幸福のうわおいぐつ
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著者名:アンデルセンハンス・クリスチャン 

 学生は庭の小みちをあちこちあるきまわりました。まだやっと六時で、往来には郵便馬車のラッパがきこえました。
「ああ、旅行。旅行。」と、学生はさけびました。「これこそ、この世のいちばん大きな幸福だ。これこそぼくの希望のいちばんたかい目標だ。旅に出てこそぼくのこの不安な気持が落ちつく、だが、ずっととおくではなければなるまい。うつくしいスウィスがみたい。イタリアへいきたい――」
 いや、うわおいぐつがさっそくしるしをみせてくれたことは有りがたいことでした。さもないと、じぶんにしても、他人のわたしたちにしても、始末のわるい遠方までとんでいってしまうところでした。さて、学生は旅行の途中です。スウィスのまんなかで、急行馬車に、ほかの八人の相客といっしょにつめこまれていました。頭痛がして、首がだるくて、足は血が下がってふくれた上をきゅうくつな長ぐつでしめつけられていました。眠っているとも、さめているともつかず、うとうとゆられていました。右のかくしには信用手形を入れ、左のかくしには、旅券を入れていました。ルイドール金貨が胸の小さな革紙入にぬい入れてありました。うとうとするとこのだいじな品物のうちどれかをなくした夢をみました。それで、熱のたかいときのように、ひょいととびあがりました。そうしてすぐと手を動かして、右から左へ三角をこしらえて、それから胸にさわってまだなくさずに持っているかどうかみました。こうもりがさと帽子とステッキは、あたまの上の網のなかでゆれてぶら下がっていて、せっかくのすばらしいそとの景色をみるじゃまをしていました。でも、その下からのぞいてみるだけでして、そのかわり学生は心のなかで、詩人とまあいってもいいでしょう、わたしたち知っているさる人が、スウィスで作って、そのまままだ印刷されずにいる詩をうたっていました。

さなり、ここに心ゆくかぎりの美はひらかれ
 モンブランの山天(あま)そそる姿をあらわす。
嚢中(のうちゅう)のかくもすみやかに空しからずば、はや
 あわれ、いつまでもこの景にむかいいたらまし。

 みるかぎりの自然に、大きく、おごそかで、うすぐらくもみえました。もみの木の林が、高い山の上で、草やぶかなんぞのようにみえました。山のいただきは雲霧(くもきり)にかくれてみえませんでした。やがて雪が降りはじめて、風がつめたく吹いて来ました。
「おお、寒い。」と、学生はため息をつきました。「これがアルプスのむこうがわであったらいいな。あちらはいつも夏景色で、その上、この信用手形でお金が取れるのだろうが。金の心配で、せっかくのスウィスも十分に楽しめない。どうかはやくむこうへいきたいなあ。」
 こういうと、もう学生は山のむこうがわのイタリアのまんなかの、フィレンツェとローマのあいだに来ていました。トラジメーネのみずうみは、夕ばえのなかで、暗いあい色の山にかこまれながら、金色のほのおのようにかがやいていました。ここは昔、ハンニバルがフラミウスをやぶったところで、そこにぶどうのつるが、みどりの指をやさしくからみあっていました。かわいらしい半裸体のこどもらが、道ばたの香り高い月桂樹(げっけいじゅ)の林のなかで、まっ黒なぶたの群を飼っていました。もしこの景色をそのまま画にかいてみせることができたら、たれだって「ああ、すばらしいイタリア。」とさけばずにはいられないでしょう。けれどもさしあたり神学生も、おなじウェッツラ(四輪馬車)にのりあわせた旅の道づれも、それをくちびるにのせたものはありませんでした。
 毒のあるはえやあぶが、なん千となく、むれて馬車のなかへとびこんで来ました。みんな気ちがいのように、ミルテの枝をふりまわしましたが、はえはへいきで刺しました。馬車の客は、ひとりだってさされて顔のはれあがらないものはありませんでした。かわいそうな馬は腐れ肉でもあるかのようにはえのたかるままになっていました。たまにぎょ者がおりて、いっぱいたかっている虫をはらいのけると、そのときだけいくらかほっとしました。いま、日は沈みかけました。みじかい、あいだですが、氷のような冷やかさが万物にしみとおって、それはどうにもこころよいものではありません。でも、まわりの山や雲が、むかしの画にあるような、それはうつくしいみどり色の調子をたたえて、いかにもあかるくすみとおって――まあなんでも、じぶんでいってみることで、書いたものをよむだけではわかりません。まったくたとえようのないけしきです。この旅行者たちたれもやはりそうおもいました。でも――胃(い)の腑(ふ)はからになっていましたし、からだも疲れきっていました。ただもう今夜のとまり、それだけがたれしもの心のねがいでした。さてどうそれがなるのか。うつくしい自然よりも、そのほうへたれの心もむかっていました。
 道は、かんらんの林のなかを通っていきました。学生は、故郷にいて、節だらけのやなぎの木のあいだをぬけて行くときのような気もちでした。やがてそこにさびしい宿屋をみつけました。足なえのこじきがひとかたまり、そこの入口に陣取っていました。なかでいちばんす早いやつでも、ききんの惣領(そうりょう)息子が丁年になったような顔をしています。そのほかは、めくらかいざりかどちらかでしたから、両手ではいまわるか、指の腐れおちた手をあわせていました。これはまったくみじめがぼろにくるまって出て来た有様でした。*「エチェレンツア・ミゼラビリ」と、こじきはため息まじりにかたわな手をさしだしました。なにしろこの宿屋のおかみさんからして、はだしでくしを入れないぼやぼやのあたまに、よごれくさったブルーズ一枚でお客を迎えました。戸はひもでくくりつけてありました。へやのゆかは煉瓦(れんが)が半分くずれた上を掘りかえしたようなていさいでした。こうもりが天井(てんじょう)の下をとびまわって、へやのなかから、むっとくさいにおいがしました――。
*旦那さま、かわいそうなものでございます。
「そうだ、いっそ食卓はうまやのなかにもちだすがいい。」と、旅人のひとりがいいました。「まだしもあそこなら息ができそうだ。」
 窓はあけはなされました。そうすればすこしはすずしい風がはいってくるかとおもったのです。ところが風よりももっとす早く、かったいぼうの手がでて来て、相変らず「ミゼラビリ・エチェレンツア」と鼻をならしつづけました。壁のうえにはたくさん楽書(らくがき)がしてありましたが、その半分は*「ベルラ・イタリア」にはんたいなことばばかりでした。
*イタリアよいとこ。
 夕飯がでました。それはこしょうと、ぷんとくさい脂で味をつけた水っぽいスープとでした。そのくさい脂がサラダのおもな味でした。かびくさい卵と、鶏冠(とさか)の焼いたのが一とうのごちそうでした。ぶどう酒(しゅ)までがへんな味がしました。それはたまらないまぜものがしてありました。
 夜になると、旅かばんをならべて戸に寄せかけました。ほかのもののねているあいだ、旅人のひとりが交代で起きて夜番をすることになりました。そこで神学生がまずその役にあたりました。ああ、なんてむんむすることか。暑さに息がふさがるようでした。蚊(か)がぶん、ぶん、とんで来て刺しました。おもての「ミゼラビリ」は夢のなかでも泣きつづけていました。
「そりゃ旅行もけっこうなものさ。」と、神学生はいいました。「人間に肉体というものがなければな。からだは休ましておいて、心だけとびあるくことができたらいいさ。どこへいってもぼくは心をおされるよう不満にであう。ぼく[#「ぼく」は底本では「くぼ」]ののぞんでいたのは、現在の境遇より少しはいいものなのだ。そうだ、もう少しいいもの、いちばんいいものだ。だが、それはどこにある。それはなんだ。心のそこには求めているものがなにかよくわかっている。わたしは幸福を目あてにしたいのだ。すべてのもののなかでいちばん幸福なものをね。」
 すると、いうがはやいか、学生は、もうじぶんの内へかえっていました、長い、白いカーテンが窓からさがっていました。そうしてへやのまんなかに、黒い棺(かん)がおいてありました。そのなかで、学生は死んで、しずかに眠っていたのでした。のぞみははたされたのです――肉体は休息して、精神だけが自由に旅をしていました。「いまだ墓にいらざるまえ、なにびとも幸福というを得ず。」とは、ギリシアの賢人ソロンの言葉でした。ここにそのことばが新しく証明されたわけです。
 すべて、しかばねは不死不滅のスフィンクスです。いま目のまえの黒い棺(かん)のなかにあるスフィンクスも、死ぬつい三日まえ書いた、次のことばでそのこたえをあたえているのです。

いかめしい死よ、おまえの沈黙は恐怖をさそう。
おまえの地上にのこす痕跡(あと)は寺の墓場だけなのか。
たましいは*ヤコブのはしごを見ることはないのか。
墓場の草となるほかに復活の道はないのか。
この上なく深いかなしみをも世間はしばしばみすごしている。
おまえは孤独のまま最後の道をたどっていく。
しかもこの世にあって心の荷(にな)う義務はいやが上に重い、
それは棺の壁をおす土よりも重いのだ。
* ヤコブがみたという地上と天国をつなぐはしご(創世記二八ノ一二)
 ふたつの姿がへやのなかでちらちら動いていました。わたしたちはふたりとも知っています。それは心配の妖女(ようじょ)と、幸福の女神の召使でした。ふたりは死人の上にのぞきこみました。

 心配がいいました。「ごらん、おまえさんのうわおいぐつがどんな幸福をさずけたでしょう。」
「でも、とにかくここに寝ている男には、ながい善福をさずけたではありませんか。」と、よろこびがこたえました。
「まあ、どうして。」と、心配がいいました。「この人はじぶんで出て行ったので、まだ召されたわけではなかったのですよ。この人の精神はまだ強さが足りないので、当然掘り起さなければならないはずの宝を掘り起さずにしまいました。わたしはこの人に好いことをしてやりましょう。」
 こういって、心配は学生の足のうわおいぐつをぬがしてやりました。すると、死の眠がおしまいになって、学生は目をさまして立ちあがりました。心配の姿は消えました。それといっしょにうわおいぐつも消えてなくなりました。――きっと心配が、そののちそれをじぶんの物にして、もっているのでしょう。




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