即興詩人
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著者名:アンデルセンハンス・クリスチャン 

カムパニアの野を圍める山に隔てられて、夢にだに見えざりける津々浦々は、次第に浮び出で、歴史はそのところ/″\に人を住はせ、そのところ/″\にて珍らしき昔物語を歌ひ聞せたり。一株の木、一輪の花、いづれか我に興を與へざる。されど最も美しく我前に咲き出でたるは、わが本國なる伊太利なりき。我も一個の羅馬人ぞとおもふ心には、我を興起せしむる力なからんや。我都のうちには、寸尺の地として、我愛を引き、我興を催さゞるものなし。街の傍に棄てられて、今は界(さかひ)の石となりたる、古き柱頭も、わがためには、神聖なる記念なり、わがためには、めでたき音色に心を惱ますメムノンが塔なり。(昔物語にアメノフイスといふ王ありき。エチオピアを領しつるが、希臘のアヒルレエスに滅されぬ。その像を刻める塔、埃及(エヂプト)なるヂオスポリスに立てり、日出日沒ごとに鳴るといひ傳ふ。)テヱエル河に生ふる蘆の葉は風に戰(そよ)ぎて、我にロムルスとレムスとの上を語れり。凱旋門、石の柱、石の像は、皆我心に本國の歴史を刻ましめんとす。我心はつねに古希臘、古羅馬の時代に遊びて、師の賞譽にあづかりぬ。
 凡そ政界にも、教界にも、旗亭に集まるものも、富豪の骨牌(かるた)卓(づくゑ)のめぐりに寄るものも、社會といふ社會の限、必ず太郎冠者(くわじや)のやうなるものありて、もろ人の嘲戲は一身に聚(あつ)まる習なり。學校にも亦此の如き人あり。我等少年生徒の眼は、早くも嘲戲の的(まと)を見出したり。そは我等が教師多かる中にて、最眞面目なる、最怒り易き、最可笑(をか)しき一人なりき。名をば「アバテ」ハツバス・ダアダアとなんいひける。元と亞拉伯(アラビア)の産(うまれ)なるが、穉(をさな)き時より法皇の教の庭に遷(うつ)されて、こゝに生ひ立ち、今はこの學校の趣味の指南役、テヱエル大學院(アカデミア)の審美上主權者となりぬ。
 詩といふ神のめづらしき賜(たまもの)につきては、われ人となりて後、屡□考へたづねしことあり。詩は深山の裏なる黄金の如くぞおもはるゝ。家庭と學校との教育は、さかしき鑛掘(かねほり)、鑛鋳(かねふき)などのやうに、これを索(もと)め出だし、これを吹き分くるなり。折々は初より淨き黄金にいで逢ふことあり。自然詩人が即興の抒情詩これなり。されど鑛山の出すものは黄金のみにあらず。白銀いだす脈もあり。錫(すゞ)その外卑(いやし)き金屬を出す脈もあり。その卑きも世に益あるものにしあれば、只管(ひたすら)に言ひ腐(くた)すべきにもあらず。これを磨き、これに鏤(ちりば)むるときは、金とも銀とも見ゆることあらん。されば世の中の詩人には、金の詩人、銀の詩人、銅の詩人、鐵の詩人などありとも謂ふことを得べし。こゝに此列に加はるべきならぬ、埴(はに)もて物作る人ありて、強ひて自ら詩人と稱す。ハツバス・ダアダアは實にその一人なりき。
 ハツバス・ダアダアは當時一流の埴瓮(はにべ)つくりはじめて、これを氣象情致の□(はるか)に優れたる詩人に擲(な)げ付け、自ら恥づることを知らざりき。字法句法の輕捷(けいせふ)なる、體制音調の流麗なる、詩にあらねども詩とおもはれ、人々の喝采を受けたり。平生ペトラルカを崇(あが)むも、その「ソネツトオ」の音調のみ會し得たるにやあらん。さらずば、矮人(わいじん)觀場なりしか。又狂人にありといふなる固執の妄想か。兎まれ角まれ、ペトラルカとハツバス・ダアダアとは似もよらぬ人なるは、爭ひ難かるべし。ハツバス・ダアダアは我等にかの亞弗利加(アフリカ)と題したる、長き敍事詩の四分の一を諳誦せしめんとせしかば、幾行の涙、幾下の鞭か、我等が世々のスチピオを怨む媒(なかだち)をなしたりけん。
ペトラルカは基督暦千三百四年七月二十日アレツツオに生れき。いにしへの希臘羅馬時代にのみ眼を注ぎたりしが、千三百二十七年アヰニヨンにてラウラといふ婦人に逢ひ、その戀に引かれて、又現世(げんせ)の詩人となりぬ。おのが上と世々のスチピオ(羅馬の名族)の上とを、千載の下に傳へんと、長篇の敍事詩亞弗利加を著(あらは)しつ。今はその甚だ意を經ざりし小抒情詩世に行はれて、復た亞弗利加を説くものなし。
我等は日ごとにペトラルカの深邃(しんすゐ)なる趣味といふことを教へられき。ハツバス・ダアダアの云ふやう。膚淺(ふせん)なる詩人は水彩畫師なり、空想の子なり。凡そ世道人心に害あること、これより甚しきものあらじ。その群にて最大なりとせらるゝダンテすら、我眼より見るときは、小なり、極めて小なり。ペトラルカは抒情詩の寸錦のみにても、尚朽ちざることを得べきものなり。ダンテは不朽ならんがために、天堂人間地獄をさへ擔ひ出しゝものなり。さなり。ダンテも韻語をば聯(つら)ねたり。そのバビロン塔の如きもの、後の世に傳はりたるは、これが爲なり。されど若しその詞だにも拉甸(ラテン)ならましかば、後の世の人せめては彼が學殖をおもひて、些の敬をば起すなるべし。さるを彼は俚言もて歌ひぬ。ボツカチヨオの心醉せる、これを評して、獅(しゝ)の能く泳ぎ、羊の能く踏むべき波と云ひき。我はその深さをも、その易さをも見ること能はず。通篇脚を立つべき底あることなし。唯だ昔と今との間を、ゆきつ戻りつするを見るのみ。我が眞理の聖使たるペトラルカを見ずや。既往の天子法皇を捉へて、地獄に墮すを、手柄めかすやうなる事をばなさず、その生れあひたる世に立ちて、男性のカツサンドラ(希臘の昔物語に見えたる巫女(みこ))となり、法皇王侯の嗔(いかり)を懼(おそ)れずして預言したるは、希臘悲壯劇の中なる「ホロス」の群の如くなりき。嘗て面(まのあた)り査列斯(チヤアルス)四世を刺(あざけ)りて、徳の遺傳せざるをば、汝に於いてこれを見ると云ひき。羅馬と巴里とより、月桂冠を贈らんとせしとき、ペトラルカは敢て輙(すなは)ち受けずして、三日の考試に應じき。その謙遜なりしこと、今の兒曹(こら)も及ばざるべし。考試畢りて後、彼は「カピトリウム」の壇に上りぬ。拿破里(ナポリ)の王は手づから濃紫の袍(はう)を取りて、彼が背に被(き)せき。これに月桂(ラウレオ)の環をわたしたるは、羅馬の議官(セナトオレ)なりき。此の如き光榮は、ダンテの身を終ふるまで受くること能はざりしところなり。
ダンテは千二百六十五年フイレンチエに生れぬ。そのはじめの命名はヅランテなりき。神曲に見えたるベアトリチエとの戀は、夙(はや)く九歳の頃より始りぬ。千二百九十年戀人みまかりぬ。是れダンテが女性の美の極致にして、ダンテはこれに依りて、心を淨め懷(おもひ)を崇(たか)うせしなり。アレツツオとピザとの戰ありしときは、ダンテ軍人たりき。後政治家となりて、千三百二十一年ラヱンナにて歿す。
ハツバス・ダアダアが講説は、いつも此の如くペトラルカを揚げダンテを抑ふるより外あらざりき。この兩詩人をば、匂ふ菫花、燃ゆる薔薇の如く並び立たせてもあるべきものを。ペトラルカが小抒情詩をば、盡く諳(そら)んぜしめられき。ダンテが作をば生徒の目に觸れしめざりき。我は僅に師の詞によりて、そのおもなる作は、地獄、淨火、天堂の三大段に分れたるを知れりしのみ。この分けかたは、既に我空想を喚(よ)び起して、これを讀まんの願は、我心に溢れたり。されどダンテは禁斷の果(くだもの)なり。その味は、竊(ぬす)むにあらでは知るに由なし。
 或る日ピアツツア、ナヲネ(大なる廣こうぢにて、夏の頃水を湛ふることあり)を漫歩して、積み疊(かさ)ねたる柑子(かうじ)、地に委(ゆだ)ねたる鐵の器、破衣(やれごろも)、その外いろ/\の骨董を列ねたる露肆(ほしみせ)の側に、古書古畫を賣るものあるを見き。こゝに卑き戲畫あれば、かしこに刃を胸に貫きたる聖母の圖あり。似も通はぬものゝ伍をなしたる中に、ふとメタスタジオが詩集一卷我目にとまりぬ。我懷には猶一「パオロ」ありき。こは半年前ボルゲエゼの君が、小遣錢にせよと賜(たまは)りし「スクヂイ」の殘にて、わがためには輕んじ難き金額なりき。(一「スクウド」は約我一圓五十錢に當る。十「パオリ」に換ふべし。一「パオロ」は十五錢許なり。十「バヨツチ」に換ふべし。「スクウド」、「パオロ」は銀貨、「バヨツチ」は銅貨なり。)幾個の銅錢もて買ふべくば、この卷見□(みのが)すべきものならねど、「パオロ」一つを手離さんはいと惜しとおもひぬ。價を論ずれども成らざりしかば、思ひあきらめて立ち去らんとしたる時、一書の題簽(だいせん)に「ヂヰナ、コメヂア、ヂ、ダンテ」(ダンテが神曲)と云へるあるを見出しつ。嗚呼、これこそは我がために、善惡二途の知識の木になりたる、禁斷の果(このみ)なれ。われはメタスタジオの集を擲(なげう)ちて、ダンテの書を握りつ。さるに哀(かなし)きかな、この果は我手の屆かぬ枝になりたり。その價は二「パオリ」なりき。露肆の主人は、一錢も引かずといふに、わが銀錢は掌中に熱すれども、二つにはならず。主人、こは伊太利第一の書なり、世界第一の詩なりと稱(たゝ)へて、おのれが知りたる限のダンテの名譽を説き出しつ。ハツバス・ダアダアには無下(むげ)にいひけたれたるダンテの名譽を。
 露肆の主人のいふやう。この卷は一葉ごとに一場の説教なり。これを書きしは、かう/″\しき預言者にて、その指すかたに向ひて往くものは、地獄の火□を踏み破りて、天堂に抵(いた)らんとす。若き華主(だんな)よ。君はまだ此書を讀み給ひし事なきなるべし。然らずば君一「スクウド」をも惜み給はぬならん。二「パオリ」は言ふに足らざる錢なり。それにて生涯讀み厭くことなき、伊太利第一の書を藏することを得給はゞ、實にこよなき幸ならずや。
 嗚呼、われは三「パオリ」をも惜まざるべし。されど我手中にはその錢なきを奈何せん。かの伊蘇普(エソオポス)が物語に、おのがえ取らぬ架上の葡萄をば、酸(す)しといひきといふ狐の事あり。われはその狐の如く、ハツバス・ダアダアに聞きたるダンテの難を囀(さへづ)り出し、その代にはいたくペトラルカを讚め稱へき。露肆の主人は聞畢(をは)りて。さなりさなり。おのれの無學なる、固より此の如き大家を囘護せん力は侍らず。されど君もまだ歳若ければ、此の如き大家を非難すべきにあらざるべし。おのれはえ讀まぬものなり。君は未だ讀まざるものなり。されば褒むるも貶(けな)すも、遂に甲斐なき業ならずや。唯だ訝(いぶ)かしきは、君はまだ讀まぬ書をいひおとし給ふことの苛酷なることぞといふ。われは心に慙(は)ぢて、我詞の全く師の口眞似なるを白状したり。主人も我が樸直(すなほ)なるをや喜びけん、書を取りて我にわたしていふやう。好し、一「パオロ」にて君に賣らん。その代には早く讀み試みて、本國の大詩人をあしざまに言ふことを止め給へ。

   神曲、吾友なる貴公子

 何等の快事ぞ。神曲は今我書となりぬ。我が永く藏することを得るものとなりぬ。ハツバス・ダアダアが非難をば、我始より深く信ぜざりき。わが奇を好む心は、かの露肆(ほしみせ)の主人が言に挑(いど)まれて、愈□熾(さかん)になりぬ。われは人なき處に於いて、はじめて此卷を繙(ひもと)かん折を、待ち兼ぬるのみなりき。
 われは生れかはりたる如くなりき。ダンテは實にわがために、新に發見したる亞米利加なりき。我空想は未だ一たびも斯く廣大に、斯く豐饒なる天地を望みしことなかりしなり。その岩石何ぞ峨々たる。その色彩何ぞ奕々(えき/\)たる。我は作者と共に憂へ、作者と共に樂み、作者と共に當時の生活を閲(けみ)し盡したり。地獄の關に刻めりといふ銘は、全篇を讀む間、我耳に響くこと、世の末の裁判の時、鳴りわたるらん鐘の音の如くなりき。その銘に云(いは)く。
こゝすぎて  うれへの市(まち)に
  こゝすぎて  歎の淵に
こゝすぎて  浮ぶ時なき
  群に社(こそ)  人は入るらめ
あたゝかき  情はあれど
  おぎろなき  心にたづね
きはみなき  ちからによりて
  いつくしき  法(のり)をうき世に
しめさんと  この關の戸を
  神や据ゑけん
われは□風(へうふう)に捲き起さるゝ沙漠の砂の如き、常に重く又暗き空氣を見き。われは亡魂の風に向ひて叫喚するとき、秋深き木葉の如く墜ちゆく亞當(アダム)が族(やから)を見き。而れども言語の未だ血肉とならざりし世にありし靈魂の王たる人々のこゝにあるを見るに□(およ)びて、我眼は千行(ちすぢ)の涙を流しつ。ホメロス、ソクラテエス、ブルツス、ヰルギリウス、これ皆永く樂土の門に入ること能はずしてこゝに留りたるものなりき。ダンテが筆は、此等の人に、地獄といふに負(そむ)かざらん限の、安さ樂しさを與へたれど、そのこゝにあるは、呵責(かしやく)ならぬ苦、希望なき恨にして、長く浮ぶ瀬なき罪人の陷いるなる、毒泡迸り、瘴烟(しやうえん)立てる、深き池沼に圍まれたる大牢獄の裡(うち)なること、よその罪人に殊ならず。われはこれを讀みて、平なること能はざりき。基督の一たび地獄に降りて、又主の傍に昇りしとき、彼は何故にこゝの谿間の人々を隨へゆかざりしか。彼は當時同じ不幸にあへるものに、同じ憐を垂れざることを得たりしか。われは讀むところの詩なるを忘れつ。沸きかへる膠(にべ)の海より聞ゆる苦痛の聲は、我胸を衝(つ)きたり。われは「シモニスト」の群を見き。その浮き出でゝは、鬼の持てる鋭き鐵搭(くまで)にかけられて、又沈めらるゝを見き。ダンテが敍事の生けるが如きために、其状(さま)深くも我心に彫(ゑ)りつけられたるにや、晝は我念頭に上り、夜は我夢中に入りぬ。我囈語(うはごと)の間には、屡□「パペ、サタン、アレツプ、サタン、パペ」といふ詞聞えぬ。こはわが讀みたる神曲の文なるを、同房の書生はさりとも知らねば、我魂まことに惡魔に責められたるかと疑ひ惑ひぬ。教場に出でゝも、我心は課程に在らざりき。師の聲にて、アントニオよ、又何事をか夢みたる、と問はるゝ毎に、われは且恐れ且恥ぢたり。されどこの儘に神曲を擲(なげう)たんことは、わがなすこと能はざるところなりき。
 我が暮らす日の長く又重きことは、ダンテが地獄にて負心(ふしん)の人の被(き)るといふ鍍金(めつき)したる鉛の上衣の如くなりき。夜に入れば、又我禁斷の果に匍(は)ひ寄りて、その惡鬼に我妄想の罪を數(せ)めらる。かの人を螫(さ)しては□(ほのほ)に入り、一たびは烟となれど、又「フヨニツクス」(自ら焚(や)けて後、再び灰より生るゝ怪鳥)の如く生れ出でゝ、毒を吐き人を傷(やぶ)るといふ蛇の刺(はり)をば、われ自ら我膚の上に受くと覺えき。
 わが夢中に地獄と呼び、罪人と叫ぶを聞きて、同房の書生は驚き醒むることしば/\なりき。或る朝老僧の舍監を勤むるが、我臥床(ふしど)の前に來しに、われ眠れるまゝに眼を□(みひら)き、おのれ魔王と叫びもあへず、半ば身を起してこれに抱きつき、暫し角力(すま)ひて、又枕に就きしことあり。
 わがよな/\惡魔に責めらるといふ噂は、やう/\高くなりぬ。我床には呪水を灑(そゝ)ぎぬ。わが眠に就くときは、僧來りて祈祷を勸めたり。此處置は益□我心を妥(おだやか)ならざらしめき。囈語(うはごと)の由りて出づるところは、われ自ら知れり。これを隱して人を欺(あざむ)くことの快からぬために、我血はいよ/\騷ぎ立ちぬ。數日の後、反動の期至り、我心は風の吹き荒れたる迹(あと)の如くなりぬ。
 學校の書生衆(おほ)しといへども、その家世、その才智、並に人に優れたるは、ベルナルドオといふ人なりき。遊戲に日をおくるは咎むべきならねど、あまりに情を放ちて自ら恣(ほしいまゝ)にするさまも見えき。或ときは四層の屋の棟(むね)に騎(の)り、或ときは窓より窓にわたしたる板を踐(ふ)みて、人の膽を寒からしめき。凡そこの學校國に、内訌(ないこう)起りぬといふときは、其責は多く此人の身に歸することなり。しかもベルナルドオこれを寃(ぬれぎぬ)とすること能はざるが常なりき。舍内の靜けさ、僧尼の房の如くならんは、人々の願なるに、このベルナルドオあるがために、平和はいつも破られき。されど彼が戲(たはぶれ)は人を傷(そこな)ふには至らざりしが、獨りハツバス・ダアダアに對しての振舞は、やゝ中傷の嫌ありとおもはれぬ。ハツバス・ダアダアはこれを憎みてあはれ福(さいはひ)の神は、直(すぐ)なる「ピニヨロ」の木を顧みで、珠を朽木に抛(な)げ與へしよ抔(など)いひぬ。ベルナルドオは羅馬の議官(セナトオレ)の甥(おひ)にて、その家富みさかえたればなるべし。
 ベルナルドオは何事につけても、人に殊なる見(けん)を立て、これを同學のものに説き聞かせて、その聽かざるものをば、拳もて制しつれば、いつも級中にて、出色の人物ともてはやされき。彼と我とは性質太(いた)く異なるに、彼は能く我に親みき。唯だわがあまりに爭ふ心に乏(とぼし)きをば、ベルナルドオ嘲り笑ひぬ。
 或時ベルナルドオの我にいふやう。われ若し我拳の、一たび爾(なんぢ)を怒らしむるを知らば、われは必ず爾を打つべし。汝は人に本性を見するときなきか。わが汝を嘲るとき、汝は何故に拳を揮(ふる)ひて我面を撲(う)たんとせざる。その時こそ我は汝がまことの友となるならめ。されど今はわれこの望を絶ちたりといひき。
 わがダンテの熱の少しく平らぎたる頃なりき。ひと日ベルナルドオは我前なる卓に腰掛けて、しばし故ありげなる笑をもらしつゝ我顏を見つめ居たるが、忽ち我にいふやう。汝は我にもまして横着なる男なり。善くも狂言して人を欺くことよ。床は呪水に濡らされ、身は護摩(ごま)の煙に薫(いぶ)さるゝは、これがために非ずや。我知らじとやおもふ、汝はダンテを讀みたるを。
 血は我頬に上りぬ。われは爭(いか)でかさる禁を犯すべきと答へき。ベルナルドオのいはく。汝が昨夜物語りし惡魔の事は、全く神曲の中なる惡魔ならずや。汝が空想はゆたかなれば、わが説くを厭かず聽くならん。地獄に火□の海、瘴霧(しやうむ)の沼あるは、汝が早くより知るところならん。されど地獄には又深き底まで凍りたる海あり。その中に閉ぢられたる亡者も亦少からず。その底にゆきて見れば、恩に負(そむ)きし惡人ども集りたり。「ルチフエエル」(魔王)も神に背きし報にて、胸を氷にとぢられたるが、その大いなる口をば開きたり。その口に墮ちたるは、ブルツス、カツシウス、ユダス・イスカリオツトなり。中にもユダス・イスカリオツトは、魔王が蝙蝠(かはほり)の如き翼を振ふ隙に、早く半身を喉の裡に沒したり。この「ルチフエエル」が姿をば、一たび見つるもの忘るゝことなし。われもダンテが詩にて、彼奴(かやつ)と相識(ちかづき)になりたるが、汝はよべの囈語(うはごと)に、その魔王の状を、詳(つばら)に我に語りぬ。その時われは今の如く、汝はダンテを讀みたるかと問ひぬ。夢中の汝は、今より直(すなほ)にて、我に眞を打ち明け、ハツバス・ダアダアが事をさへ語り出でぬ。何故に覺めたる後には我を隔てんとする。我は汝が祕事(ひめごと)を人に告ぐるものにあらず。汝が禁を犯したるは、汝が身に取りて譽となすべき事なり。我は久しく汝が上にかゝることあらんを望みき。されど彼書をば、汝何處にてか獲つる。我も一部を藏したれば、汝若し蚤(はや)く我に求めば、我は汝に借しゝならん。我はハツバス・ダアダアがダンテを罵りしを聞きしより、その良き書なるを推し得て、汝に先だちて買ひ來りぬ。われは長く机に倚(よ)ることを好まず。神曲の大いなる二卷には、我とほ/\厭(あぐ)みしが、これぞハツバス・ダアダアが禁ずるところとおもひ/\、勇を鼓して讀みとほしつ。後にはかのふみ我にさへ面白くなりて、今は早や三たび閲しつ。その地獄のめでたさよ。汝はハツバス・ダアダアの墮つべきを何處とか思へる。火のかたなるべきか、冰(こほり)のかたなるべきか。
 わが祕事は訐(あば)かれたり。されどベルナルドオはこれを人に語るべくもあらず。ベルナルドオとわれとの交は、この時より一際(ひときは)密になりぬ。旁(かたはら)に人なき時は、われ等の物語は必ず神曲の事にうつりぬ。わがこれを讀みて感じたるところをば、必ずベルナルドオに語り聞かせたり。この間にわが文字を知りてよりの初の詩は成りぬ。その題はダンテと其神曲となりき。
 わが買ひ得たる神曲の首(はじめ)には、ダンテが傳を刻したりき。そはいたく省略したるものなりしかど、尚わが詩材とするに堪へたれば、われはこれに據りて、此詩人の生涯を歌ひき。ベアトリチエとの淨(きよ)き戀、戰爭の間の苦、逐客(ちくかく)となりてアルピイ山を踰(こ)えし旅の憂さ、異郷の鬼となりし哀さ、皆我詩中のものとなりぬ。わが最も力を用ゐしは、ダンテが靈魂天翔(あまかけ)りて、人間地獄を見おろす一段なりき。その敍事は省筆を以て、神曲の梗概を摸寫したるものなりき。淨火は又燃え上れり。果實累々たる、樂園の木のこずゑは、漲(みなぎ)り落つる瀑布の水に浸されたり。ダンテが乘りたる、そら行く舟は、神童の白く大なる翼を帆としたり。その舟次第に騰(のぼ)りゆく程に、山々は搖り動(うごか)されたり。太陽とそのめぐりなる神童の群とは、明鏡の如く、神の光明を映じ出せり。この時に遇ふものは、賢きも愚なるも、こゝろ/″\に無上の樂を覺えたり。
 誦(ず)してベルナルドオに聞せしに、彼はこれを激稱せり。彼のいはく。アントニオよ。次の祭の日には、汝其詩を讀み上げよ。ハツバス・ダアダアいかなる面(おもて)をかすらん。面白し/\。汝が讀むべき詩は、その外にはあらじ。斯く勸めらるゝに、われは手を揮(ふ)りて諾(うべな)はざりき。ベルナルドオ語を繼ぎていふやう。さらば汝はえ讀まぬなるべし。我にその詩を得させよ。われダンテの不朽をもて、ハツバス・ダアダアを苦めんとす。汝はおのが美しき羽を拔きて、このおほおそ鳥を飾らんを惜むか。讓るは汝が常の徳にあらずや。いかに/\、と勸めて止まざりき。我もその日のありさまいかに面白からんとおもへば、詩稿をば直にベルナルドオにわたしつ。
 今も西班牙(スパニア)廣こうぢの「プロパガンダ」といふ學校にては、毎年一月十三日に、祭の式行はるゝ事なるが、當時は「ジエスヰタ」學校に、おなじ式ありき。諸生徒はおの/\その故郷の語、若くはその最も熟したる語にて、一篇の詩を作り、これを式場に持ち出でゝ讀むことなり。題をば自ら撰びて、師の認可を請ひ、さて章を成すを法とす。
 題の認可の日に、ハツバス・ダアダアはベルナルドオにいふやう。君は又何の題をも撰び給はざりしならん。君は歌ふ鳥の群にあらねば。ベルナルドオのいはく。否。ことしは例に違ひて作らんとおもへり。伊太利詩人の中にて題とすべきものを求めたるが、その第一の大家を歌はんは、わが力の及ばざるところなり。さればわれは稍□(やゝ)小なるものをとて、ダンテを撰びぬ、ハツバス・ダアダア冷笑(あざわら)ひていふ。ダンテを詠ずとならば、定めて傑作をなすなるべし。そは聞きものなり。さはあれ式の日には、僧官たちも皆臨席せらるゝが上に、外國の貴賓も來べければ、さる戲はふさはしからず。謝肉(カルネワレ)の祭をこそ待ち給ふべけれ。この詞にて、他人ならば思ひとゞまるべきなれど、ベルナルドオはなか/\屈すべくもあらず。別の師の許を得て、かの詩を讀むことゝ定めき。われは本國を題として、新に一篇を草しはじめつ。
 學校の規則には、詩賦は他人の助を藉(か)ることを允(ゆる)さずと記したり。されどいつも雨雲に蔽(おほ)はれたるハツバス・ダアダアが面に、些(ちと)の日光を見んと願ふものは、先づ草稿を出して閲を請ひ、自在に塗抹せしめずてはかなはず。大抵原(もと)の語は、纔(わづか)にその半を存するのみなり。さて詩の拙(つたな)さは、すこしも始に殊ならず。その始に殊なるは、唯だその癖、その手段のみなるべし。斯く改めたる作、他日よそ人に譽めらるゝ時は、ハツバス・ダアダアは必ずおのれが刪潤(さんじゆん)せしを告ぐ。こたび讀むべき詩も、多く一たびハツバス・ダアダアが手を經たるが、ひとりベルナルドオが詩のみは、遂にその目に觸れざりき。
 兎角する程にその日となりぬ。馬車は次第に學校の門に簇(むらが)りぬ。老僧官たちは、赤き法衣の裾を牽(ひ)きて式場に入り、美しき椅子に倚(よ)り給ひぬ。詩の題、その國語、その作者など列記したる刷ものは、來賓に頒(わか)たれぬ。ハツバス・ダアダア先づ開場の演説をなし、諸生徒は次を逐ひて詩を讀みたり。シリア、カルデア、新埃及(エヂプト)、其外梵文英語の作さへありて、その耳ざはり愈□あやしうして、喝采の聲は愈□盛なりき。但だ喝采の聲には、拍手なんどのみならで、高笑もまじるを常とす。
 われは胸を跳らせて進み出で、伊太利を頌したる短篇を讀みき。喝采の聲は幾度となく起りぬ。老いたる僧官達も手を拍ち給ひぬ。ハツバス・ダアダア出來る限のやさしき顏をなし、手中の桂冠を動かしつ。伊太利語の詩もて、我後に技を奏すべきは、獨りベルナルドオあるのみにて、其次なる英語は固(もと)より賞を得べくもあらねば、あはれ此冠は我頭の上に落ちんとぞおもはれける。
 その時ベルナルドオは壇に登りぬ。我はあやぶみながら友の言動に耳を傾け目を注ぎつ。友は些(いさゝか)の怯(おく)れたる氣色もなく、かのダンテを詠ずる詩を誦(ず)したり。式場は忽ち水を打ちたるやうに鎭まりぬ。讀誦(どくじゆ)の力あるに、聽くもの皆感動したるなり。われは初より隻句を遺(のこ)さず諳(そらん)じたり。されど今改めてこれを聽けば、ほと/\ダンテ其人の作を聞くが如くおもはれぬ。誦し畢(をは)りし時、場に臨みたる人々は、悉く喝采せり。僧官達は席を離れ給ひぬ。式はこゝに終れるが如く、桂冠はベルナルドオがものと定りぬ。次なる英語の詩をば、人々止むことを得ずして聽き、又止むことを得ずして拍手せしのみ。その畢るや、滿場の話柄はベルナルドオがダンテの詩の上にかへりぬ。
 我頬は火の如くなりき。我胸は擴まりたり。我心は人々のベルナルドオがために焚ける香の烟を吸ひて、ほと/\醉へるが如くなりき。この時われは友の方を打ち見たるに、彼が容貌はいたく常にかはりて見えき。その面色土の如く、目を床に注ぎて立てるさまは、重き罪を犯したる人の如くなりき。ハツバス・ダアダアも亦いたく不興げなるおも持して、心こゝにあらねばか、その手にしたる桂冠を摘み碎かんとする如くなりき。僧官のうちなる一人、迺(すなは)ちこれを取りて、ベルナルドオが前に進み給ひぬ。我友は此時跪(ひざまづ)きたるが、もろ手に面を掩(おほ)ひて、この冠を頭に受けたり。
 式畢りて後、われは友の側に歩み寄りしに、彼は明日こそと云ひもあへず、走り去りぬ。翌日になりても、彼は我を避けて、共に語らざりき。我は唯だ一人なる友を失へるやうに覺えて、憂きに堪へざりき。二日過ぎて、ベルナルドオは我頸を擁(いだ)き、我手を把(と)りていふやう。アントニオよ。今こそは我心を語らめ。桂冠の我頭に觸れたる時は、われは百千(もゝち)の棘(いばら)もて刺さるゝ如くなりき。人々の我を譽むる聲は、我を嘲るが如くなりき。この譽を受くべきは、我に非ずして汝なればなり。我は汝が目のうちなる喜の色を見き。汝知らずや。この時われは汝を憎みたり。おもふに我はこゝにありて、今迄の如く汝に交ることを得ざるべし。この故に我はこゝを去らんとす。試におもへ。明年の式あらんとき、われ又汝が羽毛を借らずば、人々の前に出づることを得ざるべし。我心爭(いか)でかこれに堪へん。我に勢あるをぢあり。我はこれに我上を頼みき。我は身を屈して願ひき。こはわが未だ嘗て爲さざることなり。わが敢てせざるところなり。我はその時又汝が事をおもひ出しつ。斯くわが心に負(そむ)きて人に頼るも、その原(もと)は汝に在るらんやうにおもはれぬ。この故に我は汝に對して、忍びがたき苦を覺ゆるなり。我は一たびこゝを去りて、別に身を立つるよすがを求め、その上にて又汝が友とならん。アントニオよ。願はくはその時を待て。吾は去らん。
 この夕ベルナルドオは晩(おそ)く歸りて床に入りしが、翌朝は彼が退校の噂諸生の間に高かりき。ベルナルドオは思ふよしありて、目的を變じたりとぞ聞えし。
 ハツバス・ダアダアは冷笑の調子にていはく。彼男は流星の如く去りぬ。その光を放てると、その影を隱しゝとは、一瞬の間なりき。その學校生涯は爆竹の遽(にはか)に耳を駭(おどろ)かす如くなりき。その詩も亦然なり。彼草稿は猶我手に留まれり。何等の怪しき作ぞ。熟□(つら/\)これを讀むときは、畢竟是れ何物ぞ。斯くても尚詩といはるべき歟(か)。全篇支離にして、絶て格調の見るべきなし。看て瓶(へい)となせば、これ瓶。盞(さん)となせば、是れ盞。劍となせば、これ劍。その定まりたる形なきこと、これより甚しきはあらず。字を剩(あま)すこと凡そ三たび。聞くに堪へざる平字(ひやうじ)の連用(ヒアツス)あり。神(ヂアナ)といふ字を下すことおほよそ二十五處、それにて詩をかう/″\しくせんとにや。性靈よ、性靈よ。誰かこれのみにて詩人とならん。このとりとめなき空想能く何事をか做(な)し出さん。こゝに在りと見れば、忽焉(こつえん)としてかしこに在り。汝は才といふか。才果して何をかなさん。眞の詩人の貴むところは、心の上の鍛錬なり。詩人はその題のために動さるゝこと莫(なか)れ。その心は冷なること氷の如くならんを要す。その心の生ずるところをば、先づ刀もて截(き)り碎き、一片々々に査(しら)べ視よ。かく細心して組み立てたるを、まことの名作とはいふなり。厭ふべきは熱なり、激興なり。誰かその熱に感じて、桂冠を乳臭兒の頭に加へし。その詩に史上の事實を矯(た)め、聞くに堪へざる平字の連用をなしたるなど、皆笞(むちう)ち懲(こら)すべき科(とが)なるを。我はまことに甚しき不快を覺えき。かゝる事に逢ふごとに、我は健康をさへ害せられんとす。ベルナルドオのこわつぱ奴(め)。ハツバス・ダアダアが批評は大抵此の如くなりき。
 學校の中、ベルナルドオが去りしを惜まざるものなかりき。されどその惜むことの最も深きは我なりき。身のめぐりは遽(にはか)に寂しくなりぬ。書を讀みても物足らぬ心地して、胸の中には遺るに由なき悶(もだえ)を覺えき。さて如何(いかに)してこれを散ずべき。唯だ音樂あるのみ。我生活我願望はこれを樂の裡(うち)に求むるとき、始めて殘るところなく明(あきらか)なる如くなりき。こゝを思へば、詩には猶飽き足らぬところあり。ダンテが雄篇にも猶我心を充たすに足らざるところあり。詩は我(わが)魂(こん)を動せども、樂はわが魂と共に、わが耳によりてわが魄(はく)を動(うごか)せり。夕されば我窓の外に、一群の小兒來て、聖母の像を拜みて歌へり。その調は我にわが穉(をさな)かりける時を憶ひ起さしむ。その調はかの笛ふきが笛にあはせし搖籃の曲に似たり、又或時は野邊送の列、窓の下を過ぐるを見て、これをおくる僧尼の挽歌を聽き、昔母上を葬りし時を思ひ出しつ。我心はこしかたより行末に遷(うつ)りゆきぬ。我胸は押し狹(せば)めらるゝ如くなりぬ。昔歌ひし曲は虚空より來りて我耳を襲へり。その曲は知らず識らず我唇より洩れて歌聲となりぬ。
 ハツバス・ダアダアが室は、我室を去ること近からぬに、我聲は覺えず高くなりて、そこまで聞えぬ。ハツバス・ダアダア人して言はしむるやう。こゝは劇場にもあらず、又唱歌學校にもあらず、讚美歌に非ざる歌の聞ゆるこそ心得られねとなり。われは默して答へず。頭を窓の縁に寄せかけて、目を街のかたに注ぎたれど、心はこゝに在らざりき。
 忽ち街上より「フエリチツシイマ、ノツテエ、アントニオ」(幸(さち)あらん夜をこそ祈れ、アントニオよといふ事なり、北歐羅巴にては善き夜をとのみいふめれど、伊太利の夜の樂きより、かゝる詞さへ出來ぬるなるべし)と呼ぶ人あり。窓の前にて、美しく猛き若駒に首を昂(あ)げさせ、手を軍帽に加へて我に禮を施し、振り返りつゝ馳せ去りしは、法皇の禁軍(このゑ)なる士官なりき。嗚呼、我はその顏を見識りたり。これわがベルナルドオなり。わが幸あるベルナルドオなり。
 我生活は今彼に殊なること幾何(いくばく)ぞ。われは深くこれを思ふことを好まず。われは傍なる帽を取りて、目深(まぶか)にかぶり、惡魔に逐はるゝ如く、學校の門を出でぬ。おほよそ「ジエスヰタ」學校、「プロパガンダ」學校、その外この教國の學校生徒は、外に出づるとき、おのれより年長(た)けたる、若(もし)くはおのれと同じ齡なる、同學のものに伴はるゝを法とす。稀に獨り行くには、必ず許可を請ふことなり。こは誰も知りたる掟なるを、われはこの時少しも思ひ出でざりき。老いたる番僧はわが出づるを見つれど、許可を得たるものとや思ひけん、我を誰何(とが)めざりき。

   めぐりあひ、尼君

 大路(おほぢ)に出づれば馬車ひきもきらず。羅馬の人を載せたるあり、外國の客を載せたるあり。往くあり、還るあり。こは都の習なる夕暮の逍遙(あそび)乘(のり)といふものにいでたる人々なるべし。銅版畫を挂(か)けつらねたる技藝品鋪の前には、人あまた立てり。その衣にまつはれて錢を得んとするは、乞兒(かたゐ)の群なり。されば車の間を馳せぬくることを厭ひては、こゝを行くべくもあらず。我が車の隙を覗(うかゞ)ひて走りぬけんとしたる時「ボン、ジヨオルノオ、アントニオ」(吉日(よきひ)をこそ、アントニオ)と呼ぶは、むかし聞き慣れたる忌(いま)はしき聲なり。見卸せば、ペツポのをぢ例の木履(きぐつ)を手に穿(は)きて、地上にすわり居たり。この人にかく近づきたることは、この年頃絶てなかりき。西班牙(スパニア)の磴(いしだん)を避けてとほり、道にて逢ふときは面を掩(おほ)ひて知らしめず、式の日などに諸生の群にありてこれに近づくときは、友の身を盾に取りて見付けられぬ心がまへしたりき。ペツポは我裳裾(もすそ)を握りて離たずしていふやう。血を分けたるアントニオよ。そちがをぢなるペツポを知らぬ人のやうになあしらひそ。尊きジユウゼツペ(ペツポはこの名を約(つゞ)めたるなり)の上を思はゞ、我名を忘るゝことなからん。暫く見ぬ隙に、おとなびたることよ。かく親しく物言はるゝ程に、道行く人は怪みて我面を見たり。我は放ち給へと叫びて裾を引けども、ペツポは容易(たやす)く手をゆるめず。アントニオよ。共に驢(うさぎうま)に乘りし日の事を忘れしか。善き兒なるかな。今は丈高き馬に乘れば、最早我を顧みざるならん。母の同胞(はらから)の西班牙の磴にあるを訪はざるならん。そちも我手に接吻せしことあり。そちも我宿の一束の藁を敷寢せしことあり。昔をわすれなせそ。かくかきくどかるゝうるさゝに、我は力を極めて裾ひきはなち、車の間をくゞりぬけて、横街に馳せ入りぬ。
 我胸は跳(をど)れり。こは驚のためのみにはあらず、辱(はづかしめ)のためなりき。我はをぢがもろ人の前に我を辱めたりとおもひき。されど此心は久しからずして止み、これに代りて起りしは、これよりも苦しき情なりき。をぢが詞は一つとして僞ならず。われはまことにペツポが一人の甥なり。わがこれに對して恩すくなかりしは、そも/\何故ぞ。若し餘所に見る人なくば、我は昔の如くをぢの手に接吻せしならん。さるを今かく殘忍なる振舞せしは、わが罪深き名譽心にあらずや。われは自ら愧(は)ぢ、又神に恥ぢて、我胸は燃ゆる如くなりき。
 この時聖(サン)アゴスチノ寺の「アヱ、マリア」の鐘の聲響きしかば、われは懺悔せんとて寺の内に入りぬ。高き穹窿の下は暗くして人影絶えたり。卓の上なる蝋燭は僅に燃ゆれども光なかりき。われは聖母の前に伏し沈みて、心の重荷をおろさんとしつ。忽ち我側にありて、我名を呼ぶ人あり。アントニオの君よ。館(やかた)も御奧もフイレンツエより歸り來ませり。かしこにて設け給ひし穉(をさな)き姫君をも伴ひ給ひぬ。今より共に往きて喜をのべ給はずやといふ。寺の内の暗さに見えざりしが、かく言はれてその人を見れば、我恩人の館なる門者(かどもり)の妻にてフエネルラといふものなりき。年久しく相見ざりし人々に逢はせんといふが嬉しさに、われは共に足を早めてボルゲエゼの館(たち)にゆきぬ。
 フアビアニの君はやさしく我をもてなし給ひ、フランチエスカの君は又母の如くいたはり給ひぬ。姫君にも引きあはせ給ひぬ。名をばフラミニアといふ。目の美しく光ある穉子なり。我に接吻し、我側に來居たるが、まだ二分時ならぬに、はや我に昵(なじ)み給へり。かき抱きて間のうちをめぐり、可笑(をか)しき小歌うたひて聞せしかば、面白しと打笑ひ給ひぬ。館は微笑みつゝ。穉き尼君を世の中の少女の樣になせそ。法皇の手づから授けられし壻君(むこぎみ)をば、今より胸にをさめたるをとのたまふ。げにこの姫君は、白かねもて造りたる十字架に基督の像つきたるを、鎖もて胸に懸け給へり。(伊太利の俗、尼寺に入れんと定めたる女兒をば、夙(はや)くより小尼公(アベヂツサ)など呼ぶことあり。)夫婦の君は婚禮の初、喜のあまりに始て生るべき子をば、み寺に參らせんと誓ひ給ひしなり。勢ある家の事とて、羅馬に名高き尼寺の首座をば、今よりこの姫君の爲めに設けおけりとぞ。さればこの君には、苟且(かりそめ)の戲にも法(のり)の掟(おきて)に背かぬやうなることのみをぞ勸め參らせける。小尼公は偶人(にんぎよう)いれたる箱取り出でゝ、中なる穉き耶蘇の像、またあまたの白衣きたる尼の像を示し給ふ。さて尼の人形を二列に立てて、日ごとにかく歩ませて供養のにはに連れゆくとのたまひぬ。又尼どもは皆聲めでたく歌ひて、穉き耶蘇を拜めりとのたまひぬ。こは皆保姆(うば)が教へつるなり。我は畫かきて小尼公を慰めき。長き※衣(けおりごろも)[#「曷+毛」、37-下段-28]を着て、噴水のトリイトンの神のめぐりに舞ふ農夫、一人の匍匐(はらば)ひたるが上に一人の跨(またが)りたる侏儒(プルチネルラ)抔(など)、いたく姫君の心にかなひて、始はこれに接吻し給ひしが、後には引き破りて棄て給ひぬ。兎角する程に、はや常に眠り給ふ時過ぎぬとて、うば抱きて入りぬ。
 夫婦の君は我上を細(こまか)に問ひて、今より後も助にならんと契り、こゝに留らん間は日ごとに訪へかしとのたまひぬ。カムパニアの野邊に住める媼が事を語り出で給ひしかば、我は春秋の天氣好き折、かしこに尋ねゆきて、我臥床(ふしど)の跡を見、媼が經卷珠數(じゆず)と共に藏したる我畫反古(ほご)を見、また爐の側にて燒栗を噛みつゝ昔語せばやとおもふ心を聞え上げぬ。暇乞(いとまごひ)して出でんとせしとき、夫人は館を顧みてのたまふやう。學校は智育に心を用ゐると覺ゆれど、作法の末まではゆきとゞかぬなるべし。この子の禮(ゐや)するさまこそ可笑しけれ。世の中に出でん後は、これをも忽(ゆるがせ)にすべからず。されど、アントニオよ、心をだに附けなば、そはおのづから直るべきものぞ。
 學校に還らんとて館を出でしは、まだ宵の程なりしが、街はいと暗かりき。羅馬の市に竿燈(かんとう)を點(つ)くるは近き世の事にて、其の頃はまださるものなかりしなり。狹き枝みちに歩み入れば、平ならざる道を照すもの唯だ聖母の像の御前(みまへ)に供へたる油燈のみなり。われは心のうちに晝の程の事どもを思ひめぐらしつゝ、徐(しづか)にあゆみを運びぬ。固より咫尺(しせき)の間もさやかには見えねば、忽ち我手に觸るゝものあるに驚きて、われはまだ何とも思ひ定めぬ時、耳慣れたる聲音にて、奇怪なる人かな、目をさへ撞(つ)きつぶされなば、道はいよ/\見えずやならんといふ。われは喜のあまりに聲高く叫びて、さてはベルナルドオなるよ、嬉くも逢ひけるものかなといひぬ。アントニオか、可笑き再會もあるものよと、友は我を抱きたり。さるにても何處よりか來し。忍びて訪ふところやある。そは汝に似合はしからず。されど我に見現されぬれば是非なし。例の獄丁はいづくに居る。學校よりつけたる道づれは。我。否けふはひとりなり。ベルナルドオ。ひとりとは面白し。汝も天晴(あつぱれ)なる少年なり。我と共に法皇の護衞に入らずや。
 我は恩人夫婦のこゝに來ませし喜を告げしに、吾友も亦喜びぬ。これよりは足の行くに任せて、暗路を辿りつゝ、別れての後の事どもを語りあひぬ。

   猶太(ユダヤ)の翁

 途すがらベルナルドオの云ふやう。我は今こそ浮世の樣をも見ることを得つれ。そなた等が世にあるは、唯だ世にありといふ名のみにて、まだ襁褓(むつき)の中を出でざるにひとし。冷なる學校の榻(たふ)に坐して、黴(かび)の生(は)えたるハツバス・ダアダアが講釋に耳傾けんは、あまりに甲斐なき事ならずや。見よ、我が馬に騎(の)りて市(まち)を行くを。美しき少女達は、燃ゆる如き眼(ま)なざしして、我を仰ぎ瞻(み)るなり。わが貌(かほばせ)は醜からず。われには號衣(ウニフオルメ)よく似合ひたり。此街の暗きことよ、汝は我號衣を見ること能はざるべし。我が新に獲たる友は、善く我を導けり。彼等は汝が如き窮措大(きうそだい)めきたる男にあらず。我等は御國を祝ひて盞を傾け、又折に觸れてはおもしろき戲をもなせり。されど其戲をもの語らんは、汝が耳の聽くに堪へざるところならん。そなたの世を渡るさまをおもへば、男に生れたる甲斐なくぞおもはるゝ。我はこの二三月が程に十年の經驗をなしたり。我はわが少年の血氣を覺えたり。そは我血を湧し、我胸を張らしむ。我は人生の快樂を味へり。我唇はまだ燃え、我咽はまだ痒(かゆ)きに、我身はこれを受用すること醉ひたる人の水を飮むらんやうなり。斯く説き聞せられて、我はいつもながら氣沮(はゞ)みて聲も微(かすか)に、さらば君が友だちといふはあまり善き際(きは)にはあらぬなるべしと答へき。ベルナルドオはこらへず。善き際にあらず、とは何をか謂ふ。我に向ひて道徳をや説かんとする。吾友だちは汝にあしさまに言はるべきものにはあらず。吾友だちは羅馬にあらん限の貴き血統にこそあなれ。われ等は法皇の禁軍(このゑ)なり。縱(たと)ひわづかの罪ありとも、そは法皇の免除するところなり。われも學校を出でし初には、汝が言ふ如き感なきにあらざりしが、われは敢て直ちにこれを言はず、敢て友等に知らしめざりき。われは彼輩(かのともがら)のなすところに傚(なら)ひき。そは我意志の最も強き方に從ひたるのみ。我意馬を奔(はし)らしめて、その往くところに任するときは、我はかの友だちに立ち後(おく)るゝ憂なかりしなり。されど此間我胸中には、猶少しの寺院教育の滓(かす)殘り居たれば、我も何となく自ら安(やすん)ぜざる如き思をなすことありき。我はをり/\此滓のために戒(いまし)められき。我は生れながらの清白なる身を涜(けが)すが如くおもひき。かゝる懸念は今や名殘(なごり)なく失せたり。今こそ我は一人前の男にはなりたるなれ。かの教育の滓を身に帶びたる限は、その人小兒のみ、卑怯者のみ。おのれが意志を抑へ、おのれが欲するところを制して、獨り鬱々として日を送らんは、その卑怯ものゝ舉動ならずや、餘に饒舌(しやべ)りて途のついでをも顧みざりしこそ可笑しけれ。こゝはキヤヰカの前なり。類(たぐひ)なき酒家(オステリア)にて、羅馬の藝人どもの集ふところなり。我と共に來よ。切角の邂逅(めぐりあひ)なれば、一瓶の葡萄酒を飮まん。この家のさまの興あるをも見せまほしといふ。われ。そは思ひもよらぬ事なり。若し學校の人々、わが禁軍(このゑ)の士官と倶(とも)に酒店にありしを聞かば奈何。ベルナルドオ。現(げ)に酒一杯飮まんは限なき不幸なるべし。されど試に入りて見よ。外國の藝人等が故郷の歌をうたふさまいと可笑し。獨逸語あり。法朗西(フランス)語あり。英吉利(イギリス)語あり。またいづくの語とも知られぬあり。これ等を聞かんも興あるべし。われ。否、君には酒一杯飮まんこと常の事なるべけれど、我は然らず。強ひて伴はんことは君が本意にもあらざるべし。斯く辭(いろ)ふほどに、傍なる細道の方に、許多(あまた)の人の笑ふ聲、喝采する聲いと賑はしく聞えたり。われはこれに便を得て、友の臂(ひぢ)を把(と)りていはく。見よ、かしこに人あまた集りたるは何事にかあらん。想ふに聖母の御龕(みほごら)の下にて手品使ふものあるならん。我等も往きてこそ觀め。
 我等が往方(ゆくて)を塞ぎたるは、極めて卑き際(きは)の老若男女なりき。この人々は聖母のみほごらの前にて長き圈(わ)をなし、老いたる猶太(ユダヤ)教徒一人を取り卷きたり。身うち肥えふとりて、肩幅いと廣き男あり。手に一條の杖を持ちたるが、これを翁(おきな)が前に横(よこた)へ、翁に跳(をど)り超えよと促すにぞありける。
 凡そ羅馬の市には、猶太教徒みだりに住むことを許されず。その住むべき廓(くるわ)をば嚴しく圍みて、これを猶太街(ゲツトオ)といふ。(我國の穢多まちの類なるべし。)夕暮には廓の門を閉ぢ、兵士を置きて人の出入することを許さず。こゝに住める猶太教徒は、歳に一たび仲間の年寄をカピトリウムに遣り、來ん年もまた羅馬にあらんことを許し給はゞ、謝肉祭(カルネワレ)の時の競馬(くらべうま)の費用(ものいり)をも例の如く辨(わきま)へ、又定の日には加特力(カトリコオ)教徒の寺に往きて、宗旨がへの説法をも聽くべし、と願ふことなり。
 今杖の前に立てる翁は、こよひ此街のをぐらき方を、靜に走り過ぎんとしたるなり。「モルラ」といふ戲(たはぶれ)せんと集ひたりし男ども、道に遊び居たりし童等は、早くこれを見付けて、見よ人々、猶太の爺(ぢゞ)こそ來ぬれと叫びぬ。翁はさりげなく過ぎんとせしに、群衆はゆくてに立ちふさがりて通さず。かの肥えたる男は、杖を翁が前に横へて、これを跳り超えて行け、さらずは廓の門の閉ぢらるゝ迄えこそは通すまじけれ、我等は汝が足の健(すこやか)さを見んと呼びたり。童等はもろ聲に、超えよ超えよ、亞伯罕(アブラハム)の神は汝を助くるならんといと喧しく囃(はや)したり。翁は聖母の像を指ざしていふやう。人々あれを見給へ。おん身等もかしこに跪きては、慈悲を願ひ給ふならずや。我はおん身等に對して何の辜(つみ)をもおかしゝことなし。我髮の白きを憫(あはれ)み給はゞ、恙(つゝが)なく家に歸らしめ給へといふ。杖持ちたる男冷笑(あざわら)ひて、聖母爭(いか)でか猶太の狗(いぬ)を顧み給はん、疾(と)く跳り超えよといひつゝいよ/\翁に迫る程に、群衆は次第に狹き圈(わ)を畫して、翁の爲(せ)んやうを見んものをと、息を屏(つ)めて覗ひ居たり。ベルナルドオはこの有樣を見るより、前なる群衆を押し退けて圈の中に躍り入り、肥えたる男の側につと寄せて、その杖を奪ひ取り、左の手にこれを指し伸べ、右の手には劍を拔きて振り翳(かざ)し、かの男を叱して云ふやう。この杖をば、汝先づ跳り超えよ。猶與(たゆた)ふことかは。超えずは、汝が頭を裂くべしといふ。群衆は唯だ呆れてベルナルドオが面を打ち眺めたり。彼男はしばし夢見る如くなりしが、怒氣を帶びたる詞、鞘(さや)を拂ひし劍、禁軍の號衣、これ皆膽を寒からしむるに足るものなりければ、何のいらへもせず、一跳(ひとはね)して杖を超えたり。ベルナルドオは男の跳り超ゆるを待ちて杖を擲(なげう)ち、その肩口をしかと壓へ、劍の背(せ)もて片頬を打ちていふやう。善くこそしつれ。狗にはふさはしき舉動(ふるまひ)かな。今一たびせよさらば免(ゆる)さんといふ。男は是非なく又跳り超えぬ。初め呆れ居たる群衆は、今その可笑しさにえ堪へず、一度にどつと笑ひぬ。ベルナルドオのいはく。猶太の翁(おきな)よ。邪魔をば早や拂ひたれば、いざ送りて得させんといふ。されど翁はいつの間にか逃げゆきけん、近きところには見えざりき。
 我はベルナルドオを引きて群衆の中を走り出でぬ。來よ我友。今こそは汝と共に酒飮まんとおもふなれ。今より後は、たとひいかなる事ありても、われ汝が友たるべし。ベルナルドオ。そなたは昔にかはらぬ物ずきなるよ。されど我が知らぬ猶太の翁のかた持ちて、かの癡人(しれもの)と爭ひしも、おなじ物ずきにやあらん。
 我等は酒家(オステリア)に入りぬ。客は一間に滿ちたれども、別に我等に目を注(つ)くるものあらざりき。隅の方なる小卓に倚りて、共に一瓶の葡萄酒を酌み、友誼の永く渝(かは)らざらんことを誓ひて別れぬ。
 學校の門をば、心やすき番僧の年老いたるが、仔細なく開きて入れぬ。あはれ、珍しき事の多かりし日かな。身の疲に酒の醉さへ加はりたれば、程なく熟睡して前後を知らず。

   猶太をとめ

 許をも受けで校外に出で、士官と倶に酒店に入りしは、輕からぬ罪なれば、若し事露(あらは)れなば奈何(いか)にすべきと、安き心もあらざりき。さるを僥倖(げうかう)にもその夕我を尋ねし人なく、又我が在らぬを知りたるは、例の許を得つるならんとおもひて、深くも問ひ糺(たゞ)さで止みぬ。我が日ごろの行よく謹(つゝし)めるかたなればなりしなるべし。光陰は穩に遷(うつ)りぬ。課業の暇あるごとに、恩人の許におとづれて、そを無上の樂となしき。小尼公は日にけに我に昵(なじ)み給ひぬ。我は穉(をさな)かりしとき寫しつる畫など取り出でゝ、み館にもて往き、小尼公に贈るに、しばしはそれもて遊び給へど、幾程もあらぬに破(や)り棄て給ふ。我はそをさへ拾ひ取りて、藏(をさ)めおきぬ。
 その頃我はヰルギリウスを讀みき。その六の卷なるエネエアスがキユメエの巫(みこ)に導かれて地獄に往く條(くだり)に至りて、我はその面白さに感ずること常に超えたり。こはダンテの詩に似たるがためなり。ダンテによりて我作をおもひ、我作によりて我友をおもへば、ベルナルドオが面を見ざること久しうなりぬ。恰も好しワチカアノの畫廊開かるべき日なり。且は美しき畫、めでたき石像を觀、且はなつかしき友の消息を聞かばやとおもひて、われは又學校の門を出でぬ。
 美しきラフアエロが半身像を据ゑたる長き廊の中に入りぬ。仰塵(てんじやう)にはかの大匠の下畫によりて、門人等が爲上げたりといふ聖經の圖あり。壁を掩(おほ)へるめづらしき飾畫、穹窿を填(うづ)めたる飛行の童の圖、これ等は皆我が見慣れたるものなれど、我は心ともなくこれに目を注ぎて、わが待つ人や來るとたゆたひ居たり。欄(おばしま)に凭(よ)りて遠く望めば、カムパニアの野のかなたなる山々の雄々しき姿をなしたる、固より厭(あ)かぬ眺なれど、鋪石に觸るゝ劍の音あるごとに、我は其人にはあらずやとワチカアノの庭を見おろしたり。されどベルナルドオは久しく來ざりき。
 間といふ間を空(むなし)くめぐり來ぬ。ラオコオンの群の前をも徒(いたづら)に過ぎぬ。我はほと/\興を失ひて、「トルソオ」をも「アンチノウス」をも打ち棄てゝ、家路に向はんとせしとき、忽ち羽つきたる□(かぶと)を戴き、長靴の拍車を鳴して、輕らかに廊を歩みゆく人あり。追ひ近づきて見ればベルナルドオなり。友の喜は我喜に讓らざりき。語るべき事多ければ、共に來よと云ひつゝ、友は我を延(ひ)きて奧の方へ行きぬ。
 汝はわが別後いかなる苦を嘗めしかを知らざるべし。又その苦の今も猶止むときなきを知らぬなるべし。譬へば我は病める人の如し。そを救ふべき醫は汝のみ。汝が採らん藥草の力こそは、我が唯一の頼なれ。斯くさゝやきつゝ、友は我を延いて大なる廳を過ぎ、そこを護れる禁軍(このゑ)の瑞西(スイス)兵の前を歩みて、當直士官の室に入りぬ。君は病めりと云へど、面は紅に目は輝けるこそ訝(いぶか)しけれ。さなり。我身は頭の頂より足の尖まで燃ゆるやうなり。我はそれにつきて汝が智惠を借らんとす。先づそこに坐せよ。別れてより後の事を語り聞すべし。
 汝はかの猶太の翁の事を記(おぼ)えたりや。聖母の龕(がん)の前にて、惡少年に窘(くるし)められし翁の事なり。我はかの惡少年を懲(こら)して後、翁猶在らば、家まで送りて得させんとおもひしに、早やいづち往きけん見えずなりぬ。その後翁の事をば少しも心に留めざりしに、或日ふと猶太廓(ゲツトオ)の前を過ぎぬ。廓の門を守れる兵士に敬禮せられて、我は始めてこゝは猶太街の入口ぞと覺(さと)りぬ。その時門の内を見入りたるに、黒目がちなる猶太の少女あまた群をなして佇(たゝず)みたり。例のすきごゝろ止みがたくて、我はそが儘馬を乘り入れたり。こゝに住める猶太教徒は全き宗門の組合をなして、その家々軒を連ねて高く聳え、窓といふ窓よりは、「ベレスヒツト、バラ、エロヒム」といふ祈の聲聞ゆ。街には宗徒簇(むらが)りて、肩と肩と相摩するさま、むかし紅海を渡りけん時も忍ばる。簷端(のきば)には古衣、雨傘その外骨董どもを、懸けも陳(なら)べもしたり。我駒の行くところは、古かなもの、古畫を鬻(ひさ)ぐ露肆(ほしみせ)の間にて、目も當てられず穢(けが)れたる泥□(ぬかるみ)の裡(うち)にぞありける。家々の戸口より笑みつゝ仰ぎ瞻(み)る少女二人三人を見るほどに、何にても買ひ給はずや、賣り給ふ物あらば價尊く申し受けんと、聲々に叫ぶさま堪ふべくもあらず。想へ汝、かゝる地獄めぐりをこそダンテは書くべかりしなれ。
 忽ち傍なる家より一人の翁馳せ出でゝ、我馬の前に立ち迎へ、我を拜むこと法皇を拜むに異ならず。貴き君よ、我命の親なる君よ。再び君と相見る今日(けふ)は、そも/\いかなる吉日ぞ。このハノホ老いたれども、恩義を忘れぬほどの記憶はありとおぼされよ。かく語りつゞけて、末にはいかなる事をか言ひけん、悉くは解(げ)せず、又解したるをも今は忘れたれば甲斐なし。これ去(い)ぬる夜惡少年の杖を跳り越ゆべかりし翁なり。翁は我手の尖(さき)に接吻し、我衣の裾に接吻していふやう。かしこなるは我破屋(あばらや)なり。されど鴨居(かもゐ)のいと低くて君が如き貴人を入らしむべきならぬを奈何せん。かく言ひては拜み、拜みては言ふ隙に、近きわたりの物共は、我等二人のまはりに集ひ、あからめもせず打ち守りたる、そのうるさゝにえ堪へず、我は早や馬を進めんとしたり。この時ふと仰ぎ見れば、翁が家の樓上よりさし覗きたる少女あり。色好なる我すらかゝる女子を見しことなし。大理石もて刻めるアフロヂテの神か。されど亞剌伯(アラビア)種の少女なればにや、目と頬とには血の温さぞ籠りたる。想へ汝、我が翁に引かれて、辭(いろ)はずその家に入りしことの無理ならぬを。
 廊の闇さはスチピオ等の墓に降りゆく道に讓らず。木の欄(てすり)ある梯(はしご)は、行くに足の尖まで油斷せざる稽古を、怠りがちなる男にせさするに宜しかるべし。部屋に入りて見れば、さまで見苦しからず。されど例の少女はあらず。少女あらずば、われこゝに來て何をかせん。技癢(ぎやう)に堪へざる我心をも覺らず、かの翁は永々しき謝恩の演説をぞ始めける。その辭に綴り込めたる亞細亞(アジア)風の譬喩の多かりしことよ。汝が如き詩人ならましかば、そを樂みて聞きもせん。我は恰も消化し難き饌(せん)に向へる心地して、肚(はら)のうちには彼女子今か出づるとのみおもひ居たり。此時翁は感ずべき好き智慧を出しぬ。あはれ此智慧、好き折に出でなば、いかにか我を喜ばしめしならん。翁のいはく。貴きわたりに交らひ給ふ殿達は、定めて金多く費し給ふならん。君も卒(には)かに金なくてかなはぬ時、餘所にてそを借り給はば、二割三割などいひて、夥(おびたゞ)しき利息を取られ給ふべし。さる時あらば、必ず我許に來給へ。利息は申し受けずして、いくばくにても御用だて侍らん。そはイスラエルの一枝を護りたる君が情(なさけ)の報なりといひぬ。我は今さる望なきよし答へぬ。翁さらに語を繼ぎて。さらば先づ平かに居給へ。好き葡萄酒一瓶あれば、そを獻(たてまつ)らんといふ。我は今いかなる事を答へしか知らず。されどその詞と共に一間に入り來りしは彼少女なり。いかなる形ぞ。いかなる色ぞ。髮は漆(うるし)の黒さにてしかも澤(つや)あり。こは彼翁の娘なりき。少女はチプリイの酒を汲みて我に與へぬ。我がこれを飮みて、少女が壽(ことほぎ)をなしゝとき、その頬にはサロモ王の餘波(なごり)の血こそ上りたれ。汝はいかにかの天女が、言ふにも足らぬ我腕立を謝せしを知るか。その聲は世にたぐひなき音樂の如く我耳を打ちたり。あはれ、かれは斯世のものにはあらざりけり。されば其姿の忽ち見えずなりて、唯だ翁と我とのみ座に殘りしも宜(むべ)なり。
 この物語を聞きて、我は覺えず呼びぬ。そは自然の詩なり。韻語にせばいかに面白からん。

   媒(なかだち)

士官のいふやう。この時よりして我がいかばかり戀といふものゝ苦を嘗めたるを知るか。我が幾たび空中に樓閣を築きて、又これを毀(こぼ)ちたるを知るか。我が彼猶太(ユダヤ)をとめに逢はんとていかなる手段を盡しゝを知るか。我は用なきに翁を訪ひて金を借りぬ。我は八日の期限にて、二十「スクヂイ」を借らんといひしに、翁は快く諾(うべな)ひて粲然たる黄金を卓上に並べたり。されど少女は影だに見せざりき。我は三日過ぎて金返しに往きぬ。初翁は我を信ぜること厚しとは云ひしが、それには世辭も雜りたりしことなれば、今わが斯く速に金を返すを見て、翁が喜は眉のあたりに呈(あらは)れき。我は前の日の酒の旨(うま)かりしを稱へしかど、翁自ら瓶取り出して、顫(ふる)ふ痩手にて注ぎたれば、これさへあだなる望となりぬ。この日も少女は影だに見せざりき。たゞ我が梯(はしご)を走りおりしとき、半ば開きたる窓の帷(とばり)すこしゆらめきたるやうなりき。是れ我少女なりしならん。さらば君よ、とわれ呼びしが、窓の中はしづまりかへりて何の應(いらへ)もなし。おほよそ其頃よりして、今日まで盡しゝ我手段は悉くあだなりき。されど我心は決して撓(たわ)むことなし。我は少女が上を忘るゝこと能はず。友よ。我に力を借せ。昔エネエアスを戀人に逢せしサツルニアとヱヌスとをば、汝が上とこそ思へ。いざ我をあやしき巖室(いはむろ)に誘はずや。われ。そは我身にはふさはしからぬ業なりと覺ゆ。さはれおん身は猶いかなる手段ありて、我をさへ用ゐんとするか、かゝる筋の事に、この身用立つべしとは、つや/\思ひもかけず。士官。否々。汝が一諾をだに得ば、我事は半ば成りたるものぞ。ヘブライオスの語は美しき詞なり。その詩趣に富みたること多く類を見ずと聞く。汝そを學びて、師には老いたるハノホを撰べ。彼翁は廓内にて學者の群に數へられたり。彼翁汝がおとなしきを見て、娘にも逢はせんをり、汝我がために娘に説かば、我戀何ぞ協(かな)はざることを憂へん。されど此手段を行はんには、決して時機を失ふべからず。駈足(かけあし)にせよ歩度を伸べたる驅足にせよ。燃ゆる毒は我脈を循(めぐ)れり。そは世におそろしき戀の毒なり。異議なくば、あすをも待たで猶太の翁を訪へ。われ。そは餘りに無理なる囑(たのみ)なり。我が爲すべきことの面正しからぬはいふも更なり、汝が志すところも卑しき限ならずや。その少女縱令(よしや)美しといふとも、猶太の翁が子なりといへば。士官。それ等は汝が解(げ)し得ざる事なり。貨(しろもの)だに善くば、その産地を問ふことを須(もち)ゐず。友よ、善き子よ。我がためにヘブライオスの語を學べ。我も諸共に學ばんとす。
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