即興詩人
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著者名:アンデルセンハンス・クリスチャン 

    初版例言

一、即興詩人は□馬(デンマルク)の HANS(ハンス) CHRISTIAN(クリスチアン) ANDERSEN(アンデルセン)(1805―1875)の作にして、原本の初板は千八百三十四年に世に公にせられぬ。二、此譯は明治二十五年九月十日稿を起し、三十四年一月十五日完成す。殆ど九星霜を經たり。然れども軍職の身に在るを以て、稿を屬するは、大抵夜間、若くは大祭日日曜日にして家に在り客に接せざる際に於いてす。予は既に、歳月の久しき、嗜好の屡□(しばしば)變じ、文致の畫一なり難きを憾(うら)み、又筆を擱(お)くことの頻にして、興に乘じて揮瀉すること能はざるを惜みたりき。世或は予其職を曠(むな)しくして、縱(ほしいまゝ)に述作に耽ると謂ふ。寃(ゑん)も亦甚しきかな。三、文中加特力(カトリツク)教の語多し。印刷成れる後、我國公教會の定譯あるを知りぬ。而れども遂に改刪(かいさん)すること能はず。四、此書は印するに四號活字を以てせり。予の母の、年老い目力衰へて、毎(つね)に予の著作を讀むことを嗜(たしな)めるは、此書に字形の大なるを選みし所以の一なり。夫れ字形は大なり。然れども紙面殆ど餘白を留めず、段落猶且連續して書し、以て紙數をして太(はなは)だ加はらざらしむることを得たり。  明治三十五年七月七日下志津陣營に於いて譯者識す
    第十三版題言

是れ予が壯時の筆に成れる IMPROVISATOREN(イムプロヰザトオレン) の譯本なり。國語と漢文とを調和し、雅言と俚辭とを融合せむと欲せし、放膽にして無謀なる嘗試は、今新に其得失を論ずることを須(もち)ゐざるべし。初めこれを縮刷に付するに臨み、予は大いに字句を削正せむことを期せしに、會□(たま/\)歐洲大戰の起るありて、我國も亦其旋渦中に投ずるに至りぬ。羽檄旁午(うげきばうご)の間、予は僅に假刷紙を一閲することを得しのみ。
 大正三年八月三十一日觀潮樓に於いて
譯者又識す
   わが最初の境界

 羅馬(ロオマ)に往きしことある人はピアツツア、バルベリイニを知りたるべし。こは貝殼持てるトリイトンの神の像に造り做(な)したる、美しき噴井(ふんせい)ある、大なる廣こうぢの名なり。貝殼よりは水湧き出でゝその高さ數尺に及べり。羅馬に往きしことなき人もかの廣こうぢのさまをば銅板畫にて見つることあらむ。かゝる畫にはヰア、フエリチエの角なる家の見えぬこそ恨なれ。わがいふ家の石垣よりのぞきたる三條の樋(ひ)の口は水を吐きて石盤に入らしむ。この家はわがためには尋常(よのつね)ならぬおもしろ味あり。そをいかにといふにわれはこの家にて生れぬ。首(かうべ)を囘(めぐら)してわが穉(をさな)かりける程の事をおもへば、目もくるめくばかりいろ/\なる記念の多きことよ。我はいづこより語り始めむかと心迷ひて爲(せ)むすべを知らず。又我世の傳奇(ドラマ)の全局を見わたせば、われはいよ/\これを寫す手段に苦(くるし)めり。いかなる事をか緊要ならずとして棄て置くべき。いかなる事をか全畫圖をおもひ浮べしめむために殊更に數へ擧ぐべき。わがためには面白きことも外人(よそびと)のためには何の興もなきものあらむ。われは我世のおほいなる穉物語(をさなものがたり)をありのまゝに僞り飾ることなくして語らむとす。されどわれは人の意を迎へて自ら喜ぶ性(さが)のこゝにもまぎれ入らむことを恐る。この性は早くもわが穉き時に、畠の中なる雜草の如く萌え出でゝ、やうやく聖經に見えたる芥子(かいし)の如く高く空に向ひて長じ、つひには一株の大木となりて、そが枝の間にわが七情は巣食ひたり。わが最初の記念の一つは既にその芽生(めばえ)を見せたり。おもふにわれは最早六つになりし時の事ならむ。われはおのれより穉き子供二三人と向ひなる尖帽僧(カツプチノオ)の寺の前にて遊びき。寺の扉には小(ちひさ)き眞鍮の十字架を打ち付けたりき。その處はおほよそ扉の中程にてわれは僅に手をさし伸べてこれに達することを得き。母上は我を伴ひてかの扉の前を過ぐるごとに、必ずわれを掻き抱きてかの十字架に接吻せしめ給ひき。あるときわれ又子供と遊びたりしに、甚だ穉(をさな)き一人がいふやう。いかなれば耶蘇(やそ)の穉子は一たびもこの群に來て、われ等と共に遊ばざるといひき。われさかしく答ふるやう。むべなり、耶蘇の穉子は十字架にかゝりたればといひき。さてわれ等は十字架の下にゆきぬ。かしこには何物も見えざりしかど、われ等は猶母に教へられし如く耶蘇に接吻せむとおもひき。さるを我等が口はかしこに屆くべきならねば、我等はかはる/″\抱き上げて接吻せしめき。一人の子のさし上げられて僅に唇を尖らせたるを、抱いたる子力足らねば落しつ。この時母上通りかゝり給へり。この遊のさまを見て立ち住(と)まり、指組みあはせて宣(のたま)ふやう。汝等はまことの天使なり。さて汝はといひさして、母上はわれに接吻し給ひ、汝はわが天使なりといひ給ひき。
 母上は隣家の女子の前にて、わがいかに罪なき子なるかを繰り返して語り給ひぬ。われはこれを聞きしが、この物語はいたくわが心に協(かな)ひたり。わが罪なきことは固(もと)よりこれがために前には及ばずなりぬ。人の意を迎へて自ら喜ぶ性(さが)の種は、この時始めて日光を吸ひ込みたりしなり。造化は我におとなしく軟(やはらか)なる心を授けたりき。さるを母上はつねに我がこゝろのおとなしきを我に告げ、わがまことに持てる長處と母上のわが持てりと思ひ給へる長處とを我にさし示して、小兒の罪なさはかの醜き「バジリスコ」の獸におなじきをおもひ給はざりき。かれもこれもおのが姿を見るときは死なでかなはぬ者なるを。
 彼(かの)尖帽宗(カツプチヨオ)の寺の僧にフラア・マルチノといへるあり。こは母上の懺悔を聞く人なりき。かの僧に母上はわがおとなしさを告げ給ひき。祈のこゝろをばわれ知らざりしかど、祈の詞をばわれ善く諳(そらん)じて洩らすことなかりき。僧は我をかはゆきものにおもひて、あるとき我に一枚の圖をおくりしことあり。圖の中なる聖母(マドンナ)のこぼし給ふおほいなる涙の露は地獄の□(ほのほ)の上におちかかれり。亡者は爭ひてかの露の滴りおつるを承(う)けむとせり。僧は又一たびわれを伴ひてその僧舍にかへりぬ。當時わが目にとまりしは、方(けた)なる形に作りたる圓柱の廊なりき。廊に圍まれたるは小(ちさ)き馬鈴藷圃(ばれいしよばたけ)にて、そこにはいとすぎ(チプレツソオ)の木二株、檸檬(リモネ)の木一株立てりき。開(あ)け放ちたる廊には世を逝(みまか)りし僧どもの像をならべ懸けたり。部屋といふ部屋の戸には獻身者の傳記より撰び出したる畫圖を貼り付けたり。當時わがこの圖を觀し心は、後になりてラフアエロ、アンドレア・デル・サルトオが作を觀る心におなじかりき。
 僧はそちは心猛(たけ)き童なり、いで死人を見せむといひて、小き戸を開きつ。こゝは廊(わたどの)より二三級低きところなりき。われは延(ひ)かれて級を降りて見しに、こゝも小き廊にて、四圍悉く髑髏(どくろ)なりき。髑髏は髑髏と接して壁を成し、壁はその並びざまにて許多(あまた)の小龕(せうがん)に分れたり。おほいなる龕には頭のみならで、胴をも手足をも具へたる骨あり。こは高位の僧のみまかりたるなり。かゝる骨には褐色の尖帽を被(き)せて、腹に繩を結び、手には一卷の經文若くは枯れたる花束を持たせたり。贄卓(にへづくゑ)、花形(はながた)の燭臺、そのほかの飾をば肩胛(かひがらぼね)、脊椎(せのつちぼね)などにて細工したり。人骨の浮彫(うきぼり)あり。これのみならず忌まはしくも、又趣なきはこゝの拵へざまの全體なるべし。僧は祈の詞を唱へつゝ行くに、われはひたと寄り添ひて從へり。僧は唱へ畢(をは)りていふやう。われも早晩(いつか)こゝに眠らむ。その時汝はわれを見舞ふべきかといふ。われは一語をも出すこと能はずして、僧と僧のめぐりなる氣味わるきものとを驚き□(み)たり。まことに我が如き穉子をかゝるところに伴ひ入りしは、いとおろかなる業(わざ)なりき。われはかしこにて見しものに心を動かさるゝこと甚しかりければ、歸りて僧の小房に入りしとき纔(わづか)に生き返りたるやうなりき。この小房の窓には黄金色なる柑子(かうじ)のいと美しきありて、殆ど一間の中に垂れむとす。又聖母の畫あり。その姿は天使に擔ひ上げられて日光明なるところに浮び出でたり。下には聖母の息(いこ)ひたまひし墓穴ありて、もゝいろちいろの花これを掩(おほ)ひたり。われはかの柑子を見、この畫を見るに及びて、わづかに我にかへりしなり。
 この始めて僧房をたづねし時の事は、久しき間わが空想に好き材料を與へき。今もかの時の事をおもへば、めづらしくあざやかに目の前に浮び出でむとす。わが當時の心にては、僧といふ者は全く我等の知りたる常の人とは殊なるやうなりき。かの僧が褐色の衣を着たる死人の殆どおのれとおなじさまなると共に棲(す)めること、かの僧があまたの尊き人の上を語り、あまたの不思議の蹟(あと)を話すこと、かの僧の尊さをば我母のいたく敬ひ給ふことなどを思ひ合する程に、われも人と生れたる甲斐(かひ)にかゝる人にならばやと折々おもふことありき。
 母上は未亡人なりき。活計(くらし)を立つるには、鍼仕事(はりしごと)して得給ふ錢と、むかし我等が住みたりしおほいなる部屋を人に借して得給ふ價(あたひ)とあるのみなりき。われ等は屋根裏(やねうら)の小部屋に住めり。かのおほいなる部屋に引き移りたるはフエデリゴといふ年少(わか)き畫工なりき。フエデリゴは心敏(さと)く世をおもしろく暮らす少年なりき。かれはいとも/\遠きところより來ぬといふ。母上の物語り給ふを聞けば、かれが故郷にては聖母をも耶蘇の穉子をも知らずとぞ。その國の名をば□馬(デンマルク)といへり。當時われは世の中にいろ/\の國語ありといふことを解せねば、畫工が我が言ふことを曉(さと)らぬを耳とほきがためならむとおもひ、おなじ詞を繰り返して聲の限り高くいふに、かれはわれを可笑(をか)しきものにおもひて、をり/\果(このみ)をわれに取らせ、又わがために兵卒、馬、家などの形をゑがきあたへしことあり。われと畫工とは幾時も立たぬに中善くなりぬ。われは畫工を愛しき。母上もをり/\かれは善き人なりと宣(のたま)ひき。さるほどにわれはとある夕母上とフラア・マルチノとの話を聞きしが、これを聞きてよりわがかの技藝家の少年の上をおもふ心あやしく動かされぬ。かの異國人は地獄に墜(お)ちて永く浮ぶ瀬あらざるべきかと母上問ひ給ひぬ。そはひとりかの男の上のみにはあらじ。異國人のうちにはかの男の如く惡しき事をば一たびもせざるもの多し。かの輩(ともがら)は貧き人に逢ふときは物取らせて吝(をし)むことなし。かの輩は債あるときは期を愆(あやま)たず額をたがへずして拂ふなり。然(しか)のみならず、かの輩は吾邦人のうちなる多人數の作る如き罪をば作らざるやうにおもはる。母上の問はおほよそ此の如くなりき。
 フラア・マルチノの答へけるやう。さなり。まことにいはるゝ如き事あり。かの輩のうちには善き人少からず。されどおん身は何故に然るかを知り給ふか。見給へ。世中をめぐりありく惡魔は、邪宗の人の所詮おのが手に落つべきを知りたるゆゑ、強ひてこれを誘はむとすることなし。このゆゑに彼輩は何の苦もなく善行をなし、罪惡をのがる。善き加特力(カトリコオ)教徒はこれと殊(こと)にて神の愛子(まなご)なり、これを陷(おとしい)れむには惡魔はさま/″\の手立を用ゐざること能はず。惡魔はわれ等を誘ふなり。われ等は弱きものなればその手の中に落つること多し。されど邪宗の人は肉體にも惡魔にも誘はるゝことなしと答へき。
 母上はこれを聞きて復た言ふべきこともあらねば、便(びん)なき少年の上をおもひて大息(といき)つき給ひぬ。かたへ聞(ぎき)せしわれは泣き出しつ。こはかの人の永く地獄にありて□に苦められむつらさをおもひければなり。かの人は善き人なるに、わがために美しき畫をかく人なるに。
 わが穉きころ、わがためにおほいなる意味ありと覺えし第三の人はペツポのをぢなりき。惡人(あくにん)ペツポといふも西班牙磴(スパニアいしだん)の王といふも皆その人の綽號(あだな)なりき。此王は日ごとに西班牙磴の上に出御(しゆつぎよ)ましましき。(西班牙廣こうぢよりモンテ、ピンチヨオの上なる街に登るには高く廣き石級あり。この石級は羅馬の乞兒(かたゐ)の集まるところなり。西班牙廣こうぢより登るところなればかく名づけられしなり。)ペツポのをぢは生れつき兩の足痿(な)えたる人なり。當時そを十字に組みて折り敷き居たり。されど穉きときよりの熟錬にて、をぢは兩手もて歩くこといと巧なり。其手には革紐を結びて、これに板を掛けたるが、をぢがこの道具にて歩む速さは健(すこや)かなる脚もて行く人に劣らず。をぢは日ごとに上にもいへるが如く西班牙磴の上に坐したり。さりとて外の乞兒の如く憐を乞ふにもあらず。唯だおのが前を過ぐる人あるごとに、詐(いつはり)ありげに面(おもて)をしかめて「ボン、ジヨオルノオ」(我俗の今日はといふ如し)と呼べり。日は既に入りたる後もその呼ぶ詞はかはらざりき。母上はこのをぢを敬ひ給ふことさまでならざりき。あらず。親族(みうち)にかゝる人あるをば心のうちに恥ぢ給へり。されど母上はしば/\我に向ひて、そなたのためならば、彼につきあひおくとのたまひき。餘所(よそ)の人の此世にありて求むるものをば、かの人筐(かたみ)の底に藏(をさ)めて持ちたり。若し臨終に、寺に納めだにせずば、そを讓り受くべき人、わが外にはあらぬを、母上は恃(たの)みたまひき。をぢも我に親むやうなるところありしが、我は其側にあるごとに、まことに喜ばしくおもふこと絶てなかりき。或る時、我はをぢの振舞を見て、心に怖を懷きはじめき。こは、をぢの本性をも見るに足りぬべき事なりき。例の石級の下に老いたる盲(めくら)の乞兒(かたゐ)ありて、往きかふ人の「バヨツコ」(我二錢許(ばかり)に當る銅貨)一つ投げ入れむを願ひて、薄葉鐵(トルヲ)の小筒をさら/\と鳴らし居たり。我がをぢは、面にやさしげなる色を見せて、帽を揮(ふ)り動しなどすれど、人々その前をばいたづらに過ぎゆきて、かの盲人の何の會釋もせざるに、錢を與へき。三人かく過ぐるまでは、をぢ傍より見居たりしが、四人めの客かの盲人に小貨幣二つ三つ與へしとき、をぢは毒蛇の身をひねりて行く如く、石級を下りて、盲の乞兒の面を打ちしに、盲の乞兒は錢をも杖をも取りおとしつ。ペツポの叫びけるやう。うぬは盜人なり。我錢を竊(ぬす)む奴(やつ)なり。立派に廢人(かたは)といはるべき身にもあらで、たゞ目の見えぬを手柄顏に、わが口に入らむとする「パン」を奪ふこそ心得られねといひき。われはこゝまでは聞きつれど、こゝまでは見てありつれど、この時買ひに出でたる、一「フオリエツタ」(一勺)の酒をひさげて、急ぎて家にかへりぬ。
 大祭日には、母につきてをぢがり祝(よろこび)にゆきぬ。その折には苞苴(みやげ)もてゆくことなるが、そはをぢが嗜(たしな)めるおほ房の葡萄二つ三つか、さらずば砂糖につけたる林檎なんどなりき。われはをぢ御(ご)と呼びかけて、その手に接吻しき。をぢはあやしげに笑ひて、われに半「バヨツコ」を與へ、果子をな買ひそ、果子は食ひ畢(をは)りたるとき、迹かたもなくなるものなれど、この錢はいつまでも貯へらるゝものぞと教へき。
 をぢが住めるところは、暗くして見苦しかりき。一間(ま)には窓といふものなく、また一間(ま)には壁の上の端に、破硝子(やれガラス)を紙もて補ひたる小窓ありき。臥床(ふしど)の用をもなしたる大箱と、衣を藏(をさ)むる小桶二つとの外には、家具といふものなし。をぢがり往け、といはるゝときは、われ必ず泣きぬ。これも無理ならず。母上はをぢにやさしくせよ、と我にをしへながら、我を嚇(おど)さむとおもふときは、必ずをぢを案山子(かゝし)に使ひ給ひき。母上の宣(の)たまひけるやう。かく惡劇(いたづら)せば、好きをぢ御の許にやるべし。さらば汝も磴(いしだん)の上に坐して、をぢと共に袖乞するならむ、歌をうたひて「バヨツコ」をめぐまるゝを待つならむとのたまふ。われはこの詞を聞きても、あながち恐るゝことなかりき。母上は我をいつくしみ給ふこと、目の球にも優れるを知りたれば。
 向ひの家の壁には、小龕(せうがん)をしつらひて、それに聖母の像を据ゑ、その前にはいつも燈を燃やしたり。「アヱ、マリア」の鐘鳴るころ、われは近隣の子供と像の前に跪(ひざまづ)きて歌ひき。燈の光ゆらめくときは、聖母も、いろ/\の紐、珠、銀色したる心(しん)の臟などにて飾りたる耶蘇のをさな子も、共に動きて、我等が面を見て笑み給ふ如くなりき。われは高く朗なる聲して歌ひしに、人々聞きて善き聲なりといひき。或る時英吉利(イギリス)人の一家族、我歌を聞きて立ちとまり、歌ひ畢(をは)るを待ちて、長(をさ)らしき人われに銀貨一つ與へき。母に語りしに、そなたが聲のめでたさ故、とのたまひき。されどこの詞は、その後我祈を妨ぐること、いかばかりなりしを知らず。それよりは、聖母の前にて歌ふごとに、聖母の上をのみ思ふこと能はずして、必ず我聲の美しきを聞く人やあると思ひ、かく思ひつゝも、聖母のわがあだし心を懷けるを嫉(にく)み給はむかとあやぶみ、聖母に向ひて罪を謝し、あはれなる子に慈悲の眸を垂れ給へと願ひき。
 わが餘所の子供に出で逢ふは、この夕の祈の時のみなりき。わが世は靜けかりき。わが自ら作りたる夢の世に心を潜め、仰ぎ臥して開きたる窓に向ひ、伊太利(イタリア)の美しき青空を眺め、日の西に傾くとき、紫の光ある雲の黄金色したる地の上に垂れかゝりたるをめで、時の遷(うつ)るを知らざることしば/\なりき。ある時は、遠くクヰリナアル(丘の名にて、其上に法皇の宮居あり)と家々の棟(むね)とを越えて、紅に染まりたる地平線のわたりに、眞黒(まくろ)に浮き出でゝ見ゆる「ピニヨロ」の木々の方へ、飛び行かばや、と願ひき。我部屋には、この眺ある窓の外、中庭に向へる窓ありき。我家の中庭は、隣の家の中庭に並びて、いづれもいと狹く、上の方は木の「アルタナ」(物見のやうにしたる屋根)にて鎖(とざ)されたり。庭ごとに石にて甃(たゝ)みたる井ありしが、家々の壁と井との間をば、人ひとり僅かに通らるゝほどなれば、我は上より覗きて、二つの井の内を見るのみなりき。緑なるほうらいしだ(アヂアンツム)生ひ茂りて、深きところは唯だ黒くのみぞ見えたる。俯してこれを見るたびに、われは地の底を見おろすやうに覺えて、ここにも怪しき境ありとおもひき。かゝるとき、母上は杖の尖(さき)にて窓硝子を淨め、なんぢ井に墜ちて溺れだにせずば、この窓に當りたる木々の枝には、汝が食ふべき果(このみ)おほく熟すべしとのたまひき。

   隧道、ちご

 我家に宿りたる畫工は、廓外に出づるをり、我を伴ひゆくことありき。畫を作る間は、われかれを妨ぐることなかりき。さて作り畢(をは)りたるとき、われ穉(をさな)き物語して慰むるに、かれも今はわが國の詞を解(げ)して、面白がりたり。われは既に一たび畫工に隨ひて、「クリア、ホスチリア」にゆき、昔游戲の日まで猛獸を押し込めおきて、つねに無辜(むこ)の俘囚を獅子、「イヱナ」獸なんどの餌としたりと聞く、かの暗き洞の深き處まで入りしことあり。洞の裡(うち)なる暗き道に、我等を導きてくゞり入り、燃ゆる松火(たいまつ)を、絶えず石壁に振り當てたる僧、深き池の水の、鏡の如く明(あきらか)にて、目の前には何もなきやうなれば、その足もとまで湛へ寄せたるを知らむには、松火もて觸れ探らではかなはざるほどなる、いづれもわが空想を激したりき。われは怖をば懷かざりき。そは危しといふことを知らねばなりけり。
 街のはつる處に、「コリゼエオ」(大觀棚(おほさじき))の頂見えたるとき、われ等はかの洞の方へゆくにや、と畫工に問ひしに、否、あれよりは□(はるか)に大なる洞にゆきて、面白きものを見せ、そなたをも景色と倶(とも)に寫すべし、と答へき。葡萄圃の間を過ぎ、古の混堂(ゆや)の址(あと)を圍みたる白き石垣に沿ひて、ひたすら進みゆく程に羅馬の府の外に出でぬ。日はいと烈しかりき。緑の枝を手折りて、車の上に□し、農夫はその下に眠りたるに、馬は車の片側に弔(つ)り下げたる一束の秣(まぐさ)を食ひつゝ、ひとり徐(しづか)に歩みゆけり。やう/\女神エジエリアの洞にたどり着きて、われ等は朝餐(あさげ)を食(たう)べ、岩間より湧き出づる泉の水に、葡萄酒混ぜて飮みき。洞の裏(うち)には、天井にも四方の壁にも、すべて絹、天鵝絨(びろおど)なんどにて張りたらむやうに、緑こまやかなる苔生ひたり。露けく茂りたる蔦(つた)の、おほいなる洞門にかゝりたるさまは、カラブリア州の谿間(たにま)なる葡萄架(ぶだうだな)を見る心地す。洞の前數歩には、その頃いと寂しき一軒の家ありて、「カタコンバ」のうちの一つに造りかけたりき。この家今は潰(つひ)えて斷礎をのみぞ留めたる。「カタコンバ」は人も知りたる如く、羅馬城とこれに接したる村々とを通ずる隧道(すゐだう)なりしが、半(なかば)はおのづから壞れ、半は盜人、ぬけうりする人なんどの隱家となるを厭ひて、石もて塞がれたるなり。當時猶存じたるは、聖セバスチヤノ寺の内なる穹窿の墓穴よりの入口と、わが言へる一軒家よりの入口とのみなりき。さてわれ等はかの一軒家のうちなる入口より進み入りしが、おもふに最後に此道を通りたるはわれ等二人なりしなるべし。いかにといふに此入口はわれ等が危き目に逢ひたる後、いまだ幾(いくばく)もあらぬに塞がれて、後には寺の内なる入口のみ殘りぬ。かしこには今も僧一人居りて、旅人を導きて穴に入らしむ。
 深きところには、軟(やはらか)なる土に掘りこみたる道の行き違ひたるあり。その枝の多き、その樣の相似たる、おもなる筋を知りたる人も踏み迷ふべきほどなり。われは穉心(をさなごゝろ)に何ともおもはず。畫工はまた豫め其心して、我を伴ひ入りぬ。先づ蝋燭一つ點(とも)し、一をば猶衣のかくしの中に貯へおき、一卷(ひとまき)の絲の端を入口に結びつけ、さて我手を引きて進み入りぬ。忽ち天井低くなりて、われのみ立ちて歩まるゝところあり、忽ち又岐路の出づるところ廣がりて方形をなし、見上ぐるばかりなる穹窿をなしたるあり。われ等は中央に小き石卓を据ゑたる圓堂を過(よぎ)りぬ。こゝは始て基督教に歸依(きえ)したる人々の、異教の民に逐はるゝごとに、ひそかに集りて神に仕へまつりしところなりとぞ。フエデリゴはこゝにて、この壁中に葬られたる法皇十四人、その外數千の獻身者の事を物語りぬ。われ等は石龕のわれ目に燭火(ともしび)さしつけて、中なる白骨を見き。(こゝの墓には何の飾もなし。拿破里(ナポリ)に近き聖ヤヌアリウスの「カタコンバ」には聖像をも文字をも彫りつけたるあれど、これも技術上の價あるにあらず。基督教徒の墓には、魚を彫りたり。希臘(ギリシア)文の魚といふ字は「イヒトユス」なれば、暗に「イエソウス、クリストス、テオウ ウイオス、ソオテエル」の文の首字を集めて語をなしたるなり。此希臘文はこゝに耶蘇(やそ)基督(キリスト)神子(かみのこ)救世者と云ふ。)われ等はこれより入ること二三歩にして立ち留りぬ。ほぐし來たる絲はこゝにて盡きたればなり。畫工は絲の端を控鈕(ボタン)の孔に結びて、蝋燭を拾ひ集めたる小石の間に立て、さてそこに蹲(うづくま)りて、隧道の摸樣を寫し始めき。われは傍なる石に踞(こしか)けて合掌し、上の方を仰ぎ視ゐたり。燭は半ば流れたり。されどさきに貯へおきたる新なる蝋燭をば、今取り出してその側におきたる上、火打道具さへ帶びたれば、消えなむ折に火を點すべき用意ありしなり。
 われはおそろしき暗黒天地に通ずる幾條の道を望みて、心の中にさま/″\の奇怪なる事をおもひ居たり。この時われ等が周圍には寂として何の聲も聞えず、唯だ忽ち斷え忽ち續く、物寂しき岩間の雫の音を聞くのみなりき。われはかく由(よし)なき妄想を懷きてしばしあたりを忘れ居たるに、ふと心づきて畫工の方を見やれば、あな訝(いぶ)かし、畫工は大息つきて一つところを馳せめぐりたり。その間かれは頻(しきり)に俯して、地上のものを搜し索(もと)むる如し。かれは又火を新なる蝋燭に點じて再びあたりをたづねたり。その氣色(けしき)ただならず覺えければ、われも立ちあがりて泣き出しつ。
 この時畫工は聲を勵まして、こは何事ぞ、善き子なれば、そこに坐(すわ)りゐよ、と云ひしが、又眉を顰(ひそ)めて地を見たり。われは畫工の手に取りすがりて、最早登りゆくべし、こゝには居りたくなし、とむつかりたり。畫工は、そちは善き子なり、畫かきてや遣らむ、果子をや與へむ、こゝに錢もあり、といひつゝ、衣のかくしを探して、財布を取り出し、中なる錢をば、ことごとく我に與へき。我はこれを受くるとき、畫工の手の氷の如く冷(ひやゝか)になりて、いたく震ひたるに心づきぬ。我はいよ/\騷ぎ出し、母を呼びてます/\泣きぬ。畫工はこの時我肩を掴みて、劇(はげ)しくゆすり搖(うご)かし、靜にせずば打擲(ちやうちやく)せむ、といひしが、急に手巾(ハンケチ)を引き出して、我腕を縛りて、しかと其端を取り、さて俯してあまたゝび我に接吻し、かはゆき子なり、そちも聖母に願へ、といひき。絲をや失ひ給ひし、と我は叫びぬ。今こそ見出さめ、といひ/\、畫工は又地上をかいさぐりぬ。
 さる程に、地上なりし蝋燭は流れ畢りぬ。手に持ちたる蝋燭も、かなたこなたを搜し索(もと)むる忙しさに、流るゝこといよ/\早く、今は手の際まで燃え來りぬ。畫工の周章は大方ならざりき。そも無理ならず。若し絲なくして歩を運ばば、われ等は次第に深きところに入りて、遂に活路なきに至らむも計られざればなり。畫工は再び氣を勵まして探りしが、こたびも絲を得ざりしかば、力拔けて地上に坐し、我頸を抱きて大息つき、あはれなる子よ、とつぶやきぬ。われはこの詞を聞きて、最早家に還られざることぞ、とおもひければ、いたく泣きぬ。畫工にあまりに緊(きび)しく抱き寄せられて、我が縛られたる手はいざり落ちて地に達したり。我は覺えず埃の間に指さし入れしに、例の絲を撮(つま)み得たり。こゝにこそ、と我呼びしに、畫工は我手を※(と)[#「てへん+參」、10-下段-6]りて、物狂ほしきまでよろこびぬ。あはれ、われ等二人の命はこの絲にぞ繋ぎ留められける。
 われ等の再び外に歩み出でたるときは、日の暖に照りたる、天の蒼く晴れたる、木々の梢のうるはしく緑なる、皆常にも増してよろこばしかりき。フエデリゴは又我に接吻して、衣のかくしより美しき銀の※(とけい)[#「金+表」、10-下段-13]を取り出し、これをば汝に取らせむ、といひて與へき。われはあまりの嬉しさに、けふの恐ろしかりし事共、はや悉(こと/″\)く忘れ果てたり。されど此事を得忘れ給はざるは、始終の事を聞き給ひし母上なりき。フエデリゴはこれより後、我を伴ひて出づることを許されざりき。フラア・マルチノもいふやう。かの時二人の命の助かりしは、全く聖母(マドンナ)のおほん惠にて、邪宗のフエデリゴが手には授け給はざる絲を、善く神に仕ふる、やさしき子の手には與へ給ひしなり。されば聖母の恩をば、身を終ふるまで、ゆめ忘るゝこと勿(なか)れといひき。
 フラア・マルチノがこの詞と、或る知人の戲(たはむれ)に、アントニオはあやしき子なるかな、うみの母をば愛するやうなれど、外の女をばことごとく嫌ふと見ゆれば、あれをば、人となりて後僧にこそすべきなれ、といひしことあるとによりて、母上はわれに出家せしめむとおもひ給ひき。まことに我は奈何(いか)なる故とも知らねど、女といふ女は側に來らるゝだに厭はしう覺えき。母上のところに來る婦人は、人の妻ともいはず、處女(をとめ)ともいはず、我が穉き詞にて、このあやしき好憎の心を語るを聞きて、いとおもしろき事におもひ做(な)し、強(し)ひて我に接吻せむとしたり。就中(なかんづく)マリウチアといふ娘は、この戲にて我を泣かすること屡(しば/\)なりき。マリウチアは活溌なる少女なりき。農家の子なれど、裁縫店にて雛形娘をつとむるゆゑ、華靡(はで)やかなる色の衣をよそひて、幅廣き白き麻布もて髮を卷けり。この少女フエデリゴが畫の雛形をもつとめ、又母上のところにも遊びに來て、その度ごとに自らわがいひなづけの妻なりといひ、我を小き夫なりといひて、迫りて接吻せむとしたり。われ諾(うけが)はねば、この少女しば/\武を用ゐき。或る日われまた脅されて泣き出しゝに、さては猶穉兒(をさなご)なりけり、乳房啣(ふく)ませずては、啼き止むまじ、とて我を掻き抱かむとす。われ慌てゝ迯(に)ぐるを、少女はすかさず追ひすがりて、兩膝にて我身をしかと挾み、いやがりて振り向かむとする頭を、やう/\胸の方へ引き寄せたり。われは少女が□したる銀の矢を拔きたるに、豐なる髮は波打ちて、我身をも、露(あらは)れたる少女が肩をも掩(おほ)はむとす。母上は室の隅に立ちて、笑みつゝマリウチアがなすわざを勸め勵まし給へり。この時フエデリゴは戸の片蔭にかくれて、竊(ひそか)に此群をゑがきぬ。われは母上にいふやう。われは生涯妻といふものをば持たざるべし。われはフラア・マルチノの君のやうなる僧とこそならめといひき。
 夕ごとにわが怪しく何の詞もなく坐したるを、母上は出家せしむるにたよりよき性(さが)なりとおもひ給ひき。われはかゝる時、いつも人となりたる後、金あまた得たらむには、いかなる寺、いかなる城をか建つべき、寺の主、城の主となりなん日には、「カルヂナアレ」の僧の如く、赤き衷甸(ばしや)に乘りて、金色に裝ひたる僕(しもべ)あまた隨へ、そこより出入せんとおもひき。或るときは又フラア・マルチノに聞きたる、種々なる獻身者の話によそへて、おのれ獻身者とならむをりの事をおもひ、世の人いかにおのれを責むとも、おのれは聖母のめぐみにて、つゆばかりも苦痛を覺えざるべしとおもひき。殊に願はしく覺えしは、フエデリゴが故郷にたづねゆきて、かしこなる邪宗の人々をまことの道に歸依せしむる事なりき。
 母上のいかにフラア・マルチノと謀(はか)り給ひて、その日とはなりけむ。そはわれ知らでありしに、或る朝母上は、我に小(ちひさ)き衣を着せ、其上に白衣を打掛け給ひぬ。此白衣は膝のあたりまで屆きて、寺に仕ふる兒(ちご)の着るものに同じかりき。母上はかく爲立てゝ、我を鏡に向はせ給ひき。我は此日より尖帽宗(カツプチヨオ)の寺にゆきてちごとなり、火伴(なかま)の童達と共に、おほいなる弔香爐(つりかうろ)を提げて儀にあづかり、また贄卓(にへづくゑ)の前に出でゝ讚美歌をうたひき。總ての指圖をばフラア・マルチノなしつ。われは幾程もあらぬに、小き寺のうちに住み馴れて、贄卓に畫きたる神の使の童の顏を悉く記(おぼ)え、柱の上なるうねりたる摸樣を識り、瞑目したるときも、醜き龍と戰ひたる、美しき聖ミケルを面前に見ることを得るやうになり、鋪床(ゆか)に刻みたる髑髏の、緑なる蔦かづらにて編みたる環を戴けるを見てはさま/″\の怪しき思をなしき。(聖ミケルが大なる翼ある美少年の姿にて、惡鬼の頭を踏みつけ、鎗をその上に加へたるは、名高き畫なり。)

   美小鬟、即興詩人

 萬聖祭には衆人(もろひと)と倶(とも)に骨龕(ほねのほくら)にありき。こはフラア・マルチノの嘗て我を伴ひて入りにしところなり。僧どもは皆經を誦(じゆ)するに、我は火伴(なかま)の童二人と共に、髑髏の贄卓(にへづくゑ)の前に立ちて、提香爐(ひさげかうろ)を振り動したり。骨もて作りたる燭臺に、けふは火を點したり。僧侶の遺骨の手足全きは、けふ額に新しき花の環を戴きて、手に露けき花の一束を取りたり。この祭にも、いつもの如く、人あまた集ひ來ぬ。歌ふ僧の「ミゼレエレ」(「ミゼレエレ、メイ、ドミネ」、主よ、我を愍(あはれ)み給へ、と唱へ出す加特力(カトリコオ)教の歌をいふ)唱へはじむるとき、人々は膝を屈(かゞ)めて拜したり。髑髏の色白みたる、髑髏と我との間に渦卷ける香の烟の怪しげなる形に見ゆるなどを、我は久しく打ち目守(まも)り居たりしに、こはいかに、我身の周圍(めぐり)の物、皆獨樂(こま)の如くに□り出しつ。物を見るに、すべて大なる虹を隔てゝ望むが如し。耳には寺の鐘百(もゝ)ばかりも、一時に鳴るらむやうなる音聞ゆ。我心は早き流を舟にて下る如くにて、譬へむやうなく目出たかりき。これより後の事は知らず。我は氣を喪ひき。人あまた集ひて、鬱陶(うつたう)しくなりたるに、我空想の燃え上りたるや、この眩暈(めまひ)のもとなりけむ。醒めたるときは、寺の園なる檸檬(リモネ)の木の下にて、フラア・マルチノが膝に抱かれ居たり。
 わが夢の裡に見きといふ、首尾整はざる事を、フラア・マルチノを始として、僧ども皆神の業(わざ)なりといひき。聖(ひじり)のみたまは面前を飛び過ぎ給ひしかど、はるかなき童のそのひかり耀(かゞや)けるさまにえ堪へで、卒倒したるならむといひき。これより後、われは怪しき夢をみること頻なりき。そを母上に語れば、母上は又友なる女どもに傳へ給ひき。そが中には、われまことにさる夢を見しにはあらねど、見きと詐(いつは)りて語りしもありき。これによりて、我を神のおん子なりとする、人々の惑は、日にけに深くなりまさりぬ。
 さる程に嬉しき聖誕祭は近づきぬ。つねは山住ひする牧者の笛ふき(ピツフエラリ)となりたるが、短き外套着て、紐あまた下げ、尖りたる帽を戴き、聖母の像ある家ごとに音信(おとづ)れ來て、救世主の誕(うま)れ給ひしは今ぞ、と笛の音に知らせありきぬ。この單調にして悲しげなる聲を聞きて、我は朝な/\覺(さ)むるが常となりぬ。覺むれば説教の稽古す。おほよそ聖誕日と新年との間には、「サンタ、マリア、アラチエリ」の寺なる基督(キリスト)の像のみまへにて、童男童女の説教あること、年ごとの例なるが、我はことし其一人に當りたるなり。
 吾齡(わがよはひ)は甫(はじ)めて九つなるに、かしこにて説教せむこと、いとめでたき事なりとて、歡びあふは、母上、マリウチア、我の三人のみかは。わがありあふ卓の上に登りて、一たびさらへ聞かせたるを聞きし、畫工フエデリゴもこよなうめでたがりぬ。さて其日になりければ、寺のうちなる卓の上に押しあげられぬ。我家のとは違ひて、この卓には毯(かも)を被ひたり。われはよその子供の如く、諳(そらん)じたるまゝの説教をなしき。聖母の心(むね)より血汐出でたる、穉き基督のめでたさなど、説教のたねなりき。我順番になりて、衆人に仰ぎ見られしとき、我胸跳りしは、恐ろしさゆゑにはあらで、喜ばしさのためなりき。これ迄の小兒の中にて、尤も人々の氣に入りしもの、即ち我なること疑なかりき。さるをわが後に、卓の上に立たせられたるは、小き女の子なるが、その言ふべからず優しき姿、驚くべきまでしほらしき顏つき、調(しらべ)清き樂に似たる聲音(こわね)に、人々これぞ神のみつかひなるべき、とさゝやきぬ。母上は、我子に優る子はあらじ、といはまほしう思ひ給ひけむが、これさへ聲高く、あの女の子の贄卓に畫ける神のみつかひに似たることよ、とのたまひき。母上は我に向ひて、かの女子の怪しく濃き目の色、鴉青(からすば)いろの髮、をさなくて又怜悧(さかし)げなる顏、美しき紅葉(もみぢ)のやうなる手などを、繰りかへして譽め給ふに、わが心には妬(ねた)ましきやうなる情起りぬ。母上は我上をも神のみつかひに譬へ給ひしかども。
 鶯の歌あり。まだ巣ごもり居て、薔薇(さうび)の枝の緑の葉を啄(ついば)めども、今生ぜむとする蕾をば見ざりき。二月三月の後、薔薇の花は開きぬ。今は鶯これにのみ鳴きて聞かせ、つひには刺(はり)の間に飛び入りて、血を流して死にき。われ人となりて後、しば/\此歌の事をおもひき。されど「アラチエリ」の寺にては、我耳も未だこれを聞かず、我心も未だこれを會(ゑ)せざりき。
 母上、マリウチア、その外女どもあまたの前にて、寺にてせし説教をくりかへすこと、しば/\ありき。わが自ら喜ぶ心はこれにて慰められき。されど我が未だ語り厭(あ)かぬ間に、かれ等は早く聽き倦(う)みき。われは聽衆を失はじの心より、自ら新しき説教一段を作りき。その詞は、まことの聖誕日の説教といはむよりは、寺の祭を敍したるものといふべき詞なりき。そを最初に聞きしはフエデリゴなるが、かれは打ち笑ひ乍らも、そちが説教は、兎も角もフラア・マルチノが教へしよりは善し、そちが身には詩人や舍(やど)れる、といひき。フラア・マルチノより善しといへる詞は、わがためにいと喜ばしく、さて詩人とはいかなるものならむとおもひ煩ひ、おそらくは我身の内に舍れる善き神のみつかひならむと判じ、又夢のうちに我に面白きものを見するものにやと疑ひぬ。
 母上は家を離れて遠く出で給ふこと稀なりき。されば或日の晝すぎ、トラステヱエル(テヱエル河の右岸なる羅馬の市區)なる友だちを訪はむ、とのたまひしは、我がためには祭に往くごとくなりき。日曜に着る衣をきよそひぬ。中單(チヨキ)の代にその頃着る習なりし絹の胸當をば、針にて上衣の下に縫ひ留めき。領巾(えりぎぬ)をば幅廣き襞(ひだ)に摺(たゝ)みたり。頭には縫とりしたる帽を戴きつ。我姿はいとやさしかりき。
 とぶらひ畢(をは)りて、家路に向ふころは、はや頗る遲くなりたれど、月影さやけく、空の色青く、風いと心地好かりき。路に近き丘の上には、「チプレツソオ」、「ピニヨロ」なんどの常磐樹(ときはぎ)立てるが、怪しげなる輪廓を、鋭く空に畫(ゑが)きたり。人の世にあるや、とある夕、何事もあらざりしを、久しくえ忘れぬやうに、美しう思ふことあるものなるが、かの歸路の景色、また然(さ)る類(たぐひ)なりき。國を去りての後も、テヱエルの流のさまを思ふごとに、かの夕の景色のみぞ心には浮ぶなる。黄なる河水のいと濃(こ)げに見ゆるに、月の光はさしたり。碾穀車(こひきぐるま)の鳴り響く水の上に、朽ち果てたる橋柱、黒き影を印して立てり。この景色心に浮べば、あの折の心輕げなる少女子(をとめご)さへ、扁鼓(ひらづゝみ)手に把(と)りて、「サルタレルロ」舞ひつゝ過ぐらむ心地す。(「サルタレルロ」の事をば聊(いさゝか)注すべし。こは單調なる曲につれて踊り舞ふ羅馬の民の技藝なり。一人にて踊ることあり。又二人にても舞へど、その身の相觸るゝことはなし。大抵男子二人、若くは女子二人なるが、跳(は)ねる如き早足にて半圈に動き、その間手をも休むることなく、羅馬人に産れ付きたる、しなやかなる振をなせり。女子は裳裾(もすそ)を蹇(かゝ)ぐ。鼓をば自ら打ち、又人にも打たす。其調の變化といふは、唯遲速のみなり。)サンタ、マリア、デルラ、ロツンダの街に來て見れば、こゝはまだいと賑はし。魚蝋(ぎよらふ)の烟を風のまにまに吹き靡(なび)かせて、前に木机を据ゑ、そが上に月桂(ラウレオ)の青枝もて編みたる籠に貨物(しろもの)を載せたるを飾りたるは、肉鬻(ひさ)ぐ男、果(くだもの)賣る女などなり。剥栗(むきぐり)並べたる釜の下よりは、火□立昇りたり。賈人(あきうど)の物いひかはす聲の高きは、伊太利ことば知らぬ旅人聞かば、命をも顧みざる爭とやおもふらむ。魚賣る女の店の前にて、母上識る人に逢ひ給ひぬ。女子の間とて、物語長きに、店の蝋燭流れ盡むとしたり。さて連れ立ちて、其人の家の戸口までおくり行くに、街の上はいふもさらなり、「コルソオ」の大道さへ物寂しう見えぬ。されど美しき水盤を築きたるピアツツア、ヂ、トレヰイに曲り出でしときは、又賑はしきさま前の如し。
 こゝに古き殿づくりあり。意(こゝろ)なく投げ疊(かさ)ねたらむやうに見ゆる、礎(いしずゑ)の間より、水流れ落ちて、月は恰(あたか)も好し棟の上にぞ照りわたれる。河伯(うみのかみ)の像は、重き石衣(いしごろも)を風に吹かせて、大なる瀧を見おろしたり。瀧のほとりには、喇叭(らつぱ)吹くトリイトンの神二人海馬を馭したり。その下には、豐に水を湛(たゝ)へたる大水盤あり。盤を繞(めぐ)れる石級を見れば農夫どもあまた心地好げに月明の裡に臥したり。截(き)り碎きたる西瓜より、紅の露滴りたるが其傍にあり。骨組太き童一人、身に着けたるものとては、薄き汗衫(じゆばん)一枚、鞣革(なめしがは)の袴(はかま)一つなるが、その袴さへ、控鈕(ボタン)脱(はづ)れて膝のあたりに垂れかゝりたるを、心ともせずや、「キタルラ」の絃(いと)、おもしろげに掻き鳴して坐したり。忽ちにして歌ふこと一句、忽にして又奏(かな)づること一節。農夫どもは掌(たなそこ)打ち鳴しつ。母上は立ちとまり給ひぬ。この時童の歌ひたる歌こそは、いたく我心を動かしつれ。あはれ此歌よ。こは尋常(よのつね)の歌にあらず。この童の歌ふは、目の前に見え、耳のほとりに聞ゆるが儘なりき。母上も我も亦曲中の人となりぬ。さるに其歌には韻脚あり、其調はいと妙(たへ)なり。童の歌ひけるやう。青き空を衾(ふすま)として、白き石を枕としたる寢ごゝろの好さよ。かくて笛手(ふえふき)二人の曲をこそ聞け。童は斯く歌ひて、「トリイトン」の石像を指したり。童の又歌ひけるやう。こゝに西瓜の血汐を酌める、百姓の一群は、皆戀人の上安かれと祈るなり。その戀人は今は寢て、聖(サン)ピエトロの寺の塔、その法皇の都にゆきし、人の上をも夢みるらむ。人々の戀人の上安かれと祈りて飮まむ。又世の中にあらむ限の、箭(や)の手開かぬ少女が上をも、皆安かれと祈りて飮まむ。(箭の手開かぬ少女とは、髮に□す箭をいへるにて、處女の箭には握りたる手あり、嫁(とつ)ぎたる女の箭には開きたる手あり。)かくて童は、母上の脇を※(ひね)[#「てへん+諂のつくり」、13-下-25]りて、さて母御の上をも、又その童の鬚生(お)ふるやうになりて、迎へむ少女の上をも、と歌ひぬ。母上善くぞ歌ひしと讚め給へば、農夫どもゝジヤコモが旨(うま)さよ、と手打ち鳴してさゞめきぬ。この時ふと小き寺の石級の上を見しに、こゝには識る人ひとりあり。そは鉛筆取りて、この月明の中なる群を、寫さむとしたる畫工フエデリゴなりき。歸途には畫工と母上と、かの歌うたひし童の上につきて、語り戲れき。その時畫工は、かの童を即興詩人とぞいひける。
 フエデリゴの我にいふやう。アントニオ聞け。そなたも即興の詩を作れ。そなたは固より詩人なり。たゞ例の説教を韻語にして歌へ。これを聞きて、我初めて詩人といふことあきらかにさとれり。まことに詩人とは、見るもの、聞くものにつけて、おもしろく歌ふ人にぞありける。げにこは面白き業なり。想ふにあながち難からむとは思はれず、「キタルラ」一つだにあらましかば。わが初の作の料(たね)になりしは、向ひなる枯肉鋪(ひものみせ)なりしこそ可笑(をか)しけれ。此家の貨物(しろもの)の排(なら)べ方は、旅人の目にさへ留まるやうなりければ、早くも我空想を襲ひしなり。月桂(ラウレオ)の枝美しく編みたる間には、おほいなる駝鳥の卵の如く、乾酪の塊懸りたり。「オルガノ」の笛の如く、金紙卷きたる燭は並び立てり。柱のやうに立てたる腸づめの肉の上には、琥珀の如く光を放ちて、「パルミジヤノ」の乾酪据わりたり。夕になれば、燭に火を點ずるほどに、其光は腸づめの肉と「プレシチウツトオ」(らかん)との間に燃ゆる、聖母像前の紅玻璃燈と共に、この幻(まぼろし)の境を照せり。我詩には、店の卓の上なる猫兒(ねこ)、店の女房と價を爭ひたる、若き「カツプチノ」僧さへ、殘ることなく入りぬ。此詩をば、幾度か心の内にて吟じ試みて、さてフエデリゴに歌ひて聞かせしに、フエデリゴめでたがりければ、つひに家の中に廣まり、又街を踰(こ)えて、向ひなるひものやの女房の耳にも入りぬ。女房聞きて、げに珍らしき詩なるかな、ダンテの神曲(ヂヰナ、コメヂア)とはかゝるものか、とぞ稱(たゝ)へける。
 これを手始に、物として我詩に入らぬはなきやうになりぬ。我世は夢の世、空想の世となりぬ。寺にありて、僧の歌ふとき、提香爐(ひさげかうろ)を打ち振りても、街にありて、叫ぶ賈人(あきうど)、轟(とゞろ)く車の間に立ちても、聖母の像と靈水盛りたる瓶の下なる、小(ちさ)き臥床(ふしど)の中にありても、たゞ詩をおもふより外あらざりき。冬の夕暮、鍛冶の火高く燃えて、道ゆく百姓の立ち倚(よ)りて手を温むるとき、我は家の窓に坐して、これを見つゝ、時の過ぐるを知らず。かの鍛冶の火の中には、我空想の世の如き殊(こと)なる世ありとぞ覺えし。北山おろし劇(はげ)しうして、白雪街を籠め、廣こうぢの石の「トリイトン」に氷の鬚おふるときは、我喜限なかりき。憾(うら)むらくは、かゝる時の長からぬことよ。かゝる日には年ゆたかなる兆(きざし)とて、羊の裘(かはころも)きたる農夫ども、手を拍(う)ちて「トリイトン」のめぐりを踊りまはりき。噴き出づる水に雨は、晴れなんとする空にかゝれる虹の影映りて。

   花祭

 六月の事なりき。年ごとにジエンツアノにて執行せらるゝ、名高き花祭の期は近づきぬ。(ジエンツアノはアルバノ山間の小都會なり。羅馬と沼澤との間なる街道に近し。)母上とも、マリウチアとも仲好き女房ありて、かしこなる料理屋の妻となりたり。(伊太利の小料理屋にて「オステリア、エエ、クチイナ」と招牌(かんばん)懸けたる類なるべし。)母上とマリウチアとが此祭にゆかむと約したるは、數年前よりの事なれども、いつも思ひ掛けぬ事に妨げられて、えも果さゞりき。今年は必ず約を履(ふ)まむとなり。道遠ければ、祭の前日にいで立たむとす。かしまだちの前の夕には、喜ばしさの餘に、我眠の穩(おだやか)ならざりしも、理(ことわり)なるべし。
「ヱツツリノ」といふ車の門前に來しときは、日未だ昇らざりき。我等は直に車に上りぬ。是れより先には、われ未だ山に入りしことあらざりき。祭の事を思ひての喜に胸さわぎのみぞせられたる。身の邊(ほとり)なる自然と生活とを、人となりての後、當時の情もて觀(み)ましかば、我が作る詩こそ類なき妙品ならめ。街道の靜けさ、鐵物(かなもの)いかめしき閭門(りよもん)、見わたす限遙なるカムパニアの野邊に、物寂しき墳墓のところ/″\に立てる、遠山の裾を罩(こ)めたる濃き朝霧など、我がためにはこたび觀るべき、めでたき祕事の前兆の如くおもはれぬ。道の傍に十字架あり。そが上には枯髏(されこうべ)殘れり。こは辜(つみ)なき人を脅したる報(むくい)に、こゝに刑せられし強人(ぬすびと)の骨なるべし。これさへ我心を動すことたゞならざりき。山中の水を羅馬の市に導くなる、許多(あまた)の筧(かけひ)の數をば、はじめこそ讀み見むとしつれ、幾程もあらぬに、倦(う)みて思ひとゞまりつ。さて我は母上とマリウチアとに問ひはじめき。壞れ傾きたる墓標のめぐりにて、牧者が焚く火は何のためぞ。羊の群のめぐりに引きめぐらしたる網は何のためぞ。問はるゝ人はいかにうるさかりけむ。
 アルバノに着きて車を下りぬ。こゝよりアリチアを越す美しき道の程をば徒(かち)にてぞゆく。木犀草(もくせいさう)(レセダ)又はにほひあらせいとう(ヘイランツス)の花など道の傍に野生したり。緑なる葉の茂れる橄欖樹(オリワ)の蔭は涼しくして、憩ふ人待貌なり。遠き海をば、我も望み見ることを得き。十字架立ちたる山腹を過ぐるとき、少女子の一群笑ひ戲れて過ぐるに逢ひぬ。笑ひ戲れながらも、十字架に接吻することをば忘れざりき。アリチアの寺の屋根、黒き橄欖の林の間に見えたるをば、神の使が戲(たはむれ)に据ゑかへたる聖(サン)ピエトロ寺の屋根ならむとおもひき。索にて牽(ひ)かれたる熊の、人の如くに立ちて舞へるあり。人あまた其周(めぐり)につどひたり。熊を牽ける男の吹く笛を聞けば、こは羅馬に來て聖母の前に立ちて吹く、「ピツフエラリ」が曲におなじかりき。男に軍曹と呼ばるゝ猿あり。美しき軍服着て、熊の頭の上、脊の上などにて翻筋斗(とんぼがへり)す。われは面白さにこゝに止らむとおもふほどなりき。ジエンツアノの祭も明日のことなれば、止まればとて遲るゝにもあらず。されど母上は早く往きて、友なる女房の環飾編むを助けむとのたまへば、甲斐なかりき。
 幾程もなく到り着きて、アンジエリカが家をたづね得つ。ジエンツアノの市にて、ネミといふ湖に向へる方にありき。家はいとめでたし。壁よりは泉湧き出でゝ、石盤に流れ落つ。驢馬あまたそを飮まむとて、めぐりに集ひたり。
 料理屋に立ち入りて見るに賑しき物音我等を迎へたり。竈(かまど)には火燃えて、鍋の裡なる食は煮え上りたり。長き卓あり。市人も田舍人も、それに倚りて、酒飮み、□藏(しほづけ)にせる豚を食へり。聖母の御影の前には、青磁の花瓶に、美しき薔薇花を活けたるが、其傍なる燈は、棚引く烟に壓されて、善くも燃えず。帳場のほとりなる卓に置きたる乾酪の上をば、猫跳り越えたり、鷄の群は、我等が脚にまつはれて、踏まるゝをも厭はじと覺ゆ。アンジエリカは快く我等を迎へき。險しき梯(はしご)を登りて、烟突の傍なる小部屋に入り、こゝにて食を饗せられき。我心にては、國王の宴(うたげ)に召されたるかとおぼえつ。物として美しからぬはなく、一「フオリエツタ」の葡萄酒さへ其瓶に飾ありて、いとめでたかりき。瓶の口に栓がはりに□したるは、纔(わづか)に開きたる薔薇花なり。主客三人の女房、互に接吻したり。我も否(いな)とも諾(う)とも云ふ暇なくして、接吻せられき。母上片手にて我頬を撫(さす)り、片手にて我衣をなほし給ふ。手尖(てさき)の隱るゝまで袖を引き、又頸を越すまで襟を揚げなどして、やう/\心を安(やすん)じ給ひき。アンジエリカは我を佳(よ)き兒なりと讚めき。
 食後には面白き事はじまりぬ。紅なる花、緑なる梢を摘みて、環飾を編まむとて、人々皆出でぬ。低き戸口をくゞれば庭あり。そのめぐりは幾尺かあらむ。すべてのさま唯だ一つの四阿屋(あづまや)めきたり。細き欄(おばしま)をば、こゝに野生したる蘆薈(ろくわい)の、太く堅き葉にて援けたり。これ自然の籬(まがき)なり。看卸(みおろ)せば深き湖の面いと靜なり。昔こゝは火坑にて、一たびは焔の柱天に朝したることもありきといふ。庭を出でゝ山腹を歩み、大なる葡萄架(だな)、茂れる「プラタノ」の林のほとりを過ぐ。葡萄の蔓は高く這ひのぼりて、林の木々にさへ纏ひたり。彼方の山腹の尖りたるところにネミの市あり。其影は湖の底に印(うつ)りたり。我等は花を採り、梢を折りて、且行き且編みたり。あらせいとうの間には、露けき橄欖の葉を織り込めつ。高き青空と深き碧水とは、乍(たちま)ち草木に遮られ、乍ち又一樣なる限なき色に現れ出づ。我がためには、物としてめでたく、珍らかならざるなし。平和なる歡喜の情は、我魂を震はしめき。今に到るまで、この折の事は、埋沒したる古城の彩石壁畫(ムザイコゑ)の如く、我心目に浮び出づることあり。
 日は烈しかりき。湖の畔(ほとり)に降りゆきて、葡萄蔓(えびかづら)纏へる「プラタノ」の古樹の、長き枝を水の面にさしおろしたる蔭にやすらひたる時、我等は纔に涼しさを迎へて、編みものに心籠むることを得つ。水草の美しき頭の、蔭にありて、徐(しづか)に頷(うなづ)くさま、夢みる人の如し。これをも祈りて編み込めつ。暫しありて、日の光は最早水面に及ばずなりて、ネミとジエンツアノとの家々の屋根をさまよへり。我等が坐したるところは、次第にほの暗うなりぬ。我は遊ばむとて、群を離れたれど、岸低く、湖の深きを母上氣づかひ給へば、數歩の外には出でざりき。こゝには古きヂアナの祠(ほこら)の址(あと)あり。その破壞して形(かた)ばかりになりたる裡に、大なる無花果樹(いちじゆく)あり。蔦蘿(つたかづら)は隙なきまでに、これにまつはれたり。われは此樹に攀(よ)ぢ上りて、環飾編みつゝ、流行の小歌うたひたり。
”[#「”」は下付き]―Ah rossi, rossi flori,
Un mazzo di violi!
Un gelsomin d'amore―“
(あはれ、赤き、赤き花よ。
菫(すみれ)の束(たば)よ。
戀のしるしの素馨(そけい)〔ジエルソミノ〕の花よ。)
この時あやしく咳枯(しはが)れたる聲にて、歌ひつぐ人あり。
”[#「”」は下付き]―Per dar al mio bene!“
(摘みて取らせむその人に。)
 忽ちフラスカアチの農家の婦人の裝したる媼(おうな)ありて、我前に立ち現れぬ。その脊はあやしき迄眞直なり。その顏の色の目立ちて黒く見ゆるは、頭より肩に垂れたる、長き白紗のためにや。膚(はだへ)の皺は繁くして、縮めたる網の如し。黒き瞳は□(まぶち)を填(う)めん程なり。この媼は初め微笑(ほゝゑ)みつゝ我を見しが、俄に色を正して、我面を打ちまもりたるさま、傍なる木に寄せ掛けたる木乃伊(みいら)にはあらずや、と疑はる。暫しありていふやう。花はそちが手にありて美しくぞなるべき。彼の目には福(さいはひ)の星ありといふ。我は編みかけたる環飾を、我唇におし當てたるまゝ、驚きて彼の方を見居たり。媼またいはく。その月桂の葉は、美しけれど毒あり。飾に編むは好し。唇にな當てそといふ。此時アンジエリカ籬(まがき)の後より出でゝいふやう。賢き老女、フラスカアチのフルヰア。そなたも明日の祭の料にとて、環飾編まむとするか。さらずは日のカムパニアのあなたに入りてより、常ならぬ花束を作らむとするかといふ。媼はかく問はれても、顧みもせで我面のみ打ち目守り、詞を續(つ)ぎていふやう。賢き目なり。日の金牛宮を過ぐるとき誕(うま)れぬ。名も財(たから)も牛の角にかゝりたりといふ。此時母上も歩み寄りてのたまふやう。吾子が受領すべきは、緇(くろ)き衣と大なる帽となり。かくて後は、護摩(ごま)焚きて神に仕ふべきか、棘(いばら)の道を走るべきか。そはかれが運命に任せてむ、とのたまふ。媼は聞きて、我を僧とすべしといふ意(こゝろ)ぞ、とは心得たりと覺えられき。されど當時は、我等悉く媼が詞の顛末(もとすゑ)を解(げ)すること能はざりき。媼のいふやう。あらず。此兒が衆人(もろひと)の前にて説くところは、げに格子の裏(うち)なる尼少女の歌より優しく、アルバノの山の雷より烈しかるべし。されどその時戴くものは大なる帽にあらず。福(さいはひ)の座は、かの羊の群の間に白雲立てる、カヲの山より高きものぞといふ。この詞のめでたげなるに、母上は喜び給ひながら、猶訝(いぶか)しげにもてなして、太き息つきつゝ宣給(のたま)ふやう。あはれなる兒なり。行末をば聖母こそ知り給はめ。アルバノの農夫の車より福(さいはひ)の車は高きものを、かゝるをさな子のいかでか上り得むとのたまふ。媼のいはく。農車の輪のめぐるを見ずや。下なる輻(や)は上なる輻となれば、足を低き輻に踏みかけて、旋(めぐ)るに任せて登るときは、忽ち車の上にあるべし。(アルバノの農車はいと高ければ、農夫等かくして登るといふ。)唯だ道なる石に心せよ。市に舞ふ人もこれに躓(つまづ)く習ぞといふ。母上は半ば戲のやうに、さらばその福の車に、われも倶に登るべきか、と問ひ給ひしが、俄に打ち驚きてあなやと叫び給ひき。この時大なる鷙鳥(してう)ありて、さと落し來たりしに、その翼の前なる湖を撃ちたるとき、飛沫は我等が面を濕(うるほ)しき。雲の上にて、鋭くも水面に浮びたる大魚を見付け、矢を射る如く來りて攫(つか)みたるなり。刃の如き爪は魚の脊を穿(うが)ちたり。さて再び空に揚らむとするに、騷ぐ波にて測るにも、その大さはよの常ならぬ魚にしあれば、力を極めて引かれじと爭ひたり。鳥も打ち込みたる爪拔けざれば、今更にその獲ものを放つこと能はず。魚と鳥との鬪はいよ/\激しく、湖水の面ゆらぐまに/\、幾重ともなき大なる環を畫き出せり。鳥の翼は忽ち斂(をさ)まり、忽ち放たれ、魚の背は浮ぶかと見れば又沈みつ。數分時の後、雙翼靜に水を蔽ひて、鳥は憩ふが如く見えしが、俄にはたゝく勢に、偏翼摧(くだ)け折るゝ聲、岸のほとりに聞えぬ。鳥は殘れる翼にて、二たび三たび水を敲き、つひに沈みて見えずなりぬ。魚は最後の力を出して、敵を負ひて水底に下りしならむ。鳥も魚も、しばしが程に、底のみくづとなるならむ。我等は詞もあらで、此光景(ありさま)を眺め居たり。事果てゝ後顧みれば、かの媼は在らざりき。
 我等は詞少く歸路をいそぎぬ。森の木葉(このは)のしげみは、闇を吐き出だす如くなれど、夕照(ゆふばえ)は湖水に映じて纔(わづか)にゆくてに迷はざらしむ。この時聞ゆる單調なる物音は粉碾車(こひきぐるま)の轢(きし)るなり。すべてのさま物凄く恐ろしげなり。アンジエリカはゆく/\怪しき老女が上を物語りぬ。かの媼は藥草を識りて、能く人を殺し、能く人を惑はしむ。オレワアノといふ所に、テレザといふ少女ありき。ジユウゼツペといふ若者が、山を越えて北の方へゆきたるを戀ひて、日にけに痩せ衰へけり。媼さらば其男を喚び返して得させむとてテレザが髮とジユウゼツペが髮とを結び合せて、銅の器に入れ、藥草を雜(まじ)へて煮き。ジユウゼツペは其日より、晝も夜も、テレザが上のみ案ぜられければ、何事をも打ち棄てゝ歸り來ぬとぞ。我は此物語を聞きつゝ、「アヱ、マリア」の祈をなしつ。アンジエリカが家に歸り着きて、我心は纔におちゐたり。
 新に編みたる環飾一つを懸けたる、眞鍮の燈には、四條(よすぢ)の心(しん)に殘なく火を點し、「モンツアノ、アル、ポミドロ」といふ旨(うま)きものに、善き酒一瓶を添へて供せられき。農夫等は下なる一間にて飮み歌へり。二人代る/″\唱へ、末の句に至りて、坐客齊(ひと)しく和したり。我が子供と共に、燃ゆる竈の傍なる聖母の像のみまへにゆきて、讚美歌唱へはじめしとき、農夫等は聲を止めて、我曲を聽き、好き聲なりと稱(たゝ)へき。その嬉しさに我は暗き林をも、怪しき老女をも忘れ果てつ。我は農夫等と共に、即興の詩を歌はむとおもひしに、母上とゞめて宣給(のたま)ふやう。そちは香爐を提(ひさ)ぐる子ならずや。行末は人の前に出でゝ、神のみことばをも傳ふべきに、今いかでかさる戲せらるべき。謝肉(カルネワレ)の祭はまだ來ぬものを、とのたまひき。されど我がアンジエリカが家の廣き臥床(ふしど)に上りしときは、母上我枕の低きを厭ひて、肱さし伸べて枕せさせ、頼(たのみ)ある子ぞ、と胸に抱き寄せて眠り給ひき。我は旭(あさひ)の光窓を照して、美しき花祭の我を喚(よ)び醒(さま)すまで、穩なる夢を結びぬ。
 その旦(あした)先づ目に觸れし街の有樣、その彩色したる活畫圖を、當時の心になりて寫し出さむには、いかに筆を下すべきか。少しく爪尖あがりになりたる、長き街をば、すべて花もて掩(おほ)ひたり。地は青く見えたり。かく色を揃へて花を飾るには、園生(そのふ)の草をも、野に茂る枝をも、摘み盡し、折り盡したるかと疑はる。兩側には大なる緑の葉を、帶の如く引きたり。その上には薔薇の花を隙間なきまで並べたり。この帶の隣には又似寄りたる帶を引きて、その間をば暗紅なる花もて填めたり。これを街の氈(かも)の小縁(さゝへり)とす。
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