幸福のうわおいぐつ
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著者名:アンデルセンハンス・クリスチャン 

おばばの目がねをまずこうかけて、
さあながめます――お逃けなさるな――
ほんに、皆さま、カルタの札で
未来のうらない、あたればなぐさみ――
ではよろしいか。ご返事ないのは承知のしるし。
さて、ご好意のお礼ごころに、
目がねでみたこと申しあける。
では、皆さまの、じぶんのお国の、未来のひみつ、
カルタのおもてに読みとりまする。
   (目がねをかける)
ははん、なるほど、いや、わらわせる。
珍妙(ちんみょう)ふしぎ、お目にかけたい。
カルタの殿方、ずらりとならんで、
お行儀のいい、ハートのご婦人。
そちらに黒いは、クラブ[#「クラブ」は底本では「タラブ」]にスペード
――ひと目にずんずん、ほら、みえてくる――
スペードの嬢ちゃま、ダイヤのジャックに、
どうやらないしょのうち明け話で、
みているこっちが酔うよなありさま。
そちらはたいしたお金持そうな――
よその国からお客がたえない。
だが、つまらない――どうでもよいこと。

では、政治向。おまちなさいよ――新聞種(しんぶんだね)だ――
のちほどゆっくり読んだらわかるさ。
ここでしゃべると、業務の妨害、
晩のごはんのたのしみなくなる。
そんならお芝居――初演の新作。おこのみ流行。
いけない、これは――支配人とけんかだ。
そこでじぶんの身の上のこと、
たれしもこれが、いちばん気になる。
それはみえます――だがまあいえない、
いずれそのときにゃ、しぜんと分かる。
ここにはいるひと、たれがいちばんしあわせものか。
いちばんしあわせもの。そりゃあ、まあ、わかります。
さようさ、それは――いや、まあ、ごえんりょ申しましょう。
こりゃあ、がっかりなさる方がおおかろう。
では、どなたがいちばん長生きなさるか、
こちらの殿方か、あちらの奥さまか、
いや、こんなこと申さば、なおさらごめいわく。
すると、これか――いや、だめだ――あれか――だめだな、
さあ、あれもと――どうしていいか、さっぱりわからん。
なにしろ、どなたかのごきげんにさわります。
いっそ、皆さまのお心のなか、
それなら目がねも見とおしだ。
皆さん、かんがえていますね。いや、なにかのぞんでおいでかな。
くだらなすぎるというように。
きさま、あんまりばかばかしいぞ、
くだらぬおしゃべりもうやめろ、
それが一致のごいけんならば
はいはいやめます、だまります。

 この詩の朗読はなかなかりっぱなできで、演者は面目をほどこしました。見物のなかには、れいの病院の志願助手が、ゆうべの大事件はけろりと忘れたような顔をしてまじっていました。たれも取りにくるものがないので、うわおいぐつは相変らずはいたままでした。それになにしろ往来は道がひどいのでこれはとんだちょうほうでした。
 この詩を助手はおもしろいとおもいました。なによりもそのおもいつきが心をひきました。そういう目がねがあったらさぞいいだろう。じょうずにつかうと、その目がねで、ひとの心のなかをみとおすことができるわけだ。これは来年のことを今みるよりも、もっとおもしろいことだとかんがえました。なぜなら、さきのことはさきになれば分かるが、ひとの心なんてめったに分かるものではないのです。
「そこで、おれはまずいちばんまえの紳士貴女諸君の列をながめることにする。――いきなり、あの人たちの胸のなかにとびこんだらどうだろう。まあ窓だな、店をひろげたようにいろいろな物がならんでいるだろう。どんなにおれの目は、その店のなかをきょろきょろすることだろう。きっと、あすこの奥さんの所は大きな小間物屋にはいったようだろう。こちらのほうはきっと店がからっぽだろう。だいぶそうじがとどかないな。だがたしかな品物をうる店だってありそうなものだ。やれやれ。」と、助手はため息をつきながら、またかんがえつづけました。「なんでもたしかな品ばかり売るという店があるのだか、そこにはあいにくもう店番がいる。それがきずさ。こちらの店もあちらの店も「だんな、どうぞおはいりください」といいたそうだ。そこでかわいらしい「かんがえ」の精のようなものになって、あの人たちの胸のなかをのぞきまわってみてやりたい。」
 ほら、うわおいぐつにはもうこれだけで通じました。たちまち助手はからだがちぢくれ上がって、一ばんまえがわの見物の心から心へ実にふしぎな旅行をはじめることになりました。まっさきにはいっていったのは、ある奥さまの心で、整形外科(せいけいげか)の手術室にはいりこんだようにおもいました。これはお医者さまが、かたわな人のよぶんな肉を切りとって、からだのかっこうをよくしてくれる所をいうのです。そのへやには、かたわな手足のギプス型が壁に立てかけてありました。ただちがうのは整形病院では、ギプス型を患者(かんじゃ)がはいってくるたんびにとるのですが、この心のなかでは、人がでていったあとで型をとって、保存されることでした。ここにあるのは女のお友だちの型で。そのからだと心の欠点がそのままここに保存されていました。
 すぐまた、ほかの女のなかにはいっていきました。しかし、これは大きな神神(こうごう)しいお寺のようにおもわれました。無垢(むく)の白はとが、高い聖壇の上をとんでいました。よっぽどひざをついて拝みたいとおもったくらいでした。しかし、すぐと次の心のなかにはいっていかなければなりませんでした。でも、まだオルガンの音がきこえていました。そうしてじぶんがまえよりもいい、別の人間になったようにおもわれました。いばって次の聖堂にはいる資格が、できたように感じました。それは貧しい屋根裏のへやのかたちであらわれて、なかには病人のおかあさんがねていました。けれどあいた窓からは神さまのお日さまの光が温かくさしこみましたうつくしいばらの花が、屋根の上の小さな木箱のなかから、がてんがてんしていました。空色した二羽の小鳥が、こどもらしいよろこびのうたを歌っていました。そのなかで、病人のおかあさんは、むすめのために、神さまのおめぐみを祈っていました。
 それから、肉でいっぱいつまった肉屋の店を、四つんばいになってはいあるきました。ここは肉ばかりでした。どこまでいっても、肉のほかなにもありませんでした。これはお金持のりっぱな紳士(しんし)の心でした。おそらく、この人の名まえは紳士録にのっているでしょう。
 こんどはその紳士の奥さまの心のなかにはいりました。その心は、古い荒れはてたはと小屋でした。ごていしゅの像がほんの風見(かざみ)のにわとり代りにつかわれていました。その風見は、小屋の戸にくっついていて、ごていしゅの風見がくるりくるりするとおりに、あいたりとじたりしました。
 それからつぎには、ローゼンボルのお城でみるような鏡の間(ま)にでました。でもこの鏡は、うそらしいほど大きくみせるようにできていました。床(ゆか)のまんなかには、達頼喇嘛(ダライラマ)のように、その持主のつまらない「わたし」が、じぶんでじぶんの家の大きいのにあきれながらすわっていました。
 それからこんどは、針がいっぱいつんつんつッたっている、せまい針箱のなかにはこばれました。これはきっと年をとっておよめにいけないむすめの心にちがいないとおもいました。けれど、じつはそうではありません。たくさん勲章をぶら下げている若い士官の心でした。しかし、世間ではこの人を才と情のかねそなわった人物だといっていました。
 あわれな助手は、列のいちばんおしまいの人の心からぬけだしたとき、すっかりあたまがへんになっていて、まるでかんがえがまとまりませんでした。やたらとはげしいもうぞうが、じぶんといっしょにかけずりまわったのだとおもいました。
「やれやれ、おどろいた。」と、助手はため息をつきました。「おれはどうも気ちがいになるうまれつきらしい。それに、ここは、むやみと暑い。血があたまにのぼるわけさ。」
 そこで、ふとゆうべの、病院の鉄さくにあたまをはさまれた大事件をおもいだしました。
「きっとあのとき病気にかかったにちがいない。」と、助手はおもいました。「すぐどうかしなければならない。ロシア風呂(ぶろ)がきくかも知れない。ならば一等上のたなにねたいものだ。」
 するともう、さっそくに蒸風呂(むしぶろ)のいちばん上のたなにねていました。ところで、着物を着たなり、長ぐつも、うわおいぐつもそのままでねていました。天井(てんじょう)からあついしずくが、ぽた、ぽた、顔に落ちて来ました。
「うわあ。」と、とんきょう[#「とんきょう」は底本では「とんきょと」]にさけんで、こんどは灌水浴(かんすいよく)をするつもりで下へおりました。
 湯番は着物を着こんだ男がとびだしたのをみてびっくりして、大きなさけび声をたてました。
 でも、そういうなか[#「なか」は底本では「な声」]で、助手は、湯番の耳に、
「なあにかけをしているのだよ。」と、ささやくだけの余裕(よゆう)がありました。さて、へやにかえってさっそくにしたことは、首にひとつ、背中にひとつ、大きなスペイン発泡膏(はっぽうこう)をはることでした。これでからだのなかの気ちがいじみた毒気を吸いとろうというわけです。
 明くる朝、助手は、赤ただれたせなかを[#「せなかを」は底本では「せなをか」]していました。これが幸福のうわおいぐつからさずけてもらった御利益(ごりやく)のいっさいでした。
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   五 書記の変化(へんげ)


 さて、わたしたちがまだ忘れずにいたあの夜番は、そのうち、じぶんがみつけて、病院までもはいていったうわおいぐつのことをおもいだしました。そこで、とってかえりましたが、むこう二階の中尉にも、町のたれかれにきいても、持主は、わかりませんでしたから、警察へとどけました。
「これはわたしのうわおいぐつにそっくりだ。」と、この拾得物(しゅうとくぶつ)をみた書記君のひとりがいって、じぶんのと並べてみました。「どうして、くつ屋でもこれをみわけるのはむずかしかろう。」
「書記さん。」と、そのとき小使が書類をもってはいって来ました。
 書記はふりむいてその男と話をしていました。話がすむと、またうわおいぐつのほうへむかいましたが、もうそのときは、右か左かじぶんのがわからなくなってしまいました。
「しめっているほうがわたしのにちがいない。」と、書記君はおもいました。でも、これはかんがえちがいでした。なぜなら、そのほうが幸福のうわおいぐつだったのです。だって警察のお役人だって、まちがわないとはかぎらないでしょう。で、すましてそれをはいて、書類をかくしにつッこみました。それからあとは小わきにかかえました。これを内へかえって読んで、コピイ(副本)をつくらなければならないのです。ところで、その日は日曜の朝で、いいお天気でした。ひとつ、フレデリクスベルグへでもぶらぶらでてみるかな、とかんがえて、そちらに足をむけました。
 さて、この青年ぐらい、おとなしい、堅人(かたじん)はめったにありません。すこしばかりの散歩を、この人がするのは、さんせいですよ。ながく腰をかけ通していたあとで、きっとからだにいいでしょう。はじめのうち、この人もただぽかんとしてあるいていました。そこで、うわおいぐつも魔法をつかう機会がありませんでした。
 公園の並木道(なみきみち)にはいると、書記はふとお友だちの、若い詩人にであいました。詩人は、あしたから旅にでかけるところだと話しました。
「じゃあ、もうでかけるのかい。」と、書記はうらやましそうにいいました。「なんて幸福な自由な身の上だろう。いつどこへでも、好きなところへとんでいけるのだ。われわれと来ては、足にくさりをつけられているのだからね。」
「だが、そのくさりはパンの木にゆいつけてあるのだろう。」と、詩人はいいました。「そのかわりくらしの心配はいらないのだ。年をとれば、恩給がもらえるしな。」
「やはりなんといっても、きみのほうがいいくらしをしているよ。」と、書記がいいました。「うちにすわって詩を書いているというのは、楽しみにちがいない。それで世間からはもてはやされる。おれはおれだでやっていける。まあ、きみ、いちどためしにやってみたまえ。こまごました役所のしごとに首をつっこんでいるということが、どんなことだかわかるから。」
 詩人はあたまをふりました。書記も同様にあたまをふりました。てんでにじぶんじぶんの意見をいい張って、そのままふたりは別れました。
「どうも詩人というものはきみょうななかまだな。」と、書記はおもいました。「わたしもああいう人間の心持になってみたいものだ。じぶんで詩人になってみたいものだ。わたしなら、むろん、あの連中のように泣言をならべはしないぞ……ああ、詩人にとってなんてすばらしい春だろう。あんなにも空気は澄み、雲はあくまでうつくしい。わか葉の緑にかおりただよう。そうだ、もうなん年にも、このしゅんかんのような気持をわたしは知らなかった。」
 これで、もうこの書記は、さっそく、詩人になっていたことがわかります。べつだん目につくほどのことはありません。いったい詩人とほかの人間とでは、うまれつきからまるでちがっているようにかんがえるのは、ばかげたことです。ただの人で詩人と名のっているたいていの人間よりも、もっと詩人らしい気質の人がいくらもあるのです。ただまあ詩人となれば、おもったこと感じたことをよくおぼえていて、それをはっきりと、言葉に書きあらわすだけの天分がある、そこらがちがうところです。でも、世間なみの気質から詩人の天分にうつるというのは、やはり大きなかわり方にちがいないので、それをいま、この書記君がしているのです。
「なんとすばらしい匂だ。」と、書記はいいました。「ローネおばさんのすみれの花をおもい出させる。そう、あれはわたしのこどものじぶんだった。はてね、ながいあいだおもいだしもしずにいたのだがな。いいおばさんだったなあ。おばさんは取引所のうしろに住んでいた。いつも木の枝か青いわか枝をだいじそうに水にさして、どんな冬の寒いときでも、あたたかいへやのなかにおいた。ほっこりとすみれが花をひらいているわきで、わたしは凍った窓ガラスに火であつくした銅貨をおしつけて、すきみの穴をこしらえたものだ。あれはおもしろい見物だった。そとの掘割には船が氷にとじられていた。乗組はみんなどこかへいっていて、からすが一羽のこってかあかあないていた。やがて春風がそよそよ吹きそめると、なにかが生き生きして来た。にぎやかな歌とさけび声のなかに、氷がこわされる。船にタールがぬられて、帆綱のしたくができると、やがて知らない国へこぎ出していってしまう。でも、わたしはいつまでもここにのこっている。年がら年じゅう警察のいすに腰をかけて、ひとが外国行の旅券を受け取っていくのをながめている、これがわたしの持ってうまれた運なのだ。うん、うん、どうも。」
 こうおもって、書記はふかいため息をつきましたが。ふと、気がついて、
「はて、おかしいぞ。わたしは、いったいどうしたというのだろう。いつもこんなふうに、かんがえたり感じたりしたことはなかったのに。きっと心のなかに春風が吹き込んだのかな。なにかやるせないようで、そのくせいい気持だ。」
 こうおもいながらなにげなくかくしのなかの紙に手をふれました。「いけない。これがせっかくのかんがえをほかにむけさせるのだ。」書記はそういいながらはじめの一枚にふと目をさらしますと、それはこう読まれました。「『ジグブリット夫人、五幕新作悲劇』おやおや、これはなんだ。しかもこれはわたしの手だぞ。わたしはいつこんな悲劇(ひげき)なんて書いたろう。軽喜歌劇散歩道の陰謀 一名懺悔祈祷日。はてね、どこでこんなものをもらったろう。たれかいたずらに、かくしに入れたかな。おやおや、ここに手紙があるぞ。」
 いかにもそれは劇場の支配人から来たものでした。あなたのお作は上場いたしかねますと、それもいっこう礼をつくさない書きぶりで書いてありました。
「ふん、ふん。」こう書記はつぶやきながら、腰掛に腰をおろしました。なにか心がおどって、生きかえったようで、気分がやさしくなりました。ついすぐそばの花をひとつ手につみました。それはつまらない、ちいさなひなぎくの花でした。植物学者が、なんべんも、なんべんも、[#「、」は底本では「。」]お講義を重ねて、やっと説明することを、この花はほんの一分間に話してくれました。それはじぶんの生いたちの昔話もしました。お日さまの光がやわらかな花びらをひらかせ、いい匂を立たせてくださる話もしました。そのとき、書記は、「いのちのたたかい」ということを、ふとおもいました。これもやはりわたしたちの心を動かすものでした。
 空気と光は花と仲よしでした。それでも光がよけいすきなので、いつも光のほうへ、花は顔をむけました。ただ光が消えてしまったとき、花は花びらをまるめて、空気に抱かれながら眠りました。
「わたしを飾ってくれるのは、光ですよ。」と、花はいいました。
「でも、空気はおまえに息をさせてくれるだろう。」と、詩人の声がささやきました。
 すると、すぐそばに、ひとりの男の子が、溝川(どぶかわ)の上を棒でたたいていました。にごった水のしずくが緑の枝の上にはねあがりました。すると、書記はそのしずくといっしょにたかく投げあげられたなん万という目にみえないちいさい生き物のことをおもいました。それは、からだの大きさの割合からすると、ちょうどわたしたちが雲の上まで高く投げられたと同じようなものでしょうか。そんなことを書記はおもいながら、だんだんかわっていくじぶんをおかしく感じました。
「どうも眠って夢をみているのだな。だが、ふしぎなことにはちがいない。そんなにまざまざ夢をみていて、しかも夢のなかで、それが夢だと知っているのだからな。どうかして夢にみたことをのこらず、あくる日目がさめてもおぼえていられたらいいだろう。どうもいつもとちがって、気分がみょうにうかれている。なにをみてもはっきりわかるし、生き生きとものをかんじている。でも、あしたになっておもいだしたら、ずいぶんばかげているにちがいない。せんにもよくあったことだ。夢のなかでいろいろと賢いことやりっぱなことをいったり、きいたりするものだ。それは地の下の小人(こびと)の金(きん)のようなものだ。それを受けとったときには、たくさんできれいな金にみえるが、あかるい所でみると、石ころか枯ッ葉になってしまう。やれ、やれ。」
 書記は、さもつまらなそうにため息をついて、枝から枝へ、愉快そうにとびまわって、ちいちいさえずっている小鳥をながめました。
「小鳥はわたしよりずっとよくくらしている。とぶということは、なにしろたいしたわざだ。つばさをそなえてうまれたものはしあわせだ。そうだな。わたしがもしなにか人間でないものに変れるならかわいいひばりになりたいものだ。」
 こういうが早いか、書記の服のせなかに、両そでがびったりくっついて、つばさになりました。着物は羽根になり、うわおいぐつはつめになりました。書記はじぶんのずんずん変っていくすがたをはっきりみながら、心のなかでわらいました。「なるほど、これでいよいよ夢をみていることがわかる。だが、わたしはまだこんなおもいきってばかげた夢をみたことはないぞ。」こういって、ひばりになった書記は、みどりの枝のなかをとびまわってうたいました。
 もう、その歌に詩はありません。詩人の気質はなくなってしまったのです。このうわおいぐつは、なんでもものごとをつきつめてするひとのように、[#「、」は底本では「。」]一│時(じ)にひとつのことしかできません。詩人になりたいというと、詩人になりました。こんどは小鳥になりたいというと、小鳥になりました。とたんに詩人の心は消えました。
「こいつは実におもしろいぞ。」と、書記はとびながら、なおかんがえつづけました。「わたしは昼間、役所につとめて、石のように堅い椅子に腰をかけて、おもしろくないといって、およそこの上ない法律書類のなかに首をつッこんでいる。夜になると夢をみて、ひばりになって、フレデリクスベルグ公園の木のなかをとびまわる。こりゃあ、りっぱに大衆喜劇の種(たね)になる。」
 そこで、書記のひばりは草のなか[#「なか」は底本では「なが」]に舞いおりて、ほうぼうに首をむけて、草の茎をくちばしでつつきました。それはいまのじぶんの大きさにくらべては、北アフリカのしゅろの枝ほどもありそうでした。
 すると、だしぬけにまわりがまっ暗やみになってしまいました。なにか大きなものが、上からかぶさって来たようにおもわれました。これはニュウボデルから来た船員のこどもが、大きな帽子を小鳥の上に投げかけたものでした。やがて下からぬっと手がはいって来て、書記のひばりのせなかとつばさをひどくしめつけたので、おもわずぴいぴい鳴きました。そして、びっくりした大きな声で「このわんぱく小僧め、おれは警察のお役人だぞ。」とどなりました。けれどもこどもには、ただぴいぴいときこえるだけでした。そこでこの男の子は鳥のくちばしをたたいて、つかんだままほうぼうあるきまわりました。
 やがて、並木道(なみきみち)で、男の子はほかのふたりのこどもに出あいました。身分をいう人間の社会では、いい所のこどもというのですが、学校では精紳がものをいうので、ごく下の級に入れられていました。このこどもたちが、シリング銀貨二、三枚で小鳥を買いました。そこで、ひばりの書記は、またコペンハーゲンのゴーテルス通のある家へつれてこられることになりました。
「夢だからいいようなものだが。」と、書記はいいました。「さもなければ、おれはほんとうにおこってしまう。はじめに詩人で、こんどはひばりか。しかもわたしを小鳥にかえたのは、詩人の気質がそうしたのだよ。それがこどもらの手につかまれるようになっては、いかにもなさけない。このおしまいは、いったいどうなるつもりか、見当がつかない。」
 やがて、こどもたちはひばりをたいそうりっぱなおへやにつれこみました。ふとったにこにこした奥さまが、こどもたちをむかえました。この子たちのおかあさまでしたろう。けれども、このおかあさまは、ひばりのことを「下等な野そだちの鳥」とよんで、そんなものをうちのなかへ入れることをなかなかしょうちしてくれません。やっとたのんで、ではきょう一日だけということで許してもらえました。で、ひばりは窓のわきにある、からッぽなかごのなかに入れられなければなりませんでした。「おうむちゃん、きっと、うれしがるでしょうよ。」と、奥さまはいって、上のきれいなしんちゅうのかごのなかの輪で、お上品ぶってゆらゆらしている大きなおうむにわらいかけました。
「きょうはおうむちゃんのお誕生日だったねえ。」と、奥さまはあまやかすようにいいました。「だから、このちっぽけな野そだちの鳥もお祝をいいに来たのだろうよ。」
 おうむちゃんはこれにひとことも返事をしませんでした。ただお上品ぶってゆらゆらしていました。すると、去年の夏、あたたかい南の国のかんばしい林のなかから、ここへつれてこられた、かわいらしいカナリヤが、たかい声で歌をうたいはじめました。
「やかましいよ。」と、奥さまはいいました。そうして白いハンケチを鳥かごにかけてしまいました。
「ぴい、ぴい。」と、カナリヤはため息をつきました。「おそろしい雪おろしになって来たぞ。」こういってため息をつきながら、だまってしまいました。
 書記は、いや、奥さまのおっしゃる下等な野そだちの鳥は、カナリヤのすぐそばのちいさなかごに入れられました。おうむからもそう遠くはなれてはいませんでした。このおうむちゃんのしゃべれる人間のせりふはたったひとつきり、それは、「まあ、人になることですよ。」というので、それがずいぶんとぼけてきこえるときがありました。そのほかに、ぎゃあぎゃあいうことは、カナリヤの歌と同様、人間がきいてもまるでわけがわかりませんでした。ただ書記だけは、やはり小鳥のなかまにはいったので、いうことはよくわかりました。
「わたしはみどりのしゅろの木や、白い花の咲くあんずの木の下をとんでいたのだ。」と、カナリヤがうたいました。「わたしは男のきょうだいや女のきょうだいたちと、きれいな花の咲いた上や、鏡のようにあかるいみどりの上をとんでいたのだ。みずうみの底には、やはり草や木が、ゆらゆらゆられていた。それからずいぶん、ながいお話をたくさんしてくれるきれいなおうむさんにもあった。」
「ありゃ野そだちの鳥よ。」と、おうむがこたえました。「あれらはなにも教育がないのだ。まあ人になることですよ。おまえ、なぜわらわない。奥さんやお客さんたちがわらったら、おまえもわらう。娯楽に趣味をもたないのは欠点です。まあ人になることですよ。」
「おまえさん、おぼえているでしょう。花の咲いた木の下に、天幕を張って、ダンスをしたかわいらしいむすめたちのことを、野に生えた草のなかに、あまい実がなって、つめたい汁の流れていたことを。」
「うん、そりゃ、おぼえている。」と、おうむがこたえました。「だが、ここのお内で、ぼくはもっといいくらしをしているのだ。ごちそうはあるし、だいじに扱われている。この上ののぞみはないのさ。まあ、人になることですよ。きみは詩人のたましいとかいうやつをもっている。ぼくはなんでも深い知識ととんちをもっている。きみは天才はあるが、思慮(しりょ)がないよ。持ってうまれた高調子で、とんきょうにやりだす、すぐ上からふろしきをかぶされてしまうのさ。そこはぼくになるとちがう。どうしてそんな安ッぽいのじゃない。この大きなくちばしだけでも、威厳(いげん)があるからな。しかもこのくちばしで、とんちをふりまいて人をうれしがらせる。まあ、人になることですよ。」
「ああ、わがなつかしき、花さく熱帯の故国よ。」とカナリヤがうたいました。「わたしはあのみどりしたたる木立と、鏡のような水に枝が影をうつしている静かな入江をほめたたえよう。『沙漠(さばく)の泉の木』が茂って、そこにうつくしくかがやくきょうだいの鳥たちのよろこびをほめたたえよう。」
「さあ、たのむから、もうそんななさけない声を出すのはよしておくれ。」と、おうむがいいました。
「なにかわらえるようなことをうたっておくれ。わらいはいとも高尚な心のしるしだ。犬や馬がわらえるかね。どうだ。どうして、あれらはなくだけです。わらいは人にだけ与えられたものだ。ほッほッほ。」
 こうおうむはわらってみせて、「まあ、人になることですよ。」とむすびました。
「もし、もし、そこに灰色しているデンマルクの小鳥さん。」と、カナリヤがひばりに声をかけました。「きみもやはり囚人(しゅうじん)になったんだな。なるほど、きみの国の森は寒いだろう。だが、そこにはまだ自由がある。とびだせ。とびだせ。きみのかごの戸はしめるのを忘れている。上の窓はあいているぞ。逃げろ、逃げろ。」
 カナリヤがこういうと、書記はついそれにのって、すうとかどをとびだしました。そのとたん、となりのへやの、半分あいた戸がぎいと鳴ると、みどり色した火のような目の飼いねこがしのんで来ました。そうして、いきなりひばりを追っかけようとしました、カナリヤはかごのなかをとびまわりました。おうむもつばさをばさばさやって「まあ、人になることですよ。」とさけびました。書記は、もう死ぬほどおどろいて、窓から屋根へ往来へとにげました。とうとうくたびれて、すこし休まなければならなくなりました。
 すると、むこうがわの家が、住み心地のよさそうなようすをしていました。窓がひとつあけてあったので、[#「、」は底本では「。」]そこからつういととび込むと、そこはじぶんのへやの書斎でした。ひばりはそこのつくえの上にとびおりました。
「まあ、人になることですよ。」と、ひばりはついおうむの口まねをしていいました。そのとたんに、書記にもどりました。ただつくえの上にのっかっていました。
「やれ、やれおどろいた。」と、書記はいいました。「どうしてこんな所にのっかっているのだろう。しかもひどく寝込んでしまって、なにしろおちつかない夢だった。しまいまで、くだらないことばかりで、じょうだんにもほどがある。」
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   六 うわおいぐつのさずけてくれたいちばんいい事


 明くる日、朝早く、書記君まだ寝床にはいっていますと、戸をこつこつやる音がきこえました。それはおなじ階でおとなり同士の若い神学生で、はいって来てこういいました。
「きみのうわおいぐつを貸してくれたまえ。」と、学生はいいました。「庭はひどくしめっているけれど、日はかんかん照っている。おりていって、一服やりたいとおもうのだよ。」
 学生にうわおいぐつをはいて、まもなく庭へおりました。庭にはすももの木となしの木がありました。これだけのちょっとした庭でも、都のなかではどうして大したねうちです。
 学生は庭の小みちをあちこちあるきまわりました。まだやっと六時で、往来には郵便馬車のラッパがきこえました。
「ああ、旅行。旅行。」と、学生はさけびました。「これこそ、この世のいちばん大きな幸福だ。これこそぼくの希望のいちばんたかい目標だ。旅に出てこそぼくのこの不安な気持が落ちつく、だが、ずっととおくではなければなるまい。うつくしいスウィスがみたい。イタリアへいきたい――」
 いや、うわおいぐつがさっそくしるしをみせてくれたことは有りがたいことでした。さもないと、じぶんにしても、他人のわたしたちにしても、始末のわるい遠方までとんでいってしまうところでした。さて、学生は旅行の途中です。スウィスのまんなかで、急行馬車に、ほかの八人の相客といっしょにつめこまれていました。頭痛がして、首がだるくて、足は血が下がってふくれた上をきゅうくつな長ぐつでしめつけられていました。眠っているとも、さめているともつかず、うとうとゆられていました。右のかくしには信用手形を入れ、左のかくしには、旅券を入れていました。ルイドール金貨が胸の小さな革紙入にぬい入れてありました。うとうとするとこのだいじな品物のうちどれかをなくした夢をみました。それで、熱のたかいときのように、ひょいととびあがりました。そうしてすぐと手を動かして、右から左へ三角をこしらえて、それから胸にさわってまだなくさずに持っているかどうかみました。こうもりがさと帽子とステッキは、あたまの上の網のなかでゆれてぶら下がっていて、せっかくのすばらしいそとの景色をみるじゃまをしていました。でも、その下からのぞいてみるだけでして、そのかわり学生は心のなかで、詩人とまあいってもいいでしょう、わたしたち知っているさる人が、スウィスで作って、そのまままだ印刷されずにいる詩をうたっていました。

さなり、ここに心ゆくかぎりの美はひらかれ
 モンブランの山天(あま)そそる姿をあらわす。
嚢中(のうちゅう)のかくもすみやかに空しからずば、はや
 あわれ、いつまでもこの景にむかいいたらまし。

 みるかぎりの自然に、大きく、おごそかで、うすぐらくもみえました。もみの木の林が、高い山の上で、草やぶかなんぞのようにみえました。山のいただきは雲霧(くもきり)にかくれてみえませんでした。やがて雪が降りはじめて、風がつめたく吹いて来ました。
「おお、寒い。」と、学生はため息をつきました。「これがアルプスのむこうがわであったらいいな。あちらはいつも夏景色で、その上、この信用手形でお金が取れるのだろうが。金の心配で、せっかくのスウィスも十分に楽しめない。どうかはやくむこうへいきたいなあ。」
 こういうと、もう学生は山のむこうがわのイタリアのまんなかの、フィレンツェとローマのあいだに来ていました。トラジメーネのみずうみは、夕ばえのなかで、暗いあい色の山にかこまれながら、金色のほのおのようにかがやいていました。ここは昔、ハンニバルがフラミウスをやぶったところで、そこにぶどうのつるが、みどりの指をやさしくからみあっていました。かわいらしい半裸体のこどもらが、道ばたの香り高い月桂樹(げっけいじゅ)の林のなかで、まっ黒なぶたの群を飼っていました。もしこの景色をそのまま画にかいてみせることができたら、たれだって「ああ、すばらしいイタリア。」とさけばずにはいられないでしょう。けれどもさしあたり神学生も、おなじウェッツラ(四輪馬車)にのりあわせた旅の道づれも、それをくちびるにのせたものはありませんでした。
 毒のあるはえやあぶが、なん千となく、むれて馬車のなかへとびこんで来ました。みんな気ちがいのように、ミルテの枝をふりまわしましたが、はえはへいきで刺しました。馬車の客は、ひとりだってさされて顔のはれあがらないものはありませんでした。かわいそうな馬は腐れ肉でもあるかのようにはえのたかるままになっていました。たまにぎょ者がおりて、いっぱいたかっている虫をはらいのけると、そのときだけいくらかほっとしました。いま、日は沈みかけました。みじかい、あいだですが、氷のような冷やかさが万物にしみとおって、それはどうにもこころよいものではありません。でも、まわりの山や雲が、むかしの画にあるような、それはうつくしいみどり色の調子をたたえて、いかにもあかるくすみとおって――まあなんでも、じぶんでいってみることで、書いたものをよむだけではわかりません。まったくたとえようのないけしきです。この旅行者たちたれもやはりそうおもいました。でも――胃(い)の腑(ふ)はからになっていましたし、からだも疲れきっていました。ただもう今夜のとまり、それだけがたれしもの心のねがいでした。さてどうそれがなるのか。うつくしい自然よりも、そのほうへたれの心もむかっていました。
 道は、かんらんの林のなかを通っていきました。学生は、故郷にいて、節だらけのやなぎの木のあいだをぬけて行くときのような気もちでした。やがてそこにさびしい宿屋をみつけました。足なえのこじきがひとかたまり、そこの入口に陣取っていました。なかでいちばんす早いやつでも、ききんの惣領(そうりょう)息子が丁年になったような顔をしています。そのほかは、めくらかいざりかどちらかでしたから、両手ではいまわるか、指の腐れおちた手をあわせていました。これはまったくみじめがぼろにくるまって出て来た有様でした。*「エチェレンツア・ミゼラビリ」と、こじきはため息まじりにかたわな手をさしだしました。なにしろこの宿屋のおかみさんからして、はだしでくしを入れないぼやぼやのあたまに、よごれくさったブルーズ一枚でお客を迎えました。戸はひもでくくりつけてありました。へやのゆかは煉瓦(れんが)が半分くずれた上を掘りかえしたようなていさいでした。こうもりが天井(てんじょう)の下をとびまわって、へやのなかから、むっとくさいにおいがしました――。
*旦那さま、かわいそうなものでございます。
「そうだ、いっそ食卓はうまやのなかにもちだすがいい。」と、旅人のひとりがいいました。「まだしもあそこなら息ができそうだ。」
 窓はあけはなされました。そうすればすこしはすずしい風がはいってくるかとおもったのです。ところが風よりももっとす早く、かったいぼうの手がでて来て、相変らず「ミゼラビリ・エチェレンツア」と鼻をならしつづけました。壁のうえにはたくさん楽書(らくがき)がしてありましたが、その半分は*「ベルラ・イタリア」にはんたいなことばばかりでした。
*イタリアよいとこ。
 夕飯がでました。それはこしょうと、ぷんとくさい脂で味をつけた水っぽいスープとでした。そのくさい脂がサラダのおもな味でした。かびくさい卵と、鶏冠(とさか)の焼いたのが一とうのごちそうでした。ぶどう酒(しゅ)までがへんな味がしました。それはたまらないまぜものがしてありました。
 夜になると、旅かばんをならべて戸に寄せかけました。ほかのもののねているあいだ、旅人のひとりが交代で起きて夜番をすることになりました。そこで神学生がまずその役にあたりました。ああ、なんてむんむすることか。暑さに息がふさがるようでした。蚊(か)がぶん、ぶん、とんで来て刺しました。おもての「ミゼラビリ」は夢のなかでも泣きつづけていました。
「そりゃ旅行もけっこうなものさ。」と、神学生はいいました。「人間に肉体というものがなければな。からだは休ましておいて、心だけとびあるくことができたらいいさ。どこへいってもぼくは心をおされるよう不満にであう。ぼく[#「ぼく」は底本では「くぼ」]ののぞんでいたのは、現在の境遇より少しはいいものなのだ。そうだ、もう少しいいもの、いちばんいいものだ。だが、それはどこにある。それはなんだ。心のそこには求めているものがなにかよくわかっている。わたしは幸福を目あてにしたいのだ。すべてのもののなかでいちばん幸福なものをね。」
 すると、いうがはやいか、学生は、もうじぶんの内へかえっていました、長い、白いカーテンが窓からさがっていました。そうしてへやのまんなかに、黒い棺(かん)がおいてありました。そのなかで、学生は死んで、しずかに眠っていたのでした。のぞみははたされたのです――肉体は休息して、精神だけが自由に旅をしていました。「いまだ墓にいらざるまえ、なにびとも幸福というを得ず。」とは、ギリシアの賢人ソロンの言葉でした。ここにそのことばが新しく証明されたわけです。
 すべて、しかばねは不死不滅のスフィンクスです。いま目のまえの黒い棺(かん)のなかにあるスフィンクスも、死ぬつい三日まえ書いた、次のことばでそのこたえをあたえているのです。

いかめしい死よ、おまえの沈黙は恐怖をさそう。
おまえの地上にのこす痕跡(あと)は寺の墓場だけなのか。
たましいは*ヤコブのはしごを見ることはないのか。
墓場の草となるほかに復活の道はないのか。
この上なく深いかなしみをも世間はしばしばみすごしている。
おまえは孤独のまま最後の道をたどっていく。
しかもこの世にあって心の荷(にな)う義務はいやが上に重い、
それは棺の壁をおす土よりも重いのだ。
* ヤコブがみたという地上と天国をつなぐはしご(創世記二八ノ一二)
 ふたつの姿がへやのなかでちらちら動いていました。わたしたちはふたりとも知っています。それは心配の妖女(ようじょ)と、幸福の女神の召使でした。ふたりは死人の上にのぞきこみました。

 心配がいいました。「ごらん、おまえさんのうわおいぐつがどんな幸福をさずけたでしょう。」
「でも、とにかくここに寝ている男には、ながい善福をさずけたではありませんか。」と、よろこびがこたえました。
「まあ、どうして。」と、心配がいいました。「この人はじぶんで出て行ったので、まだ召されたわけではなかったのですよ。この人の精神はまだ強さが足りないので、当然掘り起さなければならないはずの宝を掘り起さずにしまいました。わたしはこの人に好いことをしてやりましょう。」
 こういって、心配は学生の足のうわおいぐつをぬがしてやりました。すると、死の眠がおしまいになって、学生は目をさまして立ちあがりました。心配の姿は消えました。それといっしょにうわおいぐつも消えてなくなりました。――きっと心配が、そののちそれをじぶんの物にして、もっているのでしょう。




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