌女がためにその扉を開きぬ。少年の群は轅(ながえ)にすがりて馬を脱(はづ)したり。こは自ら車を輓(ひ)かんとてなりき。アヌンチヤタは聲を顫(ふるは)せてこれを制せんとしつれど、その聲は萬人のその名を呼べるに打ち消されぬ。ベルナルドオは歌女を車に載せ、おのれは踏板に上りて説き慰めたり。我も轅(ながえ)を握りてかの少年の群と共に喜びぬ。惜むらくは時早く過ぎて、たゞ美しかりし夢の痕を我心の中に留めしのみ。
 歸路に珈琲(コーヒー)店に立寄りしに、幸にベルナルドオに逢ひぬ。羨むべき友なるかな。彼はアヌンチヤタに近づき、アヌンチヤタともの語せり。友のいはく。アントニオよ。奈何(いか)なりしぞ。汝が心は動かずや。若し骨焦がれ髓(ずゐ)燃えずば、汝は男子にあらじ。さきの年我が彼に近づかんとせしとき、汝は實に我を妨げたり。汝は何故にヘブライオス語を學ぶことを辭(いな)みしか。若し辭まずば、かゝる女と並び坐することを得しならん。汝は猶アヌンチヤタの我猶太(ユダヤ)少女なることを疑ふにや。我にはかく迄似たる女の世にあらんとは信ぜられず。アヌンチヤタはたしかに猶太をとめなり。我にチプリイの酒を飮せし少女なり。少女は巣を立ちし「フヨニツクス」鳥の如く、かの穢(けがら)はしき猶太廓を出でつるなり。われ。そは信じ難き事なり。我も昔一たびかの女を見きと覺ゆ。若し其人ならば、猶太教徒にあらずして加特力教徒なること疑なし。汝も熟々(つく/″\)彼姿を見しならん。不幸なる猶太教徒の皆負へるカイン(亞當(アダム)の子)が印記(しるし)は、一つとしてその面に呈(あらは)れたるを見ざりき。又その詞さへその聲さへ、猶太の民にあるまじきものなり。ベルナルドオよ。我心はアヌンチヤタが妙音世界に遊びて、ほと/\歸ることを忘れたり。汝は彼少女に近づきたり。汝は彼少女ともの語せり。彼少女は何をか云ひし。彼少女も我等と同じくこよひの幸(さいはひ)を覺えたりしか。友。アントニオよ。汝が感動せるさまこそ珍らしけれ。「ジエスヰタ」の學校にて結びし氷今融くるなるべし。アヌンチヤタが何を云ひしと問ふか。彼少女は粗暴なる少年に車を挽(ひ)かれて、且(かつ)は懼(おそ)れ且は喜びたりき。彼少女は面紗(めんさ)を緊(きび)しく引締めて、身をば車の片隅に寄せ居たり。我は途すがらかゝる美しき少女に言ふべきことの限を言ひしかど、彼は車を下るとき我がさし伸べたる手にだに觸れざりき。われ。汝が大膽なることよ。汝は歌女と相識れるにあらずして、よくもさまで馴々しくはもてなしゝよ。こは我が決して敢てせざる所ぞ。友。我もさこそ思へ。汝は世の中を知らず、又女の上を知らねばなり。今日はかの女いまだ我に答へざりしかど、我には猶多少の利益あり。そは少女が我面を認めたることなり。我友はこれより我にさきの詩を誦(ず)せしめて聞き、頗妙なり、羅馬日記(ヂアリオ、ロオマ)に刻するに足ると稱へき。我等二人は杯を擧げてアヌンチヤタが壽(ことほぎ)をなしたり。我等のめぐりなる客も皆歌女の上を語りて口々に之を讚め居たり。
 我がベルナルドオに別れて家に歸りしは、夜ふけて後なりき。床に上りしかど、いも寐られず。われはこよひ見し阿百拉(オペラ)の全曲を繰り返して心頭に畫き出せり。ヂドが初めて場に上りし時、單吟(アリア)に入りし時、對歌(ヅエツトオ)せし時より、曲終りし時まで、一々肝に銘じて、其間の一節だに忘れざりき。我は手を被中(ひちゆう)より伸べて拍(う)ち鳴らし、聲を放ちてアヌンチヤタと呼びぬ。次に思ひ出したるは我が心血を濺(そゝ)ぎたる詩なり。起きなほりてこれを寫し、寫し畢(をは)りてこれを讀み、讀みては自ら其妙を稱(たゝ)へき。當時はわれ此詩のやゝ情熱に過ぐるを覺えしのみにて、その名作たることをば疑はざりき。アヌンチヤタは必ず我詩を拾ひしならん。今は彼少女家に歸りて半ば衣を脱ぎ、絹の長椅(ソフア)の上に坐し、手もて頤(おとがひ)を支へて、ひとり我詩を讀むならん。
きみが姿を仰ぎみて、君がみ聲を聞くときは、おほそら高くあま翔(かけ)り、わたつみふかくかづきいり、かぎりある身のかぎりなき、うき世にあそぶこゝちして、うた人なりしいにしへのダヌテがふみをさながらに、おとにうつしてこよひこそ、聞くとは思へ、うため(歌女)の君に。
我は嘗てダンテの詩をもて天下に比(たぐひ)なきものとなしき。さるを今アヌンチヤタが藝を見るに及びて、その我心に入ること神曲よりも深く、その我胸に迫ること神曲よりも切なるを覺えたり。その愛を歌ひ、苦を歌ひ、狂を歌ふを聞けば、神曲の變化も亦こゝに備はれり。アヌンチヤタ我詩を讀まば、必ず我意を解して、我を知らんことを願ふならん。斯く思ひつゞけて、やう/\にして眠に就きぬ。後に思へば、我は此夕我詩を評せしにはあらで、始終詩中の人をのみ思ひたりしなり。

   をかしき樂劇

 翌日になりて、ベルナルドオを尋ね求むるに、何處にもあらざりき。ピアツツア、コロンナをばあまたゝび過ぎぬ。アントニウスの像を見んとてにはあらず。アヌンチヤタの影を見る幸もあらんかとてなり。彼君はこゝに住へり。外國人にして共に居るものもあり。いかなる月日の下に生れあひたる人にか。「ピアノ」の響する儘に耳聳(そばだ)つれど、彼君の歌は聞えず。二聲三聲試みる樣なるは、低き「バツソオ」の音なり。樂長ならずば彼群の男の一人なるべし。幸ある人々よ。殊に羨ましきはエネエアスの役勤めたる男なるべし。かの君と目を見あはせ、かの君の燃ゆる如き目(ま)なざしに我面を見させ、かの君と共に國々を經めぐりて、その譽を分たんとは。かく思ひつゞくる程に、我心は怏々(あう/\)として樂まずなりぬ。忽ち鈴つけたる帽を被れる戲奴(おどけやつこ)、道化役者、魔法つかひなどに打扮(いでた)ちたる男あまた我圍(めぐり)を跳(をど)り狂へり。けふも謝肉の祭日にて、はや其時刻にさへなりぬるを、われは心づかでありしなり。かゝる群の華かなる粧(よそほひ)、その物騷がしき聲々はます/\我心地を損じたり。車幾輛か我前を過ぐ。その御者(ぎよしや)はこと/″\く女裝せり。忌はしき行裝かな。女帽子の下より露(あらは)れたる黒髯(くろひげ)、あら/\しき身振、皆程を過ぎて醜し。我はきのふの如く此間に立ちて快を取ること能はず。今しも最後の眸を彼君の居給ふ家に注ぎて、はや踵(くびす)を囘(めぐら)さんとしたるとき、その家の門口より馳せ出る人こそあれ。こはベルナルドオなり。滿面に打笑みて。そこに立ち盡すは何事ぞ。疾(と)く來よ。アヌンチヤタに引きあはせ得さすべし。彼君は汝を待ち受けたり。こは我友誼(いうぎ)なれば。なに彼君が。と我は言ひさして、血は耳廓(みゝのは)に昇りぬ。戲(たはむれ)すな。我をいづくにか伴ひゆかんとする。友。汝が詩を贈りし人の許へ、汝も我も世の人も皆魂を奪れたる彼人の許へ、アヌンチヤタの許へ。かく云ひつゝ、友は我手を取りて門の内へ引き入れたり。我。先づわれに語れ。いかにして彼君の家に往くことゝはなしたる。いかにして我を紹介するやうにはなりし。友。そは後にゆるやかにこそ物語らめ。先づその沈みたる顏色をなほさずや。我。されどこのなよびたる衣をいかにせん。かの君にあまりに無作法なりとや思はれん。かく言ひつゝ我は衣など引き繕(つくろ)ひてためらひ居たり。友。否々その衣のままにて結構なり。兎角いひ爭ふほどに我等ははや戸の前に來ぬ。戸は開けり。我はアヌンチヤタが前に立てり。
 衣は黒の絹なり。半紅半碧の紗(しや)は肩より胸に垂れたり。黒髮を束ねたる紐の飾は珍らしき古代の寶石なるべし。傍に、窓の方に寄りて坐りたるは、暗褐色の粗服したる媼(おうな)なり。彼君の目の色、顏の形は猶太少女といはんも理(ことわり)なきにあらずと思はる。我友がむかし猶太廓(ゲツトオ)にて見きといふ少女の事は、忽ち胸に浮びぬ。されど我心に問へば、この人その少女ならんとは思はれず。室の内には、尚一人の男居あはせたるが、わが入り來るを見て立ちあがれり。アヌンチヤタも亦起ちて笑みつゝ我を迎へたり。友はわざとらしき聲音(こわね)にて。これこそ我友なる大詩人に候へ。名をばアントニオといひ、ボルゲエゼの族(うから)の寵兒なり。主人の姫は我に向ひて。許し給へ。おん目にかゝらんことは、寔(まこと)に喜ばしき限なれど、かく強ひて迎へまつらんこと本意(ほい)なく、二たび三たび止めしに、ベルナルドオの君聽かれねば是非なし。さきにはめでたき歌を賜(たま)はりぬ。その作者は君なること、おん友達より承りて、いかでおん目にかゝらんと願ひ居りしに、窓より君を見付けて、わが詞を聞かで呼び入れ給ひぬ。禮なしとや思ひ給ひけん。されどおん友達の上は、我より君こそよく知りておはすらめ。ベルナルドオは戲もて姫がこの詞に答へ、我は僅にはじめて相見る喜を述べたり。我頬は燃ゆる如くなりき。姫のさし伸べたる手を握りて、我は熱き唇に當てたり。姫は室にありし男を我に引き合せつ。すなはちこの群の樂長なりき。又媼は姫のやしなひ親なりといふ。その友と我とを見る目(ま)なざしは廉(かど)ある如く覺えらるれど、姫が待遇(もてなし)のよきに、我等が興は損(そこな)はるゝに至らざりき。
 樂長は我詩を讚めて、われと握手し、かゝる技倆ある人のいかなれば樂劇(オペラ)を作らざる、早くおもひ立ちて、その初の一曲をば、おのれに節附せさせよと勸めたり。姫その詞を遮(さへぎ)りて。彼が言を聞き給ふな。君にいかなる憂き目をか見せんとする。樂人は作者の苦心をおもはず、聽衆はまた樂人よりも冷淡なるものなり。こよひの出物(でもの)なる樂劇の本讀(ラ、プルオバ、ヅン、オペラ、セリア)といふ曲はかゝる作者の迷惑を書きたるものなるが、まことは猶一層の苦界(くがい)なるべし。樂長の答へんとするに口を開かせず、姫は我前に立ちて語を繼ぎたり。君こゝろみに一曲を作りて、全幅の精神をめでたき詞に注ぎ、局面の體裁人物の性質、いづれも心を籠めてその趣を盡し、扨(さて)これを樂人の手に授け給へ。樂人はこゝにかゝる聲を□まんとす。君が字句はそのために削らるべし。かしこには笛と鼓とを交へむとす。君はこれにつれて舞はしめられん。さておもなる女優は來りて、引込の前に歌ふべき單吟(アリア)の華かなるを一つ作り添へ給はでは、この曲を歌はじといふべし。全篇の布置は善きか惡きか。そは俳優の責にあらず。「テノオレ」うたひの男も、これに讓らぬ我儘をいはむ。君は男女の役者々々を訪ひて項(うなじ)を曲げ色を令(よ)くし、そのおもひ付く限の注文を聞きてこれに應ぜざるべからず。次に來るは座がしらなり。その批評、その指□、その刪除(さんじよ)に逢ふときは、その人いかに愚ならんも、枉(ま)げてこれに從はでは協(かな)はず。道具かたはそれの道具を調へんは、我座の力の及ぶところにあらずといふ。かゝる場合に原作を改むることを、芝居にては曲を曲(ま)ぐといふ。畫工は某(それ)の畑、某の井、其の積み上げたる芻秣(まぐさ)をばえ寫さじといふ。これがためにさへ曲ぐべき詞も出來たるべし。最後におもなる女優又來りて、それの詞の韻脚は囀(さへづ)りにくし、あの韻をば是非とも阿(あ)のこゑにして賜はれといふ。これがためにいかなる重みある詞を削(けづ)り給はんも、又いづくより阿のこゑの韻脚を取り給はんも、そは唯だ君が責に歸せん。かくあまたゝび改めて、ほと/\元の姿を失ひたる曲を革(かは)に掛けたるとき、看客のうけあしきを見て、樂長はかならず怒りて云はむ。拙劣なる詩のために、いたづらなる骨折せしことよ。わが譜の翼を借したれども、癡重(ちちよう)なるかの曲はつひに地に墜ちたりと云はむ。
 外よりは樂の聲おもしろげに聞えたり。假面着けたる人はこゝの街にもかしこの辻にもみち/\たり。たちまち拍手の音と共に聞ゆる喝采の響いとかしましきに、一座の人々みな窓よりさし覗きぬ。いまわれ意中の人の傍にありて見れば、さきに厭はしと見つるとは樣かはりて、けふの祭のにぎはひ又面白く、我はふたゝびきのふ衆人に立ち廁(まじ)りて遊びたはぶれし折に劣らぬ興を覺えき。
 道化役者にいでたちたるもの五十人あまり。われ等のさし覗ける窓の下につどひ來て、おのれ等が中より一人の王を選擧せんとす。これに中(あた)りたるものは、彩(いろど)りたる旗、桂の枝の環飾(わかざり)、檸檬(リモネ)の實の皮などを懸けたる小車に乘り遷(うつ)りぬ。その旗のをかしく風に翻(ひるがへ)るさま、衣の紐などの如く見えき。王の着座するや、其頭には金色に塗りて更にまた彩りたる鷄卵を並べて作れる笠を冠として戴かせ、其手には「マケロニ(麪(めん)類の名)つけたる大いなる玩具(もてあそび)の柄つきの鈴を笏(こつ)として持たせたり。さて人々その車のめぐりを踊りめぐれば、王はいづかたへも向ひて頷(うなづ)きたり。やゝありて人々は自ら車の綱取りて挽(ひ)き出せり。この時王は窓にアヌンチヤタあるを見つけ、親しげに目禮し、車の動きはじむると共に聲を揚げ。きのふは汝、けふは我。羅馬の牧のまことの若駒を轅(ながえ)に繋ぐ快さよ、とぞ叫びける。姫は面をさと赤めて一足退きしが、忽ち心を取直したる如く、又手を欄(おばしま)にかけて、聲高く。我にも汝にも過分なる事ぞ。かりそめにな思ひそといふ。群集も亦きのふの歌女を見つけたりけるが、今その王との問答を聞きて、喝采の聲しばしは鳴りも止まず、雨の如き花束は樓の上なる窓に向ひて飛びぬ。その花束の一つ、姫が肩に觸れて我前に落ちたれば、我はそを拾ひて胸におしつけ、何物にも換へがたき寶ぞと藏(をさ)めおきぬ。
 ベルナルドオは祭の王のよしなき戲を無禮(なめ)しといきどほり、そのまゝ樓を走り降りて筈(むちう)ち懲らさばやといひしを、樂長は餘(よ)のひと/″\と共になだめ止むるほどに、「テノオレ」うたひの頭なる男おとづれ來ぬ。その男は歌女に初對面なりといふ「アバテ」一人と外國うまれの樂人一人とを伴へり。續いて外國の藝人あまた打連れ來りて對面を請ひぬ。これにて一間に集ひし客の數俄に殖えたれば、物語さへいと調子づきて、さきの夕「アルジエンチナ」座にて興行したる可笑(をかし)き假粧舞(フエスチノ)の事、詩女(ムウザ)の導者たるアポルロン、古代の力士、圓鐵板(ヂスコス)投ぐる男の像等に肖(に)せたる假面の事など、次を逐(お)ひて談柄となりぬ。獨りかの猶太種と覺しき老女のみはこの賑しき物語に與(あづか)らで、をり/\姫がことさらに物言掛けたる時、僅に輕く頷くのみなりき。この時姫の態度に心をつくるに、きのふ芝居にて思ひしとは、甚しき相違あり。その家にありてのさまは、世を面白く渡りて、物に拘(こだは)ることなき尋常の少女なり。されどわが姫を悦ぶ心はこれがために毫(すこ)しも減ぜず。この穉(をさな)き振舞は却(かへ)りてあやしく我心に協(かな)ひき。姫は譯もなき戲言(ざれごと)をも、面白くいひ出でゝ、我をも人をも興ぜさせ居たりしが、俄にこゝろ付きたるやうに※(とけい)[#「金+表」、51-中段-7]を見て、はや化粧すべき時こそ來ぬれ、今宵は樂劇の本讀(ラ、プルオバ、ヅン、オペラ、セリア)のうちなる役に中(あた)り居ればとて座を起ち、側なる小房のうちに入りぬ。
 門を出でたるとき。われ。汝が惠によりてゆくりなき幸に逢ひしことよ。舞臺なるを見し面白さに讓らぬ面白さなりき。さはれ汝はいかにして彼君とかく迄親くはなりし。又いかにして我をさへ紹介しつる。我は猶さきよりの事を夢かと疑はんとす。友。わが少女の許を訪れしは、別にめづらしき機會を得しにあらず。羅馬貴族の一人、法皇禁軍(このゑ)の一將校、すべての美しきものを敬する人のひとりとして、姫をば見舞つるなり。若し又戀といふものゝ上より云はゞ、この理由の半ばをだに須(もち)ゐざるならん。されば我が姫を訪ひて、汝も前(さき)に見つる如き紹介なき客に劣らぬ、善き待遇を得しこと、復た怪むに足らざるべし。且(また)戀はいつも我交際の技倆を進む。彼と相對するときは、倦怠せしめざる程の事我掌中に在り。相見てよりまだ半時間を經ざるに、我等は頗(すこぶ)る相識ることを得き。さてかくは汝をさへ引合せつるなり。我。さては汝彼君を愛すといふか。眞心もて愛すといふか。友。然り、今は昔にもまして愛するやうになりぬ。さきに猶太廓にて我に酒を勸めし少女の、今のアヌンチヤタなることは、最早疑ふべからず。わが始て居向ひしとき、姫は分明(ぶんみやう)に我を認むるさまなりき。かの老いたる猶太婦人の詞すくなく、韈(くつした)編めるも、わがためには一人の證人なり。されどアヌンチヤタは生れながらの猶太婦人にあらず。初め我がしかおもひしは、其髮の黒く、其瞳の暗きと其境界とのために惑はされしのみ。今思へば姫は矢張(やはり)基督教の民なり。終には樂土に生るべき人なり。
 この夕ベルナルドオと芝居にて逢ふことを約しき。されど餘りの大入なれば、我はつひに吾友を見出すこと能はざりき。我は辛く一席を購(あがな)ふことを得き。いづれの棧敷(さじき)にも客滿ちて、暑さは人を壓するやうなり。演劇はまだ始まらぬに、我身は熱せり。きのふけふの事、わがためには渾(すべ)て夢の如くなりき。かゝる折に逢ひて、我心を鎭めんとするに、最も不恰好なるは、蓋(けだ)し今宵の一曲なりしならん。世に知れわたりたる如く、樂劇の本讀といふは、極めて放肆(はうし)なる空想の産物なり。全篇を貫ける脈絡あるにあらず。詩人も樂人も、只管(ひたすら)觀客をして絶倒せしめ、兼ねて許多(あまた)の俳優に喝采を博する機會を與へんことを勉めたるなり。主人公は我儘にして動き易き性なる男女二人にして、これを主なる歌女及譜を作る樂人とす。絶間なき可笑しさは、盡る期なき滑稽の葛藤を惹起せり。主人公の外なる人物には人のおのれを取扱ふこと一種の毒藥の如くならんことを望める俳優をのみ多く作り設けたり。かくいふをいかなる意ぞといふに、そは能く人を殺し又能く人を活す者ぞとなり。此群に雜(まじ)れる憐むべき詩人は、始終人に制せられ役せられて、譬へば猶犧牲となるべき價なき小羊のごとくなり。
 喝采の聲と花束の閃(ひらめき)は場(ぢやう)に上りたるアヌンチヤタを迎へき。その我儘にて興ある振舞、何事にも頓着せずして面白げなる擧動を見て、人々は高等なる技(わざ)といへど、我はそを天賦の性(さが)とおもひぬ。いかにといふに、姫が家にありてのさまはこれと殊なるを見ざればなり。その歌は數千の銀(しろかね)の鈴齊(ひとし)く鳴りて、柔なる調子の變化極(きはまり)なきが如く、これを聞くもの皆頭を擧げて、姫が目より漲(みなぎ)り出づる喜をおのが胸に吸ひたり。姫と作譜者と對して歌ふとき相代りて姫男の聲になり、男姫の聲になる條(くだり)あり。この常に異なる技は、聽衆の大喝采を受けたるが、就中(なかんづく)姫が最低の「アルトオ」の聲を發し畢(をは)りて、最高の「ソプラノ」の聲に移りしときは、人皆物に狂へる如くなりき。姫が輕く艷なる舞は、エトルリアの瓶(へい)の面なる舞者(まひこ)に似て、その一擧一動一として畫工彫工の好粉本ならぬはなかりき。われはこのすべての技藝を見て姫の天性の發露せるに外ならじとおもひき。アヌンチヤタがヂドは妙藝なり、その歌女は美質なり。曲中には間(まゝ)何の縁故もなき曲より取りたる、可笑しき節々を□(はさ)みたるが、姫が滑稽なる歌ひざまは、その自然ならぬをも自然ならしめき。姫はこれを以て自ら遣り又人に戲るゝ如くなりき。大團圓近づきたるとき、作譜者、これにて好し、場びらきの樂を始めんとて、舞臺の前なるまことの樂人の群に譜を頒(わか)てば、姫もこれに手傳ひたり。樂長のいざとて杖を擧ぐると共に、耳を裂くやうなる怪しき雜音起りぬ。作譜者と姫と、旨(うま)し/\と叫びて掌を拍(う)てば、觀客も亦これに和したり。笑聲は殆ど樂聲を覆へり。我は半ば病めるが如き苦悶を覺えき。姫の姿は驕兒(けうじ)の恣(ほしい)まゝに戲れ狂ふ如く、その聲は古(いにしへ)の希臘の祭に出できといふ狂女の歌ふに似たり。されどその放縱の間にも猶やさしく愛らしきところを存せり。我はこれを見聞きて、ギドオ・レニイ(伊太利畫工)が仰塵畫(てんじやうゑ)の朝陽(あさひ)と題せるを想出しぬ。その日輪の車を繞(めぐ)りて踊れる女のうちベアトリチエ・チエンチイ(羅馬に刑死せし女の名)の少(わか)かりしときの像に似たるありしが、その面影は今のアヌンチヤタなりき。我もし彫工にして、この姿を刻みなば、世の人これに題して清淨なる歡喜となしたるなるべし。あら/\しき雜音は愈□高く、作譜者と姫とは之に連れて歌ひたるが、忽ち旨し/\、場びらきの樂は畢りぬ、いざ幕を開けよといふとき幕閉づ。これを此曲の結局とす。姫はこよひもあまたゝび呼び出されぬ。花束、緑の環飾、詩を寫したるむすび文、彩りたる紐は姫が前に翻(ひるがへ)りぬ。

   即興詩の作りぞめ

 この夕我と同じ年頃なる人々にて、中には我を知れるものも幾人か雜りたるが、アヌンチヤタが家の窓の下に往きて絃歌を催さむといふ。我は崇拜の念止み難き故をもて、膽(きも)太くもまたこの群に加りぬ。唱歌といふものをば止めてより早や年ひさしくなりたるにも拘らで。
 姫が歸りてより一時間の後なりき。一群はピアツツア、コロンナに至りぬ。出窓の内よりは猶燈の光さしたり。樂器執りたる人々は窓の前に列びぬ。我心は激動せり。我聲は臆することなく人々の聲にまじりたり。歌の一節をば、われ一人にて唱へき。この時我は唯だアヌンチヤタが上をのみ思ひて、すべての世の中を忘れ果てたり。さて深く息して聲を出すに、その力、その柔(やはらか)さ、能くかく迄に至らんとは、みづからも初より思ひかけざる程なりき。火伴(つれ)のものは覺えず微(かすか)なる聲にて喝采す。その聲は微なりと雖、猶我耳に入りて、我はおのが聲の能く調へるに心付きたり。喜は我胸に滿ちたり。神は我身に舍(やど)り給へり。アヌンチヤタが出窓よりさし覗きて、身を屈し禮をなしたるときは、その禮を受くるもの殆ど我一人なる如くおもはれき。我は我聲の一群を左右する力ありて、譬へば靈魂の肢體を役するが如くなるを覺えき。事果てて後家に歸りしが、身は唯だ夢中に起ちてさまよひありく、怪しき病ある人の如くにして、その夜枕に就きての夢には始終アヌンチヤタが我歌を喜べるさまをのみ見き。
 翌日姫をおとづれぬ。ベルナルドオ、昨夜の火伴(つれ)の二人三人は我に先だちて座にありき。姫のいはく。きのふ絃歌の中にて「テノオレ」の聲のいと善きを聞きつといふ。我面はこの詞と共に火の如くなりぬ。それこそアントニオなれと告ぐるものあり。姫は直ちに我を引きて「ピアノ」の前に往き、倶(とも)に歌へと勸む。我は法廷に立てるが如き心地して、再三辭(いな)みたるに、人々側より促して止まず、又ベルナルドオは聲を勵まして、さては汝切角の姫の聲をさへ我等に聞せざらんとするかと責めたり。姫に手を拉(ひ)かれたる我は、捕(とらへ)られし小鳥に殊ならず。縱(たと)ひ羽ばたきすとも、歌はでは叶はず。姫の歌はんといふは、わが知れる雙吟(ヅエツトオ)なり。姫は「ピアノ」に指を下して、先づ聲を擧げ、我は震ひつゝもこれに和したり。この時姫の目なざしは、我に膽々(たん/\)とさゝやきて、我をその妙音界に迎ふる如くなりき。わが怯(おそれ)は已みて、我聲は朗になりぬ。一座は喝采を吝(おし)まず、かの猶太おうなさへやさしげに頷きぬ。
 このときベルナルドオは汝はいつも人の意表に出づる男ぞとつぶやきて、さて衆人に向ひ、吾友には猶かくし藝こそあれ、そは即興の詩を作ることなり、作らせて聞き給はずやといひき。喝采に醉ひたる我は、アヌンチヤタが一言の囑(たのみ)を待ちて、大膽にも即興の詩を歌はんとせり。この技は人と成りての後未だ試みざるものなるを。我は姫の「キタルラ」を把(と)りぬ。姫は直に不死不滅といふ題を命ぜり。材には豐なる題なりき。しばしうち案じて、絃を撥(はじ)くこと二たび三たび、やがて歌は我肺腑より流れ出でたり。詩神は蒼茫たる地中海を渡り、希臘(ギリシア)の緑なる山谷の間にいたりぬ。雅典(アテエン)は荒草斷碑の中にあり。こゝに野生の無花果樹(いちじゆく)の摧(くだ)け殘りたる石柱を掩(おほ)へるあり。この間には鬼の欷歔(ききよ)するを聞く。むかしペリクレエスの世には、この石柱の負へる穹窿の下に、笑ひさゞめく希臘の民往來したりき。そは美の祭を執(と)り行へるなり。ライス(名娼の名)の如く美しき婦人は環飾を取りて市に舞ひ、詩人は善と美との不死不滅なるを歌ひぬ。忽ちにして美人は黄土となりぬ。當時の民の目を悦ばしたる形は世の忘るゝ所となりぬ。詩神は瓦礫(ぐわれき)の中に立ちて泣くほどに、人ありて美しき石像を土中より掘り出せり。こは古の巨匠の作れるところにして、大理石の衣を着けて眠りたる女神なり。詩神はこれを見て、さきの希臘の美人の俤(おもかげ)を認めき。あはれ古人が美をかう/″\しき迄に進めて、雪の如き石に印し、これを後昆(こうこん)に遺したるこそ嬉しけれ。見よや、死滅するものは浮世の權勢なり。美いかでか死滅すべき。詩神は又波を踏みて伊太利に渡り、古の帝王の住みつる城址に踞(きよ)して、羅馬の市を見おろしたり。テヱエル河の黄なる水は昔ながらに流れたり。されどホラチウス・コクレスが戰ひし處には、今筏(いかだ)に薪と油とを積みてオスチアに輸(おく)るを見る。されどクルチウスが炎火の喉(のんど)に身を投ぜし處には、今牧牛の高草の裡(うち)に眠れるを見る。アウグスツスよ。チツスよ。汝が雄大なる名字(みやうじ)も、今は破れたる寺、壞れたる門の稱に過ぎず。羅馬の鷲、ユピテルの猛(たけ)き鳥は死して巣の中にあり。あはれ羅馬よ。汝が不死不滅はいづれの處にか在る。鷲の眼は忽ち耀(かゞや)きて、その光は全歐羅巴を射たり。既に倒れたる帝座は、又起ちてペトルスの椅子(法皇座)となり、天下の王者は徒跣(とせん)してこゝに來り、その下に羅拜せり。おほよそ手の觸るべきもの、目の視るべきもの、いづれか死滅せざらん。されどペトルスの刀いかでか□(さび)を生ずべき。寺院の勢いかでか墮つる期(ご)あるべき。縱(たと)ひ有るまじきことある世とならんも、羅馬は猶その古き諸神の像と共に、その無窮なる美術と共に、世界の民に崇(あが)められん。東よりも西よりも、又天寒き北よりも、美を敬(うやま)ふ人はこゝに來て、羅馬よ、汝が威力は不死不滅なりといはん。この段の畢(をは)るや、喝采の聲は座に滿ちたり。獨りアヌンチヤタは靜座して我面を見たるが、其姿はアフロヂテの像の如く、其眸(ひとみ)には優しさこもれり。我情は猶輕き詩句となりて、唇より流れ出でたり。詩境は廣き世界より狹き舞臺に遷(うつ)れり。こゝに技倆すぐれたる俳優あり。その所作、その唱歌は萬客の心を奪へり。歌ひてこゝに至りたるとき、姫は頭を低(た)れたり。そは我上とおもへばなるべし。座中の人々も、亦我敍述する所によりて我意の在るところを認めしならん。かゝる俳優も歌歇(や)み幕落ちて、喝采の聲絶ゆるときは、其藝術は死なん。死して美き屍(かばね)となりて、聽衆の胸に□(うづ)められたるのみならん。されど詩人の胸は衆人の胸に殊なり。譬へば聖母の墓の如し。こゝに□(うづ)めらるゝものは、悉く化して花となり香となり、死者は再びこれより起たん。しかしてその詩は一たび死したる藝術をして、不死不滅の花となりて開かしめん。我目はアヌンチヤタが顏を見やりたり。我心は吐き盡したり。われは起ちて禮をなしたるに、人々は我を圍みて謝したり。姫は我を視て、君は深く我心を悦ばしめ給ひぬといひぬ。我は僅に唇をやさしき手に押し當てたり。
 そも/\劇は虹の如きものなり。彼も此も天地の間に架したる橋梁なり。彼も此も人皆仰いで其光彩を喜ぶ。然はあれどその□忽(しゆくこつ)にして滅するや、彼も此も迹(あと)の尋ぬべきなし。アヌンチヤタとアヌンチヤタが技(わざ)とは、其運命實にかくの如し。姫はわがこれを不朽にせんとする心を、この時能く曉(さと)り得たり。姫が我を解することの斯く深かりしことは、當時我未だ知ること能はざりしが、後に至りて明かになりぬ。
 我は日ごとに姫をおとづれき。わづかに殘れる謝肉祭の日はいつしか夢の如くに過ぎ去りぬ。されどこの間われは遺憾なくこのまつりの興を受用し盡せり。そはアヌンチヤタが我に賦(ふ)したる樂天主義の賜(たまもの)なりき。或時ベルナルドオのいふやう。汝はやうやくまことの男とならんとす。われ等に變らぬ眞の男とならんとす。されど汝はまだ唇を杯の縁にあてしに過ぎず。我は明かに知る、汝が唇の未だ曾て女子の口に觸れず、汝が頭の女子の肩に倚(よ)らざるを。今若しアヌンチヤタまことに汝を愛せばいかに。我。思ひも掛けぬ事かな。アヌンチヤタは我が僅に能く仰ぎ見るものゝ名にして、我手の屆くべきものゝ名にあらず。彼。あらず。高くもあれ低くもあれ、アヌンチヤタとは女子の名なり。汝は詩人にあらずや。詩人は測るべからざる性あるものなり。その女子の胸の片隅を占むるや、その奧に進むべき鍵は、詩人の手にあるものぞ。我。姫がやさしさ、賢(さか)しさ、姫が藝術のすぐれたるをこそ慕へ。これに戀せんなどとは、われ實に夢にだにおもひしことなし。彼。汝が眞面目なるおも持こそをかしけれ。好し/\、我は汝が言を信ぜん。汝は素(もと)より蛙なんどに等しき水陸兩住の動物なり。現(うつゝ)の世のものか、夢の世のものか、そを誰か能く辨ぜん。汝はまことに彼君を愛せざるべし、わが愛する如く、世の人の戀するときに愛する如く愛せざるべし。
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